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▼悪の華と薔薇12(緑の目のヴィーナス5)マリーに捧げられた「あるマドンナに」です。最初は甘い表現が続きますが、最後は強烈な言葉で締めくくられます。A une Madone(あるマドンナに) Ex-voto dans le goût espagnol(スペイン風奉納物)Je veux bâtir pour toi, Madone, ma maîtresse,マドンナよ、恋人よ、私はお前のために、Un autel souterrain au fond de ma détresse,私の苦悩の奥深くに地下の祭壇を建てよう。Et creuser dans le coin le plus noir de mon coeur,そして私の心の最も暗いその片隅の、Loin du désir mondain et du regard moqueur,世俗の欲望や嘲りの視線から遠く離れた場所に、Une niche, d'azur et d'or tout émaillée,紺碧と黄金をちりばめた壁がんを掘ろう。Où tu te dresseras, Statue émerveillée.そこでお前は、息をのむような彫像としてそびえ立つのだ。Avec mes Vers polis, treillis d'un pur métal私の洗練された「詩句」で、水晶の脚韻をSavamment constellé de rimes de cristal巧みに刻んだ純金属を編みこんで、Je ferai pour ta tête une énorme Couronne;お前の頭上に輝く巨大な「冠」を作ろう。Et dans ma Jalousie, ô mortelle Madoneそして私の「嫉妬」を裁断して、おお、生身の聖母よ、Je saurai te tailler un Manteau, de façonお前のために「外套」を仕立てよう。野暮で、Barbare, roide et lourd, et doublé de soupçon,ごわごわして、重く、裏地には猜疑心を当てたその外套はQui, comme une guérite, enfermera tes charmes,哨舎の番兵のように、お前の魅力を包み込むはずだ。Non de Perles brodé, mais de toutes mes Larmes!その縁を飾るのは「真珠」ではなく、私が流す「涙」のすべて!Ta Robe, ce sera mon Désir, frémissant,お前の「服」には、私の「情欲」がなろう。わななき、Onduleux, mon Désir qui monte et qui descend,波打つ私の「情欲」は、登っては降り、Aux pointes se balance, aux vallons se repose,尖った場所ではバランスを取り、谷間では休息する。Et revêt d'un baiser tout ton corps blanc et rose.そして、お前の白くて薔薇色の体中をキスで覆いつくすのだ。Je te ferai de mon Respect de beaux Souliers私の「尊敬」からは美しい「靴」を作ろう。De satin, par tes pieds divins humiliés,繻子でできたその靴は、お前の清らかな足に虐げられながらも、Qui, les emprisonnant dans une molle étreinte柔らかな抱擁でお前の足を包み閉じ込め、Comme un moule fidèle en garderont l'empreinte.忠実な鋳型のように、その形を刻み続ける。Si je ne puis, malgré tout mon art diligent私の丹念な技巧にもかかわらず、Pour Marchepied tailler une Lune d'argent銀色に輝く「月」を「台座」に刻むことができないなら、Je mettrai le Serpent qui me mord les entraillesお前が踏みにじり、嘲ることができるように、Sous tes talons, afin que tu foules et railles私の内臓を食いあさる「蛇」をお前の踵の下に置こう。Reine victorieuse et féconde en rachats誇らかで、あがないの気持ちにあふれた女王よ、Ce monstre tout gonflé de haine et de crachats.その蛇の怪物は憎しみと痰で腹が膨れているのだ。Tu verras mes Pensers, rangés comme les Cierges「処女の中の女王」によって華やぐ祭壇の前、Devant l'autel fleuri de la Reine des Vierges「大蝋燭」のように並べられた私の「思考」がEtoilant de reflets le plafond peint en bleu,蒼く彩られた天井を星のように照らし出しながら、Te regarder toujours avec des yeux de feu;燃えるような眼差しで、いつもお前を見守っていることを知るだろう。Et comme tout en moi te chérit et t'admire,私の中のすべてがお前をいつくしみ、崇拝しているように、Tout se fera Benjoin, Encens, Oliban, Myrrhe,すべてが「安息香」、「薫香」、「乳香」、「没薬」となるだろう。Et sans cesse vers toi, sommet blanc et neigeux,そして、白い雪に覆われた高峰であるお前を絶えず目指しながら、En Vapeurs montera mon Esprit orageux.狂おしく乱れた私の「精神」は、「水蒸気」となって昇っていく。Enfin, pour compléter ton rôle de Marie,最後に、お前の「聖母マリア」としての役目をまっとうさせるために、Et pour mêler l'amour avec la barbarie,そして、愛情と残酷を混ぜ合わせるために、Volupté noire! des sept Péchés capitaux,邪悪な快楽よ! 私は後悔に満ちた死刑執行人として、Bourreau plein de remords, je ferai sept Couteaux七つの「大罪」を使って、七つの「小刀」を研磨しよう。Bien affilés, et comme un jongleur insensible,そして、非情の大道芸人のように、Prenant le plus profond de ton amour pour cible,お前の愛の深奥を標的にして、Je les planterai tous dans ton Coeur pantelant,私はその「小刀」を打ち込もう、お前のあえぐ「心」に、Dans ton Coeur sanglotant, dans ton Coeur ruisselant!お前のすすり泣く「心」に、お前の血が滴る「心」に!(続く)ボードレールの心の深奥の風景・・・。
2008.03.31
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▼悪の華と薔薇11(緑の目のヴィーナス4)「緑の目のヴィーナス」に対するボードレールの感情は、崇拝に近いものだったようです。しかし、実父の遺産を湯水のように使ったボードレールは、そのころ(1854年ごろ)はほとんど一文無しの状態だったんですね。それというのも、その浪費振りが目に余ったので、両親の申し立てにより準禁治産者と認定され、亡き父の遺産管理は法廷後見人の手に委ねられることになったからです。1844年、ボードレールが23歳のときでした。それでもボードレールの浪費癖は直りません。借金の返済がかさみ、後見人から手渡されるお金だけでは、やっていけなくなってしまうんですね。マリーとのデートもままなりません。そこでボードレールは1854年、母親にデート代を出してもらうんですね。母親に切々と「お小遣い」をねだる当時の手紙が残っています。この「お小遣い」を使ってマリーとのディナーデートに成功したボードレールは、ますますマリーにのめり込みます。人気女優マリーが主役を演じる「陽気座」の楽屋に毎日、入り浸るようになります。このころボードレールは、エドガー・アラン・ポーの翻訳で少しだけ原稿料が入りますが、足りません。結局、母親が嫌っている「黒いヴィーナス」であるジャンヌと縁を切ることをにおわせながら、母親からデート資金をもらい、マリーとの綱渡り的なランデブーを重ねるんですね。ボードレールは、マリーに献身的に接します。陽気座の支配人と喧嘩して干されていたマリーのため、自分が嫌悪していた、当時を時めく女流人気作家ジョルジュ・サンドに、マリーを主役に用いるよう懇願したりもしています。サンドはオデオン座の支配人に掛け合いますが、マリーが主役を得ることはできませんでした。ボードレールとマリーは落胆します。どうやらこれを契機に、二人の間に不協和音が生じたようです。マリーはボードレールに対して冷たくなり、かつての恋人でボードレールの友人のテオドール・ド・バンヴィルとの恋を再燃させます。役立たずは去れ、ということでしょうか。金の切れ目が縁の切れ目ともいいますね。ミューズが友達のもとに戻ったことで嫉妬しつつも、ボードレールは遠くから、マリーを思い続けます。その思いは複雑だったでしょうね。それは「緑の目のヴィーナス」詩群の最後を飾る「あるマドンナに」にも表れています。明日はこの詩を紹介しましょう。(続く)桜の写真の続きです。
2008.03.30
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ソメイヨシノが満開となったので、あちこち歩き回り、桜や猫の写真を撮っていました。境内でも花見の家族連れが目立ちます。できれば、猫ちゃんと桜のツーショットが撮りたいですね。なかなかこっちを向いてくれません。花より毛舐めですね。そこへ、もう一匹の猫ちゃんが登場。真昼の決闘!?・・・なんてことにはなりません。仲良し猫ちゃんたちです。こちらの猫は花見中にもかかわらず、こちらを向いてくれました。模様は似ていますが、毛舐めしていた猫ちゃんとは別の猫です。このお寺は湘南海岸のそばにあります。今日は、富士山は午前中しか見えませんでしたが、午後になると伊豆半島がよく見えました。上の写真で、右に見えるのが江ノ島。江ノ島の向こう側に左手にかけて薄い影絵のように伸びているのが、伊豆半島の山々です。最後は今日の夕暮れ。犬の散歩の最中ですね。伊豆半島の輪郭が夕焼け空に浮かび上がっています。桜だより兼猫だよりでした。薔薇シリーズは明日再開します。
2008.03.29
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▼悪の華と薔薇10(緑の目のヴィーナス3)「緑の目のヴィーナス」詩群に属するとされる「美しき船」です。 Le Beau Navire(美しき船)Je veux te raconter, o molle enchanteresse ! Les diverses beautes qui parent ta jeunesse ; Je veux te peindre ta beaute, Ou l'enfance s'allie a la maturite. 私はお前に語りたい、おお、しなやかで魅力的な女よ!お前の若さを飾る諸々の美について。私はお前のために、お前の美しさを描きたい、幼さが成熟と調和する美を。Quand tu vas balayant l'air de ta jupe large, Tu fais l'effet d'un beau vaisseau qui prend le large, Charge de toile, et va roulant Suivant un rhythme doux, et paresseux, et lent. お前が裾の広いスカートを翻しながら風を切って進むとき、お前はまるで沖へと駆け出す美しき船のようだ。帆をいっぱいに広げ、横揺れしながら、優しく、物憂げで、緩やかなリズムに乗って進む。Sur ton cou large et rond, sur tes epaules grasses, Ta tête se pavane avec d'etranges graces ; D'un air placide et triomphant Tu passes ton chemin, majestueuse enfant. 肉付きのよい肩の上、ふくよかで丸いうなじの上に、奇妙な愛嬌を振りまきながら、お前の頭はそびえている。悠然と勝ち誇ったように、お前は航路を行く、威厳に満ちた愛しい女よ。Je veux te raconter, o molle enchanteresse ! Les diverses beautes qui parent ta jeunesse ; Je veux te peindre ta beaute, Ou l'enfance s'allie a la maturite. 私はお前に語りたい、おお、しなやかで魅力的な女よ!お前の若さを飾る諸々の美について。私はお前のために、お前の美しさを描きたい、幼さが成熟と調和する美を。Ta gorge qui s'avance et qui pousse la moire, Ta gorge triomphante est une belle armoire Dont les panneaux bombes et clairs Comme les boucliers accrochent des eclairs ; お前の胸は前に突き出て、波紋を作りながら進む。お前の勝ち誇った乳房は、美しいキャビネットだ。膨らんで明るいその壁面は、まるで盾のように光を弾いている。Boucliers provoquants, armes de pointes roses ! Armoire a doux secrets, pleine de bonnes choses, De vins, de parfums, de liqueurs Qui feraient delirer les cerveaux et les coeurs ! 薔薇色の鋲で武装した、挑発的な盾よ!葡萄酒、香水、リキュール、美しいものがたくさん詰まった、甘美な秘密を持つキャビネットよ、そのすべてが、頭と心を狂わせるのだ!Quand tu vas balayant l'air de ta jupe large, Tu fais l'effet d'un beau vaisseau qui prend le large, Charge de toile, et va roulant Suivant un rhythme doux, et paresseux, et lent. お前が裾の広いスカートを翻しながら風を切って進むとき、お前はまるで沖へと駆け出す美しき船のようだ。帆をいっぱいに広げ、横揺れしながら、優しく、物憂げで、緩やかなリズムに乗って進む。Tes nobles jambes, sous les volants qu'elles chassent,Tourmentent les desirs obscurs et les agacent, Comme deux sorcieres qui font Tourner un philtre noir dans un vase profond. スカートのフリルを追いかけて進む、お前の気品のある脚は、心の奥に潜む欲望を煽り、苦しめる。底の深い壺を使って黒い媚薬をかき混ぜさせる二人の魔女のように。Tes bras, qui se joueraient des precoces hercules, Sont des boas luisants les solides emules, Faits pour serrer obstinement, Comme pour l'imprimer dans ton coeur, ton amant. 早熟なヘラクレスなら手玉に取るであろうお前の腕は、光を反射して輝く大蛇に引けを取ることもない。お前の心の中に恋人を刻み込むためであるかのように、お前の腕は執拗に恋人を締め付ける。Sur ton cou large et rond, sur tes epaules grasses, Ta tete se pavane avec d'etranges graces ; D'un air placide et triomphant Tu passes ton chemin, majestueuse enfant. 肉付きのよい肩の上、ふくよかで丸いうなじの上に、奇妙な愛嬌を振りまきながら、お前の頭はそびえている。悠然と勝ち誇ったように、お前は航路を行く、威厳に満ちた愛しい女よ。マリーとみられる女性を船に見立てて、その美しさを称えていますね。随所に面白い表現が出てきます。第2節では、スカートの膨らみを帆に、船のローリングを、腰を揺らして歩く姿にたとえています。第3節に出てくる頭は、マストのイメージでしょうか。「肉付きのよい肩」「ふくよかで丸いうなじ」とちょっと婉曲的に書きましたが、「肥満した肩」「太くて丸い首」とも訳せます。実際、マリーはふくよかな女性だったらしく、太りすぎを理由に主役の座を勝ち取れなかったこともあったそうです。年齢と伴に太っちゃたんでしょうか。第4節は第1節の繰り返しですね。第5節と第6節は、マリーの胸の描写です。キャビネットは奇異な表現に思われますが、箱のような形から、キャビン(船室)を連想させますね。それを、光を反射する盾にたとえています。それはそのまま乳房の形でもあるわけです。第6節の丸みを帯びた盾を武装している「薔薇色の鋲」とは、赤い乳首を指しています。ボードレールは女性の肉体の色を表現するのに薔薇をよく使いますね。第7節は第3節の繰り返し。第8節は脚の描写。「二人の魔女」は二本の脚を表していますね。第9節は腕の描写ですが、よほど腕っ節が強そうだったのでしょうか、マリーのたくましい腕が浮かびます。大蛇のように抱きしめられたら、それこそ骨抜きになるか、窒息してしまいそうです。第10節は第3節を繰り返して終わります。(続く)
2008.03.28
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東京地方のソメイヨシノは、場所によってはほぼ満開となりました。またまた二日遅れ(前回は三日遅れ)となりましたが、3月25日に撮影した桜です。前回も紹介した神代曙。ソメイヨシノよりも一足早く、ほぼ満開となっておりました。綺麗な桜ですね。枝垂桜も6、7分咲き。枝垂桜は、今日あたりは満開となっているんでしょうね。枝垂桜のアップです。大寒桜の梢には、いつものように小鳥さんが。ズームインしてみますね。たぶんヒヨドリだと思います。花に頭を突っ込んで蜜を吸ったり、花弁を食べたりします。大寒桜はすでにひらひらと花弁を散らし始めておりました。最後は桃です。枝に沿ってびっしりと花を咲かせるのが特徴ですね。桜と桃の花の競演でした。
2008.03.27
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▼悪の華と薔薇9(緑の目のヴィーナス2)ボードレールの「おしゃべり」はいかがだったでしょうか。「白いヴィーナス」に捧げた詩と同様に、「緑の目のヴィーナス」を「澄み切った、薔薇色の空」と形容して、崇めていますね。「女の爪と残忍な歯」とは、ジャンヌの爪と歯の思い出でしょうか(笑)。ジャンヌとの諍いに疲れ、心がボロボロになった詩人の姿が浮かびますね。酒と犯罪に満ちた現実世界の喧騒から離れて漂ってくるのは、マリーが放つ芳香。詩人のインスピレーションを刺激する美なのでしょう。心身ともに疲弊したボードレールの心を燃え上がらせ、かつ癒してくれると言っていますね。ボードレールの詩における薔薇の使い方によって、彼がそれぞれの女性にどのようなイメージを持っていたかが伝わってきます。最初は「黒いヴィーナス」のジャンヌ。「バルコニー」では、過去の美しい思い出の中でのみ、薔薇の香りとともにありました。別れて初めて、彼女の大切さに気づいたんですね。おそらく一緒にいたときには、薔薇の花の美しさよりも棘の痛みのほうが強かったのでしょう。爪は「短剣」にたとえられ、「女戦士」と形容されたこともありました(「決闘」)。「白いヴィーナス」のサバチエ夫人は、肉体の美しさが「薔薇色のもの」と形容されました。その女性美は、そのまま天界の妙なる音楽にたとえられ、神聖化され、この上なく賛美されます。そして今回紹介した「緑の目のヴィーナス」のマリー・ドーブランは、詩人の理想である空を「薔薇色」に染める女性です。ボードレールは、マリーに首ったけになります。特に詩人の心を捕まえたのは、その緑色がかった眼でした。ボードレールはマリーに次のような手紙を送っています。「あなたは私の崇拝の対象です。汚したりすることなんかできません。あなたのすべてが美しく、芳しい。(中略)それと言うのも、その眼のせいです。詩人に不滅の愛を吹き込むその眼の」ここでは紹介しませんが、「曇った空」の中でマリーの眼は、「靄に包まれながら」「空の蒼さと非情さとを映し出します」。やはりマリーは、理想の象徴である空のイメージと結びつくんですね。続いてマリーのことを詠った、薔薇が登場する詩「美しき船」を紹介しますが、長いので明日のブログに全文を掲載します。(続く)
2008.03.27
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▼悪の華と薔薇8(緑の目のヴィーナス)喧嘩続きのジャンヌとの同棲生活に疲れ、華やかなサバチエ夫人の妖艶な美しさに魅せられたボードレール。そのような彼の前に、もう一人の若い女性が現れます。それが「緑の目のビーナス」と呼ばれる女優マリー・ドーブランです。別の肖像画もあります。印象がまったく違います。年齢の違いでしょうか。どちらが本物に近いのでしょうね。マリーは19歳となった1846年ごろ、パリのモンマルトル劇場で地味なデビューを果たしたました。その後47年に『金髪の美女』で主役を演じて認められ、だんだんと重要な役を任せられるようになります。金髪に白い肌で、ちょっとふっくらした魅力的な女性だったようです。マリーの魅力はたちまち評判になり、ボードレールの耳にも入ります。そして1852年ごろ、友人で詩人のテオドール・ド・バンヴィルの紹介でボードレールはマリーと知り合いになります。ただしそのころ、マリーはすでにバンヴィルの愛人となっていたようです。友人の愛人だと知りつつも、ボードレールはマリーへの恋心を募らせていくんですね。『悪の華』では、49~57の9編が「緑の目のビーナス」詩群だとされていますが、その中から薔薇が出てくる詩を紹介しましょう。まずは「おしゃべり」です。Causerie(おしゃべり)Vous êtes un beau ciel d'automne, clair et rose!Mais la tristesse en moi monte comme la mer,Et laisse, en refluant, sur ma lèvre moroseLe souvenir cuisant de son limon amer.あなたは美しい秋の空、澄み切った、薔薇色の空だ!しかし私の中の悲しみは、海のように打ち寄せては、寄せ返しながら、私の不機嫌な唇の上に、苦い泥でじゃりじゃりするような思い出を残していく。- Ta main se glisse en vain sur mon sein qui se pâme;Ce qu'elle cherche, amie, est un lieu saccagéPar la griffe et la dent féroce de la femme.Ne cherchez plus mon coeur; les bêtes l'ont mangé.――お前の手がいくら夢見心地の私の胸をまさぐっても無駄さ。友よ、お前の手が探しているのは、女の爪と残忍な歯によって荒らされた場所だ。もう私の心を探さないでおくれ。野獣たちが食い尽くしてしまったのだから。Mon coeur est un palais flétri par la cohue;On s'y soûle, on s'y tue, on s'y prend aux cheveux!- Un parfum nage autour de votre gorge nue!...私の心は群集に略奪された宮殿だ。そこで彼らは酔っ払い、殺し合い、髪の毛をつかみ合う!――あなたの露になった胸の辺りから香りが漂っている!・・・O Beauté, dur fléau des âmes, tu le veux!Avec tes yeux de feu, brillants comme des fêtes,Calcine ces lambeaux qu'ont épargnés les bêtes!おお、美よ、魂が味わう耐え難い天災よ、お前もそれを望んでいる!宴のように輝く、お前の炎の眼で、野獣たちが食い残したこのぼろきれを焼き焦がしておくれ。(続く)
2008.03.26
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ソメイヨシノが開花した3月23日、神代植物公園に桜を観に行きました。大寒桜は3分咲きぐらいでしょうか。写真を縮小してしまっているので、わかりづらいですが、何羽か小鳥(ヒヨドリ?)が梢にとまっています。花の蜜を吸っているんでしょうね。こちらは神代曙という桜です。ソメイヨシノに似ていますが、ちょっと紅色が濃いですね。アメリカのワシントン市から送られた枝を接木して育てた桜だそうです。枝垂桜も咲いています。こちらは寒緋桜(カンヒザクラ)。沖縄では1月下旬ごろ咲くので有名な桜です。桃も咲いています。実のならない、観賞用の花桃ですね。最後は22日に鎌倉で撮影した大島桜。葉っぱが桜餅に使われますね。この時期、白木蓮も鮮やかに咲いています。まさに百花繚乱のシーズン到来と言ったところです。
2008.03.25
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▼悪の華と薔薇7(白いヴィーナス2)ボードレールが「彼女のすべて」で、「悪魔」の質問に答える形で絶賛している「白いヴィーナス」ことサバチエ夫人とは、どのような女性だったのでしょうか。サバチエ夫人は当時の「高級娼婦」でした。つまり、ただ美しいだけでなく、知性と教養を兼ね備えた「パリ社交界のもう一つの花」だったんですね。通常は金持ちや有名人の愛人でもあります。そのころのサバチエ夫人は、ユダヤ人の裕福な銀行家A・モッセルマンの愛妾で、自宅の豪華なサロンには、ヴィクトル・ユーゴやテオフィル・ゴーチエら文人や芸術家が大勢集まり、交友していたそうです。ボードレールがサバチエ夫人のサロンに出入りするようになったのは1852年、31歳のときでした。ボードレールはたちまち、その才色兼備の麗人に恋をしてしまったようです。匿名で彼女に手紙と詩を送り始めるんですね。そうして書かれた詩は10数編に及び、その中の一編が「彼女のすべて」でした。そこで描かれるサバチエ夫人は、ジャンヌとは対照的に理想の女性のように描かれています。その匿名の詩と手紙はほどなく、ボードレールのものだとわかってしまうのですが、それでもボードレールは匿名で送り続けたのだそうです。面と向かって告白することもなく、ただ遠くからサバチエ夫人を見つめていたいという心情だったのでしょう。理想は遠くにあってこそ輝きます。そう、身近にいる現実はジャンヌなんですね。二人とも梅毒に侵されているという現実があり、地獄への道連れとなる運命にあります。でも詩人には、理想の国へと駆り立てるミューズが必要だった。それがサバチエ夫人であったのではないかと思われます。そう考えると、「彼女のすべて」に現れる「悪魔」は、ジャンヌの姿と重なります。「過ちを咎めようと」というのは、疑心暗鬼になったジャンヌがボードレールとサバチエ夫人の浮気現場を押さえようと寝室に殴りこんできたジャンヌなのかなと思ってしまいます。もちろんボードレールは、ある意味で「潔白」でした。ボードレールとサバチエ夫人の間には肉体関係はなかったのではないかとされているんですね。サバチエ夫人は「聖母」として崇められていただけだったわけです。だから1857年に、サバチエ夫人がボードレールに言い寄ったときに、ボードレールは彼女を拒絶します。「彼女のすべて」の中で悪魔がささやく「黒い、あるいは薔薇色のもの」とは、おそらく肉欲の象徴としての女性の肉体のことですね。その中で何が一番心地好いのか、と聞く悪魔に対して詩人は、そんなものを超えたところに美があるのだと応じているように聞こえます。「彼女のすべてが癒し」であるためには、侵してはならない聖域にサバチエ夫人を常に鎮座させておく必要があったのでしょう。19世紀の彫刻家ジャン・バプティスト・オーガスト・クレザンジェがサバチエ夫人をモデルにした二つの作品を残しています。「サバチエ夫人の胸像」(ルーブル博物館所蔵)「蛇に噛まれた女」(オルセー美術館所蔵)別角度はこちら。女性のオーガズムを描いた作品ではないかとして、当時話題になったようです。作者はわかりませんが、サバチエ夫人の絵はこちらです。(続く)
2008.03.24
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あっ、前門に虎!・・・?山門の猫でしたね。富士山です。撮影したのは午前11時ごろですが、この時期にはっきりした富士山を撮るには、もっと早い時間のほうかよさそうです。温度が上がるにつれて、もやが出てくるようです。猫も富士山も昨日の撮影でした。場所は鎌倉と江ノ島です。
2008.03.23
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▼悪の華と薔薇6(ボードレール6)約20年にわたりボードレールと関係を持ち続けた「黒いヴィーナス」ジャンヌ・デュバルは、『悪の華』の中では「Sorcière au flanc d'ébène(黒檀のわき腹をした魔女)」「Le Serpent qui danse(踊る蛇)」などの表現として登場します。これらの詩を読むと、ボードレールにとってジャンヌは、常に身近にいたので、現実的で生々しい存在だったことがわかります。その節々の表現から、退廃的な快楽の源であると同時に、身を焦がすような苦しみのもとでもあったのかなとも思われてきます。そのような「黒いヴィーナス」に対して、これから紹介する「白いヴィーナス」であるサバチエ夫人は、現実生活に疲れ果てたボードレールを癒す、光明に満ちた天使のような存在として現れます。では、「白いヴィーナス」を描いた「彼女のすべて」を紹介しましょう。Tout entière(彼女のすべて)Le Démon, dans ma chambre hauteCe matin est venu me voir,Et, tâchant à me prendre en fauteMe dit: "Je voudrais bien savoir悪魔が朝、階上にある私の部屋へ、私に会いにやって来た。そして、過ちを咎めようとして私にこう言った。「ちょっと知りたいのだが、Parmi toutes les belles chosesDont est fait son enchantement,Parmi les objets noirs ou rosesQui composent son corps charmant,彼女の魅力を作り上げているすべての美しいものの中で、彼女の魅力的な肉体を作っている黒い、あるいは薔薇色のものの中で、Quel est le plus doux."- O mon âme!Tu répondis à l'Abhorré:"Puisqu'en Elle tout est dictameRien ne peut être préféré.何が一番心地好いのだ」――おお、私の魂よ!お前はその「嫌われ者」にこう答えた。「彼女のすべてが癒しなので、何が一番ということはないのだ。Lorsque tout me ravit, j'ignoreSi quelque chose me séduit.Elle éblouit comme l'AuroreEt console comme la Nuit;すべてが私を魅了するのだから、何が私を誘惑するかなど知らない。彼女は朝日のようにまばゆく、夜のように心を慰める。Et l'harmonie est trop exquise,Qui gouverne tout son beau corps,Pour que l'impuissante analyseEn note les nombreux accords.彼女の美しい肢体のすべてを支配するハーモニーはあまりにも麗しいので、非力な分析では、その妙なる和音を譜に書きとめることができない。O métamorphose mystiqueDe tous mes sens fondus en un!Son haleine fait la musique,Comme sa voix fait le parfum!"おお、私のすべての五感を一つに溶け合わせる神秘の変化よ!彼女の声が芳香となるように彼女の吐息は音楽に変わるのだ。(続く)
2008.03.22
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▼悪の華と薔薇5(ボードレール5)「黒いヴィーナス」と呼ばれたジャンヌ・デュバルとみられる肖像画『ボードレールの愛人』をエドゥアール・マネが描いていますので、こちらをご覧ください。左手に扇を持っていますね。こちらも、誰が書いたかわかりませんが、ジャンヌ・デュバルの肖像画です。そしてこれは、ボードレールの友人の画家オーガスト・プレ=マラシが描いたジャンヌ・デュバルの肖像画スケッチとメモ書き。エキゾチックな顔立ちです。さて、昨日紹介した「バルコニー」ですが、非常に朗読しやすい、音楽的な詩になっています。当時のパリでは、今でもそうかもしれませんが、街は劇場、バルコニーはその観覧席と呼ばれ、道行く人たちをバルコニーから観察したり、外の景色を楽しんだりするのが常だったんですね。当時の雰囲気を知るのには、こちらがいいかもしれませんね。エドゥアール・マネの『バルコニー』です。詩のほうは、それほど難しくはありませんね。構成も非常にわかりやすく、よくできています。第一節では、最愛の恋人との甘い日々を思い出してくれと、ジャンヌに呼びかけていますね。浮かんでくるのは、「甘美な愛撫」「心地良い炉辺」「魅惑的な夕べ」の三つです。すべてバルコニーのそばの情景なのでしょう。第二節以降で、それを具体的に述べてゆきます。第二節は、主に「心地良い炉辺」の描写です。囲炉裏に燃える石炭が夕陽に映えて、ますます赤みを増しているようです。夕暮れと囲炉裏の炎のコントラストがいいですね。漂うのは、「甘美」を象徴する薔薇の香りです。第三節は、「魅惑的な夕べ」の描写です。バルコニーから見た夕陽の光景ですね。そして、そのとき嗅いだのがジャンヌの「血の香り」というのですから、官能的です。第四節は、「甘美な愛撫」に焦点を当てています。時間も経過して夜になっていますね。「夜が壁のように厚く」なるとは、感覚的で、とても美しい表現です。愛撫の中心は「瞳」でしょうか。二人の眼がお互いを愛撫しているように思われます。第二、第三節では視覚と嗅覚と触覚でしたが、第四節ではそれに味覚が加わっていますね。「吐息を飲み干」すとは、エロチックでもあります。甘い毒とは、いかにもボードレールらしい表現です。第五節は、起承転結で言うと、「転」に当たりますね。第一節でボードレールがジャンヌに呼びかけた理由が明らかになります。幸福だった日々が遠い昔の話になってしまったことを嘆くボードレールの姿が現れますね。夕暮れのバルコニーに象徴される過去の甘美な日々を取り戻したい、いや取り戻せるんだと自分自身に言い聞かせているようです。おそらく二人の間には、修復不可能な決定的な亀裂が入ったのでしょう。ボードレールはジャンヌに未練たらたらのように思われます。最終節では、そうした鬱屈した気持ちを詩に昇華させた詩人の姿が浮かび上がります。テーマは希望ですね。美を刻む詩の力によって、ジャンヌとの甘い日々はよみがえり、永遠に刻まれることになるわけです。第五節でボードレールが言っていた「あの幸福な瞬間をよみがえらせる方法」とは、このことだったのではないか、と思えてきます。これだけ構成がしっかりしているので、音楽にもしやすかったのでしょうね。現実世界でのボードレールとジャンヌの関係はどうだったのでしょうか。すでに紹介したように、ボードレールは21歳のころジャンヌと知り合い、同棲生活を始めます。最初の10年は比較的良好な関係が続いたようです。おそらく詩に詠われているように、甘美な日々が続いていたのでしょう。ところが1852年、『悪の華』に出てくる「白いヴィーナス」であるサバティエ夫人のサロン出入りするようになったころから、二人の関係がうまくいかなくなったようです。それでも何度かよりを戻したりしたのでしょう。二人の関係はその後もしばらく続きますが、ボードレールが40歳となった1861年に、二人は完全に別れます。そのころジャンヌは、ボードレールにうつされたとみられる梅毒に侵され、健康を著しく損ねていました。そして翌年には亡くなってしまうんですね。冒頭に紹介したマネーの絵は、まさにジャンヌが死んだ1862年に描かれています。そのころ、すでにジャンヌの目は見えなくなってきていたと言われています。病気をうつされた上に、捨てられ、その病気で死んでしまうとは、なんとも哀れです。人種差別もあったでしょう。それでもジャンヌは、ボードレールだけでなく、20世紀以降の作家にもインスピレーションを与えているんですね。現代イギリス文学を代表する作家アンジェラ・カーター(1940年~1992年)は、自薦短編集『ブラック・ヴィーナス』の表題作品で、ジャンヌを主人公にした作品を書いています。また、ジャマイカ生まれのナロ・ホプキンソンという女性作家が、ジャンヌが登場するSF『塩の道』を発表しているそうです。(続く)
2008.03.21
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▼悪の華と薔薇4(ボードレール4)今日紹介する「黒いヴィーナス」詩群の「バルコニー」という詩は、前回紹介した「理想」と同じ『悪の華』の最初の章と言える「憂鬱と理想」の中に収められています。「憂鬱と理想」も3つの詩編に分けられますが、「理想」は芸術詩編、「バルコニー」は恋愛詩編に分類できます(分類のもう一つは憂鬱詩編です)。さらにその恋愛詩編は、ジャンヌ・デュバルの「黒いヴィーナス」詩群、サバチエ夫人の「白いヴィーナス」詩群、女優マリー・ドーブランの「緑の目のヴィーナス」詩群、などに分けられます。このほかにもボードレールが思いを寄せたと思われる女性が出てきますので、いやはや、さすがダンディなボードレール、豊富な女性遍歴をお持ちです。でもその中で、ジャンヌを一番大事にしていたように思うんですよね。では、「バルコニー」を紹介します。Le Balcon(バルコニー)Mère des souvenirs, maîtresse des maîtresses,O toi, tous mes plaisirs! ô toi, tous mes devoirs!Tu te rappelleras la beauté des caresses,La douceur du foyer et le charme des soirs,Mère des souvenirs, maîtresse des maîtresses!思い出の母よ、最愛の恋人よ、ああ、お前は私の喜びのすべて! おお、お前は私の運命のすべてだ!思い出しておくれ、あの甘美な愛撫、心地好い炉辺、魅惑的な夕べを、思い出の母よ、最愛の恋人よ!Les soirs illuminés par l'ardeur du charbon,Et les soirs au balcon, voilés de vapeurs roses.Que ton sein m'était doux! que ton coeur m'était bon!Nous avons dit souvent d'impérissables chosesLes soirs illuminés par l'ardeur du charbon.赤々と燃える石炭によって照らし出された夕暮れ、薔薇の香りがほのかに漂うバルコニーの夕暮れ。お前の胸が何と心地よかったことか! お前の心が何と優しかったことか!私たちはしばしば、永遠に変わらぬものについて語り合った、赤々と燃える石炭によって照らし出された夕暮れに。Que les soleils sont beaux dans les chaudes soirées!Que l'espace est profond! que le coeur est puissant!En me penchant vers toi, reine des adorées,Je croyais respirer le parfum de ton sang.Que les soleils sont beaux dans les chaudes soirées!ほの暖かい夕暮れ時に見た太陽の何と美しかったことか!空は何と奥深いことか! 心は何と力強いことか!愛の女王よ、私はお前に寄り添いながら、お前の血の香りを嗅いだように思う。ほの暖かい夕暮れ時に見た太陽の何と美しかったことか!La nuit s'épaississait ainsi qu'une cloison,Et mes yeux dans le noir devinaient tes prunelles,Et je buvais ton souffle, ô douceur! ô poison!Et tes pieds s'endormaient dans mes mains fraternelles.La nuit s'épaississait ainsi qu'une cloison.夜は壁のように厚くなっていった。私の目は闇の中でもお前の瞳を捉え、私はお前の吐息を飲み干したのだ。ああ、その甘さよ! おお、その毒よ!そしてお前の足は、愛撫する私の手の中で眠っていた。夜は壁のように厚くなっていった。Je sais l'art d'évoquer les minutes heureuses,Et revis mon passé blotti dans tes genoux.Car à quoi bon chercher tes beautés langoureusesAilleurs qu'en ton cher corps et qu'en ton coeur si doux?Je sais l'art d'évoquer les minutes heureuses!私はあの幸福な瞬間をよみがえらせる方法を知っている。だから、お前の膝の中にうずくまる私の過去の姿が見えるのだ。物憂げなお前の美しさを求めるのに、愛しきお前の肉体と、優しいお前の心のほかに、どこにあると言うのか?私はあの幸福な瞬間をよみがえらせる方法を知っている。Ces serments, ces parfums, ces baisers infinis,Renaîtront-ils d'un gouffre interdit à nos sondes,Comme montent au ciel les soleils rajeunisAprès s'être lavés au fond des mers profondes?- O serments! ô parfums! ô baisers infinis!あの誓いの言葉、あの芳香、あの永遠の口づけは、測り知ることのできない深淵から、よみがえってくれるだろうか、深い海の底で禊をした後、若返って空に立ち昇る太陽のように?おお、あの誓いの言葉、あの芳香、あの永遠の口づけよ!この詩の詳しい説明は明日のブログでしますが、この「バルコニー」は、クロード・ドビュッシーが「ボードレールの5つの詩」に選んで作曲しています。とりあえず、こちらの曲1,2をお聴きください。写真は昨日の続きで、洗濯物のように干された昆布です。(続く)
2008.03.20
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▼悪の華と薔薇3(ボードレール3)ボードレールは1821年、パリで生まれました。父親は元聖職者で、フランス革命前は大貴族の家庭教師や、元老院事務局の官職を務めていました。その父親はボードレールが5歳のときに68歳(!)で死去します。ボードレールは還暦を過ぎてから生まれた子供だったんですね。母親のカロリーヌは父親より34歳(!)年下でした。父親が死んだ翌年、35歳の母カロリーヌは陸軍士官ジャック・オーピックと再婚します。父親の死後わずか一年半ほどでの再婚に、ボードレールの心は深く傷つき、義父オーピックとの関係もうまくいかなかったようです。オービックはのちに将軍の位に昇進し、スペイン大使、元老院議員となりました。ボードレールは義父オーピックの転任に伴い、リヨンの王立中学に入学後、1836年にはやはり義父の転任でパリのルイ=ル=グラン中学に寄宿生として転入します。ラテン語の作詩を得意とし、全国中学生の作文コンクールで賞を取ったこともあったそうです。18歳のとき義父への反発から非行を重ねて放校処分になります。それでも勉強はできましたから、バカロレア(大学入学資格試験)に合格、法律学校に籍をおきます。しかしその後も、酒、女、ギャンブル、喧嘩といった自由奔放で自堕落な生活は続き、この時期、性病にもかかっています。心配した両親は、悪友たちから引き離すという理由で1841年5月、インドで二年間過ごさせるため、ほとんど強制的にインド行きの汽船に乗せます。ところがボードレールは、アフリカ東岸のモーリシャス島に寄港した際、反旗を翻すように帰国の船に飛び乗り、42年2月には再びパリでの放蕩生活に戻ってしまいます。その年の4月に成人(21歳)に達したボードレールは、実父の遺言に基づいて相続した資産が自由に使えるようになりましたから、さあ大変です。落書き好きの子供に真っ白な壁とクレヨンを与えるようなものですね。セーヌ川の中島・サン=ルイ島にあるパリの高級住宅地に居を構えて、ダンディで「美的」な生活に浸り、金を使いまくります。このころボードレールは、白人と黒人の混血の端役女優ジャンヌ・デュバルと知り合い、熱愛・同棲関係になります。『悪の華』にも当然、ジャンヌは登場してきます。その詩群は「黒いヴィーナス」の詩群と呼ばれ、フランス語で書かれたエロチックな詩の中でも最も美しい詩であると評価されています。明日は、この「黒いヴィーナス」の詩群から、薔薇が出てくる詩を紹介しましょう。モーリシャスの海岸で祖国フランスを思うボードレール・・・・・・ではありませんね。湘南の海岸で見かけた昆布採りのおじさんです。(続く)
2008.03.19
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▼悪の華と薔薇2(ボードレール2)「悪の華」とは、狭義には売春婦たち、もしくはボードレールが出会った女性たちのことを指しますが、より広い意味においては、背徳や倦怠、あるいは病んだ心を意味しているようです。ボードレールは冒頭で、それらを「病める花々(Ces Fleurs maladives)」と呼んでいます。その花々は、薔薇、百合、マーガレットとして現れるだけでなく、時には白鳥、猫などになって登場します。ではその『悪の華』の「憂鬱と理想」から、「理想」という詩を紹介します。L'Ideal(理想)Ce ne seront jamais ces beautés de vignettes, Produits avaries, nes d'un siecle vaurien, Ces pieds a brodequins, ces doigts a castagnettes, Qui sauront satisfaire un coeur comme le mien. 挿絵の美人も、ろくでなしの時代が生んだ傷ついた産物も、長靴を履いた足も、カスタネットを鳴らす指も、決して私の心を満足させはしない。Je laisse a Gavarni, poete des chloroses, Son troupeau gazouillant de beautes d'hopital, Car je ne puis trouver parmi ces pales roses Une fleur qui ressemble a mon rouge ideal. 病院がふさわしい、絶え間なくしゃべる美人の群れは萎黄病の詩人ガヴァルニに任せよう。というのも私は、あの青ざめた薔薇たちの中から私の理想の紅薔薇に似た花を見つけることができないから。 Ce qu'il faut à ce coeur profond comme un abime, C'est vous, Lady Macbeth, ame puissante au crime,Reve d'Eschyle eclos au climat des autans ; 奈落の底のような深みに沈んだこの心に必要なのは、それはあなただ、マクベス夫人、罪に強い魂よ、南風吹きすさぶ風土に咲くアイスキュロスの夢よ。Ou bien toi, grande Nuit, fille de Michel-Ange, Qui tors paisiblement dans une pose etrange Tes appas faconnes aux bouches des Titans ! あるいは君だ、偉大なる「夜」、ミケランジェロの娘よ、巨人族の口づけにもってこいの魅力的な姿態を奇妙なポーズで静かにくねらせる君だ!難解ではありませんが、当時のパリの風俗や流行を知らないとちょっとわかりづらい詩になっています。第一節に出てくる風物は、当時流行っていたものでしょうか。第二節で挿絵画家ポール・ガヴァルニが登場するので、「挿絵の美人」は彼に描かれた美人のことだと思います。ほかの「傷ついた産物」「長靴を履いた足」「カスタネットを鳴らす指」が具体的に何を指すのか定かではありません。ボードレールの目指す理想とは、どうやら違うようですね。ガヴァルニは当時人気のあった版画家で、パリの風俗を風刺した挿絵を雑誌や新聞に描いました。徹底的に女性を追求したため、「女の画家」とも呼ばれたそうです。「萎黄病」は、青年期の主に女子に起こる一種の貧血病で皮膚が緑色に変わる病ですが、実際にカヴァルニがその病に冒されていたかどうかはわかりません。ガヴァルニの作品はこちら1、2をご覧ください。日本語はこちらです。結構、味のある風刺画を描いていますね。ボードレールの薔薇は、女性たち、とくに他の芸術家や作家が描く女性のことを指しているようです。「紅薔薇」はボードレールが求める理想の女性、もしくは理想の作品の象徴ですね。一種のショック療法でしょうか。ボードレールが求めるのは、マクベス夫人であると言っていますね。マクベス夫人とは、シェイクスピアの『マクベス』に出てきます。王の暗殺に尻込みする夫を叱咤激励し、計画を実行させた女性です。アイスキュロスは古代ギリシャの三大悲劇詩人の一人。第四節の「夜」は、イタリア・フィレンツェのメディチ礼拝堂に現存するミケランジェロの名作彫像です。こちらのサイトの左側の女性像が、夜を擬人化しているんですね。確かに「奇妙なポーズで」身をくねらせています。Titansはギリシャ神話に出てくる巨人。天と地の間に生まれましたが、ジュピターの怒りに触れて地獄へ落とされます。ボードレールが理想とするものが、なんとなくわかってきますね。(続く)
2008.03.18
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▼悪の華と薔薇1(ボードレール)マラルメよりも早くからポーを評価し、自分自身でポーの作品の仏語訳を手がけたのが、『悪の華』を書いたシャルル・ボードレール(1821~67年)です。ボードレールは、19世紀のヨーロッパ最大の詩人の一人で、「悪魔的」な後期ロマン派として出発し、象徴主義への道を切り開いた象徴派の先駆者とされています。マラルメが多大な影響を受けたことはすでに紹介しましたね。ここでロマン主義から象徴主義へと移行していくヨーロッパの詩の流れを簡単に説明しておきましょう。絶対王政を背景に均整のとれた美的道徳観が重んじられた古典主義に反発して、1789年に始まるフランス革命とともに台頭したのが、ロマン主義でした。ロマン主義は秩序よりも個性や感情の優位を主張したことから、作者自身の感動や情緒を主観的に詠う抒情詩が主流となりました。権力者(王権)の支配からの個の解放といったところでしょうか。『レ・ミゼラブル』を書いたヴィクトル・ユーゴー、アルフレッド・ド・ミュッセ、アロイジウス・ベルトランらが代表的なロマン派詩人ですね。ポーも分類するとすればロマン派詩人に属しますが、その新鮮なリズムと表現は象徴派の詩人に影響を与えたことから、ポーを象徴派の先駆けとみることもできます。マラルメが「不運」で取り上げた、パリで首吊り自殺したジェラール・ド・ネルヴァルも、ちょうどロマン主義から象徴主義へと移行する過渡期に生まれた詩人でした。象徴主義の隆盛を見ることなく亡くなった点でも、ネルヴァルは不運の詩人であったのでしょうね。象徴主義は、そのロマン主義に対抗する形で登場しました。簡単に言うと、目に見えない、知覚できない神秘的なものを言葉によって暗示させるのが象徴派の詩です。写実性は重視されなくなり、型に囚われない自由な音楽性や、非現実的でさまざまに解釈ができる表現が用いられていることが特徴となっています。マラルメの詩がまさにそうでしたね。ほかの代表的な象徴派詩人としては、詩王ポール・ヴェルレーヌ、早熟の天才アルチュール・ランボー、レミ・ド・グールモンが挙げられます。では、象徴主義の本格的な幕開けを告げた、ボードレールの代表的詩集『悪の華』で、彼がどのように薔薇を使っているかみてみましょう。(続く)剪定された薔薇の枝から新しい芽が出てきました。力強い生命力を感じますね。3月15日、神代植物園の薔薇園で撮影しました。
2008.03.17
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▼ポーの薔薇7最後にポーの生い立ちと、彼の最高傑作の抒情詩とも目される「アナベル・リー」を紹介して、ポーの薔薇シリーズを終えることにしましょう。ポーは1809年、米国マサチューセッツ州ボストンでイギリス人の女優を母、ボルチモア出身の俳優を父に生まれました。父親はポーが一歳のときに亡くなり、二歳のときには母親も死んでしまいます。そのためポーは、彼の名付け親とみられるリッチモンドの商人ジョン・アラン夫妻に引き取られます。エドガー・アラン・ポーのアランはここからもらっているんですね。6~11歳までポーは、そのアラン夫妻とともに渡英し、イギリスで教育を受けています。その後、アメリカに戻ってきたポーは大学まで進学させてもらいますが、賭博にふけって借金がかさみ、養父アランの怒りを買って大学を辞めざるをえなくなりました。生活に困窮したポーは、軍隊に入りますが、養父アランが妻の死を契機に兵役免除に必要な金をだしてくれて、除隊となります。20歳になったポーは養父アランの家ヘは帰らず、ボルチモアにある実父の縁戚の家に転がり込みます。そこが叔母のクレム未亡人と祖母、それに従妹で6歳のヴァージニアが暮らす家でした。やがて1830年代になると、短編や評論が注目されるようになり、経済的に自立する目途が立つようになります。そして1835年に、周囲の反対を押し切って従妹のヴァージニアと結婚(結婚式は36年)しました。その後のことは、すでに説明しましたね。それでは、「アナベル・リー」を紹介します。ポーが死んだ1849年に書かれた、ポーの最後の詩であるとされています。Annabel Lee (アナベル・リー) IT was many and many a year ago, In a kingdom by the sea, That a maiden there lived whom you may know By the name of Annabel Lee; And this maiden she lived with no other thought Than to love and be loved by me. 何年も何年も前のこと海のそばの王国にアナベル・リーという名で知られる一人の乙女が住んでいた。そしてこの乙女にとっての人生は私を愛し、私に愛されることだった。 I was a child and she was a child, In this kingdom by the sea, But we loved with a love that was more than love, I and my Annabel Lee; With a love that the winged seraphs of heaven Coveted her and me. この海のそばの王国で彼女も私も子供だった。しかし私とアナベル・リーの二人は、愛を超越して愛し合っていた。その愛ゆえに、翼の生えた最高位の天使も彼女と私を妬んだのだ。 And this was the reason that, long ago, In this kingdom by the sea, A wind blew out of a cloud, chilling My beautiful Annabel Lee; So that her highborn kinsmen came And bore her away from me, To shut her up in a sepulchre In this kingdom by the sea. そしてこの理由のために、昔、海のそばの王国で、雲間から一陣の風が吹き、私の美しいアナベル・リーを凍えさせた。そのため高貴な生まれの彼女の親戚がやってきて、彼女を私のもとから連れ去って、この海のそばの王国の墳墓の中に閉じ込めてしまった。The angels, not half so happy in heaven, Went envying her and me; Yes! that was the reason (as all men know, In this kingdom by the sea) That the wind came out of the cloud by night, Chilling and killing my Annabel Lee. 天使たちは、天国にいても私たちの半分ほども幸せではなかったので、彼女と私を羨むようになったのだ。そうだとも! それこそが理由だった。(この海のそばの王国の誰もが知っているように)夜の雲間から一陣の風が吹き、私のアナベル・リーを凍えさせ、殺してしまったのだ。But our love it was stronger by far than the love Of those who were older than we, Of many far wiser than we; And neither the angels in heaven above, Nor the demons down under the sea, Can ever dissever my soul from the soul Of the beautiful Annabel Lee: しかし私たちの愛は、はるかに強かった、私たちよりも大人が持っている愛よりも、私たちよりずっと賢い人たちの愛よりも。だから空の彼方の天使たちも、海の下に棲む地獄の悪魔たちも、私の魂と、美しいアナベル・リーの魂とを分かつことは決してできないのだ。For the moon never beams, without bringing me dreams Of the beautiful Annabel Lee; And the stars never rise, but I feel the bright eyes Of the beautiful Annabel Lee; And so, all the night-tide, I lie down by the side Of my darling-my darling-my life and my bride, In her sepulchre there by the sea, In her tomb by the sounding sea.というのも、月の光が射すたびに私は、美しいアナベル・リーのことを夢見るから。星々が瞬くたびに私は、美しいアナベル・リーの輝く瞳を感じるから。だから私は夜を通して、あの海のそばにある王国の墳墓で、波の打ち寄せる岸辺の墓に眠る、愛しい、愛しいあなたのそばに、私の命であり、私の花嫁である、あなたの傍らに横たわる。
2008.03.16
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▼河津桜、大寒桜3月11日に多摩川の向こう側(神奈川県のこと)へ桜を見に行きました。河津桜はほぼ満開です。手前の菜の花も綺麗ですね。河津桜といえば、伊豆が有名ですが、これは松田市の河津桜です。こちらにも河津桜が咲いていました。鎌倉・鶴岡八幡宮の河津桜です。そして本日の神代植物公園。1分咲きくらいですが、これも河津桜です。そしてこちらは大寒桜。おっと、桜の花に誘われて小鳥さんもやってきましたね。もうちょっと、寄ってみましょう。私は野鳥にはそれほど詳しくないので、何の鳥なのかわかりません。まだ咲き始めたばかりですね。手前が大寒桜、奥のほうに咲いているのが河津桜です。今日はちょっとした春の息吹をお届けしました。
2008.03.15
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▼ポーの薔薇6アニーへの実らぬ恋心を募らせる一方、ポーは10代で知り合った初恋の人サラ・エルマイラ・ロイスターが夫と死別して金持ちの未亡人でなっていたのをいいことに、1849年7月に速攻で婚約を取り付けちゃうんですね。このように書くと、まるでポーが金目当てで結婚するように聞こえてしまうかもしれませんが、もともと若いころの二人は相思相愛で、エルマイラの父親がポーからの手紙をちゃんと娘に渡してさえいれば、二人は結婚していた可能性が強かったんです。そうです。手紙が来ないので、ポーに捨てられたと思い込んだエルマイラは、金持ちのビジネスマンと結婚してしまったんですね。今はもう、その父親も夫も目の前からいなくなったわけですから、二人の仲を妨げる壁は存在しないはずでした。ところが、エルマイラの子供たちは、結婚に反対します。金目当てではないか、自分たちの遺産の取り分が減る、などと思ったのでしょうか。実際、エルマイラが再婚した場合は、エルマイラの遺産の取り分が4分の1に減らされるという遺言もあったということですから、身内から反対されたのもうなずけます。しかし、この婚約が履行されることはありませんでした。婚約して間もない同年10月7日、ポーは帰らぬ人となったからでした。このポーの死をめぐっては謎が多く、現在に至るまで様々な憶測が飛び交っています。死ぬ10日ほど前の9月27日、ポーは結婚の準備と叔母をリッチモンドに連れて来るために、ニューヨークの自宅へと向かいます。途中、何かの理由でボルチモアに立ち寄るのですが、10月3日にそのボルチモアの道端で、酔っ払って倒れているところを発見されます。ポーは病院に運ばれましたが、4日後の10月7日に死亡しました。どういう状況で、ポーが道端で倒れてしまったか、ほとんど目撃者がおらず、足取りがつかめません。死因もよくわからず、自殺説、病死説、そして結婚に反対していたエルマイラの息子による他殺説などもあります。ミステリーを得意としていた作家だけに、最後の最後まで謎を残してくれますね。明日は最後に、ポーの生い立ちと、彼の最高傑作の叙情詩とも目される「アナベル・リー」を紹介して、ポーの薔薇シリーズを終えることにしましょう。(続く)
2008.03.15
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▼ポーの薔薇5ヘレンに振られたポーには、まだ二人女性が残っていましたね。二人のうちの本命は、アニー・リッチモンドだったのではないかとされています。そのアニーに贈った「For Annie(アニーに寄せて)」から、薔薇の出てくる箇所だけを抜き出して紹介します。病床に横たわり、生死の境をさまようポーの前にアニーが現れ、香りとともに優しく包み込んでほしいという詩人の心を詠んだ詩です。My tantalized spiritHere blandly reposes,Forgetting, or neverRegretting its roses-Its old agitationsOf myrtles and roses:痛めつけられた私の魂もここでは静かに休んでいる。あの薔薇たちに――銀梅花や薔薇に寄せた興奮も過去の話と忘れ去り、でも後悔もしていない。ここで詠われている薔薇は、ポーがかつて心を寄せた女性のことを言っているんでしょうね。薔薇は女性の美の象徴であり、銀梅花と訳しましたが、「myrtles(マートル)」は愛の象徴でもあるそうです。でもそれは、過去の熱病(old agitations)のようなものだったと言っています。その理由は、次の節に出てきます。For now, while so quietlyLying, it fanciesA holier odorAbout it, of pansies--A rosemary odor,Commingled with pansies--With rue and the beautifulPuritan pansies.と言うのもいま私の魂は、とても穏やかに横たわり、より清らかなパンジーの香りを思っているのだから――パンジーと混ざって薫るローズマリーの香り――美しい清いパンジーと薬草の混ざった香りこの「パンジーの香り」こそ、アニーの美を象徴するものなんですね。もちろんパンジーの花言葉は「物思い(fancy)」ですから、アニーへの恋の告白でもあります。ポーはこの後、アニーの長い髪から薫る芳香に包まれたい、アニーの胸に抱きしめてもらいたいと独白します。甘い詩ですが、ベッドの上で生死をさまよったのは、ポーの実体験から来ています。ヴァージニアの死後、ポーは服毒自殺を図ったようなんですね。一度死線を越えたはずのポーは、再び息を吹き返します。そのときの安らかな境地と、アニーへの恋心を結びつけて、恋歌にしたようです。ポーが死んだ1849年に書かれたとされています。この詩には別な解釈も可能です。死んでしまったポーが一切の苦しみから解放され、魂だけの存在になります。そこへアニーがやってきて、悲しみに肩を震わせて泣いているという設定です。でもポーの魂は喜んでいるんですね。現実界では夫のあるアニーと結ばれることは不可能でも、魂だけの世界ではアニーの魂と結ばれることができるのだと詠っているからです。ヴァージニアに対する愛は、妹に対するような愛でした。この詩を読むかぎり、ポーが恋愛対象の女性として、死してなお愛そうとしたのは、アニーであったのかなと思えてきますね。過去の話となった薔薇・・・?(続く)
2008.03.14
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▼ポーの薔薇4昨日のブログでポーがヘレンに求愛に行ったのは1847年と書きましたが、48年の誤りでした。いきさつはこうです。1845年7月、友人を訪ねてロードアイランド州のプロビデンスに来ていたポーは、その友人と散歩している最中、ヘレン・ホイットマンの家の前を通りかかり、そこで玄関先でたたずんでいたヘレンの姿を偶然見かけます。友人はポーをヘレンに紹介しようとしますが、ポーはそれを拒んだそうです。そして妻ヴァージニアが亡くなり、ますます酒に溺れるようになったポーの耳に、1848年のヴァレンタイン・デーの日に、ヘレンがポーのために詩を書いたという話が入ってきます。それを聞いたポーの脳裏には、三年前に見たヘレンの姿がよみがえります。そこで返歌として、この「ヘレン(・ホイットマン)へ」を書いて、ヘレンに送ったんですね。この詩がきっかけとなって、ポーはヘレンに求愛するために、プロビデンスのヘレンの家を訪ねます。4日間の滞在中、二人は意気投合、その後も手紙や詩を交換し合うようになります。そしてとうとうヘレンは、財産をポーに譲らないこと、ポーがお酒を止めることを条件に結婚することに同意します。結婚式の予定は49年の1月でした。ところがそのころ、ポーには心を寄せていた女性が少なくともほかに二人いたんですね。ヴァージニアを亡くしたという巨大な喪失感を埋めるため、恋愛をしまくっていたようにも思えてきます。その一人がアニー・リッチモンド夫人で、もう一人がポーの初恋の人であったサラ・エルマイラ・ロイスターでした。アニーには夫がいましたから、これは叶わぬ恋でした。それでも夫公認で、プラトニックな愛の手紙を交換していたようです。「For Annie(アニーに寄せて)」という詩を贈っています。その詩の中にも薔薇が出てきますが、それは明日のブログで紹介します。もう一人のエルマイラとの恋も急に燃え上がります。若いころ、エルマイラとポーは相思相愛の仲でしたが、エルマイラの父親の反対で彼女はポーとの結婚を断念、裕福なビジネスマンと結ばれ三人の子供をもうけます。その後夫が亡くなると、エルマイラには巨万の遺産が転がり込みました。未亡人となったエルマイラとポーが再会したのは、ヴァージニアの死から1年半経った1848年7月でした。二人の間で結婚話も持ち上がります。ちょうどヘレンとの愛を育みつつあったころと重なりますね。アニーとも恋文のやり取りをしていましたから、完全な三股です。その事実が婚約者のヘレンにばれちゃうんですね。どうやらヘレンの母親が調べて、暴露したようです。同時に酒を断ったはずのポーがなお酒を飲んでいたことも発覚して、とうとう結婚は破談となってしまいました。ポーは破談となったのは、ヘレンの母親のせいだと主張したそうですが、酒を飲んでいたのは事実で、自業自得ではありました。そして、その短くも、はかなく燃え尽きた恋を記念するかのように、詩だけが残されたというわけです。ポーの周りにはたくさんの薔薇が咲いていたようで・・・目移りしちゃったんでしょうね。(続く)
2008.03.13
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▼ポーの薔薇3「ヘレン(・ホイットマン)へ」の最後の部分です。But now, at length, dear Dian sank from sight,しかし今や、とうとう、月の女神も完全に、Into a western couch of thunder-cloud;雷雲横たわる西の地平線の寝床へと沈んだ。And thou, a ghost, amid the entombing treesそしてあなたは、幻影となって、もがりの森へとDidst glide away. Only thine eyes remained;すべるように消えて行った。あなたの瞳だけが残り、They would not go-they never yet have gone;それは去ろうとせず――決して消えることもなかった。Lighting my lonely pathway home that night,その夜、私の寂しい帰り道を照らしてThey have not left me (as my hopes have) since;あなたの瞳はそれ以来、(私の希望は去ったのに)私を去ることはなかった。They follow me-they lead me through the years.あなたの瞳は私に付き添って――もう何年もの間、私を導いている。They are my ministers-yet I their slave.あなたの瞳は私の守護神だが――私はその奴隷でもある。Their office is to illumine and enkindle-あなたの瞳の役割は照らし出し、火をつけること――My duty, to be saved by their bright light,私の仕事は、その明るい光で救われること、And purified in their electric fire,そして、その強烈な炎の中で清められ、And sanctified in their elysian fire.その至福の炎の中で浄化されること。They fill my soul with Beauty (which is Hope),あなたの瞳は私を美(すなわち希望)で満たし、And are far up in Heaven-the stars I kneel toそして、天のはるか高みから見つめている――それは夜、In the sad, silent watches of my night;私がひざまずいて、悲しく黙って見上げるあの二つの星。While even in the meridian glare of day真昼のまばゆい光の中でさえ、私にはI see them still-two sweetly scintillantそれらが見える――太陽でも消すことができない、Venuses, unextinguished by the sun!優しく火花を散らす、あの二つの明星が!ポーの詩の中では薔薇は美の象徴として描かれていますが、ヘレンはその美をもしのぐ存在として描かれていますね。ポーの孤独や悲しみを癒す唯一の存在が、ヘレンの美であり、それがポーにとっての希望であるとも言っています。詩の内容については、まさにそのとおりの内容なので解説する必要はないと思いますが、この詩が書かれた背景を説明しましょう。ポーは1836年、ヴァージニア・クレムと結婚します。ヴァージニアはポーの従妹で、当時わずか13歳、ポーは27歳でした。どうやら、祖母の死後、年金が入らなくなり生活に困っていた叔母のクレム未亡人と従妹に同情して、彼らの窮地を救うために結婚した節があるんですね。ポーはヴァージニアを生涯「sissy(妹)」と呼んで、まさに妹のようにかわいがります。ところがヴァージニアは1847年、胸の病(多分結核)で亡くなります。ポーにとってヴァージニアは妹のような存在であったにせよ、天使のようにいとおしい妻でもありました。悲しみに打ちひしがれたポーは、その恐ろしい孤独と悲嘆から必死に逃れようとします。その逃避先が、以前庭先で見初めた女流詩人のヘレン・ホイットマンでした。ポーは1847年、ヘレンに求愛するため、ロードアイランド州のプロビデンスに赴きます。(続く)
2008.03.12
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▼ポーの薔薇2昨日の続きです。ヘレン・ホイットマンとの運命的な出会いの場面が描かれています。Clad all in white, upon a violet bankあなたは白い服を身にまとい、スミレの花咲く庭の土手にI saw thee half reclining; while the moon半ば身を横たえているのを私は見た。月の光は、Fell on the upturn'd faces of the roses,顔を上に向けた薔薇に、そしてあなた自身の見上げる顔に、And on thine own, upturn'd-alas, in sorrow!ああ、その悲しげな顔に降りそそいでいた。Was it not Fate, that, on this July midnight-それは「運命」ではなかったのか、あの7月の夜半、Was it not Fate, (whose name is also Sorrow,)それは「運命」(またの名は「悲しみ」)ではなかったのか、That bade me pause before that garden-gate,あの眠たげな薔薇たちの香りをかぎたくなってTo breathe the incense of those slumbering roses?庭の門の前で私が立ち止まるように仕向けたのは?No footstep stirred: the hated world an slept,足音一つなく、煩わしい世の中も眠り、そこにいたのは、Save only thee and me. (Oh, Heaven!-oh, God!あなたと私だけだった。(ああ、天よ! おお、神よ!How my heart beats in coupling those two words!)あなたと私――この二つの言葉を合わせただけで、私の心はどんなに高鳴ることか!)Save only thee and me. I paused-I looked-あなたと私だけだった。私は立ちすくみ、じっと見た。And in an instant all things disappeared.するとたちまち、ほかのすべてが目の前から消え去った。(Ah, bear in mind this garden was enchanted!)(ああ、ここが魔法の庭園であることを心せよ!)The pearly lustre of the moon went out:真珠のような月の輝きは消えうせた。The mossy banks and the meandering paths,苔むした土手も、曲がりくねった小道も、The happy flowers and the repining trees,幸せな花々も、嘆きの木々もWere seen no more: the very roses' odorsもはや見えなくなった。あの薔薇の芳香もDied in the arms of the adoring airs.崇高な大気に抱かれて消えてしまった。All-all expired save thee-save less than thou:すべてが、すべてが消失し、残されたのはあなた、いや、あなたの残像だけ。Save only the divine light in thine eyes-それらは、あなたの瞳に映る神々しい光Save but the soul in thine uplifted eyes.天を仰ぎ見るあなたの瞳の中の魂。I saw but them-they were the world to me!私に見えたのはそれらだけ――でもそれらは、私にとっては全世界なのだ!I saw but them-saw only them for hours,私に見えたのはそれらだけ――それらを何時間も見つめていた。Saw only them until the moon went down.そうしてずっと見ていると、やがて月も沈んでしまった。What wild heart-histories seemed to he enwritten透き通った、天上界のようなその瞳のなかにはUpon those crystalline, celestial spheres!どのような波乱の心の歴史が刻まれているのか!How dark a woe, yet how sublime a hope!どのような暗い嘆きが、どのような崇高な希望が!How silently serene a sea of pride!どのように静かに、誇りの海は凪いでいることか!How daring an ambition; yet how deep-どのように向こう見ずな野望が、しかしどのように深く、How fathomless a capacity for love!どのように底知れぬ愛が湛えられていることか!すごい賛美の連続ですね。薔薇も顔色を失う美しさというところでしょうか。もうあなたしか見えませんとポーは言っています。ヘレンを称える詩はまだ続きますが、それはまた明日。(続く)
2008.03.11
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▼ポーの薔薇1マラルメに多大な影響を与えたエドガー・アラン・ポーの薔薇を紹介しましょう。ポーと言えば、「黒猫」「黄金虫」「モルグ街の殺人」といった怪奇短編小説が有名ですが、実はマラルメが評価していたのは、彼の詩なんですね。イェイツもまた、ポーのことを「古今東西を通じての偉大な叙情詩人」と称して、彼の詩を高く評価していました。私がポーの詩を読んだのは、中学3年生のころでした。有名な「アナベル・リー」です。当時の英語の先生から薦められたのですが、怪奇小説で知られるポーがこのような美しい詩を書いていたのは驚きでした。しかも、深い意味がわかるかどうかは別にして、中学生でも読める平易な英語なんですね。この詩を紹介してくれた中学の英語の先生は、その後ミルトンの論文を書いて認められて大学の英文学教授へと転身、1994年には『神の高き主題―ミルトンの乗りこえたもの』という本も出しています。非常に英語の発音の綺麗な先生で、私の英語の発音が比較的いいのも、この先生のおかげです。それでは、アメリカでは詩人としてはほとんど無名で、フランスでは絶賛されたポーの詩の中から、薔薇が登場する「ヘレン(・ホイットマン)へ」という詩を見てみましょう。後で説明しますが、当時著名な女流詩人だったセアラ・ヘレン・ホイットマンに捧げられました。長いので何回かにわけます。1848年、死ぬ1年前に書かれた詩です。To Helen (ヘレンへ)I saw thee once-once only-years ago:私は一度だけあなたを見た、たった一度だけ、それも何年も前だI must not say how many-but not many.何年前とは言えないが、そんなに昔のことではない。It was a July midnight; and from outあれは7月の夜半のことだった。そしてA full-orbed moon, that, like thine own soul, soaring,あなた自身の魂のように立ち昇る満月がSought a precipitate pathway up through heaven,天空をまっすぐに昇る道を探しながら、There fell a silvery-silken veil of light,銀色に輝く絹のような光のヴェールを振り撒いていた。With quietude, and sultriness, and slumber,静寂、蒸し暑さ、そしてまどろみを伴って、Upon the upturned faces of a thousandその光のヴェールは、魅惑的な庭園に咲く、Roses that grew in an enchanted garden,顔を上に向けた千の薔薇に降り注いでいた。Where no wind dared to stir, unless on tiptoe-そこでは風も忍び足でそよぐだけ。Fell on the upturn'd faces of these roses愛の光を浴びたお返しにThat gave out, in return for the love-light,顔を上に向けた薔薇たちは、Their odorous souls in an ecstatic death-陶酔で息絶えるときの魂の芳香を解き放つ。Fell on the upturn'd faces of these roses顔を上に向けた薔薇たちは、That smiled and died in this parterre, enchantedこの庭園で微笑んで、そして、死なんばかりだ、By thee, and by the poetry of thy presence. あなたに魅せられて、あなたの美しい姿に魅せられて。(続く)千の薔薇咲く庭園。
2008.03.10
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▼白鳥の詩2(マラルメ44)白鳥がマラルメだとしたら、どのような思いが込められていたんでしょうか。「白鳥のソネット」を詳しく見てみましょう。第一節純潔の、生気に満ちた、美しい今日という今日は、私たちのために、陶酔の羽ばたきの一撃で打ち砕いてくれるだろうか、飛び立てなかった飛翔が宿る透明の氷河が霧氷の下に現れる、あの忘れ去られた試練の湖をここにあるのは、マラルメの純粋な希望です。心機一転、何か新しいことを始めようとしているようです。「美しい今日」というぐらいですから、マラルメが畏怖する「青空」が広がっていたんでしょう。「青空」は、詩の理想の世界の象徴でしたね。「羽ばたき」という言葉から、早くも白鳥が想起されます。打ち砕きたいものとは、厚く氷の張った湖。その氷を打ち砕いて欲しいと言っています。氷の中には「飛翔」が閉じ込められています。飛翔はもちろん「青空」へと向かうことであり、マラルメにとってそれは、理想の詩を書くことです。氷はそれを阻むものだったんですね。「忘れ去られた」とありますから、過去においてそのような試練があったことを示唆していますね。第二節 一羽の白鳥はかつての自分の姿を思い出す姿こそ華やかだが、希望なき自由に身を置いたのは、不毛の冬に芽生える倦怠が輝いたときに自分が生きる土地のことを歌わなかったためなのだ、と。昨日言ったように、「白鳥」はマラルメです。第二節では過去の自分を振り返っています。英語教師という社会的(華やか)な地位はありますが、詩人としての希望がなかった時代のことを言っているのでしょうね。南仏の田舎町トゥルノンでの若き教師の時代、「エロディアード」を書いていたころ、マラルメは詩が書けないことに絶望して発狂寸前にまでなったことは以前、紹介しました。その苦渋の時代を「不毛の冬」と言っているようです。「倦怠が輝いた」とは、マラルメ流の皮肉な表現でしょうか。ここで難解なのは、「自分が生きる土地のことを歌わなかった」の解釈ですね。抽象的には、できたのにやらなかったと悔いているようにも聞こえます。トゥルノンでの逆境を、逆に利用して詩を書かなかったことに対する後悔があるように思われます。後から当時を振り返ると、詩を書く時間も力も十分にあったと思えるんでしょうね。第三節白鳥は頸を激しく揺すって振り落とすだろう、空間を否定する鳥がその空間によって科せられる、この白い苦悩を、しかしそれは、翼が囚われている土地に対する恐怖ではない。「空間」とはおそらく「青空」のことだと思われます。詩の理想を恐れ拒みつつも、その理想のために、白紙の原稿用紙に向かって詩を書き続けなければならない詩人の苦悩(白い苦悩)のことを言っているのでしょう。羽根を氷に囚われた白鳥(手足を日常生活に囚われたマラルメ)は、唯一動かせる頸を揺すって、苦悩(生みの苦しみ)から逃れようとしています。でも詩人が感じる恐れとは、教師として生きる日常生活(土地)に対してではなく、詩の理想に対する畏怖なんですよね。 第四節その純粋な輝きがこの場所に割り当てる幻は、不要な追放の最中に「白鳥」が身にまとう軽蔑の冷やかな夢の中で動かなくなる。この第四節は、今でも論争が続いているほど多岐に解釈されています。私は訳すときに「白鳥」とあえてカッコで括りましたが、第二節で出てくる「白鳥」と異なり「le Cygne」とCが大文字になっているんですね。なぜ急に大文字になったのか、その意味を探らなければなりません。その一つの解釈が、「昔の白鳥」と「今の白鳥」を区別するために、あえて大文字にしたというものです。私にはカッコで括られた「白鳥」は「昔の白鳥」のことではないかと思われます。苦悩の氷河の下でもだえ苦しんでいた「昔の白鳥」は、今となっては過去の幻のようなもの。「不要な追放」とは、教職に身を置いた当時の自分の境遇。そのとき「昔の白鳥」が受けた「青空」からの軽蔑や強迫観念も、すべてが過去の思い出となって、夢の中にそっとしまわれるのだ、というように解釈しました。「白鳥」がすべて同一であると解釈すると、「今の白鳥」も同様に軽蔑の夢の中で眠ってしまうことになってしまいます。すると、今でもマラルメは、かつての自分のように「青空」からの軽蔑や強迫観念に囚われていることになりますが、この詩が1885年、詩人としての円熟期ともいえる43歳のときに書かれたことを考えると、その解釈には無理があるように思われます。私には、過去との決別、もしくは純粋な詩人としての「独立宣言」のような詩であるように思えるんですよね。マラルメは1895年、ポール・ヴェルレーヌの後を受けて「詩王」に選出されます。しかしその二年後、突然の喉頭痙攣に襲われ、帰らぬ人となりました。56歳でした。詩人の魂はようやく、あの「青空」へと飛び立っていったのでしょうか。さあ、これでようやく私も、マラルメから解放され飛び立てます(笑)。次はエドガー・アラン・ポーの薔薇(今のところ一編しか見つかっていませんが)でしょうか。ボードレールやネルヴァル、グルモンの薔薇も取り上げたいと思っています。昨日の写真を拡大したものです。ワンちゃんの散歩中でしたね。
2008.03.09
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▼白鳥の詩(マラルメ43)最後はマラルメにふさわしく、彼の詩の中で最も有名で、最も難解なものの一つに挙げられる詩です。無題のソネットですが、一般的には「白鳥のソネット」と呼ばれています。Sonnet Le vierge, le vivace et le bel aujourd'hui Va-t-il nous déchirer avec un coup d'aile ivre Ce lac dur oublié que hante sous le givre Le transparent glacier des vols qui n'ont pas fui! 純潔の、生気に満ちた、美しい今日という今日は、私たちのために、陶酔の羽ばたきの一撃で打ち砕いてくれるだろうか、飛び立てなかった飛翔が宿る透明の氷河が霧氷の下に現れる、あの忘れ去られた試練の湖を Un cygne d'autrefois se souvient que c'est lui Magnifique mais qui sans espoir se délivre Pour n'avoir pas chanté la région où vivre Quand du stérile hiver a resplendi l'ennui. 一羽の白鳥はかつての自分の姿を思い出す姿こそ華やかだが、希望なき自由に身を置いたのは、不毛の冬に芽生える倦怠が輝いたときに自分が生きる土地のことを歌わなかったためなのだ、と。Tout son col secouera cette blanche agonie Par l'espace infligée à l'oiseau qui le nie, Mais non l'horreur du sol où le plumage est pris.白鳥は頸を激しく揺すって振り落とすだろう、空間を否定する鳥がその空間によって科せられる、この白い苦悩を、しかしそれは、翼を囚われた土地に対する恐怖ではない。 Fantôme qu'à ce lieu son pur éclat assigne, Il s'immobilise au songe froid de mépris Que vêt parmi l'exil inutile le Cygne. その純粋な輝きがこの場所に割り当てる幻は、不要な追放の最中に「白鳥」が身にまとう軽蔑の冷やかな夢の中で動かなくなる。フランス語的にはそれほど難しくありませんが、その言葉に潜む意味が難解です。マラルメのことを知らずにこの詩を読むと、フランス人でもまったく正反対にこの詩を解釈することがあるそうです。解読のヒントとなるのは、南フランス・トゥルノンへ若き英語教師として赴任した時代、マラルメにとって「不毛の冬」とも呼べる、「白い苦悩」の時代がかつてあったことでしょうか。白鳥はマラルメ自身のことなんですね。詳しくはまた明日。(続く)サーファーに見えるかもしれませんが、実は「白鳥」です(笑)。
2008.03.08
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▼シャルル・ボードレールの墓2(マラルメ42)「罪の聖書」「近代人の神曲」として象徴派詩人のバイブルとなったボードレールの『悪の華』。マラルメが15歳だった1857年に出版されましたが、風紀上問題があるとして初版本はすぐに発売禁止処分となり、掲載された詩のうち六編の削除と罰金を科せられました。それほど「毒」があったということですね。では、マラルメの「シャルル・ボードレールの墓」を詳しく見て行きましょう。第一節埋没した神殿は、汚泥とルビーのよだれをたらしながら地下下水道の墳墓の口から、獰猛に吠える犬のように鼻面を真っ赤にしたアニュビス神の偶像のようなものを憎たらしげに吐き出す原文詩三行目の「Abominablement(憎たらしげに)」は二行目の「bavant(よだれをたらしながら)」にも掛かっているようですね。だから正確には「埋没した神殿は憎たらしげに」としたほうがいいようです。修正後は次のようになります。第一節埋没した神殿は憎たらしげに、汚泥とルビーのよだれをたらしながら、地下下水道の墳墓の口から獰猛に吠える犬のように鼻面を真っ赤にしたアニュビス神の偶像のようなものを吐き出すここには二つのイメージが重なって表現されています。一つはエジプトの砂漠に埋没した墳墓の遺跡から出土したアニュビス神の像であり、もう一つはパリの下水道の排出口に溜まったゴミです。アニュビス神は、顔はジャッカル、体は人間の形をしたエジプトの「死の神」ですね。「獰猛に吠える犬」「鼻面を真っ赤にした」はアニュビス神の顔であると同時に、パリの街中で吠える野良犬の描写でもあるようです。神殿やアニュビス神が何を象徴しているかですが、一つの解釈として、神殿とアニュビス神をボードレール、アニュビス神の偶像をマラルメとすることができます。ボードレール(神殿)が下水道(『悪の華』)から吐き出す詩句には毒(泥)と戦慄するような美(ルビー)があります。ボードレールの詩を知ったマラルメは、その詩句に衝撃を受けます。マラルメ(野良犬)はうならされ、感化されます。それはそのまま、詩人の叫びの声(獰猛に吠える犬)となってボードレール(アニュビス神)風の詩句を吐き出させたのではないでしょうか。するとマラルメは「アニュビス神の偶像」さながらに、ボードレール(神殿)が生み出した(吐き出した)詩人でもあるということになります。マラルメにとっては、それらの詩句があまりにも衝撃的であったがゆえに、憎たらしげでもあったのでしょうね。パリの下水道やゴミといった暗いイメージは、ボードレールの詩の世界と呼応しています。第二節あるいは最近できたガス灯が怪しげなランプの芯を捻じ曲げるがよい人々は知っている、そのランプの芯が、被った恥辱を拭い去ることをガス灯は逆上したかのように取り乱し、不滅の恥骨に点火するそこから飛び出す光は、街灯の明滅と共に、はみ出して瞬く第二節は、街灯に照らし出されたパリの夜のイメージです。「最近できたガス灯」「ランプの芯」は私たちにはわかりづらいですが、当時、灯芯を使う石油灯に代わってガス灯がパリに設置されたことを言っています。ガス灯のほうが明るく、石油灯は暗かったのだそうです。そうすると、意味が段々とわかってきます。暗い「ランプの芯」のほうが、恥辱を隠す(拭い去る)のに適していたと言っていることになります。恥辱とは何かというと、パリの恥部でもある売春や排水口のゴミではないでしょうか。暗ければ、「恥」も見えない振りをしたり無視したりすることもできました。ところがガス灯は、煌々と街中を照らし出すので、暗部が丸見えになってしまいます。せっかくベールで覆って隠していたものが露出されたのでは、「ランプの芯」はたまったものではありません。すごすご退散するか、ひねりつぶされる運命です。つまり、ガス灯はボードレールの象徴なんですね。新星(最新のガス灯)のごとく現れた詩人です。これまでの詩人(石油灯)が取り上げなかった売春などパリの暗部に光を当てたのは、ボードレールでした。怪しげな行為(売春)に対して見て見ぬ振りをしていた石油灯がガス灯に駆逐されたように、ボードレールの出現で、現実よりもふわふわした夢のような世界ばかりを描いていた詩人たちは顔色(灯火)を失います。ガス灯の力は強く、荒々しく、かつ生々しく恥部を描き出します。そこに照らし出されたものが、「恥骨」が象徴する売春行為のことなんですね。同時に恥骨の形は、ガス灯の炎の形でもあるようです。「不滅の」とは、売春が世界最古の職業だからでしょうか。娼婦は、火に誘われる蛾のように、ガス灯の周りに群がります。そして客が見つかると、暗がりへと消えていきます。現れては消える娼婦は、まるで明滅する街灯の火だとでも言っているようです。 第三節夜が訪れない都会で枯れた、いかなる奉献の葉飾りがボードレールの大理石にむなしく寄り添って座る女のように、祝福できるというのだろうか ガス灯によって不夜城と化したパリの街。そのモンパルナスの丘にボードレールの墓が鎮座しています。ここにも下水道の排出口を埋めたのと同じ枯葉が舞っていたのでしょう。それが奉献されたかのように墓石の周りを埋め尽くしています。だれも掃除する人などいないのでしょうね。その墓石に「寄り添って座る女」とは、ボードレールをよく知る娼婦だったのでしょうか。第四節戦慄とともに姿を消す女性を取り囲む幕の中で彼女を、その亡霊を、そしてもし私たちが死のうとするならいつも一呼吸で死に至らしめる守護神の毒を「戦慄とともに姿を消す女性」は、すでに第二節に出てきた娼婦が暗がりに消えるイメージと同じですね。「戦慄」は感覚的に「ガス灯の明滅」と重なります。「彼女」は娼婦、またはボードレールの作品でもあります。「亡霊」は娼婦の影でもあるボードレール自身のこと。「守護神の毒」は昨日説明したように、『悪の華』のことですね。一呼吸で死んでしまう「毒」ですから、強烈なインパクトのある劇薬ということになります。この三つの並列された目的語に対応する動詞は、第三節にあった「祝福できるというのだろうか」です。ふ~、やれやれ。解説に二日は掛かると書いたとおり、長い解説になってしまいました。断っておきますが、これはあくまでも私の勝手な解釈なので、異なる解説も可能です。でもこれだけ原文を逐語的に解説しているものは、ほかにないのではないかと思います。大雑把で抽象的な解説はたくさんありますね。そういえば、ボードレールの墓の浮彫はあのロダンが施したと書いてありました。昨日紹介した写真の墓碑でしょうか。何かはっきりしませんね。さて次が、私の紹介する最後のマラルメの詩となります。(続く)湘南・稲村ヶ崎の風景です。中央を飛んでいるのはUFOではなく、トンビです(笑)。晴れ渡っていれば、トンビが飛んでいるあたりに富士山が見えるはずなんですけどね。江ノ島も遠くに見えます。
2008.03.07
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▼シャルル・ボードレールの墓(マラルメ41)マラルメは、エドガー・アラン・ポー同様に多大な影響を受けたシャルル・ボードレール(1821―1867年)を追悼する詩も書いています。実はマラルメは、「La Plume(ペン)」という雑誌社からボードレールを記念する事業の委員長に指名されたんですね。そこでマラルメは、ボードレールの記念碑建設と同時に彼を賛歌する詩を募集しました。その結果できたのが、マラルメを含む29人の詩人が参加して出版された「ボードレール特集号」です。題名もそのまま「シャルル・ボードレールの墓」です。Le tombeau de Charles Baudelaire(シャルル・ボードレールの墓) Le temple enseveli divulgue par la bouche Sépulcrale d'égout bavant boue et rubis Abominablement quelque idole Anubis Tout le museau flambé comme un aboi farouche 埋没した神殿は、汚泥とルビーのよだれをたらしながら地下下水道の墳墓の口から、獰猛に吠える犬のように鼻面を真っ赤にしたアニュビス神の偶像のようなものを憎たらしげに吐き出すOu que le gaz récent torde la mèche louche Essuyeuse on le sait des opprobres subis Il allume hagard un immortel pubis Dont le vol selon le réverbère découche あるいは最近できたガス灯が怪しげなランプの芯を捻じ曲げるがよい人々は知っている、そのランプの芯が、被った恥辱を拭い去ることをガス灯は逆上したかのように取り乱し、不滅の恥骨に点火するそこから飛び出す光は、街灯の明滅と共に、はみ出して瞬く Quel feuillage séché dans les cités sans soir Votif pourra bénir comme elle se rasseoir Contre le marbre vainement de Baudelaire 夜が訪れない都会で枯れた、いかなる奉献の葉飾りがボードレールの大理石にむなしく寄り添って座る女のように、祝福できるというのだろうか Au voile qui la ceint absente avec frissons Celle son Ombre même un poison tutélaire Toujours à respirer si nous en périssons. 戦慄とともに姿を消す女性を取り囲む幕の中で彼女を、その亡霊を、そしてもし私たちが死のうとするならいつも一呼吸で死に至らしめる守護神の毒をこれは解読するのに、二日ぐらい掛かりそうですね。二重、三重に意味があり、読み手を混乱させます。どうしても知っておかなければならないのは、ボードレールの詩集『悪の華』でしょうか。「守護神の毒」とは『悪の華』の毒のことです。亡霊はもちろんボードレール自身のことですが、同時に「悪の華」が象徴する売春婦のイメージも伴っています。ボードレールの作品をガス灯に見立て、光に誘われて集まる売春婦たちが、光の明滅に合わせて消えたり、現れたりする光景が、この詩全体のイメージとなるでしょうか。詳しいことは明日のブログで説明します。パリ・モンパルナスの墓地にあるボードールの墓はこちら。(続く)以前の写真で紹介した海面に浮かぶ黒い粒は、鳥ではなく、サーファーでした。2月16日に湘南・七里ケ浜あたりで撮影したものです。寒いのに元気ですね。
2008.03.06
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▼エドガー・ポーの墓2(マラルメ40)滅茶苦茶に難解というわけではありませんが、「エドガー・ポーの墓」も説明の必要がある箇所があるので、ちょっと詳しく見て行きましょう。第一節ついに永遠が彼を「彼自身」に変えるかのようにその「詩人」は抜き身の剣をかざして呼び覚ますあの奇妙な声の中では死が勝利していたことを知らなかったことにおののく彼の世紀を!「抜き身の剣」はマラルメの好きなフレーズのようで、「不運」にもでてきましたね。挫折した詩人たちの前に「立ちはだかる金剛力の天使」が(手に持つのが)「抜き身の剣」でした。金剛力の天使は詩の女神でもあるのでしょうから、今や詩聖となったポーが大衆の前に立ちはだかる姿が浮かびます。「彼の世紀」とは、ポーのことを評価しなかった時代のことを言っているのでしょう。ポーの作品は生前、それほど売れることもなく、生涯ポーは極貧の生活を送らざるをえなかったんですね。「奇妙な声」は詩人の言葉のことでしょうが、ポーの作品をグロテスクで変な作品としか理解しなかった大衆に対する皮肉が込められていると思います。「死が勝利していた」の「死」とは、ポー自身のこと、あるいは死して認められるようになった彼の作品のことを指していますね。大衆と「世紀=時代」はポーの死後、ようやくその作品の価値に気づき、自分たちの無知さ加減に恥じ入るわけです。第二節 彼らは、水蛇ヒドラの卑しい跳躍のように、かつて天使が部族の言葉にさらに純粋な意味を与えるのを聞いて何か黒々とした混合酒の誉れなき波に酔った呪いの戯言であると高らかに宣言した。「彼ら」とは、第一節で示唆された無知な大衆のこと。天使とは、抜き身の剣をかざした金剛力であるポーのことですね。「部族の言葉」はアメリカ人の言葉、すなわち英語のことです。マラルメは、ポーの詩が英語に「純粋な意味」(詩の真実)を与えたのだと高く評価しています。しかし、無知な大衆はポーの言葉を理解しません。ヒドラ(ギリシャ神話に出てくる、ヘラクレスに殺された7つの頭を持つという蛇に似た怪物)が天使の言葉を理解せずにただ驚いて飛び上がるように、ポーの言葉に驚きます。そして、酒に溺れた詩人の「呪いの戯言」に過ぎないと断定しました。実際、ポーは飲酒癖がひどく、特に妻のヴァージニアが結核で亡くなってからは乱酔、泥酔の日々が続きました。確かに傍から見れば、恥も外聞もなく飲んだくれる(「混合酒の誉れなき波に酔った」)ポーの惨めな姿を見れば、酔っ払いの戯言にしか聞こえなかったかもしれません。「何か黒々とした混合酒」は、ポーが貧乏のために、メチルアルコールを混ぜた得体の知れない安い酒しか飲めなかったことを言っているんでしょうね。 第三節敵意をむき出しにする大地と雲の、おお、諍いよ!もしも我らの想念が共に、まばゆいばかりのポーの墓を飾る浅浮彫を刻まないというのならば一行目の形容詞「hostiles」(敵の)は複数形になっていますから、大地(sol)と雲(nue)のそれぞれを形容し、天と地が敵対していることがわかります。天はポーの詩の世界、地はポーの詩を理解しない大衆の世界でしょうか。その天と地の狭間で「我らの想念」がポーの墓を飾ろう(記念碑を造ろう)としているのだと、マラルメは意義付けているようです。第四節暗闇の災害から地上に落ちてきた物言わぬ石塊よ、少なくともこの御影石が、未来に散乱する冒涜の黒い飛翔の中に、彼の道標を永遠に示さんことを。一行目は墓石のことを詩的に表現していますね。突然のポーの死によって登場した墓石は、まるで晴天の霹靂か、隕石であるかのように描かれています。天と地の摩擦の象徴のようでもあります。「未来に散乱する冒涜」とは、今後も続くであろう、作品の価値を理解できない無知な大衆によるポーに対する非難(詩人を冒涜する言葉)のことでしょうか。「borne」には「道標」という意味のほかに「境界」「限界」という意味があります。豪華な彫刻は施せないにしても、このポーの記念碑がせめて、ポーに対する罵詈雑言に終止符を打ち(批判の声を黙らせ)、彼の業績を永遠に称える石碑であってほしいと、マラルメは主張しているようです。そのポーの墓の写真はこちらをご覧ください。移転前の墓には「大鴉(The Raven)」が彫られていますね。「黒猫(The Black Cat)」とポーの墓の写真はこちら。いい雰囲気です。能登半島で見つけた、天と地の間にそびえる道標。(続く)
2008.03.05
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毎年3月3日と4日、神代植物園に隣接している深大寺では「ダルマ市」が開かれます。日本三大ダルマ市の一つだとか。境内の賑わいはこんな感じです。ダルマは商売繁盛・海運厄除の縁起物として売られています。この左目に記されているのが、招福の始まりを象徴する梵字の「阿(あ)」です。満願の際には、「吽(うん)」の梵字が右目に書き入れられて奉納されるんですね。最後は、今日の梅です。養老枝垂はまだこれからでしたが、そのほかの梅はちょうど見頃という感じでした。
2008.03.04
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▼エドガー・ポーの墓(マラルメ39)当初は自分の国よりもフランスで高く評価されたアメリカの大詩人エドガー・アラン・ポー(1809-1849年)。マラルメもまた、ポーの詩から多大な影響を受けた一人でした。ポーの死後27年が経った1876年、ポーとゆかりがある米国ボルティモアで記念碑が建設されるに当たって、マラルメはポーの業績を称えた詩を書いています。それが今日ご紹介する「エドガー・ポーの墓」です。Le tombeau d'Edgar Poe Tel qu'en Lui-même enfin l'éternité le change, Le Poëte suscite avec un glaive nu Son siècle épouvanté de n'avoir pas connu Que la mort triomphait dans cette voix étrange! ついに永遠が彼を「彼自身」に変えるかのようにその「詩人」は抜き身の剣をかざして呼び覚ますあの奇妙な声の中では死が勝利していたことを知らなかったことにおののく彼の世紀を!Eux, comme un vil sursaut d'hydre oyant jadis l'Ange Donner un sens plus pur aux mots de la tribu Proclamèrent très haut le sortilège bu Dans le flot sans honneur de quelque noir mélange. 彼らは、水蛇ヒドラの卑しい跳躍のように、かつて天使が部族の言葉にさらに純粋な意味を与えるのを聞いて何か黒々とした混合酒の誉れなき波に酔った呪いの戯言であると高らかに宣言した。Du sol et de la nue hostiles, ô grief! Si notre idée avec ne sculpte un bas-relief Dont la tombe de Poe éblouissante s'orne 敵意をむき出しにする大地と雲の、おお、諍いよ!もしも我らの想念が共に、まばゆいばかりのポーの墓を飾る浅浮彫を刻まないというのならばCalme bloc ici-bas chu d'un désastre obscur, Que ce granit du moins montre à jamais sa borne Aux noirs vols du Blasphème épars dans le futur. 暗闇の災害から地上に落ちてきた物言わぬ石塊よ、少なくともこの御影石が、未来に散乱する冒涜の黒い飛翔の中に、彼の道標を永遠に示さんことを。(続く)
2008.03.04
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番外▼海の微風(マラルメ38)薔薇は出てきませんが、番外編としてマラルメの代表的な詩をいくつか紹介しましょう。まず私が選んだのは、初期の作品から「海の微風」です。1865年、マラルメ23歳のときの作品だとされています。Brise marine (海の微風)La chair est triste, hélas! et j'ai lu tous les livres. 肉体は悲しい、ああ! それに私はすべての本を読んでしまった。Fuir! là-bas fuir! Je sens que des oiseaux sont ivres逃れよう! 彼方へと逃れるのだ! 未知の海泡と天空のまにまに D'être parmi l'écume inconnue et les cieux! 鳥たちが酔いしれるのを私は感じる!Rien, ni les vieux jardins reflétés par les yeux 何ものも、そう、瞳に映る古い庭園もNe retiendra ce coeur qui dans la mer se trempe 海に浸るこの心を引きとめることはない、O nuits! ni la clarté déserte de ma lampe おお、夜よ! 純白が守りを固める虚ろな紙をSur le vide papier que la blancheur défend 寂しげに照らす私のランプの輝きも、Et ni la jeune femme allaitant son enfant.また、自分の子供に乳を与える若い女も。 Je partirai! Steamer balançant ta mâture,出帆だ! マスト全体を揺り動かす蒸気船よ、 Lève l'ancre pour une exotique nature!異国の自然に向けて錨を上げよ! Un Ennui, désolé par les cruels espoirs,「倦怠」は、残酷な希望に打ちひしがれながらも、 Croit encore à l'adieu suprême des mouchoirs! ハンカチを振る最後の別れをなお信じているのだ!Et, peut-être, les mâts, invitant les oragesそしておそらく、マストは嵐を呼び起こし、 Sont-ils de ceux qu'un vent penche sur les naufrages 突風に傾いて、難破へと誘うPerdus, sans mâts, sans mâts, ni fertiles îlots...消えていく、帆桁も、帆柱も、豊穣の小島もなく・・・ Mais, ô mon coeur, entends le chant des matelots!だが、おお、私の心よ、船乗りたちの歌を聞け!後期の詩に比べたら、言葉に関しては、まるで絵本のように訳すのが簡単です。日常と決別し、詩の世界へと出帆するマラルメの決意と挫折が記されていますね。1行目は面白い書き出しですね。肉体は悲しく、本も全部読んでしまった、とは。マラルメには、楽しいことが何もないようです。精神的にも肉体的にも、倦んでいることを言っていますね。11行目の「倦怠」と呼応しています。イメージ的には、肉欲の象徴である寝室と、読書をする書斎が浮かび上がります。現状に飽きているので、2行目では逃避したいと叫ぶわけです。どこへ逃避したいかというと、海と空が混じり合う彼方、鳥たちが酔いしれている場所みたいですね。その場所へ逃げたいという思いは、誰にも止められないと、4行目から8行目にかけて主張しています。詩人を引きとめようとしているのは、長い家庭生活を象徴する「古い庭」、一行も詩句を書けずに真っ白になっている原稿用紙という現実、そして乳飲み子に乳をやる妻であると言っています。この詩が書かれた前年の1864年11月に娘のジュヌヴィエーヴが生まれています。つまりこうした日常生活の現実が、詩人の倦みの原因にもなっていることを示しているんですね。そこで9、10行目ではとうとう、現実から逃避して、鳥たちが酔う「詩の世界」へ旅立つぞ、と宣言します。勇ましい決意表明みたいなものですね。でも、そう現実は甘くないことも詩人は知っています。マラルメの「倦怠」から生じた希望は、家族を見捨てて、教師の職も捨てて、すべてに別れを告げて旅立つことができると、愚かにも信じているのだと言っているようです。残酷な現実に打ちひしがれた詩人の姿が浮かびますね。そのイメージが、嵐の中の難破と重なります。世間は、詩人として生きていくには厳しすぎます。教師の職を辞したところで、カネがなくなり、身を滅ぼすのが落ちでしょう。詩人が身を寄せられるような「豊穣の小島」などないのです。「だが」と、最後の行でマラルメは、出帆を諦めつつも言い切ります。どれだけ苦痛が伴おうとも、希望を失わはない、と。おそらく「船乗りたちの歌」こそ、この詩のタイトルとなった「海の微風」なのでしょうね。それは、マラルメが目指す海の彼方にそよぐ微風であるのだと思います。(続く)
2008.03.03
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希望ある敗戦ラグビーにも、夢も希望も楽しみもない敗戦がある。ふわふわした、浮ついた、つかみようのない試合。ラグビーをやっているのか、ダンスをしているのか、これは何のスポーツなのか、と問わなければならないような試合だ。幸いなことに、昨日の日本選手権第二回戦の東芝早大戦は、早稲田は負けたけれども、早稲田にとっても、学生ラグビーにとっても、希望のある敗戦だったなと思う。あの東芝相手に4トライは健闘と言ってもいいだろう。重心の低いモールは十分に通用していたし、バックスのアタック(ディフェンスは崩されたが)にも見るものがあった。もしかしたら、二年前のように学生でもトップリーグ4強に勝てる可能性があるかもしれないと思わせてくれる敗戦ではあった。しかし、早稲田には勝ってもらわなければ困るのである。早稲田がパワーのあるトップリーグの上位チームを破らないと、日本代表もまた、永遠に世界のトップチームに勝てる気がしないからだ。ラグビー協会関係者の間には、トップリーグと学生の間の実力差が開いてきたので、日本選手権はやっても意味がないとの見方もあるようだが、それを言ってしまえばおしまいだ。おそらく早稲田とトップリーグ4強との実力差は、日本代表と世界のトップ5の「二軍」か「三軍」との力の差ぐらいあるのではないだろうか。すると、日本代表のほうが、はるかにW杯に出ても意味がないと断ずることになる。だから希望ある敗戦は、日本代表にとっても、早稲田にとっても、どうしても譲れない線なのだ。創意工夫でパワーに勝てるという可能性を示さなければ、やはり日本のラグビーにも未来はない。トップリーグは来期から同時に試合に出られる外国人枠が3人に増やされるそうだ。パワーに関しては、ますますトップリーグと学生の差は開くだろう。しかし、そのような見せ掛けの差が開いたぐらいでは、日本選手権をやめる理由にはならない。実力差を技とアイデアでどのように縮めるか、その切磋琢磨する場を手放すのは、未来の息の根をとめることになる。そうならないためにも、少なくとも「希望ある敗戦」を何度でも負け続けなければならないのだと思う。
2008.03.02
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▼花瓶の薔薇2(マラルメ37)では、午前中の続きでマラルメのソネット「はかないガラスの壺の膨らみから・・・」の解説です。「最も難解な」と書いたのに、それほど難しくないと思われた方もいたかもしれませんが、それは私がある程度勝手に意味を斟酌してしまっているからなんですね。どれだけ咀嚼されているか、第一節を直訳と比べてみましょう。第一節はかないガラスの壺の膨らみから飛び出したような頸は苦い夜を花で飾ることもなく未完成のまま放置されている。これを直訳すると、つぎのようになります。はかないガラス製品の尻と跳躍から飛び出して、苦い夜を花で飾ることもなく無視された頸が中断する。なんだか複雑怪奇な文章ですね。まず問題は、la croupeとう単語です。これは「不運」という詩にも出てきましたが、「馬の尻」とか「尻」という意味です。するとガラス製品の尻ということになります。さて、どこのことだろう、と考えます。辞書を引くと、「丸い頂、小山」という意味もあると書いてあります。それはそのまま置いておいて読み進めると、四行目にLe col(頸=くび)という単語が出てきます。一瞬、聖ヨハネの切り落とされた首を思い出しましたが、どうもガラス製品の頸のことであると気づきます。頸と尻の関係は、頸はla croupeからパッと飛び出していると書かれていますから、ここで想像力を働かせます。どうやらガラス製品の丸く膨らんだ頂部分から飛び出したように頸がついていることを言っているのではないかと思うわけです。ではガラス製品は何かということになりますね。これは意外と簡単で、第三節にLe pur vase(純粋な壺)という言葉が出てくるので、ガラスの壺であることがわかるわけです。これでようやく状況が飲み込めて来ました。第一節はガラスの壺の描写だったんですね。それでも、「頸が中断する」の意味がわかりません。しかも頸が無視されているというのですから、いよいよ奇怪です。ここで迷宮に入り込んでも拉致が開かないので、答えは出さずに第二節に進みます。第二節その恋人も私の母も、二つの唇は同じ夢幻のための祝杯を飲み干したことは決してなかったと私は信じている。この冷やかな天井に漂う空気の精である私は!第二節は直訳しても、それほど変わりません。二行目にいきなり「彼女の恋人」「私の母」という言葉が出てきます。それが二つの唇と対応しますね。Chimèreは「幻獣キマイラ」という意味のほかに「空想」「見果てぬ夢」という意味もあります。つまり二人の唇が追い求めている夢や理想のことであるとわかります。マラルメが夢見ると言えば、詩の理想ですから、「母」とはミューズ、その「恋人」とは詩人(マラルメ)であると推察できるわけです。すると、この第二節は、マラルメがミューズとともに試行錯誤している詩作のことを表現していることになりますね。まだ「祝杯を飲み干したことは決してなかった」と言っていますから、理想の詩はまだ書けずに苦しんでいる様子が浮かんできます。それがはっきりするのが第三節です。第三節尽きることのない孤独以外はいかなる液体も入っていない純粋な壺は、もだえ苦しむ。それでも、ここでは詩人の孤独な姿が描かれていますね。もだえ苦しんでいる壺とは、詩人の生みの苦しみと関連していることが察せられます。壺はマラルメ自身か、マラルメの作品を象徴することがわかってきます。「いかなる液体も入っていない」わけですから、詩は完成していないんですね。第一節の「頸が中断する」の意味がなんとなくわかってきました。壺(詩)は未完であると言っていたんですね。この時点でやっと、「無視された頸が中断する」という直訳が「未完成のまま放置されている」へと変わります。第四節最ももの悲しい純真な口づけよ!一輪の薔薇を暗闇に予言しておきながら、壺は何ものも吐き出そうとしないのだ。純真な口づけとは、きっとミューズとの口づけのことでしょうね。一輪の薔薇は、美しい詩句のことであると思います。本来なら壺(作品)に活けられているはずの薔薇は、詩人の「予言」(意図)に反して、まだ活けられていません。ミューズとの口づけが悲しいはずですね。第四節は、苦悩してもまだ生まれない未完の詩のことを歌っていることになります。こうして悪戦苦闘の末、一つの訳が出来上がります。結構大変な作業です。この苦悩を皆さんと共有できないのが、とても残念です(笑)。ちなみに三部作の2となっていますが、三部作はいずれも詩人の書斎の描写になっており、1が夕暮れ、2が夜中、3が夜明け前、という設定になっているようです。写真は、理想の薔薇?明日からは「薔薇シリーズ」の番外として、薔薇は出てきませんが、マラルメの代表的な詩を2,3編ご紹介しようと思っています。(続く)
2008.03.01
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▼花瓶の薔薇(マラルメ36)薔薇が出てくるマラルメの詩も今日が最後となります。1887年に発表されたマラルメ後期の純粋な象徴詩で、最も難解なものとされています。最後まで苦しませてくれますね。解説者泣かせのマラルメです。ソネットで書かれた三部作のうちの二つ目で、無題ですが「はかないガラスの壺の膨らみから・・・」と呼ばれています。TRIPTYQUE II(三部作の2)Surgi de la croupe et du bond…(はかないガラスの壺の膨らみから・・・)Surgi de la croupe et du bondD’une verrerie éphémèreSans fleurir la veillée amèreLe col ignoré s’interrompt.はかないガラスの壺の膨らみから飛び出したような頸は苦い夜を花で飾ることもなく未完成のまま放置されている。Je crois bien que deux bouches n’ontBu, ni son amant ni ma mère,Jamais à la même Chimère,Moi, sylphe de ce froid plafond !その恋人も私の母も、二つの唇は同じ夢幻のための祝杯を飲み干したことは決してなかったと私は信じている。この冷やかな天井に漂う空気の精である私は!Le pur vase d’aucun breuvageQue l’inexhaustible veuvageAgonise mais ne consent,尽きることのない孤独以外はいかなる液体も入っていない純粋な壺は、もだえ苦しむ。それでも、Naïf baiser des plus funèbres !À rien expirer annonçantUne rose dans les ténèbres.最ももの悲しい純真な口づけよ!一輪の薔薇を暗闇に予言しておきながら、壺は何ものも吐き出そうとしないのだ。ちょっと時間がないので、詳しい解説は後になりますが、この詩を解釈するヒントとしては、「壺」はマラルメの未完の詩であるということでしょうか。第二節のその恋人とは、ミューズの恋人であるマラルメのこと、私の母とは、詩人の母なるミューズのことです。一輪の薔薇は美しい詩句のことでしょうか。詩作の苦悩と希望が描かれていると解釈します。それでは後ほどまた、解説いたしましょう。(続く)
2008.03.01
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