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楽天界隈のみなさまとの素敵な出会いのおかげで 私の心は随分満たされてきました。 でも つらいのです。 ・・・食欲不振、腹痛、倦怠感 どうも、夏ばてしてしまったみたい。 夏は そこまで来ているのだけれども ますます元気になってきた姫君に いつものごとくお腹を蹴られるのに 痛い。。。体すくめる私。 今日だけはやめて。。。。 食欲ないけれども、食べなきゃ直らないし 姫と二人、かゆ生活。 おかげで、だいぶ直りました。 明日は固形物、食べられるかも。 私、クーラー、苦手なんです。 暑いの嫌いなのに、それ以上にクーラー、だめなんです。 高校まで、学校にもクーラーついてなかったし、 アメリカ生活も、クーラーとは無縁の生活。 学生時代はそれでもセーター持参で乗り切っていたのですが 去年から、夏に体調を崩すことが多くなりました。 歳の影響もありますが、 旦那と姫はクーラーがないと寝られない ことに問題があります。 新婚の頃は、真剣に「セーターをきて寝ようか」と考えたものです。 私、一人のときは、 大汗かきながら、クーラーなしで寝てました。 結構熟睡。 私って、へん? 明日には復活します。 >
2005年06月30日
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今日は長い長い一日でした。姫もよくそんな私に付き合ってくれたもの。でも、今日はいつも以上に姫がいとおしく思えた日でもあり、やっぱり、私が幸せだと家族も幸せなのよね~と思います。今日はコーチングのセッションを午前中にして、午後からオーラソーマ&リフレクソロジーというとっても贅沢な日。ちょっと自分へのご褒美。オーラソーマで選んだ4本のボトルを見て、話をしてそのときにはぴんとこなかったけれども、考えているうちにふっと思った。1本目は、私が24のときに知り合った、尊敬する先輩そのもの。3本目はアメリカのママ友で、こんなお母さんになりたいと思った人。そして未来をあらわす4本目は、まさにハッピーマミー。で、2本目”気になるボトル”・・・課題ボトルです、文章にできませんが、私の課題だなあ、と感じています。
2005年06月29日
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我が家にはたくさんの英語本があります。私の趣味で、英語の絵本もいくつかあります。かといって、バイリンガルに育てよう、という気はありません。娘はアメリカ国籍を持っていますから、アメリカの文化には触れさせたいと思っていますが、言葉は本人が興味を持ち始めてからと考えています。そうすると日本語訛りが消えない、まあそれはしょうがないんじゃない?日本で育ってるから。語学的才能のある子は、10代で始めてもバイリンガルになります。そうじゃない子は、バイリンガル教育に拒否反応を示します。今私が読んでいる本の中で、「母国語の重要性」の話が出てきました。自分の気持ちが表現できる核となる言語。これがなくて、自分を見失った人をアメリカでたくさん見かけました。私がボランティアしていた先で、英会話ボランティアとして登録してくれた学生の中で、アジア系の2世、3世が増えてきました。同じアジア系の私からしても、容易に想像がつきます。たとえば、旅行に出かけてアメリカの内陸部、つまり白人ばかりの地域に行くと「どこから来たの?」という問いに、「カリフォルニア」と答えても、質問を下げてくれません。「そういう意味じゃなくて・・・」と言うのです。そして、「日本からよ。でもカリフォルニアに住んでいるの」と答えて初めて、相手は納得してくれます。アメリカはそういう国です。私の仕事場は、アジア系留学生が8割近く登録していたので、アジア系アメリカ人が惹かれた理由もそんなところにあるのかな、と。人間って核となる言語と文化が必要なんだと思います。それがないと、自分を見失ってしまう。失った自分を取り戻すかのように、アジアの文化を学ぼうとする彼ら。アメリカで生まれ、アメリカで育った彼らなのに、アメリカ人と認められない彼ら。(もちろん、完全にアメリカ英語話ます)ふと思い出すのは、ある高校生の女の子。香港から来た、という。親元を離れて、ガーディアンと一緒に暮らしているそう。私たち外国人が苦労して取得するビザやソーシャルセキュリティ番号、彼女は苦労なく手に入れているよう。みんな不思議に思ってある日聞いてみた。すると、「だって、私ニューヨークで生まれたから。覚えてないんだけどね」納得。うちの娘もそういう風に答えるんだろうな。その高校生は何度かアメリカ短期滞在を経て、長期移住。英語も、最初は大変だったようだけれども、すぐにアメリカ人のようにしゃべり始めた。でも、付き合う友達はアジア系留学生や長期滞在者なんだって。「一緒にいて楽しいから」だそう。語学は手段であって、目的にしてはいけない。私が初めてアメリカに来たときに言われた言葉。今になってその理由がわかる。英語を勉強するのが目的ではなく、英語がしゃべれることで広がる可能性を大事にしたい。そんな教育って、どんな教育?そう思いながら、今日も英語の歌を娘と歌う。・・・それは、私の趣味に娘をつき合わせているだけなんだけど。
2005年06月28日
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現在の姫のお気に入りはベランダ。 手足を真っ黒にしながら、狭いベランダをはいはいし、手すりにつかまって その間から足を出すのがお気に入り。 足だけでなく体もすり抜けて落ちるんじゃないかと思うと 見てられません。 今日も、気がつくと日がさんさんと降り注ぐベランダにいる姫。 かといって、向かいの公園に連れて行くとおお泣きで 私のそばを離れないのですが。 家の前の公園、駅が近いこともあり、道と化しています。 朝は通勤の人たちが絶えず通りますし、昼間や夜も人通りが絶えません。 姫はそれを見ているのも楽しいようで、 飽きずにベランダで時間を過ごしています。 安全対策、急務です。 >
2005年06月28日
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昨日の新聞の中に、会社の中でも社員の仕事を承認する仕組みがあるほうが社員のやる気を引き出す、という内容の記事がありました。そういえば、家の旦那は最近転職を仲介する会社から電話があったそうです。転職する気はなかったけれども、そうやってヘッドハンティングの対象になる、ということが自分の能力が認められている証拠と捕らえているよう。(その内容はいまいちだったようですが)ふと思い出すのが、私はアメリカでよい経験ができたんだということ。アメリカで長期滞在をする日本人はほとんどといっていいほど学校に通いますが、どちらかといえば習い事の延長上。大金を払ってそんなことをするのが無駄に思えた私は、とにかくお金をかけない、最小限の投資でできる「習い事」をやりました。そして行き着いた先は、ボランティアで働くこと。お金を稼ぎながらやる仕事は、嫌な事もやらないといけない。でも、ボランティアとして自分の時間をDonationする仕事ってやりたいことをやればいい。アメリカの場合、最初に「こういうことがやりたい」と話し合いをして、基本的にはその希望通りの仕事をさせてくれる。私のボスは、今思うと私の仕事ぶりを細かく「承認」してくれたように思います。初めての仕事場がそんなところで、私は幸せだったとおもいます。そんな彼女から久しぶりにメールが。その中の一文 I think you missed that treat. It involves an awful lot of work.ボランティアの仕事は寄付で運営されているので、その運営状況をAnnualReportとして報告する必要があります。毎年この時期になると、その集計作業に大わらわなのです。懐かしい。
2005年06月28日
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暑いです、、、、暑いの苦手です。なぜって、私クーラーだめなんです。田舎育ちの私、クーラーなんて要らない生活していました。そして、Berkeleyは天然クーラーがある、と言われるほど涼しいのです。行きたい・・・・恋しい・・・・あの涼しさ。気温が上がると海からの冷たい風で霧がでます。霧がだいたい午前中の間覆って、その後日が出ます。海岸線沿いは霧が濃く、寒いくらいなのですが、Berkeleyでも、私の住んでいた所は程よく海から離れていたので程よく暖かい。毎日うす手の長袖がちょうどいい、春のような陽気。いいでしょ。でも、ここに住む韓国人は贅沢にも、「夏のように暑い日がないから、かわいい夏服が着られない」と嘆いていました。・・・というよりも、アメリカ人に言わせると「東京の女性は毎日どんなパーティに参加してるんだい?」と聞いてくるくらい。日本女性が毎日パーティドレスを着ていると思っているらしい。似たような感覚がソウルにもあるのかもしれませんね。今の私からすると、「贅沢な悩み~」とうやらましく思います。あの、涼しくひんやりとした風をおもいだしながら涼む熱帯夜でした。
2005年06月27日
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今日旦那の問いかけ、「そういえば、(ぱふぃが)独身の頃、子供を生むってことは自分の遺伝子を後世に残すことだからそんなことしたくないって、言ってたよね?」まあ、そうだけれども。。。。「うちの会社の同僚(女、独身)がまったく同じ事を言ってたんだよね。」そうなんだ、旦那曰く、年齢もほとんど一緒らしい。それって世代的なことなのかなあ、と勝手に推測していたようでした。「でも、お前は子供生む気になったんだよな~」まあ、私から子供が欲しい、といったのは確か。私、独身の頃、自分に自信が持てずにいたから、自分の性格が複製されるのが、(つまり子供を作ること)たまらなくいやだったのです。でも、それは間違いで、パートナー(私にとっては旦那)の遺伝子も足して2で割ることになるから、必ずしも私の複製ができるわけじゃない。昔は私が母親そっくりなのがよくも悪くも気になって、そういわれるたびに、なんか違和感を感じていました。今では、私の中に父親と似た部分も見つけられて父と母の遺伝子を二つ受け継いでいることをうれしく思います。(つづきは明日。)
2005年06月26日
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最近英語の勉強していないと反省して、久しぶりにニュースを読みました。アメリカの世論が今イラク戦争に反対している、というニュース。ちょっと前までは多くの人が戦争を支持していたのだからその変化がちょとと信じられませんね。berkeleyは当初から戦争反対です。それを市の代表が宣言してしまうところもすごいのですが、当初は、市民がそのとばっちりをうけて「Berkeleyの戦争反対を支持できないから、Berkeleyでの飲食をボイコットする」なんて人もいたようです。まあでも、飲食店で働いている人ってBerkeleyの場合多くが移民か外国人、市政に発言権のない人が多いのです。だから、その行動自体意味を履き違えている。私の英語学校の先生は、「この後、イラク人を招いて戦争反対の講演会をするから、みんな参加して欲しい」と言っているのだけど、その話って、外国人にではなくアメリカ人にした方がいいんじゃない?私のいた頃はそんな状況で、いわれのない差別を受け始めた外国人たちが帰国したり他の国に移動し始めていました。ここへきて、この空気が変わっていくのでしょうね。そうして「変わる」ことのできるアメリカって底力のある国です。
2005年06月25日
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今夜は友達の結婚式で旦那が出席しているので、 めずらしく週末パソコンを開いています。 この友達は夫婦共通の友達で、私たちの結婚パーティでは 生演奏をお願いした人なんです。 だから、どんなパーティになるのかとても楽しみだったけれども、 さすがに8時就寝の娘を8時半から始まるパーティにつれていけなくて、 旦那一人での参加となりました。 さて、私の周りは独身者が多いのですが、ぽつぽつと結婚しています。 先日はできちゃった婚で無事出産した友達から、 「ぱふぃもこの痛みに耐えたんだね~、すごいね」と病院からメールが。 いや、メール出せる気力のあるあなたの方がすごい。 私、陣痛痛くて痛くて鎮痛剤処方してもらったし、痛くて叫ぶはあばれるわ、 生まれたら生まれたで、体がつかれきっているのに 赤ちゃんは待ったをかけずに、私を要求してくるのにいらいらしていました。 母になるなんてとんでもない選択をしてしまったものだと、思ったものです。 そんな1年前をふっと思いだして、とても懐かしい。 妊婦時代、10キロ近い子供を軽々持ち上げる先輩ママさんをすごいと思って いましたが、 実際私は今同じことをして、出産前の友達から同じことを今度は言われてい る。 子育てってそんな単純な側面もあるけれども、 でも基本的に子育てってオーダーメイド(これは和製英語です、ちなみに) だと思います。 子供の個性ってそれぞれだし、その子にあった育て方があると思います。 子育てサークルに参加して、10人のお母さんが10通りの方法で 育児をしている話を聞くのがとても興味深い。 子育てってどんな仕事よりも手間暇かかって大変で面白い仕事なんじゃないか って最近思えます。 >
2005年06月25日
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前回のコーチングセッションで大学時代の話をしたので最近はそればかり考えています。うちはそんなに金持ちではなかったけれども浪人までさせてもらって大学に行ったのですが、今のところその効果は、どう大学卒の旦那との出会い、くらい。行きたかった大学に現役で落ちて、浪人したら成績がよくなって余裕で受かるくらいの偏差値になっていた。だから、大学もそれにあわせて、親の「資格があればくいっぱぐれがない」という言葉にも影響されて、教員免許の取れるところを選んだのです。とはいえ、うちの両親は私に強制したわけではありません、でも、日々の会話の中で、私はそんな親の願いを感じ取ってそれにしたがっていたのだと思います。大学では、学外の活動はいろんなことしていましたが、クラスメートから、理由のない今思うといじめにあってて、今思うと社会通念にかける教授たちに翻弄され、将来が見えずさまよっている先輩たちの背中を見ていて、私は随分と後悔したものです。転部できれば私の人生も変わっていたと思いますが、1年留年を覚悟しなければいけませんし、やはり、卒業年齢って就職に大きく影響するのが怖くてできなかった。学部の壁って大きい。私がやりたかったことって、大学の3つの学部にまたがっていて、見つけたのに違う学部所属だったから断念。その頃の私は、4年で大学を卒業することが目的で学校に行っていました。卒業したらやりたいことができる、漠然とそうおもって。好き勝手にできるのは大学時代だけ、という事実に気づいたのは卒業後でした。。。とはいえ、このままで終わってはもったいない、と思っていろいろなことの挑戦していたのは、今も昔も変わりませんね。必修授業以外に、随分いろんな授業にもぐりこんだものです。ただ、テストが苦手だったから単位としてカウントできる授業を随分落としてきてたいへんでした。今もそうです。例えば、アメリカ人と普通に英語で話せる人ならTOEIC800は取れるのですが、私の点数は700です。履歴書に書いても、あまり効果のある点数ではありません。日に日に英語力がさび付いてきてますから、今の私に何が残るのか。。。大学時代の経験にようやく冷静に向かい合えるようになって来ました。私の成長なのかなあ。
2005年06月24日
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毎晩「旦那の帰りが遅い!」と文句たらたらな私ですが、 たまに早く帰ってくると、かなりあせります。 そういう日に限って、「夕ご飯はもう少し後でいいかな」と 手を抜いてしまっているもの。 あせりました。 そんな日は、次の朝の準備もできていなくて、ばたばたしっぱなし。 結局旦那が一人で準備していました。 そういえば、この昼も姫を何度寝かしつけようとしても寝なかったのに、 私が台所で忙しく準備している間に、勝手に一人で眠ってしまいました。 我が家はみんな自立しています。 >
2005年06月24日
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カリフォルニアでは、タバコを吸う地域が制限されています。 レストランやバーでもだめですし、公園や学校の構内もだめです。 多くのアパートでも部屋の中も敷地内もだめ、といいます。 実際そうやって制限がつくようになってから、 喫煙者が減ったようです。 だから、今とても煙たい。周りの住人がたぶんベランダで吸っているタバコの 煙が窓から入ってきて、とても不快です。 ファブリーズ、効くかしら・・・ >
2005年06月23日
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昨日はゲストが来てまして、昼間外出していたのもあり忙しい一日でした。 そのゲストは、仕事のことで悩んでいて 同僚に話をして、同じ穴のむじなが慰めあうのがたまらなく嫌になり うちにやってきたんだといっていました。 今回はおしゃべりな私もなるべく聞き役に徹してみました。 ママイキの成果が少しはでたかな。 昨日のこと、帰りがけにUnited Nation のオフィスに立ち寄ってきました。 こんなところにあったんだー、本当に偶然見つけてふらっと立ち寄ったんで す。 アンゴラ難民の写真展をしていました。 難民といっても、とても生き生きした笑顔の写真がならんでいて、 なんというか、励まされた気がしました。 こう見えても私、学生時代は青年海外協力隊に応募しようと思っていたんで す。 結婚したのであきらめたのですが、今でも興味がありますね。 其の写真を見ながら、ふと思ったのですが 今まで、こういう写真展、避けて通っていました。 地球上のどこかでこうして苦しんでいる人がいるのに、自分がのうのうと 平和な日本で暮らしている、そんな罪悪感を感じていました。 だけど、その難民を救済するために何ができるんだろう。 お金をあげれば済むことなの?その人は難民にならなくてすむの? その気持ちが変わったのは最近です、 自分がやりたいことをやれるだけやって、 そこから自分も学んでいこう、って姿勢が大切かな。 難民を助けてあげよう、なんて大それたことを考えるのではなく、 地球の違うところで、そんな運命に翻弄されても力強く生きている 人がいることを知るのは大切だけれども、 「かわいそうだ」ってことをあおって募金を募るメディアのやり方には 拒否反応を感じます。 でも、この生きる勇気を分けてくれた写真展、うれしくなりました。 >
2005年06月22日
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このページタイトルを変えてみました。私が以前住んでいた町の名前、Berkeley と外国人を意味するAlienを組み合わせた造語です。4年間しか住んでいませんが、私に多大な影響を与えてくれたBerkeleyという町。ちょっと自分のアイデンティティを主張してみることにしました。Berkeleyという町は、こじんまりとした町ですが、とてもアメリカらしからぬアメリカの町です。唯一アメリカの町でイラク戦争反対を表明した町。白人と黒人はもとより、さまざまな国籍の人たちが住むインターナショナルな町並みも影響していると思いますが、それ以上に、そこに住むアメリカ人そのものも、他地域のアメリカ人とは一線を画しています。私の友達は、「他のアメリカの地域に住みたいとも思わないし、住めない」といいます。もちろん、Berkeleyが理想の町だとはこれっぽっちも思いませんが世界の縮図のような町に、いまだ魅力を感じるのです。
2005年06月20日
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先週まで覚えていたのに、忘れてた~ あわてて父たちにメールを送る、そして物は後日。 私、昔から忘れ物がひどくて、約束も守らないというよりも 忘れていることが多いのです。 若年性痴呆かなあ。。。。。 老化防止に、買い物に行くと必ず品物の値段を暗算することにしています。 さて、良い機会なので私にとって父を考えて見ます。 私の父はたたき上げの営業マン。 高卒で結婚が早かったためか、まだばりばり働いています。 私が小学校の頃の父像って、家にいない人でした。 夜遅くまで働くことが美学とされたその頃の典型。 唯一覚えている思い出は、小学校の5年生の時に 一緒に少年自然の家で合宿に参加したこと。 わざわざ休みを取って参加してくれました。 (私が「お父さんじゃなきゃだめ、とせがんだことは忘れてしまってました が) 一緒に焼き物の絵付けをしていて、父の器用さに鼻高々だったのを 今でも覚えています。 父の仕事は転勤があって、家族が一緒に移動するのが我が家のポリシー。 友達との別れはとてもつらく、うらんだこともありました。 でも、父との関係は比較的良好だったと思います。 父と一緒に日曜出勤をして、コピー機を使わせてもらい 友達から借りた本などを印刷させてもらったり、 時には、一緒に取引先のところに行った事もあります。 それもあってか、大人としゃべるときに物怖じしなくて 高校生なのに、大学生とよく間違われていました。 そういえば、「中2病」って言葉があって、 私もまさにそんな、政治問題をわかったかのような口調で 短絡な意見を述べていた子供でした。 父と政治の討論番組を見るのが大好きで、日曜の朝は早起きをしていました ね。 そんな学生時代の父との関係と今は、また違いますね。 旦那のことを父は、「仲良し」だと思っていますから、旦那の配慮に感謝で す。 一緒に会うときは、必ず姫を抱いてくれます。 あたかも、それが自分の役目のように考えているようです。 「こらっ、うるさい!」と、発言はそっけないのですが とてもよく面倒見てくれて、最初は驚きでした。 子供は苦手だと思っていましたからね。 ちなみに旦那の父はもう定年退職をして、今はバイトをしながら 大好きなゴルフ資金を稼いでいます。 笑顔の素敵な義父で、ゴルフの話をすると延々と語ってくれます。 私の父も、定年したらそんな楽しみを持って欲しいものです。 と、お父さんを思い出した父の日でした。 >
2005年06月19日
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今日は友達の新居のペンキ塗りを手伝いにいって来ました。 といっても、私には目の離せない娘がおりましたので、 お昼休憩に出すBBQの準備だけ担当しました。 「慣れてますね~」と感心されながら友達の準備した材料を裁く私。 アメリカでキャンプ旅行してましたから慣れてますよ~ 久しぶりだったので忘れ物もあったけれども、日本はどこにでもコンビニが あって 不便しませんね。 予想を反する良い天気に恵まれて、あわてて姫用の日焼け止めクリームを 買ったけど、すでに小麦色に焼けておりました。 やはりお手伝いに来ていた人に上は6歳から3人の子供がいて、 観察してるととても楽しかった。 上のお姉ちゃんは、大人に混じってお手伝い。なかなか上手に縫ってました。 した二人も、最初は一緒にペンキ塗りしていましたが、飽きて 末の男の子はお母さんの買い物に付き合っている最中にお昼ね。 真ん中の女の子は、最初はお姉ちゃんと一緒に遊んでいましたが お姉ちゃんがペンキ塗りに専念するようになると、私のところに来て 姫と仲良く遊んでいました。 都会では三人兄弟ってなかなか見かけませんでしたから、 なかなか興味深いものがありました。 そんなこんなでペンキ塗りは二度塗りまでほぼ終了しました。 多いときは大人6人で、オーナーは朝6時から12時間作業して、 この成果。 それも1階部分の外側のみ、ですから大変な作業ですね。 アメリカでは自分たちでペンキを塗る人が多いですが、 何が違うって、まず家が違いますよね。 友達の家は3階建て、アメリカでは都会を除いて平屋がほとんどですから、 ペンキも塗りやすい。 日本だとペンキを塗る前に足場を組まないとできないので、 専門の(資格のある人)に頼むと、それだけで2、3十万かかるんだそう。 アメリカだと長い柄のついたローラーで縫ってましたが、 今回は刷毛で縫ってましたから、作業時間も雲泥の差。 とはいえ、「自分でやった充実感」ってのはありますよね。 お手伝いしていた6歳の女の子にもいい思い出になると思います。 そんな週末でした。 >
2005年06月18日
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何かと「結婚前は何してたんですか?」と聞かれることがありますが、 私、就職したことないんです。 就職浪人、フリーターでした。 大学で、教授には落ちこぼれ扱いされ、 就職活動では「高学歴だから」とか「女性だから」と断られる毎日。 先輩たちに会いにいったんですよね、すると「君なら大丈夫」って言われて、 何が大丈夫なんだよー!!大丈夫じゃないんだよぉ。 付き合っていた彼も、その頃休みになると実家に帰省して 話すのはそこの女友達の話ばかり。 そんな中、ふと申し込んだボランティアの活動。楽しかった。 「ありがとう」と感謝される、それが病みつきになった。 先輩めぐりの中で、一人異彩を放っていたのが今の旦那。 その業界も仕事もノリに乗ってた時期だったのもあるのか、 とても輝いて見えた。 大学を追い出されるように卒業、その時の彼との関係も清算し、 今の旦那と付き合い始めた。親の手前、大学院受験の準備をしていた。 フリーターといっても、登録制の単発バイト。 大学時代、勉強に忙しかったからちょうど良くて続けていたけれども、 卒業して時間が取れるようになって、とたんに仕事が来なくなった。 ボランティアの仕事、無収入ですから、皆さん手弁当で空いた時間を利用して 活動する。 定職のなかった私は、不安だった。楽しいだけじゃ生きていけない。 旦那が、出張でアメリカに滞在しているから遊びにおいで、と誘ってきた。 楽しかった、旦那とその友達からとても大事にされたのがうれしかった。 院受験の準備はしたけど、受けずに旦那のところに転がり込んだのがその秋。 そこでも細々と活動を続けながらフリーターしていた。 そのとき、旦那からアメリカ駐在の要望書を出したい、と告白され その頃から、夢に向かって走っている旦那を支えるのもいいかな、と思い始め た。 だから、専業主婦に、就職しました。 それでも「結婚に逃げた」と思いたくなくて、いろいろ自分探しをしていまし たが、 でも「旦那をサポートする」という仕事が最優先なのはいまも変わらない。 >
2005年06月17日
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独身時代の飲み友達とお酒抜きランチをしてきました。今、私は子持ち、一人はまだ独身、そして一人は妊婦さんかなり異質な組み合わせ。一人は今度カナダにワーキングホリデーでいくそう。そんな話から、出産の話から、友達の近況の話まで、やっぱり、いいね、こういう集まりがたまにもてるととても刺激になる。
2005年06月17日
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先日私の誕生日兼結婚記念日を旦那と二人で祝いました。 平日だったのですが、その日は旦那7時半に帰ってきて (通常は11時)花束とケーキを当たり前のようににこやかに渡す彼。 私、彼の成長ぶりに感動しました。 Thank you, USA 結婚当初は私を名前で呼ぶのすら恥ずかしいという人だったのですから その変わりようは計り知れません。 5年かけて彼に語りかけ、彼の友達に進言してもらいながら 私たち夫婦が心地よい距離感を保てるように模索してきました。 友達に、「夫婦共通の趣味があっていいね」といわれます。 それは、お互いが歩み寄ったからであって、最初からじゃないのよね。 旅行は好きだけれども、私がアメリカンな食事があまり好きではないから 自炊できるキャンピング旅行をしよう、ということになったり、 彼はゲーム感覚のあるスポーツが好きで、私はぶらぶら歩いたり自転車に乗る のが好き、 だから、旅行先で必ずハイキングします。 それも、難易度の高いやつ。(達成感が必要ですから) また、夫婦同伴でパーティに参加して、必ず夫婦別行動をする私たち。 「パーティの後にお互いどんな人に会ったか話せるから、2倍楽しめるで しょ」 という旦那の提案から。 出産、帰国で、夫婦で参加できる機会が激減した今は、 夫婦別参加だけれども、お互い報告しあうことは続けています。 最近は楽天ブログ内の会話も報告してますよ~ このところ、旦那が一方的に話題を提供することが多かったから、 私もがんばらねば。 外国人の旦那様を持つ友達の多い私は、よく「信じられない」といわれます。 夫婦の関係が淡白に見えるんですね。 でも、やりたいことのたくさんある私たち夫婦は、それぞれの時間を尊重しな がら 二人でいられる少しの時間を目いっぱい楽しむ。 そういう風に思えてきたのは3年をすぎてからかしら。 それでも、喧嘩しますよ。 些細なことで。・・・子供ですね~まだまだ >
2005年06月16日
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今日はパーソナルコーチング初日。そういえば、まだコーチングがはやり始めた当初、ある新聞記事に「友達ではなく、コーチに自分の悩みを打ち明ける若者が増えている」という記事が載っていたのを思い出します。「最近の若者は悩みも話せる友達がいなくなったのか」なんて書いてあったから、記事を書いた人の年齢が推測できますね~。自分にあったコーチにめぐり合って、定期的に話を聞いてもらうそんな人は幸せなんだと思いますね。人間、言葉にしてそれを発することで気づくことが多いですからね。party guyの私は、友達のパーティに顔を出しては英語の練習と、人のよさそうな人を捕まえて話をしまくっていました。今思うと、なんて聞き上手な人が多かったことか。話上手な人が相手なら、必死に聞いてなるべく質問をするように心がけていました。そんな自分は輝いていたなって思います。私、そんな前向きに悪く言うとでしゃばっているときって自分が輝いていると思うんです。アメリカではたいていそれは認められて、嫌がられても、「私外国人だから」と開き直ると案外うまくいったものでした。でも、日本ではそれは一部の人にしか認められなくて、たいていは煙たがられてましたから、この歳になると、そんな失敗経験が思い出されて一歩が出ない。「躊躇している私なんてぜんぜん輝いていない」と思うわけ。だって、私の日本での最新「輝いている」経験って高校3年生のとき。暗黒時代、長かったです。それも、私の存在を無条件に肯定してくれる両親の存在や私を理解してくれた一部の高校の先生方、部の友達に支えられていたからだと思います。しかしコーチ、輝いていない暗黒時代を思い出すのは本当につらかったです。でも、そこを思い出すのも必要だったんですね。アメリカ生活だって、すべてが順風満帆ではなかったけれども自分が立てた目標をいくつか達成できていたから良い思いでとして心に刻まれていたんですね。今はアメリカに戻りたいとは思いません。外国に住むことの限界を感じて、将来は日本で暮らすことを考えていましたから。日本でもっともっといろんな人にあって、いろんな経験したいな、そう思いました。
2005年06月15日
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昨日のママイキは結局参加できず、残念でした。 毎日小さい子を預けて仕事に出かけるママを見習わなくては、と 思っているところ。 子供って預けられることがわかるんですね。 だんだん知恵がついてきて、 昨日は、かばんの中身はちらかすわ、どこから見つけたのかバセリンを塗りた くってるわ 朝シャワーを浴びさせ、自分の準備をしている間に時間はどんどん過ぎてい く。 そして、怒りは頂点に達し、怒鳴りつける私、泣く娘。 感情を律することができない私はまだまだ子供、と後から思うのですが 頭でわかっていても、行動がなかなか伴わないものです。 残念でした。 不思議なもので、そんなときには良い知らせが舞い込んでくるもの。 私の友達で、前回会ったときには随分就職活動に悩んでいた友達が 無事、しかも希望通りのところに就職できたと、知らせがありました。 彼女が就職活動への不安をメールで書いていたので、 ここはママイキで習ったことを使ってみようと、彼女の強みを列挙して 「自信をもって」ってメッセージを送ったら、 励みになったって書いてくれてました。嬉しいじゃないですか。 8人の集団面接も見事通過し、(これが彼女のもっとも苦手と思っていたも の) 採用を勝ち取りました。 姫と三ヶ月違いの子がいて、妊娠していたときは大学院在学中、 休学して出産、復学して最近卒業したんです。 妊娠中はつわりがひどくて、毎朝学校についたらトイレに直行していた っていうし、子供が3ヶ月のころから復学して資格を取るために勉強していた んだから、ほんとすごい人です。 でも出会ったころはそんなことなかったんですよ。 「これ」と決めたときの行動力がすごいんですね。 自分のことのように喜んでしまいましたが、そんな行動力見習いたい と思う今日この頃でした。 >
2005年06月14日
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今日は最近子供の生まれた友達のところに遊びに行きました。ちょうどマイホームも建設中で、この夏には工事が終わる予定だとか。中はまだまだだけれども、外郭は整っていました。近所の大工さんに頼んだそうで、今日も細部を話し合っておりました。こだわりの家、素敵ですね。そんな友達(夫)は早くも日曜大工を楽しみにしていて、木造の倉庫を見るたびに、つくりをじっくり観察して「ふーん、こういう構造になっているのか、これなら(自分でも)作れるかなあ」とつぶやいておりました。できる仕事は自分でする、つもりのようで来週天気がよければペンキ塗りをする、とうちの旦那にも手伝いを頼んでいました。そういえば、私たちもアメリカで友達の家の修理手伝いにいったっけ。アメリカで新築の家は目が飛び出るほど高いので、多くの人は中古の家を買います。その物件は、リフォーム済みの高い物と、何のメンテナンスもしていない安い物件があります。私の友達は共通の友達にConstrancter(大工さんだけれども、メンテナンスや家のリフォームもする)がいたので、ぼろぼろの家を安く買って週末に友達を借り出してリフォームしたんです。ビール片手に友達としゃべりながら作業するひととき、大変だったけれども、いい思い出です。でも、そのできはというと。。。。数ヵ月後に、貼り付けたフローリングが一部浮き出してきて。。。。所詮素人作業でしたから、そんなものです。ペンキ塗りは所詮むらができる程度ですから、支障はでませんでした。でも、ペンキ塗り大変なんですよ。ペンキ缶って一度開けるとすぐ使ってしまわないと乾いて使えなくなります。だから、人を集めて一気にぬります。でもなれないと一面塗るのに恐ろしいほど時間がかかるんですね。かなりしんどい一日仕事。なんだけれども、そのプロの友達が1時間ちょっと実際に手伝ってくれて(それまでは、相談役でした)その作業の早さに感動しました。そして、一番美しい。で、私の旦那は言うのでした。「自分が家を持つときは、プロにまかせる」と。旦那のペンキ塗りも上手できたけどね。
2005年06月11日
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ママイキで宣言した「子育てサークルに参加する」のも せずにずるずる金曜日になってしまい、あせった私、 ふと、思い立ったのは「児童館にいく」こと。 前住んでいた所は、最寄の児童館まで歩いて30分かかったけれども、 今のところは、一駅先によさそうな児童館があるようなので、 雨も降っているし、(つまりそんなに人がいないだろうと思い) 行ってみました。 先客は一組だけ、半年違いのお姉ちゃんだったので 姫君、必死にくっついて追いかけっこしてました。 しかし、ふと思ったのが、 以前なら少し自分で遊ぶと私のところに来て甘えてた姫君、 なのに今回は、そのお姉ちゃんのママに「だっこ~」とおねだりする場面も。 これってママ離れ? 戸惑ってしまったママでした。。。。 ママイキ3回参加して、ママとしてそして一人の女性として輝ける ハッピーマミーになりたい、と思っていましたが、 「なにか違う、、、、」と心に引っかかっていました。 それは、「ママでもできる仕事をするために勉強しなきゃ」と思っていたか ら。 我が家、私が働かないと生活できないほど困窮していないし、 それよりも、私あこがれてなった「ママ業」に苦戦しているのが まず第一に問題なのかなあ、って。 ママ同士の人間関係って難しいですね。 子供も絡んでくるし、だいたい何話していいかわからないっ。 で、ふと思ったんです。アメリカでは何話してたんだっけ。。。 そう、そこでは私の大好きな話題で盛り上がるんです。「異文化交流」 ほんと大好きなんです、大学時代は各地から来たクラスメートと 地域自慢の話をするのが好きでしたし、 アメリカでは日本のこといろいろ調べて、友達と議論したものです。 でも、「アメリカにいた」という話をすると「すごいですね~」と言われて その先の話ができない。 まあ、過去の自慢話してもしょうがないので、それを今につなげる何かを はじめられたら、私も筋が一本通ってくるのでしょうけれども。 >
2005年06月10日
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最近怠けていた英文記事をまた読み始めました。まあ、ぼちぼちやっていきます。サンフランシスコでまた起こってしまいました。Pit Bullという犬に噛まれて12歳の少年がなくなったそうです。過去にも何度かあったんですね。飼い主に有罪判決が出たと思います。なのに、また起こってしまいました、悲しいことです。Pit Bullという品種は、もともとBull fightingという、闘牛の犬版ですね、それに使われていた種を起源とするようで、「本能的に人に危害を加える危険な犬だ」と思われ始めており、サンフランシスコ市もこの犬を規制する法案を提出するらしい。とはいえ、Pit Bull愛好家の中では、「飼い主に問題がある」という見解。犬が極度のストレス状態にあった場合、凶暴化する可能性があるとか。実際、過去のサンフランシスコで起こったDog Attackでは飼い主の犬へのネグレクトが指摘されていました。このときもPit Bullだったかどうかは覚えていませんが、犬が突然女性ののどもとを噛み付いた、という話でしたから、動物の本能って恐ろしい。
2005年06月09日
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今日旦那が昼ごはんを食べに家に帰ってきました。会社と家が近いからできること。それでも、食事を終えるとそそくさと仕事に戻っていきました。そういえば、アメリカで英語学校に行っていたとき、クラスメートの半数以上は旦那の仕事についてきた奥様達だったのですが、なぜだか、日本人の奥様達だけ、旦那の昼ごはんを準備しに朝の授業が終わるとそそくさと帰って行ってました。口々に、「三食作らないといけないから大変だ」とぼやきながら。他の国の人たちはそんなことなかったのですが、日本人だけ不思議でした。ある人に聞いてみると、やはり英語での意思疎通が大変だから最初は奥様のいる家に帰ることでほっとするからだそうです。でも、活動的な奥様にしてみれば、日本ではほとんど顔を見ない程忙しくて帰ってこなかった人が、アメリカで3食食べに戻ってくるのですからなれないことに戸惑ったことでしょう。とはいえ、旦那のほうもしだいに打ち解けていくのか、最初接近していた夫婦の距離も、時と共に程よく開いていくのだそう。奥さんの手腕が問われるところです。なんて話を思い出して、自分の旦那を見たときにやはり、新しい会社で自分の位置を見出せないでいる旦那の姿を想像してちょっとやるせなさを思えるこのごろです。>
2005年06月09日
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と、よく言われるようになりました。田舎暮らしが夢の私が、旦那の鶴の一声で突如都会暮らしをすることに。部屋は広くなったし、目の前には小さな公園があってなのにとても便利なところで、今のところ気に入っています。住むところって子供ができると悩むものです。タワーマンションを購入した人の多くが、そこを終の棲家と考えていないという調査結果がでたそうです。ちなみに、我が田舎もこの前帰ってみると駅前にマンションが建っていてビックリしたのですが、母曰く周辺のもっと田舎で雪深いところに住んでいる人たちがセカンドハウスとして買っていくんだとか。でも、我が田舎の駅前って典型的なシャッター商店街なんですけど。まあ車で移動するので、立地条件ってあんまり関係ないのでしょうね。そういえば、アメリカの話。旦那と一緒に会社の同僚の家に遊びに行ったときのこと。地図を頼りに向かったところは、倉庫街。かなり不安になりました。小さな表札を頼りに中に入っていくと、中は確かにアパートのそれ。簡素なドアが並ぶ廊下を歩いていき、目的地はそのひとつでした。部屋はコンクリート打ちっぱなしの天井の高いだだっ広い部屋。さすがに隙間風が寒かったですね。アメリカの住宅は日本のものに比べて随分天井が高いのですが、それでも、高い天井にあこがれてこのような倉庫を住宅に転用したものが売れているのだそう。天井の高い部屋にはあこがれるけれども、寒いのはね。。。
2005年06月07日
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すっかり緊張感がなくなったのか、宿題を忘れてしまった私。もったいないことをしたなあ、と思い自分の棚卸してみることにしました。こうしてみると、私って親の影響を多分に受けてるのがわかります。そういえば最近母が、「正しいことをしようとがんばったけれども途中でそれが無意味なことに思えてあきらめてしまった」と。同じ時期に私もそう思っていたのだから、親の方針が子供に与える影響って怖いなあ、と思います。最近は旦那の影響を受けて、「すべて自己責任の下」です。しかし、日本は「守らなくてもよい規則」が横行しているから秩序が乱れていっているのかなあ、と思うときがあります。駐車違反もアメリカではすぐ切符切るから日本ほどないし、子供の虐待も、親がいくら「しつけだ」と主張しても、「叩いた」事実に厳罰が下る。だから、親が規則を守ろうとし、それが子供に引き継がれていく。でも、日本で「スカートの丈何センチ」という規則を守らせるかどうか、、、その規則を守ることが自立した大人になるために必要なことなのかどうか、疑問。真面目に校則を守っていた私は、すっかり外見に無頓着になってしまい、苦労しています。同じくらい無頓着だろうと思われる旦那からも愛想つかされるほどだから。でも、世の中うまくいくものです。旦那のお母様から私への誕生日プレゼントが届きました。(今日が誕生日じゃないんだけれどもね。。。それより、私に誕生日プレゼントをくれるってことがとてもうれしいのでした)毎年とてもセンスのよい服を贈ってくれます。世の中の嫁姑はこれが確執の元になる、とよく話に聞きますが私にいたっては、もっともうれしい贈り物です。私のために選んでくれた服、それがとてもセンスがよくて私になんて到底選べないようなもの。うれしいことです。やっぱ、真面目な学生生活送ったおかげ!?
2005年06月06日
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パソコン復活!ネットにつながらなかった一週間、つらかったわっっ慣れない携帯メールで連絡を取り合う必要もなくなった、これで!さて、引越しは無事終了。広くて便利な部屋に引越しができて、大満足です。出費が大きいけれども、ここなら週末は家でのんびりしたり、近所で遊んでも満足できそうです。ところでこの新しい土地、結構外国人の人が歩いています。日本語の堪能な人、たどたどしい人、まったく話せない人、さまざまです。でも、私の中では「外国人は英語を話す」となぜかインプットされています。アメリカ、という外国生活が長かったせいかもしれません。街でたどたどしい日本語を聞くと、つい英語が出てしまう私。その人、英語が通じるわけでもないのに、出てしまうのです。恥ずかしいわ。今日は、新しい千円札を持って「旧札を換えて欲しい」と言ってきた外国人の人に出会いました。スピード写真を使いたかったけれども、新札を受付ないようでした。いやしかし、丁寧で上手な日本語でした。日本人、母国語だと思って安穏としていたらだめですね。みならってもっと丁寧な日本語を話そう、と思う今日この頃でした。
2005年06月05日
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