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2003年01月16日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 前から予定していたことがキャンセルになって思いがけずオフ日に。昼間家にいると選挙カーからの放送がやかましい。「ただいま候補者本人が助手席に白いたすきをかけてすわっています…」何か大きな誤解をしているのではないか。そんなことを考えてばかりでなかなか集中できなかった。
 今日もローリング・ストーンズの曲を聴く。David Wildのライナーノートを読もうとするのだがいつも読んでいる英語とはずいぶん違うように思う。「…大きな音で(ローリング・ストーンズの)曲をかけてみるがいい。何度も何度も、親しい友人がいるところで。もしこの音楽に反応しない人の隣にすわるようなことがあれば静かに立ち上がって一番近くの出口に行くこと。この音楽に感じない人がいるとしたら何か大きな間違いがある。なぜならこの音楽はずっと鳴り響き、少なくとも二、三世代の間快楽を定義したからである。あなたの人生を変える音楽だ。そしてもっとも重要なことは、人を酔わせうる(そして実際、酔わせた)音楽である(*get laidはきっと特別な意味だろう…)」
 こんなふうに賛美してあっても嫌いな人は嫌いだろう。
 ロニー・ウッドの使うsecond bananaという言葉(昨日引いた)は脇役という意味だが、これの反意語はtop bananaである。こちらは主役ということになるが、なぜこのような意味になるのかは僕にはわからない。カウンセリングではクライエントとカウンセラーは対等であるとアドラー心理学では考えているが、それでもカウンセラーは主役ではなく、second bananaであるといえる。カウンセラーの存在は最終的には忘れられていい。頭が切れ「かみそりのような」という形容詞がふさわしい人がいるがこのような人がもしもカウンセリングをして鋭い解釈をクライエントに示したら見事な解釈の前にずたずたになるかもしれないが救われないだろう。アドラーはこのようにならないことをしばしば戒めている。自分の力でよくなったと思ってほしいし、実際に、second bananaであることが望ましい。
 second bananaのことを書いていて坂口安吾の『二流の人』という作品のことをふと思い出して少し気分がよくなかった。優れた知略を備えながら二流の武将に甘んじた黒田如水のことを書いた小説だったと記憶しているが、second bananaは二流という意味ではない。





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最終更新日  2003年01月16日 23時22分27秒
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