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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。筑後川を日田市から大山川に沿って遡り、松原ダム、下筌(しもうけ)ダムを過ぎて、国道387号線を菊池市の方へ行く途中に日田市上津江町(旧上津江村)に差し掛かると、この施設があります。上津江フィッシングパーク(→→→こちらです)。ヤマメ釣りの好スポットして知られる渓流を仕切った釣場でヤマメ・ニジマスなどの渓流釣りが楽しめる場所として人気のあるスポットらしいです。ここにもありました「筑後川源流の碑」。立派な石碑ですね。筑後川源流から143kmの旅というお馴染みの看板もセットですね。ヤマメ釣りのスポットとなっているこの川(川原川)が筑後川の源流のひとつです。この施設のさらに奥に行くと、このような看板が立っていました。「かっぱリンク」とは、筑後川の水に水道水の約3分の1を依存する福岡都市圏、および筑後川流域のボランティア団体が、筑後川の水源地または筑後川流域で植林や森林の手入れi取り組む活動のことです(→→→こちらです)。このあたりで福岡市やその周辺から市民のみなさんがやってきて、植林などを行っているのでしょうね。こちらは日田市の観光案内マップ。日田市って広いですね。この清流の水が有明海まで川を下って行くのですね。【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その31) 上津江フィッシングパーク 筑後川源流の碑
Sep 30, 2018
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。黒川温泉からさらにやまなみハイウェイの方へ向かう途中から、右折して平野台高原展望所に向かいます。ここは、阿蘇五岳が一望出来る絶好のロケーションで、2009年4月1日に「恋人の聖地」として認定を受けたところですが、ここへ来るまで、道がわからず、MoMo太郎、かなり苦労しました。そして、ここにありました「筑後川源流の碑」。その隣には、例のごとく筑後川流域図。九重連山がすぐそこに見えます。このような木造の展望台があって登ることができました。展望台の上から見下ろすと、深い九州の山河一望できました。この山々が九州一の大河、筑後川の源流となるのですね。【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ黒川筑後川を行く(その30) 平野台高原展望所 筑後川源流の碑
Sep 29, 2018
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。阿蘇山の北に位置し、熊本県阿蘇郡南小国町にある黒川温泉にやってきました。正直に言うと、黒川温泉街、道も狭くとても車で回れるようなところではなく、どこかの駐車場(これも狭くて駐車できないことがあるかもしれません)に置いて、歩くか、或いは高速バスで来くることをお勧めします。ここが中心でお土産物などを売っている「風の舎」というところ。一応駐車場がありますが、すぐ満車になります。この隣にある旅館組合の建物です。ここで「入湯手形」を購入すると、ほとんどの旅館にある露天風呂、3カ所まで選んで入浴することができます。つまり、温泉旅館に泊まらなくても日帰り温泉気分で楽しめるということです。温泉街を歩いてみました。こんな狭い道を車ではちょっと無理ですよね。でも元々は鄙びた温泉地だったことが想像できます。田の原川の渓谷の両側にこぢんまりとした和風旅館が建ち並ぶ温泉街です。また温泉街によくあるパチンコ店とかストリップ小屋とかが見あたりません。それはそれで雰囲気がいい温泉街の佇まいを演出していますね。温泉街を流れる田の原川。この川の水もまた筑後川につながっています。川の上に架かった橋です。この橋で対岸の旅館に行くことかできます。なんか渋いデザインの木橋ですね。こちらは黒川温泉の中心地にある「地蔵堂」。ここには、黒川温泉の発祥となる逸話の「身代わり地蔵」に登場する首なし地蔵(首と胴体が分離している地蔵)が祀られています。「身代わり地蔵」とは、瓜を盗んだことで首を刎ねられそうになった男の身代わりになった地蔵さんの首が刎ねられてしった。男はまこの地蔵を景色のよい場所に運ぼうとして、そしてこの地に着いて、ここに奉祀することにした。すると、その岩の裂け目から湯が噴き出てこの黒川温泉になったそうです。(詳しくは、→→→こちらです)【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その29) 黒川温泉
Sep 28, 2018
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。筑後川の支流のひとつ「杖立川」を遡って国道442号線を黒川温泉に向かっていく途中、熊本県南小国町に「夫婦滝」という名勝があります。ここにフーテンの寅さんの顔ハメがありました。ここがシリーズ第21作「男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」(→→→こちらです)のロケ地になったからのようです。思えば、この「男はつらいよシリーズ」、日本全国を紹介してくれる、地方には有り難い映画だったんですね。そして、夫婦滝というだけあって、ハート形の絵馬が沢山吊るされていました。しかし、この絵馬、いつまでも残されているわけでないでしょうから、誰かが、適宜、片づけているんでしょうね。夫婦滝、二つの川の合流点なんですね。左側が男滝、右側が女滝となるそうです。男滝のアップです。こちらは女滝のアップです。どちらも水量が多くて、見事な滝でした。【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その28) 夫婦滝
Sep 27, 2018
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ところで、開場前から「バス・鉄道フェスタ くるめ2018」に行ったかというと、この行列に並んで、青バスに乗って市内を回るというイベントの整理券をゲットするためです。整理券の配布は12時からだったのですが、朝の10時30分から並んで、手に入れた整理券です。こちらが、「青バス」。青バスとは、1950年代に走っていた西鉄バスのことです。今年の5月から12月までの期間限定で、復刻版の青バスが久留米の町を走っています。復刻板ということで、当時のバスではなく、現在使われているバスの塗装を往時の青バスと呼ばれていた外装にしたものでしょうね。ちなみにナンバープレート「1414(いいよ、いいよ)」です。昔のバスは、窓の枠なんかもっと太かったですよね。それに車椅子乗車可なんていうことはなかったです。中も今のバスと同じ。ワンマンバスの料金表示もついていました。ちなみに、このバスに乗ると法被を着た人が、西鉄ストア提供のジュースやウエットティシュのお土産を配ってくれました。古いといえば、この御年75歳のバスガイドさん。この人は今でも現役で、修学旅行の添乗なんかもしているそうです。修学旅行でこのガイドさんのバスに乗り合わせた中高生のみなさん、間違っても「おばあちゃん」とは呼ばず、「ガイドさん」と呼んであげて下さいね。【了】人気ブログランキングバス・鉄道フェスタ くるめ2018(その2)
Sep 26, 2018
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9月22日、久留米シティプラザで、「バス・鉄道フェスタ くるめ2018」というイベントが開催されたので、行ってみました。開場前の様子です。子供連れの方やマニアな人が早くから来ていました。開場は午前11時からですが、10時30分頃には沢山の来場者も来て大盛況でした。鉄道用の高所作業車の体験乗車もできます。こちらは西鉄グッズの売り場です。ここにきている西鉄関係の人、MoMo太郎がよく参加する「西鉄レール&ハイク」のイベントでも見かける方がいました。子供向けの顔ハメもありました。こちらは線路の枕木釘打ちを体験できるコーナー。保線の仕事、大切ですから、しっかり覚えて帰って下さい。高速バスの体験乗車も盛況でした。普段はみなさん自家用車で移動するので、高速バスはあまり使わないのでしょうね。ミニ新幹線体験乗車のコーナーですが、新幹線、故障中。近隣の市町の特産品販売ブースもありました。二階にある展示室では、往年の神大列車のヘッドマークの展示が。こちらは子供が一杯。プラレールで遊んでいました。プラレール、MoMo太郎が子供の頃からありましたが、まだ人気の玩具なんですね。【つづく】人気ブログランキングバス・鉄道フェスタ くるめ2018(その1)
Sep 25, 2018
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久留米市でありながら、筑後川を越えて、佐賀県側に飛び出している長門石地区をさるいてみました。長門石地区にある七木地蔵(ななきじぞう)は遠方から参詣する人も多く、永年にわたり信仰を集めている地蔵尊が祀られています。かつて肥前の龍造寺 氏が高良山にたてこもる大友宗麟を攻める際に、戦勝祈願を成就したことから、眼病、諸病とともに進学・選挙にご利益があるとされています。 七種の巨木が幹を一つにしたようにそびえ立つ根元に鎮座していたという事から、七木地蔵の名がついたそうです。元々は、旧筑後川の河川近くにあった両道院にこのお地蔵様が奉られていのが、毎年洪水に苦しむため、浸水のない高台の肥前千栗に両道院は移ったが、この石仏だけはもとの寺院の場所に戻ってきたそうです。こちらはボケ封じの観音像です。しっかりお参りしておきました。こちらは七福神でしょうか?お不動様だったと思います。こちらがご本尊。ご本尊は、高さ約1.83mの自然石に通肩の納衣をまとい右手に錫丈を持ち、左手を胸高く掲げて蓮座に立つ地蔵像が半肉彫りになっていいます。十三体のお地蔵さまが並んでいました。七木名物地蔵餅とあったのですが、なんかずっと閉まっているような雰囲気でした。毎年1月14日には、「七木地蔵新年大祭」が行われ、参詣客に鏡開きのぜんざいが振舞われるそうです。そして、遠方からも参詣に訪れる人はあとを絶たず、特に毎月4のつく「恩日」には多くの参拝客で賑わうそうです。【了】人気ブログランキング久留米市長門石地区さるき(その3)
Sep 24, 2018
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久留米市でありながら、筑後川を越えて、佐賀県側に飛び出している長門石地区をさるいてみました。北川原公園の中にある三つの石碑です。一番大きいこの石碑は、耕地整理記念碑でした。耕地整理の記念碑は、この地方ではよく見かける石碑です。農地の区画をそろえて、用水や排水を整えることを耕地整理というようです。石碑の台座には、この事業について色々と記されていました。真ん中の自然石のような石碑です。1893年(明治26年)には久留米市で蒸気機関によるポンプ取水が開始されたそうです。明治以後、動力ポンプによって水を汲み上げてかんがいに利用する先駆けとなったことを記念して建立された石碑のようです。成形された石碑ですね。目虫対策施設完成記念碑とありますが、目虫ってなんなんでしょう。農作物の害虫でしょうか?【つづく】人気ブログランキング久留米市長門石地区さるき(その2)
Sep 23, 2018
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久留米市でありながら、筑後川を越えて、佐賀県側に飛び出している長門石地区をさるいてみました。1604年(慶長9年)に筑後藩主田中吉政が 筑後川を直線状に掘削する工事を行い、長門石は佐賀県側に突き出たような形の島となったそうです。長門石にある長門石本村八幡宮です。ここには市指定の民俗文化財の碇石。そして、庚申板碑というものがあります。拝殿に行く途中にある太鼓橋。池には水はありませんでした。猿田彦大神の石碑がありました。これからも庚申信仰が神道の猿田彦神とも結びついていることが推し量れますね。こちらが本殿です。本殿の横にある板碑が「庚申板碑」(→→→こちら)です。本殿の後ろに碇石の標柱がありました。本殿の裏にあるこの石が碇石だそうです。地元の伝承によれば、この石が長門国の田(現在の山口県)から運ばれてきたので「長門石(ながといし)」の地名起源になったと言われています。本来、船の碇として使用されていたこの石が、後に船をつなぐための舫石(もやいいし)に転用されたのではないかと思われます。【つづく】人気ブログランキング久留米市長門石地区さるき(その1)
Sep 22, 2018
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久しぶりにピッツァを食べたました。西鉄試験場前駅の近くにあるpizza world & mというお店のラマルゲリータピザ1000円(税込み)です。ランチメニューなのでこれにサラダと飲み物(コーヒーなどが選べる)が付いています。結構評判らしいです。でも、特にまた行ってみたいお店という感じはしませんでした。人気ブログランキング孤独のグルメ ピッツァ
Sep 21, 2018
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放生会なので、やっぱり「万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、秋の実りに感謝する」という放生会の趣旨にそってお参りしないといけませんね。拝殿の前にある楼門の前、参拝客の行列が。この行列に並んで拝殿に行きます。ちょっと露出オーバーで撮影してしまいました。扁額には「敵国降伏」とありました。北の某国か隣の共産党国家のことですか? 記録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐天皇が神勅により「敵国降伏」の宸筆(しんぴつ)を下賜されたそうです。また時代が下り、文永11年(西暦1274)蒙古襲来により炎上した社殿の再興にあたり亀山上皇が「敵国降伏」の宸筆を納められた事跡は有名で、ここに掲げられている扁額は、文禄年間、筑前領主小早川隆景が楼門を造営した時に、亀山上皇の御宸筆を謹写拡大したものだそうです。拝殿の前では雅楽が奉納されるのでしょうか。楽器が置かれていました。本殿・拝殿を囲む回廊には生け花が飾れていました。柱には、各界の著名人が書かれた文字が。この変なイラスト付きは、茶道表千家家元の千宗左氏のものです。お神輿も展示されていました。放生会のご神幸の時に使われるようですが、ご神幸は西暦の奇数年に行われるそうなので、今年は展示されているだけです。こちらは、南懐仁(フェルディナント・フェルビースト)の大砲。フェルディナント・フェルビーストとはイエズス会宣教師。清代の中国を訪れ、康熙帝に仕えながら布教活動を行った。漢名は南懐仁だったそうです。この人はヨーロッパの文明を清の時代の中国に伝えたことで有名らしく、この大砲も清国経由で手に入れたのでしょう。やはり敵国降伏のための神社ですから、こういうものは必需品ですね。神社に欠かせない白馬。作り物です。何と書いてあるのか読めなかった、華道家元、池坊専永さんの署です。こちらは、家元の代理で活けた、家元の生け花だそうです。ちなみに、ここに出展されたてるのはみなさん池坊流のお弟子さんの物でした。筥崎宮(はこざきぐう)、こういう人出のあるお祀りの時ではなく、人の少ない時に来て、ゆっくり散策したい神社ですね。【了】人気ブログランキング筥崎宮放生会(その3)
Sep 20, 2018
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筥崎宮(はこざきぐう)の放生会。筥崎宮の一之鳥居にやってきました。筥崎宮の鳥居は、本殿近くより数えて一之鳥居、二之鳥居と呼ばれています。 一之鳥居は慶長14年(1609)、藩主黒田長政が建立したそうですが、よく見ると鳥居の柱は三段に切れていました。地下鉄箱崎宮前駅1番出口付近にあるのが、ニ之鳥居です。また、国道3号線と参道の交差地点にも大鳥居があったそうですが、老朽化したため今は撤去されています。でも筥崎宮のホームページの境内案内図にはその鳥居が描かれていました(→→→こちらです)本殿脇に社務所にあった張り紙です。空くじなしのおみくじ?この「鳩みくじ」1回300円の割には旅行券とか当たったりもするみたいです。こちらは、スタンバイしている「博多町人文化連盟幕出し」のみなさん。幕出しとは、町人たちが炊事道具などを入れた長持ちを担いで参拝後、松原に幕を張って宴会を開いた行事のことだそうです。この一行、「博多長持唄」を歌いながら参道を往復して本殿前にやってきました。宴会用のグッズが入っていことになっている長持ちも行列の中に。着物がキレイな年上のお姉さま方も行列の中に。本殿前来ると、神職からお祓いを受けて。そしてみんなで記念撮影していました。【つづく】人気ブログランキング筥崎宮放生会(その2)
Sep 19, 2018
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海に面した鳥居、そして、埋め立てられた博多湾の一角に残された砂浜。ここが筥崎宮前の「お潮井」という砂浜です。ここの真砂(まさご)で身を清めるのだとか。博多祇園山笠の時も、各山笠の舁き手のみなさんが、この浜にやってきて、「お潮井(海砂)」を竹製のテボや升などに入れて持ち帰える儀式があります。この朱塗りの鳥居を抜けて筥崎宮の本殿に向かいます。ちなみ筥崎宮の祭神は、八幡様と呼ばれる応神天皇と、その母君の神功皇后、そして神武天皇の母君の玉依姫命となっています。そして、今日はなにやら沢山の人出が筥崎宮と表記しますが、このあたりの地名は箱崎といいます。「筥崎」では筥崎八幡神に対して恐れ多いという理由から「箱崎」と表記しているそうです。 沢山の露店が並んでいます。食事のできるお店も。子供の頃、祖父と一緒に西宮神社の十日えびすにきて、そこに出ていた露店の物を食べたいと言うと、祖父は「不潔だから」と言って食べさせてくれませんでした。だいたい毎年そういうやりとりがあったので、まあ、子供の頃は食べなかったのですが、高校生になって、友達と一緒に初詣に行った時、そこの露店で、たこ焼きを食べたら、帰りの電車でお腹の具合が悪くなり、途中下車してトイレに駆け込みました。その時、トイレでしゃがみながら、しみじみ思いました。「おじいちゃんの言うことは間違っていなかった」と。お化け屋敷までありました。こんなケーキ、東京で売ってましたったけ?そう、この日は、春の博多どんたく・夏の博多祇園山笠とならび博多三大祭りに数えられる筥崎宮放生会(ほうじょうや)でした。普通は「ほうじょうえ」と読むのですが、筥崎宮や特に福岡地方では伝統的に「ほうじょうや」と呼ぶそうです。放生会とは、「全ての生命あるものを慈しみ、秋の実りに感謝する」お祭りです。その起源は「合戦の間多く殺生すよろしく放生会を修すべし」という御神託によるもので、千年以上続く最も重要な祭典しかし、本当に人が多いですね。博多にはこんなに殺生している人が多いんでしょうかね。新ショウガを売っていました。どうもこれが名物だそうです。もう一つの名物がこの社日餅(やきもち)。白餅とよもぎ餅の二種類がありますが、試しに白餅を一個買って食べてみました。餡が入った素朴な感じのお餅でした。まあ、わざわざ買い求めに来ることはないかもしれませんが、放生会のお土産にはいいかもしれません。【つづく】人気ブログランキング筥崎宮放生会(その1)
Sep 18, 2018
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こちらの並んだ建物は、御廟(ごびょう)と経蔵(きょうぞう)だそうです。こちらが御廟。中にある五輪の塔石造の廟塔です。聖光上人をお祀りしています。こちらは三祖堂。聖光(鎮西)上人の発願による安産祈願の祈願所iになるそうです。三祖とは、この中に祀られている浄土教の開祖である善導大師、そしてこの善導大師の教えである浄土宗を日本に持ち帰えり伝えた日本での浄土宗の開祖、法然上人。そしてこの善道寺を開基した聖光(鎮西)上人になるそうです。こちらが本堂。やはり浄土宗なので阿弥陀如来が奉られているのでしょうね。国指定の重要文化財となっているそうです。こちらは釈迦堂。比叡山延暦寺の根本中堂の建築様式を調査して建てられたそうです。中に奉られている釈迦如来像です。善導寺、立派な寺院です。また、機会があれば、じっくり時間を掛けてお参りしたい寺院でした。【了】人気ブログランキング善道寺参詣(その4)
Sep 17, 2018
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境内に入って最初に目にした石碑「鎮西学園発祥之地」とは、熊本にある野球の強いあの鎮西高校のことのようです。1888年(明治21年)、福岡県久留米市善導寺町に浄土宗学鎮西支校として創立されたそうです。そして1901年(明治34年)に熊本市へ移転したそうです。立派な石像がありました。こちらは、筑紫筝碑。善導寺は「筝曲発祥の地」だそうです。こちらは、善導寺を開基された聖光上人像。顔ハメもありましたよ。境内案内図です。結構、建物がありますね。さすが大本山。善導寺開山、聖光上人のお手植えと伝えられている善道寺の大楠です。ということは推定樹齢は800年でしょうか。枝が重すぎるのか、下から支えています。天然記念物に指定されているのですね。お寺と言えば、やっぱり欠かせない鐘ですね。この梵鐘は福岡県の文化財に指定されているそうです。慶安二年(1694)の鋳造というのは、第二次世界大戦中の金属類の供出を免れたということですね。【つづく】人気ブログランキング善道寺参詣(その3)
Sep 16, 2018
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浄土宗大本山善導寺に参拝します。ちなみに善導寺の現在の敷地は約15000坪(東京ドーム1個分)だそうです。この駐車場案内板を見て気がつきました。一番遠い、右下の駐車場に駐車したことを。とりあえず、参道は長い。この案内板、下の字が消えていて読めませんこちらが大門。重要文化財だそうです。大門上に掲げられている山号、「終南山」は終南大師(善導大師)に因んだものだそうです。終南大師とは、善導(→→→こちら)という、中国浄土教(中国浄土宗)の僧侶だそうです。さらに続く参道。善導寺は安産祈願で有名な寺だそうで、祈願に参詣された妊婦さんがこの参道の大門をくぐり三門まで歩く間に、最初に「男性に会えば男の子が。 女性に会えば女の子が産まれる」というそうです。でも、誰にも会えなかったら、どうなるんでしょう。そしてここが三門という門だそうです。三門の手前にあった幼稚園。コンビニの親戚みたいな「ランビニ」という名前、変だと思ったら。「藍毘尼」の意味だったのですか、藍毘尼(→→→こちらです)とはお釈迦様が生まれたとされるインドの村の名前ですね。山門と呼ばす三門と呼ばれている門です。三門と書くのは三解脱門のことで、悟りに通ずる3つの道を意味しているようですね。ここにある鎮西上人とは、この善道寺を開基した聖光上人のことです。ありました「下馬」の標石。ここからは馬を降りて歩けということですが、現在なら車を降りてということですね。三門を抜けて境内に入ります。下馬とあるのに、車で境内に入ってきているとは、なとんいうことですか。こちらにある南門から、車で入ってこれるようです。まあ、お年寄りや足の不住な方のためにもこれはいいのかも。【つづく】人気ブログランキング善道寺参詣(その2)
Sep 15, 2018
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久留米市東部、善導寺町にある浄土宗大本山の善導寺に参詣してきました。その前に善導寺の駐車場の近くにあった亀の甲八幡へお参りしておきました。善道寺も関係ある神社のようです。こちらが拝殿です。筑後川の氾濫でここまで水位が上がったという表示がありました。ここまで水が来たら、本当に大変です。ここから大善寺善導寺へ向かって歩くと、街灯の上に天女の飾りが、全ての街灯についているみたいです。善道寺の入り口に立つ薬師堂です。そして、ここが善導寺の入り口です。浄土宗大本山の善導寺、九州における浄土宗を広める拠点となっている寺院です。総本山は京都東山にある知恩院 (華頂山 知恩教院 大谷寺)だそうです。では<お寺の中へ入っていきます。【つづく】人気ブログランキング善道寺参詣(その1)
Sep 14, 2018
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長崎街道は、江戸時代に整備された脇街道の一つで、豊前国小倉(福岡県北九州市小倉北区)の常盤橋を始点として、肥前国長崎(長崎県長崎市)に至る街道です。また、砂糖が船運によって、経済発展していた長崎街道地域に大量に運ばれてきたため、「砂糖の道」、「シュガーロード」とも呼ばれるそうです。その長崎街道の名残を佐賀県鳥栖市で探してみました。場所は、国道43号線の村田町交差点近くから一本脇の道に入ったところです。今は住宅街の中の道ですが、これがむかしの長崎街道だったんでしょうね。この旧道をさらに鳥栖方面に向かって歩いたところにある「村田の六地蔵」です。数えてみると地蔵様は7体ありますが、中央の宝塔に鎮座しているお地蔵様は別格なのかも。長崎街道を本格的に歩くかどうかは、まだ決めていません(~_~;)人気ブログランキング長崎街道、村田の六地蔵
Sep 13, 2018
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。さて、この花が有名なヒゴタイ(→→→こちら)です。長者原ビジターセンターのタデ湿原の近くで見つけました。こちらが長者原にある「久重登山口長者原ヘルスセンター(→→→こちら)です。阿蘇くじゅう国立公園を訪れる人たちのためのドライブインというところでしょうか。2階には温泉がありますよ。この彫刻が「山のガイド犬」として有名な平治(→→→こちら)の銅像です。こちらは{坊がつる讃歌の碑」(→→→こちらです)。この歌、MoMo太郎が最初に入った職場の上司がカラオケでよく歌っていました。こちらは坊がつる讃歌の説明ですね。こちらはこの石碑建立にお金を出した人の名前です。この石碑除幕式の映像がありました。しかし、「坊がつる」(→→→こちらです)はこちら九重町ではなく、くじゅう連山を超えた西側にある竹田市久住町のことなんですがね。そしてお目当ての筑後川源流の碑が、この坊がつる讃歌の碑の傍にありました。【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その27) くじゅう連山 筑後川源流の碑
Sep 12, 2018
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。この山並みが見える飯田高原の長者原(ちょうじゃばる)までやってきました。この山なみが九重連山というそうです。、いくつかの山が集まっています。大分県玖珠郡九重町から竹田市久住町北部にかけて広がる火山群の総称だそうです。また、「九重」(くじゅう、ここのえ)と「久住」(くじゅう)の2通りの表記及び読みが用いられてきたのですが、最近は、混乱を避けるためにひらがなの「くじゅう」を用いられるみたいです。この九重連山も筑後川の源流となります。この谷あたりが源流になるのでしょうか?この道が絶景を走るやまなみハイウェイ(→→→こちら)です。元々は日本道路公団の管理する有料道路別府阿蘇道路でしたが、今は無料の大分県道・熊本県道11号別府一の宮線となっています。やまなみハイウェイ、九州でも屈指のドライブコースとして言われていて、MoMo太郎も、いつか愛車の「フェラーリ」と呼んでいるトヨタ車で全線を走破してみたいと思っています。長者原ビジターセンター(→→→こちら)は、環境省の施設です。駐車場には、結構、車が止まっていました。これが長者原ビジターセンターの建物です。九重(くじゅう)の自然などの様子を、わかりやすく展示をしている施設です。そして、建物の裏には、このような草原が広がっています。ラムサール条約に登録されたタデ原湿原だそうです。タデ原といいながらタデが生えているということでもないようで、こんな植物(タムラソウでしょうか)やお馴染みのススキなどが見られました。湿原ということでこんな小川が流れていました。この水が、有明海に注ぐ九州一の大河、筑後川になっていくのですね。【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その26) 長者原(チョウジャバル)
Sep 11, 2018
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。桂茶屋のそばには、願いが叶う「天狗の滝」というのもありました。「天狗の滝」の滝の由来が書いてありました。しかし、弘法大師というお方、香川県で満濃池を作ったり、全国あちらこちらで色んなことをされていますね。天狗の小さな顔がついた絵馬に願い事を書くようですね。沢山の願い事で、天狗さんも忙しいでしょう。こうなると天狗さんの過労死が心配です。これが天狗の滝です。落差約10m、滝の中段左側辺りの岩が光線の角度によって天狗の顔に見えることから「天狗の滝」というそうです。また、ここには温泉もあるようでした。お湯に浸かりながら紅葉も楽しめるのでしょうか。九酔渓を後にして、県道40号線を飯田高原の方に向かうと、「九重"夢"大吊橋」というのがあります。夢をクォーテーションマークで囲むのが正式な名称のようです。2006年10月30日に開通。高さ173m(水面より)、長さ390mの歩行者専用吊り橋です。、観光名所で九酔渓の紅葉を楽しんだりするにはいいのかもしれませんが、入場料500円を払う気にはなれなかったです。ちなみに、九重町では、この夢大吊橋からの収益金の一部を使って、子供の医療費補助などを拡充しているそうです。そこまでやるなら、ついでにカジノも作れは住民福祉がもっと向上するかも。【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その25) 天狗の滝と九重"夢"大吊橋
Sep 10, 2018
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9月8日と9日の2日間にわたり、久留米市にある東町公園で「第16回久留米焼きとり日本一フェスタ」(→→→こちら)が開催されていたので、9月8日、雨の中行ってみました。雨にもかかわらず、これだけの人が来ているってことは、晴れていたらもっとどれだけの人が圧なったのか。ステージも作られていて、今年の焼きとりフェスタのテーマは「ラブ・ダルム」?MoMo太郎は、こちらのMCのお姉さんにラブ焼き鳥買ってみました。出展店舗の裏側では、焼きとりを焼いています。どの店舗も三本セットで500円ですが、それぞれ串の内容は違うようです。ちなみにビールは一杯450円。近くのコンビニで缶ビール買って持ち込んでもよかったかな?これが、久留米人熱愛の「ダルム」。業界の人ならわかると思いますが、darm(ダルム)は「腸」のこと。東京の焼きとり屋さんなら、「シロ」ですかね。焼きとりフェスタのテーマは「ラブ・ダルム」だけにどの店のセットにも「ダルム」が入っています。焼きとりだけは足りない人に向けに、久留米ラーメンの有名店「モヒカンらーめん」や久留米人の常備食「筑後うどん」も出店しています。こちらが客席で、テントの下で焼きとりを食べることはできます。ラジオ局も取材に来ていました。ステージでは、地元高校生のダンスも披露されていました。ところで、どうして「久留米焼きとり日本一フェスタ」が久留米で開かれているかというと、久留米市は、人口比日本一の焼きとりの街だからそうです。なんと、1万人当たり7.46軒の焼きとり屋さんがあるそうです。さらに焼きとりメニューが多いのも久留米焼きとりの特徴で「ダルム(小腸)」、「ハルツ(心臓)」、「せんぽこ(動脈)」、「タング(舌)」など、ドイツ語に由来する名前で呼ばれています。まあ、久留米大学医学部というのがあるせいだとか。それに焼き鳥といっても、鶏肉だけではなく、何でも串を刺せば何でも「やきとり」になるのも久留米式。久留米市内の「焼とり 鉄砲」が「アスパラガスの肉巻」を日本で初めて手がけ、以来、市内各店でやきとりメニューを開発し始めたそうです。人気ブログランキング久留米焼きとり日本一フェスタ
Sep 9, 2018
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。筑後川水系の玖珠川と鳴子川の合流地点にある九酔渓(きゅうすいけい)に行ってきました。紅葉の名所ということですが、去年の10月初頭に訪れましたので、まだ紅葉は見られませんでした。でも、高低差は約200メートルにおよぶV字谷が約2kmにわたって続き、紅葉がなくてもこの景観だけでも見にきた価値があります。川の中には砂防ダムが見えました。ここに来るには、大分自動車道九重ICから、国道210号、県道40号を走り、十三曲がりと言われる急カーブの続く道をドライブしてきました。そしてこの「桂茶屋」につくと、ここの駐車場からは渓谷を一望できます。なかなか、趣のあるお店ですね。お土産物はもちろん、食事もできます。メニューは蕎麦、うどん、カレーライスなどですが、ヤマメの塩焼きもありました。この水車も雰囲気の演出でしょうかね。トウモロコシも干してあって、山の中の茶屋というイメージがするお店でした。【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その24) 九酔渓
Sep 8, 2018
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今日は熊本名物の「ちくわサラダ」を頂きました。「ちくわサラダ」は簡単に言うと、ポテトサラダを思いっきりチクワの穴に詰め天ぷらにしたものです。この「ちくわサラダ」発祥の店として知られるのが、熊本県を中心にチェーン店を展開する「おべんとうのヒライ」(→→→こちらです)。「おべとうのヒライ」が南久留米駅前にあるショッピングセンター「サンリブ」(→→→こちらです)に出店しているので、そこで購入してきました。ヴォリュームがあり、ちくわ天ぷらというありきたりのおかずを、ポテトサラダが豪華な料理に変身させているような感じです。人気ブログランキングへ孤独のグルメ ちくわサラダ
Sep 7, 2018
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アサヒビール博多工場の工場見学です。工場の中は冷房が効いていて涼しい。博多工場で一年間で生産されるビールの量です。アサヒスーパードライの350ml缶で8億7千万本、缶をつなぎ合わせるとその長さは地球を2.7周するそうです。アサヒビールの工場、全国各地にあるので、それぞれがこれくらい作っているとすると、みんな結構ビール飲んでますね。こちらがビールの原料、手前の緑色のものがポップ。奥の茶色のものが大麦です。MoMo太郎のグループの説明員は、男性でしたが、他のグループは女性でした。こちらが、工場の施設。平日は24時間稼働し、日曜祝日は休んで、機械の洗浄、点検をしているそうです。こちらが、缶にビールを詰め込む機械だそうです。そして、ビール工場の見学といえば、試飲が欠かせませんね。ここが試飲会場です。これが試飲のビールとおつまみ。ビールはアサヒビールといえば、やはりスーパードライ。2杯飲むことができます。工場で出来立てを飲んだせいか、いつもスーパードライとは、風味が少し違いました。工場見学もできたウォーキング、楽しかったです。次回はいつ頃、どこへ行くのかな?楽しみです。【了】人気ブログランキングアサヒビール博多工場見学・散策コース(その3)工場見学
Sep 6, 2018
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西鉄のウォーキングイベント、レール&ハイクの続きです。新幹線の高架橋の下を抜けて、板付方面に向かって、進み、この陸橋を超えて行きます。陸橋の下はJR九州の鹿児島本線です。陸橋を超えると板付地区になりました。板付中央公園です。そして、御笠川に出ました。これが御笠川、この前日は雨だったので、すこし水は濁っていました。この御笠川沿いの道は桜の名所らしいです。このタンクは下水処理施設の御笠川浄化センターのタンクです。御笠川の支流、諸岡川に架かるこの橋を渡ります。廣田善太郎いう人がこの橋を架けたということでしょうか?橋の名前は「那珂沼口橋」、ということはこの辺りは、むかし沼だったんでしょうかね。地名も那珂というそうです。そして、ここにやって来ました。JR九州の竹下駅です。竹下通りもありました。これが福岡の竹下通りです。約7キロのウォーキングを完歩しました。ここが目的地のアサヒビール博多工場です。続いて、ビール工場見学に行きました。【つづく】人気ブログランキングアサヒビール博多工場見学・散策コース(その2)御笠川
Sep 5, 2018
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晴天の9月2日、日曜日、西鉄天神大牟田線大橋駅にやってきました。西鉄レール&ハイクの「アサヒビール博多工場見学・散策コース」に参加するためです。前回のレール&ハイクイベントは、7月の西日本豪雨で中止になったので、久しぶりのウォーキングイベントとなりました。出発時はペットボトルの水を配ってくれました。大橋駅を出発して、日赤通りに出ます。九州中央病院のところを右折して、南警察署の前を通り。那珂川に出ました。このまま真っ直ぐ行けば、目的地のアサヒビール博多工場なんですが・・・。那珂川にある堰です。むかし、このあたりにも水田が多かったのでその名残なんでしょうか。那珂川沿いの遊歩道を南に向かって歩いていきます。多少は汗を流した方が、ビールも旨くなるでしょう。転倒式の堰ですね。水を堰上げる時はこんな風に堰板が上がって、水位を下げる時は、この堰板が下流側に倒れるのでしょうね。堰全体も石張りにして、景観にも配慮していますね。そして、この橋を渡って、また那珂川の左岸側に戻ります。橋の上から、また堰が見えました。こちらの堰は、さっきの堰より高く堰上げていますね。中が沿いに佇む、カルガモ? 嘴全体が黄色いから違うカモ。また、那珂川を渡って、板付の方へ向かいます。【つづく】人気ブログランキングアサヒビール博多工場見学・散策コース(その1)那珂川
Sep 4, 2018
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9月1日午前11時から久留米市にある筑後川リバーサイドパークにて「平成30年度久留米市総合防災訓練」がありました。といってもMoMo太郎が、心を入れ替えて、山ピーやガッキーのように災害救助に取り組もうとしているわけではなく、ここに行くと。こんなものがもらえたり(水と緊急持ち出し袋です)。こんなものが食べられるからです(災害時の炊き出しカレーです)。ちなみに、このカレー、MoMo太郎に配られたのはルーだけでご飯はありませんでした。こちらが訓練の様子、土のう袋に土を詰めているところです。ちなみに当日は雨模様でした。雨の中ご苦労様です。なんか偉いさんが、テントの中からこの訓練の様子を眺めています。これは地震体験車。東日本大震災の地震が体験できました。はしご車の体験もできました。良い子だとこのはしご車に乗せてくれます。久留米消防署の着ぐるみ。この中に消防隊員の人が入っているのでしょうか?さすが軍都、久留米。自衛隊が応急の橋を架ける車両も展示されていました。久留米の自衛隊員の人もPKOでこの車両と共に派遣されたりするのですかね。これは被災地で自衛隊が準備してくれるお風呂です。普段は訓練の時に自衛隊員のみなさんが使用しているそうです。そういえば、阪神淡路大震災の時には、営業していた公衆浴場があったことを思い出しました。あのお風呂屋さんまだあるのかな?人気ブログランキング久留米市総合防災訓練
Sep 3, 2018
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こちらは神代橋の近くにある「太郎原」、「だいろうばる」と呼ぶそうです。この近くに、太郎原一本杉史跡というのがありました。南北朝の時代、九州の北朝方と南朝方の勢力が筑後川をはさんで戦った大保原の戦い(→→→こちらです)で、南朝方の懐良親王は合戦をかろうじて制し、高良山に転進したが、村人は合戦で死んだ武士たちを悼んで塚を築き、塚の前に一本の杉を植えたそうです。それがこの太郎原の一本杉という史跡だそうですが、その一本杉、昭和31年の台風で倒れたそうです。そして、今ではbk石碑だけが残っていました。この変わった建物。河童をイメージした意匠のJR九州久大線の「田主丸(たぬしまる)駅」です。河童の本場の町なのでしょうか?河童の石像が駅前に飾られています。この河童、ちゃんとした名前があるそうです。楽太郎河童というそうです。またこの田主丸という地名の由来も書かれていました。ちなみに、この菊池丹後という人物は、慶長年間(1596-1615)にこのあたりの藪125間(1間は約1.818 メートル)つまり230メートルを開いて町筋を創建したのが田主丸町の始まりとされいるそうです。楽しく生まれる、田主丸。覚えましたか?人気ブログランキング続々・難読地名
Sep 2, 2018
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久留米で見つけた難読地名の続きを紹介します。神代と書いて「くましろ」と読みます。この神代橋、最近、新しくなったみたいで、これが新しい橋です。黒御影石なんか使って、デザインにも心配り。これが神代橋の歴史だそうです。「文永11(1274)年、鎌倉幕府の執権北条時宗は、元と高麗(こうらい)の連合軍の襲来にあたり、南九州の御家人に出兵を命じた。 久留米の豪族神代(くましろ)良忠は、「筑後川神代の浮橋、九州第一の難路の処、調略をもってたやすく打ち渡す」ということで、筑後川に舟を並べて浮橋(舟橋)をつくり、博多の警固に赴く薩摩・大隈・日向・肥後の御家人たちを対岸に渡した。幕府は、神代良忠の功績を讃え,感状を送った。」ということようです。幕府の表彰状からみてもこれは常設の橋のよう、鎌倉後期作と伝える「観興寺縁起」にも船橋の姿で画かれているそうです。それから、交通の要所として神代橋、洪水被害にあったりして、何回か架け替えられているようでした。こちらは古い神代橋。車がかろうじてすれ違える程度の幅でした。そして今は通行止めです。古い神代橋の近くにあった標石です。神代良忠の造った神代浮橋f史跡となっているようです。こちらにも神代橋の由来が記されていました。ちなみに、この神代という姓、筑後・高良大社の大宮司の家系だそうです。難読地名にもちゃんとした歴史があったのですね。人気ブログランキング続・難読地名
Sep 1, 2018
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