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気分を変える方法横断歩道で信号待ちしながら、辺りを見回すと、様々な出で立ちで、色々な人が、それぞれの面持ちで信号の変わるのを待っている。ここは大阪は梅田の阪急百貨店本店前の横断歩道。ただ立って待っているだけなのに、元気そうな人、昼間から疲れた人、ウキウキした人、しょんぼりした人、怖そうな顔した人、不満顔した人、微笑んでる人、電話してる人、独りでぶつぶつ言ってる人、会話してる人、無表情の人...それぞれの今日がそこにあった。何かがあったのか?なかったのか?は、知る由もないが違いは明らかに現れていた。ただ、一人の30前後のサラリーマン風の男性だけがその信号が変わると同時に気分を変えたのを見た。信号を待っている間はうつむいたまま元気がなさそうで、何か失敗でもしたのかな?って感じだった。それが、信号が変わると同時くらいに小さく『オッシ!』と気合いを入れたのが聞こえた。そして、顔をあげて大股で元気よく横断歩道を突っ切って行った。気づけば、気づきさえできたら、気分なんて今すぐにでも変えられるのだ。信号が変わるとき、自分の気分も変える。いい方法かもしれない。あなたはどんな方法で気分転換してますか?
February 26, 2009
空の色が春めいてきた。相変わらず風は冷たいけれど、観葉植物もメキメキと伸び始めている。相変わらず暖房は欠かせないけれど、かたいつぼみだった鉢植えのチューリップ咲いている。わたしは、冬には窓辺に観葉植物を並べて緑越しに冬空を眺めるのが好き。早春の頃には、一足早く色とりどりのベゴニアや真っ赤なチューリップの鉢植え越しに春待ち空を眺めるのがすき。なので、今日は近くの花やでベゴニアの鉢植えを買った。真っ赤とオレンジの2色。寄せ植えして窓辺に並べた。オフィスにに花があるのは、『心弾む』と言ったのはうちのスタッフ女子。オフィスに花があると、『心和む』と言ったのはうちのスタッフ男子。オフィスに花があると、『心華やぐ』と言ったのはうちの所長(夫)わたしなら、オフィスに花があると、『心愉しい』と言うかな。
February 25, 2009
健康ってなんだろ?ウィキペディアには下記のように書かれていた。健康 (けんこう、英Health) とは、病気などがなく、心身が健やかな状態であること。『概念』健康の概念は、1948年の設立における世界保健機関憲章の前文にある、以下の定義が有名である。身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。[1]この定義には、健康に関連する権利が不可分かつ相互依存であることを示している。[2][3][4]世界保健機関は1999年の総会で健康の定義として以下の定義を提案している。強調は1948年との変更箇所(原文に強調はない)。健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。[5]身体的な健康の概念は生物医学模型により説明され、恒常性(ホメオスタシス)が維持されていることを根幹とする。[要出典]すなわち、健康な状態では、身体に起こった状態変化が打ち消される方向の生理作用が働いている。この仕組みが破綻した場合、または許容量を超えるような状態変化が起こった場合が、医療の必要な状態であると解釈できる。この許容量は予備能と呼ばれる。社会的な健康の概念は、健康の社会的決定要因により説明される。すなわち、裕福で、富の分布が公平な社会にすむ人たちは、健康である。[6]また、どのような社会においても、社会的地位が低いと、平均寿命は短く、疾病が蔓延している。[7]出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』【健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。】これを聞いて、自分はそうだと言える人がどれくらいいるのだろうか?それに客観的に見るのと、主観的に見るのでは違いがあるだろうし。叔母(父の妹)の連れ合いである叔父は52歳で胃癌で逝った。健康のため、衣食住すべてにおいてそれはそれは徹底していた人だったけれど。叔父が亡くなったときに叔母が言ったのは『ここまでやっても死ぬときは死ぬなら、私は食べたいものを食べてしたいようにして生きていく』と。あれから20年、叔母はすこぶる元気だし、当時よりも余程若々しく顔色もよい。健康の定義は難しいけど、人は病気もするし、悩みもするし、凹みもする。だけど、何とか出来そうな体力だったり、気力だったり、本音で関われる仲間だったり、弱みをありのままに出せる家族だったりを持っていることでいいんじゃないかと思っている。健康のために何をするか・・・?体、気、仲間、家族と仲良くすることかな・・・。あるお寺の和尚さんがおっしゃった言葉に『気持ちいいことを繰返せ。それがからだ様への供養である』と言うのがありました。
February 24, 2009
ココロがざわめくのは、自分の抵抗。 深く呼吸をすると・・・ホラ少し落ち着いてくる。 も一回。はぁぁぁぁぁぁ~と大きく深呼吸すると段々とここにいる感覚が実感できる。 今、ここにしかいられない。 なのに、思考はびゅんびゅんと飛んでいく。ココロはざわざわざわめく。 からだにココロを戻しましょう。 からだに思考を戻しましょう。 はぁぁぁぁぁぁぁ~。 鍵は呼吸。
February 19, 2009
-ゲシュタルトの祈り-あなたはあなたのことをする、私は私のことをする。私はあなたのために生きているわけではないし、あなたも私のために生きているわけではない。あなたはあなた、私は私。もしも、お互い出会うことができたら、それはすばらしいこともし出会えなくても、それはしかたのないこと。
February 18, 2009

嵐が来たら海は荒れる大型の船が通っても波は高くなる 小型の船が通っても小さな波は立つ 小石をトポンと投げ込んでも、水面に波紋が広がる けれど、波の下をどんどんと進めば海の奥底 そこは静かな海の底 荒れ狂う嵐の海も、大波も、小波も影響されない深い静けさだけがある。その静けさが永遠かのようにゆったりとした時が流れている。 人の感情もこのようなものではないかと思う。 何かの出来事に対しての反応が嵐だったり、高波だったり、小波だったり、波紋だったり。けれど、それは物事の本質ではなく、反応に過ぎない。 起こっている出来事、現象に反応している限りは、どこまでも嵐はおさまらない。自分では止められないまま...。 たとえば、現実で起こることで言うと、相手がこう言う、こんなことする・・訳わからん・・・云々・・は、相手のせいではない。相手をせめても解決はしない。 そう思っている自分に気づかなければ終わらない。確かに時が経てば嵐もおさまるだろう。そしてそれは、波も、波紋も同じだろう。 それを時が解決してくれるとも言えるのかもしれない。 それは、ひとつの解決方法だろう。 だけど、他力本願ではまた同じことが起こる。何度も繰り返す。そして何よりも通り過ぎるのをただ待たなければならない。耐えてただじっと。 時には何かが刺さったままのことも起こる。それも時間に委ねるのか...。 自分の裡を見ることのみ。 わざわざ手放すなんてのも必要ない。不要だと気づけば勝手に離れるもの。 とにかく戦わない。 とにかく力をかけない。 とにかくそのままにする。 とにかく判断しない。 ひとつひとつ丁寧に見ていくことが深い意識にアクセスすることになる。 その繰り返しだと思う。
February 17, 2009
「ケロヨンのうた」藤城清治作詞・いずみたく作曲うれしいときは ケロヨンかなしいときは ケロヨンたのしいときも ケロヨンさびしいときも ケロヨンパパにもママにも いえないことをケロちゃんになら おはなしできるこころの おともだちみんなの ケロちゃん 昭和40年代も初めの頃に流行った番組の主題歌だったと記憶している<ケロヨンのうた>不思議というか、当然と言うか、わたしは今も口ずさむことができる。 この歌の「かなしいときも、うれしいときも、たのしいときもさみしいときもどんなときも、ケロちゃんが聞いてくれる、パパにもママにも言えないこともケロちゃんだけには話していい・・』そんな存在だよって歌なんだけど、これっていいね。 子どもの心にケロちゃんがいてくれると思えてたかどうか覚えていないけれど、いまだにこの歌詞を覚えていて、口ずさめるってことはけっこう頼りにしていたのかも。。。。
February 16, 2009
心が作るからだってある。からだが作る心ってある。どっちが先で、どっちが後なんていう議論などどうでも良くて、ただそうだと言うお話なのだ。それは例えば、大切な誰かとの間にトラブル発生したら…、顔を上げて、大手を振って堂々と胸を張って歩く気になれるだろうか?友達と逢って、『はーい☆』とこちらから積極的に声をかける気になれるだろうか?また別の例では、身体がくたくたに疲れていたとき、心がうきうきとして、わくわくする何にチャレンジしようという気になれるだろうか?からだがコリコリに過緊張が続いていたら、足や腰がイタタの状態だったら、クリエイティブな発想がわいてくるだろうか?楽しいことしようと思えるだろうか?心と身体にとても密接に影響しあっているもの。自分の状態に気づくことから始めたいと思う。自分の状態がわからなければ、地図の現在地が書き込まれていないのと同じ。心が作るからだ、からだが作る心。ならば、自分で自分の良い状態を導くのもできそう。『心も身体も元気になる10か条』1.胸を張って歩いてますか?2.笑顔が引きつらずに自然に出ますか?3.今日の空の色を知っていますか?4.歩くときに手を振って歩いてますか?5.人の目を見て話してますか?6.エレベーターと階段なら、階段を使っていますか?7.深呼吸をしてますか?8.朝起きたときに思いっきり伸びをしていますか?9.朝起きたときにお水を一杯飲んでいますか?10.寝る前に『明日も楽しい一日になりまうように』と声に出してから寝ていますか?10個ともYESになればok続けて♪
February 15, 2009
今日はバレンタイン~息子は博多なので手渡しできないからまた今度。では...誰に?そう、夫です。私たちは結婚して27年目になり、延々といっしょにいるわけだけど目標は『死ぬまで恋愛関係』色々な説があり、3年以上は恋愛感情は維持できないとか、飽きるものだとか、色々なことがまことしやかに言われるが、一般論であり、例外はあるはず。相手に新しい魅力を探そうとしなかったら、3年どころか3日で飽きる。そんなもんでしょ。刺激がほしいから、スパイシーなものを食べる。何にでも激辛香辛料をぶっかけるみたいな手近なことではドンドンとヒートアップするに違いない。なんせ、刺激のそばから慣れていくから。丁寧にとったお出汁で旬の食材で丁寧に炊く京料理の味はいつまでたっても不滅で、毎日食べても飽きない。旬の味を味わう...つまりは、"今ココ"のこの瞬間瞬間を大切に味わうということにつながると思う。わたしたちはそんな夫婦を目指したいと思う。バレンタイン、そんなことを思った。
February 14, 2009
『なんで、あんなこと言ったんだろう…』『どうして、あんなふうにしたんだろう…』『なんで、こうしなかったんだろう…』『どうして、こう言わなかったんだろう…』後悔先に立たずいずれの呟きも、一度や二度は呟いた覚えがあるのではないだろうか?けっこう身近な呟きだと思う。「良かれと思ってしたこと」、「良かれとまでお意識していなかったけれど、まずいことになるとは思わなかったこと」、「ちょっと気になるところもあったけど、押し切っちゃったこと」、「まぁ、こんなもんかとやっちゃったこと」等などの結果が思わぬことになったとき、上記の呟きがでるのだろう。つまりは、思い通り(予定通り)に行かなかったから後悔する。いい加減に、適当にやってても、結果が予定通りなら後悔なんてしないものだから。この『思い通りにいかそうとする』って言葉にも「わたしはそんな人間じゃない」とか言って抵抗する人がある。けれど、けれどなのだ。人は誰もが思い通り(予定どおり)にいくようにとするものだから、大丈夫。後悔は、思い通りに行かなかったときにはツキモノで、そこは悩みどころではない。そこで悩んでいたら、自己嫌悪&自己否定から抜けられないから。
February 14, 2009
これがすごいのなんのって、すごい。何がすごいかと言うと、参加者の皆さんの回を追うごとの変化と言うか進化と言うか、コートを脱ぎ、ジャケットを脱ぎ、ネクタイをはずし、靴下も脱いで、よそいきじゃない、飾らない"本当の自分"でその場にいることに近づいているから。職場であれ、家庭であれ、友達であれ、今の世の中、気を遣いすぎて勝手な解釈であたふたしたり、勝手な思い込みで判断してヒンシュクを買ったりが多すぎる気がしている。本心、本音のコミュニケーションができていますか?Yes そう答えられる人がどれだけいるだろうか?できてますよ!と言える人本当にそうだろうか?『ホントかな・・・』疑わしいと言えてしまうのは、それくらい本当の自分でいるままでコミュニケーションをとっていくのが簡単なことではない。本当の自分でいたいけど、本当の自分がわからないというのがとても多い。本当の自分はわかっているといいつつ、中々本当の自分に成れない...これは疑わしい。本当の自分には成るものではない。言葉のアヤのようだけれど、案外本音が出ることもあり、成ると言うときは、自分がイメージした自分を本当の自分と設定しているだけだったりする。本当の自分でそれぞれがコミュニケーションしていると、不思議なくらいに心地よい。ストレートな言葉もきつくなくて、小気味イイ。お互いの違いがとても新鮮で、みんな心の中ではそんなコトを思っているんだ...と人が愛おしく感じる。参加者の皆さんが幾度となく口にするのが『だってこんなことは口にしたことがない。』と。だけど、こう言えている自分はとても楽だとも。本当の自分で生きる・・・これが自分の人生を楽しく豊かにする方法らしい。あたなは本当の自分で生きていますか?
February 13, 2009
自分の大切なものを大切にしないとか 自分の愛する人に『愛している』って言えないとか 自分のひとつしかない身体なのに労わらないとか、 これって、豊かじゃないよね。 自分の大切なものは、自分しかわからない。黙っていてら、愛は伝わりにくい。自分の身体の状態は他人にはわからない。 大切なものを大切にし、愛する人に愛を伝え、身体をねぎらったら・・・誰でも豊かになれる。
February 11, 2009
私に起こることはすべて私が何とかできることだと思っている。 『そう思うことからはじめる』と、言ったほうが適切だろうか。 どんなことも。 すべては、わたし発だと思う。わたしの世界のできごとだと思っている。 近所のおばさんがいちいち小うるさいのも、 今日のお天気が曇天でうっとおしいのも、 帰りの新幹線が混んでいてあちらこちらで広げたお弁当のにおいやビールのにおいが鼻につくのも、 頂き物のお菓子がおいしくて幸せなのも、 紹介されてわざわざ行ったお店がイマイチだったのも、 あれもこれも……あれもこれも……全部全部わたしの世界のできごとなのだと。 わたしの世界のできごとと言いたい2つの理由がある。 1つは、 自分の人生は自分で主導権を握りたいからで、そのためには私の世界のできごとだと認識しなければ、どうしようもないことになってしまうから。 2つ目は 『私がそう感じた。』『私がそう受け取った』ということであって、相手の意図とは別かもしれないということに気づかなければ、苦手な人、嫌な人が増えて世界は狭くなるから。 なので、何が起ころうと私は私の問題として物事の起こった経緯を見る。そして、何に対して自分は反応しているのかを見て、自分の感情を追う。 何がどうなっていま私の心が、思考が、身体が反応しているのを探る。どこまでも、どこまでも。 これしかないと思っている。 そして、そうすると出逢う。 必ず出逢う。 わたしの奥の(本質)ピュアな天使に。その都度に一歩階段を上がるって感じだろうか。 自分の見たくないところを見ることが成長と言った人がいたが、まさにそうなのかもしれない。 自己実現とか成長願望と言うよりも、死ぬまでリアルで新鮮な私に出逢い続けたいと思うから。
February 9, 2009

友情と愛情、どっちが大事か...私なら躊躇なく『愛情』と言う。その理由(わけ)を書こうと思う。この二つの情をまったく同列で比べる対称だと思えない。とは言え、コレを天秤ばかりにかけて泣いたり笑ったりしている人も多いのを見聞きしてきたのもほんと。私が思うのは、どちらを大事にするとか、しないとかの問題ではなく、その時のその瞬間の自分の本心に従うことが一番大事にしたいことだと思う。男であれ、女であれ、愛する人を置いてでも友達の元へ駆けつけたいときがある。だからと言っていつもそうするとは限らないし、反対に友達といても『ごめん!』と言って愛する人の元へ飛んでいくこともあるだろう。けれど、本当に育みたいのは、そんなときに残された側(友達だったり、愛する人だったり)の人に『わかった。行きなさい!』と言ってもらえる人間関係を作るということが一番大事なのではないだろうか。つまりは、人を大切にすることでどんなときも自分の本心に従った行動が取れるということになるのではないだろうか。どちらかをとらなければならないことはない。友達も、恋人も、夫も、妻も、家族も、すべてが愛する人なのだから。
February 8, 2009
聞く 聴く 訊く 人の話を聞くのにも、この違いがある。『聴く力を養う』と言うならこの違いは知っておく必要があると思う。聞く、聴く、訊く=====================================================聞く聞き流す、うわさを聞く【意】音や声を耳で認識する聴く音楽を聴く、講演を聴く【意】聞いた内容を理解し反応すること訊く道を訊く、先生に訊く【意】尋ねる、問う 日本辞典より引用==============================================================で、私的に気に言葉にすると聞く意識せずとも入ってくる声・音(耳の感覚受容体としての機能を果たしている状態)を認識。聴く聴くという字を分解すると耳+目と心となるが、それら全部で話し手に意識を傾けて、話し手の伝えたい意図を受け止めていくこと。訊く話し手の話す内容に対して、より理解を深めるため、質問や確認として訊ねて相手の話しを引き出していくこと。ちなみに、耳を使った漢字では『聡明』の「聡」があるが、耳に公の心を書く。これはかしこいことを表すが、この字から「公」をとると...ナント「恥」となる。つまりは、広く聴きなさいということ。聞く・聴く・訊く、どれがイイとかワルイとかの問題ではない。TPOでの使い分けが必要だということだろう。言い換えれば、どれもできなくちゃね。ではまた...。
February 6, 2009
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