清多夢くらぶ

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2023年02月10日
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カテゴリ: 江戸・東京
​​​​​​ 江戸時代、外桜田付近で曹洞宗本山として栄えた 萬松山泉岳寺 。寛永18年の大火によって泉岳寺の伽藍が焼失して、現在の高輪の地に移転した。幕府から再建を命じられたのは、浅野家を含む五大名。その縁で浅野家は、菩提寺を泉岳寺にしていた。​

 泉岳寺は、国指定史跡の「 赤穂四十七義士墓所 」があることで有名。赤穂浪士団は、主君の仇を討つために、元禄15年12月17(1703年1月30日)未明、江戸本所の吉良屋敷に討ち入り本懐を遂げた。歌舞伎、映画、テレビドラマなどで多くとり上げられている。​

 討ち入りは、真っ暗な4時に始まり2時間近くの死闘を繰り広げたという。6時には吉良邸から引き揚げて、泉岳寺へ向かう。途中、上杉家の追撃を受けずに、 永代橋 を渡り、築地を通り高輪大木戸を抜けたという。約12kmの道程を2時間で歩く。途中の永代橋では甘酒が振る舞われたとか・・。
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写真1 萬松山泉岳寺の山門。


写真2 本堂と松。


写真3 赤穂義士墓所。


写真4 義士墓の配置状況。


写真5 大石内蔵助の銅像と墓。


写真6 忠臣蔵引取図(歌川国芳)。





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Last updated  2023年02月10日 06時00分08秒
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