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夏のキャンプの時期が近づいて来たのですでに数回打ち合わせを行っている。この少年団体の年間数多くある行事のうちの、夏のキャンプだけは俺の責任下にあって、安全への打ち合わせと共に備品管理も必要なので、先日備品倉庫を開けて整理してきた。いわゆる教育キャンプなので、最近はやりのツールとは違う、昔ながらの道具がメインだ(残念ながら、さすがにテントは三角ではない)。特に調理器具は小学生が使うので、時々やらかしてくれていて結構ボロボロだ。そろそろ今年あたり、飯ごう(普段文字で書く時には「盒」の字が面倒臭いので「飯ごう」と書く)をいくつか更新しなければと思っていたのだが、確認すると12個装備しているうちの、4個は磨いてどうにかなるレベルの焦げ跡ではなかった。底の焦げ跡が本当にひどい2個は処分して、大人が使うならばなんとかなりそうな残り2個は予備にした。毎年の参加人数によって飯ごうの必要数が変わってくるが、師匠に確認すると今回は10個あればよさそうなので、12-4で2個足りない。足りなければ書類を書けば予算化されるのかもしれないが、飯ごう2個程度に書類を書くのは、俺が小学生の頃からずっと貧乏な団体にお金の工面をさせて忍びない。俺の家にも兵式飯ごうが一つあるが、実際飯ごうってあまり使わないんだよね。ソロの時にはコンビニやスーパーで惣菜のご飯物を買ったり、レトルトご飯を湯せんして使うことが多いし、炊こうと思えばコッヘルもあるからね。そういうわけで、一つは俺が使っていた飯ごうを供出するとして、残りもう一個を寄贈しようと楽天様で「兵式飯ごう」を検索した。俺的には兵式飯ごうなんて1,000円か1,200円程度の物の感覚だったが、送料込でだいたい2,000円くらいする。一番安かったのはサウスフィールドの物だったので、ならばわざわざ送料を掛ける必要はないと、家の近所にる系列店に買いに行ったら1,499円(税込)だった。飯ごうの他に大鍋も一つ欲しいが、俺の家にあるアルミの大鍋がちょうどよいというか、たぶん行ったり来たりしているうちに、団体の備品と入れ替わったのだろうとこれを使おう。今夜は昨日の残りの鶏から2個がおかずなので、書くことがない。しかも走ってもいないのに、酒を飲んだら寝込んでしまったし。この平和な時代に「兵式」なんて言ってるのは飯ごうくらいのものかもしれない。冷静に考えるとランドセルも原形は兵式かもしれないが。
2018年07月18日
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阿蘇といえば湧水を思い浮かべる方も多いだろう。雨水がカルデラの台地で長い時間を掛けてろ過されるので、そのまま飲料水として水質検査に受かる。西原村でも村営水道ではなく、地区ごとに水源から自主水道を引いているところがあるのだが、熊本地震で水道管が破れたのか水が来なくなったという話は時々聞いた。今日はそんな地区の一つの、水源から水道管を引く作業を手伝うが、久しぶりに丸一日どっぷりと土木作業だった。地震から2年も経っているが、地震後に水が出なくなってからは、別の水源から臨時に取水していたらしい。老いも若きも地区の男性総出の作業で、最高齢はなんと92歳らしいが、さすがにこの方は住民の義務というよりも、責任感というか若い者には負けていられないというか。主要なところは重機で作業をするが、それでも丸一日働いたらぐったりになった。その後打ち上げに誘っていただいたが、今日中に帰宅しなければならないので、ノンアルで少しお邪魔させてもらった。そういうわけで、酒は飲んでいないが飯は食って来た日、21時前に家に帰って来てから、ちびちびと酒を飲んでいる。こういう作業をするといつも思うが、万が一俺が今の仕事を失っても、土木作業だけは務まる自信がない。土日だけ(今回は日曜だけ)でもつらいのに。西原村では、明日にでも桜が咲きそうなくらいつぼんでいた。そして、シロバナタンポポは絶賛満開中。
2018年03月18日
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意味がわからないタイトルから始まってすまない。悪天候で延期された西原村(熊本県阿蘇郡)の野焼きが、一週遅れで今日村を挙げて行われた。まずは軽トラの荷台(公道ではなく牧場内)に乗り火入れ地点に向かうが、今朝はいい天気だった分放射冷却で寒かった。俺はこの2年間散々西原村内をうろうろしたと思っていたが、西原村は麓の人が住んでいるところよりも、その上の阿蘇の外輪山の農地(放牧地)方が広くて、ここはもう普段はチェーンが掛かって閉鎖されている場所で、俺の知らないディープな西原村へ連れて行ってもらう。一部の人々から「不二子ちゃんの○っ○○」として有名な一ノ峯(左858m)二ノ峯(右870m)を見ながら、さらにその上に行き冠ヶ岳(1154m)まで上がる。寒いので早く火を入れてほしいのだが、どうも朝露で草が濡れているので、火入れを躊躇していいたらしい。実際9時半に火が入ってもあまり燃えはよくなかった。それでも陽が昇るとともに燃えもよくなって、徐々に下りながら午前中に二ヶ所を燃やし、お弁当を食って昼からさらにもう一ヶ所を燃やしていたら、遠くで消防車のサイレンが聞こえる。下界はいろいろ大変だなと思っていたら、そのサイレンが段々近づき、その上にはもう今日野焼きが行われている農地しかない俺の前を、消防車やパトカーが掛け上って行く。その頃には俺たちにも情報が伝わり、どうも「燃えてはいけない場所」が燃えてしまったらしい。俺らは地元の方の指示の元に動いていたが、急きょその現場に「応援に行く」ことになった。もちろん地区は違えども、同じ村内だからこんな時は助け合うものだろう。と言っても最前線には消防が入っているので、俺らが火事の現場でたよりない火消し棒で火を消すわけではないのだが、本来は車両進入及び駐停車禁止の道路に多くの消防車やパトカーが駆けつけている。そして、この左側の牧草地は、今から火が下りてくるんだよね。こんな至近距離で燃えたらパトカーや消防車に火が移りかねん。しかもこの前後は緊急出動の車両が数珠つなぎになっていて、いわゆる雪隠詰め状態になっている。俺たちは車両に火が移らないように警戒していたが、先日作った火消し棒は、立派なものを作った割りに最終的には使わずに済むのが理想だったが、これでもかと火を叩きまくることになる。上から下りてくる火を待っていると、下手したら数百メートルの火といっぺんに闘わなくてはならなくなるので、先に手前からから火を付けて燃える場所を管理しながら、この狭い範囲を車両をあっちこっち移動させて火の強い場所から避難させ結構大変だった。ちなみにこの現場は二ノ峯で、不二子ちゃんの「お○ぱい」は真黒になった。(手前<中心>は一ノ峯で、その右隣に二ノ峯。)そんなこんなで去年に比べてだいぶん時間は掛かったが、得難い経験をさせてもらった。さらには大きな声では言えないが、今日はもう一ヶ所で「ファイヤー」になり消防・警察が出動したらしい。夕方村の市街地まで下りてきて、復興市場萌の里(仮設)で、いちごとミルクのソフトクリーム(税込300円)を食う。今日は7年目の3.11だよね。仮設住宅に住まわれる住民さんが「せめてものイベントをやりたい」とのことだったので、キャンドルを会場にセットするまではお手伝いしたが、火を入れるところまで付き合うと、鎮火片づけ後に帰宅だと下手したら今日中に帰れないので、そこまでで帰宅した。
2018年03月11日
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昨日はガッツリ土木だったが、今日は朝から竹を切りだし、林の中に入りツタを採取する。切りだした竹を4mくらいの長さに揃え、頭を6等分に割り、踏みつけて仮に太めのツタを通し、とりあえず割った竹を広げる。これはまだ仮の状態で、ここから各人が好みにツタを編み込むのだが、見た目は大きい方が立派に見えるが、4mの青竹はそもそも重いのに、太いツタを広く長く巻き込むとさらに重くなり実用には向かない。俺が作ったのは真ん中の一番頭が小さいやつ。ちなみに1月の終わりに、わざわざ阿蘇内牧の阿蘇グリーンストックに行ってもらって来た見本はこれだが、頭は小さいでしょう。そういうわけで、阿蘇の3月といえば野焼きだ。今年は3月4日に行われるらしい。去年は急きょ参加することが決まったので、野焼きの必需品火消し棒は、グリーンストックのお古をもらって来た(必需品と言っても、村の人はその辺でへし折った枝を使っていたりする)。俺は単純に今年もお古をもらえばいいと思っていたが、1年経つと竹もツタも乾燥しきって燃えやすくなるので、本来火消し棒は毎年作るものらしい。ちなみにグリーンストックの火消し棒は、講習会の実習として作るのだが、その他に阿蘇地区の小学生が毎年ボランティアとして作ってくれ、作ってくれた子の名前だけではなくメッセージまでも入っていたりする。九州は去年、九州豪雨・さらには台風18号と大きな被害を受け多くのボランティアを必要とした。熊本地震以来西原村を支援していた俺らのメンバーも散り散りになり、今年の野焼きに参加するのは、今のところ今日の火消し棒作りに参加した4名ほどなのだが、急きょお客さん(そもそも俺らがお客さん)が来てもいいように、10本の火消し棒を作った。屋根に上るのもボランティアとしては危険だが(そもそも市町村のボランティアセンターは屋根には上らせない)、野焼きはその一段増しで危険だ。危険だからこそ阿蘇グリーンストックは、丸一日掛かる講習を受けないと野焼きのボランティアに参加できない。それでも過去に不幸な事故は起きている。俺らは去年もやっているから、一応経験者を自称しているけれど、野焼きだけはなめたらやばい。
2018年02月18日
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この風習は日本全国にあり、その地方ごとに呼び名が違っていて、俺の住む周りだけでも「どんど焼き」「佐義長(さぎちょう/さぎっちょ)」「ほうげんきょう」と言われるが、熊本では「どんどや」と言われているようだ。(去年も書いたが、去年のどんどや支援の帰りに、熊本の民放ラジオでパーソナリティが「どんどや」と言っていた。)今日は西原村でそのどんどやのお手伝いだった。なんか燃やすことがメインで、しめ縄や松飾りがあまりないのはご愛敬だろう。(青竹の爆ぜる音に邪気を払う意味もあるらしい。)そして去年もこの光景を見たのだが、それぞれが餅を持ち寄って、どんどやの火で餅を焼くのが定番のようだ。(今日聞いたところでは、熊本市内にはこの風習はないようだ。)こうして焼いた餅を自分や家族で食べるわけではなくて、皆さんに振舞うのが楽しみのようなんだよね。もちろん俺もいただいた。この他にも豚汁やらBBQやら散々いただいて腹いっぱいだが、この後帰宅のための運転があって酒は飲めなかったので、家に帰って来てだらだらと飲んでいる。
2018年01月21日
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俺のブログは毎年12月30日は餅つきだ。今年はすでに12月の初めに一回餅つきをしたので、2回目の餅つきになる。今日話題になったが、もう25年くらい俺たちは餅つきを続けているらしい。当然俺たちも25年分歳を取るはずで、高齢化の波に抗えず、数年前から最初の蒸したもち米を擦る工程は、餅つき機に頼っている。今年は蒸すところから、その餅つき機で捏ねる塩梅を担当していたので、若い人が搗く時には軽く、子どもや高齢の方が搗く時には、少ない労力でそれなりに仕上がるように、ほぼ餅になるまで調整していた。もちろん俺も搗くが、俺らは自称「餅つきの段位持ち」なので餅つき機に頼らず、初めから臼と杵で搗き上げる。餅つき機を使わないと、確かに餅の仕上がりに粘りがあって、いわゆるいい餅になるが、それが誰の餅箱に入るかは運だから。俺はただの参加者だけど、主催者家族は毎年大変だと思う。かしわ飯のおにぎりや豚汁だけではなく、バーベキューやチーズフォンデュまがいのものまで用意されていたのだから。食い過ぎて腹いっぱいで、晩飯は食えそうになく、家に帰ってだらだらと酒を飲んでいる。
2017年12月30日
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昨日は「今日はガッツリ土木だ」と書いたが、昼から雨の天気予報に大したことは出来ずに、以前自分たちがした仕事のメンテナンスで村内を走り回る。14時前には雨が降り出してそれも終了したが、その最後のお宅から帰ろうとすると、家の方に声を掛けて作業をしていたわけではないのに気配を感じられたようで、みかんを袋に入れて出て来られた。ご挨拶をするとお礼を言われ、みかんをどうぞとおっしゃる。たいしたことはしていないし、もちろん遠慮するが、「時々見に来てもらえるだけで心強い」と言われる。それはたぶん本当のことだと思うんだよね。崖や擁壁は生命の危険があるからだろうが、公費で補修してもらえるはずなのだが、地震からやがて2年が経とうしているに、まだいつ順番が来るかさえわからず、頼りないブルーシートが掛かっただけの状況だ。崖上の方も崖下の方も余震や雨が降るたびに心配なはずだ。さて話は変わるが、14時からは結構しっかりと雨が降って作業が出来なかったが、ちょっと用事があったので久しぶりに西原村をはじめ近隣のペットを保護している西原しっぽ村へ行く。前にも書いたが、「しっぽ」は現在、菊池市を拠点に近隣の犬猫を保護している。犬は2頭しかいなかったが、猫は40頭を超えるらしい。2階は猫のフリースペースだが、階段を上る音で猫が集まってくる。ここの猫はさすがに人に慣れていて、俺の膝の上でくつろぎやがる。フリーに動けるのは、ウィルス検査を受けワクチン接種をした子たちだが、中には俺みたいに社会生活が苦手で自分の殻(ゲージ)に引き籠っている子もいる。大人猫はもちろん、子猫の保護も多いようだが、子猫はウィルス検査やワクチン接種も出来ていないため、保護された単位ごとにゲージの中にいた。大人猫はともかく(「しっぽ」に頑張ってもらうしかない)、子猫は里親に巡り合えればいいね。この子たちは直近捕獲で、子猫部屋にもまだ入っていない子たち。
2017年12月10日
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今日は熊本県西原村の仮設住宅で餅つきのイベントだったのだが、企業が持ち込む企画だし、団体も参加するとのことだった。もちろん住民さんも主役として参加されるから、俺は必要ないだろうと判断していた。ところが金曜の夜に突然参加要請の電話が鳴った。災害派遣等従事車両証明を取っていなかったので、土曜日の午前中に15kmを走って、昼から実家の用事をこなしてから、下道で熊本に向かう。餅の丸め手(女性)はたくさんいらしたが、搗き手はほとんどいなくて、やっぱり行ってよかったと思う。というか、相変わらず最初から最後まで「返し」をしていた。餅搗きならまだなんとかなっても、返しは経験がないと厳しいもんね。ご存じの通り俺は餅つき3段(自称)だから。その後、雨どいの不調を一件こなし、移築に備えて蔵の解体という案件に向かう。このお宅の母屋ははっきりと文化財なのだが、蔵は文化財とまではいかないらしいが、それでも貴重な物なので、解体移築ということになったらしい。俺は写真を撮らなかったので、よその画像を借りてくる。今日は瓦を下ろすが、この屋根が急こう配で結構怖かった。俺は屋根に上るのはボランティアの範囲を超えると思っている。自分の身の安全は当然自分で守るべきなので、出来れば屋根の上はお断りしたいが、そんなことを言っていたら作業が進まないんだよね。帰りも当然災害派遣等従事車両証明書がないので、途中まで下道を走り、熊本が終わる頃(菊水IC)から高速道に乗り、都市高速は使わずに、太宰府ICからも下道を走って帰宅する。
2017年12月03日
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数日前に某ブログで話題になった500円玉貯金だが、今日貯金箱を買って来て、初めの一歩を踏み出す。満タンで30万円入るらしいので、500円/30万円=1/600だね。なんでもそうだけど、たとえ遠いゴールだとしても、一歩目がなければ永遠にグズグズしているだけというのを、俺は自分のマラソンで教わった。資金や大会スケジュールのあてもなく、子供みたいに無邪気に47都道府県で走りたいと思ったが、気がついたら今週末の小豆島で、半分超の24道府県を走ることになる。この歳だから、そしてこんな世の中だから、明日は何が起こるかわからないんだよね。事件事故に巻き込まれるかもしれないし、これまでの不摂生を考えれば、どんな病気を発症してもおかしくはない。でも、もし明日俺の人生が終わったとしても、「後24都府県(明日だとまだ残り24)も残っているのに」ではなく「23回も楽しかったな」と思うだろう。この500円玉貯金が満タンになるのが3年後なのか5年後なのか、はたまた10年後なのかは俺にもわからない。運よく生きているうちに満タンに貯まったら、北海道のいとう君に会いに行くための、もしくはNZのスチールヘッドに会いに行くための資金になる。今夜は昨日作ったイカと里芋の煮物の残りだが、ちくわの在庫があったのでプラスして煮込む。酒のアテに買って来た惣菜のフライ残りをキャベツの千切りの横に飾る。汁椀の用意もしたのだが、今夜はそこまで欲さなかった。
2017年11月21日
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先週はキャンプだったので(キャンプからもう一週間も経つのか)、今日は2週間ぶりの九州豪雨の災害ボランティアだった。この2週間のうちに現場が変わったというか、元に戻ったというか、見なれた現場に戻ってきた。いろいろと言っている場合ではなく、今回の九州豪雨に於いて東峰村では、3人の方がお亡くなりになったが、うちお二人は今日の現場のお向かいのお宅の方だったらしい。それだけの厳しい現場で、今日は7月5日の九州豪雨発生以来ちょうど一カ月になるので、新聞やテレビの取材陣が大挙して押しかけていた。俺は直接聞いていないのだが、そのうちの新聞のクルーが、現場の状況を「撮影させてください」と家主さんに申し込んだが、一瞬で断られたらしい。聞いても書けないことは多々あるが、このお宅は本当に命からがらで、ご家族のうちのお一人はまだご入院中らしい。そんな状況では俺も写真を撮る気にはならず(元々撮らないが)、今夜貼り付ける写真はない。ただ、二階建ての住宅と思われる現場で、不安定な屋根の上に乗って作業をしていて、ふと足元を見たら車のマフラーが見えた、どうやら俺はひっくり返った車の上で作業をしていたようだ。明日は台風の影響で、東峰村の災害ボランティアセンターも災害がれきの集積場も閉鎖される。ところが、本格的に雨が降りだす前にやっておきたい作業があって、明日もメンバーは活動するらしい。一方、熊本県阿蘇郡西原村も、台風に備えて、ブルーシートの張り替え等の作業が必要だ。俺は明日は西原村へ向かう。まさかそうなるとは思わず、災害派遣等従従事車両証明を東峰村(土日)二往復で発行してもらっていた。まあ、それは自腹でも仕方がないかなと。今日は東峰村宝珠山サテライトで、活動終了の15時過ぎに「そうめん」「揚げパン」「かき氷」のボランティア向けの炊き出しがあったらしいが、俺たちが明日の雨も頭に入れて活動を終えたのは、18時過ぎだった。家に帰ると20時を大きく過ぎていたので、帰りにスーパーで、酒のアテの刺身の切り落としと弁当を買って来た。今日はこれで精いっぱいだが、明日の俺に期待。そういえば、「MっちMちお」さんからお中元にということで、マスクメロンをいただいた。網目メロンなんてめったに食わないから、食い時の確定が難しいが、実家ともやいにした。こんなことしなくていいのに「もっ○もち○」君。
2017年08月05日
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今日二日目の朝飯も当然小学生が作る。 まあ、俺もネギなんて丁寧に切るわけではないから、人のことを言えた義理ではないけれど、 小学生男子らしいネギの切り方だ。
2017年07月30日
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今日から2泊のキャンプだが、初日はもちろん小学生が作ったカレーだ。 今年のカレーが格別に美味いと思うのは、この数週間のカレーの誘惑に負けず、食うのを我慢したからかもしれない。 大きな事故もなく一日目が終わろうとしている。子ども連れて肝試しの出発地点に行ったオヤジ(師匠)の目を盗み、ゴール地点で待機の俺はビールを一本飲む。 後2時間もすれば堂々と飲めるのだから、今飲まなければ我慢できないわけではないが、オヤジの目を盗んでビールを飲むのは、俺とオヤジの間のゲームだから。
2017年07月29日
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今日も東峰村災害ボランティアセンター 宝珠山サテライトでの活動だった。今日は自分が所属するチームとお客さんの両属みたいな感じで(わかりにくいがあまり書けない)、昨日に引き続いて遊撃的な動きをする。ところが9時過ぎに急きょ、昨日今日の相棒が「一般ボランティアが入れないやばい場所がある」との電話で引き抜かれてしまう。それでも、午前中にハードな現場を一件、昼からは朝飯前の(朝飯どころか昼飯まで食った後が)現場を一件終わらせて、最後の現場に取りかかったが、14時40分に東峰村全域に大雨警戒による避難勧告が、東峰村でも比較的麓側に(ほぼ全てのボランティアが帰宅するには麓側へ向かう)避難勧告より一等上の避難指示が出された。メンバーが自分のチームならば無視するが、お客さんと一緒だし、依頼者さんが俺たちの安全を心配されるので、無念の撤退を決める。大げさに書いたが、もちろん明日以降天候が回復次第、別のチームが入り俺たちのやり残しを仕上げてくれるはずだ。今夜は昨日炊いたかしわご飯に、昨日作った「ピーマンに肉詰め」なので、書くことがなかった。添えらたトマトは、最後の継続になったお宅からいただいたもの。
2017年07月17日
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昨日、熊本地震は何一つ片づいていないと書いた。その舌の根も乾かぬうちに、今日は福岡県朝倉市の水害の現場に入る。昨日から今日は朝倉に行くことは決まっていたのだが、昨日のエントリーは自分の軸足を忘れるなよという、自分自身への戒め。昨日の日田市の災害ボランティアセンター開設に続き、今日は朝倉市のボラセンも開設の予定だったが、雨により明日に延期されたらしい。今日、熊本から大分県日田市を抜け朝倉市に入る間、ずっと雨が降っていたからね。今日はボラセンのニーズではなくて、先行して入った仲間の応援だった。いつも書いているが、俺には俺のポリシーがあり被災地の写真は撮らないが、5年前の八女の水害を思い出しても、(地震と違い被害地域は局地的だが)被害は大きそうだ。個人のお宅の泥をかき出し、表の国道の脇に運び出したが、途中からは掻きだした泥が、交互通行が必要なほど道路を占拠した。そこで俺は作業を止めて、自衛隊の方と一緒に交通整理をしていた。通行止めの規制内での話だから許されたのかも知れないが、ガードマンでもない俺が勝手に交通規制をして、赤色灯を回すパトカーを止めるのは、、なんらか言われるのではないかと気が引けたが、現実に交互にしか通行できないので仕方なく止めてドキドキしていたら、逆方向から走って来たのも警察官が乗った車両で、双方から敬礼されてなんかばつが悪い。
2017年07月09日
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確か日田市の災害ボランティアセンターは、今日から開設されたはずだが、当分は県内居住者限定だったと思う。 もちろん、行けば受け入れてもらえるだろうが、ルールを破ってまでボランティアでございと我を張る必要はない。 一方朝倉市や東峰村は、まだ人命救助やライフラインの確保の段階で、一般ボランティアが二次災害をかえりみずに突っ込む場面ではないだろう。 そういうわけで、俺は今週末も熊本に行く。 人は新しい場所、陽の当たる現場に目が行きがちだが、熊本地震もまだ何一つ終わってはいない。 今日は先日の台風で飛んだブルーシートの張り替えだったが、一階の屋根ならばまだしも、二階の屋根の上は遠慮したいのだが、二人しかいなかった。 屋根瓦の上に脚立って、素人にはハードルが高すぎるだろう。
2017年07月09日
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昨日は屋根の上で、無理な姿勢で作業をしたし、なにより足元を間違えないように踏ん張っていたので、昨日現場にいる時からふくらはぎが攣り気味だったが、屋根の上で脚が攣ったらシャレにならんと思う余裕があった。昨日は疲れていたしそのまま寝たが、今朝起きたら両腿がはっきりと筋肉痛だった。普段から5階までは階段を使うようにしているが、今日は一段一段が結構しんどかった。夕方腹筋をしようとした時も脚が上がらず、元々腹筋が嫌いな俺は、今日はお休み。今日は走る日だが、この状態で走るべきかも少し考えたが、明日は昼から天気が悪そうなので、スピードは譲るので週間ノルマの1/3(14km)は稼いでおきたい。1Kmを5分30秒ペースで走りだしたが、右は大腿の前部が、左は尻から太腿に掛けての後ろが痛い。たぶん屋根の上で同じ姿勢だったので、左右の痛みが違うんだろうね。折り返して少しペースを上げたが、ゴールしてタイムを読むと1Km=5分5秒程度だった。まあ、今夜は走りさえすればいいのよと自分を慰める。今夜は走ること優先で買い物に行っていないので、在庫の充填豆腐に、塩昆布とゴマ油の冷奴で、走ったのでビールから飲み始める。冷凍していた豚バラを解凍して、キャベツとタマネギを切っていたので、これを炒めて、塩コショウを打ち、火を止めてから豆板醤を絡める。やっとプチトマトが収穫出来るようになった。きゅうりも一本収穫した。今夜は汁椀代わりにそうめんでも湯掻こうかと、きゅうりとプチトマトを用意していたが、そこまでは欲さず、きゅうりとトマトは生野菜として登場する。昨日コメント欄にもらった瓦のビス留めの話だが、一番下と両端の列のビス留めは知っていたが、瓦一枚一枚にビスが打ってあるのは珍しかったので撮影していた。
2017年06月19日
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朝書いた通り、今日は2階建ての納屋の屋根の上だった。熊本地震で、納屋自体はつっかい棒を何本も入れるくらい傾いているのだが、奇跡的に瓦は一枚も落ちなかったので、出来れば建て直す納屋に瓦を使えないかというご依頼だった。いわゆる市町村のボランティアセンターならば、これだけ傾いた建築物に立ち入るのも、屋根に上ることも禁止だろうが・・・屋根に上がってわかったが、瓦一枚一枚がビス留めされていた。だから地震で落ちなかったのだろうが、そのビスを一枚ずつインパクトで外していく。おっさん5人掛かりで瓦を下ろすが、下ではボランティアの大学生が積み下ろしてくれた。今日は快晴で、依頼者さんが何度もペットボトルの飲料を差し入れしてくださったが、たぶん一日で2ℓ以上飲んだと思う。さらには11時半頃アイスクリームをいただき、普通は昼食前なので遠慮をするべきところだろうが、このアイスは本当に生き返った。こちらのお宅を14時くらいまでやって、次のお宅は、葺き替えのために屋根から落とした瓦拾いだった。瓦拾いは震災直後に散々やったが、もちろんそのニーズは今でもある。
2017年06月18日
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♪ この街を行けば~ いや、遊んでいる場合じゃなくて、150Kmもあるんだから、早く帰らなきゃ。
2017年06月14日
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土曜はほこりにまみれての現場仕事だったが、日曜は一転イベント支援だった。と言っても俺たちはいつもの駐車場係。今、西原村で駐車場誘導をさせたら、俺たちの右に出る者はいない。だって、自分が住む市の市長のファーストネームも知らないが、来賓用に誘導すべき西原村の村長は、遠くから車を見ただけでわかるもん。日曜のイベントは(木工)おもちゃのイベントで、驚くほど盛況だった。駐車場が一段落した後は、木工の補助をしていたが、俺が一番びっくりしたのは、16時の終了時間になり片づけが始まった途端、今まで遊んでいた子ども(未就学児やせいぜい低学年児)が一斉に片づけ出した(片づけに参加した)ことだ。俺は残念ながら子どもも孫もいないが、子どもってこんなに聞き分けがよくて積極的だっけ?ところで土曜の話に戻るが、今も西原村で活動をしているメンバーで、俺が一番スキルが低いという話は何度も書いた。しかし現場で「あれは出来ない。これはやったことがない。」と言っている暇はなく、トラック結び(南京結び)は見よう見まねで覚えたし、刈払機も一度も使ったことがなかったのに、あたり前のように使っていた。土曜はトラクターを移動させなければ先の作業に進めず、うむを言わさず運行したが、俺の持つ免許で、このサイズのトラクターを運転できるかは知らない。言っても、車庫から私道を経て畑までの数十メートルで、公道には出ていないが。
2017年06月11日
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どんだけ草を刈りたいの。
2017年05月27日
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昨日はイベントの手伝いだったと書いたが、村長や熊本県の副知事等が参加する、西原村のこの一年・今・これからを考えるちゃんとしたイベントで、俺等は会場設営や駐車場の誘導を手伝うつもりでいたのだが、第二部のテーブルディスカッションには、なぜかテーブルにいて、偉そうに思いを語っていた。今朝も書いたように、今日は一転土木作業だった。今日はまず3人で作業を始め、すぐに一人応援に駆け付けてくださり、さらには昼前にもう一人応援に来てくださった。その誰もが今日自分がやるべき作業を理解していて、出来上がりもイメージ出来ていた。まずはタイヤを大小20本用意して、公園の隅に次々穴を掘って行く。穴を掘ったら深さや方向を合わせてタイヤを埋めこみ、仕上げに色を塗る。俺らは「馬飛び」と言いながら作業を進めたのだが、出来上がってから「馬飛びって、人の背中を越える遊びじゃない?」と疑問が提出され、誰かが「だったらタイヤ飛びじゃない?」と言いだしてネットで調べたら、まさしく「タイヤ飛び」だったらしい。しばらく前に別なところで書いたけれど、今日俺らがやった仕事を「災害ボランティア」と書くと抵抗がある人もいると思う。「災害ボランティア」は災害時に駆けつけ、がれきの撤去や、立ち入り困難な住宅に入り家財を運び出すようなイメージしかない人は結構多い。災害「復旧」ボランティア(の一部)は確かにそんなイメージかもしれない。しかし、子どもが遊ぶスペースが出来、子どもたちが笑顔で遊んでくれるならば、それは地域の「復興」であろう。今もしつこく西原村に携わっているメンバーに、「復旧」だとか「復興」だとか、目的が「非営利」とか「営利」等の区別はないんだよね。だからこそ、公営の災害ボランティアセンターが閉鎖されても、自主的に集まるのかもしれない。今日も作業をしながら話していたが、明日以降たまたまここを通りかかった時に、子どもがこの遊具で遊んでいたら、俺らが胸アツだろうね。それが見たくて俺らを奮い立たせる。昨日から明らかに食い過ぎでオーバーウェイトだったので、今夜はご飯を炊かずに、前にサカエさんからいただいていた、半生麺の味噌煮込みうどんを作る。具は、卵と酒のアテの残りのごぼう天(さつま揚げ)にニンジンとスナップエンドウ。キャベツとタマネギにニンジンのザク切りサラダにハムを添える。
2017年05月21日
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今日も熊本西原村でガッツリ働いた。 明日は活動がない予定だったので、そのまま熊本泊で、椎葉村まで渓流釣りに行こうかと用意はしていたが、今日運び出した震災ゴミが、今日は祝日で集積場が休みのため、軽トラ5台に山積みになっている。 明日は普通の土曜日なので、震災がれき仮集積場が開くらしいので、その運び込みをする。 今夜はボランティア用簡易宿泊施設泊だが、晩飯までの一時、ウッドデッキで有明海を挟んで長崎まで一望の絶景を酒のアテに、 ビールを飲む。
2017年05月05日
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熊本地震から丸1年が過ぎたが、「震災以来初めて人が入る家」というのはいまだにある。復興のスピードは人それぞれで、心が折れてしまって家のことは考えずに来たが、解体しなければならなくなり、やっと災害ボランティアの存在を思い出してくださる方もいらっしゃる。昨日はそんな過酷な現場で、3月のイベントの時に一緒に活動した高校生と働く。常々書いているように、どんな瞬間でも経済を回していなければならず、特に熊本県は観光立県なので、遊びに来てくれる人こそ必要で、ゴールデンウィーク期間中は熊本に限らず日本中で遊びまわってほしいが、そのゴールデンウィーク期間中に災害ボランティアに来て、とびっきり過酷な現場で働く高校生は、自分が高校生だった99%エロしか考えていなかったころと比べると、単純にカッコいい。陽が長くなってきたので、オヤジ組は結局18時半まで作業をして、それから帰宅したのは20時を過ぎていた。最近寝ていてのこむら返りがなかったので、体重を3kgほど増やしたこともあって体調がいいのかと思っていたが、昨夜は久しぶりに両脚とも時間差でこむら返りに遭う。たぶん、それほどの疲労だったのだろう。
2017年05月01日
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今日は祝日だったので、公式なボランティア活動はなく、いわゆる野良(勝手)ボラ。 今まで車中泊や簡易の宿泊施設泊が続いたが、季節もよくなって来たので、 たぶん秋以来になるテントを設営した。 誰かがギターを弾き出して、今夜はフォークソング大会というか、 昭和歌謡大全集。 だって、いまでもしつこくボランティア活動に集まってくるのは、若者ではなく、おじさん・おばさんばかりなんだもん。
2017年04月30日
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熊本地震で震度7を記録したのは、阿蘇郡西原村と上益城郡益城町だった。 益城町の災害ボランティアセンターは去年の4月22日開設らしいが、それから一年、昨日(土)が益城町のボラセンの最終日だった。 いつものメンバーのほとんどは、最後の記念に益城のボラセンに行ったようだが、俺は西原村と寄り添うと決めているので、西原でイベントの手伝いだった。 西原村のボラセンの開設は4月29日だが、俺が最初にした仕事は、受付台もなかったので地震でガチャガチャになった事務所に分け入って、受付台になりそうな机を運び出すことだった。 その後「駐車場の混乱を解消するために誘導を手伝って欲しい。」と声がかかり、正直災害ボランティアには程遠い仕事に一瞬躊躇したが、仕事を選ぶくらいならば、家でテレビを見ていたほうがましと思い直して手を挙げて、昼前まで駐車場の誘導をしていた。 なんでそんなことを思い出したかと言うと、昨日もずっと駐車場の棒振りをしていたから。 もちろん、一年前の地震直後の村と、昨日のイベントでは雰囲気というか、空気感が180°違い、昨日は手作りの小さなイベントで腹一杯飲み食いした。 打ち上げまで参加させてもらったが、 (許可を得ていないので、顔は写っていない。) イベントの出演者の著名なサックス奏者が、即興で吹いて盛り上げてくれた。
2017年04月23日
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まだ年度初めすぎて、仕事は忙しくない。昨日のことだが、午前中には一件しか仕事がなかった。街の中にしては近くに60分100円のコインパーキングがあり、そこに車を止めて客を訪問したが、商談を終えて車に戻ってきても、まだ30分しか経っていなかった。仕事は暇だし、どうせノルマは歩かなければならないので、コインパーキングに車を止めたまま30分散歩をした。桜を愛でつつ、六本松から護国神社と福大大濠高校の間を通り、長期休業中の福岡市美術館の横を抜け大濠公園に入り、福岡管区気象台の横から出て来た。大濠公園はランニングのメッカだが、平日の午前中にも多くのランナーが走っていた。そして春の陽気に誘われて、多くの花見客(宴会客ではない)がいらっしゃったが、福岡管区気象台のソメイヨシノの標準木には、ほとんどの方が気づかずに通り過ぎていた。ただ一人若い女性が、それが標準木であることを知っていたのだろう、何枚も写真を撮っていた。まあ、標準木と知っていながら、さらにはブログにそのことを書いたのに、面倒くさくて写真を撮らなかった横着者もここにいるけれどね。昨日すでに標準木は満開だったので、今日の雨と嵐で散っているだろう。今夜は昨日作ったイカと里芋の煮物の残りがおかずなので、特に書くこともなかった。今夜こそ汁椀をと思ったのだが、今夜も呑み過ぎてしまう・・・
2017年04月06日
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気がつけば明後日はもう来年度だね。熊本地震に於ける「災害派遣等従事車両(高速道路の無料通行)」は明日3月31日までだったが、昨日になってやっと6月末までの再々(くらいかな)延長が発表された。いつもギリギリなんだよね。今回は署名集め等延長に運動された方もいらっしゃって、おかげで俺も今日4月1日分の証明をもらいに、地元の役所へ行って来た。災害派遣等従事車両は災害ボランティアだけのための制度ではないのだが、延長されたということは、熊本の復興にはまだまだ人手が必要だということなんだと思う。ついでに、ボランティア保険も4月1日が切り替えなので、市の社会福祉協議会に寄ってきた。ボランティア保険の保険料が、来年度(明後日)から若干上がっているのは知っていたが、去年は熊本に始まって、鳥取地震、東北・北海道の豪雨等災害が続いて、災害ボランティの活動数が多かったので、それにつれて保険請求も多かったのかと思ったら、社協の職員曰く「(災ボラに限らず)ボランティアが全体に高齢化しているから」とのことだった。そういえば、俺がこの一年見て来た災害ボランティアも、当然若い方もたくさん頑張っているが、長期に渡り辛抱強く闘って来たのは、仕事を卒業された年代の方が多かった。さて、実は最近朝のウォーキングをしていない。久しぶりにちょっとまとまった量を書きたいと思っているのだが、夜は酒を飲むから書けないんだよね。酒を飲んで書くと「行け行けどんどん」になるか、逆に「ヒュルリ、ヒュルリララ」(越冬つばめ/石原信一)になってしまう。俺の仕事は昼間もずっと忙しいわけではないから、昼に1~2時間空くこともあるが、書いていて途中で電話が掛かってくると、これがまた前後でテンションが変わってしまう。一番クリアに頭が動くのは、やっぱり朝起きてすぐなんだよね。目覚ましが5時20分に鳴るが、それからコーヒーを淹れつつWebをチェックして、6時前から1時間ちょっと書いている。(正確にはキーボードを叩いている。)まとまった量を書くのは2008年以来で、その時に比べると調べ物をする必要もなく、書く量もかなり少ない予定だ。2008年に書いたのは、俺のメインテーマではないのだが、その隣接というか発展で、今もWeb上に漂っているが、アクセスカウンターもない無料のスペースなので、どのくらいの人が見ているのかは俺にもわからない。それでも時々(数年に一回)反応というかメールがあるので、誰も見ていないというわけではないようだ。そんな感じの地味なホームページなのだが、縁があって、とある団体の季刊誌に転載されることになった。という話をいただいただけで、実際にはまだ転載されていないし、今後どうなるか俺にもわからない。今回書きたい欲求は数ヶ月前からあって、まとめなければいけないとは思っていたが、その季刊誌に転載という話をいただいたのも、久しぶりに書かなければと思った一因かもしれない。書きたいと言っても、別に懸賞に応募するわけではなく、前のものはWebで公開したが、今回はその予定もなく、単なる俺の自己満足に過ぎないんだけれどね。今夜は昨日2本入りで買った大手羽の残りを塩焼きしたので、たいして書くこともなく、走る前にサラダだけ作ったというか千切ったが、昨日と同じレタスにオニスラと大根スティックのサラダを別盛りせず、大手羽の下に敷く。味噌汁の具も豆腐に変わったことが、書くべきことかもしれないが、汁に沈んで見えない。
2017年03月30日
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今朝、ボランティア受付カードに3月11日と記入するときに、さすがにいつもとは違う、身が引き締まる感が少しあった。 3月11日 熊本県西原村で。
2017年03月11日
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熊本を訪れたことがある人ならば、阿蘇の外輪山に広がる草原を目にしたことがあるはずだ。あれは基本的に農地(牧草地)として管理されている場所で、毎年春先に牧草の生育のために野焼きされている。俺がこの一年係わらせてもらってきた西原村は、今日が村挙げての野焼きの日だった。一昨年までの俺は釣り人として椎葉村(宮崎県)に向かうために、益城熊本空港ICで高速を降り西原村から南阿蘇村・高森町を抜けていたが、渓流解禁直後のこの時期は野焼きで道路が混雑するために、帰路は御船ICや松橋ICに下りていた。そんな俺も今年は野焼きに参加させてもらう。阿蘇の野焼きボランティアというと阿蘇グリーンストックが有名だが、その横でこの一年西原村で災害ボランティアとして係わってきた連中が、村民でもなくグリーンストックでもなく、なんとなくあたり前のようにそこにいた。話は変わるが、西原村の名物というか風景に、阿蘇の外輪山・俵山の中腹に広がる10基(だったと思う)の発電用風車がある。ところが熊本地震を受け、この風車は止められて、羽根に異常はないか、耐震性に問題はないか検査中で、再開のめどは立っていない。一番手前の風車の羽根が3枚、その左横に下ろされているのがわかる。聞いた話なので真偽のほどはわからないが、西原村は日本で唯一、発電用風車を上から見下ろすことが出来る場所らしい。といってもここは管理地なので、先の村の風車のホームページに書かれているように、基本は立ち入り禁止の場所で、教育用に申請しなければここまで上がることは出来ないようだ。ちなみにこの風車がどれだけ大きいのかを、地面に下ろされたナセルと、左端に写るトラックの荷台の大きさで計ってほしい。一旦一番高いところ(ほぼ俵山の頂上)まで登り、上から火を付けて行ったが、今日は逆風でゆるゆるとしか燃えず、一人に一本持っていた阿蘇地区の小学生がボランティアで作ってくれた、火消し棒も手持無沙汰だった。さてタイトルだが、男なら誰しも緊急出場(出動)する消防車のサイドや後部のステップに立ち、バーに颯爽と掴まる消防士の姿にあこがれたことがあるはずだ。まさかいい歳をして、その子供の頃の夢がかなうとは思わなかった。(赤色灯は回しているが、サイレンは鳴らしていない。)昼頃午前の部が終わり、午後からもあるとのことで、村の中心地に降りて飯を食ったのだが、昼からはたいした作業はなく、作業終了後に、たぶん地域の「ご婦人部」による手作りの、ちらし寿司に筑前煮とぜんざいまでふるまわれたが、昼飯を食ってすぐだったので、ちらし寿司は家まで持って帰って夕食となり、乾麺のそばを湯掻き、具が何もなかったので乾燥わかめを水で戻して使う。今日熊本で買って来たレタスに、在庫のオニスラのサラダを添えたが、これは結局腹いっぱいで食えずに、明日に回る。
2017年03月05日
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本日は野焼きボラ中。
2017年03月05日
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今朝6時過ぎに寒いが道路に雪はないと書いた。ところが7時に外に出たら、道路はアイスバーンで凍っていた。こちらは道路とは逆サイドの風景だが、阿蘇の外輪山の草原が広がる。洗面用具を車に積んだままだったので、車のそば(戸外)で歯を磨こうとペットボトルの水をカップに入れたら、即座に凍ってしまった。氷点下2~3℃ではここまで急激ではないから、それ以下の気温だったのだろう。結局10時過ぎまでここを動けずにまったりしていた。この宿泊先のマネージャーもボランティア仲間なのだが、朝飯を大盛りで出してくれた後、することがない俺たちを気の毒に思ったのか、きな粉餅やらお菓子やら次々にテーブルに持ってくる。朝から宿に缶詰の一歩も歩かないうちから、どれだけ食べたやら。さて、俺は参加していないが、年末にボランティアが大きなしめ縄と門松を作って、西原村の銀座通り(通称)に飾っていた。今日はもう活動はなかったのだが、西原村の何ヶ所かの集落でどんど焼をするので、このしめ縄と門松も焼いてもらおうと、撤去し、某集落のどんど焼会場に持っていき、焼いてもらった。しめ縄と門松を焼いてもらうことが目的なのだが、豚汁をいただいたり、写真はないが焼き肉をいただいたり、ぜんざいをいただいたり(餅ではなく白玉粉)、中越地震で大きな被害を受けた新潟県(旧)山古志村から西原村に贈られて来たお餅をいただいたり(丸餅ではなくて角餅なのが九州とは違って新鮮)、散々食ったり食ったり(運転があるので飲めなかった)して、一日遊んでいたが楽しかった。家に帰っても晩飯は必要なさそうで、とは言え酒はまったく飲んでいないので飲まずにはおれず、一昨日茹でていたブロッコリーの残りに、カチョカヴァロを乗せマヨネーズを掛け塩コショウを打ち、オーブン(本当はトースター)で加熱する。辛子明太子の在庫もあるので酒のアテに参戦した。走ってもいないのにビールがあるが、これはどんど焼の乾杯用。いただいたが運転があるので飲めなかったので、大事に家まで持って帰ってきた。今夜のブログタイトルは「どんどや」にした。俺が住む福岡では「どんど焼き(どんどやき)」と言われる。この行事は日本中で行われるが、他にも「左儀長(さぎちょう・さぎっちょう)」や「ほうげんきょう」と言われる。今日参加させてもらった集落では「どんどや」と言われていた。どうもこれはこの集落独特の言い方ではなく、俺のカーラジオにはいつの間にかFM熊本とRKKラジオが選局ボタンに加えられているが、帰りに聞いていたRKKラジオでも「どんどや」と言っていたので、熊本地方での呼び方なのだろう。
2017年01月15日
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西原村のボランティアは、今年になってすでに平日に一回活動しているが、俺は昨日が今年初の西原村だった。午前中に引っ越し2件と、昼からは他チームの応援で倉庫の片付けをした。熊本地震からやがて1年が過ぎようとしているが、追加で建った仮設住宅へやっと引っ越すことが出来る方もいらっしゃる。もちろん転居が今になったのは、仮設住宅の戸数だけの問題ではないのだろうが、熊本地震は過去のことではなく、それぞれの方のペースで復興の途についたばかりだ。さて、熊本は市内平野部でも今朝は氷点下の予報だった。西原村(正確には益城町)での車中泊はつらいだろうと思っていたが、仲間内の新年会とのことで、一応まがりなりにも屋根があるところで呑んで、布団で寝ることができた。ファンヒーターが3時間の自動設定で切れた瞬間に寒かったけれど。ここは標高600mあるらしく、下手したら積雪で昼ぐらいまで移動できなくなるんじゃないかと心配したが、今のところ道路に雪はないようだ。これは前回作ったやつではなく、その前に作られたものだけど、西原村の歩道脇花壇に飾られている竹細工のライトシェイド。
2017年01月15日
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熊本県阿蘇郡西原村の災害ボランティアセンターは先月末で閉鎖されたが、急に依頼者さんのニーズがなくなってしまうわけではなく、ゆるーく延長戦が行われている。何度か書いたが西原村と南阿蘇村を結ぶ県道28号バイパスは、俵山トンネルの内部と、その手前の大切畑ダム付近の陸橋の橋脚に熊本地震で大きな被害を受けたため、全面通行止め中だった。代替道路のグリーンロードは冬季凍結するため、今月中にバイパスの迂回ルート開設を目指して作業していたが、24日の通行開始前に、今週グリーンロードに冬用タイヤ規制が出た。昨日は久しぶりにその、迂回ルートを鋭意作成中の袴野地区に上がってみた。道路もすでに切り替わっており、開通を待つばかりだが、バイパスが復旧するまでの仮道らしいので、さすがに造りはちゃちに見える。(塩井神社から。被災地の写真は自粛してきたが、この画像は復興の象徴として。)昨日書いたように今日までは仕事があったが、基本的にこれが年内最後の仕事になろう。今日は竹を切ったり、その竹を割ったり、さらには曲げやすいように削ったりした。とりあえず下準備で、来週にはこれが形になるだろう。一日中竹を切ったり割ったりしていたが、かぐや姫には会えなかった。そもそもかぐや姫って、男を並べて無理難題を押しつける性悪女だし・・・
2016年12月18日
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明日も若干だが仕事があるらしいので今夜は熊本泊になる。 火を焚けるテント(インディアンテント)の中で反省会をしていたので暖かかったのだが、 車に戻ると寒かった。車の外気温計は3℃を指している。 今夜はさすがにテント泊より車中泊を選ぶ人の方が多いようで、今の時間みなさん車のエンジンが掛かっている。 俺もいつまでエンジンを掛けているべきか、まだ考えていないが、とりあえず暖をとる。
2016年12月18日
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長い間、西原村でボランティア活動をしてきた仲間が一人、今週末で活動を終えて帰って行く。 今夜は送別会だったので、俺も今夜熊本に入った。 散々呑んで食って今夜は雑魚寝だが、俺の横では今、いびきを掻きながら歯ぎしりしながら寝言という、一人三役というのか、芸当が繰り広げられている。 さすがにこれでは寝られないって。
2016年11月12日
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一昨日は雨の中、半袖で反省会(野外での飲み会)に出席していた記憶があるが、昨夜はkuniさんのコメント通り寒くて、長袖にウインドブレーカーを着ていても震えていた。 そういえば、しげさんのコメントで思い出したが、一昨日阿蘇中岳が、記録的な噴火をしたらしい。。 西原村は阿蘇郡とはいえ、中岳の西側になるので、意外にまったく影響や被害はない。 東側は九州内はもちろん、偏西風に乗って四国あたりまで火山灰が降っているなか、気にならなかったというか、噴火のことさえ忘れていた。 昨日は天候が回復したのでテントを張って寝たが、現在もテントごと飛ばされそうな勢いの強風が、思い出したように吹いている。 昨日の夕焼け空。
2016年10月10日
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カーラジオからスローバラードってか。 という話は置いといて、昨日の熊本は、昼から警報レベルの大雨の予報だったが、実際に西原村で降り出したのは夕方からだった。 活動はほぼ雨に降られることなく行えたが、夕方からは結構な雨量だったので、テントは張らずに車中泊だった。 夏の暑い時期に比べればかなり涼しくなって、昨夜はシュラフを枕にするだけではなく、ちゃんとその中で寝た。 今の時間もまだ雨は降り続いているが、8時過ぎには止み今日は晴れるとの予報だが、いかんせん雨が降ってテントも張っていないと、ストーブを使うことが出来ずに、コーヒーも淹れられない。 昨夜もテント村に収穫したてのアスパラガスがあって、酒のアテに美味しくいただいた。
2016年10月09日
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先日書いたビクトリノックスのマルチツールのベルトループケースの破損だが、その時に書いたようにすでに現行商品でなく、現行品はナイロン製はカタログ価格が2,000円(税抜)で買え、レザー製でさえ、カタログ価格2,700円(税抜)くらいであるのだが、ナイフをホールドする紐も付いていないし、画像ではよくわからないけれど、上のナイロンも下のレザーも、ふたがフックボタンで留めるのではなくて、マジックテープらしい。そんなおもちゃはいらんと、そこまでの情報を頭に入れて、いつもレザー製品のリペアを頼むショップに持ち込んだら、2,450円(税込)で直しますと言う。しかも前に財布の皮を張り替えてもらった時に、一気にポイントカードが貯まって、500円分の割引券として使える。1,950円(税込)で使い慣れた道具が直るのならば、悩むことはないと修理を頼んだ。一週間ほどで修理完了して、今はまた週末の俺の腰にぶら下がっている。外からは見えない部分だから、ステッチを入れて補強してもらった。(追加料金なしでしてくれた。)まあ、修理するのか新しいものを買うのかは、それぞれの人の価値観だと思うんだよね。俺は道具に魂が宿っているなんて思ってはいないが、だからこそ道具は最後まで使い切りたい。財布の表皮を張り替えたと書いたが、実は10,000円(税抜)の財布を、12,000円(税抜)掛けて張り替えた。昔は二つ折りの財布を尻のポケットに入れていたので、表皮はボロボロになるわ、クレジットカードはパキパキ割れるわ、かなり傷んでしまった。この財布はまだ現行品で、今でも10,000円(税抜)で買えるんだけど、リペアショップに見積りしてもらったら12,000円(税抜)掛かるという。ただ、同じようなレザーが手に入るか問屋に当たってみるので、一週間ほど財布を預からしてくれと言われた。そして数日後、ほぼ同じ皮が手に入りますと連絡をもらった。その瞬間、じゃあお願いしますと即決した。これが20,000円ならば少し悩んだと思うんだよね。でも、新品を買っても、手に馴染んで来るまで数ヶ月は掛かるだろう。今の財布がそのまま使えるのならば2,000円の差は安いものだ。張り替えが終わって手にしたら、まったく同じ手触りだったのでびっくりしたというか、張り替えてよかったと心底思った。上のビクトリと並ぶ財布を見てもらえばわかるけれど、表皮に比べて中は結構傷んでいる。中がダメになったらさすがに買い替えるけれどね。今夜は久しぶりに買った牛スジ天(さつま揚げ)と、昨日作ったがんもどきとかぼちゃの煮込みをアテに飲み始める。数日前に買ったカットネギがダブついているので、カットネギがダブついた時のお約束、ネギ卵焼きを作り、昨日の残りのキャベツの千切りとオニスラ。さらに昨日の残りのがんもどきとかぼちゃもおかずに参戦。ここにそうめんやそばは多そうなので、普通に味噌汁を作るが、具になるものが何もなかったのでタマネギを刻んだ。
2016年10月04日
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今日の熊本は、台風の接近に伴い雨の予報だが、今のところは、霧に包まれ雨気に満ちてはいるが、まだ降り出していない。 まあ、昨日も昼間散々降って、いつも活動中に履いている、釘の踏み抜き防止を入れたトレッキングシューズも濡らしてしまっている。 今日は長靴を履くしかないけれど、鉄板入りの長靴って運転しにくいんだよね。 なんてことを考えながら、夜明け前のコーヒーを淹れる。
2016年09月19日
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雨の中、車中泊かテント泊かだいぶん考えたが、最大二泊の車中泊はしんどいので、濡れながらテントを開く。 雨の中だし、酔っ払いだし、さらには暗くなってから、記事に貼りつける写真がなかったので、なんとなくテントの天井を撮ってみた。 ちゃんと写っているのかさえも、スマホの小さな画面ではわからないが。 とりあえず今夜は蒸し暑い。 さらには雨音がテントの天井を打つ。 まあ、車の中で寝ても、雨音はうるさいだろうが、とても今の俺は、 雨音はショパンの調べなんて言っている余裕はない。
2016年09月17日
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災害ボランティア中はいろいろなものを切ったり外したりすることも多いので、常時腰にビクトリノックスを、ベルトループに通すケースに入れて装着している。ちゃんと腰(横)で通していればよかったのだが、使い勝手のよさから前みつ(相撲用語)に下げていたら、重量物を抱えた時に、ちょうどそこに物が乗って下に押すような形になって、気づいたら外れてはいけないはめ殺しのリベットが外れていた。このケースやナイフそのものを、俺が何年使っているのかはよくわからないが、少なくとも25年、下手したら30数年は使っているだろうから、圧力が掛かった結果壊れたというよりも、経年劣化なのかもしれない。ビクトリのホームページを覗いてみたが、どうもこれはもう現行商品ではないようだ。ビクトリを裸で持ち歩いていたら、銃刀法で難癖を付けられかねないので、なんとか対策を考えなければいけないな。そういうわけで、今夜は19時過ぎに熊本から帰ってきて、テントを干して、洗濯物を分別して、食器を洗い、慌ててご飯を炊いた。冷蔵庫にタマネギとえのきだけに豚肉・卵があったので、単純に炒めて卵で綴じよう。キャベツも在庫があるので卵とじに加えるべきか悩んだが、それだと普通に野菜炒めになりそうだったので、キャベツは千切りにした。先日切った辛子明太子の残りを食う。ここに汁物も必要かと一応下準備をしたが、疲れていたので結局そこまでは欲さなかった。
2016年09月11日
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いまさらだけど、やはりテント泊と車中泊では、疲れの回復がぜんぜんちがうね。 そんなことを考えながら、コーヒーを淹れて飲む。ドリップオンだけど。 昨夜は23時のミーティング?終了後にブログを書こうと試みたのだが、睡魔にも酔いにも勝てなかった。
2016年09月11日
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そういうわけで、二泊でキャンプに来ている。毎年書いているが、この団体のキャンプの初日のメニューは、俺が小学校一年生の時から変わらずにカレー。実は右と左で鍋の大きさが違っていて、でも具材とルゥの配給量は各班とも一緒なので、管理が結構大変。まあ、味見も彼らがして、自分たちで美味しいと言ってるからいいんだけれどね。ちなみに美味しそうに見えても、小学生が食べるカレーだから甘口。公式には子どもの消灯までは禁酒で、オヤジ(オヤジが中2、俺が小1の時からの師弟関係)にバレると、俺でさえ小学生並みに怒られるのだが、そこをいかに目を盗んで一杯飲むかが楽しみで、肝試しでオヤジがスタート、俺がゴールと別れて待機した瞬間が、子どもたちもスタート地点にいるので、唯一かつ最大のチャンスだった。今は肝試しも終わって子どもの消灯待ちで、オヤジと明日の打ち合わせをしているが、一杯飲んでいるのがバレないように、向き合わずにオヤジの後ろに座って、肩ごしに語りかけ中。
2016年07月30日
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先週、土日は人手もあまりがちのようなので、災害ボランティアに一区切りをつけたいと書いた。 そうすると今週末からいきなり余裕が出来るが、そういえば渓流釣りは、解禁してすぐに一泊で行ったきりで、地震が起きてそれどころではなくなってしまった。 ただ俺はここ数年、椎葉村(宮崎県)でしか釣りをしていないが、福岡から椎葉へ行こうとすると、高速を小池高山IC(御船IC)で下りるのが一番早いのだが、一つ手前の益城熊本空港ICでも、一つ先の松橋ICでも10分も変わらないが、その三カ所というか、熊本南部はどこも被災地なんだよね。 ブルーシートの屋根が連なるのを見ながら、俺ごときでも出来る仕事があるのに、通り過ぎて釣りに行くのは気が引ける。 昨日の夜、走りながら死ぬほど考えた結果、今日土曜日は災害ボランティア活動をさせてもらった。 結構ハードなポジションを希望したので、頑張ったつもりだ。 そして今日の活動後、ボランティアキャンプ場に入らず、椎葉村不土野に移動してきた。 着いたのが18時頃だったので、今日はもう釣りはせずに、いつもの場所にテントを建てさせてもらって、地元(と言っても、不土野ではなく椎葉村の中心地)のスーパーで買った惣菜の唐揚げで一杯飲む。 明日は遊ばせてもらう。今日一緒にボランティア活動をした、明日も活動をされる皆さん、ごめんなさい、ごめんなさい。 タイトルは1ボランティア1フィッシングてことね。 まあ、災害ボランティア活動に一区切りをつけるといいながら、今週も結局活動したけど、しょせん自分の言うことに責任を持てない、いい加減な奴だから。 1人用(一応は2人用)テントなんて、ここ数年ほとんど使うことがなかったのに、最近毎週末テント泊だな。
2016年05月21日
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と言うのは、子どもの頃に散々教師に言われたことだが、アウトドアから帰って来たら(災害ボランティアをアウトドアと言っているわけではなく、テント泊のこと)必ずやっておかなければいけないことがある。前に渓流釣りに行って、疲れて帰って来てウェダー(釣り用の長靴)を洗って干すのを忘れて、そのまま車に入れっぱなしにしたことがある。しかもそれにも気づいたのは、翌週釣りに行ってウェダーに着替えようとしてからだった。カビだらけの湿ったウェダーを前にし、穿かなければ釣りが出来ないので、泣きながら穿いた。それ以来、アウトドアから帰って来たら、車の中の荷物を全部下ろすことにしている。今回はないが、ウェダーとシューズは水洗いして、テントはゴミを叩き、それぞれ干す。冷蔵庫に戻すものは戻し、洗濯ものと洗いものは洗濯機とシンクに、ゴミを捨てて、ガスやガソリン使用道具を、所定の位置に戻すまでは、当日中にやらなければならない。そこまで終わると、やっとシャワーを浴びられる。「家に着くまでが遠足です」で言うと「家について荷物を解くまでがアウトドアです」。さて、今日まで熊本県阿蘇郡西原村でボランティア活動に従事した。今回俺がした仕事は特殊で、それを書くと俺の身元がばれるので書かないが、昨夜テントで寝ていたら予想外の雨が降った。さらには今朝、まったりとコーヒーを飲んでいたら、結構揺れた。(震度3だったようだ。)昨日今日の活動先は車を止めにくいというか、なるべく駐車スペースを空けておきたい場所なので、雨で濡れたテントは夕方片づけて帰ろうと、ボランティア用キャンプ場から歩いて活動場所に移動する。一日の活動を終えて、当然キャンプ場まで歩かなければならないが、1日15,000歩を歩きたい俺にとって、実はその行程は夜明けとともに歩いており、本日2往復目の道だった。ちなみに夜明け前と言うか夜明けとともに歩いていたら、本当にその道を走っている方がいた。俺は先週(今週)のノルマは達成しており、今朝走っていたのは俺ではないから。(笑一日の活動を終え、とぼとぼと車を止めているキャンプ場まで歩いて帰っていた。西原村は生活用水はやっと出るようになったようで、俺も昨夜は水で髪を洗えたが、一部の地域では、飲料水はまだ給水車まで給水しに行かなければならない。キャンプ場の少し手前(役場寄りに)給水所があって、今は福岡市役所の設備に都城市役所のメンバーが頑張っているのだが、その前を通る時にちょうど給水にいらしていたお父さんがいらっしゃった。俺は頭を下げてその横を通り抜けたけれど、お父さんが後ろから追いかけて来て「ボランティアの方ですか?」と聞く。力仕事はしていないし、ボランティア用名札も外していたので、バックパックと首に巻いたタオルくらいしかボランティアらしさはなかったのだが、「どこまで行かれます?」と聞かれる。いきなり書かれても地理がわからないだろうけれど、ボランティアがそんなところをトボトボと歩いていたら、下手したら空港線まで歩くつもりなのか?と思われたんだろうね。キャンプ場までもうほんの数百メートルなので、「すぐそこに車を止めているから大丈夫です。」とお答えして俺は歩いたが、涙が出そうだった。ご自分も被災されて水さえ使えない状況なのに。今週末で一旦俺の活動を止めるという方針は変わらない。でも、もしもう一度、熊本地震の震災ボランティアに入る必要があるならば、西原村に入ろう。なぜなら、西原村が俺をどう思っているかにかかわらず、西原村は俺の第二の故郷だから。
2016年05月15日
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前回の活動が4月29~30日だったので一週間以上ぶりになるが、たぶん今日あたり一気にボランティアの人数が減るだろうと考え、土日の予定で来た。 昨日の活動が雨で中止になったこともあり、予想通りボランティアの数は減っていた。それでも250名を超える人が集まって活動されたらしい。 数日前に700名を超える人が集まった時には、人が多すぎて逆に前線基地(サテライトと称されている)が回っていなかったらしいが、これからは一過性でないボランティアをいかに集めるかが大変になるのだろう。 さて、前に少し書いた農業ボランティアだが、今まさに立ち上がろうとしていた。 そしてその輪の中に農業ボランティアのことを書いた時の彼がいた。 彼は継続してG.W中も通っていたらしい。 今朝その話を聞いて、「じゃあ俺も」と話に乗り、もう一名加え3人で細々と農ボラが始まろうとしたが、雨が残ったので土が適さなくて、今日はとりあえず中止となり、結局がれき作業に出戻った。 一般の災害ボランティアもニーズは膨大な量があり、また絶えず新しいニーズが発生しているようだ。 明日は農ボラ班の予定だが、もちろん何かの都合でがれき作業班になっても喜んで。 今年1月に車を代えて、同じ排気量なのにバックシートの幅やシートアレンジ等が車中泊に適さない。 そこで今日は、面倒くさいけれどテントを張る。 あれ、スマホじゃ画像が小さくてよくわからないが、お隣さんの洗濯物が写り込んでいる?
2016年05月07日
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19時過ぎに帰宅した。ここだけの話、昨日は風呂に入っていないので、荷物を下ろし、とりあえずシャワーを浴びた。イメージ的には八女の水災ボランティアの時に近く、一日でドロドロになるのかなと思っていたので、どうしてもの時は熊本市内なりに銭湯に入りに行こうと思っていたが、同じがれきでも水を被っていない分(地震後の雨で外にあるものは多少泥を被っているが)汚れなかったので、まあ、風呂はいいかと・・・昨日書いたように昨夜は車中泊だった。3シーズンのシュラフのアンコ(着脱可能な部分)をまだ抜いていなかったので、寝ていて暑いようならば外そうと思っていたが、実際は夜中に寒くて、しっかりとシュラフの中にもぐり込んだ。広い体育館とかの避難所で、この冷え込みは厳しいね。俺が行った西原村のボランティアセンターでは、昨日今日各200名のボランティアを募集したらしいが、昨日は11時まで掛かって定員を確保したのに、今日は受付開始の8時半には定員に達していて、かなりの方をお断りしたらしい。まあ、キャパを超えて受け入れても、機能不全に陥るだけだから仕方がないよね。そして、これも昨日書いたニーズが上手く掘り起こせていないという件だが、たった一日で相当なニーズが発生していた。実は昨日、俺たちが入った地区では、俺のグループは昼からは一つ仕事があっただけで、その後数時間は仕事がなかったので、地区の方と一緒に、ボランティアのニーズはないか御用聞きをして回る状況だった。そこで吸い上げられたニーズも多少あるだろうし、昨日ボランティアが入ったことで、「ボランティアってこんな奴らなんだ」とか「ボランティアにこんな仕事も頼んでいいんだ」とか、もっと基本的に「ボランティアに頼んでもいいんだ」と思えてもらえたのかもしれない。昨日今日の一泊二日の予定だと書いていたが、人数が足りないならばもう1日は可能だと食料の用意はしていた。そして今回は一泊二日(もしくは二泊三日)だが、GWの後半7~8日あたりでもう一泊二日で入ろうと思っていた。でも今日の人の集まり方を見ると、当然動向はチェックするとして、次の活動はGW明けでいいのかと思っている。ボランティア用キャンプ場さすがに疲れていたのか、酒を飲んだら寝てしまい、2時過ぎにやっと目が覚めた。晩飯の用意をしていたのだが、食材を慌てて冷蔵庫に入れる。
2016年04月30日
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今日の午前9時には、九州道の植木インター以南も開通したらしい。 先週土曜日だったかに書いた通り、高速開通と共に俺も動き出そう。 熊本県のボランティア情報では、県外者の受け入れをしているのは、熊本市と西原村だけだった。 まだ余震が続いているし、インフラの復旧も終わっていないようなので、多くを受け入れられないのかもしれない。 熊本市の方が人が集まりやすいだろうと判断して、俺は西原村を目指す。 朝の時点では高速はまだ開通していなかったので、4時過ぎに家を出て一般道を走ったが、渋滞はなく7時前にはボランティアセンターに着いた。 駐車場の開場前だったが、すでに数台の県外ナンバー車が並んでいた。 さて、1日活動した(あくまでも)俺個人の感想だが、まだニーズを上手く引き出せていない。 もちろん余震はあっているし(さっきも揺れた)、避難所でお過ごしで、家のことまでは考えれない方もいらっしゃるかもしれないし、災害の規模が大き過ぎて、先に土木を済ませないとボランティアの仕事が始まらない部分もあるだろう。 連休初日の今日を移動日に充てて、明日以降全国から人が集まる(問い合わせの数がすごい)らしいので、俺は来たのにこんなことをいうのもなんだが、一過性ではない長いスパンでボランティアを考えていらっしゃるなら、G.W明けで十分間に合うのかもしれない。 情報としては、水が出ないので飲食店は全て閉まっているが、スーパーやコンビニは一応営業しているので、商品数は少なかったり、営業時間が短かったりするが、最低限の食料は現地で手に入る。 後、目薬は必須。目がゴロゴロするので、さっき薬局に買いに行った。 ボランティア用のテント村も用意してあり、俺は今回そのあたりの情報が間に合わなかったのでテントを用意していなくて、テント村で車中泊して明日まで活動予定。 ちなみにテント村はコンビニと薬局に挟まれ、目の前がスーパー。 俺のブログは晩飯ブログだから一応書いておくと、パックご飯とカップラーメンを家から持って来ていたが、カップラーメンとコンビニで買ったおにぎりが今日の晩飯。
2016年04月29日
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今日は今年初めてのタケノコ掘りだった。掘ったのは俺と大家の孫(俺は彼を小学生の頃から知っているがもう30歳くらい)のタケノコ掘り有段者(自称)2人だが、タケノコ山に入った瞬間タケノコがポコポコで、山の敷地の入口から一歩も動けず、ひたすら付近のタケノコを掘りまくる。たぶん、2人で3~40分で50本くらい掘って、掘っているそばから大家と大家の娘(一緒にタケノコを掘った大家の孫の祖母と母)に皮を剥いてもらったが、それをあく抜きするのが大変で、大釜に湯を沸かすが、結局5~6回に分け湯掻き、18時過ぎまでかまどに火をくべていた。それから実家にもタケノコを届けたので、結局自宅に帰って来たのは20時を過ぎていた。今夜は20時から警察24時だったのだが、番組開始に間に合わずパソコンのスイッチを入れられなかったので、たぶん番組開始の10分ほどを録画できていない。かまどでタケノコをあく抜きする間は、火の管理さえしていれば3~40分時間があるので、山に入ってフキを採って来た。今夜は一日タケノコ掘りと、それに続くタケノコ湯掻きであまり腹は減っていないのだが、フキだけはすぐに色が黒くなるので、薄皮を剥いて一茹でして、収穫したてのタケノコと天ぷら(さつま揚げ)で、料理白だしと俺の鷹のツメで煮込む。タケノコご飯を炊く用意もしていたが、そこまでは食えそうになく撤退。昨日チルドの餃子を買って半分以上余っているが、それをすっかり忘れていて、惣菜の牡蠣フライを買って来て、大家からもらったレタスを添える。
2016年04月10日
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【刑法 第254条 遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は、1年以下の懲役又は10万円以下の罰金若しくは科料に処する。】新年にやるべき歩道のゴミ拾いを大晦日にやったと書いたが、俺が普段歩いたり走ったりしている片道2.5kmの歩道のうち、半分しか終わらなかった。もう半分は今日明日のどちらかでやろうと思っていたが、今日は暖かいのでちゃっちゃっと終わらせてしまおう。一昨日終わった地点まで歩道を歩いて行くが、そこまでの1Kmちょっとは俺がゴミ拾いしたばかりのはずだが、一昨日終わらせたところまでで、今日これだけのゴミを拾う。本当に悲しいというか風車と闘うドン・キホーテの気分というか。まあ、ドン・キホーテを笑う人の群れよりは、たとえ人に笑われようとも、自らが闘う人であり続けたいけれど。ところで、年に数回歩道のゴミ拾いをして、年間にいくらくらいお金を拾うと思う歩道には金目の物以外のありとあらゆるものが落ちているが、現金を拾うことはほとんどない。もちろん年によって違うが、だいたい1年間で50円前後だろうか。ところが去年は500円玉を1枚拾ったので、合計額が515円になった。拾ったお金は警察に届けるのが正しいのだろうが、小学生でもない俺にバラの硬貨など届けられても、警察も事務処理が増えて迷惑なだけだろう。一方、俺は貧乏人だけど、なんとか自分の稼ぎで、食べたり遊んだりしていくことが出来る。拾ったお金で晩のおかずを買ってもいまいち美味しそうじゃない。そこで、拾ったお金は1年分貯めておき、正月に近所の神社へ詣でて、おさい銭として上げ「世界中の子どもが幸せでありますように」と祈願してくる。無神論者だから自分のためには祈らないが、人のために神に頭を下げるのは構わない。もう何年も同じことをお祈りしているのに、拾ったお金でお願いしているからなのか、小銭ばかりで金額が少ないからなのか、近所の老松さん(菅公由来の老松神社)はまだ本気を見せてはくれない。
2016年01月02日
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