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午後来客を一組送り出した。続いて教会員さんが次の日曜日のための準備に来られた。西日のまだ照り返す夕方の玄関。帰ろうとする教会員さんと立ち話をした。玄関のチャイムが鳴った。玄関の扉は開いている。誰の姿もない。教会にはもう一つ、使われていない勝手口があって、よく知らない方はそこからチャイムを鳴らすことがあるからあわてて勝手口に向かったけれど、誰もいない。変ですねえ、と挨拶をして教会員さんが帰られた。また、チャイムが鳴った。いたずらかしら。もう一度、勝手口に行ってみるけれど、やはり人影なし。また、チャイムが鳴った。やはり、誰もいないので、玄関の戸を閉じて礼拝堂に入って来客の後片付けをした。十字架を見上げてふと、K兄弟かも、と思った。K兄弟は今朝、ご家族に見取られて、この世の旅路を終えられた。クリスチャンである娘さん夫妻の熱心な祈りを受けて昨年、病床洗礼を受けられた。長年、福音を受け入れることを拒否されていたけれどあるふぁしおん牧師が訪問して「イエス様を信じますか?」と聞いたら驚くほど元気な明るい声で「はい!」と応えられたそうだ。生きているのも不思議なくらい、たくさんの病気を患っておられたので洗礼は受けたけれど教会には一度もいらっしゃれなかった。まちの名士で、息子さんが僧侶であられることもあってお葬儀は町の葬儀場で仏式でされることになった。今日7時からお通夜だ。ひょっとして、葬儀場に移動される前に教会に足を運んでくださったのではないかしら。ひとが息を引き取ってからどのように霊が肉体から離れて主のもとに行くのかはわからない。聖書にも具体的な記述は無い。幽霊があちこち浮遊してるなんて話も無い。それでも、イエス・キリストの救いに希望を見出しながら一度も教会で信仰の友と礼拝をささげることのできなかった兄弟がやはり立ち寄ってくださったのだと思えてならなかった。それが証拠に私が礼拝堂の扉を開けてからは一度もチャイムが鳴らなかった。そして、私はこの不思議に、不気味さも恐ろしさもなく何かなつかしい、ほのぼのとしたものを感じるのだ。礼拝ではいつも歌われる賛美歌がある。「天つみ民も 地にある者も 父 子 御霊の 神をたたえよ 神をたたえよ アーメン」天でも地でも一緒にいのちの神をほめたたえよう。わたしたちの教会はまたひとり仲間を天に送った。
2007.08.17
「わたしの平和を残し、与える」ヨハネ14:27~31あるテレビ番組で「今、何がほしいか」インタビューしているところを見ました。渋谷の若者はお金がほしい、彼女がほしい、彼氏がほしい、と言っていました。地方の小さな町のおとしよりは健康がほしい、と言っていました。みなさんは何がほしいですか?ある兄弟はトラクターが老朽化したので新しいのがほしいそうです。(どなたかわかった方はお祈りくださいね!)わたくし・とんかはタフな信仰と雑務管理能力がほしいかな?いやいや、イエスさまとまったり過ごせる時間かな。ところで、くだんの番組、京都を旅行していたイギリス人の答えが印象的でした。"Peace of the World."そう彼は答えたのです。わたし(あるふぁしおん牧師)も、いつもそう答えられる心を持ちたい。今日は平和聖日です。(原爆の日に一番近い日曜日)平和は願えば実現するものではありません。私たち一人一人が平和な心を持ち、周囲と平和な関係を築くことが大切です。主イエスさまが神の子という身分に固執せず、すすんでリスクを引き受けてくださったように神さまの愛、他を生かそうとする心がいるのです。アッシジのフランチェスコは具体的にこう祈りました。主よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください。憎しみのあるところに愛をいさかいのあるところに ゆるしを分裂のあるところに一致を疑いのあるところに 信仰をあやまっているところに 真理を絶望のあるところに 希望を暗闇に 光を悲しみのあるところに 喜びをもたらすことができますようになぐさめられるよりは、慰めることを理解されるよりは 理解することを 愛されるよりは 愛することを 私が求めますように私たちは、与えるから受け、ゆるすから ゆるされ、自分を捨てて詩に、永遠の命をいただくのですから主イエスは十字架にかかられる前に弟子たちに言われました。「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな、おびえるな。」ヨハネ14:27世が与える方法は軍事力です。圧力と新しい憎悪の生産です。しかし、主は十字架の愛とゆるしによって神とわたしわたしとわたし自身わたしと隣の誰かを和解させてくださるのです。追記:宇山福音教会は戦後いち早くアメリカの婦人宣教師二人と通訳の姉妹によって拓かれました。 宣教師の先生方は戦争中から日本のために祈り、神の愛を伝えるために 来日する機会を待っていたのです。 通訳の姉妹はヒロシマで被爆された方と聞いています。 原爆を落とした国から来た先生方と原爆を落とされた姉妹が共に神さまの働きをした。 この教会に連なっていることを誇りとし、また先生方の振興を自らのものと受け継ぐべく 日曜ごとの礼拝を大切にしていきたいと思います。
2007.08.05
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