全484件 (484件中 401-450件目)
さくらももこさんは山口百恵さんのファンで、「ちびまるこちゃん」で描いたり、エッセイなどに記しています。手元にある本から一部を紹介します。一番有名なのは、さくらももこさんが小学5年生のとき、清水市民会館で山口百恵さんのコンサートに行って感動した話です。・「ちびまるこちゃん 7巻 p109~124『まるこ 山口百恵のコンサートに行く』の巻」・「まるこだった/さくらももこ/集英社文庫 p193 モモエちゃんのコンサート」次に有名なのは、さくらももこさんが妊娠したとき、三浦百恵さんに電話して良い病院を紹介していただき、そこでの入院時の事や出産についての話を教えていただいた話です。・「そういうふうにできている/さくらももこ/新潮文庫 p68~83 情緒不安定」さくらももこさんが、いっこく堂さんご夫婦と一緒に、三浦百恵さんの家に行った話があります。モモエさんはすごくキレイで可愛らしく、友和さんもすごくカッコ良くて気さくで優しくて、「ああゴールデンコンビがいまここに!!」と書いています。部屋には百恵さんのパッチワークの作品が飾られており、百恵さんがカラオケで「横須賀ストーリー」を歌ったときは、みんな感動して泣いたそうです。・「ももこの70年代手帳/さくらももこ/幻冬舎 p71~88 音楽・歌手」さくらももこさんが「フェスタしずおか」の祭りで、西城秀樹さんを見た事について書かれた記載も紹介しておきます。・「ももこの話/さくらももこ/集英社文庫 p175~191 フェスタしずおか」フェスタしずおかには、河合奈保子さんも出演したことがあります。「ちびまるこちゃん 7巻/さくらももこ/集英社」。 ↑ 「ちびまるこちゃん 7巻 p109~124『まるこ 山口百恵のコンサートに行く』の巻」↑ p110。↑ p122。 ちびまるこちゃんが山口百恵さんにプレゼントを渡すところ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 「まるこだった/さくらももこ/集英社文庫 p193 モモエちゃんのコンサート」↑ 目次。↑ モモエちゃんのコンサート。「まるこだった/さくらももこ/集英社文庫 p193 モモエちゃんのコンサート」↑ p201。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑「そういうふうにできている/さくらももこ/新潮文庫」。↑ 目次。↑「そういうふうにできている/さくらももこ/新潮文庫 p68~83 情緒不安定」。↑ さくらももこさんが三浦百恵さんに電話をかけ、病院について相談した事が書かれている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー・「ももこの70年代手帳/さくらももこ/幻冬舎」。↑ 見て楽しい絵入りの目次。↑ 音楽・歌手 p71。↑「ももこの70年代手帳/さくらももこ/幻冬舎 p71~88 音楽・歌手」。さくらももこさんが百恵さんの家を訪問し、友和さん、百恵さんが素敵だった事や、百恵さんがカラオケで「横須賀ストーリー」を歌ったときは、感動して泣いた事が書いてある。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【追加】「ももこの話/さくらももこ/集英社文庫」。↑ 目次。 フェスタしずおかp175。「ももこの話/さくらももこ/集英社文庫 p175~191 フェスタしずおか」。フェスタしずおかで、西城秀樹さん、山本リンダさん、城みちるさんなどを見た事が書いてある。↑ p189。 フェスタしずおかでの様子。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ フェスタしずおかで歌う河合奈保子さん。
2020.03.07
コメント(0)
河合奈保子さんはコンサートやミュージックフェアで、山口百恵さんの「秋桜(こすもす):作詞作曲・さだまさしさん」を歌っていました。↑ 「Naoko in Concert/河合奈保子/1982年1月6日 日本青年館ホール収録/日本コロムビア」。↑ 「6.秋桜 /作詞・作曲 さだまさしさん」↑「デビューして3年目のオープニングコンサートです。昨年は不慮の事故のためにご心配をおかけしましたが、ステージにたってみなさんの温かい声援を耳にしたとき、本当に歌手になってよかったと思いました。1982年、今年もまた新たな気持ちで一曲一曲を大切にうたって、みなさんと一歩一歩、確かな足跡を残していけたらと思います。河合奈保子」。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 「BRILLIANT Lady Naoko in Conert/河合奈保子/1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール/日本コロムビア」。↑ 秋桜(こすもす)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 「河合奈保子 愛のコンサート/河合奈保子/1983年10月10日 東京・芝・郵便貯金ホール/日本コロムビア」。↑ 秋桜(コスモス)。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ ミュージックフェアで「秋桜」を歌う河合奈保子さん。↑ 目に涙を溜めながら「秋桜」を歌う奈保子さん。↑ 涙が光る奈保子さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ ミュージックフェアで山口百恵さんの「さよならの向こう側 /作詞:阿木燿子さん、作曲:宇崎竜童さん」を歌う河合奈保子さん。↑ 河合奈保子さんと宇崎竜童さん。↑ 河合奈保子さんと宇崎竜童さん。
2020.03.06
コメント(0)
1986年9月の夜のヒットスタジオ・河合奈保子マンスリー企画の「山口百恵さんメドレー」の後半部分です。「ロックンロール・ウィドウ」を熱唱する奈保子さんです。黒い服を脱いで緑色の服になり、最後はスカートを広げていました。本当にカッコイイ奈保子さんでした。↑ ロックンロール・ウィドウ。↑ 目力がある奈保子さん。↑ ダンサーの後ろで黒い服を脱ぐ奈保子さん。↑ 緑色の服になる奈保子さん。↑ ダンサーが服の両側を掴み、引っ張った。↑ クルクル回る奈保子さん。↑ 広がってスカートになった。↑ 決めのポーズ。
2020.03.05
コメント(0)
1986年9月、夜のヒットスタジオで河合奈保子さんのマンスリー企画がありました。1か月4回ということで、河合奈保子さんの特集コーナーが毎週あり、そのうち1回は「山口百恵メドレー」でした。河合奈保子さんが山口百恵さんの「横須賀ストーリー」、「イミテーションゴールド」、「夢前案内人」、「ロックンロール・ウィドウ」を熱唱します。奈保子さんの迫力ある歌声とパフォーマンス、そして目力に引き込まれます。衣装も黒い上着を脱ぎ棄てて、途中で緑色の衣装になり、最後はスカートを広げました。山口百恵さんが引退した後に河合奈保子さんがデビューしたので、直接の接点はないのですが、奈保子さんは小学生の頃に山口百恵さんの歌をよく歌ったり、その頃に買った「横須賀ストーリー」のレコードが紹介されていました。まずは、「横須賀ストーリー」、「イミテーションゴールド」、「夢前案内人」を歌う姿をブログに載せます。↑ 夜のヒットスタジオ。河合奈保子さんと古館伊知郎さん。↑ 衣装は考えていると話す奈保子さん。↑ 小学生の時に山口百恵さんの歌をよく歌ったと話す奈保子さん。↑ 奈保子さんが小学生の時に買った山口百恵さんの「横須賀ストーリー」のレコード。↑ 山口百恵さんの「横須賀ストーリー」のレコード。↑ 百恵さんの曲を奈保子さんがどのように歌うのか、ぜひ聞かせて頂きたいと古館さん。↑ 横須賀ストーリー。↑ 黒い服で身を包む奈保子さん。↑ イミテーション・ゴールド。↑ 黒い上着を投げ上げる奈保子さん。↑ 夢前案内人。
2020.03.04
コメント(0)
2020年3月2日22時ごろ、妻となにげなくテレビを見ていると、TBSで「一番だけが知っている 女性アイドルで最も歌がうまいのは」という番組が始まりました。新聞のTV欄を見ていなかったので、予想外でびっくりしました。妻は興味がないと言ってチャンネルを変えようとしたのですが、私は河合奈保子さんが紹介される予感がしたので、妻にはチャンネルを変えないようにお願いしました。クラシック声楽家55人が本当に歌がうまい女性アイドルを選ぶという企画で、河合奈保子さんは16位で紹介されました。下記コメントも表示されました。「とても品がある清らかな声」(男性バス歌手)「歌の引き出しが多く、色んな表情の歌が歌える」(女性ソプラノ歌手)河合奈保子さんが「大きな森の小さなお家」を歌っている映像が流れていました。1位は山口百恵さんで、「さよならの向こう側」を歌う映像でした。妻は百恵さんのファンなので、懐かしく見ていました。↑ 河合奈保子さんが「大きな森の小さなお家」を歌う姿。↑ 山口百恵さんが「さよならの向う側」を歌う姿。↑ 2020年3月2日 朝日新聞。
2020.03.03
コメント(2)
娘が上海に留学していた時、蘇州に遊びに行ったので、撮った写真をもらいました。夜の蘇州の水郷の景色だそうです。蘇州というと、「蘇州夜曲(そしゅうやきょく)」をすぐに思い出します。李香蘭(山口淑子)さんが1940年に歌った有名な曲です。河合奈保子さんが「蘇州夜曲」を歌っており、中国の本を読むときは、いつもこの歌を聴きいています。奈保子さんは歌うとき、声が自然にビブラートになりますが、それがとても魅力的です。(河合奈保子さん JEWEL BOX 2 NAOKO FAVORITE COLLECTION DISC 4 「蘇州夜曲」作詞:西條八十 /作曲:服部良一 / 編曲:服部克久 /歌:河合奈保子)↑ 娘からもらった蘇州の水郷の写真。↑ 河合奈保子さん JEWEL BOX 2 NAOKO FAVORITE COLLECTION。↑ DISC4 13番目 「蘇州夜曲」。↑「蘇州夜曲」作詞:西條八十 /作曲:服部良一 / 編曲:服部克久 /歌:河合奈保子。
2020.02.14
コメント(0)
以前、漫画家・新沢基栄さんの「ハイスクール!奇面組」の漫画に、河合奈保子さんが「小河井菜緒」として描かれていた事をブログ(2020年1月25日付け)に書きましたが、新沢基栄さんがデビュー作品として奇面組の中学時代を描いた「3年奇面組 1~6巻」の6巻で、初めて「小河井菜緒」が登場しています。3年奇面組 6巻の「婦組登場! 春休みモテモテ奇面組の巻」で、「子役締ひろと婦組」のメンバーとして河合奈保子さんが「小河井菜緒」として出てきます。↑ 3年奇面組 1~6巻/新沢基栄/集英社↑ 1巻、2巻。↑ 3巻、4巻。↑ 5巻、6巻。↑ 6巻 さらば一応中。↑ 「婦組登場! 春休みモテモテ奇面組の巻」。
2020.02.13
コメント(0)
2020年2月1日、タワーレコード新宿に行くと、麻丘めぐみさんのプレミアムベストCDが紹介されていました。河合奈保子さんのCDも並んで置いてあり、楽しい光景でした。私が小学生の頃、麻丘めぐみさんがテレビで歌う姿をいつも見ていました。麻丘めぐみさんは美人で、お姫様のような段々カットの髪の毛が印象的でした。麻丘めぐみさんの歌というと、「芽ばえ」、「女の子なんだもん」、「私の彼は左きき」など有名な歌がありますが、私が個人的に一番好きな歌は「アルプスの少女」です。テンポとノリが良く、カラオケに行くと、必ず「アルプスの少女」を歌います。↑ 麻丘めぐみさん。↑ 麻丘めぐみさんの限定版CD。↑ 麻丘めぐみさんのCD棚と、河合奈保子さんのCD棚。↑ 河合奈保子さんのCD棚。↑ 河合奈保子さんの前期CD(LOVEからデイドリームコーストまで)のCDが見える。↑ 河合奈保子さんの後半CD9枚が紹介されている。(さよなら物語からエンゲージメント)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【アルプスの少女を歌う麻丘めぐみさん】
2020.02.12
コメント(0)
2020年2月1日、タワーレコード新宿店で、河合奈保子さんのCD棚を見ました。奈保子さんの中期以降の作品9枚が、タワーレコード限定で発売されており、上段に奈保子さんのCDを見る事が出来ました。【今回限定発売された、さよなら物語からエンゲージメントまでの9枚】
2020.02.11
コメント(0)
2020年2月1日、東京新宿のタワーレコード新宿店に行き、エスカレーター近くにある河合奈保子さんの展示を見ました。タワーレコードが奈保子さんCD(さよなら物語からエンゲージメントまでの9枚)を限定発売するに合わせて展示がありました。↑ タワーレコード新宿店のエスカレーターそばにある、河合奈保子さんの展示。↑ 十六夜(いざよい)物語の楽譜。
2020.02.10
コメント(0)
漫画家・新沢基栄さんの描かれた「ハイスクール!奇面組」(集英社 週刊少年ジャンプ/ジャンプ・コミックス)は、とても人気があり、高校生の時によく読んでいました。その後TVアニメでも放送され、おニャン子クラブの高井麻巳子さんと岩井由紀子さんが、ユニット「うしろゆびさされ組」として、主題歌の「うしろゆびさされ組(作詞:秋元康さん、作曲:後藤次利さん、編曲:佐藤準さん)」を歌っていました。聴きごたえのある良い歌です。「ハイスクール!奇面組」第3巻(ちょっとおよバレーしますの巻」で、「子役締(こやくしまる)ひろと婦組(ふくみ)」というキャラクターが出てきます。このメンバーの中に、河合奈保子さんが「小河井奈緒(こかわいなお)」として描かれています。薬師丸ひろ子さんは「子役締(こやくしまる)ひろ」、伊藤つかささんは「斉藤(さいとう)つか」、柏原よしえさんは「吉和原(よしわばら)かしえ」、松本伊代さんは「松茂問代(まつもといよ)」となっていました。↑ ジャンプ・コミックス「ハイスクール!奇面組/新沢基栄さん」全20巻。↑ 1巻、2巻。↑ 3巻、4巻。↑ 5巻、6巻。↑ 7巻、8巻。↑ 9巻、10巻。↑ 11巻、12巻。↑ 13巻、14巻。↑ 15巻、16巻。↑ 17巻、18巻。↑ 19巻、20巻。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑「ハイスクール!奇面組」第3巻(ちょっとおよバレーしますの巻」。↑ 作者の新沢基栄さん。↑ 手前は「河川唯(かわゆい)」さん、後ろは「宇留千絵(うるちえ)」さん。↑ 河川唯(かわゆい)さん。↑ P12.↑ P13.河合奈保子さんは「小河井奈緒」として描かれている。↑ P14。↑ P31。↑ 河合奈保子さん:「小河井奈緒(こかわいなお)」。↑ 薬師丸ひろ子さん:「子役締(こやくしまる)ひろ」。↑ 松本伊代さん:「松茂問代(まつもといよ)」。↑ 柏原よしえさん:「吉和原(よしわばら)かしえ」。↑ 伊藤つかささん:「斉藤(さいとう)つか」。↑ 13巻の表紙。おニャン子クラブの高井麻巳子さんと岩井由紀子さんのユニット、「うしろゆびさされ組」。↑ 18巻の表紙。↑ 18巻の裏表紙。「宇留千絵(うるちえ)」さんと「河川唯(かわゆい)」さん。↑ 16巻。↑ 17巻。
2020.01.25
コメント(0)
河合奈保子さんの漫画といえば、漫画家の中西裕さんが描かれた「あしたのナオコちゃん」が有名です。手元に4巻あるのですが、当時友人に渡したら戻ってこなくなり、1、2巻は再度購入したほどでした。奈保子さんの明るさ、魅力がいっぱい描かれているとともに、他の歌手も漫画に登場し、当時の事が思い出されます。読み返してみると、奈保子さんは本当に性格が良く、愛されるキャラだったと再認識しました。↑ 手元にある「あしたのナオコちゃん」/中西裕/白泉社/1~4巻。↑「あしたのナオコちゃん」1巻/中西裕/白泉社/昭和59年(1984年)8月30日。↑ 奈保子さんの紹介。↑ 奈保子さんらしくて、ついつい笑みがこぼれた。↑ 奈保子さんのカセットレーベル。↑ 個人的には、この頃の奈保子さんの髪型が好きだった。↑「あしたのナオコちゃん」2巻/中西裕/白泉社/昭和60年(1985年)8月28日。↑ 河合奈保子さんと石川秀美さん。↑「あしたのナオコちゃん」3巻/中西裕/白泉社/昭和61年(1986年)7月1日。↑ 大人らしく美しい奈保子さん。↑「あしたのナオコちゃん」4巻/中西裕/白泉社/昭和62年(1987年)10月31日。↑ 河合奈保子さんと、「あしたのナオコちゃん」を描いた漫画家の中西裕さん。雑誌の切り抜きより。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ ジェラストレインの振り付けをする2人。
2020.01.24
コメント(0)
河合奈保子さんの会報誌「奈保子しんぶん」などに、イラストがあるので紹介します。↑ 1981年(昭和56年)1月1日 NEWS OF 奈保子 Part 2 / FC奈保子↑ 奈保子しんぶん Vol.6 1982年(昭和57年)1月1日発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 奈保子しんぶん Vol.6 1982年(昭和57年)1月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 奈保子しんぶん Vol.10 1982年(昭和57年)9月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 奈保子しんぶん Vol.13 1983年(昭和58年)3月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 奈保子しんぶん Vol.16 1983年(昭和58年)6月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 奈保子しんぶん Vol.22 1984年(昭和59年)6月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 奈保子しんぶん Vol.38 1986年(昭和61年)6月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 奈保子しんぶん Vol.39 1986年(昭和61年)12月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 奈保子しんぶん Vol.41 1987年3月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 農協共済のポスターの絵コンテ。↑ 雑誌の切り抜きより。
2020.01.23
コメント(0)
河合奈保子さんの会報誌「かなりや」から、奈保子さんのイラストなど一部紹介します。↑ かなりや Vol.17 昭和59年(1984年)1月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ かなりや Vol.19 昭和59年(1984年)5月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ かなりや Vol.22 昭和59年(1984年)11月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ かなりや Vol.23 昭和60年(1985年)1月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ かなりや Vol.24 昭和60年(1985年)4月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ かなりや Vol.27 昭和61年(1986年)1月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 「あしたのナオコちゃん」の漫画を描かれた漫画家、中西裕さんの絵。↑ かなりや Vol.28 昭和61年(1986年)5月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 奈保子さんはインドネシア・バリ島へ行き、ハレー彗星を見て、撮影をした。↑ かなりや Vol.29 昭和61年(1986年)6月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 「ファンが描いた4コママンガ」が掲載されていた。「やっぱり、ナオコ」/作 松鶴屋千とせ/絵 カッコつけサングラス。↑ かなりや Vol.31 昭和61年(1986年)11月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ FCリクエスト大作戦 有線協力プッシュ!。
2020.01.22
コメント(0)
手元にある切り抜き、写真集、本にある、河合奈保子さんのイラスト、マンガを少し紹介します。【ペーター佐藤さんが描いた河合奈保子さん】↑ 現代の美人画師と呼ばれたイラストレーターで、アメリカでも活躍された大変有名なペーター佐藤(佐藤憲吉)さんが描いた河合奈保子さん。(雑誌の切り抜きより)ペーター佐藤さんですが、荒井由美さん(ユーミン)のレコード「COBALT HOUR:コバルトアワー」のジャケットの絵を描かれています。このアルバムには「卒業写真」、「ルージュの伝言」が入っており、学生の頃によく聴いていました。ミスタードーナッツの箱のイラストも有名でした。アメリカの子供たちの姿が描かれていました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 清純少女歌手の研究ーアイドル文化論/竹内義和さん/青心社/1987年6月21日発行。イラスト:萩田憲司さん。 装丁:堀内祐輔さん。↑P17。河合奈保子さん。 イラスト:萩田憲司さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 別冊近代映画 河合奈保子特集号 昭和56年(1981年)1月15日発行/近代映画社。↑ 河合奈保子生い立ちマンガストーリー/構成 中西カズさん/画 レイ・ナさん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 別冊近代映画 河合奈保子スペシャル PART 3 昭和57年(1982年)7月1日発行/近代映画社。↑ 画・中西カズさん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ アイドル百科3 河合奈保子/勁文社/昭和57年(1982年)12月20日発行。↑ イラスト・尾里多湖さん。
2020.01.21
コメント(0)
雑誌の切り抜きの中に、奈保子さんの描いた絵があったので紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2020.01.20
コメント(0)
河合奈保子さんに関する漫画、イラストがあり、雑誌、本などに載っていました。河合奈保子さんと妹の由佳里さんの絵について、一部を紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1)雑誌の切り抜きですが、「河合奈保子画 まんがチック24時間」の記事です。「ナオコの1日はそのまんまで、まんがになる。ならばとその実態をありのままにスケッチしてもらった。妹のユカちゃん、協力ありがとう」とあります。奈保子さんの妹である由佳里さんが描いたと思います。↑ 「河合奈保子画 まんがチック24時間」。↑ この漫画の正しいタイトルは「謎の落下物体”N”の巻」だと思う。 「子どもの頃から大好きなスーパーマン。あんなふうに、私も空を飛びたい。しかしその前に、ダイエットしなくては・・・!?」。↑ ナオコマン。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ この漫画の正しいタイトルは「花もハジかく乙女の巻」だと思う。「みなさんに申し上げます。これはあくまでもまんがです。実在の、特定の人物の一日ではありません。信じて、絶対ィ!」。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2)1981年10月5日、河合奈保子さんは渋谷のNHKホールで行われた「レッツゴーヤング」のリハーサル中、ステージの小セリから4.5m下に誤って落ちてしまい、第一腰椎圧迫骨折で入院をしました。入院中の様子につき、雑誌の切り抜きがあります。奈保子さんの妹の由佳里さんが描いた似顔絵が壁に沢山貼ってあります。↑ 独占! 河合奈保子入院生活ぜーんぶ公開。↑ 「最近ではね、マジックハンドの操作も上達したんですよ。テレビのチャンネルなんか、左手でもかえられるの。」↑ 奈保子さんの後ろの壁に、妹の由佳里さんの描いた絵が飾られてある。↑ 「読者のみなさんへ。このたびは、みなさんにご心配をおかけしまして、本当にすみませんでした。奈保子にとって初めてのこんな長い入院生活。最初はとても心細かったりしたこともありました。だけど、みなさんからの励ましのお手紙、それから心をこめて送ってくれた千羽鶴を見て、”がんばらなくっちゃ!、一日も早く元気にならなくっちゃ!” なんて思いました。本当にありがとうございました。今は、とっても元気です。一日も早く・・・・・早くみなさんにあいたいです。今は毎日、そればっかり考えています。だけどあせらないで、ゆっくりと治してからですヨネ♡・・・・ガンバロー♥。本当にみなさん、心配かけてごめんなさい。元気な顔でみなさんにあえる日を楽しみにしています。外はもうすっかり寒くなりましたが、カゼをひかないようにして下さいね。NAOKOより。」↑ 妹の由佳里さんの描いた絵。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー3)「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ」↑「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」「あの事故から1年あまり・・・・・。今なら素直に話せます。あの頃の私を。この本は、当時の日記をまとめたものです。」↑ カバー絵・本文イラスト/河合由佳里(奈保子さんの妹)。↑ 本の挿絵。第四章「やっと歩けた」の中に、「ペンギン娘 P175~P177」があります。「昭和56年(1981年)11月4日(水) 今・・・・たった今。自分の足で立てたんです、私!」「私が歩くと、みんなが『ペンギンみたいだ』って、おもいっきり笑うのです。失礼な・・・・。真剣に歩いてるっていうのにね。(日記より)」「コルセットをつけて、歩けるようになりました。」↑ P109~111。「絵のじょうずなユカちゃんは、スタッフの皆さんの似顔絵を描いては、私を笑わせます。」
2020.01.19
コメント(0)
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。正月ということで、昔の雑誌の切り抜きですが、「可憐!ヒデキの妹たち」という河合奈保子さんと石川秀美さんの晴れ着姿写真を載せます。お二人とも振り袖姿が美しく、正月らしく華やかな気分になります。昔はいつも、応援している歌手の着物姿を正月の雑誌で見ることができ、楽しい時代でした。1983年正月ですが、この時は奈保子さんは「Invitation」、秀美さんは「涙のペーパームーン」を歌いました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2020年元旦は、東空に残る雲の隙間から、朝日が射しこんできました。近くに3カ所神社があり、大晦日の紅白歌合戦が終わるとすぐに1社に行き、朝におせちを頂いた後、2社のお参りに行きました。2019年は色々な病気、怪我で病院に行きました。急いで走っている途中、持っていた荷物のバランスが崩れ、倒れて右の膝を強打した時は、ズボンがビリビリに裂けるほどの衝撃で、数か月間は激痛で階段を上る事さえできませんでした。リハビリをしてやっと階段を上る事ができるようになりました。2020年は足を直して、山歩きをしたいと思います。ブログについて、自分の備忘録として書いていますが、ブログに残しておきたい出来事が沢山残っており、今後も古い内容も含めて掲示していきたいと思います。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 河合奈保子さんと石川秀美さん。1983年正月用写真。↑ 河合奈保子さんと石川秀美さん。西城秀樹さんの妹コンテスト優勝者。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 2020年元旦の空。↑ 雲の隙間から光が射す。↑ 雲の後ろに太陽が昇ってきている。↑ 雲の上から太陽が出てきた。↑ おせちを頂く。↑ 金太郎飴本店の七福神キャンディー。
2020.01.01
コメント(0)
2019年12月29日夕方、タワーレコード新宿店に行きました。CD棚の上段に、河合奈保子さんのCDがずらりと並ぶ景色を見ると、2020年も頑張っていこうという気持ちになります。↑ タワーレコード新宿店。CD棚上段の河合奈保子さんコーナー。↑ 西城秀樹さんの本。↑ タワーレコード新宿店。
2019.12.30
コメント(0)
河合奈保子さんはコンサート、宣伝、撮影などで国内、海外を飛び回っておられましたが、山口県徳山市(現周南市)へも何度か訪れています。河合奈保子さんの本「大人の始発駅 過ぎ去る愛を言葉に/河合奈保子/株式会社ワニブックス/1984年6月10日発行」P48~51には、「山口県の徳山市でのコンサートのお話をしましょう」で始まる、奈保子さんが見た徳山の風景が記されています。ポイントは下記の通りです。前日から徳山入りし、その日はゆっくり町のレストランで食事をとり、ワインもちょっぴり飲んでいい気分でホテルに帰った事。次の日、8時に目が覚め、カーテンを開けると、雲ひとつない空がいっぱいに広がっていた事。ちょうど桜の真っ盛りで、窓から見ると一面が薄ピンク色で、まるで街中が桜の花に覆われているみたいで、しばらくは窓辺に立ってうっとりしていた事。ホテルから歩いて1分もしない所に、桜ばかり数10本もある場所があり、快晴の空の下で見る桜の美しさに圧倒され、しばらくそこから立ち去ることができなかった事。徳山動物園にも行き、久しぶりに童心に戻ったみたいに感じた事。上記の日程ですが、1984年4月10日に奈保子さんが徳山市に入り、翌日4月11日に徳山市文化会館でコンサートを開催された時の事だと思います。奈保子さんの資料には、他にも徳山市文化会館でコンサートを開催している記載がありますので、それも紹介します。↑ 大人の始発駅 過ぎ去る愛を言葉に/河合奈保子/株式会社ワニブックス/1984年6月10日発行。↑ 大人の始発駅 過ぎ去る愛を言葉に/河合奈保子/株式会社ワニブックス/1984年6月10日発行 P48~49。↑ P48 「山口県の徳山市でのコンサートのお話をしましょう」。↑ P50~51。↑ かなりや VOL.18 3月号/昭和59(1984年)年3月発行/芸映プロダクション・芸映友の会・河合奈保子FC編集部。↑ 奈保子スケジュール (1984年3月20日~1984年4月30日)。↑ 1984年4月10日移動日、4月11日徳山市文化会館(コンサート)奈保子さんは4月9日は鹿児島市文化ホールのコンサートを行った後、徳山へ移動した。4月11日の徳山市文化会館のコンサート終了後、4月12日は三重県四日市文化会館でコンサートがあり、4月13日は大阪厚生年金会館でコンサートとなっている。↑ 奈保子しんぶん VOL.34 /昭和61(1986年)年2月発行/芸映プロダクション・芸映友の会・河合奈保子FC編集部。↑ 1986年河合奈保子コンサートツアーの紹介。1986年6月2日、山口県岩国市民会館でコンサート、6月3日は徳山市文化会館でコンサート、6月4日は下関市民会館でコンサートというように、山口県で3日連続の予定が入っている。↑ かなりや VOL.28 5月号/昭和61(1986年)年5月発行/芸映プロダクション・芸映友の会・河合奈保子FC編集部。↑ 新しいデザインのNAOKOオリジナルTシャツが出来上がりました。↑ 1986年6月2日、山口県岩国市民会館でコンサート、6月3日は徳山市文化会館でコンサート、6月4日は下関市民会館でコンサートが実施される。(確定)↑ 1986年6月3日、徳山市文化会館でコンサート。、
2019.12.09
コメント(0)
歌手で「河合さん」というと、私は「河合奈保子さん」、「河合その子さん」、「河合夕子さん」の3人をすぐに思い浮かべます。「河合奈保子さん」は私の青春そのものです。奈保子さんの歌の数々は、私の青春の各場面とそれぞれ対になっており、曲を聴くとその時の出来事が思い出されます。「河合その子さん」は、おニャン子クラブ時代からとても目立った存在でした。私が好きな歌は「青いスタスィオン」です。この曲のプロモーションビデオが制作されましたが、その舞台が可部線の「今井田駅」でした。2003年12月に可部駅から三段峡駅までが廃線となり、今井田駅も営業終了となりました。その子さんのプロモーションビデオには、「今井田駅」の駅名標や、赤色のディーゼル車両が見えます。2017年3月に、可部駅からあき亀山駅まで開業しました。廃線区間が再開するのは珍しい事です。あき亀山駅から見える茶臼山のむこうに、今井田駅がありました。2019年8月10日、終点のあき亀山駅に着いた後、今井田駅がどうなっているか見に行きたいと思いましたが、夕方までには山口県の田舎に着く必要があったので、止めました。いつか見に行く機会があるでしょう。「河合夕子さん」はミュージシャンで、私が大好きな曲は「東京チークガール」です。ノリが良くサビの部分が気に入っており、ついつい口ずさみます。(この部分は当然ながら、「東京チークガール」を聴きながら書いています)手元にある「ディスク・コレクション 日本の女性アイドル/監修 大久達朗/株式会社シンコーミュージック・エンターテイメント」という本は、70年代~90年代に活躍した女性アイドル・シンガーを網羅した本で、どのページを開いても飽きない良本です。基本的にはアイウエオ順で紹介されていますが、「河合夕子さん」はp35、「河合その子さん」はp36、「河合奈保子さん」はp37に紹介されています。それから、河合その子さんのレコード「Siesta」を持っているので、ご紹介します。↑ 本の表紙にある、河合奈保子さん、河合その子さんの写真。↑「ディスク・コレクション 日本の女性アイドル/監修 大久達朗/株式会社シンコーミュージック・エンターテイメント」↑ p36「河合その子さん」、p37「河合奈保子さん」の紹介。↑ p35「河合夕子さん」紹介。私の好きな「東京チークガール」はシングルレコード。上記のアルバム「フジヤマ・パラダイス」には入っていない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ JR可部線・あき亀山駅。↑ 向かって左の山が茶臼山。以前は茶臼山にトンネルが通り、山の向こうに「今井田駅」があった。↑ 茶臼山。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【河合その子さんの「青いスタスィオン」プロモーションビデオ】紹介。↑ 河合その子「青いスタスィオン」。 曲を聴きながら見ると楽しいかも。↑ 可部線・今井田駅。↑ 赤いディーゼル車両と河合その子さん。↑ 駅名標に「いまいだ」と書いてあるのが見える。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私が持っている、河合その子さんのアルバム「Siesta」。
2019.12.03
コメント(0)
今まで何度も人吉を訪れました。必ず球磨川のほとりにある、人吉城址「水の手門」近くに行きます。私が高校生の時に見た「ザ・ベストテン」(1982年7月29日)で、河合奈保子さんがその場所に立ち、「夏のヒロイン」を熱唱しました。その時の印象は、いまだに強く心に残っています。1982年7月23日~24日で九州地方は大雨のため、各所で洪水被害がありました。長崎の大水害のニュースは、新聞の一面に載っていました。奈保子さんは7月29日に人吉文化センターでコンサートを行った後、ザ・ベストテン中継のため、人吉城の水の手門近くに移動しました。石垣の上にある公園には、河合奈保子親衛隊・九州支部の人々が沢山おり、奈保子さんを応援していました。5日前の大洪水のときは、橋桁すれすれまで球磨川が増水したこと、下流では床上浸水など多くの被害があったこと、急ピッチで復旧作業がなされており、今日から球磨川下りがスタートした事がアナウンサーから報告されました。黒柳徹子さんが奈保子さんに、大雨の被害を見たかと質問した所、奈保子さんは「はっきりとは見ていないのですけれども、今日やった会館の楽屋が水に浸かって使えなくなり、別の控室を使わせていただきました。皆さん大変だと思いますけれども、頑張って下さい」と話しました。徹子さんは奈保子さんに「あなたはこれから、どんどん九州をコンサートのため北上していらっしゃるそうですが、どうぞ皆さんにその笑顔を。お待ちの方は沢山いらっしゃるでしょうから」と言い、奈保子さんは元気に「はい!」と答えました。奈保子さんはライトアップされた人吉城城址の石垣を背景にして、「夏のヒロイン」を笑顔で歌っていました。球磨川下りの船が奈保子さんの横を通り、皆さんが奈保子さんに手を振っていました。本当に笑顔の素敵な奈保子さんでした。↑ 人吉城址の河合奈保子さん。↑ 2018年7月29日、ザ・ベストテン。河合奈保子さんの「夏のヒロイン」は5位。↑ 久米宏さんと黒柳徹子さんが司会をする。久米宏さんは「奈保子さんは、大雨が猛威を振るった九州の熊本にいらっしゃいます」と言って中継をした。↑ 中継先の人吉の奈保子さん。↑ RKKアナウンサーの原武博之さん。奈保子さんがコンサート終了後、ザ・ベストテンのため人吉城址に移動したと話された。↑ 「こんばんは」と挨拶する奈保子さん。↑ 日本三大急流の一つ「球磨川」。↑ 九州地方の熊本と人吉の位置。↑ 5日前に九州地方を襲った大雨の時は、球磨川が増水し、この辺りは水の中だったと説明があった。↑ ジャンプをしても、その上を泥水が渦を巻いて流れていた。↑ 球磨川に掛かる大橋を指さす。↑ 増水時は、橋げたすれすれまで、球磨川の水が増えた。下流では床上浸水の被害があった。↑ しかし、復旧作業が急ピッチで進み、今日から球磨川下りが再開された。↑ 黒柳徹子さんから奈保子さんに、「大雨の被害の傷跡をご覧になりましたか」と質問があった。↑「はっきりとは見ていないのですけれども」↑「今日やった会館の楽屋が水に浸かって使えなくなり」↑「別の控室を使わせていただきました」。↑ 「皆さん大変だと思いますけれども、頑張って下さい」。↑ 黒柳徹子さんから、「あなたはこれから、どんどん九州をコンサートのため北上していらっしゃるそうですが」↑ 「どうぞ皆さんにその笑顔を。お待ちの方は沢山いらっしゃるでしょうから」と言われた。↑ 奈保子さんは元気に「はい!」と答えた。↑ 奈保子さんは人吉城址を背景に「夏のヒロイン」を歌った。↑ 人吉城址と球磨川下りの船。↑ 石垣の上にある公園と、河合奈保子親衛隊・九州支部の皆さん。↑球磨川下りの船から、奈保子さんに手を振る皆さん。↑ 河合奈保子親衛隊の皆さん。↑ 人吉城の「水の手門」付近。↑ 河合奈保子親衛隊の皆さんは、この石垣の上から応援した。↑ 人吉城址の川岸。ここに奈保子さんは立って歌った。↑ 親衛隊の皆さんは、ここから奈保子さんを応援した。
2019.10.19
コメント(0)
2019年10月5日夕方、新宿Flags(フラッグス)にある、タワーレコード新宿店に行きました。タワーレコードが河合奈保子さんの4枚のライブをCDにして発売されたのを記念し、9月24日~10月7日の期間中、8階のエスカレーターのそばの壁枠に、河合奈保子さんのグッズが展示されていました。特に、1984年・EASTコンサート時の、白い服に白い帽子の奈保子さんの写真を見ると、本当に懐かしくなります。奈保子さんはこの姿で、ロサンゼルスで制作された「IF YOU WANT ME」や、八神純子さんが作った「太陽の下のストレンジャー」、「夏の日の恋」を歌いました。汗びっしょりになりながら、この衣装で熱唱する奈保子さんの姿が好きでした。夏の避暑地の奈保子さんを思わせます。8階のフロアには、奈保子さんの4種類のライブCDが販売されており、試聴もできました。そのそばには、岡田有希子さんの「岡田有希子 Mariya's songbook」や、森口博子さんの「GUNDAM SONG COVERS」が紹介されていました。新宿Flags のCMが1階のスクリーンに流れており、長坂真護(ながさかまご)さんの恐竜を描く作品を何回も見ました。ルミネエストにある壁絵も面白かったです。↑ 新宿駅そばにある新宿フラッグ内、タワーレコード新宿店8階エスカレーターそばの壁枠。奈保子さんグッズが展示されていた。↑ 奈保子さんグッズの展示。↑ 4つのライブCDリリース記念展示。↑ 夏の避暑地にいるような奈保子さんの衣装。奈保子さんの「サマーデリカシー」、「デイドリームコースト」などを毎日のように聴いていた青春時代を思い起こさせる写真。↑ カナリーコンサートパンフレットで表側が写っている。この表側も良いのだが、裏側にある奈保子さんの写真が、個人的にすごく気に入っている。清楚な奈保子さんの姿がある。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ タワーレコード限定、4種類の奈保子さんライブアルバムCD(紙ジャケ)が発売された。↑ ①「LIVE」/河合奈保子。 1980年10月14日、東京・芝・郵便貯金ホールにて行われた河合奈保子の1stコンサートの模様を収録したライヴ・アルバム。↑ ②「NAOKO IN CONCERT」/河合奈保子。タワーレコードの②の紹介内容が①と同じになっており間違っている。②の正しい内容としては、「1982年1月6日に日本青年館ホールで行われたコンサートライブが収録されている」となる。↑ ③「ブリリアント~レディ奈保子 イン・コンサート」/河合奈保子。 1982年10月17日、東京・芝・郵便貯金ホールのコンサート収録。↑ ④「NAOKO THANKSGIVING PARTY」/河合奈保子。1988年7月24日、よみうりランド オープンシアターEASTにて行われたファイナル・バースデー・コンサートの模様を収録。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 岡田有希子さんの「岡田有希子 Mariya's songbook」が紹介されていた。↑ 森口博子さんの「GUNDAM SONG COVERS」が紹介されていた。↑ 森口博子さんの自筆メッセージ。↑ タワーレコード新宿店の案内。↑ 新宿フラッグスの7~10回が、タワーレコード。↑ 新宿フラッグス(FLAGS)。↑ ビルのエントランスで、たい焼きを売っていた。↑ ビルの周り。↑ 新宿フラッグスの入り口。↑ 新宿フラッグスの21周年記念ポスター。↑ 新宿フラッグスと長坂真護(ながさかまご)さんのコラボCM。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 新宿駅のルミネエスト入口。↑ ウェルカム! ルミネエスト。
2019.09.22
コメント(2)
河合奈保子さんのシングル曲の中で、「Invitation」は3つの指に入るほど好きな歌です。当時は夜のヒットスタジオ、ザ・ベストテン、ザ・トップテンなどの歌番組で、奈保子さんが歌う姿を見るのが楽しみでした。特に、夜のヒットスタジオで奈保子さんが飴を作った後に歌った「Invitation」は、テレビの前で釘づけになりました。青い背景に白い服の奈保子さんが浮き上がるように見え、歌もしっとりと聴きごたえがありました。【夜のヒットスタジオ】 竹内まりやさんが作った「Invitation」を歌う奈保子さん。
2019.09.15
コメント(0)
河合奈保子さんは、竹内まりやさんが歌った曲や、提供された曲を歌っています。手元のレコードにある歌を紹介します。1)「LIVE」(1980年12月10日発売) ・「不思議なピーチパイ」/作詞・安井かずみ、作曲・加藤和彦 (カナリーコンサート 芝郵便貯金ホール ライブコンサート)2)「サマー・ヒロイン」(1982年7月20日発売) ・「アプローチ」/作詞・作曲・竹内まりや3)「けんかをやめて」(1982年9月1日発売) ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・清水信之4)「BRILLIANT Rady Naoko in Concert」(1982年11月21日発売) ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・服部克久 (昭和57年 芝郵便貯金ホールコンサート実況録音)5)「Invitation」(1982年12月1日発売) ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・大村雅朗6)「あるばむ」(1983年1月21日発売) オリコン1位。 ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや ・「ダブル・デイト」/作詞・竹内まりや、作曲・林哲司 ・「追跡」/作詞・作曲・竹内まりや ・「砂の傷あと」/作詞・竹内まりや、作曲・林哲司 ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや7)「プリズム<AngelⅡ>」(1983年12月21日発売) ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・大村雅朗 ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・清水信之8)「Naoko22」(1985年7月発売) ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・清水信之 ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・大村雅朗上記の内、4)の「あるばむ」はとても気に入っています。「Invitation」も良いですし、「ダブル・デイト」、「砂の傷あと」を聞くと、心は青春時代に戻ります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1)「LIVE」(1980年12月10日発売) ・「不思議なピーチパイ」/作詞・安井かずみ、作曲・加藤和彦 (カナリーコンサート 芝・郵便貯金ホール ライブコンサート)↑ 竹内まりやさんが歌った「不思議なピーチパイ」を奈保子さんも歌う。「不思議なピーチパイ」は1980年の資生堂春のCMで、テレビで初めて聴いたとき、すぐに気に入った曲。↑ コンサート風景。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2)「サマー・ヒロイン」(1982年7月20日発売) ・「アプローチ」/作詞・作曲・竹内まりや↑ このアルバムを聞くと、夏の初めから終わりまでを感じることができる。修学旅行のバスの中では、ウォークマンに入れたこのアルバムをエンドレスで聴いていた。↑ 私の高校時代の青春アルバム。 元気いっぱいの奈保子さん。↑ 竹内まりやさんが作った「アプローチ」を聞くことができる。歌詞は、女の子にモテモテという、私の人生とは全く縁のないシチュエーション。↑ 「アプローチ」/作詞・作曲・竹内まりや。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー3)「けんかをやめて」(1982年9月1日発売) ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・清水信之↑ 奈保子しんぶん Vol.10 /昭和57年(1982年)9月発行/芸映プロダクション/芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 「けんかをやめて」大ヒット! 発売前の前評判通り、今ヒットチャート急上昇!「『けんかをやめて』を発売前からTVで歌っていたんですけど、同じ歌手の方やスタッフの方たちが、いい歌ねって褒めてくれたんですね。発売前からそういうふうに言われるのって初めてなんです。それだけに、この曲で頑張らなくっちゃ、って思っています」と奈保子さんの弁。↑ 奈保子さんのメッセージ。↑ 「夜のヒットスタジオ」で尊敬する岩崎宏美さんから、「今度の新曲(けんかをやめて)いいわねー」と言われて大感激の奈保子さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー4)「BRILLIANT Rady Naoko in Concert」(1982年11月21日発売) ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・服部克久 (昭和57年 芝郵便貯金ホールコンサート実況録音)↑ 編曲は服部克久さん。 曲の雰囲気が違う。↑ レコードの資料だが、奈保子さんが「けんかをやめて」をピアノで弾きながら歌う姿が、フィルムのまま掲載されている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー5)「Invitation」(1982年12月1日発売) ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・大村雅朗↑ 奈保子しんぶん Vol.11 /昭和57年(1982年)11月発行/芸映プロダクション/芸映友の会 河合奈保子FC編集部。↑ 奈保子さんのメッセージ。竹内まりやさんに「Invitation」を作っていただいたことが書いてある。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー6)「あるばむ」(1983年1月21日発売) オリコン1位。 ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや ・「ダブル・デイト」/作詞・竹内まりや、作曲・林哲司 ・「追跡」/作詞・作曲・竹内まりや ・「砂の傷あと」/作詞・竹内まりや、作曲・林哲司 ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや↑ 「あるばむ」。奈保子さんがオリコンチャートのアルバム部門で、初めて1位になった。このアルバムも、青春時代によく聴いた。特に「ダブル・デイト」がテンポ良く、好きだった。↑ 雨の窓を見る奈保子さん。↑ 美術館の絵のように美しい奈保子さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー7)「プリズム<AngelⅡ>(1983年12月21日発売) ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・大村雅朗 ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・清水信之↑ 髪を短くした奈保子さん。私は長い髪が好きだったので、見慣れるまで複雑な気持ちだった。↑「Invitation」を含む。↑ 「けんかをやめて」を含む。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー8)「Naoko22」(1985年7月発売) ・「けんかをやめて」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・清水信之 ・「Invitation」/作詞・作曲・竹内まりや、編曲・大村雅朗↑ 「けんかをやめて」、「Invitation」を含む。
2019.09.14
コメント(0)
1982年9月、ザ・トップテンに河合奈保子さんの「けんかをやめて」が初ランクしました。榊原郁恵さんが「先週はデータ圏外だったのに、今回いきなり10位に入り、奈保子ちゃんの歌でこんなに急上昇したのは初めて」と紹介していました。堺正章さんが奈保子さんに「急カーブを描いた原因はどこにありますか」と聞き、奈保子さんが「いやあ、私もよくわかりませんけれども」と答えると、「よくわかんない」と堺さんが言ったので奈保子さんが笑っていました。昔「紅白歌のベストテン」という番組で、色々な質問に対する奈保子さんの答えが隠してあるシートを堺正章さんがめくると、全て「よくわからない」と書いてあって、堺さんがそれを声に出して「よくわからない」と読むので、奈保子さんが苦笑いをしたことがありましたが、今回はそれを思い出して奈保子さんが笑ったと思います。奈保子さんが、「今回の歌はバラード調で、竹内まりやさんに作っていただいた」と言うと、榊原郁恵さんが「その竹内まりやさんは、今海外旅行中だけれども、わざわざトップテン宛にメッセージを送ってきていただいたので紹介したいと思います」と言い、奈保子さんは大喜びでした。「以前から妹のように可愛く思っていた河合奈保子さんに、初めて歌を書きました。出来上がったテープを聞いてまずびっくりしたのは、彼女が私の詩を良く理解し、私のイメージ通りに歌ってくれている事です。このような素晴らしい作品になった事に、一人の作家としてとても幸せに思っています。奈保子さん、トップワン目指して頑張って下さい。私も陰ながら応援しています」というまりやさんのメッセージを郁恵さんが伝えると、奈保子さんは「どうもありがとうございます」と笑顔で言っていました。郁恵さんは、「奈保子ちゃんはレコーディングをするときに部屋を暗くして雰囲気を作ったが、思わず涙がでてきたそうです」という秘話を語っていました。↑ ザ・トップテンの河合奈保子さん。↑ 「けんかをやめて」がトップテン初登場の10位にランクインした。↑ 堺正章さん、榊原郁恵さん、河合奈保子さん。↑ 「けんかをやめて」が急上昇している話が出た。↑ 堺正章さんが「急上昇した原因は」と聞いた。↑ 「いやあ、よくわかりませんけれども」と答える奈保子さん。↑ 「よくわからない」と突っ込む堺さんに、笑う奈保子さん。↑ 竹内まりやさんに「けんかをやめて」を作っていただいたと話す奈保子さん。↑ 榊原郁恵さん:「その竹内まりやさんは今海外旅行中だけれども」「わざわざトップテン宛にメッセージを送ってきていただいたので紹介したいと思います」。これを聞いて「えーっ、本当ですか!」と大喜びの奈保子さん。↑ 満面の笑みの奈保子さん。↑ まりやさんのメッセージを聞く奈保子さん。↑ メッセージを読む郁恵さん。↑ 紹介された竹内まりやさん。↑ 「トップワン目指して頑張ってください」というメッセージに、照れる奈保子さん。↑ レコーディングの時に思わず涙が流れたという奈保子さんの秘話を話す郁恵さん。↑ 「けんかをやめて」を歌う河合奈保子さん。
2019.09.13
コメント(0)
週刊朝日(2019年9月13日号)のP112~115に、「デビュー40周年 独占70分 竹内まりや 子育て中は河合奈保子、岡田有希子、薬師丸ひろ子、中森明菜らに音楽提供」という記事があったので、購入しました。横浜流星さんのグラビアがあったせいかもしれませんが、会社近くの本屋やキヨスクに行っても無く、東京駅の丸善で1冊だけ残っていたのを買いました。記事では、結婚して子育てをしていたころに、ほかのシンガーの方への作品を積極的に書き始めた事が書いてあります。子どもが眠った夜の時間帯に曲や歌詞を作ることにし、深夜、赤ちゃんのよだれのあとが付いたトレーナーを着て、ぼさぼさの髪のまま曲を書き、現実ばなれした歌詞を書く自分を楽しんでいたそうです。昔、TV番組で、河合奈保子さんも作曲する苦労話をされていました。作曲を頑張ろうと思って夜に鉢巻を締めて取り組むも、そんな時はうまくいかないという話でした。記事のP113には、河合奈保子さんの記事があります。竹内まりやさんは、作品を依頼されてから、それぞれの個性に合わせてイメージをふくらませ、自分の持つ音楽性の中で何を必要とされているのかを考えて曲や詩を書くそうで、薬師丸ひろ子さんの「トライアングル」や「元気を出して」、岡田有希子さんの「恋、はじめまして」の時もそうしたが、唯一の例外は河合奈保子さんの「けんかをやめて」だった事が書いてあります。「けんかをやめて」は、テレビで河合奈保子さんが歌う姿を見て、歌ってもらえたらなあ、と思いながら前もって作っていた曲です。↑ 週刊朝日(2019年9月13日号)↑ 竹内まりやさんの記事 P112~115。↑ 40周年 独占70分 竹内まりや 山下達郎とのコラボの”秘密”子育て中は河合奈保子、岡田有希子、薬師丸ひろ子、中森明菜らに楽曲提供「私は歌い手、求められる音楽、自分がつくりたい音楽のバランス大事」
2019.09.12
コメント(0)
竹内まりやさんは、2018年11月25日にデビュー40周年を迎えられました。1978年に歌手デビューをします。1979年には「SEPTEMBER」で日本レコード大賞新人賞を受賞され、1980年には「不思議なピーチパイ」がヒットしました。1982年には山下達郎さんと結婚され、子育てをされながら、アイドル歌手にも曲を提供されたりしました。朝日新聞「文化・文芸 語るー人生の贈りものー」で、2019年8月14日から2019年9月6日まで、竹内まりやさんの記事が15回掲載されました。生い立ちからアメリカでの留学生活、失恋、歌手活動、結婚、子育て、アイドル歌手への曲の提供、曲作り、アルバムの発表などが書かれています。記事の8回目では、アン・ルイスさんへの「リンダ」の提供、9回目では河合奈保子さんへ「けんかをやめて」を書いた事、10回目では、アイドル曲のオファーが続々来た事、特に岡田有希子さんの事が忘れられないと記載されていました。9回目の記事(2019年8月28日付)の河合奈保子さんの部分の内容ですが、竹内まりやさんが1981年で休業し、1982年4月に結婚した後、たまたま河合奈保子さんがテレビで歌っているのを見て、歌唱力があるからしっとりした曲も似合いそうだと思ったそうです。休業後に曲を作っていたとき、8分の6拍子のロッカバラードを歌ったら似合うのではとふと思い、メロディーを弾いていたら、「けんかをやめて」という歌詞が何となく出来てきました。それからまもなく、偶然にも奈保子さんのディレクターから「これまでとは違う感じの曲を」という依頼がきて、「実は・・・」と用意してきた曲を聞いてもらったら、一発で気に入っていただいたとの事で、休業後のオファー第1号になりました。奈保子さんとまりやさんは、歌手と作曲家というそのときの出会いから友人としてのお付き合いに発展し、今でもメールをやりとりしていると書いてあります。15回の記事は次の通りです。(朝日新聞 文化・文芸 語るー人生の贈りものー)シンガー・ソングライター 竹内まりや1)2019年8月14日(水)心はどこか「永遠のアマチュア」2)2019年8月15日(木)庭の石段でザ・ピーナッツ熱唱3)2019年8月16日(金)ビートルズ! 9歳の出会い4)2019年8月20日(火)出雲から米国へ 17歳の失恋5)2019年8月21日(水)歌のバイトで破格のギャラ6)2019年8月22日(木)留年し 揺れ 音楽を選んだ7)2019年8月23日(金)ミニスカにタイツ ある朝の涙8)2019年8月27日(火)事務所はNGだったけど(アン・ルイスさんの記事有り)9)2019年8月28日(水)主婦になって創作充実(河合奈保子さんの記事有り)10)2019年8月29日(木)アイドル曲のオファー続々(岡田有希子さんの記事有り)11)2019年8月30日(金)TV出なくても聴いてもらえた(薬師丸ひろ子さんの記事有り)12)2019年9月3日(火)歌詞作り まるでパズル13)2019年9月4日(水)セルフカバー 無き彼女へ(岡田有希子さんの記事有り)14)2019年9月5日(木)武道館ライブ 45歳の決心15)2019年9月6日(金)満足するより 歌い続けたい↑ 朝日新聞 2019年8月14日(水) 竹内まりやさん1回目の記事より。↑ 朝日新聞 2019年9月6日(金) 竹内まりやさん15回目の記事より。↑ 1回目から15回目までの記事。 ↑ 1回~3回。↑ 4回~6回。↑ 7回~9回。↑ 10回~12回。↑ 13回~15回。↑9回目 2019年8月28日(水)主婦になって創作充実後半に河合奈保子さんの記事有り。↑ 10回目 2019年8月29日(木)アイドル曲のオファー続々岡田有希子さんの記事有り。↑ 朝日新聞 2019年9月4日 竹内まりや ”Turntable” 本日発売!!40周年スペシャル3枚組。モア・ベスト&レアリティーズ&カバーズ!
2019.09.11
コメント(0)
河合奈保子さんと柏原芳恵さんは、色々な海外の地域を訪れています。切り抜き、写真集、TV番組などを見て、分かる範囲で、二人とも行ったことがある地域を紹介します。フランス・シャモニー、パリ、(TGV高速鉄道)、ジュネーブ、香港、ロサンゼルス、ハワイ、グアム、サイパン、オーストラリアです。以前、河合奈保子さんと松田聖子さんが二人とも行った事がある地域をブログに書いたことがありますが、今回も奈保子さん、芳恵さんが訪れた地域の資料を見ると、二人とも笑顔が素敵で、旅の楽しさが伝わってきます。1) 【フランス・シャモニー】 【河合奈保子さん】↑ フランス・シャモニー近くの「レ・プラ教会(LES PRAZ CHURCH)」前にて。曇っており残念だが、もし晴れていれば、フランスアルプスの「エギーユ・デュ・ドリュ(AIGUILLE DU DRU) 3,554m」、「エギーユ・ヴェルト(AIGUILLE VERTE) 4,122m」の鋭い峰が背景に見える。オランダに住んでいたとき、シャモニーに2回ほど行き、この場所で写真を撮った事がある。↑「素敵な時間 河合奈保子写真集 撮影・黒坂了司/ワニブックス/昭和58年(1983年)10月20日発売」。ヨーロッパでの奈保子さんの写真が入っている。シャモニー、アムステルダム、ニースなどでの楽しそうな奈保子さん。【柏原芳恵さん】↑ フランス・シャモニーにあるエグリース広場近くの柏原芳恵さん。芳恵さんの後ろにあるのは、カトリック・サン・ミッシェル教会(Eglise Catholique Saint Michel)。↑ シャモニーからロープウェーで「エギーユ・デュ・ミニ(AIGUILLE DU MIDI) 3,842m」展望台に行った芳恵さん。ここから、モンブランを望むことができる。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2)【パリ】【河合奈保子さん】 「世界ウルルン滞在記」より。↑ パリ・セーヌ川のアール橋(PONT DES ARTS)に立つ奈保子さん。後ろはヌフ橋(PONT NEUF)と、シテ島(ILE DE LA CITE)。↑ 後ろのシテ島には、2019年4月15日に火災が発生したノートルダム大聖堂がある。【柏原芳恵さん】↑ 夜のパリ・シャンゼリゼ通りの柏原芳恵さん。後ろに凱旋門が見える。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー3)【フランス TGV高速鉄道】【河合奈保子さん】 「世界ウルルン滞在記」より。↑ フランス高速鉄道「TGV:TRAIN A GRANDE VITESSE」に乗車する奈保子さん。↑ TGV車両内で食事をする奈保子さん。【柏原芳恵さん】↑ TGVと芳恵さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー4)【スイス・ジュネーブ/レマン湖】【河合奈保子さん】 「出たMONO勝負」より。↑ スイス・ジュネーブの街並み。↑ ジュネーブ・レマン湖のほとりに立つ奈保子さん。レマン湖の大噴水を紹介した。↑ レマン湖の世界一の大噴水。140mまでポンプで水が吹き上がる。↑ ジュネーブにある世界初の花時計。直径5メートル。↑ 花時計を紹介する奈保子さん。↑ 笑顔が素敵な奈保子さん。【柏原芳恵さん】↑ ジュネーブの花時計と芳恵さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーー5)【香港】【河合奈保子さん】 「ASIAN MUSIC SCENE 1991」。香港で熱唱する奈保子さん。↑ 香港コロシアム(HONG KONG COLISEUM) で、 「エスカレーション」を歌う奈保子さん。↑「アンバランス」を歌う奈保子さん。↑ 「デビュー FRY ME TO LOVE」、「THROUGH THE WINDOW ~月に降る雪~」も歌う。↑ 電子ピアノを弾きながら「ハーフムーン・セレナーデ (HALF MOON SERENADE)」を歌う奈保子さん。奈保子さんが作曲し、中華圏では「半月小夜曲」としてカバーされて大変有名な曲。↑ 「半月小夜曲」を熱唱する奈保子さん。↑ 香港の会場で奈保子さんの「半月小夜曲」(ハーフムーン・セレナーデ)が紹介されると、会場から大きな拍手が起こった。↑ 「半月小夜曲」を熱唱する奈保子さん。↑ 「命の響きに満ちる夢」。【柏原芳恵さん】↑ 香港・アバディーンの芳恵さん。 「幸会我係(はじめまして)柏原芳恵」。 ↑ 芳恵さんが、香港・クイーンエリザベス・スタジアムでコンサートを開いた。【追加 : 北京】↑ 北京・天安門広場のよしえさん。↑ 万里の長城とよしえさん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー6)【ロサンゼルス】↑ 「河合奈保子写真集 PART7 デラックス近代映画/近代映画社。 ↑ ロサンゼルスの奈保子さん。ロスでアメリカでのセカンドアルバム「NINE HALF」を制作した。I think that Ms. Naoko Kawai is one of the best artists and she has made us very happy by her singing songs, her talented perfomance, especially her beautiful cute smile.I am full of happines with the fact that I could live in roughly the same period as her.【柏原芳恵さん】↑ ロサンゼルスの柏原芳恵さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー7)【ハワイ】【河合奈保子さん】↑ ハワイ・カウアイ島の奈保子さんの記事。【柏原よしえさん】↑ ハワイのよしえさん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー8)【グアム】【河合奈保子さん】↑ グアムの奈保子さん。 グアムには何度も行っており、沢山記事が残っている。↑ 「NAOKO PHOTO MESSAGE / 近代映画社/ 昭和56年(1981年)8月5日発行」。↑ グアムの奈保子さん。 この写真集が一番気に入っている。笑顔の奈保子さんが満載。【柏原芳恵さん】↑ グアムの芳恵さん。ーーーーーーーーーーーーーーーーー9)【サイパン】【河合奈保子さん】↑ サイパンの奈保子さん。【柏原よしえさん】↑ サイパンのよしえさん。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(10)【オーストラリア】↑ 河合奈保子写真集 PART5 / 近代映画社 /昭和59年(1984年)4月15日発行。 ↑ オーストラリアのコアラと奈保子さん。【柏原芳恵さん】↑ 柏原芳恵さんが、1990年8月26日、「’90 オーストラリアン・サファリ」で、33位完走した事が書いてある。記事によると、シドニーからオーストラリア北端のダーウィンまで、6,500kmを走破するラリーで、昼と夜の気温差が30度を超える砂漠地帯を走る。芳恵さんのチームの名前は「ハロー・グッバイ」で、大部分を芳恵さんが運転した。ラリーの最中はほとんどシャワーを浴びられないキャンプ生活をし、9日目にゴールインした。31台がリタイヤし、完走48台中、33位でのゴールインであった。↑「朝日と夕日の美しさは最高でした」。完走後の芳恵さんのコメント。
2019.08.14
コメント(0)
河合奈保子さんと柏原芳恵さんが一緒に出演している歌番組、バラエティ番組は結構ありました。一部を紹介します。1)1984年1月の「ザ・トップテン」に、奈保子さんと芳恵さんが着物姿で並んで登場した。奈保子さんは正月休みにハワイへ行っており、本当なら前日帰国予定だったが、飛行機の故障で予定が1日ずれ、本番当日帰国し、急いでスタジオに駆け付けた。芳恵さんは4年ぶりに両親と一緒にゆっくりとした正月を迎えたとの事。奈保子さんは司会の堺正章さん、榊原郁恵さんにハワイのプレゼントを渡していた。この日の6位は柏原芳恵さんの「カム・フラージュ」、5位は河合奈保子さんの「疑問符」。↑ ザ・トップテンのスタジオにて。河合奈保子さんと柏原芳恵さんの両側は、司会の堺正章さん、榊原郁恵さん。↑ 河合奈保子さんと柏原芳恵さん。 ↑ 奈保子さんが、ハワイの飛行機の故障で帰国が1日遅れ、先ほど空港に着いて、すぐにスタジオに向かった話をした。驚いた表情の芳恵さん。↑ 河合奈保子さん。↑ 柏原芳恵さん。(2)「紅白歌のベストテン」の河合奈保子さんと柏原芳恵さん。↑ 司会の堺正章さん、榊原郁恵さんと二人が話をしている。二人とも新人賞の候補になっていると紹介されていた。ボードに歌手へのアンケート結果がシートで隠されており、堺正章さんが司会をしながらそのシートを取っては結果を紹介していた。「もし歌手にならなかったら何になっていたでしょう」という質問については、奈保子さんの欄は「スキーの先生」になっていた。それ以降の項目についてシートを取ると、全て「よくわからない」と書いてあり、観客の笑いを誘った。奈保子さんは苦笑いをしていた。奈保子さんの答えではなく、会場を笑わせようとしたスタッフが「よくわからない」と書いたのではないかと思う。最初の「スキーの先生」の答えも怪しい気がする。↑ 歌手にならなかったら何になっていたかという欄で、「スキーの先生」と紹介された時の奈保子さん。↑ その後は、奈保子さんの欄には全て「よくわからない」と記載あり、堺正章さんがそれを声に出して読んだ。↑ 「よくわからない」と紹介されるたびに、苦笑いをする奈保子さん。3)「ヤンヤン歌のスタジオ」のスター失敗名場面。河合奈保子さんと柏原芳恵さんが出演。奈保子さんが「沢田君を留学させないわ」と言うべきところ、「沢田君を大学に行かせないわ」と言ってしまい、間違いに気が付いたが正しい単語が出てこず、「留学」というセリフを教えてもらい、言い直す。ところがこんどは柏原芳恵さんがセリフを忘れてしまい、結局最初からやり直しとなる。奈保子さんと芳恵さんの顔の表情が豊かで、見るだけで楽しくなるコント。↑ 沢田君が留学するというので、河合奈保子さんと柏原芳恵さんが止めさせようと考え、「ダメ―」と言いながら教室に入ってくる。↑ 芳恵さんが再び「ダメ―」と言う。↑ 奈保子さんが「沢田君を大学へ行かせないわ」と言う。↑ 「えっ」と言われる奈保子さん。↑ 自分の間違いに気づき、「じゃなかった!!」と言う奈保子さん。↑ 手で耳を抑える奈保子さん。↑ 正しいセリフを忘れた奈保子さんに、「留学だろ」と助けの声が出た。↑ 「留学だろ」との助け舟に「えっ、そうそうそう」と思わす答える奈保子さん。↑ 改めて、「沢田君を留学させないわ」と正しいセリフを言う奈保子さん。↑ 正しいセリフを言えて、ほっとする奈保子さん。↑ 芳恵さんが「私たち・・・」と言った後、セリフが出てこず、「なんか忘れちゃった」と言った。↑ 一生懸命セリフを思い出そうとする芳恵さん。 セリフを忘れた芳恵さんに吹き出して画面から外れた奈保子さん。↑ 考えてもセリフが出てこない芳恵さん。心配する奈保子さん。↑ 「ダメじゃないか」と、あのねのねの清水国明さんのダメ出しが入る。↑ ダメ出しに爆笑する皆さん。↑ 最初から演技することになり、「すみません」と謝る奈保子さん。4)「ピンキーパンチ大逆転」 主人公だった柏原よしえさん、松本伊代さん。ロリータ星からよしえさん、伊代さんが地球に派遣され、悪と闘う設定。この回は「ロリータ星危機一髪」という話。奈保子さんはロリータ星の女王の役。↑ 1982万光年離れた「ロリータ星」から地球に派遣された柏原よしえさん、松本伊代さん。↑ ロリータ星女王の河合奈保子さんと通信した。↑ 「ピンキーパンチ」の掛け声で、宇宙戦士に変身する。↑ 出演した3人の紹介。石川秀美さん、河合奈保子さん、小泉今日子さん。↑ 左から松本伊代さん、柏原よしえさん、ウェディングドレスを着た河合奈保子さん。↑ 闘う伊代さんとよしえさん。↑ ロリータ星女王の奈保子さん。
2019.08.13
コメント(0)
柏原芳恵さんは沢山の歌を歌われていますが、私のお気に入りは3曲あります。一番好きな歌は「花梨」です。1982年10月にリリースされた歌です。高校時代にこの曲が流れ、歌詞とメロディーが心に残りました。恋心を持った幼なじみが東京に行き、手紙を必ず書くと言った言葉を信じて、手紙をずっと待ち続けている切ない歌です。当時、カセットテープに曲を入れて何度も聴きました。柏原さんはこの「花梨」の時に、「柏原よしえ」から「柏原芳恵」に変えています。2曲目は「渚のシンデレラ」です。夏らしい明るい歌です。3曲目は「ハロー・グッバイ」です。「紅茶の美味しい喫茶店~」は、自然に口から出ます。(1)「花梨」 柏原芳恵。 夜のヒットスタジオにて。「花梨」 柏原芳恵。 夜のヒットスタジオにて。(2)「渚のシンデレラ」 柏原よしえ。 夜のヒットスタジオにて。(3)「ハロー・グッバイ」 柏原よしえ。 レッツゴー・ヤングより。
2019.08.12
コメント(0)
柏原よしえさんは大阪府大阪市出身で、1965年10月1日生まれです。1979年秋に「スター誕生!」でグランドチャンピオンに輝き、1980年6月1日に14歳で「NO.1」を歌ってデビューしました。河合奈保子さんも大阪市出身で、1980年6月1日に16歳で、「大きな森の小さなお家」でデビューしており、デビュー日が同じです。「ナオナオ」、「ヨシヨシ」とお互いを呼び合い、仲が良かったです。柏原よしえさんは、途中から芸名を「柏原芳恵」に変えています。昔の切り抜きの一部です。↑ 1981年10月1日、柏原よしえさんの16歳の誕生パーティーに駆け付けた河合奈保子さん。プレゼントのオルゴール人形をよしえさんに渡す。奈保子さんは次の仕事が入っているので、10月6日に改めて会う事を約束して別れた。しかし、奈保子さんは10月5日、NHKで「レッツゴーヤング」のリハーサル中、ステージから、4メートル下に降りていた小ぜりに転落し、救急車で病院に運ばれる事故に遭い、6日にパーティーをすることができなくなった。↑ 奈保子さんとよしえさん。「ナオナオ」、「ヨシヨシ」と呼び合い、仲が良かった。↑ 河合奈保子さんが描いた、柏原よしえさんの絵。↑ 15歳の柏原よしえさん。↑ 当時は中学生だった。↑ 近代映画の切り抜き。 愛宕神社の巫女姿。↑ プールに飛び込む奈保子さんとよしえさん。↑ 水泳大会にて。
2019.08.11
コメント(0)
週刊ポスト 2019年8・16/23号(2019年8月5日発行)を購入し、「創刊50周年 週刊ポストの『顔』になった女優41人」の河合奈保子さんの部分を見ました。2019年8月5日の新聞(朝日新聞)には、週刊ポストの広告に河合奈保子さんの名前が無く、雑誌の表紙にも記載が無かったので購入しませんでした。しかし、2019年8月9日の新聞広告には河合奈保子さんの記載があったので、すぐに本屋に行きました。週刊ポスト1982年2月12日号で、河合奈保子さんが表紙を飾っていたことが紹介されています。↑ 週刊ポスト 2019年8・16/23号(2019年8月5日発行)。↑ 2019年8月5日 週刊ポストの広告(朝日新聞)。奈保子さんの記載は無し。↑ 2019年8月9日 週刊ポストの広告(朝日新聞)。奈保子さんの記載があったので、購入した。↑ 週刊ポスト 創刊50周年 特別復刻グラビア。 週刊ポストの「顔」になった41人の女優。吉永小百合、夏目雅子、岡田奈々、河合奈保子、後藤久美子、関根恵子、藤原紀香、松嶋菜々子、石原さとみ、綾瀬はるか。↑ 週刊ポスト 1982年2月12日号。 河合奈保子 80年に歌手デビュー。81年の「スマイルフォーミー」で紅白初出場。
2019.08.10
コメント(0)
昔の切り抜きを見ていると、河合奈保子さんの恐怖体験記事があったので、紹介します。↑ 新潟にある奈保子さんの田舎のお寺にて。1)恐怖体験記事① 「惨劇!怨霊の呪い。キャーッ! 氷の手が私の胸を!!」↑ 記事によると、河合奈保子さんが新しいアパートに引っ越して間もなくの出来事。夜中まで仕事をした後に部屋に帰り、疲れのため倒れるように寝てしまった。ひどく息苦しくて目が覚めると、消して寝たはずの部屋の電気が点いており、ひょいと足元の方を見ると、男性らしき白くて細い氷のような手だけが、奈保子さんの腹のあたりを押さえつけていた。驚いて叫ぼうにも、声がでなかった。手はだんだん腹から胸に這い上がってきて、圧迫するので苦しく、「いなくなれ」と心の中で必死に祈り続けた。いつの間にか寝てしまい、朝になったら何にもなかった。ところがその後にも、もう一度、白い物が部屋を横切るのを見た。知り合いのお坊さんに相談したところ、おそらくこのアパートで死んだ人の霊が現れたのだろうという事で、ご祈祷していただいた。その時頂いたお札を枕の下に入れて寝たら、それきり霊はピタリとでなくなった。↑ 恐怖体験記事② 「だれもいない部屋で不思議な音。突然、コップが飛び出したの」↑ 記事によると、奈保子さんが1984年の春、アメリカのラスベガスに行った時の出来事。奈保子さんは1984年の春、ロサンゼルスでアルバム「デイドリーム・コースト」を収録し、その後にビデオ撮影のためラスベガスに行った。撮影場所のカジノには控室があり、奈保子さんとスタッフの人が化粧のために使っていた時、突然「コーン」というまるでシャンペンのコルクを抜いたような音が聞こえた。見ると、誰も触っていないのに、鏡張りのサイドボードに置いてあったコップが、テーブルの先2~3メートル先に転がっていた。絶対に誰もコップを触っておらず、勝手にコップが落ちてきた。体調が悪く奈保子さんのそばで寝ていたスタッフの女性は、それを見てますます体調が悪くなった。思い出すとゾッとする恐ろしい体験。↑ 河合奈保子さんが初めてロサンゼルスでレコーディングした「デイドリーム・コースト」。↑ ラスベガスの奈保子さん。
2019.07.03
コメント(0)
1982年1月、河合奈保子さんは雑誌取材と休養を兼ねて、オーストラリアを旅行しました。奈保子さんはそこで取材を受け、地元の新聞に記事が載りました。記事の一部が「奈保子しんぶん VOL.7/昭和57年(1982年3月発行/芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」に紹介されていたので、記事を読んでみました。奈保子さんは1981年10月5日、渋谷にあるNHKホールでの「レッツゴーヤング」リハーサル中、ステージにある小ゼリから4.5m下の奈落へ落ちてしまい、「第一腰椎圧迫骨折」と診断され、入院、リハビリを行いました。その年のNHK紅白歌合戦には、コルセットをしたままで「スマイル・フォー・ミー」を熱唱しました。そして翌年1月に、奈保子さんは母親と一緒に、オーストラリアを旅行します。Japanese POP star Naoko Kawai of Surfers Paradise with members of Sheba, a Gold Coast all-girl group.日本のポップスターである河合奈保子さん。サーファー天国の地にて、ゴールドコーストの女性グループ「シェバ」のメンバーと一緒に。A golden way to recovery回復のための素晴らしい方法。The lure of a Gold Coast holiday has helped a young Japanese singer recover from a crippling accident.Miss Naoko Kawai, 18, was confined to a bed for 40 days after damaging her spine in a stage accident last year in Japan.She was encouraged not to move during her convalescence and promised an Australian trip at the end of her ordeal.Miss Kawai is extremely popular in Japan and has had seven sigles in the top five.She will spend five days in Queensland to promote the State in a Japanese fan magazine.Miss Kawai will spend three days on the Gold Coast and two on Hayman Island.She fell more than four metres during a concert in August when a mechanical stage fails to rise out of the floor.若い日本人歌手にとって、ゴールドコーストでの休暇という魅力的な話が、障害が残るような事故からの回復に大きな励みとなった。18歳の河合奈保子さんは、去年日本での舞台事故で脊髄を痛め、40日も病床についた。療養期間中は体を動かさないように言われていたが、この辛い期間が終われば、オーストラリア旅行に行くことが約束されていた。河合さんは日本で大変人気があり、7枚のシングルレコードがトップ5に入っている。彼女はクイーンズランド州で5日間を過ごし、日本のファン向け雑誌に州の宣伝をする予定。3日間はゴールドコーストで、残り2日はヘイマン島で過ごす。8月のコンサート期間中、機械で昇降する床が上の舞台まで昇っておらず、彼女は舞台から4メートル以上も下にある床に落ちてしまった。↑ 現地新聞の取材を受ける奈保子さん。↑ オーストラリアでの奈保子さんとコアラ。 (雑誌切り抜き)↑ シドニー、ゴールドコースト、ヘイマン島。↑ アンダルシア・パークのカンガルー。↑ シーワールドのイルカ。↑ オーストラリアにしかいないというエミュー。↑ カランビン野鳥園のくじゃく。↑ 「奈保子しんぶん VOL.7/昭和57年(1982年3月発行/芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」↑ オーストラリア旅行の記事。
2019.07.01
コメント(0)
2019年4月11日に「ルパン三世」の原作者で漫画家のモンキーパンチさん(本名加藤一彦さん)が81歳で亡くなられました。小学生の頃は、ルパン三世のアニメをTVでよく見ていました。夕方に番組の再放送もしており、テンポの良さとカッコよさに惹かれました。TVのルパン三世OP(主題歌)でよく話題になるのが、1978年、79年、80年バージョンで、どれが好きかというものですが、私は79年バージョンが大好きです。スピード感があり、これを聴き始めると何度も繰り返して聴いてしまいます。1979年の劇場用映画第2作「ルパン三世 カリオストロの城」を見ると本当に面白く、次回作を期待していたところ、1985年に「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」が封切られることになり、すぐに映画館に行きました。第2作に比べてかなり雰囲気が違う映画なので戸惑いましたが、河合奈保子さんが歌う主題歌「MANHATTAN JOKE : マンハッタン・ジョーク」、そして劇中歌「Song of Babylon:ソング オブ バビロン」が流れ、映画の中で奈保子さんがアフレコをしていた部分を聞けた点が良かったです。奈保子さんのシングルレコードですが、「デビュー Fly Me To Love /売野雅勇作詞、林哲司作曲、鷲巣詞郎編曲」、「MANHATTAN JOKE マンハッタン・ジョーク/秋元康作詞、大野雄二作曲・編曲」が両A面として発売され、オリコン1位を取りました。両曲とも本当に良い歌で、奈保子さんの声は伸びやかで力強く、自然にビブラートするところが好きです。これまた一回聴くと、何度も繰り返して聴いてしまいます。↑ 2019年4月11日、モンキーパンチさん81歳死去のニュース。(2019年4月18日 朝日新聞)↑ 河合奈保子さん。「デビュー Fly Me To Love」。 バースデーメモリアルアルバム NAOKO 22 の特典シングルジャケット。 「デビュー Fly Me To Love /売野雅勇作詞、林哲司作曲、鷲巣詞郎編曲、河合奈保子歌」「MANHATTAN JOKE マンハッタン・ジョーク/秋元康作詞、大野雄二作曲・編曲、河合奈保子歌」↑ MANHATTAN JOKE を歌う奈保子さん。↑ サビに入る時の決めポーズ。↑ 歌の最後の決めポーズ。銃を構える。↑ 銃の引き金を引く。↑ 撃つ。↑ カッコイイ奈保子さん。↑ 「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」のテーマソングを歌うことになった奈保子さん。↑ かなりや VOL.25 昭和60年(1985年)5月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」↑ 新曲は両A面 「デビュー」、「MANHATTAN JOKE」。「デビュー」は、デビュー当時の気持ちに戻り、再び素肌感覚でチャレンジするという意味が含まれており、「マンハッタン・ジョーク」は夏公開のアニメ映画「ルパン三世のテーマソング」。↑ MOMOCO IDOL情報局/学習研究社 切り抜き。1985年4月25日にモルディブから帰国した後、4月26日にアニメ映画「ルパン3世 バビロン黄金伝説」の記者会見をした。↑ 奈保子しんぶん VOL.28 昭和60年(1985年)6月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」↑ 奈保子さんが登場人物の一人として吹き替えをする。 前売券を買えば、ルパン三世のスチール画入りのチケットも手に入る。奈保子さんが吹き替えをしたセリフを当てるクイズもある。↑ MOMOCO IDOL情報局/学習研究社 切り抜き。1985年6月21日に、「ルパン三世」の声の出演で吹き替えをした。奈保子さんの役が誰なのかというのがクイズになっている。山田康雄さんのルパンとの絡みの部分だが、奈保子さんは初めてのことで悪戦苦闘。「画面とせりふがあわなくて大変。画面を見てるとせりふを忘れちゃうし、せりふを見てると画面と全然合わなくなっちゃうんですから」。↑ MOMOCO IDOL情報局/学習研究社 切り抜き。1985年7月13日、「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」が公開され、7月14日には日比谷映画とテアトル新宿で舞台挨拶し、主題歌の「マンハッタン・ジョーク」を披露した。同日、新宿NSビルでの握手会の後、もう一度劇場に戻って「ルパン三世」の鑑賞をした。「自分の声の所が出てくるとドキドキしますね」。↑ バースデーコンサートの写真。↑ 奈保子しんぶん VOL.29 昭和60年(1985年)7月発行/芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部」「デビュー/マンハッタンジョーク」大ヒット!! レコード売り上げ一等賞!」奈保子さんのシングルがオリコンチャート1位になった。↑ 1985年6月23日、渋谷公会堂でコンサートの日、奈保子さんにオリコン1位が告げられる。喜ぶ奈保子さん。(ルパン三世 バビロン黄金伝説 アフレコの記事)↑ アフレコ初体験報告。↑ 奈保子さんがNGを出すと、ルパン役の山田康雄さんと連帯責任で初めからしなければならず、NGを出すたびに「ごめんなさい」と謝る奈保子さんに、山田さんはルパンの声で「いいーってことよーっ、気にすんなっ!」とねぎらっていたそうです。↑ 奈保子さんがオリコン1位を取った事を祝し、「あしたのナオコちゃん」の作者である漫画家の中西裕さんが、ケーキにナオコちゃんの絵を描いて駆けつけたそうです。↑ 夜のヒットスタジオに出演した河合奈保子さん。↑ 「デビュー Fly Me To Love」を歌う奈保子さん。 オリコンチャート1位。↑ 楽しそうに歌う奈保子さん。
2019.05.12
コメント(0)
2019年4月29日、東京都美術館で「クリムト展 ウィーンと日本1900」を見ました。ウィーンのベルベデーレ宮殿にあるオーストリア美術館からも、クリムト作品が沢山来て展示されていました。河合奈保子さんは1987年にオーストリアのウィーンに行きました。ベルベデーレ宮殿の庭を散策する奈保子さんの姿が「トレフェン 河合奈保子写真集」にあります。楽しそうな奈保子さん。↑ 「クリムト展 ウィーンと日本1900」 東京都美術館。↑ トレフェン Treffen 河合奈保子写真集 /撮影 武藤義/1987年12月25日発行/ワニブックス発行。↑ ベルベデーレ宮殿の庭を散策する奈保子さん。↑ 笑顔の奈保子さん。
2019.05.01
コメント(0)
河合奈保子さん、松田聖子さんとも、1980年代に雑誌、TV番組、写真集、ビデオ、CM、レコーディングなどのため、海外の色々な地域に行っていました。手元の切り抜きなどの資料を見て、二人とも訪れた海外の地域を紹介します。パリ、フィジー、ニューヨーク、グアム、サイパン、ハワイ、オーストラリア、ニュージーランドです。フランスのニースは、奈保子さんの写真はあるものの、聖子さんの写真資料が手元に無いので(記事だけ有り)載せていません。ほかにも、二人とも訪れている地域があるかもしれませんいつか時間があれば、河合奈保子さんの海外の資料をまとめたいと思います。海外でリラックスした笑顔を見ると、とても楽しくなります。↑ 河合奈保子さんと松田聖子さん。【フランス・パリ】↑ パリ・セーヌ川と奈保子さん。 「オー・シャンゼリゼ」を歌う。↑ 楽しそうな奈保子さん。↑ パリ・モンマルトルの聖子さん。↑ サクレクール寺院。↑ サクレクールの丘とパリ市内。【フィジー】↑ フィジーでクルージングを楽しむ奈保子さん。↑ フィジーの聖子さん。【アメリカ・ニューヨーク】↑ ニューヨークの奈保子さん。↑ ニューヨーク・マンハッタンのビルの屋上にて。 ピアノと奈保子さん。↑ ニューヨークの聖子さん。【グアム】↑ グアムの奈保子さん。↑ グアムの聖子さん。【サイパン】↑ サイパンの奈保子さん。↑ サイパンの聖子さん。【ハワイ】↑ ハワイの奈保子さん。↑ ハワイの聖子さん。↑ ハワイ大学に語学留学をした聖子さん。【オーストラリア】↑ オーストラリアの奈保子さん。 楽しそうな表情。↑ オーストラリアの聖子さん。【ニュージーランド】↑ ニュージーランドの奈保子さん。↑ ニュージーランドの聖子さん。
2019.04.13
コメント(0)
週刊現代(2019年3月30日発行)に、「八神純子の名曲『みずいろの雨』を語ろう」という記事があるのを新聞で見つけ、購入しました。疋田拓(ひきだひらく)さん、大石吾朗(おおいしごろう)さん、石塚良一(いしづかりょういち)さんが純子さんの「みずいろの雨」を語ります。疋田さんは「夜のヒットスタジオ」や「FNS歌謡祭」のプロデューサー、大石さんはヤマハポピュラーソングコンテストの司会で、「コッキ―ポップ」でパーソナリティー、石塚さんは八神純子さんのレコーディングエンジニア・プロデューサーです。疋田さんの話として、夜のヒットスタジオの現場で、純子さんと奈保子さんのやりとりがあった事が触れられています。八神純子さんはTV番組でみずいろの雨などを歌っており、いつも見ていました。スタジオの外で純子さんが歌うときは、いつも雨だった記憶があります。純子さんが乗った船が岸壁から離れる中継でも、残念ながら雨でした。純子さんがサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを背景に、みずいろの雨を歌う番組がありました。楽しそうに歌う純子さんを見ると、こちらまで夢中になります。1999年5月30日に、ホテルグリーンピア南阿蘇で行われた南こうせつアスぺクタ音楽祭に、純子さんが参加しました。アスペクタ(ASPECTA)野外ステージは熊本県南阿蘇にある野外劇場です。八神純子ファンにはあまりにも有名な映像ですが、ステージで歌う純子さんのパワフルな声が素晴らしく、みずいろの雨やパープルタウンに思わず引き込まれました。私が母親に感謝している事の一つに、よくぞ河合奈保子さん、八神純子さんと同じ時代に産んでくれたという事があります。若い頃、この二人のレコードに針を落としたり、カセットテープのボタンを押すことが本当に楽しみでした。純子さんの歌は、パワフルで高音が伸び続ける所が大好きです。奈保子さんも力強く、伸びる声が自然とビブラートになり、とても聴きやすいです。上手く説明できませんが、私としては純子さんと奈保子さんに重なる部分があると思います。世の中に純子&奈保子ファンの方がおられたら、多分、この気持ちが分かっていただけると信じています。↑ 週刊現代(2019年3月30日発行)/講談社↑ 2019年3月18日 週刊現代の広告。(朝日新聞)↑ 八神純子の名曲「みずいろの雨」を語ろう。↑ 疋田拓(ひきだひらく)さん、大石吾朗(おおいしごろう)さん、石塚良一(いしづかりょういち)さん↑ 純子さんと奈保子さんの記載部分。↑ 夜のヒットスタジオでの、純子さんと奈保子さん。↑ みずいろの雨を歌う八神純子さん。↑ アメリカ・サンフランシスコの金門橋をバックに、純子さんが「みずいろの雨」を歌う。↑ 本当にクールで素晴らしい純子さん。↑ 1978年当時の紹介。↑ 河合奈保子さんと、サンフランシスコの金門橋。↑ サンフランシスコの街並みと奈保子さん この笑顔が大好きで、一発で「イチコロ」にされる。↑ 1999年5月30日、ホテルグリーンピア南阿蘇・南こうせつアスぺクタ音楽祭で歌う純子さん。↑ みずいろの雨。↑ パープルタウン。↑ 声がパワフルな純子さん。引き込まれそうになる。↑ 南こうせつさんと、八神純子さん。
2019.03.21
コメント(0)
1983年1月6日のザ・ベストテンで、松田聖子さんと河合奈保子さんが一緒にドアから出てきました。久米宏さんと黒柳徹子さんが二人を囲みます。この日は、奈保子さんの「INVITATION」が6位、聖子さんの「野ばらのエチュード」が7位でした。聖子さんはグアムでイモきんトリオと遊んだ時の写真が紹介されていました。奈保子さんは正月休みを取る予定でしたが、休みを返上してザ・ベストテンに出ました。番組の中で、奈保子さんが新潟の祖母と電話で話をし、「おめでとうございます。元気ですか?」と挨拶をしていました。それから雪がもう降っているかどうかも聞いていました。一週間前の1982年12月30日のザ・ベストテンでは、奈保子さんの「INVITATION」が初登場の10位でした。久米宏さん、黒柳徹子さん、ビートたけしさんが奈保子さんを囲みます。「病気をしない」、「ボーイフレンドが欲しい」という奈保子さんの年始の願いが紹介されると、ビートたけしさんが「ボーイフレンドに振られて病気がうつったという事もある」とギャグを飛ばしていました。オールスター紅白水泳大会があり、その後「スター千一夜」で聖子さん、奈保子さん、よしえさんが水沢アキさんからインタビューを受けていました。3人ともコンサートなどで休みがなかなか取れない状態ですが、もし休みが取れるとしたらとの問いに、聖子さんは「静かなところでぼんやりしたい」と言い、奈保子さんは「青空の下でテニスをしたりしたい」と言いました。アキさんが「泳いだり?」と聞くと、奈保子さんは「泳げないんです」と答えていました。奈保子さんは朝におにぎりを作るのですが、梅干し、たらこ、しゃけなど色々な物を全部、大きなおにぎりの中に入れるそうです。辛いのが苦手なので、甘いカレーを時々作ると言っていました。1984年2月7日、第11回オールスター寒中水泳大会で、聖子さん(紅組代表)と奈保子さん(白組代表)が選手宣誓をしました。二人がマイクの前で手を挙げ、「せーの、宣誓、私たちは芸能人精神に則り、敵をノックアウトするまで正々堂々と闘う事を誓います。昭和59年2月7日、選手代表紅組、松田聖子、白組、河合奈保子」と言いました。↑ 1983年1月6日 ザ・ベストテン。 松田聖子さんと河合奈保子さん。↑ 久米宏さんと黒柳徹子さんが二人を囲む。↑ グアムの出来事を話す聖子さん。↑ 新潟の祖母と電話で話す奈保子さん。↑ 奈保子さんらしい表情。↑ 1982年12月30日 ザ・ベストテンでは、奈保子さんの「INVITATION」が初登場の10位。久米宏さん、黒柳徹子さん、河合奈保子さん、ビートたけしさん。↑ オールスター紅白水泳大会の後、「スター千一夜」で水沢アキさんのインタビューを受ける。↑ 聖子さん。↑ 奈保子さん。↑ よしえさん。↓ 1984年2月7日、第11回オールスター寒中水泳大会。↑ 聖子さん(紅組代表)と奈保子さん(白組代表)が選手宣誓。
2019.03.08
コメント(0)
松田聖子さんと河合奈保子さんが歌った「ザナドゥ」、「ウェディング・ドレス」なども大変印象に残っています。NHK「レッツゴーヤング」(1981年4月12日)で、松田聖子さんと河合奈保子さんが、オリビアニュートンジョンさんの「ザナドゥ」を歌っています。「ミュージックフェア」で、二人が九重祐美子さんの「ウェディング・ドレス」を歌ったり、ペギー葉山さん、デューク・エイセスさん、松田聖子さん、河合奈保子さんが、「ハワイアン・ウェディング・ソング」を英語で歌っていました。↑ 「レッツゴーヤング」で「ザナドゥ」を歌う聖子さんと奈保子さん。↑「ミュージックフェア」で、九重祐美子さんの「ウェディング・ドレス」を歌う奈保子さん、聖子さん。↑ 奈保子さんと聖子さんのウェディングドレス姿。ペギー葉山さん、デューク・エイセスさん、松田聖子さん、河合奈保子さんが、「ハワイアン・ウェディング・ソング」を歌った。
2019.03.07
コメント(0)
松田聖子さんと河合奈保子さんが一緒に出ている番組は、歌謡からコントまで色々とありましたが、大変有名なものは、1983年3月31日放送「ミュージックフェア」のザ・ピーナッツ特集だと思います。中尾ミエさんと伊藤ゆかりさん、岩崎宏美さんと大橋純子さん、松田聖子さんと河合奈保子さんが、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」を歌います。そして、松田聖子さんと河合奈保子さんは、ザ・ピーナッツのデビュー曲「可愛い花」や、「ふりむかないで」も歌いますが、この「ふりむかないで」が大変秀逸でした。二人のデュエットが素晴らしく、ずっと聴いていたい感じでした。二人が腕を組む所が、なんだか胸を打ちます。↑ 松田聖子さんと河合奈保子さん。 「恋のバカンス」を歌う。↑ 岩崎宏美さんと大橋純子さん。↑ 中尾ミエさんと伊藤ゆかりさん。↑ 松田聖子さんと河合奈保子さん。 「可愛い花」を歌う。↑ 松田聖子さんと河合奈保子さん。 「ふりむかないで」を歌う。↑ 腕を組む。
2019.03.06
コメント(0)
1985年6月24日、神田正輝さんと松田聖子さんが教会で結婚式を挙げられ、ホテルニューオータニで披露宴が行われました。河合奈保子さんは披露宴に招待され、新婦の友人として祝辞を述べました。聖子さんとはデビューが同期で、5年間一緒に歩んできたことなど、話をされていました。当時の雑誌の切り抜きなどを読むと、奈保子さんの祝辞の順番まで時間があり、緊張のため食事が喉を通らなかった事や、料理のメニューに「愛のシンフォニー」とか全て名前がついており、感激した事が書いてありました。奈保子しんぶんVol.24(昭和59年:1984年10月発行/芸映友の会 河合奈保子FC編集部)によると、ザ・ベストテンにスタジオ入りすると、久しぶりに松田聖子さんと楽屋で会い、大はしゃぎをしたそうです。ファンからプレゼントされた占い人形で恋占いをすると、聖子さんは何度やっても吉なのに、奈保子さんはいくらやっても凶だった事が書いてありました。↑ 神田正輝さんと松田聖子さんの披露宴で、祝辞を述べる奈保子さん。↑ 聖子さんの結婚について、突然の発表で驚いた事が書いてある。↑ 奈保子しんぶんVol.24(昭和59年:1984年10月発行/芸映友の会 河合奈保子FC編集部)↑ ザ・ベストテンの楽屋に入った奈保子さん。↑ 恋占いをする人形。↑ 聖子さんと一緒に、恋占い人形で遊んだことが書いてある。ちなみに、この日の奈保子さんのスケジュールは下記の通り。① 7時30分 起床。 小学校の恩師と電話で話す。② 10時30分 フジテレビ「クイズドレミファドン」楽屋入り。 セリフの練習、リハーサル、本番をして、14時30分に終わる。③ NHKの「レッツゴーヤング」収録のため、NHKホールに向かう。 移動中の車内で、アルバム「デイドリームコースト」の「アンジェラ」を練習する。 番組で歌うため。④ NHKでリハーサルをし、楽屋に戻ると16時10分。 ランチタイムでおにぎりを食べる。⑤ 本番まで、取材を受け、リサイタルの歌のレッスンをする。 19時から20時までレッツゴーヤングの本番。⑥ 20時からはTBSに直行し、「ザ・ベストテン」のスタジオ入りしてリハーサル。 楽屋で松田聖子さんと会う。「ザ・ベストテン」の本番があり、終了は22時。⑦ 22時からTBSラジオ番組「まんてんワイド」に出演するため、階段を急いで駆け上がる。 ラジオスタジオへ入る。出番待ちの時に、10分で夕食を取った。⑧ まんてんワイドの次は、別のレギュラー番組収録のため、また別室のスタジオに急行した。 ディレクターと打ち合わせ、すぐに本番。番組終了は23時30分⑨ 家に戻り、午前1時に就寝。
2019.03.03
コメント(0)
2019年2月19日、週刊ポスト 2019 Mar 3.1号に「特別付録 河合奈保子 フォトブック」と記載があったので購入しました。「近代映画 河合奈保子写真集 電子書籍化 第7弾&シリーズ完結記念」として雑誌に小冊子が付いており、早速ミシン目に沿って切り取りました。小冊子は資料用ファイルに入れて保存します。小冊子には、「河合奈保子写真集PART7『TRANS AMERICA NAOKO』/デラックス近代映画/昭和61年(1986年)1月15日発行/株式会社近代映画社」のアメリカでの写真とともに、他の6巻の写真も一緒に紹介されています。奈保子さんは米西海岸のロサンゼルスから東海岸のニューヨークまで、各地を巡りながら旅をしています。ロスではアメリカで制作した2枚目のアルバム「NINE HALF」のレコーディングを行いました。奈保子さんの歌の中で一番大好きな「トワイライトクルーズ ~ TURN IT UP」も、この時に出来た曲です。写真集を見ながら思うのは、奈保子さんの笑顔が本当に素敵だという事です。自然な笑顔で、性格の良さがそのまま表れている感じがします。近代映画の写真集7冊の中には、日本のみならず、グアム、バンコク、オーストラリア、モルディブ、アメリカでの奈保子さんが生き生きと写っています。どこも楽しそうで、旅情を誘います。コンサートツアーやTV番組出演など、スケジュールがびっしりなのに、海外の色々な場所に行けた事に感心します。別の会社の写真集を見ると、ヨーロッパ各地での奈保子さんを見ることができて、これまた楽しいです。オランダのアムステルダムを散策したり、ミニチュアの街マドローダムではしゃいだり、風車をバックにしている写真が好きです。モンブランがあるフランス・シャモニー近くのレ・プラ教会そばで、厚着をしているのに寒そうな奈保子さんが写っています。厚い雲に覆われていたので山が見えず残念ですが、晴れておれば、雄大なアルプスと奈保子さんの写真があったはずです。80年代の歌手の中で、奈保子さんは特に多くの写真集を出しており、本当に人気がありました。私の青春時代の色々な出来事と、奈保子さんの歌や写真集がリンクしており、聴いたり見たりすることで、昔のかすかな記憶を呼び起こす事ができます。そして、奈保子さんのお蔭で、海外にとても興味を持ち続ける事ができました。↑ 週刊ポスト 2019 Mar 3.1号 小冊子「河合奈保子デジタル写真集 PHOTO BOOK全集」を切り取った。↑ 2019年2月19日 週刊ポストの広告。 朝日新聞。↑ 河合奈保子写真集PART7/デラックス近代映画/昭和61年(1986年)1月15日発行/株式会社近代映画社。「TRANS AMERICA NAOKO」奈保子さんが米西海岸のロサンゼルスから東海岸のニューヨークまで、各地を巡りながら旅をしたときの写真集。↑ アメリカ・モニュメントバレー。↑ ヒューストンにあるNASAの記者会見室。↑ 笑顔が素敵な奈保子さん。↑ ニューヨーク。
2019.02.19
コメント(0)
持っていた松田聖子さんのレコードをファンの人にあげたので、手元には4つのCDだけ残っています。「風立ちぬ」、「Candy」、「Bible」、「Bible Ⅱ」です。聖子さんの曲で一番好きな歌は、「渚のバルコニー /作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂(松任谷由美)/編曲:松任谷正隆」です。本当に聴きやすく、素敵なメロディです。歌番組で聖子さんが楽しそうに歌う姿が印象的でした。聖子さんは英語でも「渚のバルコニー」を歌っていました。(dawnの発音が間違ってたような)ネッスル日本がスポンサーだったラジオ番組「夜のドラマハウス」が大好きで、毎日聴いていました。月曜から金曜日まで週単位で流行りの曲が流れ、面白いミニドラマが続きます。1982年の春に、夜のドラマハウスで「渚のバルコニー」が流れました。その時どんなドラマだったか、はっきり思い出せないのですが、星座がテーマで、プリマを目指す女性が、演出家の色事の要求に翻弄され、結局、舞台も恋人との恋愛もダメになってしまうという話があった気がします。(違っていたらすみません)「Candy」の中にある「ブルージュの鐘 /作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:大村雅朗」も大好きな歌です。ベルギーのブルージュは運河に囲まれた古都で、日本人にも人気があります。顧客や知り合いが来たら、よく車で連れて行きました。「ブルージュの鐘」の歌の景色そのままの街並みが続き、この歌を聴くとブリュージュを思い出します。北海からブリュージュまで水路が通り、船が運行できたのですが、徐々に砂が堆積して大きな船が入れなくなり、通商が大幅に減少しました。結果、中世の面影がある街が残りました。ブリュージュから北海に行くと、オステンドという海辺の街に着きます。それからフランスとの国境方向に進むと、ベルギーの有名な画家であるポール・デルヴォーの美術館があります。私はポール・デルヴォーの幻想的な絵が好きで、時々見に行きました。夜の世界に白い女性が浮き上がって見える不思議な絵です。ブリュッセルの王立美術館にも、デルヴォーの大きな絵が飾ってありました。「秘密の花園 /作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂(松任谷由美)/編曲:松任谷正隆」も好きでした。テレビでは、聖子さんが白地に金色の縁取りをした短いスカートを履いて、「秘密の花園」を歌っていました。他には、「裸足の季節」、「青い珊瑚礁」、「蒼いフォトグラフ」、「制服」、「Canary」、「風は秋色」、「チェリーブラッサム」、「夏の扉」、「白いパラソル」、「風立ちぬ」、「赤いスイトピー」、「小麦色のマーメイド」、「天国のキッス」、「ガラスの林檎」、「Rock'n Rouge」、「ピンクのモーツアルト」、「時間の国のアリス」、「天使のウイング」、「マイアミ午前5時」、「セイシェルの夕陽」、「Sweet Memories」などを聴いたりします。↑ 「風立ちぬ/松田聖子」↑ 「Candy/松田聖子」 ↑ 「Bible /松田聖子」↑ 「Bible Ⅱ/松田聖子」
2019.02.17
コメント(0)
2019年2月6日に「週刊ポスト 2019 Feb 2.15/22 スペシャル合併特大号」を購入しました。前日の2月5日に本屋で週刊ポストの表紙を見た時、奈保子さんの名前や写真が無かったので、心配になり買わずに家に帰りました。新聞の広告を見ると、ちゃんと奈保子さんの写真が入っていたので、本日会社の帰りに、星の雑誌と一緒に週刊ポストを買いました。モルディブのランナリ島で撮影された奈保子さんの写真集PART6 デラックス近代映画が、今回電子書籍化されたので紹介されています。当初はエジプトで撮影する予定でしたが、モルディブに変更となりました。日本から香港経由でスリランカのコロンボに行きます。コロンボで1日観光しており、その時の姿は雑誌の写真に残っています。その後モルディブに行き、クルーザーでランナリ島に着きました。写真集には、現地の人々と交流したり、スキューバダイビングを楽しむ奈保子さんの姿が載っています。かなりや VOL25には、モルディブでの出来事が詳しく書いてあります。いつか別の機会に紹介したいと思います。↑ 週刊ポスト 2019 Feb 2.15/22 スペシャル合併特大号! 表紙には奈保子さん情報が無かった。↑ 2019年2月5日 週刊ポスト広告 朝日新聞。↑ 河合奈保子 in モルディブ。↑ 大反響。近代映画 河合奈保子写真集 電子書籍化 第6弾。 河合奈保子 モルディブのマーメイド。 モルディブ・ランナリ島での撮影。↑ 河合奈保子写真集PART6 デラックス近代映画 昭和60年(1985年)7月15日発行/近代映画社。↑ モルディブ・ランナリ島の奈保子さん。↑ スキューバダイビングを楽しむ奈保子さん。 楽しそう。↑ 奈保子しんぶん Vol.27 / 昭和60年(1985年)3月発行/芸映友の会/河合奈保子FC編集部。↑ 奈保子しんぶんによると、当初はモルディブではなく、エジプトで撮影をする予定であった。ピラミッド、スフインクス、ラクダと奈保子さんの写真も是非見たかった。↑ かなりや Vol.25 / 昭和60年(1985年)5月発行/芸映友の会/河合奈保子FC編集部。↑ かなりや VOL.25に、エジプトからモルディブに急遽変更した事が書いてある。↑ かなりや新聞によると、モルディブ・ランナリ島には、引き潮になると浮かぶ小さな島があり、現地の方が「NAOKOアイランド」と名付けた事が書いてある。↑ 週刊ポストの他に、天文ガイドと星ナビを購入した。
2019.02.06
コメント(0)
松田聖子さんは1980年4月、河合奈保子さんは同年6月にデビューしました。二人とも笑顔が本当に素敵で、とても個性的でした。特に80年代前半は、テレビ、ラジオ、CM、本、雑誌、コンサートなどを通じて、お二人を見たり聴いたりしない日は無いほどで、本当に楽しい時代でした。定期的に発表される新曲は新鮮で、レコード屋で予約をしてポスターを貰ったりしました。テレビは、夜のヒットスタジオ、ベストテン、トップテンなどをよく見ていました。夜のヒットスタジオは、こだわりが感じられる番組でした。歌手が2番目の最後まで、歌を省略することなく歌う事があり、感動でした。ベストテン、トップテンでは、時々地方から中継で歌ったりし、その場所を旅したくなったりしました。ラジオも、新聞やFM雑誌でスケジュールをチェックし、AM、FMで聖子さん、奈保子さんの曲を録音していました。家のレコードプレーヤーとダブルカセットデッキ、マイクを使い、自分の好きなようにマイ・カセットを作っては遊んでいました。自分のこだわりのカセットを友達に聴かせるのが流行っており、カセットケースにも自分で描いた絵を付けます。私は奈保子さんの似顔絵を描いて入れていました。父親がBOSEスピーカーを買ってきたので、部屋の上に設置し、毎日良い響きを楽しみました。聖子さんの人気が上がるにつれ、学校でも「聖子ちゃんカット」をする女性がどんどん増えて行きました。大変なブームでした。私は奈保子さんの肩まで伸びる髪型が好きだったのですが、途中で奈保子さんが髪を切った時は、当分の間ショックで立ち直れなかった事を覚えています。松田聖子さんは福岡県久留米市生まれです。学校では英語が得意で、「ミス・セブンティーンコンテスト」に応募し、1978年4月7日の九州大会で4,400人の中で優勝します。校則でテレビに出られないため、決勝大会には出場できなかったものの、九州大会のビデオを見たCBSソニーディレクターなどが2年間説得し、芸能界入りとなりました。1979年9月のTVドラマ「おだいじに」に松田聖子という役名で登場しています。1980年4月に「裸足の季節」で歌手デビューしました。河合奈保子さんは大阪市浪速区で生まれました。幼稚園の頃は東京にいましたが、その後大阪市住吉区で生活します。中学ではフォークソング部に入り、家ではピアノやギターを弾きながら、最新のヒット曲を歌っていたそうです。高校ではマンドリンクラブに入り、熱心に練習する日が続きました。(TV番組で、奈保子さんがマンドリンで演奏した事がある。途中で間違えて笑いを誘っていた)1979年12月9日、「西城秀樹の弟・妹コンテスト」に応募するため、自分でピアノを弾き、杏里の「オリビアを聴きながら」を歌ったテープを送りました。全国から25,160通の応募があったそうです。(TV番組で、この時のテープが紹介された事がある。キーが高く、ものすごい高音を歌っていた)1980年2月10日、大阪地区大会が開かれ、奈保子さんは地区の100人の中から代表に選ばれました。そして1980年3月15日、東京・中野サンプラザで決勝大会があり、奈保子さんは石野真子さんの「春ラ!ラ!ラ!」を歌い優勝しました。西城秀樹さんと記念写真を撮っています。1980年3月31日に上京し、4月から歌のレッスンが始まりました。このレッスンの様子が書いてある本があるので、いつか紹介します。読むと奈保子さんはデビューに間に合うのかと、心配でドキドキしました。1980年6月1日、奈保子さんは「大きな森の小さなお家」で歌手デビューをします。↑ 聖子さん。↑ 奈保子さん。↑ 聖子さん。↑ 奈保子さん。↑ 平凡 1982年2月号。↑ 聖子さん、奈保子さん。↑ 聖子さん、奈保子さん。 水泳大会。
2019.02.03
コメント(0)
2019年1月29日に週刊ポスト2019 Feb. 2.8号が発売され、「近代映画 河合奈保子写真集 電子書籍化 第5弾 河合奈保子20歳のメモリー in Australia」の紹介があったので、購入しました。「河合奈保子写真集 PART 5 デラックス近代映画/昭和59年(1984年)4月15日発行/近代映画社」を持っています。オーストラリアで撮影された楽しそうな奈保子さんの写真が満載です。奈保子さんは何度もオーストラリアを訪れており、お気に入りの場所だったのだと思います。↑ 2019年1月29日 週刊ポスト2019 Feb. 2.8号発売。 表紙に奈保子さんの名前がある。↑ 2019年1月28日 週刊ポスト広告。 朝日新聞。↑ 20歳の奈保子さん。 オーストラリアでの笑顔。↑「河合奈保子写真集 PART 5 デラックス近代映画/昭和59年(1984年)4月15日発行/近代映画社」↑ コアラと奈保子さん。↑ カンガルーと奈保子さん。
2019.01.29
コメント(0)
2019年1月21日、週刊ポスト2019 Feb. 2.1 号に、「河合奈保子 デジタル写真集 第4弾」として、「河合奈保子写真集 PART4 NAOKO IN BANGKOK / 1983年4月5日発行/近代映画社」の電子化復刊の紹介がありました。1982年12月16日~20日で、奈保子さんがタイに撮影旅行に行ったときの写真集です。バンコク市内や、パタヤビーチ、コラン島ビーチの奈保子さんで、笑顔いっぱいです。町の店先に雑誌が並んでおり、奈保子さんが載った現地の雑誌を偶然見つけた事が書いてあります。↑ 2019年1月21日。週刊ポスト2019 Feb. 2.1 号。「河合奈保子 デジタル写真集 第4弾」↑ 「河合奈保子 デジタル写真集 第4弾」↑ 2019年1月21日 朝日新聞。↑ 大反響 近代映画 河合奈保子写真集 電子書籍化 第4弾 タイでの奈保子さん。↑ 「河合奈保子写真集 PART4 NAOKO IN BANGKOK / 1983年4月5日発行/近代映画社」手元にある本も、かなりボロボロになっている。町の店先に雑誌が並んでおり、奈保子さんが載った現地の雑誌を偶然見つけた事が書いてある。
2019.01.22
コメント(0)
1980年4月に松田聖子さん、6月には河合奈保子さん、柏原よしえさん(1982年に芳恵に変更)が歌手としてデビューしました。3人とも個性的で魅力があり、テレビ番組や雑誌で3人の姿を見るのが楽しみでした。手元に切り抜きがあるので、3人が写っている資料を少し紹介します。↑ 河合奈保子さん、松田聖子さん、柏原芳恵さん。↑ 河合奈保子さん、松田聖子さん、柏原芳恵さん。↑ 柏原よしえさん、松田聖子さん、河合奈保子さん。 急接近座談会。↑ 奈保子さんが、お風呂で聖子さんの「風立ちぬ」、「渚のバルコニー」を歌っていると言っている。↑ 大磯ロングビーチの水泳大会。↑ 大磯ロングビーチにて。↑ 3人娘サマーコンサート アンコール座談会。↑ 河合奈保子★夏 (東京・日比谷屋外音楽堂)↑ 松田聖子★ナイス・サマー・セイコ(東京・中野サンプラザ)柏原よしえ★クリスタル・サマーよしえ(サンフラワー号船上)↑ 明星(1983年2月)↑ 第7回 日本テレビ音楽祭。↑ 河合奈保子さん。↑ 柏原芳恵さん。↑ 松田聖子さん。↑ 一番最後に金の鳩賞の名前を呼ばれ、思わず体が右へぐらりと傾いた奈保子さん。↑ 河合奈保子さん、松田聖子さん、田原俊彦さん、近藤真彦さん。
2019.01.21
コメント(0)
全484件 (484件中 401-450件目)