全33件 (33件中 1-33件目)
1
これまで取り上げた人間性心理学のマズロー博士は自己実現の条件の一つとして「手段と目的の識別」をあげている。それに関連して、フランクルは面白い比喩で、次のように説明する。「(日本でもお馴染みの)犬のスヌーピーの漫画でースヌーピーが「人生は無意味だ。人生は空虚だ」とぶつぶつ文句を言っている。そこへ、チャーリー・ブラウンがお椀に山盛りのドッグ・フードを抱えてやってくる。即座にスヌーピーが叫ぶ。「ああ、意味でいっぱいだ!」と。・ この話のどこがおかしいか、というと、手段と意味を取り違えているところがおかしいのだ。つまり、確かに食物は生きていくための必要条件である。だが、人生に意味を付与してくれる十分条件、無意味感や空虚感を満たしてくれる十分条件ではないのである。・ (フランクル著「『生きる意味』を求めてより要旨抜粋」)・ 現代の日本にも「お金(出世、健康)が人生の目的と考えている」人が大勢いるが、これはお椀に盛られたドッグフードを見て「意味でいっぱい」といっているスヌーピーと同じで、実に滑稽である。・ 自分の人生は、自分だけに与えられた貴重なもの=唯一無二であることに目覚めれば、『暇をもてあます』「人生は空しい」などと考えることは、とても『もったいないこと』である。また、『苦しければ苦しみに耐えて生きた姿』『束の間』であればこそ『輝いて生きた姿』こそ『価値』あるものだと認識することが大切だ。・
2013.10.30
コメント(0)
「生きる姿」が感動を与える(Vフランクル)第2次大戦中、ナチスドイツの収容所に入れられ、妻や多くのユダヤ人が虐殺された経験を記した本を戦後発表しベストセラー「夜と霧」で知られるVフランクルは、戦後世の中が平和になって、新たな問題に人々が悩みを抱えるようになると、その後長くアメリカ(サンディエゴ)とウィーンを拠点に、1997年92歳で生涯を閉じるまで、欧米先進国の平和の中で新しく発生した精神の問題解決に意欲的に取り組み多くの人を励まし続けた。即ち、20世紀後半の日本を含め、先進社会では、一般に、あり余る時間を持ちながら、人生の目的を見失い、遊興、薬物に埋没して行く富裕層、退職者、学生などが「生きている意味があるのか」と自殺に走る人々が多く見られるようになった。半面、逆境に追い込まれる人々も少なくない。すなわち貧困で絶望的になっている人々、あるいは不治の病に侵されたり、重大犯罪を犯して死刑や終身刑の判決を受け、囚われの身となって『絶望の日々』を送る人々も存在する。これらの人々に『生きる意味』を認識させ、心に「感動」を甦らせることは、多くの専門医師やカウンセラーにとって治療は非常に困難と考えられている。そんな中でフランクルは独自の治療法=「ロゴセラピー」(意味による治療)を開発、実践し絶望に打ちのめされている人々にも『感動』を甦らせる奇跡の臨床経験を重ねた。また、治療のみならず、一般市民、学生にも、講演、パネルディスカッションなどを通じて『生きる意味』について、いろいろエピソードや示唆を残している。『現代人がストレスフルなのは、緊張すべき環境が原因ではない。(今の日本を始め)先進社会では、つまるところ、全てが与えられた豊かさの中で『輝ける未来』も『実現すべき目標も見当たらない。成し遂げなければならない『使命』もない。こうして、よい意味での『緊張感』(実存的緊張感)を欠いているからこそ現代人はストレスフルなのだ」とフランクルは言う。(「心理療法と実存主義」『生きる意味を求めて』監訳者注)
2013.10.30
コメント(0)
塩見直紀さんは、著書「半農・半Xのすすめ」の中で、インド独立の父と言われるマハトマ・ガンジーの言葉や、アメリカ独立戦争当時に生きた思想家ヘンリー・ソローの「森の生活」さらには、ソローと同時代に生きた渋澤栄一の言葉を引用して、現代日本の社会のアメリカ一辺倒の生き方を憂い、警告している。「都会では、与えられたことに慣れきって、やりたいことが見つからない一因になっている。そのせいで自らが何かを考え出すことができないのだ。私はこういう人にこそ、田舎に遊びに来なさい田舎にたまに戻ってきたらどうですかと声をかけてあげたい。住む世界を変えてみれば、それまで気付かなかったことや見えなかったものが鮮明になってくる。田舎は最高の思考空間である。だからといって田舎住みなさいとは言わない。田舎と都会、半々に暮らしてもいいし、週末だけ田舎を訪れるのでもいい。自然の中でふと心によぎる思いを大事にすることである。19世紀のアメリカの思想家ヘンリー・D・ソローは主著「森の生活」で「人間には野生という強壮剤が必要」と言っている。(中略)ソローが多感な時代を迎えた頃のアメリカはイギリスの産業革命の波に乗り、物質主義と金権主主義がはびこっていた。ソローは・「たんに金を得るための仕事は何もしないのと同じだ」と当時の風潮を痛烈に批判した。(中略) 因みに、ソローと同時代に生き、日本の近代社会の基礎を作り、実業界に貢献した渋沢栄一は「大金持ちになるのは悪いと考えている。かりに国の財産を独り占めにしたらそれは最大の不祥事である。一人が巨額の財産を築いても決して、社会のためにはならず、要するに無意義なことになってしまうからだ。」(意味、要約 )と。 「これらの指摘はバブルに踊りアメリカンスタンダードに翻弄されてきた現代の日本人にとっての警鐘となるだろう。」(「半農半Xという生き方」より) 「変化」について塩見さんは、経験に基づき、冒頭の金言「世界に変化を望むのであれば、自らがその変化となれ」(マハトマ・ガンジー)を踏まえ、次のような言葉に繋いでいる。「環境問題に携わっている人の多くが最初は社会を変えようと、社会に働きかける。しかし、社会はそう簡単に変えられるものではないと思い知らされ悩む。そこで、気づいたのが、社会は変えられないが、自分は変えられるということだった。一人ひとりがそう思い行動すれば、社会はおのずとカタツムリの歩みのごとくゆっくりと変わっていく。(スローレヴォリューション)(同著より)私が渋澤栄一やソローやガンジーの言葉を知り、あるいは改めて確認したのは、この塩見さんの著書を通じてだった。いかに塩見さんが読書家であるか、また、その読書を通じて、人生に必要かつ大切なことを、学んでいったかを知ることができる。このスローレヴォリューションという考え方は、マズローのいわゆる自己実現者の共通要素=「自己実現者は、一般の社会を過激な抵抗運動ではなく、穏やかに、内から変えていこうとする」という条件とも完全に一致している。
2013.10.29
コメント(0)
この言葉は亡き兄がよく使っていた言葉。生前、出典を聞いておかなかったので、今となっては、確かめることは出来ない。もしかすると、兄自身が経験的に作り出した造語かもしれない。普通、人間と動物の差はー「人間は言葉を使う、火など道具を使う、文化の継承があるなどほかの動物との間に大きな差がある」といわれている。しかし、人間同士の間にも、大きな差があり、それは、人間と動物の差以上に大きいというのである。 確かに、崇高な理想を胸に抱き、道端で行き倒れになっている人々に手を差しのべる仕事をたった一人でやり始めたマザーテレサ。彼女の行動はやがて多くの賛同者、支援者を動かすことになった。ケニアの環境副大臣ワンガリー・マータイ女史。(前出)彼女は、国土が乱伐で森林が消滅していくのに危機感を抱いて、わずか9本の苗木を植えることからNGOグリーンベルト運動を始めた。この植林運動を通じて国の政治改革を目指した。その原動力、土台となったのは長年重労働と無教育、無知を強いられ、弾圧されてきたアフリカ諸国の女性の「意識変革」にあったことを見逃してはならない。アフリカで子供たちの救援、介護に当たっているシスターマリオーラ、地雷の除去、地雷の被害にあった子供たちの救援活動に立ち上がって奮闘しているNGOの人々など、世界には、頭の下がるような無償の活動を進んでやっている人も少なくない。そういう人達がなぜ、報酬の期待できない活動に喜んで身を投じるのか。彼(彼女)らは「自分のやっていることに意義を感じている」からである。もう少し、いえばその背景には・ 自然に対する畏敬の念があることはたしかだ。このように、「神に近い存在の人間」もいるかと思えば、他方には、畜生にも劣る人間、人間の仮面をかぶった悪魔もいることは、歴史上の人物、たとえばユダヤ人を始め大量虐殺をしたヒトラーや日本軍閥、スターリン、カンボジアのポルポトあるいは、カルト集団の教祖や幹部。そして最近では少年少女を残虐な方法で殺した凶悪犯たち。そして自分の子供を虐待し殺す親。彼らは、鳥や獣が命がけで子育てしているのを見たら恥ずかしいに違いない。確かに鳥や獣以下である。というわけで、上級の(神に近い)人々と獣の以下の人間の差は、人間と動物の差以上に大きい、といわざるを得ない。あなたは、どう感じるだろうか?
2013.10.29
コメント(0)
人間の心もからだも『自律神経』の影響を受けている。自律神経には、内臓やからだの動きを促進する交感神経とその働きを弱め、休ませる副交感神経があり、両者のバランスで体調や精神状態が保たれていることが知られている。交感神経が緊張しすぎると、ストレス状態になり『休息』が必要になる。が、いつも『休息』ばかりをしていると副交感神経の働きが強すぎて、心もからだも『怠け癖』がついてしまう。心もからだも・ 大事にしすぎると、かえって症状が長引くことがある。たまには・ 少し無理をしてみることによって、『突破口』が開けることを知っていただきたいもの・ 案ずるより、産むが易しである。とにかくこういうときは「受身」ではますます、心までが「引きこもって」しまう。 そこでまず、積極的にからだを動かすというのは、「前向き」で、おすすめ。 ジョギング、ストレッチ、スイミング、卓球、テニス、ボーリングなど気軽にからだを動かせば、眠っていた自律神経も呼び覚ますことができ、生理的にも有効な効果が期待できる。からだを動かした後は、サウナや入浴、シャワーでさっと汗を流せば、気分爽快-というシナリオは確かに健康的で、次の生産的な活動へ結びつく。 問題は、「からだを動かす」ことも億劫だったり、風邪気味、体調不良でじっとしていなければならないーという場合である。 ・自分は人の役に立つことをやっているという実感、・ 私は、人に必要とされているという意識が持てるように心がけることである。・ 逆に、そういう意識がもてない人は、いてもいなくてもいい存在という気分になりがちで、ふさいだ気持ちをますます増幅させる。 それは定年退職後のビジネスマンや子育てが一段落して、これといった仕事を持たない主婦にも多く見られる現象である。これらの人々にとっては、家事でも、ボランテイア活動でも地域活動でも『何か』役割を担うことが有効である。最近は、小中学生にまで、こういう「悲しい精神状態」の人が広がっていることは、由々しき問題である。親や家族から放置され孤立して(自分なんかこの世に生まれてこないほうがよかったんだ)と「思いつめての自殺」が常に報道されている。あるいは、「むしゃくしゃして放火した。放火すれば、人がこちらを向いてくれる」という人もいるようだ。いずれの場合も『孤独』が事態を一層深刻化させ、本人を追い詰める。マザーテレサの言葉にあるように、人間にとって最も不幸な状態は「自分が必要とされていないと認識した時」なのである。*『閃き』のヒント日ごろから・ 自分を待ってくれている人、必要とされている人がいるという実感が持てるように心がけることが、毎日を充実して過ごすための秘訣。では、具体的にはどうするか、やはり、人のためになること、役に立つことに目を向け、自分の役割を認識して誠実に遂行することが第一、である。そうしていれば、だれかが、必ず関心をもち、好意を示してくれるはずである。そして、出来れば、人に喜んでもらえる『得意技』を早く身につけること。例=「孤独な人」に目を向けるとー「独居老人」の「孤独死」の不安=サインを送るSOSシステムーボランティア団体に働きかけ、「コミュニティつくり」をする。大震災で、多くの人が亡くなり、また家族を失い、家を失い、避難所生活を余儀なくされた。今こそ、・自分にもやるべきことがある。自分も「必要とされている」と感じるときではないか。
2013.10.26
コメント(0)
最近は世の中がますます忙しくなり、競争は激しく、ストレスも強いからだろう。「癒し」がブームになっている。業績目標の達成、上司からのプレッシャー、部下との人間関係、あるいは得意先への気配りなど、ストレスの種は尽きない。 ストレスが強すぎると、心はもとより体の調子までおかしくなり、いわゆる『心身症』に悩まされ、ついには本物の病気になってしまう。 だからストレスに対応し、克服するために何らかの『癒し』は有効で、効果もあるだろう。でも、それが単なる対症療法だとしたら、解決策といえるかどうか。職場や家庭や地域に、ストレスの元になるもの、いわゆる『ストレス源』がある限り、ストレスー癒しーストレスという『循環』は限りなく続くことになる。 これでは、ストレスの源である仕事や人間関係がなくならない限り、悪循環が永久に続くことになり、本当の解決にはならない。でも、ストレス源があるからといってすぐに職場を変わるとか、人の配置を換えてもらうーそんな解決策は現実的とはいえない。また、かりに可能だとしても、「新しい環境」にはまた『別の新しいストレス』がついてまわることは必至。そうだ。ストレスは逃げようとすればするほど、追いかけてくる。そこで、もっと大きなテーマ=価値ある目標=理想を掲げて、その実現に邁進することによって、・ 大事の前の小事と受け止めることが出来る。 そして、逆にこう考えることも、有効。『行く当てもない、話し相手もない』状態になった定年退職後のサラリーマンのイメージを描くのである。 むしろ、『行く先があること』のありがたみもしみじみ分かり、自分の現在のストレスに満ちた環境を『新しい視点』から見直すことも出来るはずである。社会的責任を持つことが「生きがい」にもつながると考えるべきではないか。
2013.10.26
コメント(0)
『生き方』『幸せ』について考えさせられる童話の秀作としておすすめは「ピノキオ」。 木の人形のピノキオは、いたずらなどこにでもいる腕白小僧。「今日こそは、まじめに生きよう」「勉強しよう」「正直になろう」と思いながら、いつも悪い友達の誘惑に負けてしまう。さんざんな目に遭いながら、ついに人間にしてもらうピノキオは、人間の「弱さ」「愚かさ」そして「善良さ」「たくましさ」をそのまま表現している見事な作品。これは、子供の読み物というよりも、むしろ、大人が読み直すとためになる作品だと私は考えている。あなたが『山のあなたの空遠く幸住む』と信じて、幸せを求め続けるか、それとも、足元を見直して、足元にあったはずの幸せ、忘れかけていた幸せに気付くかーまさに、あなたの心がけ次第だと思われる。
2013.10.26
コメント(0)
『山のあなた』はドイツの詩人カール・ブッセの詩。上田敏の名訳で日本では有名。この詩はさらに「ああ、われひとと尋(と)めゆきて涙さしぐみかへりきぬ。山のあなたのなお遠く幸住むとひとのいふ」と続く。訳はー「ああ、私もみんなと一緒に行って涙ぐんで帰ってきた。山のかなたのさらに遠くに幸が住んでいると人が言う。」となる。その意味を「幸せは山のかなたにあるのでなく、足元にある」とみる人もいるが、ブッセがどういう心境だったかは不明。「なお遠く幸住む」というあたり西欧人の飽くなき欲求、未練が感じられないでもない。一方、メーテルリンクの「青い鳥」という話を皆さんも子供の頃聞かれた記憶があるだろう。これも西欧の話だが、ここでは「幸せの青い鳥は、外に求めても求められず足元にあった」という主題がはっきりしている。ここでは、実は、このことがいいたかったのである。今、いろいろ悩みや問題を抱えている人も多い。しかし、戦時中、命を脅かされた時代、戦後の貧しかった頃を知っている私たちから見れば、「平和で、経済的に豊かになって何が不足があるのか。」ということも多いような気がする。いや、今でも、イラクやパキスタン、アフガニスタンのように始終爆弾テロの危険に曝されている地域もあれば、内戦に明け暮れる地域、自然災害に叩き潰され、住む家も食べるものもない人々が、この地球上には何百万、何千万人と存在していることを思えば、一般に日本人は何と恵まれた環境の中で生活しているか、ということが分かるはずである。日常生活の中で、不平、不満、悩みや苦しみ、迷いなどは付きもの。でも、そういう思いに悩まされたとき、以上のようなことに思いをめぐらせれば、・ 足元にあるはずの幸福を見失い、忘れていたことに気付くかもしれない。いや、きっと、気付くはずである。そういえば、『生き方』『幸せ』について考えさせられる童話の秀作としておすすめは「ピノキオ」。 木の人形のピノキオは、いたずらなどこにでもいる腕白小僧。「今日こそは、まじめに生きよう」「勉強しよう」「正直になろう」と思いながら、いつも悪い友達の誘惑に負けてしまう。さんざんな目に遭いながら、ついに人間にしてもらうピノキオは、人間の「弱さ」「愚かさ」そして「善良さ」「たくましさ」をそのまま表現している見事な作品。これは、子供の読み物というよりも、むしろ、大人が読み直すとためになる作品だと私は考えている。あなたが『山のあなたの空遠く幸住む』と信じて、幸せを求め続けるか、それとも、足元を見直して、足元にあったはずの幸せ、忘れかけていた幸せに気付くかーまさに、あなたの心がけ次第だと思われる。
2013.10.24
コメント(0)
第2次世界大戦中、ユダヤ人というだけの理由で家族と共に、アウシュヴィッツの収容所に強制収容され、妻をガス室に送られ、自らも生死の境をさまよった、ウイーンの精神病理学者V・フランクル。当時の記録を著書「夜と霧」にまとめて出版し、この本は、ベストセラーとなり、歴史的名著として遺された。その中でフランクルは「意義への意思」を強調している。彼によれば、収容所で生死を分けたのは、「生きている意義」を認識し、未来に希望をもったかどうかにかかっていたという。 ドイツ軍の降伏により、収容所から開放されたとき、生きる意味を失っていた人々は、自由の身になっても、発狂したり、間もなく亡くなったそうである。 無事に生還した人々は最後まで『生きる意味』を失わず『希望』を抱いていた人々だったといわれる。彼自身は、囚われ、自由を失った悲惨な状態においても、次のように自分に言い聞かせたということである。「私達はどんな状況に置かれたとしても、それに対する自分の反応を決定する自由があり、それは自分以外の何者によっても奪い去られることはない」「私は今、美しい暖かい講演会場にいる。聴衆に向かって、今強制収容所について講演をしているんだ」(このようなイメージを抱き、生きる意義を見失っていなかったから、自分は絶望的にならず、生き残ることができた)と、危機的状態の心構えについて、名言を遺している。 人間はどんなに『危機的状態』に追い込まれても、『生きる意味』をもち続けることが大切であること。それが、『生存』の決定的な因子になることをフランクルは、強制収容所に収監され、明日の命もわからない危機的状況下で身をもって実証したのである。大震災で大事な家族や家を失い、仕事場も津波に流され、避難所で避難生活を送っている人たちは、希望をなくして絶望的になっているかも知れない。『明日は我が身』今度は被害を受けなかった人も、いつ突然の災難に見舞われるかわからない。そういうときに、希望を失わず、フランクルのように、明日を思い、「希望のイメージ」を描くことだ。フランクルは、第2次大戦中の収容所生活に於いて、収容したドイツ人にも、収容されたユダヤ人にも、悪意も善意も見出せた。その境界は入り混じっているのであり、したがって一方が天使で他方は悪魔であると説明することはできない。それどころか看視兵として囚人に対して人間的であろうとして何らかの人格的道徳的な行為もあったのであり、他方では、彼自身の苦しみの仲間に不正を働くある囚人の忌まわしい悪意もあったのである。われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち、品位ある善意の人間とそうでない人間との『種族』である。二つの『種族』は一般的に広がって、あらゆるグループの中に入り込み潜んでいるのである。もっぱら善意の人、あるいはもっぱら悪意の人だけからなるグループと言うのは存しないのである。(フランクルのこの名言については後で詳述)これはドイツの収容所だけでなく、あちこちで見られた現象だった。同じ第2次大戦中、日本の外務省の命令に背いてまで人道的な立場から、多くのユダヤ人の命を救った外交官杉原千畝さん。 聖将といわれ、占領下の住民からも慕われた、といわれる陸軍大将第8方面(インドネシア)司令官今村均さんなどである。これらの人々は「品位ある選択」をしたことが、多くの関係者の証言、文献で知ることができる。 映画「戦場のピアニスト」では廃墟の中に隠れていたユダヤ人のピアニストが、ドイツ軍の将校に発見され、死を覚悟でピアノを演奏し、ドイツ軍将校は、ピアニストの命を救い、自らは、敗戦後収容所に収容されたーというエピソードが感動的に描かれている。 「戦争」と言う極限状態=悲劇の中では東洋も西洋もない。肌の色も関係ない。どこの国の人であっても『いかに自分らしさ』『人間的に生きるか』=・品位ある行動を取ることができるかを問われる。東日本大震災で避難生活を送っている人も、避難先の人たちも例外ではない。品位ある善意の人間とそうでない人間との『種族』がいるのである。だから、避難所生活をして、いやな思いをすることがあっても、決して、人を恨んではいけない。また、避難所生活を送った人たちが一番辛いのは、「何もしないでじっとしていることだった」と言う話だ。そして、避難した地域で現地の人たちと一緒になって畑を手伝ったり、それぞれの職業にあった仕事を始めた時に、元気が出てきたと言う。 たとえば、理髪業は現地で床屋、コックさんは調理というように。 また、震災とは関係ないが、年金問題で、「年金をかけて6万円しかもらえず、年金をかけないで生活保護をもらうと13万円ももらえるというのは矛盾がある」と言われる。確かに、不公平で筋が通らない。が、あるTV番組であるタレントがこう言っていた。「何もしないでお金だけもらうより、金額は少なくても何かすることがあって生活できれば、そのほうが、いい」と。一理ある話ではないか。*フランクルの原文は、そのまま引用すると難解な部分もあるので、読者の理解を容易にするため、若干筆者の解釈を加え、この連載の文体にあわせるため、引用文に表現上の加工をした部分があります。 )*『閃き』のヒントビジネスの交渉も「人を見て法を説く」要領で
2013.10.22
コメント(0)
ローマ帝国の爛熟期には、コロッセオなどで、猛獣と奴隷、奴隷同士のサバイバルゲームがはやり、民衆は熱狂する。現代社会には、それほどの不道徳のスポーツではないが、野球、サッカーなどがエスカレートし、サポーター同士で暴力事件が多発したりする。またTV中継の普及で深夜、徹夜でスオーツを楽しむファンが増え、健康に悪影響を及ぼす。
2013.10.17
コメント(0)
失業者が増え、余分の時間をもてあますとギャンブルに興じる国民が増える。性風俗の乱れで、私生児、シングルマザーが増える。一方富裕層は、豪華な買い物、クルージングに興じる。女性が経済力を持つと、ホストクラブなどが増え、狂気の快楽が世の中を益々狂わせる。
2013.10.17
コメント(0)
ローマ帝国は、相次ぐ周辺諸国への侵略で軍事費やインフラ公共投資に金がかかり、増税負担となって国民にのしかかった。日本も高齢化で退職金や年金、医療保険の負担は、急増し、増税せざるを得なくなった。長引く不況で失業、低所得者、困窮家庭が増え、生活保護対象者が国や地方行政の負担を重くしている。ローマ帝国崩壊前夜と今の日本の状態は、この点でも酷似している。
2013.10.17
コメント(0)
エドワード・ギボン(EdwardGibbon,(1737-1794)は、イギリスの歴史家で、『ローマ帝国衰亡史』の著者文明崩壊の要因 1 家庭の尊厳が軽視される 2 重税と過大な福祉 3 快楽を求める狂気。 4 スポーツがエスカレートし不道徳になる。 5 大規模化する軍事費、(非道徳化には歯止めがかからない)6 宗教の堕落これを見た瞬間、私は、余りにも、現在の日本の社会現象に当てはまることが多すぎるような気がして、ギクリとしたのだが、皆さんはどう感じられただろうか。 離婚や家庭内暴力(ドメスティック・バイオレンス)などが横行し家庭が崩壊して親子が憎しみ合い、殺し合う。医療費の増大と増税の機運 戦後、日本では、復興、高度成長の時代に、夫は、仕事に明け暮れ、家庭を顧みないで、妻任せという時代もあった。 いずれにしても、この頃、夫不在は当たり前だった、その後、核家族化に加えて、女性の職場進出が進み、共働きの家庭が多くなるにつれ、妻までが家を空ける時間が長くなり、いわゆる『鍵っ子』が出現した。夫の単身赴任も珍しいことではなくなり、「亭主元気で留守がいい」などという流行語ができたこともあった。 考えてみれば、こんな状態で、家庭がまともに営めるはずはない。家族間特に、夫婦の意志の疎通が少なくなり、離婚が増え、文字通り「家庭軽視」「家庭崩壊」が始まった。「地域社会」も崩壊し、地域社会の浄化作用も消滅。子供は最大の犠牲者となった。 バブル経済が崩壊し、夢から覚めたように、夫も妻も家庭を大事にしようという機運も一部では見られるようになったが、「時、既に遅し」の感もあり、こうして、青少年の非行化が社会問題になり、大人の手に負えないような少年少女が巷に溢れるようになり始めた。携帯電話や出会い系サイトに誘発された少年少女を食い物にする犯罪が横行し、少年や20代の若者自身による凶悪犯罪が頻発し、少年法の改正も論議されるようになったのも、親たちが家庭を捨て、軽視した『ツケ』が回ってきたと見て差し支えないかもしれない。
2013.10.17
コメント(0)
日頃調子のいいお世辞を言って近付いてきても、人が逆境、落ち目になると見向きもしないような人は「冷たい人」である。・ 見かけや「甘い言葉」で人やビジネスを判断してはならない。・ 大震災をはじめ、世の中や人々が「逆境」にある時、人や組織の「真価」が問われる、と考えよう。普段は、親切そうな言葉やいかにも、頼りになりそうなことを言っていながら、社会、職場、地域などがピンチに陥った時に、真っ先に逃げてしまうような責任者、政府、軍部ではどうしようもない。戦争中に勇ましいことを言っていた軍部が戦争の敗戦の色濃くなってから、国民を放っておいて真っ先に逃げ出したといわれる。悪名高い関東軍はその典型。・ 大震災前には、「コンクリートから人へ」と言っていた民主党の幹部の中で、国や地域が危機に立たされた時は、だんまりを決め込んで、必死に復興に当たっている首相や党幹部を引きずり降ろそうとする-こういう時こそ、政治家の真価が現れる。そんな奴には2度と投票しないことだ。・ 一般市民の中でも被災地から避難してきた人の車に嫌がらせをする心ない人もいるという。本当に情けない品格の劣った人たちだ。・ *参考書「人を見抜く107のヒント」(国司義彦著 こう書房)災害に遭って途方に暮れているとき、優しい言葉や温かい思いやりそして、心づくしのもてなしや介護、支援は身にしみる。大震災のようなときに、どういう言動をするか、よく見ていると、その人の「真価」がわかる。政治家なども日頃偉そうなことを言っていても、みんなが困っているときは「ダンマリ」を決め込んでいる人は、誠意など微塵もない人だ。この言葉の反対の意味が「巧言令色鮮仁」という孔子の言葉。
2013.10.17
コメント(0)
車到山前必有路ツアー タオ スアン チェン ピー ヤオ ルウ【進めば必ず道開く】この言葉は、中国では、誰でも知っている有名な「教え」だそうだ。ノンフィクション作家城戸久枝さんは、中国残留孤児の娘で、公費留学生として中国吉林大学に留学し、自身の体験や中国残留孤児への取材をモチーフに、残留孤児の一人だった父の生い立ちや旧満州の育ての親との『絆』を「あの戦争から遠く離れて」という著書にまとめて出版した。この本は数々の文学賞を獲得し、NHKの連続ドラマ「遥かなる絆」という形でも紹介されたので、ご存知の読者も多いと思われる。 あの太平洋戦争で旧満州に在住した日本人はソ連軍から宣戦布告を受け、命からがら日本に帰国した。著者のお父さんは当時僅か4歳の幼児で、両親と引き揚げの途上牡丹江でソ連軍の機銃掃射を受け、家族がバラバラになった。乳幼児の中には逃避行の邪魔になるので、川に投げ込まれた人も多かったようで、著者のお父さんも危うく命を落とすところを養母淑琴に助けられ、中国名孫玉福として育てられた。言葉も分からず、風俗習慣も違い、侵略者、敗戦国というイメージで日本と日本人への恨みと偏見を持つ人も多かった中で、養母は必死に玉福をわが子として育てた。 玉福は勉強もよくできたので、小学校を無事に卒業した。しかし、働き手の夫と死別して未亡人になった淑琴には、上級学校へ進学させる家計の余裕はなかった。が、周囲の援助を受けて高校まで進学、北京大学はじめ大学進学のチャンスもめぐってくる。しかし、「お前は日本人だ。中国人と嘘をついてまで進学するつもりか」と友人から非難を受け、正直に日本人と申告したところ、成績には問題がなかったのに不合格となる。玉福は進学をあきらめ、しばらくは恩師の計らいで、中学校の代用教員となるが、これも、外国籍の玉福は非適格者とみなされ、材木市場の肉体労働者として働き始める。収入面ではそのほうが楽になり年をとり農作業がきつくなっていた養母の淑琴を農村地帯から都会へ呼び、『楽をさせてあげたい』という玉福の『恩返し』の計らいだった。こうして、母子は一緒に暮らすようになった。また、この仕事を通じて玉福には国籍を超えた中国人の2人の親友をえた。幸せな日々が続いたが、玉福は故国と実の両親への思いがあった。幼児の頃のかすかな記憶から助けられた中国人を訪ね、ようやく、手がかりになりそうな、家族の名前の頭文字の「城」と、愛媛県出身の陸軍少佐だったという手がかりをつかんだ玉福は何百通もの問いあわせの末、ここから実家の姓が「城戸」であることが判明する。その後中国の政治体制の変化や日中両国の外交上の曲折に翻弄されながら、ようやく玉福は、自分が愛媛県の出身で日本人名「城戸乾」であるという情報にたどりつき、その後めでたく実の両親と再開を果たした。養母との悲しい別れ、日本へ帰国してから、今度は日本語の言葉の壁、環境変化、日本に帰国した城戸乾には「帰国残留孤児」の試練が待ち構えていた。 こうした中で、城戸乾はある日本人の女性と出会い、結婚、久枝が誕生する。その娘の久枝は父を育てられた養母と対面し、血のつながりはないものの、「絆」を信じ、中国への留学を決意することになる。ここにたどり着くまででも「波瀾万丈」であることがおわかりだろう。NHKのドラマでも1H*全6回の長編に編集されていたが、その前半3回分の要約にすぎない。 そういう中で、父が心の支えとし、娘が、好きな言葉として選んだのが今回の金言車到山前必有路ツアー タオ スアン チェン ピー ヤオ ルウ【進めば必ず道開く】だった。戦争、そして国と国の間の思惑や利害に翻弄されて、それぞれの国民がいかに「運命」を左右されるか。しかし、どんなに困難や障害があっても、『道は開ける』ことを信念として生きたからこそ、ドラマの主人公父娘には、文字通り「道が開けた」ことをこの言葉は思い出させてくれる。私も少年時代敗戦を経験し、戦後の焼け野原を目の当たりにし、家を失った大勢の罹災者、親を失った孤児などもこの目で見てきた。当時の日本はほとんど全世界を相手に戦いを挑んで敗れた敗戦国で、全国民が財産を失い、世界の中で国も孤立状態だった。それに比べれば、東日本大震災は、確かに未曾有のダメージを受けたが、日本全体としては、被災していない人たちもあり、全世界から支援の申し出もある。厳しい状況ではあるが、敗戦後の状況に比べれば、まだ、精神的にも経済的にも救いがあるのだ。
2013.10.16
コメント(0)
博学で知られる小島直記さん。ドイツ、フランス、イギリスなど近代欧米の哲学書はもとより、ギリシャ、古代中国などあらゆる哲学書に精通していることは参考書に引用された学者、哲人の名前を見ても明らかだ。その小島さんが、ガンを患い、生死の境をさまよった大手術を受けた折に、「心の支え」となったのは、いろいろな人物の「語録」だった、と述懐しており、これはまさに、「危機に瀕した人間の」偽らざる実感のこもった話だった。また、人生に行き詰まり、迷った時に「哲学」はかえって、「死」に導く危険もある、と同氏は言っている。実際、近年年間3万人を超える自殺者が出るのは、多くの人が高等教育を受け、「いろいろ考えすぎる」傾向が拍車を掛けていると、という見方をする人もいる。「哲学」の学び方を誤るとー 著者は同書の中で、「人生の価値はその長さになるのではなく『用い方』にある。(中略)十分に生きたかどうかは、『生き方』、本人の意志にかかっている。生きた年数には関係ない」というミシェル・ド・モンテーニュの言葉を紹介している。(一部筆者抄訳)。 モンテーニュは16世紀フランスのエッセイスト。彼の影響を受けたパスカルの言葉、「人間は自然の中で最も弱い葦に過ぎない。しかし、考える葦である」はつとに有名だが、著者は「2度にわたるガンの手術のとき私を励ましてくれた」言葉として、モンテーニュとパスカルの言葉を挙げて述懐しているのである。が、他方ではモンテーニュの「哲学をきわめるとは、死ぬことを学ぶこと」という言葉も紹介している。この言葉は自殺者年間3万人という現代の日本人に重く響くような気もする。現代の日本人が、このキーワードにあるように「分厚な哲学書」を勉強しすぎて自殺者が増えたわけではないが、拡大解釈して「勉強の仕方を誤ると、死に急ぐ」と取れないこともなく、その昔、哲学をもってしても人生の真相は「不可解」との言葉を遺して華厳の滝に飛び込み自殺をした一高生(旧制、今の東大)藤村操の話を思い出させる。*小島直記 (1919年~2008年)東京大学経済学部卒。海軍主計大尉で終戦。1966(昭和41)年ブリジストンを退社し、ペン一本となる。『まかり通る』などの伝記小説や『出世を急がぬ男たち』などの男たちシリーズが評判を呼ぶ。(『一燈を提げた男たち』著者紹介より)*「考えること」はよいことだ。しかし「考えすぎ」はよくない。*ここで紹介した小島さんの「述懐」は、本書の趣旨「古今東西の名言は、人生の危機、逆境に際して、あるいはその他日常のあらゆる場面で、「心の支え」となること」を裏付けるものだ。 ・
2013.10.15
コメント(0)
・「困難こそ『魂』を磨き上げる」(ウェイン・ W・ダイアー)悲しいのに、無理に幸せを装ってはいけない。悲しければ、ごく素直に悲しみを意識していると認め、そのまま悲しみに浸っていたいか自問しよう。そんな状態のままでいたくないなら、悲しいのは自分の考え方のせいだと認識して、それを認めよう。悲しくて当たり前と思ったら、いつまでそんな状態のままでいたいか考えて、悲しいのは自分の考え方のせいだと理解して、その考え方をできるだけ早く手放そう。自分の気持ちを「認め、理解し、手放す」というこのちょっとした心のテクニックは、数分で完了できる。マズローの欲求段階説の最終段階は「自己実現の欲求」である。これは、自分の人生に目的や意義を深く感じ、スピリチュアルな喜びを感じる段階である。つまり自己実現するとたえず喜びを感じられるようになるのだ。こんな風にこの上ない幸せを感じられるかどうかは、どんなことを考えるかに左右される。つまり周囲にどう見られているか、自分がどんな結果を出せるかをやめ、人生の価値ある目標に向かって没頭するということだ。何があろうと幸せになろうと、心に決めれば、事態は良くなる。・今は悲しいだろうが、きっと乗り越え、いつか笑顔で振り返られる。(W・ダイヤー著"Spiritual Solution to Every Problem"より、大意要約)*ウェイン・W・ダイアー 1940年生まれ。心理学博士。マズローの「自己実現」の心理学をさらに発展させた「個人」の生き方重視の意識革命を提唱。新個人主義の旗手として世界的に注目を集め、多くの人に精神的な救いの手を差し伸べている。
2013.10.15
コメント(0)
ここまで来ると、一つの方法としておすすめしたいのは、複合の知識、技能を習得する方法。英語や経理など単独分野のプロとして認められるのは至難のわざなので、もう一工夫します。たとえば「英語ができるようになる」というやり方。これに、さらに何かの分野のテクニカル・ターム(技術用語)、関連分野の法律に詳しいという技能が加わると、間違いなく第一人者の折紙がつけられます。こうして、複合の技能を身に付けるように「積み重ねて行くこと」が、自分の存在価値(P・I)を確立するコツなのです。 こうしてPIさえ確立しておけば、それがたとえ、ライフワークでなくても、今後、仕事や職業を選択する幅が広がるでしょう。今のうちに、一般社会情勢や世界の動きなどにも関心を持って、「広い視野でモノを見る」習慣を身に付けておいた方がよいのです。その際、人があまりやりたがらないものにチャレンジすべきです。多くの人がチャレンジするテーマは競争も激しくPI(パーソナル・アイデンティティ=個人として、他の追随を許さぬ特性)も確立し難いからです。さらに、企業全体を見渡してみましょう。すると、どんな分野の仕事を担当しても、最終的には、売上げが上がらないことには、企業は成り立ちません。だとすれば、「売る力」すなわち「営業力」を磨けば、どんな時代、どんな環境に置かれても、「必要不可欠な存在」になることができ、自分にそういう「営業力」があれば、それは、立派なライフワークになることが分かるはずです。 このように、どういう部門の仕事を担当しても、『職人の技能』を身につけることが、自己(PI=パーソナルアイデンティティ)を確立するコツですが、せっかく職人芸をマスターしても、それがまったく通用しなくなることがあるので注意を要します。たとえば、電話の交換手、活字を拾う植字の仕事は昔は、立派な特殊技能として通用したが、今はそうではありません。電話の自動交換が普及し交換手は不要となり、印刷、技術やパソコンの普及で、植字工の技術は不要となったからです。IT関係の技術者も、当初は高等技術者として高く評価されましたが、この分野の技術の需給関係の変化により、特殊技術の地位アイデンティティは急激に変化しました。 したがって、自分の職業上の技術を磨くとともに、世の中の変化にも関心を持つことです。
2013.10.14
コメント(0)
TPP交渉で既得権は?
2013.10.12
コメント(0)
*現在の企業の将来、仕事の可能性に失望し、『新天地』を切り開こうとする人、『転職』『脱サラ』を考える人、その決め手となるのは『あなたの個性・能力・興味・器』次第です。(後の章参照)とりあえず、ここで『経理』『営業』に興味を持って頂くヒントを示しました。これは、独立、転職、どの道で『新天地』を開くにしても、『有力な武器』になります。営業は『攻めの必殺武器』そして経理は『守りの必携の武器』だからです。この二つの武器を手にしたあなたは、今後どの道を選んでも、『食いっぱぐれ』はありません。
2013.10.10
コメント(0)
では、次に、多くの人が「苦手」とし敬遠する傾向のある「営業」はどうでしょうか。 でも、他方「営業が好き」という人もいます。そういう人たちは、必ずこの仕事に「喜び」を見出しています。このタイプの人々に言わせると「いろいろな人に会って話ができる」ことを好きな理由としてあげることが多いのですが、「人に会うのが苦手」という人にはこれは、どうにも理解できないことでしょう。特に、営業活動をした挙句、断られ、門算払いを食わされたりして「対人恐怖」になっている人もいます。そんな人に営業に興味をもて、好きになれといっても無理なことに思われます。しかし、意外にそうでもないのです。・ 世の中にはいろいろな人がいる。今日はどんな人に会えるかなと考えて訪問するようにすると、意外に人に会うのが楽しくなるものです。 私の場合は、若い頃営業実務の経験がなく、コンサルタントとしていきなり営業マン教育を担当するようになりました。ところが、「理論」「理屈」だけでは、通用しないのが、この世界。受講生の中にはベテランセールスマンもいて「先生、この商品を売る自信がありますか」などという意地悪な質問をする人もいて、内心「ギクリ」とする経験も味わいました。しかし、40歳近くなって「これではいけない。ホンモノの営業社員教育、人材育成を自信をもって実施するためには実戦経験が必要と一念発起、「飛び込み訪問」も実際にやってみました。 40歳に近い中年男が、見知らぬ客を訪問して、たいていは門前払いを食わされながら、飛び込み訪問をやっている姿を想像してみてください。屈辱感や劣等感が先にたって、はじめはなかなかうまくいきませんでした。自信を失いかけた頃、あるお客さんから、親切に声をかけられ、お茶を入れてくれたり、新しい見込み客を紹介されたりしたのがきっかけで、自信がつくと同時に『今日はどんな人に会えるかな』と気持ちを切り替えて営業活動を続けました。こうして、一人のお客との出会いがきっかけとなって、次第に実績を上げることができるようになりました。 このように考えると、あらゆる業界、分野の仕事も「捉え方次第」で、つまらないことも「有意義で役に立つ」ことがわかるようになり、毎日が楽しくなります。
2013.10.10
コメント(0)
*経理は推理小説よりも面白い? 私は、20代の頃、経理や数字、統計が大嫌いでした。あるとき、先輩から「会社の経理は技術だよ」と教えてもらって、考えが変わりました。「経理は事務」と考えるのが常識ですが「経理は技術」という視点で見ると・ 経理を知ることで、会社の経営状態がわかったり「経営」全体がわかる技術だとその先輩は教えてくれ、さらに、経済新聞などに決算期に紹介される「決算書」の見方を手ほどきしてくれたのです。一見無味乾燥に見える決算書ですが、損益計算書と貸借対照表を見ることによって、会社の現状(損益や資産内容)が手に取るようにわかる--これは実に楽しく有意義で、いろいろな意味で役に立つことがわかりました。 そして、まず、自分の会社が上場会社の場合は、会社の財務諸表に関心をもって、現状や将来性を診断すること。これは、その会社が自分の一生を託す価値があるか、それとも、転身を考えるべきかの重要な手がかりになります。次に、公開されているよその会社の経理報告を分析しても、いろいろ面白いことがわかってきます。中には、実際に儲かっていないのに、儲かっているように見せかけたり、逆に儲かっているのに、儲かっていないように「所得隠し」をしていることもあるというのです。もちろん、それは、企業にとって、「トップシークレット」であり、万一うそが発覚したら、刑事罰で告発される大問題ですから、外部のものにはわからないように上手に「加工」してあるに違いありません。しかし、損益計算書と貸借対照表を仔細に見ていくと、ある程度「推察」」ができるようになるのだそうです。そのノウハウは、ここで、一口ではいえませんが・ 不自然なところが読み取れる決算書は、「灰色」、つまり、「怪しいな」ということが推察できるらしいのです。 これは、先輩に言わせると「推理小説」よりも面白いことだといいます。実際に、こういう方法で「怪しいな」と検討をつけておいた会社が後に問題を起こし、倒産に追い込まれたり、不正経理で告発されたケースがわかったりすると一種不思議な興奮を覚えるのだとその先輩は言っていました。 この先輩のように他人のあら捜しをすることは、あまりお勧めできません。が、これを次のように考えてみたらどうでしょうか。 あの、ライブドアの粉飾決算が見抜けたかどうか?・ 公開されている「財務諸表」を手がかりに、将来有望な会社を見抜いたり、株価の値上がりを予想して、実際に株の売買で利益を上げることができる。 私の場合は残念ながらそこまで「実益」を上げることはできませんが、少なくとも、嫌いだった経理を毛嫌いせず、経営の勉強の有力な手がかりに活用する「技術」と考えられるようになりました。
2013.10.09
コメント(0)
仕事が面白くない、張り合いがないという悩みを解決するには、まず・ クールになること です。むしゃくしゃ、イライラ,カッカ としているときは、現実の生活から少し離れた角度から自分と周囲をクールに見直すことが先決です。 問題は、その「後」であり、そこから「先」です。 クールになるには1面白くないこと、イライラしていること、カッカとしていることを紙に書いて眺めること「あの上司はなぜ、人の言うことを聞いてくれないのか。」「なぜ、あんなに威張るんだ。何様のつもりだ」「頭が固い頑固おやじめ!」などと。これらを眺めていると、こんなことで腹を立てていた自分自身が笑い出したくなり、思わず吹き出してしまうでしょう。2夜空の星を見ること『見上げてごらん夜の星を』という永六輔作詞、いずみたく作曲、坂本九の歌が今でも歌われていますが、夜空の星を眺めていると自然の大きさ、悠久の宇宙の歴史が心に浮かび、俗世間で、誰が偉い、出世した、有名になった、儲かった、損した、と言っている人間社会の出来事が、小さく見えてきます。こうして、クールな気持ちを取り戻したら、次に-・ 毎日の仕事の中で「楽しみ」を見つけるように心がけることです。「楽しみ」といっても、必ずしも「面白おかしく」という意味とは少し違います。・ 毎日の生活の中で「意義」を発見すると言い換えてもよいと思います。・ いま、担当している仕事が、「関心の持ち方」次第で将来、役に立つとしたらどうでしょうか。
2013.10.09
コメント(0)
一般に、企業の規模が大きければ、仕事は細分化されているのが普通で、担当業務をマスターするだけでは世間に通用することは難しいと考えた方がよいのです。ただここで問題は、「経理はどうしても自分には合わない」と言う場合どうするか、です。将来的には、「自分の得意とする分野を意識して知識、技術の習得に励む」という方向を考えるべきかもしれません。しかし、考えてみれば「経理」というのは、ビジネス、経営に携わる限りは、必須の知識・技術です。だから、とりあえず、自分には合わないとしても、「これも何かの縁だから、この際、徹底的に経理を研究してみよう」と考えたらどうでしょうか。担当業務をこなしながら、インターネットか一般講座で「経理」の一般的な知識や技術を勉強するのです。すると勉強して行くうちに「どんな企業にとっても、資金繰りは生命線です。資金繰りを圧迫するのは何か」と関心をもって勉強すると、「設備投資」と「製品開発」そして「顧客創造」が絡んでいることが分かる-というように、経営全体、社会全体における「経理」の位置づけが明らかになるでしょう。
2013.10.09
コメント(0)
最近も、メールでQさんという読者からこんな相談がありました。Q「やっと、正社員として中堅の企業に採用され、経理に配属が決まりました。ところが、直属の上司が自分で仕事を抱え込みちっとも、仕事を教えてくれません。こんなことではいつまで経っても仕事を覚えることができないし、将来もプロとしての技能が身につけることができないのではないかと不安です。今、将来に備えて、宅地建物取引主任の勉強を始めたところです」A「経理の仕事は、経営にとって非常に大切な部門を担うもので、やっておいて無駄はないと思います。ただし、それがあなたに向いているかどうかは別問題です。また、会社の実務も大切ですが、それだけでは不十分です。それぞれの業種や会社の体質があり、それが広く世間に通用するとは限らない。組織が大きければそれだけ、仕事は細分化されて、たとえば経理なら部門のごく一部の仕事しか担当させられるからです。経理全般を勉強しようと思ったら、いくらでも講座は開講されているし、インターネットで検索しても、参考書は出ています。」といって、何冊か具体的な参考書を紹介して上げました。さらに、私は、次のようにコメントしました。A「直属の上司の問題は直接本人に希望を申し出る=『少し仕事を教えて下さい』と。あるいは『上司の上司に、現状を説明して解決策を求める』という方法もありますが、上司も人間ですし、職場で毎日顔を合わすので感情的に気まずくなってもいけないので、直接の話し合いには、職場の雰囲気、TP0を見極めることも必要でしょう。上司は気の小さい視野の狭い人のようですから、あまり、刺激せず、あなた自身の勉強は彼には期待しないほうがよいかもしれません。それと、宅地建物取引主任の勉強をしているとのことですが、将来不動産業に関心があるのでしょうか。もし、単に資格を身につけるというつもりなら、あまりあちこちに目を奪われて、適性も関心もないのに、「食い散らかす」のは考えもの。資格は取ったものの、実務はさっぱりといういわゆる「資格お宅」にならないように注意が必要です。それよりも、少し、『掘り下げて』自己をリセットしてみること。つまり、現実的な「自分探し・自分づくり」をお勧めします。」と。「夢」=AライフワークやB好きなことを成り立たせるには、まず、『自立』することです。中でも経済的に自立することは今後何をするにしても不可欠な前提(必要)条件になります。それには、職場の基本的な知識や技能をマスターするのが最も現実的な第一歩となります。
2013.10.08
コメント(0)
A ライフワークB 好きなことC 社会で必要とされていることこのABCがピッタリ一致したら、それは「天職」『天命』ということになります。必ずしも今すぐに、天職とめぐりあえなくてもC、すなわち「社会で求められているもの」をよく検討して、その中から何かを選んで、特技を磨くよう心がけましょう。その際なるべくBの自分の好みに合うようなものを選びます。BCが一致したら、とりあえず就職し、ゆとりを持って、よりよい仕事を探すことができるようになるでしょう。すぐに最適の仕事に結び付かなくてもよいのです。短絡的に考え、焦っても実りは少ないからです。学生時代の勉強は、指定された範囲のテストに合格すれば、単位が与えられるというしくみでした。これに対して社会人の勉強は、「職場で直接役に立つ、仕事上の知識、技能を身に付けること」が第一。それだけでなく、少し長い目で見て、いろいろなモノの見方や発想法などをマスターし、人格の向上も心がけるべきです。具体的には、例えば、・ 「情報の収集と活用法」「問題発見と解決法」「人を見抜く目を養う」新しい商品やサービスのアイデアを生む「発想法」の習得などです。それぞれのケースについては、自分で考えなければなりませんが、なるべく多くの人に参考になるようにで考えて見ましょう。まず、「今の職場で必要な知識、技能は、十分習得できているかどうか」をチェックしてみること。今日では、技術革新も目ざましく、新製品開発も活発なので、これだけでもかなり大変です。
2013.10.08
コメント(0)
「夢」を支える「自己確立」への道- 自分をリセットする リセットの具体的方法として、*ABC分析。(拙著「志の原理-高い志の不思議!?」参照) Aライフ・ワークのテーマを見つけることが大切です。『ライフ・ワーク』とは職業や収入とは関係なく一生を通じて、取り組みたいテーマ。それと並行して、「自分は、何か広く世間に通用する特技があるか」「自分の個性を生かして、社会のためになることは何か」と自問することをおすすめしたいと思います。会社、上司が気に入らないからといって、何の特技もなく、具体的な転職先もないのに会社を辞めてしまう-こんな軽率な行動は絶対に慎しむべきです。他方、ただ辛抱するだけでなく、「一呼吸入れて、クールに自分を評価してみること」が大切である。だから、今のところ、これといった特技もなく会社に依存していることが分かったら、B 自分自身は何が好きか、何をやっている時が楽しいかを見直すことです。その一方で、C社会で求められている人材、必要とされている能力はどんなものかを調べます。
2013.10.07
コメント(0)
・役に立たない仕事を、いやいや引き受ける空しさ◎ 何のために、アクセクするの?多くの人は、安易な道「楽をして多くのお金が入ってくる仕事」に就きたがります。そして、『目先の利益』に飛びつこうとして、競争に巻き込まれ、かえって、あくせくすることになるのです。楽をして多くのお金を得ようとして過当競争に巻き込まれて、戦いに敗れると、自分がこだわっていたこと、コンプレックスをもっていたことが、バカバカしかった、と気付くでしょう。
2013.10.06
コメント(0)
人間とは愚かなもの、自分の作った「幻」に脅えて、勝手に苦しみ、人を脅しはては危害を加えたりする。北朝鮮、シリア、イラン、アメリカもロシアも中国も。日本だって例外ではない。個人的には立派な人たちもいる。人間同士の差は人間と動物の差より、大きい。http://p.booklog.jp/book/2614511月発刊予定拙著「生きる勇気が湧いてくる魔法の言葉」より
2013.10.05
コメント(0)
・ サラリーマンに限らず、社会生活において成功するには、その道でエキスパートになる事だ。ある一つの事についてどうしてもその人でなければならないという人間になること・ 百歩先の見えるものは、狂人あつかいにされる。五十歩先の見えるものは、多くは犠牲者となる。十歩先の見えるものが、成功者である。現在が見えぬのは、落伍者である。・ はじめて会社に勤めると、誰しもいちばん最初に交際するのは感じのよい人です。・ しかし、私はこれには反対で、まず感じの悪い人に勇敢にぶつかっていくことです。・ こういう人は打ち解けると、感じのいい人よりむしろ親切で、本当の味方になってくれるものです。・ 自分の長所を磨くことを忘れて、無理して常識にのみよる行動をとる若い平凡人が多すぎて困る。
2013.10.03
コメント(0)
・ 今日の若い人々は学校を出て就職する時、名の通った大会社に入りたがるが大会社に入れば一生楽に暮らせるわけではない。どこでも激しい生存競争はあるし、偉そうに振舞えても単なる機構の一部の上で踊っているかかしに過ぎぬ。中小企業に進んで就職する方がよほど身のためになる。・ 中小企業で仕事をするということは、その目的がサラリーマンになることではない。将来独立自営の主になるのが目的なので、仕事はその見習いが主になる。したがってサラリーマン希望で入ったら大いに当てが外れるだろう。・ むしろ月給はいらない、手に職を与えてもらう、その道の専門家に生き方を教わる心構えで入らなければならない。
2013.10.01
コメント(0)
・ 成功の道は信用を得ることである。第一の条件は正直でなければならぬ。あの人には気を許すことができないと言われるようでは信用は得られぬ。・ 第二の条件は礼儀を知っていることである。粗暴な言辞、荒っぽい動作では、これまた信用は得られない。・ 第三の条件は物事を迅速、正確に処理する能力があるかどうかである。頼まれた仕事を催促されるようでは、やはり信用が得られない。・ 成功の道は信用を得ることである。どんなに才能や手腕があっても、平凡なことを忠実に実行できないような若者は将来の見込みはない。・ 最後に、就職しようという人たちへの小林翁の有効な助言-私も全く同感です。むしろ今だからこそ、これから、大いに参考にすべきアドバイスです。(文中の大会社を官公庁と置き換えても十分通用します。)
2013.10.01
コメント(0)
・ 下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。(下足番とは、昔の芝居小屋や旅館などで、入口にいて、履物を預かる(むしろ誰にでもできる底辺の仕事)・ 金がないから何もできなという人間は、金があっても何もできない人間である。
2013.10.01
コメント(0)
全33件 (33件中 1-33件目)
1


