星とカワセミ好きのブログ

2023.03.24
XML
「泣き虫プロデューサーの遺言状~TVヒーローと歩んだ50年~/平山亨/講談社」P122~128には、東映の平山亨プロデューサーが「仮面ライダー」を低予算で制作するため、大変苦労されたことが書いてあります。当時で1本400万円の予算だったそうです。
読むと、当時の雰囲気や熱気が伝わってくるようです。

ーーーーーーーーー
「泣き虫プロデューサーの遺言状~TVヒーローと歩んだ50年~/平山亨/講談社」
(P122)
毎日放送の庄野至部長は我々の前で「いくらお金が掛かってもいいから最高の企画を出してほしい」と言い切り、私(東映の平山亨氏)の上司、(東映の渡辺)亮徳さんは仮面のヒーローもので行くことを決めた。正直言って私にはピンとこなかった。その頃はスポ根のアニメやドラマが花盛りの時代で、円谷プロのウルトラマンでさえ一時的に制作を中断していた。今更、月光仮面でもあるまいしと思ったが、どこもやらないからやるというのが亮徳さんの考えであり起死回生の秘策だった。

(P124)
最初は金に糸目はつけないという話だったのに、「庄野が何と言ったか知りませんが、この枠は赤字がひどいんです」といって毎日放送の経理部長が提示したのは1本400万円くらい。円谷プロの制作する『ウルトラマン』の半分以下で、白黒時代の『悪魔くん』とそんなに違わない額だ。それじゃ話が違うと抗議しても、亮徳さんの政治判断で「やってやれよ」。亮徳さんは一旦腹を括っちゃうと、何があっても決定を覆すことはない。あとは現場が苦労しながら何とかやりくりするしかなかった。

(P126)


講談社にしたら刷り直しは大損害だし、編集長の責任問題にもなりかねないんで、さすがに呼びつけられて怒られたよ。そんな苦労の末に放送した第1回の視聴率が8.1パーセントとわかり、毎日放送の庄野さんはちょっと肩を落としていた。前の魔女ドラマよりはいいが、大成功というほどの数字ではない。ところが、視聴率は回を増すごとにグングン上がり、30パーセント超こそ1回しかなかったが、約2年の放送期間で平均21.2パーセントを記録した。裏番組の『お笑い頭の体操』に肉薄する数字で、特に後半は逆転することも多くなり、惨敗続きだった土曜の夜7時半に奇跡がおこったといっていい。

視聴率獲得にもっとも貢献したのは変身シーンだけど、そのときにライダーのベルトがピカピカ光シーンがある。当時は幼稚園児が描いたのかと言われて不評だったピカピカは、特撮研究所の矢島信男さんにお願いする予算がないから、スタッフが自分たちの手でフィルムに描き込んだんだよ。稚拙には違いないが、逆にある種の力感が生じたのも確か。同じようにライダーキックも苦し紛れの末に誕生した必殺技だった。

生田スタジオを預かる内田所長にとって予算不足は常に悩みのタネ。円谷プロみたいに光線技なんかバンバン使われたら、お金も掛かるし制作の時間も足りない。そんなときライダーはバッタの改造人間という事実に気づいた内田所長は、昆虫特有の跳躍力を生かして空中から蹴ったらどうかと閃いたんだ。

(P127~128)
もちろん『仮面ライダー』が成功した一番の要因は、素晴らしい役者さんやスタッフに恵まれたことに尽きる。共同プロデューサーの阿部征司くんは実家が映画館を経営し、本人も早稲田大学のシナリオ研究会で鳴らした硬派の論客だった。阿部くんは東映の東京撮影所からテレビ部に移ってきて、最初にセクシー路線の『プレイガール』を担当したが、途中交代した。それで私の下に付くことになったとき、喫茶店のテーブルに『仮面ライダー』の企画書をバーンと置いて、「これを読んでも何のことか全然判りません。どうして人間とバッタが一緒になるのか説明して下さい」と言ってきた。
阿部くんにしたらお色気アクションも嫌だが、子供向けドラマも関わりたくない番組だったに違いない。ただ、私には別の考えがあって阿部くん一人を論破できないようでは、テレビ局やスポンサーのお偉方はもちろん、肝心の視聴者を納得させることはできないという思いがあった。とにかく必死に理屈を考えて2時間喋りまくった。本音でいえば人間がバッタに変身するなんてあり得ないし、その辺はシナリオが作り上げた嘘なんだけど、誤魔化しといわれても自分なりの解釈で押すしか方法がなかった。
阿部くんは全身に汗をかきながら改造とかバッタの能力とか真剣に語る私がおかしかったのか、最後は口元に笑みを浮かべ、「判りました。一緒にやらせてもらいます」と言ったんだ。

人間は一生の中で運命の分岐点みたいなときが何度かある。結局、阿部くんは昭和56年(1981年)のシリーズ第7作『仮面ライダースーパー1』まで、約10年にわたって苦楽を共にする相棒となった。他にも『ザ・カゲスター』や『5年3組魔法組』などでタッグを組んでいる。


ーーーーーーーーーーーー
↓ 石ノ森章太郎さんが平山亨さんに描いた色紙。


「泣き虫プロデューサーの遺言状~TVヒーローと歩んだ50年~/平山亨/講談社」





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.04.02 11:55:11
コメント(0) | コメントを書く
[ゴジラ、ガメラ、ウルトラ、仮面ライダー] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: