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山田維史『ウクライナは永遠に』Tadami Yamada
Mar 31, 2022
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山田維史『ウクライナに希望を』Tadami Yamada山田維史『愛をもってウクライナに連帯』Tadami Yamada
Mar 30, 2022
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山田維史『希望の復活』Tadami Yamada山田維史『誇り高きウクライナ』Tadami Yamada
Mar 29, 2022
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山田維史『ウクライナは死なず』Tadami Yamada 【註】「ウクライナは死なず」は、ウクライナ国歌のタイトル。原詩 "Ukraine has not yet perished" はパブロ・クビンスキー(Pavlo Chubinsky) に依る。作曲はミカイロ・ヴェルビツキー(Mikhailo Verbytsky)。
Mar 28, 2022
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山田維史『ウクライナに平和を』Tadami Yamada
Mar 27, 2022
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去る3月6日、ベルリン国立歌劇場(シュターツカペレ・ウンターデンリンデン)において、同歌劇場交響楽団がダニエル・バレンボイム指揮によるウクライナ支援コンサートを開催した。スポンサーは欧州中央銀行(ECB)社長クリスティーヌ・ラガルド氏とドイツ連邦銀行銀行の社長ヨアヒム・ネーゲル氏。 指揮者ダニエル・バレンボイム氏はベルリン国立歌劇場の総監督でいられる。申すまでもなく、現在活躍中の世界的な偉大な指揮者であり、また偉大なピアニストである。 このコンサートのプログラムは、ウクライナ国家に始まり、バレンボイム氏のスピーチ、そしてシューベルト作曲「交響曲第8番 未完成」、ベートーベン作曲「交響曲第8番 英雄」。 私はYouTubeでバレンボイム氏のスピーチを感銘深く聴いた。ドイツ語で話されたが、英語の字幕が付いていた。 ・・・それを日本語に訳してお目にかけたいが、著作権の問題があろう。その指摘があったときには,即座に削除するとして、私は拙訳して重要な意義あるダニエル・バレンボイム氏のスピーチを掲載する。 後に述べようと思うが、国家が、世界が、戦争という重大な危機に瀕しているときに、芸術家が如何なる姿勢をとるべきかということを、私自身芸術家のはしくれとして常々吾が胸に問いかけて来た。 ダニエル・バレンボイム氏のスピーチ 〈 私の祖父母はベラルーシとウクライナの出身で、20世紀初めに反ユダヤ主義計画を免れるためアルゼンチンに逃げました。ヨーロッパは非常な苦難を経験したわけですが、私は第2次世界大戦後に再びここで争いが起ろうとは夢にも思いませんでした。第2次世界戦争がヨーロッパにおける最後の戦争だと信じたのは、おそらく私一人ではありません。 ウクライナの人々の、彼らの国,彼らの生命、そして彼らの自由のために、巨大な力の残虐な侵略に対する勇敢さと決意によって、私たち皆が非常なる感動をさせられました。しかし、それ以上に、ウクライナの人々が私たちの自由と私たちの価値観を頼りにしていることに気付くのです。 私たちは皆さんに、観客の方々に、その共感と支援に感謝いたします。そしてウクライナの国民の皆さんが私たちの連帯を感じてくださることを希望します。しかし、私はまた、いまやロシア人すべてを疑いの目に曝すという罠に陥らないようにと、警告いたします。私たちは、そのような方針を大声ではっきりと非難し、その方針から距離を置く必要があります。私たちは、ロシアの人々や文化に対する魔女狩りを許してはなりません。たとえば、ヨーロッパのさまざまな国でのロシアの音楽や文学などの新たな禁止やボイコットは、私に最悪な団体を思い起こさせます。イタリアにおいてドストイエーフスキーに関するあるシンポジウムが中止になりました。彼がロシア人だという理由です。ポーランドでは昨日からロシア音楽を演奏することが禁止されました。今日のこのコンサートは、このステージ上の音楽家全員からのウクライナのための支援と連帯のしるしです。 私たちの願いは、人々ができるだけ早急に互いを銃撃することを止め、お互いが話し合うことを始めることです。もし音楽から学ぶことが一つあるとすれば、私たちは対比と違いをもって生きることができ、そしてそのように生きなければならないということです。しかし、あらゆる違いにもかかわらず、最終的に調和のとれた共存を達成することが、私たち人間の目標でなければなりません。 これが私たちが戦争の終結とヨーロッパと世界に平和を呼びかける理由です。〉ベルリン国立歌劇場交響楽団ウクライナ支援コンサート 国家が戦争の危機に瀕したとき、芸術家が如何なる姿勢をとったか、過去を顧みれば多くの事例で知ることができる。 たとば音楽家で言うなら、バレンボイム氏の前世代の巨匠フルトベングラーはナチスの意向に添うてあの時代を生き抜いた。 俳優で言うなら、トーマス・マンの息子クラウス・マンがその小説のモデルとした実在の優秀な俳優グスタフ・グリュントゲンスは、ナチス政権の領袖である宣伝相ゲッペルスとプロイセン州知事ゲーリングとの互いに監督する芸術劇場をめぐる縄張り争いにまきこまれ、自らの栄達への欲望を利用されて、ナチス権力の操り人形になった。・・・クラウス・マンのこの小説を映画化したイシュトヴァーン・サボー監督作品『メフィスト』(1981年、ハンガリー)を私は食い入るように観た。実在のグリュントゲンスは映画の中ではヘンドリック・ヘフゲンという名になっている。ヘフゲンがナチスが操る強烈なスポット・ライトの中央に行くように命じられ、何が何だかわからず右往左往しながら言う。「いったい彼らは私に何を望んでいるのだ。私はただの役者にすぎないのだ」 そのとおり。ただの俳優、ただの音楽家、ただの小説家、ただの画家。それが権力の掌中に墜ちると、自らの意志は容易に無効化され、デマゴーグの手先となり、残虐な殺人指向者の意向を体現して民衆を死へと駆り立てる、ただの操り人形になるのだ。 フランスではどうだっただろう。ジャン・コクトーはナチスに占領されたパリで、ナチスの横暴も戦火もまるで意に返さないかのように、自ら創作した演劇の上演に傾注していた。すくなくともコクトーの戦時下日記から、私はそのように思う。 映画史上に特筆されるマルセル・カルネ監督の『天井桟敷の人々』も、戦時下に3年数ヶ月をついやしての撮影である。1820年代を再現したパリの「犯罪大通り」のすばらしいこと! 私は映画作家の芸術家としての良心と、時勢におもねらない、否、時勢に屈しない真のプライドを感じる。 わが日本ではどうだったか。木下恵介監督の『陸軍』(1944年)は、特筆しなければならない。言論統制が激しく、憲兵によるほとんど恣意的な残虐行為が横行していたときにあって、出征兵士として行進する息子の姿をどこまでもどこまでも追いつづける田中絹代が演じた悲しい母親像は、同時期の日本映画に類例をみない。 芸術作品とは不思議なものだ。作者の意志・意図とはまるで正反対のことを表現してしまうことが少なくない。たとえば藤田嗣治の戦争画は、戦意昂揚を目的として描かれたとされている。そしてそのような意識が藤田になかったとは言いきれない。しかし兵士の転がる屍体の存在に目を向けると、あるいは藤田は戦争というものの実相を描きたかったのではないかとも思える。つまり、藤田が戦争画を描いた当時、藤田の意図がどうあろうと、人々はたしかにその絵により戦意昂揚したのである。 芸術作品とは、プロパガンダを意図したものでないかぎり、宿命のように二面性をそなえているのだ。 また、小林秀雄は真珠湾奇襲による開戦をこおどりして喜んだ。その喜びを雑誌に寄稿した。しかしながら、終戦と同時にそのような文章を発表したことに口を噤んだ。生前出版された数度にわたる全集にも収録しなかった。この文章は完全に作者自身のずる賢い生き方のために、作者自身が履歴から抹消した。・・・つもりだったのだろう。しかし国会図書館のような書庫の掲載誌まで抹消はできなかった。 このような小林秀雄の生き方について、友人だった大岡昇平は『成城だより』のなかで、「過去をふりかえらない」と、やんわり評している。 小林秀雄は修辞が巧みな評論家だ。しかしながら、対談や対論において自分が不得意な問題に入ると、その修辞的な物言いで巧みに主題を変えてしまう。私がずる賢いと言う由縁だ。自ら時流に乗って生きると言い、日本の偉大な知性と言われ、文学評論家としてまことに幸福な生涯をおくった。はは、日本人の知性とはそんな程度? 21世紀の主権国家に対して、現在、のぼせあがった首長の欲望による残虐非道な侵略戦争がしかけられるとは、バレンボイム氏が言うように、夢にも思わなかった人は少なくないかもしれない。私もその一人だっただろうか? いや、私はずっと戦争が起ることを警戒してきた。私のこのブログ日記を読んでくださっている方は、きっとお気付きであろう。私は、「おまえの取り越し苦労だよ」とからかわれようとも、戦争を指向する人たちとはまったく逆の立場で戦争が起る可能性が大きいことを語って来た。吾が日本では、すでに昭和の終戦直後いくばくもたたないうちに、着々と再軍備の道へ進もうと「努力」していた政治家や民間団体はあったのだ。そのなかの年寄連中は昔ながらの白兵戦を夢想しているようだった。戦争のセの字からも遠い若者は、自分が兵隊にとられることになるとも想わないのか、マンガや電子ゲームのなかの戦争が実際の戦争と同じだと想っているのか・・・戦争指向(嗜好)者が以外にも多いらしい。私には、自分のみじめな戦死を想像できない若者がまったく理解できない。若者が戦争を娯楽のように望むのだから、若者を戦場に送らないようにしなければならないという私の願いは、まったくの無駄なのだろうか? そのような日本の現状で、少なくとも、・・・あるいは、おそらく、・・・芸術的な表現活動にかかわっている人は、言論統制が現実的であることと、その底にキナ臭いものがうごめいていることを実感しているに違いない。 私は、いま、私自身の姿勢を自らに問い、糾している。イシュトヴァーン・サボー監督作品『メフィスト』の日本公開パンフレット(シネマスクエアとうきゅう)イシュトヴァーン・サボー監督作品『メフィスト』のオリジナル・ポスター
Mar 26, 2022
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「雉(きじ)鳴く」あるいは「夜の鶴」は、けんけんと鳴くその声が、古来、我が子をさがす親の悲しみを表わすとされている。俳句では3月の季語である。 非道の侵略戦争に苦しむウクライナの子どもたちや親を思い、拙句を詠み、ウクライナ連帯の22作めのポスターをつくった。 雉鳴くや焼け野のウ国のがれ来て 青穹(山田維史) 眠りなきウ国悲しや夜の鶴 "Pheasant crying" or "night crane" is said to expressthe sadness of parents looking for rheir children sinceancient times. In haiku, it is the season word for March. Thinking of Ukrainian children and parents sufferingfrom an outrageous war of aggression, I wrote haikuand made the 22nd poster of Ukrainian solidarity. Kiji naku ya U-koku no yakeno nogare kite The pheasant cries, comes out from the burnt fields Ukraine Nemuri naki U-koku kanashi ya yoru no tsuru Sleepless country Ukrainian sadness, Looking for children the crane is crying at night Tadami Yamada山田維史『ウクライナに平和を』Tadami Yamada
Mar 25, 2022
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山田維史『ウクライナに連帯-No.21』Tadami Yamadaウクライナ連帯ポスターNo.11~21ウクライナ連帯ポスターNo.1~10山田維史Tadami Yamada
Mar 24, 2022
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ゼレンスキー大統領が日本の国会でオンライン演説。日本のすばやい支援と連帯に感謝の意を述べられた。ANNnewsGHよりゼレンスキー大統領の演説山田維史『ウクライナの平和は世界の平和』Tadami Yamada
Mar 23, 2022
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午前と午後と、ふたつの会議に出席。ただいまは午後4時。帰宅して、コーヒーを飲みながら休憩している。 気象予報は午後から降雨だったが、さいわいにもはずれた。朝の会議にはダウンジャケットを着て出かけた。しかし午後はそれを脱いだ。風が少し冷たかったが、さすがにそれは春の風である。 小庭の紅椿から雪融けの滴が落ちていた。それを見て、芭蕉の句を思い出した。 落さまに水こほしけり花椿 芭蕉 椿と言えば、前々から気づいていたことがある。花の落ち様についてだ。 我家の紅椿は蕊がついたまま花冠ぜんたいがポトリと落ちる。ところが両隣の家の椿は花びらがばらばらになって、そう、散り敷くように落ちる。両家の椿はそれぞれ種類が異なる。 椿は園芸種や交配種など非常に多くあり(700種ともいわれている)、そのそれぞれに植物学としての学名・和名が同定されているのだが、私は他家の庭の椿をじっくり観察したことがない。我家の椿は「ヤブツバキ」の一種あるいは変種、もしかすると「霊鑑寺早咲薮椿」かもしれない。花の落ち方で、それがわかる。両家の椿は、片や秋に咲くピンクの、たぶん「英勝寺侘助」。片や色は白椿に近い薄いクリームピンク。我家より少し遅く3月末から4月に咲くので、たぶん「王昭君」。こちらは花びらがパラパラと散るけれど、大きな花冠がそのまま落ちているのを見かけた。 椿の花が落ちるのを見るたびに、1962年(昭和37)の公開時に観た黒澤明監督の映画『椿三十郎』を思い出す。隣り合った武家屋敷が泉水の流れでつながっている。隣家は「椿屋敷」と称されるほど庭の前栽は椿だらけ。その椿の花冠が泉水の流れに散り落ちて、・・・いや、人手で大量に流して・・・。 椿から離れるが、ついでだから述べておこう。上述の『椿三十郎』に重要な「役処」として出てくる隣り合った武家屋敷をつなぐ泉水路についてだ。私はこのブログを開始して間もない2008年5月3日に、次ぎのように書いた。それをここに書き写してみる。 〈ところで、映画論ではおそらくまったく注目されなかったであろうことだが、私が早くから気になっていたことがある。それは椿屋敷(黒藤邸)と隣家の寺田邸と、ふたつの屋敷の庭を縫って流れる泉水路の件だ。それぞれ格式のある武家屋敷が、ひとつの泉水路をあたかも共有するように庭をつくるようなことが果たしてあるだろうか、という疑問である。 私はこのようなことを、娯楽作品だからといって見のがすような質(たち)ではない。一方、私は、黒澤映画における「嘘」を成立させるにたる何等かの根拠の存在をいつも信用していた。 で、私は長い間、頭の片隅にその疑問を置いていた。そして随分たってから、椿屋敷のような例が実際にあることを発見したのだ。長野県松代市にその例が存在したのである。 それは江戸時代より今に残る泉水路で、塀の外を街路にそって走るのではなく、庭を通って隣家の池から隣家の池へと流れる方式なのである。どうやら松代の独自な形式らしい。 この松代形式が『椿三十郎』に取り入れられたと主張するつもりはないが、すくなくともあの奇抜な泉水路の発想には江戸時代の実例があるということは指摘しておいてもよいだろう。この映画を、そんな点に疑問を感じながら見た人はいないかもしれないけれど・・・〉 そして、「椿屋敷」の椿は映画美術さんが作ったのであろうが、願わくば、現代園芸種を参考にしたのではなかったことを! こゝに叉こゝた掃かざる落椿 虚子
Mar 23, 2022
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桜が咲いたというに、春の雪とは写楽さい。今朝、小雨が霙になり、昼頃には雪に変わった。山の上の我家のあたりはたちまち1cm有余積もった。十ばかり咲いた紅椿が白い頬冠りして項垂れている。 私は午後から民生委員の地区会議。そろそろしまおうと思っていたダウンジャケットを羽織って、傘を差し、山を下った。一句詠もうかと思うが、てんで風流気分じゃない。きのうは花見の行楽客でにぎわった処もあったようだ。新型コロナウィルス禍による規制が解除されるとあって、久方ぶりに解放感をあじわったのだろう。 花よりは酒にこそ酔う今年かな 青穹(山田維史)山田維史『ウクライナ正義を言いつづける自画像』Tadami Yamada
Mar 22, 2022
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山田維史『ウクライナに平和を』Tadami Yamada
Mar 22, 2022
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山田維史『ウクライナは永遠に』Tadami Yamada
Mar 21, 2022
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我家の小庭のクサボケが咲き、椿が咲いた。紫陽花や茶の木の若葉が日に日に大きくなり、アガパンサスの若葉も15cmほどになっている。きょうはやや寒いが、春なのだ。 昨日の夕方に雨が降り始めたので、2日間の連休は雨になってしまうかと思った。深夜、目覚ると枕上の窓がいやに明るい。水道局から深夜の点検作業をすると連絡があったのは数日前。その作業もすでに2日前には終わったはず。あらたな工事が始まったのあろうかと、煌煌と明るい窓を覗いてみた。雨は止んでいた。そして、なんと、中天にまんまるな月だ。雨で空気が洗われ、澄み切った夜空に一段と明るく月が輝いていた。私はなんだか嬉しくなって、再び眠りに就いた。 春の月に嬉しさを感じたり、庭の花々に喜びを味わうことも、ウクライナの人々にはあるまいと思いながら、今朝、早々に、ウクライナ連帯の16作めのミニ・ポスターを創った。 人間は他者に対してどこまでも残虐な非道に堕ちることができる動物なのだと、つくづく思いながら。戦争に名を借りて殺人と破壊をしつづけ、さて、おのれの死に際に何を思うのだろう。取り返しのきかぬ所行の返り血を浴びた死に装束をまとい、腐敗した脳を容れた頭蓋の上に大量殺人者の冠を戴き、宇宙の塵になる己を。 The Cfhaenomeles japonica in my small garden bloomed, and the camellia bloomed. The young leavesof hydrangea and tea trees are getting bigger day byday, and the young leaves of agapanthus are about 15cm. It's a little cold today, but it's spring. It started to rain yesterday evening, so I thought it would rain during the two consecutive holidays. WhenI wae up at midnight, the window on the side of thebed head is very bright. It was a few days ago that theWaterworks Bureau contacted me to do a late-nightinspection. That work should have already been com-pleted two days ago. I wondered if new constructionhad begun, and looked into the glittering and brightwindows. The rain had stopped. And what a roundmoon in the middle of the sky. The air was washedby the rain, and the moon was shining brighter inthe clear night sky. I was kind of happy and wentto sleep again. I made the 16th mini-poster of Ukraine solidarityearly this morning, thinking that the people ofUkraine would not feel happy in the spring moonor enjoy the flowers in their gardens. While thinking that human beings are animalsthat can fall into a cruel outrage against others. Hecontinued to murder and destroy in the name ofthe war, and what do he think about his death? Thereturn of irreparable deeds, dressed in blood-soakeddeath, and the crown of a mass murdere on a skullcontaining rotting brain, and becoming to the dustof the universe.Tadami Yamada 山田維史『ウクライナ万歳!』Tadami Yamada
Mar 20, 2022
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山田維史『ウクライナに春よ来い』Tadami Yamada
Mar 19, 2022
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一日中、雨が降っていた。気温が下がり、寒い。「春雨じゃあ、濡れて行こう」などと言っていられず、エアコンディショナーを作動した。 朝、8時過ぎ、受けていた支援相談事が良い方向に進み、一安心した。さまざまなシチューションを想定して解決策をいくつか用意していたが、ひとまずそれを引っ込めてもよさそうだ。 と言うわけで、午前中は私自身の仕事に取りかかる前に、ドイツのフランクフルトで3月10日に開催されたウクライナ支援のためのチャリティー・コンサートを、YouTubeで聴いた。 【プログラム】 ウクライナ国歌 在フランクフルト・ウクライナ領事の挨拶 シューマン作曲『チェロ協奏曲』 ウクライナの現代音楽:アンナ・コルスン作曲『ミラージュ』 フランクフルト・ラジオ交響楽団理事の挨拶 ベートーヴェ作曲『交響曲第9番』より「終楽章・合唱」 「合唱」がすばらしい。私はかつて佐渡裕氏が指揮したドレスデン交響楽団の「第9」にも非常に感激したが、このチャリティー・コンサートの「合唱」には、歌う言葉に、なんと言ったらよいだろう、・・・魂を感じた。魂などと書くといかにも通俗だが、しかしながら、ドイツでドイツ語で歌うのだから当たり前といえば当たり前なのだが、言葉が記号ではなかった(*)。言葉に血肉がそなわった訴求力があった。ソリストたちは言わずもがなだけれど、合唱団員のひとりひとりに、単に楽譜にのっかった言葉を歌っているのではない、そう、私はあえて「平和」をもとめる心からの訴えがあったと言おう。私はそのように聴いた。語弊を恐れずに言えば、そのように血肉がかよった言葉の音楽を、巨匠カラヤン氏の指揮した美しい「第9」にも私は聴かなかった。【*註】私が言う意味は、たとえば日本人のあなたが、「きみが好きだ」と言うのと、「アイ・ラヴ・ユー」あるいは「ジュ・テーム」と言うのとでは、こころの真実みがちがうだろうということだ。フランクフルト・ウクライナ支援コンサート山田維史『ウクライナは世界と共に』Tadami Yamada
Mar 18, 2022
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昨夜の地震は、東北地方の各地から被害の様子が報道されている。東北新幹線が高架線上で脱線したというのには肝を潰す。幸い大事に至る人的被害はなかったようだ。 私はあの時すでにベッドに就いていたが、ちょうど23時30分ごろ、背中にごくごく微かな揺れを感じた。それは気のせいとも思えるような、たとえるならば水たまりの表面をそよ風が吹いたような、ほんとうに極々かすかな感覚だった。「おや? なんだろう?」と私は思った。するとたちまち揺れは大きくなり、「地震だ!」と、枕元に常備の掌サイズの懐中電灯を点けた。すぐに揺れはおさまったので時計を見ると,22時34分だった。ところが2,3分後だった、2波目のさらに激しい揺れが来た。私はベッドから出て避難路を確保するために部屋のドアなどを開けた。停電していた。激しい揺れは4,5分つづいた。長く感じた。隣室で何かが落下する音がした。 ・・・今朝、隣室を覗くと、積んであった本が崩れていた。被害とは言えない。我家はただそれだけですんだ。電気もまもなく復旧した。 この地震で我家の防災対策で気がついたこと。じつはヘルメットを玄関内に常備してあるのだが、むしろ寝室に置くか、別にもうひとつ用意して置く場所を分けたほうがよい、と。水や食糧の備蓄はしてあるが、ヘルメットの置き場所まで気がまわっていなかった。 1万冊近い本と大量の作品については、手のほどこしようがない。これは私の死に際しても言える。いまとなってはおそらく入手困難な貴重本もあるのだが・・・
Mar 17, 2022
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すでにCNNでも報道された事だが、ウクライナのゼレンスキー大統領が去る3月4日、イギリス下院議会においてオンラインによる演説をおこなった。大統領は自国への侵略に対して「我々は最後まで戦う」と不屈の意志を表明し、英下院は満場のスタンディング・オベイションで拍手を贈った。 ウクライナ大統領、英下院で演説 ところで本日3月16日の日本のTV各局は、ゼレンスキー大統領が日本の国会でも演説したいという意向を政府に打診してきている、と報じた。そして、この大統領の意向に対して日本政府の現時点での回答(?)も報道していた。 政府としては検討してみるということなのだろうが、報道された政府のイクスキュースに、私はあきれてしまった。いかなる弁明かというと、第一に「オンラインによる国会演説は前例がない」、第二に「(ヴィデオのための)スクリーンがない」、である。 私はいつも感じることながら、こいつらバカじゃないの?と。・・・「前例」? 明治・大正・昭和の時代にヴィデオ会議があったわけじゃあるまい。ないところに前例を探しても、そんなもの出るはずはあるまい。犯罪的な企てをするわけじゃあるまいし、テメェらで前例とやらになる事をやったらいいじゃないか。 「スクリーンがない」? そんなもの、れっきとした IT 技術者は日本に五万といる。子飼いのNHKがあるだろう。金をふっかけてきたら、叩いてやれ。ただし、利権あさりや己の懐を肥やすために政界に乗り出しているやつは、・・・お前等、わかっているだろう、・・・オフリミットだぜ。(麻生衆議院議員の口調をまねて) 日本政府はすでに自衛隊機を派遣して、殺傷能力がある武器を除いた軍用品を送り、ウクライナを支援している。宮城県は自治体として寄金した。民間企業も民間人も支援に乗り出している。 国連難民高等弁務官事務所によると、ポーランドは官民一体となってウクライナからの避難民をすでに150万人受け入れているという。150万人だ。もちろん他の東欧諸国も合せて100万人を超える避難民を受け入れている。 おそらく、今後もウクライナ避難民は増えるであろう。人道などまったく念頭になく、残虐性と欺瞞性を本質とする恐怖政治により傀儡化した軍隊が(軍隊というのはそういうものだが)、身勝手な理屈で独立主権国家に侵攻し、無差別な殺傷と破壊をしつづけているのだ。このときにあって、日本政府は、ウクライナに連帯する諸国とともに、世界に向けて明確に連帯の意思表明することが人道のみならず、政治的にも急務であるまいか。 グローバルの連帯の壁が、日本の「避戦」の壁である。日本が戦争になれば,日本国民には避難場所がない。この島国から脱出できないのだ。COVID-19禍の(伝染病にすぎない禍いの)、日本の社会生活の惨状を見れば、島国から脱出できない戦争がいかなる惨状をもたらすか、これは空想ではないのである。自己肥大化した愚かな施政者にとっては、戦争は打ち上げ花火のようなゲームであろう。しかし、巻き込まれた人たちにとっては「死滅」の問題以外ではありえないのだ。 苦悩の大統領が、我国の国会で演説したいと自ら打診してきているのであるなら、政府よバカげたイクスキュースをしていないで、早急に受け入れたらどうだ。【追記】ゼレンスキー大統領は、3月16日、オンラインでアメリカ連邦議会においても演説した。 ウクライナ大統領、米連邦議会で演説-------------------------------------------私の個人的な事実を書いておこう。 このブログ日記にすでに何度か書いたが、私は昭和20年 (1945) 5月に生まれた。終戦のちょうど3ヶ月前である。父が北方中国の戦地から復員し、結婚し、鉱山技師だったのですぐに伊豆の土肥の金鉱山に復帰した。その地で私は生まれた。 駿河湾の焼津港や清水港はグラマン機の攻撃目標であったので、土肥近辺も空襲されつづけた。空襲警報が鳴り響き、母は生まれたばかりの赤ん坊を背負って防空壕に避難した。しかし、赤ん坊の私は暗闇を嫌って声をあげて泣くのだという。母は仕方なく私を背負って防空壕から出て、飛来する数十機のグラマンの銀翼が夜空に光るのを見上げていた。焼夷弾が投下され、機銃掃射が繰り返されると、さすがに外に出ていることもできない。父母は私を、まるで蒲団蒸しのようにぐるぐる包んで、機銃掃射の弾丸が綿蒲団を貫通しないことをただただ祈り、私に謝りながら階段の下の隙間に押し込み、防空壕に退避した。 ・・・私は生き延びた。父母も祖父母も生き延びて終戦を迎えた。 しかし、このときの空襲警報のサイレンの音が、生まれたばかりの赤ん坊の心に恐怖を植え付けたのだろうか? 音の記憶?・・・私は中学1,2年生のころまで、すなわち13,4歳の頃まで、サイレンの音に心の深いところで異常な反応がおこることに気づいていた。私という子供は、みかけは弱そうだったが、剛胆な気質を備えていた。父母もそれを分っていた。ところが、・・・誰にも打ち明けられないでいたが・・・サイレンの音が私を恐怖のどん底に突き落とすのだった。 記録をとっていなかったので明確ではないが、たしか13歳だったと思う。両親家族から離れて会津若松で暮らしていた。自室で5球スーパーのラジオでNHKの朗読放送劇を聴いていた。井上靖原作の『磐梯』である。猪苗代の会津磐梯山の噴火の物語。会津若松で暮らすようになって、磐梯山が身近になったこともあっただろう。そして、その朗読放送劇はすばらしかった。当時から63,4年も経った現在でも記憶しているほどだ。 しかし、記憶しているのは放送劇がすばらしかったからだけではない。じつは、不思議なことに一点だけ曖昧になる事があり、それは劇中でサイレンが鳴り響いた、ということ。いや、劇中では鳴らなかったのではないか? ・・・ともかく、朗読放送劇『磐梯』を聴きながら、私の心は一瞬にして凍り付いた。ひとつのサイレンの音は、拡散してあちらこちらで鳴り響いているような気がした。その音は、記憶のどこか深いところで鳴り響いているようだった。 ・・・今日、こうして書いておこうと思った話はこれだけだ。サイレンの音がひきおこす私の恐怖心は、15歳を過ぎるころからいつの間にか消えてしまった。今こうして書いている最中にも、街の遠くに救急車のサイレンが鳴っている。毎日、救急車や消防車のサイレンが聞えない日はない。 私は、父母が初めての子どもに負わせた名前のままに、反戦・非戦を信条としてきた。まもなく私の寿命も終わるであろう。76年前、生まれたばかりの赤ん坊の心を傷つけた空襲警報のサイレンの音を、私は今日誕生した赤ちゃんに聴かせたくない。 私の17歳の詩集『窓なきモナド』から 『僕の時代』 ぽつんと荒れ野に立っている棒杙 うおおーんうおおーんうおおーん 風が 哭きながら通りすぎ 無限の遠景に咲くぶっそうげの花山田維史Tadami Yamada
Mar 16, 2022
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山田維史『ウクライナ永遠に』Tadami Yamada山田維史『ウクライナは世界と共に』Tadami Yamada
Mar 15, 2022
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暑いほどの一日だった。宮崎県で28℃を記録したという。私の処では最高気温24℃になった。25℃以上を夏日というそうだから、まあ、初夏の気温だったわけだ。私はセーターを脱いだ。 常緑樹の土佐文旦が、新しい葉にかわるときである。春風に吹かれて散り落ちた古い葉を拾い集めていると、背後から隣家の夫人が、「きょうは温かかったですね。このまま温かさがつづき、コロナウィルスの問題もなくなるといいのですが・・・」と声をかけえてくださった。 「ほんとうに、そうなってほしいですね」 「毎日、絵を描いてらっしゃるのですか?」 「はい、とじこもっているしかないもので・・・」 蛇穴を出て見れば周の天下なり 虚子 ロシア軍がウクライナに身勝手な理屈と嘘を吐き散しながら侵攻して、今日で18日。春に目覚めた蛇が穴から出ても、ウクライナの領土はウクライナ人のものだ。 強東風 (つよこち)に撓う柳の新芽かな 青穹(山田維史) It was a hot day. It is said that it recorded 28 ℃ inMiyazaki prefecture. At my city, the maximum temper-ature reached 24 ℃. It is said that summer days areabove 25 degrees Celsius, so today was the tempera-ture in early summer. I took off my sweater. It is time for the evergreen Tosa Pomelo to replacethe new leaves. As I was picking up the old leaves thathad fallen off in the spring breeze, the wife of my neighbor said from behind, "It was warm today. I hopethe warmth will ontinue and the new coronavirus problem will disappear..." She said to me. "I really want that to happen" "Do you draw pictures every day?" "Yes, there is no choice but to stay in the room..." When the snake goes out of the hole, Zhōu hold the rein of government by Takahama Kyoshi (translated by Tadami Yamada) Today is the 18th day after the Russian army invaded Ukraine, a sovereign state, while spitting out selfishreasoning and lies. Even if the snake awakens in thespring comes out of the hole, the territory of Ukrainebelongs to the Ukrainians. Oh! willow sprouts while bending in a strong easterly windTadami Yamadda
Mar 14, 2022
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人間は人間自身のことをいっかな分らないようだ。人間研究は人類が生存している限り果てしなくつづくであろうし、また、研究しつづけなければならない。 現時点でひとつ明らかになった事実がある。 それは、人類史上に最もグローバル化した文化状況ながら、まったく個人的な欲望のために人類の敵になる人間を排出した、ということだ。 人類を敵にまわすようなその欲望は、その欲望の主体者の「国民のため」という強硬な主張とは裏腹に、その国民には国民のためではないことがわかっている。もちろんグローバル化した文化状況においては世界中の人々にも、「個人的な欲望」であることが見えているのだ。道理がないことも知っている。 したがってこの「個人的な欲望」遂行が、殺戮と破壊、また、ジェノサイド(人種・民族、そして時には同胞の大量虐殺)を伴うならば、「人類の敵」という指摘は当然のごとく出てくる。 はたして、われわれ人間は、進化しているのか、それとも退化しているのか。未来にむかって進化してゆくのか、それとも退化してゆくのか。 To be or not to be, that is a question. Humans do not seem to know anything about them-selves. Human research will continue endlessly aslong as humanity is alive, and must continue to bestudied. There is one fact that has been revealed at this point. It is the most globalized cultural situation in humanhistory, but it has eliminated humans who are enemiesof humanity because of their totally personal desires. That desire is hostile to humankind. This is because,contrary to the strong claim that the subject of the desire is "for the people," it is known that the people arenot for the people. Of course, in a globalized culturalsituation, people all over the world also see it as a "personal desire." People also know that it doesn'tmake sense. Therefore, if the execution of this "personal desire" isaccompanied by slaughter and destruction, and gen-ocide (mass slaughter of race and ethnicity, and some-times their own people), the indication of "enemy ofmankind" comes out as a matter of course. As we humans evolving or degenerating? Will it evolve towards the future or will it degenerate? To be or not to be that is a question.Tadami Yamada
Mar 13, 2022
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Mar 12, 2022
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ウクライナ出身ホロヴィッツ氏のピアノ演奏でショパンの『ポロネーズ第6番英雄』その他を聴いている。「ポロネーズ」はポーランド起源のダンス曲。国連難民高等弁務官事務所によると、3月12日現在、ポーランドはウクライナ避難民を150万人受け入れている。I listen to Chopin's "Polonaise No.6 Hero" and others onthe piano performance of Mr. Horowitz from Ukraine."Polonaise" is a dance music of Polish origin.As of March 12, Poland has accepted 1.5 million Ukrainian refugees, according to the United Natios HighCommissioner for Refugees.山田維史『ウクライナと共に(I Stand with UKRAINE)』Tadami Yamada
Mar 12, 2022
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山田維史『こどもを殺すな 戦争をやめろ ボク(わたし)は平和な世界に生まれたはずだ』Tadami Yamada
Mar 11, 2022
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山田維史『ウクライナに対する残虐な侵略をやめろ』Tadami Yamada★ 連日制作掲載しているウクライナに連帯のミニ・ポスターは、もし使用したい方があれば、ドラック&コピーしてご自由にお使いください。★ If you would like to use the mini poster of solidarity with Ukraine that I produce and publish every day, please drag and copy it and use it freely.
Mar 10, 2022
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山田維史『ウクライナに連帯』Tadami Yamada『イザヤ書』の中の言葉、「悪人に平安はない (There is no peace for the wiched)」・・・私は、「侵略者に平安はない (There is no peace for the invader)」と言い変えた。「盗人にはロープを与えるだけでいい。そうすりゃ、奴は自分で首をくくる(Give a thief enough rope and he'll hang himself)」・・・米英のことわざ。私は、thief (盗人) を、一層暴力的な盗人(robber) に変えた。
Mar 8, 2022
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山田維史『戦争をやめろ、侵略をやめろ、殺人をやめろ』Tadami Yamada山田維史『殺すな』Tadami Yamada
Mar 7, 2022
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山田維史『ウクライナに連帯』Yamada Tadami
Mar 6, 2022
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なんだかエネルギーが低下している。身体的に不調というわけではない。いつもなら絵筆を執ると自ずと活力が漲ってくるのだが、その絵筆を執る気がしない。 長い間、閉じこもっていたためかもしれない。それで3,4時間ばかりサイクリングに出ることにした。 きのう近所にちょっとした買い物に出たときは咲いていなかった梅が、そちこちの家の庭に、今日はちらほら咲いていた。満開とは言えないが白梅が萬朶に咲いている所もある。たった一日とは言えない春の足の速さである。私の口から歌が出る。「緑の風もさわやかに にぎるハンドル こころも軽く」小坂一也さんの『青春サイクリング』。 ・・・そういえば、木下恵介監督の会津若松を舞台にした映画『惜春鳥』*(1959)に、小坂一也さんと共演していた川津祐介さんが亡くなられたと、今朝の新聞が報じていた。川津祐介さんは、大島渚監督の初期作品に主演され、鮮烈な青春像を造形された。享年86。ご冥福を祈ります。(*この映画に写っている会津若松が、私にとって「懐かしい」と言える会津若松市。神明通りに山形屋さんも見える。私が中学1年のとき、最初の手作りの装丁に使った黒天鵞絨(ビロード)の布を買った店だ。) 私は少し遠出をし、街中の駐輪場に自転車を預け、しばらく街を歩いた。本屋に寄り、2冊購入。それから洋品店に寄り、黒の厚革一枚のベルトを買った。次に洋菓子店に寄り、ダマンドとフロランタンの2種のタルトを買った。最後にモンブラン万年筆用のインキ〈ミステリー・ブラック〉を買おうと文具店に行った。「扱っておりません」と言われた。モンブラン社と販売契約を交わした店でなければ、専用インキも取り扱っていないのだそうだ。おやおや、である。 ・・・そんなふうに買い物をしながら街を散歩し、再び自転車に跨がって、一路帰路についた。 帰宅したときは午後4時半を過ぎていた。アンダーシャツが汗で湿っていた。全部着替えて、さっぱりすると、なんだかエネルギーが上昇してきたようだ。・・・まあ、私はいたって単純だということだな。
Mar 5, 2022
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昼前、近くに買い物に出たが、梅はまだどこにも咲いていなかった。今年は少し開花が遅いような気がする。 我家の小庭のクサボケが、小さな莟をつけ、その咢の内側に、かすかに紅いろが滲むように出ていた。我家の春の魁がこのクサボケの開花である。 昨年の秋酣に、生い茂った庭木をバサリバサリと剪定した。柿、楮、椿、紫陽花、柏葉紫陽花、土佐文旦、なつぐみ。可哀想な気もしたが、我家の狭く小さな庭にどうしてこんなに、植えた憶えのない木が生えるのだろうと、思いながら伐った。一応、それぞれの木の性質を調べながら伐ったけれど、素人のにわか植木屋がやったことだ。はたして良い結果となってくるか・・・。 ウクライナに侵攻したロシア軍がザポリージャ原発を攻撃した。狂気の沙汰だ。 Russian troops invading Ukraine attacked the Zaporizhia nulear power plant. It's crazy.山田維史Tadami yamada
Mar 4, 2022
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雛祭り そそぐ陽に古き匂いの享保雛 青穹(山田維史) ゆかしさや引目鉤鼻紙の雛 紙雛や引目鉤鼻すまし顔 戦雲をくぐりて今日の雛人形 年降れど亡母の雛は他家にあり 雛祭りにちなんで、亡母が50年以上前に創作した人形の写真を掲載しよう。当時、北海道新聞社が仕立てたポストカード。
Mar 3, 2022
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鉄道ファンには旧聞になるだろうが、先月12日、東武鉄道のディーゼル機関車「大樹」が、従来の下今市止まりを会津鉄道田島駅まで延伸になった。下今市から野岩鉄道の新藤原駅・会津高原尾瀬口駅(国鉄時代の会津滝の原駅)を経由して会津鉄道の田島駅の区間を走行する。ある人にとっては昔なつかしいディーゼル機関車の復活である。 このニュースを、今月まもなくやってくる亡父の命日に、父に知らせてあげよう。亡父は昭和30年代のおよそ10年ちかくを、田島町議会議員として2期、八総鉱山を去るまで、南会津の住人が明治の昔から悲願だった東京へ出るための鉄道敷設に、関係省庁との交渉役として努力した。父が札幌に去っておよそ10年後に野岩鉄道会社が鉄道を開通した。現在、その路線をYouTubeなどの旅のヴィデオで観ると、峡谷また峡谷とつづき、鉄道敷設はさぞかし難工事であっただろうと私は推察している。父はそのようなヴィデオを観ることもなく亡くなった。開通記念の祝品が送られて来ていたが、父がそれを見たかどうか,私は知らない。 現在、会津高原尾瀬口駅は野岩鉄道と会津鉄道との分境駅になっており、また西若松ー会津若松間はJR東日本の路線であるため、東武鉄道のディーゼル機関車「大樹」が会津若松まで乗り入れるにはなかなか厄介な問題がありそうだ。しかし、東京・浅草 ー 会津若松間は、亡父の知らない多数の鉄道会社が関わりつつ、発展をつづけている。・・・ともかく、鬼籍の亡父の耳にディーゼル機関車「大樹」走行のニュースを吹き込んでやろう。「そうかい」と、一言返ってくるかもしれない。東武鉄道鉄道大樹が会津鉄道に初入線会津豪雪地帯祝デビュー!Nanatu_Gameちゃんねる さんDL大樹南会津85-86号 (↑)この動画の中程で、列車が会津高原尾瀬口駅(国鉄時代の会津滝の原駅)に停車する。私が小学校2年から6年まで住んでいた所だ。ご覧のような山のなかを、私はひとりで植物や蝶を採集するために歩きまわっていた。昔は、この動画の景色よりもっとずっとひなびた駅だったのだ。会津若松からのD51が牽引する列車の、ここが終着・始発駅だった。機関車はここで手動式転車台に載せられて方向転換し、ふたたび会津若松に向かった。 私たち一家が、父の転勤で長野県甲武信鉱山から南会津の八総鉱山にやってきたのは、昭和28年(1953)、私が小学校2年生の夏休み中だった。乗った列車があまりにもスピードが遅いので、私が「この汽車は、人が押しているの?」と訊いたと、後年、母が思い出して笑いながら言ったものだ。ハハハハ。
Mar 2, 2022
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ウクライナに連帯して 咲けよ明日そうさためらうな三月 青穹(山田維史) 仲春や蛮夷ウクライナを猾(みだ)す* 春風や盗(とう)には糧(りょう)をもたらさず** 春とざす闇(くら)き雲寄すウクライナ**【*註】「蛮夷猾夏(ばんい かを みだす)」に拠る。原典の「夏」は古代中国の呼称。したがって「夏国が野蛮な侵攻者に滅ぼされる」というのが本来の意味。しかし拙句は、その国名をウクライナに変え、さらに季節を掛けて夏(なつ)を仲春(ちゅうしゅん;三月)とした。【**註】史記の笵雎伝(はんしょでん)から「齎盗糧(とうに りょうを もたらす)」に拠るが、拙句は、「不齎盗糧(とうに りょうを もたらさず)」と読み変えた 。【***註】「闇」。このクラシという文字には、「愚かで道理をわきまえない」という意味があり、生悪説の『荀子』天論に「上闇而政険(かみ くらくして まつりごと けわし)」とある。「主君(施政者)が愚かで道理にくらければ、政治はみだれる」という意味である。
Mar 1, 2022
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