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私には、娘2人と息子1人がおり、ママ歴24年。しかし・・・次、生まれ変わったら、ママにはならないぞ!と思うほど、くたびれている。 息子は21歳にもなっているから、心配してもどこ吹く風。何を言っても、心配ご無用とばかりに知らん顔。しかし、スキーに出かけて、5針も縫う怪我をして帰ってきた。3月3日からインドに行くのを目前にして。その上、明日からは卒業旅行とやらで金沢へ温泉旅行に行くんだとか。足5針も縫って、抜糸もまだなのに、「お、おんせんだと----?!」思わず頭の先から声が出る。けど、息子は笑って「まぁまぁ、心配しなさんなって」と頭を撫でる。わかっとんのんかいッ!! わかってないよなー。 私が構い過ぎか・・・。 なんじゃ、かんじゃ言うても行くんだもんねー。インドへの旅も放浪の一人旅だし、当てのないのが当てのような旅。風の向くまま、気の向くままに1週間。初めての一人での海外旅行がコレだもん。 先日のインドでテロのニュースを聞いて、スグに息子にメールした。「インドでテロ発生!危ないよ。どうしますか?」「関係ない!こんなことでは止めない。巻き込まれて死ぬなら、そこまでの運」息子の返信にはこうあった。。「ばかぁぁぁぁぁぁぁ!」運のあるなしじゃなく、心配だって言ってんの。 思えば、この子には心配かけられ通しだったわ。。。。。どんなことも何の相談もないし、いつも事後報告ばっか。あぁーあ、無事元気で帰ってきてくれるのを祈るのみ。不謹慎であろうと、神様、仏様、キリスト様、お釈迦様、何にでも手を合わす想いです。 くたびれる。本当にくたびれる。ヘロヘロになる。次、生まれ変わっても、あんたのママにはならんぞい!
February 27, 2007
「責任の無い、楽なポジションに回して欲しいよなー」ある人が呟いた言葉。大手企業の中でそのポジションも得ているのに?年齢的にも定年まであと10年で、脂の乗り切った時期なのに?今年度の成果も120%胸を張れる結果を出しているのに?それを問うと、「責任ばかりが乗っかってきて、ソレ相応の権限が与えられていないのが悔しい」と本音が出た。『権限も責任も無くて・・・、気楽に仕事してる方が楽じゃないか?』なんて気にもなったりするが、これは決して本音じゃない。だけど、頑張ってるからこそ、承服、納得できないことがあり、まどろッこしくもある権限の壁が立ちふさがる。だから、悔し紛れについ出た言葉。だけど、その言葉を口にしたことで、「そうだよ」と自分の中にいる何かが同意する。すると、自分の中にいた反発君も「そうだ、そうだ」と同意する。で、自分は今の立場で満足・納得していない現実がある。そこ脱する方法は、実は決裁権が与えられるように、そのポジションに就けるように頑張るというのがスムーズな流れ。なのに、「責任もいらないッ!気楽でいい~」なんてまったく逆の方向へ流されそうになる。でも、本当は楽になりたいわけではないので、自分の中の本音君は押し戻そうとする。これを葛藤と言い、自分のエネルギーを沢山消耗することになる。心の中の本音君が主導権をとり、自分の中にいる色々な自分が協力したら、それはそれはすごいパワーになる。無限のパワーとも言えるかも。それが例え、50歳代であったとしても。60歳代であったとしても。けれど、本音君と屁理屈君や建前君がぶつかり、そこへ反発君が乗っかり、正義君が割って入り・・・と、大騒動。ここで消耗するエネルギーは大きく、意欲もやる気もそがれることこの上ない。となると、パワーは急速にダウンし、日々を過ごすだけで精一杯になってしまう。いやはや、本音君の呟きに耳を貸したほうが、どうやら良いようです。当然、精神衛生上も良いです。それは、自分の気持ち、本音に対して、素直になると言うことです。
February 26, 2007
今日は24日、父の月命日。 昨日のポカポカ陽気はどこへやらで、寒風吹きすさぶ冷たい日となった。お昼過ぎに娘とお墓参りに出かけた。山の上にあるお墓は冷たい風が吹き付ける。けれど、ココに来ると「心が落ち着く」父やご先祖様が眠っている場所に来ることで、何だろう...。自分のルーツ、そこへ回帰するかのような安定感を感じる。足元へ静かに気がおりていくような感覚があった。お線香を供えて、手を合わせておまいりするとき、ココにこうして見守ってくださる存在があることを実感する。「また来るね」と声をかけて、お墓を後にした。 そして、地元の産土神社へ。鳥居の前で一度会釈をして、ご挨拶。あぁ...ココはまた違う空気が流れている。やわらかく包み込まれるような感覚。肩の辺りから、身体の脇を通って、頭の上へと流れ、そのまま天へとつながっていくかのような気の流れのようなものを感じた。自分もその場に溶け込んでいくかのような不思議な感覚。 誰に教わったのかは忘れたけれど、産土神社にお参りするときは、自分の住所と名前を言ってからおまいりする。そして、ご神木に生たまごをお供えする。お墓と産土神社にお参りして、天と地と今を生きる自分を感じてきたような気がした。生きている、生かされている、だから生きる。大自然の一部の自分を感じつつ、たまのお休み、こんな過ごし方もいいもんだと感じた。 帰ってきたら、庭のさくらんぼの桜の花が三分咲き。桜好きの父が植えた桜だった。春がそこまで来ている。。
February 24, 2007

39.5度、夫が熱を出してダウン。 続いて、事務所のスタッフも高熱でダウン。寝るしかない。寝ているしかない。大の大人が39.5度も熱が出るとさすがにふらふら。目もうつろで、吐く息も苦しそう。食欲はないし、からだの節々が痛み、立ち上がるだけでも時間がかかる。鍋焼きうどんを食べる姿が、おうどんを一本ずつ口に運ぶ姿が痛々しい。こんなに熱が出るのは何年ぶりだろうか?ここに来るまでに予兆はあった。けれど、ここしばらく多忙であったために、誤魔化し、まやかし、かどわかしで乗り越えたはずだったが...。しかし、「からださん」は正直者。そんな小手先の誤魔化しは通用しなかった。症状はあくまでも結果でしかない。症状がでるまでのプロセスで対応することが必要なのだ。その予兆(からださんからのメッセージ)に耳を貸さずに、忙しいことを大義名分に無理を続けた結果がコレ。薬で熱を抑えたところで治るわけでも治ったわけでもない。こんなときに「ナンデッ!」とばかりに、熱が出ている症状に八つ当たりしたりするかのような自分の身体を責める気持ちでいると余計に長引いたりもする。夫は、ただ、ただ、眠っている。声をかけるまで眠り続けている。健康な身体はこんなには眠れない。眠り続けられること自体が尋常ではないことの証。「諦めておやすみなさい。」からださんがそう言っているかのように見える。どんなことも予兆はある。からださんからのメッセージに耳を傾けよう。大病にならないためにでもあるけれど、もしかしたら、自分のからださんに対して、まるで自分の所有物のように感じていること自体が違うのかもしれない気がする。からださんのメッセージに耳を傾け、その声を聴くことこそが、直感を信じることにつながり、生命が誕生してからの30億年の叡智に触れることなのかもしれない。壮大なお話だと思いませんか?自分の中にも、30億年の叡智が組み込まれているなんて。素敵なことだと思いませんか?
February 21, 2007
25年前のあなたも素敵だったけれど、今のあなたが一番好きそして、昨日のあなたよりも、今日のあなたが好き!そう言えるために、私はあなたに何をしましょうか?いつもと同じ時間を、いつもと同じように過ごすのも悪くはないけれど、今日はバレンタインデー。何をあたなに送りましょうか?何であなたを驚かせましょうか?あたなの驚く顔が見たい・・・。あなたの喜ぶ顔が見たい・・・。愛が減ったら、その分足さないと、余分なものが入り込む。心の中にある愛のコップ・・・いやバケツ・・いやドラム缶くらいにしましょうか?お水の入った容器でも、減ったままにしておくと、終には涸れる。いつも使う灯油も毎日使ってたら、なくなる。だから、なくならない内に追加補充しますものね。なくなってから慌てても、その間は寒い思いをしなくちゃいけないし。灯油を満タンにして、点火すれば、赤々と燃え出すストーブの炎。灯油がなくならないように追加補充するのを忘れないこと。暖かく、心地よくいられるのだから。愛は一方通行ではなく、双方向。愛するから、愛される。愛されるから、また愛する。そうだとするならば、愛されるのばかり待っていても始まらないのかもしれない。愛するから、愛される。愛されるから、また愛する。慈しみあうから、深まる愛。キレイゴトばかりではないけれど、支えられて支えて。そんな繰り返しが、25年前のあなたよりも今のあなたが一番好きと言わせるのかもしれない。バレンタインに託けて、歯の浮くような言葉もさらりと言ってしまう?こんな日もたまには必要なのでしょう。
February 14, 2007
昨日の朝のこと。娘と朝食をとっていて、私はいつものように珈琲、娘はたまたまクリームスープを飲んでいた。カップはいつもの同じカップを使っていた。そして、パンをつまみながら、会話しながらの食事中のこと。ワタシがふと間違って、娘のクリームスープをゴクリ。だけど、珈琲のつもりで飲んだので、口は「違う!」とびっくり。けれど、実はそのスープがあんまり熱すぎたので冷ましていた状態。そう・・味が違うことに反応して、熱いのには後から気づいた。。はじめからスープだと思っていたら、「熱ッ!!!!」とびっくりするほどの熱さなのに。「コーヒーじゃないッ!!」の反応のほうが強かったために熱いことはクローズアップされずに通り過ぎた。何気ない朝のちょっとした出来事から思ったのは、無意識に思い込んでいることと違うことが起っても即座にキャッチできないのかも?ってこと。良くも悪くも、人は色々なことを思い込む。いつものコーヒーカップ、いつも朝はコーヒー、いつものように自分でコーヒーを入れた・・様々な条件で、自分が手にしたカップはコーヒーが入っていると思い込んでいた。「思い込む」って、「いつもの・・」が、キーワード。行動の習慣を変えると、自分の人生が変わると言われるけれど思い込むことで、キャッチする世界が変わるってことでしょうね。何気ない日常の中にある「いつもの・・」が、自分の世界を作っていく・・・。ならば、どんな「いつもの・・」にするのか?これは重要なことだと改めて思った。
February 6, 2007
毎日のように「あるある大事典2」ねつ造問題が報道。不二家もあるあるも同じ問題だと思う。最初は「まずいよな・・・」くらいは誰かが感じていたはずだと。だけど、大勢に流されて、個人のアンテナが働かなくなってしまい、どこかしらでは「表沙汰になったらヤバイ」とは思っていても、「今更どうしようもない・・」とばかりに、下り坂を崖っぷちに向かって車を走らせているようなもの。とにかく崖に落ちないようにハンドルをきるのが精一杯で、その道を走ること自体を止める選択肢はなかったんだろうか?その先には行き止まりの崖が待っているだけの破滅的な行為であると気づかないままに・・・。 個人、個人となれば、判断できても、組織に紛れてしまうと個人の感覚が鈍るのだろうか?「少しくらい・・いいか...」の考えが集まってしまった結果なのだろうか?「まッ、いいか・・・」と、気にかかっているのに、そのままにすることそして、その状態に慣れてしまうことは恐ろしいこと。慣れたのではなく、鈍くなっただけのことだから。鈍くなったのは、一つのことにとどまらず、他のことにも波及してしまう。そして、自分の言動に責任を持たなくなる。「だって、みんなが・・」小学生の子どもじゃあるまいし、自分がやったこと、自分が判断したことに責任を持てる言動でなくっちゃ!!と言いつつ、人のことは言える。人のことは見える。だからこそ。大事件に発展するかどうかではなく、自分の感覚を大切にしているか?自分に言い訳していないか?人や組織や社会やのせいにして一般化していないか?自分自身を顧みる機会なのかもしれない。
February 4, 2007
久しぶりに整体の先生のところにお邪魔して来ました。身体の右側が過緊張状態で、座っていても左側に重心がズレル。歩いていても左によって行く気さえする。もちろん、人様から見ればそんなことはわからない程度なんですけれど。私の感覚では、ソレをすごく感じるから。ほぐすとか、緩めるとかじゃなく、左右のバランスを調整する必要を感じた。先生は「左右のバランスが崩れていますねー」「こりゃしんどいでしょ。」と。やっぱり・・・ね。こんなときこそ、いつもと違うコト。パターン化されていない自分を意識することにしよう。いつもの私なら・・・を破ってみるときかも。それも何気ない毎日の中での行動を。いつもの自分じゃない自分・・・私らしくない私?ワタシらしくって何だろう?ワタシって誰だろう?案外、自分が思い込んでいるだけで、どんな自分もOKなんだと思う。そこに自分自身がOKを出すかどうかだけのことだと。ちょっと違うコトしてみようっと。思いつくままに・・そう考えるだけで、愉しいかもしれない。
February 2, 2007
最近のお気に入り高濃度酸素水のオキシワッサー。ちょっと笑えるネーミング☆けど、中々の優れもので、体調もいいのです。一気飲みしても苦しくならないのは、高濃度酸素水だから?脳内の酸素が不足すると、大きく息を吸って体内に酸素を取り込もうとする。だから、眠くなるとあくびをすると聞く。脳の酸素がこの酸素水でどれだけ補給できているのかはわからないけれど、眠気が覚めるのは実感する。受験生の娘も愛飲中。頭がスッキリすると、気分も爽快!お水としては安くはないけれど、(1本350円)350円で頭すっきり爽快感を味わえるとしたら安いと思う。
February 1, 2007
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