旅客機がなかった時代、広大な石狩平野を開拓する一大拠点として小樽が脚光を浴びた時期があった。その象徴が防波堤であり、運河・倉庫である。当時の運河規模は、長1,320m、幅40m、水深2.4mである。現在の規模は、長1,140m、幅20~40mとほぼ原形並みであり、長きに渡る市民による 運河保存運 動 の 成果なのだ。
日本には270箇所にのぼる運河があったとされるが、現存するものは全国で80箇所余り。そのうち実際に舟運に活用されているのは、名古屋の中川の1箇所のみ。小樽運河は、北海道最後の運河であり 、「北の運河 」と呼びたい。ちなみに東京都内には半分近くの37箇所の運河がある。
小樽運河は、陸上部を開削していない。沖合を埋め立てることにより、運河水路と倉庫となる平地を同時につくる「 埋立て方式 」である。このため、9年の歳月をかかり、大正12年(1923年)に完成した。倉庫は、商業流通と富のシンボルでもある。いっとき「 北のウォール街 」と呼ばれ、銀行その他の公的建物は、西洋様式を取り入れ、石造りの重厚なものが多い。石は遠く本州から船で運ばれ小樽港に陸揚げされた。
運河に架かる北浜橋から北側の運河は、幅40mあり、現在小型船舶の宿泊場所となっている。そのすぐ脇には 運河広場 と旧日本郵船の建物がある。その運河公園の一角に野口雨情の「 赤い靴 親子の像 」がある。母親が晩年小樽に住んだことから建てられたそうだ。「赤い靴」関連の碑は、横浜が有名だが全国に7箇所あると言う。名作は時空を超え、各地に伝説をつくる。
写真-1 小樽運河と倉庫群。浅草橋より中央橋方向を望む
写真-2 旧日本郵船小樽支店と運河公園
写真-3 運河公園にある「赤い靴 親子の像」
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