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池町川の水源を探してみたいと思います。もう一度、池町川起点の様子を確認してみましょう。池町川の起点付近はこのような市街地です。どうしてここから川が始まるのかちょっと不思議です。こちらが池町川の起点。暗渠が二つに分かれていますね。アオサギゴイサギがいるこちら、地下から水が湧き出しているような。そんなに湧水がここにあったのでしょうか? MoMo太郎はますます謎が深まりました。ヒントはこちらの「導水前の水質」。つまり、池町川の水、どこからかキレイな水が導水されているようです。筑後川にかかる宮ノ陣橋の近くにあるこの施設。河川から取水するための樋管と呼ばれる施設です。「池町川浄化用水樋管」と書かれた銘板です。この樋管で筑後川の水を池町川に送っています。樋管の傍にあるこの建物。表に回ってみると、「池町川浄化揚水機場」と書いてありました。筑後川の水を引いてくることで、元々の水質の良くない池町川の水を薄めてキレイにしているのですね。実はこのようなことは、東京都の隅田川でも行われているようです(→→→こちらです)。【つづく】人気ブログランキング池町川巡検(その7) 池町川浄化用水
Jul 31, 2018
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7月20日(金)~7月29日(日)の間、柳川市橋本町にある柳川ひまわり園において「第20回 柳川ひまわり園」(→→→こちらです)が開催されていたので、変則的な動きの台風12号が近づく中、最終日の7月29日に行ってきました。有明海に面する干拓地の5haの畑に50万本のひまわりが咲き誇っています。ちなみに、西鉄の柳川駅からも遠いので、臨時のバスも運行されますが、車で来る人がほとんどです。そして、このひまわり園、入場料は設定されていませんが、環境整備協力金として、一般車=1台500円、観光バス=1台1,000円、臨時バス利用者=1人500円の支払いを求められます。、それが高いか安いかは何とも言えませんが、ひまわりの栽培管理、駐車場の警備員などの費用が掛かることは確かなので、仕方がないものかもしれませんね。風でひまわりが傾いていました。もう少し天気が良くて青空なら、ヒマワリの花も映えたでしょうね。ちょっとピンが甘いです(~_~;)こちらは、休憩所で、トイレはもちろん。かき氷や飲み物を売っていました。また300円払うと、ハサミを貸してくれて、ヒマワリを3本切って、持ち帰ることができます。7月29日にこのひまわり園が終わると、次は8月10日からブドウ狩りが始まるようです。塩分をはじめとする様々なミネラル分を含む干拓地で育ちったため、他の産地の巨峰より味の切れもよく甘いのが特徴だそうです。こちらが有明海です。こちらは魚をとるくもで網(→→→こちらです)やっぱり、インスタやフェースブック用でしょうか、老若男女とわず、みなさん熱心に写真撮影に励んでおられました。この黄色いポスト、なぜあるのでしょう?人気ブログランキング第20回 柳川ひまわり園
Jul 30, 2018
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池町川が金丸川になりましたが、巡検を続けます。巡検とは、実地調査、現地調査を意味する地理学、地質学の用語(英語では。Field Excursionsといいます)です。こちらが久留米市中央゜浄化センターの施設です。途中の橋から上流側に向かって撮影しました。大きな魚が悠然と泳いでいました。金丸川の左岸側に広がる農地。そして、ちょっとよくわからない建物。ポンプ場のようです。大きなアンテナのあるこの建物は、「独立行政法人水資源機構筑後川総合管理所」だそうです。信号機にも看板が付いているってことは、相当有名な施設ってことですかね。それとも観光名所だったりして。金丸川を古賀坂交差点から上流に向かって撮影です。川の横の白い建物は、古賀坂排水機場です。写真の右の水門が金丸川の排水門。そして手前の左側の水門が古賀坂排水機場からの排水門です。この水門を出た水は、筑後川に向かって流れて行きます。この施設は筑後大堰です。池町川巡検、起点から筑後川までが終わりましたが、まだ、池町川の源流を調べていませんね。【つづく】 人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね池町川巡検(その6) 金丸川
Jul 29, 2018
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池町川の巡検を続けます。巡検とは、実地調査、現地調査を意味する地理学、地質学の用語(英語では。Field Excursionsといいます)です。もう一度分岐点に戻って、本流をたどることにします。赤い欄干の橋です。住宅街の裏をひっそりと流れる池町川。川沿いには、住宅が立ち並んでいますね。途中で池町川に流れ込む水路です。久留米の中心部を流れていた時とはやや趣が違ってきました。川族に土砂が貯まり、小さな中州ができていました。実はこのあたりでカワセミを見かけたのですが、撮影できませんでした。でも、カモは撮影できました。工場が立ち並ぶ横を流れて行く池町川です。久留米市中央浄化センター、下水処理場ですね。こんな建物でした。多分ここが事務所なのでしょうね。浄化センターの横を流れて行きます。ここで金丸川と合流しています。写真左手が池町川で右が金丸川です。池町川は金丸川となってさらに流れて行きます。【つづく】 人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね池町川巡検(その5) 本流をたどる
Jul 28, 2018
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池町川の巡検を続けます。巡検とは、実地調査、現地調査を意味する地理学、地質学の用語(英語では。Field Excursionsといいます)です。池町川がJRの線路を抜けたところです。このさきで池町川は大きくまた左方向にカーブしますが。ふた手に分かれています。こちらの分かれている方はどこへ行くのか調べてみます。こちらは川の水位が一定以上になったときに流れるよな仕組みなっています。この道路の下をトンネルのようになって流れて行くようです。この下に水が流れるトンネルがあるとは思えませんが、とりあえず行ってみました。これが巡検の醍醐味かも?パチンコ屋さんです。由緒のありそうなお寺もありました。そして、これが久留米水天宮の境内の入り口です。そして、ここが筑後川です。水天宮の入り口の横に、この「排水ポンプ制御盤」がありました。ここにあるポンプで池町川の水をくみ上げて、このコンクリートの構造物が樋管なのでしょうか、この中を通って、池町川の水が筑後川に排水されるのでしょうね。こういう仕組みがあって久留米の町が池の町になるのを防いでいるのでしょうね。池の町になるのを防ぐ池町川ですね。こちらは筑後川の水位観測所です。【つづく】 人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね池町川巡検(その4) 水天宮方面にも流れています
Jul 27, 2018
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西鉄久留米駅にあるエマックス・グルメ味タウンにある「おみき茶屋」で頂きました。南蛮丼(580円)です。鶏の南蛮がのせてあり、なかなかヴォリュームもあって満足の一品でした。ちなみに、この店で食べると二ヶ月有効の50円引きクボーンがもらえるので、だいたいその頻度でここで食べています。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 南蛮丼
Jul 26, 2018
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池町川の巡検です。巡検とは、実地調査、現地調査を意味する地理学、地質学の用語(英語では、Field Excursionsといいます)です。池町川のほとりに大きなお寺がありました。「旧池町」と書かれた石柱があります。この石柱に池町川の由来が書かれていました。池町川は、江戸時代初めの頃は、苧扱川と呼ばれていました。池町川と呼ばれるようになったのは、18世紀以降のことで、城下町の地名であった「池町」にちなんで池町川へ呼ばれるようになったそうです。やや川幅が狭くなったような気がします。この橋の欄干には、こんな看板が掛かっています。やっぱり、コイを放流しているのですね。橋柱には、コイの姿まで作られています。一見、木の欄干のようですが、実はコンクリートでした。ここで池町川、さらに左にカーブしています。九州新幹線の高架橋が見えてきました。ここでも、川に落差を作っていました。向こうに見えるのは、新幹線の高架橋です。もうすぐJR線の下を潜っていくようです。下が、JR在来線の橋、そして上が九州新幹線です。鉄道の下を抜けていきます。【つづく】 人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね池町川巡検(その3) 池町川の名前の由来
Jul 25, 2018
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池町川の巡検を続けます。巡検とは、実地調査、現地調査を意味する地理学、地質学の用語(英語では、Field Excursionsといいます)です。ここで国道209号線と交差しています。大きなビルが見えていますね。このあたりは六ツ門町です。藻が茂っています。川は右にカーブしています。ここで明治通り(→→→こちらです)と交差しています。久留米市の中心市街を東西に走る大動脈の明治通り、道幅は広いです。明治通りの手前で川に段差がついています。流れを緩くするための工夫でしょうね。石積みの護岸で景観に配慮されているようです。このあたりは久留米いや筑後地方を代表する夜の繁華街、文化街の近くを流れます。夜の文化街で、偶然、大牟田から飲みに来ている同業者と隣り合わせて飲んだことがありました。その先生、タクシーで久留米から大牟田まで帰って行きました。タクシー代いくらなんだろう?左岸側(川は上流から見て左手にある方を左岸といいます)は、三本松公園です。1970年までこの三没松公園に久留米市動物園があったそうです(→→→こちらです)。池町川がここで左にカーブしています。川に降りて水に親しめる空間がありました。川は三本松通りを潜っていきます。三本松通りには中央分離帯に、銅像が展示されています。三本松通りを超えると住宅街という雰囲気の街並みになりました。【つづく】 人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね池町川巡検(その2) 文化街の横を流れています
Jul 24, 2018
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久留米の市街地を流れる池町川を巡検してみました。巡検とは、実地調査、現地調査を意味する地理学、地質学の用語(英語では、Field Excursionsといいます)です。池町川の起点は、西鉄久留米駅近く、この市街地からです。河川の名前を示す看板です。この起点付近は、ちょっとした公園風に作られています。この地点が、一級河川池町川の起点となっているようです。水源はこんな感じです。もう少し近づいてみると、地下から水が湧き出しているようなところと、この起点から上流からの水が来ているようでした。かなりの水量がこの川を流れているようです。川の両岸は散策を楽しめるように、ベンチやら日よけのパラソルが置かれていました。池町川に合流する水路もありました。合流する水路も結構大きな川みたいな感じですね。また、川底に降りれるような階段も設けられています。階段を降りるとせせらぎの音が聞こえます。町の中を流れる川にしては意外と水がキレイでした。川に架かる橋の欄干には、魚の飾りがあります。こんな看板があるということは、お魚の住む川なんですね。でも落書きもされていました。本当に美的センスがない人もいるものです。せめてここで獲った魚の魚拓でも落書きすればいいのに。がんばって、この池町川でお魚も生活しているそうです。魚のレリーフがまたありました。レリーフだけでは本物の魚も棲んでいます。観賞用の鯉を放流しているのですね。ちなみに鯉は外来生物だそうです。疲れたら休憩できるホテルもありました。さらに下流に向かって巡検を続けます。【つづく】 人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね池町川巡検(その1) がんばってます!池町川の魚たち
Jul 23, 2018
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柳川市内に行くとよく見かける看板。「越山(こっさん)もち」と読むそうです。柳川にあるここで売っていました。もう一軒、別のお店もあるそうです。そちらが「越山もち」でこのお店は「越山餅」というみたいです。とりあえず、10個入り、1,160円(税込み)を購入しました。お餅はよくある求肥餅。中身は白あんでした。なんというか、普通のお菓子です。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 越山もち
Jul 22, 2018
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。さてこのブログのテーマ、筑後川に行ってみました。ちなみに、筑後川とは夜明ダム(→→→こちらです)から下流の呼び名で、夜明ダムから上流、玖珠川との合流点までは「三隈川」と呼ばれています。この三隈川には水郷(「すいきょう」と読む)日田というだけあって、いくつもの川が流れ込んできています。左岸では、大山川、高瀬川、串川、内河野川。右岸では玖珠川、花月川、二串川、大肥川となります。そして、合流した川は市の中心部では三隈川の名前の通り、三つに分かれ、南から三隈川、隈川そして庄手川と呼ばれています。ちなみに三つに分かれているから三隈川ではありません。この地方に伝わる「日と鷹神話」によると「湖であった日田盆地に大鷹が東から飛んできて湖水に羽を浸し、羽ばたき、旭日の中を北へ去ると、湖水は轟々と抜けて干潟となった。そして日隈、月隈、星隈の三丘が現れた。」というこで、三隈川という名前になったそうです。こちらは三隈川にかかる三隈堰です。向こうに見える建物は日田温泉卿です。こちらは真ん中になる隈川。左手にみえる木立の丘が日隈の丘、いまは亀山公園と呼ばれています。そして中心みえる堰は「島内堰」です。こちらは隈川の下流方向、川はこの先で再び三隈川と合流しています。島内堰は、江戸時代の文政年間(1823)に築造されたそうで、現在の堰は昭和34年(1959)に改築されたものだとか。いまでも約40ヘクタールの水田をかんがいしているそうです。この堰のゲート、元々は青く塗装されていたのでしょうけど、なんか色が剥げかかっていますね。【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その23) 三隈川
Jul 21, 2018
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。大分県日田市です。下の写真はJR九州久大本線の日田駅です。黒っぽいシックな外装がシブイ感じですね。ちなみに、昨日のブログで紹介した特急「ゆふいんの森」でここに来たわけではなく、愛車の「BMW」と呼んでいるトヨタ車でやってきました。また、コメントいただいた多くの方が「ゆふいんの森」を電車と思っておられるようでしたが、久大本線は電化されておらず、気動車というディーゼルエンジンで動く車両です。こちらは駅前にある食堂です。「大衆食堂」と銘打ってますが、建物は5階建てで大衆食堂というイメージはないですね。このブログのテーマのとおり筑後川の方へ向かうと、こんな大きな看板がありました。これはちょっと名前を耳にしたことがある「日田天領水」(→→→こちらです)の経営する施設かも。ですよね。こんなのぼりが立ち並んでいました。「日田天領水の里元気の駅」という施設で、水郷日田(「すいごうひた」と読んではいけません「すいきょうひた」と読むそうです。理由は水が清らかで濁っていないからだそうです)で生産された農産物やスイーツ、お酒、そして日田天領水が販売されているという、会社が経営する「道の駅」みたいなものでした。「元気の駅けの背後にあった建物。これが日田天領水の本社なんですかね。訪れたその日は「日田川開き観光祭」だったので、イベントでこんな太鼓の演奏をやっていました。笛を吹くお姉さんと両脇の太鼓を叩くおじさん。女性も力強く太鼓を打ちます。こんな大きな太鼓も、音がデカかったです。【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その22) 天領日田
Jul 20, 2018
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2018年7月14日(土)、2017年の九州北部豪雨で一部不通になっていた久大本線の運転を全線で再開しました。そんなわけで、7月16日の海の日にはJR久留米駅で久しぶりに特急「ゆふいんの森」を見かけました。人気ブログランキング祝! 久大本線全線復旧
Jul 19, 2018
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このあたりは、「シーサイドももち」(→→→こちらです)と呼ばれるエリアです。海側から福岡タワーを撮影しました。この゜あたりの海岸が福岡市海浜公園となっています。オーシャンビューのタワーマンションもあります。砂浜もあって一応、遊泳可能のようです。こちらは地行浜地域にある福岡ヤフオク!ドームやヒルトン福岡シーホークも見えます。飛行機が飛ぶのも見えました。福岡空港を離発着する飛行機は、大抵、このヤフオクドームの上を飛んでいきます。こちらはマリゾン(→→→こちらです)という商業施設です。ちょっとお洒落な施設になっていますね。沖合に見えるのは、海の中道、志賀島です。海の中道のあたり、結構色んな施設や建物があるみたいですね。マリゾンから海の中道方面に行く、高速船の船着き場もあります。所要時間は20分だそうです。シーサイドももち、福岡という大都会のすぐ近くにありながら、素敵なビーチがあっていいところでした。サザエさん一家も、波平さんが隠居するなら福岡に戻ってくるかもしれませんね。【了】「さるく」とは筑後弁で「うろつく。周辺を散策する。」ことを意味します。(→→→こちらです)人気ブログランキング福岡さるき(その5) シーサイドももち
Jul 18, 2018
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なぜサザエさん通りなのか?それはサザエさん通りを北に向かって、このよかトピア通りまでやってきて、この小さな緑地に来るとわかりました。その答えです。サザエさん発案の地サザエさんの原作者長谷川町子が東京から疎開していた1944年から1946年まで現在の西新3丁目に住んでおり、百道(ももち)の海岸を(→→→こちらです)散歩しながら、サザエ、カツオ、ワカメ等の登場人物を考案したことに由来するそうです。当時は西新のよかトピア通り北側のシーサイドももちが埋め立てられていなかったため、西新のすぐそばに海岸線があったそうです。よかトピア通りの石垣はその海岸堤防があった名残なのでしょうか。サザエさん通りまだまだ続きます。福岡タワー(→→→こちら)が見えてきました。ちなみにタワーの展望料金は大人800円です。東南アジア風の石像が置いてありました。見上げると高いです。そういえば、この福岡タワー、東京タワーほどではなかったと思いますが、ゴジラに襲われたのではなかったでしょうか? 無事でよかったです。【つづく】「さるく」とは筑後弁で「うろつく。周辺を散策する。」ことを意味します。(→→→こちらです)人気ブログランキング福岡さるき(その4) 福岡タワー
Jul 17, 2018
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福岡県福岡市早良区にある福岡市営地下鉄の西新(にしじん)駅の前にある商店街です。庶民的な雰囲気の漂う商店街です。西新中央商店街を通って早良街道に出ると、その先にまた中西商店街が続きます。そして、その看板には日曜午後6時30分にテレビで見かけるあのアニメキャラクターが。この雰囲気の商店街、ザザエさんにはピッタリの雰囲気ですが。なんと道路の名前も「サザエさん通り」。垂れ幕まで作ってアピールしていますね。このサザエさん通りに面して、こんな施設も。福岡県立修猷館高校(→→→こちらです)。MoMo太郎の職場にもこの高校の卒業生、結構いますよ。サザエさん通り、北に向かって歩くと、十字架のマークがついた、オシャレな建物が。この建物の前には、サザエさんと原作の長谷川町子さん銅像がありました。ここは、西南学院大学(→→→こちら)です。「学院」と付いているので、青山学院大学、東北学院大学、信愛女学院大学、そして関西(かんせい)学院大学(と読みます、全国のアメリカンフットボール関係者のみなさん)のようにキリスト教系の大学ですね。キャンパスの中も、MoMo太郎の出身校とは違い、きれいです。こちらが礼拝堂だそうです。このような学校に来ると、やはり信仰もキリスト教徒になるのでしょうか。少なくともこのような学校の教職員になるには、「踏み絵」なんかさせられたり?・・・。ないでしょうね。MoMo太郎的には、このセンスのない立て看板、大学には必要不可欠ですが。ここにもありました。【つづく】「さるく」とは筑後弁で「うろつく。周辺を散策する。」ことを意味します。(→→→こちらです)人気ブログランキング福岡さるき(その3) 西新
Jul 16, 2018
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博多の夏祭りと言えば、この櫛田神社の奉納神事である博多祇園山笠。そして櫛田神社は「博多総鎮守」ということで、東京でいえば、「江戸総鎮守」と呼ばれる神田明神と同じですね。大きな神門でした。博多祇園山笠の出発点となるこの神社脇には観覧席が準備されていました。こちらが参道。そして拝殿です。これが、無病息災の霊水が湧き出る井戸として名高い「鶴の井戸」。でも今は、飲用できなくなってしまったそうです。無病息災を願って命がけで飲んでみてもよかったかな。少なくともあの世に行けば、無病息災なことは間違いないかも。拝殿のしめ縄も立派です。祭神は大幡大神(櫛田大神)、天照皇大神、素盞嗚大神(祇園大神)の三神で、正殿に大幡主神、左殿に天照大神、右殿に素盞嗚神が祀られていました。ところで、大幡大神ってどんな神様?(→→→こちらです)扁額です。社殿の脇にある石柱です。「重要無形民俗文化財博多祇園山笠」とありました。2016年には、博多祇園山笠などの「山・鉾・屋台行事」がユネスコ無形文化遺産に登録されたので、「ユネスコ無形文化遺産」の石柱も建立しなければ。博多祇園山笠の飾り山が常設されているそうなのですが、訪れた6月中旬は、新しい飾り山笠を準備中で、展示されていませんでした。残念。神社の裏手に出ました。近くに川端通という商店街があります。博多川沿いに北西から南東におよそ400メートルの長さがあり、約100件の店舗が並ぶ。にぎやかな商店街です。こちら博多川を挟んだ対岸にある中州の町です。タモリで有名な中洲産業大学はありませんが、夜の大人の世界を勉強するエリアのようてす。【つづく】人気ブログランキング福岡さるき(その2) 櫛田神社
Jul 15, 2018
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福岡市営地下鉄に乗って終点の「姪浜」までやってきました。こちらは駅の南口です。南口にはこんなモニュメントがありました。このモニュメントは龍王うさぎ伝説に基づくもだそうです。その昔、西区姪浜にある興徳寺を開いた「大応国師」が学問を修めた宋の国から帰国の途中、山中にて狼に追われたウサギを助けたそうです。その後玄界灘をわたる船が暴風雨に遭い、難破しようとしたときにウサギが身を躍らせて海中に飛び込むと、荒波が鎮まり無事に姪浜の港に着いた。空を見るとウサギが金色に輝き竜王に姿を変え天に消えていったという伝説によるものです。 因幡の白ウサギといい、このウサギといい、結構、ウサギって義理堅い性格だったんですね。こちらが駅の北口。特にモニュメントはありませんでした。姪浜駅は福岡市営地下鉄空港線とJR九州の筑肥線の2路線のそれぞれの起点駅となっています。ここから先は唐津に向かって筑肥線が伸びています。もっと古いことをいえば、1983年(昭和58年)3月22日 に 筑肥線姪浜-唐津間の電化が完成し博多 - 姪浜間は廃止となり、同時に福岡市地下鉄空港線が開業し国鉄(当時)筑肥線との相互直通運転開始されたそうです。ちなみに、廃線となった筑肥線博多-姪浜間は今の地下鉄の路線より南側、市営地下鉄七隈線の路線の近くを通り、今の西鉄天神大牟田線の平尾駅と交差しては博多駅につながっていました。筑肥線について付け足すなら。博多 - 姪浜間は廃止と同時に筑肥線は虹の松原からいったん山側に入って山本という所を迂回して唐津につながっていたのですが、これょ廃止して、虹の松原から直接、唐津につながるようになりました。【つづく】人気ブログランキング福岡さるき(その1) 姪浜「さるく」とは筑後弁で「うろつく。周辺を散策する。」ことを意味します。(→→→こちらです)
Jul 14, 2018
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ショッピングモールのフードコートというのも、買い物に行ったついでに利用しています。今回は「温玉かき醤油うどん」(650円税込み)をいただきました。卵を潰して、うどんとかき混ぜるて食べると、うどんのカルボナーラという雰囲気ですね。かき醤油というのは、牡蠣(オイスター)のエキスが醤油に加えられているのでしょうか、オイスターソースならぬオイスターソイソースというわけですね。テーブルの横に貼ってある「禁煙席」、禁煙席と喫煙席に分かれていた頃の名残でしょう。随分年季の入ったテーブルを使っていますね。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 温玉かき醤油うどん
Jul 13, 2018
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。小石原の集落の中の道路は、このような石畳の道となっていました。これもまた街の景観づくりですね。さて、小石原伝統産業会館を出て、北の方に向かうと突然見事な杉の林の中に入りました。行者杉と呼ばれる杉の巨木群が広がっていました。水源かん養保安林(→→→こちらです)に指定されているということは、筑後川にとっては重要な森林ですね。そして、行者杉とは、昔、修験者(山伏)たちが峰入修行の際に、重要な修行場であった小石原の地に杉の木を奉納植栽したものが起源だそうです。杉は、大きく成長して樹齢が長く、魂が宿ると、修験者たちから信じられていたそうです。古来より神聖な山として信仰を集め、日本三大修験の霊場(吉野・熊野・英彦山)のひとつに数えられている英彦山では、英彦山から西へ、小石原・馬見岳(まみだけ)・古処山を経て筑前宝満山に至る、峰入(みねいり)修行の道がありました。この道がその峯入修行の道に相当するものと思われます。峰入修行には3回あって、1)大みそかに山に入り、雪の山中で修行する「春峰」2)お釈迦様の誕生日4月8日の「花祭り」に始まる「花供(はなく)・夏峰」3)一年を締めくくる「秋峰」さらに、一人で英彦山山中の岩屋に籠もる「窟籠(くつろう)修行」が必須の修行とされていたそうです。そして、峰入りの回数を重ねることで、修験者として階級が上がっていくそうでした。【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。筆者註:東峰村小石原を訪れたのは2017年7月5日の九州北部豪雨以前です。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その21) 小石原 行者杉
Jul 12, 2018
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。福岡県朝倉郡東峰村小石原地区もまた筑後川流域にあります。そして、この小石原地区は小石原焼という陶芸の盛んな地区でもあります。ちなみに、小石原焼は、江戸時代初期から約400年にわたって伝えられているそうで、、昭和50年に陶磁器では日本で最初の伝統的工芸品に指定されたそうです。ここ道の駅「小石原」では陶器の品揃えも充実していました。しかし、所詮は土をこねて加熱しただけの物がなんか芸術作品ぶって高い値段になるって、不思議ですね。こちらは、小石原焼伝統産業会館という施設です。陶磁器の展示室があり、また陶芸の体験もできる施設です。こちらにあるのは登り窯。ここで陶磁器を焼くのですね。横から見るとこんな様子です。こういうところで陶芸の体験をしてもいいのですが、考えてみると一日で完成ということはないので、例えば絵付けをしたお皿が焼きあがって完成して自宅へ送られてするまでに、多分2カ月くらい必要でしょうから、昨夜、何をたべたかの記憶もあやしいMoMo太郎の場合は陶芸体験をしたことさえ忘れているかもしれませんね。そして、この小石原焼伝統産業会館の敷地にありました。筑後川源流の碑です。おなじみの流域を示した看板もありましたよ。【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。筆者註:東峰村小石原地区を訪れたのは2017年7月5日の九州北部豪雨以前です。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その20) 小石原 筑後川源流の碑
Jul 11, 2018
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大分自動車道の下り線にある山田サービスエリアです。見た目は普通の高速道路にあるサービスエリアですが、「パヴァリエ エコエリア山田」という名称で、高速道路のサービスエリア及びパーキングエリアでは全国初のメガソーラーを備えているそうです。確かに、ソーラーが一杯ありますね。人気ブログランキングエコなサービスエリア
Jul 10, 2018
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最近、両国にある江戸東京博物館が改装されたみたいで、レストランにあの有名な銀座の三笠会館(→→→こちらです)が入っていました。やっぱり三笠会館といえば、カレーかなということで、スペシャルインドカレー(1,800円)を頂きました。奈良県出身の創業者、谷善之丞が大正14年(1925)6月 に歌舞伎座の前に開いた、夏はかき氷、冬はおしるこの一坪半の店が始まりの三笠会館。屋号の「三笠」は奈良にある三笠山に因んだそうです。そして、その創業者、谷善之丞の家に滞在したインド独立革命の志士からレシピを教わったというインドカレー、骨付きチキンと、なぜか鶏の砂肝が入っているのが不思議なカレーです。多分、このカレー、インド人もビックリの味だと思います。人気ブログランキング孤独のグルメ 三笠会館のカレー
Jul 9, 2018
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テレビを持っていないので、一体どれだけの災害が起こっているのかわかりませんが、ラジオなどの情報では、大変みたいですね。久留米のMoMo太郎がいるところは、浸水とか山崩れとかもなく平穏でした。本当にラッキーという感じです。さて、久留米の夜の歓楽街、文化街。この街に最近、大衆演劇の劇場「楽笑演劇殿」がオープンしました。なんか楽しそうなので、一度観劇してみたいですね。【つづく】人気ブログランキング久留米の町さるき(その14) 楽笑演劇殿
Jul 8, 2018
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昨日、一昨日の雨、一年前の九州北部豪雨以上の大雨だったかも、被害を受けられた方には心よりお見舞い申し上げます。久留米市津福にある金丸川と湯ノ尻川の合流地点には二本の橋が架かっています。湯ノ尻川に架かる橋は女橋金丸川に架かる橋を男橋といいます。川の両側から男女が来て落ち合うようなロマンチックな、七夕にふさわしい、橋の名前の付け方だと思われる方も多いかもしれませんが。実はとっても悲しい橋だそうです。このあたりは昔は久留米藩の処刑場で、男橋女橋とあるのは刑に処される男はここまで、女はここまでと決められていた。橋のたもとで家族と引き離され、そして刑場に向かい刑に処される。そこは一本の川が二本に分かれる場所で川が分かれる三角形の頂点近くの所は草がぼうぼうと生えたままの荒れ地のようになっていました。【つづく】人気ブログランキング久留米の町さるき(その13) 男橋と女橋
Jul 7, 2018
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気がつけば、アクセスカウンターの数字が2百万回を超えていました。さて、久留米出身の女優、吉田羊さんのどうでもいい情報です。信愛女学院への通学用自転車をこの自転車店で購入したそうです。その自転車さんの近くのこの店で、子供の頃、よく買い物されていたそうです。実は、この酒屋さんの裏に「めぐみのその幼稚園」が併設された久留米キリスト教会(→→→こちらです)というのがあり、どうやら吉田羊さんそこにいたようですね(情報源→→→こちらです)。以上、地元の噂に基づくどうでもいい情報でした。【つづく】人気ブログランキング久留米の町さるき(その12) 吉田羊情報
Jul 6, 2018
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翔陽大学附属北部病院救命救急センターでは、東芝パナソニックのPCなんですか?MoMo太郎の職場、伝統的にリンゴマークのPCを使っています。人気ブログランキング職場のコンピューター
Jul 5, 2018
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福岡県三井郡大刀洗町の「大刀」という字には「刀剣」という意味で使われる「太刀」というように「´」がつきません。この大刀洗町山隈にある公園の名前も大刀洗公園です。 この大刀洗公園にあった武将「菊池武光」(→→→こちらです)の銅像です。そもそも、大刀洗という町名の由来は、傷ついた菊池武光が己の太刀についた血糊を小川で洗った事から「太刀洗」の故事が生まれたことに始まるそうです。どうして、菊池武光は血糊ついた太刀を小川で洗ったのでしょうか?南北朝時代にさかのぼります。1359年、現在の久留米市から小郡市にかけて、「大保原(大原)の合戦」(筑後川の戦い)(→→→こちらです)という激しい戦いがありました。 菊池武光は、南朝方の武将として懐良親王とともに、少弐頼尚が率いる北朝軍と、大宰府、九州の覇権を争って戦いを繰り広げました。菊池軍4万、少弐軍は6万の両軍合わせて約10万の大軍が戦い、北朝方では副将の少弐直資(当主頼尚の嫡男)が討死、一族23名、その他名のある郎党400余り、3000名を超える者が討たれた結果、全軍が大宰府にまで退却したのである。一方の南朝方も、主将の懐良親王が3箇所も深手を負い、主力の菊池勢も1800もの死者を数え、敵の退却を追うだけの余力もなくこちらも現在の大刀洗町山隈のあたり(この公園のあるあたり)で進撃をやめました。 そこで、菊池武光は小川で血のついた刀を洗い、川はたちまち朱に染まったといいます。そこから「太刀洗(大刀洗)」という地名が生まれたそうです。 しかし、どうして太刀洗町ではなく大刀洗町にしたのでしょうか。単純な「´」を付け忘れるミスだったのか、それとも太刀なんていう物騒な言葉を避けたかったのか。よくわかりません。こちらが菊池武光が太刀を洗ったとされる「大刀洗川」です。大刀洗公園に建立されている石碑です。この大刀洗町には、旧日本陸軍の大刀洗飛行場(→→→こちらです)があったことから、戦争に関わりの深い「忠魂碑」がありました。こちらの忠魂碑は自然石を生かした表面ですね。そして「秩父宮来訪記念碑」というのもありました。秩父宮殿下が大刀洗飛行場を訪問されたのでしょうね。こちらは久留米市宮ノ陣(「大保原(大原)の合戦」(筑後川の戦い)際に懐良親王が陣をおいたところから名付けられた地名です)にある五万騎塚です。「大保原(大原)の合戦」では、5000以上の遺体がその場に放置されたそうで、しかも季節は夏であったことから、腐敗した遺体の悪臭が高良山まで届いたという。やむなく高良山の僧が敵味方の区別なく遺体を集めて一箇所に埋めて供養した。これが五万騎塚の始まりであるそうです。この塚は、九州自動車道の建設にあたって、昭和47年(1972)に現在地へと移されたそうです。人気ブログランキング「´」がつかない大刀洗町
Jul 4, 2018
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長崎県と熊本県の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコの世界文化遺産に登録さることになりました(→→→こちらです)。ということで、福岡県三井郡大刀洗町(太刀ではないことに注目)にある今村カトリック教会(今村天主堂)というのも、潜伏キリシタン関連施設なのです。このお洒落な教会の建物は、今村天主堂として2015年(平成27年)7月に国の重要文化財に指定されています。この建物は、長崎を中心に多くの教会堂建設を手掛けた、長崎県五島出身の大工の棟梁、鉄川与助の設計・施工により大正2年に完成したものです。 ちなみに、鉄川与助の手がけた青砂ヶ浦天主堂(新上五島町・明治43年築)、田平天主堂(平戸市・大正7年築)、江上天主堂(五島市・大正7年)、頭ヶ島天主堂(新上五島町・大正8年)が、すでに国の重要文化財に指定されいます。見学は無料でできますが、中の撮影は禁止されているので、この説明板の写真で想像して下さい。ステンドグラスはフランス製、柱は福岡県久留米市にある高良山の杉、瓦も同県久留米市城島町の「荒巻」という工場で製作したもの、レンガは隣りの佐賀県神崎市(旧千代田町)迎島の五工場に特注したもの、石材は主に福岡県浮羽市山北産、内部に掲げられてあるキリスト受難の14枚の聖絵はフランス製ということだそうです。教会の横にあった司祭館という建物です。こちらは現代風の建築でした。この胸像は第4代主任司祭本田保 神父で、1896年(明治29年)9月に着任し、建物の設計を鉄川与助氏に依頼し、1912年(明治45年)の着工から、軟弱な地盤を克服する苦心の工事であったが、信徒の労働奉仕も受け、1913年(大正2年)12月8日に完成させたそうです。この大刀洗町今地区(以下、今村と呼ぶ集落)は、江戸時代に隠れキリシタンとして信仰を守った人々が多く暮したという歴史を持つそうで、起源はわかりませんが、キリスト教信仰は戦国時代にさかのぼると思われます。徳川幕府による禁教令以後も、今村の信徒たちは浦上の信徒たちと交流を持ちながら隠れキリシタンとして信仰を続けていたようです。幕末、隠れキリシタンの発見とカトリック教会の正統な信仰への復帰に努めていた長崎・大浦天主堂のベルナール・プティジャン神父は、1867年(慶応3年)に、信徒たちと共に、今村のキリシタンたちを「発見」したそうです。隠れキリシタンが多かった九州でも、平野部でのキリシタン発見は極めて稀なことであったようです。そして、1873年(明治6年)のキリシタン禁令解禁ままで、今村の信徒と大浦天主堂は密かな連絡を保ち、信仰を守ったそうです。そして、1879年(明治12年)10月、大浦からジャン・マリー・コール神父が今村の信徒の司牧に着任し、この教会が設立されたようです。教会の敷地の隅にあった石積み。この穴の中のは、マリア像がありました。ここで隠れキリシタンの信仰行事をやっていのでしょうかね。人気ブログランキング世界文化遺産登録決定、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
Jul 3, 2018
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7月7日といえば、七夕ですね。福岡県小郡市には「七夕神社」があります。この看板の下には、ちゃんと織姫(織女)と彦星(牽牛)の銅像がありました。ここで改めて、七夕の伝説を説明すると、「天の川の西岸に織姫という姫君が住んでいました。織姫は機織りの名手で、美しい布を織り上げては父親である天帝を大変喜ばせておりました。そんな娘の結婚相手を探していた天帝は、東岸に住む働き者の牛使い彦星を引き合わせ、二人はめでたく夫婦になりました。ところが、結婚してからというもの、二人は仕事もせずに仲睦まじくするばかり。これに怒った天帝が、天の川を隔てて二人を離れ離れにしてしまいました。 しかし、悲しみに明け暮れる二人を不憫に思った天帝は、七夕の夜に限って二人が再会することを許しました。こうして二人は、天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡り、年に一度の逢瀬をするようになったのです。」ということで、一応、カササギも登場です。この小さな鳥に乗れるって、織姫も彦星も小さな宇宙人だったんですね。ちなみに、MoMo太郎の高校では、女子とデートすることに忙しく、部活を休んだり、勉強をしない男子生徒のことを七夕野郎と呼んでいました。さて、七夕神社の前には、七夕神社の石柱と説明板がありました。この説明板によると、七夕神社の正式名称は「媛社(ひめこそ)神社」。祭神は、媛社神(ひめこそのかみ)と織姫神(おりひめのかみ)。織姫神は、機織りが上手な神様ということで、機織りをする女性からの信仰が篤かったようです。そして、7世紀に中国から伝わった「牽牛・織姫」の故事と、日本の「棚織女(たなはたつめ)」信仰がひとつになって誕生したのが七夕神社となったようです。鳥居の前には、織姫と彦星の石像が並んでいます。鳥居は二つありました。ダブル鳥居ですね。最初の鳥居の扁額は「媛社神社」となっていますが、二つ目の鳥居には、「磐船(いわふね)神社」「棚機(たなばた)神社」と記された扁額がありました。色々な名前を持つ神社なのですね。こちらが拝殿です。拝殿の横には、こんなものがありました。「恋人の聖地」だそうです。まあ、カップルでお参りするといいことがあるのでしょうね。認定しているのはウエディングドレスのデザイナーの桂由美さん(→→→こちらです)。ここにお参りにきて、結婚まで行ければ、結婚式関連の商売されている皆さんも潤いますね。七夕といえば天の川、愛し合う二人を隔てる川がないと、それに相当するのが七夕神社の東を流れるこの宝満川、筑後川の支流です。この宝満川には、この稲吉堰という古い歴史を持つ取水堰があります。それについては「筑後川を行く」シリーズで改めてご紹介したいと思います。宝満川の西側にあってる牽牛を奉るのが、この老松宮(牽牛社)です。もともと牽牛社は別のところにあったのですが、水害と周辺の圃場整備のため大正12年に稲吉地区にある老松宮に移され、合祀されたということです。こちらが拝殿です。拝殿には、むかしは極彩色で多少色が落ちいてる奉納額がありました。こういう大きな奉納額があるということは、この老松宮もなかなかの神社だったのかもしれませんね。人気ブログランキング七夕神社
Jul 2, 2018
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。筑紫野市と太宰府市の境にある宝満山を源とする筑後川支流の宝満川にも「筑後川源流の碑」があるそうなので行ってみました。源流の碑が建立されている竜岩(たついわ)自然の家は、ファミリーキャンプやバーベキュー体験、宝満川での川遊び、そして運動広場で汗を流したりといった自然体験活動を行うことができる施設です。これが筑後川源流の石碑か思いましたが、よくみると昔ここに竜岩小学校というのがあったことを記念する石碑で、「竜岩小学校閉校記念碑」と「竜岩小学校跡」の石碑でした。ここの小学校の卒業生のみんな元気にしているかな。自分の卒業した小学校がむなくなるってちょっと感傷的になりますよね。そしてこれが「筑後川源流の碑」です。いつもの通り、筑後川流域の案内板もありました。これが宝満川。流れをせき止めて水を取り入れているようです。農地へのかんがい用なのでしょうね。源流の碑からまだまだ上流はあります。水源ははるか山奥のようですね。【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その19) 竜岩自然の家 筑後川源流の碑
Jul 1, 2018
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