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高層のビル段となり冬空へ 青穹 高層のビル屋上の鏡餅 飼い猫が高みで見てる掃き納め 幟立て七福神の年迎え 山門に香煙くゆる年迎え 二番目の句は、林立する高層ビルそれぞれの屋上に帽子をかぶせるように巨大な鏡餅を置くという、とつぜん出現した幻想のイメージである。
Dec 31, 2009
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ゆく年や日暮惜しんで雨戸立つ 青穹 年の内あれやこれやの思案かな 年忘れそれがそもそも無理難題 これが今年の句作の310句め。どうだもう少しいけるか?と自問中。 きょうは旧暦の11月15日だそうだ。俳諧の方面では貞徳忌にあたる。 松永貞徳(1571-1653)は京の人。幼少より聡明で、12才のときに近衛玖山から『源氏物語』の秘伝を受けている。20才前後のころ豊臣秀吉の祐筆(文官)として仕えた。俳諧連歌の一体を興し、秀吉が没した慶長3年(1598)に、勅許によって「花の本」を名乗る。遺著『御傘』は俳諧連歌の虎の巻となっていた。 貞徳の句は技巧的で、いかにも頭のイイ人の句という感がある。門弟(貞門という)には、『毛吹草』を著わした松江重頼や、彼と争った野々口(雛屋)立圃、あるいは『山の井』『岩つつじ』の著者北村季吟など逸材・鬼才が多い。しかし幼少より貴顕に才を愛でられそのなかで育ったせいでもないだろうが、これら逸材の弟子をことごとく破門している。(私の個人的感想だが、この日本的な芸術ヒエラルキーによる「破門」騒動は、芸術のあらゆる分野で今日まで絶えることないようだ。じつに愚劣。芸術の「流派」って、いったい何だ?) 冬ごもり虫けらまでもあなかしこ 貞徳
Dec 30, 2009
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世のさまに耳目そばだつ札納 青穹 ちとばかり押売りしてる歳の市 商魂もからまわりする歳の市
Dec 29, 2009
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若松のかおり嬉しや松を立つ 青穹 注連縄の張りを確かむ祈り哉 こぞことしまた新たなる年祝い 年取るを憎しと思いかつ神妙 此の世とは何たるものと年の暮
Dec 28, 2009
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正月を迎える門松や鏡餅のおそなえがすんだ。例年だと今日あたりから年越しと正月料理の準備がはじまり、キッチンの大鍋の火は絶えることがない。父母の代、そして私の代にずっと引き継がれてきた暮れの行事である。料理品目もきまっていて、17品を用意する。この日近くになると、いつも母が居間のテーブルで買い出しのメモをつくり、書き上げると私に渡す。私はそれをチェックして、後日、市場へ買い出しに行く。 そして大晦日の夜、遠くに住んでいる家族もみなそろって我家にやってきて、大食事会となる。母にとっては、孫たちにお年玉をやるのが嬉しいのでもある。 しかし、この我家の長い伝統行事を、昨年はじめて中止した。年末に母が大腿骨骨折という思わぬ事態となり、正月明けに一か八かの大手術をおこなうことになったからだ。90才という年齢からして、体力的に手術に耐えられないかもしれないと医師から宣告されたので、家族は、もはや正月どころではなくなっていたのである。 そして今年も残り三日となって、相談の結果、ふたたび大食事会に家族があつまることを中止することにした。それほど1日の看護のスケジュールは込んでいる。とても私自身の心身が休まるときがないのである。そればかりではなく、母が静かな近頃の病床での生活から、大勢を迎えて興奮し、血圧がはげしく変動することを恐れるからである。その点については医師といえども予測がつかない。一気に血圧が上がって、大動脈再解離にならないとも限らない。「爆弾をかかえている」と、医師は普段からわれわれに言っているのである。 今日の午後、リハビリのための先生が来訪し、1時間程メニューをこなして帰られた。そのあとで、私は鏡餅や正月飾りを母のベッドまで運んで見せた。つねに何等かの刺激をあたえ、コミュニケーションをとることが大切で、寝たきり状態がつづくと脳が軟化しやすいのである。 母は、もうすぐ正月だということが初めは分らない様子だった。日にちの感覚がなくなっているからだ。しばらく鏡餅を見ていたが、それから嬉しそうに笑った。「もうすこしでお正月だよ」と言うと、「はい」と言った。「元気でお正月を迎えようね」「はい」 私が門扉の埃や汚れを洗い流し、門松を立てていると、隣家の夫人が顔をのぞかせ、「お正月ですものね」と言った。
Dec 28, 2009
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今年1年間、母の看護に忙殺されて、絵画作品を制作する時間の余裕もなければ心の余裕もなかった。せめてもと思いながら、俳句などをつくっていた。過日、11月26日の日記で、108句作ったと書いた。去年はもっと作ったはずだと調べてみると、俳句247句、短歌48首、合計295作っていた。この数とせめて同数か、それ以上をつくらなければ、という気持になった。 きょう、数えてみると、299句になっていた。どうやら数だけは昨年を越えた。もちろん駄作もある。俳句というより川柳にちかいものもある。絵画制作の場合は、私は、練りに練ってから描く。しかし今の私には、俳句を練り上げる時間はない。心に浮かんだこと、見たこと感じたことを即座に5・7・5で記憶し、書くときに2,3分言葉をいじってみるのが精一杯だ。 たぶん晦日までにはもう数句できるだろう。とりあえずの299句である。読みかえしてみると、自分自身で好きな句もある。51句あった。山田維史青穹自選句ということで次に書き出してみよう。 老いの身に春の嵐の喩えとは 咲けばこそ勿忘草や恋重荷 巣燕も軒端菖蒲の節句かな 夢さわぐ静めんとせば雨 雲起ちて命はげしき夏野かな 日傘おもく訥々として媼あり 氷いちご紅ほどほどの童女哉 顔見知り手に竜胆の意外なり 破れ垣つくろいもせで無花果や 軍用機月を左に切り裂いて 瓶の酢のひそかに醸す秋の暮 行き暮れて誰呼ぶ声か紅葉散る 道連とはぐれて遠し片時雨 白壁のいよいよ白し神無月 乾し草の懐かしき香や少年忌 木枯や忘れしひとの葉書見つ 刈原に地下足袋の藍冴えざえと 食べねども粥炊く日々の冬構 思いでや実のひとつなき枯芙蓉 秋深しあなたこなたの夕餉かな 朝掃いて夕べにも掃く落葉かな 二日過ぎ月冷えびえと鎌を研ぐ 隠水のほのかに明く月白し 山眠り三輪の音ゆめうつつ 尋ねれば友それぞれの冬構 晩鐘や北窓閉ざし遠音かな 打ち捨てて別れし道の枯茨 庭の木を一本伐って冬日入る 凍蝶やついの褥の枯葎 愛憎の心弱りや冬の蝶 凍蝶の翅落ちしかば死せるなり 雨に濡れいっそしお垂る枯黄菊 来る文の文字も濡れたり冬の雨 寒の雨喪中葉書のひっそりと 男坂を崩れて流る冬の雨 庭下駄の爪より濡らす雨寒し 寒紅やあでやかすぎる老女かな わが裸しみじみと見てくしゃみかな テノールの歌曲止んだり冬座敷 冬空を指でなぞって雲三筋 突兀として補陀落山も冬枯るや 鉄塔のゆるき弧線や冬の空 待てしばし捨つるに早き古暦 あたらしき暦の上の古暦 影黒し蕭条として枯木立 惻々としてなみだの滲む根深汁 静けさや爪切るひとの冬座敷 茶呑碗両手をそえる寒さかな 忙しげに言われて身に添う年の瀬や 寒月や厚着の影のやや太し 筆立の穂先に触れて蕪村忌や
Dec 27, 2009
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きょうは老母のための医師往診の日。新型インフルエンザの予防注射をした。先月は、一家そろって季節インフルエンザの予防注射をした。新型については、母以外の我々はオミットされるらしい。予防注射をする格付けがあるのだという。嫌な国に生まれたものだ。 まず母に予防注射や流行り風邪 青穹 子供たちが冬休みに入ったようだ。町内の子供会が自治会の当番につきそわれて「火の用心」の夜回りをしている。 夜回りや子らの拍子木年の内 青穹 夜回りも足早になる寒さかな 夜回りの声遠ざかり冬の月
Dec 26, 2009
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さきほどまでNHK・TVで『昭和歌謡黄金時代 - 三波春夫と村田英雄』を見ていた。途中から見たのだが、たぶん再放送か再々放送である。・・・それはともかく、村田英雄のデビュー曲『無法松の一生』の紹介で、「アッそうだったか」と初めて知ったことがある。そのことを書いておく。 村田英雄の『無法松の一生』は、昭和33年(1958)に、作詞吉野夫二郎、作曲古賀政男で日本コロンビアから出版された。村田英雄は浪曲師酒井雲坊を改名しての歌手デビューだった。 この同じ年に映画監督稲垣浩が、自作の昭和18年に阪東妻三郎主演で撮った『無法松の一生』を再映画化している。主演は三船敏郎。ベニス映画祭に出品されて大賞を受賞した。 映画が公開された昭和33年は、私が13才で、中学3年生。もちろん『無法松の一生』を見ている。これについてはこのブログの2009年1月29日の日記で、50年ぶりにTV放映されたのを見たと書いた。そのなかで、三船敏郎が小倉祇園太鼓を飛び入りで叩くシーンに言及し、かなりの長い時間をノーカットで演じていて驚いたと書いている。 さて、村田英雄の『無法松の一生』だが、NHK・TVはそのレコード・ジャケットを映像で示したのだ。非常にめずらしいことに、表には村田英雄が太鼓を叩いている写真を使い、裏には三船敏郎が太鼓を叩く写真を使っているのである。それよりも私が注目し、また驚きもしたのは、・・・司会者は説明しなかったが・・・ジャケットには、なんと、「唄 村田英雄 太鼓 三船敏郎」と記載されていたことだ。 村田英雄の『無法松の一生』がデビュー曲であることは、村田ファンでなくとも衆知のこと。しかしそのデビュー・レコードの太鼓を演奏していたのが三船敏郎だったとは、・・・いやァ、私は知らなかったなァ。 映画のなかで太鼓を叩く三船敏郎に感心していたので、ここに新しい事実がくわわって、やっぱりなァと、なんだか嬉しくなった。そして、私の耳もまんざらでないな、と、少しばかり自賛したのである。
Dec 26, 2009
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蕪村忌(十二月二十五日) 蕪村忌や庭の千両たおりけり 白髪の母の髪梳く蕪村忌や 蕪村忌や古書の埃を払いけり 筆立の穂先に触れて蕪村忌や 蕪村忌の日は早々と暮れにけり きょう12月25日は与謝蕪村の命日(1716-1783)。大阪・摂津に生まれ、江戸で学んだ。俳人にして文人画家。幼いときから絵に秀で、後に大成した。俳句においては、正風(しょうふう。芭蕉風ということ)の中興をとなえ、芭蕉とならび称される。 私は、蕪村の句に芭蕉より男性的な硬骨な感性をみる。庶民の生活を見る目に秘めたやさしさがある。 蕪村の冬の句を2,3。 我骨のふとんにさはる霜夜かな 水鳥を吹あつめたり山おろし 炭うりに鏡見せたる女かな 我を厭ふ隣家寒夜に鍋を鳴らす 最後の句、天才は常に迫害されるという例か。そういえばテレビ・ニュースで蒲団叩きの主婦が話題になったが、彼女のような人が蕪村の隣人だったのだろう。
Dec 25, 2009
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賑わいも今ひとつなりクリスマス 青穹 千鳥足にわか信者のクリスマス 今日だけは歌声もれくる小教会 ケーキ屋の前で凍えるサンタかな マスクしてサンタクロース街の角 近所の子供達が羽子板で羽根つきをしていた。近頃ではめずらしい光景。 羽根つきやときどき音が乱れけり 青穹
Dec 24, 2009
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半月や寒さもこれで半ばかや 青穹 寒月や厚着の影のやや太し
Dec 23, 2009
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気ぜわしや残り八日で良い年を 青穹 そそくさと別れて戻り良い年を 別言(わかれごと)も互いに祝う年の暮れ せわしげに言われ身に添う年の瀬や しんしんと冷えゆく夜の懐手【註】「別言(わかれごと)」は、別れるときの言葉、挨拶。「ベツゲン」と読むと、意味がちがう。言い方を変えるという意味になる。
Dec 23, 2009
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月はみぎ子(ね)の星ひだり冬至粥 青穹 魚焼くや煙のさきの冬の月 寒空にほのかに赤き三日の月 【註】「子(ね)の星」とは北極星のこと。「子」は北。
Dec 21, 2009
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きょうは20日。午後、時間の合間をぬうようにして、年賀絵葉書の原稿をつくった。と言っても新作を撮影スタジオに運び込む時間はなかったので、1月に画集に掲載した作品を使うことにした。 みずから考えるまでもないのだが、私は64才のこの年まで幸いなことに病気らしい病気ひとつしないで、きわめて元気にやってきた。それが、昨年の12月28日に老母を救急車で運んで入院を告知されて以降、きょうまで1年間、まったく休むことなく看護に明け暮れた。病院を知らなかった人間が、何から何まで知りつくしたといえるほど病院とつきあってきた。そこから医療の様々な問題も知ることとなった。もちろんたった今、現在も、その渦中にあって、経験したことがない看護の問題がつぎつぎ起っている。なにしろ母の場合、誰もくいとめることができない老衰という問題が、病気が治るとか体力が回復するとかいう問題の先を越すかのように魔手をのばしてくる。 私は、画家としてはじめて、作品を描かない1年を過した。恐ろしい1年だった。新しい計画に着手して、3分の1程度まで準備ができていたのだが、それも完全にストップしてしまい、忸怩たる思いで「来年こそは」と考えている。 年賀絵葉書で新作を楽しんでくださる知人もいるので、なんだか済まない気持で印刷所へ送るレイアウトのためのコンピューターを操作している。
Dec 20, 2009
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去年(こぞ)の葉が土と崩れし庭の隅 青穹 今生(こんじょう)の手をふる別れ枯八手 年末は介護サーヴィス休みなり 常備薬大量注文年の暮れ 何事もなかれと医者の年の暮れ
Dec 19, 2009
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茶呑碗両手をそえる寒さかな 青穹 白菜のシャキッと音す朝寒し 洗濯の白さも寒し枯れ芭蕉
Dec 19, 2009
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昨夜、母の看護をしながら、NHK・BS2で放映中の『刑事コロンボ』の「黒のエチュード」を横目でちらちら見ていた。オーケストラの指揮者が愛人の歌手を殺害するという物語で、私は以前にすでに見ている。画面はたまたまその指揮者がオーケストラを指揮している場面。・・・それを見ながら私は、指揮者が登場する映画やテレビドラマをいろいろ思い出し、「指揮者をみごとに演じることは相当むずかしいのだな・・・」と思った。言ってみれば、彼等俳優たちはただ腕をふりまわしているだけの、きわめて非音楽的な身体演技なのだ。そのことは外国映画・日本映画いずれも同様だ。たとえば『アマデウス』にしろ、『砂の器』にしろ。 指揮者のことを「棒振り」などという。指揮者の岩城宏之氏自身がお書きになった文章のなかで、たしかそのように言っていた。まあそれは、自負心の裏返しの言葉と私はみるが、映画やテレビドラマを見ていると、「ああこの演技こそ棒振り。ほんとうの指揮者は棒振りなどではまったくないワイ」と気が付く。当たり前なのだが、その当たり前のことを音楽家ではない俳優が如何に身体で表現するかは、実はとてつもなく難しいということなのだ、と。 いったい指揮者を演じた俳優に何が不足していたのだろう。 たぶん、身体のなかに音楽そのものが入っていないのだ。音楽的な身体になってはいないし、演奏している(ことになっている)音楽を理解していないのだ。 つまり、芸術のなかの芸術たる音楽は、とても付け焼き刃の演技が太刀打ちできないシロモノなのにちがいない。私が言う意味は、その俳優が音楽好きであるかどうかということではない。ちがうちがう。私がイメージするのは、ダンサーである。音楽と文字通り一体になった身体の表現者としてのダンサーだ。私たちは、音楽にノリきれていない踊り手はすぐに分る。リズムばかりではない。ムードだけでもない。また技術だけでもない。しかし、それらを統合する高度な技術ではある。・・・そういうようなことが、実は指揮者にも必要であるらしい、ということである。 先日、やはりNHKで指揮者のアンドレ・プレビン氏がモーツァルトの交響曲40番を指揮していたのを見た。高齢のため、椅子に腰掛けての指揮で、身振りも決して大きくはない。あのどこか深い悲しみを宿したような40番をほとんど「静かに」というような最小限の手の動きで指揮していた。しかし、なんと音楽的な身体であったことか。それだからこそ、オーケストラは一糸乱れることなく素晴らしい演奏を貫徹することができたのだろう。 私が見た決して少なくはないはずの指揮者が登場する映画・ドラマ作品(コマーシャル映像を含めてもいい)で、私はやはり指揮者には出会わなかったの感がする。 ただ1本、それは指揮者らしい指揮者ではないが、あきらかに指揮者である映画、『ミュージック・オブ・ハート』でヴァイオリン教師を演じたメリル・ストリープを思い出す。 存亡の危機にある小学校の課外授業のヴァイオリン教室を救うアピールとして、実在のヴァイオリニスト、アイザック・スターン氏(本人が出演している)等の協力を得て、子供達がカーネギー・ホールで演奏会を開く。メリル・ストリープ演じる教師が、自らヴァイオリンを演奏しながら指揮をする。彼女は実際にバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ・パルティータを演奏したらしいが、指揮者らしく見せようなどという思いも気負いもみえない自然体の演技は、私にはたいへん音楽的に思えたのである。
Dec 18, 2009
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青空に言うこともなく冬日さす 青穹 子供らの歓声あがり冬日さす 十字路にしゃがむ幼子ちゃんちゃんこ 黄金雲やがて滲んで冬木かな 挨拶を咳き込みながら二度三度
Dec 17, 2009
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冬至来て訪問入浴は柚子湯なり 青穹 こころざし感に耐えなき柚子湯かな まろき実の黄金に照りて柚子湯かな 目をつぶり柚子湯うれしき老母かな 柚子の香の湯気にたゆとう母細し 静けさや爪切るひとの冬座敷 まぼろしか吾が背中見る冬座敷
Dec 17, 2009
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カーター・ディクスン(別名ディクスン・カー)『一角獣の殺人』の見本がとどいた。19日には書店にお目見えするはず。 ファンにはお馴染みのH・Mことヘンリー・メルヴェール卿が、見えない凶器の殺人事件に挑む。カーター・ディクスン全盛期の快作。はじめての文庫化だ。 パリで休暇を楽しむ元英国諜報部員ケン・ブレイク(本書の語り手)は、諜報部員の美女イヴリンとの再会により、“一角獣”をめぐる極秘任務に巻込まれた。そして嵐の中たどりついた『島の城』では、目撃者のいる前で怪死事件が発生。死体の額には鋭い角のような物で突かれた痕が残っていた。 フランスの古城を舞台に、希代の怪盗、パリ警視庁の覆面探偵、ヘンリー・メルヴェール卿が三つどもえの知恵比べを展開する! (本書扉書より) 冬の夜は、暖炉の前の揺り椅子でパイプを銜えながら、『一角獣の殺人』をお読みください。ええ、もちろん炬燵に寝そべって煎餅を食べながらも、結構ではありませんか。
Dec 16, 2009
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障子戸にはだらな冬の光かな 青穹 惻々となみだの滲む根深汁 歌あれば歌に泣きたき枯木立【註】「根深汁」とは、葱の味噌汁のこと。
Dec 15, 2009
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(十二月十四日) 東京のネオン凍るや流星群 青穹 双子座の流星降って山眠る 貧しきも富めるも冬の流れ星 いくつもの星が流れる冬の空 無窮のかなた明き星飛ぶ十二月
Dec 15, 2009
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双子座流星群を見た。今夜の東京の空は、いつになく星々がよく見える。それで期待してヴェランダにたたずんでいたところ、10時15分、はじめての1個が流れた。明るく、くっきりと、たいへん良く見えた。 東京にお住まいの方は、いますぐ夜空をながめては如何がですか。クリスマスにさきがけて、星に願いを・・・ね? 私? 願いごとするのを忘れてました!
Dec 14, 2009
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待てしばし捨つるに早き古暦 青穹 紙ひと葉残りしだけの古暦 あたらしき暦の上の古暦 新暦母の看護の予定書く 新暦介護会社の数ほども
Dec 14, 2009
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ヴェランダで降る星待ちぬ冬の空 青穹 待ちわびし届かぬ双子の冬便り 来ぬものを知りつつ独り冬座敷 天ひろし魂あくがれて冬野かな 影黒し蕭条として枯木立
Dec 14, 2009
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双子座流星群は、昨夜の東京は残念ながら厚い雲にさえぎられて見ることができなかった。私はときどきベランダに出て夜空をながめていたのだが。きょう14日の夜に期待しようか。 双子座流星群は、毎年、12月13日・14日前後に見ることができる。といっても、ことしは肉眼でも見ることができそうだというので新聞・TVで話題になった。 双子座の双子というのはアルファ星カストルとベータ星ポルクスのこと。ともに1等星を頭として銀河につらなる3等星と4等星を身体にみたてている。ギリシア神話のゼウスとスパルタ王妃レダとの息子たちだ。レダと白鳥(ゼウスの化身)、そしてこの双子の図像については、フリーページに掲載している論文『卵形の象徴と図像』を御覧下さるなら幸いだ。古今の画家たちが少なからぬ関心をしめしてきた主題である。
Dec 14, 2009
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寒いからのっぺい汁は如何かな 青穹 寒いけど窓を手で掻く猫五匹 流星や遠き星座の冬みやげ 双子座の冬のたよりや流れ星 冬雲を払いて星は降りけるや
Dec 13, 2009
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北風が軒端過ぎ行く家鳴りかな 青穹 子供らは何処に行きしや冬ざるる 木枯や犬の遠吠えつづきけり 鉄塔のゆるき弧線や冬の空 灰色を着重ねてるか日曜日 『暗い日曜日』というシャンソンがある。「腕に薔薇を抱いて 吹きすさぶ 木枯のなか・・・」と。東京は灰色の日曜日だ。今夜から明日にかけて双子座流星群がピークとなり、晴れていれば1時間に5~10個、あるいは50個にものぼる流れ星が観測できるはず。さて、こんな灰色雲が幾重にもおおっていては見ることができないかもしれない。
Dec 13, 2009
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冬空を指でなぞって雲三筋 青穹 冬の雲ひかりの島が浮かびけり 補陀落や冬ざるる里いま此処は 突兀として補陀落山も冬枯るや 観音も冬ごもりたる補陀落寺 きょうの句は、三筋の雲にはじまり、ひかる島-補陀落山(ふだらくせん)と連想がつづいた幻想句である。【註】「補陀落(ふだらく)、あるいは補陀落山(ふだらくせん)」とは、梵語Potalakaのことで、光明山とか海鳥山あるいは小花樹山と訳している。インドの南方海上にあるとされる仏教信仰から想像された山で、インド、中国、日本の観音信仰の基にあって、観音の応化(おうげ:観音が迷える衆生を救うためにさまざまに姿を変えること)とされる。
Dec 12, 2009
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窓硝子打つや雨滴の雨寒し 青穹 荷運びの濡れ髪黒し寒の雨 ふたりめの訪問客や冬の雨 灰色にけむる坂町冬の雨 零時前風すこし出て冬の雨
Dec 11, 2009
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近所にオペラや歌曲が好きな人がいて、ときどきそれが聞こえてくる。 テノールの歌曲止んだり冬座敷 青穹 母の食事は鼻から経管で入れるが、それはそれ用の缶に入った液体である。すくなくとも1日3缶だから、ゴミ回収の2週間に1度の空缶回収日には相当量になる。今朝がその回収日。隣家の夫人がそれと知らずに空缶の多さにびっくりしていた。普通の飲料水、あるいは酒の缶とでも思ったか・・・ 母はそのような食事でも、家族は普通の料理を食べるわけだ。そこにはある種の感慨がないわけではない。 土物の器におでん取りにけり 青穹
Dec 11, 2009
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雨寒し一筋道をくだりけり 青穹 闃(けき)として遠き橋なり雨寒し 冬の雨行き交うひとの肩細し 倒れ木の幹にあふれる冬の雨 熱き茶を一杯すすむ冬の雨 足元の美しき人あり冬の雨【註】「闃(ケキ、あるいはゲキ)」とは、人けがなくひっそりしていること。
Dec 11, 2009
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風呂焚くと言わずなりたる湯浴かな 青穹 のうのうと手足のばせば湯気の立つ ゆらゆらと湯気にただよい睡魔かな ともしびも湯気に滲むや老いの冬 わが裸しみじみと見てくしゃみかな
Dec 10, 2009
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今朝の気が押し開きけり冬扉 青穹 手を振って近づく人の息白し 豆腐屋の喇叭ふるえる冬の朝 豆腐売り手に吹きかける息白し 薮陰にひそむがごとく寒椿 ひそみても色香かくせぬ寒紅や 寒紅やあでやかすぎる老女かな 寒紅や老いたりといえど女なり 降る星はあらねど冬の祭かな
Dec 10, 2009
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掃きよせる落葉もなくて冬の朝 青穹 柿の木の枝するどくし冬構 コンビニの閉店告知師走かな
Dec 9, 2009
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きょうは寝たきり状態の老母のための訪問入浴の日。この日は午前9時の入浴時間以前に終わっておくべきいろいろなことがあるので、私は6時ころから大忙しだ。心臓の外用薬を貼り、排泄の始末をし、一時間かけての経管栄養(朝食)を入れ、同じく経管で血圧コントロールの薬を入れ、新しいバスタオルや下着やパジャマやシーツを用意し・・・等々。そして入浴サービスの看護士を含む3人一組のチームが車でやってくる。 母は、長らく血圧が安定しなかったので、入浴させることができなかった。蒸しタオルで身体を拭ってやるだけだった。しかし、ようやく血圧が安定してきたので、12月から訪問入浴サービスを依頼し、週1回の契約をした。身体の清浄のためのみではなく、入浴によって心身の活性をうながす目的もある。 第1回目の入浴時には、日頃から母を看ている看護士も立ち合っての試行だったが、それが無事だったので週1回をつづけることにした。 このチームは実によく訓練していて、9時に到着して10時に帰ってゆくまで、すばやい流れるような仕事ぶりである。初めてそれを見た私は、感嘆しながら、ただただ邪魔にならないように部屋の隅に立っていたのだった。 このサービスは、前もってこれまでの母の状態を詳細に知ってもらい、・・・大腿骨転子部に金具が入っていること、腹部大動脈瘤のステント・グラフトをしていること、急性大動脈解離で1ヶ月半前に51日間の入院から帰宅したこと、日常の服用薬の種類、酸素吸入や経管栄養や、小水排泄管のこと等々・・・身体状況に合った入浴方法を相談することから始る。彼等は我家の間取を調べ、電源、給水、配水、排水を設定する。 当日。ベッドのわきに防水シートを敷き、浴槽を運び込み、寝た状態で入れるためのゴム製のハンモックを、浴槽に取り付けた金属枠に設置する。二人がその準備をしている間に、看護士が体温や血圧を測定し、爪の手入れをしたり蒸しタオルで洗顔したりする。 母はハンモックに寝たまま、浴槽に折畳式に附属している洗髪用ベースで髪を洗ってもらい(ちょうど美容室のように)、身体を洗ってもらう。長湯はできないので、ものの15分ほどなのだが、3人はそれぞれ別な仕事をしながらも見事にシンクロして、母に声をかけながら丁寧で素早くゴールにむかってゆく。母は眠るように目をつむって安心して身体をあずけている。しかもこの間に新しいシーツでベッドメイキングされる。 ベッドにもどると再び看護士が血圧を測定し、ほかの二人はあっと言う間に浴槽や器具を洗浄し、器材を車に運び入れる。 まさにプロフェッショナルである。私はチームを送りだし、気持よさそうに眠っている母の顔をのぞきこむのである。
Dec 9, 2009
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陰日向截然とせず冬木立 青穹 短日や子供等の声散りてゆく 濡羽色やや茜さし冬鴉 呼びかわし帰る友どち冬鴉 鴉唖唖鶇(つぐみ)の声もまじりけり【註】「唖唖」とは、鳥の鳴声のこと。
Dec 8, 2009
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物言わぬ悲しげな目に障子明り 青穹 まじまじと我見る母や冬ことし 握れども手力よわし十二月
Dec 7, 2009
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猫膝に小春日和の睡魔かな 青穹 猫の息ほのかに温し冬日和 鼻当てて安けく丸む猫の冬
Dec 7, 2009
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わが窓に白き塔見ゆ冬日さし 青穹 車列長き高速道に冬光る 霜月や老母は管に縛されて 短日や朝昼夜の看護に暮るる
Dec 6, 2009
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男坂を崩れて流る冬の雨 青穹 冬の雨軒端に鋭く矢の光 庭下駄の爪より濡らす雨寒し 街灯の貧しきあたり雨寒し 忍び妻おぼろにかすむ冬の雨
Dec 5, 2009
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山の辺を落葉流して冬の雨 青穹 山下る蛇紋のごとき寒雨水 傘叩く音の乱れの寒雨かな 医者送る背に降り懸り寒の雨 寒の雨喪中葉書のひっそりと
Dec 5, 2009
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如何程をきこしめしてか猩猩木 青穹 ポインセチア血紅の色の禍々し【註】「猩猩木(しょうじょうぼく)」はポインセチアの別名。 猩猩はオランウータンのことである。顔が赤いので、能『猩猩』では霊獣猩猩が酒に酔って親孝行な高風を祝福するという物語になっている。転じて大酒飲みをさす。 ポインセチアはトウダイグサ科の植物でメキシコが原産。楕円形の葉が多数輪状に開き、先端の葉が鮮紅色で、一見花のように見える。ほんとうの花はその赤い葉の先端に一つの花のように見える花序としてついている。
Dec 5, 2009
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胸深く思いとぢれば冬薔薇(そうび) 青穹 汝が棘に細き血滲む冬薔薇 見開きし目のごとくあり冬薔薇 冬の薔薇遅れて咲きし徳もあり 枯庭にいよいよ寂し冬薔薇 花斬れど花に罪なし冬薔薇
Dec 4, 2009
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飛行機の轟音くぐもる雨寒し 青穹 石段の細き流れや雨寒し 雨に濡れいっそしお垂る枯黄菊 雨寒しおとなう人もなき日かな 来る文の文字も濡れたり冬の雨
Dec 3, 2009
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冬雲が富士の形(なり)して立ちており 青穹 天の縁燃やして消ゆる冬日かな ゆらゆらと枯柳揺れたそがれる ただひと葉夕べに落ちて裸なる ただ一葉いつまでも舞う落葉かな
Dec 2, 2009
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一年や病んで走らぬ師走かな 青穹 老衰が駆出しそうな師走かな 疾く来たれ冬来たりなば春隣
Dec 2, 2009
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凍蝶やついの褥の枯葎 青穹 愛憎の心弱りや冬の蝶 凍蝶の翅落ちしかば死せるなり 落ち蝶をいくども見たり道筋に 死を念いなお生きており冬の蝶 【註】「凍蝶(いてちょう)」とは、冬に蝶が幾日もじっと動かず止まっているので死んでいるかと思えば生きており、生きていると思えば凍死している、そんな蝶を言う。
Dec 1, 2009
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打ち捨てて別れし道の枯茨 青穹 此処何処一足出せば時雨かな 庭の木を一本伐って冬日入る 遠火事や切れぎれ聞こゆ人の声 消防車疾駆してゆく遠い火事
Dec 1, 2009
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