荒川水系に属する北十間川は、江戸時代初期(1663年)に開削された。本所の北を横断する幅10間(約18m)、延長3.2kmの運河であり、中川と墨田川を最短で結んでいた。浮世絵師歌川広重の「 名所江 戸百景-柳しま」 に当時の様子が描かれている。
徳川四代将軍家綱に政権が移行直後の明暦3年(1657年3月)に、江戸市中6割を焼失する大火事があった。火を自在に操る空想の「火龍」が江戸を3日間に渡って焼き尽くしたような大火災。死者が3万人とも10万人とも言われる未曾有の災害である。この 「明暦の大火」 の反省と復興の一環として北十間川や横十間川が整備され今日に至っている。
この大火以後、江戸城の象徴だった天守閣は不要とされた。この英断に大きく関与したのが 保科正之 だと言う。彼は、若年の四代目将軍を補佐した会津藩松平家の初代藩主。また、現在風の災害復旧大臣としてもその手腕を大いに発揮した名君だ。パフォーマンスと思いつき迷人の首相、傲慢な復興相とは大いに異なる。「正之」なる人財が切望される秋(とき)である。
写真-1 逆さスカイツリーの名川となった北十間川 2011年7月撮影
写真-2 水質浄化活動によって改善された川面
写真-3 水質浄化施設の案内看板。木炭浄化とエアリフト(電源は太陽光)が基本構成。
調布堰堤 浄水場跡 2018年05月29日
青いローゼ橋 丸子橋 2018年05月28日
古墳の上 浅間神社 2018年05月26日
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