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富士山は好きな山である。今年は,6月~7月にかけて4回登った。私が始めて富士山に登ったのは,20歳のとき,今から40年以上前のことである。このとき,すでに登山ツアーバスが運行されていた。朝,大阪を出発して,午後に富士吉田口五合目に着き,八合目まで登って小屋に泊まる。翌日は暗いうちに出発し,頂上でご来光を見て下山するという,今と変わらないスケジュールであった。当時も大勢の人が登っていた。 当時の印象として,小屋付近のゴミの多さやし尿の放置処理のことが思い出される。その後,何度も登っているが,富士山の世界自然遺産登録への動きとも関わって,ここ10年ぐらいの間に,ゴミやし尿に対する環境整備と保全意識は格段に向上してきている。 夏季の登山シーズンは2ヶ月間だけであるが,約30万人もの登山者が登りにやってくる。放出されるし尿の量はかなりのものである。近年まで,し尿処理のあり方が問題化しなかったのかというとそうではない。富士山は噴出した砂礫で覆われているため水の確保が難しいうえ,浄化槽の設置も困難であるため、汲み取りトイレにせざるを得なかった。その上,溜まったし尿を運び降ろすには費用がかかるため,小屋を閉めるときに放流せざるを得なかったのである。こうして,し尿の「白い川」がつくられたのである。 そこで、市民の力で何とかできないかと立ち上がったのが、『富士山クラブ』である。バイオトイレの設置に取り組んだ。現在では,各小屋のトイレはバイオトイレになっている。『富士山クラブ』の取り組みと,『富士山クラブ宣言』を,以下に引用する。 富士山クラブが2000~2002年度に実施した「富士山トイレ浄化プロジェクト」は、市民が作り上げた環境NPOによる、富士山のし尿処理問題の解決に向けての実践的・具体的な環境保全活動であった。行政に頼りがちで、問題の処理を先送りしがちな日本の環境保全問題の中では画期的なことであった。富士山クラブによる実証実験の結果を受けて、環境バイオトイレには環境省や県の補助金が出ることになった。いまや山小屋には環境バイオトイレが完備され、登山者は快適なトイレ環境を享受することができる。富士山の世界自然遺産への挑戦を挫折させた一因ともいわれた「白い川」問題はこうして過去のものとなったのである。(以上,引用)富士山クラブ宣言 私たちは、富士山が育んできた、水と緑と命をまもり、心の故郷(ふるさと)としての美しい富士山を、子どもたちに残していくために、活動を続けます。美しい富士山を、日本の誇るすばらしい宝として、後世に残していくために、富士山クラブは市民が中心となって、富士山の自然環境保護活動を行っていきます。さらに具体的な行動指針として、2005年5月『富士山クラブ宣言』を制定、「水」・「緑」・「命」(生態系)をキーワードに、富士山の自然環境保護、保全、再生のための具体的なプロジェクトを進めていきます。 こうした近年の環境保全への取り組み,世界自然遺産への挑戦の動きは,私個人の考えにも大きな影響を与えた。私は,モンブランにこれまでに3回登っている。一般ルートは,グーテ小屋に宿泊して登るが,ここのトイレは垂れ流しである。幅30cm,長さ3m程の雨樋のような,大便受けが,便所小屋から,山のがけに向けて突き出している。出した尿や大便は水と共に,がけ下に落下していく。がけを覗き込むと,そこは,うんこと紙の山になっている。22年前,初めてこの光景を見たとき,唖然とした。しかし,そのときは,これも仕方がないのかと思っただけであった。 その後,18年前に,アメリカのレーニア山に登りに行ったとき,入山前のレクチャーで,密閉できるポリューションバッグ(pollution bag)を渡され,これにし尿を入れて持ち帰ることを約束させられた。さらに,山中は,歩くことができるトレールは限定されており,写真を撮りため,トレールを踏み外すと,レインジャーから大声で叱責された。このことは,環境保全に厳しく取り組んでいる姿を目の当たりできた貴重な経験となった。 若い頃,日本では,クライマーの特権のように,幕営禁止を無視して,剣の“三の窓”にテントを張った。そこには,みんなが通う不潔で汚らしい“うんこ場”があったが,これもやむを得ないことだと,気にも留めていなかった。 富士山だけの話ではない。山への環境意識は高まって来たのだろうか。今の入山者数は,オーバーユース状態となっている。山小屋のトイレのし尿処理はかなり進み,登山者の環境への意識は醸成されてきていると感じる。私自身,山開きをしていない時期に富士山に登るときのし尿処理をどうするのかという問題が,頭を悩ますようになった。このような意識を持ち始めて,せめてできていることと言えば,幕営しない(禁止されている),日帰り登山にする,途中のトイレは我慢する,これぐらいである。今後は,携帯トイレの携行も考えないといけないと思っている。震災を機に,携帯トイレが簡単に手に入るようになっている。 にほんブログ村
2012.07.23
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富士登山競走とは、標高770mの山梨県富士吉田市役所から吉田口登山道を経由して富士山頂までの延長21km(標高差約3000m)を一人で駆け登る競技である。今年で65回を迎え、7月27日(金)に行われる。山頂コースの競技規定では、午前7時に出発して午前11時30分までに山頂に着かなければならないとなっている。時間内の完走率は50%という過酷なレースである。 一方、静岡県側で8月上旬(今年は8月5日)に開催される富士登山駅伝は、たすきをつなぐリレー形式で、富士山の麓と山頂を往復する。標高差3,199m、世界で最も高低差の大きい駅伝と言われている。「Wikipedia」の説明によれば、『御殿場市陸上競技場(標高約580m)ばから富士山山頂まで46.97kmを6人、11区間で往復する。1区から6区までは登り、6区の選手は山頂の富士山本宮浅間大社奥宮でたすきに判を押してもらい、来た道を下山。7区以降は同じ道を登った選手(すなわち7区は5区の走者、8区は4区の走者、……、11区は1区の走者)が下る』とある。 今回、御殿場口から富士山に登ったが、多くの参加予定者が練習していた。大部分が砂礫なので走り辛い道である。みなさん頑張って下さい。
2012.07.18
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今回は,マイカー規制のこともあり,御殿場口から登った。今年は,6月に2回,7月は1日に続いて2回目,計4回目の富士登山である。 3連休の天気は16日の最終日のみ晴れと予想し,前日は8合目の小屋に宿泊した。15日11時頃の御殿場口の天気は,曇りと霧で,ときどき雨が降っていた。雨はすぐに止むので,濡れることはなかったが,風が強く,ジグザグにつくられた登山道を,左向きに登るときは,風に向き合うため,1.5倍ほどの力が要求された。翌日の午前2時の出発時も風は強かった。風は,9合目付近から弱まった。 頂上に4時半過ぎに到着し,曇り空の中にご来光を拝むことができた。山頂は,富士宮口から登ってきた多くの登山者でにぎわっていた。 5時半から下山を開始したが,8合目付近から,飛ばされそうな強風が山頂から吹き降ろしてきた。ルートは大砂走りで,バランスを崩しても滑落する心配はなかったが,宝永山火口を覗きに行ったときは,すごい突風が吹いて驚かされた。 御殿場口は,登山口から雄大な砂礫の斜面が8合目まで続いており,砂塵が風によって巻き上がり,小石が顔に当たった。雄大な砂礫の斜面は風によってもたらされたものではないのかとの思いがよぎった。そして,2009年12月17日深夜頃,元F1レーサーの片山右京が,富士山で遭難事故を起こしたときのことが思い出された。このとき,一緒に登山していた片山さんが経営する企画会社の社員2人が,強風によってテントが飛ばされ,凍死している。片山自身は,標高2200mの三合目付近で保護さている。片山の乗用車は、静岡県の御殿場口で発見されている。
2012.07.18
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いままでは,体と力にものを言わせてクライミングや登山を行ってきたが,結局は体を痛めつけることだけをしてきたようである。クライミングの後は、回復する時間を待つのみであった。 過日,NHKの番組で,室伏広治が,北京オリンピックの敗戦を乗り越え,新しいトレーニング法を,赤ちゃんの寝返りの動きからヒントを得て編み出したことを紹介していた。これは,力はすでに限界点に達しており,力に頼らずに記録を伸ばすという戦術で,大変参考になることが多かった。 私も,とっくの昔に力の限界点は過ぎており,低下していく体力をいかに有効に生かしながらクライミングを続けていくかに視点は移っていた。しかし、運動後のケアーやリハビリについては,あまり考えていなかったが,これを機に考えを改めなければならようである。
2012.07.11
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登山において,さまざまな危険を回避する能力として多様な登山知識と登山技術が必要であるが,登山がスポーツ化(分かりやすく競い合うためのルール化・ゲーム化)し,大衆化する(誰でも気軽に楽しめる)するためには,できるだけ自然リスクを少なくしなければならない。例えば,リスクを避けるための安全施設の設置や登山道の整備、スタッフの配置などによって,危険性を低減させることが必要である。 インドアのクライミング施設は,スポーツクライミングの裾野を拡げた。そこには,落石やピトンが抜ける,天候の悪化などの自然リスクはほとんど存在しない。スタッフも常駐し,安全管理に努めている。 実際の登山においても,危険性の低減によって大衆化は拡大する。中高年ブームによって,登山はより大衆化したと言えるが,これは,ツアーによってスタッフが援助する体制が拡がったことや,登山ルートの整備,小屋の完備などによるところが大きい。 しかしながら,中高年登山者の遭難事故は後を絶たない。自然環境の中で行なわれる登山は,簡単に危険を低減させることは難しい。この度,山と渓谷社が電子雑誌を配信する。現在のように情報が発達した時代においては,確実な登山情報を得ることによって,危険を回避できる確率は高まる。ニュースは以下のように報じている。(以下引用) 山岳遭難が増加傾向にあるなか、山の最新情報を安全な登山に生かしてもらおうと、山と渓谷社は19日から、日本アルプスや八ケ岳などの山岳地の情報を載せる電子雑誌「週刊ヤマケイ」を無料で配信する。 途中省略。全国の山小屋のスタッフや登山ガイド約50人などに依頼して最新情報を収集。登山道の状況や危険箇所、高山植物の開花状況などを配信する。警察庁によると、2010年は2396人が山で遭難。1961年以降最多を記録した。同社は「現地の最新情報を的確に把握することで未然に防げたケースもある」と分析。久保田賢次編集長は「山を愛するすべての人に登録していただき、安全、確実に楽しく山登りしてほしい。 ところで,登山案内書も数多く刊行されているが,危険度を解説の中心に据えたガイドブックは少ないように思う。いくつかの危険性の要因を取り入れた複合的なコース案内が考案されることが望まれる。例えば,道迷いが起こりやすい場所の明示,過去に起こった事故地点の明示,気象データの記載,健康チェックの明示,安全シートの記入などを掲載しては如何であろう。初心者向き,初級者向き,健脚向き,熟練向きなどの表示では,分かりにくい。個人の主観に頼らない客観的な判断表示ができる,コースのグレード表示も必要ではないだろうか。
2012.07.10
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私が登山を始めたころのザックは,日本製で帆布製がほとんどであった。外国製のものは値段が高かったが,ミレーやラフマなどは人気があった。今では,帆布製のザックはほとんど姿を消している。こだわりで言えば,こちらのほうがオシャレかも知れない。帆布とは平織りで織られた布で綿または麻で作られている。 この度,仕事の関係で,『一澤帆布』のことを調べることになった。京都にある有名な帆布を扱う会社である。その会社が,遺産相続と経営権,商標ブランドを巡ってお家騒動を起こしていたことを知った。このお家騒動のことは,京都では大変有名だそうである。事の顛末を調べると,人ごとであるだけに,すごく興味をそそられた。2時間ドラマになりそうなネタである。 この『一澤帆布』であるが,かつて帆布製登山ザックをつくっていたようである。いまとなっては貴重品,プレミアが付く。 ところで,いまも頑固に帆布製登山ザックをつくっているところは,東京都文京区千石にある『片桐』である。関西ではあまり知られていないが,関東では有名である。ホームページを見ると,片桐の親父と呼ばれていた片桐盛之助の紹介と歴史が綴られている。「明治初年、初代・片桐貞盛が、隅田川の鉄砲洲で興した、ヨット・帆船の帆を製造する帆布屋・片桐商店であった。・・・・・途中省略・・・・・,大正3年(1914年)、日本山岳会発起人の一人である高野鷹蔵氏より、『片桐の丈夫な帆布でヨーロッパ風のリュックサックの製造してほしい』との依頼を受けた。」とある。
2012.07.05
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今週も富士山に登った。今回は大学生や高校の先生など様々な人たちで編成された、総勢28名の団体登山である。団体であるので、登山の進め方を工夫した。4~5人の小パーティに分けて担当リーダーを設け、班行動を基本にし、長蛇の列になることや、個々人に目が届かなくなることを避けた。もし不調者が出たときは最終的にリーダーとサブリーダーに確実に連絡が届くように伝達方法を徹底した。 さらに、体調管理のために、整体技術の著名な専門家に参加してもらった。担当リーダーから呼吸法と登山歩行のレクチャーを行い、登山行程中、酸素飽和度と呼吸チェック、健康管理表の記入を義務付けた。 おかげで、登山が初めての人たち十数名を安全かつ本人たちは安心して全員登頂を果たすことができた。7合目を早朝3時に出発したときは悪天であったが、八合目ではご来光を見ることもでき、梅雨の時期としては万全の結果であった。 今回、数パーティのツアー登山グループに出会ったが、パーティの人数から判断して、担当リーダーの数は把握できる人数を遙かに超えていた。リーダーは自分には十分な力があると思い込んでいるのだろうが、不安を禁じざるを得なかった。参加した人に聞くと、出発時の悪天のため、早々に下山させられ登頂は果たせなかったとのことで不満そうであった。
2012.07.02
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