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http://www.ustream.tv/recorded/228820982012.5.27.国会事故調第15回。参考人:枝野前官房長官。原発報告でTVにくぎ付けにされた記憶が薄らぎ、計画停電という新語を耳にし、隣人を気にしながら節電し、なぁーんのことはない、あの時のことを今は忘れて以前の生活に戻った。お祭り騒ぎ、のど元過ぎれば、である。しかし、電気のありがたさ、停電するととんでもないこと。原発廃止となると電気が不足する、値上げすると一方的に言われる。わずかな値上げだからと国民はおとなしく従う。何の反省もなしに、改善もなしに、元のさやに納まる。あのころ、官房長官だった前野氏はTVでどんな発言をしていたのだろうか。弁護士らしく後ろ指を指されないように慎重に発言しているだろう。爆発ではありません。大阪もトーンダウンしてきたように思える。いつの世も弱いものだけにしわ寄せ苦しみ、何の抵抗もせずに次の世代へと引き継がれる日本史。もうこんな世の中を考え直さないと。仲間が昨日東北から2泊3日で帰ってきた。どこもみな同じ悩み問題を抱えているようだ。強い政治家のいる地区は復興も早い。小さな声の気弱な政治家はいくら頭が良くても地域の復興が後手後手さきが見えないらしい。「国会事故調」は日本人として見るべき。今度の選挙にも大きな変化をもたらすのだから。よくもまぁーいけしゃぁしゃぁとのたまうもの。どこかの国のように神に宣誓しての証言だったり参考人発言でありたいものです。見る気になれば原発も津波被害も見られるのだから。これらは英語でも発信しているのだから、つまり日本人以外の人たちも見ているということ。ビールを飲みながらTV野球観戦をしている時ではないと思うのだが。※ 東北被災地への訪問演奏のボランティアを募っています。
2012年05月31日
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これは全てではないが万分の一の見方である。慰問演芸会という言葉がる。慰問するにはそれなりの礼儀があると思うが高齢者施設などでよく見かけることだが慰問する礼儀としてその技量が問われる。自分らの発表の場を求めて慰問するうちに自分らの演芸が認められたと錯覚し、そのうちいつの間にか先生と言われ自らの生きがい場となるケースが大半以上であると自分の小さな生活圏内で感じている。被災地でも同じようなことがいえると感じた。自分たちの演芸が被災地で受け入れてもらえるものか。きょうは午前中は僕らの小さな音楽会。午後からは落語。スケジュールが目白押しである。被災者にこのことを聞くと、仮設住宅は薄い壁一枚が隣。仮設住宅によっては、地域被災者だけの仮設住宅は皆気心の知れた者同士だが、複数の被災地の集合となるとそうはいかない。それが一年を過ぎるのだから精神的に頂点を迎えているのだろう。お上は被災者に住むところを提供したのだから文句は言わせないというスタンスだろうが、人間の心というものはもっと複雑なはず。仮住まいで耳が遠くてもTVを大きくはできない。ヒソヒソ話になる。これが一年続くのであるから想像すらできない苦悩である。「久しぶりに大きな声で歌えた」「大声出して歌うことを思い出した」良かったですねぇ、とは言えない。じつに人としての人権をはく奪した生活環境には悲しみとやり場のない怒りを覚えた。車で8時間。650キロ。ガソリン代も高速料金も宿泊費も考えるとそうそう行けない。自分の生活行動の中、いつのまにか行くことも彼ら被災者のことも過去のことになる。大変な罪である。幸か不幸か?僕には被災地とつながりができてしまった。耳に入らなければ良かったのか悪かったのか。幸か不幸かである。気仙沼市の唐桑出身のハンセン病者がいた。一橋大学に学んだ秀才。第一の門をくぐり、長崎愛生園に入所。退所後故郷に帰り福祉事業と政治活動をする。ライ者が表だって行動本人の意思とそれを認める土地柄に強く興味をひかれる。珍しいケースである。自分の音楽テーマでもあることから、今一度足げに通いたいと思っている。これ以上仕事を増やせないし距離的に遠いこともあり「幸か不幸か」である。傲慢自負だが僕でないとできないことだと思っている。音楽的には構想ができた。あの静かな穏やかな入り江の波の音。入り江をやさしく積み込むような木々たち。鳥は魚を追い魚は鳥から逃げ泳ぐ。漁港の穏やかさ、生と死を背中にしょっての生活環境はまさに日本人の原点を見るようだ。リズムと高音と低音の微妙に交差する音楽構想が頭に浮かんでいる。右目の術後、気力を無くした心に灯がともりだしつつある。これもすべて摂理。Ps.昨日のワンコインコンサート、久しぶりのピアノソロ。ひさいちのしゃしんを5・60枚掲示。バスをチャーターしてみんなで行きましょう、なんて心が動き出しています。実現するといいのですが。
2012年05月30日
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ブロ友からまわします。みなさんも貼り付けてください。http://www.youtube.com/watch?v=ZYxDmtAgT-w&feature=share放射能には色も匂いもなく風に乗って無差別に平等に飛んでくる。雨と一緒に天からも降ってくる。金がなければ下々から吸い上げればいいだけ。電気料金もなんだかんだと議論され筋書き通りに値上げの手続きをしてハッピーエンド。下々はバカだから、ノータリン(脳がたりなーい)だから何も言わないし、せいぜい、居酒屋で酒の勢いで偉そうに気勢を上げて終わり、の繰り返しが日本人。日本の国は右を見ても左を見ても、転んで下からのぞいても学士様ばかり。大学さぁ~出てもコンジョナシを育てるのが大学かのォー。震災でパニクッてるさなか、先頭きって動いたのは学校さぁろくに行かなかった俺たちさ。大学さでて高給取りのおエライさんらはなにもせん。家を失った被災者を受け入れるのはオレら学のないものさ。震災後やっとひと息ついたころにムクムク起きだし騒ぎ出すのは学士さまよ。3・11の模様をたくさん聞いた。家を失った被災者をどう受け入れたか、どう受け入れ拒否をしたか。田舎の人情を神格化できない現実を聞いた。TVの影響か田舎も都会も大差ない。一年が過ぎ震災前の人間関係は取り戻せるのだろうか。仮設住宅で肩を寄せ合い居住期間が一年延期され喜んでいいのやら。子たちは被災地を離れ年寄りだけが被災地の仮設住宅に残された現実。仮設住宅といっても様々。隣とは薄い壁一枚。声も筒抜け。いつまでこの窮屈な生活に耐えられるのだろうか。TVでは復興ふっこうと気勢を上げる姿が頼もしい。もうこれで被災地も平和を取り戻せるだろう、日赤に大枚を寄付して全てがハッピーエンド。万が一にも首都圏で大震災が起こっても今度は地方の善意が助けてくれるだろう。なんて甘く考える平和ボケの国民性、ニッポン・バンザイを一斉にあげる国民性。いまはとにかくサッカー、バレー、陸上とイギリス・オリンピックに目が離せませーん。はたしてこんなニッポンでいいのだろうか???ブログという武器を使いましょうよ日本の小さな子供たちの世代のために。
2012年05月28日
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被災地から帰ってきました。十人十色の話を聞きました。ここに書ける話はそうありません。まずは誰もが自分の目で見ることです。自分の耳で聞くことです。自分の心で感じることです。「日赤」に寄付するのではなく、交通費宿泊費を払い、たくさん買い物をしお金を被災地に落とすことです。ボランティアが激減してます。それぞれの年齢にあったボランティアが待ってます。被災地は一年が過ぎてもまだまだです。行政の動きはドン牛のごとし。とにかくひどいの一語!~~~~~以上が被災地の感想~~~~~ホテルでの光景(ここに書くのが全てではないが万分の一の感想)。よく知られる会社名が印刷された作業服を着た一団が見たくなくても目に入る派手な集団。TVコマーシャルよりもインパクトのある、宣伝効果である。そのむかし海外旅行の団体客のごとく、我ここにあり的自己顕示を目にする。皆がそうではないが・・・「右手のなすこと左手に知らすな」でありたいものです。Ps.被災地を何か所か訪問した。背広姿で田植えをするようなスタンスで。人様の家に土足で入るようなもの。ボランターは善意の深い思いから自己表現をする傾向になるようだ。これはボランティア精神と実践が熟していないから当然かもしれないが、やはり常に控え目にやらせてもらってありがとうの精神を抱かなければやってやる!の押し売りになる傾向を生む。押し付けになる。あるところのバランターは上から目線。本人はそんなつもりはないのだろうが、ちょうど高齢者ホームでの会話に似ている。おじいちゃん何々しようね~、と赤ちゃん用語の赤ちゃん扱い。先人への尊敬と思いやりと感謝のない接し方に似ている。被災者にも人権とキャリアがある。たまたま不幸のどん底に置かれているだけで、上から目線で命令口調でやられる筋合いではない、と皆さんそう思っていることだろう。しかし、ボランティアの活動はお上の遅い行動は別として素晴らしい成果を上げたことは間違いないようだ。気仙沼ひとつを見ても、町から瓦礫は撤去されてはいるが家の土台だけが残る町並木。すべたが町の復興は遠い先の話のようだ。気仙沼から南に移動中、道を間違えたのか大変な場所に入り込む。野良犬?は痩せている。ある食べ物を車の窓から投げあげる。ハイオクの家々、放射線測定器を跳ね上がる。急ぎ恐怖の中、焦りが重なり行けないところに進んでいく。やっとナビを頼りに安全地帯にもどるが、家々は暗いというのに電気ひとつ灯っていない。恐怖は頂点?に達する。とにかく自分の目で見ることです。自分の目で確かめてから語りましょう。背広を着て田植えはできないのだから。
2012年05月28日
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あと2時間くらいして東北は気仙沼に向かいます。車で8時間らしく術後の目をかばいながらなのでノンビリゆっくり行きます。皆さんのお布施で発電機、掃除機、扇風機、テントからこまごまと車満載。気仙沼から築館、南相馬、いわきと過密スケジュールの演奏訪問が続きます。津波地区と原発地区では考えも違うだろうし、自分の目で見てきましょうか。それにしても、見たくない光景、被災地は正直気が重いものですね。見て見ぬ振りもできないのでしっかり見てきます。お線香もしっかりたくさん持ちました。教会が4か所あるようなので聖体訪問しミサ願いもお願いしてきます。
2012年05月23日
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来週の気仙沼市からいわき市まで4か所の訪問演奏の準備、29日は月に一度のワンコインコンサートの準備、それに家の大掃除。掃除していて兄弟子の作品を見ることとなった。今日の掃除はけっきょくやらずに終わりそう。15年前の作品だからちょうど今の僕の年齢だろうか。気力がない心に火が付いた。じつに素晴らしい。あの兄弟子が恩師の跡を継いで着実に自分の作風を作り上げているのが感じられた。一級の詩に負けないそれ以上に詩を生かした音楽が流れていた。詩の理解力、詩からくみとる感性には脱帽である。恩師がこの兄弟子をいつも意識していたのが今になって分かるような気がする。彼は若いころ、教員と作曲の二足のわらじを履いていた。作曲をやるのなら教師をやめなければ、と恩師に言われ翌日教師を辞し作曲生活に入った。ただただ作曲の生活を送った。その兄弟子も80を過ぎ今も書いている。片目が不自由くらいでなにするものぞ。少し書くことに心が動き出しつつある。それにしても見事な作品である。来年は恩師が帰天して20年。今年秋には先生のお弟子の作品も交えて演奏会を開きたいものである。
2012年05月20日
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草津カトリック教会のリードオルガンのペダルのばねが折れ、バネをやっと入手した。もう在庫はないらしい。リードオルガンは生産中止のようだしこれからどうなるのだろうか。つまりは電気オルガンに統一されるのだろう。オルガン修理のできるピアノ調律師は少なくなるしでこの先、修理ができなくなる可能性が見えてきた。草津のオルガンはまずは僕が修理するがあぶない話です。いくつかの施設にリードオルガンがあると聞いているので時間を見てもらいに行こうと思っている。いまのリード自体が粗悪で音がよくないので古いオルガンのリードだけでも集めておく必要があるでしょう。どこにいっても電子オルガンの音が響きわたる。エレキギターと寸分の違いもない音楽が教会に響き渡る。東北被災地訪問が迫ってきた。持参するもの、送るものとに分けているところ。
2012年05月19日
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朝起きて朝の祈りと腕時計のネジ巻きをしてコーヒーを入れて鳥たちにエサをあげるのが一日の始まり。退院してから気が枯れて気が付くと一日が終わる、を繰り返している。本当にまずい方向に向かっているのを感じだしてます。ラッシュ電車に乗り仕事に向かう人の気持ちがわかるような気がしてます。気を取り戻さないと。東北大震災は一年が過ぎ被災地は元に戻った、良かった、の感がノン被災地ではあると思う。やれるだけの募金もしたし、その領収書も保管しているし。はたしてそうなのだろうか。埼玉は被災者の避難場所の旧学校校舎では冷めた弁当生活が強いられていると聞く。一年が過ぎていまだにこんな生活をさせる国民があるのを世界はどう思うだろうか。臭いものにはフタである。報道は復興の希望に向かっての画像を流し続け、暗い画像は却下されるようだ。これが民主国家なのだろうか。放射能はどうなったのだろうか。長いものにはまかれろ。なるようになるケセラセラ、と笑い飛ばす国民のなんと不幸なことか。孫たちのアメリカからの里帰りを迎え大掃除を少しづつやっている。何年も忘れた楽譜が出てくる。掃除を一時中止し不自由な目で楽譜を読む。オペラ・聖ザビエルの断片が出てきた。ちょうどザビエル記念館が焼失したころの作品だがもう完全な楽譜はない。自ら消去したから。20年前の作品になる。あのころ、ザビエル記念館の復興とザビエルへの関心とでたくさんの作品が生まれた。報道もされた。あのころのアクションと今回の東北大震災とが重なり合う。本当のアクションがどれほどあるのだろうか。悪いこととは言わないがみんな良かれとのアクションなんだろうが、倒れた木で仏像を作りバイオリンを作り、頑張ろう被災地とがなり立てる音楽をぶら下げる恥ずかし気もなく放映され、ズック靴で作業をするボランティアは大丈夫なのだろうか?破傷風の危険はなにのだろうか?やることなすことただただ大海原に浮かぶ手漕ぎボートの日本国。哀れな姿のような気がする。
2012年05月18日
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パソコンが故障し修理に出してやっと手元に戻ってきました。日頃バックアップを取っていなかったので超心配してましたが無事資料が残っていました。大変な数の楽譜が入っているので、もし消えていたらと胃の痛い思いが続きまた。外付けでBuが取れるようにしてくれたのでまずは今後は心配ないかと。修理費3万5千円なり。楽天ブログに復帰します。
2012年05月12日
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自民党 日本国憲法改正草案 http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf
2012年05月02日
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東北の被災地ははるか広域であること。その地域でも必要品は千差万別がそうできる。先週の日曜日にはリサイクルのテントを12張と長靴50足を手配した。ボランティア参加者もテント持参とはいえきゃしゃな低価テントでは使い物にならない。厚底の長靴でないと万が一にでも釘でも刺さる物なら破傷風も心配になる。同じ1万円のテントでもリサイクルショップの1万円だと古いけどしっかりしている。さすがに長靴は新品だけど。卓上コンロとガスボンベは他のグループが提供してくれた。ポータブルの発電機が必要だと言う地域があり、格安のを探している最中。安いのはメイドイン・アジアでどうも心配。日本製だととんでもない金額になるので、メイドイン・ヒナを信用するしか手はないだろう。ためしに1台購入。まだ試運転はしていないのだが。気仙沼に今月末に訪問演奏をすることになったが、幼児対象の会場とイヴェント会場の二か所。車で8時間はかかる距離なので、演奏会の回数を重ねたいとも考えている。が、一番肝心なのは演奏家。それにフォークソングのギター奏者が欲しいのだが、どなたかコードの弾ける人はいない者かな・・・。僕のまわりには全くいないし、いざとなると気持ちよく参加してくれる人はいないものですね。防災グッズを調べていると、これが関東で大地震が起きたら大変なことになると想像するだけで身震いする。隣近所との付き合いもどんな家族かも知らず、かりに近隣が崩壊したら近隣所帯はどう対処するのだろうか。お気の毒と見て見ぬ振りをするしかないのだろうね。人身事故があってもお互い相互互助の精神は生まれないだろうね。川の橋が欠落しただけでも救急車も救援者もなにも通らなくなるから、数日間の生活必需品を各自備えておかなければ。お隣が備えていなければどうなのだろうか、見て見ぬ振りしかないのだろうね。学校も公民館もお役人のやることは全然信用も信頼もできないから、こういうときこそ、宗教関係、お寺さんとかキリスト教会とかの出番だと思うけど、これまたお金儲けでそんな心のケアーはしてくれるとは思えないし、望む方がおかしいかもしれない。でも、さすがに、僕にこうもこっぴどく言われて重い尻をあげようか?と思案中のお寺さんもいるのは救いです。我が家は津波とは無縁だが、火事と家の崩壊による被害。防災訓練も年に一度の自治会主催であるが近所の手舞程度の参加だから何の役にも立たないだろう。おかげさまで、僕はアウトドアは得意なので生き延びる自信はあります。が、一番大事なのは音楽資料。これだけはどうしたらよいものか思案中です。放射線はいまだに同じく高いレヴェルです。どうなるのかなぁー、狭いニッポンどこへ行く。
2012年05月01日
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