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インフルエンザは少しずつ増えてきている。やはり、自分の町の保育所ではB型、隣町の小学校ではA型だ。今のところ、中学や高校では居ないみたい。まだ大きなアウトブレイクはこれからだ。折角なので、少しずつインフルエンザについて書こうと思う。左ページに、ケーブルテレビで喋った原稿を載せているが、実例も出しながらもう少し詳しくと言うところだ。今日は診断について。普通はまず、症状から疑うものだ。典型的なインフルエンザは、突然の発熱(39度前後)、頭痛、関節痛などの全身書状で発症する事が多い。もちろん、喉の痛みや咳、鼻水などもあるが、一般に所謂風邪の時に比べると少ない。身体の所見としては、喉の発赤はあるが、そんなにヒドいものではなく、扁桃腺に膿が付くことも無い。顎下のリンパ節の腫れや胸のラ音も無い。冬にそういう症状や所見を来す患者さんが来るとフルを疑う訳であるが、流行性疾患であるので、各地の発生状況を参考にする。他に誰も患者が居ないのに、あなたはインフルエンザですと言うのは結構勇気の要るものだ。逆に、あたりがフルだらけと言うことになると、はいはい、貴方も私もフルねと言うことになるが、最初の一人をそうだと診断するのには結構慎重になるものだ。ここ数年迅速診断キットなるものが普及してきた。これは、鼻腔や咽頭に居るウイルスを、免疫学的手法によって検出するキットである。具体的には、鼻腔や咽頭を綿棒で擦過して、それを試薬に浸けて、その試薬を反応板の上に滴下して、そこで免疫反応を起こさせる訳である。これによって10~15分で診断が可能になった。10~15分と言うのは、これだけ待って陰性なら陰性と診断すると言う時間で、早いものでは1分で陽性に出ることもある。さて、こんな風に試薬が普及すると、医者も患者さんも、この試薬での診断が全てと言う風潮になってくるが、ここには大きな落とし穴がある。このテストで陽性になればフルであることに疑いはないが(要するに擬陽性は少ない)、これで陰性だった場合に100%フルではないかと言うとそうではないのである。疑陰性になる場合がかなり存在する。診断キットで陰性の場合。1 インフルエンザ以外の疾患である。2 インフルエンザであるが、テストがたまたま陰性であった。以上の二つの場合が考えられる訳であるが、2の場合はどういう場合であるかというと、綿棒に付着したウイルスの量が少なかった場合である。どのような場合に少ないかと言うと、2-1鼻腔や咽頭をしっかりと擦過できていなかった場合、2-2しっかり擦過したけども、まだ粘膜に居るウイルスの量があまり多くなかった場合。以上の2つが考えられる。前者の場合は医者の手技的な問題であるが、患者さん(特に子供の場合)の協力も重要になる。咽頭よりも鼻腔の方が擦過しやすいので、僕は鼻腔から咽頭近くまでずっと奥まで綿棒を入れてぐるっと回しながら引き抜いている。粘膜が乾燥してると、時々血が付いている時もある。これは結構痛いようで、大人でも思わず涙を浮かべている人が多い。一度自分でもやってみたが、なかなかの痛さであった。やっぱりじわっと涙が出た。キットによっては綿棒がかなり太いメーカーがあるので、綿棒の太さによって大人と子供を使い分けている。そして粘膜上のウイルスの量と言うことに関しては、発症してから検査までの時間が重要になる。これまでの経験で、高熱が出だして半日ぐらい経たないと、テストをしても陰性になる(この人を後日もう一度テストすると陽性になる)確率が多いような気がする。高い熱が出ているので、ウイルスは十分居るような気がするのだが、どうも少しの時間的ずれがあるようだ。で、医者としてはそれぐらいの時間をおいてから検査をしたい。しかし、患者さんの方は、インフルエンザの情報と言うのは過剰なぐらいアンテナを張って恐れているので、熱が上がったと同時にすっ飛んで来ることが多い。これには、治療を始めるのには熱が出て48時間以内でなければ効果が少ないと言う事が大きな理由を占めていると思う。つまり、診断は熱が出始めて半日以上経った方が正確だが、治療は出来るだけ早く始めた方が良いと言う相反する事情があるわけだ。だから、熱が出始めて12~24時間あたりで受診をするのが理想的となるが、世の中そんなに上手い具合に事が進まないのが実情である。今朝来た子供さん。昨日から発熱。一昨日一緒に遊んだ子が昨日より発熱して、今朝当院でA型と診断されたとの事で受診。昨日は高熱だったけど、今朝は37度丁度と言うのが、ちょっと弱いな~と思いつつ、テストをするが陰性。時間は十分経過しているけど、症状が弱いから違うのかな?でも、今日もう一度高熱が出るようなら、もう一度テストしてみたら(出来れば他の医療機関で)と薦める。もう一人の女の子。今朝より高熱で昼前に受診。喉を見ると鼻水が喉の奥に垂れている。喉と扁桃周辺が赤い。テストしてみるが陰性。慢性の中耳炎があり、ずっとチューブを入れていると言うので、中耳炎の悪化の可能性もある。しかし、まだ発熱してから時間が短いので陰性となっている可能性がある。鼻水の薬と抗生物質を処方。熱が引かないようなら、明日辺り耳鼻科でも見て貰って、中耳炎の悪化でないようならもう一度テストしてみて貰ったらどうかと薦めた。実は、現在の保険診療としては1ヶ月に2度同じ患者さんにテストをすれば1回分は査定されてしまう。〔県によって事情が違うかも知れないけど)もちろん、A型とB型と両方にかかる場合もあるので、そういう場合は但し書きをつければいいし、月が変われば但し書き無しでもOKであるが。今日は月末だったので、どうしようか迷ったが、最初の子は初診だし、耳鼻科の子は行きつけの耳鼻科があると言うことで、もう一度テストをするなら別の医療機関でと薦めてみた。現実的には当院で同じ患者さんに2回テストをすることも時々はある。ずっとうちをかかりつけにしているような患者さんがそうだ。医療機関によっては2回目は患者さんに自費で貰っているところもあるが(自費で検査料は2000幾らになるはず)、うちは査定は仕方ない、含み損みたいなものだと思っている(それでも、患者負担の3割は入ってくるし)。このようにインフルエンザの迅速キットについても色々と問題があるものなのだ。こうみると、かなりキットの結果に振り回されているなあと思う。やっぱり目に見える結果が出るとなるとそれに頼るし、患者さんも情報が行き届いているので、テストを希望される事が多い。しかし、テストをしない場合も結構ある。それは状況から殆ど疑いがないような場合だ。例えば、家族に確定診断のついた患者さんがいて、その発症の数日以内に(フルの潜伏期は1~2日)家族が典型的な症状を来した場合や、学校で学級閉鎖になるぐらい患者が居て、典型的な症状を来した場合だ。そういう時には、テストをせずに治療を始める事が多い。たまにこういう患者さんでもテストを希望する人がいて、もちろん殆どが陽性だが、たまに陰性の事がある。こういう人に、上述のような理由を説明して陰性だけど治療をしましょうと言って納得させるのは結構疲れるものだ。実際、テストが利用できる前は、臨床診断のみで治療をしていたわけだ。だから、結果的にインフルエンザでないのに、フルの治療をして居た場合がきっと結構あったに違いないと思う。しかし、フルでないなら、一般のウイルス性感冒だろう。それならば効く薬は無い訳で、だから薬の効く病気であることを想定して治療をしようと言う考えだったように思う。今日は診断の事を書いた。今夜から猛烈な寒波が来るらしい。3日は徳島県の高校入試である。大雪になったら試験はどうなるのだろう?うちの受付の子供さんも入試だが、母親は今から頭が痛そうだ。それに寒くなると急にインフルエンザが増える。急に発症したのに、雪で病院に行けないなんて事態も想定できるなあ。毎年思う。何で受験をこんな厳しい気候の時にやるの?新学期を9月にして、受験を7月頃にすれば良いのにと。みんな無事に試験が受けられると良いのだが。
2005.01.31
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この週末は比較的暖かかった。「先生、もう花粉が飛んでるでよ~」と、花粉症の患者さんまで出てきたりして。しかし、今週はまた寒波になるそうだ。こういう気温の揺り戻しがあると調子を崩す人が多いから要注意だ。この1週間は、近くの保育所でB型インフルエンザが集団発生した。うちに来た患者さんの半分ぐらいは、ちゃんとワクチンを打っていたけどそれでもかかってしまった人たちだった。両親も含めて、全員がワクチンを打ったのに、1家6人のうち5人が発症した家族も居て、唯一かかってないお父さんは、当院で無く職場でワクチンを打っていた。「あそこのワクチンは、水とちやうか?」なんて言われてないだろうなあ(笑)。そうこうするうちに今日は隣町から来た患者さんでA型のインフルエンザが今年初めて発生。もうじきA型とB型が混在して発生してくるんじゃないかな。この二つの型には交差免疫がないので、ひとシーズンに両方共にかかる事がある。これを僕はインフルエンザの往復ビンタと呼んでいるけど、そういう人がこれから増えそうだ。普通は、ウイルス性胃腸炎→A型インフルエンザ→B型インフルエンザ→花粉症と言う順番で流行が来るんだけど、今年はその秩序が乱れているような気がするな。先日、「ダークホース」と言うタイトルで日記を書いたけど、その「本命」の患者さんがこの土曜日のお昼に亡くなった。まあ、もう2週間ほど前にアブナイと思ったので、それから2週間、気力だけでよくもったと思う。最後の方は食事や水分も取れずに、うちが行っていた500mlの輸液だけだったので、この数日で顔がすっかり変わって、ミイラか餓死者のようになっていた。遠くから来た親戚や友人は、何で病院に入れなかったか非難する人も居ただろう。確かに入院して高カロリー輸液でもしたら、こんなには枯れなかったのだと思う。でもその代わり手足や腹部を中心に浮腫が出ただろうなと思う。それは家族と本人の選択であったのだから、それを尊重しなければ。死ぬために病院に入院するよりも、住み慣れた自宅で家族に囲まれて死ぬ方が本人も幸せだろうし、看病する家族も楽だと思う。それを出来るだけサポートするのが自分たち診療所の医師の努めなのだと思う。今回、もっと輸液を出来ればしようかなと思ったが、あまりに血管も無いし、点滴は、死にゆく患者さんをじっと凝視しなければいけない家族の視線を、少し患者さんからそらせるのに役立てようと思ったので、必要最低限にしたのだ。思ったより患者さんが頑張ったので、その結果としてミイラみたいになってしまったけど、それだって悪い亡くなり方じゃないと思われる。合掌。午後は、上の2人は自分たちで遊ぶと言うので、和だけを連れて駅前のデパートに、僕の母親の誕生プレゼントを買うのと、バーゲンの最終漁りに行っていた。はあ・・今年は沢山洋服を買ったなあ。どうせ着る機会の無い服も多いので、古いのは捨てるかオークションに出してみても良いなあと思ったよ。今日はあまりネタが無いので和の画像でも。最近髪が伸びてきたので、時々おもちゃにされて髪を編み込まれたりしています。今日はちょんまげにされてました。
2005.01.30
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今日は夫婦揃って、医師会の講演会に出かけていた。普段、僕はこういう講演会にはまず行かない。行っても寝てしまうからである。普段の夜遊びで睡眠不足気味と言うこともあるが、内容が面白くないからかも知れない(と、他人のせいにする)。それが今回出かけようと思ったのは、講演者が尊敬する川崎市立病院内科部長の鈴木厚先生だったからだ。鈴木先生は、月刊朝日メディカルに「Dr.鈴木の辛口トーク」というコラムを連載されていて、僕はそれで彼を知ったのである。そこでは主に医療問題を中心に述べられていたが、時代を見極める鋭い目、歯に衣を着せぬ物言い、専門的知識だけでなく、歴史、哲学、宗教の豊富な知識に支えられた話の展開など、毎回読むのが待ち遠しいコラムであった。子供達を両親に見て貰い、晩ご飯のおでんを仕込んで出発。開始ギリギリに会場に着いたけど、会場はほぼ満員の入り。土曜の夜に、勤務医を中心の会(今日は医師会の勤務医部会の主催であった)にしては上出来だと思う。講演の内容は・・覚えてない(爆)。始まって暫くして、いつものように寝てしまっていたのだ(笑)。話の内容が面白くなかったからではない。先生のトークは音声も論旨も明確で、非常に解りやすかったと思う。今日のテーマは、「日本の医療危機」であったが、今までに彼のコラムのあちこちで書かれていた事をひとつにまとめたような内容だったので、こちらも安心してしまったのかも知れない(と、言い訳)。講演が終わって懇親会の席で、僕が持っている、前述のコラムをまとめた著作「ヒポクラテスの憂鬱(文光堂)」を持って先生のところへ挨拶に行き、本にサインを貰う。そしてしばし歓談。実はあの辛口トークは昨年末で終了になったのだ。そのいきさつを聞いたけど、編集長が替わった途端に、来月から結構ですと言われたそうだ。彼は、ストレートにズバっと直球を投げ込んでくる。投げ込む相手の多くは、政治家とか権威者が中心だが、医者や患者に対しても容赦ない。その辺りが好き嫌いの分かれる所だと思うが、今度の編集長には合わなかったのだろう。テレビにも出演を依頼されるんじゃないですかと質問すると、民放は最初から医者悪しと言うストーリーができあがっているから出ませんとの事。以前、NHKの生番組に出演したときに、担当のディレクターから、くれぐれも医療費の問題とか保険改革の問題については言及しないように言われていたのに、思わず喋ってしまって、それ以来出演依頼は無くなったそうだ。喋りが上手く弁が立ち、押しも強いので「朝まで生テレビ」とか、サンデープロジェクト辺りに出て貰ったらいいと思うけどどうなんだろうな。今日喋った事の大体の論旨はこんな感じだ(寝ていたのに、何で知ってるというツッコミは無し)。日本の医療費は高いと言われているが決してそんなことはない。総額でも世界で7番目、GDPとの比で行くと15番目ぐらいである。しかし、これにもトリックがあって、日本では病院を受診する患者の数が外国に比べて圧倒的に多い。だから、一人当たりの医療費に直すとダントツの最下位医なのである。厚生官僚は医療改革とか改正と言うが、言葉に騙されてはいけない、それは医療費抑制の為の医療改悪なのである。医療費が高いと言ってもせいぜい30兆円、これは建設投資額の半分以下でせいぜいパチンコ産業と同程度なのである。この医療費が本当に高いか?それでも高いというなら、医者がイニシアシブを取って、医療のどの部分を削ればよいかを考え、国民に提示するのが本筋である。まあ、今日の話は医療政策に関する事だったけど、前述のコラムの内容は多岐に渡り、僕は彼がここに書いていた「診察の時には必ず病気以外の世間話をひとつはする」と言うのを実践している。それ以外にも、色々と箴言とも言うべき内容が散りばめられている。爆睡して失礼したけど、本物にも会えたし、行って良かったなと思った。鈴木先生の著作「ヒポクラテスの憂鬱」(文光堂)「日本の医療を問いなおす」(ちくま新書)「臨床医の知恵」(文光堂)「日本の医療に未来はあるか」(ちくま新書)会場で渡された分厚い資料は、鈴木先生が○○医療新聞(名前が思いだせん)に連載中の、戦後の医療事件を扱ったコラムのコピーである。昭和20年から30年までの10年分の出来事、全132回分。全部コピーして冊子にしあげてくれたであろう、医師会のお姉さん方に拍手である。
2005.01.29
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最初に・・。今日の日記は、下ネタではないが、下ネタなのだ。え~い、何を言ってるんだ(笑)。エッチなネタではないが、下のネタで、解剖学的泌尿器科用語や、単なる下用語が乱れ飛んでいるので、気の弱い上品人には読む事をお薦めしません。舎路人さんを発端として、クワテルさんが追従する形で男性の小用を立ってするか、座ってするかの議論が沸騰している。世の中の男性の3割超が既に座り小便を励行しているとは驚きだ。まさか新宿2丁目のデーターじゃないだろうなあ(笑)。僕自身、そういう事を考えたことも無かったので、こういうデーターを出されると、自分の基準が世界の基準では決してないのだと改めて思い知らされる。しかしさあ、思うんだけど、男性の座り小便と言うのは、単に女性の要望に男性が応えただけであって、決して理にかなったものではないと思うのだけど、どうだろう?大体、解剖学的に女性の尿道口は座った場合に下側近くについてるのに対して、男性の場合は前にあるじゃないですか。もちろん、それは浮遊しているので(笑)、自分で任意の方角に向ける事はできる。しかし、座った場合で下、もしくは斜め下を向けようと思ったら、ペニスに力みが無い状態であり、かつある程度の長さがないと下を向かないのだ。ペニスに力みがあると先が前を向く。前を向いていると目の前の壁の方へオシッコは飛んで、ヘタすりゃ自分のズボンを濡らしてしまう。これはお解りだろう。それから、寒さで縮んでいるような時にも、陰嚢に邪魔されずに下へ向けると言うのはなかなかに難しいものだ。オチンチンが縮んでいれば陰嚢や太股を濡らす事があって、どちらにしても自分の身体や衣服が汚れると非常に不愉快である。それに僕に関して言えば、大腿部の筋肉が発達しているので、座ったままで陰嚢と陰茎を改めて下へ向けるには結構窮屈な思いをするのである。要するに、解剖学的にも男性は立ってオシッコをする方が自然だと思うのだが、いかがであろうか?男性に座って放尿しろと言う理由は、要するに便器の外に狙いがそれて、不潔だからという事になるらしい。確かに・・それはある。それほど、遠くない距離で、解剖学的にも自然な方向に便器があるのに、何故逸れる?そう思う女性の疑問は当然だ。しかし、なかなかに奥が深いのである(爆)。先ほどから書いているように、ペニスは軟体動物なので、その時々で長さや硬度が違う。だからそれによって幾分の角度を修正しなければならない。それは男性ならみんな自然と身につけている所である。しかしである。もう一つ別の要素がある。それは水圧だ。オシッコの量、そして放尿される時のスピードによって尿道およびその周辺にかかる水圧は大きく違ってくる。弛んでいる海綿体に急激な水圧がかかるとどうなるか?とぐろを巻いたり、曲がっているホースに、急激に水圧をかけるとホースが生き物のように動くのを見たことがあると思うが、まさにあれと同じ状態の事が起こるのである。そのせいで、思わぬ勢いで思わぬ方向へ尿が噴出する場合がある。それは、寝不足で寝ぼけている朝とかに多くて、シマッタ~と思った時にはもはや修正不可能になっているのだ。まあ、勢いと言うことについては、女性の方々にも苦労はあるようで、前に飛ぶのを防ぐために便座の端にトイレットペーパーを挟んだ状態で排尿している方も居るようだ。あ・・見た訳じゃないです(笑)。その紙を時々始末し忘れている場面に遭遇するもので・・。ま、色々と書いたけど、問題は解剖学的、生理的な物でなく、こぼした後の始末に関する、倫理的問題のようだ。これに関しては簡単である。こぼしたら自分で始末をしなさい。きちんとトイレットペーパーでぬぐって、出来れば消臭剤でもかけておきたいものだ(尿は乾いてからが臭い)。そしてトイレ掃除も平等に交代でするようにすればいいじゃん。そしたら、立ってやろうが座ってやろうが、全て自己責任?って事になるんじゃないだろうか。しかし、この話を聞く度に、新婚直後の新郎に「座ってしろ」と命令して、その後離婚になった知り合いを思い出す。(まあ、原因はそれだけじゃないだろうけども)長々と書いたけど、いきなり別の話題に振っても良いかな?トイレ掃除の話が出たけれども、あの便座の裏って非常に汚いものだ。そりゃあ、そうだろう。便器の壁に当たって反射した尿や便の飛沫がこびりついているのだから。その上、掃除がやりにくい。便器で一番汚いのは便座の裏と言っても過言でないのではないか?そこで、一計を案じて、便座をはずしてしまった人が少なからず居るようである。そうなると、トイレ掃除も非常に快適でやりやすいとのことだ。いつもトイレを綺麗にする習慣がつくので、便器に直接すわってするのも苦痛にならないらしい。ホンマカ・・?掃除が楽になるのは解る。しかしさあ、便器に座って出来るの?僕は時々、便座が上がっているのに気づかず腰を下ろしてしまうことがある。あの時の衝撃、そして情けなさは筆舌に尽くしがたいものがあるんですけど。一張羅の服を着て外に出た途端に犬の糞を踏んづけたのよりも、まだ自分自身に腹が立って情けなく思うのだ。そもそも、お尻の小さい僕などは(太股とお腹は大きいんだけど)、ヘタすりゃ便器の中にモロに尻が落ち込んでしまう。それに、便器の壁との距離も近くなって、モロに排尿や排便時の飛沫の反射を喰らうと思うんですけど。便座の無い便器を愛用している人、居たらその辺の様子を聞かせて頂きたいものだ。ああ・・しかし・・。昨日の日記と、今日の日記のテーマの落差は一体何??こんな話だと、流れるようにキーボードが打てる自分が怖いわ・・。
2005.01.28
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昨日の日記で、インフルエンザはまだ流行ってないなんて書いたら、いきなり今日になってブレイクした。と、言ってもまだ局地的だ。僕の住む町の公立保育園の子供達が主な患者。全員B型だ。普通は先にA型が流行るんだけどね。患者さんの半数はワクチン接種をしていた。子供は免疫の付きが悪いのと、学校や保育所のように閉鎖的かつ接触が濃厚な空間では、周りに患者が沢山居ると、ワクチンをしていても高いウイルス濃度に負けてしまうんだろう。保育所は親が働いているので、少しぐらい調子が悪くても無理をさせがちだし、熱が下がれば直ぐに連れてくる事が多い。解熱してもしばらくはウイルスを排泄するので、熱が下がって2日は休むように決められて居るんだけどね。やっぱり学校や幼稚園、保育所などは集団接種が理想だと思う。B型はA型に比べて症状がややマイルド。朝になったら37度台まで熱が下がったりすることも多い。消化器症状も伴いやすいと言う。何人か経験すれば後は芋蔓式である。テストで陽性なら間違いないが、陰性でも否定は出来ない。状況から判断するのが大事。今日はビデオを紹介。春になったら~子供の物語にあらず。この作品は2つのパートからなる。前半は、19歳の少年が作ったアニメである。少年の名前はティムール・オズダミール。チェチェン生まれの少年だ。第一次チェチェン戦争の結果、チェチェン各都市とアゼルバイジャン、イングーシを転々と彷徨う。第二次チェチェン戦争の激化に伴い、アゼルバイジャンの母親の元へ向かおうとするが、チェチェン人であると言う理由だけで逮捕投獄される。その後見ず知らずのロシア人飛行士の機転で救出され、アゼルバイジャンで母親と再会を果たす。近年PCを覚えて初めて取り組んだ作品がこの「春になったら」である。アニメと言っても、宮崎作品のような精巧な作品ではない。保育所の子供が描いた絵のようである。そう思っていたら、それもそのはず、この作品は1999年秋に始まった第2次チェチェン戦争を目撃した子どもたちの描き残した膨大な絵を元にアニメ化したものだったのだ。 私は世界中いろんな古い町、綺麗な町を見てきたが、 グローズヌイみたいに素晴らしい町には 出会ったことがない。 あれほど美しい花園には 巡り会ったことがない。 歌よ飛べ 、歌よ飛べ、全ての山々を越えて。 歌よ飛べ 、歌よ飛べ、すべての人々に伝えておくれ、 私たちの町の暮らしを!こんな風に唄われた美しいチェチェンの街、田舎の草原、そして自分たちの家、家族が天然色の鮮やかなカラーで描かれる。バックに流れるのはコーカサス地方のもの哀しく美しい音楽だ。ある日一機の飛行機がやってくる。空から落とした何かは空中で黒い花のように広がる。爆弾だ。炸裂した爆弾で街は壊れ、空は曇る。天然色の美しい色彩が突然黒と灰色と茶色で覆われる。時々花のように咲く赤い色は人間から流れる血、そして街に燃え上がる炎だ。地下壕の中で少女が聞く。「お母さん、戦争はいつになったら終わるの」「春になったらね・・」そう母親は答える。春になり、木々が芽吹き、再び蝶や虫や鳥が飛び交う。そんな夢のような風景でこのアニメは終わる。2003年秋、ティムールはアムネスティの招きで来日。全国で講演。新潟の有志によって、その才能を伸ばそうと新潟のデザイン専門学校への留学が実現した。その少年ティムールの母であり、チェチェンの独立派政府外務省広報官、文化省映画担当事務官を務めたザーラ・イマーエフが亡命先のアゼルバイジャンで、チェチェンからの難民の子供達の証言を納めたのが後半の「子供の物語にあらず」だ。冒頭、その子供達の一人、可愛いハシミスちゃんが唄う。 私は世界中いろんな古い町、綺麗な町を見てきたが、 グローズヌイみたいに素晴らしい町には 出会ったことがない。 あれほど美しい花園には 巡り会ったことがない。 歌よ飛べ 、歌よ飛べ、全ての山々を越えて。 歌よ飛べ 、歌よ飛べ、すべての人々に伝えておくれ、 私たちの町の暮らしを! グローズヌイの町は、灯火に彩られ 窓辺には、我が家の幸せが灯る。 スンジャ川の川面には、波がたち、 優しく白波が砕けている・・・ 歌よ飛べ 、歌よ飛べ、全ての山々を越えて。 歌よ飛べ 、歌よ飛べ、すべての人々に伝えておくれ、 私たちの町の暮らしを!だが、その歌のバックに映し出された現在のチェチェンの町並みにはこの歌で唄われた風景はみじんも無い。徹底的に破壊され尽くした町並み。あちこちに放置された死体。飛び散った脳漿、手足の、そして首の無い死体。恐怖で逃げまどい、肉親の死に泣き崩れる人々。運良くアゼルバイジャンの難民キャンプへ逃れられた15人の子供達が、祖国について、戦争について、戦争からの避難生活について、ロシアについて、そして自分の将来について語る。なんだチェチェンのデマゴーグだと言われるかも知れない。確かにそうだ。しかし、私たちの元に届いてくるこの戦争に関する情報は、ロシアの大本営発表が殆ど全てなのである。現在厳しい報道管制がひかれて、ジャーナリストがチェチェンの中に入るのは並大抵の苦労ではない。スマトラ沖地震の被害者は20万人を軽く越えた。実はチェチェン戦争の犠牲者も20万人を越えている。人口100万人にも満たない国で20万人が死んでいるのだ。その多くは国を支えるべき青年、成年の男性だ。テロリストを掃討すると言う口実のもと、10歳以上の男性は収容所へ連行される、そしてその約8割が拷問の末殺されている。運良く帰って来れた者の大半は身体障害者になっている。そして、人質の身請け、さらには死んだ者の死体の引き取りにも法外な金銭を要求される。男が少なくなった国家では、夫をそして子供を亡くした女性達がその身体に爆弾を結びつけてテロの一味に加わると言う哀しい連鎖が発生している。これは国家的テロ、ジェノサイトではないのか?このインタビューのラスト近く、アスランと言う少年は身も凍るような言葉を言ってのける。「僕は小さなロシア人の子供達が嫌いだよ。彼らは大きくなったら僕らを殺しにくるんだから。だからみんな殺しちゃうべきだよ・・。」もちろん、どちらの立場に立って見るかで物事の見方は変わってくるだろう。どちらの陣営も、相手の非をあげつらうだろう。しかし、あまりにもチェチェンの情報が入ってこない現在、このビデオに収録されている重く苦しい事実(で、あろうこと)は僕の目をとらえて離さない。~この作品は通販あれこれでしか入手できないらしいです。DVDとVHSビデオがありますが、DVDはDVDーRなので、再生の機種によっては見えない場合があります。僕は当初DVDを買いましたが、我が家のビクターのDVDービデオでは読みとれませんでした。そんな訳でVHSヴィデオに換えて貰いました。チェチェン紛争について知りたい人はチェチェン総合情報が参考になります。
2005.01.27
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今日は比較的暖かい1日だった。市内の中心部でB型のインフルエンザが出たという。一般には、A型の流行が終わってからB型が散発的に発生することが多い。もう今年は終わったの?まさか、そんなはずはない。一昨年は3月に入って大流行したので、今年もそんな感じだろうか?今年は新しい福建A型と言うタイプが流行っているので、ワクチンをしてない人はヒドい目に遭うと言われている。要注意だな。午前中は、産業医をしている徳島市水道局の安全衛生委員会に参加する。昨年2名の職員が急死したのを受けて、その対策について一言意見を求められる。急死と言っても、ひとりは既に診断のついていた癌の末期だから仕方ないとして、もう一人は人間ドックをきちんと受けてなかったみたいなので、個々の対策としてはきちんと健診を毎年受けること、定期健康診断だけじゃなくて、40歳を過ぎればドックを推奨すること。それに関連して年齢の末尾が0と5の付く年は、ドックが無料で受けられるように(普通は自己負担が1万円要るらしい)補助をつけてみてはどうかと提案した。まあ、お役所なので、なかなかそういうフレキシビリティが無いらしいけどね。全体としては、禁煙、節酒、肥満の改善と言う地道な努力を全体で進めるしかないと思う。それに関連して、前回の議事録の写しがあったので眺めていると、職場の施設内禁煙に関して議論されたのが載っていた。それによると、職場内禁煙に関しての要望は強いけど、抵抗勢力も多いので、18年度の実施を目指してこれからも議論を続けていくとの事だ。まあ、体の良い結論の先送りである。全員が納得して一致しての職場内禁煙の実施なんてあり得ない。徳島県庁でも、これと同じような経緯で、禁煙の代わりに分煙設備の設置などど言うアホな方向へ結論づけられてしまったけど、こういう決断はトップが鶴の一声で決めてしまわなければ絶対に無理なのだ。民間の会社なら、社長が喫煙者は雇わないとか、給料を減らすとか決めたら一気に決まりそうだけど、そこは公務員というぬるい枠の中で暮らす彼らのこと、ホントに18年度から実施できるのか、それも怪しいものだ。産業医としては、年度初めなどと言う区切りは必要ないので、可能な限り早期の実施を臨むと提言しておきました。夜はまたミックスバレー(硬い方)の練習。最近、やっと肩が治ってきたけど、まだ変な打ち方をすると痛むし、思いっきり打つのが怖い。そして肩の痛みがマシになると、前からの膝の痛みが戻ってきた。何のことはない、新しい痛みで古い痛みを忘れていただけである。お風呂に入って膝を曲げ伸ばしすると、ギシギシ、ジュクジュクと音がする。あと、どのくらいジャンプできるのかな。お風呂から上がって、ぼ~っとした頭で、先日アマゾンから届いた金森幸介の最新作「アルバム金森幸介」を聞く。このアルバムは、彼が今までの自作を唄ったセルフカバー集である。セルフカバーと言えば、彼が50歳になったのを記念に制作された5枚組の「50/50」がある。この50/50は全曲アコースティックギターの弾き語りであるが、この「金森幸介」も同じく、アコギの弾き語りである。この50/50が、限定130部で作られたアルバムであるため、多くのファンに浸透するに至らなかった。だから、この5枚組アルバムから更に曲を抜粋して、その上にその後に録音された有山じゅんじとの共作「ふたりは」のデュオバージョンを追加して作成されるはずだった。しかし、土壇場になって幸介の気が変わり、全曲を新たに録音し直す事になったばかりか、14曲のうち6曲は「50/50」に未収録の作品となった。同じアコギの弾き語りなのに、なぜもう一度録音し直したのか?「50/50」だって、彼のキャリアの一つの集大成として、古いアルバムからの抜粋ではなく新たに50曲を録音し直したばかりなのだ。そこには、歌はそこで唄われた瞬間、その演奏は過去の物になる。CDなんて所詮は複製品。複製品を過去のものとして行く姿勢こそが、そのミュージシャンの今日性を保つ事である事を彼が知っているからだろうと思う。歌なんて幾らでも唄ってやる、CDなんてすぐに作れるさという彼の矜持でもあると思う。このアルバムは2002年の春に、大阪の能勢町にあるルーテル教会で録音された。サラサラと風の吹く日中にその録音は開始され、陽が落ちると蛙の合唱が始まるため録音は中断されたという。そんな風に何日かかけてこのアルバムは完成された。特別な物は何もない。彼は去年の徳島ライブで最初に語った。「いつもの通り何も起こりません。僕はただ唄って帰っていくだけです」その通り、ここでも彼はアコギを弾いて自分の歌を唄うだけである。文字通りの淡々とした演奏と歌だ。しかし、ピックを使わない彼の指でつま弾かれる美しいギターが聞こえる時、その録音中に吹いていた風のささやきまで一緒に聞こえる。その季節、空気までが一緒に切り取られている。そして聞く僕の耳に深い余韻を残していくのだ。初めて彼の世界に触れてみたい人にもお薦めのアルバムだ。「金森幸介」(ミディ - ASIN: B000068W03)1 Soul Mate2 せつない恋は3 Help Me4 大阪も雨に沈んでいるかい5 静かな音楽になった6 ちがう言葉7 ふたりは8 さくら9 悲しい日々10 君の心の草原を渡る緑の風のように11 もう引き返せない12 美しい絵を描く人が居る13 悲しみの季節14 ふたりは
2005.01.26
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今日の午後いつものようにスイミングに行き、その後ピアノのレッスンに入る。2月の13日に、このレッスンをしているライブハウスで大塚まさじのライブがあるので、彼の「月の祭り」を練習してみようと思っていたのだ。店に入るとママさん(レッスンの先生でもあるジャズピアニスト)が近寄ってきて「病院に至急連絡して欲しいと電話がありました」と言う。実は、この1週間ぐらい、いつ亡くなってもおかしくないような癌の末期の患者さんが居て、そうかとうとうあの人が亡くなったのだろうなと思って電話をかけると、なんとその人ではなくて、別の曜日に2週間に一度往診で診ている患者さんが亡くなった状態で発見されたとの事。先週末に行った時にはお元気そうだったのでビックリである。完全なるダークホースだ。配偶者が見に行っていて、診察をする人が居ないと言うのでレッスンは中止して大急ぎで帰宅する。こんな時に限って国道沿いで電気工事をしていて何カ所か片側通行になっていたりしてイライラする。診療所に戻ると、既に配偶者は帰ってきて外来をしていた。う~ん、帰ってこなくても良かったのでは?やっぱり携帯持って連絡を取り合わないといけないなと反省。しかし、配偶者は死亡宣告をして戻ってきただけと言うので、もう一度患者さんの家に行く。こういう場合はちょっと面倒。亡くなっても不思議がないような状態で、24時間以内に医者が診察していれば、臨終に立ち会わなくても死亡診断書が出せるけど、そうで無い場合は検死をしなければいけない時がある。以前も何度か、家で無くなった患者さんが居て、その時はいずれも警察を呼んで検死になったはずだ。検死をしたら、死亡診断書ではなくて死体検案書になる。患者さんの家に着いて、様子を聞く。この数日、喀痰が非常に多くて出しにくそうにしていたそうだ。そして40分ほどお嫁さんが離れていて、部屋に戻るとベッドからずり落ちた格好で無くなっていたとのこと。う~ん、喀痰を詰まらせての窒息か、でも90歳と言えどもそれほど弱っていなかったから、急な心臓発作でも起こったのか(脳血管の発作なら、こんなに急に死ぬことはまず無い)。いずれにしても病死みたいだけど、一応警察に連絡。定期的に往診している患者さんであったこと、24時間以内では無いが、比較的近い時期に往診していること、状況から病死であるだろうことより、僕が病死と思うなら、それで診断書を出して結構ですとのこと。少しほっとする。検死になると時間もかかるし、警察やら鑑識やらが一杯来て、家族の人も落ち着かない。家族に指示して、患者さんの身体をお湯で拭く。僕は、耳、鼻、口、肛門、膣に脱脂綿を詰めていく。そして着物を着せて、顎が開かないように手ぬぐいでくくって、一応の処置が完了。後は葬儀屋さんにお任せだ。病院で亡くなると、このあたりの処置は全部看護婦さんがして、家族は外へ出されてしまう。だから死後の処置をする機会が無い。無くなった人の身体に触れ、残った家族がみんなで処置をするのは良い事だと思うし、経験しておくべき事だと思う。無くなったおばあさんは、何度か日記にも出てきたけど、ダチョウの卵をいつもくれる人だった。うちの家に何個かある、ダチョウの卵は彼女の形見となった。急なゴタゴタも何とか5時までには片づいて、和のお迎え。そして夕食準備に突入。今夜は(も)、配偶者が医師会の勉強会に行くので子供3人と留守番だ。おまけに今夜は在宅当番日なのだ。シンプルなご飯と言うので、炊き込みご飯。入れた具は、豚肉(トンカツ用をさいころ切りに)、大根、ニンジン、干し椎茸、糸こんにゃく、三つ葉。それから、春菊のお浸し、豆腐と三つ葉のみそ汁。夜、まだ配偶者が帰ってこないうちに患者さんが来る。その患者さんを診察してる時に、彼女が帰ってきたみたいで上で電話を取って、もう一人患者さんが来ると連絡を受ける。その患者さんを待っていると、突然飛び込みの人が入ってくる。大学受験の子供が風邪っぽくて、売薬を買おうと車を走らせていたらうちの灯りが点いてるのが目に付いたとのこと。結局、その人も入れて、やってきた3人は全部新患の患者さんだった。新患は、カルテ作りからしなきゃならないのでどっと疲れる。3人の合計で1時間ほど。上に上がってきたら、配偶者も子供達も既に寝てしまっていた。何となく余計に疲れてしばらくぼ~っとする。気を取り直してお風呂に入り、さあ何をしようか。こんなダウナーな時には、勇造さんでも聞いて元気を貰おう。丁度この間のライブのビデオを人にあげたので、またデジタルビデオカメラから、VHSにダビングして置こうと、スピーカーの上に置いてあるビデオカメラを捜すけど無い。よく見たら、スピーカーの下に落ちて居るではないか。多分、部屋に入ってきた和かミドリが触ってるうちに落ちたのだと思う。いつも充電器に乗せて、コンセントに繋いでいるのだが、その線をよく引っ張るのだ。何か嫌な予感・・。スイッチを入れてカメラを見てみる。ちゃんと写ってるようだ。次にビデオを再生してみると・・・なんとビデオの画面が横に縞が入ってるじゃないか。落ちたショックで壊れてしまったのかな?このビデオ、去年の秋のライブの直前に買ったばかりなんだよ~。まだ保証期間だけどさ、直るんだろうか?今日は何か疲れることばっかりだった。こういう時には一杯飲んで寝るに限るけど、在宅当番だしそんなに飲むわけにもいかない。気を取り直して、ステレオで音楽を聴く。アマゾンの中古でゲットした、ソー・バッド・レビューのライブアルバム。それから、同じくアマゾンで買った金森幸介のセルフカバーのベスト盤。(前に紹介した5枚組とはまた別)。あまり大したことしてないのに、疲れた1日だった。
2005.01.25
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今日は配偶者が飲み会に出かけている。場所は、そう僕が土曜日にちゃとさんや、よっこさんとオフ会をやった「よのぜん」と言う割烹である。夫婦で入れ替わり立ち替わり・・店主さん、表彰してよ。そう言うわけで子供3人とお留守番。こういう時には早く寝て貰うに限ると、みんなで風呂に入った後で、「さあ、誰が最初に寝れるか競争。今から目を開けたり動いたり喋ったりしたら負け!」と号令。こういう風にやると多くの場合、まず一番に眠りに落ちてしまうのが僕であるのだが、今日は娘→和の順に眠りに落ちていた。へへ、してやったりと布団から置きようとすると、どっこい長男が起きていた。こいつには、みんなが寝たらキャッチボールをしてやると約束していたのだ。さすがに3年生になると騙しは効かず、コケの一念で起きていたらしい。しょうがないから廊下でキャッチボール。うちは診療所の2階が住居になってるが、元々病室のある病院を改造したので、居宅部分にも幅が1m50ぐらいある廊下が約10m程通っている。柔らかいボールを使って、しばしキャッチボールに興じる。息子はミドリちゃんと比べると、一見ひ弱な印象だが(眼鏡かけてるし)、水泳も1級とったし、最近はテニスもしてるし、授業の間にやってる業間マラソンで新記録を出したらしいし、結構良い球を投げる。バレーはともかくも、野球にしたら僕と対してレベルは違わないかも知れない(何を隠そう、僕は野球はあまり上手くないのだ)。ところで、先日のオフ会、自分の唄った歌は以下の通りである。 青い瞳のステラ(柳ジョージとレイニーウッド) 瞳をとじて(平井堅) ならず者(イーグルス) 大阪ビッグリバーブルース(憂歌団) 桜三月散歩道(井上陽水) プカプカ(西岡恭蔵) あの頃のまま(ブレッド&バター) 男が女を愛する時(パーシースレッジ) オオカミになりたい(中島みゆき) 胸が痛い(憂歌団) ロンリーチャップリン(よっこさんとデュエット) 夜の海(桑名正博)これを見てどんな人物像が?(何も浮かばへんって!)テンポの早い歌が無いと気づいた人は偉い。そうそう、あまりテンポの早い歌は、字幕を見てる間にどんどん終わってしまって口が付いていかんのよ~。ま、アタシの場合、歌じゃなくて選曲で勝負なので(笑)。子供達も寝て、配偶者も居らず、静かな夜である(おっと失言)。さあ、貯まってるDVDでも見ようかな。
2005.01.24
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楽天日記を始めて、来月で丸2年になる。おかげさまで、色々とネット上の知り合いが出来た。ネット上での交流が楽しい毎日である。配偶者に言わせると、みんなハンドルネームと言う仮面を被って匿名の立場で掲示板に書き込みしたり、そういうバーチャルな世界はちょっと不気味だ・・と言うことになるらしい。しかし、僕はそうは思わない。たしかにネットオカマと言う言葉があるぐらいだから、自分の素性を隠して、バーチャルな世界に生き甲斐を見いだしている人も多かろう。しかしである。そのバーチャルな世界の中で、隠そうとするほど出てくるのが本人の味なのである。要するに、匿名であるが上に表面上の事はわからなくてもその人間の中身は普段の生活以上に露出してくる事が多い。そのリアリティーに引きつけられるのである。前置きが長くなった。実は今夜、生まれて初めてのオフ会と言う奴を経験していた。その相手は・・・何を隠そう、あの「ちゃとさん」である。おお・・と身を乗り出したあなた。そうなんです。ちゃとさんと飲み食いしてカラオケまでしてきたのだ。(もはやミーハー状態)ちゃとさんと知り合ったのはもう随分前のことである。たしか、リンク先のカロリさんのところで見た彼女の日記のタイトルに、僕の好きなドラマ「男たちの旅路」の事が書かれてあったのを見て彼女のサイトを訪問してつきあいが始まったのだったと思う。ご覧になれば解ると思うが、彼女はLowプロフィールを実践している。会社やその周辺の人々が多く登場するが、全て匿名である。解っているのは、ロンドン在住の日本人女性(多分)と言う事だけだ。では、彼女の日記はリアリティーが無いか?否である。そんな事はない。彼女の仕事関係の日記は、ヘタな連続テレビドラマよりもずっと臨場感を持って迫ってくる。だからこそ、僕は彼女を信用しているのである。オフ会をした時、その後で急に相手に対するテンションが下がってしまう事があると聞く。それは、恐らく自分が抱いていたイメージと相手の実像のギャップによるものだと思う。しかし自分の場合は、会う前から既にその人の事を許容しているような部分があって、余程の事が無いとテンションが下がると言うことはあり得ない。と、言うわけで今夜は生まれて初めてのオフ会、それも相手はあの「ちゃとさん」だったのだ。まあ、オフ会と言っても、彼女が松山の弟さんの所から京都へ帰る途中に徳島も通るので、それなら一度・・と言うことになっただけなのだが。ところで、既婚者の僕が女性二人とオフ会と言うと、家を出るのに何らかの軋轢があったのでは?と推察する人も居るだろう。もちろん、あったのである(笑)。徳島に来ると連絡を貰ったのが11月後半の事。自分の予定がその日に入っていない事をチェックした僕は、直ぐにカレンダーの22日に飲み会と書き込んだ。我が家では、先にカレンダーに書き込んだ方が優先権を持つのだ。その時点で8日の土曜日にも、ソフトバレーの新年会が入っていた。ちょっとその頃は、配偶者の体調が悪い時だったので、もう少し機嫌の良い時に申し出ようとしたまま月日は流れ・・。年が明けてから、配偶者にも22日に予定が入ったけど僕が先に予約していたので僕が優先権を持つ。舌打ちしながら、「あんたは1月に2回もバレーの飲み会に行くのね」と言われたので、「いや、両方バレーとは書いてないよ・・」と言った僕の目が泳いだのを彼女は見逃さなかった。奇しくもまたもや彼女の体調不良の時期であった。「じゃあ、何よ・・」「いや、実はかくかくしかじかで・・・」と事の顛末を説明したが、もともとバーチャルなつきあいにイマイチ理解の無い彼女は今ひとつ不機嫌である。「しかしさあ・・」「何?」「あんたのメル友とか、サイト友だちって、どうして女性ばっかりなのよ」「う・・だって、サイトのリンクは相手が選んでくれる場合が多いし・・それに今回来るのは女性だけど、男性だって沢山要るよ・・。」ほら、ジョンリーさんとか・・(と、日記の写真を見せる)「何よ、このどこにでも居るような人の良さそうなオヤジは」ほら、ぜんちゃんとか・・(と、プロフの写真を・・)「なんでこの人ギター弾いてシャウトしてる訳?」ほら、幻さんって凄い人なんだぜ・・(と、またもやプロフの写真を・・)「何?この怪しげなオヤジは・・」ほら、舎路人さんだってまともな会社員だし・・「髪型が南田洋子って怪しいジャン・・」誰やねんさんとか・・「子供は可愛いけどさあ・・・」まあ、そんなこんなで色々あったけど、結局は僕が一度決めたことは滅多に変えないのを彼女は知ってるし、サイトを通してのオープンのつきあいをしていると言うことが理解していただけたのだと思う。(夫婦の好みって当然似てくるわけで、僕が好きな日記って、配偶者も好きになる日記だと思うんだけどね。)まあ、そんな訳で、目出度くお出かけできるようになったのだ。さて、ちゃとさんは、どんな人だったか?それは一言では言い表せない。少なくとも、男では無かった(爆)。しかし、あの日記の通りの人だった。メンバーはちゃとさんと僕、そして同じ徳島の楽友のよっこさん。よっこさんとは、前に勇造ライブに来てくれた時に一度挨拶したけど、しっかり会うのは今日が初めてだ。でも、二人の歴史は古く(爆)、楽天の前のメル友の期間を含めると、もう4年近いつきあいだ。彼女を楽天に引っ張り込んだのも僕だし、ちゃとさんの日記を紹介したのも僕だったと記憶している。同じ街に住み、住所も名前も知ってるのに、会うのが始めてと言うこれもまた純粋希有な関係なのである。ちゃとさんやyokkoさんと飲んで、食べて歌った数時間は、これまでの日記の距離を縮めて色彩を付け、そして新たな絆にするに十分な時間だった。まあ、飲むと言ってもちゃとさんは例によってコーラを注文し、割烹のお姉ちゃんにすげなく「ありません」と言われてウーロン茶を飲んでいたけれど。もっと詳しく聞きたい?写真も一杯撮ったんだけどね。でも、勝手に出すと彼女の肖像権に関わってくるから・・。こういうのはどうだろう?よく本棚に置いてある本をみたら、その人の人となりがわかると思うけど、彼女がカラオケで歌った唄を列挙してみたら、彼女の人となりが解らないだろうか?お酒で頭ポーになっているのではっきりと覚えていないがこんな歌を彼女は熱唱した。 ハンバーガーショップ(嘉門達男) ラララ、ラブソング(久保田利伸) 今夜はハートフル・パーティー(竹内まりや) マスカレード(カーペンターズ) 黄昏マイラブ(大橋純子) ホームにて (中島みゆき) コパカバーナ(バニー・マリロウ) カモメが跳んだ(渡辺満智子) 勝手にしやがれ(沢田研二) I LOEVE you(尾崎豊) 真っ赤な太陽(美空ひばり) 弟よ(内藤やす子) 君の瞳に恋している。ちゃんと立って、手を振り腰を振って歌ってくれるのだ。さて、この歌のリストからどんな人物像が浮かんできただろうか?それはあなたにお任せする。何?何も浮かばん。やっぱり写真を出せ?見たい?じゃあ、ちょっとだけね。小さい奴でご勘弁。手をあげ腰を振って「勝手にしやがれ」を熱唱するちゃとさん。こんな具合で素敵な一夜だったのです。ちゃとさんあり、彼の地ロンドンより来る また嬉しからずや。
2005.01.23
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雑誌「雲遊天下」冬号(季刊なので)が届く。今号の特集は「同じ風に吹かれてきた」と題して、最近亡くなった2人のミュージシャンにゆかりの深かった友人達にその思い出を語って貰っている。一人は砂川正和さん。最近と言っても亡くなったのは2004年の10月だからもう結構前になるが、雑誌が季刊である性格上、今号での扱いとなったと思う。砂川正和と言えば、まず頭に浮かぶのがソー・バッド・レビューだ。70年代の中頃に、上田正樹のサウス・トゥ・サウスに続いて浪速から飛び出したスーパーバンド。何せメンツが凄い。山岸潤司、石田長生のツインのギター、そして元コメディアンの北京一と砂川のツインボーカル、キーボードもツインでチャールズ清水に国府輝幸と言うそうそうたる面々だった。当時まだ高校を出たばかりで最年少であり青洟小僧と言われていた砂川は、年齢を感じさせないすごみのある声と天性のリズム感でツインボーカルの一角を担っていた。上田正樹が日本的情緒を持っているのに対し、砂川のボーカルは乾いてドライでファンキー、まさに黒人的なボーカリストだったのだ。超強力であるが故に短命で終わったこのグループの後、砂川はアフリカンドラムに傾倒していく。そしてその集大成のひとつとしてアフリカから太鼓とダンスの達人を招いて生徒に教えるワークショップの実践と、その成果としてのライブコンサートを開催するというプロジェクトを行った。そのワークショップの様子は「東京ダンシング!アフリカ」と言う素晴らしい記録映画となった。その矢先の訃報だったという。事故でもなく、病気でもなく・・。ソーバッドのアルバムは、アナログでしか持っていないので手元には無い。春一番のライブ、蔵さんKUROちゃんの追悼アルバムで彼の乾いてソウルフルな歌声を聞くことが出来る。代表曲「最後の本音」は金子マリのライブで聞ける。 猫なで声でお前が 問いかける言葉 とてもじゃないけど まっぴらごめん 冷たいらしいよ 俺は 一言一言が いいわけすると 嘘になるのに 追いつめられて どうしようもない そんなときには きっと飛び出す 最後の本音 俺は決して 悪い人間じゃない ただ考えが 甘いだけもう一人は、大阪在住の在日シンガーソングライター、洪栄雄(ホンヨンウン)さんの事を、同じ関西在住で親しかった光玄が語っている。実はこの人の事はよく知らなかったの。幻泉館さんの日記に詳しいので、そちらを参照していただきたいと思う。誌面に載せられた詞を読んで、ああ生前に歌を聴きたかったなあと思ったよ。 大阪の夜は優しく寒い ひとりで居ると駄目になるようで ほろ酔い加減で歌をうたおう 歌い出したらとまりはしないだろう ネオンサインもひとつ消えていく 君とふたり街を歌おう 誰だって幸せになりたいものさ 今夜僕はどこかの酔っぱらい 橋の上でビールを飲んで 風の冷たさが朝を知らせ 薄汚れたこの川どこまで流れ 今夜僕はどこまで行けるだろう また新しい恋をみつけよう 今夜君といっしょにいよう (ラヴソング by ホンヨンウン)
2005.01.21
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この日記のコアなファンの人ならば(そんな人が居るのか?)もうお気づきかも知れないが、今年になってからと言うもの、この日記の一人称を以前の「僕」から「私」に変更している。ある日のことだが、ぼ~っと他人の日記を読んでいた時に、ふと日記で使う一人称について気になりだしたのだ。それで、ネットを使って検索してみると、あるわあるわ、一人称についての考察について書いた日記やサイトがゴロゴロ出てきた。まあ主にはネットでの使い方についてだったけど、恐らく普段の日常にだって通じているに違いない。それらの文章を読んでいると、どうも「僕」と言う言葉の印象がイマイチ良くない。「僕」と言う言葉を使っている人は、いつまでも学生気分の抜けない、大人になりきれない大人で、団塊の世代にこういう人が多い・・などど書いてある。ふ~ん、そうなの。それって当たってるような気がすると思いながら(団塊の世代じゃないけどさ)、つらつらと常連さんの日記を眺めてみた。舎路人さんは「私」だなあ。幻さんは滅多に一人称が出てこないけど、たまに出てくる時には「私」だ。やまびこさんや、ナリハスクさん、アオエさん、コブラクローさんなど「私」派が圧倒的多数を占める。それ以外では、ジョンリーさんが「おいら」、ぜんちゃんが「僕」。巴里雀さんも「僕」を使うけど、カタカナになって「ボク」だったり、「自分」も色々と使っているようだ。そして誰やねん20号さんは「俺」、悠水さんも「俺」。こんな感じで、調べてみて思ったのは、「俺って暇だな~」(笑)・・じゃなくて、「千差万別ですな」って事だ。一応、辞書ではどうなっているかと言うのをqooのネット辞書で調べてみる。1わたくし 【私】 一人称。男女ともに丁寧な言い方として、多く目上の人に対するときやあらたまった場面などで用いられる。2わたし 【▽私】 〔「わたくし」の転。近世以降の語〕一人称。「わたくし」よりもうちとけた場で用いる。現在、一人称としてもっとも普通の語で、男女ともに用いる。〔近世においては、女性が多く用い、特に武士階級の男性が用いることはなかった〕3ぼく 【僕】 一人称。男が自分をさして言う語。一般に対等または目下に向かって用いる。「おれ」よりは丁寧。目上に対して話す時やあらたまったところでは「わたくし」を用いる。明治以降、「ぼく」の形で書生などが用いるようになり、現代では男子の自称として広く用いられるようになった。子供に対して、「―、お名前は」のように呼びかけの語として使われる場合もある〕4おれ「俺」男が仲間や目下の者とざっくばらんに話す時に用いられる。「ぼく」などよりぞんざいな語。〔上代から中古へかけてはもっぱら二人称として用いられた。中世以降、一人称として用いられるようになり、特に近世以降は一人称の語として一般化した。これは貴賤男女の別なく用いられたが、近世末期以降は、女性には一般に用いられなくなった〕と、まあこんな感じらしい。要するに「わたし」と言うのが一番無難かつ一般的で、「わたくし」は丁寧で改まった場で正式に使われる言葉。僕や俺は、仲間内でのくだけた場所で使われる言葉のようだ。これらの一人称をどのように使うかと言うことに関しては、上に書いた違いを基本として、使う人の年齢、職業、生活している地域、そして対象への距離の取り方によって異なってくると思う。会社の面接で「僕」と言えば即ペケだろうし、プライベートな場面でも、大阪で自分の事を「僕」と言えば後ろ指をさされるかも知れない。ぜんちゃんにしても、巴里雀さんにしても、自分にしても、自営業だし、東京でも大阪でも無い地方に住んでいるし、これもやはりひとつの傾向なんだろうか?対象との距離の取り方については面白い日記があって、日記のURLを家人に教えるかどうかを家族との距離、他人の日記に書き込みをするかを他人との距離に置き換えて、一人称の使い方と家族、他人への距離について考察している。この日記に書かれた考察では、「俺」を一人称に使うような書き手はあまり他人の日記へ書き込みはしないとか、男性でも「僕」を使うような書き手は家族を近く意識しつつも同時に他人へも近い、また、 「私」と「わたし」は家族への距離は同じくらいであるにも関わらず、他人への距離は正反対の関係にあって「私」を使う人はあまり他人の日記へは書き込まないが、「わたし」を使う人はある程度他人の日記に書き込みをしている・・らしい。本当かな?と思うけど、こんな事を考えながら他人さんの日記を読んでいると面白い。さて、こんな理由で「僕」から「私」に変えた自分であるが、どうもなんかしっくり来ないんだなあ。何よりも、普段「私」と言う言葉は公的な文章の中でしか使っていないからだ。(さすがに論文で「僕」を使う人は居ないだろう。)小さい時から自分の周りでは圧倒的に「僕」であった。中学や高校では「ワシ」と言った時代もあったが、ちょっと背伸びをしたと言おうか、バンカラぶっていたように思う。大学時代は、関西から来た友人が大挙して「オレ」系だったので、つい「オレ」を使ったりしていた。社会人になってからは当然「私」のはずだが、医者の世界というのは不思議と公的な発言の場を除けば、結構「僕」が多発していたように思う。年輩の偉い教授の先生でさえ「僕」をよく使っていた。まあ先ほどの定義によれば、目下のものに使うのはいっこうに構わないわけだけど。若輩の医者が「僕」を使ってもあまり咎められない風潮があったように思う。そんな風にずっと「僕」に親しんできたので、親しい間でも「オレ」にはなかなか変えられない。あとは距離の取り方だろう。この日記を読んでくれている人たちは、みんなお友達~と言う感じなので「僕」でも良いかなと思う。ただし、男性の楽友さん達は殆ど年輩の人たちなのが気になると言えばなるな。あとは年齢の問題か。40も半ばになって「僕」は恥ずかしいか・・?しかし、いつまでも若い気持ちで・・と言うのも悪くないように思う。両親の事を「パパ、ママ」と呼ぶのは恥ずかしいけれど、自分の事を「僕」と呼ぶのはどうなんだろう?そう言えば、村上春樹も「僕」派だよなあ。「風の歌を聴け」や「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の主人公が「僕」で無く「オレ」だったら、随分と印象の違う作品になったに違いない。こんな事を考えながら、無理せずに自分が自然に思える一人称を使うのが良いかなと思っている。そう言えば、日記でも一人称を殆ど使わない人が居る。こういう人は、実は密かにどの人称を使うかで、自分の中で葛藤があった結果、出来るだけ一人称を使わないという苦渋の選択をした人じゃないのか?なんて考察をしながら日記を読むのも一興である。しかし・・こんな苦労をするのは男性だけだ。女性の一人称は圧倒的に「私」だ。ま、逆に味気ないとも言えるか・・(笑)。本日の亀吉(ポロちゃん)
2005.01.20
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昨日だったか、今日だったかの朝の特ダネタイムス。石田純一が、長谷川理恵に捨てられたと言うテレビ会見をしてる。捨てられた・・と言うことは結婚してるのか?と思ったけど、そうじゃなかったのね。確か、石田さんの方は離婚していたんだよね。そしたら、もう不倫とは言わないか。女は男を肥やしにしてのし上がっていったけど、男は惨めなものだね。メスに喰われたカマキリみたいだ。でも、夫婦でも何でもない彼らの破局を、わざわざ会見までしてなんでやるのと思ってしまった。今日は水曜日、午後からの診療だけど、午前中に在宅の患者さんに往診に行く。寝たきりの人だけど痰が粘って吸引しにくくなって、微熱も出ていると言うことだ。行ってみると熱は無し、痰も黄色い痰ではない。多分冬の暖房で、気道が乾いて痰が粘くなり出しにくくなったのだろう。普段の3割り増しぐらいで水分を与えるように指示する。でも、やっぱり冬には寝たきりの患者さんは調子の悪くなる人が多いな。午前中もそれほど忙しくなかったらしいけど、午後はとっても暇。そういう時を狙っているのか?それとも偶然か、薬屋さん(卸+メーカーさん)の面会が多い。ひょっとして(薬だけの人を除いた)患者さんの診察よりも多かったんじゃないのか(笑)?まあ、主な内容は、新年の挨拶と、今度調剤薬局が出来るので、今まで当院で使用してない薬が使われる可能性があるから、そのPRをしておこうと言うのが狙いのようだ。こちらとしては、もうちょっと何か有益な情報を持ってきて欲しいものだが。今日の午後はちょっとやろうとしていた用事があったんだけど、面会の度に細切れにそれが中断されるのはちとストレスだ。それなら断っちゃえば良いんだけど、まあ彼らも仕事だろうからなあ。こっちも別に面会の予約をとって規制している訳じゃないし。某医院は、忙しいので面会は午後8時を過ぎてかららしいけど、そんなんみんな律儀に待ってるんだろうか?でも、そんなに流行ってる病院なんて羨ましいな。普段は木曜日の面会が多い。これはなんでだろうと考えてみたら、木曜日が休みの医療機関が多い為だろう。労働基準法が厳しくなってからは、週40時間を満たすために多く人件費を払って人を雇うよりは、1日もしくは半日休診にして人件費を減らした方がマシと考えるドクターも多いのだろう。そんな訳で、木曜日は対象となる医療機関の数が少ないので、診療をしている医療機関にMRさんが集まってくる可能性が高いのだろうと思う。ふと、思うけど、月曜日にやっている販促会議などを木曜日にやったら良いのにと思う。そしたら特定の医療機関に木曜日に面会の人が集まる事は回避できるのにね。夜は久しぶりにミックスバレーの練習に行く。ほぼ1ヶ月半ぶりである。何となく肩はよくなってきたような気がするので、その試運転もかねているのだ。体育館へ行くと、ボールがバウンドしてバンバンと床にあたる音がする。この音って良いよなあ。これを聞くと、阿波踊りのお囃子みたいに心がウキウキしてくる。ソフトバレーと普通の硬いバレーボールとの決定的な違いはこの音があるか無いかだろう。バレーをしない人にしたら、何でも無いやかましい音なのだろうけど、自分にとっては、身体と心に共に共鳴して、脳と身体を活性化して、かつ時間を中学や高校の頃にタイムスリップさせる素敵な音なのだ。肩は何とかもったけど、膝はいつも通りに痛かった。ずっと水泳はしていて、身体は動かしていたつもりだけど、やっぱりジャンプで使う筋肉は違う。まあ、水泳は殆ど上半身だけで泳ぐ泳ぎ方だし。下半身の筋力トレーニングをきちんとやらなきゃね。
2005.01.19
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え~と、はじめに。ひとつ前の日記で、文理大学の事を書いた時に不適切な表現があり、それを本日訂正しました。指摘して頂いた巴里雀さん、どうもありがとうございました。不快な思いをさせたかも知れない、同校の在校生、卒業生の皆様どうもすみませんでした。昨日は、子供達に寝室に引きずり込まれて、そのまま不覚にも爆睡してしまった。新年から皆勤だったし昨日は1.17と言う特別な日だったのだけど日記が書けなくて残念だ。まあ昨日は、多くの方々が色々な体験や思いを書いてくれていて、震災そのものを遠くの方から経験して眺めてしまった自分としては、そういうものを通して追体験するわけであるが、天災の恐怖、人間の脆弱さ、そしてそこから立ち直ってくる人間の美しさ、強さなどを多くの人たちの日記から窺い知ることが出来た。人間は、どんなものからでも何か学ばないといけないとしたら、この震災で自分が学んだのは、自分たちのありふれた日常は、不可抗力の太刀打ちできない力によって前触れも無く突然壊れるかも知れないと言うこと、そしてそのような状態からもまた何とか人間は立ち直っていけるのだと言うことかも知れない。今日はピアノのレッスン日。近くのコイン駐車場に車を停めて歩道へ出たら、ちょっと離れたところから歩いてくる女性に目がとまった。私が練習してるのは、徳島でも一番の飲み屋街の中にあるジャズライブのバーで、その辺り一帯歓楽街であるから、明るいと言えども午後4時前にそんなところを一人で歩いている女性と言えば、大抵は出勤前のお水関係の女性である事が多いが、彼女は普通の地味な感じの人だったので余計に目がいったのだと思う。相手がじ~っとこちらを見ている。「○○君、でしょ、お久しぶり」なんて言ってる。誰だろう?誰か患者さんのお母さんかな?しかし、自分の事を○○君でしょ~と言うからには、患者さん関係であるはずが無い。う~ん、と考えて十数秒後、やっと解った。中学3年の時の同級生の女性だったのだ。同級生と言っても、タダの同級生ではない(笑)。実は、その子とは中3の1年間ずっとつきあっていたのだ(爆)。まあつきあうと言っても、もちろん純情なおつき合いで、特に大きな事件も無く、高校入学で学校が分かれたのを機会に自然消滅と言うよくありがちなおつき合いではあったのだが。もうレッスンまで15分ぐらいしかなかったけど、折角だし立ち話もなんだと言うので、近くの茶店に入る。「すっぴんだから解らなかったでしょ」と言われるけど、もともとスッピンの顔しか知らないしさ~。帽子着てマフラー巻いて、ダウンのジャケットの襟を上までずっと上げていて、顔の一部しか見えてなかったから解らなかったけど、少しずつ顔が出てくると、昔のイメージと今のイメージが段々と重なってきてピタリと合った。それにしても、私の事は見たら直ぐに解ったそうだ。昔からあまり変わってないのかしらん・・。この歓楽街のちょっと向こうに高級住宅街があって、彼女の家はそこにあり、彼女はそこからウオーキングに来ていたと言うことだ。うちと同じく子供が3人で、一番下が3年生と言うからうちの一番上と同じだ。そう言えば・・うちの長男が生まれた時に、配偶者と同じ病院に彼女は3人目の出産が終わったばかりで入院していて、その時にも偶然会ったのを思い出した。中学卒業して高校1年の時に1回会ったのを最後に、次に会ったのが出産直後の髪がボサボサで寝間着で腹だして歩いてる時、そして今度はスッピンでウオーキングしている時、いつもとんでもない時に会うわねえと彼女は笑っていた。ドクターであるご主人と、3人の子供に恵まれ、一時病気で体調を崩したりしたけど、今は元気になって専業主婦でのんびりした毎日を送っていると言うことだ。つき合っていたのが15歳の時で、それから30年と言う年月が二人の間には横たわっている。歩んできた道も全然違うみたいだ。まあ、こんな短時間では話しきれないだろうし、そんなに詳しく知りたいとも思わないけど(向こうも話したくないだろう)、けど元気でいて、と言うかちゃんと生きていて、顔が見れた事が嬉しかった。ぷっつりと切れていた時間の流れの糸が一本繋がった感じだったな。こんな風に、どこかの場所で、どこかの時点で、あちこち切れた糸を繋いで行くことで、生きていることとその時間の流れを感じていくのかも知れないな。同窓会やれば良いねと言いながらわずかな再会の時間を後にした。次に会う約束なんてしなかったけど(ホントだよ)、ちょっと嬉しかった火曜日の午後だった。と、言うわけで、今日のBGMはユーミンの「グッドラック&グッドバイ」でお願いします(爆)。
2005.01.18
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昨日、今日は大学のセンター試験だった。例年この頃は厳しい気候の事が多くて、うちの配偶者の頃など(笑っちゃうような昔だが)大雪で開始が延期になった事もあったらしいが、今年は比較的穏やかな天気で受験生はほっとしただろうなあ。前も書いたけど、受験はもっと穏やかな気候の時にしたら良いと思うんだけど。昨日の初挑戦で気をよくして、恐ろしいことに今日もパウンドケーキを焼いてしまった。昨日のは?はい、アッという間に無くなったのです。砂糖とバターの量におののきつつ、それでも作る自分が怖い。レシピを覚えてしまったので、今日はオーブンに入れるまで数分で完成。子供達が帰ってくる夕方に丁度いい匂いで焼けてきたけど、喜んだ息子に対して、娘はちょっと複雑そう。このホットケーキミックスはミドリの粉なのに・・とか、自分がもっと上手く作ろうと思っていたのに・・とか、ブツブツ。どうも彼女のお株を奪ってしまったのが不満のようだ。じゃあ、この機会にレシピをノートに写して何度も読んでみたら?教科書の音読を、やれと言うのに全然やらない彼女も料理の本なら読むかも。ところで、私が学生の頃は、中学と言えば公立中学しかなく、中学受験と言う言葉は徳島では存在しなかったけど、今は受験を要する中学が2つ出来た。ひとつは、徳島文理中学と言う私立で、これはもともと徳島文理大学と言う大学があり、自分が大学受験の頃に高校が出来、その後中学が出来たのだが、大学の方は入るのにそれほど受験競争が激しくないが、高校や中学は当初から英才教育を目指していて、今では徳島大学医学部へは一番多くの合格者を出している。(文理中学と高校の生徒は誰も文理大学へ行かないと言う不思議な現象を生み出している)学校5日制の現在でも、土曜日に授業をしてるのも、売りとなって、進学と言う面から人気が高い。中学の実際の競争率は2倍以下だが(高校はもっと高い)、少数精鋭と言う感じだ。もうひとつは、去年から出来た公立の城の内中学で、以前からある城の内高校との中高一貫教育を売り物にした初めての学校です。こちらの方はまだ卒業生も出ていないので、まだ海の物とも山の物とも解りませんが、みんな未知の魅力と、公立なので授業料が安いのと、受験にこだわらずに特別の教育をする(特別ってどんなんじゃ?)言うのが魅力なのか、人気は高く競争率も6倍ぐらいある。まあ、受験生のレベルの幅は広いだろうけど。うちの従業員は、今年小学校を卒業する子供を持つ人が5人!も居て、今週はその2つの合格発表だった。みんなが受験をした訳ではないようだが、文理に受かった子が2/2人、城の内に受かった子が1/3人だった。昨日は当院の新年会だったけど、その話題はちょっと出すのを控えてしまいました。うちも長男があと3年経てば中学受験になる。ま、別に受験しなくても地元の公立でも良いんだけど。みんな早くから準備をしなきゃと言うけど、その頃になったらまた学校の数も受験のやり方も変わっているかも知れないし、今の内は日々の学習をちゃんとやっていれば良いかなと思っている。ところで、昨日の亀は、水槽にヒーターを入れてやると途端に元気になった。動きはスローだが、様々な表情を見せてくれて面白い。これをじっと観察するのがこの数日の癒しとなっている。ま、亀本人は、拉致された日本人、いや監禁された女性のような気分か?水槽と言うのは牢獄のようなものなのかな?息子の買ったCDを聞いていた和が、いつの間にかオレンジレンジ(皆さん、オレンジオレンジではありません)の「花」の歌詞を覚えてブツブツと口ずさんでいる。これがまた正確にきちんと歌詞を覚えているのにビックリ。「愛しあって、喧嘩して、二人で乗り越えて・・」なんて意味も知らずに唄っているのを見ると、これもまた癒しである。
2005.01.16
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今日は早い時間に日記を書いています。と、言うのも当院の新年会で夜は出かけるから。子供達は親がみてくれるけど、そんなに遅くまでお願いできるわけではないので、2次会は無しです。ま、うちの職員さんも殆どお酒は飲まないし、1次会が終わればみんなでお茶して帰って行くみたいです。座敷は私と配偶者が苦手だし、出来るだけみんなが向き合える円卓が良いだろうと言うことで、最近は中華のコースにしています。と、言っても中華ってあまり高いコースが無いので、値段を指定して特別にメニューを作って貰っています。例年新年会で言うこと。向上心を忘れないこと。町の無床診療所でそれなりに患者さんが来てくれているからと言って、まあこんな感じでいいんとちゃう・・みたいな感じで流して仕事をしないこと。大きな病院と同じ事は出来ないけど、うちのような小さな所でしか出来ないこともあるはず。自分が今居る場所で、最高のパフォーマンスを出来るように心がけること。今年は院外処方になるし、レセコンも買い換えるし、事務方にとっては色々と仕事が多くなり、今までお薬を作って貰っていた看護婦の仕事は減ることになります。だからこそ、看護婦に今自分が何が出来るかをじっくりと考えて欲しいものです。ところで、最近我が家に新しい家族?が増えました。10月の凄い台風があって、数日も経ってから、自宅の排水溝の中に居るのを発見。どっからか流れて来たのだと思います。池に放してきたらと言ったのに、息子が飼う~とおっしゃるのでその日から我が家の一員になったわけですが、その息子、遊びに忙しいあまりに世話を放棄。じゃあ、捨ててこいと言ったら捨ててくると言い返されたのですが、その時に拾う神で現れたのがミドリちゃんでした。当初、亀吉と命名されていたこの亀は、今は彼女によって「ポロちゃん」と名前変更されています。まだ体長10cm程度の小さい亀だけど、これ以上大きくなったらどうしよう?そんな事を考えて、亀の飼い方と言うページを検索していたら、おもしろいページを見つけました。この人は、2匹の亀を座敷亀として家の中で放し飼いにしてるそうです。亀は利口で、ちゃんと水場とか餌場を覚えていて、自分で行くそうですよ。そして寒い時にはホットカーぺとの上とか、こたつの中へ潜り込むらしいです。排泄も大抵水の中でするので問題ないそうですが、危ない時にはオムツをつける・・と言うのに笑ってしまいました。座敷亀・・うちの亀もそうならないかな?ちなみに、このお宅の亀は、動物奇想天外というテレビにも出演した有名亀だそうです。今日、ミドリちゃんは、クッキングシートを買ってきて、私の指導の元パウンドケーキを焼きました。胡桃とアーモンド、クランベリーが入ってます。見た感じはなかなかでしょ。まあ、お菓子はレシピ通りに作ると失敗はないと言いますので・・。オーブンの使い方がよく解らず、いつまでも余熱で焼いていたりしたけど(笑)。しかし、ケーキってあんなに砂糖使うのだね。もう怖くて食べれません(笑)。では、行ってきます。
2005.01.15
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今日は配偶者の誕生日であった。ち○とさんのところは、結婚して5年でフルムーンになったらしいが、うちは結婚10年目で、フルムーンまであと3年と言うところだ。(夫婦の年齢の合計が88になれば、フルムーンらしい)昨日はホワイトシチュー、一昨日はヒレカツと濃いメニューを配偶者が作ったので、今夜は見栄えが良くて軽いメニューをと言うことで、ブイヤベースにした、付け合わせはマッシュポテトのサラダだ。このメニューに決まったのは、プールの後で入ったスーパーで見事なブラックタイガーが安く売られているのを見たからだ。でっかい、まっすぐ背を伸ばせば20cmは越えそうな奴がピチピチで1匹100円!もうそんなに数が残っていない・・と言うことで迷わず10匹をビニール袋に入れる。僕が入れているとすぐにもう一人、オバサンが横に並んでせっせと入れだした。二人が入れ終わったところで、ケースの中のエビは残り数匹と言う具合になった。おお、滑り込みセーフ~と思っていたその時である。でっかいケースを抱えた店員さんがやってきて、ドサっと追加のエビを入れていったのだ!前の奴もそれなりにピチピチしていたけど、今度のは更に元気そうである。冷凍にしては生きがいいなあ、髭も長いまま揃ってるし活きかな?と思っていたけど、今度の中には動いている奴がいるので、やっぱり活きだと解った。色だって、ブラックタイガーと言うから黒くて良いのだろうと思ったけど、今度の奴はほんのりピンクが入っていて、いかにも旨そうだ・・。うう・・効を焦った・・と後悔していたら、先ほどのオバサンがいきなり自分の袋のエビを新しいエビの中にぶちまけて、新しいエビをまた袋に入れだした。日頃バカにしているオバサンのマネをするのはプライドが許さないと思ったが、やっぱり配偶者の為に良い素材を仕入れたという一心で、私も自分のとったエビを元に戻して、新しいエビ10匹に入れ替えたのだった。でっかいエビが2本ずつ、後は鯛、はげ、鱈の切り身とでっかいホタテ貝柱、イカの入ったブイヤベースはいつもに増して豪華で美味しかったですじゃ・・。明日の朝は、これでリゾットですな。で、誕生日と来ればケーキであるが、今朝その話をしていたらいきなり娘が割り込んできて、「ケーキはミドリが作る!」と主張するのだ。先日の日記でも書いたけど、小学校1年生の娘は、最近お菓子造りに凝っていて、いつもホットケーキミックスを使って怪しげなお菓子を作っている。これは、彼女の食欲と制作欲の両方を満たしている美味しい遊びのようだが、まあ腕前の方は下エプと言うところだ。またかよう・・と思ったが、せっかくの意欲をそぐわけにはいかない。丁重にお願いした。で、「ミドリちゃん、もしもの時の保険に、美味しいケーキをケーキ屋さんで買っておこうか?」と尋ねると、ジロっと怖い目で睨まれた。この娘は、普段はフランキー堺だとか、尾車親方(元大関琴風)とか、レッツゴー3匹のジュンだとか言われていて、愛嬌のある顔だが、親を睨むと目が全部白目になって非常に怖い。それ以上は何も言えず「お任せします・・」と言うことになった。料理の本通りにすれば良いんだけど、まだ字がきちんと読めないのと、オーブンを使わせる訳にいかないので、彼女のケーキはインスタントのカップケーキからヒントを得た、彼女自身のオリジナルである。ホットケーキミックスに卵、牛乳を入れ、チョコチップを散らしそれを電子レンジでチンするだけなのである。これをオーブンで焼けば立派なケーキになると思うが、電子レンジチンでは、ボテッとした膨らみのない重たいケーキが出来る。今夜のケーキも粘く重く、外側は柔らかいけど、中心部はビスケットのように堅くなっていた。電子レンジは中心部から火が通るからだろうなあ。中央部を盛り上げる形にしたらちっとはマシかも知れないねと言うと、またギロっと白目で睨まれた。写真で見て想像が付くだろうか?見た感じは潰れたお好み焼きと言う感じで、中心部はビスケット、周辺部は粘っこいあの蒸しパンのような感じだ。真ん中は堅くて切るのに苦労したもんね。娘が入れてくれた紅茶に浸して食べていたら、「硬いんだろ?」とまた睨まれた。ホットケーキミックスを1箱全部使ったケーキはしかし、無事にみんなのお腹に収まったけど。息子はすぐにトイレに行っていたな(笑)。明日は当院の新年会だ。夜は実家の親が来て、子供達の世話をしてくれる予定。明日の夜はビーフシチューを仕込んでやろうと、今牛肉を赤ワインでマリネ中。オーブンを使って一緒にケーキも焼いてやろうかな?
2005.01.14
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新しい電子ジャーが届いた。今まで使っていたのは、確か自民党と公明党が手を組んで政権を取った時に、消費税の代わりにをこれをやるとと言って国民にばらまいた地域振興券で購入したものだ。時の首相の名前を取って、オブチ君と呼ばれていた。釜が丈夫と言うフレーズのオブチ君は、この1年ぐらい上手く保温が出来なくなった。夜に炊いたご飯が、朝になるとパリパリになっているのである。しようがないから、炊いたら直ぐに耐熱ボールに移し替えて、翌朝はそれを電子レンジでチンするようにしていた。オブチ君は、単なる電気釜に成り下がっていたわけだが、とうとう彼もお役ご免でオダブツ君になって行く。オブチ君の前に使用していたのは、私が一人暮らしを始めてすぐに買った品物で、立派な名前も無かったし、ゴルフの素振りが当たって引っ込んだりしていたけど、オブチ君が来るまで約13年も使われて、惜しまれつつ引退した。それに比べるとオブチ君の引退は早かったな。やっぱり、色々と余分な機能が付くとそれだけ壊れるのも早いのだろうな。最近は色々と機能があって、シチューが炊けますなんてのもあるけど、そんな事出来んでもええ、飯が美味しく炊けて、柔らかい保存が出来れば。オブチ君と前の名無しは、薄いピンクがかったベージュ色であったが、今回の新人はジュラルミンのようなシルバーである。樹脂の部分が黒で綺麗なツートンのコントラストとなっている。こういうカラーが今の流行のようで、家電ショップに並んでいる炊飯電子ジャーの大部分がこういう色合いだった。こういう電気製品の色の流行と言うのは確かにあると思う。オーディオだってそうだ。私のステレオセットは、独身で初めて一人暮らしを始めた時に買ったものだ。当時のステレオは黒が流行で、CDもアンプもテープデッキ(もう死語か?)もチューナーも全て黒だ。僕はよくほこると言う理由でこの黒が好きでなかったけど、シルバーやゴールドが使われているのは一部の高級機だけであった。このステレオもかなりの高齢だ。今年で丁度30年目に突入する。これは人間で言えば何歳に相当するのだろう?独身の頃は、家にいる間は眠っている間も音楽をかけていたから、使用頻度もたいしたものだと思う。アンプは山水の79800円、デッキはakaiの69800円、CDはパイオニアの59800円、チューナーはkenwoodの29800円と見事なまでの980円シリーズが並ぶ、スピーカーは既に今は無き徳島のオーディオ店、オーディオセブンのオリジナルスピーカーで2つで170000円の品物だ。それまであまり高い買い物をしたことが無かったけど、初めて貰った冬のボーナスで買ったような気がする。思い出した・・CDだけは3年ほど前にお亡くなりになって、デンオンの機種に買い換えたのだった。これも79800円だった。(オーディオの世界と言うのは980円と言うのが好きなのか?)この頃の流行が丁度シルバーとゴールドを混ぜたような色で、自分のステレオセットはCDだけが色が違う。最近時々だが、左のスピーカーから音が出ていない時がある。これはスピーカが駄目になったのかと思ったら、どうもアンプのようである。何故かというと、ヘッドホンに替えても片一方しか音が出てないから。いつも出てないのではなく、ちょっとボリュームを大きくしたり、何かの折りにはちゃんと出るようになる。ま、しかしアンプも寿命がつきようとしているのかも知れない。かつて一関にあった、ベイシーと言うジャズ喫茶は、開店したその日から、道路拡張で店が無くなるその日まで、一度もアンプの電源を切らなかったそうだが、うちのアンプもそこまでとは行かなくても、独身の頃はそれに近い状態だったし、4回の引っ越しも経験した。もう十分に働いたと思うけど、ステレオを買い換えようとなると、またまた凄い情熱とエネルギーを必要とするに違いなくて、それが怖くて今も古いのを可愛がりながら毎晩音楽を聴いている。今日のタイトルは、三上寛の歌から。実はこの歌、タイトル知ってるけどまだ聞いたことないのです。でも、インパクトのあるタイトルだよなあ。
2005.01.13
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先日、息子がお年玉でCDラジカセを買った。ハードだけでなくてソフトも買わなあかんと言うわけで、一緒にショップへ行きCDの買い方を教えた。彼はオレンジオンジの「花」と長渕の「金色のライオン」を購入。小学校3年で長渕聞いてどうすんだ?とも思うが、まあその辺に口は出さない。自分は平井堅の「瞳をとじて」を買う。滅多に買わないシングルを買う時は、よほど気に入った時かカラオケ練習用である(もちろん、両方の場合も多い)。私のハスキーボイスで平井堅は無謀な気がするが、「楽園」もそう言えば買って何度か唄ったし(歌えたかどうかは別の問題)、ピアノの練習曲にしようとも思っていた。唄ってみると結構キツイ、ミディアムバラードである分、高音が楽園のように一瞬と言うわけでないので、裏声混じりになってしまう。顔と手が鬼束状態である(笑)。まあ、今日の主題はそれではない。アナログの場合はシングルにはB面と言うのがあり、それには結構隠れた名曲が多かった記憶があるが、CDになると多くの場合タイトル曲ともう1曲(これがB面にあたる)それにカラオケバージョンが付いてる。この「瞳をとじて」のB面が「Desperado」(ならず者)なのである。ふ~ん、イーグルスの名曲をパクって作った曲なのか?と思いながら歌詞を見てみると、パクリでは無くてモロのカバーではないか!実はこの曲は、イーグルスの中でも大好きな曲の一つで、実はカラオケでよく唄う英語の曲の中の一つである。もちろんメロディーも素晴らしいが、何よりこのくらいのテンポで言葉数の歌じゃないと私の舌は回らないのだ。こうなってくると、タイトル曲よりもこっちの方がメインになってしまう。実は今まで英語の歌詞は適当に歌っていた。特に早口の部分は遅れ遅れになって単語の最初の部分だけを発音すると言う具合に。で、今回折角なので、じっくりと歌詞も味わいつつ正確に練習しようと言うわけだ。この歌は、彼らの2枚目となる同名のオリジナルアルバムに収録されているが、そのジャケットのイメージも手伝って、西部開拓時代のアウトローを唄った曲のように言われていることが多い。しかし、今回じっくりと歌詞の訳を読んでいると(ネットで検索すると結構訳詞が見つかる)、これは古の開拓自体の歌ではなく、現代の都会、そういう名前の荒野をアウトローとして生きる者達へ捧げられた歌だと思う。光り輝くネオンの海、その中にじっと潜んで浮かび上がれない。挫折屈折した者、心の傷ついた者、今の日本なら引きこもって家に閉じ籠もって居る者達など。そういう者達へ語りかけた応援歌としてこの歌を聴いた。この歌詞について色々と検索していたら、面白いサイトを見つけた。同じ楽天のサイトだが、新英語教育に関する団体の真面目なサイトである。ここでは、リンダロンシュタットやカーペンターズがこの歌を取り上げているのを根拠に、この歌には女性版バージョンがあって、これは別の女性に心を奪われる男性を見守る女性の恋の歌として解釈している。なかなかの卓見だと思う(イーグルスはそんな事考えて作ったんじゃないと思うけど)堅ちゃんのバージョンもヌメヌメっとして、セクシーでイヤラシクって素敵です。何より英語の発音がきちんと出来てるのが素晴らしい(少なくとも私よりは・・)。聞くところによると、このバージョンはなんかのコマーシャルに使われているらしい。やっぱり広告マンは目の付け所が上手いなあと思う反面、やっぱり最近の音楽はタイアップかようとも思う。ま、そんな事はおいといて、しばらく夜のヘビーローテーションになるだろう。カラオケ練習しようっと(笑)。
2005.01.12
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ふう・・・ブルブル、シバレますなあ。雪も降ってないし、氷も張ってない状態でこんな事を言うのもなんだし、北国の人から見たらちゃんちゃらおかしいとは思いますが、南国?徳島はこの1週間ほど本当に寒いです。今朝、和を保育園へ送り、帰りにサンクスで教養を仕入れて帰ってきたら、我が家のリビングには人気が無い。しかし、ガスレンジの上では、朝の珈琲を沸かすポットがシュンシュンと湯気を立てている。仕方ないので二人分の珈琲を入れて新聞を読み出すが、依然として人の気配なし。トイレも屋上も見たけど彼女の姿は見えず。神隠しか?いや。あんなん誰も持っていかへん。何か悪いことがばれて怒って出ていったのか?それにしてもガスぐらい消して行くだろう?まさか拉致では・・?そんな事を考えながら、ふと北側の駐車場を見ると僕の車が無い。(朝は配偶者のポロを使って和を送って行くので彼女の車が無かったから僕の車で行ったに違いない)ひょっとしてと思い、書斎の机の上を見てみると、昨日出せなかった社保のレセプトが無くなっている。そうか、多分電話して受け付けてくれる事になって、慌てて持っていったのだな。予想通り、8時半を待ちかねて(なんで8時半なんか不明だが・・・普通9時にするだろ)支払基金に配偶者は電話したらしい。道が渋滞していて、ちょっと遅れて着いたらもうドアが閉まっていて・・などと直ぐにバレるような嘘もついたらしい。電話に出た事務員は課長に代わりますと言い、出てきた課長氏は、不機嫌な声で「今手元にあるなら直ぐに持ってきて」とおっしゃったそうだ。「20分で行きます」と配偶者はまたまたそば屋の出前のような嘘をついて、履いていたパジャマ用のスパッツを脱ぎ捨ててジーンズに着替えて、レセプトをひっつかんで車に飛び乗ったそうだ。市内へ向かう道は朝の渋滞で、着いたのは40分後だったらしいけど何とか受け取ってくれたと言うことだ。心配して頂いた皆様、ありがとう。何とか事なきを得ました。今後こういう事が無いよう気を引き締めていきたいと思っています。それにしても・・・ガスぐらい消して行け。実は彼女のこういう失敗は今朝が初めてでは無い。昨日の夜も、お茶をわがすヤカンをかけっぱなしにしていて、私が気づいて火を止めた時には、中のお茶は半分以下になっていた。連日の失敗に彼女は少し落ち込んでいる。「君にもしもの事があっても、後の事はしっかりやるから」と慰めているのだが。何を隠そう、こういう失敗は配偶者だけではなくて、私にもあるのである。私も彼女もそうだけど、ヤカンをかけて何かをしてると、どうもヤカンの存在が意識から欠落していくらしい。この1年間で、二人が経験したハッとヒヤリのケースは20回を下らないだろう。一昨年のお盆休みの時など、ヤカンをかけたまま外出していて、家に帰ってきたら暖房がかかっているように暖かく、少し芳ばしい匂いが(麦茶をかけていた)・・。ヤカンの底の麦茶は数ミリの深さになっていたのだ。アブナイ・・。これでもし火でも出たら目も当てられん。そういう訳で、普通のヤカンをあの沸騰したらピ~っと鳴るタイプの物に買い換えたのだ。しかし、ピーっと鳴った時には既に遅く、そのピーの穴からお湯が噴きこぼれていたり、ヤカンの蓋を完全に閉めていなかったりして、気が付いたらシュンシュンと湯気を噴いていたりと言う光景は、今も我が家で頻繁に見られている。(昨日も、蓋がちゃんと閉まっていなかった)私たち二人とも、以前はこういう忘れっぽい人ではなかったように思うのだが、二人とも40歳を越えてそろそろ脳みそが老化してきたのだろうか?それともヤカンと言う物体に何か人の意識から逃れていくような特性があるのだろうか?とりあえず、火災保険の上乗せでもしておこうかな?我が家の調理器具が電磁調理器になる日もそう遠くなくなるかも知れない。
2005.01.11
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今日は1月10日である。医療関係者にとって、10日と言うのは特別な日だ。そうレセプトの提出締め切り日なのである。レセプトとは診療報酬明細書?と言い、要するに1ヶ月の間に、その人に行った医療行為の明細が記載された書類だ。医療機関はそれを保険者に提出して、患者さんの自己負担分を除いた残りを受け取ることになる。素人の保険者が、いちいち審査をすることが出来ないので、社会保険は支払基金、国保は国保連合会と言うところにその審査を委託している。前月分のレセプトを今月の10日までにそれら審査機関に提出すると、審査の後に2ヶ月後に口座に振り込まれる事になっている。2004年12月分のレセプトは、1月10日までに提出されて、その分は3月17日に社保分が、3月27日に国保の分が振り込まれることになる。現在、殆どの保険で患者負担は3割になっているので、残りの7割が振り込まれるのは2ヶ月後なのである。このように、レセプト作業と言うのは医療機関の飯の種であり、診療は別として何よりも大事な作業なのである。通常、月が変わって1日になると前月分のレセプトをレセコンを使って印刷する。その枚数はもちろん患者数によって違うので、医療機関の規模とか人気度によっても違う。それをまず事務員が、保険内容(氏名、生年月日、性別、保険番号、本人家族の区別)や、診療行為(薬の種類や量、日数に間違いがないかなど)についてチェックをする。そして次はドクターが、レセプトに付いてる病名でその内容が全部給付を受けられるかどうかをチェックして、不足していると思われる分には病名の追加をする。単純に手書きで書き加える場合もあれば、もう一度レセプトを個別に印刷する事もある。そうやって出来上がったレセプトを、保険者別、市町村別などに並べて(これがかなり面倒な作業だ)ヒモで閉じて総括表(全体のまとめ)をつけてやっと完成だ。完成したレセプトは、以前は薬屋さんや卸さんが審査機関まで運んでくれていたが、色々と問題があって、最近では医療機関の自己責任で運んでいる。審査機関は全県下で徳島市だけにしかないので、うちみたいに市内にある医療機関はまだ良いけど、郡部の医療機関にとっては大変時間のかかる作業である。このように、多くの医療機関にとって1日から10日までの間は、普段の業務以外にレセプト業務をこなさねばならないわけで、戦争のような時期である。当然残業も多く、レセプト中はずっと夜遅くまで灯りのついている医療機関も多い。これが普通の月ならまだ良いが、今月みたいに正月明けとかゴールデンウイークの後だと大変だ。1月4日からやっていたのではとうてい間に合わないので、年末や正月の間に休日出勤で出てきている医療機関も多いのではないだろうか?以前は10日が日曜や祝日の場合、また正月明けなどは締め切りが11日になっていたが、数年前からは、何があっても10日が締め切りと言うことになっている。まあ、その代わり審査機関の人たちも、日曜、祝日にかかわらず10日は出勤と言うことになるわけだ。ところで、うちに関しては、このレセプト残業を言うのをやったことがない。これは何でかと言うと、患者さんが少ないのですぐに終わってしまう・・って訳では決して無く、普段からコツコツと作業をしてるからだ。診療が休憩のお昼の1時間のうち、30分は事務員は勤務時間にして、カルテの内容や病名漏れがないかどうかのチェックをしてる。診療中も暇があれば1人処理したカルテを、もう一人がチェックしている。何よりも、医者である僕と配偶者が普段の診療時からまめに病名を書くようにしているのが大きいと思う(普段は、全く病名を書かずに、レセプト時に、一気に書くと言うドクターも多い)。しかし、今年はさすがにどうかと思った。1月9日が日曜で10日が祝日。つまり日曜が休みの常勤の事務員にとっては、仕事始めの4日から8日の終わりまでの間に全てのレセプト作業を終了しなければならないからだ。大丈夫?と聞くと、今までにもこんな事はありましたから大丈夫との事。実は2日が在宅当番だったので、その時に少しレセプトの打ち出しとチェックが出来たのと、夜に僕が残業して病名チェックをしたのが効いたようだ。目出度く8日の夜には12月分のレセプトができあがった。9日は日曜で審査機関はオヤスミなので、10日に提出に行くことになる。今日は長男が通っているテニスクラブの「たこ焼きカップ」なる大会に出場すると言うので、彼と残りの家族は別行動になった。彼は入門ジュニアという部門に出場し、1回戦がシード(これは上手だからと言うわけでなく、たんにくじらしい)で、2回戦が早くも準決勝、それに勝って2位だったらしい。まあ、そんな事はどうでもいい。残りは、市内の真ん中にある眉山(今度さだまさしが、この名前の映画を作ったそうな)の中腹にあるレストランで昼食を摂った。ここは全面ガラスの窓から山肌が見え、店内には陶芸作品とか、観葉植物の販売をしており、ピアノがあってライブもやるという、なかなか洒落たお店だ。珈琲のお茶受けには、あんこの塊が出てくる。まあ、そんな事もどうでも良い。動物園は寒風は吹き荒れるし、トラはやる気が無くて寝てるし、キリンはこの間死んじゃったし、シロクマは元気が良かったけど、まあそんな事もどうでも良い。家に帰ってきて私は暫く昼寝。起きてくると配偶者はTシャツに短パンという勇ましい姿でリビングの真ん中でエアロビックステッパーを踏んでいた書斎で自分の日記のコメントをチェックするために自分のサイトへ行く。今年はいまのところさぼらずに日記を書いてるな~と思って日付に目が行った。その時の驚きは筆舌に尽くしがたいがこんな感じだ。×?!△!!○!!!ウォォオオオオ~~~!レセプト出してない!!!マジで私は叫んでいた。叫びながらリビングの配偶者の所へ走っていった。彼女も何事かと思ったらしいが、叫ぶ内容を聞いて僕とハモリながら絶叫!時計を見ると既に5時20分である。レセプト提出の締め切りは5時。これは時間厳守である。どう考えても受けつて貰えるはずがない、いや祝日の今日となっては既に審査機関の人たちは仕事を終了して家に帰ってしまってるだろう。レセプトが提出できないとどうなるか?患者さんが支払った3割以外の7割の金額が入ってこないのである。1000万円の仕事をして700万がパーになったようなものだ。実を言うと、パーになると言うのは正確ではない。今月提出できなかったレセプトは来月に今月分のレセプトと一緒に提出できる。つまり入金が1ヶ月遅れる訳だ。これは、裕福な医療機関にとっては大したことが無いかも知れないが、うちのような零細自転車操業の医療機関にとってはかなり大きなダメージだ。うちなどは、毎月結構な額が収入として入ってくるが、給与と経費を支払いすると、いつの間にか通帳の残高は前月の終わりと殆ど変わらない。ちょっと大きな支払いがあると通帳の残高がマイナスになっている時がある。まあ、私と配偶者は勤務医よりもちょっと上の給料を貰っているので、私ら夫婦個人の口座に残った分が所謂儲けになってるのだと思うが。そうやって今までに何度か不渡りを出して、私個人の口座から補填をしてきている。そういう状態で1ヶ月遅れになるとは言え、収入の7割が入ってこないと言うのは、結構大きな事態なんじゃないかと思う。私自身はその時点でもう諦めて頭を切り換えた。2ヶ月後の給料は7割減になるけれど、3ヶ月後の給料は7割増になると思えば良いさ・・と。しかし、心の底では自分自身に対して憤懣やるかたない思いを抱いていた。諦めきれない配偶者は国保連合会へ電話。そしたら奇跡か!!電話に出た人が居るのだ。訳を話したら、もちろんもう閉まっているけど、そんなに時間がかからないなら待ってるから持ってきたらと言ってくれる。配偶者はすかさず「20分で行きます」と答える。「20分??」普段提出に行ってる時には、社保と国保で往復すると(この2つはそんなに近くはないけど、回り道にならない合理的な道筋にある)1時間半以上はかかってるぞ。単純に計算しても30分以上はかかるはず。お前、そば屋の出前か?それともオレに公道レーサーになれと言うのか・・。ま、免停歴6回を誇り(いや、誇らんでもええ、そんなもん)、昨年の6月でやっと3ヶ月免停から1年を経て堅気になったばかりだが、お家の一大事に置いてはそんな悠長な事を言って居られない。とにかく出来るだけ早く行こうと言うので、社保は配偶者に任せてダッシュで出発。吉野川に沿って裏道をひたすら走るが、夕餉の頃、買い物に行く車も多く、渋滞はないけどもそれほど自分の速度では走れない。それでも30分で国保連合会に到着。既に駐車場の入り口も鎖が張られて中には入れない。門に車を停めてレセプトの入った分厚い袋(見栄です)を抱きしめてダッシュ!既に入り口の明かりも消え、自動ドアの電源も切られているが、執務室の窓に人影が見えた。向こうもこちらを認識してくれているようで窓を開けてくれる。人の優しそうな中年のおばさんである。事情を説明し、心から失礼を謝ってレセプトを受け取って貰う。今日は祝日で休日出勤だから、国保の人たちは通常の業務はせずにレセプト受け取ったら直ぐに家に帰ったはずだ。このオバサンはたまたま何かの理由で(下痢していたとか?)帰るのが少し遅くなって、かかってきた電話を取ったのだろう。留守電になっていないのも幸いした。でも、そこで「もう提出の締め切りは過ぎました。来月回しにしてください」と言うことも出来たはずだ。いや、自分ならそうしたかも知れない。私は今まで、この日記でさんざんオバサンの罵詈雑言を書いてきた。しかしこれまでの非礼を詫びよう。これからはオバサンの味方に多分なる。いや、絶対になる。世の中のみんなが見捨てても、自分だけはオバサンを見捨てないと心に誓おう。そう思ったのだ。自分の用事が終わると、ほっとして自宅へ電話を入れる。長男が出て、「かあちゃんは、社会保険なんたらと言うとこに行った」と言うので、社保の方も何とか上手くいったのだと胸をなでおろす。結果的に言うと社保の方は駄目であった。幾ら電話しても誰も出ないので、配偶者は駄目モトで実力行使に出たのだ。行ってみて灯りでも見えよう物なら、シャッターが壊れるぐらい叩いて受け取って貰おうという魂胆だったらしい。しかし、明かりは消えて真っ暗。体当たりしようと思ったが、警備会社が飛んできたら困るのですごすごと戻ってきたと言うことだった。まあ、仕方ない。今は不景気な時代。社保よりも国保になってる人が多い。社保の未払い分になるのは、全体の3割ぐらいじゃないかと思う。2ヶ月後の給料は3割カット、でも3ヶ月は3割増しと考えることにしよう。しかし、今気づいたけど、別に3割増える訳じゃないのだよな。遅れた分を貰えるだけで・・。夕食はちゃんこ鍋を食べてビールを飲みながら、配偶者と2人で海よりも反省。一生懸命仕事してくれた事務員さんには土下座しなくちゃいけないぐらいだ。これがもし僕ら管理者でなくて、事務員の失態なら減給か懲戒、卸さんやメーカーの人なら出入り禁止だろう(そういうトラブルがあって、卸さんが持っていくのが止まったのだと思う)。配偶者はさっそくリビングのカレンダーの毎月10日の所に丸印を付けていた。でもさあ、10日がレセプトと言うのは骨の髄まで解ってるんだよなあ。なんで今日に限って忘れたか・・。夫婦揃ってアルツハイマーかとも思うけど、やっぱり8日に仕上がっていて9日に持っていけなかったこと(審査機関が休みだったので)が大きかったのだと思う。以前みたいに、11日にしてくれたら、平日なので絶対に忘れるって事はないんだけどな。
2005.01.10
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昨日の飲み会は、今日に影響を残さないように終了。PTAの方は数時間ずっと飲み続けだけど、ソフトバレーの方は1次会と1次会に分かれていて、2次会はカラオケなのでそんなに飲まなくて良かったから。2次会からはお子ちゃま方も参加。レスキュー隊に勤めるNさんは、夫婦プラス女子高生のミカコちゃんも一緒にバレーをしている。その上に中1の息子さんも来た。ノリノリで唄うミカコちゃんにお父さんのハーモニーが絡み、お母さんがフリフリで踊っている(息子は疲れたと、ソファーで寝てしまった)。キャプテンのSさんも夫婦プラス中3のメグちゃんも加わったバレー1家だ。受験生なんだけど、カラオケからの参加。先輩のミカコちゃんに背中を押されるように唄っている。家族一緒で同じ事をやると言うのも、なかなか羨ましい光景だ。うちもどうだろう?ミドリちゃんにやる?と聞くと、やるやる~と言っていきなり踊り出した。それはバレエだって~。ちなみに、うちのソフトバレーチームには、医者が居て、歯医者が居て、歯科技工士が居て、看護婦が居て、レスキューが居る。いつ倒れても心配ないと言う素敵なチームだ(笑)。世間は3連休の真ん中だけど、うちはカレンダー通り仕事。明日も休みのせいか、患者さんが多い。やっぱりまだウイルス性胃腸炎が多いな、インフルエンザは居ない。午後は家族でえびっさんに行く。今日は宵えびすだ。そのせいなのか、みぞれ混じりの雨が降っていたせいか、例年よりも人出が少ないような気がした。でも、駅周辺の道路は大渋滞でした。ついでにそごうのバーゲンを覗くと、この間2割引で買った物が半額になっていた~。思わず世界の中心で愛を、いやデパートの中心で、金返せ~と叫びたくなる、セコイ私。よくお邪魔する駅前の焼鳥屋さんが超満員だったので、帰りは道筋で見つけた中華料理屋、いやラーメン屋へ入る。漆喰壁に黒い木の柱でレトロ風、和紙で包まれた提灯もあって、中華工房風で良い感じだ。自転車に乗った6匹の豚のイラストが壁にあり、和が「こんにちは豚さん」と何度も挨拶する。う~ん、ここは普通のラーメン屋なんだろうか?それともファミレスなんだろうかと考える。カウンター席よりもテーブル席の方が多い。店員がみな懇切丁寧、でもマニュアルっぽい応対。メニューが多い割に出てくるのが早い。以上の理由でここはファミレスだと言うことに決定。店員さんに聞いてみたら、関東にチェーン店があるそうだ。万豚記って名前だけど、知ってます?お味の方は、まあまあでした。ファミレスでまあまあと言うのは、結構凄いことだと思うけど。夜は夫婦で、珍しくテレビ鑑賞。今日はロードショーで「鉄道員」。目が冴えてるミドリちゃんが結局最後まで一緒に見ていたが、どうもあらすじは理解できてなかったようだ。1年生になっても、毎日お昼寝を必要とするこの豚児が一体今夜はどうしたことなんだろう?配偶者はこの原作を読んで、泣かされるもんか~と思ったけど泣いたそうだ。で、今日も最後の方でティッシュで鼻をグスグス言わせていた。自分は、この小説、読んだような読んでないような気が・・。はっきり思い出せないのよ。それだけ既読感がある内容と言うことなのでしょうか?そしてインパクトが薄かったのか?浅田次郎は「メトロに乗って」と言うのを読んだ記憶があって、これも結構ぐっと来る小説だったと思う。確かタイムスリップを使った話だった。タイムスリップとか幽霊が出てくる話には、ぐっと来る物が多いような気がする。山田太一や清水辰夫もよく幽霊を使ったような気がする。私は泣かなかった。最後は予想できたしね。と、言うことはやっぱり前に読んでいたのかも知れないな。オチが見えていて、最初からずっとそこへ持っていこうと言うあざとさが見えてしまっていたからかな。「メトロ」を読んでなかったら、原作を読んでなかったらまた違った感想になったかも知れない。幽霊が出てきて、段々大きくなってと言うのは、どっかで読んだ設定と似てるな~と思ったら、山田太一の「飛ぶ夢をしばらく見ない」と逆の設定だな。あっちはどんどん若返っていく設定だった。彼らの時間は自由自在なのに、生きている自分たちの時間は逆戻りできなくて限られているのだ・・と言う思いが、こういう設定をノスタルジックにするのだと思う。筋と関係ないけど思ったこと。・予告編で見たレディー・ジョーカーの渡哲也って、段々高倉健に似てきたような気がする。・ヒロスエって、SMAPの草柳君に似てるような気がする。・一番良かったのは主題歌。奥田民生が作詞で、坂本龍一が作曲、で娘の坂本美雨が唄ってるだって。これは映画より話題があったかも。・降旗康男と健さんの映画って結構あるのね。自分はやっぱり「駅・STATION」が好きだなあ。・しかし、健さんの映画って、北海道や九州が舞台になってるのが多いね。たまには中国や四国では映画にならんのか?しかし、映画を見ると言うのは一つの時間の過ごし方して、素敵で贅沢な使い方だな。子供が小さいから、映画館で見る映画は限られるけど、自宅でならゆっくりと楽しめる。う~ん、大画面テレビが欲しくなってきたぞ~。
2005.01.09
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今日はソフトバレーの新年会である。そういう訳でちょっと早めに日記を下書き中。バレーの飲み会と言えば、小学校のPTAのチームの忘年会では、昨年、1昨年と続けて撃沈したので今日は違う団体と言えども要注意である。次の日がしんどいような飲み方はもう止めよう。四捨五入したら、もうじき50歳になるんだから(笑)。そんな訳で、家人の夕食を仕込む。今夜はカレー。普段カレーと言えば、どんな具にしようとかと、どんなスパイスを使おうかとか考えたり、タマネギをしこしこ炒めたりするのだが、自分が食べないとなると急に気が楽と言おうか、手抜きである。さっと具を炒めて、お水を入れて、ルーを入れて終わり。SBコクまろカレー甘口に全部お任せしましょう。和の分は別に取り分けて、ミルクと蜂蜜を加えたら終了。変に凝ったものより、子供はシンプルな方が喜ぶし、配偶者も食べ物に関しては保守的だしなあ。で、今日は昨日日記に書いた「ミカネード」なる飲み物の紹介である。これはもちろん、レモネードから派生して作った造語で、ミカンを用いた飲みものなのである。今月号の日経ヘルスと言う雑誌の特集のまんまだが、ミカンの皮には様々な身体に良い有効成分があるのをご存じか?もちろん、果肉にもそれらはあるけど、皮の中には身よりずっと多く含まれて居るそうだ。βクリプトキサンチン・・これは癌の予防になるらしい。リモノイド・・・これはコレステロールを下げる。リモネン・・この香りはダイエットに効くらしい。シネフリン・・・これは脂肪の分解を促進する。ヘスペリジン・・これは骨を元気に保つ。それにもちろん、食物繊維になるので、お通じもよくなるらしい。まとめると、ミカンを皮ごと食べることによって、お通じがよくなり、身体がポカポカと暖まり、ダイエットになって、コレステロールも下がると言うことらしい。少なくとも、僕はこの数日食べているけど、便秘には良いような気がする。虫垂炎の手術をしてから、下腹が変に張ったり冬になると便が堅くなったりしていたけど、なんか調子が良いのよ。そう言えば、昔は農家の縁側でミカンの皮を天日干しにしていたよね。ああやって干したのを細かく刻むと、漢方薬の生薬の一つである「陳皮」と言うものになる。これは身体を暖め、水分の代謝を良くして、滞った老廃物を外に排出させる働きがあるそうだ。喉のイガイガするときや、咳にも効くそうである。自分で簡単に作れるから、天日干しにしたミカンの皮を細かく刻んでお湯で抽出して、陳皮茶にして飲んでみよう。ちょいと話がそれたが、ホットミカネードの作り方。ミカンをぬるま湯に5分ほど浸けてよく洗う。これは農薬を落としておくためで、無農薬なら省いて構わない。ヘタの周辺には農薬が貯まりやすいので、これを除いて、ミカンの皮を細切りにする。カップに入れてお水を入れて、砂糖か蜂蜜を少し入れ、レンジで2分半程度加熱。最後に適当にざく切りにした身を入れる。そうやって身も皮もお汁も全部飲んでください。甘いのがダイエットに気になるから、砂糖や蜂蜜なしでも十分に飲めますよ。1日1個食べれば十分だそうだ。僕は、健康食品とかサプリメントにはあまり興味がないけれど、身近な材料で簡単に出来る物に対してはちょっと興味があるし、やってみても良いと思う。去年は黒豆茶がそうだったけどね。これで健康になるのだ~なんて肩肘張らずに、楽しんでやれば良いと思う。そして、何に置いても過ぎたるは及ばざるが如し。ミカンを食べ過ぎると、顔や手が黄色くなって黄疸と間違われるので要注意ですぞ。では、行ってきます。
2005.01.08
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今日は昨日よりは少し暖かい・・と言ってもやはり寒い。今週の週末はえべっさんのお祭り?であるが、例年のこのえびっさんの頃から、大学のセンター試験の頃が一番寒いような気がする。うちの配偶者などは、足の裏に張るカイロなるものをどこからか仕入れてきて張っている。2年前の夏に、足の甲に湿布を貼ってヒドい日光過敏症になったのに懲りてないのだな。相変わらずウイルス性胃腸炎による嘔吐下痢が多い。患者さんが替わるたびに壊れたテレコみたいに同じような説明をしてる。で、患者さんに渡すパンフを作成。トップの左ページに入れたので、興味のある人はごらんあれ。同じ所に、嘔吐下痢症がもう一つあるけど、こっちはケーブルテレビで話した台本、今日のはパンフ。パンフを渡すからと言っても、口での説明をさぼる訳でない。でも精神的には少し楽。それに患者さんは苦しい時に説明を聞いても、ぼ~っとして家に帰ると覚えてないことが多い。そういう場合にもパンフは役にたつだろう。1月5日から3日間は徳島県内を縦走、横断する徳島駅伝が開催された。これは3日間に渡って、郡市対抗で争う駅伝である。毎回ゲストが来るが、今年は地元出身のマラソンランナー、弘山晴美さんが走った。そして同じく五輪選手の市橋有里選手や、犬伏孝行選手も、郡市の選手として激走した。うちの診療所の前は、最終日の最終区間になっており、みんな国道に出て旗を振って応援する。まあ、その時間帯は非常に暇だ(笑)。そんな駅伝も終わって、町はのんびりした風情である。午後からはいつものようにプールへ行った。どうも冬になってからかなり空いている。フロントで聞くと、温水プールと言えども、やはり冬には利用者が減って、一時休会にする利用者も多いとのこと。そうだなあ、自転車で来ているおばさん達は泳いでサウナに入った後、寒風に吹かれて自転車で帰るのはしんどいだろうなあと思う。今年に入って2回目だが、実はまだ続けて1kmが泳げていない。前回も今回も、400mあたりで横腹が痛くなったり、お腹がゴロゴロしだして○○チが出そうになって止まってしまうのだ(まあ、実際に出るのはガスぐらいである)。昼食を食べて直ぐに行くのが拙いのかもしれないが、それはずっと以前もそうだったので、なんか原因不明。ひょっとして、最近飲んでいるミカネードのせいでお通じがよくなってるからかな?と思う。今日の夕食のテーマは、「買い物に行かない」。要するに、今家にある食材だけで作ると言うことだ。と、言っても昨日配偶者が作ったおでんが大量に残っているので、それがメイン。それ以外には、ほうれん草のお浸し。ほうれん草って堅い茎の方から茹でるのかと思っていたら、葉の方から湯につけるとコバヤシケンタロウの本に書いてあった。本当か?と思ってやってみたら、これがなかなか上手かった。茎から入れるとつい茹ですぎるんだよな。葉から浸けて15秒ぐらいです。お浸しと言っても、そのままぎゅっと絞って上に鰹節を載せ、醤油を少しかけただけ。それから、知り合いに貰った魚の一夜干し。お歳暮で真空パックになってるのを頂いたので、結構立派なもの。旨い~。もちろん、大根おろし添えです。讃岐うどんが3玉ほどあったので、ほうれん草と白菜の堅い部分を細く切って炒めて絡めて、最後に卵でカルボナーラにした。それにおでん。やっぱり正月で太ってしまったので、こういうシンプルな食事が良い。最近娘(小学校1年)が料理に目覚めてしまった。毎日親の居ない午後に、お菓子をメインにした怪しげな料理を作っている。昨日はカップケーキ(もちろんインスタント?)を作っていたし、今日はホットケーキのネタをケーキの型に入れて、中にチョコビスケットを仕込み、それを電子レンジでチンすると言う料理を発明してやっていた。結果的には重くて堅くて甘いケーキが出来ていました。それから、ミカンを牛乳につけて砂糖を入れ、冷凍室で固めてシャーペットにしていた。そんなわけで、昨日当たりから、卵と牛乳とミカンの減りが早い。おかげでミカネード用に買っていたみかんが早くも無くなってしまったじゃ無いか。こうやって作ったお菓子を友だちに振る舞っているようで、大勢の友だち(何故か全部男)がやってくる。友だちに囲まれてエプロンをつけた娘は本当に嬉しそうである。学年で一番背が高く体重も重い娘は、まるでみんなのお姉さんのようだ。でもさあ、頼むから後始末もしてよ。あちこちに粉とネタのネバイのがひっついてるよ~。お父ちゃんは一口で良いからね。これを全部食べると健康に良くないような気がする(笑)。ま、愛エプでは、下エプあたりかな(笑)。今日出てきたミカネードなるもの。興味ある?では、明日の日記で。昨日からずっとローラ・ニーロの最近出たライブ盤を聞いてる。最近出たと言っても、これは70年代のフィルモアイーストのライブである。そういうのがあるのは知られていたけど、マスターの劣化によって製品化は無理と言われていた。しかし、技術の進歩によってそれが可能になったのだ。このフィルモアイーストでは多くのミュージシャンがライブを録音してるけど、みんなこの70年代あたりの録音は音がモコモコして良くないんだよね。見事に臨場感のある音に仕上がっている。これについても、また後日。
2005.01.07
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1ヶ月ぶりでバレーの練習に行った。忙しいのと、右肩が全く駄目なのでずっと休んでいたのだ。肩はいっこうに治らないけど、以前に同じ場所を痛めた時には半年以上かかって、諦めた頃に治った。それも4年前の事だし今回は治るかどうか疑わしい。それなら前向きにサウスポーでアタックを打つとか、セッターのような違うポジションの練習をしようと考えたわけだ。木曜日はソフトバレーなので、ネットは低いしボールも軽く肩に負担が少ないと言うのも理由の一つだ。今日はセッターをした。サーブも左手で打ったけど、これが以外に決まってエースを沢山取った。球威のなさが功を奏しているようだ。まあ、高校、大学と何度か肩を痛めて左打ちの練習をしていたのが結構役に立っているみたいだ。いきなり話題が変わるけど、うちの夫婦はコーヒーが好きで1日3~4杯ぐらいは飲む。一応通ぶって、豆をミルで挽いて、ドリッパーで抽出している。うちの近くには「まいせん」というコーヒーショップがあるが、そこの豆は美味しいと言うか香りがすごく立つ。以前は豆を店で挽いて貰ってきていたが、それを持って帰ると車の中は豆の香りで充満したし、歩いた後にも暫く残り香が漂っていたものだ。しかし、ここの豆は結構高い。普通のブレンドで100g500円、これがブルマンブレンドになると100g1500円もするのだ。まあ、うちはブレンドしか買わないけどね。しかしこれには抜け道があって、毎月末尾が0の付く日は豆の値段が半額になるので、そういう時に豆を買うようにしていた。まあところが、0の付く日が定休日であったりして買いそびれる時もよくあったのだ。その後、れあっぴさんのお薦めで、大阪の「ドイコーヒー」と言うお店の通販を利用していた。ここはまいせんより安いし、買いに行く手間が省けたので楽だったけど、やっぱりまいせんの香りが忘れられないのと、何より料金を振り込みに行くのが面倒なので、いつしか疎遠になってしまった。最近は同じ市内だけど、うちからは結構遠いところにある「ケストナー」というショップの豆を買っている。ここの豆も香りは「まいせん」に負けていると思うけど、なかなか味がマイルドで美味しい。値段はまいせん級だけど、配偶者の後輩が奥さんで嫁いでいて、美味しい手作りのお菓子と一緒に配達してくれるので重宝にしている。このお店は医師会の御用達にもなってるようで、医師会の催しや、徳島で開催される学会ではここのマスターがみずから出向いてコーヒーをサーブしている姿を見かける。で、年末に今年のお礼と称して、ここのマスターから豆を一袋頂いた。彼によると、この豆は日本に世界に32袋しかないのをその店が手に入れた1袋の中から一部をうちにプレゼントしてくれたらしい。すぐに飲むのは勿体ないと思って冷凍室へ入れて置いたが、やっぱり新しいうちに賞味しないと駄目だろうと言うことで、今日その豆を開封して入れてみた。その豆はの名前はブラジル何とか言う名前だった(早くも名前をど忘れしている。袋は捨てちゃったし・・マスターごめんなさい)。で、お味の方はどうだったか?うん、まろやかで美味しい・・。恥ずかしいが、まあその程度の感想である。前述のドイコーヒーのマスターによると、コーヒーには甘さ、酸味、苦さ、など色々な味が表現されるらしいけど、まあ僕ら夫婦のレベルと言うのはこの程度である。たしか、まいせんのコーヒーが切れた時、家の前のスーパーのコーヒー豆(挽いた奴)を買ってきた。で、その数日後にまいせんの豆も買って来て、勿体ないのでスーパーの豆と交互に使っていた。その際に配偶者と、これはどっちの豆かと言うことを当てっこしていたものだ。さて、結果は?と言うと、まずコーヒーを飲む、そしてじいっと相手の顔を読む。それから昨日の結果がどうだったかを考える。何のことはない、コーヒーをテイスティングして決めているのではなくて、相手の表情やこれまでの経過を参考にして決めているのだ(爆)。まあ、さすがにスーパーの豆とでは間違うことは少なかったけど、それでもたまに間違えることがあった。間違うと、それは出題した者のせいにされる。曰く、お前の豆のひき方が悪かった。曰く、温度が低すぎた。曰く、心がこもってなかった・・など(笑)。それが、まいせんとドイコーヒーぐらいになると、もう当たる確率は半々ぐらいになってしまう。まあ、うちの夫婦のレベルっつ~のはまあこの程度なのだ。コーヒーと言うのは、いやコーヒーだけに及ばず料理やお酒全般にそうだけど、その味と言うのは単にその素材の魅力だけでなくて、摂取する時間帯、場所、状況、誰に入れて貰うか・・等々、色んな要素によってかなりの修飾を受けると思う。深い微妙は味わいは解らないかも知れないけど、その時その時の状況を楽しみながら、楽しく、美味しく、そしてほろ苦く、これからもずっとコーヒーを飲んでいきたいと思う。
2005.01.06
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仕事始めの昨日は忙しかったが、今日はうってかわってのんびりした外来だった。当院は毎月の月初めは暇なことが多くて、これはどうしてなのか訳は分からないが、10日までにレセプト請求と言う宿命を負った医療機関にとって、悪くは無い現象である。で、毎月の始めに経験することであるが、カルテの表紙に病名の開始日付を書く時に、頭の中で月が変わっているのを認識しているのにもかかわらず、手の方が先月の月を書いてしまうのである。例えば11月から12月に替わっているのに、病名:咽頭炎、開始11月1日と言う具合である。先月1か月はずっと11月と書いてきたので、身体がそういう風に覚えているかも知れないと自分を納得させるものの、何度もそれが続くと、オレはアホか・・と思うことがある。まあ、多くは半日ぐらい、長くても1日ぐらいでその月の方に身体がなじんでいくけれども。で、1月と言うのは月が変わっただけでなくて、年が変わってしまっている。こちらの方は、1年間書き続けた16年と言う年を替えていくのだから尚更始末が悪い。1月2日にも患者さんを診たし、4日にも新患の患者さんを沢山診たけれど、今日の午前中においてもまだ平成16年の1月・・と書いて、イカンイカンと訂正する事しきり・・ホンマにオレはボケたんかい!!と思っていたが、午後当たりからやっと頭と身体がなじんで17年と書けるようになってきた。これで名実共に新しい年になったのかな(笑)?ところで、日記には新患と言う言葉がよくでてくるが、これは文字通り新しい患者さんと言う意味である。当院で初めて診察を受ける人と言う意味ですね。よく似ているが違う言葉に初診という言葉がある。これは再診に対する言葉であるが、ようするに初めて診察を受ける人と言う言葉になる。じゃあ、新患と同じじゃないんかい?と思われるかも知れないが、新患と言う言葉が、患者さんの人に対して用いられるのに対して、初診、再診という言葉は、病気に対して用いられる言葉である。例えば、当院に初めてかかる人が、風邪で受診したとする。この場合は新患で初診になるわけだ。しかし、1年前に風邪で受診をした人が、今年また風邪、もしくは他の病気でかかる時には同じく初診だけど新患ではない(新患に対する再患と言うような言葉は無い)。で、先週風邪で来た人がもう一度風邪の続きで来た場合や、高血圧のような慢性疾患の患者さんが続けてくるような場合は再診になるわけである。お解りか?要するに、初診、再診と言う言葉はある病気に対して用いられる言葉なので、同じ患者さんで何度も初診と言うことがあり得るわけです。例えば平成16年10月20日に風邪で来た患者さんが12月3日に来たとする。その場合、10月の風邪は10月31日で終了とか治癒の転帰となり、同じ風邪と言う病名で12月3日に初診となるわけである。また、1月3日に扁桃炎で受診した人が、それは治ったけど今度は胃の痛みで1月20日に来た場合も、風邪は1月10日で治癒になって、1月20日に胃潰瘍と言う病名で初診と言うこともあり得る。1月に2回初診となる事もあり得るわけである。ただし、多くの場合医療機関の裁量で同じ月だと違う病名でも再診にする事が多い。これは何故かというと、初診料と再診料ではかなり料金が違うからであり、この違いを長々と書いたのもそういう理由である。もう少し続けさせて頂くが、高血圧でずっと受診をしている人の場合は、風邪や扁桃炎の別の病名で受診をしてももちろん再診となる訳である。急性の病気は1ヶ月診察が開くと、一旦治癒したとみなして初診として扱う。同じく慢性の疾患は6ヶ月受診が無いと、次回受診の際には初診として扱うとされているが、そのあたりはある程度医療機関の裁量に任されている。そのあたりは、何となくナアナアの部分があって、28日ぐらいでも初診にする場合もあれば(例えば患者さんが前回のは1日で治りました~と言うような場合な)、35日ぐらい経っていても再診にする場合(前回から治ったりぶり返したりなんです・・と言うような場合)もあって、もちろん医療機関としては初診を取りたいし、患者さんにしてみれば再診の方がお金が安くなると言うような事になるので、微妙な受診間隔の場合にどっちにしようか悩むこともある。このように医療費と言うのは、診察料一つとっても結構いい加減なと言おうか解釈の余地の広いものなのである。何故初診料の方が再診料よりも高いかと言えば(初診は再診の約3倍である)、初めての病気の場合は病歴や(話を聞くこと)診察をして診断をするのに時間と手間がかかるからと言うことらしい。しかし、初診でも一目見て直ぐに診断と治療が出来る場合もあれば(例えば、口内炎とか口唇ヘルペスとか)、再診でも患者さんが長々と症状を訴えたり、色んな検査をしたりして時間や頭を使う場合も多い。だから、診察料として初診も再診も同じ点数(値段)にしたらよいと言うのが僕の意見なのである。点数としては初診料より安く再診料より高いというぐらいで良いと思う。当院もそうだが、最近の医療機関は請求明細書を出すので、例えば家族で受診して、一人が再診で一人が初診の場合とか、同じ人でも前回が再診で今回初診になる場合に、なんで診察料が違ってくるのかを質問される患者さんも居て(まあ、それが普通の感覚だわなあ・・)、多くは窓口レベルで上手く説明してくれているが、時々診察室でも説明する場合があるし、そもそもそういう質問がでること自体、医療費の設定の仕方が不自然だからと思うのだ。そういう事に取られるエネルギーを患者さんの方へ回したいと言うのが私の本音である。今日は自分のアホ話から医療費についての説明に移ってしまったけど、この話題、時々このページでして行こうと思う。
2005.01.05
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今日から仕事始めです。インフルエンザが流行ってないとはいえ、正月の間に嘔吐下痢になった人や、風邪をこじらせたひとなどが多かったです。慢性疾患の人は、今週は殆ど来ないように処方で調節してあるのですが、それでレセプトを見る暇がないぐらい忙しかった。和も保育園に行って、我が家は日常モードだけど上の二人は今週いっぱい休みなんだよね。こいつらが昼間っからぎゃーぎゃー騒ぐので、その辺がまだ休みの雰囲気です。そう言えば年末ジャンボ、40枚買って1万円が当たりました。去年は1万円と3千円が当たったしね~。小口の当たりを続けていると大きいのが当たると言うけど・・。まあ、10年ほど前に宝くじを買いに行って水銀灯に車をバックで当てた事があるので変な夢は見ないでおこう。初詣で引いたおみくじ、長男は末吉で「色恋におぼれないように気を付けて・・」なんぞ書いてあって、こいつには的はずれだな~なんて思っていたけど、元旦に年賀状の仕分けをしていたら、2つ年上の女の子から結構可愛い年賀状が来ていて、ハートマークなんぞ付いていて、彼はその年賀状を引ったくって自分の机の中に入れて見せてくれないのよ。どうもテニスで一緒になって、時々うちに電話をかけてくるリナだったかアヤナだったかのどちらからしい。私が初めて女の子とつきあったのは中学1年の時だったけど、最近の子供は早いのかな?なんか羨ましい~tと思ったりして。でも、女親の配偶者は、なんかしっかりチェックしていたようでした。午後からは久しぶりのプール。まだ休みモードなのか、利用者は少なくて気持ちが良かったけど、自分も久しぶりのせいか横腹が痛くなったりして400泳いだところで中断。その後様子見ながらあと200泳いで今日の所は終了。今日はまだピアノのレッスンがオヤスミなのでのんびり・・と思っていたら歯医者を予約していたのだった。2日にはずれたところを入れ直して貰う。もう根っこの方が感染を起こしていて、今度土台が駄目になったら抜歯ですね~と言われる。大人になってから歯を抜いたことが無いので怖いよ~。今日も寒い1日だった。年末に貰った白菜が丸々1個残っていたので、今日はこれをしっかり食べようと、ピエンロー(扁炉)と言う鍋を作る。この鍋は舞台美術家(と、言うよりエッセイスト)の妹尾河童さんが大好きな鍋で、彼のエッセイによく登場する。正式な作り方は「ピエンロー」とか、「妹尾河童、白菜、鍋」で検索すると一杯出てくるので、そっちを参照してください。まあ、わざわざ検索するほどでもない、大量の白菜を、昆布のだし、干し椎茸、豚肉、鶏肉と一緒に炊いて、春雨を入れ、ごま油を回しかけ、器にスープごと取って、塩や唐辛子を自分で入れて味を調整して食べるシンプルな鍋です。味付けは、塩とごま油だけなのね。私的にアレンジして、蕪を薄く切ったのも入れました。何故って、蕪が余っていたから。大根と違ってすぐに煮えるし、スープの味がしみこんで甘く美味しいんですよね。それと、間違って春雨じゃなくてくず切りを買ってしまったけどそれも美味しかったです。まあでも間違ってもほうれん草やニンジンなどを入れようと思わないように。あくまで白菜を食べる鍋なのです。ポイントは、新鮮で美味しい白菜を使うことと、美味しい塩を使うことらしいです。食卓塩じゃなくて、ミネラルがたっぷり入った粗塩ね。残ったお汁でお粥を作ると美味しいらしいけど、今夜は家族の希望で餅を入れました。これも美味しかったよ。白菜は、大きめのざく切りに切っていたけど、自分としては縦8つぐらいに大きく切って、鍋の周辺を囲むように入れて、真ん中に肉を入れて更にその上に白菜をかぶせるようにしたら豪快で美味しそうじゃないかと思う。しかし、子供が大きくなってきて、今の土鍋じゃ小さいなあ。もっと白菜1個全部ぶち込めるぐらいの大きな土鍋に買い換えようかなと思案中。
2005.01.04
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うちの長男は、誰が見ても配偶者にソックリの顔をしている。顔だけでなく、寝相までそっくりである。では、性格も似ているかと言うと、どうもそうではないらしく、彼の優柔不断な性格と言うのは私に似ているような気がする。彼がずっとラジカセを欲しがっていたことは以前の日記でも書いた。で、毎月1000円のお小遣いを、彼は一銭も使わずにこの数ヶ月貯金していた。それ以前は、ジュースだとか、カードだとかであっという間に使い切っていたから、それは凄い進歩だと感心していた。クリスマスに買ってやろうかなと思って、サンタさんにお願いしたら?とアドバイスしたけど、自分で貯めて買うから構わないと意志の強いところを見せていた。で、こつこつと、もう1~2年ぐらい貯めて買うのかと思っていたら、この正月でお年玉成金になった彼は一気にそれで購入すると言うのだ。小学校3年生の子供が2万円弱の買い物をするのはどうか?とも思ったが、そのうち4000円ぐらいは毎月の小遣いを蓄えたものだし、彼なりに努力もしてるので許してやるかなと思っていた。彼は新聞の家電ショップの広告を大事に切り取って、このCDとMD付きの各店10台限り、19800円のを買うのだと決め込んでいた。で、今日の午後に近所の家電ショップに行こうと言うことになったが、それに及んで彼に色々と質問をしてみた。3年生でラジカセを持ってる人は居るの?→居ない。お年玉使ったら、貯金の総額が妹に追いつかれるけどそれでも良いのか→う~ん・・。本当はポータブルのCDラジカセが欲しかったんじゃないの?→母ちゃんが、それはあかんと言うから・・。今、母ちゃんのミニコンポがリビングにあるし、父ちゃんのステレオも書斎にあるので、ソフトさえ買えばそれでもCD聞けるよ。→・・・。そんな風に彼の意志を確かめていると、段々彼の決心が薄れてきて、いざ出発と言う段になったら、やっぱり今回は買わないことにしたからお金は貯金をしておいて・・などど日和はじめた。まあ、それでも後学の為に見に行こうと言って家電ショップへ出かけたところ、段々とまた物欲が復活したみたいで、結局私からお金を借りて、当初から購入予定だったブツをゲットすることになった。まあ、悩むところは私に似てると思うけど、私ならもっと買うのに時間かかるし、もっと色々カタログで調べまくってから買っただろうと思う。そのあたりのシンプルさは、配偶者に似てるかも知れない。子供は結局モザイクなんだなと思った。で、反省。今日はちょっと子供に干渉しすぎたかなとも思う。自分が子供の頃も、親が結構干渉する人達で、自分はそれに逆らいきれずに、物を買うことにあたって色々葛藤を感じて、結局自分が欲しかった物を買ったのかどうかわからないようになった事が多かったからだ。例えば・・。中学の頃、制服の上に着るコートを買いに行った。当時はアイビーが流行っていたので、当然ステンカラーコートである。裏地にタータンチェックが付いてるのがはやりだった。自分は、ベージュかバーバリーでよく使われる玉虫色のカーキが欲しかったのだが、親は子供らしく?ネイビーのを買わせたかったようだ。しかし、うちの親もさるもので、こっちにしなさいとは決して言わない。主観的ではなく、客観的風に意見を言って、ネイビーが良いよなあという風に話を持っていくのである。意志の弱い少年だった自分は、これで結構迷ってしまった。決まらないので、一旦家に帰って考えて、結局初志貫徹でベージュにしようと思って、翌日再びショップへ出向いて、財布からお金を出して最後の注文というところで、また何を血迷ったのかネイビーを注文してしまったのだ。それからそのネイビーのコートを着て通学していたけど、なんか自分でこれが欲しかったのだ、これで良かったのだと思いこもうとしていたようなところがあったように思う。まあ、そのネイビーのコートも綺麗だったし、裏地の赤いタータンも可愛らしかったので、それはそれで愛着が出たけれど、やっぱり心のどこかですっきりしない部分を残していたような気がする。まあ、そういう部分は洋服の選択だけでなく、どこの高校を受験するかと言うような時にも、直接的ではなくてさりげなく親の意見を主張してくるのだった。そして、初めて親の意見を全く無視して決めたのが、その高校受験だった。それを機会に親の言うことをあまり気にしないようになったような気がする。だって、親は自分が教員をしている学校の理数科を受験したらと言っていたしね、それが自分の家から一番遠いところだったし、わざわざ通学の苦労をしてまで親と同じガッコへ行けないでしょ。しかしそういう選択の悩みはそれからもずっとあって、大学入試の時に、どこの学部を受けようかと言うことでも散々悩んだし、大学を卒業してどこの医局へ入ろうかと言う時にもさんざん悩んだような記憶がある。自分の選択として、一番最後の最後に、くるっと本当の希望とは反対の物を選んでしまうんじゃないかという不安を感じていた。こういうのって、結婚などにも影響をするものだろうなと思う。要するに、理屈と直感のせめぎ合いである。どっちを選んでも後で後悔するような気がするけど、どうせなら、理屈は後でどうとでも修正できるので直感の方を大事にしたいものだと思う。で、その直感が的はずれにならないように、若いうちから色々と失敗を重ねて勉強して置かねばならないのだ。親があまり手を貸すと、その自分で失敗して勉強すると言う部分が無くなって、決断の弱い失敗したら立ち直りにくい子供になりやすいような気がする。(おお、やっと話が通じた)自分はどうかと振り返ってみたら、色々と回り道はしたし、未だに直感と理屈の間で右往左往することも多いけれど、開き直りと立ち直りの強さは身につけてきたような気がする。子供は親に似ると言う。親に虐待されて育った子供は、心の中では虐待しないように育てようと思いつつ、虐待してしまことが多いらしい。同じように親に干渉される機会が多く育った自分は、それをやめようと思いながら、実は子供に干渉しやすい親になっていくのかも知れない。そのことを意識しながら、親を続けていこうと思う。明日から和は保育園、私たち夫婦は仕事である。上の2人は10日まで休みらしい。う~ん、羨ましい。今夜は近所のくるくる寿司。長男は、メニューを見て知らない物も片っ端から注文。で、食べれなかった物をこっちへ振ってきたりする。長女はそれをマネしながら、恥ずかしそうに注文。そう言う部分にも性格が出てくるようだ。1年前は、家族5人でお腹一杯食べても7000円ぐらいだったけど、今日は危うく10000円を超しそうになる。やっぱり子供は成長してるんだなあ。こいつら連れて、普通の寿司屋へは絶対に行かんぞ・・。
2005.01.03
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2005年の2日目である。例年1月2日は、配偶者の実家へお年賀に行くことになっている。年末年始の休みに入ってからは、毎日朝の9時過ぎまで惰眠をむさぼる贅沢を味わっているけど、今朝もご多分にもれずに和につつかれて目が覚める。子供の体内時計はきちんと動いているようだ。ミルクティーを飲んで往診の患者さんに点滴をしに行く。「ここにグリグリが出来てますね」と言われた右の鼠頚部を触ると累々としたリンパ節腫脹が見られる。恐らく転移のある腹部大動脈周辺のリンパ節から繋がっているのだろう。「あと5年は生きたいと思ってるけど難しいですね。」と言う患者さんに、「そうですね」と言うわけにはいかない。しかし、病気を告知されている患者さんに適当な嘘を言うわけにもいかない。ドクターズルールには、「患者から希望を取り去ってはならない」と書いてある。「とりあえず、もっと短期的に目標を持って、1日1日の積み重ねで頑張りましょう」と言う趣旨の事を言う。お腹がぺこぺこで配偶者の実家へ到着。いつまでたってもご飯が出てこないと思ったら、お義母さんは私たちが朝食を食べてから来たと勘違いしていたみたい。「オレは朝からミルクティー一杯だけなんじゃぁああ」と心の中で叫ぶ。この実家ではもうおせちは食べて居なくて、白いご飯にシンプルなおかずが出てきたけど、逆にそういうのが新鮮でお替わりして食べてしまう。食べる途中に右下の奥歯の詰め物が取れる。奥歯を2本連結して詰めてあるもので、大きな空洞が下の奥歯に出来てなんか気持ちが悪い。元旦には、PCが落ちた。これは、iMacの持病と言われて居る現象だが、これを繰り返していたうちに昨年の夏にHDが死んだので、またその前兆なのかどうか不安である。で、2日目には歯の詰め物が取れた。なんか正月早々、小さな波紋が広がっているような気がする。考えすぎ?子供達はそのまま実家へ残るが、僕ら夫婦は夕方から在宅当番に当たっているので自宅へ戻る。開業した年の正月に、元旦の当番に当たったけど、その年は正月時点でインフルエンザが流行っていたらしくて(うちは開業して早々だったので、そんなに患者さんが来て居らずに流行してるのを知らなかった)、当番が開始となって1時間もしないうちに20人以上の患者さんが並んで、配偶者と二人でやっていた外来は非常に混乱してしまった。今夜はその轍を踏まないように、事務員と看護婦に1人ずつ出勤して貰ったので、安心感を持って仕事が出来た。結果的に言えば非常に暇だった。やっぱり今インフルエンザが流行っていないと言うのが大きいのだと思う。それでも、病院を開けた5時頃には4-5人が重なって来たし、殆どが新患だったので職員が居てくれたのはありがたかった。7時半頃には患者さんが来なくなったので、お年玉代わりに来てくれた二人に特別手当を渡してとりあえず診療所を一旦閉じた。その後も患者さんは来ず、10時過ぎに警報装置をロックしてお風呂に入ってると電話。まあ得てしてこういうタイミングが多い。よく子供を連れて来るお父さんが水疱瘡で39度の熱があると言うので診察。水痘のような子供の時にかかる感染症に大人になってかかると症状が激しいことが多い。僕も高知で勤務していた時に風疹にかかって、39度前後の熱が1週間近く出て病院を休んだ経験がある。まあ、診断がついてるので楽な診療。抗ウイルス剤と解熱剤と塗り薬のワンセットを出す。水疱瘡の薬って非常に値段が高いんですよね。それに午後10時を過ぎているので、診察料も深夜料金となり通常の3倍になる。5日分の薬を出して8000円と少しの料金は若い夫婦には痛いだろうなあ。せめて、診察を深夜料金でないようにしてあげようかなとも思うけど(時間外なら1・5倍、休日で2倍)、それじゃこれまで深夜に来た他の患者さんに対して公平じゃないよなあとそのままの料金を頂く。こういうところで悩んで考えてしまうところが自分の優柔不断なところだのだな。少し微笑ましい話題を。配偶者には今年で102歳になるお爺さんが居る。ずっと剣道をしていた人で、100歳になっても時々庭で竹刀を振ったりしていた人だが、年末に体調を崩して肺炎になり病院へ入院。家族の誰もがもう駄目だろう、でもこの年だし亡くなっても仕方ないよなあと思っていたところ、持ち前の体力なのかあっさりと回復して退院、自宅へ戻ってきた。会社の社長でもあり、付き添いの娘や家政婦に偉そうに命令するので疎まれているこのお爺さん、肺炎になったのを機会に健康のために、この80年以上吸ってきたと思われるたばこを止めて禁煙を始めたそうだ。今更・・とも思うが、心温まる話しでもある。
2005.01.02
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明けましておめでとうございます。徳島は、例年より寒くて、時折霰がちらついたりしていましたが、日中はよく晴れて穏やかな元旦でした。1年の計は元旦にありと申しますが、この1年穏やかに過ごせれば嬉しいなと思います。我が家の元旦と言うのは、判で押したように毎年同じで、昼前に来る実家の親が来るのを待ってみんなで朝昼兼用の食事を摂り元旦をお祝いします。その後ゴロゴロして市内の真ん中にある眉山という山の中腹にある神社へ初詣。これは単にそこが車で行きやすく、かつ空いていると言う理由です。初詣に関しては、年が明けたすぐ真夜中に、近所の神社、お寺を3軒既にハシゴしております。我が家は寺社町にあるので、何せ神社やお寺が多い。3軒のうち2軒は隣あってますからね。その後は市内のホテルの喫茶でお茶をして、その後郊外の大きな本屋へでかけて想い想いに本を物色。最近この書店ではCDやDVDも置きだしたのを発見。息子にせがまれて、オレンジオレンジの「花」と長渕の「金色のライオン」を買う。僕はカラオケ練習用に「瞳をとじて」を買う。しかし、うちの息子はCDラジカセ買うのに貯金中。先にソフト買ってどうする~(笑)。家に帰ってきてみんなで夕食(毎年同じように鍋)。夜の10時頃に両親が帰って元旦の行事は終わり。こんな感じです。海外旅行に行くとか、少し変わったお正月にしたいと思う時もあるんですが、こういう仕事をしていると、おいそれと家族で旅行には行けないし、まだ子供も小さいと言うのも諦める理由の一つです。こんな訳で代わり映えのしないお正月で、去年の日記を読んで貰えばそれでも良いのですが、まあこれも我が家の1ページと言うことで、去年の写真と見比べて、おお白髪が多くなった・・などと指摘して頂いても結構です。では、今年の正月の絵日記です。配偶者の描いたトールペイント正月用の干支です。我が家の正月の食卓風景。去年の方が画像が大きいですね。お雑煮は味噌仕立て(白がメインで少し赤が入る)。焼いた丸餅を入れます。具には、おせち料理のお煮染めの中から、里芋、大根、タケノコ、ニンジンをピックアップして入れます。下ゆでした、ま菜(小松菜の1種?)を入れて仕上がりです。正月の我が家の子供達3人です。クリスマスに買って貰ったスケーターに乗ってご満悦の和。家族みんなでポーズです。
2005.01.01
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