全9件 (9件中 1-9件目)
1

早咲きの桜が開花(菩提寺である、近所の浄土宗清巖寺にて。3月28日撮影)この桜の木の根元には、歌聖・藤原定家の子息に自分の娘を娶(めあわ)せたほどの親友で和歌の弟子で、「小倉百人一首」を定家に「発注」した大パトロンでもあった宇都宮頼綱(出家して蓮生法師。宇都宮第5代城主で鎌倉幕府の有力御家人であったが、政変で失脚)の墓(供養塔)がある。 白木蓮と桜が開花――近所(宇都宮市大通り5丁目・旧清水町)の清巖寺(せいがんじ)にて、28日撮影ハタと気付いてみると、このブログの初心はビジネスブログのつもりだった。テーマをもう少しお仕事・本業の方にシフトしようかな、などと考えてる今日この頃であります。「ダイエット理論」については、有酸素運動(エアロビック・エクササイズ)と中性脂肪の消費の関連について、今改めて勉強し直しているところです。E.A.ニューズホーム(オックスフォード大教授)、A.R.リーチ(グレシャム・スクール教諭)共著の「医科生化学 Biochemistry for the Medical Sciences」(野口知雄・城戸亮監訳、講談社)という、1万円もした本など読み直してます。これは確か業界の所用と東京見物がてら、日本橋・丸善で買ってきたのだった。そのほかにも関連書籍を何冊か。ウェブサイトも渉猟中。上の本は、さすがに詳しくて納得の記述だが、クソ忙しい中、読むだけでも大変だ。骨子の要約はもっと大変だ。誰に頼まれたわけでもない「ダイエット理論」の連載、少し後悔し始めております(笑)。10~15年前にブログってものがあったらよかったんだけどね。その頃は僕自身も運動オタクの最盛期で、ホントに詳しかったと思う。歳月は残酷なもので、ほとんど忘れてしまった。・・・我ながらボヤキが多いな。良く言えば「ダイハード」の刑事の美学か(?)。結論だけ、簡単に書いときましょうか?ダイエット(食餌)を伴わない場合、1時間の軽い有酸素運動(ジョギング・水泳など)→約350kcalの消費で、(個人差が大きく、ハッキリとした数値のデータは見当たらないが)たぶん30~40gぐらいの皮下・内臓脂肪(1g当たり約7kcal)が消費される。なんだ、丸1時間も運動してそんなものか、と思うだろうが、理論的には確かにこんなものである。運動をすればすぐ脂肪が燃やせます、みたいに書いてあるウェブが多いが、これはちょっと調子が良すぎる。グリコーゲンの燃焼が優先されるのだし。仮に1回33gとすると、3回の運動で100g、30回で1Kgということになる。これはちょっとしたものである、とも言える。いずれにせよ、もう少し勉強しますだ。しばらくお待ち下さいまし。あ~忙しい。
2006.03.28
コメント(1)
思はず、旧仮名づかひで書きたくなつてしまつた。リリイスされてから間もなく一年が経つ。この曲にふさはしい季節が近づいた。切なくも美しい珠玉のバラードである。たぶんこの世では添ひ遂げられなかつた「私」と「あなた」の恋物語である。川江美奈子の見事な歌詞からは、きつぱりと「夏」が捨象されてゐる。桜色舞ふころ/私はひとり/あなたへの想ひを/かみしめたまま想ひをかみしめたまま、どうなつちやうんだらう。死んぢやうんだらうか?さうだとしても、それでよかつたのかも知れない。花吹雪の舞ひ散る中で、私にはあなたを想ひつづけながら息絶える自由と至福があるのである。西行だね。願はくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ 西行(山家集)東洋思想の四季観と人生観によれば、人は玄冬(~15歳)、青春(~30歳)、朱夏(~45歳)、白秋(~60歳)を生きて、60歳の還暦で再び生まれ変はる。赤いちやんちやんこで赤ちやんになるわけだ。それぞれを象徴する想像上の動物(四神)は、玄武(亀)、青龍、朱雀(すざく)、白虎(びやくこ)。それぞれ北、東、南、西に当たる。高松塚古墳の内部に描かれてゐるのがそれである。また、皇太子を東宮(とうぐう、はるのみや)と呼ぶのもさういふ意味である。さらに、大相撲櫓(やぐら)の四隅に垂れ下がっている、赤房・青房・白房・黒房というのも、これを表象したものである。・・・などと、またしてもつまらぬ知つたかぶりをしてしまつたが、この歌は、そのやうな人の四季/時空を歌つているやうにも聞こえる。桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける 紀貫之(古今和歌集89)文部省唱歌風の清潔感溢れるピアノのイントロで始まるサウンドは分厚く、強調(エンハンス)されたベースの音色が重厚にして甘美、スタティック(静謐)でソリッド(稠密)な音の宇宙のプレゼンス(現前)を実現してゐる。あくまで独断だが、僕の中では稀に見る完全音楽作品であり、シンガー/ヴォーカリスト中島美嘉の頂点を密やかに刻んだ逸品である。このレビューは、http://oops-music.com/ に転載します。
2006.03.26
コメント(2)
さて、運動のメカニズムについて、筆者自身の頭の整理を兼ねて、要点を簡単にまとめておく。ちょっと堅くなるが、しばしお許し願いたい。日常生活での挙措動作やシェイプアップにも関係があることである。運動・動作をするということは、つまるところ各種の筋肉を収縮させることであるが、(随意筋も不随意筋も)全ての筋肉は、ATP(アデノシン三燐酸)がADP(アデノシン二燐酸)とP(燐)に分解される化学反応(ケミストリー)によってそのためのエネルギーを得ている。このエネルギーは、神経細胞の励起(エキサイト)、肝臓などでの各種合成・分解にも用いられる。この過程はそれぞれの器官の細胞の細胞質および小器官ミトコンドリア内で行われる。今話題のコエンザイム(補酵素)Q10は、もともとここに作用するものらしい。このATPの分解のためにもエネルギーが要るのだが、そのために3種類の供給路が用意されている。I)まず第1は、ATP-CP(クレアチン燐酸)系と呼ばれるメカニズム。無酸素過程(アネロビック・プロセス)。CPという物質はある程度体内に蓄積できるので、これがクレアチンと燐酸に分解する化学変化でエネルギーを産み出す。ただ、ストックできる量は少なく(100g程度)、全力運動で使った場合、約8~10秒で枯渇する。スポーツ種目でいうと、エリート・アスリートの100m走、一般ピープルの50m走、ジャンプ・投擲系スポーツ、相撲・空手の主要な動作、野球の主要な動作(投げる、打つ、走塁)、マリア・シャラポワのスマッシュなどに当たる。(スポーツショップに行くと、クレアチン類似物質を商品化したものを売っており、高度な競技スポーツ選手などが使っているようである。最大20%の補給ができるそうだが、われわれ凡夫には縁なきものである。)II)次に、乳酸系。これも無酸素過程。筋肉や肝臓の細胞に蓄えられた多糖類の一種・グリコーゲン(約400g程度)が乳酸に分解する過程で発生するエネルギーを利用する。これは、いわば糖質がアルコールになり、さらに酢酸(酢・ビネガー)になるのと似ている化学変化である。これは全力運動で1~2分間続けられるが、その過程で大量の乳酸が発生し、乳酸は酸であるから、通常弱アルカリ性の血液のpH値が低下し(酸性に傾き)、痙攣したり呼吸困難に陥ったりしてそれ以上の運動を妨げる。乳酸菌飲料といえば、ブルガリアヨーグルトとかヤクルトとかカルピスとかでお馴染みであるが、血液の中では悪玉である。ただ、乳酸自体は疲労物質でなく、身体の一種の自己防御的指標(メルクマール)に過ぎないという、難しい学問的議論もあるが、省く。トップレベルで見ると、陸上の400~800m走、水泳の100~200mに当たる。競技レベルであればどのスポーツも苦しいが、体感的に最も苦しいのがこの乳酸系(中距離)運動とされる。以上のI)、II)とも、中性脂肪(その多くは皮下脂肪)は全く消費されない。シェイプアップに直接には役立たないが、筋肉量を増やす適切なウェイトトレーニングとして用いれば、基礎代謝量を大きく増やす効果がある。これについては後ほど改めて書くことにする。----------------------------------------------------------------話は逸(そ)れるが、市販のカレールーでなく、S&Bのカレーパウダー赤缶とか、ガラムマサラ・スパイスを調合して使うとかの本格カレーレシピ教本レベルになると、玉ねぎをキツネ色になるまで、最低でも30分、フツーに1時間炒めて甘味を出すとか、恐ろしいことが書いてあるのが常であるが、これは揮発性の辛味成分・硫化アリルを飛ばすとともに、植物細胞特有の堅固な細胞壁を破壊して、来るべき発芽に備えて細胞質内に蓄えられた糖質を取り出すための作業である。このように植物も動物も細胞内にエネルギー源として糖質を蓄え、さらにそれでも不安なので、脂肪細胞に中性脂肪を貯め込むのである。人間の皮下脂肪の場合、熱量は普通1g当たり7kcal程度で計算する(学者によって多少見解が違う)。グリコーゲンといえば江崎グリコの社名にもなっており、「グリコのおまけ」育ちの世代には懐かしい響きである。ちなみにロッテは、世界文学の最高傑作の一つともいわれるゲーテの自伝的スキャンダラス書簡体小説「若きウェルテルの悩み」のプロタゴニスト(主人公)・ウェルテルが思いを寄せる高貴で美しい人妻の名前。シャルロッテという実在のモデルがいた。この作品の中でゲーテは、懊悩の果てに自己を処刑することになる。カルビーは「カルシウムとビタミンB」から名付けられた。韓国語カルビとは無関係。「かっぱえびせん」にカルシウムが多いことは分かるが、ビタミンBがそれほど多く含まれているかどうかは不明。話はますます逸脱するが、「3分間で消耗する」ウルトラマンの戦闘エネルギーは、たぶん基本的に I)、II)の過程で得られるのであろう。また、「太陽エネルギー」がどーたらこーたらと、ナレーターだった若き日の石坂浩二が言っていたから、「光合成」による糖質(葡萄糖、グリコーゲンなど)の合成も関与しているのであろう。――それで思い出したが、光合成の解明は、今どうなっているんだろうか?光合成は、ヨーロッパ諸語で photosynthesis。 photo- は photograph(写真)の語幹にもなっており、「光」の意。synthesis はヘーゲル弁証法哲学でいう、「正、反、合」すなわち「措定(テーゼ)、反措定(アンチテーゼ)、総合(ジンテーゼ)」の総合。PSEなし中古家電販売禁止問題の核心となった、ムーグ・シンセサイザーのシンセサイズ、である。だからどうした?と言われても、別にどうもしないのであるが。太陽光のエネルギーで、水と炭酸ガス(二酸化炭素)から有機化合物(糖質・でん粉質など)を作りだし、酸素を吐き出す、大自然の、または神の、偉大なる恩恵である。僕らが夢見る科学少年だったころ、桜色舞うころ、光合成(緑色植物における、光による炭酸同化作用)のしくみを解明できたら、ノーベル賞の2つや3つは軽く当確だと言われていた。今関連のウェブサイトを調べてみると、やはり、未だに解明されていないらしい。しろうと目にも相当複雑なのだろうとは想像に難くない上に、人類の歴史に一大変革をもたらす可能性があることだけに、研究者が二の足を踏んでいるということも考えられる。なにしろ、もし光合成の全過程が解明され、「人工光合成」が実用化できれば、地球環境保護問題の大きな部分・一酸化炭素の削減がなんなく可能になるかも知れない、といった話である。京都議定書も反故になるかも知れない。また、発展途上国の飢餓問題が一挙に解決できるかも知れない。下手をすると、大部分の農業の必要性がなくなってしまうかも知れない。・・・しかしまあ、人工光合成で作られた糖質(でん粉質)というのも、イマイチぞっとしない代物ではある。遺伝子組み替え作物以上に議論を呼ぶことになるだろう。尊厳死の問題がマスメディアを賑わしているが、科学技術の倫理がますます問われることになるだろう。----------------------------------------------------------------そしていよいよ、大トリの有酸素系(エアロビック)過程。運動をはじめて2~3分で発動する。シェイプアップの本論、本筋、ご本尊の登場である。
2006.03.26
コメント(0)
有酸素運動(エアロビック・エクササイズ)による減量が可能であることは、マラソン・水泳選手などの体型を見れば一目瞭然であるが、一般人にとってはなかなか困難であることも事実である。特に、若い女性などが早朝や夜にジョギングしたり、スポーツクラブに通ったりするのは心理的その他の抵抗があるかも知れない。また働き盛りの中年男性には、あまりにも時間がない。したがって、運動抜きのシェイプアップ、すなわちダイエットについて若干の雑学を開陳していく所存だが、その前に、やはり運動の楽しみについて僕なりに簡単に総括しておきたい衝動を禁じえない。持久的な運動による減量が種々の理由から困難であることは理解できるが、これが正攻法であり、爽やかで楽しく、快感であることも確かな事実である。僕、くまんパパ自身は体を動かすのが大好きで、この三月でめでたく満2歳を閲(けみ)した三つ子の3人娘が生まれる前は、暇さえあればガンガン運動していた。特に、持久的有酸素運動の典型・トライアスロン3種目(水泳・自転車・ランニング)が大好きで、平日はスポーツクラブで毎回2500m前後の水泳三昧。休日ともなれば、朝から4時間ぐらいレース用自転車を漕ぎっぱなしで、地元の田川という川沿いのサイクリングコースを、隣の隣町ぐらいまで往復するのが日課になっていた。距離にして40~50kmになる。トライアスロン大会にも何度か参加した。ちなみにスポーツクラブは、ソウル・オリンピック水泳金メダリストの鈴木大地と同じセントラルで、さしずめ仲間うちと言える(・・・言えないか)。接客業の商売柄あまり日焼けしたくないし、「万病の元」活性酸素(フリーラジカル・オキシジェン)の害も恐いので、それを発生させる紫外線・UVカットの乳液を肌の露出部分に入念に塗りたくるのも、面倒ではあるが、また楽しからずや、である。そうしてハードに運動していると、時たま訪れるハイな状態も楽しい。まさに運動中毒の典型的症状である。このランナーズ・ハイやスイマーズ・ハイと呼ばれるものは、脳内のモルヒネ様物質・β(ベータ)エンドルフィンの分泌によるものと言われ、僕の経験では、ハードな運動を一定時間続けてヘトへト・ヘロヘロになった後にややペースを緩めると入ることが多い。一種のコツである。例えば水泳では、2000m(25m短水路40往復)ぐらいを全力に近いハイペースで泳いで、フっと力を抜くと、よくこの状態に入る。ものすごく気持ちよくて、永久にやめたくない。そのまま5000mぐらい泳いで、腋毛が擦れて痛い時もある、いやホント。おそらくさまざまな「宗教的法悦(エクスタシー)」、特に仏教、修験道、禅などの修行と各種の境地にも関与しているといわれる、半醒半睡の夢心地である。明らかに「脳内麻薬」の仕業であることが実感できる、淫靡ともいえる愉楽である。科学的エピステーメがない時代には、これは「他力」的至福感と捉えられたであろう。ただ、これは終末医療のペイン・クリニックにおけるモルヒネ注射と同じようなものだともいわれており、断末魔の苦痛に対する身体の最終防御メカニズムであるという説もあり、濫用は危険だとも言われている。ぶっちゃけた話、ちょっとマゾっ気のある快楽であることは否定できない(笑)。さて、妻の“ご懐妊”以来2年半というもの、子供に掛かりっきりでスポーツクラブもやめざるを得ず、完全に運動をやめて久しい。マイベストの178cm71~72kg(ほぼ標準体重)のスリムだった体型も、今や石塚英彦(石ちゃん)化は進む一方で、現在身長は178cmと変わらないものの(当たり前か)、体重は、書きたくないが、93kgもある。BMI(ボディ・マス・インデックス、体格指数)、すなわち体重÷身長(m)÷身長(m)は、・・・レッドゾーン・デブである。若いころ祭り男で、神輿(みこし)をかつぎまくってガタガタになった膝に、容赦なくのしかかる自重(じちょう、ではなく、じじゅう)。階段の上り下りもつらいこと。最近では呼吸も苦しく、睡眠時無呼吸症候群の兆しすらある。この運動できない状況は、子供が幼稚園に入るまであと1年間は変わらない見込みである。僕にとって、運動抜きのダイエットの要請は、喫緊の課題なのである。
2006.03.24
コメント(0)
フィットネス(適応)/ウェイトコントロール(体重管理・減量)の原理は、けっこう単純なものであって、数学、というより算数の問題といえる。通称ダイエットと言われているのは、もちろん不正確な表現であり、これはフィットネスの一方法である食餌(療法)を指す、・・・が、まあ、うるさいことは言わないことにして、主としてダイエットと言う。全ては皮下脂肪の問題であり、その他の体組織に極力ダメージを与えずに脂肪のみ減殺する(燃焼させる)方途を探り、これを実現可能性 feasibility のあるものとして整理、記述、実行すればいい。・・・とか何とか軽く言いつつ、これが実際は難しいんだな~、僕にもよく分かってます。“Mission Impossible(不可能な使命・「スパイ大作戦」原題)”に近いものがある。ともあれ、要するにこれはエネルギー(カロリー)代謝のバランスシートの問題であり、その結果が資産の形成(立派な皮下脂肪)となる。それを阻止するには、生理学(医学の基礎部門)・栄養学的原則としては、大別して以下の2つしか方法がないことは自明である。I)エネルギーの摂取を抑える。――ダイエット(食餌療法)。II)エネルギーの消費を増やす。――運動する(日常生活の中の運動、エクササイズ・トレーニングなど)。――基礎代謝量を増やす(筋肉量を増やす、体熱産生・サーモジェネシスを増す、体熱放散――エネルギーの無駄遣いを図るなど)。この外、重度の肥満症には、緊急避難的に皮下脂肪の吸引やら、胃を縛るなんてのもあるそうだが、そういう医学的奇手は僕の関知するところではない。ただ、いずれにせよ、減量していく段階というのは、生理学的には、「空腹・飢餓状態」とほとんど同じことであり、こういっては身も蓋もないが、その本能的苦痛の存在は不可避である。ただ、外因的に強いられた飢餓、病的な痩せ(るい痩)と違うのは、栄養学的に健康を維持しながらコントロールできるということである。生理学、栄養学的には、と書いたが、もちろん理由のあることである。ダイエットは、こういうフィジカル(物質的)な側面とともに、メンタル(精神的)な側面がきわめて大きい比重を占める。モティヴェーション(動機)や、向目的的なエンデュアランス(忍耐)は必須である。さらに、苦しさを、出来れば楽しさにさえすりかえてしまうような自己催眠的心理技術も欠かせない。大口を叩いてしまった感じで、先が思いやられるが、次回から具体的な話に入っていこう。
2006.03.21
コメント(0)
ホリエモンが日の当たる場所に帰って来ることはもうないだろうが、山内伊右衛門(イエモン)一豊は、姉川の合戦から奇跡の生還を果たした。その時歴史が動いた、という場面は多いが、姉川の戦いもそうだったんだなと思う。浅井・朝倉連合軍側の勝機も十分にあり、もし織田・徳川連合軍が敗北していたら、その後の歴史は全く変わっていた。まあ、歴史に「たら・れば」はない、という通り、どう変わっていたのかは、考えても無意味だが・・・。――なにしろ、信長も秀吉も家康もいない日本史になってたわけだから。脚本の大石恵は、男性視聴者層のニーズに応え、歴史の教科書でも特筆大書されているこの日本史三英傑が絡むシーンを毎回のように登場させ、楽しませてくれる。しかも3人とも、なんとまあ、はまり役であることよ。ワクワク血湧き肉躍る。最近の大脳生理学の知見では、この3人は神経伝達物質の分泌と性格傾向の連関の典型例に当たるという。すなわち、それぞれの励起状態での作用は、信長:ノルアドレナリン分泌優勢(闘争ストレス反応)秀吉:ドーパミン分泌優勢(面白がり昂揚)家康:セロトニン分泌優勢(冷静沈着・北村弁護士)であるという。役に立たない雑学知識でした。それにしても、哀切極まった一豊と千代の再開シーンは、前半のクライマックスというべく、すでに事前の番組宣伝素材として、昨年暮れからこの正月あたりに新聞などで写真を見ることが多く、楽しみにしていた。豪雨の設定はいいのだが、カメラワークの技術的にいうと、「風と共に去りぬ」の、あの有名なラヴシーンなどを念頭に置くと、もうちょい「寄り」で、しかも千代の表情を捉えるように右に回った方がよかった。ラブシーンというのは、古来女優を見るものである。・・・とかなんとか言いつつ、ほんと、良かった良かった。世は移り、時代は変わっても、夫婦ってものはかくありたいものですね。という、至極平凡な結論に達するのであった。重畳至極。
2006.03.14
コメント(0)
今、車中で何気なくNHK-FM(栃木ローカル、JOBP)を聴いていたら、「大谷石研究家」のオダシマタテオさんという人が出てきて、もしや、と思っていたら、孫のようなNHKの女子アナをからかいながら、軽妙洒脱に盛り上げていくシャベリの手際の良さに、間違いないと確信した。もと栃木放送(ラジオ栃木、CRT)の看板アナ、というかディスクジョッキー(死語)だった小田島建夫氏である。その経歴に一言も触れないのが、さすが、皆様の公共放送NHKなのであった。マセガキだった中学生のワタクシめは、よくA&Mレコード系のイージーリスニングポップス(バート・バカラック、カーペンターズ、セルジオ・メンデスとブラジル’66、ハーブ・アルパートとティファナ・ブラスなど)をリクエストしてかけてもらったものだ。セルジオ・メンデスも元気で、最近若手ラッパーのサンプリングに嬉々として付き合ったりしてるし、老人パワー全開だ。ションベン臭い小娘をイジるがごときシャベリに、ああ、確かに昔のトークってこうだったと思い出した。笑いつつ、懐かしかったザンス。僕らの世代だとセクハラだのパワハラだのと抗議の電話が殺到しかねない。これも一つの「老人力」か。難しい世の中になったもんだね(笑)。ジモティーにも分からないような、マニアックな話題でした。
2006.03.10
コメント(1)

一作一作が本当に楽しみな宇多田ヒカルの新作は、一見やさしい風合い・テイストのハッピーチューンである。曲調も歌詞もPVの映像も、そこはかとなく既知感(デジャヴ)を漂わせ、パロディーがかったパスティーシュ(遊戯的模倣)感を軽やかに操りながら、前向きに挑戦する者を鼓舞しつつ、伸びやかに嬉々として舞われる、歌の千金の舞である。このところ、一つの重要な持ち味であるカウチポテトチックなひきこもり的メランコリー(憂愁)に沈潜していた彼女が、久しぶりに陽だまりの庭から春の日の当たる坂道に姿を現わした。日食神話のアマテラスオオミカミが天の岩戸から出てきたような感じか。どうりでヒカルわけだ。それでいて、彼女の中に流れる女性と母性と表現者の血が、単純に楽天的でノーテンキなバラ色の未来絵図の絵空事を描くことを許さない。歌詞は、日常会話的表現を巧緻に織り込みながら、相変わらずのリアルさ溢れるユーモアの連発であり、主知的・構成的な現代詩である。彼女は、螺旋状に旋回しながら光に向って上昇してゆくヒバリのようだ。絶望と希望。鬱と躁。憂愁と昂揚。死と生。少年と少女。少女と女。男前と女っぽさ。生意気と素直。ラピスラズリとピンキッシュ。それらの間(あわい)を自在に翔けめぐって。――少年はいつまでも いつまでも片思い/情熱に情熱にお値段つけられない/お父さん Keep trying,tryingには爆笑しましたよ。シニシズム(皮肉)とシンクロニシティ(共感)。これってまさか、オレのことかとゲーテ言い。その反面、さりげなく歌われる歌詞、――月夜の願い 美しいものだけれど/標的になって 泥に飛び込んで/ Lady,レッツゴー――は、やっぱり宇多田である。パセティックである。悲愴な覚悟である。チャイコフスキーである。詩的表現において、直接的な時事詠ほど野暮で空虚なものはないが、この詩はその陥穽に陥ることを巧妙に避けつつ、高次の現代日本の状況論になっていることは見て取りやすいところである。「コッカコームイン」なんて言葉がこれほど生き生きと昇華されたコンテクストの中に置かれた例を知らない。珍しく、彼女の自家薬籠中の畢生のテーマ「ロストラヴ」から距離を置いたことも注目される。このアトモスフィアは、名曲「traveling」に近く、その達者な変奏曲とも言えようが、こういう前向きな歌になると、コスプレっぽくなるのが彼女の癖らしい。メイド風ウェイトレス、女子高生、婦人警官、バーのママ、けっこう無理なく似合ってます(笑)。イントロからの甘美で神秘的なトーン・クラスターは、すぐれたプログレッシヴ・ロックに脈々と流れてきた響きであり、それ自体が一つのノスタルジックで治療的な作用をもたらす、マジカル・ミステリー・サウンドである。それで思い当たったが、ビートルズ「マジカル・ミステリー・ツアー」をリアルタイムで聴いた人は、どう思っただろうか。凄いことは間違いないが、どう評価すればいいのか、途方に暮れたことであろう。宇多田のこの新作にも、同じことが言える。おりしも、Monkey Majikの「Around The World」がこの曲とヒットチャート1,2位を競っているが、ある意味好対照である。そちらは、ひたすらノーテンキでゴキゲンなノリである。聴いて取れるすべての要素が、ゴダイゴ、ビージーズをはじめ’70~’80年代の洋楽ポップミュージックの快楽のごった煮(ポ・ト・フー)であり、どこかで聴いたことのあるサウンドであるが、キレが良くソリッドで、一流である。このタイトルにしても、オリヴィア・ニュートン・ジョンが音楽の女神ミューズを演じたロック・ミュージカル「ザナドゥ」に同名の曲があったように思う。POP職人芸である。ギターのリフの音色がにゃんとも心地いい。――水戸・偕楽園の「梅まつり」に行くついでに足を伸ばして、早春の大洗海岸の道路をブッとばしながらガンガン鳴らしたら快感だと思う。・・・が、それだけである。後に何も残らない。後腐れがなくていいかもしれない。ゆきずりの、ひと夜限りのうたかたの恋みたいなものである。これはこれで音楽のお気楽な愉しみである。その関連でいえば、今を去ること30有余年、人気絶頂のアイドル歌手かつコメディアンだった堺マチャアキが孫悟空を演じた、元祖「西遊記」は良かった。猪八戒には、今年は徳川家康になっている、当時売り出し中の新進気鋭の新劇俳優・西田敏行。ものすごくカンのいいコミカルな演技に、当時中学生だった筆者でさえ瞠目させられた。音楽は、ゴダイゴのミッキー吉野のセンスとタケカワユキヒデの英語詞がそれまでのドラマBGMの常識を引っくり返し、一世を風靡した。NHKのニュース、報道、お知らせなどのテーマ曲・BGMは、それまでクラシック調だったが、’70年代初頭のこの時期、一斉にポップス・ロック調に変わった。ゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」も、確かNHKの何かのキャンペーンソングだったと記憶している。革命的な変化であり、時代の変わり目を鮮烈に感じた。そして、嗚呼・・・、三蔵法師は、大輪の薔薇、あるいは紅の花椿のまま世を去った、同い年の夏目雅子さまであった。話が逸れたが、こちらは聴いたあとにズシンと何か、煮凝(にこご)りのような、澱(おり)のような、粕(かす)のような、ゼリー状のもの(?)が心に残る。宇多田ヒカルの魂から発信された霊気であろうか。聴く者の感覚、人生観に作用する、モンキー・マジックならぬヒッキー・マジックである。・・・ザブトン1枚。荒川静香選手のフリースタイル4分間の完璧な金メダル演技と、宇多田ヒカル選手の4分50秒のパーペキな表現とどっちが上かと問われれば、どっこいどっこいの勝負である、と言えるのではないか。この稿は、「Oops!Music Community」に転載します。http://oops-music.com
2006.03.05
コメント(1)
ハートウォーミングであり、爽やかな風が吹き抜ける、見事な作品。最近たまたまこの曲を聴き返す機会があり、「Oops!」の当該項目をチェックしてみたら、何の評価もなされていないのに愕然とした。及ばずながら/遅れ馳せながら/恥ずかしながら一言する。昨年の「涙」、「さくら」など決定的な傑作で、’06年弥生3月現在「巨匠」の地位にあると見られている彼らの、原点に近い出世作といえよう。寡聞にして僕はこの曲で初めて彼らを知った。しばらくは頭の中で何十回もプレイバックしていた。感動の余り、川柳や短歌が次々と出来た。http://utanookeiko.seesaa.net/それ以来この曲は、密かな心の宝物である。にゃんともストレートな、というか、臆面もない、というべきか、男同士のピュアな友情である。聴くたびに照れまくり、聴くたびに泣かされる。彼らも出て熱演しているPV(プロモーション・ビデオクリップ)に従えば、元サッカー少年同士の設定である。むろんノーマルである、念のため(笑)。流麗で洗練されたオーケストレーションを絡ませて、爽快だが淡々としたピアノとリズムセクションのリフレインが繰り返される中、研ぎ澄まされたライム(詩)が延々とラップされてゆく。ラップは、時にアクロバティックなほど達者だが、シャウトしたりすることは全くなく、抑制された稠密な表現を堆積させながら、じわじわ、じわじわと感情の昂ぶりをいざなってゆく。聴いている側も、ラッパーの側も、もうこれ以上抑えきれないと思う瞬間、感情の迸(ほとばし)りが爆発するかのように、唯一のメロディーのモティーフが現われ、高らかに歌われる。こちらはもう、滂沱の涙となる。時間性の芸術・音楽の醍醐味であり、これがあるから音楽中毒は病膏肓に入って、草津の湯でも不治である。例えばJ.Sバッハ「マタイ受難曲」の最後のクライマックスの天上の響きである。ビートルズ「ヘイ・ジュード」の「better,better,better,better・・・」で前半から後半部に移る瞬間である。一種の「至高体験」であり、法悦である。この時、大脳生理学的には脳神経シナプス回路では、神経伝達物質(脳内ホルモン)のドーパミン(面白がり感動物質)、セロトニン(沈静物質)、βエンドルフィン(快感物質)などがドバっと分泌されているわけである。エクスタシーを感じるのは当然である。なお、この状態が脳の若返り・回春に効果があるというのは、ご承知の通り、近年の定説的知見になりつつあると言って差し支えない。彼らは、この音楽表現の一種の様式美を自然に会得しているのであろう。リーダーは天才というべきである。この様式美への指向から、「花鳥風月」的な発想も生まれるのであろう。それにしても、PVの映像によれば、この曲では、今は一流のサッカー選手になりながら怪我をして故郷に一時帰り、サッカー少年だったころを懐古する河原、「涙」では、お笑い芸人をめざす若者二人の熱く、激しい情熱の葛藤、「さくら」では、映画監督を目指しながら挫折し、今は建設会社のしがない営業マンの青年(萩原聖人)の前に現われて去っていった、桜の精のような美少女とのつかの間の恋が、会社の屋上に飛んできた一片の桜の花びらによって脳裏に甦る。ヒップホップやラップの現代的な装いに潜ませた、男の人生の隠れ浪花節がここにある。日本人のゲノム/DNAなんだな~、これが。実は、K君という元サッカー小僧であり、今は映画監督・プロデューサーであり、時には映画俳優である同級生がいるのだが、彼の心象風景そのものではないかとも思ったりする。ところで、その「さくら」のPVで、主人公の映画青年が恋するスレンダーな絶世の美少女役のモデルさん(?)は、最近資生堂「マシェリ」のCMにも出ている。http://www.shiseido.co.jp/macherie/ぜひ売れてほしい。蔭ながら応援している(笑)。このログは「Oops!Music Community]に転載します。http://oops-music.com/top/
2006.03.03
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1


