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日本基督教団名古屋教会 レント第1聖日礼拝 (愛知西地区交換講壇)旧約 エレミヤ書31:32~34新約 マルコによる福音書1:12~15 12節。「それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。」 主イエスさまがガリラヤで伝道を開始する前に荒れ野でサタンの誘惑に遭われたことは共観福音書の全てに書いてあります。私はこれをいわば、神学校の卒業試験、あるいは教師検定試験と理解しています。どのような福音を携えて伝道に出るかが問われているのです。ただし、マルコはあっさりと書いていて、誘惑の内容までは書いてありません。そこでマタイによる福音書で誘惑の内容を見ると、第1が食欲の問題、これは切実です。第2は安全保障の問題、安全の確保をどうするか。第3は力と富の問題。どのようにして力を持つかです。これらと「神の子」であることとの関わりが試されているといえましょう。 第1の食欲の問題、食べることは人間にとって欠かすことができないことですが、石をパンに変えることができれば食糧問題は一気に解決です。同様に紙切れを1万円札に変えれば貧困問題は一気に解決!でしょうか。偽札作りは犯罪ですが、それは経済の仕組みを壊すものだからです。石をパンに変えることが簡単に容認されれば、一見良さそうですが環境に影響を与えずにはおかないでしょうし、労働の意味を無にするでしょう。主の答えは、「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」という申命記8:3の引用でした。第2の安全保障の問題、福音の伝道者が弾圧を受けることは主イエスの時から21世紀の今に至るまでいつも起こることです。伝道者だって死にたくはありません。本格的な伝道に出る前に、いざというときに本当に神さまが助けてくれるかどうか試しておくことが必要だ。サタンは詩編91篇を引用しながらそう申します。しかし、神さまは信頼すべきお方で試すべきお方ではありません。主の答えは「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と申命記6:16をもって切り返しました。さらに言うならば、「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ10:28)ということもあります。第3の力と富。「俺を拝むならこの世の栄えと富をおまえにやる」この世をうまく泳いで権力と財産を掴み取っていく業はサタンに仕えるものです。儲かるかどうか、出世するかどうかではなく、「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」が主の回答でした。 3つの誘惑に対する主の答えはすべてが聖書の言葉による答えです。私たちは誘惑への対処の仕方をここから二つ学びましょう。・聖書に聴くこと。全ての問題の答えは聖書の中に啓示されています。・サタンは聖書の言葉をもって誘惑することができます。1箇所だけではなく聖書全体から答えを求めること。さもないとサタンの術中に落ちます。 以上は本日のマルコではなく、マタイの記事に基づくことです。ところで、主がサタンの誘惑に遭われたことを記す言葉が、3者3様です。マタイ=霊に導かれて(原語=導き上られて)、ルカ=霊によって引き回され(原文=導かれて)、マルコ=霊は…送り出した(他の訳では「追いやった」)。マタイやルカは「導く」や「導き上る」という動詞を使いますが、マルコは「追いやった」です。この言葉はイエスさまが悪霊を「追い出した」というときに使われている言葉です。 「獅子は千尋の谷にわが子を落とす」と言いますが、イエスさまはヨハネのもとから神の霊に追い出されて荒れ野に行き、サタンの誘惑の中へと突き落とされたのです。 妻は小林和夫という先生が洗礼を授けてくださったのですが、小林先生は「クリスチャンになったからといっていいことばかりはありませんよ」とおっしゃいました。信仰者なるが故の苦悩があるだろうと思います。信仰さえなければ「神さまに申し訳ない」なんて思わなくて済むこともあるのです。しかし、そのような中でいつも神に栄光を帰すのが私たちの生き方です。 13節。「イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」 四十日間という数字は、ノアの洪水の四十日に対応するものでしょう。あるいはヨナの宣教によるニネベの人々の悔い改めの期間にも該当します。その間さまざまな危険(野獣)に晒されていたのですが、マルコによるならば、試すまでもなく天使が主に仕え、守られていたのです。主は信頼すべき方です。 14節「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、」 ヨハネの役割。他の福音書では並行して伝道しているようにも見えますが、マルコは主の先駆けとしてのヨハネの役割を鮮明にして、前座ヨハネの時は終わって真打ちイエスさまの登場としています。 主の最初の活動の舞台はガリラヤでした。「ガリラヤ」には「辺境」という意味があるそうです。エルサレムとは経済格差もあり、貧しい人が多く病いに苦しむ人も多いところでした。そのようなところで主の宣教はスタートしました。 15節「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。 「悔い改めなさい」と言われます。悔い改めるというのは単に後悔するだけではありません。悔やんだ上で向きを変えることを意味します。「わたしたちは…道を誤り、それぞれの方角に向かって」いたのですが、そこから目指すところを変えるのです。 「時は満ち、神の国は近づいた」と目指すところがはっきり示されています。目標に向かって走っていく時、どこを見るかが大切です。文字通り「目標」から目をそらしたら違う方向へ行ってしまいます。自転車を想像して下さい。自転車をこいで走る時、私たちは正しいこぎ方をするために足下を見てこぎますか?足下を見てこいでいたら、まっすぐに走ることができません。足下はグルグルと一生懸命こいでいますが、私たちの目はしっかりと目指すところから目を離さずにいる時に、私たちは進路を正しく取ることができます。 マタイは「神の国」のことを「天の国」と言いますが、3:2でヨハネが「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣教し、4:17ではイエスさまが「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣教します。ヨハネは主イエスの言葉を先取りして人々に悔い改めを迫ったということになりましょう。マルコではヨハネの言葉は記しておりませんが、仮にヨハネとイエスさまが同じように「悔い改めて福音を信じなさい」語ったとしても、その意味合いには大きな違いがあります。 イエスさまのお言葉には、福音であるために、つまり私たちの罪が赦されるために十字架上で犠牲となって死んだという裏付けがあります。悔い改めて福音を信じたら、どうして救われうるのか?ヨハネの言葉は後からおいでになる主イエスに依存したものであったのに対して、主イエスの言葉はご自身において充足される言葉であったという違いがあります。 救われるために必要なことは主が備えていて下さいます。わたしたちはただ、悔い改めてしっかりイエスを主と仰ぎ見て、目を離さずに歩ませていただきましょう。
February 22, 2010
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ヨナ書1:1~2:1/ヘブライ人への手紙2:1~4 /マルコによる福音書4:35~41 説 教 「権威の徴」 石田聖実 福音書の中に主イエスが病いを癒した記事はたくさんあります。また悪霊を追い出した記事もたくさんあります。あるいは死んだ人を生き返らせた記事まであります。私たちは病気になった時、あるいは後々まで残る障害を持った時、病気が癒されることを願います。重病ではなくても激しい頭痛や腹痛に襲われた時、その苦しさはたいへんなものがあります。花粉症の季節を迎えているが、花粉症の鬱陶しさは言い難いものです。ましてや命に関わるような病気ともなれば、本人はもちろんのこと家族や周りにいる者たちの苦悩はいかばかりか。どうにか、この命が持ちこたえてくれれば、病が去っていってくれればと願い祈ります。 けれども、仮に病が過ぎ去って健康を取り戻したとしても、やがて死ぬことになります。単に病気が治る、寿命が延びる、死んでしまったのに蘇生したということは、私たちのこの肉体ということに関しては本質的な問題の解決ではありません。主イエスが病を癒したり、悪霊を追い出したりする奇跡には二つの意味があるのだろうと思います。 中風の人の癒し(マルコ2章)では、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせ」るために、この人の病が癒された。また生まれつきの盲人の癒し(ヨハネ9章)では、癒しの業どころか盲人であることまでもが神の栄光が現れるためとされています。癒しの業の第一の意味は、イエス・キリストが罪を赦す権威を持っていることが知られるため、あるいはイエス・キリストの権威あるわざにおいて神の栄光が頌えられることです。中風の人の癒しの話に戻ります。人の子が罪を赦す権威を持っていることが知らされるために、中風の人にイエスは「起き上がり、床を担げ」と命じます。今まで歩くことができなかった者が、起き上がり、さらには床を担いで歩けるほどに強くされた。これだけで十分に神の権威と力は表し得たでしょう。しかし、イエスはもう一言付け加えます。「家に帰りなさい」。 家に帰る、彼がいるべき場所、彼がいることによって充足される場所へと戻るように促したのです。それまでの彼は病によって本来のあるべき姿を失っていたと言えるでしょう。それがイエス・キリストによる癒しによって、あるべき姿(生活のありよう)を回復しました。 私の父は、戦後、中国から引き揚げてきてまもなく脳血栓で倒れ、左半身不随になりました。聖路加病院で「あなたの病気は今の医学では治せない」と言われました。しかし、近所にできた教会に行くと老先生が「君は牧師になるんじゃ」という。こんな体で牧師になんかなれるわけがありません」というと、その老先生は「君の体は神さまが作ったものだ。だから神さまに治せないはずはない」と言った。 父の体は医者の言ったとおり半身不随が治ることはなかった。しかし、半身不随の体をもって、山奥の集落まで急な山道を登れる力が与えられ、伝道者としての生涯を歩むことができた。「君は牧師になるんじゃ」と言った老牧師の言葉もまた正しかったのです。 障害というのは何だろう?目が見えない、耳が聞こえない、手足が動かない…、そのような身体状況を指すのでしょうか。父はそれでも十分に働けました。耳の聞こえない人、目の見えない人でも同様に活動している人はたくさんいます。確かに不便さはあるでしょうが「障害」というのが適切ではなくなっているのではないでしょうか。 今日のテキストでは、人間や人間に取りついている悪霊ではなく、自然、とりわけ大風による波浪との関わりが出ています。旧約:ニネベに行って預言せよという神の命令に背いて、ヨナは地中海の港から正反対のスペインを目指して船に乗って逃げていく。ところが激しい嵐に見舞われ、その原因は誰にあるかとくじを引いたらヨナに当たった。覚悟を決めたヨナは全てを白状し「わたしの手足を捕らえて海にほうり込むがよい。そうすれば、海は穏やかになる」と申し出る。乗組員は様々な努力をして船がひっくり返らないように努力したが、ついに操船を諦めてヨブを海に放り込むと嵐はピタリとやんだのだった。福音書:イエスは弟子たちと共にガリラヤ湖を船で渡ったが、イエスは船の中で眠ってしまった。すると大嵐が吹き、船は大揺れに揺れて今にも転覆しそうになった。弟子たちはたまらず、イエスを起こした。彼らの不安は頂点に達していた。イエスは起きると強風に対して「黙れ。静まれ」と言われた。すると風はやみ、波は穏やかになった。 さらに弟子たちにこう言った。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」波が高く荒れている時とは何なのか、それは弟子たちの不信仰に他ならない。ヨナはなぜニネベへ行くことを拒んだのか。ニネベは悪に満ちた町だった。ヨナのような敬虔な者が住むのに相応しくない。神を畏れぬ連中に囲まれて落ち着いて神との交わりを持てるはずがない。彼が預言しても馬耳東風ならまだいい。逆に襲いかかられかねない。ヨナはそんなことを考えて、ニネベとは反対方向へ逃げ出したのだろうと思います。ヨナもまた不信仰故に神の命令に背いたのでした。 主の権威を日々体験し続けることが私たちには許されているのに、それをしていないのではないでしょうか。主の権威から目をそらして、高波の危険性ばかりを見ていないでしょうか。 同じようなガリラヤ湖の強風の記事がマタイによる福音書14章にもあります。その時は弟子たちだけが先に船で対岸に渡り、イエスは一人で山に入って祈ってから遅れて弟子たちの後を追いました。ところが弟子たちの船は強風で進むことができないでいました。 マタイ14:26 ~31弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。水の上を歩くためには、右足を水の上に置き、その右足が沈まないうちに左足を前に出せばいいのです。残念ながら成功したことはまだありませんが。しかし、このときペトロは歩いてしまったのです。右足が沈まないうちに左足を出すためにはどのくらいの速度が要求されるか、なんていう計算をペトロがしたはずはありません。彼はただひたすら主のもとへ行きたい、ただそれだけを思ってイエスを目標に水の上を歩き出したのです。ところが、彼の周りに打ち付ける大波を見たとたんにこわくなりました。ペトロもまた不信仰だったのです。今月1日に鎌倉教会を永く牧会した高田彰牧師が天に召されました。8日、9日にご子息の高田和彦牧師からその人となりを伺いました。1911年(明治44)生まれ社会人生活からUターンし、青山学院神学部で学び1941年卒業。戦中・戦後、日本基督教団牧師・幼稚園園長として働く。日本基督教団・鎌倉教会著書に『パウロ先生』、『パンくず』 『バックミラー』 『二つで一つ』他 (略歴は孫のたきれいこさんのブログ「たきれいこの『Smile Diary』」より引用 )30歳で伝道者になり、たいへん体が弱かったので60歳で隠退しました。しかし隠退してから38年間、隠退後が長くなった方でしたが、病気と闘うのではなく、病気を友として付き合いながら、巡回教師として神奈川県を中心に多くのの教会に仕えてこられました。肉体的な弱さを持ちながら、しかしまたその故にこそ主イエスの権威を顕す生涯だったということができます。死してなお、その体を献体されております。最後に賛美歌を一曲歌います。"My soul in sad exile" 「人生の海の嵐に」 Henry L.Gilmour 1836-1920人生の海の嵐に もまれ来しこの身も不思議なる神の手により 命拾いしぬChorus いと静けき港に着き われは今安ろう 救い主イエスの手にある 身はいとも安し 悲しみと罪の中より 救われしこの身に誘いの声も魂 揺すぶること得じChorusすさまじき罪の嵐の もてあそぶまにまに死を待つは誰ぞただちに 逃げ込め港にChorus
February 14, 2010
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昨日の聖書研究はマルコ1:29~34 新共同訳では、「多くの病人をいやす」という小見出しがついている。 ◆多くの病人をいやす 1:29 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。 1:30 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。 1:31 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。 1:32 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。 1:33 町中の人が、戸口に集まった。 1:34 イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。 前の箇所: イエスはガリラヤ湖の湖岸を歩いて、二組の兄弟、ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネを弟子にした。 この4人を引き連れてカファルナウムの会堂で人々に教えた。 すると悪霊に取りつかれた男が叫びだした。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」 イエスが「黙れ。この人から出て行け」というと、悪霊はこの男をひきつけさせて出て行った。 人々は驚いて「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」と論じあった。 こんなことがあってから、イエスとその一行はその町(カファルナウム)にあるペトロの家に行った。 家の中ではペトロのしゅうとめが熱を出して寝ていた。 ここからペトロが既婚者であることがわかる。 いわゆる12弟子の中で既婚者とわかっているのはペトロだけである。(コリント一9:5も参照) 次にしゅうとめと同居していたことがわかる。妻の親と同居しているというのはあまり一般的ではないように思うのだが、どうなんだろう?(現代日本じゃなくて2000年前のユダヤの話) 1:30 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。 ペトロの家に着くと、「人々」がイエスに彼女が病気であることを知らせている。 口語・新改訳・新共同訳・岩波、いずれの日本語訳もここで急に「人々」を登場させているのだが、人々って誰のことだろう? ギリシャ語の聖書を見ると"λογουσιν"という一語が "they tell" だが、それ以外には「誰が」というのは見当たらない。 直前に現れる「人々」という言葉は、会堂に集まっていた人々だ。 しかし、ペトロの家に行ったのはイエスとペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネの5人だけだろう。 そして他には元々ペトロの家にいた家族ではないか。「人々」というのには違和感がある。 「人々」は日没後にペトロの家に集まってきたのであって、この時間には「人々」よりも「彼ら」つまり弟子たちやペトロの家族と考えた方がいいと思われる。 1:31 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。 病気を癒す仕方はいろいろだ。この場合は手をつかんで引き上げている。 「もてなす」と訳しているディアコネオーというギリシャ語は「奉仕する」「仕える」と訳してもいい。 また(英語)ディーコン(執事)という語もディアコノス(奉仕者)から生まれた言葉だ。 イエスによって癒しを得た者はただちにイエスに奉仕する者となる。 19世紀の英国でウィリアム・ブースたちが救世軍を組織して福音をもってスラムに飛び込んでいったとき、スラムに住む者たちの心と生活とが変化した。そして彼らは直ちに救世軍の兵士となって福音に仕える者となっていった。 1:32 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。33 町中の人が、戸口に集まった。 なぜ日が沈んでからなのか? この日は安息日だった。そして日没と共に安息日は終わり日曜日(=ウィークデイ)になった。だから人々は病人たちを連れてきた。 私の見方では、会堂で悪霊に憑かれた男を「黙れ!この男から出て行け」と言うだけで癒したことによって人々は夕方に集まってきたのであって、ペトロのしゅうとめの病気を癒したからではない。 もしもペトロのしゅうとめの病気を癒した時に多くの人々がいたならば、必ずその中には「安息日なのに病気を癒すとは何事だ」という人がいたことであろう。 律法にうるさい人々の見解によれば、 会堂で悪霊に言葉で命じたことは律法が安息日に禁じている「労働」には当たらない。 しかしペトロのしゅうとめの手をつかんで引っ張り起こしたことは「労働」に該当するはずだ。 ここでは「律法違反」の苦情は出ておらず、多くの人々がイエスのところに集まって癒しを求めているところから、イエスに対する期待の大きさを見ることができる。 1:34 イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。 「悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。」 これの意味は何だろう? ヴレーデの「メシアの秘密」というのもあるが、そのようなことで理解するよりも、悪霊に場を与えなかったという意味にとらえた方がいいのではないか。 悪霊にもたとえば予言する力はある。聖書は占いを禁じているが、それは占いが当てにならないからではない。占いにも正しいことを言い当てる力がある(場合がある)。 そういうのを最も端的に描いている箇所は、サムエル記上28章だろう。 サウル王は神の命に従って、口寄せを禁じ、国中から口寄せをする者を追放していたが、 預言者サムエルが死んだ後、神から何の託宣ももらえなくなったので、口寄せの女を訪ね、サムエルの霊を呼び出して神からの託宣を聴こうとしたのだ。 そして、それは成功した。口寄せの女はちゃんとサムエルの霊を呼び出すことができた。 サムエルの霊は、そのようなことをするサウル王をしかり飛ばし、厳しい神の託宣を伝えたのだった。 悪霊はイエスを正しく認識していて、それを表明する(4:24「ナザレのイエス…正体は分かっている。神の聖者だ。」) しかし、悪霊がどれほど正しい知識を持っていようとも、悪霊に導かれて天国に行くことはできないのだ。 他方、悪い人間を神が用いて、彼の悪巧みを通してさえも人が神に導かれるということはあり得る。 ここでは、神の国の宣教において、イエスが悪霊に場を与えないということ、悪霊とのコラボによる福音宣教活動を拒否していると捉えることにしたい。
February 11, 2010
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2月7日 降誕節第7主日旧約書 列王記下4:18~37 シュネムの婦人の男の子をエリシャが生き返らせた 使徒書 ヤコブの手紙5:13~16 信仰に基づく祈りは、病人を救い、罪も赦される 福音書 マルコによる福音書2:1~12 4人の男たちが運んできた中風の人を癒した 「癒しとしての福音」 エリシャはシュネムの裕福な家庭に寄宿していた。特にこの家の妻はエリシャがただならぬ人であることに気がついて、エリシャに尽くした。エリシャは彼らの好意に応えようとしたが、何一つ不自由ない生活をしているから何もいらないという。しかし彼らには子どもがいなかった。そこでエリヤは彼女に「来年の今ごろ、あなたは男の子を抱いている」と告げた。彼女は「そんなバカな!、そんな言葉でぬか喜びをさせないで下さい」と言ったがその預言通りになった。 彼女は預言によって与えられた男の子を愛しかわいがった。立派に成長して父を手伝って畑仕事をしていた時に、突然「頭が痛い」と言って、家へ帰り母の膝の上で死んでしまった。エリシャはその時カルメル山の山上にいたが、母はロバに乗ってすぐさまエリシャのもとへ駆けつけた。 彼女はエリシャに抗議して言った。「ぬか喜びをさせないで下さいと言ったじゃないですか。私は子どもを欲しいなんて言ったことはありません」 エリシャはすぐさま従者ゲハジを彼女の家に急行させた。しかし、彼女はあくまでもエリシャにこだわった。「主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。わたしは決してあなたを離れません」。 この子についてはエリシャ先生、あなたに責任があります。あなたが責任を取って下さい。そう言っているように聞こえる。エリシャへの非難と同時にエリシャなら何とかしてくれるという信頼もまた含まれているのだ。この信頼が鍵だ。 こう言われてエリシャは立ち上がった、途中で先に家に使わされたゲハジが戻ってきた。エリシャに命じられたとおりのことを行ったが子どもは目を覚まさなかったと報告した。 我々は4章20節で既に子どもが死んでいることを列王記の記者から聞いているが、当事者たちの間で死が確認されるのは32節である。エリシャがこの夫婦の唯一の欠けを満たすべく、預言し成就した男の子の誕生、せっかく立派な若者に育ってきたと喜んでいた時に突然襲った不幸。これは男の子本人の悲運であるだけでなく、両親、とりわけ母親の悲しみでもあった。その悲しみは単純な悲しみではなく、望んだわけでもないのにエリシャの側から勝手に与えられた喜びに振り回されたという徒労感も混ざっていただろう。 さらにはこの家がエリシャに尽くしてくれたことに感謝して、男の子の誕生を預言したエリシャにとっても、大きな悲しみであり、傷となったことだろう。 エリシャは子どもの遺体と二人だけになった。そして、「自分の口を子どもの口に、目を子どもの目に、手を子どもの手に重ねてかがみ込んだ」。彼は子どもの死体と一つになっり、子どもの死を自分の死としたのだ。肉親の遺体に取りすがって泣く姿はよく見られる。生き返って欲しいといって、遺体を揺さぶる人はある。しかし遺体の上に伏して、自分の口と遺体の口を、自分の目と遺体の目を、自分の手と遺体の手をぴったり重ねて一つになる人はいないだろう。エリシャが自分をその子の死の様と等しくすることによって、この子の体に暖かさが戻った。 この子の復活は、この子本人の本人の健康が回復されただけでなく、「エリシャの善意に振り回され」て落ち込み傷ついていた母親の癒しでもあり、まさかこんなこと(早すぎる死)になるとは思いもよらず(4:27主はそれをわたしに隠して知らされなかった)的確な措置をとれなかった(ゲハジの派遣)エリシャ自身の癒しでもあった。 マルコの福音書にはちょっと変わった癒しの記事がある。(10節に「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」という言葉があるが、このことについては来週の説教で取り上げたい。)ここでは病人本人が主の前で癒しを求めているのではない。4人の友人が中風の男を連れてきた。しかしイエスの前まで連れて行くことができなかったので、屋上に運び上げ、イエスの目の前あたりの屋根をはがして穴を開けて吊りおろした。ずいぶん乱暴な話だ。この家の主人はカンカンになって怒ったのではあるまいか。彼らは後で弁償させられたかもしれない。しかし、そのくらいのことをしてでも、何とかこの病人を癒してほしいという願いが彼らにはあった。そしてこの病人もこの友人たちに自分の体を預けていた。 病人がイエスの目の前に吊りおろされてくる。いったい何事だろうとイエスが天井を見上げる。穴の向こうには心配と期待の入り交じった4つの顔が見えた。 イエスはこの4つの顔を見て、この病人に「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。 「あなたの病気は治る」ではない。「あなたの罪は赦される」だ。この病人にとって、病気を何とかして欲しかったのは言うまでもない。しかしイエスは、それ以上にもっと大切な病がある、まずはそっちを癒さなくてはならないというのだ。それが罪の問題。言い換えれば神と私の関係のゆがみだ。このゆがみは私の神に向かう姿勢のゆがみから生ずる。神に向かってまっすぐに立つことができず、隠し事をしようとしてゆがめるのだ。 自分ではもはやそれを修正することができない。神さまからの一方的な恵みによって解決していただく以外にない。 次にイエスはこの中風の男に「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言った。人は2足歩行する生き物だ。起き上がる・立ち上がるとは自由に歩けるようになることをこの場合、指している。それが人間の本来あるべき歩き方・生き方(行き方)のだ。家に帰るとは本来彼がいるべき場へと戻ることを指しているだろう。彼本来のあるべき姿の回復がこの言葉の意味だろう。イエスの癒しは、人が本来の有り様へと回復されるための業と言ってよい。 旧約のエリシャが神から受けた力、イエス・キリストが行った魂と肉体の癒しの業。それらは教会へと引き継がれた。教会は人を人にふさわしく生きるように教え、導き、そのために必要な力を与える業をになっている。ヤコブは次のように言う。 5:14 あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。 5:15 信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。 教会の長老の務めがここに記されている。長老がオリーブ油を塗り信仰をもって祈れば、病は癒され、罪は赦される。「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」。
February 11, 2010
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1月31日は休暇の日曜日。 今回は先頃新しい聖堂が完成した名古屋ハリストス正教会の礼拝(聖体礼儀)に参加した。 新聖堂での日曜の通常の礼拝は今日が初めてということだった。 10時からだが、その前に信徒たちは一人一人司祭の前に進み出て痛悔機密(悔い改めの祈り)を受ける。その間中ずっと奉仕者が朗読をしている。痛悔が終わってから礼拝始まるので、たぶん10時をかなり回っていたと思う(聖堂内に時計がないし、私の携帯は電源を切ってあるので時間を見ることもできない)。 正教会の主日の礼拝は仙台で一度、名古屋のイースターの深夜の礼拝に一度出たことがある。(ちなみに日本のカトリック教会の主日のミサには出たことがない) 正教会の礼拝は基本的には座席はなく、立ったままで行うが、最近は高齢者や足の不自由な方への配慮で座席を置くようになっている。名古屋教会も右側は聖歌隊の人たちが陣取り椅子がないが、左側には椅子を並べてあり、座っている人もいた。私は聖歌隊とは反対側の椅子と壁の間に立っていたのだが、私の前に座っているお年寄りのところへ聖歌隊の方が、「よろしければどうぞ」と楽譜を持ってきた。 式に沿ってめくっていけばいいようになっているのだが、ものによってはいくつかから1曲を選択して歌うようになっている。 見ていると、一生懸命楽譜を見ているがページがめくれていない。 ついにページをめくってあげてしまった。で、私も小声でベースパートを歌った。 福音書は放蕩息子のたとえだった。 説教では、律法を厳格に解釈し、細々とした規定を設け、それを守らない者を「罪人」とか「地の民」と呼び差別するファリサイ派に対して、イエスはそのような人々をこそ愛したことを強調した。 また、イエスが語ったのは「悔い改める者は誰でも救われる」ことであって、「悔い改めない者は滅びる」ことではなかった、ということを強調した。(2度繰り返した) 「ここを間違えると福音に躓きます」と念を押していた。 そして、教会を通して、神の愛が開かれていると語っていた。 私はしばしば「教会」が抜けて「個人と神」になりがちであることを思わされた。 説教の後は、「啓蒙者出でよ。啓蒙者出でよ。啓蒙者出でよ。」と求道者を退席させる呼びかけがあって(実際に退席させるわけではない)、それから聖餐になる。 ところが、遅れてきた人の痛悔をしなければならないので、詩篇148篇を延々と繰り返していた。 終わった後、ご挨拶をしたら「またちょくちょくおいでください、というわけにはいかないね」 そりゃそうです。 滅多に来ることはできません。
February 11, 2010
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ニコデモという人はユダヤ教の中でも律法を重んじるファリサイ派の人だった。 イエスは彼に「あなたはユダヤ人の教師でありながら…」と言ってるので、律法学者だったのだろう。またローマの属国となっているユダヤの自治組織である最高法院の議員でもあった。 イエスはある時、エルサレムの神殿で売店で売られている生け贄の動物たちを追い払い、両替商のカウンターをひっくり返し、金をぶちまけ、「祈りの家を金儲けの手段にするとは何事か!」と怒鳴った。 彼らが「あんたはこんなことをするからにはよっぽど偉いんだろう、どんなしるし(神の権威を象徴するもの)を見せてくれるんだ?」と詰め寄ると イエスは「この神殿を壊してみろ、3日で建て直してみせる」と言ったのだ。 この売店や両替はけっこう神殿の収入源だったと思われる。 「神殿は祈りの家であって金儲けの場ではない」というのは正論だが、サドカイ派や神殿関係者が怒ったことはいうまでもない。 またイエスは安息日の用い方についてなどの律法解釈でファリサイ派とも対立していた。 最高法院の重要な仕事の一つは偽預言者の詮議だったが、祭司と律法学者が2/3を占め、残る1/3も保守的な名家のボスたち(最近話題の「一門」の首領みたいなモンでしょう)が占めている最高法院がイエスのこの振る舞いにいい顔をするはずがない。 何かイエスを挙げる口実はないかと機会を探っていたのだった。 そんなある晩、最高法院議員のニコデモがイエスのもとにやってきて「私はあなたがかみから遣わされてきた方だと信じている」と言ったのだ。 教科書にはニコデモが夜やってきた理由として、1.夜は律法を学ぶのに最上の時と考えられていた(受験勉強も夜中にやったでしょう)。2.昼間はイエスの周りに人が大勢いてじっくり話せない などと書いてあるのだが、私はそれらよりも、ベテラン律法学者のニコデモが若いイエスに教えを請うていたなんて知られたくなかったのだと思う。何しろ議会は反イエスで、何とか理由を見つけて逮捕しようと思っている連中が圧倒的多数なのだ。イエスを支持しているなんて知られたらどうなることか。だから夜(今の都市の夜とは違う、暗いのだ)だったのだと思う。 そうやってイエスに対する信仰を告白したニコデモに、イエスは「新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」と言う。実に唐突だ。 ニコデモは戸惑いながら「年をとった者がもう一度母の胎に入ることができましょうか」と応える。 これは年を取ると新しい生き方なんて言われても無理だ、という意味だろう。 それに対してイエスは「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことがわからないのか」という。 「風は思いのままに吹く…霊から生まれた者もそのようなのだ」 新しく生まれるということは、神の霊によって生まれることであり、神の霊によってうまれたものは神の霊が動くままに動く。 自分で頑張って立派に生きようとするのではない。パウロに言わせれば律法の行いによる義ではないということだろう。 聖霊に委ねて生きること、それが新しく生まれた者の生き方であり、神の国に生きる者ということになる。 ニコデモがイエスの言葉をどの程度理解したかは明らかでない。 しかし、その後、議会がイエスを強引に逮捕しようとしたとき、ニコデモは正当な理由なく逮捕することに反対した。 イエスが十字架で死んだ後、ペトロたち弟子はみんなどこかに逃げ去ってしまったけれど、ニコデモは同じ最高法院議員でこっそりイエスを信じていたアリマタヤのヨセフと共にイエスを埋葬したのだった。
February 11, 2010
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3学期は 「イエスに出会った人々」ということで福音書の中の人物を扱っている。 最後に一人だけナマ・イエスに会ったことがないパウロを取り上げる。 教科書では12人の人物(12弟子というわけではない)が取り上げられているが、 3学期の授業は6回なので半分だけだ。 「富める青年」「トマス」「ニコデモ」に続いて、先週は「キレネ人シモン」を取り上げた。 残りはペトロとパウロの予定。 キレネは現在でいえばリビア東部に、紀元前630年頃建設された植民都市で、エジプトとカルタゴの間の中心都市として栄えた。 紀元前1世紀には4つの階層の民があった。市民・農民・外国人・ユダヤ人。 一般の外国人とは別にユダヤ人という階層があったのは、それなりの数がいたことを示していよう。 福音書に出てくる「キレネ人シモン」もキレネに住むユダヤ人であった。彼は過越祭のために、遠くキレネからエルサレムに来ていたのだ。 彼のエルサレム滞在中に、新しい教えと行動でもって賛否両論を巻き起こしたイエスがついに捕らえられて処刑されることになった。 多くの人々が「あのイエス」の処刑を見ようと総督の官邸からゴルゴタの丘への道に詰めかけていた。 本当はイエスではなく、バラバという悪党が処刑されるはずだった。 ところがピラトが、「過越祭には毎年一人の囚人を恩赦する習わしだ。ナザレのイエスとバラバ、おまえたちはどちらを赦してほしいか」と問うたら、ピラトの意に反して最高法院が動員した群衆は「バラバを赦せ、イエスを十字架にかけろ」と叫んだのだった。 ピラトはイエスが無罪であると思いながらも、ユダヤ最高法院の圧力に屈してイエスを処刑することにした。 イエスは鞭で打たれ、愚弄されたあげくイエスは十字架を担いでゴルゴタの丘への道を登っていった。 夜通しの尋問、裁判のたらい回し(最高法院-ピラト-ヘロデ-ピラト)で疲れ切っていた。 そして不当な十字架刑判決と鞭打ち、体力は使い尽くしてしまった。 十字架を担いで歩き出したものの、さしたる距離を歩かないうちによろけて倒れ込んでしまった。 ローマ兵はこんな仕事はさっさと終わらせてしまおうと思っている。 2歩歩いてはよろめき、3歩歩いては倒れてしまうイエスにいらだっていた。 「こんな奴のせいで残業したくなんかねーぜ」 その時、イエスの前に頑丈そうな男がいるのを兵士は見逃さなかった。 「おい、そこのお前、十字架を担いでいけ!」 有無を言わさず担がされたのがキレネから来ていたシモンだった。 こうしてシモンは、何の関わりもないイエスの十字架を背負わされて、刑場への道を歩かされる羽目になった。 「運が悪かった」というしかない。ローマ軍に逆らえばどういう目に遭うか。 だから黙って担いだ。重いけれども歩きながら考えた。 このイエスという男はなぜ十字架にかけられるのだろう? 他の二人は、なるほど悪党面をしている、しかしイエスは悪党とは思えない。 刑場に着くとようやく重い十字架から解放された。 しかし帰ろうという気が起きなかった。むしろ、自分が代わりにその十字架を背負って坂道を登ってきたイエスとはどんな人間なのだろう? その最期を見届けたくなった。 兵士や野次馬がイエスを愚弄している。いや、隣で同じように十字架にかけられている悪党までもがイエスを愚弄している。 ところが、イエスは「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」 と祈って死んでいった。 死刑執行に当たったローマ兵の隊長が「本当に、この人は神の子だった」とつぶやくのが耳に入った。 彼はそれまでナザレのイエスなど知りもしなかったし、何か噂を聞いたことがあったとしてもそれ以上のことを知ろうとしたことはなかった。 しかし、偶然、自分の目の前でイエスが倒れ込んだことがきっかけとなって、イエスの死につきあわされてしまった。偶然に過ぎないはずだが、イエスとしっかり結ばれてしまったのを感じた。 やがて彼はイエスの弟子たちと会い、彼らの仲間に加わることにした。 聖書の中で彼に言及されているのは、あの身代わりに十字架を背負った時のことだけで、 マタイ、マルコ、ルカの各福音書に一度しか名前が出ていない。 イエスの十字架を背負った時、シモンが独身であったか既婚であったかはわからない。 しかし、彼はクリスチャンホームを形成した。 マルコはあの場面を「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。」と書いた。シモンはあまり知られていないかもしれないが、二人の息子たち(アレクサンドロとルフォス)の名は教会の人々の間で有名だったのだ。 「ああ、あのアレクサンドロとルフォスのお父さんがイエスさまの十字架を担いだの」 と言われるのだ。 また、パウロはローマの信徒への手紙の最後の挨拶のところで、 「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。」 と書いている。ルフォスの母とはシモンの妻である。 あの大使徒パウロが母親のように慕う女性、それがシモンの妻であった。 パウロがこの挨拶を書いた時にはおそらくシモンはもう亡くなっていたのだろうが、彼が無理矢理十字架を背負わされた結果は、妻のすばらしい信仰へ、また息子たちの最初期の教会での働きへと受け継がれていったことがわかる。
February 11, 2010
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