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私に与えられた棘


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このままの私でいいのか


努力することについて


おじ、おばの距離


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2003年01月07日
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 朝早く(というほどのこともないのだが)起きると早くも眠い。もうそろそろ生活を変えねばと夜に寝たが(MEMORIZEの日記に書いたとおり)眠りは浅く奇妙な夢ばかり見て朝まで何度も目を覚ましては寝るのを繰り返した。昼間、仕事をしていると昼まで息子が、まだ学校が始まっていない娘がいたりして何度も仕事は中断するが、邪魔をされるというよりはいい意味で気分転換にはなるのだろう。娘は友達と七草粥を食べに行って(これはおいしくなかったらしい)その後髪も毛を切ってくると行って出かけた。帰ってくるなり「ねえ、前髪作ったの」と上機嫌で見せてくれた。三歳くらい幼くなったように見えるが気にいったようでご機嫌。息子は散髪してくるから、とお金がほしいという。帰りに昼ご飯をコンビニで買ってきてといっておいたら娘の分もたしかに買ってきてくれたが少しおつりが少ないような気もしたが、ま、いいか。
 五日の日記に「食欲が湧いてこないのは、あるいは僕の中に文学的リアリティーのようなものが欠如しているからではないかと思った」という村上春樹の言葉を引いたが、「文学的リアリティー」の対義語として「日常的リアリティー」という言葉を使うとするならば、もちろんこの世界では日常的リアリティーが優先する。
 村上の小説を読み終えて楽しみがなくなりがっかりしたが(続けて今度はドストエフスキーの『白痴』を読み始めた)、物語は終わっても人生は終わらない。日常的リアリティーでは、ギリシア悲劇でストーリーが行き詰まった時に持ち出される機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキーナ)は出てこない。しかるべく完結はしない。それが人生である。
 とはいっても事実は小説よりも奇なりといわれることがあるように、そんなことが本当にあるのかと思えるような話は多々あるのであって、そんな話を僕はカウンセリングの場面では聞くことになる。その話は僕のところで当然ストップする。
 ヘッセの『デミアン』を昨年来少しずつ読んでるのだが、「私」は目下自分が犯した過ちを誰にもいえなくて悩んでいる。父にいっそすっかり打ち明けようか、父の裁断と罰を受け、父を私のMitwisserにしようか、と思う。自分の一味にしようというような意味だが、Mitwisserは文字通りには、誰か他の人と何かを(共に)知る人という意味である。そんな人がいるのといないとでは大違いである。「私」は結局父にはいわないと決心するのだが、その苦悩は容易に想像できる。





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最終更新日  2003年01月08日 00時36分21秒
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