全26件 (26件中 1-26件目)
1
話題になっている例の議会でのヤジ映像がニコニコ動画にUPされて、それに対して女性議員側、男性議員側双方に口汚い差別的描き文字が右から左へダーッと流れる様子を見ると、この差別的な言葉を書き込んだ人は議会の席からヤジを言っている人間と何の差があるんだろうと思ってしまう。 ネットだろうがりあるだろうが、この手の差別的ヤジを飛ばしたりコメントで書き込むことの差はない。どっちも相手を傷つけ、笑いものにすることに対して娯楽を感じている。訴えた女性議員も過去のTV出演時の発言や自分のネットでの発言を掘り返され、今、逆に攻撃される側になっているように。 こういうことを言うなとは言わない。それをやったらそれこそ思想、表現の自由を奪う行為。だが、それを気軽に言ってあとで困る言葉であることは自覚した方がいい。大した覚悟なく、その場のノリと勢いで言ってあとで身元がばれて立場をなくすのは間抜けなことだから。
2014.06.29
コメント(0)
日本のサッカーのレベルが上がってきたな、と実感するのは、今回ぼろ負けだといわれていますけど、日韓Wカップがあった時には「何としても自国で開催されるWカップに出場すること」が目標であったことを忘れている人が多い、そのぐらい世界との実力差があったのですから。でも今大会は「Wカップ出場当然」ぐらいの雰囲気で。 日本が弱い、というより、それだけ世界が強い、という印象で。逆に野球の世界だと日本のプロ野球を見ていると「こんな球取れて普通だろ」ってプレイでエラーする他国チームもある。聞いたらプロ野球自体が存在しないとか。 そのぐらいその国での層の厚さは世界で実力差になる。個人技でないスポーツの場合、それはさらに顕著でしょう。 サッカー漫画の名作「俺たちのフィールド」が描かれた20年前、たしかJリーグ発足だの、ドーハの悲劇だのが日本のサッカーの歴史であることを考えると、世界水準はまだまだ遠い、と思えると同時に、これからこれから、とも思えます。
2014.06.25
コメント(0)
今はそういうイメージが薄れていますが。私の学生時代はゲームセンターというのは不良のたまり場、行っちゃいけない場所というイメージが強い時代でした。現にヤンキーのたまり場的なこともあり、薄暗い店内はカツアゲや喧嘩などもあって、いわゆるゲームが好き、という自分みたいなヲタク系田舎の人間にとって、ゲーム雑誌に取り上げられるアーケードゲームの華やかなゲームを遊びたい、けど怖い・・・な、場所でもあり。 で、その状況を一転させたのがいわゆる「明るいゲームセンター」。店内が明るく、景品ゲームも豊富、最新ゲーム筐体も続々入荷、店内を常に店員が見回っている、女性や子供でも気安く入れる楽しい雰囲気の場所で。 ゲーム自体が同じ格闘ゲームやシューティング、アクションであっても、その器が違うだけでイメージが変わる。こういうことって本当の意味で「ゲームの社会的認知度を上げる」効果があると思っています。 最近はゲームセンターという存在自体が経営難から町から消えていく時代ですが、明るいゲームセンター施設の一般に対するゲームのイメージを変えたという功績は大きいと思います。
2014.06.24
コメント(4)
パクリ論について。 何かヒットしたり、注目される作品が出ると、必ず「○○のパクリだ」的なことを書き散らす輩がいる。で、ここで問題なのはそのパクリ論を騒ぐ人間がその作品なり、パクられ元になったとされる作品の関係者だったり権利者ではないことがほとんど。 前に小説家の冲方 丁先生が自身の作品を盗作された件に関して、協議の結果本人はすでに社会的制裁を受けているし反省しているからこれ以上の追求はしない、自分も多くの作品に影響を受けて育ってきたから今後、努力し独創的な作品を描いてくれることを望んでいる、という、厳しくも同じモノつくりにかかわる人間として暖かい寛大な処置をされました。 で、実はその返す刀で「ところで(パクリだ論を振り回す)あなたはいったい誰ですか?作品のファンでもなんでもない人なのではないですか?」と・・・ これはよく考えたら、たとえば芸能人の不倫とか個人的スキャンダルに対して「社会的説明を求める!」と家の前でマイクを突きつけたり、記者会見を開かせたりするのと同じ。一般人の生活で浮気なり、その手の騒動があっても個人的、当事者、関係者の問題でしかなく、ましてや赤の他人に説明、謝罪する必要はない。 ネットのよくあるパクリ論に関しても「○○が××に似ている、だからパクリだ!」と騒いでいるのが完全な炎上目的、任期作品を貶めるために共通点だけをあげつらい、貶め、混乱させるだけの行為であり。 そして 冲方先生のおっしゃるようにそれは「あなたは誰ですか?」と問われれば「作品内容も面白さも何も知らない、単に正義の鉄槌じみたものを振り回し、騒ぎたいだけのガキです」としか。
2014.06.23
コメント(1)
前に聞いた話。 アメリカである青年がユダヤ人差別のヘイトスピーチを行い、警察に身柄を拘束された、その際に弁護にあたった人物はユダヤ人の弁護士だった。 裁判の結果、その青年は無罪として釈放される。その青年は「今後もこういうことを言ってやるぜ!」と思想を変えない宣言。それに対して彼の弁護士は「表現の自由を守るというのはこういうこと。弁護士というのはこういう職業である」と。 この一件の中に「表現の自由の大切さ、個人の思想の自由さを守ること」の複雑さ、大変さが出ている気がします。 自分の思想の自由を守るというのは、他人の思想の自由も認めなくてはならない、ということでもあり。自分と真逆の思想を持つ人間に出会ったとき、どういう行動をとるのか?説得か?対立か?理解か?あるいは無視か。 それすら表現の自由の一つであるという。 なかなか悩ましい
2014.06.21
コメント(0)
都議会議員のセクハラヤジについて思ったこと。 発言権のない人が議員席のどこからかあの手の差別的な暴言をヤジとしてわめく、ということはよくありまして。しかしこれってネットで匿名なことをいいことに国籍や性別、容姿に関して差別的発言をガンガン書いているのと大差はないと思ってます。 どちらも表立って顔を見せないから過激なことを言える。暴言が書ける。議員会場で「子供が産めないんだろう!」とヤジを叫んだ誰だかわからない議員と、ネットの匿名掲示板で「女なんて~」的発言をしている人間に、そう明瞭な差はない。ネットを見ればもっと過激な言葉をノリやファッション感覚で使っている人間もたくさんいる。 「いや、ネットと違ってあれは議会という公の場所で言っていい場所じゃない~」という人もいるかもしれないが、ネットでもリアルでもどっちも同じ。その手の発言というのは自分の脳内で思っているだけなら、表に出さなければ問題ないけど、どんな形であれ個人が特定できる状況で外に出したら世間からそういう反応がある。その反応が怖いとわかっているから、ヤジや便所の落書き的なネット匿名を使っている。過激な差別発言ができる。 以前、匿名掲示板の情報流出から作家の発言者のIDがばれて多くの差別発言の履歴が表ざたになって謝罪、というケースがあったけど、その手の過激な発言は社会的地位を失っても言わなければならない、という覚悟がない人間には、あまりに重すぎる言葉であることは自覚すべきだと思う。それだけ他人を理不尽に傷つける可能性がある言葉であるのだし。 ネットにあふれる「本音」と称した差別発言と上のヤジとの差はなく、どちらも特定されると困るのは発言者だ、という話で。 表現の自由とは「こういう言葉も発せられることを許されている世界」でもある。これはマンガやアニメなどの表現規制反対する側が常に自分の中に持たなければならない矜持で、ここに関して「そういう発言をした人間を罰しろ」とは思わない自分。とくに過激発言(ネットでの書き込みも含む)に対して、同じ言葉で集中攻撃を喰らっているのは相手にも同等の発言する表現方法があるということ。相手を(言葉で)切りつけた分、自分も切り付け返された、ということになる。 発言の責任を取るというのはその発言で自分がどう思われるか、であり。その発言行動の自由は認めたい。その過激な発言で傷ついた側の人からボコボコにされる覚悟の上で、だが。
2014.06.21
コメント(0)
「ゼルダの伝説 風のタクト」を解析してわかった任天堂のすさまじい技術 おおい!どこから突っ込んでいいやら・・・ たとえば地形に合わせて足の位置が変化するIKはバーチャ2でもやってます(リングアウトになるときに足がかくんとなる)し、鉄拳4でもバーチャ3でも地形効果に合わせて足場を変える処理はこのゼルダのずっと前からやってます。 炎の着弾によるアンビエント効果の変化はそれこそPS1時代からやる演出ですし、髪の上から眉毛が見える効果も表示の描画優先度を変えるという比較的よくある手法です。揺れものをリアルタイム計算は当時も常識的な処理の一つでもあり。 なんだろ?この記事を書いた人間が「驚いた」というのは、単に知識がないから、ってことじゃないかとも思います。 私だけでなく、多くの現役開発者の方がツイッターで同じように突っ込んでしましたが。ひいきの引き倒しにはならないように、また、写術的技術があるからそのメーカーのゲームが面白いのではない、ということも覚えておきたいです。
2014.06.19
コメント(3)
Web上のウザイ広告、特に最近よくあるマウスカーソルが重なっただけで動画が上映されるような広告、あるいは画面スクロールに合わせて延々両サイドに重なって出続ける広告を見て思うこと。 これって本当に商品を売るつもりがあるのか?広告って基本はお客に「買わせるために」人の目を集めるモノだけど、歩道を歩いている人の腕をいきなり無理やりつかんで店内に引きずり込んで商品を買わせようとする行為じゃないか? そんな状況でどんないい商品であると説明されても不快感しか湧かない。むしろ印象が悪くなる。 炎上系アフェリエイトサイトがPVを稼ぐために過激な見出しやデマで人を釣っている状況を見ると、そういうサイトにCMを出すこと自体、商品の価値を下げている気がする。 「悪名は無名に勝る」と言う言葉があるけど、一度ついた悪名は容易には払しょくできない。むしろ悪名を広げたおかげで信用を失うことは考えないのだろうか?
2014.06.18
コメント(0)
「この仕事は全部君に任せる」というのは、ドラマなんかだとかっこいい上司のシーンに思われがちですが。 私の場合、仕事の中身はその人に任せる、けど、スケジュールが遅れているようならその権限(自由度)をどんどん剥奪していくよ、というスタンスです。 これは、以前の会社でデザインディレクターのこだわりでスケジュールが大幅に遅れている、プログラマーなど他の部署からも「いい加減にしてくれ」という抗議があった、にもかかわらず「デザインのことは彼に全部任せてあるから」というチーフディレクターの言葉でそのまま継続、結果、大幅に遅れた上にこだわった部分は全く売り上げに関与していない細部ばかりでゲームの評価にもつながっておらず、その遅れは結局デザイナーの自己満足でしかなかった、という。 こういうことって勘違いとしてよくあるんです。 私のやり方は「好きにやれ」「細部のクオリティーよりスケジュール厳守」「ダミーデータでいいからとにかく一通りゲームの素材をいち早くそろえる」「大幅に遅れているようなら、その人の作業権限を小さくする」とやっています。 パンチの拳の握り方や肘の角度にこだわるより、雑に作ったパンチモーションを早急にプログラマーに渡して組み込んでもらう方が全体の完成度を上げることになる。 料理に例えると「無農薬天然素材をこだわって集めたけど、時間がなくて調理で火が通っていない生焼けの料理を出すような仕事はしたくない」ので。
2014.06.17
コメント(0)
別の方面から労働力確保の移民政策に反対する理由として。 現在、同国人でありながら過労死やら違法労働、残業代未払いを公然と行っている企業が、安い労働力として海外移民を受け入れる、という政策をしたらどうなるか、簡単に想像がつく。 そう、さらにひどい労働環境を彼らに押し付け、虐げる目的であることは確定している。現実に海外から「技術研修」と称して中国人労働者を呼び、最低賃金以下の給料で日本以上の過酷労働をさせ、たまりかねた労働者による傷害事件にまで発展したケースがある。 少なくとも労働、というものに関していえば、日本の企業は平気で法律を破る。企業努力、というのをシステムを変えるのではなく、社員の給与から引くことで達成しようとする。しかし、その達成した恩恵はだれが受け取るのか。 そこに更に海外の安い労働力、という、それこそ奴隷扱いの人を入れれば、彼らも不幸になる未来が見える。その不満は他国でもあったように国内での民族対立や差別を容易に生む。 自国民を大切にしない企業がどうして他国の人権を守るというのか?
2014.06.16
コメント(6)
芸能人が知らない間に撮影された写真をUPされて抗議のツイッターをしたところ、「それが有名税だろう、文句を言うな」的反応があることについて。 この有名税という言葉は「お客様は神様です」と同じで芸能人の側が思う事であり、客側が自分のわがままや理不尽の正当化をする口実ではないと思います。 私生活でのファンとの交流は基本的に芸能人側の「好意」でしかなく。ましてや、失礼な行為や暴言をあびせて怒らせたことを「肝が小さい」などという身勝手にすり替える人間の方がおかしい訳で。 あなたはテレビでその芸能人をよく知っている「つもり」かもしれませんが、相手はあなたのことなど何も知らない。赤の他人同士なら赤の他人同士の接触の仕方があると思います。
2014.06.16
コメント(0)
自分のようなゲームつくりの仕事をしている場合、面白い仕事というのは最終的に「クオリティーレベルも含めて自分の決定権が大きい仕事」だと思っています。 だから、それがない仕事というのはつまらない。他人の決めたこだわりを細部まで再現するのは勉強になることはあってもやっていて面白い仕事だとは思いません。 だから私も自分が部下に仕事を振る場合、基本的な方向性を示して「やってはいけない事」だけ徹底し、あとは本人に任せる、という形で。 自分と他人は脳の中身が違う。だったら自分の脳内イメージ細部まで正確にトレースさせるより、本人に任せてその差を楽しんだ方がいい。その方が作っている側にも余裕が生まれる。 他人と自分の脳がどれだけ違うか、というのは、たとえば「右手を挙げて」と言った場合、肩の高さなのか、思いっきり上までぴんと伸ばしたのか、肘を曲げた軽い上げ方なのか、手の平は握っているか、ゆっくりなのか?素早くなのか? これらを説明しないと他人には自分のイメージした「右手を挙げて」という挙動を伝えられない。それを怠った上で「あいつは使えない」というのは自分の脳内を外に出す能力が劣っている(伝わっていない)証拠でもあり。 作品のすべてを天才的な感覚と仕事量をこなせる宮崎駿さんのような人間じゃない以上、私は他人に頼ります。
2014.06.16
コメント(0)
勝負は何が起こるかわからない、とはいえ、たとえば冷静な戦力分析で「日本は負ける」ということがTVのWカップ番組のコメンテーターが言えない現状を考えるに、当時の工業生産力差が桁違いだったアメリカに「短期決戦なら日本は勝てる!」と突っ込んで行った日本がほとんど変わっていないのは笑えないよな・・・ こういうのは気持ちの問題、とか、勝利への執念とかみんなの応援、で勝てるといまだに信じているのか?あるいは、雰囲気的に負ける、ってことを言うと周囲から袋叩きにあうから黙っているのか。 いずれにせよオリンピックなどで必ず勝っても負けても選手に対して試合後に「国民の貴重な税金を~」の言葉を言う人間は出る。しかし、それこそ勝負の世界は何が起こるかわからない、という結果であり、ましてや他国をたたいたり、自国の優位性を何もしていない側が賢しらに威張り散らず場ではない。あくまで死力を尽くす選手同士の戦いの場だ。結果に誰の責任もない。 自分も含めて普段そのスポーツに興味のない人間にとっては試合内容は関係なく「日本が勝ったか負けたか」のみの興味でしかないんだろうし。
2014.06.15
コメント(0)
笑える内容ですが、深く考えれば考えるほど恐ろしい形で警察権力が表現の自由を侵害しようとしている図式です。検察の主張を覆した「ロリ系女優の貧乳」この手の案件で一番病理だと思うところは、検察側が「証拠もないにもかかわらず、犯罪者として仕立て上げようとしている点」です。問題となっているCGを「未成年の少女の写真を模写したものであると思われる、から児童ポルノ」という、えらく遠回しな理由。しかし、こんなやり方で逮捕されてはたまったものじゃない。 上のやり方が認められるとしたら、たとえば推理小説で実際に行われた犯罪のまだ捕まっていない犯人の行動に似ている、だからこの小説を書いた人間は犯人だ。ということすら認められてしまう。 さらに、胸の大きさから年齢を推察するタナー法という手段。これは証拠がCGである場合、たとえばフォトショップなどで胸の大きさは簡単に細工できる。だとしたらこんなものが証拠になりえないことは明白。いったい何を根拠にしているのか? もっといえば、上のCGの元になる写真をみつけられたのか?その少女は本当に未成年だったのか?未成年であったとして、それが本当に児童ポルノの写真なのか?当時発売が許されていた書籍であった場合、所持していても現行法では何も触れられないのではないか? 性的な表現、というのは後ろめたさがある分、権力による強引な規制を受けても理詰めの反論者が逆に非難の対象にされやすい。権力のこの手の表現規制に真っ向から対決する弁護士や政治家が「あの人はスケベ」扱いされる。 しかし、実際はこういう理不尽を許す糸口になる。戦前日本の表現規制も最初は一般に理解されやすい「エロス」を口実に広がっている。やがてそれは国家にとって面倒なものは違法、につながった。 そういうことがあってはいけないと思う。
2014.06.14
コメント(3)
細かいこだわりは自分でやるべきである、というお話。 たとえばモノつくりにおいてやたらに細かいチェック&修正を要求する人がいる。何度も何度も「ここは違う、ここはこう、もっとこうして」のようにやり直し再提出をさせる。 しかし、この手の修正は初見で見た人にとって「何が違うの?」レベルのことが大半。細かいということは変化も微量にしか動いていない。 大胆な修正の場合は違いがはっきり出る。が、細かい修正は結局時間がかかる割に修正を指示した側の趣味の領域でしかない。 前に呆れたのは、恐ろしく細かく修正したモーションのデータがゲーム上だとエフェクトに隠れてしまい、まったく見えない。こだわった肘の角度も膝の向き、指の形も全く画面に反映されていない。これは完全な徒労でしかなかった。ためしに修正前のデータを入れてみたけど作った本人以外、誰も気が付かなかった。 だから、こういうことはこだわりのある本人がすべてのデータがそろった時に自分でやるべき。この手の修正が長引くのは当たり前。自分の頭と他人の頭は違う。ましてや、それが出来ない相手にイラつくのはナンセンスだ。 細かいところにこだわりを持つあまりデータが遅れ、いつまでたってもプログラマーがゲームに乗せられない、という迷惑はこだわりで出来の悪いものを作っている証拠。
2014.06.13
コメント(0)
先日のTBSラジオ「伊集院光 深夜の馬鹿力」で聞いていた時に「あ、これ絶対にまとめサイトあたりが歪めて取り上げるな」と感じたとおりになりましたが。 内容はリスナーからのメール質問に答えるコーナーで「マリオカート8は買いですか?」という質問に対して伊集院は「おもしろい、でもWiiUを持っている周りの身内がいないから盛り上がりにくい」という発言をしました。 で、一連で話を聞けば伝わるのを「WiiUを持っている人が少ない」というところだけピックアップしてまとめサイトが取り上げている。「伊集院、マリオカート8に苦言」のようなタイトルを付けて。 似た様な事はまとめサイトでなくてもライブドアニュースがパロディー漫画家の田中圭一さんがツイッターでわざわざ突込み場所まで書いたボケコメントを、その部分を抜いて「漫画家・田中圭一氏が批判」 のような見出しをつけてPVを稼ごうとする。 なんだろな・・・政治家の発言を切りぬいて本筋とは違う過激発言として見出しに使う週刊誌などの報道と全く同じやり方で。で、それ(炎上)を商売にする連中は「誤解を与える発言をした方が悪い」という逃げのスタンス。 注意深く誤解を与えない発言をしても、そういうやり方をされれば簡単に誤解を与えて使わる。その場合の伝達力は過激なほど、有名人や知名度があるものほど広がりやすい。 誤解を与える様に伝える人間は炎上を楽しんでいる。だから「でも話題になって本当は嬉しいんだろ」のような思考になるのだろうな。
2014.06.12
コメント(2)
今回のE3(アメリカのゲームや家電などのショー)で画面を見ていて「面白そう!」とおもった作品にWiiUのSplatoonというTPSがありまして。 映像を見ていただければわかるとおもうのですが、とにかく「極彩色」でにぎやかであるという事。自分のチームの色で街を塗りつぶしての陣取り、というこれまで相手を何人倒したか、に終始してきたこの手のゲームとはちょっと違ったタイプなのが動画からも伝わってきます。 で、以前に任天堂の宮本茂さんがインタビューでどうして任天堂は海外で主流のリアル系TPSやFPSを作らないのか?という質問に「リアルなその手のゲームは作ろうと思えば作れる、けど、任天堂独自のものを作りたい」と言ってましたが、このゲームがその「任天堂っぽい」ゲームなのかなと。 たとえばレースゲームでも他社がリアル路線やタイムアタックに終始していたのに対してのマリオカートであったり、どんどん複雑、高度化していく格闘ゲームに対してのスマブラであったり。 あと画面の実写的リアルさというのはマニア以外に人にとって「面白そう」を拒絶するファクターになる(それだけで緊張や難しそう、という敷居を上げてしまう)ことがあるだけに、こういう割り切ったデザインは好きです。とはいいつつリアルタイムでどうやってるんだろう?という処理をしているのは高い技術力を感じます。 このゲームが売れるかどうかは別にして、こういう画面を見て「面白そう」と一瞬で思える要素は大切だなと。
2014.06.12
コメント(0)
児童ポルノ関連の話題が続きますが。 土屋議員の語っていた「劣悪なマンガ」とはいったいなんなのだろう、たとえば「通学途中の幼女が誘拐され、汚いおやじたちにめちゃくちゃにされ、何の救いもないまま終わる」というエロマンガがあります。 で、私はこれを「劣悪」だとは思わないんです。そういうマンガの好き嫌いはあっても、たとえばこのマンガの絵がすごくえっちだったり、シチュエーションや描写が生々しく迫力があるものであったとしたら、結末に嫌悪感を持ったとしても「面白いマンガである」と読みます。 しかし、その判断をするのは読者一人ひとりであり。そして、判断できるためにはそういうマンガが発表できる表現の自由がなくてはいけない。その大前提を土屋議員は無視しようとしている。 土屋議員の議事書きおこし文を読んで何が一番腹が立ったか、といえば、「マンガ文化はすばらしい」とまるで自分が理解者であるように語っていること。彼が素晴らしいと例に出した手塚治虫先生が、どれだけその手の「マンガは低俗、子供のためにならない」という世論と戦ってきたか?彼のエッセイマンガの中でも当時の政治家が「けしからん!けしからん!」と権力を振り回していたのと全く同じことをやっている自覚がない事。 そのすばらしい手塚先生の「MW」を読めばいい。上の例に出したエロマンガも真っ青な作品です。
2014.06.10
コメント(11)
たとえば部活でミスした生徒にたいして殴る、真夏の炎天下、水も飲ませず倒れるまで練習させる、時代錯誤な校則で冬場なのにコートを着てはいけない、髪型まで統一させる・・・ こういうものを「学校教育として」おこなう環境こそ本当の児童虐待とは言わないのが不思議
2014.06.09
コメント(0)
背筋がぞっとしたツイッターまとめを誤解されやすい児童ポルノではなく【児童性虐待記録物】と呼ぶべきこちらの写真。ランドセル背負った幼い子が目隠しされ拘束されている、いかにも児童虐待に見える。 が、この被写体の方は成人。しかも「男の娘」であるわけです。で、コメント欄で「これは、明らかに児童ポルノだよ!」と噛みついている人がいる。え?どうして? で、コメントの中で「いくら成人であってもそう見える写真は児童ポルノである」と・・・おいおい、じゃあうまれつき童顔、幼児体型の人がAVに出たらだめなの?子供っぽい服(ロリータファッションやスクール水着など)は着て写真を撮ってはいけないの?「表現の自由はなにをやってもいい、というのではない、といいつつ、成人の本人が自分の趣味でもって法律に違反しない写真であるにもかかわらず、それを見た側が「これは幼女虐待に違いない」と思えば逮捕できるような恣意的な法律なんだよ? で、この国は自宅前にパトカーが止まったら、その人がたとえ後に無罪であっても近隣住人から犯罪者として見られる。以前、痴漢冤罪事件でも長期間留置所に拘留されたため会社をくびになった人がいましたが。一度でも警察に取り調べを受けた、となったら無罪であったとしても社会的地位はガタ落ちです。 マンガやアニメで幼女に見えるキャラの裸はダメだ、のように、この手の冤罪と同じく「〇〇に見えるから」で証拠もなく犯罪者扱いできる、そんなひどい法案なんですよ。 で、本当の意味で恐ろしいのはこの手の法案に賛同する人が必ずいうのは「常識で考えろ」という決まり文句。しかし、その常識が個人によって全く違う。世の中には全裸無修正が常識の国もあれば、それこそ水着すらNGの国もある。日本国内でもこれだけ意見が分かれる時点で「常識とは何か?」が定義できないのがこの手の表現規制の問題です。定義が出来ない以上、立法化すればいくらでも拡大解釈できる。孫と一緒にお風呂に入っている写真を「児童ポルノである」と言われない、などという安心の根拠はない。 「たとえ法律を守っていても見た目でそう見えるモノは児童ポルノ」というのはそのぐらい狂った意見。そういう論理的な思考ができない人間が「常識」を振り回すから恐ろしいのです。
2014.06.09
コメント(0)
国会で「劣悪なマンガを表現の自由という名の下に野放しにしていいのか」といっていた議員がいたけど、こういう人は世にある低レベルなもの、未熟なもの、稚拙なもの、取るに足りないものを市場に出さないようにすれば世の中が「いい作品ばかり」になると思っている、創作活動をしたことのない、単なる客側、消費者の側でしかない人間なんだろうな。 たとえばわかりやすい例だとコミケ。あの空間はそれこそプロ顔負け、あるいは本業のすざまじいレベルの高い作品もあれば、デッサンどころか線もおぼつかない稚拙な作品も一同の場にある。ジャンルもどエロから高尚な思想、下品なギャグ、地道な研究本、その他あらゆる趣味が混在し、だからあれだけの熱気がある。サークルスペースの机半分を確保したら、どんなレベルの人も出展できるし、買う側も選ぶ事が出来る。 しかし、このイベントを「デッサン力がこのレベル以上」「作品の内容はこういうものは認めない」「倫理的、社会道徳的に間違っているものはダメ」などということになったとしたら?それは単なる企業コンペと同じで多くの人が参加する価値がなくなる。多様性を認めない市場はピラミッドの底辺が狭いのと同じで結局高くは積み上げられない。99%の駄作、凡作があるからこそ1%の歴史的傑作が生まれるんだ。 上の国会議員の物言いでなににカチンときたかといえば「出来上がった作品の上澄み、名作とか傑作ばかり集め、それ以下を足切りすればマンガやアニメなどの文化がすばらしいものになる、だから国が規制すべきだ」と思っているおごりだ。 冗談じゃない。多くの価値観や表現を認めたからこそマンガもアニメもここまで日本では普及したんだ。 そんなこともわからない人間に法規制などさせられてたまるものか。
2014.06.09
コメント(6)
検証されない仮説によって法律、規制をつくるべきではない~自民党橋本岳議員・法務委員会質疑書き起こしこれは非常に論理的、かつ、法律というものを推論や憶測、予防検閲的に作ってはいけない、ということを非常に丁寧に説明しています。 で、厄介なのはこの噛んで含めるような丁寧な説明をしても「うるさいうるさい!俺が正しいの!屁理屈いうな!常識で考えろ!」と、耳をふさぎ、大声で喚いて法案を通そうとする人間がいること。 刃物で人を刺せば怪我をする。しかし、だからといって台所包丁をそういう目的で所持している人はほとんどいない。にもかかわらず「包丁を持っていたら犯罪者とする」だとしたら? 検証されない仮説によって法律を作るというのはそういう事であり。特に同じ自民党内の土屋議員が劣悪な漫画を「表現の自由」という理由で野放しにしてよいのか~自民党・土屋正忠議員法務委員会質疑書き起こし こういうことを平気でのたまわっている。劣悪とは何か?自分な嫌いなだけではないのか?お前の趣味に全てのマンガを合わせろ、というのか? つくづく思うが表現の自由には責任が伴う、けど、いわれのない責任、たとえば「その本を読んで影響を受けて性犯罪を犯した」みたいな責任は犯罪を犯した者が負うべきであり、書き手にはそれ以上の責任はない。そんなことを有罪にし始めたらどんな人間も証拠なく憶測で逮捕できる。書は単なる印刷物でしかなく悪なのではない、実際に罪を犯した者が悪なのだから。 それが戦前の思想統制であったことを忘れてはいけないし、大虐殺につながった中国の文化大革命やナチスのユダヤ人狩りでもある。 理論的な思考というのは、自分に不利益であっても納得しなければならない思考でもあり。でも、この土屋議員にどんなに説明しても「納得できない、ダメなものはダメ」というだけなんだろうな。論理的な思考が出来ていない人だから。
2014.06.07
コメント(1)
こだわり、というものに関して。 先週末ですが、自分が作っている同人ソフト「HIJK!」が最初の完成をしました。足かけ3年かかりましたが、途中途絶えることなくコツコツ計画通り、というやつです。 この「最初の完成」というのは、一通りゲームとしてスタッフロールまで通しで遊べる、これをこのままコミケで販売しても最低限文句が出ないレベルでの完成、ver1.00というやつ。実際には1年前にすでに絵素材が完成していない、通しプレイができる状態で出来ていたので、ここまでの期間は絵待ち&アニメの着色作業でした。 で、ここからは純粋にクオリティーアップの期間。最悪なくてもいいアニメーションカットや背景の追加など、あくまで追加要素。この期間が長いほど「こだわれる」と思っています。 おかしな話でプロのゲームつくりだとこの期間が極端に少ないことが往々にしてあります。開発終盤になってもOPからEDまでの通しプレイがいつまでもできない。個々のパーツだけクオリティーが高いものを作ったけどまとまっていない、下手したらまだ足りないパーツがある。 商品にならないものを「こだわり」と称して作っているような。こういうソフトは重大なバグを孕んでいることが多い。 私の場合、モノつくりではとにかく細部が雑でもまず「完成させること」が本来重要だと考えています。早く完成させれば問題点が見えてくる。仮組みの段階で「あ!やばい!」ってことがわかれば早急に対応できる。作りこんでしまってからの修正はさらに時間がかかる。 それに基礎を一通り作ってしまえば、ものすごく気が楽になるんです。あとは積み上げるだけ、磨くだけ。ここからは作業のすべてが作品の良さにつながる。残り期間と見比べて作業の優先順位も付けやすい。デバッグもできる。 こだわりの勘違いをしている制作者はパーツのクオリティーにのみこだわって、結局最後はデスマーチ、ってことが大半です。そういう仕事を見てきただけに、そうはならないように出来たことも含めて。さーて、あとはコミケ当落がどうなるか。落ちたら冬までさらに開発伸ばせるしw
2014.06.05
コメント(0)
次世代規格の4Kテレビの「映像がこんなにきれい!」的なCMを普通のテレビで見る矛盾。 なんだろな?アナログ放送終了にあわせて無理やり日本中のテレビを買い替えさせたばかり。そこに来てまた更にきれいな、なんて言われてもなあ・・・ それに、高密度ってのは40インチ以上の大画面であってこそ価値がある、けど、そんなでかいテレビを置ける家庭がどれほどあるのか?「大は小を兼ねる」「将来的には」という言葉に最近本当に高い価格を出す価値があるか、と考えるようになりました。 一般に売りたいのに売り方が技術寄りの話になったらダメだ、という典型な気がする。
2014.06.04
コメント(1)
アニメの原作者に対するスタンスでなんだか炎上騒ぎをおこしているアニメーターがいるようですが。 ちょっと変わってゲーム制作で版権ものの作品をゲーム化する際、以前ある漫画のゲーム化の際はその原作者の方がとても熱心な方で、キャラの動きのときのこだわりとか、小道具の細部のデザイン、表情のポイントなどをそのために書き起こした資料をわざわざ自主的にたくさん作っていただいた。これは大変参考になりました。 こういうことをやってくれる原作者の方って結構多いんです。逆に資料を「マンガから読み取って」みたいなのは困ることが多い。マンガってあくまでそのコマの中での動きであったりデザインなのでわからないところは自分たちで妄想するしかない。しかしその妄想が作者のイメージに合っているかわからない。 もっとも、このイメージというのは曖昧で千差万別。作者さんの意図した動きをこちらで作ったにもかかわらず、プレイヤーからの評価が「こんなの違う!」なんてことも。アニメだと声優などがそのいい例ですね。作者がイメージしたキャスティングなのに・・・みたいに。 よい原作者と制作側の距離というのは相手の専門分野に「踏み込み過ぎない」ことだと思います。要求はたくさん出してもらうのは逆にありがたい、けど、ゲームとして出来ない事も多い(マンガどおりにやってしまうと強すぎてバランスが崩壊するなど)。その場合、どこに落としどころを持ってくるかが重要で。原作者の権利はあくまで原作の中にあり、ゲームの場合、開発費の出資者が違う。その場合、いくら原作者が「GTAみたいな広大なフィールドでネットワークを使った多人数格闘ができるゲームじゃないと許さない」と語っても開発費がなければそれは不可能ですし。 もっとも、開発中に「ここ、イメージと違うから」「こういう動きはこのキャラはやらないのでNG」とやたら細部までチェックが厳しかったにもかかわらず、発売後の打ち上げで原作者さんと雑談したら「え?私、一度もダメだししてませんけど・・・」 あの「イメージ」ってのは誰のものだったのか?みたいな話。
2014.06.03
コメント(0)
いっそDLコンテンツを作る、なんて手間を捨てた方がいいんじゃないかと思った事。 たとえば、あるゲームで予算やスケジュールの都合で8キャラしかプレイヤーキャラが入らない、とします。で、最近は追加コンテンツで発売後に2キャラをお金を払えばDLできる、というのが多くなりました。 個人的にはもっと遊びたい人のためにあるシステムで、欲しい人の選択肢になると思っているのですが、たとえばDLコンテンツがある、と発売前に発表するだけで「金をむしり取ろうとする」という声が上がる。わざとボリューム少なくしてると。 で、この手のDLコンテンツを本来ソフトに転嫁すると価格が1000円とか2000円跳ね上がる。元々はみ出る作業が発生しているのだから。 しかも、この手のDLコンテンツって思ったほど売れない。アイマスの衣装や新曲などで好調のようなイメージがあるけど、意外とそこまで訴求力があるコンテンツというのは少ない。そりゃそうだ。ソフトの売り上げ以上の数は絶対に出ないのだから。それに以前にあったアンケートではプレイヤーの半数はAllクリアまでゲームを遊んでいない。すでにパッケージ分を遊びつくし、さらにもっと、となるプレイヤーの数は限られてしまう。 だからいっそDLコンテンツなんてすっぱり諦めて、次回作の登場キャラなりにした方が。ソフトの標準的価格帯である4000~7000円で作れるものは限られている。予算超過の穴埋めをするためさらに予算を使うのはナンセンスだ。
2014.06.02
コメント(6)
全26件 (26件中 1-26件目)
1