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コレ飲んでみたら?と私はサトウキビジュースを推薦した。半強制的にである。何故なら、戦中生まれの母は、さとうきび・・・なんとなく懐かしい感を醸し出した感じがあったのだ。その五感で。店のおばちゃんは搾汁機に差し込んで汁を搾る。でも、出されて、甘ッと、沈黙して、私はサトウキビは本土にはないけどなあ・・・というと、いやさとうきびではなく、キビだったから、ほのかな甘さ。キビはキビでも何でもいいけど、多分60年ぶりぐらいな感覚だ、いや、近年沖縄で一回サトウキビジュース飲んだな、不味かったなといっていた。それでもまた飲むか?まあ、いいんじゃない?昔なんだったかな、黒糖か?疑問を呈しつつ、私が頼んだパパイヤジュースより早く飲み干していたのである。不味くなかったのか?さとうきびの茎を懐かしそうに眺めていた。私も永らく飲んでいないが、18歳に出会ってから学生時代はサトウキビジュースにはまっていたのだ。懐かしさはない。 まあ、私がココナツジュースを初めて飲んだのは、18歳の青く暑苦しい夏である、フィリピン、ミンドロ島である。ビーチで寝そべっていたらおっさんが、飲むか、と聞いてきたので値段を確認して頼むと、いきなり、ナタ持って椰子の木に登り始めた。そして、10メートル以上猿のようにのぼり、ぶった切って下に落とし、椰子の飲み口を作るために、またナタでチョコチョコ切って穴を開けた。ストロー挿して、○ペソね、と笑うのであった。原価0やん。この乞食みたいなおっさん、天晴れ、ちょとだけ損した気分になり、ちょとだけ逞しさを感じた青く暑苦しい18歳だった。(でもそのあと、スグに、椰子酒飲み出すんだけど。ポリタンクに入っていて、アルコール度は低い。フィリピンではトゥバという)まあ、それはそうと、昼間は、まあ、さくっと飲茶だ。まあ、飲茶お勧めも事前に聞いて調べておいたのだが、チャイナタウンで13時頃となって腹が減って、有名店に行くことにした。行列が出来ていたものの、レストランは広く5分程度で中に通される。名前もベタ。早速注文を取りに来てしまったので、おかんの意向を聞く前に、とりあえず5品注文する。オレが知っているのは、母が結構中華料理好きってことぐらいだ。一度だけ、子供時代に聞いたような気がする。とはいっても、蒸し物はなかなか家では食べないからねえ。70過ぎても外国の味付けの違うようなものを、美味いなといって食べるというのは悪くない。ジャスミンティに加え、ビールも追加だ。テンションアップかとおもいきや、追加してもそんなに食べられるわけではない。店は2階にあり、エレベータで来たが、帰りは細々道を降りる。しかし、写真がやたら投げやりです。 シンガポールはプラカナンというかニョニャ料理がシンガポールの料理ということだが、中華とマレー料理が多く、まあ、名物のダッグライス、ハンナンチキンライスとかラクサとかアヤム・ブア・クルアもちょこっと食べてもらいたかったものの、胃袋の容量は限界がある。それにオレの大好物は、オリーブチャーハン。トウファ、さつまいもの葉っぱの炒め物(ぬるっとしたラー油の青菜野菜)あるんだけど・・まあ1日だからなあ。まあ建国100年どころか50年のシンガポーに、その国の料理ってのは難しいが(無理矢理、チリクラブとか作るか)、国土も狭いから、結局は、いろんなものが食べられるよ、ってことに帰結するのである。今後も多分そうである。ムカつくけど、アルコールだけは日本より高い。締めにおかゆとガーリックライスを頼んだら、おかゆは好んで食べてもらったが、ガーリックライスって、肉の塊じゃん、運ばれてきた時に、コレ違うと一度拒否したら説明されたぐらいだ。スープレストラン行って、オリーブチャーハン頼み直すか!そう思ったのである。昼間の飲茶で、オカンと交わした会話は、料理のことと、おなかいっぱいや、うまいな、まあそのくらいだ。それが親子関係だ。 まあ、単純に円にすると、9掛けの10倍である。さすがである。一人旅行だったら9掛けだけである。1品で飯は終わりである。ミーゴレンかラクサか何かで。おかんシンガポール招待旅行 シンガポールへ シンガポール 元祖マーライオン1 シンガポール 元祖マーライオン2 シンガポール ガーデンズバイザベイ1 シンガポール ガーデンズバイザベイ2 シンガポール ラッフルズホテルシンガポースリング シンガポールgourmetの旅/a> シンガポール普通観光 シンガポールから帰宅 シンガポールはどうでしたか。 1 シンガポールはどうでしたか。2
2015.01.31
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滞在が1日延びたが、それが、私の今回のマスタープランに影響を及ぼした。昨晩トルコに行き、そのままロンドン経由で南米に行く予定だったのだが、1日延びると、予備日を見ているものの、ちゃんと帰国できるか心配なので、彷徨先を探しているところだが、それは、キショナウとサンマリノかと思う。しかし、キショナウ(モルドバ)は飛行機の時間が合わないのであり、サンマリノは、ボローニャから鉄道でッフェリーニの故郷リミニに行き、そこからバスという割と空港着いたら終わりだぞ、という訳にはいかない、どうすればいいんだ、なんとなくその他にリガとかルクセンブルクのように北に行くのはまた空港に足止めやばいよなあ、(キショナウもやばいからなあ)、そうだ、モロッコだ、と思いきや、やっぱり、皆寒い時は暖かいところに行くからなあ、満席じゃん。まあ、そうだなあ、そうだなあ、とかいっているうちに、というか、結構寝坊したりゆっくりしてて、フライトキャンセルを憐憫してくれたのか、ホテルは同料金でレイトチェックアウトを認めてくれ、14時ぎりぎりまで、ホテルの中でのんびり、本読んだりネットサーフィンしたり、てか、スコピエ他に行くとこないんかい、とか言いながら、だらだら過ごす。 昨日は、このホリデーインの前に空港バスは止まった。とりあえず、スコピエショッピングセンターに行く。そこに入っているスーパーをぶらぶら覗きながら、何だか珍しいものないなあと思う。オサレなコーティングされたビール4本2リットルで300円弱。 地震時まで使われていた旧鉄道駅、時刻は地震発生時のまま止まっている。今は、博物館となっている。もうすぐ阪神淡路大震災も20年たつなあ。それにしても、こうやって国を稼いでいる間に、国があやふやになってきた。邪悪なイスラム国や、アルカイダも国境がなく、国家はお金も情報も統制できなくなってきた。冷戦が終結して軍事的なインターネットやGPSみたいな機能が民間に露出して、この20年でとんでもなく世界は変わった。辞書も図書館も行かずとも、とりあえずの意味合いは瞬時に検索できるようになり、思慮深い賢者はまだしも、雑学的な知識は役に立たなくなった。ネットで、世の中の表面は簡単になぞることができるようになり、危機的な動物的な判断力もそう要らない世の中には、方向制も瞬時に決定される。まあそうこういいながら、マケドニア人はなかなか好きになった。どうやら、まあ、よくあるけど、丹下は有名らしくて親日的というが・・・そういうこともあるのだろうか。クリメント聖堂、残雪の向こうにところどころ映る光景が美しい。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.30
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後遺症というのは、ある。この前、正月ヨオロッパから帰ってきたときは、3、4日ジェットラグで、夜中に猛烈に腹が減り、誘惑に負けた。人間の価値はどれだけ誘惑に耐え切れるか、だのに、その瞬間、私の人としての価値は、値段にしてカップヌードー並みと化した。今回、シンガポから帰ってきて、どんな病に冒されてきたかというと、ウンコ病である。1日4回ウンコに行っているのである。腸まで捨てるのかといいうぐらい快調にでるというか、朝起きたらしたいのだが、ゆっくりしていたら遅刻するのである。昼間は打ち合わせをしているが、それは打ち合わせ途中で中座するのである。いや、頓挫かも知れない。月曜火曜家路に近づくとやばくなり、あと5秒遅ければピンチ状態であった。まあ、そんな2015年の始まりである、いや、とっくに始まっていた。とっくに始まり、死期は1秒1秒近づくのである。アポトーシスである。まあ、それはどうでもいいのである。何度か観光客向けのリキシャーを見たが、それは老人のリキシャワーラーばかりで寂しげである。なんだか、ホテルはいいが、一般庶民のホーカーズやフードコートから遠い不便とうかお金持ち向けエリアで困った。その代わり、半高級チックな飲み屋街が広がり、イキッタシンガポリアンや西洋人が食事やバーにいた。シンガポールって何したらいいのだろう。旅行者にはメシしかないような気がするんだよな。まあ、安全だけど。おかんシンガポール招待旅行 シンガポールへ シンガポール 元祖マーライオン1 シンガポール 元祖マーライオン2 シンガポール ガーデンズバイザベイ1 シンガポール ガーデンズバイザベイ2 シンガポール ラッフルズホテルシンガポースリング シンガポールgourmetの旅/a> シンガポール普通観光 シンガポールから帰宅 シンガポールはどうでしたか。 1 シンガポールはどうでしたか。2
2015.01.29
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前回までのあらすじ、雪が降って悪い予感がしながら空港に向かったものの、予想通り飛行機はダイバートされ、私も市内にダイバート、ホテルに戻る。ちなみに、空港職員によると、雪でフライトキャンセルになったのは、この冬初めてのことであった。 市内に行くバスは新駅を通る。1963年のスコピエ震災で市内の80%が破壊されてしまった。川の北岸の旧市街でわりとほったらかされていたが、南岸は現代的な建物で割と建て直された。震災後スコピエの都市計画の大部分は丹下健三によって策定されている。特に有名な実績はスコピエの鉄道駅で、高架のプラットホームは道路交通と歩行者を分離しているが、割とぱっとしない。ホテルに戻ると、フロントの人に笑われた。帰ってくると思ったよ、と。今日、航空会社から電話があってホテルが満室近くになったよ。ははは。部屋はどうする?まだ掃除してないけど、同じ部屋にする?そうしてください、同じ部屋がいいです。でもタオルとトイレットペーパーだけ下さい。部屋に戻ると、4、5時間前にチェックアウトしたときとまったく同じ状態であった。(写真は1回目にチェックインした直後)そして、また昨日の繰り返しで、遅めの夕食を食べるため、昨日と同じ方向に歩き始める。昨晩は、こうやって雪は無かったのであるが。ようやく、雪は止んだ。明日は飛ぶだろうな。きっと。無意味にうろうろ歩いてから部屋に戻る。これから行ける可能性を汚い字でメモっていくが・・・。トルコ航空、スロベニア航空、アリタリア航空、オーストリア航空、クロアチア航空・・・何書いてんだろう・・・。200円のマケドニアンワイン飲みながら検討に検討を重ねようと、夜中にナニするが・・・あれ、乗る予定のキャンセルされた次の便から飛んでいるやん・・・ウィーン行ったらよかったかな・・・。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.28
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スコピエの散歩に出かけた頃はただ、多少寒いくらいであった。ちらほらと。歩いている間に雪が降り始めた。橋この橋を渡るときこの橋から戻るときバザール街では雪が激しくなっていく。これもしかして、ヤバイんじゃないのか?そう密かに思い始めた。寒さ対策はどうでもいいんだ。部屋に戻って空港のホームページを見る。勿論、ビールも飲む。むむ、待機か・・・やばいじゃん。外を見ると、やたら振り続けるのボレロ。外を見ると、日が沈んでも、やたら振り続けるのボレロ。いよいよ、出発である。外に出てタクシー拾ってもいいのだが、雪のため、ホテルのタクシーとする。渋滞である。渋滞をぬけても、スピードは滑るのでのそったままの時速40キロである。4、50分で到着。なんだなんだ、空港が混雑しているぞ、人がたまっているぞ。しかし、飛行機は着実にこちらに向かっている!コンファームだ!よし。チェックインカウンターでは、出発1時間前を切ったのに、また80人の乗客が来ていないとのことだった。しかし、先ほどのイスタンブール行きの格安航空会社ペガサス航空がフライトキャンセルとなり、ごった返し状態であり、何だか、大変なことになっている。しかし、いつまでたっても、コンファームのままで、もう出発時間になっても、コンファームのままかと思えば、ショックでぶれているが、ダイバード トゥ イスタンブール(イスタンブールに避難、要は出航地に帰ります、雪で着陸できません、帰っちゃうからということ)と表示されショック。続いて落胆に震えたので、ぶれているが、キャンセルの表示。ここで、自分の選択は、ここで6時間待って、オーストリアのウィーンに抜けるか、朝9時まで12時間後のイスタンブールに行くかであったが、もう12時間後は今日乗れなかった人とペガサスで乗れなかった人で満席と予測され、24時間後にするかな・・・これで今後の旅行計画が・・・いや随分適当な旅行計画なんだけど、諦めるということに決定した。どこに泊まるか、と思ったが、もとのホテルに戻ることにした。しかし、バスの最終便が出る時間にちょうど合わさったので、バスに乗る。バスはホリデーインまで行く。バスは1日8便。最終20時半のバスに乗るのであった。ホリデーイン前に到着すると、雪で、こりゃ歩けないなと思いきや、タクシーが何台もやって来て、乗る。メーターで行くと、200円ぐらいであった。ホテルに戻ると、フロントの人に笑われた。帰ってくると思ったよ、と。今日、航空会社から電話があってホテルが満室近くになったよ。ははは。部屋はどうする?まだ掃除してないけど、同じ部屋にする?そうしてください、同じ部屋がいいです。でもタオルとトイレットペーパーだけ下さい。部屋に戻ると、4、5時間前にチェックアウトしたときとまったく同じ状態であった。欠航、分かっているよ、ボケ。シティパークホテルもチェックアウトもしたけど、再チェックインだわ。明日も18時くらいまでチェックアウト延ばせる?と聞いたら、明日はゴメン、満室なんだ、でもレイトチェックアウトの14時でいいよ、と言ってくれた。翌日は14時までぼーっとして、そこから荷物を預け4、5時間散歩に出かけることとなるのであった。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.27
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かっくり。物乞いうしマケドニアンモダンガールスターリン、じゃないよね。埋まっている。ノーテンキな靴磨き。マザーテレサ。鉄男川の中央にいるのも人形かと思っていた。よく見ると、釣している人が動いた。助けるよ。ダイビング。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.26
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週末に海外旅行をすることになったのである。詳しくいうと、金曜の夕方からである。旅行というより、メシ食いに行こうということであった。辛い、長い道のりである。何セ、2週間前に延期していたばっかりなのである。まあ、そんな訳で、ホテルの到着したのは、多分、夜中の2時前であり、小腹も空いたのでメシ食いに行こうということになったのだが、このあたりは、割と草々に閉まっているのであった。 睡眠時間4時間半で起きて、歩き始めた朝であった。おかんシンガポール招待旅行 シンガポールへ シンガポール 元祖マーライオン1 シンガポール 元祖マーライオン2 シンガポール ガーデンズバイザベイ1 シンガポール ガーデンズバイザベイ2 シンガポール ラッフルズホテルシンガポースリング シンガポールgourmetの旅/a> シンガポール普通観光 シンガポールから帰宅 シンガポールはどうでしたか。 1 シンガポールはどうでしたか。2
2015.01.25
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スコピエ観光案内1。 新市街と旧市街を結ぶヴァルダル川に16世紀から架かる橋。その横にはプラハのカレル橋のまねをしたチーピーな橋が架かる。その先はムージアム恋の難破船修復中。時計が止まった教会。スコピエフォートレス。昔のハマム、今は博物館。旧市街、トルコ風バザール。スコピエ2014ってので5億ユーロを無駄使いしとるようだ。それにしてもやたら、修復中、どんな修復してるねん。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.23
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シティパークホテルに宿泊していたんであるが、それは目の前がシティパークだったから他ならず、フロントの人は親切というかきっちりしていて、私が通るたびに、わざわざ立ち上がる律儀さで恥ずかしくなるのであった。(大きなホテルはずっと立っているけど)ホテルのチェックアウトは11時であったが、飛行機は夜だったので、半日延長できないか、と袖の下チョコレートを渡すと、喜んでくれたが、マネジャーと相談する、クリスマス価格でいけるはずだ、とアクマデ有料対応ということになりそうだ。うーん、フロントだけの勝手な判断ではできなかったか、マジメだなあ、と一応悔しがりつつも感心する。そうやって、午前中から午後にかけて何時間か歩いてホテルに戻って夕方までウダウダするプランを立てて出かけるのである。マケドニア広場の周辺はスコピエの一番賑やかな市街で、高級路線のカフェや店などが多い。世界一でかい十字架だそう。でも、それスペインにあるだろ・・・。やたら羽が突き出した建物の前を通ると、通行人がやたらTINEXという袋を持っていたので、スーパーに行くことにする。そして、マケドニアワインとビールとぐちゃぐちゃパプリカオリーブオイル漬けを購入。ワインは200円ぐらいである。アレクサンダー大王とのこと。まあ、ザ・グレートって大王って訳されてるね、日本語では。やたら、修復中。誰もが尊敬するマザーテレサの出身地。記念館があって、少し見学する。凱旋門もあるよ。マケドニア広場の中心地にはアレクサンダー大王。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.22
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まあ、23時頃にうろうろしているのである。誰も歩いていないのである。そんな夜に歩いていて大丈夫なのか、大丈夫なのである。それより、寒いのである。それでも進むのである。いわゆる逆風も反対向けば追い風ということである。しかし、反対向くと、ホテルに戻っちゃうのである。マケドニアは国連では、マケドニア旧ユーゴスラビア国という。ややこしいね。それでも、ギリシアは、マケドニアちゅう国名やめんかい、と文句を言っている。おまえのとこ、マケドニアと関係ないやないかということである。実際にスラブ人がメインで住んでいる地域である。マケドニアっていうのは、もうちょと南のテッサロニキあたりだろ、ギリシアだろ、マケドニア地方は!ってことだ。まあ、だいたい隣接する国は仲がいまいちよくないってのは、仕方ないんだけど。古代マケドニア王国からの連続ないやないかと。ヴァルタル川。これをとってバルタルマケドニアとも呼ばれる。マケドニアとは、エーゲ海沿岸のテッサロニキ(ギリシア)を中心とする地方と、ヴァルダル川流域の内陸部とに分かれる。前者をエーゲ・マケドニア、後者をヴァルダル・マケドニアという。マケドニア共和国が領有しているのが、ヴァルダルのほうである。 1991年に独立ということであるが、どこの何をもって独立がどこから認められるか、ややこしいところである。何故、散歩しようと思ったかは、タクシーの中から照明が綺麗だったからだ。タクシー運転手がいろいろ説明してくれたというか、こちらがッチウゴクジンではなくニポンジンと分かって、急に態度を変えたのである。何だか、旧ユーゴではボスニアヘルツェゴビナでも同じようなことがあった。そういえば、この前のモンテネグロでは、ほとんど日本車はなかったが、こちらはまあ、なんとまあの日本車の多さである。本当に人生の先輩方に感謝する。日本人であるだけで好意、そしてそれゆえ安全まで割と担保してくれる。でも、おれ自身は、金を撒き散らす驕り高き野郎に過ぎない。 それにしてもマケドニア人は、かなり親切な人々で、割と贔屓にしたい国となった。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.21
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サラリーパーソンは忙しくもないのに、束縛されるのも仕事のうちなので、精神的に忙しい。それで給料を貰っているから仕方ないのだが、なかなか、ここまで来るのは、そう簡単ではない。いろいろ調べたのだが、いつも、ルフトハンザで大阪からフランクフルトに飛んでいたのだが、去年から関空発がなくなり、羽田や成田からフランクやミュンヘンやドゥセルドルフに飛ぶようになって、関西人には使い勝手が悪くなったという按配だ。確か、2,3年前にクロアチアに行ったときは、ルフトで関空からフランクに飛んで、そこからクロアチア航空でザグレブに行った訳だ。でも細長いグロアチア、そこから数時間のバスではドブロブニクには行けず、半日仕事である。それも一瞬だけボスニアヘルツェゴビナを通過する。いや仕事ではなかった、で、そこから国内線で行かなければならないが、夏場はいつも満席みたいな状況のようだ。東京からオーストリアンでウィーン経由で1回乗換えでドブロブニクにも行ける。昨年はそれを狙っていたが、何だかんだいってそれはあらゆる事情で諦めたのである。オーストリアンの子会社のチロリアンかも知れないけど。でもそれも季節便かも知れない。今、間違った情報かもしれないかもとドゥブロブニク空港ホームページ見たら国内線しか飛んでないね、冬季。あとは、私の来た道、モンテネグロからバスで2時間半コースである。風で海の表面が揺れ、寒々とする。無駄な時間、会社員には考えられないな、何だか、意味なく歩き続け、坂を降りる。バスで数百円、タクシーでも1,000円もあればいけそうな距離だが、ぶらぶら歩き、懐かしのコンズムスーパーを抜け、海に出る。港。イタリアのバーリに船が出ている模様だ。まあ、そういう入出国もできるという按配である。何となく、氷雨の中、バスステーションまで歩いてみるか。1時間かからないだろう。約3キロの道のりである。その奥がバスステーションモンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.20
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ホテルに到着した時には、既に22時を回っており、チェックイン後5分でフロントに下りて、この近くでローカルフードで安くて上手くてナイスな飯屋を紹介しておくれというと、親切にも2店舗ほど紹介してくれた。 店に入ると、使い回しで1枚だけあった剥がれて薄い英語メニューをもらい、やっぱ、マケドニアゆうたらハンバーグか、と注文。ハンバーグは、ミンチとソーセージをこねたミックス商品。物価もチェコ並みに安く、ビールも1本150円だ。スープよく分からないがスープチャレンジ。羊でした。満席である。どの店も多分、法律で室内禁煙になっているのか、しょっちゅうレストランの外に人々がタバコを吸いに出入りする。ヨッパライのおっちゃんとも、乾杯と相成る。中に肉が多すぎて食べきれぬ。それも、いろんな種類の肉。マケドニアビール。スコプスコ。ハンバーグの付け合せシャルスカは、チーズ入り。朝飯。コーヒー激マズ。でも瓶詰めのパプリカどろどろ(アイヴァー)が激ウマ(あとでスーパーで買う)ツナ缶をそっとポケットにしのばせ、部屋でそっとゴロゴロにしのばせる。ブタ物価は安い、日本円に換算すると、ざっくり2円1マケドニアディナール、2倍したのが値段。またもやハンバーガーフムスフードコートインゲン豆を煮込んだタフチェグラフチェじゃがいもオーブン焼きの上に、ビーツなどを乗せる。ビールは持ち込み、勝手に飲む。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.19
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タクシーはやがて、予定より早く空港に着く。本当はバスで首都ポドコリツァ鉄道駅の横にあるバスステーションについて、そこからタクシーという予定だったので、随分早く着いてしまった。出発ほんの4時間前だ。国際空港だが、ちっちゃいちっちゃい空港であり、店が2店舗、カフェが1つ、以上。椅子は10程度。飛行機は、1日6便程度の国際空港である。そんな空港も無料WIFI有。 遅めの朝食を採り、朝からビールも飲み、ひたすら読書しながら、時々外に出る。1時間半ほどまでにチェックインし、セキュリティを通ると、免税店が1店舗のみあり、あとは割と多めに席があり、ビジネスクラス用の待合室が奥にあって、スナックバーが1つで終わりだ。外には、自国のモンテネグロ航空1機のみがあり、これから乗るシップはまだ飛んできていない。 さて、そうこうするうちに、機内に乗り込み、眼下に首都ポドコリツァを見るが、田舎町にしか見えないのである。ところで、セキュリティは普通に水も通過してよいみたいだった。前の人が水を外に出してX線通したので、私も真似をしたまでである。トランジットを抜けて、更に1時間半のフライト。マケドニア、首都スコピエのアレクサンダー空港。実は、マケドニア空港という名前は、ギリシアのテッサロニキ空港のことであり、こちらはアレキサンダー大王から持ってきている。ギリシアからしたら、おまえらマケドニア人ちゃうやろ、マケドニア何で使うねんと怒っているのである。ウキペディアより。2006年12月、マケドニア共和国政府によって、空港の呼称の変更が発表され、ギリシャとの間で外交問題に発展した。ギリシャは、アレクサンダル大王を自国の歴史と見なしている。新しい呼称は、ギリシャのマケドニア地方、カヴァラにあるカヴァラ・"アレクサンドロス大王"国際空港との混同を生み出すとの議論を呼んだ、とのことである。空港からのタクシー料金は一律であり、書かれてある。20ユーロであるが、勿論空港価格である。多分、スコピエ市内で拾えば、メーター制で10ユーロ少々ではないだろうか。帰りは、ホテルの車で15ユーロだった(何せ雪が降っていたので)モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.18
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何度か書いたが、地震発生2日後か3日後、どこをどう巡ってきたのか私は、オーストリアのテレビクルーの運転手をしていた。テレ部クルーの2人組は西進中央のオリエンタルホテルに泊まっていたので、車を出して迎えに行ったのだが、そこから神戸市内へはひそう渋滞で、地下鉄は動いているからそれを使ったほうがいいかも知れないといったが、テレビ機材が重くそういう訳には、いかなかった。おまけに、多分昨日、急に日本へ行けといわれたのであろう、熟睡状態である。震災の神戸に行け、ってどこに行けばいいのか、勿論指示はないが、昨日、私は無駄に原付を飛ばして市内を巡っていたのである。火災で燃えた長田の菅原地区とか、フラワーロード沿いに倒れた柏ビルとか、センター街とか回った。 遅い昼飯は、食べるところが無く兵庫の港方面の喫茶店が開いていたので入った。食べられるものは、おにぎりだけだったが、ガス、水道は止まっていたものの、電気は通じていたんで、バッテリーの充電をさせてもらった。 センター街では、燃える店を見ていた。見ていると、向こうから自転車でやってくる二人の夫婦。男は、自転車を投げ捨て、泣いた。オープンして3日目に火災で燃えた。終わりだと。奥さんは冷静に、明日火災保険の申込みに行こうと思ってたんですよ、と言った。オーストリア人クルーは、明日からどうしますか?と質問した。日本人は明日からどうするか、明確に答えられるはずがない。というか、オレが、何で通訳してそんなこと聞かないといけないんだ、と思い、オレが旅行に行ったら、こんな感じでガイドを見ているのかも知れないなと思った。(というか、運転と案内と通訳の謝礼はお断りしたけど)それに、当事者が故、一切自分のカメラを押すことが出来なかったのだ。 二ノ宮あたりで崩壊した瓦礫の中で、寒空の中、折りたたみ机を出して勉強している受験生がいた。クルーは、また明日からどうするのか質問し、親は、あんた記念だから何かいいなさいといい、受験生のあどけない彼は何かを話していた。私はクルーに、明日からのことは分からない、でも試験が近づいているから勉強している、と適当に訳しておいた。 遺体も瓦礫の中から取り出された。避難している体育館からも、何故かリンゴを貰ってきた。横を自衛隊の人々が列をなして暗がりの中を歩いていった。ガスの臭いが充満していて、火のあるものは危ないと思った。 夜になってオリエンタルに電話したが満室になっていて、垂水の海岸沿いにあったユースホステルに連れて行った。そこではホットシャワーが出た。シャワーを浴びてから帰ったら?と言われたが、水が勿体無い気がして、2日間体を洗っていないが、固辞した。そして外に出ると、まえからおじさんが歩いて来た。結構疲れ果てていてどこに行くのですかと聞くと、今日西宮北口から朝からずっと歩いてきていて、明石まで行くんですといったので、車で送っていった。そこでコンビニに寄ると、びっしりとおにぎりが詰め込まれていて、何個か購入した。(あれから10数年後、オーストリアに行ったら、あのときのビデオ見れないかなあ、と思い出した) 何日か休んで、大阪の会社に通うことになったが、1日目は、新開地から神戸電鉄に乗って、鈴蘭台から三田に抜けてそこから大阪に行った。それから臨時で出ていた神戸港から弁天町までの船にも乗って通勤した。並ばないといけないので、通勤は3時間。その後、いろいろ開通し始めて、JRで灘まで行き、六甲道の高架が崩れているので、阪急王子公園まで歩き、阪急電車で御影まで行き、そこからまたJR住吉駅まで歩き、そこから大阪に出る通勤を暫く続けた。忘れたけど乗り変えたということは、阪急も芦屋辺りが不通になっていたのだろう。代替バスも何回か乗った。結局、往復6時間の通勤ではということで、神戸を離れホテル暮らしにさせてもらった。でも、気持ちとしては神戸を離れることが、何だか申し訳なかった。 そういえば、母親の店も、家賃値上げされるので、出て行ったらすぐに震災になり、その店は潰れた。次に入った中華料理の店は開店準備で店が潰れた。母親の店の商品1000万円は無事だった。そのちょっとまえに母の兄が亡くなっていた。兄の店である。母親は、「おにいちゃんが救ってくれたんだろうな」と呟いた。
2015.01.17
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ドゥブロブニク2 クロアチア 考えたら、一般の人とは、どこまで場所を知っているのだろう、しかし、その一般というのが分からないが、多分、ヨーロッパ人なら誰でもドブロブニクは知っているだろう。日本でも東欧の首都以外に知っているところがあるとすれば、ドブロブニクかクラフクか・・・いや、首都どころか、国名も分からない。最近では、会社でも、どこ行ってきたの?とあまり興味ないのに聞いてきて、「モンテネグロとかですね」と小さな声で、一応、とか、なんかで他の国もいったことを含ませながら、(でも全部国名言ったら、そんな短い間にそんなけ行ったのとバカにされるからなと躊躇しながら、)「どこですかそれ」と言われる。一応、誰一人、ああモンテネグロねと言った人はおらず、それはどこですかと聞かれるのみだ。(但し、マケドニアは、一人だけ反応した。家に国旗が貼っていて派手な国旗の国ですね、とのことだったが、勿論場所はどこか分かっていなかったけど) 考えたら、私の中では、いつかいきたいな、綺麗なあドブロブニク、と思ってやっと来てみたら、ああ、綺麗だなあ・・・あ、終わり・・・あれ、その他オレの心の内なる感想は?・・・何となく恥ずかしくなった。とにかく、旧市街を無言で歩きまくってから帰る。まあ、そう決めたわけだが、しょぼくれているわけではない。どっちかといえば、冬の雨と海沿いの風が、大変なのだ。多少の雨なら傘はささないが、かなりの雨であり、そのくせ傘を風が傘をあちこちに腕や傘を強引に動かすのである。風よ、来いと抵抗しすぎると骨が折れるのである。骨って人骨ではなく傘の骨である。宇治市で500円で買った3段式折りたたみ傘とはいえ、折れてしまうと、これからのホテルに戻るまでにビしょんびションに濡れてしまうので、仕方なく風の吹く方向に傘を合わせ、彷徨するって感じである。何故なら歩くだけで特に目的は無いわけであり、さすがに旧市街の小さな中を2時間も歩いているといくところがなくなってくるのである。なにせ、坂はあるといっても、旧市街城壁の中は3、400メートル四方の中である。歴史感の少なさは、このまえ、ほんの15年前ぐらいの戦火でも随分壊されて、直したからだろう。それに、民家の路地を夏場なんかに、観光客がだらだらいっぱい歩き回ったら鬱陶しいだろうなあとも思いつつ、でもそれが写真なっても絵になるんだったら、綺麗にしておくことが大切なんだろうなあ、もしかして、細かくいろいろ決められているのかもなあとも思いつつ、ただ、洗濯物は干してもいいよ、それもそれなりに絵になるからみたいな悪意な感じも思いながら、ただ、民家の路地の住民は誰も見なかった、まあ雨だからかな、というところである。冬はメインストリートにも人通りは少なかったので、路地の奥では旅行者とすれ違うこともなく。そうえば、会社というのは幅広い組織である。若い人もいて、「25年ぶりのイスタンブール」とかいうと、いやはや、生まれてないか生まれたか、まあその頃やンてな感じだよね。死期が近づいてるな、おわり、おわりって感じる。することなくなって、立っている。茶でも飲むか。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.16
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クロアチアには3年ぐらい前に一度行っている。それは首都ザグレブであるが、クロアチア南北に細長い国であり、最南端にあるドブロブニクは遠く、行くことは出来なかったのであるが、今回はマケドニアのコトルからバスで2時間ということなので、行けるということとなった。バスで行けば10~12時間である。学生時代は、そういうのは平気だったなあ、というか、そういうのに乗って宿代を浮かしていたんだ。 今は飛行機が飛んでいるかなあなんか安易なことを考えて、ザグレブドブロブニクっていつも満席だなあなんて諦めるんだよなあ。いや、諦めたんだよ。私の頭の中ではドブロブニクの旧市街の入口は東側から入ると思っていたが、北西から入ることが判明。世界遺産に登録された旧市街は「アドリア海の真珠」とも謳われる美しい町並み、まあ、そういう謳い文句で、今考えたらちょっと浮かれたような気がする。んー、なんだか、ヨーロッパの弾薬庫にこんなところがあるんだーっていう地政学的なところが気持ちとして面白いのかも知れない。メインストリートが、城壁内の一番低いところにあり、両側に細い路地、登り坂と分かりやすい。その広めの石畳の道は、人が歩きすぎて光っている、つるつるになっている。雨。そして風、傘が裏返る。海沿いだから。夏は、あれだけ混んでいる(はずな)のに、閑散。雨にやられて、震える舌。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.15
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比較20数年前今回所持金10数万円。全財産を持つ。(帰路チケット未購入)2万円。ユーロとかトルコリラとドル含む。カード無。学生だったし。3枚。ATMでもお金を下ろす貴重品腹巻の中。シャワーはビニル袋に入れる。ホテルの金庫。なければ、カバンに鍵をかける。航空券安チケット屋に行き、日本までの片道買う。イーチケット。紙に書き出してはいるが、スマホ見せる。荷物の重量12キロのザック。出国3ヶ月経過後。12キロゴロゴロ。出国5日経過後。ホテル1泊500円のドミトリー。屋上からパルテノン見える。1泊8,000円のダブル。窓からパルテノン見える。酒350ミリをスーパーで買い、チビチビ飲む。単純にダボ飲み。ワインも飲む。ヘベレケOK。明日、行きたいところカイロ。エジプトは強制両替があり、所持金足りず断念。サンマリノ。まだ行ってないからだけという理由。実際、行ったところカラチ、パキスタン。12時間トランジットでタイへ。イスタンブール。8時間トランジットで大阪へ。パルチノン神殿無料入場の日まで3日待つ。行かなかった。パルチノンに行かなかった珍しい旅行者本当の身分(階級)ストイックな普通学生ストイックな不通サラリーパーソンあまり昔と変わってないなモンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.14
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クロアチアの通貨クーナからユーロに余ったお金を再両替するときに、記念に5リパ硬貨をどうぞ、といわれてもらった。(1クーナ20円弱=100リパ)5リパ、1円である。コトルのバスステーションで、首都ポドコリツァまでバスで行こうとしていたが、バスで首都まで8ユーロ、そこから空港まで8ユーロである。そこにおっさんがやってきた。お前、35ユーロでいかないか。料金2倍の白タクか・・・30ユーロでどうだ、あ、しまった、交渉してしまった!お金持ちの特権だ。2000円台で空港に行けるのに、4,000円台の交渉をしてしまった。2時間の長旅である。白タクのおっさんの顔をチラっと見て、こいつなら大丈夫だな、私はそう判断するのである。判断材料は簡単である。万が一、やばい状態になったときに、その運転手をしばけるかどうかだけだ。だから、ジジイであればジジイである程良い。屈強でなければないほど良い。それは、基本である、よわっちそうな奴に頼みたいのである。考えたら、言葉悪いけど、インドでのボートは子供に漕いでもらったし、モンゴルのタクシー運転手は足に障害のある男だった。いくらどこに行っても怖いんだ。だから最小限勝てそうな人を選びたい。といっても、何度、例えば、タクシー運転手と料金で喧嘩したことだろうか。そして、社会人になってまあ、いっかってなりつつあるんだけど、後に続く貧乏な旅行者に悪いなと思い、一応戦うのである。戦えば、それでいいのである。不条理に。でも危ないときは、金で解決するのである。まずい経験を思いだす。早稲田大学の友達の先輩がタイで新婚旅行の帰りのタクシーで殺害された。当時はニュースになった。でもその先輩は旅行慣れし過ぎていたんだ。何度もトラブルを対処してきた。そして何十カ国渡り歩き、慣れてしまっていた。おまけに新婚旅行、故郷みたいなタイにやって来て、慣れ親しんだ国で、またぼったくりかよ、とたかをくくってしまったのではないか。そしたらおかしな方向に走ってしまったのかも知れない。ちょっとだけ、ほんのちょとだけ素人の新婚者に格好つけたくなっちゃったのかも知れない、タイだから俺に任せろ、ここたタクシードライバーにガーガーゆうたるわ、いいとこ見せたるわと、ちょっと思ってしまったのかも知れない。でも本当は事態は緊迫だったんだ。痛いほど、分かった。自分がそうだったとして、彼女が初めての海外旅行だったら、イキってしまうんじゃないのか?戒めろ、私は、先輩から学んだ(つもりになる)。そうやって値段交渉したって、いつも、最後にお金渡したときに相手の顔をちらっとみて反応を確認する。民度の低い国ほど、ここで揉めるからねえ。でも、モンテネグロは、まずまず貧乏な国の割りに、民度は高い。道を渡ろうとした人を、ちゃんと、止まって渡らせたのである。あ、これは、多分、最後金払う時に揉めないなと思うのであった。実際、揉めることなく彼も臨時収入に感謝してくれた。白タクだからね。そんな訳で、白タクは、どこかでショートカットして山の中を抜けて、こんな雪道大丈夫なんかというところ抜けて30分ぐらい早く首都に入る。それはそれでよかった。というか、空港では4時間前に到着してしまい、マア、割と暇だった、だってほとんど何もないんだぜという空港、の割には無料でネットが通じたので、今日行く観光地をチェックしながら、朝食しながら、朝からビールでも飲むのである。 それじゃ、だめジャン、力弱く思うのである。でも、まあ、運転手とは、握手して別れたのである。でも、先輩を偲ぶのであった、というか紹介してくれた彼自身死んじゃったけど。ところで、ブドヴァを越え5キロたところで、スヴェティ・ステファンをみる。島全体がアマンである。分からないが、アマングループは1990年代の衝撃的デビューが故に、私の中では、2000年代に色あせた。それは初期に行った人間に何度か聞いた。どうしてもそれに囚われる。この島全体がホテルである。15世紀に漁村として人が住み始めた。1950年代に村の最後の住民が立ち退いたあと、アマンが賃借し、村(島)全体が豪奢なホテルに生まれ変わった。モンテネグロ沿岸部で最も高級なリゾートである。ウキペディアによると、スヴェティ・ステファンはセレブに人気があり、ヴィリー・ブラント、ボビー・フィッシャー、ソフィア・ローレン、モニカ・ヴィッティ、カーク・ダグラス、クラウディア・シファー、シルベスタースタローンといった人々がやってきた。マドンナも来たと、運転手は言っていた。まあ、それがどうした、なのですが。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.13
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まあ、何度も書いているけど、日常に戻るには旅行期間の2倍かかるというのが私の持論であったのだが、実は、その余韻は残しつつ、日常と旅行の境目が割と適当になってきているというのも実際のところである。それは、旅行の反芻を忘れるということもあるのだけど、割と日常も忙しいフリせなあかんし、次行くところ調べなあかんし、実際のところは、感性も鈍り、記憶力も鈍っているのである。やはり10代20代と同じではない。経験と惰性で生きていけるようになる仕事と旅行と日常生活。 そんあ訳はないのであるが、実は1月2日だったか3日だったかに帰ってきて、翌日実家に帰って、テレビを見ていて、テレビの中でシンガポールが出てきて、今週末暇?シンガポール行こうか、とその週末の3連休に誘うと、まあ、いいよと母上はいい、そこで交渉してないけど旅行成立のような感じである。あ、しまった、来週土日とも仕事やった。 しかし、出発日になると、飛行機が乱れたのか急に満席となり、まあ結論を申し上げると乗れないのである。いや乗れなかったのである。おかんはとうと、昨年ヨセミテ誘っておきながら台風が来たので帰ってこれるか分からないので急遽中止して2回目の中止となったため、まあ、無理せんでいいよ、もう(どうでも)いいよ、ということであった。それにしても、マクドがえらいことになっていて、ビニルとか歯とか入っていてらしくて、まあ、カフェオレ100円だから飲んだら、えらい空いていて何でか分からなかったが、もしかして事件のせいか、と思いまわりを見渡すと、誰もハンバーガー食べていない。まじか。混入していた程度で、と私は思うのだが世間はそうでもないみたい。世間って厳しいねえ。不寛容だなあ。髪の毛や虫ぐらい入っていても避けたら終わりだと思うけどなあ。まあ、歯はさすがにビビルな。でも世間はそんなにビビッドに反応するんだ。オレはつまんないニュースだなと思ったんだけど。虫とか髪の毛より、化学物質とかそういうのが怖いんですけど。でもまあ、1件のクレームの後ろには10倍100倍の問題があるから、もしかしたらその100倍ぐらい問題はあったのかもしれないな、それに大手だから言い易いのが厳しいね。そんなん食堂でビニルとか髪の毛が食べ物の中に入ってきたこと何回かあるけど、横に避けて終わったよね。ま、シンガポールに行けなかったので、その夜、じゃあ、うーん、まあ沖縄でもいくか、とおもって沖縄調べ始めたのだが、それがまた曲者で、沖縄ってもなあ、何だかなあという気持ちもあって、何だか面倒だなと思ってたことが災いし、うっかり、酒を飲み過ぎて、明日6時に起きて沖縄じゃあ、だから23時半に寝るぞ、といって寝て、起きたら8時半だった。沖縄面倒だからやめよう、と思った。てか、もう1時間もすれば離陸やん。昼便か?いや、やめた。もうちょと寝よう、やっぱ、もう死んでしまうほど情熱なくなったな、と思った。恥ずかしいよ。実は、シンガポールの代替案で香港と韓国があったんだけど、いちいち調べて行けそうだったんだけど、なんだか、これまた面倒になっちゃったってのが、なんだか寂しいね。パッション、それが大切なのになあ。学生時代は、パッションがすごいな、とかこだわりがすごいなと言われた(本当)んだけど、今やノンポリポリシーやのう、加齢力発揮である。てか、また行ける時、行くか、そう思ってしまう40代、でもそんなこといってたら死んじゃうな、ははは。ビデオ借りてきてみたら、飛行機で見た奴やったショック。そんで仕方ないのでもっかい見た。「恋の渦」。結局、どこにもいかなかったなあ。やる気の問題なんだけど。好きなことしていようや。せめて休みのとき。な。いやはや、元々予定なかったら、それなりに本を読んだりして過ごしたのだが、生き急いでいるが故に、予定がなくなると、急に暇感が生じ、結局なんやかんや何かをやっているんだけど、気持ちは暇のままなのであった。まあ、ぐずぐずしたり、うだうだするのは、得意科目だからいいんだけど。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.12
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15時のバスがあり、バスの待合室で待っているが、トイレに行きたくなる、が、トイレは有料だ。50円ぐらいする。しかし、少しだけ隙間が開いていて係員もいなかったのですり抜けてズルっこする。勿論ズルッコするのは、私だけではない、皆さんずるっこしてトイレに行くのである。郷に入れば都合のいいときだけ郷に従うのが業ということである。カルマである。ダンマである、法である。ノルマである、こちらはロシアが起源の言葉である。絶対にやらなければならない分量という意味である。分量って言ったらいいのかは分からない。まあ、そんなことはどうでもよくって、早くもどこの町からかは知らないがバスは20分前にやって来て止まっている。100クーナである。 運転手に、行き先を確認して、バスが出発して、雨で足元がずぶ濡れになっていたため靴と靴下を乾かし始める。何だか臭そうだけど仕方ないのである。 普通車なら、ここからドブロブニクに入れるのだな、かなりのショートカットだな。 もう一回上から旧市街をみる。 崖沿いに切り取られた道路を走り、気持ちよい。 前の方に座っていて気がつかなかったが乗客は6人だった。でも、前の席と横の席と後ろの席には人がいたので、それで4人だ。やがて30分程走り、国境に。山への陽の当たり方が面白かった。下から日陰の鬱蒼な色、日向の黄金色、日陰の緑、雪山の白。パスポートが集められたが6冊、マケドニア人カップル2人、地元クロアチア人1人、地元モンテネグロ人2人、日本人1人。モンテネグロ、リアス式海岸沿いを走り、途中で時々止まる。真っ暗な中、前の乗客が、何だか運転手に指示して、バスは海沿いの道端で止まった。すぐ横は、海だ。海水に手を入れろと言われれば10秒以内に手を突っ込める距離だ。その道端に小さな車が止まっていて、じいさんが立っていて、バス降りるねえさんから荷物を受け取り、ハッチバックに荷物を積み込む。車に2人は乗り込む。親子だろう。そこで、バスは発車する。生活がある。私は通りすがり。20分ほど前に電話していたのは、迎えに来てよ、だろう。携帯電話で世界は緩くなった。固定電話の頃は、せいぜいバスに乗る前に電話していただろう。今は、多分真っ暗な道沿いに5分も待っていないだろう。待ち合わせというのは変わったなあ。駅前で1時間待つって、昔は普通だったね。皆で待ち合わせて、一人来ないから家に電話したら家にいた、なんてこともあったな。お前が来るまで駅前で数人がうじうじする1時間ってあったな。高校生じゃ、お茶飲む金もったいなかたしな。不自由で平和な時代だったよな。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.11
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先ほどの散策の結果、どの食事どころも0組か1組しか入っていないほどに閑散としていることは分かっていた、そりゃ、ほとんど観光客を見ないので。但し、ネットを見ると、夏場はスゲエ観光客がやってくるみたいだ。豪華客船も来るし。クイーンエリザベスも来るみたいな。そういえば、宿屋の主が橋渡ったところにいいレストランがあるぞ、と言っていたな。タクシーを降りたのが、あのレストランの前で、ちょうど人が入っていくのを見たのだ。だから、まあ、大きな声では言えないが、そこに行くのである。コチラの言葉で、レストランはrestoranと書かれてあり、何だか読みやすいというか、ベタな感じがするなあ。あ、やっぱり客1組しかいないわ。地元の人が酒飲んでるだけ。クリームバターだ。アドリア海の魚シリーズを食べる。柔らかいな。美味いな。パスタ、お、ククク、伸びきっているな。コレ系はアルデンテでなくていいか・・・。子供時代の懐かし系の子供ナポリタンだぜ。世の中、ビールで回っていることを知っているのは、ビール飲みが勝手に思うことである。ビールがあれば国家は不要。パンプキンスープ。ルッコラと薄切りチーズのサラダ。また魚たべますねん、でも、この上にかけるスープというかソースというか、美味いなあ。モンテカルロ、あ、それモナコか。アドリア海に突き出たレストラン来たのに、電飾が邪魔している。どうしろっていうんだ。というか、屈指の観光地、値段が高い。冬場は閑散期なんだから半額以下にしろよな、といいたくなるが、気が弱いので心で思う、というか高いと思うなら行くなよなってことだ。やっぱ、家飲みだな、いやホテル飲み?やっぱ、でもないけどね。コソボのビール、うーん、シブイ。 サンドイッチって言ったら、これしかないよ、とパニーニみたいなのが出てきた。 モンテネグロビール飲むよ。 味は、これは日本人好みなやつだな。ニクシッコって読むんだろうか(ネット検索したらニクシッコらしい・・・よかった)。ピーボピーボは前にクロアチアに言った時に覚えたよ、おっさんがレストランにピーボピーボ言いながら入ってきたからね。1本1ユーロぐらい。レモン入りバージョンとかもあったが、失敗したことがあるから、そういうのはパスである。モンテネグロのというか、この地方の独自の料理ってなんだ、サワークラウトと豚肉のオーブン焼きか。ザワークラフトって、まあ、キャベツ焼いた奴やん。あー、こういうカラカラキャベツにソーセージのホットドッグ、これ系の原形じゃないか。そうだな、キャベツとパンがカリカリ気味になっているのが好きだな。あ、食べたくなってきた。俺は食いしん坊ではない。あ、でもすっぱいキャベツじゃないな。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.10
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自分まとめ(というメモなので、読む人は関係ないので写真だけお楽しみ下さい、え、楽しめない?それでもOKだ。トイモイゲストハウスいつでも開いているぜ、世界の終わりの前の日まで。または楽天日記が閉鎖されるまで)アイスランド共和国 レイキャヴィーク 2014年アイルランド共和国 ダブリン 2014年アルバニア共和国 ティラナ 2012年アンドラ公国 アンドラ・ラ・ヴェリャ 1。未。ここは、スペインのバルセロナから行ける。イギリス ロンドン 1997年イタリア共和国 ローマ 1996年ウクライナ キエフ 2010年エストニア共和国 タリン 1998年オーストリア共和国 ウィーン 2009年オランダ王国 アムステルダム 1996年ギリシャ共和国 アテネ 1987年クロアチア共和国 ザグレブ 2009年サンマリノ共和国 サンマリノ 2。未。今回これから行く予定。イタリア、ボローニャからリミニまで鉄道、そこからバス。スイス連邦 ベルン 2012年スウェーデン王国 ストックホルム 1998年スペイン マドリード 1995年スロバキア共和国 ブラチスラバ 2009年スロベニア共和国 リュブリャナ 2013年セルビア共和国 ベオグラード 3。未。チェコ共和国 プラハ 1998年デンマーク王国 コペンハーゲン 1998年ドイツ連邦共和国 ベルリン 1995年ノルウェー王国 オスロ 2014年バチカン市国 バチカン 2012年ハンガリー共和国 ブダペスト 2009年フィンランド共和国 ヘルシンキ 1998年フランス共和国 パリ 1997年ブルガリア共和国 ソフィア 2011年ベラルーシ共和国 ミンスク 4。未。ロシアと同様、空港券とホテルバウチャーがないと行けないが、旅行代理店でリトアニアかラトビアでッヴィザ取れそうだ。ベルギー王国 ブリュッセル 1996年ポーランド共和国 ワルシャワ 2010年ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエヴォ 2012年ポルトガル共和国 リスボン 2010年マケドニア共和国 スコピエ 5。未。今回これから行く予定。マルタ共和国 バレッタ 2013年モナコ公国 モナコ 2014年モルドバ共和国 キシニョフ 6。未。今回これから行く予定。モンテネグロ共和国 ポドゴリツァ 今回。今。ラトビア共和国 リガ 7。未。リトアニア共和国 ヴィリニュス 2013年リヒテンシュタイン公国 ファドゥーツ 8。未。スイス、ズーリックからバス。ルーマニア ブカレスト 2012年ルクセンブルク大公国 ルクセンブルク 9。未。ロシア連邦 モスクワ 10。未。自由旅行しにくいが方法あるかもね。ホテルで明日の行き方を調査中。ところで、1月9日、帰国1週間で、夜、座ったまま寝ていたこと3回。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.09
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前回の続き。やがて2時間近く経過し、多少山間部に入り、モンテネグロの国境となり、パスポートを集められまたスタンプ押されて戻ってきて、5分走るとクロアチア国境となり、バスを降りて入国審査を受ける。てか乗っているの10人だからすぐ通過。30分程走ると、ドブロブニクの旧市街が崖下に見えてきた。旧市街を通り過ぎ10分ぐらい走り、大橋の手前を右折、Uターンして崖下に降りて行く。バスターミナルに到着するが、市内はまだここからバスに10分程度乗らなければならない。お、ネットからダウンロードして印刷したのと同じ時刻表が貼ってある。クロアチアクーナに両替。てかバス、どこにあるんだ、と前の道に出たら右側にバス停があり、5分後ぐらいにやってくる筈。同じバスに乗っていたカップルもやってくる。歩いて行く人もいたが、その一人は日本人だった(パスポート集めたときに見たのだ)。15クーナで旧市街城門前まで10分程度。旧市街メインストリート。オレの頭の中の中の地図では方向が違った。ドブロブニクには10年前ぐらいから行こうと思っていた所だったのだ。旧市街に入るとすぐに噴水。このメインストリートが一番低く、登り坂の細道が両側に続く。城壁の上を歩くのは2,000円もするのでやめる。一度旧市街を離れ、トニカク、山を登り続ける。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.08
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コトルのバスステーションは、城壁の門を出てから、6,7分歩いたところにあるということをネットで検索済である。通勤する人が多少いるのだろう。昨晩も帰宅する仕事帰りぽい人を見た。石畳は雨のシズル感が似合う。城壁を出ると、朝一がある。城壁を出ると、目の前はコトル湾である。スーパーマーケットを通り過ぎ、一度左折する。コトルのバスステーション、え?これ?という感じで、5人ぐらいしか人がいない。バス出発の15分前に到着。ドブロブニクまで、あれ、いくらだったかな、6ユーロか8ユーロか12ユーロか、まあそのあたり。2時間で着くよと切符を渡されるときに言われる。おー、ベオグラード(セルビア)、スコピエ(マケドニア)、サラエボ・モスタル(ボスニアヘルツェゴビナ)、ザグレブ(クロアチア)、リリュビャナ(スロベニア)行なんかあるのか。というか、ドブロブニク行、冬場は8時半と14時45分の2便しかないのか・・・。首都ポドコリツァには、まあ30分毎にあるねえ。バスは2便だけということもあって、かなり空いている。かなり空いているのに、おばちゃんが隣に座っていた。おばちゃんは15分ぐらい乗ったら途中で降りた。私が前に座っていたからか。雨でくもっていることで写真は超適当となる。海上に修道院が見える。ここ、ペラストという町を通過。入り組んだ湾内沿いの道を行き、アレ、対岸30分前に走ってたところやん、橋があったら5分やなあ、と思う。途中、人を降ろしたり乗せたり、クラッチの調子が悪くなり何度もエンストしたり、それを修理しながら、湾岸沿いを進む。やがて2時間近く経過し、多少山間部に入り、モンテネグロの国境となり、パスポートを集められまたスタンプ押されて戻ってきて、5分走るとクロアチア国境となり、バスを降りて入国審査を受ける。てか乗っているの10人だからすぐ通過。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.07
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うっかり早起きしてしまった訳ではない、普段の会社員としての生活は遅寝起きたくないけど会社があるから早起き、をモットーにしておるが(電車に乗る20分前に起床)、旅行中は早寝早起き(夜遊びが全く無い場合)か遅寝遅起き昼寝付と相場が決まっている、いや相場はなかった、さすがに飛行機が7時なら、まあ多分その4時間前には起きるのではないだろうか。そんなんゆうて夜中の2時に寝ることもあって、そんなん寝る時間1時間やん、昼寝ならぬ夜寝やんか、眠いやんか、ということである。どういうコトあるか。 まあ、これからバスに乗って移動する前に、山に登っておくのである。といっても、そんなに時間はない、大きな声では言えないが、パッキングを終えたら、20分ぐらいしかない。これは急いで走って山登りするしかないが、かつてのマラソン選手である私も、今は50メートルも走らないうちにゲロを吐くと想像されるため、早歩きにて緊急対応するのである。山に行く城門入口は、昨晩登ろうとして閉まっていたのでチェック済みである。 コトルの全体像を見るまで帰ることができない!と一応言っておく。夏場は豪華大型客船が寄港し、ヌーディストビーチができたりするようだ。間違っているかもしれないが、白人文化ではあまり裸に抵抗がない人も多いことに加えて、共産圏下でもこのあたりは息抜きで許されていたのではないか。何でもかんでもガンジガラメでは死んでしまうことを支配者も知っている。ロシアではウォッカ飲み過ぎて寿命短いというが、パンを求めてとにかく何時間も並ぶとよく聞くが、一方どの家庭もダーチャ(別荘)があり、夏場のバカンスでは夫婦であろうとも、別途出かけても、誰とどこへ出かけていたのか不問にする、なんてことも聞いたことがある。ブレジネフ時代は大いなる停滞期として、労働時間も5時間ぐらいで、工場では3時ころから門に集まってくるのだが、何をしているかというと、5時に終業となり門が開くので、帰るために門の前で帰れる時間を待っているというものであった。 しかし、まあ、旧ユーゴスラビアも、国を変えながら3回も訪問しているのに、まだセルビアが残っているなあ。結局4回に分けていかなあかんってことになってしまった。まあ、そんなことを思っていると、山の中腹だったが、10分が経過し、もう戻る時間になってしまったので、山を降りることとなる。 宿屋に戻ると、5分でチェックアウトの時間となる。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.06
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世界で唯一日本と戦時中にあるのがモンテネグロである。しかも、日露戦争が終わった時には、モンテネグロも日本に宣戦布告したこと自体をすっかり忘れていて、何だかもうそのままほったらかし状態である。(と思ってて、ネット検索したら2006年に終戦したみたいなようだ。ああ100年戦争。ああ、そっか宣戦布告したら、国が占領されてしまい、独立した時に終戦したのか?それも違うのか、ウキペディアより・・・日露戦争では、1905年にモンテネグロ公国は日本に宣戦布告し、ロシア軍とともに戦うため義勇兵を満州に派遣していた。しかし実際には戦闘に参加しなかったことから、その宣戦布告は無視され、講和会議には招かれなかった。そのため国際法上は、モンテネグロ公国と日本は戦争を継続しているという奇妙な状態になった。日本との関係では、独立に際して、日露戦争における戦争状態が解消していない事が問題となる可能性が指摘された。これについて日本政府は、2006年に提出された衆議院議員鈴木宗男の質問主意書に対する答弁書において「千九百四年にモンテネグロ国が我が国に対して宣戦を布告したことを示す根拠があるとは承知していない。」と回答している。2006年6月3日のモンテネグロ独立宣言に際し、日本政府は、6月16日に独立を承認し、山中あき子外務大臣政務官を総理特使として派遣した。UPI通信は、6月16日、ベオグラードのB92ラジオのニュースを引用し、特使は独立承認と100年以上前に勃発した日露戦争の休戦の通達を行う予定と報道したが、日本国外務省からは、特使派遣報告をはじめとして日露戦争や休戦に関連する情報は出されていない。)モンテネグロのコトルは、有名な観光地クロアチアのドブロブニクと双璧をなす城壁の街だが、こちらはそう有名でもない、が、まあ、世界遺産になっている。なんていうのか、昔、リアス式海岸っての習ってったのだが、ここはアドリア海の最深部、無風だと、波が全くない。湖のようだ。それでいて、海水は綺麗で海底まで見えるのである。海に波がない、それで海と思えなくなる。恐ろしく不安になり、水を舐めにいく。塩味であった。入り江、全てだった。入り江、魅惑的な言葉だ。小道は可愛らしい感じだが、いいなあ、と思うのだが、もう感動は無い。景色の感動は難しくなってきている。もうそれ以外の感動しかないのかも知れない。ベタだけど、多少感動したのは、数年前にエジプトのピラミッドみたときぐらいである。去年、やたら良かったのはアイスランドの世界一の大きさの温泉と、セントマーチンぐらいである。あと数カ国で100カ国超えたら、何かまたユックリ行ける行き先決めたいなと思う。世界遺産、凄いなあ、以上である。これでは、いけないのである。といいつつ、路地を歩き回り、迷うことは楽しいのである。 ヴェネチア建築の影響を受けており、確かに似ていると思う。いけない、またいつかどこかで見た、何かどこかで見た光景、○○みたいねえ、になってしまうわけである。でも確かに、12~14世紀に建てられ古い感じはする。石灰岩の張り出た崖の麓に築かれた町。日本人老人観光客が歩いていた。ここまで来るか、相当、海外旅行していると予想される。見たのは1度だけだが。但し、季節も外れているのか、ホテルも他に宿泊客がいなかったし、歩いている人は少なく、レストランはどこも判を押したかのように、0人か1組であった。人は少ないが、危険度は低く、ほぼ問題なく、どこでも歩けてしまう。1979年に地震があったようで、聖りぷとん教会の一部等は壊れたままになっている。奇しくも、その年に世界遺産となっている。さて、ATMでユーロを下ろしたから宿に一旦戻るか。(モンテネグロはユーロを使用)モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.05
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ポドコリツァ国際空港を出た私であるが、首都では過ごさす、首都からバス乗り換え2時間少々8ユーロというところであるが、調子が悪いこと、会社員なので多少お金もあること、荷物も12キロあること、物価が安めなこと、の4点を考慮し、オマケにタクシー運転手との交渉も順調ではないものの仕方のない交渉を済ませ、走るのである。線路沿いを走り、湖を越え、山を越え、アドリア海沿いに走る。その間のほとんどの時間を運転手は携帯電話している。おそらく、無意味な電話であろう。吃音が耳障りな多少鬱陶しい奴だ。 旧市街には、道が狭く石畳なので、入ることができない。橋を渡って旧市街に入る。川の水が綺麗である。細い道を通り宿屋を発見し、ドアを開けようとするが閉まっている。2階がホテルの入口どうしてなんだ。と思い、打ち出してきたバウチャーを見ると、事前に到着時間をお知らせ下さい、開けに行きますみたいなことを書いてある。閉まった、電話か、しかし、電話機は持っていても、電話は出来ない。こうなったら、歩いている人に電話してもらう作戦しかない。そんな訳で、一応小銭をポケットに忍ばせ、地元に人に声をかけると、すばやく電話をしてくれ、10分程待っておきなと言われ、さりげなく去っていく。 小雨が降る中、10分少々待っていると、おじさんがやって来て、着く時間教えてくれと書いてあったのに、と別に怒るわけでもなく言っていたが、よく考えたら、1時間から2時間はずれるので、知らせるのも難しかっただろうなあ、とも思う。怒っているわけでもないので、部屋もグレードアップしてくれ、その後も部屋で説明は続く。これが外の鍵、これが部屋の鍵、WIFIユーザーはこれねパスワードはないよ、あ、つなげてごらん、あ、つながったね、チェックアウトは鍵を部屋に置いて行って、あ、ATM?それはこのあたりに何箇所かあるよ、車で来たの?どこにとめたの?あ、車じゃない?レンタカーもやってるよ、何でも質問や要求があったらこちら(名刺)に連絡してくれ、いつでも駆けつけるから、じゃあね、みたいなことを言って去っていく。 去っていったので、私も、ATMに行くついでに散歩に行く。行って帰ってきたら、外の鍵が開かない。これは困った、寒い、またもや電話もできない、携帯電話を見ると、ネットがつながっているので、助けてくれ鍵が開かないとメールするが、返事は翌日に、右側に回せばあくよベストを尽くせと貰ったのだが、そこから格闘すること20分、ようやく外の鍵が開いた。これで出かけるのが怖くなったのだが、次に出たときには1秒で開けられる達人になっていたのであった。 その後、部屋で急にネットがつながらなくなり、夜メシ時にレストランのWIFIから、ネットがつながらなくなっているよ、と宿屋の主人にメールしておく。多分、見るのは明日だろうなと思って部屋に帰ると、外のドアが開いていて、宿屋の主人とネット屋さんが修理に来ていた。 あ、メール貰ったね。雨でサーバーダウンしたみたいだ。あと1時間ぐらいで直るからね、ちょっと待っててね、あ、明日何時にチェックアウトするんだ?鍵はテーブルの上に置いておいてね、あ、何トイレットペーパーが切れた?ちょっと待ってね、とイレットペーパーを勝手に持ち出すと妻に怒られるんだけど、まあ、そんなことどうでもいいよ、はいこれ。ネットが、やがてつながり、明日のホテルの予約する。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.04
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昨日、15分遅れで帰国した。いやはや同じ気温でも、日本は寒い。何せ、家に帰っても寒いのである。そういうことは分かりつつも家に帰るしかないのである。それが宿命なのだ。いや、帰る場所のある幸せなのである。しかし、昨年末に携帯電話を必要に迫られて買ったのであるが、それが、何故だか私を追いかけてくる、どこからどうやって情報を取ってくるのか、ゲートまで勝手に確認して、全く勝手なおせっかいなことしやがる。飛行機に乗る時間ですとか、ホテルのチェックアウトですとか。おまけにバス乗ってたら位置情報まで勝手に確認して気温教えてくれる、GPS切っているのに。あまりよくないシステムである。ほっといてくれ。家に帰ったのが何時だったかなあ、とにかく正月気分もあって、なんとなく、鍋焼き饂飩やろ、ということになり、コンビにで冷凍鍋焼き饂飩を購入。いやはや、実際は不思議なことで、日本食は好きなのだが、いくら海外にいても日本食食べてもいいけど、もう食べたくて仕方ないってことは18歳のときから無くって、実際何年も米を購入しなかったこともあるが、それでもたまに海外ででも、たまにノリで日本食行く。それはいいとして、今回は日本に帰ったら年越しソバだな、と思っていると、実際のところ家は寒いので年越し饂飩でないとあかんやろということになったという乗りである。そんな訳でウドンを食べた後は、まあ、そうだな、チューハイ飲むかで、帰国日は終了。翌日は、さくっと起きるつもりもないのに、睡眠時間6時間でサクッと起きてしまった午前8時半であった。機内での睡眠時間が4時間であったというにである。マア多分、それは愛嬌と時差ボケであろう。特に問題は無い。そして、ぼやおやしているうちにというか、ずっとボヤボヤしているのであるが、お土産を装備しながら、実家にはイかなあかなということで、2,3週間ぶりに車を転がす。実際は転んでいないのであるが、バッテリがあがっているのではないかと多少不安感もあったが、まあ、そういうことはなく、車は順調にエンジンはかかったがガソリンはエンプティ状態で、ロシアのルーブルが下がったから連動してガソリン代も下がったのではないかと思いガソリンスタンドに行くのだが、天然ガスとガソリンの連動性は良く分からず、前に入れたのもリッターいくらか忘れたので結果も分からずである。まあ、そうやってガソリンを入れるのであるが、(満タンにするとガソリン自体で車両が重くなり、燃費が悪くなると思うのである。何セ7~80リットル入るのである。それにしても、車はヒトリで乗ると不条理である。私という60キロを運びために2トンだか1トンだかの鉄の塊が走っているんのである)車を転がすのである。何故転がすのか、そういう道徳的なものや哲学的なことに対しては、いつかいつかの次回を待てなのである。誰も待っていないので、私も忘れるのである。ただ、車は車に皆さんはある程度の信念を持っているのである、例えば、私の父親の信念は安い車しか買わないが車検を受けたことがなく常に新車を買い続けるのである。そして、売り込みが嫌いで、トヨタは何かと次はどうですか、車の調子はどうですか、何か不具合はありませんかとやたらサービスが良くて、嫌だそうである。売ったら売りっぱなしで音沙汰のないニッサンがいいみたいである。私の場合は、運転が下手糞なので、煽られたくないので、見た目高級車である。皆さんが私を避けてくれないといけないのである。しかしもう10年ぐらい乗っているが、壊れたらもう車人生は引退である。もう前にも書いたが後ろドア左が開かなくなり、サンルーフも開かなくなり、カーナビも壊れた。まあ、そういうのは大勢に影響がないので直すつもりはないのである。走ること、イキること、舐められないこと、まあ、それが大事なのである。実家に到着したのだが、まあ特に話題はなく、あんたの会社の折込チラシ入ってたで、ぐらいであとは、ぼーっとテレビを見ている。もう40代のオッサンが行っても何もないのである。親父が、白髪出てこないなと言ったぐらいで、いや結構出てきたよ、もう死ぬよ、と返事じたぐらいである。お土産渡したら、一応お土産もらう。オカンに今週末、旅行行かないかとオファーしたら、まあもともと予定はないよ、とのことであった。まあ、世間体にいうと、親孝行である。親から見ると、あんた誰かと行く人いないの?である。帰り道は、CDからは、ジョンレノンのワイルドターキーがかかる。サブイボだね、ジャンキーがヤクが切れたときにサブイボができる状態のことをいうんだね。ああ、そういえば、あ、なんだったかな。でも、家帰ったら、この前娘夫婦に驕った焼肉代が高くて、少し寂しくなった。支払いに関しては、悪い年明けである。ゴーン。ところで、私は、第一印象というか、インスピレーションが結構正しいと思っているからね。それは、多分、整理してないけど経験上から来ることを前提にしているはずだけどね。だから、上手くいったら、何故上手くいったか分からないんだよ。そういうものじゃない?帰ってからお土産の自家製コロッケ6個全部食べてしまった・・・。おふくろの味にには何にもかなわないというものの、実家では、ガキ時代イタリアンというかパスタ、スパゲティなんか1回しか出たことないのに、イタリアンは好きである。カモも何かのムニエルも1度も無いがフランス料理は好きである。幼稚園の連絡帳には、先生にオカンから「好きな食べ物はヤキメシと餃子です」と書かれていた。まあ、そんな感じである。考えれば親とはもうあと5,60回も会わないのである。多分。
2015.01.04
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仕事も草々に切り上げ、というか、その日はもう朝から仕事モードも終了しており、なかなか仕事とプライベートの切り替えが上手な私である。 勿論、昼食は食べたが、夕食は食べていないので、夕食にしたいが、1時間後には機内食になってしまうので、ここは軽食とする。特に焼きソバが、毎回思うのであるがUFO味である。ビールは2杯飲んだ。13時間25分の旅である。遠いなあ。北極圏経由じゃないからなあ。とか言っていたのであるが、調子が悪くなっている間にイスタンブール到着。とか言っていたのであるが、6時間を空港ベンチで寝て過ごす。モンテネグロまで1時間45分の飛行機旅行。モンテネグロの首都、ポドゴリツァの旧名は、チトーグラードであり、チトーはかのユーゴスラビア大統領、グラードは町だよね、レニングラード(サンクトペテルブルグ)とかスターリングラードと同じね。モンテネグロは、黒い山というベネチア語だそうである。古い情報だが、弔問で世界各国の要人が出席した国数が一番多いのは昭和天皇だったが、その前はチトー大統領だったという。セルビアから別れ、独立は2006年なので、8年前である。コソボを覗くと、旧ユーゴスラビアでは人口は一番少ない。CIA FACT BOOKより宗教 Orthodox 72.1%, Muslim 19.1%, Catholic 3.4%人口 600万人言語 Serbian 42.9%, Montenegrin (official) 37%, Bosnian 5.3%, Albanian 5.3%構成 Montenegrin 45%, Serbian 28.7%, Bosniak 8.7%, Albanian 4.9%, Muslim 3.3%ポドゴリツアの町シュコダル湖。アルバニアとモンテネグロにまたがる湿原湖。季節により、370から530平方キロの範囲で変動するらしい。琵琶湖は670平方キロである。空港着。ムム、今までのヨーロッパの首都空港で一番小さかったのがスロベニアであるが、更にここは小さい。飛行機が1機しか駐機されてない。空港にボーディングブリッジがない。我々が降りると、静寂がまたやってくる。空港の外にもほとんど誰もおらず、公共機関の移動はないので、タクシーとなる。市内までは6ユーロと看板も出ている。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.03
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何が見えるのか、2014年12月31日21時頃それは、パルチノン神殿である。破綻国家にある昔のものである。テレヴィをつけると、既に正月を迎えた都市や国家が映し出される。1時間半眠って、11時半に起きるのである。かつては失敗したのである。場所はパルチノン神殿向かうから花火を見るつもりである。しかし、順調に23時に起き、夜に出かけてみたものの、人が少ないのでシンタグマ広場行くのである。割と、新年はしょぼかったぼである。ギリシアの新年は、割とショボイ、覚えとてくれ。零時じなったのだが、カウントダウンもなく、いきなり、警察が騒ぐ。サイレンならし、日本でいうシ白バイは暴走族と化す。何故か酒持っている人が少なく、どうしてなんだという疑問を呈しつつ、ビール缶を開けるものの、誰も飲んでいない。花火は上がるが、見えない、しまった、やっぱり神殿のほうだった、急いで神殿に向かう。でも財政厳しいのか、15分には終わっている、だめジャン。皆さんレストランでバカ騒ぎのようで、バーに行く、で2015年が始まりました。よろしくお願いします。モンテネグロ、クロアチア、マケドニア、トルコ、ギリシア2015 関空→モンテネグロ、ポドコリカ モンテネグロ、ポドコリカ→コトル モンテネグロ・コトル夜 モンテネグロgourmetの旅 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク1 モンテネグロ・コトル→クロアチア・ドゥブロブニク2 会社員の行くクロアチア、ドゥブロブニク クロアチア、ドゥブロブニク1 クロアチア、ドゥブロブニク2 高台へ クロアチア、ドゥブロブニク クロアチア・ドゥブロブニク→モンテネグロ・コトル モンテネグロで考える モンテネグロ・コトル早朝 コトルからポドコリカ空港に戻る。モンテネグロ モンテネグロ→マケドニア マケドニア、スコピエ 新市街観光案内 マケドニア、スコピエ 旧市街観光案内 マケドニア、スコピエ やたらスタチュー マケドニア、スコピエ 夜 マケドニア、スコピエ gourmetの旅 マケドニア、スコピエの何だこれ マケドニア、スコピエ やばい、大雪になってきた マケドニア、スコピエ フライトキャンセル マケドニア、スコピエ延泊 イスタンブール→アテネ アテネのホテル アテネで唸る アテネgourmetの旅 アテネ、アクロポリスへ行け アテネで正月を迎える アテネ正月ご来光 アテネ20数年ぶり アテネ時空を超えて7 アテネ1987 アテネから帰る イスタンブル ブルーモスク、アヤソフィア 1月1日イスタンブルの夜 イスタンブル待ち時間 イスタンブル→大阪 旅行荷物 ダイジェスト版 帰国後の所感
2015.01.01
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