全10件 (10件中 1-10件目)
1
大江健三郎追悼と故郷、内子町先日、大江健三郎氏が亡くなった。彼の小説世界が若い頃、とても好きだった。かれの生まれ育った、四国の山深い村を舞台にしたいくつかの小説が特に好きだった。おじさん旅で大江の故郷、内子町を訪問したことがあった。大江の生家は内子町から、さらに山間に入った静かな地域だった。おじさん旅では内子町と大江の生まれ育った場所まで訪問した。かなり前にアップした写真を再掲載します。内子町は重要伝統的建築群保存地区に選考まれている古い、歴史のある町です。かつてこの町は蝋で栄えた町。芝居小屋もあります。重厚な、火事防止の漆喰壁、アートな家並みが続く町です。歴史的な町の中から、外を写したところです。確か、こんな町並みが数百メートル続く町です。外部の造り、防火もかねて、左官の技術、技能たっぷりの豪華な造りの家並みが続きます。贅を尽くした造りです。かつて、地方には各地にこのような街並みが作れる力があったのでした。大江健三郎の生家は確か造り酒屋、だった記憶ですが内子町もかつては賑やかだったのでしょうね。大江の書いた、四国の山間のことを小宇宙と表現するかたが多いようです。ここにあるユートピアがあったように、大江は小説で書いていました。わくわくする、少し小難しい世界でしたね。でも面白かった小説の世界でした。読む終えると、少しパワーがついた感じになれたこと思い出します。青春時代でした。また思い出が一つ消えますね。
2023年03月20日
コメント(4)
谷中銀座へコロナ後、久しぶりに東京で会合、懇談会があって、そちらに参加してきました。朝、あまりに早くついて時間が余ったので、近くの谷中銀座を訪問。朝の事で、まだ店は多くはオープンしていません。こちらの階段もシンボルのひとつ何故かなつかしさが感じる階段。田舎とは違うなつかしさ、ここにはあるのです。夕方の景色はたいへんなものです。未だ人も出ていませんでした。下町イメージだけではありません。エスニック、グローバルかな。世界中の下町の雰囲気がある町でしょうか。かつてこの町が舞台の朝ドラがあったのですね。何となく知っています。間口、1間半の店舗が軒を連らねています。田舎ではこの混雑間がわかりません。この町には人が集まるのですね。こちらの野菜、果物のお店だけは間口は広かったですね。以前訪問した時は日中の頃、こちらの酒屋さんの前では、外で日本人、外国人、この箱に座ってお酒飲んでいました。今はどうなんだろうか?
2022年12月25日
コメント(2)
佐原、重伝建地区訪問今朝は寒かったですね。気温は氷点下4度道路はツルツルでした。きょうは今年最初の重伝建地区訪問です。佐原、伊能忠敬のふるさとこちらは事務所、玄関までのアプローチがすっかり白くなりました。1月上旬夕方の佐原、重伝建地区を訪問、寒いのですが我慢して町中を歩いてみました。佐原の水郷、利根川水系の運河が町中を流れています。今回3度目くらいの佐原地区です。夕方なので人通りが少なくなっています。佐原の町中に、町やを利用したホテル、宿泊施設が複数造られています。建物は古くても、建物内は今のセンス人気があって、価格も少しいいほうです。今回はこちらは辞退してリーズナブルなホテルにしたのですが、一度は宿泊してみたいですね。ホテルの隣は酒屋さん、みりんやさん。地酒をゲットですね。伊能忠敬記念館尊敬する日本地図を作ったご隠居さんですね。もう大変な方です。中高年の鏡です。地図の精度はとんでもなく高い。昔の技術も大変なものです。以前来たときは、もっと古かったですね。木造だったかな、立派な施設になっていましたが、入り口が閉まっています。閉館じかんでした。佐原の町中、重伝建の町、こちらも魅力的な町でした。
2019年01月19日
コメント(4)
仙台市定禅寺通り・北山仙台市定禅寺通りケヤキ並木紅葉が旬仙台市のこの通りは仙台を代表する町並みです。今、ここの通り車道を1つ消して、歩道を広げ、そこにカフェのような店を作ってはどうかそんな意見が検討されている。渋滞や荷物の搬出入が大きな課題ですが期待しています。定禅寺通り夏の終わりにはJAZZフェス初冬、光のページェントが行われる今年は寄付金が集まらず、縮小するとのことですね。そんな中、カフェで町をさらに美しくするのはいい案だと思いますね。日本を代表できる町並みになります。もしかして観光客数がかなり増加するかも。戦後植栽されたケヤキ並木これが見事な町の風景を造っています。メディアテークの建物も通りに映えています。定禅寺通りだからより美しく表現されています。設計の伊藤氏を氏の代表作としてこの建物を語っています。この街並みがあってこののメディアテークだと思います。こちらも仙台を代表する町の風景、1こまです。仙台市北山寺社仏閣が数多く残る町です。北山輪王寺山門この上に輪王寺があります。近くには青葉神社大崎八幡神社です。横田屋さんのお店子供たちへの温かい目線が昔からいいんです。北山、東北大学病院のすぐ近く歴史のある町こちら横田屋さんのすぐ近くに今度、イイミライエRC3階建て住宅を3棟建築、分譲を開始いたします。当方お気に入りの町、土地です。
2018年11月05日
コメント(2)
ちょっと休憩、1つの話おはようございます。こちらは今朝少し寒さも和らぎ、地面や水面は氷が張るかどうしようか微妙な気温。平年並みの気温だそうです。すこしずつこちらも春に向かっています。春と書いて「ハル」を思い出しました。ロボットスーツです。まだ経験のないロボットスーツですが、時代はすぐそこまで当たり前にロボットを使用するところまでやってきていますね。「ハル」はその1つの代表。ということを書くつもりはなかったのです。休憩閑話関西出張のおまけ、京都宇治へ大改修も終わった宇治平等院鳳凰堂へ急ぎ足、帰り脚で立ち寄ってきました。先に来たときは大改修中でした。平安時代の輝きがよみがっていましたね。本堂中には時間ないのではいれませんでしたが、本尊も遠くからお顔が拝見できるようになりました。工事中は建設用足場で隠れていたのです。 2月の宇治には観光客少ないですが、アジアからの方が来ていますね。家族連れ多かったです。京都宇治の店舗デザイン、いかにも京風かな。和が感じられるところです。東北でも、小さな町でもこの和のイメージは特に大事な要素です。町並みづくり、観光の目玉でしょうか。宇治橋。1つの話、今日の本題。デパート駐車場でのこと。ターンテーブルの駐車場前で、自分の車が目の前に来るまでの暫しの時間、空気がピンと張りつめるような特に寒さが感じられるときでしたが、駐車場係りのおじさんに「今日は特に寒いですね。外の仕事は大変ですね」と何気なく私から話しかけたのでした。自分自身も外での仕事が多いのですが、それは彼には言いません。 と、駐車場のおじさん、少し私のほうに体を近づけて、「実はですね、こうして外で仕事していると1つだけいいことあるのですよ。ここで働くようになってから、風邪ひかなくなったんですよ」と秘密を打ち明けるようにお話しするのでした。「それば良かったですね。寒さに強くなったのですね」かれはニコニコして頷くのでした。車がターンテーブルを回り、外に出るまで彼はニコニコして私を見送るのでした。こんな対応をしていただくと嬉しくなりますね。実際かれが風邪にかかりにくくはなったのでしょうが、仕事の中でいいところを即座に伝えられる彼はスペシャルですね。次にまたこの店来よう、この駐車場に車止めようという気持ちになりました。
2015年02月12日
コメント(4)
九州・八女福島 重伝建の町今年ここ宮城県で初めて村田町が重要伝統的建築群保存地域に選考されました。選考は文化庁が行います。何故か国土交通省ではないのです。建物、町も文化ということは当然です。八女福島今NHK大河ドラマ黒田官衛兵放映されていますが、ここは旧黒田藩が治めていた在郷の町この周辺の経済中心地。柳川の支所的な町らしい。江戸時代初めには城もあったらしが、20年あまりで城は無くなった。この町には武家屋敷群がないのですね。商人、職人の町が残っている。古い町は日本中かつて大火にあって町が焼けている。繰り返される大火への備えとして、白壁の漆喰、耐火構造の家並みが町中に続くようです。「うだつ」は火を防ぐものですが、この町にはそれがない。隣の家との境に、下屋が防火として造られている。軒先が短いのは道路拡張の時に削られた名残。 旧商人街今は食事ができる店、弓矢の矢を作る店が連なっています。店内をボランティアガイドさんの案内で拝見 ご主人弓矢を製造中床は昔からの土間たたき木造の柱や桁、梁、床材は昔からのまま。磨いて美しい。若い人が経営している。内装のインテリアも昔の味を出しながら現代風格子の建具、テーブル類も昔のもの 八女福島の町並みを散策するほかの団体の方に遭遇町は今もすこしづつ修復整備が行われている1人30万円を持ち寄って、壊れそうな建物を解体せず町並みに溶け合うように修復これはすごい町ですよ!町中に1軒だけ残ったというお茶屋さんに入るところ昔風のままのつくり店舗内かつてこの地域で作られていたかなりのお茶がここに集められて出荷されていたという店です。 離れの客間この町には特に宿泊するところはなかったので、特別なお客様を泊める離れだそうです。贅沢な空間でした。畳は張替えしていますが、他はむかしのまま若いご主人が店を継いでいます。若いご主人たちがこの町をまた元気にしようと燃え上がっているようです。続く
2014年10月14日
コメント(5)
重要伝統的建造物群保存地区島根県温泉津、石見銀山大森地区へ2つの古い家並みの残る町へ行ってきました。2つは石見銀山のおひざ元、そして銀を出荷した港町。温泉津出雲大社から宿に向かう途中、少しの時間この古い町を散策旅番組で時々紹介されている温泉地ですが、毛利氏の奉行がこの町をかつておさめていた時代もあった。秀吉、家康と石見銀山を手にしたものは、この港町も配下において、ここから上納される莫大な利益を得ていたらしい。今は古びた風情の残る温泉町、温泉津です。重要伝統的建造物群保存地域に選考される古い町ですから、気になる街並み、重要な建物もいくつも残されています。今回は時間の都合上街並みの散策で終わってしまったのですがね。すっかり夕方になって、観光客も宿に帰り静かな時間となっていました。この店、港から入ってすぐの店。1週間前にオープンさせた店。若者たちが開いている雑貨店でした。2階へ 箱階段を上がると猫が待っています。和座敷で温泉津の写真展若いスタッフの方が説明してくれています。片道3時間の道を通っているそうです。欄間の木彫りは、日本の風景と南国のヤシ。さすが貿易の町です。今夜この境内で神楽が奉納されるそうです。夜7時から、未練はあったのですが時間がね。温泉街でした。和風の喫茶店、夕方なのですがお客さんでいっぱい。神楽の時間まで待っているのか?温泉津、いつかはゆっくり泊まりたい町です。次は大森です。
2014年05月09日
コメント(4)
ヘリテージマネージャー養成セミナー野外編毎週土曜日の午後、昨年後半頃から建築士会による歴史的な建造物の評価、保存、そして歴史的な町並みの保存や修復を意識したヘリテージマネジャーという名称のセミナーに参加しています。日本各地の重要伝統的建造物群保存地区をここ数年以上、時折めぐっていますが、それを学問的に詳細に調査する勉強の場です。14回、土曜日の午後開催されています。残り4回。先日は仙台の街に出て、野外調査一部をご紹介します。仙台市河原町にある旧宅江戸時代、ここは大きな街道の場所。道の両側にはかつて店が連なっていた町でした。その名残がこの河原町周辺にはのこっています。こちらのお宅もそうです。旅館にもなっていたようですが、今は普段の生活には使われていません。維持がもう大変です。広縁の天井には長い丸太の桁が鈍く光って、存在感があります。庭も仙台以内の市街地とは思えないほど、広く、手もかけられています。増築部は西洋風。和洋折衷の玄関付近。維持管理が難しいようです。 次は斜め向かいの元薬屋さん?街道沿いの店。1階が店、2回が倉庫兼住み込みのかたの住まいだったようです。江戸時代の建物です。東日本大震災後、世界からお金が集まって入口等修復したそうです。市の指定にもなってます。続く
2014年02月13日
コメント(6)
田尻建築倶楽部 おじさん3人旅 信州最終日あこがれの酒場放浪記実は前日の長野駅周辺の居酒屋では2軒目のはしごをもくろんだのでした。BSテレビで毎週放送されている吉田類の「酒場放浪記」を3人とも時々見ているということが分かったのでした。それでは長野市内のそれ風の店へ行くことにして町を歩いたのでしたが、いかんせん情報不足。ホテル方面に歩きながら店を探したのでしたが、おじさんたちの琴線に触れるそれらしい居酒屋を発見できず、ホテル内で信州そばをいただいて御仕舞となったのでした。吉田類風の酒場放浪は来期に持越しとあいなったのでした。(健康にはよかったのでしたが)最終日、ホテルを出てすぐ向かう場所は近くでは寺社仏閣が多い。早くから入れることもある。そんなセオリーを守って、長野市といえば善光寺をお参り。天気も良くて気持ちもいい。次の目的地は小布施町。ガイドさんと10時に北斎館前で待ち合わせ。久しぶりに小布施町を訪問しました。最初に来たときは商工会青年部の事業でしきたのです。あれから20年近い年月がたっています。町づくりどのように変わったのか、おじさん3人旅の最後のハイライトです。洗練された町が広くなっています。各店店のセンスが抜群。町並みもさらに美し変化していた。ガイドさんから幟の広場、駐車場の作り、家の移転について教えてもらいました。周囲の土壁、屋根瓦の修復もできるだけ現状に近い姿で修復すると説明をうけています。小布施の町づくりは、保存ではない。修復作業なのでした。北斎館前から続く栗の小径。この道の両側も少しづつ整備されたようだ。店もかわった。それとオープンガーデンが広まったこともあり、個人の庭の前をあることができるようになった。この店も修復してできたもの。伊那にある自然食品の会社がスポンサーとなり、小布施の町並み、町づくりに賛同して店をオープンしている。田舎にあって、粋な店です。街のなかにこんな景観があちらこちらのある。小布施には年間120万の観光客が集まる。そしてついの住処として住むかも今もって増え続けている。長野市から20キロという立地条件の良さもあるが、長い時間をかけて町を修復しつけた町の人たちの努力が、今も実っているその姿だともいえます。日本の町づくりに大いに参考にすべきすばらしい小布施町なのでした。これで今年のおじさん3人旅は終了でした。信州からの帰り道、中野市から白根山を越え、草津温泉に寄り道して、あの八ん場ダム周辺を見て、関越道、北関東道、東北道と走って帰ったのでした。やっぱり疲れましたね。
2012年06月25日
コメント(4)
京、町や大工さんの本京都の町やが近頃人気です。町並みという言葉を時々使いますが、実は京の町並みを含めた、隣の家々、全全体の家々の形、大きさ等、外観を他と際立て違わないようにしたのが町並み、「ちょうな」と言っていたらしいです。人並みと同じ意味です。今は隣と違った家並みでも、町並みという言葉を使いますが、以前の町並みは隣と同じ姿格好ということで、それがもっと大きな広い町並みの姿を作っていたようです。「京 町家づくり 千年の知恵」山本 茂著 京都の町から次々と町やが消えていった。今は町やのブーム?若い人、特に30歳前後の女性たち、創作家たちが集まってくるそうだ。はたして一過性で終わらないか大工さんは心配している。そんな中、鉄筋コンクリートづくりのホテルを解体して、京町やの木造旅館に立て直した旅館の設計、工事かかわる。現代の京都市内で木造、町や風の旅館を建てるのは、様々な法律上の問題で不可能に近いこと。銀行も相手にしてくれない。今から20年前のことだったようですが、その後、同じような考えを持つ人も増えて若干、苦労しながら町や造っている。改修ですと規制が少ない。新築は許可が難しい。生活としての町やは、今の都市生活流の便利さからはかけなれ、不便だ。町やに住むには覚悟がいる。気密性の良い現代のハウスになれた人は町や生活には遠い。(そんなことを書いているすばらしい本です。)でもまた見直しが始まった。一過性でない町やの再建であることを期待したい。
2011年09月19日
コメント(4)
全10件 (10件中 1-10件目)
1