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ボディコン娘が闊歩する夏が来た
2006年06月30日
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絶え間ない車の流れどこへ行くのかユウパックの車これはわかる路線バスこれもわかる
2006年06月29日
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大げさにほめることを、ついやってしまう。「ほめる」ことと、うらやみの心、嫉妬心は意外にもつながっている。「人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」ルカ6:26ほめたくなる心とほめられたい誘惑とからお守り下さい。(祈り)
2006年06月28日
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朝のテレビで「あじさい苑」を紹介していたので月曜日は「牧師の休日」でもあり、その日のウチに見に行きました。「あじさい苑」は静岡県伊東市・城ヶ崎海岸「海洋公園」にあります。海岸の崖にそって作られた公園の一角が「あじさい苑」となっていて、そこに、日本原産のあじさいの原種を中心に、120種が集められていると言うことです。普段によく見かけるあじさいは西洋種だそうで、日本原産種は、かわいらしい「がくあじさい」が中心でした。スミレのようにかわいらしいガクもあり、いかにも日本古来のものらしい清楚なものでした。花が終わりかけているもの、すでに終わって葉だけのものなどもありました。
2006年06月27日
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早朝、パソコンのある部屋に行くと窓を閉め忘れていた。一晩中、降っていたのか湿り気が小部屋に満ちていた。まもなく7月というのにこの涼気は・・・・・
2006年06月26日
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今日は妻のメッセージを聴いた。「一番大切なもの」という題だった。言葉を一つ一つ選びながらその言葉に深い配慮が滲んでいる。微笑みながら話をするその表情が光に当たった宝石がきらめくようにキラキラするのだ。妻のこんなに美しい顔はここでしか見られないものだ。
2006年06月25日
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「行き倒れのようになって死んでもいい」と口にした時、妻に叱られた。家もなく、ものを乞い歩く人。貧しさの極みに、なぜか共感を覚える。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」マタイ福音書8章20節こんな風に言われたキリスト様ホームレスじゃぁないか!と思ったこともある。
2006年06月24日
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ネット・ニュースで、1-4で負けたことを知った。前半、先制したようだ。みんなどんなに期待したことだろう。日本は、後半に弱いんだ。1点は取ったぞ。放映された場面を見ると見事な1点だった。すっとした。興奮させてくださって、ありがとう!
2006年06月23日
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礼拝の録音テープを、信徒さんにお届けした。梅雨の晴れ間の陽光を受けながら玄関口に立って、しばしお話をした。「私たちはもう、45年も一緒なんです」わ~スゴイボクたちはまだ30年
2006年06月22日
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ボクが欲しいものに目を注ぐと妻は、それはあまり感心しないという。余計にほしくなってボクは手にとってカゴに入れる。食卓には目新しいモノが並ぶ。それを口に運んでから、ボクは言う、「これは、たいしたことなかった」
2006年06月21日
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ボクがテレビの前で叫ぶので、妻が言う「そんなに出来るモノではないのよ」「でも、シュートしなければ、点が入らないよ」だからボクは叫ぶ「それシュート!」
2006年06月20日
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聖書全巻を、カセットテープにほぼ一人で録音して下さった信徒さんがおられる。本当は、新約聖書だけを、みんなで分担して入れようと思っていた。でも、ほかの人はなかなか腰を上げてくださらない。いつの間にか、一人になって、そのかたは、スゴイ勢いで旧約聖書も録音してくださった。テープの数を数えたら、60分カセットテープを中心に105本あった。ボクは今CDに焼くために、それを一つ一つ聴きながらパソコンに取り込んでいる。聖書の本文を耳から聴くことの恵みは大きいことを、実感。
2006年06月19日
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今日は「父の日」です。「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」(マタイによる福音書12章50節、新共同訳)この場合、母を「父」に置き換えてもゆるされると思います。主の家族(教会)の中では、みんなが「父(母)」として生きています。あまり若い人は別として。今日もボクのお父さんたち、礼拝に来られるかな?こんな事を書いても、天国の(肉身の)お父さんは微笑んでおられるでしょう。今日は、男性の皆さんにはハンカチをプレゼントするようです。もう講壇の脇に10の包みが置いてありますから。ボクにも来るかな? 下記の聖書を使わせて頂いております。 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2006年06月18日
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5時からの「ライフライン」(静岡第一テレビ)を見るつもりだったが、寝坊してしまった。聖ルカ国際病院の日野原先生と、星野富弘さんの対談を放映する日だった。スイッチを入れたら、対談は終わって関根先生のメッセージの時間だった。やさしい語り口のメッセージ。それから歌詞のない聖歌が流れ、歌詞だけがテロップで流れる。歌詞の意味の説明も。癒される番組を作っているなぁ。同時間帯で最高視聴率を記録する週さえあるという。来週の土曜日に、対談の後半を放映。今度は気合いを入れて早起きするんだぁ。
2006年06月17日
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キリスト教の開祖の一人、使徒パウロ聖書を読んでいて、パウロの自由で柔軟な心に深く心を動かされます。今日は使徒言行録(行伝)の16章を読みました。リストラという小アジア半島にある町で、テモテに出会います。ユダヤ婦人とギリシア男性の子です。パウロはこの青年が気に入り、伝道の旅に伴わせようとします。使徒言行録16章3節によると、パウロはテモテに割礼を受けさせます。この場面はボクの心にず~と引っかかっていました。パウロは「割礼を受けなければ救われない」と主張するユダヤ人に対しては「そんなことはない! 人が救われるのは割礼ではなく、信仰によるのだ」と全面対決しています。そんなパウロが、ここでテモテに割礼を受けさせるのは筋が違うのではないか・・・・しかしパウロは、ユダヤ人に福音を伝えるための障害にならないように、テモテに割礼を受けさせているのです。「福音のために、わたしは何でもする」と語ったパウロ。そんなパウロの考えが表れているのです。そこには、テモテの母親への気づかいもあったに違いありません。「パウロ先生、これからわが子を連れてユダ人達の中に入って、命がけで伝道なさるのでしょう? 割礼も受けていないテモテが、そのために一層の迫害を受けないでしょうか?」「そうですねぇ、じゃぁ、一つ受けさせましょうかねぇ」
2006年06月16日
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東京に行ってきました。車窓から眺めていると緑が多いことに気が付きます。コンクリートジャングルなんて言いますがみんなが気を付けて緑を守り育てています。ビルの屋上にもたくさんの緑が見えます。新緑が風に揺れる街路樹・・・・へぇ、こんな所に小さな森さえある・・・ビルが壊されたら次のビルを建てないで緑の小公園にして頂きたいです。
2006年06月15日
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犬との朝の散歩から帰った妻がいう踏切で、走り去る電車に向かって犬が吠えたという「おバカな犬だねぇ」「いつもと違う色の電車が通ったからよ」「ここを通るのは、おまえじゃない」って吠えたっていうの?
2006年06月13日
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礼拝のメッセージを仕上げられなかったが夜遅くごそごそ寝だすと妻を起こすので妻に合わせて夜は寝たなかなか寝付かれなかったが床の中で、どこをポイントとして話せばよいか頭に浮かんできた次の朝は5時前に起きいそいでメッセージをまとめた雨をついて礼拝者とならんとする皆様を前に十分ではないことを感じながらも喜びを感じつつお話しができた
2006年06月11日
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楽天日記開設4周年となった4年前の今日、ボクはここにお邪魔した毎日書き記す目標は「ブリキの太鼓」さんだった今でも書き続けておられるそういえば、あの時もワールド杯の熱気に包まれていた
2006年06月09日
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家屋新築のための定礎式を執り行うため建築主のご夫妻と一緒に、千葉まで出かけた。整地された土の上で建築主とその家族、工務店の代表と輪になって聖書を読み、賛美歌を歌い、安全を祈願した。式の後は、お食事会を設けてくださった。その席で工務店の代表の方が式の感想を述べて下さった。「工事の安全を祈られただけではなく やがてここに住まう家族の幸福や 工事に携わる職人たちの家族の幸福まで わかりやすく祈って下さったこと 初めての経験でうれしかったです」最後は地べたに膝をついて大地の聖別を祈ったが着ていたものに赤土がまみれてしまって施主の方たちに心配させてしまった
2006年06月08日
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たとえ牧師職を退いたとしても神様の小さな羊であることは変わらない神様の特愛を受け続けて生きられることは変わらない心あふれて一途に進んだ若き日の信徒の時代にもう一度戻りたいという心の小さな芽が膨らんでくる
2006年06月07日
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06年6月6日、今日からオカルト映画が上映されるという。「悪魔の十字架」携帯ストラップ付特別鑑賞券ですと。先着6666名、よく6を重ねたもんだ。「ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」(ヨハネの黙示録13章18節・新共同訳聖書)666とは、終末時に神に戦いを挑む獣の名前を象徴したもの。その名前を数字に置き換えると666となる獣が、人々を支配する。獣の支配に落ちた人々の額に「666」の刻印が押され、刻印を持たない人は、村八分のような仕打ちを受けねばならない。昔クリスチャンを迫害したローマ皇帝「ネロ」を数字に当てはめると、666となるという説もある。とにかく、語呂を合わせて、06年6月6日にオカルト映画が封切られる。どうも聖書の意味を調べずに不安をあおっているように思える。サタンや悪霊はボクたちの周りに存在している。興味本位に近づかない方がよい。キリスト様の御名をあがめて、あらゆる悪霊、悪鬼のたぐいに勝利するんだ!
2006年06月06日
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しおん☆けいさんナオミさんあどんでさんFlutistさんなたやんさんTom-Mamaさんままちりさん浜風さんそして読んでくださった皆様素早いレスポンスをありがとうございました。人間の弱さや依存性神様に造られたすばらしい人間にも、ただすばらしいだけではなく、負の部分も隠れていること。アダムとエバが神様を悲しませる行動を取ったことから、すべては始まったことは、ボクたちはきっと知っています。しかし「神は愛です」と聖書には書いてありますので、どんなマイナスも「神の愛を知る喜び」や「生きるエネルギー」に変えることが出来ますよね。キリストにあっては!
2006年06月06日
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ずっと以前に自慰行為(オナニー)をやめられないという見知らぬ男性から、電話をいただいた「罪深い行為ですか」と問われた「その行為によって あなたが性犯罪に走ることを、とどめられているとしたら その行為もきっと意味を持っています」そう答えるのが精一杯だった
2006年06月05日
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今朝は夢を見ていた1年半ほど前、天に帰った信徒さんが出たボクたちが長い間そこをお借りしていていよいよ引き払う夢だったそこは旅館のようでなぜか彼女は旅館の女将さんをしていたどうしても片づけきれなかったあとからあとから荷物が出てくるのだった最後に定額貯金通帳なんかでてきた(笑)子供たちが危なくないようにと遅くまで一人で片づけていたら彼女が出てきたにこにこ笑っていたいつの間にかそこは幼稚園になっていた彼女はいつまでもボクを見送ってくれたボクは後ろを振り返らないように帰った今日はキリスト教の3大祝日「聖霊降臨日」何とさい先の良い夢なのだろう!ボクが「夢見るヨセフ」だったら良かった・・・・
2006年06月04日
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人生は聖書を読む毎日行間に線を引き余白には折々に感じたことを書き記し「黙示録」に終わりまた「創世記」に還る
2006年06月03日
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ヨセフは長子の名をマナセと名づけて言った、「神がわたしにすべての苦難と父の家のすべての事を忘れさせられた」。(創世記41:51)----------父の寵愛を受けたヨセフは、兄弟たちから嫉妬され、憎まれ、殺されそうになった。穴に投げ込まれ、穴から出され、商人に売り飛ばされた。奴隷にされた家では、主人の妻の誘惑を拒んだ仕返しに牢屋に入れられた。やがてヨセフは頭角を現し、エジプトの宰相となって、お兄さんたちと再会。ヨセフは愛の奇跡だ。「艱難汝を玉にす」の典型人間だ。ああボクたちもみなヨセフの道を歩けるのだろうか?
2006年06月02日
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金柑の木は、まだ小さく貧弱だ葉も勢いがない寄ってみると黒い点々がたくさん付いている孵(かえ)ったばかりのアゲハの幼虫だ育つためにはどんなに葉を必要とするかを考えた一匹分の葉にも、足りますまい殺虫剤を取り出すほかはないと思った
2006年06月01日
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