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五島から持ち帰った油彩、キャンバスのままですので、画材専門店「世界堂」に額縁を探しに行きました。何時ものメタルフレームのものかと探していましたら、店員さんが最近入った木製フレームがお勧めと言うので見てみましたら、金色塗装がされていて一寸派手なのですが、油彩背景を緑色にしてありますので、色の対比も良いかと購入することにしました。価格は5%引きで9200円、見込み予算の5000円を大きく越えてしまいましたが、妥当な買い物だったと思いました。早速、油彩を額に入れて居間の壁に掛けてみました。23年振りの帰宅、「お帰りなさい!」と言った処でしょうか。良く見ますと頭部は右から光線、シャツ部分は左から光線で矛盾がありますが、23年前に一人暮らしの義母の慰めにして貰おうと、頭部だけを仕上げて急いで送ったからだったのでしょう。五島の空き家の仏壇には、細加工した遺骨を少し残して骨壷に入れて、亡くなった義父母、義兄と共に暮らして貰うことにしました。
2010.05.29
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今朝は雲一つない快晴、少し風がありますが、湿気が感じられず、将に「五月晴れ」「日本晴れ」となりました。我が家にある鉢植えのバンマツリが満開となり、良い匂いが漂っています。五島列島の空き家から持って来て20年以上も経ちました。元来は南方系の低木ですので、寒風吹き荒ぶ多摩丘陵では枯れてしまう懸念がありますので、屋外ですが霜の下りない軒下で、冬期にはビニール袋を被せて寒さ対策をしています。2週間前、五島にいました時に満開でしたので、その内で、家内の従妹の庭にあった見事な様子を写真に撮っておきました。我が家の蕃茉莉は高さ70cmほど、従妹の家のものは2mで迫力が違いますので、そちらをご覧ください!ナス科学名:Brunfelsia uniflora英名:Morning noon and night原産:南アメリカで、明治末期に渡来花期:冬(温室)「蕃」は外国、「茉莉」はジャスミンのことですが、ナス科の植物。咲き出した花は紫でよい匂いがし、日が経つに連れ白くなります。下記の画像は2年前の我が家のバンマツリ(蕃茉莉)、上記画像と比べますと雲泥の差があります。
2010.05.28
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昨日は家内の7回目の月命日ですので、お花でも供えようと冨士霊園まで出掛けることにしました。天気予報は雨だったのですが、それも良かろうと思いつつ、考えてみますと水曜日は休園ですので、自宅で昼食サンドイッチを作り、珈琲、バナナ・菓子を持って出掛け、途中の店で供花を求めてから、厚木から東名に乗り、大井松田ICで下りて、国道246号線を通って行きましたら、所要2時間となりました。既に新緑の季節で、高原の所為か、平地では終わっている躑躅類が丁度見頃でした。休園で管理事務所、売店が休みですので、訪問客は驚くほど少なく、墓所に行きましたら誰もいませんでした。4月に供えてあった供花は既に枯れたのでしょう整理されていて、霊園管理は行き届いていますので、気持ちの良いものがありました。供花を設置して線香を焚き、手を合わせて五島での散骨を報告しましたが、何処が本地なのかと思うと不思議です。我が家の仏壇なのか、霊園の墓所なのか、散骨した五島列島なのか判然とはせず、「後有を受けず」と言いますから何処にも無いのかも知れません。兎に角、天気予報に反して強い日差しも時々顔を覗かしていましたので、誰もいない墓前で一人静かに昼食を取りました。1年契約で植栽されているサツキを少し剪定、草花を整理してから帰路に着きましたが、途中から雨と変わりましたので、「晴れ女」の家内が墓参り時間中、気を利かしてくれたのかも知れません。尤も、仏教思想の始祖釈迦が「後有を受けず-死後の存在は無い」と言っていますので、自分勝手な思い込みには違いないのですが・・
2010.05.27
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シューベルトのピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調D898は、シューベルトの死後に出版されたため、「遺作」とされている。第1番の作曲は1827年、公開初演は12月26日ウィーンの楽友協会で行なわれた。自筆譜が紛失し、シューベルトが亡くなったために出版が遅れ、1836年にウィーンのディアベッリ社から出版された。この音楽カセット2枚セットは、30年前にヒューストン郊外のカクタスと言うレコード店で購入したもので、近頃聴いたことがありません。カセットの磁粉が劣化して聴けないのかも知れません。演奏はボーザールトリオ(Beaux Arts Trio)、録音は1966年となっていますので、とても古いものです。YouTubeで検索していましたら、ボーザールトリオの演奏がアップロードされていましたが、音量が小さく、音質も貧弱ですが聴いてみてください。Andante from Piano Trio (D.898) 第2楽章 アンダンテ・ウン・ポコ・モッソチェロによるロマンティックな主題で始まり、ヴァイオリンが加わって両者が歌いだす美しい楽章。シューマンはこの楽章を非常に讃えたという。
2010.05.26
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頭ヶ島にあって閉港となった上五島空港の近くに、坂本龍馬ゆかりの里があり、海岸に「坂本龍馬ゆかりの広場」が設けられています。9年前に家内と仲良し従妹2人と連れ立って行きました時は、訪れる人も無く、綺麗な海だけが印象的でした。今回は仲良し従妹1人が9年振りに見てみたいと言うので行ってみましたら、NHK大河ドラマの影響は五島でも便乗して観光地化されていました。今年建立した坂本龍馬のブロンズが設置され、道沿いに結構な数の幟旗もひらめいていました。後方に見えるのは閉港となった頭ヶ島空港、青い海が印象的なのは変わっていませんでした。それでも、訪れる観光客はあまり多くありませんのは、アクセスが良くない所為なのだろうと思われました。1866年5月22日、亀山社中の洋型木造帆船ワイル・ウェフ号が、長崎から鹿児島への航海中、嵐に遭い航行不能となり江ノ浜郷沖の潮合崎まで流されて難破した。このいわゆる「潮合崎騒動」では、乗組員16人中12人が溺死。大砲、小筒、地金などの積荷も船もろとも沈んでしまった。五島藩はのべ人足875人、船123隻、海士230人、羽差(鯨組の人夫)72人を動員し、積荷を引き揚げ、遭難者を埋葬して供養した。社中の同士、同郷の池内蔵太を失った龍馬も一月後、社中一行と現地を訪れ、庄屋に慰霊碑の建立を依頼、その碑文は龍馬自身が書いたといわれる。龍馬の傷心は深く、この事件が亀山社中、斜陽のきっかけとなった。碑は江ノ浜郷共同墓地の一角に、遭難船の舵取棒が展示してある。実際に坂本龍馬が来訪したのではなく、代理人が来たとも言われており、その辺の史実については私は調べていませんので、定かでありません!
2010.05.25
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いよいよ、輪番制の団地役員が回って来て、一番の年長と言うことで理事長を担当することになりました。前回は平成4年度理事、平成5年度監事でしたから、17年振り、最後のご奉公かと気持ちよく引き受けることに致しました。本団地も築後26年を経過しました。当初入居者の半分は入れ替りましたが、40歳前後で入居した方々も多く、全体としては老齢化世代と言う状況となりました。団地組合理事会の最重要な役割は「財産の保全」にあります。住居の保守管理に加えて住環境の保全も重要な命題となりますが、老齢世代となりますと管理費・修繕積立金も負担となりますので、パラダイム・チェンジ(行動規範の変革)にて負担軽減を検討しなければなりません。住環境保全の活動では、GCクラブは、剪定した枝葉整理など住民の協力があってのことなのですが、年間200万円程度の節減に15年間貢献して来た筈でした。団地内にある好悪の感情を越えて、貢献に対して正当に評価するべきだと思っています。GCクラブ初代会長の傍若無人な態度が、理事長との諍いを起こして、1年程活動停止の時期もあり、住民の反感を買ってトラウマとなり嫌悪の感情が渦巻くことになってしまいました。どうして住民と宥和するべき戦略が無かったのか、参謀がいなかったのも不思議ですし、手弁当で作業をする体たらくに対して、理事会への文句ばかり言うのも頂けません。例えば、「10年間高木剪定まで作業するので、住民に後処理の手伝いを頼みたい。将来に向けて管理費を繰り越して貯めておいてくれ」とも提案があれば、良かったと思っています。私も3年前、大規模修繕特別委員会に請われて参加、決まり掛っていた発注を再度事業仕分けし、再見積を実施し、2千万円程の費用節減に貢献し、結果は修繕積立金に反映されました。自分の属する委員会・団体だけが、貢献度が大きいと過大評価してはいけませんし、少なからず、多くの住民が何らかな形で貢献しているのです。悪口にも負けず、為口にもめげない、丈夫な心を持ち、困っている人があれば、担当理事に処理して頂き、皆さんからの資金をなるべく減らさず、じっとして誰でもなりたがる理事長となる様に役割を全うしたい!私の住む団地は、住民の苦情が多い団地である様で、例年理事長役は対応に苦労しているのですが、少し綻びの見える住民宥和を目指して1年間頑張りたいと思っています。家内もいない状況では対応に不十分な処も多く、果たしてどのような事態になるのか、上手く処理する自信はありませんが・・
2010.05.24
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五島を離れる前日、若松港で散骨しようと出掛けました。此処は家内が幼時からよく遊びに来た処で、思い出深いと思ったのです。処が、若松町に住む家内の親戚の未亡人が、「若松大橋から散骨する方が景色も良くていいわよ」と言うので、車に乗って頂き、2人で散骨したのです。風の強い日でしたので、粉骨は風に乗って何処に行ったのかはよく分かりませんでした。お宅に戻って、お礼を言っての帰り道、対岸の上中島公園の「風の展望台」に登ってみました。数年訪れたことが無かったのですが、桜の木が大きくなり展望が悪くなっていたのは残念でしたが、樹間から見える若松大橋を眺めつつ「あの橋から散骨したのだ」と思って、感慨に耽りました。若松大橋(新上五島町若松郷)西海国立公園・若松瀬戸に架かる全長522mのトラス橋。橋の両側には潮の香薫る守崎公園・上中島公園、海沿いの遊歩道等があり若松瀬戸と、瀬戸に映える大橋を一望することができる。上中島展望所、龍観山展望所からは、瀬戸の多くの入江・岬・大小の島々・透き通る海からなる大自然を満喫出来る。
2010.05.23
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家内と仲良しの従妹達が住んでいる似首郷に行き、岸壁に設置されている階段を下りて、海面に1袋ずつ散骨しました。透き通った碧い水中を白い粉骨がゆらゆらと沈んで行く様は美しいものでした。従妹の家の墓所から見た似首郷集落、国立公園外ではありますが、綺麗な景色です。家内の育った榎津の空き家に戻り、近くの川野家海浜に行きましたら、丁度家内を良く知る知人に遭いましたので、一緒に波打ち際まで行って、波に向かって投げ入れ散骨をして頂きました。此処の海浜は狭いのですが、子供達を連れて海水浴をしつつ、サザエをよく取った場所です。小さな烏賊が泳いでいたりし、奥まった穴にはウツボを見ることもありましたが、現在は海焼けで海藻が極端に減り、生命感が薄れました。コンクリート護岸工事で山の栄養が海に流れ出なくなったことと、高潮対策で海浜にテトラポッドを置き過ぎて新鮮な海流が来なくなったことの複合理由で、動植物プランクトンの発生が極端に減った気がしています。処で、遺骨に意志はありませんので、弔う人の想いが優先するのでしょうが、兎に角故郷に返してあげられたことは、せめてもの喜びでした。その後1週間、空き家に寝泊まりしている間、3回程散歩を兼ねて行ってみて、此処も美しい処だと再認識致しました。
2010.05.22
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江袋教会を訪問した帰り道に、小瀬良教会に寄ってみました。此処は狭い道沿いにあり、車を停める場所も見当たらないので、何時も素通りでした。車道脇に寄せて駐車し、きつい山道を登って行きますと小さな教会がありました。外壁も綺麗で、屋根も塗り替えてありました。内部も至ってシンプルで、完全に集落の祈りの場と言った感じで、世界遺産の一部であるべきではないとの感想を持ちました。車道に戻って、集落の人に「毎年のように通っていますが、綺麗になりましたね!」と問いかけてみますと、「数年前に塗り替えたのです」との答えでした。新上五島町の教会は、結構な数を訪れていますので、写真集は下記をご覧ください!上五島の教会群写真を写しませんでしたが、この他にも行っており、焼崎教会等もそれらの一つです。近頃、教会巡りのツアーは人気があるらしく、今回の上五島行でも40人程の団体観光バスに出会うことがありました。離島に散在するカトリック教会群は浪漫を誘うのだと思われますので、開放教会群を定めての観光振興による地域活性化も必要なのでしょう!
2010.05.21
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鯛の浦港で2日間借りましたレンタカーを、5月12日夕刻に有川のターミナルに返しに行く途中、午後4時頃に蛤浜海岸に寄りましたら、シーズンオフですので殆ど人影が無く、犬の散歩をしている方に遭っただけでした。潮が退いていて、波打ち際までは200~300mは白い砂地が広がり、美しい景色となっていましたので、靴のまま浅瀬を越えて行きました。波打ち際の小さな瀬の流れに遺骨粉骨を撒きましたら、蛤の白い粉と見分けが付かなくなってしまいました。家内とは1960年8月に出会い、それ以来蛤浜には、独身時代、結婚しての家族連れ、子供が成長してからは夫婦二人、と良く来ていたものでした。出会いから50年、厚情を掛けてくれた交情も遂に終焉を迎えることとなりました。それにつけても、せめて家内の一生が充実したものだったろうと願うばかりです。榎津の空き家にあった、私の拙い油絵を持ち帰って来ました。義母の独り暮らしを慰めようと、23年前に家内にモデルになって貰い描いたもので、当時44才、若白髪が目立ち始めた頃ですが、髪がふさふさと多いのも印象的です。
2010.05.20
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江袋教会が復元されたと言うニュースを聞き、5月11日午後、其処を訪問してみました。昔と変わらない姿を見ることが出来たのは嬉しいことでしたし、中に入って献金箱に些少な額を入れさせて頂きました。教会によくある尖塔がありませんので、ステンドグラス窓が無ければ普通の民家にしか見えません。一部焼け残っていた柱や梁(はり)の骨組みを生かしながら修復したらしく、ほぼ昔通りの雰囲気でした。2007年2月に漏電火災で焼損した長崎県新上五島町の江袋教会が復元され、5月9日に落成式があった。信徒ら約150人が感謝の祈りをささげた。同教会は1882年に創建。日常的に使われる教会としては国内最古だった。台形の屋根やこうもり傘のような形の「リブ・ヴォールト天井」が特徴。焼失を免れた柱や梁(はり)は修復して使い、壁面は赤や黄の鮮やかなステンドグラスで彩られる。火災は、漏電が原因とみられ約200m2を焼いた。ただ、柱や梁(はり)の骨組みは一部残っており、焼けた木材の表面を合成樹脂で覆うなど残存部を生かしながら修復。調査工事費を含む総工費は約2億円。県や町からの補助金のほか、同教会を所有するカトリック長崎大司教区が寄付を呼び掛けた。火災後の2007年4月に町有形文化財に指定。現在、県有形文化財指定に向けた手続きも進められている。しかし火災となりますと、ステンドグラスは全損となるのは致し方無く、2003年に訪問した時にあった明治時代の美しいステンドグラスは永久に失われてしまった様です。この時は、家内及び仲の良い従姉妹と共に、義叔父に一番美しいステンドグラスがあると言われて出掛けたのでした。既に義叔父・叔母も亡くなり、家内もいなくなり、一人での訪問、全て寂しくなりました。
2010.05.19
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花水木並木の多くは車道にあるのですが、この花水木通りは散歩道に沿って植栽されていますので、ゆっくり観賞出来るのが魅力です。この画像は5月2日撮影、満開で綺麗なのですが、昨日は既に見頃は終わり、葉が茂り出しました。この並木は25年以上経っていて、花水木は手入れが難しい樹木ですので、立ち枯れした木も散見されますが、マスとしては見応えがあります。桜の花見ほど人の混雑はありませんので、華やいだ雰囲気を、心ゆくまで静かに楽しめるのは一面的には良いのですが、しかし、その静かな雰囲気は、子供世代が巣立って高齢化世帯が多くなり、子供の声が聞こえなくなってしまった結果でもあります。多摩ニュータウン地区は全国的にも高齢化加速が激しい地区でもあるのです。
2010.05.10
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余命1週間と宣告され、意識不明の家内に囁いてから7ヶ月が過ぎました。短気で我儘な亭主に文句も言わず子として妻として母として十分頑張ったじゃないやさしい子とやんちゃな子との愉しい三鷹生活なれないアメリカで苦労したのも今では懐かしい夫婦2人の生活での毎年の五島行も楽しい思い出子供達も家庭を築き親の責任も十分果たしたからもう頑張らなくても良いのでゆっくりとお休みきっと五島に葬ってあげるからそれから、20余日で帰らぬ人となりました!家内の故郷である五島の地に葬ろうと思ったのですが、子供達が墓参りを望むこともあり、親の責任を果たす意味もあって「我が家の墓」を静岡県の冨士霊園に建立したのです。それでも、遺骨を五島に散骨して上げるのをずっと最低限の義務だと思っていました。5月になって気候も漸く暖かくなって来ましたので、梅雨に入る前に行って来ようと、昨日は散骨準備の為、3月末の納骨法要前に拾って置きました遺骨の一部を、コーヒーミルで細かく挽くことにしました。小さな骨壷には、種々部分の遺骨が殆ど一杯入っていたのですが、粉骨にしましたら1/5程度に減りましたので、ポリ袋5枚に分けて骨壷に入れ直して準備完了、何時でも出掛けられる様になりました。散骨マナーとして、自然界の土の一部として土に還りやすい状況をつくります。海洋葬として散骨する場合も海の自然に馴染むように細加工を施します。又、節度ある自然葬のために、公共と個人に迷惑がかかる散骨場所を避ける配慮が必要です。墓地埋葬に関する法律ができた時代は遺骨を細加工することは想定されていませんので身内の遺骨に手を加えることは法律の適用外であり、問題はありません。散骨を行う行為自体も法律に触れることはありません。しかし法律外と言っても公園や名所など人が集まる場所に散骨するのは許されません。悲しいことではありますが、「生者必滅」は世の常ですし、家内の供養が出来る喜びもあります。
2010.05.09
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ここ数日、ベートーヴェンのセレナーデOp. 8とOp. 25をカセットテープで聴いています。原盤はPhilipsの1978年発売アナログレコード、10年以上前レコードプレイヤーがある時にカセットに落としたもので、演奏はグリュミオー・トリオで、艶やかなアルチュール・グリュミオーのヴァイオリンの音色が魅力です。YouTubeで検索すると、この演奏もアップされているのですが、音質が不満に思われ、下記の演奏が、少しは画質・音質とも良い様に思われます。Beethoven - Serenade for Flute, Violin and Viola, Op. 25 ベートーヴェンが26歳の若かりし時、1796年作曲の「ヴァイオリン、ビオラとフルートによるセレナード」ニ長調作品25は佳作で、モーツアルトの弦楽セレナーデを範として7楽章とし、フルートを使ってチェロを欠いているので、爽やかで明るく、楽想もモーツアルト風に優美である。出版の関係で作品25となっていますが、作品8の三重奏曲より1年早かったようで、ベートーヴェンの難聴が始まる前の所為か明るくて屈託のない音楽になっています。ベートーヴェンの難聴が始まったのは1798年、「耳硬化症」であったのではないかと言われていますが、その病気発症前の作品群は、7重奏曲Op. 20と言い、屈託のない音楽が多いのです。
2010.05.08
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日本では、当初軽微と見られたリーマン・ショック影響が諸外国より深刻でした。経済評論家も識見の無い方々が殆どですので、実態見通しを誤ったのです。それでも、中国政府の経済への梃入れで、中国への輸出が堅調と言うことで漸く息をついている状態ですが、雇用不安も続いて出口が見えません。今回のギリシャの財政危機も、現状対岸の火事と見る経済評論家も散見されますが、果たしてどうでしょうか?EUと言う枠組みを基調とするヨーロッパ・ユーロ経済圏が混乱を招くとすれば、未だ輸出頼みの日本経済はリーマン危機以上に深刻になるのではと懸念せざるを得ません。案の定、アメリカ経済にも大きな影響が現れ、NY株が大きく下落することになりました。6日の米金融市場、ギリシャの財政危機に対する動揺が一気に広がった。ダウ工業株平均は一時、前日終値比で1000ドル近く暴落し、取引時間中約3ヶ月ぶりに1万ドルの大台を割り込んだ。その後買い戻されたものの、ダウは同347.8ドル安の1万0520ドルと約2ヶ月ぶりの安値で引けた。1日当たりの下げ幅としては2008年2月10日(381.99ドル)以来、約1年3ヶ月ぶりの大きさだった。一方、円相場も大幅に上昇、外国為替市場では、ユーロやドルなど主要通貨に対して円相場が独歩高となり、約5ヶ月ぶりの高値となる87.95円/ドルまで上昇した。日本時間7日午前6時時点、対ドルでは90.6円/ドルと前日比3円23銭の円高。欧州の信用不安でユーロ売りは激しく、一時110.49円/ユーロまで下落、2001年12月以来約8年5ヶ月ぶりの安値を付けた。投資資金が大量に流入している原油先物市場にも大きな影響が出始めました。6日のニューヨーク商業取引所(NYMEX)の原油先物相場は、欧州債務危機に対する懸念が深刻化し、ドルや金塊など安全資産へ資金をシフトさせる動きが一段と加速した。WTIの中心限月6月物は、前日終値比2.86ドル安の77.11ドル/バレルと、3営業日続落して終了。2月16日以来約2ヶ月半ぶりの安値を更新した。ドルや金塊が安全資産と言うのも、一寸奇妙ですが・・
2010.05.07
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一昨日は近所のご老体から、ウナギ蒲焼半分とトンカツの差し入れがありましたので、ご飯を炊いて、平皿に入れた熱々ご飯に蒲焼を乗せて電子レンジで温め、トンカツを別皿にして、美味しく食しました。この89歳のご老体とは、3年前の団地大規模修繕特別委員会の副委員長同士として尽力してから、本格的付き合いが始まりました。途中意見が合わず衝突喧嘩もしたのですが、お互い私心が無く団地に貢献しようとの心構えがあると分かり、急に懇意となったのです。家内の闘病中に、ご老体の亡くなった長女と同い年だと分かってからは、ご自分の夭折した娘と重なったのでしょう、色々親切にしてくれ、今でも時々電動車に乗って仏前に手を合わせに来てくれます。又一昨日夕刻は、別の差し入れもありました。チラシ寿司を家で作ったのでおすそ分けしたいとの電話連絡があったのです。「もう夕食の準備は済みました」とお断りしたのですが、「酢飯だから、明日にでも召しあがりください!」と午後7時頃持って来てくれました。昨日の朝、有り難く食したのですが、たっぷりと余りましたので、ポリ容器に詰めて野山散歩の昼食にもして、完食させて頂きました。この方とは、平成4年度の団地役員理事同士、ジャーナリスト経験のある先達ですので、時々ご意見拝聴出来る8年年長の先輩として付き合わせて頂いているのです。混雑して出掛けにくい大型連休ですが、身近に、こんな方々がおられますと、独り暮らしでも寂しく無いものです。
2010.05.06
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著者の霜月十三星(しもつき とみほし)氏とお会いしたのは、唐木田駅前にある喫茶「友愛」、丁度店内にモーツアルトの音楽が種々流れている時に、話が始まりました。霜月氏は「ベートーヴェンは良いが、モーツアルトは分からない!」と言うので、私は「気分が落ち込んだ時は、ベートーヴェンは勇気づけてくれるが、モーツアルトは更に落ち込み、精神が充実している時で無いと聞けない。」と応じたのです。すると霜月氏は「画家モネも貧乏でたいへんでした」と話題を変えましたので、私は「ジヴェルニーでは、平安な生活をして晩年は裕福で幸福だったのではないでしょうか?」と言いましたら、上記の書籍をカバンから取り出して、「どうぞお読みください!」と贈呈してくれました。ブックカバーには「フランスの芸術家達に多大な影響を与えた、北斎や広重の描いた日本の美。そして、誰よりもその美しさを追求した画家モネと娘マリーが、情熱をかたむけた日本への憧憬を綴る」と紹介されています。冒頭に「ゲーテの色彩論」が述べられているのに先ず驚きました。これは、大学時代の独文学教科書で、難渋なドイツ語だったと記憶していたからで、遠き思い出を引き起こされたのです。読み進む内に、「モネの考えを言葉で表現し、理解するには手間は掛らない。彼にとっては、全てが現在形で、過去も無く、未来も無い。人間の無我があるがままの自然に吸い込まれていく。それが美の本質なのだ」と言う核心に近づきます。カントは「人は哲学を学ぶことは出来ない。ただ哲学することを学び得るに過ぎない」と言っている。この主張に従えば「人は美を創造することは出来ない。美を創り出す方法を模索し得るに過ぎない」モネの人生は、東洋の美を模索したひと時であったのか?人類は皆、限られた生命と寿命の範囲で、絶対への軌跡を描きなぐって行くのみなのか?そうエピローグで哲学することで結んでくれますので、読後爽快となりました。閑話休題:著者本名は平林治雄。1925年11月13日生まれを、そのまま「霜月十三星」と読み替えて、ペンネームとしたとのことです。処で、私のブログ・ニックネームは、米国で使っていたニックネームを流用したもので、「カーク」の発音が悪いので、クルト、キルク等と覚えられていたこともありました。人色々です!
2010.05.05
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一昨日はギンランの開花を見ただけでしたので、昨日は鶴牧西公園にキンランを見に行って来ました。昨年は家内が闘病中で、観賞出来なかったのですが、今年は丁度見頃となっていました。キンランの個体数も格段に増えている様に思われました。此処一帯で20株位はあり、咲いているもの、咲きかけのもの、蕾のもの、と色々でしたが、生き生きと群生しているのを観察出来たのは嬉しいことでした。其処は通常の散歩道から外れていますので、踏み荒らされもせずに、生息環境が良いのでしょう! これからも盗掘に遭わない様に祈るばかりです。丁度見頃の2株を接写しましたが、可憐で見応えのある花でした。花を求めて出掛けて行くと言うのは、家内に連れ立って行くことから習慣づいた気がしますが、形見の習慣として忘れずに大事にして行こうかと思っています。
2010.05.04
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大型連休は何処の公園も混雑していますので、尾根幹線西端付近にある南多摩都市霊園に行って、車を駐車させて頂き、其処から尾根幹線を散歩することにしました。遊興施設もありませんので、家族連れが草地でお弁当を広げている程度で混雑は無く、新緑の木陰が涼しく見えました。散歩道沿いの草地・林間を注意しつつ、歩いていましたら、偶然に枯葉から立ち上がっている小さなギンラン(銀蘭)を見つけました。その先の林間には、キンラン(金蘭)では無いかと思われる若芽が立ち上がっていましたが、花芽が立ち上がっていませんので、確かではありません。近頃はランブームで、見つけられると直ぐに盗掘されてしまいますので、「これ以上目立つように咲かなくて良いよ!」と声を掛けざるを得ませんでした。どうも自生地以外では枯れてしまう弱いラン(蘭)であるらしいのです。ホウチャクソウ(宝鐸草)は、沢山咲いていました。こちらは地味ですので盗掘される心配は無さそうです!白花のギンラン(銀蘭)は黄花のキンラン(金蘭)と同じような場所で同時期に開花するが、近年は雑木林の放置や開発、それに野生ランブームにかかわる乱獲によってどちらも減少しているので、並んで咲いているのを見る機会も減りつつある。キンラン・ギンランの人工栽培はきわめて難しく、理由の一つに菌根への依存性の高さが挙げられる。ラン科植物はラン菌根と呼ばれる独特の菌根を形成し、殆どのものは菌根からエネルギーを含む栄養分を獲得しているため、その正常な生活には菌根が欠かせない。ところがキンラン・ギンランと共生する菌は腐生菌ではなく、樹木の根に外菌根を形成し、共生している菌であることがごく最近明らかにされた。外菌根菌の多くは腐生能力を欠き、炭素源を共生相手の樹木に依存しているため、共生相手である特定種の生きた樹木がなければ生存することが出来ず、間接的に樹木から栄養を摂取しているとも言える。菌根性樹木・菌根菌・キンランの三者共生系を構築しなければ栽培出来ず、自生地から掘って移植した場合には、殆どが数年以内に枯死するようである。
2010.05.03
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我が家のミヤコワスレは家内が知人から貰って来たもので、もう10年以上にもなります。何も世話もしませんのに、庭の片隅で自生していて芝生にも負けず、時期になると花を咲かせる健気な草花です。キク科ミヤマヨメナ属別名:野春菊(ノシュンギク)、東菊(アズマギク)山野に自生するミヤマヨメナの日本産園芸品種として多く栽培され、開花期は5~6月頃で花色は紫青、青、白、ピンクなど多種に渡る。 名前の由来は、承久の乱にて佐渡に流された順徳天皇がこの花を見ると都への思いを忘れられるとの話によるとされ、この由来によって花言葉は「別れ」や「しばしの憩い」等と言われる。我が家のミヤコワスレ(都忘れ)は濃い紫、何故か一番名にし負う様な気がして好きな花です。家内のいない独り暮らしになりますと、忘れ形見に思えて、一層健気に見えて来てしまいます。
2010.05.02
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遂に大型連休が始まり、成田空港も出国ラッシュとなっているらしい。今年は曜日の並びが良く、9連休とすることも容易らしく、遠い欧米各地にも出掛けて旅行気分を満喫しようとする観光客も多い様です。そんな中ヨーロッパ観光地では、アイスランド噴火の影響で、ストップ状態だったヨーロッパ各地の空港が再開となり、日本人旅行者も胸をなで下ろしている処でしょう。火山噴火が寒冷化の原因になることがある。冷却化の主犯は、噴出した「火山性エアロゾル」である。エアロゾルとは、大気中に浮遊している固体もしくは液体の微粒子の総称だ。噴火当初、噴煙に含まれる珪酸塩は大粒なので、雨などによって数ヵ月で落下する。また、亜硫酸ガスも対流圏では雨や雪などの降水で洗い流されて、数日から2週間程度で姿を消す。エアロゾルが成層圏にまで上昇すると長期間にわたって漂い、酸化されて硫酸ガスに変わって「硫酸塩」になる。成層圏の下部では1年前後、中部では2~3年も滞留する。大気は透明ガラスから磨りガラスに入れ替えたようになり、太陽から地表に達する日照量が減少する。アイスランド噴火は一件落着とは行かず、長期に亘る気候変動、寒冷化の原因になるのではないかと懸念する向きもあります。1991年フィリピン・ルソン島にあるピナツボ火山が大噴火を起こしましたが、大量の火山灰が大気に放出され、気象に大きな変化をもたらし、赤道付近の海水温は1.3℃も下がり、その影響は1年近く残ったとされています。恐竜絶滅には隕石衝突説と火山活動説があり、決着がついていませんが、何れも急激な気候変動が大きな要因となったことに変わりが無い様です。何れにせよ、アイスランド噴火が寒冷化をもたらし、穀物・野菜の不作を来さない様に願うばかりです。
2010.05.01
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