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長浜、関ヶ原と見て回り終え、再び長浜駅に着いた頃にはすっかり日も傾いていたので、明日の観光予定地である福井県敦賀市へと北陸線(途中近江塩津乗換)で向かう 敦賀で連想するものといえば、1に原発、2に原発、3,4がなくて5に桜田淳子さんである(結婚相手が敦賀の人だったような記憶が…)。 ♪ようこそここへ クッククック~ と淳子ちゃんに出迎えられ(いや、彼女はもう敦賀にいないらしい)、敦賀駅を出てすぐの綺麗なビジネスホテル(ルートイン敦賀駅前)に飛び込み宿泊。 さあ、旅の2日目はかつて敦賀城主だった大谷吉継にまつわる史跡巡りだ!駅に置いてあったパンフレット“つるがウォーキングMAP 大谷吉継ゆかりの地・探訪コース”を片手に、午前10時、レンタルサイクルでいざ敦賀駅を出発 まずは、敦賀城跡にあるという案内碑を見に行く。 今は小学校が建っている、かつての城跡 続いて八幡神社へ。ここには敦賀城内にあったと伝えられる龍の欄間飾や、吉継が奉納した大燈籠があるという。飾られている肖像画に暫し見入っていると、わざわざ社務所から出てきて下さったおばさんが、あれこれ説明してくれた。敷地内にある敦賀郷土博物館にも入らせていただき、城の焼跡から出てきた、吉継が愛用していたのではないかといわれる茶つぼを鑑賞。 色鮮やかな木彫龍。吉継もこの龍を目にしたのかしらん 神社裏手にある大燈籠と、愛用(本当?)の茶つぼ おばさんに別れを告げ(お茶までいただき、どうも有難うございました)、お次は敦賀城裏門だったという寺の山門や、城の御殿にあったといわれる障子を見に来迎寺へ。 図々しくもお寺に上がらせていただき、様々なお花が彫られた格調高そうな障子(腰高障子)を鑑賞。写真まで撮らせていただいた。 山門と腰高障子。障子は写真だと見にくいなあ…(^^ゞ そして続く真願寺で敦賀城跡の記念碑をパチリ お寺の脇を流れる闇加川に、敦賀城外堀の名残を見る 「陰陽師」の安倍晴明を祀る晴明神社向かいのみなとつるが山車会館へ。敦賀まつりと山車がテーマの博物館なので興味はなかったが、一応入ってみることに。入口正面すぐに展示してある、外人顔のでっかいトホホ吉継像が出迎えてくれた やはり平日ということで観光客は誰一人おらず、館内完全貸切状態(出るに出られない)。しかし係員の方々は皆さんとても親切丁寧。 三成と吉継をキャラクター化したみっちー&よっしー(左上写真)シールや吉継資料集なる小冊子、お隣・敦賀市立博物館の解説シート「大谷吉継と敦賀」(吉継の書状4点の写真有)等をお土産にいただいた。すみません、興味ないなんて言って…m(_ _)m 吉継などの武者人形に実物の甲冑・能面、華麗な衣装をつけて飾られた立派な敦賀の山車(やま)は一見の価値があるものだった…と、御礼を兼ねて宣伝。 探訪コース最後の目的地は、吉継の菩提寺で、吉継の供養塔と伝えられる九重塔がある永賞寺。フレンドリーな御住職が迎えて下さった。 契りあらば 六つの巷に 待てしばし 遅れ先立つ ことはありとも 敦賀の方々の優しさや街の温かさがすっかり気に入り、2日目もルートイン敦賀駅前に宿泊。駅前にコンビニが無かろうが、TVは民放が2chしか映るまいが、気にもならない。 今回の旅の最終3日目は、朝からレンタカーを借りて敦賀をぐるりドライブ 朝鮮の役で大谷軍が持ち帰り奉納されたという朝鮮鐘(国宝)や、大谷軍の陣釜があるという常宮神社へ。しかし、社務所で声を掛けてみるがどなたもいらっしゃらず、すごすごと退散 吉継寄進の石造の鳥居があるそうだが…これ? 吉継は何かと謎の多い武将である。いくつかの小説を読んでみても、書いたモン勝ち!みたいで、結構いい加減だ(面白いけど)。そこで少しでも吉継の実像に迫りたく、敦賀市立図書館2階の特別室で市史などを捲ってみた。吉継関係の文書等の記載はいくつかあったが、やはり新たな発見はなかった。 大谷吉継禁制(天正7.12 西福寺蔵) 毎度のピンボケで恐縮(↑山車会館でいただいた解説シートより。決して図書館で写したものではありませぬ) 図書館ですっかり長居してしまい、帰る前に寄ろうと思っていた米原市下多良にある吉継の首塚小堂や、関ヶ原合戦で吉継が用いたとされる梵鐘がある岐阜県大垣市の安楽寺は断念。 おそらくもう二度と訪れる機会がないであろう敦賀の街をしかと目に焼き付けてから、敦賀発米原行き特急しらさぎに乗り込んだ。途中、余呉という駅を通過するが、山々に囲まれたこの地が吉継の出生地ではないか?という説もある。どれ、ここも目に焼き付けて…。プワァァァ~ン無情にも特急は猛スピードで通過し、そんな暇を与えてはくれなかったのだった。 藤川台、吉継墓所にて 吉継の墓にそっと手を合わせる楊ぱち (photo by 都タクシーの運転手さん)
2008.10.20
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石田三成の出生地が長浜だということは、小説等で知っていた。確か石田村という所で、石田屋敷と呼ばれた立派な屋敷に住んでいたとか何とか書かれていた。 長浜城歴史博物館の受付の方に三成の出生地について尋ねてみると、確かにこの近くだが、歩いて行ける距離ではないとのこと。やむを得ず、駅前で暇そうにしていたタクシーの運転手さんに声を掛けた。「あのぉ、石田村…って所に行きたいんですけど」 「石田村て今時… 石田三成の?」 運転手さんが呆れるのも当然で、石田村というのは当時の地名で、今は長浜市石田町となっているらしい。いやはやお恥ずかしい 早速三成の出生地・石田町へと向かってもらう。運転手さんも相当な歴史好きらしく、延々と近江の歴史について語ってくれながら最初に寄ったのは、なぜか小堀遠州の出生地だった。まあ、かつて大学のゼミで茶の湯を学んだので、ちょっと嬉しい寄り道だったけど そしていよいよ三成の出生地、その名もズバリ石田町に到着 「石田三成公邸跡」と刻まれた碑を、ただじっと眺める。おおッ、ここで三成が生まれたのか~。そして、運転手さんが連れていってくれたのは、屋敷跡に建つ石田会館という小さな三成記念館。庭には三成の頭蓋骨を元に忠実に再現されたという銅像や、石田屋敷の濠跡と言われる池まである。メーターを止めてもらい、早速中に入ってみると、三成に関する絵やら写真やらがずらりと展示されていた。ちょうど御近所のおじさんやおばさん達もいて、色々な話を伺うことが出来た。 いつの間に芳名帳に記入した名前を見たのか、「岡山から来られた××さんやて」と名前で呼んでくれたりして(^^ゞ うーん、流石は近江人!(何が?) 三成も400年前に眺めていた…かもしれない池 続いては近くの八幡神社へ。三成の筆跡を刻んだ歌碑や辞世の句碑、供養等などがあった。 残紅葉 散り残る紅葉は ことにいとおしき 秋の名残は こればかりぞと 三成の供養塔と石塔。関ヶ原合戦後に埋め隠されていたとか 秀吉に仕えるきっかけとなった、三成の有名なエピソードといえば「三献の茶」。秀吉が鷹狩の途中、ある寺に寄って茶を所望した。応待した小姓は、まず最初に大ぶりの茶碗にぬるめの茶を入れて出した。秀吉はそれを一気に飲み干してもう一服頼むと、次に小姓は、小さめの碗に、やや熱めにした茶を出した。秀吉が試みにもう一服所望したところ、今度は更に小ぶりの碗に熱く点てた茶を出した。 この心配りに感心した秀吉は、その小姓を城に連れて帰り家来とした。この小姓こそ三成であった―というもの 江戸時代の創作とも言われるが、如何にも三成っぽい話ではある。長浜駅前には、この三献の茶の銅像まで建っている。 そんな有名なエピソードの舞台といわれているのが、米原市にある観音寺だ。 門を抜けて左に行くと、その際に水を汲んだとされる井戸もある 随分と歴史を感じさせる本堂。蜂がいたので近寄れず(T T) 次回はラスト、「戦国史跡巡り~大谷吉継編」です。敦賀に二泊したので、思う存分見て回って来ました~m(_ _)m
2008.10.19
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全く無計画のまま、岡山から新幹線で京都乗換を経て米原(滋賀県)へ。そして米原から北陸線に乗継ぎ、同県長浜に到着。大学のゼミ旅行で訪れて以来およそ20年ぶりに見る琵琶湖の美しいこと まずは、駅近くに模擬復元された長浜城(長浜城歴史博物館)へ。長浜城は秀吉が初めて一国一城の主となった城で、ここで石田三成や大谷吉継らも働いていたのか…と暫し感無量。天守からぐるり見渡せば、賤ヶ岳合戦場やら関ヶ原古戦場なども一望出来るが、何といっても日の光を受けてキラキラと輝く琵琶湖の壮大な眺めが素晴らしい。館内には三成が記した書状や検地の際に使用したものさしの複製等が展示されていた。 長浜駅からタクシーで三成出生地を回り、そのまま岐阜県不破郡関ヶ原町へ。関ヶ原古戦場といっても、今は山々に囲まれた長閑な田園地帯。平日の昼間っからこんな所をぷらぷらしている人は私以外誰一人いなかった。 関ヶ原町観光案内図。各陣跡がどこにあるのか一目瞭然 まずは笹尾山の石田三成本陣跡へと向かう。麓に位置する猛将・島左近や蒲生郷舎の陣跡には陣旗が寂しく風に靡いていた。 「大一大万大吉」の文字が躍る陣幕の奥には物々しい馬防柵が 三成の陣側から見た島左近の陣。左手、左近の陣旗が物悲しい 続いては、松尾山に陣取った小早川秀秋を怪しいと睨み、麓の山中(藤川台というそうな)に陣を敷いていた大谷吉継の陣跡並びに吉継の墓所へ。 向かう途中、大谷隊に加わり、吉継同様関ヶ原で戦死した垂井城主・平塚為広の碑があった。 あちゃーッ(><) 逆光でちっとも見えんがな と、ここまでは順調に進んだのだが、なぜか吉継の陣跡が探せども探せども見当たらないええ~ッ、マジっすか!? 案内板にはこの辺りだと表示してあるのだが…。私以上に焦ったのは、長浜からずっと一緒に回ってくれているタクシーの運転手さん。途中からはメーターを止め、15分くらい付近を走り回ったり、地元住民の方に尋ねて下さったり。やっとのことで辿り着いて二人で呆然。めっちゃはっきり案内表示板があった。なぜ二人ともが見落としていたのだろう? タクシーから降り、心弾む思いと切なさで胸が痛む思いを半々に、薄暗く鬱蒼とした山道を吉継の墓へと向かう。こんな山中に陣を敷き、裏切った小早川軍を相手に玉砕覚悟で立ち向かっていったのか… 山中にひっそりと建つ大谷吉継の墓。花が供えられていた 隣には、吉継切腹時に介錯をつとめた家臣・湯浅五助の墓も 墓所にあった碑と、吉継陣跡に淋しく残る碑 見入っていると、運転手さんが心配したのか上ってきて下さった。じゃあ、そろそろ戻りましょうか…と山道を下っていると、アレ?来た道と違う!? またしても二人で右往左往すること暫し。来る時も帰る時も、何だかまるで狐につままれたかのよう。本当に何でもない道なんだけど 他の多くの陣跡も見たかったが、そろそろ日が傾きつつあったので、最後は関ヶ原歴史民族資料館へ。関ヶ原合戦に関する貴重な資料が多数展示されていた。1枚50円の戦国武将千社札を記念に購入したのはいいが、さて、何に使おうかしらん…(^^ゞ 館内写真は (社)岐阜県観光連盟デジタルアーカイブ から借受 冒頭の三匹の猫の絵、向かって左から“しまさこにゃん”、“いしだみつにゃん”、そして白い頭巾の“おおたににゃんぶ”。これは滋賀県独自のキャラクターのようで、このあと訪問した福井県敦賀市では、これまた別の三成と吉継のキャラクター、“みっちー”と“よっしー”が… 次回は「戦国史跡巡り~石田三成編」ですm(_ _)m
2008.10.19
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16日(木)から2泊3日で、念願だった滋賀・岐阜・福井県をぶらりと気ままに見てまわってきた。目指すは関ヶ原古戦場、それから石田三成と大谷吉継に所縁の地! ということで、3日間の探訪コースは以下のとおり 1日目:長浜城歴史博物館 ― 石田三成生誕地(石田会館、八幡神社等) ― 観音寺 ― 関ヶ原古戦場跡(石田三成陣跡、大谷吉継陣跡並びに吉継の墓) ― 関ヶ原歴史民俗資料館 → 敦賀泊 2日目:敦賀市内の大谷吉継所縁の地(敦賀城案内碑→八幡神社→来迎寺→真願寺→みなとつるが山車会館→永賞寺) ― 気比神社 ― 西福寺 … 敦賀泊 3日目:常宮神社 ― 気比の松原(日本三大松原の一つ) ― 敦賀市立図書館 …とまあ、観光名所や美味しい物にはほとんど目もくれず、ただただ心行くまで史跡巡りを堪能してきた次第。 向かって左から・長浜駅前にある秀吉と三成の、三献の茶にちなんだ像・再興された長浜城(現・長浜城歴史博物館)・気比の松原から敦賀湾(…というよりは、美浜原子力発電所)を望む 詳細は関ヶ原編、石田三成編、大谷吉継編と分けて次回ということで 御参考までに、今回の旅先での主な費用 ・北陸本線 米原―長浜 \190 ・北陸本線 長浜―敦賀 \650 (途中、近江塩津乗換) ・特急しらさぎ 敦賀―米原 \2,060 ・長浜城歴史博物館 入館料 \400 ・関ヶ原歴史民俗資料館 入館料 \310 ・みなとつるが山車会館 入館料 \300 ・西福寺 拝観料 \300 ・レンタルサイクル(4-6時間) \700 ・レンタカー(MARCH 6時間) \5,250 +免責保障手数料 \1,260 ・ホテルルートイン敦賀駅前 宿泊代 \6,500 (一泊 喫煙部屋 予約無) ・タクシー代(長浜駅―石田町―関ヶ原町―長浜駅) \13,160 横着せずに電車やバスで行けばよかった~(T T)
2008.10.18
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