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秋風にこすもすの立つ悲しけれ危き中のよろこびに似て 與謝野晶子
2015.10.15
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手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 河野裕子本日、八月十二日は歌人河野裕子さんの命日である。享年六十四歳、四年前のことである。初期のみずみずしい歌から、晩年の切ない歌まで、今日はゆっくり河野ワールドに浸り、河野さんを偲びたいと思う。明日は盆の入りだ。河野さんの魂は帰り、夫の永田さんと交歓することであろう。
2014.08.12
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太陽のもとに物みな汗かきて力を出だす若き六月 与謝野晶子
2014.06.06
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黄なる麦一穂ぬきとり手にもちて雲なきもとの高原をゆく 若山牧水
2014.06.04
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さうび散る君恋ふる人やまひして密に知りぬ死の趣を 与謝野晶子晶子は、昭和十七年五月二十九日に亡くなりました。本日は祥月命日です。「艶にしてなやましくはるかにして遠く殆んど天の声」は高村光太郎評。晶子祥月命日の今日は薔薇を愛でながら、その天の声に酔いたいと思います。
2014.05.29
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火の端の見ゆと躑躅の花摘みぬ抑へんとする思ひある頃 与謝野晶子
2014.05.19
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病みてこもる山の御堂に春くれぬ今日文ながき絵筆とる君 与謝野晶子
2014.05.07
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桃色の春かぜの吹くこころより浄らなるなし浮きたるはなし 与謝野晶子
2014.04.16
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ほとけには桜の花をたてまつれ我が後の世を人とぶらはば 西行
2014.04.14
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ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃 西行
2014.04.09
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いたつきに三年こもりて死にもせず又命ありて見る桜かな 正岡子規※いたつき:病
2014.04.08
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桜の花ちりぢりにしもわかれ行く遠きひとりと君もなりなむ 折口信夫
2014.04.07
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くれなゐの桃のつぼみを思ひつつ薬をのみぬ病める三月与謝野晶子
2014.03.12
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服あふれ靴あふれ籠にパンあふれ足るを知らざる国となり果つ 富小路禎子(とみのこうじよしこ)
2014.02.26
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ちはやふる神の御代よりうけつぎし国をおろそかに守るべしやは 明治天皇 御製元旦の朝はこの和歌を日記に記し、そして初詣に出かける。これが私の数年来の儀式である。明治天皇の崇高にして純真なる精神を思い、神殿に向かい柏手を打つ。私は日本の威厳と品位を全身で感じ、日本人としてこの国に生まれたことに感謝をする。我が国土は甚だ悠久にして、そして平和そのものだ。まずは我が分を守り我が命を知り粛々と邁進しよう。年頭にあたりそう心に誓った次第である。
2014.01.02
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百一才の夏ほどほどに趣味も仕事もほどほどに百一才の夏さわやかに今年の夏、新聞の連載記事「元気100歳」に載った西村富志子さんが詠んだ歌である。西村富志子さん、御年百一歳。欲も華美もはるか遠い昔の事であり、ただ心の有り様だけをそのまま詠んだ歌であるが、実に美しい。心から感動した。今年もたくさんの詩歌に触れた一年であったが、これほど素直に感動したものは他にない。もちろん、与謝野晶子さんの歌のようにうならずに読まないではいられないようなうまい歌もあったし、何度読んでも琴線を刺激する山頭火の句もあった。しかし、人としての美しい心にこれほど感動したものはこの他にはない。私の今年の一番である。願わくは、西村さんにはつつがなく新しい年をおむかえいただき、「百二才の夏」を詠んでほしい。そして出会いの一番は、ここに御座す聖観世音菩薩だ。某寺の本尊である。秘仏ではないが、理由があってめったに開帳されることはない。仏縁があり、私はそれを拝む栄を賜ったのだ。室町の足利執権の寄進によるものだそうだ。拝謁がかなったのは私が屈託を抱えていた時だけに、聖観音には度していただいたという思いを強く持っている。私だけの私にとっての事ではあるが、出会いの一番はこの聖観音である。今年もあと十日あまりである。後は怒涛のごとく過ぎてゆくであろう。今年もアレコレあったが、心をゆさぶる一歌と依怙なる聖観音を得る事が出来たのは何よりであった。まずは上々の一年に感謝合掌。健康に留意して無事に年を越したい。
2013.12.20
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我といふ人の心はただひとりわれより外に知る人はなし 谷崎潤一郎
2013.12.05
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とこしへに同じ枝には住みがたき身となりぬらしおちばと落葉 与謝野晶子落葉が見事だ。禅刹では雲水が淡々と落葉をはき集めていた。その姿は風景のひとつであった。落ちる葉と、はき集める僧が、「空」という相の中で一体となっているように見えた。森閑とした禅刹らしい風景に引き込まれ、私はしばし時を忘れたのだ。しかしだ、「空」なる落葉もいいが、しっとりした「艶」なる落葉もまた一興だ。晶子さんは「空」の反対側で燦然と輝くのだ。この歌は、色っぽいなぁ、と思わないではいられない。ゾクゾクとする。そして『おちばと落葉』、こういう技法は歌の中では風景のひとつになり、自然とため息が出てしまう。晶子さんの境地や、もはや禅刹の雲水と同じなのだ。晶子さんもう一首。落葉憂し生きたる苔にはばまれて石の質なる霜におされて晶子さんご本人は、何に「はばまれ」ても成し遂げられた。そこが素晴らしくも凄いところであり、こうやって後世まで名を残す所以なのである。ときに我が友人は「落葉といえば奥村チヨでしょ!終着駅が最高だね。」また別の友人曰く「落葉なら、O・ヘンリーの最後の一葉だと思う。」古刹の落葉、おちばと落葉、そしてカラオケの落葉に最後の落葉と落葉にもいろいろあるようだ。週末は里山で本年最後の落葉三昧に興じてみようか。
2013.11.29
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こころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂げて死なむと思ふ 石川啄木せつないなぁ・・久しぶりに啄木を紐解いた。若い頃に求めた一冊である。かつては空で読めるほど、啄木には親しんだはずなのに、とんとご無沙汰であった。その背表紙は、書架の目の届くところにあるのだが、手にする機会が激減したというわけだ。本を開き、若い頃に好きだった歌を拾った。三つ四つと進め、そして私は本を閉じたのだ。せつない、そしてやりきれない。読むに耐えられないのだ。もちろん文学的評価でなく、啄木の鬱積したエネルギーへの私の感情の問題である。青春の頃はそれこそに共感を覚え、何度も口ずさんだ啄木である。思えば我が青春の頃、青年啄木は苦悩を生きる先輩であった。そして人生を斜に生きる事を教えてくれたアニキであった。だが今や私は啄木の倍以上を生きる年齢にある。啄木の懊悩に比例し、その鬱積したエネルギーは混濁の度を深め、内へ内へと堆積されていった。堆積物が限界点に達したとき、石川啄木の生も限界に達したのかもしれない。青春のとき、それは「劇的な生涯」に映り、当時流行った自主映画の一篇を見ているようであった。そしてまた、堆積物の限界点は啄木文学の限界なのだ。中年に至り、それが劇的な生涯でもなく映画の一篇でもないことがわかってしまった。そして啄木文学の限界も見えた。全うに生きてくれば人は皆、角は削がれる。だから多少は意に反したことでも「そういうものだ」と理解できるくらいに大人になるのだ。或いは口角泡を飛ばす輩に対しては「そんなもんじゃないよ」と言って聞かせるほどの余裕は出てくる。何より、すべてを社会や他人のせいにしないだけの人間としての節度と成熟は見られるわけなのだ。だから、今となっては啄木の歌はせつな過ぎてやりきれないのである。おそらくこのせつなさに触れ、また啄木から遠ざかることになろう。秋の日に、若くして逝った啄木の限界を思ったことである。南無阿弥陀仏、合掌。
2013.11.18
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どちらが本当か天気よお前は晴天なのが本当か雨のふるのが本当か曇天が本当か風の吹くのが本当か吹かないのが本当か。川よお前は清いのが本当か濁っているのが本当か激しているのが本当か静かなのが本当か私は知らないよ。武者小路実篤 武者小路実篤の飄々とした様子が眼に浮かぶようだ。かの時代も何かと騒々しかったであろう。武者小路実篤、そこをしかと見つめた上でサラッと言ってのけた。私は知らないよ。サスガだ、心底そう思う。こういうのを本当に「穿った見方」というのであろう。今の世も、武者小路の時代に負けず劣らず何かにつけて騒々しい。新聞を何紙か見ると世は末期症状のごとく思えている。行間からは断末魔の叫びが聞こえてくるようだ。しかしどうだ、新聞が社説やコラムをもっていくら世を憂い批判しても何か変わったのか?かつて「山が動いた」と大賛辞した政治は時の歴史に何か変化をもたらしたのか?虚しい限りである。だからというわけでもないが、今 我々のまわりで起きていること、というか我々の有限なる来し方行く末において、すべては取るに足らない事である、そう思えてくるのだ。桂枝雀師が噺のマクラで説かれた真理がある。山道を車で行くと「落石注意」の看板があった。師は絶叫交じりに言うのだ。『それがどうしたと言うの?だからどうしろと言うの?』たえず上を見ながら運転することはかなわない、つまり注意しろと言われても注意など出来ようはずも無い。落石がドーンと来たときに『落石があったなぁ』とわかるのだ。ブラックユーモアとしては微苦笑も出ようが、「落石注意」という看板の意味をよくよく考えるにうすら寒さを覚える。とどのつまりは、私は知らないよ。そういうことなのだ。そして武者小路実篤は飄々としつつも明るく無邪気な笑みを浮かべるのだ。斜に構えることなくいつも真正面だ。あらためて武者小路実篤の達人たるを思った次第。伊達に運命は氏を長生きさせたわけではないのである。氏の薫陶を受けた方々は多くおり、今だご健在の方もあると聞く。願わくは、その方々には世の瑣末に関わることなく、私は知らないよ。と風に吹かれていてほしい。それにしても、偉いのは武者小路ばかりではない。この案山子はどうだ。ここまでくれば雀はもとより、多少脳みその大きな禽獣とて案山子とは見破られまい。「落石注意」の看板にくらべ雲泥の差ではないか。清いのが本当か 濁っているのが本当か案山子も看板もどちらも本当。どちらもあるから世の中、飽きずに暮らせるということであろう。武者小路実篤が、文章をおこし、絵を描き、百姓をした所以もそこにあるのだ。まあ、何があっても「私は知らないよ」ということでね♪
2013.08.06
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もののふのたけきならひや夏の野に駒追ひいるる神のひろまへ 小宮山楓軒文政10(1827)年、水戸藩士の儒学者、小宮山楓軒は湯治への旅の途中、騎馬武者たちが追いかけた馬を神前に献上する神事を見物し、「浴陸奥温泉記」に歌を記した。霧が晴れ、軍旗や馬が徐々にあらわになる様子を「関ケ原の戦い」に重ね、戦場を見るようだともつづった。江戸時代には各地から見物人が押し寄せた相馬野馬追(そうまのまおい)である。(毎日新聞より)
2013.07.30
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放たれし悲哀のごとく野に走り林にはしる七月のかぜ 若山牧水
2013.07.09
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友はみな兄の如くも思はれて甘えまほしき六月となる 若山牧水
2013.06.27
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銀杏の木額と見ゆるところより光の如く四方に葉の散る 与謝野晶子寺田寅彦先生は、イチョウの木々が風もないのに、突然、申し合わせたかのように黄金色の葉を一斉に降らせた事の驚きを書き残しています。『何かしら目に見えぬ怪物が木々を揺さぶりでもしているか、あるいはどこかでスウィッチを切って電磁石から鉄製の黄葉をいっせいに落下させたとでもいったような感じがするのであった』似たような表現は散見するのですが、残念ながら私はいまだその「突然」にめぐり合ってはおりません。誰の文章かは失念しましたが『音を立てるように』という表現もありました。もの凄くそそられますぅ~そういうことで、今年は近所の銀杏の木を注視していたのですが、その日「時すでに遅し」でしたぁ。残念無念!思うに・・寺田先生が大自然の摂理を見たのはその晩年のことですから、長い間学究の徒として精進を尽くした応報の、つまりは自然界からのご褒美であったのかもしれません。ならば道半ばの我が身には、いまだ因に達しておらずということでしょう(汗)さすれば、ここは功徳を積んで、来年こそは寺田先生の様に「突然」のご褒美にあやかりたいと思うのでした。そうそう、物の本によると銀杏の実である「ギンナン」は食べ過ぎると中毒を起こすそうです。それもまた、大自然の摂理なのでしょうね。皆様、ご注意を♪銀杏(ギンナン)が落ちたる後の風の音 中村汀女
2012.11.29
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わが友のいのちをはりしこの村の公孫樹はすでに落ちつくしたり 斉藤茂吉落葉は無常観を募ります。我が街の公孫樹(いちょう)はいまだ落ちつくしてはいませんが、言霊をおびた茂吉の歌は風景を変えてみせました。初冬の陽を浴び、黄金色に輝く公孫樹葉に無常の極みを見た気がしました。
2012.11.20
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今日も今日とて江畔翁を読んでいます。冬の読書は詩に限ります(^^)米寿米寿だなんと云うて赤い頭巾を被らされて厚い座布団に座らせる者もあるここには又米寿の頭に鉢巻をして毎日々々鍬の柄に汗をしたたらしている者もある蒼い空人間 関口江畔「仏の道を日常の生活の中に取り入れ日と共に起きいでては土を耕し、月に脚をのべては詩を作り句を吟ずる。」荻原井泉水は江畔翁をそう評したそうです。なるほど、詩がすべてを物語ります。今風に言ったら『達人』とでもいうのでしょうか。(ちょっと薄っぺらいなぁ)具体的に「何が」「どうの」というわけではありませんが、もうとうていかなわないなぁ(汗)、詩を読んでそう思います。つまりは・・・次元が違う、そういったところでしょうか。ときに関口江畔と山頭火。非なるようではあるけれど、これが似ている!まず執著から離れている。そして達観を得ている。これは物の捕らえ方の問題で、物事を全体的全面的に眺めているということ。つまり「すべてをわかっている人」だということ。この二点で関口江畔と山頭火は同等であるという思いに至りました(^^)また、ご両人を比較しながら思いました。枝葉末節でなく、本質が何かを問う、それこそが真理を見るものであると。我もまた達観せり、なんてね(笑)~関口江畔~ その他■ 《前進》■ 《八十八年の人生》■ 《真理》■ 《俺は静かに》■ 《真赤の落日》■ 《法悦》■ 《己に克ちて》■ 《雲のように》
2012.11.13
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秋風の 傍へに居るは 唯一人われのみのごと 涙の下る與謝野晶子あな寒むと たださりげなく 云ひさして 我を見ざりし 乱れ髪の君與謝野鉄幹まあ、何と申しましょうか・・お二人のお二人だけの世界とでも申しましょうか。二人の短歌を、こうやって並べてみるとその世界に圧倒されます(汗)あらためて、凄い!秋の夜長、與謝野ワールドを存分に堪能できましたが、なんだか妙に目がさえてしまい・・今朝は寝不足気味の吟遊映人なのでありました(笑)さて、昨日は第一回目の古典の日でした。お二人の歌を古典と呼ぶには近すぎる気もしますが、出版の世界では、夏目漱石や太宰治までも「古典」と位置づけ販売促進の一戦略としているようです。明日は文化の日、與謝野ワールドの耽美にふれ、お二人の情念をお感じになってみてはいかが(^o^)ただし寝不足にご注意を(笑)◆與謝野晶子秋の風 空のひまより 吹くごとし 髪の端さへ 冷たかりけれわが日記 稀にまことの ことも書く 底なき洞を 覗くなりなど何ごとに よらず心は 貫くと 云へどわれにも 秋は身に沁む◆與謝野鉄幹秋かぜに ふさはしき名を まゐらせむ そぞろ心の 乱れ髪の君もみぢ葉を 誰の血潮と いひさして 古井の水を うかがひし人
2012.11.02
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阿耨多羅三藐三菩提の仏たち我立つ杣に冥加あらせ給へ(あのくたらさんみゃくさんぼじのほとけたち わがたつそまにめかあらせたまえ) 伝教大師 最澄最澄は、いまだ弱冠の頃、比叡の山で気炎を揚げました。眩いほどの気負いは、時代を経ても読む人の心に活力を与えるものです。そして明治三十五年、病の床で正岡子規はこう詠みました。伝教賛此杣や秋を定めて一千年命終わらんとするに至り、子規は天上の最澄がはっきり見えたのかもしれません。なお、子規逝かんとする明治三十五年は、他にも宗祖賛の句を詠んでいます。法然賛念仏に季はなけれとも藤の花弘法賛龍を叱す其御唾や夏の雨親鸞賛御連枝の末まて秋の錦哉日蓮賛鯨つく漁父ともならで坊主哉斜に構えた姿が堂に入った子規ではありますが、最後のよりどころは御仏に尽きたのでしょうか。それでも微塵にも弱気を感じさせる子規ではありません!句には最後までそのスピリッツを読むことができ、骨の髄まで俳句人であったことを感じるのです。たしか落語のマクラに「神様仏様、キリスト様、アラーの神様 云々」とあったような気がするのですが、子規の念もそれに近いのかもしれませんな(笑)
2012.10.19
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雨ニモマケズ風ニモマケズ・・・※画像の手帳は昭和6年に賢治が使っていたもの。この年、賢治の故郷 岩手は冷害と豪雨が続き凶作であったといいます。二十一日は賢治忌でした。宮沢賢治は、ことあるごとに紐解くのですが、昨夜はしんみり賢治に浸りました。賢治の人生は、三十七年の短いものでしたが「雨ニモマケズ」にこめた誓願を成しえた末のものであったと思います。賢治を思うとき、人生の長短などは虚しいものであると教えられます。そして人生の意味たるは『生きるべき確固たる目標(誓願)を持てたかどうか、そしてそれを成就したかどうかである』そう賢治が語っているように感じるのです。賢治の積んだ(まさに菩薩行の末)功徳と智力は、作品として昇華し今も普く明らかに我々を照らしています。賢治の作品に度(たすけ)られた人はどれほどあるでしょう。東北の震災でも、賢治の一行半句が多くの人々の依怙(たより)と作(な)ったといいます。賢治に感謝、そして合掌(-人-)一日遅れの祥月命日ではありますが、「雨ニモマケズ」を声に出してお読みいただければ幸いです。雨ニモマケズ雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラッテヰル一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノ陰ノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒヒドリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキミンナニデクノボートヨバレホメラレモセズクニモサレズサウイフモノニワタシハナリタイ
2012.09.22
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花はどこへ行った少女がつんだ ピーター・ポール&マリー連休の一日、秋風に吹かれながらぼんやり過ごしました。万太郎の句が頭をよぎり、何とはなしに無常観を覚えました。『あきかぜの ふきぬけゆくや 人の中』 世の中は何かと騒々しく、静観するに人間の貪瞋痴が無量ということなのでしょうねぇ・・人間とは厄介なものなのでありますなぁ、嗚呼。《西日本新聞/春秋》 2012年9月17日 もう半世紀も前になる。アメリカで若い男女3人のフォークグループがデビューした。「ピーター・ポール&マリー」。なじみがない人も「花はどこへ行った」「パフ」「風に吹かれて」などの曲は耳にしているかもしれない。ベトナム戦争が始まり、アメリカでは黒人の地位向上を目指す公民権運動が高まった時期だ。グループはそうした問題から目をそらさなかった。歌には社会に対する強いメッセージが込められた。「花はどこへ行った」では、戦死した兵隊の墓に咲く花を少女がつかむ。いつになったら戦争の愚かさに気づくのか。声高ではなくしっとりと、そう問い掛けた。どれだけ砲弾が飛べば武器は廃絶されるのか。どれだけ耳を持てば他人の泣き声が聞こえようになるのか―。「答えは風に吹かれている」。ボブ・ディランの曲を、カバーして世界中で大ヒットさせた。ギター2本に3人のハーモニー。シンプルさの中に歌の持つ力を実感させた。晩年も環境保護活動を支援しながらコンサートを続けたが、美しいハーモニーはもう生では聞けない。3年前のきょう、マリーさんが病死した。でもメッセージは残る。ベトナム後も世界ではアフガニスタン、イラク、シリアと戦火が絶えない。幾つ墓ができて花に覆われるのか。犠牲者や弱者の泣き声がなぜ耳に届かないのか。歌にあるように「答えは風に吹かれている」のだろう。半世紀前も、そして今も。~ご参考まで~ ウィキペディアより《歌詞の構成・メッセージ》「花はどこへ行った 少女がつんだ」→「少女はどこへ行った 男の下へ嫁に行った」→「男はどこへ行った 兵隊として戦場へ」→「兵隊はどこへ行った 死んで墓に行った」→「墓はどこへ行った 花で覆われた」と続き、再び冒頭の「花はどこへ行った 少女がつんだ」となる。最後には必ず「いつになったら わかるのだろう」という言葉で締められているため、「戦争がいつまでも繰り返され、いつになったらその愚かさに気づくのか?」というメッセージ、今度こそもう戦争は絶対に止めようという思いを込めて盛んに歌われることとなった。
2012.09.18
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老ゆるもの子に従ひて尊けれ信濃の寺に遠く来ませり 島木赤彦賢父母に合掌(-人-)観世音菩薩は、三十三身をもって示現し、もって教化し賜ふものなり。 吟遊映人
2012.08.13
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幽界の夢でも見てゐるやうな、青白い微笑を眼尻にもってゐる。 薄田泣菫(すすきだきゅうきん)
2012.06.23
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はひつたひ折らでつつじを手にぞとるさかしき山のとり所には 西行
2012.05.18
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遠つあふみ大河ながるる国なかば菜の花さきぬ富士をあなたに 与謝野晶子
2012.04.24
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桃園の誓いは、桃園結義とも称され『三国志演義』などの序盤に登場する劉備・関羽・張飛の3人が、宴会にて義兄弟(長兄・劉備、次兄・関羽、弟・張飛)となる誓いを結び、生死を共にする宣言を行ったという逸話のことである。「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん」『念劉備 關羽 張飛 雖然異姓 既結為兄弟 則同心協力 救困扶危 上報國家 下安黎庶 不求同年同月同日生 只願同年同月同日死 皇天后土 實鑒此心 背義忘恩 天人共戮』 Wikipediaより關張と 劉備も見けむ 桃の花吟遊映人
2012.04.20
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このもとの旅寢をすれば吉野山花のふすまを着する春風 西行
2012.04.07
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ちりぬとも 香をだに残せ梅の花恋しき時の 思ひでにせん 「古今和歌集」 よみ人しらず
2012.03.23
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人にそひて今日京の子の歌をきく祇園清水春の山まろき 与謝野晶子
2012.03.20
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やはらかに心の濡るる 三月の雪解の日より紫を着る 与謝野晶子
2012.03.05
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三月の空をおもひて居りたるが三月になり雪ぞみだるる 斉藤茂吉
2012.03.03
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ひと晩に咲かせてみむと、梅の鉢を火に焙りしが、咲かざりしかな。 石川啄木おかしくも、もの悲しい啄木ですが、今朝の冷え込みで梅花への待望がいっそう深まる吟遊映人なのでした。
2012.02.27
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『母・・』母は舟の一族だろうか。こころもち傾いているのはどんな荷物を積みすぎているせいか。 吉野弘「漢字喜遊曲」から
2012.02.21
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二月の街春よ春、街に来てゐる春よ春、横顔さへもなぜ見せぬ。春よ春、うす衣すらもはおらずに二月の肌を惜むのか与謝野晶子春望の念抱きつつ 吟遊映人
2012.02.18
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はるあさきやまのはしゐのさむしろにむかひのみねのかげのよりくる会津八一
2012.02.08
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春あさみ篠のまがきに風さえてまだ雪消えぬしがらきの里西行暦の上では春ですが、明日からまた寒気到来だそうです。気候の急激な変化は難儀な限りですが、皆様、どうぞご自愛専一にお励みください。 吟遊映人
2012.02.07
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早春賦吉丸一昌作詞、中田章作曲 春は名のみの 風の寒さや谷のうぐいす 歌は思えど時にあらずと 声もたてず時にあらずと 声もたてず氷融け去り 葦はつのぐむさては時ぞと 思うあやにく今日も昨日も 雪の空今日も昨日も 雪の空春と聞かねば 知らでありしを聞けばせかるる 胸の思いをいかにせよと この頃かいかにせよと この頃予報によると本日は気候が緩むそうですが、明後日からは寒気団の再到来でまた各地で雪マークが並んでいます。皆様、どうぞご自愛にお励みあれ(^^)春は名のみの風のさむさや~♪
2012.02.06
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正月の心の上を戯れて走ると見ゆるひる過ぎの雪 与謝野晶子
2012.01.06
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元朝や 経の声する大寺にかげろふもゆる 軒下の土与謝野晶子
2012.01.01
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わが住める山の続きに 神達のあるここちする 元日の朝 与謝野晶子
2012.01.01
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我が宿は 越のしら山 冬ごもり行き来の人の あとかたもなし良寛
2011.12.26
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