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イエスさまは十字架の上で、祈られ語られた。4つの福音書を集めると、7つの御言葉となる。<第1の御言葉>「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」ルカによる福音書23章34節<第2の御言葉>「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」ルカによる福音書23章43節<第3の御言葉> 「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」「見なさい。あなたの母です。」ヨハネによる福音書19章26~27節 <第4の御言葉> 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。マタイによる福音書27章46節<第5の御言葉> 「渇く」と言われた。ヨハネによる福音書19章28節<第6の御言葉> 「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。ヨハネによる福音書19章30節<第7の御言葉> 「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」ルカによる福音書23章46節7つのうち、第4と第7の御言葉は、詩篇の中にある。詩篇はおもにダビデの作といわれていて、ダビデを通して語られたのは間違いないのだが本当は、イエス様ご自身の言葉なのだ。主は、十字架の上でご自身のお言葉を語られたのだ。
2018年03月31日
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今週は教会暦での「受難週」キリストが十字架にお架かりになるのが、金曜日日曜日は、イースター木曜日のキリスト様の足取りは最後の晩餐、弟子たちの足を洗う(洗足)、ゲツセマネの庭での祈り、捕縛、審問ゲツセマネの庭では、3人の弟子を伴われて、天の父に祈りを捧げる。わたしはもう少し向こうで祈るから、あなたがたはここで祈っていなさいそう言われた弟子たちは、ただならぬ主のご様子に、緊張のあまり寝入ってしまう。主キリストは血の汗をしたたらせ、悲しみもだえて祈られる。殉教を前にしての悲しみではないだろう。殉教なら、それは信徒の勲章なのだから。そうではなく、全人類の罪を一手に引き受けて、父の裁きを代理で受け、死を遂げることの、恐ろしい戦いである。胸が張り裂け、その場で悶死してさえ、不思議でない。罪なきキリストが、人類史上最大の罪人たる罪を引き受けて、刑死する。裁かれるのは父なる神だ。その父の強い決意がキリストの心を動かしている。キリストは、罪との恐ろしくも激しい戦いを、戦っておられる。キリストは苦しみの中で、見はるかしておられる。こんなにも戦っても、そして救いの道を開いても、なお悔い改めを拒む人々があることを。悲しみを、なお深くされる。 イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」マタイによる福音書26章36~39(日本聖書協会新共同訳聖書)
2018年03月29日
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「君子豹変す、小人は面を革(あらた)む」(易経)前にも書いたが、「豹変」とは「良い人とは、自分が変わらなければならないと思ったら、心の底から変わることができる。それにひき替え小人物はただ表面を繕うだけ。」という意味が本来の意味だ。聖書にでてくる「ザアカイ」のような人を指すのです。すてきな言葉でしょう?ボクは大好きです。やろうとおもってできるものではない。何度決意してもだめです。ただ福音の力に寄り頼むこと。神だけが、ボクの心や生活を変えることができると信じて祈り続けること。気づいたら「豹変」していたぞ!神様ありがとう!!!
2018年03月17日
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聖書の「緒論」で言えば、「黙示文学」に分類される。たしかに「文学」という名にふさわしいと思う。1章だけ、今朝は読んだ。原語は当時のギリシャ語でボクにはわからないが、邦訳で読んでもわかる。美しい文だ。こんな美しい文章はそんなにはない。もっとも聖書の文章は概して美しい文と思う。何よりもうわべの美文ではなく、魂が込められているから、心を打つのだろう。黙示録の予言は、いったいいつ実現するのだろう。「すぐにでも起こる」と書き起こされているので、もう起こりつつある出来事が、書き連ねられているのではと思う。ああ、この書は何度読んでも、激しく、雄渾で、輝かしさに満ちていると思うのだ。「イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。」ヨハネの黙示録1章1~3(日本聖書協会新共同訳聖書)
2018年03月09日
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今朝は「ヨハネの手紙2,3」を読んだ。それぞれ1ページの短い手紙。聖書の一番短い書。長い「ヨハネの手紙1」のエッセンスだと思った。「ヨハネの手紙1」が難しすぎると思った人はこちらを読んだらどうだろう?「愛」と「真理」が合わさっている。「愛」は感情ではなくて、「真理」から生まれる。「真理」を知らなければ、「愛」がわからない。キリストは、「わたしは真理である」と言われたことがある。キリストの言葉や行いも真理だけれどキリストというその方自身が「真理」なのだ。真理は愛真理であるキリストは愛の固まり真理から出る愛を、互いに受け渡し合う。こうして人は身を寄せ合って生きる。ヨハネの手紙 2 (1~6)◆挨拶 長老のわたしから、選ばれた婦人とその子たちへ。わたしは、あなたがたを真に愛しています。わたしばかりでなく、真理を知っている人はすべて、あなたがたを愛しています。それは、いつもわたしたちの内にある真理によることで、真理は永遠にわたしたちと共にあります。父である神と、その父の御子イエス・キリストからの恵みと憐れみと平和は、真理と愛のうちにわたしたちと共にあります。 ◆真理と愛 あなたの子供たちの中に、わたしたちが御父から受けた掟どおりに、真理に歩んでいる人がいるのを知って、大変うれしく思いました。さて、婦人よ、あなたにお願いしたいことがあります。わたしが書くのは新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです。愛とは、御父の掟に従って歩むことであり、この掟とは、あなたがたが初めから聞いていたように、愛に歩むことです。(以下略)
2018年03月08日
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今日はヨハネの第一の手紙を読んだ。クリスチャンなら愛し合うべきと繰り返されている。愛の実を結ぶために、信仰がある。愛し合うことの実現のために、神との交わりがある。愛し合うことの実現のために、悔い改めがある。愛し合うことの実現のために、キリストの血潮がある。愛し合うことの実現のために、サタンとの戦いがある。愛し合うことの実現のために、神がボクたちを愛してくださった。愛し合うことの実現のために、祈りがある。以上がこの手紙のテーマだとわかった!「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」ヨハネの手紙1 4章7,8
2018年03月07日
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今年中に70歳になります。残された60代、もう今からなつかしく・・・輝いていたい。自分の心をのぞいてみました。成長していません。子供の時のまま。心とか精神には変化はないのですね!心だけを見ると、老いとか死とかとは無縁なのですが理性は違いますね。地の上での生涯の終わりを考えます。「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。」フィリピの信徒への手紙1章9~11
2018年03月05日
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良い教育 ←→ 教育という名のいじめ良いしつけ ←→ しつけという名のいじめ 左右は異次元と思われる
2018年03月03日
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夫婦で持つスマートホンは、windows mobile他の大部分の人は、アンドロイドかアイホンだと思われる。windows mobile を使っている人に出合ったことはない。あまのじゃくのボクは、人が持っているものは持ちたくない。この端末を持つ人があまりにも少ないので、開発をやめるとのニュースが去年の秋頃出た。なるほどアプリが少ない。以前入れていた聖書のアプリを入れ直そうとして、ストアを調べたらもう無くなっていた。
2018年03月01日
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