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なんかホントにまとまりのない文章ですが、せっかく書いたので一応載せます。お笑いくださいませ。――もう思い出したくもない、という人も少なくないのではないかと拝察いたしまする。29日オンエアのNHK大河ドラマ「功名が辻」第47回を僕は見ていないのだが、のの雪さんたちのブログのおかげで、筋書きはほぼ完璧に分かった。普通、大河ドラマというと、途中でいろいろあっても、最後はおおむねハッピーエンド系で、主人公は功成り名遂げ周囲にも幸せを分け与え、幸福な生涯をまっとうしました、というのが通り相場だと思っていたが、最終回も間近い今、これはまた大河の常識にイチジルシク反する悲劇的な事態である。・・・なして、こんだらことになっちまっただに?言うまでもないが、僕は山内一豊に何ら恩義はなく、弁護する筋合いもないのだが、やっぱし一年間感情移入し、共感し、親しんだ人物である。ちょっと山内一豊被告人の弁護の論陣を張ってみたくなった。我ながらホントにお節介というか、いろいろ考えるよ。自分であきれるね。さて、まず言えることは、この時(1601年)の日本の主権者は天皇であり、豊臣家はそれを輔弼(ほひつ)する大権を与えられていた。“民主主義”とか“国民主権”なんてものは影も形もなかった。一方、徳川家康はまだ征夷大将軍にはなっていなかったが、豊臣家の筆頭大老であった。天皇を“日本株式会社”の会長にたとえれば、豊臣氏は実権と人望を失った雇われ社長、家康は実力派の筆頭専務取締役兼CEO(最高経営責任者)兼営業本部長みたいなものだった、・・・かも知れない。家康はまもなく(1603年)悲願の将軍(社長)職に就くのだが、すでにそのことは村上春樹がノーベル文学賞を獲るより確実視されていた。しかも、この会社には強大な兵力という暴力装置も付いていて、いざとなれば命令一下、組織的殺人も辞さない恐怖の軍隊組織であった。だから本当は、ヤクザ組織になぞらえる方が適切じゃないかとも思うが、かえって話がややこしくなるような気がするので、一応会社組織にたとえることにする。山内一豊は、もともと創業者の織田信長ワンマン会長の主流派に属し、豊臣社長に可愛がられた叩き上げ・生え抜きの課長だったが、豊臣社長の凋落振りを見てすかさず鮮やかに派閥を鞍替えした功績もあって徳川専務の覚えめでたく、定年間近ながら専務肝煎りの厳命で、西日本の情報偵察(インテリジェンス)含みの高知支社長に抜擢されたノンキャリアの星であった。ところが、この高知支社、もともと豊臣派の重鎮・長宗我部部長の息の根がかかった独立採算の子会社を強引に合併した経緯があり、組合の勢力が非常に強く、実力行使に訴えることも平気の平左の戦闘的組織になっていて、社会党をバックにした上田哲委員長の労働組合が一時番組内容まで支配したNHKみたいな状態であった。これを抑えるのに、政治部生え抜きだったシマゲジこと島桂次NHK会長のような豪腕が強く期待・要請されている状況であった。これを、JR東日本と新左翼過激派・革共同革マル派(日本革命的共産主義者同盟・革命的マルクス主義派)の関係にたとえて論ずるのは命がけの行為となり、私も命は惜しいし、そんなリスキーなことをする義理もないので、やめておく。ただ、町内に、もと莚旗(むしろばた)を掲げた動労青年部のオジサンがいて(今は平凡な良民)、祭りや会合のたびに、あの空前絶後の「スト権スト」をはじめ、華麗なる戦闘歴の思い出話を聞かされている。・・・ま、楽しかったんだろうな。ちなみに、町内には「一領具足」の渡辺哲みたいなごっつい顔をした元陸上自衛隊幹部あがりのお爺さんもいて、東アジア政治経済軍事情勢など、話が合うこと合うこと。喋っててすごく楽しい。今度の防衛庁の省昇格には、これで安心して死ねると、大喜びのご様子。・・・というワケで、過激化した組合を、宣撫工作であわよくば沈静化させ、どうしてもまつろわぬ(服従せぬ)勢力があれば、弾圧してでも沈静化させることが、徳川新社長の強い要請であり、山内支社長がこれを拒めるはずもなかった。しかも、説得工作をするにしても、手持ちの駒はいくらもなかった。失脚し、浪人の悲哀をかこつ長宗我部前部長が詫びを入れ、罪一等を減じられ、他日を期す可能性が生まれたぐらいの事実しか、慰撫の材料はなかった。左傾過激化した高知組合側は、長宗我部前部長への会社の経営権の分割など、無茶な要求を繰り返し、もはや体制側としても刑法の内乱罪と破壊活動防止法(破防法)の適用に踏み切るしか方法がないところまで追いつめられていた。・・・・ここまで書いて、このブログ、ヤバイ、失敗だと思った。もうちょっと面白くなるかと思っていたが、もののたとえがきわめて恣意的かつ不正確で、かえってワケが分からなくなったざんす。ともあれ、そんなこんなで、現代の感覚から見れば残虐非道な大量虐殺事件である今回の顛末だが、当時の武士社会の大義名分や政治意識の上では、たぶんそれなりに筋が通っていた。やむを得ないものとして映っていたんだろうなと思う。また、上川隆也さんだと若く見えるが、考えてみれば山内一豊公の寿命も、あとわずか4年の最晩年。実際は、もうかなりヨボヨボの爺さんだっただろう。こういう罪深い所業を、最終的には全て自分が引っかぶって地獄に落ちる覚悟だったのだろう。間もなく、山内家は弟康豊を後見に甥・国松への家督相続の禅譲の運びだった。人心一新で、民衆の気分も変わるだろうというのは、今回の小泉氏から安倍氏への政権移譲でも見られたことである。当時主導的だった仏教思想では、俺の極楽往生は到底無理だろうな~、と覚悟していたのだろう。ある意味、潔(いさぎよ)いとも言えるかも知れないね。やっぱし、戦国時代って、後に“任侠の徒”の皆様があらゆる意味で真似したように、元祖ジャパニーズ・マフィアの世界だったんだろうね。その辺の現状を詳しく知りたい方は、「アサヒ芸能」とか「週刊実話」を読めば、毎週微に入り細をうがって報じられています。以上、山内一豊被告人の弁護でした。
2006.11.29
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子育てに忙殺されてほとんどテレビも見られない生活の上に、きのうはビデオのタイマー録画のスイッチも入れ忘れ、「功名が辻」を見られなかったよ~ん。ですが、のの雪さんのふわゆららいふの毎週月曜恒例の大河ドラマ評や、それにくっ付いてる多数のトラックバックのおかげで、あらすじはほぼ完璧に分かりました。ありがとう&ご苦労さまです。とんでもないことになってしまったようですね。悲劇だね~。しかも、後味悪そう。前に書いたが、この怨みが数百年続いたとも言われていることは、歴史ファンなので、知識としては知っていたけどね・・・。見なくてよかった、・・・かも知んない。
2006.11.27
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きのうなにげなくFMラジオを聴いていたら、突然炎のごとく、この曲がかかった。ぶっ飛んだ。脳内に、β(ベータ)エンドルフィン(神経伝達物質。快感物質・脳内麻薬ともいわれる)がドバっと分泌された。これはすごいわ。マスターピ-スではないか。まさに彼女の到達した一つの頂点じゃないかと思った。少なくとも僕が長年求めてきたサウンドは、ここに確乎として存在していた。現在までの最新アルバムULTRA BLUEの中の一曲である。ウェブで調べた限りでは、シングルカットされてないらしい。アルバム収録のその他の多くの曲はシングルCDで持っているが、このアルバムも買わないわけにはいかないなと思った。正直、商売上手だなとも思うし、悔しいがやむを得ない。間違いなく、僕にとって最高の音楽だからだ。〔楽曲としての総合評価:96点〕
2006.11.25
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前回のオンエアで、NHKの時代劇の殺陣(たて、武術指導)を一手に引き受けている林邦史朗さんが、土佐の土着的武士集団「一領具足」の頭領みたいな役で1、2シーンだけ出演して、山内康豊一行相手に啖呵を切り、土佐の重臣らの寝返りでバッサリ斬られたのは、哀れにも面白かった。以前「腕に覚えあり」(原作:藤沢周平「用心棒日月抄(じつげつしょう)」)でも、海坂藩からの刺客の役で、主役・青江又八郎(村上弘明)にバッサリ斬り捨てられた。この人はこんな形で時々ちょこちょこっと出てきて、いつも斬られて死ぬのが、「蒲田行進曲」みたいな昔の活動屋魂に溢れていて楽しい。さて、思えば千代って、少なくとも二人の男に命がけで愛されている果報者だね。みんなにも慕われてるし。やっぱり人間、世の中で生きている以上は、好かれたほうが嬉しいよね。武将の妻というと、あえて現代で似た例を探すと、まずはやはり政治家の妻であろうか。奥さんに人望・人徳があるかないかは、今でも政治家の選挙(=いくさ)の行方や出世や派閥・組織の構築を大いに左右するといわれている。選挙に落ちれば、現代では死にはしないまでも、あわれタダの人。少なからぬ者が失業者。選挙ばかりは必死の形相で戦いまする。政治家の妻は、いくら才能見識があっても冷たい美人(クール・ビューティ)では旦那への女性票が入らず絶対駄目で、十人並みにちょっと毛が生えたぐらいの健康・明朗で親しみやすい“オカメ顔”がいいとされている。この世界は、表と裏、光と闇のコントラストがブラック&ホワイト。表ではきれいごとを言っていても、一皮剥けばジェラシー(嫉妬)とルサンチマン(怨念)ですべてが動いているのは公然の秘密。・・・そういう意味では、安倍昭恵首相夫人は、あの愛嬌あふれる風貌とオッチョコチョイそうな言動で、かなりいいセンを行っている。女性週刊誌の扱いを見ても、なんだかんだ言われながらも、結果として安倍氏の得がたいサポーターになっているように思う。藤原紀香が出馬するとかしないとか下馬評が盛んであるが、美人すぎて、政治家としてまず大成はできないであろう。あるいは、相撲部屋のおかみさんとか、旅館・ホテルの女将とか、梨園の奥さんとか、営業関係の女性管理職とか、その采配が注目される現代ウーマンたちの、さらにスケールを大きくしたような感じだろうかね。生きるか死ぬかの戦国時代、武将の妻の才覚たるや、一族郎党・一国の運命をも左右した。側室ながら、豊臣を背負って立つ羽目になった淀の方と秀頼の運命を見れば如実ですね。家康も関が原以後、豊臣家に対しては「敵の出方論」だったとも言われている。大阪城の外堀を埋め、方広寺の梵鐘の銘文に言いがかりの因縁などつけ、淀君ら豊臣方を猫じゃらしよろしく試しにいびってみて、それでも隠忍自重して恭順の意を示せば、大阪冬の陣は起こらず、浪速・和泉の一大名としては生き残れたかも知れない。まあ、歴史に「たら・れば」はナンセンスだともいうし、ましてしろうとが考えるだけ無駄だけど。現に家康は、加賀100万石の前田家に対しても対立を深め、あの手この手で嫌がらせの波状攻撃を加えたが、先の読める利口なせがれ・利長らがグッとこらえて我慢し、旧知の間柄で気丈な芳春院(まつ、前田利家未亡人)が江戸へ人質として来たのを見て、存続を決したとも見られる。ところで、秀吉の没後、家康が井伊直政に向かって、「これ以後は、一手一手が面白う打てそうじゃのう。」と碁を打つ手つきで、戯れ言めかして言うシーンがあった。大河ドラマを見ていると、武人(もののふ)たちが無聊しのぎ(ひまつぶし)に碁を打っているシーンがとても多い。戦国武将たちは、例外なく囲碁を愛した。その奥方たちも、武家の嗜みの一つとして、嫁入り前に碁の手ほどきを受けていた。テレビもラジオも映画も雑誌もウェブもない時代、夜長を夫婦で碁を楽しんで過ごすことも多かった。囲碁の天才であり僧侶であった初代・本因坊算哲が、本能寺の変の直前に信長と碁を打ち、世にも珍しい「三劫(こう)」(劫:いつまでたっても終わらない、互いに袋小路の手。その局面はご破算にするのがルール)が出来たのを見て、変事の予兆を察知したのは有名な話として語り伝えられている。本因坊はその後、秀吉・家康と天下人に重用され、家康には家禄を貰い、江戸城・将軍面前での「御城碁」の栄誉も拝し、この名跡が現在も続いていることはご存知の通り。私は、父の友人かつ同級生の父君で日ごろ世話になっている建設会社の会長さんから、半強制的に碁の手ほどきを受けたが、この人はプロ顔負けの強豪で、名目はアマ4段しか持っていないが、実力は6段クラス(プロ初段に相当)ともっぱらの評判で、明治以降の棋譜はあらかた研究し尽くしてしまい、今は江戸期の天才で、史上最強といわれる本因坊秀策の研究などしている。栃木県で指折りの人である。しかるに、僕は勝負の才覚がなく、習い始めたのが40も過ぎてからであったせいもあり、いつまで経ってもヘボ碁で、ご迷惑ばかりお掛けしているのが、まったく情けない。ただ、その楽しさは理解している。話がだいぶ逸れまくっているが、やったことのある人は分かるだろうが、大胆に言ってしまえば、囲碁はいわば真綿で首を締め合うような意地悪・謀略ゲームである。それが絵も言われず楽しいから困る。中毒になる。僕はハマるレベルに達していないが、ハマる人の気持ちは大いに分かる。これを、戦国武将・武人たちは子供の頃から戦略・戦術の稽古の一環としてみっちり仕込まれた。皆相当な腕前だったであろう。子供のうちに仕込めば、脳力開発になることは間違いない。事実、大脳生理学的研究でも、「囲碁脳」という神経シナプス回路の発達が明らかに認められると言われる。読みの深さの能力開発になるし、一種のポーカーフェイスの訓練にもなる。また、きわめて高度な論理性が確かにあるのだが、われわれ凡人から見ると、初歩的な手はともかく一定以上のレベルでは、あまりにも高度すぎてほとんど非論理的・神秘的とさえ感じることが多い。プロの碁打ちなんていうのは、ほぼ天才といって差し支えない頭脳の持ち主である。将棋の方だが、米長邦雄氏が、「兄貴たちはバカだから東大に行った」と豪語したのもうなずけてしまう、恐ろしい天才集団である。また、競り合った勝負だと、最後に数えて見るまで勝敗が分からないことも珍しくない。相手が大きな一手を打ち間違ったのを、澄ました顔で内心ほくそ笑みながら見つめる快感は、ちょっと隠微な快楽かも知れない。・・・というわけで、日ごろから囲碁に親しんでいた武将たちは、読みの深さ・先見の明・伏線の張り方・謀略・意地悪・パワーハラスメント・嫌がらせゲームを競い合っていた。状況・形勢を読んで読んで読みまくった。プロ野球で言えば、野村監督タイプみたいなのが揃っていた。苦労人・山内一豊も例外ではあるまい。千代の手のひらの上の凡庸バカ殿説は、相当に誇張されていると見る。その中で、たった一人だけ例外がいた。豊臣秀吉・長嶋茂雄である。天衣無縫の天才は確かに万人に愛され、力があるうちは誰も手出しができなかった。現代のいじめられっ子も、戦国武将の忍耐力・辛抱の100分の1でもあればな~、と思うが、ここで軽く扱うには問題が重すぎるので、御免。さて、蜂須賀小六正勝の嫡男・家政は、四国平定の功績で、自ら切り取った阿波一国を秀吉から与えられた。阿波となったのは、偶然に近いと思う。関が原では苦慮の末東軍に属し、領地はそのまま安堵されたようだ。山内一豊が土佐一国を与えられたのは、家康一流の深慮遠謀が垣間見えて、絶妙な感じがするね。ドラマでは一豊が関ヶ原をめぐる小山評定直前の最後の最後まで東軍か西軍か迷ったように描かれたが、これはドラマ的脚色に過ぎず、実際は掛川での会談で話はついており、“密約”は出来ていたと思われる。天下の帰趨と命を賭ける大いくさを前に、研ぎ澄まされた全神経を以って真意を見極めつつ、その時点から、家康は一豊を一定程度信用していたであろう。しかし、所詮は外様。よしんば本人は信用できたとしても、2代目、3代目になったらどうなのか、そこまで家康の深読みは自動的に作動したであろう。わが子や徳川御三家に対してさえ、全幅の信頼は与えなかった。というわけで、当時交通不便で、一種の僻地であった土佐は、家康の一豊に対する、“確かに深く感謝はしているが、完全無欠に信用しているわけではないぞ”というビミョ~かつギリギリの練りに練った意思表明として、格好にして絶妙の配置と思われまする。
2006.11.24
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NHK大河ドラマ「功名が辻」もいよいよ大詰め。振り返ってみれば、けっこうジェットコースタームービー的展開で、一年間本当に楽しかった。お名残惜しゅうござりまする。ここ数年の大河は力作が目白押しで、本当に充実していた。見ている方としては、若干息切れを感じるほどであった。幸い来年は、久しぶりにつまんなそうなので、やっと一息吐けるかな~、などと思っている今日この頃なのでありんす。武田信玄・上杉謙信はどうも暗いし、“上洛”も出来ないし、悲劇的な終わり方が予想され、なんとなくあんまり食指が動かない。・・・Gacktのファンは垂涎だろうけどさ。のの雪さんがブログふわゆららいふで、1年間毎週月曜日に律儀・実直・正直・廉潔に続けてこられた大河ドラマ評と、それに大量にくっ付いてる関連トラックバックも楽しかったざんす。本当にありがとう&ご苦労様です。僕ごときが屋上屋を付け加えることもない気にさせられまするが、それにしてもなるほど、まだ一山ハードルがあったとは、お釈迦様でも気が付かなかった。関ヶ原で土佐20万石を拝領して、“めでたしめでたし、一豊さまと千代さまは末永く幸せに暮らしましたとさ”、で終わるのかと思ってたら、そうは問屋が卸さなかった。本当に死屍累々の戦国時代だね。「斬られりゃ痛えぞ。」(黒澤明「用心棒」のセリフ)こうした犠牲の上に歴史が成り立っている、・・・とは月並みな感想ではあるけどね。どうも不吉な予告編だったね。六平太は何を噛み潰したんだろう?もしや、例のいわく因縁付きの弾丸だろうか?昔“弾丸を噛め”というタイトルの西部劇があったが、噛むとどうなるんだろう?一豊ももう若くないが、六平太も同様だ。設定から見ると、だいたい同年輩なのだろうか。どうやら六平太は、山内家(と、密かに愛してやまない千代)の弥栄(いやさか)のために、おのれの一身を犠牲にし、政(まつりごと)における悪役さえも引き受ける腹を固めたことが濃厚に匂ってきた。忍びの者の美学だな~。カッコイイぞえ。どうも彼は死ぬらしいという恐怖情報が乱れ飛んでいる。われわれ視聴者は、その純粋にして至誠なる生き方と最期を見届け申し上げまするよ。
2006.11.22
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古塚の松美しき立夏かな夏野来て封人の家のくらがりに万緑の火の山へ牛放ちたり黒塚の岩を人這ふ青嵐牛追の角笛霧の那須野より袈裟懸けに神杉つなぐ烏瓜米づつみ枝に結びて山始牽かれきし牛つながるる若草野蛇姫の住みし二の丸梅ひらく間伐の杉ごろごろと蝮蛇草
2006.11.22
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俳人で伯父の鈴木朗月(ろうげつ、本名・甲子郎)が、句集「初謡(はつうたひ)」を上梓しましたので、本人の許諾を得て一部抜粋でご紹介します。朗月は、1924年(大正13年)生まれ、栃木県庁の土木畑を歴任するかたわら、昭和50年ごろから俳句に親しみ、現在俳人協会栃木県支部幹事。「万象」同人。また、それに先立ち昭和30年に入門した能謡曲(うたい)では、昭和48年、宝生流教授免許。各地の能舞台、薪能などで活躍した。俳人協会・第41回全国俳句大会(平成14年9月)選者特選句受賞。平成17年6月、栃木県俳句作家協会・七木賞受賞。 今年82歳になるが、いたって元気かつ朗らかで頭脳明晰。甥である私には、昔からとても気さくで心優しい伯父であるが、こと俳諧においてはその句境は厳しく、完全主義の権化とすら見え、畏敬しています。なお、短詩型文学である俳句・短歌をはじめ韻文(詩)は、分からなさ・難解・晦渋性もその味わい・余韻のうちと心得ますから、下手な解説は付けません。(順不同)梅園の羽衣の松古りにけり春の水山際を出てほとばしる巫女も出て陽明門の煤払ふ氏神の裃借りて初謡小開きの扇にのせし能の笛薪能投げて広がる蜘蛛の糸邯鄲の能見て睡る薄着かな白鳥座真上にはずむ能囃子年若の師に叱られて寒稽古声張りて小鼓を打つ業平忌酔ふほどに沙翁を語る月の客姫女苑笑ひ閻魔の屋根に咲く吊橋がきらひで行けず葦簾茶屋秋草を丹波の壷にあふれしむチューリップ見てわらんべが踊り出すまた一つ古本屋閉づ西鶴忌風呂吹に始まる婚の口固め殻付きの生牡蠣食べて婚約すこの時婚約したのは、私の従兄弟である。特に親しみを感じる句である。
2006.11.22
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宇多田ヒカル;ぼくはくまう~む、・・・悪くない。なかなかの名曲ではないか。耳に付いて離れなくなってしまった。ちょっと褒めすぎてしまうかも知れないので、その点割り引いて読んでもらいたい。今、2歳8ヶ月になったウチの三人娘たちは大喜びだ。お風呂の中でも歌っている。・・・だが、他愛もない現代わらべうた、と一笑に付すには、このサウンドは深い。陶酔と感動さえ誘われる。全体的に長調(メージャー・コード)であり、ハ長調(Cメージャー)でいえばC、F、G7などのきわめてありふれた和声(コード)進行であるのに、宇多田ヒカル持ち前のメランコリー(憂愁)が全編に漂ってしまう。一聴して、淡々として起伏も少なく、地味なサウンドでありながら、じわじわと心に染み込んでくる。まさにピュアな魂のアートになっている、と言っていいだろう。すごいアレンジャー的才能だと思う。どことなく、ちょっとビートルズ/ジョン・レノンっぽさも感じてしまう。そういえば、ジョンの遺作アルバムとなった「ダブル・ファンタジー」の中で、まだ幼かった息子ショーン・レノンにプレゼントした真情溢るる名曲「ビューティフル・ボーイ」に曲調・メロディライン・アレンジもちょっと似ているような気もする。タイトル「ぼくはくま」も、ジョンのビートルズ時代の最高傑作の一つと言われる「アイ・アム・ザ・ウォルラス(ぼくはセイウチ)」の影響を受けたと見ていいだろう。またエンディングは同じく「マジカル・ミステリー・ツアー」に収められた、ジョンの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」へのオマージュとみてよかろう。名曲「誰かの願いがかなうころ」が「イマジン」の影響下にあることも自明だと思うし、宇多田って、けっこうジョン・レノン・フリークなんだな~と、好感を持ってしまう。・・・むろんこれは、パクったとかそういう低次元の話ではなく、彼女の中で見事に昇華されていて賞賛に値する。大塚愛さま、こういう風にやんないと。なお、長調なのに深い哀愁に覆われるというのは、例えばクラシックでいうと、パブロ・カザルスの弓によるJ・Sバッハ「無伴奏チェロ組曲」の歴史的名演などが頭に浮かぶが、宇多田もいわばこういった資質を持っているのだろう。日本のわらべうたの文脈で捉えてみても、例えば不朽の名曲「夕やけこやけ」は長調であるのに、今思い出しただけでもややウルウルしてくるような哀愁の塊である。秋にふさわしい。やっぱり日本人は「もののあはれ」民族なのだろう。そんなよけいなことまで想起させてしまう力作である。“くまんパパ”を標榜する僕としては、ぜひ十八番のレパートリーに加えなくては。ところで、J-POPシーンをリードしつづける冒険者・宇多田が、今こういう試みをするのは何故だろう?平井堅が「大きな古時計」で新たな地平を見出したようなものだろうか。あれはあれで、すばらしいブレイクスルーであり、大成功だった。それもあると思うが、もしかするともっとリアルな理由、“ご懐妊の兆候”でもあるのだろうか?現在の本名・紀里谷光という若奥様としては、十分ありうることだよね。もしそうなら、それはそれでとってもおめでたいことですね。〔楽曲としての総合評価:74点〕
2006.11.21
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累積15,000アクセス目のキリ番を取っていただいたのは、カントリースタイル大好きさんでした。ありがとうございました。今後ともよろしくね。さて、東京国際女子マラソンは、冷たい雨が降り続く悪条件の中、土佐礼子選手(34)が30kmすぎにスパートして独走、優勝した。タイムは伸び悩んだが、この悪条件では仕方がないだろうね。むしろ最後までペースを崩さなかった土佐の力走ぶりが印象的だった。実は、僕はかなり昔から、かなり強固な“隠れレイコさまフリーク”で、あのおっとり・まったり・ほのぼのとした雰囲気や喋り方と、いざ決戦の場では物おじせず勝負強い走りのギャップにたまらなく魅了され続けているのだ。・・・ああ、女神さま、ニャハハ~。三井住友海上・陸上部の妹分で、わが地元栃木の星・渋井陽子選手にも大変慕われていて、誠実で優しい姉御肌らしい。ルックスも、いわゆる美人タイプではないが、本当にキレイざんす。ちなみに、大きな声では言えないし、とりわけ妻には内緒だが、僕の机の引き出しには“礼子さま”に関する新聞の切り抜きがゴッソリ隠してあるのも事実だ。明日の朝も、コンビニで一般全国紙とスポーツ新聞を買い漁ることになりそうだ。僕自身は、ここ3年もの間、子育てに忙殺されて全く運動ができず、ホンジャマカ石塚体型まっしぐらの現状で、階段の上り下りにもフ~フ~言ってるが、以前はトライアスロンをやってたこともあり、ランニングや水泳・自転車など持久力系のスポーツをやるのが大好きだ。やりさえすれば、健康的にシェイプアップできるのは自明のことである。マラソン中継をダラダラ見てるのもけっこう目がないのだが、近頃は、あ~走れてうらやましいな~、という変な感想が浮かんでしまふ。これほど体が動かしたくてウズウズ・いらいらしてるのは、我が人生開闢以来の出来事ざんす。運動はなんでもそうだと思うが、しばらくサボっていて再開した場合、最初の5~6回は相当キツイと感じると思う。いかに自分の体がナマッているか、痛感させられる。そこんところを無理せず、自分の体と相談しながらだましだまし辛抱して乗り切れば、次第に筋力と心肺機能などがついてくる。体が出来てくる。そのうち楽しくなる。間違いない。ストレス解消はもちろん、うつ病予防にもなると、医学界からも太鼓判が捺されている。ウォーキングでいいから(できればジョギングなど)、皆様にもぜひ持久力系のトレーニングをお奨めしたい。・・・半年も続ければ、土佐礼子体型も夢じゃないことは、うけあいざんすよ。
2006.11.19
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読売新聞11月14日(火)付夕刊・文化面に、真鍋呉夫という人の連作俳句が掲載された。ぜひご紹介したい。冬銀河ダイヤモンド・ダストが包む子の眠り寒月に触れんと怒涛立ちあがる慟哭の凍れるごとき滝なりき冬銀河ひとは足から死んでゆく月天心なだれはじめし雪庇(びさし)月光のしたたりやまぬ氷柱(つらら)かなおのれには見えぬ暈(かさ)帯び雪女いや~、お見事。最終句を除けば、写生の基本に忠実でありながら、日本語の美の粋のような、何とも言えない言葉の桃源郷(冬厳郷?)が構築されている。一読して、うっとりと酔っ払ってしまった。どこのどなたかは存ぜぬが、華麗なる才能というほかはない。しかも、添えられた解説によれば1920年、福岡生まれというから、誤植でなければ、現在86歳!?!ホントかゑ?何という感覚の清新さ。僕自身が冬という季節も星空も大好きなので、一層そう感じるのかも知れないが。「月天心」という美しい言葉は、いつか使おうと思って温めてたので、ほんとに“やられたよ”って感じだ。自註によると、「この世のこと、何一つとして不思議ならざるは無きとぞよ」という本居宣長の言葉が、座右の銘らしい。こういう人もいるんだなあ。僕には俳句は短すぎて詠めない。だが、俳句こそ日本文化を煎じ詰めた究極の形式であり、しばしばこのように研ぎ澄まされた美の極致が現出する。・・・爪の垢でも煎じて呑みたいざんす。
2006.11.16
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My Little Lover;り・ぼんマイラバ AKKOが帰還した。少し齢を重ねて、ますます美しく洗練された落ち着きを身につけて。小悪魔だったAKKOが、いい意味で“奥様は魔女”になったって感じ。子育て休暇でしばらくのご無沙汰でしたが、2年5か月ぶりの待望の新曲、ついに登場!曲調は、センシティヴで心優しい都会派ポップ・小林武史節全開のハッピーチューン。このタイトル「り・ぼん」とは、Reborn(生まれ変わり、復活)かな~?・・・と僕はニランでます。ご存知の通り、旦那・小林武史は、ミスチル、レミオロメン、Salyu、Bank Band、綾瀬はるかのプロデュースで八面六臂の大活躍中。筆者とは、ほぼ同世代。よく体が持つね~。・・・しかし、子育てでお休み中だった愛する妻AKKOのことも、夢にも忘れていなかった。清楚な歌姫Salyuにばかりかまけていたワケではなかった!!寝る間も惜しんで、ニューシングルに加え、いつのまにかニューアルバムまでレコーディングしていた!!!スゴすぎるパワーだ。〔楽曲としての総合評価:76点〕
2006.11.14
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画面がフリーズしたかと思った。ウチはケーブルテレビを入れてるので、コンピューターめいたチューナーが時々本当にフリーズして静止画面になってしまう。大いくさの覇者・徳川家康と敗者・石田三成、直(じか)の対面。さすが中村橋之助、歌舞伎役者の修練を見せつける、微動だにしない無言の芝居。万感が込められた、究極の腹芸。日本文化のエッセンス、“もののあはれ”が漂った。ある意味、ローマ帝国ユダヤ総督カヤパスの前に引っ立てられ、「真理とは何ぞ?」(新約聖書マタイ伝福音書・文語訳)と問われたイエス・キリストのよう、などと言ったら、クリスチャンからクレームがつくか。家康も、それを演じる西田敏行も、ダブルでタジタジ、気おされた。関が原の戦闘場面は、今作では割にさらりと片付けた。このシーンに関しては、確か「関ヶ原戦役400年記念」という触れこみがあったから2000年だったか、大河ドラマ「葵 徳川三代」でたっぷりと手間と金をかけた壮大な描写があり、その総集編はビデオで録画してあるから、僕としてはもういいのだ。ジェームス三木脚本が見事だった。ウェブを覗いてみると、やはり評価はきわめて高いようである。今年のは、前にも書いたが、信長・秀吉・家康3代ダイジェスト版てところだね。その時の家康は津川雅彦で、松村邦洋が民放でやたらと披露したモノマネも似ていて面白かった。その子の2代将軍・秀忠に西田敏行。妻のお督(ごう、お江。浅井長政と市の三女で、淀の方の実妹)に極妻・岩下志麻。妻に頭が上がらない、やや頼りないコミカルな味がハマっていた。三成は、怪優・江守徹。豊臣家を守るという信念が昂じて、ややパラノイック(偏執病的)になったような演技が絶品だった。この時、囚われの三成に陣羽織を着せてあげたのは黒田長政(山下真司)で、山内一豊は影も形もなかった。いずれにせよ、突き放して言えばいくさのシーンなんてどれを見ても大同小異であるし、本当はもっとへっぴり腰でおっかなびっくり戦ったのが実相であろうから、いわば作り物であり、講釈師見てきたような嘘を言いの類いである。生きるか死ぬかの瀬戸際であんなに堂々とチャンチャンバラバラ渡り合えるワケがない。映画の方では、例えば黒澤明の「羅生門」の斬り合いのシーンや「七人の侍」の戦闘場面、市川崑の「股旅」(谷川俊太郎脚本)の集団抗争場面、山田洋次の「たそがれ清兵衛」の壮絶かつのたうち回るような戦いのシーンに、リアルな描写が出てくるが、これらは金を払わなければ見ることはできないざんす。山内一豊への戦後の論功行賞は、きのうのオンエアによれば、20万2,600石だそうだ。これまで私は、拙文の中で“土佐24万石”と書いてきたが、これも典拠のあることで、歴史の本にはそう書いてあるものも多い。ただ、「広辞苑」の山内一豊の項にも20万石とある。NHKの時代考証の正確さは信用できるから、転封された時点では事実なのであろう。その後に、何らかの加増か編入があったか、検地のし直しで増収があったということも考えられる。我が宇都宮藩も、廃藩置県時には15万5000石だったとされるが、18万石と書いてある本もあり、はっきりしない。時代によって変遷があったのかも知れない。いずれにしても、この表高というのは、名目・目安に過ぎず、それほど正確なものではない。また稲作以外の収入も算出されておらず、その後はますます有名無実なものになっていった。家康が秀吉から封ぜられた関東(関八州)にしても、実質は“七州以下”に過ぎなかった。上州(群馬)・野州(栃木)などには古い抵抗勢力が残存していた。我が宇都宮でも、少なくとも平安時代に遡る古い豪族で、代々地元・二荒山神社の宮司を兼ねており、鎌倉幕府の御家人でもあり、あの歌聖・藤原定家と姻戚関係にあったほどの名家・宇都宮氏が最後まで抵抗したが、玉突き矢折れ、この時代に流散した。これが現在の全国宇都宮氏の先祖である。けっこう有名な人も出ている。さて、山内一豊の前途にも同じハードルが待ち構えている。一豊の寿命もあと5年。ドラマも残りわずかとなったが、老骨に鞭打って、ご苦労様なことであります。家康が事実上天下を手中に収めたとはいえ、まだまだ気分は戦国時代。土佐には、長くこの地を支配し土着してきた長宗我部氏の残党が跳梁跋扈しており、黙って国を明け渡すとは思われぬ。後世の忠臣蔵のセリフではないが、事と次第によっては「城を枕に討ち死に」というぐらいの“美学”と、“武士の一分”の気概もあったであろう。移封されて栄転する方は嬉しいだろうが、される方は堪ったものではなかった。太閤検地に見られるように、この時期、検地の技術・ノウハウは急速に進歩したが、それは支配される側から見れば、事実上苛斂誅求な“大増税”にほかならなかった。いわば“第一次一揆ブーム”といえることが、この時期起こっている。山内・土佐藩は、まつろわぬ残党を力で抑えつけようとし、懐柔工作も試みたが、この遺恨は幕末まで残り、一説によると、戦前、いや現代ですら消え去っていないとも言われている。ただ、移封に伴うこうした軋轢は、当時多かれ少なかれどこでもあったことであり、戦国武将であれば常識として知っており、覚悟していたであろう。例えば、秀吉が最初に拝領した近江(滋賀)今浜は、それまで浅井家の領地であり、水上交通が盛んであった当時、“ドル箱スポット”であったといえる。秀吉は、「今浜(新開の波止場)」の名を、おそらく信長から一字貰って、縁起のいい「長浜」と改めてご機嫌を取っている。全く日本歴史上まれに見る、気が利く男である。抜け目のないゴマスリの天才である。浅井家といえば、千代の父・若宮喜助の主筋であり、千代の胸中も感無量であったろう。家康自身、関東移封後は、江戸城や城下のほとんど一からの構築をはじめ、新領地の経営には相当苦しんでいる。家康が一豊に感謝していたのは真情であり、特に腹黒かったというのは言い過ぎだろう。六平太の言い方にも一理はあるが、ドラマツルギー的誇張であり、ちと家康に酷である。この時弾圧され屈従した側の郷士の末裔の一人が、かの坂本龍馬である。同じ苗字の誼(よしみ)でちょっと触れると、この坂本家は土岐氏の明智光秀の流れを汲んでいるらしい。坂本の苗字にしても、光秀の居城であった近江(滋賀)坂本にちなむものであるといわれる。幕末の動乱の中、大政奉還への志を同じうしながら、一豊の子孫である山内容堂と龍馬には、身分の違い以上の微妙な険悪さが漂ったといわれるのは、このためかも知れない。龍馬を尊敬してやまない元・海援隊の武田鉄矢が、今回の出演を最後まで渋ったというのも肯ける話ではある。・・・ところで、家康側近の井伊直政を演じている篠井(ささい)英介という役者、音吐朗々としてなかなか上手く、どこかで見たことがあるけど誰だっけなあと思っていたところ、先ほど放送された「スタジオパークからこんにちは」を見て氷解した。現代劇の女形として脚光を浴びている旬の人であった。さすがNHK、心憎い配役をするなあ。相変わらず、まとまりのない文章ですんまそん。
2006.11.13
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NHK「おかあさんといっしょ」(教育テレビ;午前8:35~、午後4:20~)の「今月の歌」に、きたやまおさむ作詞、加藤和彦作曲の(たぶん)新作「ありがとう お母さん」が登場して数日経った。彼らの新譜を聴くのは、本当に久しぶりだよおっかさんである。一聴して、名曲だと思う。お父さんは感激である。朝の子供たちの世話は僕の担当なのだが、楽しみが増えた。さすがというべき作詞者・作曲者は1960年代末に一世を風靡したあの伝説のグループ、フォーク・クルセイダーズ(フォークル、正式表記は「フォーク・クルセダース」)の名コンビである。加藤和彦のメロディ・アレンジは、定石ながら、閉所恐怖症のない伸びやかなメロディーと、夢見るような感じの山下達郎・高中正義系ポップチューンのノリで酔わせてくれる。きたやまおさむの詞は、豪速球の直球ど真ん中ストレートな愛の吐露であり、子供からお母さんへのラヴソングといったテクスチャー(肌触り)が、凡百の幼児向けソングに屹立する“胸キュン度”で、一聴に値する出来になっている。「あなたなしでは生きてゆけない。 I can’t live without you.」なんていう恋愛の常套句は、なるほど、実は母と子の関係にこそふさわしい言葉だと気付かせてくれる歌詞である。目からウロコです。タカラジェンヌ出身の“うたのおねえさん”はいだしょうこと、劇団四季のミュージカル俳優出身の“うたのおにいさん”今井ゆうぞうの歌唱も、優等生的ではあるが、もちろん完璧。・・・ただ、これを加藤和彦の、あの独特のエロキューションのヴォーカルで聴いてみたいと思うのは、僕だけではないだろう。なお、幼い子供たちは、必ずしもこの曲を喜んでいない。むしろ、嫌がり、やや怯えてさえいる(笑)。実は、子育てをしているとこういうことはしばしばある。僕ら大人が聴いていいなと思う曲には、一定の緊張感・緊迫感、研ぎ澄まされた美しさがあり、それが幼児の耳で聴くとコワイらしいのだ。この曲も、おにいさんおねえさんがいつになく緊張の面持ちで歌っており、それが伝わったようだ。ある意味では、子供たちの耳がいい証拠といえるかもしれない。一般的に、教育的配慮の行き届いた幼児向けの歌というと、やはり表現としては大きな制約があり、片肺飛行になりがちと思われるが、時々、その規矩を突き抜けてこちらの魂に届き、胸震わせる名曲が出現してきたのも見やすい事実である。野口雨情「赤い靴」、「赤とんぼ」、「シャボン玉」、「証城寺の狸囃子」とか、現役の文部官僚であった高野辰之の手になる「朧月夜」、「紅葉」、「故郷」、「春がきた」、「春の小川」、「虫の声」などの天才的な作品群、中村雨紅の不朽の名作「夕やけ小やけ」、さらにいちいち書かないが北原白秋やサトウハチローの作品群などは、もはや日本人の魂のふるさとともいえるスタンダードナンバーである。きたやまおさむが、’60年代から一貫して追求してきたのも、こういった湿潤な、おしぼりウェッティでセンティメンタルなロマンティシズムであり、日本人の心の奥深くに放置されがちなこうした素朴実在的な情緒纏綿さである。きたやまおさむって人は本当に変わった人だと思う。知ってる人は知ってるだろうが、著名な精神分析学者で九州大学教授の北山修氏と同一人物であることは、隠れもない事実である。 すばらしい創造者であり頭もいいのだが、本質的に変人であり、反時代的異端者であり、どこまでも夢追い人のさすらいびとである。しかも、僕の見るところ、この人にはいい意味でも悪い意味でも“照れ”がない。普段の話し方などでは“露骨さ”を嫌い、含羞・恥じらいを感じさせつつも、いざ詩的表現の場(トポス)においては、全く臆面がなく、堂々としている。あんたが一番ロコツなんだよと、突っ込みの一つも入れたくなるのである。“キザ”というのとは少し違うと思うのだが、いわゆるステレオタイプな情緒を含め、普通の大人だったらとても書けないだろうと思われるような、オケツがこそばゆくなるようなおセンチな詩やら、逆に誰もバカバカしくて思いつかないようギャグを平気で書いたりやったりできるのが、最大の個性であり特徴である。フォーク・クルセイダースの代表曲とも目される「帰ってきたヨッパライ」をはじめ、あの突拍子もない発想の数々は、今思うとやっぱりきたやまのカラーだったんだなと思われる。決して、腐しているわけではない。詩的表現やその他表現一般に興味を持つ者にとっては、まことに範とすべき資質である。照れていては、何も書けず、何もできない。四の五の言う前に、まず表現することだ。自己アセスメントや反省はその後でいい。我々の世代には、まさにナツメロそのものである。遠い昔、僕たちが思春期に差し掛かったころ、フォーク・クルセイダースはすでに解散していたが、加藤はサディスティック・ミカ・バンドなどで瞠目すべき活躍を見せ、北山は作詞家として驚くべき名作の数々を量産しつづけた。二人とも、短期間ながら、天下を取ったといって差し支えなかろう。その後のポピュラー音楽シーンに与えた影響は計り知れない。・・とは言っても、同窓会とかでカラオケで歌うのは勘弁してほしい。ジョン・レノンならいくらでも歌っちゃうから。親友K(お前のことだよ!!)はやたら歌いたがるが、・・・命かけてと誓った日から素敵な思い出残してきたのにあの時同じ花を見て美しいと言った二人の心と心が 今はもう通わないあの素晴らしい愛をもう一度(「あの素晴らしい愛をもう一度」北山修作詞・加藤和彦作曲)・・・な~んていう歌詞を、40ヅラしたいいオヤジが、恥ずかしくって肩なんか組んで歌えないっての!!!泥酔すれば歌えるかも知れんが、それはそれでみっともないだろうし。ところで、きたやまと加藤の友情関係も、いったいどうなってんだろうと、オールドファンとしてはいぶかしまずにはいられない。加藤和彦って人は、音楽的才能はものすごいものがあるし、特に若いころはルックスもカッコ良かったのだが、文学的才能、すなわち作詞能力がないようである。さらに、どうも人徳がないのか何だか知らないが、初代サディスティック・ミカ・バンドのミカには去られ、ドラムスのつのだ☆ひろに去られ、ギターの高中正義に去られ(今思うと、すぎょいメンツだす)、作曲家としては多少の実績は残したが、長い間何をして食ってるのかよくワカランという感じもあった。この人のことだから、霞を食って生きていたのかも知れないが、いつまでも未完の大器という憾が拭えなかった。その間、あれよあれよという間に北山は天下の旧帝大の大学教授になってしもうた。加藤の方は、なんかやる気を失ってたようにも見えた。最近は“ミカ役”に、人気絶頂の木村カエラを迎えてミカバンドを再結成するなど、再びヤル気を出してるようなので、大いに期待しているところである。この人が妙に考えすぎずに本気を出せば、まだまだ凄いポテンシャル・エナージーを秘めてると思うんだけどね。それにしても、端田宣彦(はしだのりひこ)はどこへ行ってしまったんだ?・・・いわく人生、奇妙奇天烈摩訶不思議。
2006.11.09
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二人のプラットホームは、どんな場所にでも現れる。 Salyu;プラットホーム11月1日にリリースされた。清冽で静謐でスケールの大きなバラードだ。Bank band with Salyuの「to U」や、先日の「name」など、今年メージャーシ-ンでブレイクし、その超絶の歌唱力を広く知られるに至ったSalyuにしても、作詞作曲・プロデュースの小林武史にしても、悠々としたゆとりと揺るぎない自信が感じられ、それがそのままゆったりと伸びやかでノスタルジックな美しい曲調に反映されている。このようにして、ずっと僕たちだけのマイナーな存在だったSalyuも、時代のディーヴァとして光の中へ飛翔しはじめた。大きな祝福を捧げつつ、一抹の寂しさも禁じえない古くからのファンの贅沢な嘆きは、よくあることではあるが。秘密戦隊アレンジャー歴が長く、小技もけっこう得意な老練・小林選手が、この曲では猪口才なアレンジの小細工を全くといっていいほど弄さず、正統派クラシック音楽の逸品を聴いているような優雅な充実感を覚える。聴こえるか聴こえないかに抑えられたオーケストレーションを従えて、ほとんどSalyuのヴォーカルとピアノとギターだけのシンプルな陣容で紡ぎ出されるサウンドは、あにはからんや、むしろゴージャスささえ漂わせ、気品――高貴な香りといってもいい――を全編に湛えている。歌い出しのAメロは、名曲「彗星」にちょっと似ており、クールで洗練されていて、それでいて温かい、毎度お馴染みの“コバタケ節”全開。流麗なBメロの展開を経てサビに入ると、かつて聴いたことがないような独創的なメロディラインが朗々と歌われる。近頃これほど美しいメロディに接したことはないので、めまいすら覚えた(働きすぎで、少しこちらの体調が優れないせいもあるが)。タイアップ映画の主題曲という性格が、いい方向に作用している。骨の髄からロマンティストの小林武史が、Salyuという魔法のパレットを駆使して思う存分描き出した至福の境地。感動と陶酔のあまり、歌詞についてはまだ十分に熟読吟味してないので、追って若干加筆することとするが、いつもながら研ぎ澄まされた日本語表現であり、かなりいい。おそらく大人どうしの恋愛であろう。しかも遠い昔に知り合った人――同級生か何か――との再会であろうか。また、もう少し大きなもの、人間と人間のコミュニケーションについて歌っているようにも思える。地下鉄のプラットホ-ムというありふれた場所が、銀河鉄道の始発駅のように、生と冒険と物語の出発点になる。なお、僕にとっては割とどうでもいいのだが、深夜の地下鉄の一駅を借り切って撮影したと思われるプロモーションビデオクリップ(PV)の映像は、初期のSalyuのそれに先祖がえりしたみたいな異形(いぎょう)なイメージに溢れ、いい意味でふざけていて、面白くもゲゲッ!である。確かめてないが、たぶん同じディレクターであろう。けっこういいセンスしてるんだ、これが。地下鉄車内で、オカマとかデブ女とかパンク小僧とかゴスロリ少女とか凶暴な目つきをしたオタクとか、澁澤龍彦系やシブヤ系やアンダーグラウンド系など、都市の内なる辺境の狂気を感じさせる群像が引きも切らず出現してくるさまは、グロテスコエロティシズムを垣間見せ、椎名林檎のインチキくさい世界よりよほど説得力ある演劇性と虚飾性を醸し出している。これらは、はっきりいって僕の趣味ではないが、その中で“掃き溜めの鶴”的にたたずむSalyuが、処女懐胎を大天使ガブリエルに告知される寸前の聖母マリア(新約聖書・路加伝福音書、レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」)のごとく凛として清楚であり、なおさら、いっそう、ますます、めっちゃいとおしい。〔楽曲としての総合評価:91点〕――なお、椎名林檎のファンの方からブーイングをいただきました。ごもっともです。ただ、椎名は、あの一種のインチキくささ、パロディ性・パスティーシュ性(意図的知的模倣性)が持ち味です。それはそれで魅力的なワケです。言葉足らずでした。
2006.11.06
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偶(たま)に、なんとなく旧かなづかひで書きたくなつた。「夏目漱石」みたいですね~。・・・かういふことをするから、読みづらくなつてアクセスが伸びないんだよね。けさ、子供たちにミルクをやりながらNHKエデュケイショナルTVを視てゐたら、「おかあさんといつしよ・あそびだいすき」のまへに「しばわんこの和のこころ」といふミニ番組をやつてゐて、東京の向島百花園(むかうじまひやくくわゑん)を紹介してゐた。ニヤンとも落ち着いた、しかもはんなりとい~い風情の場所に見えた。さういへば、昔東京に住んでゐた頃、一度ぐらゐは行つたことがあるかも知れない。百花園は、東京都墨田区東向島三丁目、東武伊勢崎線玉の井下車。近代でも永井荷風など、いかにも文人墨客が愛してやまないロケーションにある。それにしても、かういつた番組はさすがNHKの独壇場、高い受信料払つてゐるだけのことはある。“百花繚乱”、“百家斉放”といつた言葉は古(いにしへ)よりあるけれども、エンサイクロペディアを百科事典、デパートメントストアを百貨店と訳した人には、何ほどかこの向島百花園が頭にあつたかも知れないね。お江戸の人が物識りなのは、かういふのがあるからなんだなあと、一寸羨ましくなる。私も、三十代半ばまでは、ホンダCBR750、スズキKATANAなどのモーターサイクル(オートバイ)の名車に跨り随分といろんなところに行つたが、次第に齢を取つてきたせゐか、近頃ではやたらに遠出をするより、かういふ身近な沁みじみとした情緒に心惹かれるやうになつてきた大江戸には、大自然はないかも知れぬが、洗練された知識の集積があつて、たとへば草花の名前ひとつ取つても、図鑑で見るのと実物を見るのとでは大違ひだ。生きた標本には敵はぬよ。こなた田舎では、少し足を伸ばせば大自然は未だありすぎるほどあるし、その懐に飛び込んでじつくりと静謐を味はふこともできるが、反面、整理された秩序が欠けてゐるといへるかも知れない。ま、隣の芝生は青く見ゆ。一長一短あるけれどもね。
2006.11.04
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人気ブログNIJIの夢のブロガーで、蔭ながら尊敬申し上げているNIJIさんのノートパソコンが突然破損し、ハードディスクの交換という騒ぎになっているという。NIJIさんの記事によれば、お仕事関連の重要情報を含め、約300,000件(マジすか!?!)のファイル、フォルダー、メールのうち、業者の手で半分はサルベージ(救済)できるが、半分は捨てることになるという。これが我が事だったらと、考えただけでゾッとする話だ。こりゃ“デスノート”じゃなくて“デッドノート”か、いや“ドレッドノート級”(ド級)の衝撃だ、などとワケの分からん悪いダジャレはさておき、本当にお気の毒です。お慰めする言葉も思いつきません。確かに、僕のPC備え付けのハードディスクにも、NIJIさんほどではないにしても、失いたくないデータは少なくない。長年のメル友のメールだって大切だ。まさにメモリー(記憶・思い出)だ。こういうことを聞くにつれ、普段からコンテンツ・データのバックアップというのはしておかなければいけないなと痛感する。できればネットにつながっていない記憶媒体(外付けハードディスク)などにコピーするのが理想だろう。ただ、後からの検索とかが容易なのかとか、不安もある。メールなどは、今話題の容量無制限のグーグルメールなんてのはどうなんでしょうかね?これをバックアップがわりに使うってのは?ブログなんかも、大事な記事ぐらいは、できればバックアップ用の(他社)ブログを持っておくのもいいかもしれない。というか、僕はすでにそうしている。もちろんブログのコンテンツはブログサービス業者(運営者)、すなわちこのブログでいえば楽天のサーバーに記録されているわけだけど、これも絶対安全とは言い切れないだろう。大地震でも起こったら大丈夫だろうか?ゴジラが上陸して踏み潰したら?現代の東京は、まだそうした実地試験を経ていないのである。・・・用意周到に過ぎるといわれちゃうかも知れないけどね。
2006.11.03
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大河ドラマ「功名が辻」前々回の、細川ガラシャ(グラーシア、英語グレイスに相当)夫人の辞世の歌「散りぬべき時知りてこそ世の中の花は花なれ人も人なれ」は見事であった(逐語訳:散ってしまうであろう時を知ってこそ、この世の花は花である、人も人である)。辞世の歌に、係り結び(こそ・・・なれ)で、しかも「花なれ」と「人なれ」の両方に係るという、高度なテクニックを用いている。誤解を恐れず言えば、おしゃれである。優雅の極みである。ついでに言及すれば、太閤秀吉の辞世「つゆとをちつゆと消えにしわが身かな なにはのことも夢のまた夢」(露と生まれ露と消えてしまった我が身だなあ、大阪のことも夢のまた夢)もすばらしい。下手な和歌の代名詞「腰折れ」(上3句と下2句が切れている)の典型であり、何となくギゴチなくてヘタウマなところが好感が持てるし、第一意味内容が驚くほど謙虚というか、謙遜と韜晦と自嘲と、それでも夢のように楽しい人生だったという満足・至福感が綯い交ぜの真情の吐露になっていて、泣ける出来になっている。日本の政治家の歌として出色といえる。晩年はちょっと独裁的傾向が目立ったが、本当はやっぱりいい奴だったんだなと思わずにはいられない。・・・それも彼一流の情報操作の一環かも知れないが。誰しも、明日何が起こるか分からない。日本人なら辞世の一首を用意しよう。気位が高いといえば、浅井攻略ののち近づいた秀吉に、「寄るな、汚らわしい」と一蹴したお茶々姫(現・淀の方)もカッコ良かったよね。ベビーフェイスの演技派怪優・永作博美がばっちりハマっている。昔も今も、こういうツンケンした険のある美女に、男は神秘性を覚えちゃうし、虜になる奴はなるから不思議だ。大河ドラマ「功名が辻」の“巧妙”な構成は、さすが国民作家・司馬遼太郎の原作を仰いだことが最大の勝因であろう。第一に、山内一豊の妻を主人公に据えたことで、信長・秀吉・家康の日本史三英傑による天下統一過程がダイジェスト版で通観できること。当然、歴史マニアから見れば、いかにもドラマの進行は駆け足であり、物足りないと思うところが数多いが、これはやむを得ない。これまで見てきて、やっぱり巧いな~と思うのは、六平太という謎めいた神出鬼没の人物の跋扈である。実は、最初のほうでは、千代と六平太の絡むシーンは、うるさいな~、こんなシーンやってる暇があったらもっと歴史的事実を丹念にやってくれよと思っていたぐらいだったが、千代も一豊も六平太も年を重ね、長い付き合いになればなるほど、一つの風情というか、感無量というか、重い思いというか、浮かび上がってくるものがあるのだった。もちろん架空の人物であろう。歴史の大河の流れの中に無数にいた無名の声なき勇者である。設定によれば、千代の父で近江(滋賀県)の浅井家郎党・若宮喜助の子飼いの部下だったが、六角家とのいくさに敗れ、伊賀で忍者の修行を積んだということになっている。なお、千代の母親役は、絶世の美女・木村多江さま。ワタスはこういう繊細系のスレンダー美女、ド真ん中ストライクでありんす。女優として、なぜもっと売れないのか不思議だす。古来、伊賀者といえば、家康が重用した服部半蔵正成をはじめ、一種の美学があったとされ、そのスタイリッシュな風貌・身のこなし・不言実行の生き方は今に伝えられている。文藝春秋編江戸こぼれ話(売り切れ)を読んでいたら、伊賀出身の武士であった俳聖・松尾芭蕉は、狭い意味での隠密・忍者ではなかったが、「上忍」であったろうという記述があり、ハタと膝を打った。・・・なるほど、上手い表現だ。精神的なものを含み、確かに彼の漂白の生き方と研ぎ澄まされた表現は「しのび」の心を体現している。最高傑作 古池や蛙とびこむ水の音 は41歳で詠んでいる。私はその年を疾(と)うに超えた。己の菲才を嘆くのみ。日光東照宮で呼んだ雄句 あらたふと青葉若葉の日の光 は確かに徳川家康を太陽に喩え、併せて日光に掛けている。なお、辞世の歌を話題にした流れで、芭蕉の辞世の句にも触れると、これは有名な旅に病(やん)で夢は枯野をかけめぐるである。決まった。完璧である。1句目の字余りさえ完璧である。何も言うことはない。さて、六平太は何を思って、これほどまでに千代(と山内家)に尽くしてくれるのであろうか。ドラマを見る限り、昔世話になった若宮家の恩返し(義理)に加えて、千代への思慕の念だけが見える。忍の者にふさわしい忍ぶ恋である。現代の言葉遣いで言うと、千代への純粋な愛、純愛である。ただ配役が香川照之のせいか、今一つロマンチックさには欠けるが、ドラマに艶(つや)をもたらしている。さまざまなシーンで、蔭ながら命がけで千代と山内家を支えているように見える。一豊様も律義者かも知れんが、立身出世という巨大な報酬がある。六平太の“誠”は至純である。・・・とすると、これは“騎士道”である。御家大事・男尊女卑の日本の“武士道”にはきれいさっぱり欠落している要素である。月光の中、窓辺のバルコニーに佇む身分違いの姫君への愛を心に秘め、身は土くれに還ろうとも一命を賭して守る西洋騎士道精神が、この忍びの者の中には息づいているのである。・・・実はこういう気分、かなり分かる、と言わざるを得ない。身分というものが表向きなくなった現代ですら、忍ぶ恋というのは十分ありうるという実感がある。「ボヴァリー夫人」以降の近代西洋文学なら、間違いなく不倫の恋に発展するだろう。・・・そういう意味では、かの石田純一の名言「不倫は文化だ」も、言い得て妙である。しかし「山内一豊夫人」の場合は、さすがにそうはならない。ここは日本であり、戦国時代だからである。「無法松の一生」なんていうのも、豪快な明治男の人情話に見えて、実は亡き軍人の妻への秘めたる愛が通奏低音になっており、明治以降摂取された西洋文学の典型的産物であるといわれる。田村正和の父・坂東妻三郎の代表作であり、子役の沢村アキオは、歩く日本映画史、現・長門裕之である。脚本は伊丹十三の父、万作。戦後のリメイク、三船敏郎(東宝)バージョンもすばらしい。なお、三船版の無法松の子供の頃の回想シーンに、ワンシーンだけ出てくるその父が、「バカボンのパパ」のモデルではないかと、僕はニラんでいる。作者・赤塚不二夫が非常な映画狂であり、無数のアイディアを邦洋の映画から採っていることは周知の事実である。“ベシ”は「七人の侍」の村の長老のパロディであることを公にしており、飼い猫には同じく「七人の侍」の主人公・菊千代と名づけるほどであるから、ありうる想定だと思う。ともあれ、源氏物語という傑作を持つわが国の軟派系文化とロマンティシズムは、壇ノ浦で平家とともに海の藻屑と消え去り、マッチョな平家物語の登場とともに血沸き肉踊る軍記物・講談話に取って代わられたのである。
2006.11.02
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