星とカワセミ好きのブログ

2018.01.14
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カテゴリ: 国内旅行(関西)
天王寺動物園、大阪市立美術館を進むと、大阪冬の陣、夏の陣で有名な茶臼山古戦場があります。茶臼山古墳で、26メートルの高台ですが、大阪冬の陣(1614年12月)では徳川家康の本陣となり、大阪夏の陣(1615年5月)では真田幸村が本営とし、幸村が退却後、徳川家康が入りました。

司馬遼太郎さんの「城塞(上、中、下)司馬遼太郎 新潮文庫」を読むと、茶臼山の戦いについて書いてあり、当時の様子を想像することができます。
これらの本で、印象的な部分を紹介します。
①「城塞(中)p237~238」大阪冬の陣で、徳川家康が茶臼山に陣小屋を作り、鉄砲弾を防ぐ鉄製の盾で小屋を二重に取り巻いた。
②「城塞(中)p378~386」和議をすることになり、批准のため豊臣側から木村重成が茶臼山の陣に行った。徳川家康が誓紙に血判をすると、血判が薄すぎると木村重成が言い、家康に血の印を再度要求した。
③「城塞(下)P299~P303」大阪夏の陣で、真田幸村は息子と討死する決意であったが、娘だけは生き延びてほしく、徳川側の伊達政宗に娘を託す依頼をした。伊達政宗は危険を承知で承諾し、娘は伊達家先鋒隊長片倉重綱の妻になった。
④「城塞(下)P354~362」真田幸村は茶臼山の本営で、豊臣秀頼が大阪城から来着するのを待っていたが、秀頼は徳川家康の和議の話を検討するため、結局茶臼山に来なかった。
⑤「城塞(下)P370~395」真田幸村は徳川家康の陣に切り込み、そばまで行ったが、家康は逃げた。幸村は疲れ果て、茶臼山近くの安居天神で休んでいるところ、首を取られた。





↑ 天王寺動物園。





↑ 大阪市立美術館。 この建物の横に、茶臼山がある。



↑ 大阪市立美術館から、天王寺動物園の敷地、通天閣を見る。

↑ 通天閣。

↑ 茶臼山、河底池、和気橋。

↑ 茶臼山古墳(茶臼山古戦場)



↑ 茶臼山への石階段。

↑ 茶臼山山頂。真田幸村の六文銭の旗が見える。





↑ 真田家の家紋。六文銭。

↑ 徳川家の家紋。三つ葉葵。

↑ 真田幸村の名言「関東勢百万も候へ、男は一人もいなく候」

↑ 真田幸村の名言「定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候」



↑ 真田幸村の名言「恩義を忘れ、私欲を貪り人と呼べるか」

↑一心寺は茶臼山のそばにあり、徳川家康が宿泊した。

↑ 錦絵「茶臼山」。



↑ 茶臼山山頂の風景。

↑ 大坂の陣・茶臼山の碑。







↑ 茶臼山と河底池の碑。

↑ 和気橋。和気清麻呂が治水工事をしたとして、橋の名前が付いた。







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最終更新日  2018.01.14 22:29:41
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