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太平洋を望む大洗海岸の岩礁に鳥居が立っている。海岸沿いの高台にある「大洗磯前神社」の鳥居のひとつ。鳥居が朝日に照らされ、荒波が岩礁に当り白く砕ける光景が神々しいと評判。正月初日の出を望むパワースポットとして有名な場所。 大洗山に建つ磯前神社は、大己貴命(おおなむちのみこと)と小彦名命(すくなひこのみこと)の2柱を祀る神社。古くから家内安全、海上交通の守り神として信仰を集めている。徳川光圀公も参拝して、和歌を詠んだという。大洗公園から沖行く、フェリー「さんふらわあ」が輝いて見えた。写真1 白い波しぶきと神磯鳥居。写真2 遥かなる太平洋を望む。写真3 大洗海岸の荒波と鳥居。写真4 岩礁に立つ神磯鳥居。写真5 大洗公園から沖行くフェリーを眺める。写真6 大洗公園案内図。
2024年05月23日
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国道1号線と乙川(おとかわ)の間に位置し、城内郭を一部含んだ岡崎公園。園内には石像・銅像や記念碑が点在している。城郭主要部などが復元整備され、過去の歴史にふれあう都市公園。 戸時代岡崎城下は、東西に街道、南北に矢作川舟運で栄えた。城下を通る東海道は、くねくね曲がっているので「東海道二十七曲り」と呼ばれた。城下の防衛が主たる目的ではあるが、街道筋に旅人を留まらせる経済効果もねらったもの。現在の国道1号は、昔の内郭エリアを直線的に横断している。 園内で「アラモの碑」を見かけた。1575年長篠の籠城戦と1836年テキサス独立戦争における「アラモの戦い」に通じるものがあり、両国に同じ石碑を立てという。「アラモの砦」は、1955年ジョン・ウェイン主演で映画化されている。鳥居強右衛門と青年ボナムの両者の勇気と使命感が未来の勝利と独立をもたらした。写真1 岡崎公園の大手門。写真2 家康公の立像と「しかみ像」。写真3 神君遺訓碑、神馬、からくり時計台。写真4 四天王の一人、本多忠勝像。写真5 アラモの碑と映画「アラモの砦」。写真6 浜松市内で晩御飯の鰻重。
2023年11月12日
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徳川家康生誕の地、岡崎城を訪ねた。昔、三河と呼ばれた国に築かれた城。東海道上に位置し、かつ西側に大きな矢作川(やはぎかわ)が流れている。三河山地と三河平野が出会う土地で、中世・江戸期を通じて東西を結ぶ要衝であった。 岡崎城初代城主は、西郷頼嗣とされる。松平氏と今川氏城代を経て、家康が「桶狭間」後の約10年間(1560年から1570年)居城する。駿河と甲斐に備えるために浜松城に移ると、岡崎城は嫡男信康に託す。明治維新を迎えると、城郭は取り壊される。しかし市民の切望で、昭和34年天守が復元された。 神君出生の岡崎城は龍にまつわる伝説がある。3層5階の復興天守に隣接して、家康と本多忠勝を祀る「龍城(たつき)神社」がある。「5万石でも岡崎さま、城下まで舟が着く」と謳われ、舟運で栄えた。岡崎城下の発展を紹介する3階を通り、5階の展望台に上る。三河の山河と発展した市内を眺める。写真1 持仏堂曲輪から岡崎城を見る。写真2 天守館出入口と龍城神社。写真3 巽郭と石垣。写真4 天守展望台からの眺め。写真5 館内3階の展示物。写真6 東海道の岡崎城と広重が描いた矢作橋。
2023年11月09日
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宿泊したホテル「THE HAMANAKO」の食事は、ビュッフェレストラン四季。沈んで行く夕日を眺めながら食事する。赤い夕日がディナーの逸品となる。ビュッフェ形式なので、料理等を各自で運ぶ必要がある。少し落ち着ない雰囲気ではあるが、色々な食材をいただくことができた。 食後、酔いを醒ましてから温泉風呂に浸かる。当ホテルの温泉は、地下500mから湧出「雄踏(ゆうとう)温泉」をひいたものを温めているようだ。夜空を眺めつつ、足と腰に溜まった疲れを癒した。写真1 夕日をご馳走に・・。写真2 客室から観る浜名湖の夕景。写真3 食事場所の窓カラスの夕日。写真4 湖西市方面に沈む夕日。写真5 日没後の茜雲と雄踏大橋と宿泊ホテル。写真6 食事した後に温泉へ・・。
2023年11月06日
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ランチのために、浜松市北区三ケ日町の「エクスパーサ浜名湖」に寄った。1969年から供用してきた「浜名湖SA」を改修して、2019年「EXPASA浜名湖」としてリニューアルオープンした。奥浜名湖に面し、上下線集約型サービスエリアだ。更にSAとして初めて、遊覧船の商業運行を開始した。 湖に突き出した小半島に造られたSAなので、景色が抜群。三ケ日町は、「三ケ日みかん」の産地として全国的に知られている。南斜面の丘陵と寒暖気候が蜜柑作りに適しているという。「三ケ日みかんロールケーキ」をお土産とした。 「湖の見えるフード館」の裏側は、浜名湖に向かって広がる芝生公園となっている。ベンチに腰掛けて正面に、舘山寺と大草山とを結ぶ「かんざんじロープウェイ」が見えた。浜名湖クルージングの遊覧船やヨットも見えた。園地先端に、恋人の聖地を記念したオブジェ「幸の鐘」とフェンスに愛をロックした南京錠があった。写真1 「湖の見えるフード館のテラス」。写真2 芝生斜面と奥浜名湖の景色。写真3 フード館とトリックアート自販機。写真4 遊覧船発着場への斜路と「かんざんじロープウェイ」。写真5 「恋人の聖地・幸の鐘」と佐久米海岸。写真6 昼食にラーメン・餃子を食する。
2023年11月03日
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歴史ドラマ等でしばしば登場する長篠城、その城跡を訪ねた。JR飯田線の鳥居駅と長篠駅の中間付近、豊川と宇連川が合流する要害に造られ城。歴史保存館と本丸跡および土塁と堀が保存されている。「国指定の史跡」のひとつ。今年は大河ドラマ「どうする家康」で、脚光を浴びる。 1575年(天正3年)の「長篠の戦い」は、織田・徳川連合軍(3.8万)と武田軍団(1.5万)が本格的に激突した戦い。柵と塁そして鉄砲大隊が待ち構える陣地に、武田騎馬隊を誘い込めるかが戦術の要だった。結果的に武田勢が突撃して大敗する。そのため関東諸族への影響も低下して、甲斐武田家は孤立して行く。 東三河の有力氏族・菅沼元成が1508年に築城した云われる長篠城。この場所は、三河国と甲斐国、そして尾張・駿河に通じる交通の要衝。信玄亡き後、菅沼氏は家康の支配下となる。奥平信昌が入城して、武田の侵攻を抑止する城となる。長篠の戦い後、新城に城を築いため、長篠城を廃城となる。信長を天下人に押しあげた合戦について、想いを馳せた・・。写真1 愛知県新城市の長篠城址の石碑。写真2 本丸跡と長篠城概要図。写真3 土塁と堀が遺構として保存。写真4 主郭(本丸)から武田方の砦方向を望む。写真5 鳥居強右衛門の磔地を眺める。写真6 長篠・設楽原の戦い布陣図と合戦絵図。
2023年11月01日
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浜松城のすぐ近くに元城町(もとしろちょう)東照宮がある。別名を「出世神社」ともいう。秀吉と家康の二人の武将を天下人へと導いたパワースポットして注目されている。二人が並ぶ像が境内に立っている。明治19年になって創建されたが、戦禍で焼失する。昭和33年に鉄筋コンクリート造で再建される。 元城町東照宮は、曳馬城の本丸跡に建てられた。入口に城跡の石碑がある。今川方の家臣・飯尾氏の居城だった曳馬城。「桶狭間」で総大将・義元が討たれると、駿河の国境は流動化する。家康は、今川家臣が駿河に逃げ帰り、空になった岡崎城に入った。 城主の飯尾連龍は、織田家と同盟関係にある家康側につくのが有利と考え、一旦今川方と手を切る。直に今川方に攻められて和議を結ぶが誅殺される。その妻(鵜殿氏の娘・田鶴)は城を守り、徳川方と交戦して討ち死にする。かくて曳馬城は、家康のものになり、その西側に城郭を増強する。そして城名を浜松城とした。写真1 浜松・元城町東照宮の本堂。写真2 出世を祈願するパワースポット。写真3 家康と秀吉が並ぶ珍しい像。写真4 曳馬城跡に建立された東照宮。写真5 手水処と本堂の壁画。写真6 出世神社の位置と東照宮境内から浜松城を望む。
2023年10月29日
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早起きして、宿泊ホテルから雄踏(ゆうとう)大橋を通り、中之島大橋南詰めまで散歩する。往復約3kmの行程。車の往来が少ない中之島大橋上で、薄明色に空と湖面が染まり、まもなく朝日が昇って来た。 朝日は、雄踏町宇布の市街地から昇る。東浜名湖の湖面にオレンジ色の「光の道」ができた。小船が海産物を捕獲しているようだ。仕掛けを引き上げているのだろう。 雄踏大橋の南側に、筏のような組立台船が数隻停泊していた。「たきや漁」をする施設か。雨風を凌ぐビニールハウスの屋根付き台船が浮いている。更にはトイレや休憩台船などが並んでいた。人影は見えない。松明を燃やして行う漁なのだろう。陽が沈む頃に、釣人が集まるらしい・・。写真1 東浜名湖の日の出。写真2 薄明のビーナスラインと朝日。写真3 朝陽が作る「光の道」。写真4 浜名湖方面と庄内方面。写真5 中之島大橋を雄踏大橋から望む。写真6 湖上の「たきや漁」施設。
2023年10月27日
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浜松城下で開催されている「どうする家康・浜松・大河ドラマ館」を訪れた。天守閣を見上げる「葵広場」の南側に赤いメインゲートがある。ドラマ館の出入口は、浜松城の本丸裏門があったとされる場所。また光沢のある黒い外壁は、当市産業のひとつであるピアノをモチーフにしているらしい。 ドラマで使用した丸太作り城門をくぐった先が浜松城内とされる。ドラマで登場する人物紹介や衣装、および撮影などに使用されたセットなども展示。浜松時代の最大脅威、武田信玄の甲冑と碁石金が目を引く。世界的に軍事衝突がやまない今日、金相場が過去最高値を示している。軍事を支えるのは昔も今もお金だ。 群雄割拠の戦国時代を浜松で過ごした青年家康。戦の連続の中を、多くの苦難と試練を乗り越えた。家臣団のチーム力とそれら統率する能力を習得する17年間でもあった。駿府、江戸へと居城が替わっても、徳川家に降りかかる試練は続く。戦のない大平の世を築けるのか。どうする家康・・。写真1 黒壁と赤いエントランスの大河ドラマ館入口。写真2 家康居城時の城絵図と葵広場。写真3 葵広場からドラマ館を見る。写真4 撮影に使用した「跳ね上げ門」と俳優陣。写真5 信玄の衣装と碁石金。写真6 どうする家康・・の主人公ポスター。
2023年10月25日
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徳川家康が青年から壮年時代を過ごした浜松城。29歳から45歳までの17年間を過ごす。この間、姉川の合戦、武田信玄とも戦っている。江戸時代を通じて、幕府の重役を輩出したことから出世城と呼ばれる。二階式櫓門の天守門の脇には、大きな「鏡石」が使われ、城主の権威を示している。 現在の天守閣は、昭和33年に鉄筋コンクリート造りで復元された。地上3階地下1階の建造物で、1階と2階が歴史資料館。甲冑や刀、城下町ジオラマ展示などある。天守を載せる石垣は、自然石を組み合わせる「野面積み」で築かれている。その石は、対浜名湖の対岸から切り出された「珪岩」を使用。 天守閣の3階は、展望台として一般開放されている。360度のパノラマを楽しめる。その昔、家康公も此処から、北の方角に三方ケ原を望んだと思う。南に遠州灘、西に浜名湖、そして東に富士山を望める。訪れた日、建設中のビル後方に、富士は見えなかった。写真1 浜松城天守閣。写真2 天守門と鏡石。写真3 珪岩を使用した野面積み石垣。写真4 資料館の甲冑と地下の井戸。写真5 天守展望台から眺め。写真6 シダの甲冑飾りを持つ若き日の家康像。
2023年10月24日
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大井川鐵道・千頭駅から「南アルプスあぷとライン」に乗車する。接岨(せっそ)温泉駅まで、約40分間の「トロッコ列車」のミニ旅。車窓から奥大井の山並み、大井川の清流、そして長島ダム、そのダム湖(接岨湖)など風景を楽しめる。 今では日本で唯一のアプト式鉄道。アプト区間は、「アプトいちしろ駅」(標高396m)から次の「長島駅」(標高485m)までのひと区間1.5km。最急勾配が90/1000。いちしろ駅では、アプト式電気機関車が連結する様子を見ることができる。ラックレールを噛んで、客車を力強く押し進める。 長島ダム駅の手前内カーブでは、ダム堤体下流面を眺めることができる。長島ダムは、2002年に完成した多目的ダム(堤高109m×堤頂長308m×有効貯水量6800万トン)。大井川は唯一の洪水調節を行う。大井川は土砂流出が多い。その対策として直上流に「貯砂ダム」を造り、定期的に除去しているようだ。写真1 大井鐵道・千頭駅を出発。写真2 奥大井川の山並みと峡谷を眺める。写真3 「アプトいちしろ駅」でアプト式電気機関車ED90型と連結。写真4 長島ダムと直上流の貯砂ダム。写真5 奥大井レインボープリッジ。写真6 奥大井湖上駅と接岨温泉駅。
2023年10月22日
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新東名・島田金谷ICから大井川沿いの国道473号を、大井川鉄道・千頭(せんず)駅へ向けて北上する。「越すに越されぬ・・」と謳われた大井川。流域内の降水量が多く、土砂の堆積量も多い。橋のない時代、東海道屈指の難所であった。明治に入り次々の架橋された。最初の橋は、人道用の「蓬莱橋」とされる。 途中、道の駅「川根温泉」にて休憩する。この駅には、露天風呂からSLが見えることで、名の知れた日帰温泉「ふれあいの泉」がある。また少し離れた所に、宿泊できる「ふれあいコテージ」も併設されている。毎平均分545リットルの源泉が自噴する高熱アルカリ性温泉水。 大井川鉄道の千頭駅は、奥大井への「南アルプスあぷとライン」の始発駅。駅構内では、恒例の「トーマスフェア」が開催されていた。新金谷駅がメイン会場で、千頭駅はサテライト会場。引込線構内では「きかんしゃトーマス」のパ―シー、ヒロ、ジェームスの3両、およびレール点検用の「ウィンストン」が展示。写真1 大井川左岸と大井川鉄道橋梁。写真2 「越すに越せされぬ」と謳われた大井川。写真3 国道473号の道の駅「川根温泉」。写真4 SL撮影ポイント。写真5 千頭駅構内のトーマス号。写真6トーマスフェアで展示されているパーシー・ヒロ・ジェームス号。
2023年10月20日
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富士山本宮浅間大社(富士宮市)から南500mに、「富士山世界遺産センター」がある。富士山がユネスコの世界文化遺産に登録されてから4年後にオープンした。富士山-信仰の対象と芸術の源泉などを、後世に守り伝えてゆくための拠点施設。富士山の魅力を多角的に紹介している。 センターの外観は、富士ヒノキを使用した木格子から成る「逆さ富士」が特徴の建物。富士山の湧き水(神田川)を引いたプールに「正富士」が映るように考えられている。中央の展示棟は、逆円錐形のユニークなフォルム。その内側が螺旋スロープなっており、壁面に投影される映像を観て進むことになる。 館内でミニ富士登山ができる。全長193mの「登山道」で最上階に着くと、正面に雄大な富士見景が待っている。頂上の観測所、途中の山小屋、麓の浅間大社の大鳥居を眺めることができる。大社池を水源する神田川は、潤井川(うるいがわ)に合流して駿河湾に注ぐ。駿河湾の海底から測ると、6000mを超す富士山。写真1 富士山世界遺産センターの鳥居越の富士。写真2 逆さ富士の木格子のフォルム。写真3 館内の映像・展示物他。写真4 センター最上階から富士山。写真5 神田川と富士山頂部他。写真6 富士山本宮浅間大社。
2023年10月16日
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清水港の海辺公園の一つ「清水マリンパーク」で昼休み。エスパルスドリームプラザの海側にあたり、ヨットハーバー、イベント広場、ボートウォークなどがある。西欧の城壁風の回廊に囲まれた広場では、野外イベントやフリーマーケットが行われる。人々が交流する場所。 清水マリンパークのシンボルの一つに、「清水港テルファー」がある。旧国鉄清水駅清水港駅に設置され、木材を貨車に積み込む荷揚げクレーンとして活躍した。43年間使用した後、昭和46年に役目を終えた。しかし清水港の産業遺産として、モニュメント化された。国の登録有形文化財。 エスパルスドリームプラザ3階に、「ちびまる子ちゃんランド」がある。静岡県清水区は、アニメ・ちびまる子ちゃんの舞台(昭和40年代)となったところ。作家のさくらももこ氏の出身地である。特に暑い日には、親子で過ごすと楽しいだろう。写真1 ドリームプラザ3階から清水マリンパークを望む。写真2 マリンパークのシンボル「清水テルファー」。写真3 旧国鉄自体の遺産「木材の荷役クレーン」。写真4 イベント広場回廊と霞む富士山。写真5 ヨットハーバーとエスパルスドリームプラザ。写真6 ちびまる子ちゃんベンチや幸せのセールベル。
2023年10月13日
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久能山東照宮と日本平を見た後、清水港に寄る。ドリームプラザ海側にある「日の出のりば」から、「富士山清水みなとクルーズ」を楽しむ。天候に恵まれすぎて、富士山の姿は、南風により霞んでいた。 クルーズ船は、定員340名×193t×3階建てりの双胴船「ベイプロムナード号」。清水港を40分間周遊するコース。2階客席でソフトドリンクを飲んだ後、3階オープンデッキに上り、「白いキリン」と称されるガントリークレーン越の富士山を眺めた。その他に、コンテナふ頭、探査船「ちきゅう」、および美保の松原を見る。 復路で船内に歓声が上がった。イルカの群れが、挨拶をするかのようにプロムナード号に近づいてきた。船内放送によると、しばしば港内に出没するという。江尻赤灯台付近で見ることが多く、時間帯としては12時から15時頃。清水港に棲みついているらしい・・。写真1 清水港・日の出のり場から富士を望む。写真2 清水マリンパークとベイプロムナード号。写真3 白いキリン(ガントリークレーン)と霞み富士。写真4 コンテナふ頭と探査船「ちきゅう」。写真5 美保の松原や港施設。写真6 クルーズ船オープンデッキと近寄るイルカ。
2023年10月10日
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古来より「観冨(かんふ)の地」として親しまれ、描かれてきた日本平。有度山(うどさん)の頂きのひとつで、南麓は、断崖絶壁が連なる地。その南麓途中に久能山東照宮がある。富士山や三保の松原、駿河湾、伊豆半島、および南アルプスなど四周を一望できる景勝地だ。 2018年に「日本平夢テラス」がオープンした。国立競技場を設計した隈健吾氏がこのテラスを手掛けている。県産木材をふんだんに使用している。デジタルタワー(電波塔)を八角形で囲むように木製デッキが作られている。約200mの屋外展望回廊となっており、要所に景色を案内するパネルが設置してある。 夢テラスは、3階建てに建てられ、2階がカフェ併設のラウンジ、3階が展望フロアとなっている。訪れた日、富士山頂が白く見えたが、冠雪でなく冠雲。気温が高く、湿度も高かったので、遠くの景色は霞んでいた。 日本平の南端に(吟望台の下)に、「赤い靴母子像」がある。全国に7つあるうちのひとつ。赤い靴の少女「きみちゃん」の生まれた場所が、日本平の麓、現在の静岡県清水区宮加三に由来。2歳の時、母子揃って清水港から函館に渡る。その7年後、東京の孤児院で死去(9歳)する。そして童謡が創られた。写真1 日本平での富士見景。写真2 日本平夢テラスの富士眺望。冠雲の山頂。写真3 日本平夢テラスと駿河湾。写真4 木製回廊デッキとラウンジ他。写真5 静岡市中心部と遠州灘を望む。写真6 山頂吟望台と赤い靴母子像。
2023年10月07日
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浜名湖西岸の町・雄踏(ゆうとう)温泉のホテル「THE HAMANAKO」に連泊して、静岡・愛知県の観光地を巡る。旅先でもできるだけ早朝散歩を行う。ホテルの南側に流れる川(運河)に架かる亀崎橋から、船溜まりの朝景を観る。 4つの湖などからなる浜名湖、面積が約65km2で国内10位の広さを持つ汽水湖。北から突き出した庄内半島に囲まれたエリアが庄内湖。この湖の特徴は、他の湖よりも水深が浅く夏場は水温が上がる。また、潮位による潮の流れが早いとされる。 ホテル西側、庄内湖口に「浜名湖大橋」が架っている。以前、舘山寺弁天島道路の橋で有料道路だったが、供用開始して30年を過ぎて、県道323号として無料開放されている。遠州灘沿いに架かる「浜名大橋」と混同し易い。浜名大橋は、国道1号線バイパス。ホテルからその一部を望むことができる。写真1 浜名湖東側-雄踏を早朝散歩。写真2 船溜りの朝雲と日の出を眺める。写真3 雄踏大橋と浜名大橋の遠景。写真4 雄踏大橋から庄内半島を結ぶ「浜名湖大橋」。写真5 庄内湖を望む。眼下にソーラーファームと釣り堀。写真6 宿泊ホテルと朝食。
2023年10月04日
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観光ピークとなる紅葉時期を外して、東海三県に入らない静岡県をツアー旅行した。静岡県には国宝の建造物がある。千葉県を含む一都三県には、国宝の建造物が3件しかないが・・。久能山東照宮の社殿が塗り替えられたのを機に、2010年社殿が国宝に指定された。 徳川家康公が眠る山と知られる久能山(標高216m)。戦国時代、駿河侵攻で甲斐武田軍が駿府を制して久能城を築く。武田家が滅亡すると久能城は、徳川家の所領となる。生前から駿府の守りの要として、重要視していた家康は、久能山に埋葬するようにと遺言する。 権現造り、総漆塗り、極彩色の社殿は、家康の死後1年半余りで、中井正清が完成させたという。ロープウェイを下りて、最初にくぐるのは、勅額を掲げた楼門。別名「勅使御門」とも呼ばれる。門を抜けた脇に、「家康公の手形」がある。 東照宮境内の最奥に、家康公を埋葬した「神廟」がある。高さ5.5m×周囲8mの石塔が建てられている。また「金のなる木」が立っている。「正直」、「万程の良き」、「慈悲深き」の3枝に、6つの小枝「○○き」が付加された朱印状がある。 この後、「家康ゆかり」の城などを巡る「日記」を掲載します。写真1 久能山東照宮へ。写真2 東照宮楼門と獏の彫刻および家康公の手形。写真3 唐門と国宝の社殿拝殿。写真4 絢爛な本殿の彫刻その他。写真5 神廟と「金のなる木」と朱印。写真6 東照宮へは「空中参道」を利用する。
2023年10月01日
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中禅寺湖は、男体山の噴火によってできた堰止湖。湖面の標高が1269mと高く、天空の湖とも称される。この湖から流れ出る場所は1箇所。それが華厳の滝。落差97mを一気に流れ落ちる様子は、日本三名瀑のひとつになっている。 中禅寺湖の貯水量は、2500万tとされ、大きなダムに匹敵する水ガメだ。湖の端と華厳の滝に通じる大尻川に、重力式コンクリートの中禅寺ダム(堰)があり、中禅寺湖の水位を管理している。華厳の滝の周辺からの漏水もあり、年間通して豪快な瀑布を見られるのは、この堰のおかげかも知れない。 環境省と林野庁が後援する「日本の滝百選」がある。各都道府県から2から3箇所の滝が選定されている。栃木県では、「華厳の滝」と「霧降の滝」の2滝。千葉県と福岡県には「滝百選」がない。千葉県にも幾つかの滝があるが、有名なのが養老渓谷の「栗又の滝」だろうか。秋を彩り名瀑と知られている。写真1 中禅寺湖の華厳の滝。写真2 落差97mの豪快な滝。写真3 観瀑台滝の落とし口。写真4 明智平の眺めと滝壺の様子。写真5 浮世絵(英泉)と比較。写真6 中禅寺湖と中禅寺ダム(9年前の秋)。
2023年09月27日
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奥日光の湯滝は、末広がりの豪快な滝。奥日光の三名瀑のひとつ。竜頭の滝から戦場ヶ原をハイキングすると、自然研究路の終点にあたる。滝の正面に観瀑台が整備されている。涼を求めて訪れるハイカーも多い。国道120号から近いので、ドライブの途中に寄る人も多い。 湯滝は、湯ノ湖北東の三岳(みつたけ)が噴火した際、溶岩によって湯川が堰き止められてできた湯ノ湖の南口にあたる。堰止の湖の出口が湯滝で、落差70m。岩盤を流れ落ちるので、水しぶきが少ない。観瀑台と上流の滝落とし口と結ぶ階段通路がある。レストハウスでは、本格的食事の提供はないが、牛串、ソフトドリンクとソフトクリームを販売している。 湯滝の下流約350mに小滝がある。緑の中に溶け込む落差5mくらいのスダレ滝。この後。三本松茶屋に立ち寄る。古くは鉱山夫たちの休憩所として、親しまれて場所。戦場ヶ原を前面に望みながら背後に男体山を有する景色は、旅人の安らぎを与えたという。写真1 奥日光の三名瀑のひとつ湯滝。写真2 落差70m水量豊かな滝。落ち口も覗く。写真3 青モミジとレストハウス。写真4 下流近くの「小滝」へ向かう。写真5 簾のような小滝。写真6 三本松茶屋に立ち寄る
2023年09月24日
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国道120号光徳入口から車に乗り、県境の金精峠まで足をのばす。峠トンネルの手前にある駐車場付近から眼下に湯ノ湖を眺める。北関東の最高峰の日光白根山はここから見えない。戦場ヶ原をほぼ縦断して汗をかいたので、湯ノ湖湖畔の温泉でひと風呂を浴びる。 湯ノ湖では釣りを楽しむ光景があった。湖畔のレストハウスは、コーヒーと軽食が可能。魚料理などの提供は中止。湯ノ湖に生息するは、カワマス、ヒメマス、ニジマス。明治期、英国商人の働きかけで、カワマスが放流され繁殖したという。エアコンの無い時代、避暑と釣りで英気を養ったのだろう・・。 金精峠から湯ノ湖までの距離は、約3.5km。自転車または徒歩で可能な距離。一方、湯ノ湖から刈込湖までは2.3kmのハイキングコースがある。湯ノ湖に一泊すると、いずれを往復できそうだ。今回は、天候を考慮して日帰りとした。写真1 金精峠から湯ノ湖を望む。写真2 金精山と男体山。写真3 湯ノ湖湖畔の釣り人。写真4 ボートに乗って釣を楽しむ人がいる。写真5 湖畔レストランと露天風呂。写真6 昔訪れた風景。湯ノ湖の朝と半月山からの眺め。
2023年09月21日
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戦場ヶ原の北西端に、「泉門池(いずみやどいけ)」がある。複数のベンチが整備され、多くのハイカーが利用する休息場所。池の西端から湧き上がる水は、とても澄んでいる。池内および池畔に倒木や朽ちた立木があり、独特な雰囲気の風景だ。 戦場ヶ原自然研究路上の青木橋から泉門池を経て、東コースを進む。湯滝方面は、一部崩れた箇所があるようだ。国道120号の光徳入口に出る約1.3kmの遊歩道。木道から雄大な男体山を観ながら進む。泉門池方面を振り返ると、外山(標高2204m)見えた。泉門池の湧き水の水源が外山とされる。写真1 戦場ヶ原の北西端に湧き出た泉門池。写真2 森の中の池と倒木が織りなす風景。写真3 泉門池休憩所と日光連山風景。写真4 青木橋から湯川を除く。澄んだ流水に水草が揺れる。写真5 木道の正面に雄大な男体山が・・。写真6 外山の山容と東コース(光徳口)マップ。
2023年09月18日
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奥日光戦場ヶ原の自然研究路(木道)を歩く。久し振りの木道は、以前より幅が広くなって歩きやすかった。赤沼分岐点から泉門池手前の小田代・分岐点までの50分コース(約2.4km)には、3か所の展望台・写真第がある。木道と別にベンチが設えてあり、腰かけて戦場ヶ原の雄大な景色を眺めることができる。 中央の展望台からは、男体山、太郎山、山王帽子山が一望できる。日光市内から眺める男体山とは異なる姿がある。太郎山(標高2,368m)の山肌は、3条ほどの地すべり跡がはっきり残っていた。9月初めの戦場ヶ原は、草もみじには早い。広大な草原と青い空、そして日光連山を堪能する。 戦場ヶ原は、標高1400mの高さに広がる400ヘクタールの湿原。神代の昔、二荒神(男体山)と赤城神(赤城山)とか、中禅寺湖の領地争いの夢の跡。大蛇(二荒神)と大ムカデ(赤城神)の戦いの結果は、もちろん大蛇が勝利をおさめた・・。写真1 南展望台から男体山を望む。写真2 戦場ヶ原と自然研究路(木道)。写真3 木道は湯川に沿って伸びている。写真4 中央展望台から男体山や太郎山を眺める。写真5 三岳や山王帽子山。写真6 ホザキシモツケ(穂咲下野)と(シロヨメナ白嫁菜)。
2023年09月15日
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国道120号竜頭橋から湯川沿いを上流へ向かって、自然歩道を歩く。戦場ヶ原に入ると木道になるが、深緑の森のなかを、湯川赤沼橋を目指す。途中、石楠花橋でひと息をつく。この辺りでは熊の出没情報があった。鈴を鳴らし、周辺に注意して歩く。リックの中に、小型の熊よけスプレーを忍ばせてある。 湯川は、奥日光の森の中をゆったり流れる。渓流や淵、川底に水草がなびいている。森の中で特長靴を履いた釣り人を見かけた。湯ノ湖を水源とする延長11kmの湯川。地獄川と合流して中禅寺湖に注ぐ。途中、竜頭の滝と湯滝があるので、中禅寺湖に生息する魚種と異なるのだろうか・・。写真1 竜頭橋から日光男体山を望む。写真2 大きな岩が堰き止めてできたミニ滝。写真3 赤沼橋への自然歩道を熊に注意して歩く。写真4 渓流と静流が繰り返す湯川。写真5 各方面の分岐点になる湯川赤沼橋(木橋)。写真6 湯川赤沼橋付近の緩やかな流れ。
2023年09月11日
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9月初め、あまりの暑さ故、奥日光に避暑する。まず。日光五名瀑のひとつ「竜頭の滝」で涼む。千葉・埼玉の平地では、少雨と日照気味だったが、滝の水量は平年並みだった。龍頭の茶屋の滝見台から水の音とマイナスイオンを浴びる。 大きな岩によって、滝壺付近で滝が二分されている。岩塊を竜の頭で、左右の水流をヒゲに見立てるようだ。滝の規模は全長210m、滝幅10mほどの階段状の岩盤面を勢いよく流れ落ちる。茶屋の右奥に観音堂があり、龍に乗った観音像が祀られている。観音堂の観音堂の脇を通り、滝沿いの遊歩道(石段)を登り、滝の上に出る。駐車場から国道120号線を通す橋から、滝を見下ろすことができる。岩盤を落ちる水流が陽に反射して白く輝く。本滝の上方を「龍雲滝」とも呼ぶ。龍雲滝の先に、中禅寺湖が見えた。写真1 龍頭の滝。左側の白髭が多い。写真2 龍頭の茶屋と滝見台。写真3 滝見台から滝の上を望む。写真4 観音堂と龍にのった観音像。写真5 滝の中段で水量を確認。写真6 滝見橋から雲が流れるような「龍雲滝」を望む。
2023年09月08日
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東日本から函館市へ新幹線を利用する場合に新函館北斗駅は、乗継通過駅となることが多い。帰宅する復路では、待ち時間があったので、駅観光センターと駅前広場をぶらつく。別館の「ほっくる」にはお土産店や飲食店がある。市のキャラクター「ず-し-ほっきー」が各所で見かける。 北斗市は、上磯町と大野町が合併してできた。北斗市にも縁がある「土方歳三」の人物写真が駅外の円柱に描かれている。裏面に「二股口の戦い」を紹介する記事。箱館戦争・最烈の陸戦で、土方率いる旧幕府軍130人と新政府軍600名とが死闘を約2週間にわたって繰り広げた場所が二股口(国道227号沿い)。 駅前広場には「三橋美智也生誕の地」と上磯峩朗鉱山の石灰岩が展示してある。小生も昭和50年頃、上磯町に少し居たことがある。現在の太平洋セメント峩朗工場は、東日本最大の生産量を誇る。鉱山から函館湾へ一直線にベルトコンベヤ約6kmが伸びている。特に海上桟橋が函館山を向いているのが印象的だ。 [旅景色の函館編完]写真1 新函館北斗駅前広場の花壇。写真2 駅舎の天井と「北斗の拳」ブロンズ像。写真3 円柱に展示されている土方歳三と二股口の戦い。写真4 駅観光センターとキャラクター「ずーしーほっきー」。写真5 三橋美智也の生誕地碑と上磯峩朗鉱山の石灰岩。写真6 セメントを船積みする海上桟橋とベルコン設備。
2023年08月30日
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宿泊したホテルの上層階から、眼下の函館港やJR車両基地を見る。11階の客室から駅ホームを、12階ラウンジから若松ふ頭などの港湾施設を望める。かつて青函連絡船が発着した大桟橋を思い出す。 箱館駅の北側に、JR函館本線が伸びている。湾岸道路を通す「ともえ大橋」(1997年開通)の西側は、函館湾で海岸街船溜り、および中央埠頭がある。「ともえ大橋」(全長1920m)の東側には、JR北海道函館運輸所と車両基地がある。軌条14条の引き込み線とレトロな転車台がある。 ラウンジからは箱館駅の南側、若松ふ頭、緑の島、そして臥牛山とも呼ばれる函館山を望める。若松ふ頭の奥に見える「緑の島」は、港湾浚渫工事(埋立て量約70万m3)によって発生した土砂で築かれた人工島。多目的広場で港まつりの際には、この島から花火(1万発)が打ち上げられる。写真1 ともえ大橋とJR車両基地を望む。写真2 客室から望む眼下の駅ホーム。写真3 若松ふ頭・クルーズターミルと函館朝市の一部を望む。写真4 若松ふ頭の後方に「緑の島」と函館山。写真5 ホテル12階ラウンジ。写真6 十和田丸の模型と青函連絡船大さん橋(昭和51年頃)。
2023年08月27日
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幕末期からハイカラ文化を取り入れて発展してきた函館。明治に入ると北海道で最大の人口を擁する町となる。大正11年(1922年)には、函館区から箱館市となる。明治から大正期にかけて、個性的な建物を次々と建てた。明治期のレンガ造り、大正期の和洋折衷建物が残っている。 函館が指定する「伝統的建造物」は64件に及ぶ。明治期に建造されたレンガ倉庫類が主体。大正期になると富裕層の個性的な木造邸宅が目立つようになる。大正ロマンを感じさせる、ノスタルジックな街並みがある。昭和になるとコンクリート造りの建物が主体となって行く。 函館山を正面に、港や赤レンガ倉庫を眺める場所に「コメダ珈琲店」があった。令和2年にオープンした2階建、景色を眺めながら身体を休めることができる。昭和から続く喫茶店のような落ち着いた雰囲気の店だ。名物の「小倉トースト」でランチする。写真1 赤レンガ倉庫の中通り。写真2 旧金森船具店と旧金森洋物店(明治期)。写真3 明治館とグラススタジオと元町日和館(明治-大正期)。写真4 旧茶屋亭と太刀川家住宅(大正期)。写真5 遺愛幼稚園と鷲見家住宅(大正期)。写真6 函館山とコメダ珈琲店(令和2年オープン)。
2023年08月24日
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昭和51年までフェリーが発着していた東浜桟橋(旧桟橋)付近は、西波止場広場として整備されている。函館桟橋と言えば、青函連絡船の大桟橋だが、明治の開港時代から使用されていた波止場だ。観光地の赤れんが倉庫群に隣接していることもあり、土産店等が集合した「西波止場」(フェリーターミナル跡地)だ。 親水プロムナードが整備された西波止場広場に、「北海道第一歩の碑」がある。幕末から明治にかけて、開拓のためにやって来た先人が先ず上陸した場所。「新島襄のブロンズ像」が立っていた。彼は1864年箱館から密出国に成功して、海外で見聞を広めて帰国して、同志社大学を創立する。妻は、あの「会津藩の八重」だ。 波止場をバックに「赤い靴少女像」も立っている。童謡「赤い靴」の「きみちゃん」2才は、静岡から箱館へ親子で渡った。母親(かよ)は結婚して、留寿都村の農村に入植。女の子は、外国人宣教師に預けられるも、東京の孤児院で亡くなる。母親は、その事実を知らないまま、外国で育っていると想い小樽市内で人生を全うした。 母親の夫・鈴木志郎と石川啄木、そして野口雨情は、小樽で知り合いとなる。その縁で童謡が生まれたという。小樽の運河公園には、「赤い靴親子の像」がある。「きみちゃん」像は、全国6体あるという。北海道3+静岡1+東京1+青森1と・・。写真1 赤れんが倉庫群と西波止場。写真2 西波止場からの眺め。写真3 北海道第一歩の碑と東浜桟橋(旧桟橋)。写真4 八幡坂の下が西波止場になる。写真5 西波止場広場と新島襄のブロンズ像。写真6 波止場の「赤い靴少女像」と小樽と横浜の「赤い靴」像。
2023年08月21日
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はこだてビール、国際ホテル、およびレトロなニチロビルが並ぶ「開港通り」の終着点に、函館朝市がある。JR函館駅、そして豊川ふ頭の海産物卸市場が直ぐ近くある。朝市の店舗規模は250店ほどで、連合組合加盟店150と非加盟店100からなる。年間150人が訪れる観光拠点でもある。 朝市エリアのほぼ中央に位置する大きな建物が「函館朝市ひろば」。かまぼこ形の渡島ドームは、2014年にリニューアルされた。海産物や土産物は、物産街に集まっている。また広い休憩スペースを併設するフードコートがありゆっくり買い物と飲食ができる。 「朝市ひろば」に隣接して、駅側・駐車場側に「どんぶり横丁市場」がある。このエリアも2005年にニューアルされた。食堂15店舗が軒を連ねる。その中で一番人気は、「活イカ踊り丼」とのこと。一人前を二人で分けて食べてみた。個人的には、活イカ刺身の方を好む・・。写真1 箱館ビール煉瓦建物と開港通り。写真2 朝市通りと海産物販売店舗。写真3 朝市ひろばの建物とフードコート。写真4 朝二市場とイカ釣り場といかめしをお土産に。写真5 どんぶり横丁市場と活イカ踊り丼。写真6 函館朝市の店舗マップ。
2023年08月18日
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開港の町として、発展をともに歩んできた函館の路面電車(ハコデン)。馬車鉄道から電車に替わったのは、大正2年(1913年)。今年で開業110周年を越えて、市民の足、観光の足として活躍している。レトロな雰囲気の町並みを、ごとんゴトンと毎日、勤勉に走っている。 現在の函館市電の営業距離は10.9km。この区間に、いろいろなデザインやラッピングを施した車両25種類が走っているという。乗って楽しみ、車窓から景色を楽しむのもよい。一番人気は、大正時代のレトロな車体を復元した「箱館ハイカラ號」。またバリヤフリー化を目的とした超低床形電車「らっくる号」も導入されている。 日本国内に現存する路面電車は、全国で17都市20事業者だという。路線延長は200km程度。函館の路面電車は、札幌より2kmほど長い。国内で最も長い路面電車は、高知「とさでん」の25.3kmか・・。宇都宮では、次世代型路面電車「LRT」が8月26日に開業(14.6km)するという。写真1 函館の市街地を縦断する路面電車。写真2 路線が交差する十字街に立つ操車塔。写真3 色々なラッピング車両。写真4 新旧の電車、「らっくる号」と「530号」。写真5 箱館ハイカラ號。写真6 日本最古のコン電柱と馬車鉄道碑。
2023年08月15日
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市電・函館どつく駅から南西へ魚見坂を600mほど上ると、高龍寺(こうりゅう)がある。函館漁港を見下ろす高台に、赤い塀に囲まれている曹洞宗の寺院。山号は国華山。寛永10年(1633年)の創建で、函館に現存する寺院の中では最も古い。和式建築の技術が山門や本堂などに残されている。 山門や開山など合わせて10件が国の登録有形文化財に指定。箱館戦争時には、旧幕府軍の箱館病院の分院として使用された。当時の医長・高松凌雲は、敵味方の区別なく治療にあたる。日本の赤十字活動の草分けとなる。しかし官軍兵の乱入で、負傷兵が殺害され放火される。境内に「傷心惨目の碑」が立っていた。 寺院を護るように、土塀・レンガ塀が巡らされている。東面と北面の壁は、赤レンガ塀の防火塀。度重なる大火の歴史を教訓に、壁厚60cmにもなる重厚な無レンガ壁が作られた。イギリス積みとフランス積みが混合したレンガの積み方が見られる。消防車が無い時代、坂の街は防火水の確保と強風に悩まされたことだろう・・。写真1 魚見坂の国華山高寺の山門。写真2 本堂前と本堂の彫刻。写真3 位牌堂と傷心惨目の碑他。写真4 開山堂と五百羅漢像。写真5 防火用の赤レンガ塀。写真6 本堂への回廊に、地獄絵図などが展示。
2023年08月11日
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市電通りに建つ緑色の洋館(相馬株式会社社屋)前から登る坂道を「基坂(もといざか)」と呼ぶ。坂の上には、幕末から箱館奉行所、開拓使の支庁、北海道庁支庁などが立ち並んだ歴史があった。明治維新後に、坂下に「里程元標」が立てられたことが坂道の由来。 延長約200mの坂が直結する元町公園は、昔の函館の中心にあたる。公園をぶらつくと、箱館発祥の痕跡が色濃く残っている。円の東側に三角形の切妻破風の美しい洋館がある。「旧北海道庁箱館支庁庁舎」の若草色の姿が佇む。現在、「ジョリジュリ公園店」にリノベーションされ、「ステーキピラフ」が人気メニューだという。 坂の途中には、ペリー公園や旧イギリス領事館、アイカラさん像が並ぶ。人道部はブロック舗装であるが、車道部はピンロコ石舗装になっている。自然の風合いを作り出すピンコロ石は、一般的に花崗岩が切り出す。アスファルト道路より割高の工事費になるが、景観と坂道の安全走行に適しているのだろう・・。写真1 ピンコロ石舗装の基坂を見上げる。写真2 基坂の上は、元町公園。写真3 元町公園のブロンズ像とレンガ造りの書庫。写真4 旧北海道庁支庁をイノベーションしたジョリジュリ店。写真5 坂道の途中にペリー広場や「はいからさん像」がある。写真6 坂下付近にはレトロな建物が佇む。
2023年08月06日
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函館山の麓に建つ「旧函館区公会堂」は、明治43年に建設され、函館を体表する洋風建築物(国の重要文化財)。大規模修理(2018年10月から2021年2月)を経て、明治時代の姿がよみがえった。青灰色と黄色のカラーリングに彩られ華麗な建物だ。天気が良ければ、バルコニーからの眺めが素晴らしい。 旧区公会堂は、明治40年の大火により町会所と商業会議所が焼失後に再建された。その際、当時の豪商・相馬鉄平氏の多額の寄付があって、コロニアル様式の美しい洋館になった。そのため演奏会や展示会に利用される。また歴代の天皇・皇后陛下や皇族が宿泊・休憩している。 300円で入館内し、見学や写真撮影が可能。ハイカラ衣装館が併設されおり、ロングドレスや髪飾りなど一式を着飾り写真に収まり、思い出づくりを楽しめる。1階の球戯室では、旧公会堂の歴史を紹介するパネルを掲示。昭和32年から昭和54年の間外壁は、ピンク色と白色に塗られていた。優美な姿を連想した・・。写真1 華麗な佇まいの函館旧区公会堂。2年前にリニューアルされた公会堂。写真3 バルコニーからの見晴しが良い。写真4 館内の食堂、御座所、廊下等。写真5 二階の大広間。写真6 球戯室における展示物。
2023年08月03日
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全国で「訪れたい坂」の上位に、ノミネートされる函館「八幡坂(はちまかざか)」。ベイエリアの西波止場から函館山へ向かって伸びる270mの坂道。石畳と並木、そして港景によって印象的な坂風景となる。函館19の坂のなかでも、一番景観が良いと言われ、多くの観光客が訪れる。オートバイクのライダーも立ち寄る・・。 八幡坂は、電車通りと交差している。レトロな電車が通過することもある。映画ドラマ、CMによく見かけるので有名。街路樹は四季を通じて坂道に彩りを添える。新緑の夏、紅葉の秋、イルミネーションの冬などフォトジェニックスなスポットだ。並木はケヤキであろか。なお、坂道の歩道にはロードヒーティングが施されている。 坂の名称は、坂の上に函館八幡宮が鎮座していたことよる。大火の被害を受けて、明治13年に谷地頭へ遷宮(せんぐう)した。本殿は、大正4年に造られた聖帝八棟造り荘厳な佇まい。函館の総鎮守府に相応しい。市電・谷地頭駅から南約1kmに立待岬がある。石川啄木のゆかりの地でもある。写真1 函館・八幡坂(はちまんざか)。写真2 若松ふ頭から八幡坂を望む。写真3 石畳と並木の坂道。写真4 八幡坂歩道とロシア関係の建物。写真5 港に真直ぐに伸びる坂道と夜景輝く石畳。写真6 谷地頭の函館八幡宮と立待岬。
2023年08月02日
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函館山の麓に、美しいビザンチン風の教会建物が建っている。八角形の鐘塔と白い漆喰の壁が特徴の「函館ハリストス正教会」だ。形の色合いが夜景や冬景色に映えるので、函館を代表する景色のひとつ。今年2月、2年余り続いた修復工事が完了して、一般公開をしている。10時から入館(200円)。 北海道の正教会は、安政6年に函館のロシア領事館に隣接した教会から始まる。函館ハリストス正教会は、日本正教会の最初の聖堂を持つ教会だった。明治40年の大火で焼失後、大正5年には再建された。聖堂は、国の重要文化財に指定。聖堂は、イコノスタスが飾られハリストス(キリスト)の復活を記念する場所。 ガンガン寺と呼ばれたハリストス正教会。大きな鐘1つと5つの小さな鐘が打ち鳴らされた際、日本の梵鐘(ぼんしょう)に聴き慣れている市民には、ガンガンと聞こえたのだろう。現在、日曜日の礼拝時、約5分から6分間鳴り響くという。「日本の音風景百選」に選ばれているという。人それぞれに音の好き嫌いがあるが・・。写真1 改修工事を終えたハリストス正教会。写真2 緑色から青色の屋根に変化・・。写真3 八角形の鐘塔。写真4 復活聖堂と東側の出入口。写真5 イコノスタスと鐘鳴らしとカラーマンホール。写真6 異国のような夜景と元町の坂と教会。
2023年07月31日
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異国情緒あふれる元町の大三坂(だいさんさか)。石畳みと街路樹(ナナカモマド)、複数の宗派の教会などで、エキゾチックな坂道と知られている。「日本の道100選」にもなっている。路面の石積みは、二十間坂とは異なり、不規則な形の石が敷き詰(乱張り)められ、アートとも言われている。 淡い水色の高い尖塔がシンボルなのが「カトリック元町教会」。ゴシック様式の建物で、大三坂を見下ろす位置に立つ。最初の教会は、安政6年(1859年)に創建されたとされる。幾度なく火災で焼失したが、現在の建築物は、大正12年に再建された。大聖堂内には、ローマ教皇から贈られた祭壇が輝いている。 大三坂からチャチャ登りの近くに、四面の白壁に十字架をあしらった「函館聖ヨハネ教会」が建っている。遠くからでも、白い船部のような尖塔が目立つ。上空から見下すと、屋根が十字架の形をしている。減殺の建物は、昭和54年に完成。近代的なデザインの教会。教会の入口付近に、アジサイが咲いていた。写真1 異国情緒漂う「大三坂」。写真2 淡青色尖塔がシンボルのカトリック元町教会。写真3 アジサイと教会内部。写真4 函館聖ヨハネ教会。写真5 アジサイと教会内部。写真6 坂道マップと元町浄水場から教会を望む。
2023年07月30日
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函館市の西部は、坂の町。くだり坂の方向は、すべて北東方向で、函館山を背にして函館湾に向いている。「はこだてガイドマップ」によれば、北の「魚見坂」から南の「青柳坂」まで19の坂道がある。函館山の麓の弥生町から青柳町の間に集中している。寺院や教会、その他建物が関連して、個性的な坂道を創り出している。 市電の「十字街駅」で下車して、坂の上にある元町配水場を目指す。「まちづくりセンター」のレトロな建物から「南部坂」を進み、途中から「二十間坂」をのぼる。二十間坂は、度重なる火災の延焼を防ぐために幅36mの防火帯を設けた。長方形の石を規則的に敷き詰めている。石の表面が黒っぽいが花崗岩のように見えた。 坂道の上方に、大きな瓦屋根を持つ寺院がある。教会が多いなか、お寺の瓦は目立つ。「真宗大谷派函館別院」または「東本願寺函館別院」で、創建が江戸期1641年とされる。明治40年の大火で焼失するも、大正4年に耐火性の寺院として再建された。 国内最初の鉄筋コンクリート造りで伝統様式を再現した寺院。函館市における不燃建築普及の契機となったという。本堂、正門、鐘楼が国の重要文化財。幅広い石畳みと大きな屋根の寺院が特徴の坂道。写真1 函館山の麓、元町を中心に19の坂がある。写真2 市電通りから「二十間坂」を望む。写真3 道路幅36mの石畳の二十間坂。写真4 二十間坂と真宗大谷派函館別院。写真5 別院の本堂と鐘楼。写真6 レトロな建造物(旧百貨店)から「南部坂」を上った。
2023年07月28日
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函館市末広町の波止場に、赤レンガ造りの倉庫群が並んでいる。レトロな赤レンガ倉庫7棟が、妻部を波止場に向けている。港沿い倉庫、運河、船着き場が一体となり、函館の観光拠点。人通りの少ない早朝に散歩する。 現在のレンガ倉庫は、明治40年の大火を教訓に、耐火性に優れたレンガ倉庫に再建(明治42年)したもの。物流がコンテナ輸送になると、波止場に建つレンガ倉庫の役割が低下してゆく。昭和60年代、倉庫の活用が検討されて、ショッピングモールを兼ねた複合施設に生まれ変わった。4つのカテゴリーに、各倉庫を区分している。 波止場沿に、赤レンガ建物と石畳道路を歩けば、小樽運河と同じように異国情緒が漂う。夕刻、街灯の灯が入ると、海運業が盛んな頃の面影を一層感じることができるだろう。北洋漁業や北方開発の先駆者・高田喜兵衛の資料館が「金森洋物館」倉庫の南側に佇んでいた。写真1 西波止場通りと函館山。写真2 七財橋と遊覧船発着場。写真3 「BAYはこだて」のレンガ倉庫外壁と運河。写真4 金森赤レンガ倉庫「金森洋物館」。写真5 石畳みの道路と少女ブロンズ像。写真6 金森赤レンガ倉庫群の案内図と高田屋喜兵衛資料館。
2023年07月27日
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函館駅から海側へ300mほど歩くと、若松ふ頭エリアとなる。青函連絡船記念館「摩周丸」が係留している。1988年まで23年間、青森と函館間を就航した船だ。この辺りは、35年前までは連絡船が発着する桟橋があったところ。現在、ふれあいイカ広場とクルーズターミナルの建物と駐車場に整備されている。 シンボルのイカモニュメントから旧市街的な元町と函館山を見渡すことができる。イカモニュメントは、3体の烏賊が群れている様子を表している。ともえ大橋との連絡ループ橋袂の広場に、「青・海・テティス」のブロンズ像がある。海の女神テティスが摩周丸、そして若松ふ頭のクルーズ船に手を振っているようだ。 摩周丸に平行して、海側に長い桟橋が伸びている。昨年完成した新設の埠頭で、大型クルーズ船が接岸できるようになった。接岸長さとして、250mの桟橋と110mのドルフィンからなる。6月中旬に、ダイヤモンド・プリンセス号(11.5万トン)が接岸した。市内へのアクセスが便利なので、クルーズ客船が入港すると街が賑わうだろう。写真1 若松ふ頭(大型クルーズ船用)と函館山。写真2 ふれあいイカ広場と青函連絡船記念館摩周丸。写真3 イカモニュメントと錨。完成したク函館ルーズターミナル。写真4 手を振る「青・海・テティス」ブロンズ像。写真5 釣ができる豊川ふ頭と対岸の函館ドック。写真6 大型クルーズが接岸可能な若松新ふ頭。
2023年07月25日
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函館駅前ホテル(JR INN)に宿泊する。食後の運動に、駅前広場を夜散歩する。駅舎などの灯りがあるので、防犯上安全なようだ。20時を過ぎると、やはり人通りが少なくなる。地方シティの寂しさが漂う。 函館駅舎の右側(北側)に「駅前の灯り」処がある。HAKOVIA(ハコビバ)という交流広場のようだ。人を惹き付けるように、高さ6.5mの大門と大提灯「誠」が設置されている。更に、樹高15mのヒムロスギがライトアップされていた。昭和のレトロ感がある「函館駅前横丁」も並んでいる。 宿泊部屋(11階)からは、駅のプラットホームが眼下に見えた。弧状の島式ホーム4条と線路、および列車を暫し眺める。ホテル12階に展望風呂がある。その出入口にラウンジがあり、函館山や港が見える。無料のコーヒーを飲みながら、湯あがりのほてり癒すことができる。街の灯りを眺めて、眠気を待つ。写真1 函館駅のあかり。写真2 オブジェ「OYAKO」と改札口。写真3 駅前の灯り、大門・提灯とシンボリツリー。写真4 交流広場「コハビバ」と駅前横丁。写真5 12階建のホテルJRインと12階ラウンジ。写真6 ホテルから見る弧状ホームと港夜景。
2023年07月24日
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北海道の初夏、函館で同窓会的な集まりがあった。飛行機を使用する案もあったが、新幹線はやぶさ号で行くことを選択。自宅から大宮駅へ東武線1本なので、メリットがある。羽田空港へは3回の乗り換えが必要。大宮から新函館北斗駅まで約3.5時間。仙台を過ぎ、ひと眠りして目を覚ますと、青函トンネルだった。 40年ぶりにJR函館駅に降りる。昔学生時代に、青函連絡船に乗るために函館駅に世話になる。しかし直に長い連絡さん橋に向かうため、駅舎をスルーする。昭和54年前後、函館で仕事をしていのたで、たびたび駅または朝市に出かけた。当時、駅周辺はゴミゴミしていた。今回訪れると、近代的な駅舎に生まれ変わっていた。(2003年に供用開始) 函館本線函館駅は、青函連絡の発着駅として長く利用されてきた。青函トンネルの開業(昭和63年)に伴い、旅客航路が廃止された。その後徐々に駅前の再開発が成されてきたが、北海道新幹線の開業で、急速に周辺整備が進み、ホテルも多く建つ。開放的になった駅前広場には、四季の花壇やモニュメントやアブジェが設置され、訪れる人を楽しませてくれる。 暫くは函館市内探訪を掲載します。写真1 現在の函館駅舎と昔の函館駅周辺。写真2 新幹線で函館へ。途中の新青森駅ホーム。写真3 新函館北斗駅の乗継開札口。写真4 0マイル地点記念碑と駅ホームの様子。写真5 駅前広場を彩る花壇。写真6 連絡通路の陶板壁。
2023年07月18日
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サッポロに宿泊すると、ジンギスカン(成吉思汗)が食べたくなる。知人に連絡して、札幌ビール園で、ビールを飲みながら羊肉を食する。ビールパークには、5つの食事建物があるが、これまで3カ所(トロンメルホール、ケッセルホール、ガーデンクリル)を制覇した。あと2箇所は、次回の楽しみとする。 ライトアップされた赤レンガの建物は、札幌市内の観光名所にもなっている。サッポロビール博物館とサッホロビール園開拓使館は、明治時代の貴重な建造物となっている。北海道遺産に認定されている。入口付近に大きな樽が積上げられている。「麦とホップを製すればビールという酒になる」との広告樽壁。 サッポロビール(株)の前身である「開拓使麦酒醸造所」の開業は、明治9年(1875年)。開業140年を記念して2016年、レンガ建物の外観をそのままにして、内部をリニュールして博物館としている。原則無料なので、食事前に立ち寄ってはいかがだろうか・・。ビールの違いが判るかも知れない。写真1 サッポロビール博物館の赤レンガ壁。写真2 エントラスの「樽文字」と煮沸釜モニュメント。写真3 赤レンガの歴史的建物とサクラ。写真4 ライトアップされ輝く博物館とビール園開拓使館。写真5 ビールの博物館の内部。写真6 ガーデングリルでビールとジンギスカンをゆったりと楽しむ。
2023年05月13日
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桜の咲き始めた頃、法事他の用事で札幌市内に宿泊した。近場の中島公園で桜散歩する。緑多い公園で、ひと際目立つ、白と水色の洋館・豊平館に自然と足が向く。桜が建物に花を添えていた。 豊平館(ほうへいかん)は、明治13年(1886年)に、西洋式ホテルとして開拓使が建造した。当時では珍しく、白壁が水色(マリンブルー)に縁どれた建物。戦後、札幌市民会館と改称され、結婚式場とし人気があった。昭和39年に国の重要文化財に指定。 2012年から4年間かけて、耐震改修など行われて、2016年にリニューアルオープンした。2階広間では結婚披露宴が行われる。これまで22,000組のカップルが利用。コロナで機会の減った結婚披露宴が盛んなることを期待したい・・。写真1 中島公園の北側の池畔に佇む豊平館。写真2 桜と水色(空色)。写真3 爽やかで女性的な洋館。写真4 正面玄関とバルコニーと装飾柱。写真5 エゾヤマザクラは、見頃始め。写真6 豊平館内部の様子。
2023年05月09日
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羽田空港から新千歳空港へ向かう際、ANAを利用した。たまたま、特別デザイン機の「鬼滅の刃」に乗り合わせた。機内で出されるソフトドリンク用の紙コップにも、鬼滅の刃機が描かれていた。試しに、コップを捨てずに持ち帰り家族に見せたが・・。 乗り合わせたのは、「鬼滅の刃 じぇっと-参」で、2022年10月から就航している機材。3号機には、炭治郎、煉獄、天元らが細やかに描かれている。遠くからだと見づらいかもしれない。2022年1月に1号機、2022年3月に2号機が就航している。「想いをつなげ、絆のツバサ」でキャンペーンを実施中。グッズも販売されている。 新千歳空港に着陸する際、窓から支笏港の方角に、風不死岳(ふっぷしだけ)が見えた。難読の山岳名前で、鬼が棲んでいるような印象を与える。アイヌ語の「トドマツがあるところ」に由来するというか・・。写真1 羽田空港搭乗待合室から搭乗機を見る。写真2 機体に描かれた宇髄天元のイラスト。写真3 展望デッキから飛行機の離発着をみる。写真4 新千歳空港到着時に見た“風不死岳”。写真5 鬼滅の刃機のデザインとグッズ。写真6 鬼滅の刃機デザインと販売されているグッズ。
2023年05月05日
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史跡・二本松城跡(しろあと)の天守台および東櫓台に立ち、眼下の市内と安達奈良山(あだたら)を望む。平成18年日本の100名城に選定されている。訪れた日、多くの桜散っていた。遠くの山並みも霞んでいた。 二本松城は、中世から近世にかけ同じ場所に存在した城として知られる。築城は畠山氏される(1414年)。伊達政宗により畠山氏が滅亡するが、豊臣秀吉の命により会津上杉藩に組み入れられる。蒲生氏や加藤氏を経て、丹羽秀重が10万石で入封(1643年)。明治維新までの約230年間、丹羽家が統治した。 昭和の後半になり、箕輪門・二階櫓が再建された(昭和57年)。平成になると、朽ちかけていた本丸石垣や天守台を修復整備(平成7年)された。要害を誇った梯郭式・馬蹄形平山城を連想できる。本丸の下に築かれている「大石垣」は、東北地方で最古の野面積み。大地震でも崩れなかった。 バス駐車場(トイレ)の近くに巨岩の「戒石銘碑」がある。5代藩主丹羽高寛が藩政改革と綱紀粛正の指針として、一夜で刻ませたと伝わる。4句16文字の銘文とされる。写真1 天守台から本丸跡広場と市内を眺める。写真2 本丸下野面積みの大石垣。写真3 東櫓大と本丸虎口。写真4 天守台と東櫓台先端から公園と市街地を望む。写真5 三の丸の石垣。写真6 巨岩に刻んだ「戒石銘碑」。
2023年05月02日
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磐梯山南麓に広がるスノー・リゾートアルツ磐梯に隣接する温泉に宿泊する。大浴場「朱嶺の湯」に朝晩2回浸かり、花見の疲れを癒す。スキー場とゴルフ場の間にある星野リゾート・磐梯山温泉ホテル。ホテルからは、北に磐梯山、南にゴルフ場越の猪苗代湖を望むことができる。朝食前に、周辺を散歩する。 民謡の「会津バンダイサン」で知られる会津地方。「エンヤー」で始まる唄と踊りは、日本三大民踊とされる。朝寝朝酒朝湯の好きな小原庄助さんが身上を潰した話がある。館内いたる所に、会津地方の郷土民芸玩具「赤べこ」がいる。頭を撫でると福を呼ぶという。花見時期に合わせて、赤ベコ・ツリーを設置されていた。写真1 磐梯山温泉ホテルと磐梯山。写真2 ホテルからゴルフ場越の猪苗代湖を望む。写真3 ホテル前から会津地方南の山並みを望む。写真4 アルツ磐梯寄りのレストラン「キッセ・キッセ」と赤べこ。写真5 ロビーの踊り舞台と酒バー。写真6 室内と朝食とレストラン赤べこ。
2023年04月25日
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猪苗代湖の北を通る磐越自動車道の磐越河東ICを過ぎると、会津盆地が広がる。と同時に標高1816mの百名山・磐梯山の秀峰が良く見える。会津盆地は、複数の河川が流れ込んで形成された複合扇状地。そして流れを集めた阿賀野川は、新潟市を経て日本海に注ぐ。昔から治水事業が行われ、東北有数の穀倉地帯。 会津の地を見守る巨大な白亜の観音像が立っている。国道49号沿いに整備された「祈りの里会津村」に建立された高さ57m「会津慈母観音」だ。赤ちゃんを抱いている容姿は、若々しく優しい表情の立像。観音像内部には1万の小仏像が安置され、胎内巡りができるという。 会津盆地から眺める磐梯山は、三角の頂きが見えることから会津富士と呼ばれる。活火山に指定されている。明治21年(1888年)には大規模の水蒸気爆発で、山体崩壊が起きた。その際、500名弱の犠牲者を出す。磐梯山の麓は、南が表磐梯、北が裏磐梯と呼ばれる。表磐梯の高原ホテルに宿泊した。写真1 磐越道・磐梯高原IC付近から磐梯山を観る。写真2 会津若松市内から磐梯山と高さ57mkの会津慈母観音像。写真3 会津盆地から見る「会津富士」。写真4 スキー場とゴルフ場と磐梯山。写真5 アルツ磐梯と磐梯山。写真6 ビュッフェ形式の夕食を楽しむ。
2023年04月22日
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北海道大学キャンパス内の南北に伸びるメインストリートを歩く。ジョキングする人、自転車を乗り人など様々だ。注意して歩くと、歩道に埋め込まれた銘板を見つけることができる。東京2020オリンピック大会におけるマラソンコースを記念するもの。30cm四角形のブロンズ製。 エルムトンネルからクラーク像までの直線区間は1100mほど。緑豊かなコースが選ばれたのは、暑さ対策が主な理由。2021年8月7日と8日に男女の選手が駆け抜けた。周回コースなのでキャンパス内を3回走った。従って、銘板も20km、30km、40km地点と3カ所ある。 銘板設置場所は、3カ所とも工学部付近に設置された。イチョウ並木の起点付近。新型コロナ感染・緊急事態宣言下で実施されたマラソン競技。男子では、外国勢が上位を占める。日本勢では、大迫卓選手が2時間10分で6位。女子では一山麻緒選手が2時間30分で8位。暑い中ご苦労様でした。写真-1 北大キャンパスを南北に縦断するメインストリート。写真-2 新緑を迎えたポプラ並木。写真-3 東京2020オリンピック大会マラソンコース銘板。写真-4 北大総合博物館前のクロフネツツジ。写真-5 国登録有形文化財の白い建物。写真-6 サクシュコトニ川とクラーク像。
2022年06月13日
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北海道大学正門近くのホテルに宿泊し、翌朝北大キャンパス内を散歩した。キャンパス内の陸上競技場近くに平成ポプラ並木がある。2000年に植樹されたもので、東西方向300m×70本の並木道となっている。旧ポプラ並木は、台風の被害のため立ち入りを禁止されている。[撮り溜めた写真から] 平成ポプラ並木の南側には第1農場が広がり、羊や牛が飼われている。直交する旧ポプラ並木が遠くに見える。旧ポプラのクローンが、大きく育った平成ポプラ並木。並木の向こうに、大倉ジャンプ台のある三角山、更に奥に残雪の山々がのぞいていた。平成ポプラ並木の位置は、北13条西12条辺りと思われる。 ポプラ並木道を往復した後、札幌農学校第2農場をのぞく。開門時刻前だったので、敷地の外から眺める。第2農場は、一軒の畜産農家を模して模範農場として造られた(明治10年)。当時のアメリカ中西部の開拓地に広まって軽木骨組造りの建物(国指定重要文化財)が並んでいた。写真-1 第1農場とポプラ並木。写真-2 平成ポプラ並木。写真-3 約300mの並木道を往復する。写真-4 第1農場と旧ポプラ並木。高さ100mの新築駅前のマンションが右手に見える。写真-5 札幌農学校第2農場の軽木骨組造りの建物。写真-6 コロナ対策で建物内の見学は中止。
2022年06月02日
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