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毎朝起きる時間、家族間の朝の挨拶、朝食の内容、テレビをつけるかつけないかetc…毎日の朝の1時間程度の過ごし方ですら家々でそれぞれの過ごし方があるんだと思う。例えば、我が家のバアイ、家族は5人と1匹。仏壇と神棚にお茶やお水をお供えすることから一日が始まる。そして、朝からはテレビをつけないのがここ20年来の習慣だし、家族間で「おはよう」と挨拶しあうのは当然だし、朝ごはんは一応みんな揃って食べる。これは我が家にとっては、至極当たり前の毎朝の様子である。うちもまったく同じですという人はどれくらいいるのだろうか。見当もつかないけれど。これが食生活、休日の過ごし方など日々の暮らし方が違うことで、お金やモノへの価値観や、仕事への意識など色々違ってくると思う。何が言いたいのかと言うと、毎日の過ごし方も違えば、当然重きを置く視点も変わる。それをみんな同じに考えること自体に無理があるということ。自分とは違うコトをやっている人に出逢ったら、もう既に違うということに気づく必要がある。そしてどうするか?訊くこと。そうしている理由は本人しかわからないものだから。それも答えを持って聞くのではなく、本当の意味で訊くこと。本当のことを言わない理由は、「本当のことを言っても聴かずに自分の考えで聞こうとするから」「どうしてそうしているの?」そこからがコミュニケーションの始まりだと思う。勝手な解釈では相手の世界は見えてこない。
March 20, 2009
相乗効果相乗効果(そうじょうこうか)は、ある要素が他の要素と合わさる事によって単体で得られる以上の結果を上げること。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』弊社のスタッフCさんとKさんのお二人の仕事ぶりがまさにコレ。一人ひとりの能力はもちろんある。それにも増して、お互いの関係性がお互いの潜在能力や良い意味での競争力や向上心を引き出しあい、結果として高いレベルのものをアウトプットしてくれている。人は人によって活かされる…。まさに!相乗効果起こってますか?
March 19, 2009
昨夜遅く娘が交通事故に遭った。娘は東京、私たちは京都。ドラえもんでもいたら別だけど、スグにいける距離ではない。増して夜の時間だったから。娘が交通事故に遭遇なんて・・・、夢にも思っていなかったが、よくよく思えば毎日あちこちで交通事故が起きている現実を見れば、ありえない話ではない。事故の状況は、本人はまったく覚えていないそうなのだが、警察によると「信号のない交差点を横断中にタクシーとぶつかってボンネットに乗って振り落とされた」らしい。それがたんこぶ1個で済んだのは奇跡的なことと言えるのかもしれない。大事に至らなかったことで、思わず天に向けて手を合わせた。そして、生かされている。生かしていただいている。そう感じる瞬間でもあった。今日を無事過ごせるのもある意味では、見えるもの見えないものすべてがうまくかみ合って成り立っていると言えるのだろう。何事もない今日は、当たり前じゃない。そんなことを思えるのは、哀しいかなこんなことがあったときくらい。なので、書き留めておこうと思う。大きなトラブルも、何事もなく過ごせるのは当たり前ではなく、すべてがうまく整った日であり、これはなんとありがたいことだろうか。ふと心の中に浮かんだ言葉があった。謙虚と言う言葉。意味を調べてみたら、「ありのままを見る素直な心」とあった。控えめとか、でしゃばらないと言った意味合いが強い言葉のように捉えがちだと思っていたのは私だけか・・・。今回、切に切に感じたのは、自分のできる範囲を超えたとき、自分のできることの限界を感じたとき、神に祈る、天に祈る想いになる。そして、ただただ祈るのみしかないと思い知る。そこに神の領域と人の領域のラインがあり、いとも簡単にそのラインを超える出来事は起こる。「人は特別ではない。」大自然の営みの中では、人も木も花も草もかわらないひとつの生命でしかないことを思い知る。それを知ると自ずと謙虚にもなれる。何かが起こるたびに自分が何も出来ない、何も知らないということに出逢う気がしている。それは悲観的な意味ではなく、自分を知るという意味でとても意義のあることだと思っている。
March 10, 2009
我が家の毎朝の光景わたしが起きて、朝食の準備をしながら、ひと段落着いたところで夫を起こす。夫が起きて来たらわたしとハグ。それから、娘を起こす。起きてきた娘は、まず「パパおはよ♪」と、パパとハグ。そして、「ママおはよう~」と、わたしとハグ。もちろん、娘は生粋の日本人だし、帰国子女でもない。けれど、娘たちの幼い頃からの習慣なので、当然の如くにそうする。我が家的には、定着した他愛もない習慣ダケド、パパと娘はとっても仲良しだし、家族円満に一役買っているんじゃないかな・・・。聞くと、21歳にもなった娘とハグしているお父さんたちとっても少ないようです。 ハグするだけで娘の調子がわかりますから。
March 9, 2009
身体の知性私たちの身体は、頭(マインド)ほどは事細かく条件づけられてはいないので身体は自己管理の外にあるかのよう。頭(マインド)は、あーすればこうなる、こーすればあーなる、となるとこうで、あーでと永遠に続くかと思うくらいに思考し、それに感情までも伴走させてしまうことすらある。すると、自己イメージの世界に溺れる。その点から言うと、身体はまだまだ未知の世界であり、身体はまだ自然の一部のままにある。右足を踏み出そうと思わなくても右足が出る。次は左だという前に左が出ている。そして交互に重心を移動させてうまく歩いているのだから大したもの。これは無意識のなせる技とも言えるし、からだの持つ知性とも言える。何故からだの知性と言えるのか。段々と上手になっていくし、慣れると応用が利くし、学習するし。ソノ上に脳の指令には基本的には背かずに従ってくれるし、言葉は直接的には持たないから文句も言わないし。忙しくてお昼を食べてなくても文句も言わずに働いてくれる。十分休養をとっていなくても動いてくれる。この身体の存在をあまりに当たり前に見ぎてはいないか?と、常々感じている。例えば、緊張しているときなどは深呼吸を何度かすることで随分と落ち着くってことがわかっている。なのに、それは当たり前に扱ってしまい、それ以上の注目をしない。呼吸からどんな可能性があるか?計り知れない未知への可能性を秘めているかもしれないのに。身体の知性を活用しようとするとき、脱力、呼吸、瞑想、これはキーワードになると思う。そして、ビジネスの場面でこれらが出来ている人ってどのくらいいるんだろ?気づいたときがチャンスでは?
March 8, 2009
土曜日だけど、急遽の相談でクライアント先へ行くことになった。まぁどことも聞けば色々と問題はある。そのひとつひとつが問題ではあるが、根本はなんだろう?何がそれらを引き起こしているのだろう?そこに意識を向けていく必要がある。起こっていることはそれぞれの部署、それぞれの個人、それぞれの問題なんだけど、大本を手繰ればひとつ。そこに気づくだけ。個別コンサルでお越しの社長コンサルでも色々な問題を抱えておられるようだけど、原因はたったひとつなのだ。すべてはそこから派生しているだけのこと。そこに気づくだけ。。。
March 7, 2009
クライアントG氏が今月二度目のセッション。わたしは、それぞれの人が自分らしく活躍していただくためには、頭のレベルでの理論や理屈だけじゃ足りないんじゃないかと思う。想定した範囲をどれだけ超えていけるのだろう?と思う。思考も心身ともに開放された状態でいると、思わぬパワーを発揮されるから面白い。からだの知性というべきか。からだが潜在意識への扉となっている。からだが知っている自分がある。からだを侮る人は、自分の潜在意識を侮ることになるとすら感じている。そのくらいにパワフルなのだ。ここ数年のG氏変容をみても明らかで、求めれば与えられる。ただ、その求め方があたまレベルだけじゃなさそう。からだの知性に気づいた人はもう一歩前に進む。からだは正直で、お利口さんの理屈だけじゃ通らないのが面白い。私自身、その人の気配でどこが滞っているのか、おおよその見当がつくが、それはからだのことに関わっていれば特殊なことでもなんでもない。今までに国内外を問わずあらゆる施術も受け、東に良い先生がおられると聞いたら東へ行き、西に良い先生がおられると聞いたら西へ行き、自分の体を通して体感もしてきた結果だと思う。その人の滞りが示すのは、からだの状態だけではなく、リアルの世界でも起こっていることを示唆するものでもある。ますますからだの知性は侮れない。からだに気を遣うのなら、施術を受ける先生が、近いから、安いから、逆に高いから、有名だから・・・みたいなことで選んでも自分のからだと合っていないことがある。とは言え、それはそれでそのときは気持ちのよいものだけど、根本的な改善(変容)が起こらない。合っていないことに気づいていない人がけっこういるのも事実ダケド。。。
March 6, 2009
さくら、さくら、チントンシャン弥生の空は見渡す限り~♪チントンシャン娘の三味線の音が響いてくる。桜の季節にあわせての選曲なのだろう。思えば14年前に亡くなった父は、この娘に『三味線かお琴を習わせたい』と言っていた。孫娘に邦楽を習わせて、その音色を聞きながら庭木を眺めてお茶でもすすりたかったんだろう。しかし、それも叶わないままに逝ってしまった。しかし、娘はその父の願いを知らないのに邦楽に出会い、三味線を手に取った。やはり父はまだ多大なる影響力を持っているとしか思えないなぁ...。
March 5, 2009
95歳になる祖母がいる。要介護度5なので、介護施設にお世話になっているので、時間を見つけては顔を出すようにしている。今日も夕方に様子を見に行ったら『今日は機嫌がいいよ』と笑う。その笑いに思わず貰い笑い。自分がベットで要介護なのに『ご飯は食べたか』と気にかける。食事の用意があるから早く帰りなさいと催促までされる始末。言葉もはきはきしているし、気もしっかりしているし、物忘れもない。けれど、もう自分で歩けるようにはならないのは明らかなのだ。それでも悲観するではなく、前向きなのだ。可哀想と思えば、可哀想な人になる。何を持って可哀想とするのか?祖母は笑っているのだ。大きな口をあけて笑っているのだ。その笑い声に、その笑い顔につられて笑う。元気を貰ったのはわたし。勇気を貰ったのはわたし。『おばあちゃんありがと。』と言うと『はいはい、また来てね』とばいばいのポーズ。わたしの心は温かい。おばあちゃんの心もきっと温かい。
March 4, 2009

窓から見えるのは向かいの高校の桜。日に日にほころび始め、薄桃色に色づいてきている。春ね。LONDONに住む友人は言う。『日本には四季があって、その季節ごとの趣があっていいね』と。普段はその言葉にも『ふぅ~ん。まぁそうね』と思うのだけど、この季節になるとその言葉を思い出す。そのくらいに早春のこの時期は美しい。桜は咲き始めから、咲き誇るまで日に日に、いや刻々と姿を変えて見る者の心を魅了する。昼間は日に浴びて美しい、夜は月の光を浴びて妖艶に、雨の日は潤いを帯びて匂うがごとく...。これから毎日が楽しみ。
March 3, 2009
愛は感じるもの 愛を量りたくなるのはなぜ?不安だから...不安なのはなぜ?わたしが愛されているかどうか知りたいから。なんだ...量りたいのはわたしへの愛、わたしへの想いか。では、わたしが愛しているのは、誰?あの人?それとも、わたしを愛してくれるあの人?愛は量れない。愛は量らなくてもいい。ただ、感じるもの。
March 1, 2009
愛は量れるか?やさしさって何で量るんだろう?愛って何で量るんだろう?感謝って何で量るんだろう?想いって何で量るんだろう?Answer量れマセン。なぜならば、カタチがないから量る入れ物がアリマセン。なので、人のやさしさも、愛も、感謝も、想いも量っちゃいけません。量る入れ物がないのに量ったら、量ったあなた分の容量しか入らないのです。
March 1, 2009
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