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11月29日(金)「短歌セミナー」(抜粋:後藤)(8)著者:馬場あき子(短歌新聞社)発行:平成二十一年十月十日3.抒情について(2)化野(あだしの)へゆく冬の坂人も吾も命素透しにみゆる日面(ひおもて) 富小路禎子「化野へゆく冬の坂」、それは自然や風景をうたっているのではありません。冬陽ざしのしみとおるような深い照射の中で、人の命は「素透しにみゆる」思いがする、それは深いおどろきであり寂しさであるでしょう。ある年月を生き耐えた人の冬陽の中での抒情です。人の命尊くあればよたよたのまたへなへなのいきもうべなふ 田谷 鋭ある年齢の覚悟。あらわに、すげなく、無惨な自己表現を取ることの中に、作者の現在のにじむことを期しています。これも抒情の方法です。「人の命尊くあれば」の一語によって、「よたよたのまたへなへなの」だけでは説得できないことを、意味を深めています。懸命に生きた証を誰でも受け止めるでしょう。馬場あき子氏のことば:抒情というのは、表現しようとする事柄や、言葉への熱意に生れ、情熱をともなうものです。 (つづく)
2024.11.29
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12月28日(火)伊藤左千夫歌集(129) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版大正元年(8) ほろびの光おり立ちて今朝(けさ)の寒さを驚きぬ露しとしと柿の落葉深く鶏頭のやや立ち乱れ今朝や露のつめたきまでに園(その)さびにけり秋草のしどろが端(はし)にものものしく生(いき)を栄(さか)ゆるつはぶきの花鶏頭の紅(べに)ふりて来し秋の末やわれ四十九(しじふく)の年行かんとす今朝の朝の露ひやびやと秋草やすべて幽(かそ)けき寂滅(ほろび)の光(つづく)
2021.12.28
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7月22日(木)対談岡井隆X穂村 弘(3)(平成27年4月14日:NHK金沢市全国短歌大会)岡井 隆 わたしの短歌史―その強さと弱さの魅力(3) 仮説をたて仮説をたてて追いゆくにくしけずらざる髪も炎(も)え立つ穂村 普通にこの歌の状況を読むと、「不精だ」となる。だけどこの歌、ものすごくかっこいいんですね。まるで、心理を追究する魂が髪の毛を逆立てた、みたいな、そんなふうに読めるんです。なぜ岡井さんが短歌を作るとかっこよくなるのか。岡井 私自身としては思い出のある歌です。五、六人の人間が狭いお粗末な研究室の中で、ある病気について、どうすればそれを叩くことができるかと、毎日話し合いををしながら研究を進めているわけです。世界中の文献がどんどん集まってきます。「多分あそこは、AからBにいっている。だからAとBは関係があるんだ」というような仮説を立てるのですが、その仮説がだめな場合は、「あの仮説は間違っていたんだ。じゃあAからCという考え方に変えようじゃないか」と、毎日論議しながらやっていくわけです。研究室の中の人は誰一人として髪の毛をなでつけている人なんていない。昭和で言うと三十年代かな。穂村 僕には、そこまで何かを追究したという記憶がなくて、気圧されるんです。岡井 それはまた後で、あなたのことを聞きましょう(笑)。(つづく)
2021.07.22
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石垣りんの詩(6)旅情ふと覚めた枕もとに秋が来ていた。 遠くから来た、という去年からか、ときくもつと前だ、と答える。 おととしか、ときくいやもつと遠い、という。 では去年私のところにきた秋は何なのかときく。あの秋は別の秋だ、去年の秋はもうずつと先の方へ行つているという。 先の方というと未来か、ときく、いや違う、未来とはこれからくるものを指すのだろう?ときかれる。返事にこまる。 では過去の方へ行つたのか、ときく。過去へは戻れない、そのことはお前と同じだ、という。 秋がきていた。遠くからきた、という。遠くへ行こう、という。石垣りん石垣りん価格:1,890円(税込、送料別)
2010.06.27
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二月号歌評下書き(「賀茂短歌」より) 後藤瑞義 原 明男 もらい湯に急かされし夜のもがり笛今宵も聞こゆかあさんのこゑ もがり笛=かあさんのこゑ、なんといいましてもこの図式がこころに沁みます。もがり笛は、烈風の音、文字通りふえの音のような、悲鳴のようなイメージを持ちます。それが、母親の声と同一視しているところがなんとも切ない感じがします。聞くところによりますと、原さんは五人兄弟それもすべて男性と聞いています。少年時代の思い出、「もらい湯に急かされている夜」、その冬の寒い風の強い夜の思い出、母親の切なさがもがり笛と重なって思い出されるのでしょう。 渡辺つぎ 産土のきざはし踏めず合掌しひたすら祈る日本の平和 「産土のきざはし」は、産土(生れた場所)の神社の階段でしょう。作者は今年の三月十六日で百四歳になります。本当は、初詣に行って神に祈りたいのでしょう、日本が平和でありますように…と。しかし、今は神社まで行ってお祈りすることが出来ない、自宅で合掌してひたすら祈るしかないと思っている作者です。あと一ヶ月足らずで百四歳の作者です。その作者がひたすら祈るのが「日本の平和」というのです。いつもながら作者のこの愛国心とおもわれる心に打たれます。作者は明治生まれの教育のためだとおっしゃっています。しかし、わたしはそれだけでない作者固有の性質のようなものを感じるのです。良い意味で大きな権威に対する信頼、忠誠心みたいなものを感じます。それは、自分などの教えられた個人主義のもつ、ある種の不安感を補ってくれるように感じるのです。そして、そうした心の安心感のようなものが、あるいは作者の長命に関係があるかもしれないと思うのです。 鈴木菊江 霜とけてやわき冬日のさしくれば笑顔の如くそよぐシクラメン 「霜とけて」といいますから、朝日が差してある程度時間が経ってのことかと思います。朝の十時ごろ、そんな感じがします。心もゆるびてきたのでしょうか、冬日がやわらかく感じたのでしょう、その心の余裕が「笑顔の如くそよぐシクラメン」という表現を生んだのでしょう。シクラメンと作者が微笑みあっている姿が浮かびます。多分、作者の至福のひとときなのではなかったでしょうか。 黒田幸子イエス様は冬至すぎたる頃合に光の国からお見えになった 作者はなにげなくクリスマスと冬至を結びつけたかのように思えるのですが、私は目が開かれた思いがしました。昼が短い、つまり光がとぼしい冬至の時期にイエスキリストが誕生した事実が、これがやはり奇跡なのかもしれません。クリスチャンではないのですがたいへん感動しました。あるいは、作者も同様な感じを受けたのはないでしょうか。 後藤早苗弟を荼毘にふす日に一輪の河津桜がひっそりと咲く 実弟であるか義弟であるかは、この作品だけではわかりませんが、自分より年若い身内の死です。死者を火葬する日に一輪の河津桜がそれもひっそりと死者を悼むように咲いていたといった気持ちでしょうか。方や死者の火葬の炎、方や早咲きの濃い桃色をした河津桜の咲いたばかりの一輪の花、一首の中に生と死をうまく取り込んでよい歌になったと思います。 藤井美智子 寿ぎの光りあかるき大空に孤高をたのしむ一羽のとんび 「寿ぎ」は辞書によりますと、「言葉で祝うこと」となっております、ここでは新年のことと解しました。「寿ぎの光りあかるき大空に」までは、たいへん明るいかんじです、そこに突然「孤高をたのしむ」が出てくるところがやはり作者らしいと思いました。「孤高をたのしむ一羽のとんび」はあるいは作者の姿かもしれません。「孤高を」楽しむあたりに特色があります。 鈴木きみ 新玉の年の夜半は銀世界月あかり浴び霜がきらめく 「新玉の年の夜半」と読んで、初詣を思いました。除夜の鐘を聞き終えて初詣する、おりしも月が出ていて、その月明りを浴びた霜がきらめいている、まるで銀世界のようだといった風景です。さあ、新しい年が始まるといった、新鮮な気分が出ていると思います。「新玉の年の夜半は銀世界」は、「新玉の年の初めは銀世界月あかり浴び霜がきらめく」といった感じで味わいました。 土屋文恵花なればそよぎて欲しい朱の色哀しさ秘めて群れ咲くアロエ 「花なればそよぎて欲しい」、なにか「花=女性=そよぐ」といった観念が作者の頭のなかにあったのでしょうか。それなのにアロエの花はキリッと立ってそよぐことがない、作者は朱の色の群れ咲くアロエを「哀しさ秘めて」と感じている、そよがない赤いアロエの花を、女性らしくない、あるいは力強い赤いアロエの花を「哀しい」と感じるところに特色を感じました。作者の心の何かがそこに投影されているように思ったのです。
2015.02.25
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茨木のり子(25)花神社発行:「自分の感受性くらい」より「鍵」一つの鍵が 手に入るとたちまち扉はひらかれる固く閉ざされた内部の隅々まで明暗くっきりと見渡せて人の性格も謎めいた行動も物と物との関係も複雑にからまりあった事件もなぜ なにゆえ かく在ったかどうなろうとしていたかどうなろうとしているかあっけないほど すとん と胸に落ちるちっぽけだがそれなくしてはひらかない黄金の鍵人がそれを見つけ出しきれいに解明してみせてくれたときああ と呻く私も行ったのだその鍵のありかの近くまでもっと落ちついて ゆっくり佇んでいたら探し出せたにちがいない鍵にすれば出会いを求めて身をよじっていたのかも知れないのに木の枝に無造作にぶらさがり土の奥深く燐光を発し虫くいの文献 聞きながした語尾に内包され海の底で腐蝕せず渡り鳥の指標になってきらめき束になって空中を ちゃりりんと飛んでいたり生きいそぎ 死にいそぐひとびとの群れ見る人が見たらこの世はまだあまたの鍵のひびきあいふかぶかとした息づきで燦然と輝いてみえるだろう「自分の感受性くらい」 完結【予約】 茨木のり子集 言の葉2(全3巻)価格:861円(税込、送料別)
2010.08.23
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短歌鑑賞斎藤茂吉ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも茂吉の代表作の一つとしてよくこの歌もあげられます。私はどこがいいんだろうかといつも思ったものです。意味で注意するとしたら、「ゆうされば」でしょうか。「夕方になれば」という意味で、夕方が去るではなく、「さる」の古い、古典的な使用法で「なる」という意味です。時雨がいたく寂しいなんて感傷的な歌がどうしていいのだろうかと常に思いました。もう何年も前で、静岡県歌人協会会長の高嶋健一先生の講演を聞いたことがありました。高嶋先生はもう五、六年前にお亡くなりになりましたが、もっともっとお話を聞きたかったと思います。その講演の時私は目から鱗が落ちたように、この歌の疑問が解けました。私はこの歌を「大根の葉にふる時雨いたく寂しく」というふうな感じで解釈していました。そして「降りにけるかも」は、寂しげな時雨が降るなあといった感じです。高嶋先生の解釈は「寂しく降りにけるかも」あくまでも時雨の降り方が寂しげだという解釈なんです。「寂しげな時雨」というように時雨を修飾するんではなく、降る状態に注意をしていて、「寂しげに降る」というのです。ここが、古典にはなく、与謝野晶子や若山牧水にもない「寂しさ」の発見だというのです。「感情的な寂しさ」ではなく、「感覚的な寂しさ」ここが新しいのだというようなことでした。この講演を聞いてすっかり高嶋先生に心酔し、先生が代表をしていた短歌結社「水甕」に入会しようと真剣に考えたほどでした。しかし、先生は何年も透析をなさっていて、まもなくお亡くなりになりました。そんなことを今日は思い出しました。それから、「リストラに友は去りたり残りたるあまた短きエンピツの束」という私の歌を選者賞に選んでくれたことがありました。懐かしい思い出です。参考:高嶋健一歌集
2010.02.13
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石川啄木の詩(25)「あこがれ」(12)此書を尾崎行雄氏に献じ併せて遥かに故郷の山河に捧ぐ秋風高歌(2)枯林うち重(かさ)む楢(なら)の朽葉(くちば)の厚衣(あつごろも)、地(つち)は声なく、雪さへに樹々(きぎ)の北蔭(きたかげ)白銀(しろがね)の楯(たて)に掩(おほ)へる冬枯の丘の林に、日をひと日、吹き荒(すさ)みたる凩(こがらし)のたたかひ果てて、肌寒(はだざむ)の背(そびら)に迫る日落(ひお)ち時、あはき名残のほころびの空の光に明(あか)に透く幹のあひだを羽(はね)鳴らし移りとびつつ、けおさるる冬の沈黙(しじま)を破るとか、いとせはしげに、羽強(はねづよ)の胸毛(むなげ)赤鳥(あかどり)山の鳥小さき啄木鳥(きつつき)木を啄(つつ)く音を流しぬ。さびしみに胸を捲(ま)かれて、うなだれて、黄葉(きば)のいく片(ひら)猶(なほ)のこる楢の木下(こした)に佇(たたず)めば、人の世は皆遠のきて、終滅(をはり)に似たる冬の晩(くれ)、この天地に、落ちて行く日と、かの音と、我とのみあるにも似たり。枝を折り、幹を撓(たわ)めて吹き過ぎし破壊(はゑ)のこがらしあともなく、いとおごそかに、八千(やち)とせの歴史の如く、また広き墓の如くに、しじまれる楢の林をわが領と、寒さも怖(お)ぢず、気負ひては、音よ坎々(かんかん)、冬木立(ふゆきだ)つ幹をつつきてしばらくも絶間(たえま)あらせず。いと深く、かつさびれたるその響き遠くどよみて、山彦は山彦呼びて、今はしも、消えにし音とまだ残る音の経緯(たてぬき)織りかはす楽(がく)の夕浪(ゆふなみ)、かすかなるふるひを帯びて、さびしみの潮路(うしおぢ)遠く、林こえ、枯野をこえて、夕天(ゆふぞら)に、また夕地(ゆふづち)にくまもなく溢れわたりぬ。われはただ気も遠々(とほどほ)に、痩肩(やせがた)を楢にならべて、骨の如、動きもえせず、目を瞑(と)ぢて、額(ぬか)をたるれば、かの響き、今はた我のさびしみの底なる胸を何者か鋭(と)きくちはしにつつきては、霊(たま)呼びさます世の外(ほか)の声とも覚ゆ。ああ我や、詩(うた)のさびし児(ご)、若うては心よわくて、うたがひに、はた悲哀(かなしみ)にかく此処(ここ)に立ちもこそすれ。今聞けよ、小さき鳥に、――いのちなき減(めつ)の世界にただひとり命(めい)に勇みて、ひびかすは心のあとよ、生命の高ききほひよ。強ぶるふ羽のうなりは勝ちほこる彼の凱歌(がいか)か、はた或は、我をあざける矜(たかぶ)りの笑ひの声か。かく思ひわが頤(おとがひ)はいや更に胸に埋(うま)りぬ。細腕は枯枝なしてちからなく膝辺(ひざべ)にたれぬ。しづかにも心の絃(いと)に祈りする歌も添ひきぬ。日は既に山に沈みてたそがれの薄影(うすかげ)重く、せはしげに樹々をめぐりし啄木鳥(きつつき)は、こ度(たび)は近く、わが凭(よ)れる楢の老樹(おいき)の幹に来て、今日のをはりをいと高く髄(ずゐ)に刻みぬ。石川啄木
2010.05.12
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短歌用語辞典6月9日(木)し(102)しろたえ(しろたへ)白妙(名詞)美しく白い色。白妙の(枕詞)雲・雪にかかる。白栲の(枕詞)ころも・袖・ひも・帯にかかる。咲き満つる一樹(いちじゆ)の梅の白妙に匂ふばかりのよろこびありぬ 安田章生萼(うてな)割る力のきはみしろたへに反りて生れゆく白木蓮(はくれん)大花 加藤知多雄大雪のなかのしろたへ雷鳥をしばし想(おも)ひて眠りに入らむ 春日井 建天空に崖のごとなだれ崩れゆく荒白妙の雲のかがやき 成瀬 有 (つづく)【白い絵本】文庫本サイズ 絵本 画集 詩集 短歌集 サイン帳 などに HIBARI BOOK BINDING(つづく)
2011.06.09
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茨木のり子(11)茨木のり子詩集「自分の感受性くらい」より「存在の哀れ」男には 男の女には 女の存在の 哀れ一瞬に薫り たちまちに消え好きではなかったひとのかずかずの無礼をゆるし不意に受け入れてしまったりするのもそんなときそんなときは限りなくあったのにそれが何であったのか一つ一つはもう辿ることができない誰かがかき鳴らした即興のハープのひとふしのようにくだまく呂律 くしけずる手後姿だったかしら 嘘泣きだったかしらひらと動いた視線 言の葉さやさやそれとも煎餅かじる音だったか茨木のり子【予約】 茨木のり子集 言の葉(1)価格:861円(税込、送料別)
2010.08.09
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11月29日(金)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(103)岩波書店藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。「若き歌人らに」(4)一人の生きた生き方の歴史がそれ程ねうちのないものでしょうか。否、たとえ彼がつづまりはつまらない一人の凡人であったとしても、もしも何か生き抜くために苦しんだとしたなら、そうして其の苦しみといとなみとを短歌作品の上に打ち出したなら、吾々の感動はいま少しちがひ、吾々はとにかく其処から何か教えられ、たとえ失敗の一生であっても吾々は其の人から、とにかく生きることはたのしく、かつ価値あるものだと言うことを教えられはげまされるでしょう。文学とは其のようなものではないでしょうか。ゲーテの文学が価値あるのはとにかく其の一生に一つの世界が形成されて行って居るからでしょう。ロマンローランの場合もそうであるでしょう。一人の人格の成長がみられるからなのでしょう。だが、吾々は彼らの如き大を望まなくてもよい、いかにかそれかであろうと、とにかく己れをかけた生のくるしみといとなみが短歌にそのまま打ち出されて居ればよいでしょう。それすら一つの尊い生の記録であるのです。今迄の短歌になかったのはこの「生の追及」でした。言いかえれば、一人の人間の、如何に生きなければならないかの苦しみと解決とであるでしょう。其のはてに於ける一つの世界の形成であるでしょう。僕がこのように言うとよく反対されました。そんな事はたれも知り切った常識でるというのです。だが、たれが、如何になしたかです。今さらふれられるのも苦しいでしょうが。あの戦争に、敗戦に、歌人は如何なる態度、いかなる自分だけの態度を持したか、いかに生きるかの問題が、戦争となぜぶつからなかったか。もし僕の言が常識なら、彼らは戦争に常識以上の自己を持した彼らの作品にをもって答えて見てください。僕の言はむとする点は明らかになりました。世の若き歌人に告ぐる一点も明らかになりました。君たちは君たちなりの生き方を賭けなさい。如何に生きるかを、今日今の時において、君たちの世代として短歌にぶちまけたまえ。もしそれが僕らの生き方と異なって美事作品に結晶されて行ったなら、その時にいくらかだらしない僕らの世代に対して君たちの世代を昂然と主張してください。(1948・7)
2024.11.29
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4月30日(火)短歌用語辞典(飯塚書店発行)ほ(10)ほおける(ほほく)蓬く(自動詞下二段活用)そそける。けばだつ。谷の向うははや昃りてほほけ立つ蕗の花のみ光をまとふ 石川不二子葱坊主白くほほけしいく畝を降るほどもなく昼の雨すぐ 平島 準ほほけたる薄の白穂光りなびき山の片面のたもつ閑かさ 松井如流(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.04.29
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短歌鑑賞 斎藤茂吉のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり中学の教科書にも載っています、あまりにも有名な歌で解説する必要もないような歌です。以下はわたしの自由な解釈です、ご参考までに…。(われと同じように)悲しみでのどを赤くしているのかつばめたちよ、(いつもは飛び回っているのに、)二羽そろって(喪服のような羽をしていましずかに)梁にとまっている。そうだ、(東京のお母さまでなく、)私を乳から育ててくれた「おっかさま」がいま「死になさるんだ」…。(「おっかさーん」…。)「玄」は黒の意味があります。「足乳(たらちね)」は、母にかかる枕詞ですが、文字通り乳でもって育ててくれたという感じがします。「母は」の「は」に強いひびきをわたしは感じます。茂吉は養子に行きましたので東京の斉藤家にも義理の母がおります。その義理の母ではなくて、「足乳(たらちねの)母は」の「は」だと思うのです。鳥の数え方は「一羽二羽」ですが、「ひとつふたつ」は幼い感じ、幼児に返った感じもあったのでしょうか。この場合、「二羽」より「ふたつ」の一音多いほうがつばめの存在感が強まる効果はあると思います。実家に帰った茂吉は、幼い頃の記憶が蘇ったのではないでしょうか。純粋な心になって死に近い母を詠んだ感動的な一首です。のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり参考:斎藤茂吉 歌集「赤光」
2010.02.03
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7月20日(月)教科書に載った岡井 隆の短歌 (4) 後藤瑞義(注):十数年前の短歌雑誌よりのメモ書きより 高等学校 仮説をたて仮説をたてて追いゆくにくしけずらざる髪も炎え立つ さんごじゅの実のなる垣にかこまれてあはれわたくし専ら私 伊那谷をのぼる列車の彎曲の果樹園ひとつ巻きて過ぎたる 果肉まで机の脚を群れのぼる蟻を見ながら告げなずみにき たどたどと君との関わりを明かしつつ遺族の前に花置きて出づ (この項終り)
2020.07.20
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11月18日(水) 角川短歌賞(309)第三十二回 受賞作品(1986年) 「八月の朝」(7)俵 万智 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ 一生(ひとよ)かけて愛してみたき人といて虚実皮膜の論を寂しむ 通るたび「本日限り」のバーゲンをしている店の赤いブラウス 湯豆腐を好める君を思いつつ小さな土鍋贖いており 人住まうことなき家の立ち並ぶ展示会場に揺れるコスモス (つづく)
2020.11.18
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11月29日(金)現代俳句(抜粋:後藤)(240)発行:昭和39年5月30日鑑賞:山本健吉 加藤楸邨(18) 鮟鱇あんこうの骨ばで凍いててぶちきらる一種の諧謔味を湛えています。病床が長かったが、暗さはあまりなく、むしろ人間的なおおらかさを打ち出しています。「骨まで凍ててぶちきらる」というぶっきら棒な調子が、人柄を彷彿させる。 (つづく)
2024.11.29
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短歌鑑賞白うさぎ雪の山より出(い)でて来て殺されたれば眼を開き居り 斎藤 史私の理想の歌は、たとえばこのような歌なのです。非常に平明です。意味のむずかしいところもありません。だからと言って内容が単純かというと、なかなか深い味わいがあるのです。白いうさぎが雪の山から出て来まして、雪山では保護色であったその白さのためにかえって目立ち猟師に撃たれたのでしょう。しかし、うさぎにとってみればなぜ殺されなければならないのだろうかという思いが在るのではないでしょうか。「殺されたれば眼を開き居り」というところに作者の思いが凝縮されているように思えます。「うさぎはあの赤い目を見開いて、なぜ自分が殺されなければならないのかその原因を見つけ出したい…」そんなふうに作者には思えたのでしょう。「白うさぎ雪の山より出でて来て殺されたるも眼を開き居り」ではなく、「殺されたれば眼を開き居り」です。「出(い)でて来て」という表現にも、わざわざ雪の山から…その真っ白な純粋の世界から出てきてというような思いが込められているようにも感じます。わたしも白いうさぎが赤い目を見開いて殺されている情景を見た記憶がありますがこのように歌には出来ませんでした。思いを二・二六事件の青年将校まで馳せなくとも十分味わえるよい歌だと思います。参考:斎藤 史歌集
2010.02.15
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11月29日(金)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。信者の死キリストの信者は自身で劃然と自分の死期を定めることは出来ません。天職をまっとう出来るであろうか。天国に入る準備は完成したであろうか...自身で確定することは出来ません。しかしながら信者は神様が愛なりと信じます。神様が死すべき時に死なしめ給うことを信じます。すなわち恵みの手のうちに導かれ、死ぬべき時でなければ死なないと信じます。彼が死ぬ時は、死すべき時なのだと信じます。神様のみを頼りとするかれは、万事を神様に任せ給うのです。人生の最大出来事である死に関しては、言うまでもありません。神様は彼の生涯を通して誤りなく指導して下さいます、彼の生涯の最大の事件である死の時期をえらぶことにおきまして、決して誤り給わないのです。
2024.11.29
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11月29日(金)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(418)ヒルティ著草間平作訳 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)しています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。信仰とは何か(4) 一(3)(前日)そういうことをしても、説得されたくない者を、説きふせることは出来ませんでした。(よりつづく) どんな学問でも、それが誠実であれば、少なくとも次のような可能性を認めないわけにはゆかないでしょう。つまり、わたしたちの時間や空間の上に現れるもの、それは単に現れるものにすぎません。その現れるもの以外にも何かが存在することができるということです。つまり、人間の精神が普通の認識する過程においては捉えることができないものです。いいかえますと、それは、科学にとって認識しうるもの、証明しうるものとしては存在しえないものということです。それにもかかわらず、実際には存在しうるものです。そのものを認識できないからといって、一方的に排除することは絶対できないでしょう。 (つづく)
2024.11.29
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11月29日(金)短歌集(487)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版渡辺直己(9)大清河の蘆群あしむら遠く光りつつ水路輸送隊の白き旗見ゆ除虫菊植ゑつづきたる故里ふるさとの海辺の村を恋ひつつ眠る凱旋がいせんの噂うはさしきりに伝はれど戦いくさは遠し共匪きょうひを逐おひて徳治主義と言ひ専制主義と言ふ共ともに何ぞ空漠たる草鞋わらぢ穿はきて言葉通ぜぬ一隊が今朝南方に移動せりとふ欺瞞ぎまんして匪は北方に逃のがれしか昨夜きぞ掘られたる壕がう生々なまなまし (以上『渡辺直己歌集』より) (つづく)
2024.11.29
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9月28日(土) 短歌用語辞典(飯塚書店発行) み(46) みどりご 緑児・嬰児(名詞)二、三歳までの子ども。赤子。えいじ。新芽のように未 熟な子の意。 腹ゆすり胸ゆすり声を立てにけり笑ひたるなりわが緑児は 窪田章一郎 真夜深く覚めゐて思ふしづかなるみどり子の日がこの子にありし 河野裕子 悲傷のはじまりとせむ若き母みどりごに乳をふふますること 葛原妙子 (つづく)
2013.09.28
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10月26日(火) 昭和萬葉集(巻十一)(226)(昭和三十年~三十一年の作品) 講談社行(昭和55年) Ⅲ(61)仕事の歌(42)仕事の歌(5)藤永文雄ゲラ箱を持つわが腕の痺れくるまでに活字を拾ひつづくる田中章彦午後となるに早やうすぐらき実験室廃炉の黴(かび)の匂ひたちくる二川原一夫ロビンソン風力計の廻りゐる風の中風の力を読めり広幸玲子教科書出版に関はる故に腰低く夫は教授に電話かけゐる (つづく)
2021.10.26
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8月25日(金)歌集「ゆめのなかほど」(山田震太郎)(11)発行:平成29年12月1日発行所:ながらみ書房(注)この歌集は、山田震太郎氏が亡くなりまして四年後に、氏が主宰していた短歌結社「翔る」の会員が出版しました。Ⅰ平成二十二年(11) 岐阜第四部隊へ現役兵として入隊(1)新兵の溢れあふれし内務班夜は整列びんたの洗礼顎を引け歯をくひしばれ眼鏡とれ上靴(じやうくわ)びんたの嵐が見舞ふ毛布にもマットレスにも虱ゐることを知りたる夜のおどろき (つづく)
2023.08.25
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11月28日(木)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(418)ヒルティ著草間平作訳 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)しています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。信仰とは何か(3) 一(2)(前日)条理にかなった納得のいく根拠をもって、たとえば神が存在することや、キリストが普通の人間でなかったことを証明しなければ…。証明してくれるなら、そうすれば信じる、さもなければ信じない…と、知識人や学者は言うのです。(よりつづく)「条理にかなった納得のいく根拠をもって、たとえば神が存在することや、キリストが普通の人間でなかったことを証明してくれれば、信じる」という言葉に対しては、「もしそいううことが自然科学的あるいは哲学的に証明されうるならば、信じるとか信じないとか問題にする必要はないでしょう、」とわたしは答えます。そうした証明の試みは、すでにいくたびとなく行われましたが、ついに実を結ぶことはありませんでした。なぜなら、そういうことをしても、説得されたくない者を、説きふせることは出来ませんでした。 (つづく)
2024.11.28
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11月29日(金) 昭和萬葉集(巻十三)(330)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅳ(75) 病床の日々(7)病床の日々(7)伊藤貞子 死ぬなと言う言葉ききたし高熱にあえぐ日の我が支えの為に池上秋石病後二ヶ月もうこれ位とあきらめて不自由に暮す子の家に来て北村青吉夢にまで見たる個室に移り来て一人の枕窓の下に置く榎沢房子かわきたるものへしづかに降る雨量冬の個室に手紙書き了ふ褪せながら萼あぢさゐの咲く日なり収斂剤をわれに処方す (つづく)
2024.11.29
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11月29日(金)山桝忠恕先生のイギリス滞在記「東も東西も西」師弟友情通信――(下)(19)「大学アラベスク」(39)「そして その後は――」(19)満場の皆さん!われわれのゼミには、かの才女ハヤシ・フミコの生まれ代わりかと見まがう虞れなどは絶対にないけれども、とにかく一風かわった文章を書き散す男が一人、まぎれこんできているのでございます。そして、本日ただいま判明したところによりますと、その男は、卒業論文の締切が迫り眉毛に火がつきはじめているにもかかわらず、最も貴重であるはずの秋の夜長(よなが)を、こともあろうに、かのイガガワシキ『虎の巻』なるものの製作にあて、これに憂き身を窶(やつ)していたのでございます。オウ!イエス、ご存知H生ことハヤシ某くんこそが、その男にほかなりません。まったく呆(あき)れ果てたヤツであります。 ちなみに、このH生は、これまでも、れいの調子の手紙、つまり、「エアハルトやヒュームは、先生のところに新任の挨拶にやってきましたでしょうか?もしも参りましたら、ホテルの窓からで結構ですゆえ、ニッコリ微笑(ほほゑ)みながら手でも振ってやって下さい。キット喜んで帰って行くと思います。政治家なんて、可愛いものですよ」だの、「エッフェル塔は、先生を眺めて、『ヨウ!日本人ニ大変ヨク似タ英国人ヨ、オマエサン英国人ニシテハ、ナカナカハンサムダナ』などと話しかけたのではありませんか?」だの、「フレーフレー、自称紅顔の美少年よ!」だのと、読んでいるうちに、なんだか長生きができそうな気分になってくるような手紙を、一週間に必ず一度は送って呉れておりました。しかも、彼からの手紙たるや、白紙が一枚よけいに入っていたり、百円で足りるのに二百円ぶんの切手が貼ってある、二百円を要する場合であれば三百円ぶん貼ってあるという、まったくもって勿体ないとしか申上げようのないところがございます。 そして、わたしは、そういう彼の手紙に接しますつど、それらの手紙が、ロンドン行きのジェット機にチャンと乗りこんで、ほかの手紙と同じように、行先を間違えることもなく西へ西へと飛んでくるという厳然たる事実に、むしろオドロキにも似た新鮮な感動を受けるのであります。考えてみれば、いつも余分に切手が貼ってあるというのも、座席料のつもりなのかも知れません。そう思っても見れば、なにかイジラシサが募(つの)り不憫(ふびん)にも思えてくるのでごさいます。(つづく)
2024.11.29
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