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最近、HSが日常化したなあ、と思う。結局クレシンはフリースペースがすぐに飽きて行かなくなってしまったし(親が主導すると所詮こんなもん^^;)、キティラは登校刺激をしてくる先生に嫌気が差してやめてしまい、その時間近所の子どもと遊んでいる。 親はともかく、近所の子どもも「キティラは学校の行っていない子」と位置づけて、仲良く遊んだほうが楽しいらしく、最近は何にも言ってこないようだ。… ところで。不登校に悩む母親が多い。理由の一つが子どものことが見えすぎるから、かも。 テニプリスはスクーラーだから、学校に行っている間は当然その姿は見えない。でもずっと後になって「小学校の時はお腹が痛くなって、結構保健室で寝てたよ」などと言う。そんなことは彼の小学校時代には一言も聞いたことがない。 もしかしたら、職場の仲間と楽しく談笑しているときに、もしかしたら、仕事を休んでショッピングを楽しんでいるときに、、、テニプリスは寝ていたのかもしれないのだ。 でも子どもが家に帰ってきたあとケロッと遊べてナントもなかったら、忘れて何も言わない。だからこっちも気がつかない。 子どもが学校に行っている親ってこんなもんだろう。 ところが、不登校になって、親も何となく家にいると全部見えてしまう。心配のタネが学校へ行っている親よりも2倍は発生すると思っていたほうがいい。 だから、時には子どもに留守番をさせたり、家にいても勉強でも趣味でも自分の時間を作ることが大事だと思う。そうして、不登校状態を早く日常化させるといいと思う。
November 30, 2004
子どもがHSでも、親は近所とのつき合いがあるので、朝の立哨当番に立つ。これは登校時に車の多い場所に親が輪番制で行って、黄色い旗を使って安全に通してあげる、、、つまり緑のオバサン、だ。 今朝は一段と冷え込んで、すっかり冬の朝になっていた。息も真っ白で、その中を子供たちがランドセルと荷物(月曜日だから結構持物が多い)を持って歩いていく。 学校は遅刻はもちろんご法度だが、集団登校をしているため、早く行くのもいけない。子供たちは誤差殆ど5分の間に一緒に登校する。これはサラリーマンよりも厳しいと私は思う。 「朝、挨拶しない子が多い」とか立哨当番日誌には書かれているが、こんなキツイ状況で元気に挨拶なんて、、、できないさー、と私は思う。 もう、学校に行っているだけで偉い、と思っちゃうよ、わたしゃー。 一方、殆どの子供たちが学校に着いたころ、大あくびをしながら起きてくるうちの子供たちは幸せだなあ、と思う。
November 29, 2004
昨日書いた、男の会合に行った。(と書くと怪しーけど、エッチ系じゃなくて勉強会です、念のため^^;))若い男はあんまりいなかったなあ。でも家族で子連れで来ていた人がいた。…うーむ、時代は変わった。オンナが来て珍しい時代は終わったんだなあ。子どもを連れていく発想はなかったもんなあ。 でも良いかも。怪しくない人に見えて。(これは頂こう) とはいえ、女性が少ないのは確か。男女数比10:1、ということのメリットは、、、女子トイレが混まないことです!で、男子トイレには行列ができているー。ほー、こういう場所では逆転現象なのねー。 …とホームスクールに関係のない話は置いといて。。。 子どもの不登校に関しては、私の身の回りには否定的な人が大部分で、あとは「反対はしないけど賛成もしない」親友が少々…。 他の事でも私はそういうのがあるんで、ある意味、私は「少数派」には慣れているかもしれません。 多数派の意見がいつも正しいわけじゃないし、少数派の意見がいつも間違っているわけじゃない。けど、多数派というのは人数の圧力というものがあるので、それに向かっていくのは、荒れ狂う海に向かって行くようなもんで、死ぬほど疲れるだけで、全然前には進めない。 でも、サーファーはビッグウェーブを好みます。つまり、サーファーたちは海に向かっているわけじゃなくて、海をうまく乗りこなしているからなんですよねー。 だから少数派がうまくその強みを生かすには、多数派の海をどう乗りこなすか?ということに尽きると思うし、うまく乗りこなせば、多数派に見えない素晴らしい景色が見えると思うんです。
November 28, 2004
昨日は、地域の育成会という女の会合に行った。会話は滑らかに流れていくのだが、内容は距離を置きたい感じ。 今日は、とある会合に行った。予想通り男の会合。会話はなかなか思うように流れていかないが、内容はしっくりくる。 うーん、私は男か?女か?というのは別として^^;)、どちらも異性は禁止、というわけではないのに、何となく同性だけになってしまうのは、、、ま、そんなもんだろうなあ。 明日も別の会合。これも男ばっかりだろうなあ。でも、もう少し会話がうまく流れそうなメンバーなので、楽しみ。いろんな年代の男性(特に若いおとこのこ♪)に会えるのも楽しみ~。 だって、普段の私の回りは、オンナ子どもしかいないものー。
November 27, 2004
キティラが「英語教室と習字教室をやめたい」と言いだした。でも私はあんまり驚かない、いつか彼女がそう言う日が来ると思っていたから。 なぜならこれは2つとも近所のO先生という人が主催をしているのだが、このO先生がキティラに強く登校刺激をしたり、自分の感情のままに叱ったりゲンコツをしたりしているのをキティラから聞いていたから。 その程度は、キティラに言わせると「担任のM先生よりも厳しい」そうで…。^^;) いや、その前に。私自身が最初にO先生と話していただけでそれを感じた。自分と違う意見はことごとくはねつけるのだ。歩み寄りというのをしようとしない。歩み寄るとしても、本当に渋々で、嫌々で…。 ってさあ、こっちはお金を出す方なんだからさー、近所のオバハンと話しているんじゃないからさー、それはおかしいんじゃない??? と思っていたけど、キティラがどうしても通いたい、と言うし、まあそのうち理解してくれれば、と思っていたが。2ヶ月経っても理解するどころか、ますますパワーアップしているらしい…。 こちらもお金を払ってまでキティラに嫌な思いをさせたくない。 この機会に、学校第一主義と資本主義経済の法則を無視するオバハン先生とおさらばできて、本当に良かったと思う。
November 26, 2004
小さな子どもがチョロチョロと車の通る道に出る。それを見た大人は全員が「危ない!」と思うだろう。私も危ないと思う。なぜなら、その小さな子は、たぶんまだ車の動きについてよく分かっていないと思うから。 でも大人が車の通る道を平気で歩ける。それは、車の動きについてよく分かっているから、である。 たったそれだけの違いで、人によって、車は危ないものにもそんなに危なくないものにもなる。 子どもが不登校になるのを怖がる人が多いのは、不登校についてよく分かっていないからだと思う。不登校について一番よく知っているのは、先生じゃなくて当事者の子どもの親である場合が多いと思う。 なぜなら、不登校児の親が一番、不登校について理解しようと知識を高めるからである。 でも不登校児の親でも、不登校が怖いものだと思って知識を高めようとしないと、不登校は怖いものであり続けるだろう。 不登校をよく知らない先生や近所の人や親戚が、いろいろ言ってくるのは、「車に轢かれる恐怖」と似ている。人間は本能的に怖いものから身を遠ざけようとするから、それはある意味、正しい行動とも言える。 不登校に対する恐怖をなくすには、不登校についてよく知ることだと思う。車についてよく知れば、道を歩けるようになるように。
November 25, 2004
世の中には教訓本というのがあって、それはたいてい知っていることが書いてあるし、だいたい子供のころ学校やいろんな大人に教訓を垂れていただいて、もう充分!というトラウマというかウマシカが私にはあります。 でもさ、それってあまりにも言われていることがたくさんあって、実践しても実践しても終わらない事に対する恐怖があったからだったんじゃないのー?と最近思うので、少しずつ実践してみるのもいいんじゃないか、と魔が差してます。(?) 三羽の雀というのも、とある教訓本の一節。(知っている人は知っているはず…) つまり、、、「向こうに 三羽の雀が止っています。そのうち2羽はもうすぐ飛び立とうとしています。さて、何羽が飛び立ったでしょう?」答えは「一羽も飛び立っていない」です。 これはトンチクイズじゃありません。飛び立とうとしていても実際に飛び立ってていなければ飛んでいない、ということで。 というわけで、私もこれからやってみたい仕事を頭で漠然と考えているだけじゃなくて、紙に書いてみました。紙に書いておけば、人にも見せることができます。そしたら実現するかもしれないじゃないですかー。しかも書くだけならタダで、損はしていないし。最近、考えるだけなら損をしていないという偉大な事実に感動もしています。(ん?) そんな「仕事」をしていれば、私は機嫌が良いことも発見しました。だってやりたい仕事をやっているんだものねー。子どもにも優しいし…。うふっ。
November 24, 2004
クリスマス会と言えば、プレゼント交換が定番(?)女の子たちはそれぞれシールという安価で夢がいっぱいつまったモノを交換しあう。 キティラも参加予定だったが、もっと行きたいイベントに行ってしまったため、ドタキャン。でももうプレゼントを買ってあったので、代理で私が交換…。やっぱりイマイチ盛り上がりにかけるなあ…。^^;) 帰ってからキティラに渡したら、マイブームの可愛い犬のシールで大喜び。それから、自分が用意した桃のマスコットの行き先を心配していた。「Mちゃんは、ただのプニュプニュ マスコットだったと思ったみたい?」「ううん。ちゃんと良い匂いがするのが分かったみたいだよ」というと満足そうにニッコリ。 で、大人のプレゼント交換は情報交換…。(^^)楽しい時間を過ごせた。こういう時間はあっというまに終わってしまう。 さあ、次回は!忘!年!会~!(大爆)
November 23, 2004
モノごとには裏と表がある。例えば、不登校とホームスクールというのも、裏表の関係にあると思う。 不満とか愚痴というのは、裏しか見ていない場合かもしれない。それは誰かに教えてもらわないと表が見えない場合もあるし、教えてもらっても見ようとしない場合もあると思う。 表に気がつけば、人生は幸福に満ちあふれているというのに…。
November 22, 2004
日本はホームスクールは合法じゃないけど、違法でもない.。法律に縛られていないというのも、それは、ほかの国にはない良い点だと思います。 国の決めた規則を守っていれば安全というのは、親の言うことを聞いていれば間違いないという小さな子どもと似ているかも。 今は何もかも国に決められていて、ある意味不自由ですが、教育に関してはすごく自由だと思います。(今のところ) 逆にホームスクールが合法にならないうちに、子どもに合った教育をしたいと思う私です。 キティラは今日は習字教室の先生の子供たちと遊ぶために朝から大興奮で外出。何でも、先生がテニスを楽しんでいる横で、みんなで遊ぶらしい。昼ご飯はみんなでコンビニで買うそうで。 ホームスクールをしていることが原因で、習字教室に入るように先生に勧められ、そのおかげで、学校が違っても仲の良い友達と遊ぶことができる。 そしてそのおかげで、コミュニケーション術が学べる。私は子供がホームスクール出来るようにしてやるだけで良いのだ。 本当に。子どもは自分の育ちに必要なことを自分で学び取っているなあ、と思う。
November 21, 2004
最近読んでいる本の中に「言葉は肉になる」というのがありました。自分を幸福にする言葉を使っていれば幸福になれるし、不幸にする言葉を使っていれば不幸になる、ということです。 以前、私にとって不登校は不幸な言葉でした。「勉強ができるのが学校だけ」→「自分は子供には勉強して欲しい」→「学校に行っていないと勉強ができない」そういう思いが私を苦しめていました。 だから自分を幸福にできる言葉を探していました。そして見つけたのが「ホームスクール」でした。学校に行っていなくても勉強ができる、しかもそれは子どもがやりたい勉強が選べるので理想的な勉強方法でもある、という概念が私を幸福にしました。 それ以来、不登校も不幸な言葉ではなく、「子どもが時間を有意義に使える方法」だと認識できるようになり、これも幸福な言葉になりました。 と、書くと、「私はそうは思わない」という方もいると思います。でも、私の言いたいのは、言葉というのはその人の頭の中の思いによって意味が変わってきて、それは自分を幸福にも不幸にもする、ということです。 人は幸福になることが大好きです。それならば、自分を幸福になる言葉を使うようにしていればいいと思います。 学校の先生にとっては不登校は不幸の言葉かもしれません。また同じ不登校関連のサイトでも「不幸の言葉」として捉えている所もあります。 そういうことに対して、私がやることは、それに影響されることじゃなくて、自分が影響を受けないように行動することです。
November 20, 2004
人は経験によって多くの力を獲得するが、経験がなくても獲得できる力があるように思う。 橋田さんは子どもがいないのに、なぜあんなふうに家族をうまく描けるのか?宮部みゆきさんはあんなに若いのに、なぜ世の中のシステムや人の心理を描くのがうまいのか。 作家という職業(俳優という職業も?)は 現実を観察する力が優れているからできるのかもしれない。 では、それ以外の私達は?…限られているかもしれないけど、その力はあると思う。 世の中で疑問に思うこと。それが 現実を観察する力に繋がると思う。 ホームスクーラーの我が子を連れて、平日の街を歩いていると、すごく気になること。 それは 平日の街には幼稚園年齢~中学生年齢の子どもがいないことだ。高校生くらいだと、学校によって予定が違うらしく結構どこでも見かけるのに。 普通に義務教育の学校に行かせている親からすれば、「そんなの学校行っているから当たり前じゃない」と気にも留めないかもしれない。「昼間に小学生がうろうろしていたら危なくて運転できない」というドライバーもいるかもしれない。 しかし、限られた時間とはいえ、社会から「子どもが消えている現象」には変わらない、と私は思う。消えているということは、見えないのだ。見えないということは理解できない。「今どきの子は…」というセリフはよく知らないから出てくるような気がしてならない。 そういう大人の口から発する言葉を我々はマスコミを通して受け取り、取り入れてしまう。近隣にも子どものいる家庭があるのに、その子のことは見ないで、マスコミに出てくる子どもが全てだと思ってしまう怖さ。 幼稚園や学校、塾に習い事、に子どもの教育を外部にどんどん預けていったのが現在だと思う。そしてそれは行きすぎだということは誰でも何となく感じている。 感じていながらも、「子どものために」とかなんとか、自分が納得できる理由を見つけて、また外部に預けてしまっている現代。 子供たちはいろんなサインを出しているのに、気がつかない大人は多い。
November 19, 2004
昨日で仕事が終わってくれたので、今日はキティラとの約束が守れた。 家を早く出過ぎたので、おもちゃ売場に立ち寄る。今の時期クリスマス商品が出ていてすごく綺麗。キティラは目を輝かして見て回る。 ピコという子供用パソコンが置いてあって、キティラが挑戦!夢中になって、うまく行くとその場でぴょんぴょん跳ねながら叫ぶし、うまく行かないと大声で文句を言う。(つまりずっと大声…^^;) 休日ならば、子どもがあふれるようにいてぎゃあぎゃあ煩いのが、平日のこの時間は回りは、小さな乳幼児が大人とまったりと見て回っている中なので、すごく恥ずかしくなっていさめる。 やはり空いている子供向けのレストランでお昼を食べて、子どもの城へGO!入館に合わせて入ることが出来た。 来ている子はやはり、乳幼児の他に小学生達。中学生らしき子もいる。その他国籍もいろいろ。 大人もパパ、ママの他にもじいじ、ばあば。地球上の人間の種類が全員いる感じで、実にバラエティに富んでいる。 しかし、ここは各種講座もやっているので、英会話教室の出張みたいな団体もいる。 キティラの英会話教室も「日本語は使っちゃダメ」という設定があって、私は不自然でどーも違和感があるのだけど、ここでもそうで。 日本人が必要に応じて、というよりも、子どものために一生懸命英語を使っているのが、なんか痛々しい…ような。 そんな中キティラが「どうして日本人は英語も日本語も使うのに、英語の人は英語しか使わないの?」とこれまた大声で質問してくる。み、みんなが私の答えを待っているように、耳をダンボにしている気配。 うーーーむ。とりあえず「知らん」と言ってから、「勉強のために英語をわざと使っているのよ」と小声で言った。 というわけで、ここは、バイリンガルな空間というよりも、やっぱり不思議な空間だ。(私は好きだけど…爆。ちなみにクレシンはここは飽きて来たくないので、留守番でした)
November 18, 2004
ホームスクールを始めてから、だいぶ私の自分の時間が減ってしまったが、その代わりに子供たちとの有意義なつきあいの時間が増えてそれはそれで良かったと思う。 親ならば誰でも子供たちとのつきあい方は永遠の課題だから。 私の置かれた状況が、ホームスクールが可能でしかも晴耕雨読で、できるというのは本当にありがたいことだと思う。 ところが! 今日は、平日の子ども施設の人が混んでいない日で、しかも天気が良くて、お出かけ日より、ホームスクールのお出かけには持ってこい、、、なのに、急な仕事が入ってしまって延期。明日から雨が降るかもしれないというのに…。 楽しみにしていたキティラはもちろんご機嫌斜めである。 テニプリスに「晴耕雨読ができないときもあるよね?」と聞くと、「まあ大人なんてそんなもんさ。親って約束はやぶるもんだよ」と手厳しい。^^;)「でも学んだり遊んだりしているだけじゃ暮せるわけじゃないよね…」となおも同意を求めると(私もシツコイ!)「まあ、そうだね」と言いかけて、キティラに「大人の約束を信じちゃいけないよ」と駄目押し。。。 おいおい、誰がそんなことをしろ、と頼んだかなあ。^^;) でも テニプリスは大きくなってきたとはいえ、子どもの立場だもんねえ。仕方がないかー。 なんていう一コマも楽しい毎日です。 (^^)
November 17, 2004
久々に我が家のホームスクールの内容を少し。 テニプリスはスクーラーだけど、家で独自に勉強している(?)のは音ゲーを通した音楽教育。それからテレビのお笑い番組にも造詣が深い。お笑い芸人には詳しいし、この人は○○だから面白い、この人は○○だからつまらない、とお笑い評論家入門コース、もとい体験(?)コースを学んでいる。 それから車・F1関連少々と科学関連少々。 嫌々図書委員になってみたら、本が真っ先に借りられることを発見して、せっせと借りている…。小学校のころの「本を読まない子で困る」という悩みが嘘のよう…。 クレシンは、家で好きなことも黙々と突き進んで学ぶタイプ。「出掛けた先が当りかハズレか楽しめるという可能性にかけるよりは、家の中で自分の想像のつく範囲で確実に楽しんでいる方が良くて、安心できる過ごし方が優先で日常にもそんなに不満がないタイプ」(以上某フリースペース発行誌抜粋←よく言い当ててるわー!)…らしい。 外から見ると、ゲームと漫画を読んだり書いたりしているようにしか見えないけど、「おまえ、よく飽きないヨナア」とテニプリスに言われるくらい 嬉々として取り組んでいるので、その内面の学びは私のような凡人では計り知れないモノらしい…。 凡人にも分かりやすいのが、キティラ。混まない平日に行きたいところは一杯あるし、実は学校の勉強は大好き。しかしどちらかといえば、生徒として参加するよりも、先生になりたいらしい…。 目下、英語フリーク。英会話教室だけではモノ足りず、本屋で自分に合った英会話の教材を強請る始末。英語コンプレックスのある私も小泉君も断りきれずとうとう買ってしまう。
November 16, 2004
テニプリスが音ゲーにはまっているが、その波に私も影響されている。(笑)実は、私は音楽関連にはちょっとしたコンプレックスがある。 小さいときにピアノを習わされていて、先生に「絶対音感がある」なんて言われたので、実母は私に音楽の才能があると思い込んで期待されていた。 でもね、ピアノってなかなか上手くならなかったから苦痛だったんだよね。譜面を見て、或いは一度聞いたら、それを弾ける、という人がいるけど、私はそういう人じゃなかったし。 それに、リズム感もイマイチだし。 そもそも歌がダメ。一生懸命、練習してやっと何とかなる程度。時間がある学生時代にはそれができても、今みたいに時間がないと、初験で歌えるくらいじゃないと、カラオケの趣味も楽しめない。 でも人間って必要があれば勉強(?)するんだなあ、と思う。10代の頃に同じく音楽コンプレックスのある兄と共同で買ったクラシックギター。2人ともモノにならなかったけど、思い思いの練習は楽しかった。 で、今はテレビゲームの時代。いろんなソフトがある。テニプリスが「ドラムマニアが欲しい」と言った。 へえ。いいね、いいね。ドラムなんて一生触ることもできないと思ったけど、これだとこの値段で疑似体験くらいできるかもしれない。「買おうか!」即決^^;) というわけで、今の我が家ブームはドラムマニアです。
November 15, 2004
どこでも子育て講座が花盛りなのは、育児が未来が見えなくて試行錯誤が多いからだろう。でも専門家の話を山ほど聞いても納得せず、納得できてもまた新しい問題が出てくる。それが育児なのだ。 親を10年以上もやっていると、そういうことが見えてくる。だから学校で「子育て講座」をやってもイマイチ人が集まらない。 集まらないから、育児に関心がないのではない。講座がそんなに有効だとは思わなくなってきているからだ。 やっぱり育児の基本は子どもと話をすることだと思う。話題が合わなければ、ゲームをしたり、面白いテレビを一緒に見るのも良い。 というわけで、夜中までドカポンをやってしまった。私とクレシンは楽しかったのだけど、小泉君とテニプリスはウンザリしたらしい…。 まあゲームの好みはあるよねー。桃鉄USAが欲しいけど、一緒にやってくれそうな人がいないかもー!!!
November 14, 2004
クレシンが学校を休みたいと言ったとき、「これは長引くなあ」と思った。彼は小1から(もしかしたらもっと前から?)集団生活というものに我慢をしながら身を置いていたのを感じていたので。 キティラの場合は、集団生活が嫌いなのではなく、今の学校(担任の?)やり方が嫌いなだけ。でもクレシンはもっと本質的な部分で嫌っているのだと感じていた。 だから、彼の表面の態度は穏やかだけど、内面の意志の強さはビンビン伝わっていた。 そういう彼の態度に気がつかなかったクレシンの担任だから(1学期のクレシンはそういうサインを出していたはずだが)こちらがいくら「また再登校するときは前もって言いますから」と言っても、「明日は来るかもしれない」と思ってずっと待っていたのだろう。 それも2ヶ月を過ぎ、担任もやっと「気がついてきた」時に給食費の督促状が担任の元に届いた。 子どもが不登校の時に私が気になったことの一つが実はこの給食費。 でも親の方から学校に「当分給食は食べないと思うので、給食費を払いたくないのですが」と言うと、まるで「親が子供を学校に行かせない」ように思われるので、言い出せなかったし、それに関する質問もできなかった。 だから給食費を引き落とされないようにして、様子を見ていたのだ。 で、クレシンの担任の方から「どうしますか?当分止めることもできますよ」と言われたときには、内心「やった!」と思ったのだ。 ホームスクールを始めるときには、まるで山を切り開くような勇気と体力が必要なことを感じるだろう。でもそうやっていくうちに、後ろに道ができてくる。 その道は今までの子どもとの思い出以上の意味を持っている。つまりそれは、実績という他人の目に見える形になるのだ。 今、勉強に関しても。学校を通信教育的に利用していて、先生に教材を用意してもらって採点をしてもらっている。今のところ、私でも教えられるが、これが中学になって教えられなくなったら、教科の先生に分からないことを聞けばいいと思った。 今の時代、勉強でつまづいたら、学校の先生じゃなくて塾や家庭教師に頼る人が多いようだが、私はそれに違和感を感じていた。 せっかく専門家がタダで教えてくれるのにそれを利用しないのはもったいない、と思っていたのだ。 スクーラーはお金を出して塾や家庭教師を利用して、ホームスクーラーは無料で学校の先生を利用する時代なのかもしれない。
November 13, 2004
どちらかといえば、今の公立学校に子どもを通わせるって親の目が届かない分、怖いです。先生が「忙しい、余裕がない」と言っているから余計にですね。 忙しいとは、心を亡くす、ことで、そういう先生が心の教育なんて、なんてグロテスクだろうかと思ってしまう。 これは先生を信頼しているかしていないか、以前の問題ですね。 ご近所の皆さんは「皆が通っているから。自分も通っていたから」と安心なんだろうけど、満足はしていない。それでも安心したい気持ちがの方が強いんだろうなあ、と思います。思うけど、私はこの考えには今は賛成できない。なぜならHSを実践する安心感や満足感を知ってしまったから。(笑) テニプリスの義務教育があと1年半で終わります。(待ち遠しい…)もう、学校子どもになってしまったから「学校を止める」とは言わないけど、学校の変なところは感覚で感じているようで、それだけが救いです。 12月には三者面談があります。「前に担任にはこちらの希望を言ったけど、あっさり断られてしまったからママはあんまり先生には用がないなあ」と言ったら、「進路の話じゃない?」と テニプリス。「ええ?中2で、もう進路?じゃあ、まだ考え中です!ってなるべくさっさと終わらせよう」とテニプリスと結託しました。(^^) 自分の子どもの教育の仕方なんていうのは、試行錯誤して初めて「こうかな?」と少しずつ作っていくもので、マニュアルに沿ったり「専門家」と言われている人に聞いてできるものじゃないですよね。 国が義務教育として親から子どもの教育権を奪い、また親も喜んで差し出してきたツケが今いろんな形ででてきているのだと思います。 でもまあ、ツケを払うのが人間社会というか人生というか、なので、ツケをどう払うか?を考えるべきで、いかにツケをなくすか?と考えると人間じゃなくなっていくと思います。
November 12, 2004
昔どこかで読んだ本の中にこういう一節があった。「ケーキにたかる蟻を見て、ケーキが汚いものだと思うこともある。でも時には勇気を出して、蟻を払い落としてケーキを食べてみるといい。新しい発見があるはず」と。 テレビゲームは私にとってはケーキで、夢中になる子どもを「困ったものだ」という目で見ていた。でもやってみると面白いし、いろんな発見もあるし、効能も。 今の我が家ブームは「ポップンミュージック」いわゆる「音ゲー」である。これは1人で自分のできる程度に合わせて楽しむこともできるし、合奏のように何人かで分担して楽しむこともできる。 一応昼間はキティラとクレシンが中心に楽しみ、夜はテニプリスと私が中心に楽しむ…という使い分けができている。が、夜、4人で一緒に楽しむこともある。 指の動きによる脳の活性化とリズム感と音楽を覚えるのと、そして家族団欒と、いろんな効能がありそうである。
November 11, 2004
子どもって親が認めないことは、まっすぐやり遂げることができないものだと思います。 「親の考えはこう。でもそれ以上にあなたの思いが大事。親ができるのはココまで。あとは自分でやるしかないよ」というのは育児にとって重要なことだと思います。 我が家は、スクーラーとホームスクーラーと五月雨登校ホームスクーラーの3人の子どもが同居しているのにうまくやっていけるのは、それぞれの子どもの考えを尊重しているからだと自負しています。 以前「バラバラだと親として大変でしょう」と校長が言うのに対して「そうなんですよー」と同意しましたが、バラバラでも全然大変じゃないことが分かってしまった、今日この頃です。うふっ
November 10, 2004
ホームスクール、ホームエデュケーション。同じ言葉を使っていても、アメリカやイギリスで使われている意味とは少し違うと思います。 日本のはhomeschoolじゃなくて、ホームスクールなんですよね。 日本のホームスクールが不登校から始まることが多いとか、五月雨登校というのは、いかにも日本らしいと思います。 アメリカではホームスクーラーがどんどん増えて、それに向けた教材もサポートする通信教育の学校もどんどんできているし、イギリスでは家庭同志で積極的にサポートしあう方向になのに、日本がそういう方向に行かないのは、それが日本流のホームスクールなんだろうなあ、と思います。 「波風を立てない」ように、「我慢」できるところまで我慢して、それが無理になったら、「打たれないように出すぎる杭」になる…と。 我が家も典型的な「ホームスクール」です。(笑)でも、交通手段が発達したりインターネットのおかげで、「村八分」になっても、他所の「村人」と心理的にも物理的にも繋がっていられますが、こんなところにもやはり現代の日本らしさを感じます。
November 9, 2004
掲示板にも書いたのですが、自転車に乗る練習の方法で自分のラーニングスタイルが分かる!という話題です。 私が子供のころは、運動神経が良い方じゃなかったのを自覚していたので、自転車を練習しようとすれば大変な練習しないとできるようにならない、と思っていたようです。 当時テレビドラマなどでも、子どもが自転車に乗る練習シーンが出てきて、自転車を走らせながらころび、を繰り返して血だらけになってやっと乗れた!みたいなのを見ていると、「あんなことをしなくては乗れないのか」「あんな練習は嫌だなあ」と思っていたようです。 でも、小学校中学年から高学年になると、回りの友達は皆自転車に乗れるようになっていました。羨ましくない、と言えば嘘になるけど、血だらけになって自転車に乗るくらいなら、自分の足で歩いたり走る方がマシ、と思っていました。 それが中学生になると。天地真理というタレントが当時売り出されたばかりの「ミニサイクル」という自転車に乗ってお買い物に出かけるというCMが目に飛び込んできて、「良いなあ」と憧れました。しかも「ミニサイクル」というのはタイヤが太くて安定性がいいらしい…。これなら私にも乗れるかもー。 で、当時、単身赴任中の父親に手紙を書いたんですね。「自転車が欲しい」と。父親にしてみれば単身赴任中の寂しいときに娘から急に手紙が来る。 それが例え単なるおねだりでも、家族との絆のように思ってしまったようで、すごく感激したような返事が届いてびっくりしてしまいました。もちろん自転車を買うのもOK! で、実際に自転車が届いてみると、重いし(特にミニサイクルは重い自転車なんです^^;))その割りにちっとも安定しないですぐにバッタリと倒れてしまう。←当たり前。 でも、天地真理ちゃんみたいに、ミニサイクルでパン屋にお買い物に行って、前カゴにフランスパンを乗せて帰りたい!(爆)という大いなる目的のために、必死に練習しました。 但し、自転車にスピードが出ていると倒れたときに血がイッパイ出そうなのは分かっていましたし、女子中学生にとっては、外で練習するなんていうのはプライドが許さなかったのです。(笑) で、狭い庭の隅で 最初の動き始めの練習だけを何回もやりました。逆に言えば、狭くてそれしかできなかったのですが。で、何とか乗れるようになったときに、実母が「そのくらい乗れるようになったのなら、道路に出てみたら?」と言ったのです。 やっぱり、親って心配で見ているんですねー。特に実母は心配性でしたし。 で、言われた通り、家の前で少し乗ってみると、ちゃんと走って行くではありませんか。でも、少し行くと曲がり角を曲ろうとしたのですが、そのまま生け垣にドヒャーン。(爆)人が歩くほうにどんどん自転車が行ってぶつかりそうになったり(笑えない)車が細い路地に急に入ってきてぶつかりそうになったり。(さらに笑えない)と親には言えないことを経て乗れるようになったのを今でもよく憶えています。 だから、私は最初、自分で大丈夫と思うまでは、すごい慎重派なんです。でも一度そう思ってしまうと、今度は少々のことがあっても慌てない…そんなラーニングスタイルなのかもしれません。
November 8, 2004
桃太郎電鉄は私は面白かったが、テニプリスと小泉君はそうでもないらしい。そしてクレシンは私同様、桃太郎電鉄が気に入っていたが、まだ小さいから、自分に不利なゲームになると一気に不機嫌になってしまう…。 最後にやったときは、私も調子に乗ってついつい一人勝ちしそうになったので、今のクレシンは「桃太郎電鉄は嫌い!」だそうで…。--;) …というわけで、テニプリスの一押し、ドカポンを手に入れる!最近ボードゲームづいている我が家です。
November 6, 2004
地域の子供会行事でボーリング大会があって、役員としてそのお手伝いに。クレシンもキティラも「行きたい」というので一緒に行く。 メンバーは全員が地域のスクーラー。その中でうちの子たちは大丈夫だろうか、とすごく心配になった。しかし2人ともそういうことを知った上で、「行きたい」と言っているから、と心を落ち着かせるようにする。 それでも、何が起こるか分からないのでフォローしたいが、学年の違う2人を一緒にフォローできない。 キティラは地域の子と遊ぶ機会が多いので、今回はクレシンのフォローするために、小4を担当。 ボーリング場に着くと、すでにチームは決められている。男女差の多い学年以外は、なぜか男女混合チームが2チームという組みあわせ(「男2人女3人」と「男3人女2人」とか)が多い。小4くらいだと、こういうのを一番嫌がる年頃だ。(大人になると混合の方を好むが…爆) 案の定、男の子からも女の子からもブーイングが出る。ゲームをするのは子供たちだもの。子どもの意見を尊重すべき、と私はすぐに男女で分けた。 これだけでも、本人達の楽しさが全然違うのだ。せっかくやるのなら、参加者にできるだけ楽しんでもらったほうがいい。 但し、コンピュータにはすでに名前が打ち込んであるから変更ができない。「名前が違ってもいい?」と聞くと、全員が「良いよ!」と叫ぶ。 クレシンはこの行事で久しぶりに(夏休みも入れると3ヶ月あまり)親友に会ったので、楽しかった様子。さっそく帰ってから2人で遊ぶ約束をしていた。良かった~。 キティラはどうだったかなあ。夜になってから「ママはここに住んでいて楽しい?」などと聞いてくる。またお節介な登校刺激でも受けたのかな?
November 5, 2004
…は面白かったです。人生ゲームみたいなゲームだよ、と言われて子どもと遊んであげるつもりが、こちらがはまってしまいました。 自分が社長になって日本各地を旅をしながら不動産を買っていくゲームなんだけど、大儲けすると嬉しいし、現実じゃないから、大損しても「ちぇっ。またがんばろー」くらいしか思わないのが楽しい。 でも、有り金をはたいてパカスカ買っていく母親に、子供たちは少し呆れていました。(爆)テニプリス曰く「ママ、もっとお金の使い方を考えろよ」と言われてしまいました。おほほのほ。
November 4, 2004
夜、テニプリスとお金の話になった。 子どもが初めてお金に興味を持ち始める幼児期から、少しずつ親子のお金に関する対話が始まる。それを思い出していくだけでも、子供の成長を感じる。 最初は少額のお小遣いとかお年玉とか。あとは誕生日プレゼントを買うときの値段の上限あたりとか。 小さい頃は「ダメなものはダメ」ですんでいたが、だんだん子どもの要求が高度化すると、なぜダメなのか、を私は説明することになってくる。説明といっても、私にもまだまだ不十分な点があるから、うまく説明ができなかったりする。 そうすると、私もお金に関して勉強して、それについての自分の考えを言うことになる。 それらは全て「子どもを『子ども大人』にしたくない」「20歳までに自分の足で立てるようにさせたい」という親の願いから来る。 ところで話をしていると、テニプリスも親に頼らず「実践的なお金の勉強」をしていることを感じる。 それで良いと思う。 今はまだ養われている時期だもの、いっぱい失敗したり、少し成功したりして、自分なりのお金に関する認識を作る時期なのだ。 16歳になったらバイクの免許を取って乗りたい、という。それに対して私は、「じゃあ、置く場所だけは提供してあげるけど、あとは自分でやってごらん」と言う。 どうやって彼がそれを実現させるのか楽しみです。
November 3, 2004
を、本人に言うと怒るので、黙って見せてもらった。机の上にポンと置いてあれば誰でも見たくなるものねえ。(いいわけモード^^;)) さすが日頃研究している(?)だけあって、絵や書き方は稚拙だが、ストーリー展開や人物の配置は上手! 以前は、やたらと暴力場面があったので「ママはこういう漫画はちょっとね…」と言ったことがあったが、今回はそういう不快感はまったくなく、すごく面白い。思わずクスッと笑ってしまう。(親の欲目があるかどうかは不明…爆) クレシンは誰かに習うよりも独学が好きなのは以前から漠然と私は感じていた。2つも習い事をやっているキティラに比べて、親としては何だか学費に差をつけているように後ろめたい気持ちもあったが、独学がクレシンのラーニングスタイルなんだろうなあ、と思う。(そういえば、私もそういうところがあるけど) 同じホームスクーラーでも、クレシンとキティラは学校へ行かない理由が違うと思う。キティラは「自分が思うように習えないから」で、クレシンは「自分で勉強したいのに、先生が教えようとするから」かな。 だから日々の過ごし方も違う。そのフォローをやっている私が大変になってしまうのは、当たり前なのだろう。(^^)
November 2, 2004
キティラの英語教室、習字教室、そしてクレシンと一緒の「フリースペース」と、1週間いろんな決まった予定ができて忙しいことになってしまった。それに朝の勉強の時間。 その上単発のイベントが入ると、もう私の育児キャパは一杯。 他の母親はこの上に子どもを学校に行かせているんだよなあ…。そんなのは今の私にはできないなあ。(笑)ヨッポド子どもが学校に行きたがれば別だけど。 キティラの先生とは1学期バトルをやったせいか、結構良い関係になっているが、クレシンの先生はそういうことがないからか、相変わらず煩く接触してくる。「今度登校したいと子どもが言ったら、こちらから連絡します」と言っているのになあ…。勝手に「11月ですよねー、あと半分ありますので…ぜひ登校を」というシツコイ手紙を生徒に届けさせる。ため息…。 学校の教室にはたぶんクレシンの机と椅子があって、毎日のようにそれを気にしながら先生は授業をやっているのだろう。 先日、フリースペースのスタッフの方も言っていたが、家庭の方は、こっちの生活が忙しいと、学校のことは普段思い出すことが少なくなる。 教材として、学校からのドリルやらプリントを使ってはいるが、やり方は我が家流になりつつあるから、今学校に行っても勉強のやり方が合わなくて子どもはやりにくいだろうなあ、とも思う。
November 1, 2004
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