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【本文】廿六日。なほ、かみのたちにてあるじし、ののしりて郎等までにものかづけたり。【注】●なほ 依然として。前日にひきつづき、ということ。●かみのたち 国守の官舎。●あるじ 饗応。接待すること。●ののしり 従来「ののしる」は「大声でさわぐ」という意味でとらえられてきたが、小松英雄は『古典再入門』において、「ああだこうだ言う」という新見を出した。●郎等 おともの者。家来。●かづけ 「かづく」は、慰労のために目下のものに衣類や反物のたぐいを与える。【訳】二十六日。この日も依然として国守の官舎で後任の国守が接待し、「長い間お疲れさまでした」とか「まあ、お飲みなさい」とか「ご馳走を召し上がれ」などと、いろいろなことを言って家来にまで慰労の品々をとらせた。【本文】からうたこゑあげていひけり。やまとうた、あるじも、まらうとも、ことひとも、いひあへりけり。からうたは、これにえかかず。やまとうた、あるじのかみのよめりける。 みやこいでてきみにあはんとこしものをこしかひもなくわかれぬるかなとなんありければ、かへるさきのかみのよめりける。 しろたへのなみぢをとほくゆきかひてわれににべきはたれならなくにことひとのもありけれど、さかしきもなかるべし。とかくいひて、さきのかみ、いまのも、もろともにおりて、いまのあるじも、さきのも、てとりかはして、ゑひごとに、こころよげなることしていでいりにけり。【注】●からうた 漢詩。●いひ いふ」には、詩歌を口ずさむ意がある。●まらうと 客人。●ことひと 主人・客人以外の人。●これにえかかず。 「え…ず」で、不可能を表す。従来「仮名文字しか女性は書けないので漢詩文を書くことが出来ない」とか「漢詩のことはよくわからないので書けない」などといったような解釈がなされているが、そうではあるまい。そう考えてしまうとあとの二十七日の記事に「からうたども、ときににつかはしき、いふ」とあるように、漢詩の内容を理解して評価している記事があることや、正月十七日の記事に「さをはうがつ、なみのうへの月を。ふねはおそふ、海のうちのそらを」などと唐の賈島の漢詩が書いてあることと矛盾する。ここでは、「あまりたいした作品も無いのでここに書き留めることはできない」という意味であろう。●しろたへのなみぢ 海路の旅が危険であったことが効果的に表現されている。●さかしき 「さかし」は、気が利いているようす。●もろともに 一緒に行動するようす。●おりて 座敷から地面におり立って。●ゑひごと 酔いにまかせて言う言葉。●こころよげなること 上機嫌な言葉。 【訳】漢詩を声をあげて朗詠した。また、和歌を、主人も、客人も、ほかの人も、詠み合った。漢詩はこれといった作品も無いのでここに書くわけにいかない。和歌を、送別の宴の主催である国守が詠んだ。 都を出発してあなたに会おうとやってきたのに、遥遥やってきた甲斐もなくもう別れてしまうのだなあ。と詠んだところ、その返歌として、帰京する前任の国守が詠んだ歌。 しろたえの布のように真っ白い波の立つ危険な波路を遠く行き来して私に似た目に遭うはずのものは他の誰でもないあなたなであり、私のことをよく理解できるのはあなたなのに。主人と客人以外の人の作品もあったけれども、気が利いた作品はないようである。あれやこれやと和歌を詠み合って、前任の国守も、現任の国守も、一緒に座敷から降りて、現任の国守も前任の国守も、手をとり合って、酔いに任せて昂揚して発する言葉に、調子のいい言葉を言って挨拶を交わして別れ、前任の国守は退出し、現任の国守は官舎へと入ってしまった。
March 23, 2009
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【本文】廿五日。かみのたちより、よびにふみもてきたなり。よばれていたりて、ひひとひ、よひとよ、とかくあそぶやうにてあけにけり。【注】●かみのたち 国守の官舎。●きたなり 「来たるなり」の音便「来たんなり」の「ん」の無表記。「なり」は伝聞・推定の助動詞。●あけにけり この「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。この言い方には、ほんとうは一日も早く帰京したいのに、呼びつけられて丸一日つぶれてしまったという、迷惑に感じているニュアンスがこめられているのであろう。【訳】二十五日。国守の官舎から、呼びに手紙をもって使者がやってきたようだ。呼ばれて官舎に着いて、日中ずっと、また続けて一晩中、あれやこれやと歌舞音曲に熱中するような調子で、夜がすっかり明けてしまった。
March 23, 2009
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【本文】今の左の大臣、少将に物したまうける時に、式部卿の宮に常にまゐりたまひけり。【訳】現在左大臣でいらっしゃる藤原実頼様が、少将でいらっしゃった時に、式部卿の宮様のところに常に参上なさっていた。【注】「今の左の大臣」=藤原実頼。九十六段に既出。「式部卿の宮」=敦慶親王。十七段および百七十段に既出。【本文】かの宮に大和といふ人さぶらひけるを、物などのたまひければ、いとわりなく色好む人にて、女いとをかしうめでたしとおもひけり。【訳】式敦慶親王の御屋敷に大和という人がお仕えしていたが、彼女に対し藤原実頼様が、恋心を告白なさったところ、女は非常に色恋というものがわかっている人だったので、実頼様を非常に魅力的ですばらしいかただと思った。【注】「ものいふ」=恋愛関係にある。男女が情を通わせる。「のたまふ」は「いふ」の尊敬語。「色好む」=恋愛の情趣を理解する。【本文】されど、あふことかたかりけり。大和、人しれぬ心のうちに燃ゆる火は煙は立たでくゆりこそすれといひやりければ、【訳】けれども、対面することはなかなかできなかった。そこで、大和が作った歌、人に知られず心の中でひそかに燃えている恋の炎は煙は立たないのでうわべからは目立たないでしょうが、くすぶっております。【注】「あふ」=対面する。男女が知り合う。結婚する。「燃ゆる」に対し「火」「煙」「くゆる」は縁語。「くゆる」=くすぶる。恋愛の相手とめったに会えないため、煙がくすぶるように、気が晴れずに思い悩んでいるということ。【本文】返し、ふじのねの絶えぬおもひもある物をくゆるはつらき心なりけりとありけり。【訳】それに対する実頼の返事の歌、富士の嶺から立ち上り続けている噴煙のようにあなたのことを絶えず思い続け燃え続けている思いという情熱が私にはあるのに、あなたのほうは目立たずくゆる程度というのでは、あなたは冷たいお心だなあ。と書いてあった。【注】「おもひ(思ひ)」と「ひ(火)」の掛詞。「火」に対し「くゆる」は縁語。「つらし」=冷たい。薄情だ。【本文】かくて久しう参りたまはざりけるころ、女いといたう待ちわびにけり。【訳】こうして長いこと式部卿の宮の御屋敷に参上なさらなかったころに、大和はとてもつらい思いで長いこと待つはめになってしまった。【注】「待ちわぶ」=待ちあぐむ。つらい思いで長い間待つ。【本文】いかなる心ちのしければか、さるわざはしけむ。人にも知らせで車にのりて内にまゐりにけり。【訳】どんな気持ちがして、そんな行動をとったのだろうか、周囲の人にも知らせずに牛車に乗って宮中に参内してしまった。【注】「わざ」=行動。「車」=牛車。中古(平安時代)には車といえば、ふつう牛車を指す。「内」=宮中。内裏。【本文】左衛門の陣に車を立てて、わたる人をよびよせて、「いかで少将の君に物きこえむ」といひければ、「あやしきことかな。誰ときこゆる人の、かかることはしたまふぞ」などいひすさびていりぬ。【訳】左衛門の陣に車をとめて、通りかかった人を呼び寄せて、「なんとかして少将の君に連絡がとりたい」と言ったところ、「ふしぎなことだなあ。何と申し上げるおかたが、このようなぶしつけな行動をなさるのか」などと言って無視して中へ入ってしまった。【注】「左衛門の陣」=衛門府(内裏の外郭門内の警護にあたる役所)の役人の待機所。「立つ」=止める。「わたる」=通る。「物きこゆ」=お知らせ申し上げる。【本文】又わたればおなじことといへば、「いさ、殿上などにやおはしますらむ、いかでかきこえん」などいひていりぬる人もあり。【訳】また、別の人がとおりかかったので、同様のことを言ったところ、「さあ、どうだろうか。少将様は殿上の間などにいらっしゃるのだろうか、もしそうならどうしてそんな恐れ多い場に行って申し上げることができようか、いや、とてもできない」などと言って、中に入ってしまう人もいた。【注】【本文】袍きたるもののいりけるを、しひてよびければ、あやしとおもひてきたりけり。【訳】うえのきぬを着ている人が郭内にはいったところを、強引に呼び止めたところ、ふしぎだなとは思いながらも近づいてきた。【注】「袍」=うえのきぬ。男性が衣冠・束帯の正装をするとき、いちばん上に着る衣服。文官・武官の別、位階によって、ぬいかたや色に差がある。【本文】「少将の君やおはします」と問ひけり。【訳】「少将様はいらっしゃいますか」と質問した。【注】「おはします」=いらっしゃる。おいでになる。「あり」「をり」の尊敬語。【本文】「おはします」といひければ、「いと切にきこえさすべきことありて、殿より人なむまゐりたると聞こえたまへ」とありければ、「いとやすきことなり。そもそも、かくきこえつきたらむ人をば忘れたまふまじや。いとあはれに夜ふけて人少なにて物し給ふかな」といひていりて、いと久しかりければ、無期にまちたてりける。【訳】「いらっしゃいますよ」と言ったので、「そうしても申し上げなければならないことがあって、お屋敷から使者が参上しておりますと申し上げてください」と申し上げたところ、「おやすい御用だ。いったい、こんなふうに取り次ぎ申し上げてあなたのために骨を折る私をお忘れにはなるまいね。非常に殊勝にも夜がふけてから人も少ない状態でいらっしゃったのですねえ」と言って郭内に入って、非常に長い時間が経過し、大和は、いつ返事があるかもわからぬ状況で立って待っていた。【注】「いと切に」=どうしても。「きこえさす」=申し上げる。「いふ」の謙譲語。「殿」=御殿。貴人の邸宅。「聞こゆ」=申し上げる。「いふ」の謙譲語。「物す」=ここでは「来」の謙譲語「まゐる」の代用。【本文】辛うして、これもいひつがでやいでぬらむ、いかさまにせむとおもふ程になむいできたりける。【訳】この最後の男も、取り次がないで退出してしまったのだろうか、これからどうしようかと思っている時分に、やっとのことで出てきた。【注】「いひつぐ」=言い伝える。「いかさまにせむ」=どうしたらよいだろう。【本文】さて、いふやう、「御前に御あそびなどし給ひつるを、辛うしてなむきこえつれば、『たが物したまふならむ。いとあやしきこと。たしかにとひたてまつりて来』となむのたまひつる」といへば、【訳】そうして、言うことには、「帝の前で音楽会などなさっていたが、タイミングを見計らってやっとのことで申し上げたところ、『いったい誰がいらっしゃったのだろう。とても不思議だ。しっかり質問申し上げて確認してこい』とおっしゃった」と言ったので、【注】「御前」=貴人の前。「あそび」=もと、日常的な生活を忘れて、心の楽しいことに熱中することをいい、上代には山野で狩りをし、酒宴を開き、音楽や歌舞を演じるのが一番のたのしみであった。中古(平安時代)には、音楽や詩歌を楽しむことを指す場合が多い。「たしかに」=しかと。まちがいなく。「のたまふ」=「いふ」の尊敬語。【本文】「真実には、下つ方よりなり。身づから聞こえむとを聞こえたまへ」といひければ、「さなむ申す」ときこえければ、「さにやあらむ」とおもふに、いとあやしうもをかしうもおぼえ給ひけり。【訳】「じつは、下々の者からの連絡だ。自身で申し上げようといっているむね、申し上げてください」といったところ、取り次ぎの者が「お屋敷からの使者はそんなふうに申しております」と少将に申し上げたところ、「ひょっとすると使者というのは大和であろうか」と思いあたるにつけても、少将は大和の行動を奇怪だとも興味深いやつだともお感じになった。【注】「真実(シンジチ)」=本当のこと。まこと。「下(しも)つ方(かた)」=身分の低いほうの者。「あやし」=奇怪だ。異常だ。「をかし」=興味深い。「おぼゆ」=思われる。感じられる。【本文】「しばし」といはせてたちいでて、広幡の中納言の侍従に物したまひける時、「かかることなむあるをいかがすべき」とたばかりたまひけり。【訳】「ちょっと待っておれ」と伝言させて立って外へ出て、侍従を務めていた広幡の中納言に、「このように女性が宮中まで訪ねて参ったのをいかがいたしましょう」と相談なさった。【注】「しばし」=少しのあいだ。「広幡の中納言の侍従」=源の庶明(もろあき)。宇多天皇の皇子であった斎世親王の息子。九二五年~九二九年まで侍従を務めた。「たばかる」=相談する。【本文】さて、左衛門の陣に、宿直所なりける屏風・畳など持ていきて、そこになむおろし給ひける。【訳】そうして、左衛門の陣に、とのいどころにあった屏風や畳などを持ち込んで、そこに下ろしなさった。【注】「宿直所(とのゐどころ)」=宮中で大臣・納言・蔵人の頭・近衛の大将・兵衛の督などが、宿直をするときの詰所。【本文】「いかでかくは」とのたまひければ、「なにかは、いとあさましう物のおぼゆれば」、【訳】「どうしてこんな夜更けに宮中まで訪ねてきたのか」とおしゃったところ、大和は「ほかになんの理由がございましょう、ただ、あなたさまが一向に会いにきてくださらず、あまりにもひどいと思われたので、こうして参ったのです」と答えた。【注】「なにかは」=どうしてどうして。「あさまし」=あきれるほどひどい。【本文】敦慶のみこの家に大和といふ人に、左大臣、今さらに思ひいでじとしのぶるを恋しきにこそ忘れわびぬれ【訳】敦慶親王の家の大和といふ人にあてて、左大臣が作った歌、今さら思い出すまいとなるべくあなたのことを考えないように我慢していたが、あまりにも恋しいのでたやすく忘れられなかったっよ。【注】「敦慶のみこの家に大和といふ人に」=敦慶親王の家の大和といふ人のところにあてて。「~に~に」は、『伊勢物語』九段に「京にその人のもとにとて文書きてつく」とあるのと同様の表現。「~わぶ」=「~しかねる」。「たやすく~できない」。
September 4, 2016
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【本文】つかふ人あつまりて泣きけれどいふかひもなし。「いと心うき身なれば死なむと思ふにもしなれず。かくだになりて行ひをだにせむ。かしがましく、かくな人々いひさはぎそ」となむいひける。【訳】武蔵の守の娘が尼になってしまわれたので、使用人たちは集まって泣いたけれども、いまさら何を言ってもしかたがない。「大変つらい身のうえなので、死のうと思ったが、死ぬことも出来なかった。せめて、このように尼にでもなって、来世の極楽往生を願って修行だけでもしよう。あまりやかましく、私がこんなふうに尼になったこと言って騒ぎなさるな」と言ったとさ。【本文】かかりけるやうは、平中そのあひけるつとめて、人をこせむとおもひけるに、司のかみ、俄に物へいますとて、よりいまして、よりふしたりけるをおひ起こして、「いままでねたりける」とて、逍遥しに、とほき所へ率ていまして、酒のみののしりて、さらにかへしたまはず。【訳】こんなことになった事情は、平中が、武蔵の守の娘と契りを結んだ翌朝、使者を女の所に行かせようと考えていたところ、役所の長官が、急にどこかへ行かれるというので、お立ち寄りになって、平中が物に寄りかかって臥していたのを、たたき起こして、「こんなに遅くまで寝ているやつがあるか」といって、ぶらぶらと散策しに、遠い所へ連れてお行きになって、酒をのんであれこれ話しこんで、平中をいっこうにお帰しにならなかった。【本文】からうして帰るままに、亭子の帝の御ともに大井に率ておはしましぬ。そこに又二夜さぶらふに、いみじう酔ひにけり。夜ふけてかへりたまふに、この女のがり行かむとするに、方塞りければ、おほ方みなたがふ方へ、院の人々類していにけり。【訳】やっとのことで帰るやいなや、宇多天皇のお供として平中を大井に一緒に連れて行かれた。そこでまた二晩おそばでお仕えしたところ、ひどく酒に酔ってしまったとさ。夜がふけてお帰りになるので、この女の所に行こうとしたところ、陰陽道の不吉な方角を避ける方塞りに該当してしまったので、ほとんど全員、不吉な方角とは違う方角へ、院の人々がまとまって行ったとさ。【本文】この女いかにおぼつかなくあやしとおもふらむと、恋しきに、今日だに日もとく暮れなん、いきて有樣も身づからいはむ、かつ文もやらんと、酔ひさめておもひけるに、人なむきてうち叩く。「誰ぞ」と問へば、なほ「尉の君に物きこえむ」といふ。さしのぞきてみればこの家の女なり。胸つぶれて「こち来」といひて文をとりてみれば、いとかうばしき紙に切れたる髪をすこしかいわがねてつつみたり。いとあやしくおぼえて、書いたることをみれば、あまのがは そらなるものと ききしかど わがめの前の 涙なりけりとかきたり。【訳】この武蔵の守の娘が、どんなに待ち遠しく、また、訪ねないことを不審に思っているだろうかと、恋しかったが、せめて今日だけでも日も早く暮れてほしい、女の所に行って、今までのいきさつを自分で説明しよう、また、手紙も送ろうと、酔いも醒めて考えていたところ、人がやってきて門をたたいた。「誰だ?」と問うと、「左兵衛の尉さまに申し上げることがございます」という。すきまから覗いてみたところ、武蔵の守の娘の家の女だった。胸がつぶれそうな思いで「こちらへ来い」といって、女の届にきた手紙を取って見てみると、とても香りのよい紙に切れた紙を少し掻きたばねて包んであった。非常に不思議に思われて、書いてある文字を見たところ、天の河は、空にあるものだと聞いていたが、なんとその正体は、こんなに身近な、わたくしの目の前の、沢山流れる涙だったのだなあ(尼になるなんて、空にある天の河のように、自分には無関係の遠い世界のことだと思ってきましたが、あなたの冷たい仕打ちに、河になるほど涙をながし、とうとう尼になりました)と書いてあった。【本文】尼になりたるなるべしと見るに目もくれぬ。心もまどはして、この使にとへば、「はやう御ぐしおろしたまうてき。かかれば御達も昨日今日いみじく泣きまどひたまふ。げすの心ちにもいとむねいたくなむ。さばかりに侍し御ぐしを」といひてなく時に、男の心ちいといみじ。【訳】武蔵の守の娘は、尼になってしまったのにちがいない、と手紙の和歌を見るにつけても、目の前も真っ暗になってしまった。心もうろたえて、この使者に問いただしたところ、「なんと髪を剃って尼になってしまわれた。こんなことになってしまったので、お仕えしていた女房たちも昨日も今日もひどく泣いて動揺しておられる。わたくしめのような身分の低い者の心にも、非常に胸が痛みます。あんなにも長くて美しい髪でございましたのに」と言って泣いたときに、平中の心境も非常に悲痛であった。【本文】なでうかかるすきありきをして、かくわびしきめをみるらむとおもへどもかひなし。なくなく返事かく。よをわぶる 涙ながれて 早くとも あまの川には さやはなるべき「いとあさましきに、さらに物もきこえず。身づからたゞいま参りて」となむいひたりける。かくてすなはち来にけり。そのかみ塗籠にいりにけり。ことのあるやう、さはりを、つかふ人々にいひて泣くことかぎりなし。「物をだにきこえむ。御声だにしたまへ」といひけれど、さらにいらへをだにせず。かかる障りをばしらで、なほただいとをしさにいふとやおもひけむとて、男はよにいみじきことにしける。【訳】どうして、このような風流な方々の散策をして、こんなつらいめに遭うのだろうと思ったが、その甲斐もない。泣く泣く返事を書いた。男女の仲をつらく思う涙が流れて、たとえその流れが早くなっても、そんなに簡単に天の河になったりするものだろうか(簡単に尼になってほしくなかったよ)「自分でも非常にあきれたことに、まったく連絡も申し上げませんでした。わたくし自身いますぐ参上して事情を説明します」と使者を通じて言ったとさ。こうして、即座に女の所に平中がやってきたとさ。その折り、尼は納戸に入ってしまったとさ。平中は、ことのいきさつ、支障を、使用人の女房たちに言って泣くこと、このうえない。「せめてお話だけでも申し上げよう。お声だけでも聞かせてください」と言ったが、まったく返答さえなさらない。このような支障があったことを知らずに、やはり、ただ恋しい未練だけで言うのだと尼君は思っているのだろうかと言って、平中はひどく辛く感じたとさ。
February 15, 2011
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【本文】同じ帝、狩いとかしこく好みたまひけり。【訳】同じ天皇が、狩りを大変お好きだったとさ。【本文】陸奧国、磐手の郡よりたてまつれる御鷹、よになくかしこかりければ、になうおぼして、御手鷹にしたまひけり。名を磐手となむつけたまへりける。【注】・磐手の郡=岩手県を流れる北上川上流一帯。・よになく=世の中に比べるものがないほど。・になう=二つと無く。たぐいなく。【訳】むつの国の、磐手の郡から献上したタカが、この世にまたとないほど素晴らしかったので、こよなくお思いになって、ご愛用のタカになさったとさ。【本文】それをかの道に心ありて、預り仕り給ひける大納言にあづけたまへりける。夜昼これをあづかりて、とりかひ給ほどに、いかゞしたまひけむ、そらしたまひてけり。【訳】そのタカを、鷹狩りの方面に精通していて、タカのお世話を担当申し上げなさっていた大納言にお預けになったとさ。夜も昼もタカを預かって、飼育なさっているうちに、どうしたのであろうか、あやまって逃がしてしまったとさ。【本文】心肝をまどはしてもとむれども、さらにえ見出ず。山々に人をやりつつもとめさすれど、さらになし。自らもふかき山にいりて、まどひありきたまへどかひもなし。【注】・心肝をまどはして=気持ちを動揺させあわてさせて。・まどひありき=途方に暮れて方々を歩き回り。【訳】天皇の大事なタカを逃がした大納言は、慌てふためいて探しまわったが、一向に見つけ出すことができない。山々に部下たちを行かせては探し求めさせたが、まったくいない。自身も深い山中に入って、あちらこちらと探し歩きなさったが、その甲斐もなかった。【本文】このことを奏せでしばしもあるべけれど、二三日にあげず御覧ぜぬ日なし。いかがせむとて、内裏にまゐりて、御鷹の失せたるよしを奏したまふ時に、帝物も宣はせず。きこしめしつけぬにやあらむとて、又奏したまふに、面をのみまもらせ給うて物も宣はず。【訳】このことを天皇に申し上げないで、しばらくはいたいのだが、天皇はしょっちゅうお気に入りのタカを御覧になる。やむをえないと思って、宮中に参上して、タカがいなくなった旨を申し上げなさったときに、天皇は何もおっしゃらなかった。お聞こえにならなかったのだろうかと、ふたたび申し上げたところ、大納言の顔ばかりをじっと御覧になって、何もおっしゃらない。【本文】たいだいしとおぼしたるなりけりと、われにもあらぬ心ちしてかしこまりていますかりて、「この御鷹の、求むるに侍らぬことを、いかさまにかし侍らむ。などか仰せ言もたまはぬ」と奏したまふに、帝、いはでおもふぞいふにまされると宣ひけり。【注】・「いはでおもふぞいふにまされる」=「いはでおもふ」に「口に出さずに思い慕う」と「磐手のことを思い慕う」の意を掛ける。『古今和歌六帖』五「心には下行く水のわきかへりいはでおもふぞいふにまされる」。【訳】「けしからんことだ」とお思いになっているのだなあと、気が気でない心境で、恐縮していらっしゃって、「このタカが、探しても、どこにもおりませぬことを、いかがいたしましょう。どうしてお言葉をくださらないのですか。」と申し上げたところ、天皇が、「口に出さずに心のなかで思うほうが、口に出していうよりも気持ちがまさっている」とおっしゃったとさ。【本文】かくのみ宣はせて、異事も宣はざりけり。御心にいといふかひなく惜しくおぼさるゝになむありける。これをなむ、世中の人、本をばとかくつけける。もとはかくのみなむありける。【訳】これだけおっしゃって、ほかのことは何もおっしゃらなかったとさ。ご心中ではとても言ってもしかたがないと残念にお思いになっていたとさ。これを世間の人が、短歌の上の句のように五・七・五をあれこれ考えて付けたんだとさ。本来は、「いはでおもふぞいふにまされる」という七・七の十四音だけだったんだとさ。
July 23, 2012
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【本文】筑紫にありける桧垣の御(ご)といひけるは、いとらうあり、おかしくて、世を経ける物になむありける。【注】・桧垣の御=北九州に居た遊女という。・らうあり=心遣いが行き届いている。洗練された情緒の持ち主である。・世を経=年月を経る。【訳】筑紫の国にいたという桧垣の御(ご)といった女性は、非常に気の利いたおかたで、風流に、年月を重ねていた人だったとさ。【本文】歳月かくてありわたりけるを、純友が騒ぎにあひて、家も焼けほろび、物の具もみなとられはてて、いといみじうなりにけり。【注】・純友が騒ぎ=平安中期の貴族、藤原の純友の乱。伊予掾(いよのじょう)となって赴任したが、瀬戸内海の海賊と組んで日振り島を拠点として反乱を起こし、一時は瀬戸内全域と九州の一部を支配したものの、敗れて殺された。(生年不祥~941年)・物の具=道具類。【訳】年月をこんなふうに心行き届いた状態で過ごしつづけていたが、純友の乱に遭遇して、家も焼失し、家財道具もみんな盗まれ尽くして、とてもひどいありさまになってしまった。【本文】かかりともしらで、野大弐好古、討手の使にくだり給て、それが家のありしわたりをたづねて、「桧垣の御といひけむ人に、いかであはむ。いづくにかすむらむ」とのたまへば、「このわたりになんすみ侍りし」など供なる人もいひけり。【訳】こういう事情だということも知らないで、小野好古が、征討軍の使者として京からお下りになって、その人(桧垣の御)の家のあった辺りを訪ねて、「桧垣の御といった人に、どうやって会ったらよかろう。どこに住んでいるだろうか。」とおっしゃったところ、「この辺に住んでいましたよ」などと、おともの人も言ったとさ。【本文】「あはれ、かかるさはぎにいかがなりけむ、たづねてしかな」とのたまひけるほどに、頭白き女の水汲めるなむ、前よりあやしきやうなる家にいりける。【訳】「ああ、こんな戦乱に、どうなってしまったのだろうか、訪ねたいなあ」とおっしゃっていたところ、しらが頭の女性で、水を汲んでいる者が、前を通ってみすぼらしいような家に入ったとさ。【本文】ある人ありて「これなむ桧垣の御」といひけり。いみじうあはれがり給てよばすれど、恥ぢて来でかくなむいへりける。むばたまの わが黒髪は しらかはの みづはくむまで なりにけるかなとよみたりければ、あはれがりて、きたりける袙(あこめ)一襲(ひとかさね)ぬぎてなむやりける【注】・むばたまの=「黒」にかかる枕詞。・しらかは=阿蘇山に源を発し、熊本県中部を流れる川。熊本平野を西流して熊本市で島原湾に注ぐ。・みづはくむ=非常に年老いる。「水は汲む」を言い掛けた。・あこめ=綾地で裏は平絹の衣服。男は束帯や直衣を着用するさいに、単衣のうえ、下がさねの下に着た。・襲=たたんだ衣服を数える接尾語。【訳】ある人がいて、「これが桧垣の御です」と言ったとさ。非常に気の毒がりなさって、部下に呼ばせたが、恥ずかしがってやってこずに、こんなふうに歌を詠んでよこしたとさ。ぬばたまのように黒々としていた私の黒髪は、いまでは白河の名のように高齢になって白くなってしまい、その白河の水を手ずから汲むまで落ちぶれてしまったなあ。と歌を作ったところ、小野好古は感動して、自分が着ていたあこめを一枚脱いで、彼女にやったとさ。
April 23, 2011
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【本文】同じ太政大臣、左の大臣の御母の菅原の君かくれたまひにけるとき、御服はてたまひにけるころ、亭子の帝なむ、うちに御消息きこえ給て、いろゆるされたまひける。【注】・同じ太政大臣=藤原忠平。・左の大臣=藤原実頼。忠平の子。・菅原の君=宇多天皇の皇女、順子内親王。菅原道真の外孫で、忠平の妻、実頼の母。・かくる=皇室など高貴な方が亡くなる。・服=喪にこもる期間。服喪が終わると「ぶくなおし」といって、喪服を通常の服にあらためる。・亭子の帝=宇多天皇。・うち=ここでは醍醐天皇。・いろゆるす=皇族などの服色と紛らわしいために臣下に着用を禁じた梔子(くちなし)色・黄丹(きあか)・赤色・青色・深紫色・深緋色・深蘇芳(すおう)色の七色の使用を特別に許可する。【訳】同じ太政大臣が、ご自身の妻で、ご子息の左大臣さまの御生母にあたる菅原の君がお亡くなりになってしまったとき、その服喪期間を終えられたころ、宇多天皇が醍醐天皇に手紙をさしあげて、禁色の使用をお許しになったとさ。【本文】さりければ、大臣いときよらに蘇芳襲などきたまうて、后の宮にまゐりたまうて、「院の御消息のいとうれしく侍りて、かくいろゆるされて侍こと」などきこえ給。さてよみたまひける、ぬぐをのみかなしとおもひし亡き人のかたみの色はまたもありけりとてなむ泣きたまひける。そのほどは中弁になむものしたまひける。【注】・后の宮=宇多天皇の妃。藤原基経のむすめで、醍醐天皇の母、藤原温子。・中弁=太政官の中位の弁官。参議と少納言の間の位。正五位にあたる。【訳】そういうわけで、大臣がとても上品で美しく、すおうがさねなどをお召しになって、后の宮の所へおうかがいなさって、「宇多天皇さまのお手紙が大変うれしうございまして、このように禁色の使用を許されましたこと」など申し上げなさった。そうして、お作りになった歌、喪服を脱ぐのをばかり悲しいと考えていたが、亡き妻の形見の着物の色は、再び宇多院のおかげで着られることになりよ。といってお泣きになったとさ。その当時の役職は中弁でいらっしゃいましたとさ。
February 6, 2011
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【本文】大和の国に男女ありけり。【訳】大和の国に男と女とがいたとさ。【本文】年月かぎりなく思ひてすみけるを、いかがしけむ、女をえてけり。【訳】長年互いにこのうえなく愛して暮らしていたが、どうしたのであろうか、別に女をつくったとさ。【本文】なほもあらず、この家に率てきて、壁を隔てて住みて、わが方にはさらによりこず、いと憂しとおもへど、さらに言ひも妬まず。【訳】それだけではなく、新しい女をこの家に連れて来て、壁を隔てて住んで、わたしのほうへは、いっこうに寄りつかない。元の妻は非常につらいと思ったが、けっしてねたましい気持ちを口にしなかった。【本文】秋の夜の長きに、目をさましてきけば、鹿なむ鳴きける。【訳】秋の夜の長いときに、目を覚まして聞くと、シカが鳴いていた。【本文】物もいはで聞きけり。【訳】だまってじっと聞き入っていたとさ。【本文】壁をへだてたる男、「聞き給ふや、西にこそ」といひければ、「なにごと」といらへければ、「この鹿のなくは聞きたうぶや」といひければ、「さ聞き侍り」といらへけり。【訳】壁を隔てている夫が、「あの鳴き声をお聞きになりますか、西にシカがいますよ」といったところ、「なにごとですか」と返事をしたので、「このシカの鳴き声が聞こえますか」と言ったところ、「たしかにそのようにシカが鳴くように聞こえます」と返事したとさ。【本文】男、「さて、それをばいかが聞きたまふ」といひければ、女ふといらへけり。 我もしか なきてぞ人に恋ひられし 今こそよそに 声をのみきけとよみたりければ、かぎりなくめでて、この今の女をば送りて、もとの如なむ住みわたりける。【注】・しか 「このように」という意とシカの意を言い掛けた。【訳】夫が、「ところで、あのシカの声をどのようにお聞きになりますか」と言ったところ、元の妻がさっと返答したとさ。わたしもシカと同じように鳴いてあなたから恋い慕われたものですよ、今でこそよそにあなたの声だけを聞くような寂しい境遇となってしまいましたが。と歌を作ったので、夫は元の妻が作ったこの歌をこのうえなく称賛して、新しい妻を送り返して、もとのように初めの妻とずっと暮らしたとさ。
April 8, 2013
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贈微上人 劉長卿禪門來往翠微間、萬里千峰在■(「炎」にリットウ。セン)((一作別)山。何時共到天台裏、身與浮雲處處閑。【韻字】間・山・閑(平声、刪韻)。【訓読文】微上人に贈る。禅門来往す翠微の間、万里千峰■(セン)(一に「別」に作る)山に在り。何れの時にか共に天台の裏に到り、身と浮雲と処々に閑(しづか)ならん。【注】○微上人 楊世明校注『劉長卿集編年校注』に「少微上人」とし、劉長卿には別に「少微上人の天台に游ぶを送る」詩もあるが、なお疑いを存する。あとの【参考】にあげたように、『全唐詩』の霊一の条には同じ内容の詩の題が「贈霊徹禅師」となっており、「徹」と「微」とは字形も近く紛れやすい。○禅門 仏門にはいった男。○翠微 薄藍色のもやのかかる山。○天台 浙江省天台県の北にある山。■(セン)県の東南にあたる。【訳】微上人に贈る詩。禅師は行き来いそがしく山から山とご活躍、寺は遥かな■(セン)山の多くの峰の奥にあり。いつになったら私も天台山に行き着いて、老師とともにのんびりと空行く雲を眺めつつ心しずかに暮らせよか。【参考】 贈靈▲(「徹」の「彳」をサンズイに換えた字。テツ)禪師 靈一禪師來往翠微間,萬里千峰到(一作見)■(セン)山。何時共到天台裏,身與浮雲處處閑。
April 3, 2007
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【本文】下野の国に男女すみわたりけり。【注】・Aわたる=Aしつづける。【訳】むかし、下野の国に男女がずっと一緒に暮らしていたとさ。【本文】としごろすみけるほどに、男、妻まうけて心かはりはてて、この家にありける物どもを、今の妻のがりかきはらひもて運び行く。【注】・としごろ=長い間。長年。【訳】長年一緒に暮らしているうちに、夫が新しい妻をこしらえて、すっかり心変わりして、この元の妻の家にあった家財道具を、今の妻の元へ一切合切運んで行った。【本文】心憂しとおもへど、なほまかせてみけり。【訳】元の妻は「つらいわ」と思ったが、それでもやはり夫のなすがままにまかせて見ていたとさ。【本文】ちりばかりのものも残さずみな持て往ぬ。【訳】塵ほどの家財も残さず全部持って行ってしまった。【本文】ただのこりたるものは、馬ぶねのみなむありける。【訳】ただ残っているものといえば、飼い葉桶だけであったとさ。【本文】それを、この男の従者、真楫といひける童を使ひけるして、このふねをさへとりにおこせたり。【訳】ところが、この夫の家来が、真楫という少年を使いとして、この飼い葉桶までもとりによこしたとさ。【本文】この童に女のいひける、「きむぢも今はここに見えじかし」などいひければ、「などてかさぶらはざらむ。主おはせずともさぶらひなむ」などいひ、立てり。【訳】この少年に元の妻が向かって「おまえも、もうこの家には顔を見せないのだろうよ」などと言ったところ、真楫が「どうして伺わないということがございましょう。ご主人さまがおいでにならなくても、きっとお伺いいたしましょう」などと言って立っていた。【本文】女、「ぬしに消息きこえむは申てむや。文はよに見給はじ。ただ、言葉にて申せよ」といひければ、「いとよく申てむ」といひければ、かくいひける、「『ふねも往ぬ まかぢもみえじ 今日よりは うき世の中を いかでわたらむ』と申せ」といひければ、男にいひければ、物かきふるひ去にし男なむ、しかながら運びかへして、もとの如くあからめもせで添ひゐにける。【注】・よに……じ=決して……ないだろう。・ふね 「馬ぶね」と「船」の両義をもたせる。・まかぢ 召使いの少年の名に船の「かじ」を言い掛けた。「かぢ」「わたる」は「ふね」の縁語。・あからめもせで 脇目もふらずに。つまり、よその女には目もくれず、この元の妻ひとすじに愛する、ということであろう。【訳】元の妻が真楫に向かって「旦那様に伝言したとしたら、申し上げてくれるか。手紙で書いても決してお読みにはならないだろう。ただ言葉で申し上げよ」と言ったところ、真楫が「しかとよく申し上げましょう」と言ったので、こんなふうに言った、「『船もどこかに行ってしまった、楫も見あたらない(うまぶねもよそへ行ってしまった 真楫も姿を見せないでしょう)今日からはつらいこの世をどうやって過ごしていこうかしら。』と申し上げよ」と言ったので、その伝言を真楫がご主人様に言ったところ、家財道具をなにもかも持って行ってしまった夫が、そっくり元通りに運び返して、かつてのように、仲むつまじく浮気心もおこさずに寄り添って暮らしたとさ。
April 2, 2013
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【本文】亭子の帝、鳥飼の院におはしましにけり。【注】・鳥飼の院=大阪府三島にあった離宮。【訳】宇多天皇が、鳥飼の院におでかけになったとさ。【本文】例のごと御遊びあり。「このわたりのうかれめどもあまた参りて候なかに、声おもしろくよしあるものは侍りや」と問はせ給に、うかれめばらの申すやう、「大江の玉淵(大江音人男)がむすめといふものなむ、めづらしうまゐりて侍る」と申しければ、みさせ給に、樣かたちもきよげなりければ、あはれがりたまうて、上にめしあげ給ふ。【注】・うかれめ=遊女。うたいめ。貴人の屋敷などで歌舞などを演じた芸能人。・大江の玉淵=大江音人(おとんど)の子。従四位下、丹波の守をつとめた。【訳】いつものように詩歌管絃の遊びをなさった。「この付近の歌いめたちが、大勢参上しております中に、声が美しく由緒ある者がいますか」とお問いになったところ、歌いめたちが申しあげるには、「大江の玉淵の娘という者が、珍しく参上しております」と申し上げたので、ごらんになったところ、姿かたちも上品でこざっぱりとして美しかったので、称賛なさって、御前にお召し上げになった。【本文】「そもそもまことか」など問はせ給に、鳥飼といふ題を皆人々によませ給けり。【訳】「そもそも、おまえが大江の玉淵の娘というのは本当か」などとご質問になり、「鳥飼」という題で列席の人々に和歌をお作らせになった。【本文】仰せたまふやう、「玉淵はいとらうありて、歌などよくよみき。この鳥飼といふ題をよくつかうまつりたらむにしたがひて、実の子かとはおもほさむ」とおほせたまひけり。【訳】お言葉を下さることには「玉淵は非常に気が利いて、歌なども上手に作った。この鳥飼という題を上手に詠んだら、そのときは玉淵の実の子とお思いになろう」とお言葉を下さった。【本文】うけたまはりてすなはち、あさみどり かひある春に あひぬれば霞ならねど たちのぼりけりとよむ時に、帝ののしりあはれがり給て、御しほたれ給ふ。【注】・「あさみどりかひある」に「とりかひ」を詠みこんである。・かひ=「甲斐」と「かひ(植物の芽)」の掛詞。・たちのぼり=霞が「たちのぼり」と「立ち上がって御殿にのぼる」の掛詞。【訳】仰せをうけたまわって、さっそく、うす緑の植物の芽がある春に出会うように、甲斐ある良い御代に会ったので、霞ではないが、この身も帝の御前に立ちのぼることができたなあ。と詠んだときに、帝がしきりに感動なさって、感涙におむせびになった。【本文】人々もよくゑひたるほどにて、醉ひ泣きいとになくす。【訳】列席の人々も十分酒に酔っていたこともあって、酔い泣きなさることこのうえなかった。【本文】帝、御袿一襲・袴たまふ。【訳】帝はウチキ一枚と袴を玉淵の娘にお与えになった。【本文】ありとある上達部・みこたち・四位五位、「これに物ぬぎてとらせざらむ物は座より立ちね」との給ければ、かたはしより上下みなかづけたれば、かづきあまりて、二間ばかりつみてぞ置きたりける。【訳】列席のありとあらゆる大貴族・親王・皇女・四位五位の者たちが、「この玉淵の娘に着物を脱いで与えない者はこの座から立ち去ってしまえ。」とおっしゃったので、片っ端から身分の高い者も低い者もみんな、玉淵の娘の肩に着物を掛けたので、掛け余って、二間ほどの高さに積んで置いておいたとさ。【本文】かくて帰り給ふとて、南院の七郎君(是忠親王七男源清平か)といふ人ありけり、それなむ、このうかれめのすむあたりに家つくりてすむ、ときこしめして、それになむの給ひあづけける。【訳】こうして、宴が終わってお帰りになるというので、南院の七郎君という人がいたが、その人が、この玉淵の娘が住む近所に家を構えて住んでいる、とお聞きになって、その南院の七郎君におっしゃって着物を預けたとさ。【本文】「かれが申さむこと院に奏せよ。院よりたまはせん物も、かの七郎君がり遣はさむ。すべてかれにわびしきめなみせそ」と仰せたまうければ、常になむとぶらひかへりみける。【訳】「玉淵の娘が申しあげるようなことを、帝に奏上せよ。帝からお与えになるような物も、例の南院の七郎君のところへつかわそう」とのお言葉を頂いたので、常に玉淵の娘を見舞い世話をしたとさ。
June 5, 2011
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【本文】亭子(ていじ)の帝、石山につねに詣で給ひけり。【訳】宇多天皇さまは、石山寺にしょっちゅう参詣なさっていた。【注】「亭子の帝」=宇多天皇(八六七年~九三一年)。譲位後に亭子院という邸宅にお住まいになったのでい う。第一段に既出。「石山」=石山寺。近江の国(今の滋賀県)大津の瀬田川の西岸の地にある真言宗の寺。上代から信仰が厚 い。近江八景により月の名所として知られる。紫式部が『源氏物語』を執筆したという源氏の間がある。「つねに」=しじゅう。よく。「詣づ」=参詣する。【本文】国の司、「民疲れ国ほろびぬべし」となむわぶるときこしめして、「異くにぐにも御庄(みさう)などにおほせて」とのたまへりければ、もて運びて御まうけをつかうまつりて、まうでたまひけり。【訳】近江の国の国司が、「(こんなに頻繁に帝がおいでになっては)住民が困窮し国が滅びてしまう」とつらさを訴えているとお聞きになって、「他の国にも荘園などに命じて物資を拠出させよ」とおっしゃったので、近江まで運送して、ご準備をいたしまして、参詣なさった。【注】「国の司」=国司。律令制の地方官。守(カミ)・介(スケ)・掾(ジョウ)・目(サカン)などの四等官とその部下の史生(シジョウ)とで構成されて、地方行政をつかさどった。国司は中央貴族に比べ官位は低かったが、生活には裕福なものが多かった。「異くにぐに(異国々)」=日本の中の他国。「御庄」=ミソウ。貴人の所有する荘園。【本文】近江の守、いかにきこしめしたるにかあらむと歎き恐れて、又無下にさてすぐし奉りてむやとて、帰らせ給ふ打出(うちで)の浜に、世の常ならずめでたきかり屋どもをつくりて、菊のはなのおもしろきをうゑて、御まうけつかうまつれりけり。【訳】近江の国守が、帝はどのようにしてお聞きおよびになったのであろうかと慨嘆恐縮して、またむやみにそのまま自らは何も接待せずに放置申し上げることができようかと思って、参詣を終えて都へお帰りになる途中にお通りになる打出の浜で、なみなみならぬ立派な仮設のお屋敷などを建設して、菊の花でみごとに咲いたのを植えて、ご接待もうしあげた。【注】「いかに」=どのように。「きこしめす」=「聞く」の尊敬語。お聞きになる。「無下に」=むやみに。「すぐす」=ほうっておく。「打出の浜」=今の滋賀県の琵琶湖岸。ウチイデノハマともいう。「めでたし」=立派だ。みごとだ。「おもしろし」=美しい。風情がある。「まうけ」=準備。また、ごちそうの支度。「つかうまつる」=「なす」「おこなふ」の謙譲語。「~もうしあげる」。【本文】国の守もおぢ恐れて、ほかにかくれをりて、ただ黒主をなむすゑ置きたりける。【訳】国守も恐縮して、よそに身を隠していて、ただ黒主を留守に残しておいた。【注】「おぢおそる」=びくびくしてこわがる。先に不満を述べたことが帝の耳に入ったことを知ったため、どんなおしかりがあるかびくびくして恐縮している。「黒主」=六歌仙の一人。平安時代前期の歌人。醍醐天皇の大嘗会の近江の国の風俗歌などで知られ、その名は『古今和歌集』の序文にも見える。【本文】おはしまし過ぐるほどに、殿上人、「黒主はなどてさてはさぶらふぞ」ととひけり。【訳】お通りかかりになったときに、殿上人が、「黒主よ、おまえは、どうして、そこにそんなふうにしてひかえているのか」と質問した。【注】「おはしまし過ぐ」=やってこられて通り過ぎる。「殿上人」=四位・五位で清涼殿の殿上の間に昇殿することを許された者。六位でも蔵人は天皇の秘書のような役目を果たす必要上、昇殿を許された。「などて~ぞ」=「どうして~か」。『源氏物語』≪夕顔≫「などてかくはかなき宿りは取りつるぞ」。「さぶらふ」=貴人のそばにお控え申し上げる。【本文】院も御車おさへさせ給ひて「なにしにここにはあるぞ」ととはせたまひければ、人々とひけるに、申しける、【訳】宇多天皇も、お乗りになっていた牛車を停車させなさって、「どうしてここにいるのか」と側近をに命じて黒主に質問させたので、人々が質問したので、黒主が申し上げた歌、【注】「おさふ」=動かないようにする。「なにしに」=どんなわけで。【本文】さざらなみまもなく岸を洗ふめり渚清くば君とまれとかとよめりければ、これにめでたまうてなむとまりて、人々に物給ひける。【訳】さざなみは片時も休む間もなくひっきりなしに岸を洗っているように見えます。もしもこの波打ち際が清らかで美しいとお目にとまりなさいましたら帝にご宿泊なさいませとかいうことでございました。という和歌を作ったので、この歌に感動なさってご宿泊なさって、おまけに人々に結構なものをお与えになったとさ。【注】「さざらなみ」=さざれなみ。細かく立つ波。さざなみ。波が立つようすから、「間もなく」の枕詞。また「波」に対して「岸」「洗ふ」「渚」は縁語。「めり」=現実の状況を実際に観察し、たしかにそうだと判断しながらも断定を避け、傍観的に「~のように見える」とやわらかく推定する助動詞。
September 10, 2016
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【本文】亭子の院に宮すん所たちあまた御曹司(みざうし)してすみ給ふに、としごろありて、河原の院(左大臣源融の邸宅)のいとおもしろくつくられたりけるに、京極の宮すむどころひとところの御曹司をのみしてわたらせ給ひにけり。【注】・宮すん所=宇多天皇の御息所には、藤原温子・藤原胤子・橘義子・菅原衍子・橘房子・源貞子・藤原褒子・伊勢の御らがいた。・曹司=宮中や貴族の大邸宅の個人用の部屋。つぼね。・河原の院=左大臣源融の邸宅だったが、その死後には宇多院がお住まいになった。・京極の宮すむどころ=藤原時平のむすめ褒子。【訳】亭子院に御息所たちが、大勢お部屋をしつらえて住んでおられたが、何年も経って、河原の院がとても景色よく築造されたので、京極の御息所さまのお部屋だけを引っ越してお移りになったとさ。【本文】春のことなりけり。とまり給へる御曹司ども、いとおもひのほかにさうざうしきことをおもほしけり。【注】・さうざうしき=心みたされず寂しい。【訳】折しも春のことだったとさ。亭子院に留まっておられた御息所たちが、自分たちが取り残されたことがとても意外で、さびしく物足りないと思っておられたとさ。【本文】殿上人などかよひ参りて、「藤の花のいとおもしろきを、これかれさかりをだに御らんぜで」などいひて見ありくに、文をなむ結びつけたりける。【訳】殿上人などが亭子院に通って参上して、「フジの花がとても美しいのに、このかたも、あのかたもご覧にもならないで」など言ってお庭のフジを見て歩いたところ、手紙を結びつけてあったとさ。【本文】あけてみれば、世中のあさき瀬にのみなりゆけばきのふのふぢの花とこそ見れとありければ、人々かぎりなくめであはれがりけれど、誰が御曹司のしたまへるともえ知らざりけり。【訳】手紙を開けてみると、飛鳥川の昨日深かった淵が今日は浅い瀬になるように、男女の仲が愛情が冷めやすく、院の寵愛がどんどん薄くなっていってしまうので、昨日の淵のようにフジの花を過去の深い寵愛を思いだしながら懐かしく見ることです。と歌が書いてあったので、人々がこのうえなく共感なさったけれども、どの御息所さまのお作りになった歌だかは不明だったとさ。【本文】男どものいひける、ふぢのはな色のあさくもみゆるかなうつろひにけるなごりなるべし【訳】ところで、男たちの作った歌、フジの花が色が浅く見えるなあ、これもフジの色が衰えた影響にちがいない(取り残された御息所さまたちのお顔の色がさえないのも、京極の御息所さまに寵愛が移ってしまわれたせいにちがいない)
December 18, 2010
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【本文】右馬(むま)の允(ぜう)藤原の千兼といふ人の妻には、としこといふ人なむありける。【注】・右馬允=右馬寮の三等官。・藤原千兼=忠房の子。・としこ=第三話にも見える。【訳】右馬允藤原千兼という人の奥さんに、俊子という人がいたとさ。【本文】子どもなどあまたいできて、おもひてすみけるほどに、なくなりにければ、かぎりなくかなしとのみおもひありくほどに、【訳】子供などが沢山うまれて、愛し合って俊子のもとに通って暮らしているうちに、夫が亡くなってしまったので、このうえなく悲しいと思い続けていたが、【本文】内の蔵人(くらうど)にてありける一条の君といひける人は、としこをいとよく知れりける人なりけるほどにしも、とはざりければ、あやしとおもひありくほどに、このとはぬ人の従者の女なむあひたりけるをみて、かくなむ【注】・内の蔵人=内裏の女蔵人(にょくろうど)。内侍や命婦よりも下の下臈の女房。・一条の君=清和天皇の皇子貞平親王のむすめ褒子。京極御息所に仕えた。【訳】内裏の女蔵人であった一条君という人は、俊子をよく知っている人だったのに、ちっとも訪ねてこなかったので、奇妙だなと思いつづけていたところ、この訪ねて来ない人の小間使いの女とばったり出会ったので、こんなふうに詠んだ【本文】 「おもひきや すぎにしひとの かなしきに 君さへつらく ならむものとは ときこえよ。」といひければ、かへし、 なき人を 君がきかくに かけじとて なくなくしのぶ ほどなうらみそ 【訳】「亡くなった夫のことが悲しいのに加えて、あなたまで私に冷たくなろうとは想像したでしょうか。(いや、思いもしませんでしたよ)」と歌を作って、お前の主人に申し上げよ」といったところ、こんな返事がきた「亡くなった人のことをあなたがまた聞いて思い出して悲しくなるから、お耳にいれまいとして泣きながら悲しみをこらえ、口に出すのをがまんしているのですから、お恨みなさいますな。」
October 11, 2010
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第百十三段【本文】 むかし、男、やもめにてゐて、 長からぬ 命のほどに 忘るるは いかに短かき 心なるらむ【注】〇やもめ=独身。古くは夫のいない妻を「やもめ」、妻のいない男を「やもを」と言ったが、のちには〇命のほど=この世に命があるあいだ。一生。〇いかに=どんなに。〇らむ=~だろう。推量の助動詞。〇短かし=『角川必携古語辞典』に「考えが足りない。」として、この段を用例に引くが、むしろ「心変りしやすい。飽きっぽい。」の意であろう。『源氏物語』《末摘花》「さりともと短き心はえ使はぬものを」。【訳】むかし、男が、ひとり身でいて、作った歌。長くはない一生のうちに契りを結んだ私を忘れるのは、いったいどれほど移りやすい心なのだろう、あなたの心は。
April 23, 2017
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【本文】さて、とかう女さすらへて、ある人のやむごとなき所に宮たてたり。さて、宮仕へしありく程に、装束きよげにし、むつかしきことなどもなくてありければ、いときよげに顔容貌もなりにけり。【訳】ところで、あちこちと女は転々として、ある人が立派な場所にお屋敷を建てていた。そうして、女はこのお屋敷にずっとお仕えし続けるうちに、衣装もこざっぱりと上品にし、見苦しいことなどもない状態になったので、容姿も非常に上品で美しくなったのだった。【本文】かかれど、かの津の国をかた時も忘れず、いとあはれと思ひやりけり。たより人に文つけてやりければ、「さいふ人も聞こえず」などいとはかなくいひつつ来けり。わが睦まじう知れる人もなかりければ、心ともえやらず、いとおぼつかなく、いかがあらむとのみ思ひやりけり。【訳】女のほうは、このような具合だったが、例の摂津の国を片時も忘れず、とてもしみじみと夫の身の上を思っていた。都合で摂津へ行く人に手紙を託して送ったところ、「そういうかたがいるとはうわさも聞こえませんでした。」などと、非常に空しいことを言いながら戻ってきた。自分が親しく知っている人もいなかったので、自分から、知人を行かせて夫の所在を探させることもできず、非常に気がかりで、どうしているだろうかとばかり、夫の身を思いやっていた。【本文】かかる程に、この宮仕へするところの北の方亡せたまうて、これかれある人を召し使ひたまひなどする中に、この人をおもふたまひけり。おもひつきて妻になりにけり。【訳】こうしているうちに、このお仕えするお屋敷の奥様が亡くなられて、屋敷のご主人様が、この人やらあの人やらいる人を召し使いなさりなどする中に、この女を好きになられたとさ。女もご主人様に心を寄せて妻になってしまったとさ。【本文】思ふこともなくめでたげにてゐたるに、ただ人知れずおもふこと一つなむありける。いかにしてあらむ、悪しうてやあらむ、よくてやあらむ、わが在り所もえ知らざらむ、人を遣りてたづねさせむとすれど、うたて、我おとこききて、うたてあるさまにもこそあれと念じつつありわたるに、なほ、いとあはれにおぼゆれば、男にいひけるやう、「津の国といふ所のいとをかしかなるに、いかで難波に祓しがてらまからむ」といひければ、「いとよきこと、われも諸共に」といひければ、「そこにはな物し給ひそ。をのれ一人まからむ」といひて、いでたちて往にけり。【訳】何不自由なくすばらしい暮らしをしていたが、ただ人知れず心を悩ませることがたった一つあったとさ。(それは前の夫のことで)どうしているだろうか、困難な状況だろうか、良い暮らしをしているだろうか、私がいる場所も知ることができないだろう、人を行かせて探させようと思うが、(その男とどんな関係だろうと思われるのも)不愉快だし、私の今の夫が聞いて、(自分以外にほかに夫がいたのかとバレて夫婦仲が)不愉快な事態になっても困ると(前の夫を探すのを)ぐっとこらえて我慢しつづけていたが、それでもやはり、前夫のことが非常にいとしく思われたので、今の夫に言ったことには、「摂津の国という所の、非常に風情のあるという名所に、なんとかして、神に祈って厄災をはらいきよめる行事をしがてらお参りしよう」と言ったところ、「それはとても良いことだ、わたしも一緒に」と今の夫が言ったので、「あなたは、お出かけなさいますな。わたし一人で参りましょう。」と言って、身支度して、行ってしまったとさ。【本文】難波に祓して、帰りなむとする時に、「このわたりにみるべきことなむある」とて「いますこし、とやれ、かくやれ」といひつつ、この車をやらせつつ家のありしわたりをみるに、屋もなし、人もなし。「何方へいにけむ」とかなしう思ひけり。かかる心ばへにて、ふりはへきたれど、わが睦まじき従者もなし、尋ねさすべき方もなし、いとあはれなれば、車を立ててながむるに、供の人は、「日も暮れぬべし」とて、「御車うながしてむ」といふに、「しばし」といふほどに、蘆になひたる男のかたゐのやうなる姿なる、この車のまへよりいきけり。【訳】難波ではらい清めを行って、いまにも帰ろうとするときに、「この辺で見ておかなければならないことがある」と言って、「もうしばらく、あっちへやれ、こっちへやれ」と言いながら、自分の牛車を行かせながら、昔住んでいた家があったあたりを見るが、家屋も無く、人もいない。「どこへ行ってしまったのだろう」と悲しく思った。このような心持ちで、あてどなくやってきたけれども、私の親しい供の者もいない、探させる手だてもない。とても感慨ぶかかったので、牛車をとめて、眺めていたところ、供の者は「もうじききっと日も暮れてしまうだろう」と言って、「御車を出発させましょう」というので、「しばらく待て」というときに、アシを担いでいる男で、乞食のような姿をしている男が、この牛車の前を通って行った。【本文】これが顏をみるに、その人といふべくもあらず、いみじきさまなれど、わがおとこに似たり。これをみて、よくみまほしさに、「この蘆もちたるをのこ呼ばせよ、かのあし買はむ」といはせける。さりければ、ようなき物買ひたまふとはおもひけれど、主ののたまふことなれば、よびて買はす。「車のもと近くになひよせさせよ。みむ」といひて、この男の顏をよくみるに、それなりけり。【訳】この男の顔を見ると、(探していた)その人だと言うこともできないほど、ひどく変わり果てたようすであるけれども、自分の前の夫に似ている。これを見て、もっとよく見たいので、「このアシを持っている男を(目下の家来に)呼ばせなさい。あのアシを買おう。」と身近にいる者に言わせた。そういう事情だったので、側近の家来は、奥様は役に立たない物をお買いになるなあとは思ったけれども、主人のおっしゃることなので、目下の家来に男を呼ばせて買わせた。「車のそば近くにアシを担いで寄せさせなさい。品物を見よう」と言って、この男の顔をよく見たところ、やぱり前の夫だったなあ。【本文】「いとあはれに、かかる物商ひて世に経る人いかならむ」といひて泣きければ、ともの人は、なほ、おほかたの世をあはれがるとなむおもひける。かくて「このあしの男に物など食はせよ。物いとおほく蘆の値にとらせよ」といひければ、「すずろなるものに、なにか多く賜(た)ばむ」など、ある人々いひければ、しひてもえ言ひにくくて、いかで物をとらせむと思ふあひだに、【訳】「とてもしみじみとしたようすで、女が、このような物を商売して世の中を生きていく人はどんな暮らしなのだろう」と言って泣いたので、供の者は、ただ、身分あるかたは、やはり一般的に世間のさまざまなことをしみじみと感じるものだと思った。こうして、奥様が「このアシ売りの男に食事を与えなさい。品物をとてもたくさんアシの代金として与えなさい。」と言ったところ、「行きずりの者に、どうして多くお与えになるのだろう」などと、その場にいる人々が言ったので、無理にでもとは言いにくくて、なんとかして品物を前の夫に与えようと考えているあいだに、【本文】下簾のはざまのあきたるより、この男まもれば、わが妻に似たり。あやしさに心をとどめてみるに、顏も声もそれなりけりとおもふに、思ひあはせて、わがさまのいといらなくなりにたるをおもひけるに、いとはしたなくて、蘆もうちすてて逃げにけり。【訳】すだれの下のすきまの空いている所から、この男がじっと見たところ、自分の妻に似ていた。不思議さに、気をつけて見たところ顔も声もやっぱり妻だなあと思って、いろいろ考え合わせて、自分のありさまが、非常に没落した状態になってしまっているのを考えたときに、いたたまれなくなって、アシもほったらかして、逃げてしまったとさ。【本文】「しばし」といはせけれど、人の家に逃げいりて、竈のしりへにかがまりてをりける。この車より「なをこの男たづねて率て来」といひければ、供の人手を分ちてもとめさはぎけり。人「そこなる家になむ侍ける」といへば、この男に「かくおほせごとありて召すなり。なにのうちひかせ給べきにもあらず。ものをこそはたまはせむとすれ。幼き物なり」といふ時に、硯を乞ひて文をかく。それに、 君なくて あしかりけりと おもふにも いとど難波の 浦ぞすみうきとかきて封じて、「これを御くるまにたてまつれ」といひければ、あやしとおもひてもてきてたてまつる。あけてみるに、かなしきこと物に似ず、よゝとぞなきける。さて返しはいかゞしたりけむしらず。車に着たりける衣脱ぎて包みて文などかきぐしてやりける。さてなむ歸りける。後にはいかゞなりにけむしらず。 あしからじ とてこそ人の わかれけめ なにか難波の 浦もすみうき【訳】「ちょっと待て」と女が家来に言わせたけれども、前の夫は他人の家に逃げ込んで、かまどのうしろにしゃがみこんでじっとしていた。この車から「それでもやはり、この男を探して連れて来なさい」と言ったので、供の者たちが手分けして探して(あっちにはいない、こっちにもいないと)さわいだとさ。ある人が、「そこにある家にいました」と言うので、この男に「このようにお言いつけがあって呼び寄せるのだ。なにも牛車の前を横切ったバツにお前を無礼だという理由で牛車でおひきになるつもりではない。品物をお与えになろうとしたのだ。愚かなやつだなあ。」と言った時に、男が硯を貸してくれといって手紙を書いた。その手紙に あなたがいなくて、妻がいない生活は不自由で具合がわるいことだ、と思うにつけても、ますます難波の浦が、住みづらくなったことだ。(水辺のアシを刈ってしまったので、難波の海岸は水が澄みにくくなってしまったことだ)と書いて封をして、「これを御くるまの中にいらっしゃるかたに差し上げよ」と言ったので、(乞食のようなみすぼらしい身分の低い男が手紙を書くなんて)フシギだと思って、車のところへ持ってきて手紙を差し上げた。女が開封して見てみたところ、かなしきことといったら似る物もないほどで、オイオイと声を上げて泣いた。ところで、この男の歌への返歌はどうしたのであろうか、わからない。車の中で着ていた衣を脱いで、包んで手紙などを書いて添えて男に送った。そうして京に帰ったとさ。その後はどうなったのであろうか、わからない。生活が悪くなるのを避けよう、と言って人が別れたのであろうに、どうして難波の浦が住みづらいことがあろうか。(アシを刈るのはやめようと言って人が解散して帰っていったのであろうに、どうして難波の浦が澄みづらいことがあろうか。)
August 29, 2011
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【本文】昔、大納言のむすめいとうつくしうてもちたまふたりけるを、帝にたてまつらむとてかしづきたまひけるを、殿にちかうつかうまつりける内舎人にてありける人、いかでかみけむ、このむすめをみてけり。【訳】昔、ある大納言がとてもかわいらしい娘を一人持っていらっしゃったが、帝にさしあげようとおもって、大事に育てていらっしゃったが、寝殿のおそばにお仕え申し上げていた内舎人だった人が、どういう機会に見たのだろうか、この娘を見てしまったとさ。【本文】顏容貌のいとうつくしげなるをみて、よろづのことおぼえず、心にかかりて、夜昼いとわびしく、やまひになりておぼえければ、「せちにきこえさすべき事なむある」といひわたりければ、「あやし。なにごとぞ。」といひていでたりけるを、さる心まうけして、ゆくりもなくかき抱きて馬にのせて、陸奥国へ、よるともいはずひるともいはず逃げて往にけり。【訳】顔立ちの非常にかわいらしいようすを見て、上の空になって、この娘のことだけがいつも気にかかって、娘と付き合えないことが夜も昼もとてもつらく、病気になったと感じられたので、「どうしてもお耳に入れたいことがございます」と言い続けたので、「不思議なことをいいますね。いったいなにごとですか。」と言って部屋から出たところ、前からの計画どおりに、即座に抱き上げて馬に乗せて、陸奥の国へと、夜となく昼となく女を連れて逃げていたとさ。【本文】安積の郡安積山といふ所に庵をつくりてこの女を据へて、里にいでつつ物などは求めてきつつ食はせて、とし月を経てありへけり。【訳】安積郡の安積山という所に粗末な家を構えて、この女を住ませて、男は人里に出かけては食糧などは買い求めてきては女に食わせて、何年も過ごして夫婦となったとさ。【本文】この男往ぬれば、ただ一人物もくはで山中にゐたれば、かぎりなくわびしかりけり。【訳】この男が家を去ると、女はたったひとりで、物も食わずに山の中の家で過ごしていたので、このうえなく心細かったとさ。【本文】かかるほどにはらみにけり。この男、物求めにいでにけるままに、三四日こざりければ、まちわびて、たちいでて山の井にいきて、影をみれば、わがありしかたちにもあらず、あやしきやうになりにけり。【訳】こうして山中で男と暮らすうちに、妊娠してしまったとさ。この男が、食い物などを買い求めに出かけたまま、三・四日もどってこなかったので、女は待ちわびて、家から外へ出て山の井まで行って、水に映った自分の姿をみると、自身のかつてあった姿ともちがい、見苦しい姿になってしまっていたとさ。【本文】鏡もなければ、顏のなりたらむやうもしらでありけるに、俄にみれば、いと恐しげなりけるを、いとはづかしとおもひけり。さてよみたりける、あさかやまかげさへみゆる山の井のあさくは人を思ふものかはとよみて木にかきつけて、庵にきて死にけり。【訳】山中の一軒家では鏡も無いので、自分の顔がどうなったかも知らずにいたが、急に見ると、とても恐ろしそうなようすであるのを、とてもきまりが悪く感じたとさ。そうして作った歌、安積山の自分の醜くなった姿が冴えてくっきりと見える山の井のように、あなたへの愛情が浅いわけではございませんが、こんなにみすぼらしくなってまで生きていとうはございません。と作って木に書き付けて、家にもどって死んだとさ。【本文】男、物などもとめてもてきて、しにてふせりければ、いとあさましと思けり。山の井なりける歌をみてかへりきて、これをおもひ死に傍にふせりて死にけり。世のふるごとになむありける。【訳】男が、食い物などを買い求めてもどってくると、女が死んで横たわっていたので、とても驚きあきれたことだと思った。男は、山の井のところにあった女の歌を見て、家にもどってきて、女を恋したって死んで、女の遺体のそばに横たわって死んだとさ。これは、昔実際にあったという言い伝えだとさ。
July 26, 2012
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【本文】昔大和の国葛城の郡にすむ男女ありけり。この女かほ容貌いときよらなり。としごろおもひかはしてすむに、この女いとわろくなりにければ、思ひわづらひて、かぎりなくおもひながら妻をまうけてけり。【訳】昔、大和の国の葛城の郡に暮らす男女がいたとさ。この女は、顔立ちも姿もとても清楚で美しかった。長年相思相愛で暮らしていたが、この女の経済状態が悪化してしまったので、思い悩んで、この上なく愛しいとは思いながらも男は別に妻をもうけてしまったとさ。【本文】このいまのめは富みたる女になむありける。ことにおもはねど、行けばいみじういたはり、身の装束もいときよらにせさせけり。かくにぎははしきところにならひて、きたれば、この女いとわろげにてゐて、かくほかに歩けどさらに妬げにもみえずなどあれば、いとあはれとおもひけり。心ちにはかぎりなく妬く心憂しとおもふを忍ぶるになむありける。留まりなむと思ふ夜も、なを「往ね」といひければ、わがかく歩きするを妬まで、異業するにやあらむ、さるわざせずばうらむることもありなんなど、心のうちにおもひけり。【訳】この新しい妻は裕福な女だったとさ。格別に愛していたわけではないが、男が訪ねて行くととてもよくねぎらい、男の着る衣装もとてもこざっぱりと着せたとさ。こうして男が裕福な生活に慣れて、たまに先妻のところに訪ねて来ると、先妻は非常に経済的に困窮したようすでがまんしており、こうして男がよその女のところをほっつき歩いても、いっこうに嫉妬しているそぶりも見せずにいるので、とてもいじらしいと思ったとさ。心中では、このうえなくねたましく辛いと思うのを我慢しているのであった。男が、今夜は家にとどまろうと思う夜も、先妻が「お出かけなさい」と言ったので、男は、自分がこんなふうによその女のところに出歩くのを焼き餅も焼かずに、先妻は浮気しているのであろうか、そうでもなければ自分を恨むこともあるだろうなどと、心の中で思ったとさ。【本文】さていでていくとみえて、前栽の中に隱れて男や來るとみれば、端にいでゐて、月のいといみじうおもしろきに、頭かい梳りなどしてをり。夜更くるまで寢ず、いといたううちなげきてながめければ、人待つなめりとみるに、使ふ人のまへなりけるにいひける、風吹けばおきつしらなみたつた山よはにや君がひとり越ゆらむとよみければ、わがうへをおもふなりけりとおもふに、いとかなしうなりぬ。この今のめの家は立田山こえて行くみちになむありける。【訳】そうして、出かけると見せかけて、庭先の植え込みのなかに隠れて、愛人の男が来るかしら、と思って見ていたところ、屋敷の部屋の端に出て腰をおろして、月がとても美しく見えるころに、頭髪に櫛を入れてかきなでなどして身なりを整えていた。夜遅くなるまで寝ず、とても深いため息などをついてぼんやり遠くを眺めていたので、浮気相手の男を待っているようだと思って見ていたところ、使用人で前にひかえていた者に向かって次のような和歌を詠んだとさ。風が吹けば海の沖の白波が立って危険ですが、足元が暗くて危険な立田山の山道を夜中に愛するあの人は独りで越えるているのだろうか。と胸中の思いを和歌に作ったので、先妻は私の身の上を心配しているんだなあと思うにつけても、非常に愛しくなった。新しい妻の家は竜田山を越えて行く途中にあったとさ。【本文】かくて、なほ見をりければ、この女うち泣きて臥して、金椀(かなまり)に水をいれて胸になむ据へたりける。「あやし、いかにするにかあらむ」とて、なほみる。さればこの水熱湯にたぎりぬれば、湯ふてつ。又水を入る。みるにいとかなしくて走りいでて、「いかなる心ちし給へば、かくはしたまふぞ」といひてかき抱きてなむ寢にける。かくてほかへもさらに行かでつとゐにけり。【訳】こうして、さらにようすを見ていると、この先妻が、泣きながら横になって、金属の容器に水を入れて胸のところに置いたとさ。「ふしぎだ。どうするのだろう」と思ってなおも様子を見ていた。そうしたら、この水が熱湯にぐらぐらと沸騰したので、先妻は湯を捨てた。また水を入れた。この様子を見ていたら非常に愛しくなって、男は植え込みから走り出て、「どんなお気持ちがして、こんなことをなさるのか」と言って、先妻の体をかき寄せて抱いて寝たとさ。こうして、よそへもまったく行かずにずっとこの先妻の家にいたとさ。【本文】かくて月日おほく経ておもひけるやう、「つれなき顏なれど、女のおもふこといといみじきことなりけるを、かく行かぬを、いかに思ふらむ」と思ひいでて、ありし女のがりいきたりけり。久しく行かざりければ、つゝましくてたてりけり。さてかいまめば、我にはよくてみえしかど、いとあやしき様なる衣をきて、大櫛を面櫛にさしかけてをりて、手づから飯盛りをりけり。いといみじとおもひて、来にけるままに、いかずなりにけり。この男は王なりけり。【訳】こうして月日が多く流れて思ったことには、「表面上はそしらぬ顔であるが、女の胸中は非常に激しいものがあるのに、こうしてずっと訪問しないのを、どんなふうに新しい妻は思っているだろうか」と思い出して、例の女の元に行ったとさ。長いこと訪ねなかったので、遠慮して外に立っていた。そうして、垣根のすきまからのぞき見たところ、自分の前ではいい格好をして見せていたが、とてもみずぼらしいようすの着物を着て、大きな櫛を額の髪に突き刺していて、自分の手でご飯をよそっていたとさ。非常にだらしがないと男は思って、引き返してきたまま、二度と新しい妻のところへは行かなくなってしまったとさ。この男は親王の子だったとさ。
October 30, 2011
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第八十三段【本文】 むかし、水無瀬に通ひ給ひし惟喬の親王、例の狩りしにおはします供に、馬の頭なる翁仕うまつれり。日ごろ経て、宮に帰りたまうけり。御おくりして、とくいなむと思ふに、大御酒たまひ、禄たまはむとて、つかはさざりけり。この馬の頭、心もとながりて、枕とて 草ひきむすぶ こともせじ 秋の夜とだに 頼まれなくにとよみける。時は弥生のつごもりなりけり。親王、おほとのごもらで明かし給うてけり。かくしつつまうで仕うまつりけるを、思ひのほかに、御髪おろしたまうてけり。睦月に、をがみ奉らむとて、小野にまうでたるに、比叡の山のふもとなれば、雪いと高し。しひて御室にまうでてをがみ奉るに、つれづれといとものがなしくて、おはしましければ、やや久しくさぶらひて、いにしへのことなど思ひ出で聞こえけり。さてもさぶらひてしがなと思へど、おほやけごとどもありければ、えさぶらはで、夕暮れに帰るとて、忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや 雪踏みわけて 君を見むとはとてなむ、泣く泣く来にける。【注】〇水無瀬=大阪府三島郡本町広瀬。後鳥羽院の離宮があった所。に通ひ給ひし〇惟喬の親王=文徳天皇の第一皇子。小野の宮、または水無瀬の宮と称した。藤原氏に皇位継承を妨害され、不遇のうちに一生を終えた。(八四四~八九七年)〇例の=いつものように。〇おはします=「行く」の尊敬語。〇供=従者。〇馬の頭=馬寮の長官。従五位上相当官。なる翁=〇仕うまつる=お仕えする。〇日ごろ経て=数日間たって。〇宮=親王のお住まい。〇御おくり=お見送り。〇とくいなむ=早く立ち去ろう。〇大御酒=神や天皇皇族などに差し上げる酒。〇禄=祝儀。〇つかはす=「行かす」の尊敬語。〇心もとながる=イライラする。待ち遠しがる。じれったいとおもう。〇枕とて草ひきむすぶ=いわゆる草枕。古くは、旅先で草を結んで枕とし、夜露に濡れて仮寝した。〇頼まれなくに=あてにできないのに。〇時=時節。〇弥生のつごもり=春の終わり。〇おほとのごもる=「寝」の尊敬語。おやすみになる。お眠りになる。〇明かす=眠らずに朝を迎える。〇思ひのほかに=予想に反して。意外なことに。〇御髪おろす=高貴な人が髪を剃って仏門に入る。〇睦月=陰暦一月。〇をがむ=高貴な方にお目にかかる。〇小野=山城の国愛宕郡の地名。比叡山の西側のふもと一帯。惟喬親王の出家後の住居で知られる。〇しひて=無理に。あえて。〇御室=出家が住む庵。〇つれづれと=しみじみと寂しく。やるせない気持ちで。〇ものがなし=なんとなく悲しいうら悲しい。〇やや久しく=だいぶ長時間。〇さぶらふ=「つかふ」「をり」の謙譲語。おそばでお仕えする。〇聞こゆ=「いふ」の謙譲語。申し上げる。さてもさぶらひ〇てしがな=終助詞「てしが」に詠嘆の終助詞「な」のついたもの。~たいものだなあ。〇おほやけごと=朝廷の行事や儀式。〇えさぶらはで=お仕えすることもできないで。〇思ひきや=想像しただろうか、いや、想像もしなかった。「や」は反語の係助詞。〇踏みわく=歩くのに困難な場所へ分け入る。【訳】むかし、水無瀬に通ひ給ひし惟喬の親王が、いつものように狩りをしにお出かけになるお供に、馬の頭の老人がおそばでお仕え申し上げた。何日も経って、お屋敷にお帰りなさった。お見送りして、さっさとおいとまをいただいて立ち去ろうと思ふのに、お酒をお与えになり、ご褒美をお与えになろうとして、帰らせなかった。この馬の頭は、家に帰りたいのでいらいらして、枕にするために草をひっぱって結ぶこともするまい。いまは秋の夜とさえあてにはできないので。という歌を作った。時節は陰暦三月の月末であった。親王は、おやすみにならず夜をお明かしになってしまった。このようにしながらお仕えしていたが、意外なことに、頭髪をお剃りになって出家なさってしまった。陰暦一月に、御目にかかろうと思って、小野にうかがったところ、比叡山のふもとなので、雪がとても高く積もっている。わざわざ御庵室にうかがってお目にかかったところ、つれづれといとものがなしくて、おはしましけるれば、だいぶ長い時間おそばにお仕えして、昔のことなど思い出しては申し上げた。そのまま親王のおそばにお仕えしていたいと思ったが、朝廷の儀式などがあったので、おそばにお仕えすることもできずに、夕暮れに帰るというので、現実を忘れて、これは夢ではないのかと思います。想像したでしょうか、こんなに深い雪の山道を分け入ってあなた様にお目にかかろうとは。という歌を作って、泣く泣く都に帰って来たのだった。
June 10, 2017
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【本文】太政大臣の北の方うせたまひて、御はての月になりて、御わざのことなどいそがせ給ころ、月のおもしろかりけるに、はしにいでゐたまて、物のいとあはれにおぼされければ、かくれにし月はめぐりていでくれどかげにも人はみえずぞありける【注】・太政大臣=藤原忠平。藤原基経の第四子。摂政・関白・太政大臣を務めた。(880……949年)。・はて=四十九日が終わる日。または、一周忌。・わざ=法事。【訳】太政大臣藤原忠平さまの奥方さまが、お亡くなりになって、服喪期間の終わりの月になって、御法要のことなどを御準備なさっていたころ、月が美しかった晩に、座敷の端に出てお座りになって、亡き人のことなどが非常にしみじみと感じられたので、かくれてしまった月は、再びめぐって空に出てくるけれども、幻影にも私の愛するあの人は姿を見せないなあ。
February 5, 2011
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送友人西上 劉長卿羈心不自解、有別會霑衣。春草連天積、五陵遠客歸。十年經轉戰、幾處便(一作更)芳菲。想見函關路、行人去亦稀。【韻字】衣・歸・菲・稀(平声、微韻)。【訓読文】友人の西のかたへ上るを送る。羈心自から解けず、別れ有つて会(かならず)衣を霑ほす。春草連天に積み、五陵遠客帰る。十年転戦を経、幾れの処か便ち芳菲たらん。想見す函関の路、行人去ること亦た稀ならん。【注】○西上 都のある西の方へ向かうということであろう。○羈心 旅愁。異郷にいる物思い。○五陵 陝西省咸陽市および興平県境の渭水北岸の地。前漢の高祖の長陵・恵帝の安陵・武帝の茂陵・明帝の平陵。(四庫全書本)に「平陵」に作る。「平陵」は、陝西省咸陽市の西北。○転戦 あとこちと移動しての戦い。○芳菲 花がかぐわしく咲きにおう。○想見 おもいやる。想像する。○函関 函谷関。戦国時代に秦が河南省霊宝県の南西に置き、漢の武帝が河南省新安県の東北に移した。【訳】友人が都のある西へのぼるのを見送る。異郷にある愁いはきえず、友との別れにはきまって涙で衣をぬらす。春の草は天と接するほどかなたまでも茂っているなか、君は遠く五陵のほうへ旅立たれる。十年も各地で戦乱がくりひろげられ、いったいどこが、よい香りを放つ花が咲き乱れていようか。君がこれから函谷関へと向かう道には、道行く人もまれであろう。
December 2, 2005
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【本文】深草の帝とまうしける御時、良少将といふ人いみじき時にてありけり。【訳】時の帝を深草の帝と申し上げた御代に、良少将という人がいて帝の信任が非常に厚い時だったとさ。【注】「深草の帝」=仁明天皇(八一〇~八五〇、在位は八三三~八五〇)。嵯峨天皇の第一皇子。諱は正良(まさら)。母は橘の清友のむすめ嘉智子(かちこ)。八三三年、淳和天皇の譲位により即位。八五〇年三月、病を得て出家するも、数日後に崩御なされ、今の京都市伏見区深草東伊達町の深草の陵(みささぎ)に葬られた。「良少将」=僧正遍昭。俗名は良峯宗貞(八一五~八九〇)。承和十三年(八四六)に左近衛少将、嘉祥二年(八四九)に蔵人頭に任じ、帝の崩御せられたときに出家した。六歌仙の一。【本文】いと色好みになむありける。【訳】非常に多情なひとであったとさ。【注】「色好み」=粋人。多情な人。【本文】しのびて時々あひける女、おなじ内裏にありけり。【訳】人目を忍んで時々密会していた女が、同じ宮中にいたとさ。【注】「内裏」=宮中。【本文】「こよひかならずあはむ」とちぎりたりける夜ありけり。【訳】「今夜きっと逢おう」と約束しておいた晩があったとさ。【注】「こよひ」=今晩。「あふ」=男女が知り合う。結婚する。「ちぎる」=約束する。【本文】女いたう化粧して待つに音もせず。【訳】女が非常に念入りに化粧して男の来訪を待っていたが音沙汰もない。【注】「いたう」=非常に。「化粧す」=顔を装い飾る。「音す」=おとずれ。たより。音沙汰。【本文】目をさまして、「夜やふけぬらん」と思ふほどに、時申す音のしければ、きくに、「丑三つ」と申しけるを聞きて、男のもとにふといひやりける、【訳】待ちくたびれてうとうとしていたが、目を覚まして、「もう夜が更けただろうか」と思っていると、時報を知らせる声がしたので、聞いていると、「丑三つ」と言ったのを聞いて、【注】「時申す音」=宮中で宿直の者が時刻を知らせる音。【本文】人心うしみつ今は頼まじよといひやりたりけるにおどろきて【訳】愛する人の心を信じて来訪をあてにしていたが、あなたを信じたばかりに「憂し」という目を見たた。すでに「丑三つ」時になった今となってはもうあなたが来るのは当てにしません。と五七五の上の句を作って贈ったのに【注】「うしみつ」=午前三時。「丑三つ」と「憂し、見つ」の掛詞。『筆のすさび』に「うしみつ今は頼まれず」という言い方が見える。【本文】夢にみゆやとねぞ過ぎにけるとぞつけてやりける。【訳】「夢の中であなたの姿が見えるかと寝過ごすうちに、うっかり約束の時間を忘れて子の刻が過ぎてしまった」と七七の下の句を付けて贈った。【注】「ねぞすぎ」=「寝ぞ過ぎ」と「子ぞ過ぎ」の掛詞。【本文】しばしとおもひてうちやすみけるほどに、寝過ぎにたるになむありける。【訳】約束の時刻まで少しの間と思って、ちょっと休息していたあいだに、寝過ぎてしまったのだったとさ。【注】「しばし」=少しの間。【本文】かくて世にも労あるものにおぼえ、つかうまつる帝かぎりなくおぼされてあるほどに、この帝うせ給ひぬ。【訳】このようにして世間でも和歌に熟練している者だと思われ、お仕えしている天皇もこのうえなくお思いになっていたところ、この天皇が御隠れになった。【注】「労」=熟練すること。経験を積むこと。【本文】御葬の夜、御供にみな人つかうまつりける中に、その夜よりこの良少将うせにけり。【訳】ご葬儀の晩に、お供として関係者全員参列いたしました中で、その晩から良少将は姿を消してしまった。【注】「うす」=姿を消す。【本文】ともだち、妻も、「いかならむ」とて、しばしはここかしこ求むれども、音耳にもきこえず。【訳】友人や妻も、「どうしたのだろう」と思って、少しの間、あちこち探したけれども、うわさすら耳にはいってこない。【注】「音」=うわさ。【本文】「法師にやなりにけむ。身をや投げてむ。法師になりたらば、さてあるともきこえなむ。身を投げたるべし。」とおもふに、世の中にもいみじうあはれがり、妻子どもはさらにもいはず、夜昼精進潔斎して、世間の仏神に願をたてまどへど、音にもきこえず。【訳】「法師になってしまったのだろうか。あるいは身を投げてしまったのだろうか。もし法師になっているのなら、どこそこでそうしているといううわさでも、きっと耳にはいるだろう。そういう話もないところをみると、きっと身を投げてしまったのにちがいない。」と思うにつけても、世間でもひどく同情し、妻子はいうまでもなく、夜も昼も精進潔斎して、世の中にありとあらゆる神仏にどうか無事に生きておりますようにと盛んに願をかけるが、いっこうに噂すら聞こえてこない。【注】「法師」=出家。仏法によく通じ、人の師となる者。「身を投ぐ」=投身自殺する。「あはれがる」=かわいそうに思う。気の毒がる。「さらにもいはず」=もちろん。今さら言うまでもない。「夜昼」=夜も昼も。いつも。「精進潔斎」=心身のけがれを清める。寺に参る際に「精進」、神社に詣でる際に「潔斎」。「まどふ」=動詞の連用形について「盛んに~する」「はなはだしく~する」。【本文】妻は三人なむありけるを、よろしくおもひけるには、「なほ世に経じとなむ思ふ」と二人にはいひけり。【訳】良少将に妻は三人いたが、そこそこ愛していた妻に対しては、「唯一の主君と思ってお仕え申し上げていた帝がなくなった以上、やはり世間には交わりを持つまいと思う」と二人に言っていた。【注】「よろしく」=ほどほどによく。【本文】かぎりなく思ひて子どもなどある妻には、塵ばかりもさるけしきもみせざりけり。【訳】このうえなく大切に思って子どもなどももうけた妻に対しては、これっぽっちもそのような出家の意志があるようなそぶりも見せなかった。【注】「かぎりなく」=このうえなく。「塵」=わずかなこと。ほんのすこし。「さるけしき」=そのようなそぶり。【本文】このことをかけてもいはば、女もいみじとおもふべし。【訳】このことを心にかけて口に出せば、女も非常に未練に感じるにちがいない。【注】「このこと」=出家する気でいること。「かけて」=心にかけて。【本文】我もえかくなるまじき心ちしければ、よりだに来で、にはかになむ失せにける。【訳】愛する妻子に会って決意を話したら自分も決心を実行できそうにない気持ちがしたので、妻子のいる屋敷には寄りつきさえしないで、突然姿を消してしまった。【注】「え~まじき」=「~できそうにない」。「にはかに」=急に。だしぬけに。【本文】ともかくもなれ、「かくなむおもふ」ともいはざりけることのいみじきことを思ひつつ泣きいられて、初瀬の御寺にこの妻まうでにけり。【訳】いずれにせよ、「こんなふうに自分は考えている」とも言わないで失踪したことの、あまりにひどい夫の仕打ちを思いながら、ひたすらお泣きになって、この妻は初瀬寺に参詣したとさ。【注】「泣きいる」=ひたすら泣く。「初瀬」=大和の長谷寺。天武天皇の御代の創建。本尊は観音。【本文】この少将は法師になりて、蓑ひとつをうちきて、世間世界を行ひありきて、初瀬の御寺に行ふほどになむありける。【訳】この少将は法師になって、蓑ひとつを羽織って、各地を仏道修行しながら歩き回って、長谷寺にたどり着き修行している最中であった。【注】「蓑」=雨を防ぐ上着。カヤ・スゲ・ワラなどを編んで作る。「行ふ」=勤行する。仏道修行する。【本文】ある局ちかう居て行へば、この女、導師にいふやう、「この人かくなりにたるを、生きて世にある物ならば、今一度あひみせたまへ。身をなげ死にたる物ならば、その道成し給へ。さてなむ死にたるとも、この人のあらむやうを夢にてもうつつにても聞き見せたまへ」といひて、わが装束、上下、帯、太刀までみな誦経にしけり。【訳】ある部屋の近くに座って修行していたところ、この女が、その座の首席の僧に言うことには「うちのこの主人はこのように行方不明になってしまっているが、もしこの世に生きているのなら、もう一度お引き合わせください。もし身投げして死んでいるなら、成仏させてやってください。そうして、たとえ死んでいるとしても、この夫があの世でどのように過ごしているかその様子を、夢の中でも、現実にでもいいから、お聞かせあるいはお見せください。」と言って、私の装束、すなわち上下、帯、太刀にいたるまで、全部読経の料とした。【注】「局」=参拝者のために寺の宿所を衝立などで仕切った部屋。「導師」=法会や供養のときの中心となる首席の僧。「装束」=正装するとき身に着ける衣冠・服装。「誦経」=読経をしてくれた僧への謝礼として贈る品物。布施。【本文】身づからも申しもやらず泣きけり。【訳】自分自身も、最後まで仏さまに願い事を申し上げられないようなありさまで、泣き崩れた。【注】「申しもやらず」=最後まで願いを申し上げることもできずに。悲嘆で言葉にならないさま。【本文】はじめは何人の詣でたるならむと聞きゐたるに、わが上をかく申しつつ、わが装束などをかく誦経にするをみるに、心も肝もなく悲しきこと物にも似ず。【訳】最初は、どんな人が参詣しているのだろうかと耳をすましていると、自分の身の上をこれこれこういう事情でと申し上げながら、自分の衣装などをこんなふうに読経の報酬に布施として与えるのを見るにつけても、出家を決意したときのしっかりした心もなくなり、悲しいことたとえようもない。【注】「詣づ」=参詣する。神社や寺院などにお参りする。「わが上」=少将自身の身の上。「心も肝もなく」=気力もなく。しっかりした心もなく。『源氏物語』≪桐壺≫に「参りては、いとど心苦しう、こころぎもも尽くるやうになむ」という表現がみえる。「物にも似ず」=たとえようがない。他に比べるものがない。このうえない。【本文】走りやいでなましと千度思ひけれど、おもひかへしおもひかへし居て夜一夜なきあかしけり。【訳】走って出ていこうかしらどうしようかしらと何度も思ったが、ずっと繰り返し思い返して一晩中泣き明かした。【注】「や~まし」=「~しようかしら」。「居て」=「ずっと~して」。「夜一夜」=一晩中。【本文】わが妻子どもの、なほ申す声どももきこゆ。【訳】自分の妻子たちが、さらに「どうか所在がわかりますように」と神仏に祈る声などが聞こえる。【注】「申す」=神仏に願いごとを申し上げる。【本文】いみじき心ちしけり。【訳】ひどく複雑な気持ちがした。【注】「いみじき心ち」=名乗りでようか出まいかという葛藤。【本文】されど念じて泣きあかして朝にみれば、蓑も何も涙のかかりたるところは、血の涙にてなんありける」とぞいひける。【訳】けれども、ぐっとこらえて泣き明かして翌朝になって見たところ、蓑も何もかも自分の涙がかかったところは、血の涙にそまっていた。」と言った。【注】「されど」=そうではあるが。しかし。「念じて」=がまんして。「血の涙」=非常に悲しい思いをしたときに流す血のまじった涙。【本文】「その折なむ走りもいでぬべき心ちせし」とぞ後にいひける。【訳】「あの時はさすがに私も家族の前に走り出てしまいそうな衝動がした」と後になって語った。【注】「ぬべし」=「今にも~しそう」の意。【本文】かかれど猶えきかず。【訳】こんなふうに身内などが懸命に探したが彼の定かな消息は依然として聞こえてこなかった。【注】「猶」=依然として。【本文】御はてになりぬ。【訳】帝の崩御後、一周忌を迎えた。【注】「御はて」=服喪期間の終わり。一周忌。【本文】御服ぬぎに、よろづの殿上人河原にいでたるに、童の異様なるなむ、柏にかきたる文をもてきたる。【訳】喪の明けた日に、多くの殿上人が賀茂の河原に出ていたところ、風変わりな少年が、カシワの葉に書いてある手紙をもってきた。【注】「服ぬぎ」=喪が明けて、喪服からふつうの着物に着替えること。「殿上人」=四位・五位で清涼殿の殿上の間に昇殿を許された者。【本文】とりてみれば、みな人は花の衣になりぬなり苔の袂よかはきだにせよ。とありければ、この良少将の手にみなしつ。【訳】手に取って手紙を開いて見たところ、世間の人はみな、喪服を着かえて華やかな着物になってしまったそうだ。涙にぬれたわが墨染めの衣よ、せめて乾いてくれ。と書いてあったので、この行方不明となっている良峰の少将の筆跡だと見て判断した。【注】「花の衣」=華やかな衣服。「苔の袂」=僧や隠者の粗末な衣服。この歌は『古今集』巻十六≪哀傷歌≫に収める。「手」=筆跡。【本文】「いづら」といひて、もてこし人を世界にもとむれどなし。【訳】「どこへいった」と言って、持参した者を辺りで探し求めたがいない。【注】「いづら」=どこ。【本文】法師になりたるべしとは、これにてなむ人知りにける。【訳】法師になっているのにちがいないとは、このことで人は知った。【注】「法師」=僧。出家。仏法によく通じ、人の師となる者。【本文】されど、いづこにかあらむといふこと、さらにえ知らず。【訳】そうはいっても、どこにいるのだろうかということが、まったくわからない。【注】「されど」=そうではあるが。しかし。「さらに~ず」=「まったく~ない」。「え~ず」=「~できない」。【本文】かくて世の中にありけりといふことをきこしめして、五条の后の宮より、内舎人を御使にて山山たづねさせ給ひけり。【訳】このようにしてこの世で生きていたということをお聞きになって、五条の后の宮から、雑用係を使者としてあちこちの山を探させなさった。【注】「あり」=生きている。生存する。「きこしめす」=お聞きになる。耳にしなさる。「聞く」の尊敬語。「五条の后の宮」=藤原順子(八〇九~八七一年)。冬嗣の娘で仁明天皇の皇后となった。「内舎人」=よみは「うどねり・うちとねり・うちのとねり」。中務省に属する職。帯刀して宮中を警備したり、宿直や雑役に従事したりする。また、東宮職や主殿寮の雑役を担当した職員を指すこともある。「たづぬ」=所在のわからないものを探し求める。【本文】「ここにあり」と聞きてたづぬれば又失せぬ。えあはず。【訳】「ここにいる」といううわさを聞いて訪問したところ、また姿を消してしまった。そして対面することができなかった。【注】「失す」=行方不明になる。姿を消す。【本文】からうして、隠れたるところにゆくりもなく往にけり。えかくれあへであひにけり。【訳】やっとのことで、少将の隠棲している場所に突然おじゃました。これには少将も逃げ隠れすることもできずに、宮の使者と対面した。【注】「からうして」=ようやく。やっとのことで。「ゆくりもなく」=不意に。突然。「あへで」=「~するひまがない」「どうしても~することができない」。【本文】宮より御使ひになんまゐりきつるとて、「おほせごとに『かう帝もおはしまさず、睦ましく思し召しし人をかたみとおもふべきに、かく世に失せ隠れたまひにたれば、いとなむかなしき。【訳】宮からご使者として参上したというので、「宮様のお言葉に『このように帝もいらっしゃらず、親しくお思いになっていた人を思い出のよすがと考えるはずなのに、こんなふうに世間から姿をくらましなさってしまったので、とても悲しい思いです。【注】「おほせごと」=おっしゃったお言葉。「おはします」=生きておいでになる。「あり」の尊敬語。「睦まし」=親しい。「かたみ」=亡き人を思い出すきっかけ。【本文】などか山林に行ひたまふとも、ここにだに消息ものたまはぬ。【訳】たとえ山林で仏道修行なさるとしても、どうしてせめて私のところにだけでもご連絡なさらないのですか。【注】「などか~のたまはぬ」=反語表現。どうして[現況を]おっしゃらないのか、いや、おっしゃってくださればいいのに。「消息」=連絡。たより。伝言。手紙の場合も、口頭の場合もある。【本文】御里とありしところにも、音もしたまはざれば、いとあはれになむなきわぶる。【訳】ご自宅であった場所にも、なんの音沙汰もなさらないので、とてもしみじみと悲しく泣いてつらい思いをしていました。【注】「里」=自宅。実家。【本文】いかなる御心にてかうは物したまふらむときこえよ』とてなむおほせつけられつる。【訳】どんなお考えで、こんなふうに世間と断絶なさっているのだろうかと、心配していたと申し上げよ』とことづけるようお命じになった。【注】「御心」=お考え。おつもり。「きこゆ」=申し上げる。「おほせつく」=伝言するようお命じになる。【本文】ここかしこ尋ねたてまつりてなむまゐりきつる」といふ。【訳】あちこちと探し申し上げて、やっとここまで参上しました」と言った。【注】「ここかしこ」=あちらこちら。「尋ぬ」=探し当てる。「たてまつる」=謙譲の補助動詞。「まゐりく」=目上の人のところに到着する。【本文】少将大徳うちなきて、「おほせごとかしこまりて承りぬ。【訳】いまや高僧となった少将はちょっと泣いて、「后の宮様のおっしゃっることは恐縮して伺いました。【注】「大徳」=ダイトコ。高徳の僧。「かしこまる」=恐れ入る。「承る」=「聞く」の謙譲語。うかがう。お聞きする。【本文】帝かくれたまうて、かしこき御蔭にならひて、おはしまさぬ世にしばしあり経べき心ちもし侍らざりしかば、かかる山の末にこもり侍りて、死なむを期にてとおもひ給ふるを、まだなむかくあやしきことは、生き廻らひ侍る。【訳】仁明天皇が崩御なさって、もったいないご恩にあずかって、帝のいらっしゃらない朝廷で、ちょっとの間でも日を過ごす気もしなかったものですから、このような山のはずれに隠れまして、死ぬ時を修行の終る時だと考えておりましたが、まだ、このように不都合なことには、生きながらえています。【注】「かくる」=亡くなる。貴人の死を遠回しにいう語。「かしこき御蔭」=もったいない恩恵。『源氏物語』≪桐壺≫に「かしこき御蔭をば頼みきこえながら」と見える。「おはします」=いらっしゃる。ご存命である。「世」=朝廷。帝が国を治める期間。「あり経」=生きて年月を過ごす。生きながらえる。「あやしき」=不都合な。よくない。けしからん。【本文】いとも畏く問はせ給へること。童の侍ることはさらにわすれ侍る時も侍らず。」とてかぎりなき雲ゐのよそに別るとも人を心におくらざらめやはとなむ申しつると啓したまへ」といひける。【訳】非常にありがたくも使者をおよこしになりお訪ねくださったことです。子供がいますことは決して忘れる時はございません。」と言って、このうえなく遠い宮中とこの山と別々に別れへだたっていても愛する人のことを心の中では後に残すだろうか、いや心のなかではいつも一緒に寄り添っている。と申しておりましたと后の宮様にお伝えください。」と言った。【注】「雲ゐ」=宮中。「おくらざらめやは」=歌意通じがたい。異本および『古今和歌集』には「おくらさんやは」の形で引く。「啓す」=皇后・皇太子・院などに申し上げる。 【本文】この大徳の顔容貌姿をみるに、悲しきこと物にも似ず。その人にもあらず、蔭のごとくになりて、ただ蓑をのみなむきたりける。少将にてありし時のさまのいと清げなりしをおもひいでて、涙もとどまらざりけり。【訳】この高徳の僧の姿かたちを見ると、悲しいことこのうえない。別人のように変わり果て、影法師のようになって、ただ蓑だけを着ていた。帝のおぼえめでたく少将を務めていたころの面影が非常に上品で美しかったのを思い出して、涙もとまらなかった。【注】「顔容貌姿」=顔立ちと姿。「かたちありさま」という場合が多い。「物に似ず」=他に比べるものがない。たとえようがない。この上ない。 「清げなり」=こざっぱりとして美しい。【本文】悲しとても、片時人のゐるべくもあらぬ山の奥なりければ、泣く泣く「さらば」といひて帰りきて、この大徳たづねいでてありつるよしを上のくだり啓せさせけり。【訳】悲しいとはいっても、わずかの間も常人がいることができそうにない山の奥だったので、泣く泣く「それではこれで失礼いたします」と言って宮中に帰ってきて、この高僧を探し当てて先刻の少将のありさまを、上記の一件を報告させた。【注】「片時」=ついちょっと。わずかの間。もと一時(いっとき・約二時間)の半分の一時間を指し、短い時間をいう。「さらば」=それじゃあ。さようなら。人と別れる時の言葉。「さらばいとま申さん」などの略。「たづねいづ」=捜し出す。『源氏物語』≪桐壺≫「亡き人のすみかたづねいでたりけむ、しるしのかんざしならましかば」。「ありつる」=さっきの。例の。「上(かみ)のくだり」=上記。すでに書き記してあることをいう語。【本文】后の宮もいといたう泣きたまふ。さぶらふ人々もいらなくなむ泣きあはれがりける。宮の御かへりも人々の消息も、いひつけて又遣りければ、ありし所にも又なくなりにけり。【訳】きさいの宮もとてもひどくお泣きになった。その場にお仕えしていた人々もはなはだしく泣き気の毒がった。宮のおつくりになった返歌も、縁ある方々の近況も、ことづけて再び使者を行かせたところ、少将が先日いた場所には、またいなくなってしまっていた。【注】「さぶらふ」=おそばでお仕えする。「いらなく」=はなはだしく。激しく。「かへり」=返事。また、返歌。「消息」=伝言。便り。連絡。手紙の場合も、口頭の場合もある。「いひつく」=たのむ。ことづける。「遣る」=人を先方に行かせる。「ありし」=いた。以前の。【本文】小野の小町といふ人、正月に清水にまうでにけり。行ひなどして聞くに、あやしう尊き法師のこゑにて読経し陀羅尼よむ。この小野の小町あやしがりて、つれなき様にて人を遣りて見せければ、「蓑一つを着たる法師の、腰に火打笥など結ひつけたるなむ、隅にゐたる」といひけり。【訳】小野の小町といふ人が、正月に清水寺に参詣した。仏道修行などして聞いていると、常ならず尊い法師の声で経を読みあげ陀羅尼を口ずさんでいる。この小野の小町が不思議に思って、なにげないふりで人を行かせて様子を見させたところ、「蓑一つを着ている法師で、腰に火打笥などを結びつけたている法師が、隅で座っている」とい言った。【注】「小野の小町」=六歌仙の一人。九世紀後半(八五〇年ごろ)の人。小野貞樹・僧正遍昭・在原業平・安倍清行・文屋康秀らと歌の贈答をした。「清水」=清水寺。京都市東山区六条大路の東方の東山の山すそにある。本尊は観世音菩薩。舞台づくりの建物として知られる。「読経」=経文を見ながら声を上げて経を読むこと。「陀羅尼」=梵語の経文の一部を漢文訳せずに梵語のまま表音的に漢字をあてたもの。一語一語に無限の意味があり、これを唱えると、災いを除き、功徳を得るとされる。「つれなし」=無関心だ。「火打笥」=発火の用具である火打石と火打ち金を入れた容器。【本文】かくてなほきくに、声いと尊くめでたうきこゆれば、ただなる人にはよにあらじ、もし少将大徳にやあらむとおもひにけり。「いかがいふ」とて「この御寺になむ侍る。いと寒きに御衣一つ貸し給へ」とて、いはのうへに旅寝をすればいと寒し苔の衣をわれにかさなむといひやりたりけるかへりことに、【訳】こうして、さらに聞いていたところ、声がとても尊くすばらしく聞こえたので、まさか尋常な者ではあるまい、ひょっとすると良少将大徳ではないだろうかと思い当たった。「どう反応するか」と思って「この御寺でおる者でございます。とても寒いので御着物を一つお貸しください」といって、岩の上で旅寝をするので非常に寒いです。僧衣を私に貸してほしいと和歌を作って少将に言い送ったその返事に、【注】「ただなる人」=凡人。普通の人。「よも~じ」=「まさか~ないだろう」「よもや~ないだろう」。「もし」=もしかしたら。ひょっとしたら。疑問・推量表現に用いる。「旅寝」=自分の家でない場所で寝ること。「苔の衣」=僧や隠者の粗末な衣服。「なむ」=「~してほしい」。他に対する願望の意を表す。「かへりこと」=返事。レオン・パジェスの『日仏辞書』に「Cayericoto」とあり、「こ」は清音。【本文】よをそむく苔の衣はただ一重かさねばつらしいざ二人ねむといひたるに、さらに中将なりけりとおもひて、ただにも語らひし中なれば、あひて物いはむと思ひていきければ、かい消つやうに失せにけり。【訳】俗世間をそむいて出家した僧衣はただ一着です。これを貸さないとなるとそれも心苦しい。やむをえません、さあそれでは、二人で一着を分かち合って眠ろう。と返歌をよこしたので、いちだんと、あのお方はやっぱり良中将だなあと確信して、直接言葉を交わした仲だから、対面して口をきこうと思って、経典を読み上げる声のしていたほうへいったところ、すっかり消滅するように、あとかたもなく姿が消えてしまった。【注】「よをそむく」=俗世間から退く。また、出家する。「つらし」=心苦しい。この「つらし」を「薄情だ」と解する人もいるが、ここでは自身の貸さないという行為を指すので貸してやらないのも「心苦しい」という意に解するべきであろう。「さらに」=いちだんと。「ただにも語らひし中なれば」=普通に言葉を交わした仲だから。【本文】一寺求めさすれど、さらににげて失せにけり。かくて失せにける大徳なむ僧正までなりて、花山といふ御寺にすみたまひける。【訳】寺中捜させたが、完全に逃げて姿を消してしまった。こうして姿を消してしまった少将大徳は、のちには僧綱の最高位である僧正にまでなって、花山寺といふお寺に御住みになった。【注】「一寺」=寺じゅう。寺全体。「さらに」=すっかり。「僧正」=僧綱の一で、僧官の最高位。大僧正・正僧正・権僧正の三階級がある。「花山」=京都府東山区の元慶寺。良峰宗貞(遍昭)が創建したので彼は花山僧正と呼ばれた。のちに花山院が出家した場所としても知られる。【本文】俗にいますかりける時の子どもありけり。太郎は左近将監にて殿上してありける。かく世にいますかりときく時だにとて、母もやりければ、いきたりければ、「法師の子は法師なるぞよき」とて、これも法師になしてけり。【訳】俗世間にいらっしゃった時分の子がいた。その長男は左近将監として殿上人になっていた。父親はこのように僧になって無事に世に生きていらっしゃると聞いた時だけでも、せめて一目だけでも息子を父に会わせてやりたいと思って、母親も会いに行かせたので、長男が少将大徳のもとへ会いに行ったところ、「法師の子は法師になるのがよい」とおっしゃって、息子も法師にしてしまった。【注】「いますかり」=「あり」の尊敬語。いらっしゃる。「太郎」=長男。「左近将監」=左近衛府(宮中の警備や行幸の際の警護にあたる役所。庁舎は上棟門と陽明門との間にあり、日華門の内に詰所があった。長官は大将。)の判官(第三等官)。「殿上」=殿上の間に昇殿をゆるされること。『黒本本節用集』「殿上人 テンジヤウビト ≪公家、詳らかに月卿雲客の注に見ゆ≫」旧注に「四位なり」。(岩波新日本古典文学大系『庭訓往来』七十二ページ脚注)【本文】かくてなむ、折りつればたぶさにけがるたてながら三世の仏に花たてまつるといふも、僧正の御歌になむありける。【訳】このようにして、折ってしまうと手首に汚れがつくので、地上に立って生えているまま前世・現世・来世の三世の仏に花を差し上げる。という作品も、僧正遍昭のお作りになった歌だとさ。【注】「三世」=前世・現世・来世。過去・現在・未来。「花たてまつる」=花を仏さまにお供えする。『源氏物語』≪若紫≫にも「すだれ少し上げて、花たてまつるめり」と見える。【本文】この子をおしなしたうびける大徳は、心にもあらでなりたりければ、親にも似ず、京にも通ひてなむしありきける。【訳】この、長男を無理やり僧になさった大徳は、いやいやながら僧になったので、親の少将大徳とは似ても似つかず、京にも行き来して女性の家にもあちこち歩き回った。【注】「おしなす」=「しいて~する」。「たうぶ」=「たまふ」。「心にもあらで」=気がすすまない状態で。いやいやながら。「親にも似ず」=親に似ざるを不肖という。「しありく」=何かして歩き回る。【本文】この大徳の親族なりける人のむすめの、内にたてまつらむとてかしづきけるを、みそかにかたらひけり。親聞きつけて、男をも女をもすげなくいみじういひて、この大徳をよせずなりければ、山に坊してゐて、言の通ひもえせざりけり。【訳】この大徳の親戚だった人のむすめで、内裏に差し出し入内させようと思って大事に育てていた娘に対し、長男の大徳はこっそりと人目をぬすんで口説いてものにしてしまった。娘の親が聞きつけて、大徳をも娘をも容赦なく罵倒して、この大徳を屋敷に近づけなくしてしまったところ、山に僧坊を構えてじっと修行していて、文通もできなかった。【注】「親族」=親類。身寄り。「内にたてまつる」=入内させる。「かしづく」=大事に育てる。「みそかに」=人目を避けてこっそり。「かたらふ」=夫婦の契りをむすぶ。男女の仲になる。「すげなく」=容赦なく。思いやりがなく。「坊」=僧坊。僧の住む所。「言の通ひ」=言葉や手紙のやりとり。【本文】いと久しうありて、この騒がれし女の兄どもなどなむ、人のわざしに山に登りたりける。この大徳の住む所にきて、物語などしてうちやすみたりけるに、衣のくびにかきつけける。しら雲のやどるみねにぞおくれぬるおもひのほかにある世なりけりと書きたりけるを、この兄の兵衛の尉はえ知らで京へいぬ。妹みつけてあはれとやおもひけむ。これは僧都になりて、京極の僧都といひてなむいますかりける。【訳】だいぶん歳月がたってから、この騒がれた女の兄たちが、人の法事を行いに山に登った。この大徳の住む所にきて、雑談などしてちょっと休息していたところ、衣服の襟にかきつけた歌。私はあなたの顔を拝見できずに白雲がとどまるこの高い峰に取り残された。生きているのも不本意な男女の仲だなあ。と書いてあったのを、この兄の兵衛の尉は気づかずに京へ立ち去った。妹が大徳の和歌を見つけて、ああお気の毒なことと思ったのだろうか。この長男はのちに僧都になって、京極の僧都と世間の人から呼ばれていらっしゃったとさ。【注】「わざ」=仏事。「物語」=雑談。「うちやすむ」=ちょっと寝る。ちょっと休憩する。「くび」=襟。「みねにぞおくれぬる」=山の高い峰に一人置き去りにされたという意とあなたのお顔を見ることもできずに死に遅れた、の意をかける。「兵衛の尉」=兵衛府(内裏の警護、行幸・行啓の御供などをつかさどる役所)の三等官。「京極」=平安京の東西両端をそれぞれ南北に通る大路。「僧都」=僧綱の一つで僧正につぐ僧官。もと大僧都・少僧都各一名であったが、のちに大僧都・権僧都・少僧都・権少僧都の四階級となった。
August 31, 2016
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第九十八段【本文】 むかし、おほきおほいまうちぎみと聞こゆるおはしけり。仕うまつる男、長月ばかりに、梅のつくり枝にきじを付けて奉るとてわが頼む 君がためにと 折る花は ときしもわかぬ ものにぞありけると詠みて奉りたりければ、いとかしこくをかしがり給ひて、使ひに禄たまへりけり。【注】〇おほきおほいまうちぎみ=太政大臣。大宝令の制度で太政官の最高の官である左大臣の上に立ち、天皇の師となるような有徳の人が就任する最高顧問のような職。平安時代には、ほとんど藤原氏から選ばれた。ここでは藤原良房をさす。〇聞こゆ=「言ふ」の謙譲語。申し上げる。〇おはす=「あり」の尊敬語。いらっしゃる。〇仕うまつる=お仕えする。「つかへまつる」のウ音便。〇長月=陰暦九月の異名。〇つくり枝=献上品・贈り物などを付けるのに用いた。もともとは、鷹狩の獲物の鳥を人に贈るときに結び付けた木を鳥柴(としば)といった。のちには季節により梅・桜・松などにつけたり、金銀などで造った草木の枝に付けたりした。〇きじ=日本特産の鳥の名。きぎし。きぎす。『徒然草』一一八段に「鳥には雉、双無きものなり」とあるように、かつては食用の鳥の最上のものと考えられていた。〇奉る=「与ふ」の謙譲語。差し上げる。献上する。〇頼む=主人として身を託す。仕える。〇ときしもわかず=「いつでも。四季の区別がない。」の意の「ときわかず」に強意の副助詞「しも」を加えた形。「きし」の部分に「きじ」を言い掛ける〇かしこく=たいそう。はなはだしく。〇をかしがる=賞賛する。〇禄=ほうび。〇たまふ=お与えになる。くださる。【訳】むかし、先の太政大臣と申し上げるかたがいらっしゃった。そのかたにお仕えしていた男が、陰暦九月ごろに、造りものの梅の枝にキジを付けて献上するというので私がお仕えするご主人さまのためにと折る梅の花は四季も区別せず咲くものだなあ、私もこの花同様に年中かわることなく勤勉にお仕えするつもりでございますよ。と詠んで、差し上げたところ、とてもひどく賞讃なさって、使者にご褒美をくださった。
May 7, 2017
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第九十四段【本文】 むかし、男ありけり。いかがありけむ、その男住まずなりにけり。のちに男ありけれど、子ある仲なりければ、こまかにこそあらねど、時々もの言ひおこせけり。女方に、絵かく人なりければ、かきにやれりけるを、今の男のものすとて、ひとひふつかおこせざりけり。かの男、「いとつらく、おのが聞こゆることをば、今までたまはねば、ことわりと思へど、なほ人をば恨みつべきものになむありける」とて、ろうじてよみてやれりける。時は秋になむありける。 秋の夜は 春日忘るる ものなれや 霞に霧や 千重まさるらむとなむよめりける。女、返し、 千々の秋 一つの春に むかはめや 紅葉も花も ともにこそ散れ【注】〇いかがありけむ=どうしたのであろうか。〇住む=男が妻と決めた女の家に通って泊まる。『伊勢物語』二十三段「男、住まずなりにけり」。〇男=夫あるいは愛人。ここでは新しい夫。〇こまかなり=ねんごろなさま。〇言ひおこす=言って寄越す。手紙に書いて寄越す。〇女方=女性の側。〇ものす=いる。来る。〇おこす=寄越す。〇つらし=冷淡だ。薄情だ。〇聞こゆる=申し上げる。「いふ」の謙譲語。〇たまふ=お与えになる。下さる。「あたふ」「やる」の尊敬語。〇ことわり=もっともだ。〇なほ=それでもやはり。〇恨みつべきものになむありける=たしかに恨みに思ってしまうものだなあ。「つ」は強意の助動詞。〇ろうず=からかう。ひやかす。〇むかふ=相当する。匹敵する。【訳】むかし、男がいた。いったいどうしたのであろうか。男は妻と決めた女の家に通って泊まらなくなってしまった。のちに、女には他の夫ができたのだが、もとの夫とは間に子供がいる仲だったので、ねんごろにというわけではなかったが、もとの夫に時々手紙を寄越したのだった。ある時、男が女のところに、女は絵をかく人だったので、かいてもらいにやったところ、新しい夫が家にいるというので、一日、二日絵をかいて寄越さなかった。その男は「ひどく薄情なことに、私が申し上げたことを、いままでして下さらなかったので、今の夫を最優先するのはもっともだと思うけれども、それでもやはり、恨みに思ってしまうものだなあ」と書いて、からかって歌を作って送った。時期はちょうど秋であった。秋の夜には春の日を忘れるものなのだなあ。春の霞に対し秋の霧は何倍も勝っているのだろうか。と詠んだ。それに対し、女が返事をして、いくら秋をかさねても、一つの春のすばらしさに匹敵しないように、あなたのほうが今の夫より何倍も勝っています。そうはいっても今の夫もあなたも、どちらも私に対する愛情が移ろってしまうことには変わらないでしょう。
May 20, 2017
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【本文】監の命婦、堤にありける家を人にうりて後、粟田といふ所に行きけるに、その家のまへをわたりければ、よみたりける、 ふるさとを かはと見つつも わたるかな 淵瀬ありとは むべもいひけり【注】・監の命婦=第八話に既出。・堤=土手。阿倍俊子・今井源衛校注『大和物語』(岩波日本古典文学大系)に「加茂川堤」とする。・粟田=山城国愛宕(おたぎ)郡の地名。現在の京都市左京区から東山区にかけての地で、平安京の別荘地。・渡る=「通る」と解されているが、ここは船に乗って通りかかったという意かも知れない。・淵瀬あり=『古今和歌集』《雑・下》に「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」という有名な古歌がある。・むべ=なるほど。・ふるさと=以前に住んでいた土地。・かは(川)・わたる・淵・瀬は縁語。【訳】監の命婦が、川の土手にあった家を人に売却してのち、粟田といふ所に行って住んだが、その売却した元の家の前を通ったので、作った歌、 以前に住んでいた土地を、かの家はどうなっているかしら、ああ、もう川となってしまったのかしらと見ながら通ることだなあ、淵や瀬があるとは、なるほどよくも言ったものだわ。人の世の移り変わりは激しいものねえ。
October 5, 2010
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【本文】廿一日、卯の時ばかりに船出す。皆人々の船出づ。【訳】正月二十一日、午前六時頃に出船した。みな他の人々が乗り込んだ船も出発した。【本文】これを見れば春の海に秋の木の葉しも散れるやうにぞありける。【訳】この様子を見ると、春の海になぜだかちょうど秋の木の葉が散っているようであった。【本文】おぼろげの願に依りてにやあらむ、風も吹かずよき日いできて漕ぎ行く。【訳】なみなみならぬ願のおかげであろうか、風も吹かず、久々にみごとなお日様が顔を出して、船を漕いでいく。【本文】この間につかはれむとて、附きてくる童あり。それがうたふ舟うた、「なほこそ国のかたは見やらるれ、わが父母ありとしおもへば。かへらや」とうたふぞ哀なる。【訳】この人々の中に、使用人になろうとして、ついてきた子供がいる。その子が歌った舟歌「やっぱり故郷のほうに自然と目が向くものだなあ、おいらのとうちゃん・かあちゃんがいると思うから。帰ろうかなあ」と歌うのがしみじみ感じられる。【本文】かくうたふを聞きつつ漕ぎくるに、くろとりといふ鳥岩のうへに集り居り。【訳】こんなふうに歌うのを聞きながら、漕ぎ進んできたところ、クロトリという鳥が、岩の上に集まって止まっている。【本文】その岩のもとに浪しろくうち寄す。楫取のいふやう「黒鳥のもとに白き浪をよす」とぞいふ。この詞何とにはなけれど、ものいふやうにぞ聞えたる。人の程にあはねば咎むるなり。【訳】その岩の下方に海の波が白く打ち寄せる。船頭が言うことには、「黒鳥のところに白い波を寄せてるよ」と言った。この言葉はどうということもないけれども、気の利いたことを言うように聞こえた。粗野な船頭などに似合わない言葉だから、気に留めたのである。【本文】かくいひつつ行くに、船君なる人浪を見て、国よりはじめて海賊報いせむといふなる事を思ふうへに、海の又おそろしければ、頭も皆しらけぬ。七十八十は海にあるものなりけり。「わが髮のゆきといそべのしら浪といづれまされりおきつ島もり」楫取いへ。【訳】こんなことを言いながら、船旅を続けていったところ、船の主客である人が波を見て、土佐の国を出発してからはじめて海賊が報復するであろうといったような事を考えているうえに、おまけに外海がまた恐ろしいので、頭の毛もみんなまっしろになってしまった。七十古来稀なりということだが、七十、八十の老人は、海にいるものなのだなあ。「わたしの髪の毛の雪(白髪)と磯に寄せる白波とどちらがまさっているか、沖の島守よ」船頭よ代わりに答えよ。
August 2, 2009
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第百二十三段【本文】むかし、男ありけり。深草に住みける女を、やうやう飽き方にや思ひけむ、かかる歌をよみけり。 年を経て 住み来し里を いでていなば いとど深草 野とやなりなむ 女、返し、 野とならば 鶉となりて 鳴きをらむ 狩にだにやは 君は来ざらむとよめりけるにめでて、行かむと思ふ心なくなりにけり。【注】〇やうやう=しだいに。だんだん。〇飽き方=いやけがさしてきた。〇かかる=こんな。このようなこういう。二十三段に「男、こと心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて」。〇里=都に対して辺地の村。在所。いなか。『古今和歌集』九七一番「深草の里に住み侍りて、京までまうで来とて」。〇いとど=ますます。〇深草野=深く草が茂った野と、地名の深草の掛詞。『角川必携古語辞典』の「ふかくさ」の条に、京都市伏見区深草町。歌などでは、草が深く尾生い茂った所とし、また『伊勢物語』の本段の短歌の唱和以後、鶉と結びつけることが多いという。〇返し=贈られた歌に対する返事の歌。〇鳴き=「泣き」の意ももたせる。〇狩に=「仮に」の意ももたせる。〇だに=せめて~だけでも。〇やは=「や」も「は」も係助詞。ふつう反語表現ととらえられているが、「やは~ぬ」の場合に準じて勧誘・希望の意を表していると考えることも可能。その場合は「せめて狩り(仮)にだけでも私に会いに来てくれたらいいのに」の意。〇めでて=感動して。【訳】むかし、男がいたとさ。深草に一緒に住んでいた女を、しだいにいやけがさしてきたのだろうか、こんな歌を作った。 何年にもわたって住んできたこの土地を私が出ていったしまったら、そうでなくても深い草の野という地名の在所なのに、ますます草深い野となってしまうだろうか。 女が、男から贈られた歌に対して作った返事の歌、 もしも草が深い野となったら私は鶉となって鳴いておりましょう。そうしたらせめて狩にだけでもあなたは来てくださらないでしょうか、いいえ、きっときてくださるでしょう。と作ったその歌に感動し、男は出て行こうと思う心がなくなってしまったとさ。
April 16, 2017
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第九十六段【本文】 むかし、男ありけり。女をとかく言ふこと月日経にけり。石木にしあらねば、心苦しとや思ひけむ、やうやうあはれと思ひけり。そのころ、水無月の望ばかりなりければ、女、身にかさ一つ二ついできにけり。女言ひおこせたる、「今は何の心もなし。身に、かさも一つ二ついでたり。時もいと暑し。すこし秋風吹き立ちなむ時、かならずあはむ」と、言へりけり。秋待つころほひに、ここかしこより、その人のもとへいなむずなりとて、口舌いできにけり。さりければ、女の兄人、にはかに迎へに来たり。されば、この女、かへでの初紅葉をひろはせて、歌をよみて、書きつけておこせたり。秋かけて 言ひしながらも あらなくに 木の葉降りしく えにこそありけれと書き置きて、「かしこより人おこせば、これをやれ」とて、いぬ。さて、やがてのち、つひに今日まで知らず。よくてやあらむ、あしくてやあらむ。いにし所も知らず。かの男は、天の逆手を打ちてなむ、のろひをるなる。むくつけきこと。人ののろひごとゃ、負ふものにやあらむ、負はぬものにやあらむ。「今こそは見め」とぞ言ふなる。【注】〇とかく=なにやかやと。〇言ふ=言い寄る。〇月日経にけり=年月。『伊勢物語』四十六段「対面せで、月日の経にけること」。〇石木にしあらねば=石や木のような感情の無い存在ではないので。『源氏物語』《東屋》「あはれなる御心ざまをいはきならねば、思ほし知る」。〇心苦し=気の毒だ。〇やうやう=だんだん。〇あはれ=しみじみと愛しい。〇水無月の望ばかり=陰暦六月の十五日ころ。〇かさ=おでき。あせも、湿疹の類。〇いでく=出現する。できる。〇言ひおこす=手紙や使者などを通して言ってよこす。〇何の心もなし=ふつう「なにごころなし」は、無心だの意。たとえば石田穣二氏は『伊勢物語』(角川文庫)の脚注で「あなたをお思いするほかには何の心もありません」の意とするが、いかがであろうか。〇秋風吹き立ちなむ時=陰暦では七月からが暦の上での秋にあたる。『枕草子』《虫は》「いま秋風吹かむ折ぞ来むとする」。〇ころほひ=その時分。〇ここかしこ=あちこち。〇その人のもと=ある人の所。『伊勢物語』九段「京に、その人の御もとにとて、文書きてつく」。〇いなむずなり=行ってしまうということだ。「いな」は「往ぬ」の未然形、「むず」は、「むとす」の縮約。「む」は意志の助動詞、「と」は格助詞、「す」は、サ変動詞「なり」は、伝聞の助動詞。〇口舌=悪口。不平の文句。〇いでく=起こる。〇さりければ=そうであったから。〇兄人=男の兄弟。〇にはかに=急に。だしぬけに。〇されば=それゆえ。〇かへで=落葉高木。語源は「かへる手」の転という。〇初紅葉=秋になって初めて色づいたもみじ。〇秋かけて 言ひしながらも あらなくに 〇降りしく=散って覆う。〇えにこそありけれ=「江にこそありけれ」「縁こそありけれ」を言い掛ける。〇かしこ=あのかた。遠称の人代名詞。少し敬意をこめた言い方。〇おこす=よこす。〇さて=そうして。〇やがて=そのままずっと。〇つひに=とうとう。〇天の逆手=普通とは逆に柏手を打つこと。人をのろう呪術の一。〇むくつけし=気味がわるい。〇のろひごと=呪いの言葉。〇負ふ=身に受ける。相手の身にふりかかる。〇今こそは見め=今に見ていろ。【訳】むかし、男がいた。ある女に対し何やかやと言い寄ること長い年月になった。女も石や木のよような感情のないものではないので、気の毒だと思ったのだろうか、だんだんと情が移って愛しいと思うようになった。そのころ、陰暦の六月十五日ごろのことだったので、女は、体におできが一つ二つできてしまった。女が男に手紙で言って寄越したことには、「今は体調が悪く何も考えられません。体に、おできも一つ二つできています。時期も非常にお暑うございます。すこし秋風が吹き始めるような時分に、きっとお逢しましょう」と、書いてあった。秋の到来を待つころに、あちこちから、「あの女性はあの男のところへ行くつもりだそうだ」と言って、不満の声が起こった。そういうわけで、女の兄が、急に迎えにやって来た。それで、この女は、カエデの初紅葉を召使に拾ってこさせて、歌を詠んで、書きつけて寄越した。秋を目指して逢いましょうと言って約束しながらも、約束どおりではないのに、木の葉が散りしいて浅くなった入江のように、言の葉もむなしく散って約束も守れない浅いご縁でございましたねえ。と書き置きして、「あのかたから使者を寄越したら、これを渡せ」と言って、行ってしまった。そうして、そのまま時が過ぎてのち、とうとう今日まで知らずにいた。よかったのだろうか、悪かったのだろうか。立ち去った先もわからない。例の男は、天の逆手を打って、女をのろっているということだ。気味が悪いことよ。人の呪いの言葉は、実際に身に災厄が降りかかるものだろうか、降りかからないものだろうか。「今に見ていろ」と男は言っているそうだ。
May 7, 2017
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【本文】水の尾の帝の御時、左代弁のむすめ、弁の宮すん所とていますかりけるを、帝御ぐしおろしたまうて後にひとりいますかりけるを、在中将しのびてかよひけり。【訳】水の尾天皇の御治世に、左代弁のむすめで、弁の御息所という方がいらっしゃったが、天皇が出家なさってのちに、ひとり身でいらっしゃったのに対し、在原中将が人目を避けてかよっていたとさ。【注】「水の尾の帝」=清和天皇。三十八段に既出。「左代弁」=太政官に属する「弁」の長官。中務省・式部省・治部省・民部省の公文書を担当する。従四位下相当官。「みやすむどころ」=天皇の寵愛を受け、御寝所に使える女御・更衣などの女官。皇子・皇女を生んだ女御・更衣をさすことが多い。「みぐしおろす」=貴人が剃髪して仏門に入る。『伊勢物語』八十五段等にも見える。「いますかり」=おいでになる。いらっしゃる。「あり」「をり」の尊敬語。「かよふ」=男が同居していない妻・愛人の家に泊まりに行く。【本文】中将病いと重くしてわづらひける、もとの妻どももあり、これはいとしのびてあることなれば、え行きも訪ひ給はず、しのびしのびになむとぶらひけること日々にありけり。【訳】中将が病にかかり症状がとても重かったが、もとの妻などもいたので、弁の御息所と中将の仲はひた隠しに内密にしていたことなので、公然と行ってお見舞いになるわけにもいかず、こっそり人目を避けてのお見舞いが日々行われた。【注】「もとの妻」=前から婚姻状態にある夫人。【本文】さるにとはぬ日なむありける。病もいと重りて、その日になりにけり。【訳】けれども、お見舞いにならない日があった。病状も重体化している状況で、その日を迎えたのだった。【注】「さるに」=それなのに。そうであるのに。しかるに。【本文】中将のもとより、つれづれといとど心のわびしきに今日はとはずてくらしてむとやとておこせたり。【訳】中将のところから、やるせなく病床にふせってますますせつないのに、あなたは今日は見舞いに行かずに過ごしてしまおうとお考えですかと手紙に歌を書いてよこした。【注】「つれづれと」=しんみりともの思いにふけって。「わびし」=せつない。つらい。やるせない。「おこす」=言ってよこす。書いてよこす。【本文】弱くなりにたりとていといたく泣きさわぎて、かへりことなどもせむとする程に死にけりと聞きて、いといみじかりけり。【訳】あの人もずいぶん気弱になってしまったというので、とてもひどく泣き騒いで、返事の歌なども作って贈ろうと思っているうちに、「中将が死んでしまった。」と聞いて、とてもひどく悲しんだ。【本文】死なむとすること今々となりてよみたりける、つひにゆくみちとはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしをとよみてなむ絶えはてにける。【訳】死ぬということがいよいよというときになって作った歌、人間だれもが最終的には行く死出の旅路だとは聞いていたが、きのう今日といったこんな近い日にやってくるとは思わなかったのになあ。と作って息絶えて死んでしまった。【注】この話は『伊勢物語』百二十五段に見える。「今々」=たった今。まさに今というとき。「つひにゆくみち」=死の世界へ行く道。
August 15, 2016
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【本文】中興の近江の介がむすめ、物のけにわづらひて、上ざうだいとくを験者にしけるほどに、人とかくいひけり。【注】・中興の近江の介=右大弁平季長の子、平中興。平安中期の人。近江の国の国府の次官を務めた。(生年不祥……930年没)。・上ざうだいとく=浄蔵大徳。諌議太夫殿中監、三善清行(きよつら)の子。比叡山で密教を学び、不動明王の眷族である護法童子を自在にあやつったり、死の直後の父を祈祷で蘇生させたり、平将門の乱を調伏したりして、霊験あらたかだったという伝説が残っている。・験者=祈祷師。【訳】近江の介、中興の娘が、モノノケに苦しんで、浄蔵大徳を験者にしとところ、人々があれこれとうわさしたとさ。【本文】猶しもはたあらざりけり。しのびてあり経て、人の物いひなどもうたてあり、なほ世に経じとおもひ言ひて失せにけり。鞍馬といふところにこもりていみじう行ひをり。【注】・鞍馬=京都市左京区。毘沙門天を本尊として祭る天台宗の鞍馬寺があり、修験道の霊地としても知られる。【訳】やはり、また、二人の関係は普通ではなかった。人目をしのんだまま関係を続けて、人のうわさなども、不快であった。やはり、俗世間では過ごすまいと考えを告げて姿を消してしまったとさ。それから浄蔵大徳は鞍馬というところにこもって修行していたとさ。【本文】さすがにいとこひしうおぼえけり。京を思ひやりつつ、よろづのこといとあはれにおぼえて行ひけり。なくなくうちふして、かたはらをみければ文なむみえける。なぞの文ぞとおもひてとりてみれば、このわが思ふ人の文なり。書けることは、すみぞめのくらまのやまにいる人はたどるたどるもかへり来(き)ななむと書けり。【訳】それでもやはり、中興の娘のことが恋しく思われたとさ。京にいる娘のことを想像しながら、さまざまなことを非常にしみじみと感じながら修行していたとさ。泣く泣く臥して、わきを見ると、手紙が目にはいった。なんの手紙だろうと思って、手にとって見てみたところ、この、いつも自分が思っている娘の手紙であった。その手紙に書いてあったことは、墨染めのように暗い鞍馬の山に入っていった人は、足元も暗くてよく見えないでしょうが、それでも入っていった道をたどって引き返しながら京の私の所へやって来てほしい。と書いてあったとさ。【本文】いとあやしく誰してをこせつらんとおもひをり。もて来(く)べきたよりもおぼえず、いとあやしかりければ、またひとりまどひ来にけり。かくて又山にいりにけり。さてをこせたりける。からくして おもひわするる 恋しさを うたてなきつる 鴬の声【訳】非常に不思議で、中興の娘は誰を使いにして手紙をよこしたのだろうか、と浄蔵は考えていた。こんな山奥に持ってくることができる手段も考えつかず、非常に不思議だったので、再び独りで心を乱して京に来てしまったとさ。こうして、また山に入ってしまったとさ。そうして、中興の娘の所に手紙をよこしたとさ。やっとのことで、忘れた恋しい思いを、いやなことに、また鳴いて恋しさを思い出させるウグイスの声だよ。【本文】かへし、さても君 わすれけりかし 鴬の なく折のみや おもひいづべきとなむいへりける。【訳】それに対する娘の返歌、それにしてもあなたは、忘れてしまっていたのですねえ、ウグイスが鳴く時にだけ、思い出すものでしょうか。【本文】又、上ざうだいとく、わがために つらき人をば おきながら 何の罪なき 世をやうらみむともいひけり。この女はになくかしづきて、皇子達上達部よばひたまへど、帝にたてまつらむとてあはせざりけれど、このこといできにければ親も見ずなりにけり。【注】・「おき」(沖)に対して「うら」(浦)は縁語。【訳】再び浄蔵大徳が、わたくしにとって、冷たい人を、海の沖のように遠くはなれた京に置きながら、沖から浦を見るように、どうして罪のない世間を恨んだりできましょうか。とも作って贈ったとさ。この女は、親がこのうえなく大事に養育して、皇子や上達部たちが求婚なさったが、天皇に妃として差し上げようと親が考えて、結婚させなかったけれども、この浄蔵大徳との一件が起きてから、親も面倒を見なくなってしまったとさ。
February 16, 2011
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【本文】堤の中納言(藤原兼輔)内裏の御つかひにて、大内山に院の帝おはしますにまいりたまへり。【注】・大内山=京都市右京区嵯峨にある。・院の帝=宇多天皇。大内山に離宮があったことは、『今昔物語集』巻二十四・第三十一話に「亭子院の法師に成らせ給ひて大内山といふ所に深く入りて行はせ給ひければ」と見える。【訳】堤の中納言(藤原兼輔)様が、内裏の御使者として、大内山に院の帝がいらっしゃるところに参上なさった。【本文】物心ぼそげにておはします、いとあはれなり。【訳】院の帝がなんとなく心細げなご様子でいらっしゃいますのが、とてもお気の毒です。【本文】たかき所なれば雲は下よりいとおほくたちのぼるやうにみえければ、かくなむ、しらくもの九重にたつみねなれば大内山といふにぞありける【注】・九重=ここのえ。・大内山=山の名と、皇居をさす「大内裏」を言い掛けた。【訳】院の帝のいらっしゃるところは、山の高い所なので、雲は下から非常にたくさん立ちのぼるように見えたので、このように歌を作った白雲が九重にも立つ高い山の峰なのでオオウチヤマというのだなあ。
November 12, 2010
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第九十二段【本文】 むかし、恋しさに来つつ帰れど、女に消息をだにえせでよめる、 蘆辺こぐ 棚なし小舟 いくそたび 行きかへるらむ 知る人もなみ【注】〇消息=手紙を書くこと。〇えせで=できずに。〇蘆辺=葦の生えている水辺。〇棚なし小舟=左右の船べりの内側につける棚板(一説に舟の舷側に取り付けて波を防ぐ横板)のない小さな舟。〇いくそたび=何度も。〇行きかへる=行って帰る。往復する。【訳】むかし、恋しさに女の家の門までやって来ては帰って行ったが、女に手紙をさえ渡すことができずに作った歌、 蘆の生える水辺をこいでゆく船棚のない小さな舟のように何度往復するのだろう、気づく人がいないので。
May 20, 2017
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【本文】昔、ならの帝につかうまつる采女ありけり。顏容貌いみじうきよらにて、人々よばひ、殿上人などもよばひけれど、あはざりけり。【注】・ならの帝=奈良に都があったころの天皇。文武天皇のこととも聖武天皇のこととも平城天皇のことともいう。・采女=地方の豪族の子女で、後宮にはいって天皇の食事の世話をする女官。・よばぶ=言い寄る。求婚する。【訳】むかし、奈良時代の天皇にお仕えするウネメがいたとさ。顔立ちが非常に上品で美しく、男たちが求婚し、テンジョウビトなども求婚したが、結婚しなかったとさ。【本文】そのあはぬ心は、帝をかぎりなくめでたき物になむ思たてまつりける。【訳】その、結婚しなかった真意は、ミカドのことを、このうえなくすばらしいおかただと、お思いもうしあげていたからだったとさ。【本文】帝召してけり。さて後又も召さざりければ、かぎりなく心憂しとおもひけり。夜昼心にかかりておぼえ給つつ、恋しくわびしうおぼえ給ひけり。【訳】あるときミカドがお召しになったんだとさ。そうして、そののちは二度とお召しにならなかったので、ウネメはこのうえなくつらいと思っていたとさ。夜も昼も、ミカドのことが気にかかっておいでで、恋しくもつらくも感じていらっしゃったとさ。【本文】帝はめししかど、ことともおぼさず。さすがにつねにはみえたてまつる。なほ世に経まじき心ちしければ、夜みそかに猿沢の池に身を投げてけり。【注】・猿沢の池=奈良市にある池の名。【訳】ミカドは一度は彼女をお召しになったが、とくに何ともお思いにならなかった。そうはいっても、職務上、ふだん姿をお見せもうしあげていたとさ。そうはいうものの、彼女は「もうこのまま生きているわけにはいかない」という気がしたので、夜分こっそり宮中を抜け出して、猿沢の池に身を投げてしまったとさ。【本文】かく投げつとも帝はえしろしめさざりけるを、ことのついでありて人の奏しければ、きこしめしてけり。いといたうあはれがり給て、池のほとりにおほみゆきしたまひて、人々に歌よませ給ふ。【注】・しろしめす=お知りになる。・奏す=天皇に申し上げる。【訳】こんなふうに彼女が身投げしたともミカドはご存知なかったが、なにかの機会に、ある人がお知らせしたので、ミカドがお聞き及びになった。ミカドは非常に気の毒がりなさって、池のほとりにお出かけになって、人々に哀悼の歌をおつくらせになったとさ。【本文】柿本の人麿、わぎもこの ねくたれ髪を 猿沢の 池の玉藻と みるぞかなしきとよめる時に、帝、猿沢の 池もつらしな 吾妹子が たまもかづかば 水ぞひなましとよみたまひけり。さてこの池には、墓せさせ給てなむ帰らせおはしましけるとなむ。【訳】柿本人麻呂が作った歌、わが最愛の人の 寝乱れた髪を 猿沢の 池に生える美しい藻かと 思って見るのが悲しい。と作ったときに、ミカドがお作りになった歌猿沢の 池も冷酷だなあ わが最愛の人が 美しい藻をかづくように もしも頭から飛び込んだなら水が干上がればよかったのに。そうすれば彼女は溺死せずにすんだであろうに。とお作りになったとさ。そうして、この池のほとりに、彼女の墓地をお造らせになって宮中にお帰りになったとさ。
May 13, 2012
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【本文】大井に季縄(すゑただ)の少将すみけるころ、帝の宣(のたま)ひける、「花おもしろくなりなば、かならず御らむぜん」とありけるを、おぼし忘れて、おはしまさざりけり。されば、少将、ちりぬれば くやしきものを 大井川 岸の山吹 けふさかりなりとありければ、いたうあはれがりたまうて、いそぎおはしましてなむ御らんじける。【注】・大井=いまの京都市右京区の地名。・季縄少将=左中弁藤原千乗の子、藤原季縄。官は従五位上、右近衛の少将に至った。(生年不祥……919年)。・帝=ここでは醍醐天皇。・宣ふ=「言ふ」の尊敬語。・大井川=京都府嵐山付近を流れる桂川上流の名称。【訳】大井に藤原季縄少将が住んでいた時分、醍醐天皇がおっしゃったことに「花が、もし見頃になったら、きっと見に行こう」とおっしゃっていたのに、ご記憶をお忘れになって、大井にいらっしゃらなかったとさ。それで、少将が、もしも天皇がご覧あそばされないうちに散ってしまうと残念だなあ、大井川の岸の山吹が今日まっさかりだ。と歌を作って天皇にお贈りしたところ、たいへん称賛なさって、さっそく準備されて大井に出向かれてご覧になったとさ。
February 12, 2011
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第百十五段【本文】むかし、陸奥にて、男、女、住みけり。男、「都へいなむ」と言ふ。この女、いとかなしうて、馬のはなむけをだにせむとて、おきのゐて、都島といふ所にて、酒飲ませてよめる。おきのゐて 身をやくよりも かなしきは 都島辺の 別れなりけり【注】〇陸奥(みちのくに)=今の青森・岩手・宮城・福島の諸県と秋田県の一部にあたる。奥州。〇かなしう=「かなしく」のウ音便。〇馬のはなむけ=旅立つ人を祝福し、無事を祈って行う送別の宴。〇だに=副助詞。せめて~だけでも。〇おきのゐて=『講談社古語辞典』に「語義不明。本文の前後関係から、『沖の井手』の字をあてて地名とする説がある。『―、都鳥(島の誤植?)といふ所』<伊勢一一五>」。『岩波古語辞典』に「〘連語〙未詳。オキノヰは地名であるともいう。『―身を焼くよりもかなしきは都島べの別れなりけり』<古今一一〇四>」。地名に「熾(赤く起こった炭火)が体に触れて」という意を掛ける。【訳】むかし、陸奥で、男と女が、いっしょに暮していた。男が、「都へいってしまおう」と言った。この女は、とても切なくて、せめて送別の宴だけでも開こうと思って、都島という所で、酒を飲ませた。おきのゐて、都島といふ所にて、酒飲ませてその際に作った歌。オキノイテという地名の通り熾火が体に触れて身を焼くよりも切ないのは都島辺の別れだなあ。
April 23, 2017
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第百十二段【本文】 むかし、男、ねむごろに言ひ契りける女の、ことざまになりにければ、須磨の海人の 潮焼く煙風をいたみ、思わぬ方にたなびきにけり 【注】〇ねむごろに=心をこめて。〇言ひ契る=口に出して将来を誓う。〇ことざまになる=変わったようすになる。自分のことを愛していたのに、心変わりする。〇須磨=兵庫県神戸市の西南、須磨区の海岸。白砂青松、月の名所として知られる。〇塩焼く煙=海藻に潮水を注いだのち、焼いて水に溶かし、その上澄みを釡で煮詰めて製塩するが、その海藻を焼くときに出る煙。〇風をいたみ=風が激しいので。「風」は、恋の妨害。恋敵のさそい。『詞花和歌集』二一一番「風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけてものを思ふころかな」。〇思はぬ方=それまでは愛していなかった人。自分以外の相手。〇たなびく=横に長く引く。女(煙)が恋敵のほうへ心を寄せる見立て。【訳】むかし、男が、心をこめて言葉にだして将来を誓った女が、ほかの男に心を移してしまったので、作った歌。須磨の海岸で海人が潮を焼いているが、そのときに出る煙が風の激しいために、思ってもみない方向にたなびいてしまったなあ。私の愛した女性も、ほかの男からの誘いが激しいために、そちらへ気持ちが移ってしまったことよ。
April 23, 2017
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第百七段【本文】むかし、あてなる男ありけり。その男のもとなりける人を、内記にありける藤原の敏行といふ人よばひけり。されど、若ければ、文もをさをさしからず、ことばも言ひ知らず、いはむや歌はよまざりければ、かのあるじなる人、案を書きて、書かせてやりけり。めでまどひにけり。さて、男のよめる。つれづれの ながめにまさる 涙河 袖のみひちて あふよしもなし返し、例の男、女にかはりて、浅みこそ 袖はひつらめ 涙河 身さへ流ると 聞かば頼まむと言へりければ、男いといたうめでて、今まで巻きて文箱に入れてありとなむいふなる。男、文おこせたり。得てのちのことなりけり。「雨の降りぬべきになむ、見わづらひはべる。身さいはひあらば、この雨は降らじ」と言へりければ、例の男、女にかはりてよみてやらす。数々に 思ひ思はず 問ひがたみ 身を知る雨は 降りぞまされるとよみてやれりければ、蓑も笠も取りあへで、しとどに濡れてまどひ来にけり。【注】〇あてなり=身分が高貴だ。〇内記=ナイキもしくはウチノシルスツカサ。中務省に属し、詔勅、宣命を作り、叙位の辞令を書く役。大内記(正六位上)、少内記(正七位上)、各々二人。儒者を任ずる。〇藤原の敏行=藤原富士麿の子。母は紀名虎の娘で、紀有常の妹にあたり歌人として知られている。貞観九年(八六七)に少内記、十二年に大内記となった。『古今和歌集』に十九首の歌が採られており、書家としてもすぐれていた。ちなみに有常の娘の一人が在原業平の妻。〇よばふ=女性に言い寄る。求婚する。『伊勢物語』六段「女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを」。〇をさをさし=大人びてしっかりしている。〇ことば=物言い。〇いはむや=まして。いうまでもなく。〇案=手紙に書く下書き。〇めでまどふ=大騒ぎして喜ぶ。『竹取物語』「あてなるも、いやしきも、音に聞きめでてまどふ」。〇ながめ=物思いにふけりぼんやりと外を見やる。「長雨」を掛ける。〇涙河=涙が多く流れるのを川にたとえた語。〇ひつ=水につかる。〇巻く=丸める。〇文箱=手紙を入れてやりとりする箱。〇見わづらふ=見て困る。思案にくれて見る。〇さいはひ=幸運。〇身を知る雨=わが身が愛されていないことを知って流す涙の雨。〇しとどに=びっしょり。〇まどひ来=あわててやってくる。【訳】むかし、身分が高い男がいた。その男のところにいた女性に対し、内記だった藤原敏行という人が言い寄った。しかし、若いので、恋文も未熟で、物の言いかたもよく知らず、ましてや歌は作り慣れていなかったので、女の雇い主である人が、手紙の下書きを書いて、女に清書させて送った。男は大騒ぎして喜んだ。そうして、男は次のような歌を作った。降り続く長雨に川の水量がまさるだろうが、あなたを思ってぼんやりと物思いに沈んでいると恋しさに涙が川のように流れる。そのため着物の袖ばかりがびっしょり濡れてあなたに逢う手立てもないのがつらい。その歌に対する女の返事の歌を、いつものように、主人が、女に代わって作った歌。あなたのおっしゃる涙河というのは、浅瀬ばかりなのでしょう。わたしへの思いが浅いから袖がびっしょり濡れる程度で済むのでしょう。思いが深くて涙の河に身さえ流れてしまうとお聞きしたら、あなたを頼りに思いますのに。と言ってやったところ、男がとてもひどく感動して、今まで巻きおさめて手紙箱に大事にしまってあるということだ。その後、男が手紙をよこした。それは男が女を手に入れてのちのことだった。「雨が今にも降りそうなので、空模様を見てお訪ねしようかやめようか迷っています。私の身に幸運があるなら、雨は降らないだろう。そうしたらお訪ねしよう。」と言ってきたので、いつものように、男が、女に代わって歌を作って届けさせた。愛しているのか愛していないのか様々に質問を重ねるわけにもいかないので、その程度にしか思われていないのだと知った辛さで流す涙の雨がどんどん降ることです。と作って送ったところ、蓑も笠も手にとるまもなく、びっしょり濡れて慌ててやってきた。
April 29, 2017
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【本文】十一日。あかつきにふねをいだして、むろつをおふ。【訳】十一日。夜明け前に出航して室津を目指す。【本文】ひとみなまだねたれば、うみのありやうもみえず。【注】●ねたれば 「たれ」は、完了の助動詞「たり」の已然形で、文法的な意味は存続。已然形に「ば」がついて、ここでは、理由をあらわしている。【訳】はかの人は未だ寝ているので、海のありさまも見えない。【本文】ただ、つきをみてぞ、にしひんがしをばしりける。【注】●ぞ…ける いわゆる係り結びによる強調表現。「ける」は、過去の助動詞「けり」の連体形。【訳】ただ、月を見て、どちらが西でどちらが東かを知った。【本文】かかるあひだに、みなよあけて、てあらひ、れいのことどもして、ひるになりぬ。【訳】こうしているうちに、みんなが夜が明けてから手を洗い、身なりを整えたり食事をしたりといったいつもやることをして、昼になった。【本文】いまし、はねといふところにきぬ。わかきわらは、このところのなをききて、「はねといふところは、とりのはねのやうにやある」といふ。まだをさなきわらはのことなれば、ひとびとわらふときに、ありけるをんなわらはなん、このうたをよめる。 まことにて なにきくところ はねならば とぶがごくに みやこへもがなとぞいへる。【訳】今ちょうど、羽根という土地にやってきた。幼い子供が、この土地の名を聞いて、「羽根という土地は、鳥の羽のような地形なの」と言った。まだ幼い子供の言葉なので、ひとびとがほほえましく笑ったときに、その場にいた女の子が、この歌をよんだ。 もし、ほんとうに名前に聞くとおりこの土地が羽根ならば、その名のとおり羽で飛ぶように早く都へ帰りたい と言った。【本文】をとこもをんなも、「いかでとく京へもがな」とおもふこころあれば、このうたよしとにはあらねど、「げに」とおもひて、ひとびとわすれず。【訳】男も女も、「なんとかして早く京へ帰りたい」と思う気持ちがあるから、この歌が特にすばらしいというわけではないけれども、「本当にその通りだ」と思って、人々は記憶に留めた。【本文】このはねといふところとふわらはのついでにぞ、またむかしへびとをおもひいでて、いづれのときにかわするる。けふはまして、ははのかなしがらるることは。【訳】この羽根という土地を「鳥の羽みたいな地形なの?」と質問した子供のついでに、また、むかし生きていた子供を思い出してしまい、いったいいつになったら、忘れることができるのだろうか。今日はいっそう子を亡くした母が悲しがられることよ。【本文】くだりしときのひとのかず、たらねば、ふるうたに「かずはたらでぞかへるべらなる」といふことをおもひいでて、ひとのよめる。 よのなかに おもひやれどもこをこふる おもひにまさる おもひなきかなといひつつなん。【訳】京から土佐へ下った時の人の数が足らないので、古歌に「数は足らないで帰るようだよ」というふうにあったのを思い出して、船の人が詠んだ歌。 よのなかに あれこれ考えめぐらしてみるけれども 子供を恋しがる 親の思いにまさる思いは無いことだなあと口ずさみながら旅をした。
April 19, 2009
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第百二十一段【本文】むかし、男、梅壷より雨に濡れて人のまかりいづるを見て、 うぐひすの 花を縫ふてふ 笠もがな 濡るめる人に 着せてかへさむ返し、 うぐひすの 花を縫ふてふ 笠はいな 思ひをつけよ ほしてかへさむ【注】〇梅壷=内裏の後宮の建物の一。凝花舎の別名。女御・更衣など后妃の増加に伴い、嵯峨天皇の代に作られたとされる。壷(中庭)に梅が植えてあることからの名。〇まかりいづ=貴人のいる所から退出する。〇うぐひす=ヒタキ科の小鳥。背は緑褐色。早春に美しい声で鳴き始めるので「春告げ鳥」ともいう。梅の花とともに春を告げる景物として古くから愛され、歌にもよく詠まれた。『万葉集』八二四番「梅の花散らまく惜しみわが園の竹の林にうぐひす鳴くも」。〇うめのはながさ=梅の花を笠に見立てた語。『古今和歌集』神あそびの歌「うぐひすの縫ふてふ笠は梅の花笠」。〇もがな=~があればなあ。願望の意を表す。上代の「もがも」に代わって中古(平安時代)以後に用いられた。〇めり=目に見える事実について推量すり意を表す。~のように見える。小西甚一氏『土佐日記評解』(有精堂)によれば「めり」の用例は『土佐日記』中では「置かれぬめり」の一例だけであり、『竹取物語』や『伊勢物語』にも稀にしか見えない。これが『落窪物語』あたりから急に多くなる、という。〇思ひ=愛情。「ひ」に「火」を言い掛けてある。【訳】むかし、男が、梅壷から雨に濡れて人が退出するのを見て、「うぐいすが梅の花を縫って作るという笠があればいいのになあ。それがあれば雨に濡れているように見える人に着せて帰らせるのに」。この歌を贈られた人の返事の歌、「うぐいすが花を縫って作るという笠は不要です。それよりも私に思いの火をつけて愛してください。そうすればその火で濡れた着物を乾かして、その「思ひ」の「ひ」をお返ししましょう。お返しにあなたのことを愛しましょう」。
April 22, 2017
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第九十五段【本文】 むかし、二条の后に仕うまつる男ありけり。女の仕うまつるを、常に見かはして、よばひわたりけり。「いかでものごしに対面して、おぼつかなく思ひつめたること、すこしはるかさむ」と言ひければ、女、いと忍びて、ものごしにあひにけり。物語などして、男、彦星に 恋はまさりぬ 天の河 へだつる関を 今はやめてよこの歌にめでてあひにけり。【注】〇二条の后=清和天皇の女御、藤原高子の称。陽成天皇の母后。二条に住んだことからいう。〇仕うまつる=お仕えする。「つかふ」の謙譲語「つかへまつる」のウ音便。〇見かはす=互いに見て相手を認識する。〇よばひわたる=恋人のもとに通い続ける。『伊勢物語』六段「女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを」。〇いかで=なんとかして。どうにかして。〇ものごし=屏風・衝立などで、あいだを隔てること。〇対面=顔を合わせること。会って話をすること。〇おぼつかなし=気がかりだ。心配だ。〇はるかす=晴らす。〇忍ぶ=こっそりとする。隠れてする。〇物語す=話をする。〇彦星=男の星の意。年に一度、七月七日の夜、天の河を渡って、織女星と会うという伝説がある。牽牛星。アルタイル。〇関=さえぎってとめるもの。ここでは、男と女のあいだにある衝立・屏風をさす。〇めづ=心ひかれる。感心する。ほめる。〇あふ=男女が会う。契る。結婚する。【訳】むかし、二条の后藤原高子様にお仕えする男がいた。女で同じく彼女にお仕えしていた女に対し、ふだん互いに顔を見知っていて、求婚しつづけていた。「なんとかして衝立を隔ててでも二人きりで会って、気がかりで募らせた思いを、すこしでも晴らそう」と言ったところ、女も、非常に用心深く人目を避けて、衝立越しに対面した。話などして、男が、次のような歌を作った。年に一度しか恋人に会えないという彦星にも私のあなたに対する恋心はまさっています。この 天の河のように二人のあいだを隔てている衝立を、今は取り除いてくださいよ。女は、この歌に感心して、衝立を取り去って男と契りを結んだとさ。
May 20, 2017
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【本文】平中、にくからずおもふ若き女を、妻のもとに率てきて置きたりけり。【注】・平中=平定文(貞文とも書く)。桓武天皇の皇子仲野親王の曾孫。宇多・醍醐天皇に仕え、官は左兵衛佐に至った。和歌に長じ、容貌すぐれ、好色の浮き名を流した。・にくからず=相手を愛しいと思う。感じがよい。【訳】平中が、いとしいと思う若い女性を、妻の家に連れて行って住ませていたとさ。【本文】にくげなることどもをいひて、妻つゐにをいいだしけり。この妻にしたがふにやありけむ、らうたしとおもひながらえとゞめず。【訳】憎らしいようなことをあれこれ言って、妻はとうとう若い女を追い出したとさ。平中は、この妻に頭があがらなかったのだろうか、若い女を可愛いと思いながらも、妻が追い出すのを引き留められなかった。【本文】いちはやくいひければ、近くだにえよらで、四尺の屏風によりかかりて立てりていひける。「世中のかくおもひのほかにあること、世界にものしたまふとも、忘れで消息したまへ。己もさなむおもふ」といひけり。この女、つつみにものなど包みて、車とりにやりて待つほどなり。いとあはれと思ひけり。【訳】妻が早く追い出すように激しく言ったので、若い女に近寄りさえせずに、四尺の屏風によりかかって立ち物越しに次のように言ったとさ。「世の中がままならずこんな意外な展開になってしまったが、ここを出て余所でお暮らしになっても、私を忘れずに連絡を下さい。わたしも、連絡するつもりです」と言ったとさ。それは、この若い女が、つつみに身の周りの引っ越し荷物などを包んで、召使いに車をとりに行かせて車の到着を待っている間のできごとだったとさ。【本文】さて女いにけり。とばかりありてをこせたりける、わすらるなわすれやしぬるはるがすみ今朝たちながら契りつること【注】・「たち」=「霞が立ち」と「屏風によりかかりて立ち」を言い掛けた。【訳】そうして、女が出ていってしまったとさ。それからしばらくして、若い女が平中のもとへ寄越した歌、「決してお忘れになりませんように……。それとも、薄情なあなたは、もう、忘れてしまったでしょうか、春霞が今朝立っていたように、屏風によりかかって立ったまま今朝あなたが私に約束したことを」。
December 21, 2010
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【本文】かくて世にも労ある物におぼえ、つかうまつる帝かぎりなくおぼされてあるほどに、この帝うせ給ひぬ。【訳】こうして、世間でも気の利いた男だと評判し、お仕え申し上げる帝もこの少将をこのうえなく目をおかけになっていたところが、この帝がお亡くなりになってしまったとさ。【本文】御葬の夜、御供にみな人つかうまつりける中に、その夜よりこの良少將うせにけり。ともだち・妻も「いかならむ」とて、しばしはこゝかしこ求むれども、音耳にもきこえず。【訳】ご葬儀の夜、おともに皆ご参列もうしていた中で、その夜から、この良岑少将が姿を消してしまったとさ。友人や妻も「どうしたのだろう」といって、行方不明になってからしばらくは、あちらこちら探したが、うわさも耳にはいらなかった。【本文】「法師にやなりにけむ、身をや投げてけむ。法師になりたらば、さてあるともきこえなむ、身をなげたるなるべし」とおもふに、世中にもいみじうあはれがり、妻子どもはさらにもいはず、夜晝精進潔齋して、世間の仏神に願をたてまどへど音にもきこえず。【訳】「法師になってしまったのだろうか?投身自殺してしまったのだろうか?もし法師になっているのなら、たぶん、そうしているとうわさが耳にはいるだろう。うわさがきこえてこないのは、きっと投身自殺してしまったのにちがいない」と思うので、世間の人々も大変気の毒がり、妻子たちは言うまでもなく昼夜精進潔斎して、あらゆる神仏に「どうか少将が生きておりますように。生きているなら所在がわかりますように」と願を掛けなさったが、うわさにも聞こえてこない。【本文】妻は三人なむありけるを、「よろしくおもひけるには、なを世に經じとなむ思」と二人にはいひけり。【訳】少将には妻が三人いたが、「つくづく考えたことには、やはりこのまま俗世間にはいるまいと思う」と、二人の妻には告げたとさ。【本文】かぎりなく思て子どもなどある妻には、塵ばかりもさるけしきもみせざりけり。このことをかけてもいはば、女もいみじとおもふべし、我もえかくなるまじき心ちしければ、よりだに來で、にはかになむ失せにける。【訳】このうえなく愛して、子供などももうけていた妻に対しては、ちっともそんなそぶりも見せなかったとさ。この本心を、もし少しでも口にしたら、女もとても辛く悲しいと思うにちがいない。自分も出家する心が揺らいでしまう気がしたので、子のいる妻の所には近寄りもしないで、突然姿を消してしまったのだとさ。【本文】ともかくもなれ、「かくなむおもふ」ともいはざりけることのいみじきことを思ひつゝ泣きいられて、初瀬の御寺にこの妻まうでにけり。【訳】夫がどうなるにせよ、この妻は少将が「こんなふうに考えている」とも自分に告げてくれなかったことが、とても悲しくつらいことだと思いながら、自然と泣かずにいられない状態におなりになって、長谷寺にこの妻が参詣したとさ。【本文】この少將は法師になりて、蓑ひとつをうちきて、世間世界を行ひありきて、初瀬の御寺に行ふほどになむありける。【訳】この少将は、法師になって、蓑ひとつを身につけ、日本中を修行して歩き回って、ちょうど長谷寺で修行している時分であった。【本文】ある局ちかう居て行へば、この女、導師にいふやう、「この人かくなりにたるを、生きて世にある物ならば、今一度あひみせたまへ。身をなげ死にたる物ならば、その道成し給へ。さてなむ死にたるとも、この人のあらむやうを夢にてもうつゝにても聞き見せたまへ」といひて、わが裝束、上下・帶・太刀までみな誦經しにけり。身づからも申しもやらず泣きけり。【訳】本堂の、衝立で仕切られた、とある一角に近いところで少将が修行していたところ、この女が、導師にむかって言うことには、「この人(夫)がこんなふう(行方不明)になっているが、もし生きてこの世にいるものなら、もう一度お引き合わせください。もし投身自殺したものなら、成仏させてください。そうして、たとえ死んでいるとしても、この人が現在あの世でどうしているか、その様子を、夢の中ででも現実にでも聞かせたり見せたりしてください。」といって、自分(少将)の装束・上下・帯・太刀にいたるまで、全部供えて導師に経文を唱えさせていた。そうして自身(妻)も経文を唱えることもうまできないほど泣いたとさ。【本文】はじめは何人の詣でたるならむと聞きゐたるに、わが上をかく申つゝ、わが裝束などをかく誦經にするをみるに、心も肝もなく悲しきこと物に似ず。【訳】はじめのうちは、どんなひとが参詣しているのだろうと、聞いていたところ、自分の身の上をこのように導師に申し上げながら、私の装束などをこんなふうに供えて経文を唱えるのを見ると、どうしようもなく悲しいことといったら、似る物もないほどだった。【本文】走りやいでなましと千度思けれど、おもひかへしかへし居て夜一夜なきあかしけり。【訳】いっそ、私はここにいるぞと妻の前に走って出てしまおうか、やめようかと何度も考えたが、考え直し考え直しして、とうとう一晩泣き明かしてしまったとさ。【本文】わが妻子どもの、なを申す聲どももきこゆ。いみじき心ちしけり。【訳】自分の妻子たちの、昨晩から引き続き経文を唱える声などが聞こえた。とてもつらい気がしたとさ。【本文】されど念じて泣きあかして朝にみれば、蓑も何も涙のかゝりたるところは、血の涙にてなむありける。「【訳】けれども、逢いたい気持をぐっと我慢して、泣き明かして翌朝に見てみたら、蓑も何もかも、涙がかかった所は、血の涙で赤く染まっていたとさ。【本文】いみじうなれば、血の涙といふものはあるものになんありける」とぞいひける。「その折なむ走りもいでぬべき心ちせし」とぞ後にいひける。【訳】大変な心痛だったので、血の涙というものは本当に存在するものだったのだなあ」と言ったとさ。「よっぽど、その折りに、妻子の前に走り出てしまいそうな気がした」と、少将がのちに語ったとさ。
February 6, 2011
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第百十七段【本文】 むかし、帝、住吉に行幸したまひけり。 われ見ても 久しくなりぬ 住吉の 岸の姫松 いく世経ぬらむ大御神、現形し給ひて、 むつましと 君はしらなみ みづがきの 久しき世より いはひそめてき【注】〇住吉=摂津の国の最南部、東成郡、今の大阪市住吉区を中心とする一帯。古くからの港があり、海上交通の要地。海浜景勝の地で松の名所。もと「すみのえ」といったが、漢字表記の「住吉」を「すみよし」と読むようになり、今に至る。この地に鎮座まします住吉神社の祭神は、古くから国家鎮護・航海安全・和歌の神・武神として信仰をあつめてきた。その本殿の特殊な建築様式は住吉造という。〇行幸=お出まし。天皇の外出を敬って言う語。〇姫松=ふつうは、小さく、若々しい松をいう。姫小松。ただし、それでは短歌の中身と矛盾するというので、「めまつ」の美称とする説もある。『古今和歌集』一一〇〇番「ちはやぶる賀茂の社の姫小松よろづ世経とも色は変はらじ」。〇世を経=御代を過ごす。〇大御神=神様。『万葉集』四二四五番「住吉のわが大御神船(ふな)の舳(へ)に鎮(うしは)き坐(いま)し」。〇現形=げんぎょう。神仏が姿を現わすこと。〇むつまし=親密である。〇しらなみ=「知ら無み」に住吉海岸の「白波」を言い掛ける。〇みづかきの=いつまでもみずみずしい神社の垣根。「久し」にかかる枕詞。〇いはふ=将来の幸福・安全がまもられるようにする。【訳】 むかし、帝が、住吉大社にお出ましになった。その時に帝に代わって作った歌。 わたしがこの前見たときからでももう長き年月がながれたこの住吉の海岸の小さく、若々しい松は、何世代めになったのだろうか。住吉の明神が、姿をお現わしになって、お作りになった返歌。わたしと天皇家とが親密だということをそなたは知らぬのだろうが、神社の垣根が築かれた創建当時から幸福・安全を守ってきたのだ。
April 23, 2017
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第百十六段【本文】 むかし、男、すずろに陸奥までまどひいにけり。京に、思ふ人に言ひやる。 浪間より 見ゆる小島の はまびさし 久しくなりぬ 君にあひ見で「なにごとも、みなよくなりにけり」となむ言ひやりける。【注】〇すずろに=特別の目的や理由もなしに、何かをしたり、ある状態になったりなったりすることをいう。〇陸奥=今の青森・岩手・宮城・福島の諸県と秋田県の一部にあたる。奥州。〇言ひやる=使者や手紙に託して言い送る。言ってやる。〇思ふ人=愛する人。または、気の合う友人。『伊勢物語』九段「京に思ふ人なきにしもあらず」。〇はまびさし=『例解古語辞典』(三省堂)によれば、『万葉集』の「浜久木(はまひさぎ)」を誤読してできた平安時代の語形という。「はまひさぎ」は、浜辺に生えるヒサギ(キササゲまたはアカメガシワのことという)。「ひさぎ」から同音の「久し」の序詞。『万葉集』二七五三番「波の間ゆ見ゆる小島のはまひさぎ久しくなりぬ君に逢はずして」。〇あひ見る=対面する。【訳】むかし、男が、なんとなく思い立って陸奥までうろうろとさまよい出かけていった。京の、愛する人のもとへ詠み送った歌。浪間から見える小島の浜べのヒサギではないが、久しくなったなあ、あなたに逢わないで。「何事も、万事うまくいきました」と手紙でいってやった。
April 23, 2017
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【本文】津の国の難波のわたりに家してすむ人ありけり。【訳】摂津の国のなにわの辺りに、家を構えて暮らす人がいたとさ。【本文】あひしりてとしごろありける、女も男も、いと下種(げす)にはあらざりけれど、年頃わたらひなどもいとわろくなりて、家もこぼれ、使ふ人なども得ある所にいきつつ、ただ二人すみわたるほどに、【訳】互いに慣れ親しんで長年過ごしてきた、この女も男も、あまり身分の低い者ではなかったけれども、数年来暮らし向きなども非常に悪くなって、家も破損し、使用人なども、財産のある所に行ってしまい、たった二人きりで住み続けていたが、【本文】さすがに下種にしあらねば、人に雇はれ使はれもせず、いとわびしかりけるままに、おもひわづらひて、二人いひけるやう、【訳】そうはいうものの、やはり、身分の低い者ではばいので、他人に雇われ使われもせず、非常に貧しい生活を送っていたので、思い悩んで、二人が言ったことには、【本文】「なほ、いとかうわびしうてはえあらじ」男は「かくはかなくてのみいますかめるをみすてては、いづちもいづちもいくまじ」女は「男をすててはいづちかいかむ」とのみいひわたりけるを、男、「をのれはとてもかくても経なむ。女のかく若きほどにかくてあるなむ、いといとほしき。京にのぼりて宮仕へをせよ。宜しきやうにもならば、われをもとぶらへ。おのれも人の如もならば、かならずたづねとぶらはむ」など泣く泣くいひちぎりて、たよりの人にいひつきて、女は京に來にけり。【訳】「やはり、とてもこんなふうに貧乏では生きて行けまい。」男は「こんなふうに空しくばかりいらっしゃるように見えるのを見捨てては、どこへも行くまい。」女は「男を捨ててはどこへいこうか。」とばかり言いつづけていたが、男が、「おまへはどのようにしてでも、きっと生きていけるだろう。女がこのように若い状態で、こんなふうに貧乏暮らしでいるのは、非常に気の毒だ。上京して貴人のお屋敷にお仕えしなさい。暮らし向きが良くなったら、私をもたずねてきなさい。自分も人並みの暮らしぶりになったら、必ずおまえの居所を探して訪問しよう。」などと、泣く泣く言って約束をして、縁者に頼んで、あとについて、女は京に来たのだった。【本文】さしはへ、いづこともなくてきたれば、このつきて来し人のもとに居て、いとあはれと思ひやりけり。まへに荻薄いとおほかる所になむありける。風など吹けるに、かの津の国をおもひやりて、「いかであらむ」など、悲しくてよみける、 ひとりして いかにせましと わびつれば そよとも前の 荻ぞこたふるとなむひとりごちける。【訳】目指すあても、どこと決まった場所もなくやってきたので、この自分があとについてきた縁者の元にいて、夫のいる摂津の国をとてもしみじみと思いやった。縁者の家は、前にオギやススキの非常に多い場所であった。風などが吹いたときには、例の摂津の国を思って、「夫はどうしているだろうか」などと、悲しんで作った歌、たった一人で、どうしようかしらと、心細く思ったところ、「それだよ、それをすればいいんだよ」と屋敷の前のオギが風にソヨソヨと音を立てて答えることだ。というふうに、一人ごとを言った。
August 29, 2011
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【本文】七日、けふは川尻に船入り立ちて漕ぎのぼるに、川の水ひて惱みわづらふ。船ののぼることいと難し。【訳】二月七日。今日は川尻に船が進入し漕ぎのぼったが、川の水量が減って行きなやんだ。船がさかのぼるのが非常に困難だった。【本文】かかる間に船君の病者もとよりこちごちしき人にて、かうやうの事更に知らざりけり。【訳】そうこうしている間に、船の御主人の病人は、もともと無骨な人なので、こんな事情を全く知らなかった。【本文】かかれども淡路のたうめの歌にめでて、みやこぼこりにもやあらむ、からくしてあやしき歌ひねり出せり。そのうたは、「きときては川のほりえの水をあさみ船も我が身もなづむけふかな」。これは病をすればよめるなるべし。【注】「きとき」は、遙々やって来る意の動詞「きとく」の連用形。【訳】こんな具合だったが、淡路の国の老女の歌に感心して、都自慢のつもりでもあろうか、やっとの思いでへんてこりんな歌を作り出した。その歌は、「ここまで遙々やってきたものの、川をさかのぼる人工の水路の水が浅いので、船も我が身も悩む今日だなあ。」これは、船酔いの病気をするから、こんなふうに詠んだのにちがいない。【本文】ひとうたにことの飽かねば今ひとつ、「とくと思ふ船なやますは我がために水のこころのあさきなりけり(るべしイ)」。この歌は、みやこ近くなりぬるよろこびに堪へずして言へるなるべし。【訳】一つだけの和歌では自分の気持ちを十分に表せなかったので、もう一つ詠んだ歌、「早くと都に着けばいいのになあと思う船を行きなやませるのは、私にたいする川の水の心が浅いのだなあ。」この歌は、きっと都が近くなった喜びを抑えきれずに表現したのであろう。【本文】淡路の御の歌におとれり。ねたき、いはざらましものをとくやしがるうちによるになりて寢にけり。【訳】淡路の老女の歌にくらべて劣っている。いまいましい、言わなければいいのに・・・と残念がるうちに、夜になって寝てしまった。
January 24, 2010
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【本文】野大弐、純友がさわぎの時、うての使にさされて、少将にてくだりける。【注】・野大弐=小野好古。大宰の大弐、小野葛絃(くずお)の子で、道風の兄。940年、藤原純友の乱のとき、山陽・南海の追捕使となり、純友を博多で破って捕らえた功により、山城守、大宰大弐などを経て参議に進み、従三位にいたった。・うて=討手。・少将=近衛府の次官。正五位下相当。・純友がさわぎ=平安中期の藤原純友の乱。彼はもと伊予の掾(三等官)だったが、任期を終えても帰京せず、瀬戸内海西部の海賊を配下とし、939年に日振島を拠点に反乱を起こし、淡路や讃岐の国府、大宰府などを襲撃た。天慶四年(941年)、朝廷の命を受けた小野好古らにより鎮圧された。【訳】小野の大弐が、藤原純友の乱のときに、討伐軍の使者に指名されて、少将として下ったとさ。【本文】おほやけにもつかうまつり、四位にもなるべき年にあたりければ、むつきの加階たまはりの事、いとゆかしうおぼえけれど、京よりくだる人もをさをさきこえず。【注】・四位=天皇から授けられる位階。一位が紫、二・三位が薄紫、四位は深緋、五位は緋(朱)、六位は緑の位袍を着用。 ・加階=天皇が位を授けること。【訳】朝廷にもお仕えもうしあげ、四位に昇進しそうな年に当たっていたので、正月の加階をいただく事が、とても知りたく思われたけれども、京から下った人も何もそのての情報を申し上げなかった。【本文】ある人にとへど、「四位になりたり」ともいふ。ある人は「さもあらず」ともいふ。「さだかなる事いかできかむ」とおもふほどに、京のたよりあるに、近江の守(かみ)公忠(きむただ)の君の文をなむ持てきたる。【注】・近江の守公忠の君=光孝天皇の孫。源公綱の子。平安中期の歌人。醍醐・朱雀天皇のとき蔵人をつとめ、天慶四年(941)近江守として任国に赴任した。【訳】ある人に問いただしたが、「四位になりました。」とも言い、ある人は、「四位にななりませんでした。」という。「確かなことを何とかして聞こう。」と思っていたところ、京からの便りがあり、近江守公忠君の手紙を持ってやってきた。【本文】いとゆかしううれしうて、あけてみれば、よろづの事どもかきもていきて、月日などかきて、おくのかたにかくなん、 たまくしげ ふたとせあはぬ 君が身を あけながらやは あらむと思ひし これを見て、限りなく悲しくてなむ泣きける。【訳】とても中身が知りたく嬉しくなり、手紙を開けて見たところ、さまざまな事柄を書き連ねて、日付など書いて、最後に 美しい櫛をおさめる箱のふたではないが、ふたとせ(二年間)会わないあなたの身を 箱の蓋を開けたままでいると想像したでしょうか、想像もしなかった。年も明けながら、まだ朱色のままでいると想像したでしょうか、想像もしなかった。と歌が書いてあった。この歌を見て、このうえなく悲しくなって泣いた。【本文】四位にならぬよし、文のことばにはなくて、ただかくなむありける。【訳】四位にはならなかった旨、手紙の文句には無くて、ただこのように和歌に暗示されていたとさ。
September 28, 2010
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【本文】これもおなじ中納言、斎宮のみこをとしごろよばひたてまつりたまうて、今日明日あひなむとしけるほどに、伊勢の斎宮の御占(みうら)にあひたまひにけり。【注】・おなじ中納言=藤原敦忠。・斎宮のみこ=醍醐天皇の皇女、雅子内親王。承元元年(931年)に斎宮となった。(910……954年)【訳】これも、同じ中納言が、斎宮のみこに何年も言い寄りもうしあげなさって、今日かあすにも逢って契りを結んでしまおうとしていたところ、伊勢の斎宮の占いにおいて、次期斎宮に決定なさってしまった。【本文】いふかひなく口をしと男おもひたまうけり。さてよみてたまうける、いせの海千尋の浜にひろふともいまはかひなくおもほゆるかなとなむありける。【注】・かひなく=「貝なく」と「甲斐なく」の掛詞。斎宮は未婚でなければならないので、求婚してもとうてい受け容れてもらえないので甲斐がない。・千尋の浜にひろふとも=千尋は、長い距離。どこまでもつづくような長い砂浜で拾ったとしても。【訳】言いようもないほど残念だと男はお思いになったとさ。そうして、お作りになった歌、たとい伊勢の海の千尋もある長い砂浜で拾ったとしても、いまはもう貝が無いように、あなたに求婚するのはその甲斐が無いように思われるなあ。と斎宮のみこの所へきた手紙に書いてあったとさ。
January 26, 2011
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【本文】同じ帝の御時、躬恒(みつね)をめして、月のいとおもしろき夜、御あそびなどありて、「月を弓張といふは何の心ぞ。其のよしつかうまつれ」とおほせたまうければ、御階(みはし)のもとにさぶらひて、つかうまつりける、てる月を 弓張としも いふことは 山べをさして いればなりけり禄に大袿かづきて、又、しらくもの このかたにしも おりゐるは 天つ風こそ 吹きて来つらし【注】・躬恒=三十六歌仙の一人、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)。宇多・醍醐天皇に仕え、官位は低かったが、和歌に優れ、紀貫之らと共に『古今和歌集』の撰者をつとめた。・弓張=弓形をしている月。特に、陰暦七・八日ごろの月を「かみの弓張り」、二十三、四日ごろの月を「しもの弓張り」という。・大袿=平安時代に禄・かづけものとして賜った袿で、裄(ゆき)丈(たけ)を大きめに仕立てたもの。着るときは普通の大きさに仕立て直す。・しらくも=空に浮かぶ白い雲。また、白い大袿のたとえ。【訳】同じ醍醐天皇の御代に、躬恒(みつね)をお呼び寄せになって、月が非常に美しい夜に、管弦の宴などを催されて、「月を弓張というのはどういう意味だ。その理由を述べてみよ」とご命令なさったところ、御殿の階段のところに控えて、お作り申し上げた歌、夜空に照る月を、弓張とも言うことは、山辺を目指して入る(山のあたりをめがけて射る)からなのだなあ。天皇に頂いた褒美の大袿を肩に掛けて、又、次のような歌を作った、白雲がちょうどこちらの方におりてきてとどまっているのは(白雲のように白くてふわりとした大袿が、私の肩に高い御殿からくだってきてのっかっているのは)、空の風がまさに吹いて来たらしい。
May 1, 2011
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【本文】九日、心もとなさに明けぬから船をひきつつのぼれども川の水なければゐざりにのみゐざる。この間に和田の泊りのあかれのところといふ所あり。よねいをなどこへばおこなひつ。【訳】二月九日、京に着く待ち遠しさに、夜があけぬうちから、船を曳きつつ川をさかのぼるけれども、川の水量がじゅうぶん無いので、のろのろと進む。ところで、和田の船着き場の川の枝分かれという土地がある。物乞いが米や魚などを乞うので、施した。【本文】かくて船ひきのぼるに渚の院といふ所を見つつ行く。その院むかしを思ひやりて見れば、おもしろかりける所なり。しりへなる岡には松の木どもあり。中の庭には梅の花さけり。ここに人々のいはく「これむかし名高く聞えたる所なり。故惟喬のみこのおほん供に故在原の業平の中将の「世の中に絶えて櫻のさかざらは春のこころはのどけからまし」といふ歌よめる所なりけり。【訳】こうして船を曳き川をさかのぼる時に渚の院という所を見ながら進んだ。その院は、むかしを想像しながら見ると、興味ぶかい所である。後方の丘には松の木がいくつもある。中の庭には梅の花が咲いている。ここで人々が言うには、「これは昔有名だった所だ。故惟喬親王の御供で故在原業平の中将が「世の中に絶えて桜のさかざらは春のこころはのどけからまし」といふ歌を作った所だなあ。【本文】今興ある人所に似たる歌よめり、「千代へたる松にはあれどいにしへの声の寒さはかはらざりけり」。【訳】今、風流を解する人が場所にふさわしい歌を作った。「千年も年を経ている松ではあるが、むかしながらの松風の音の寒々しさは変わらないのだなあ」。【本文】又ある人のよめる「君恋ひて世をふる宿のうめの花むかしの香にぞなほにほひける」といひつつぞ都のちかづくを悦びつつのぼる。【訳】また、ある人が作った歌、「惟喬親王を恋しく思いながら年を経る院の梅の花が、むかしと同様の良い香に依然として匂っているなあ」などと言いながら、都が近づくのを喜びながら川をさかのぼる。【本文】かくのぼる人々のなかに京よりくだりし時に、皆人子どもなかりき。いたれりし国にてぞ子生める者どもありあへる。みな人船のとまる所に子を抱きつつおりのりす。【訳】こうして川をのぼる人々のなかに、京から下った時には、みんな子供が無かった。赴任いていた国で子を産んだ者たちが寄り集まっている。みんな船が停泊する所で子供を抱っこして船を乗り降りする。【本文】これを見て昔の子の母かなしきに堪へずして、「なかりしもありつつ帰る人の子をありしもなくてくるが悲しさ」といひてぞ泣きける。父もこれを聞きていかがあらむ。かうやうの事ども歌もこのむとてあるにもあらざるべし。もろこしもここも思ふことに堪へぬ時のわざとか。こよひ宇土野といふ所にとまる。【注】宇土野 いまの高槻市鵜殿か。【訳】このようすを見て、むかし生きていた子どもの母親が、悲しみにこらえきれずに、「都を出発するときには子が無かった者も、子のある状態で帰るその他人の子を、わたしには子があったのに、無い状態で帰ってくるのが、なんとも悲しい」と言って泣いた。その亡き子の父もこの歌を聞いてどんな気持ちであろう。このような悲しい歌を作ることも、嘆くことも、ただ歌を作るのが好きだからといって作るわけでもないであろう。中国でも日本でも、感情を抑えきれなくなってするここだとか。今夜は、宇土野という所に泊る。
February 21, 2010
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