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6月2日に夏目漱石がある雑誌から笑顔の写真を掲載するため笑つてくれと頼まれたはなしを書きました。将棋の升田幸三にもおなじやうなはなしがあつた。『升田幸三自伝 名人に香車を引いた男』から。昭和31年の第5期王将戦(相手は大山康晴名人)で升田幸三は第一局から三連勝しました。この場合「指し込み」といつて第四局は香落ちで対局するといふ決まりが当時あつたのです。八段が名人に香車を引くといふ将棋の歴史で初めての事態。そしてその対局にも升田は勝つたのでした。駒を投じた大山君はうなだれていたと思う。私も盤上を見つめて無言だった。大山君の悲痛さを知る私に、開局のときのうれしさはなかった。この時、取材に来てゐた記者が、「升田先生、笑ってもらえませんか」と注文を出したのださうです。「笑う?こんなとき笑うのはどうかなあ。本当じゃないな」それでも笑えというから笑ったが、翌日の新聞に載った私の顔は、とってつけたような笑顔になっておった。漱石の場合とちがつて升田幸三は記者の求めに応じて笑つてみせたのだけれど、うまく笑へなかつたのでした。大山名人のことが頭にあつたのだと思ひます。
2009.06.30
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ブルースの弾いてゐた曲が良かつたのでメールでコードを教へてもらつて練習。自分でも歌を作るのですが人の作つた歌でいいなあと思ふものがあると自分でやつてみたくなるのです。ブルースはそんなとき「そんなに気に入つたならあげますよ。歌つて下さい」とあつさり言ふのだつた。残念ながら自分には彼のやうな技術がないのでどうやつて弾いてゐるのか聴いてもさつぱりわからないところがあつて普通にやつても全然違つた感じになつてしまふのでした。原曲と全然違つた感じになるといへば、早川義夫さんの「身体と歌だけの関係」や「MyR&R」などのカバーは本当に素晴らしい。他人の歌だけど自分の歌になつてゐる。人の歌を物真似するのではなくて、その人でなくては歌へない歌になつてゐるといふのがいい。昔淡谷のり子さんが素人のど自慢の審査員をされた時にそんなやうなことをおつしやたといふのを読んだ記憶がある。
2009.06.29
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言葉は道具であり、物である。心は物より高尚なものだと いふ先入観さへ無ければ、またそれを逆立ちさせただけの 事に過ぎぬ唯物論といふ名の観念論に禍ひされてさへゐな ければ、言葉はありがたくも物なのであつて、物なるが故 に軽蔑する謂はれは全く無い。 福田恒存 『小林秀雄の「本居宣長」』
2009.06.28
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「泣いたのは健ちゃんのお父さんだけじゃない。 おじさんも泣いた。おじさんは君が死んでも同じ ように泣くだろう。なぜだかわかるか?くやしい からだ。12歳の君たちが命を落とすのも、それを 止められなかった自分も、くやしくて、情けなくて、 どうにもやりきれないからだよ」 山さん(露口茂) 『太陽にほえろ!』 第301話
2009.06.28
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映画を見に行く。『劔岳 点の記』(新田次郎原作・木村大作監督)ひさしぶりに映画観たなあといふ気がしました。役所広司さんだつたか宮崎あおいさんだつたかのせりふの中に高倉健さんの言葉が出てくるのですがそれが強烈に心に突き刺さりました。
2009.06.27
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6月17日に柴田宵曲の「放鳥」を紹介しました。鳥籠が出てくる作品といへば、なんといつてもメーテルリンクの『青い鳥』である。ぼくはこの話(戯曲)が大好きで何度も読んだ。特に好きなのは未来の王国に出てくる子どもたちの場面ですね。(以前このブログで少し書いた)そして『青い鳥』といへば「火」とか「パン」とか「幸福」などを擬人化してゐるところがおもしろい。自分の身体を食べさせる「パン」はアンパンマンみたいなやつだ。そんなメーテルリンクも鳥が入つてゐる「鳥籠」は擬人化してゐないのだが、これを擬人化してゐる日本の作品があつた。宮澤賢治の『鳥箱先生とフウねずみ』だ。ここでは鳥籠が擬人化されてゐるのです。題名にある通りその名も「鳥箱先生」といふ。この鳥籠は、「おれは先生なんだぞ。鳥箱先生といふんだぞ。お前を教育 するんだぞ。」などと言つてひよどりたちに嫌はれてゐるのでした。賢治がメーテルリンクの影響を受けてゐたかどうかは、よくわからない。
2009.06.27
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6月19日に石川啄木は教員時代「左肩をいからせて、」歩いたとあつた。特徴がある歩き方といへば、歩きながら、話している相手を押して、道の片方に寄ってゆく癖があった。歩き方もうまくなく、泥の道をゆくと、裾にいつもハネを上げていた。(戸板康二『新々ちょっといい話』)とあるのは武者小路実篤。片方に寄る癖があつたといへば相撲の双葉山で、たしかある寺で手押し車を押したときに右だつたか左だつたかに車が寄つていくくせがあつたので、それまで誰にも言はなかつた右目の失明(子供の時吹き矢の針が刺さつた)がわかつてしまつたといふ逸話がある。
2009.06.26
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「偶然行つて見たら英訳の『罪と罰』つていふのがあつた。 あれに相違ない。ドストエーフスキイといふ名の奴なんだ。」 尾崎紅葉 内田魯庵 新潮社版「世界文学全集」月報
2009.06.25
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将棋の第67期名人戦七番勝負(名人・羽生善治 挑戦者・郷田真隆)は今日決着がつきました。羽生名人が勝ち、4勝3敗で6度目の名人位防衛を果たしました。一手一手が手に汗握る攻防でした。解説に石田和雄九段が出てゐてわかりやすくて楽しい解説で良かつたです。ぼくも素人なりに次の一手を予想したりしてゐたけど全然当たらなかつた。
2009.06.24
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「理屈で考えたらゼロだろうね。でも、単に理屈だけで物事を 捉えていたとしたら、ぼくのキャリアは何年も前に終わって いたはずだよ。おそらく始まりさえしなかった。いまぼくに 言えるのは、これまでと同じように、血を吐きながら闘う、 ということだけだよ」 ロベルト・バッジオ 『ロベルト・バッジョ自伝2 夢の続き』
2009.06.24
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サッカー。今日は蒸し暑かつたのでしんどかつた。水分補給が大切です。
2009.06.24
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「ケンさん、『義理』だが、義理は借りなのか?」 「重荷です。耐え難いほどの重荷です」 「じゃ放り出せばどうなんだ。文句は言われまい」 「NO」 「天罰でも下るのか」 「NO」 「じゃなぜ重荷を背負う」 「義理です」 高倉健 『ザ・ヤクザ』
2009.06.23
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泉谷しげるの新曲『生まれ落ちた者へ』が出ました。宮本武蔵の映画の主題歌ださうです。迷い悩み苦しみながらも剣の道を究めやうと生きて行く武蔵の感じが出てゐて、5分で作つた(泉谷談)とは思へないほどいい歌でした。あと「つなひき」や「翼なき野郎ども」なんかと同じやうに歌詞の中に「生まれ落ちた者へ」といふ言葉は出てこないのでした。
2009.06.22
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5月29日にすこし予告してゐたのですが東京へ行きました。東京は広いなあと本当に思ひましたね。自分が今ゐる所がどこなのかわからなくなつて迷子になつてました。お茶の水といふ駅で降りてギター屋さんを5軒くらゐ見ました。今日は見るだけで買はなかつた。そこから古書店街がある方へ歩いて行つて古本屋さんを15軒くらゐ回りました。森有正、臼井吉見、徳川夢声、佐々木邦などの本を買ふ。関良一の本をさがしたけどなかつた。東京駅の土産物売り場では「東京ばなな」と「東京カンパネラ」といふ二つのお菓子を売つてゐました。どつちがたくさん売れてゐるかなあと思つて見てゐたら、30分間で「東京ばなな」は27人、「東京カンパネラ」は25人の人が買つていきました。そして新幹線で帰る。またゆつくり時間があるときに来たいです。
2009.06.21
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職場でTさんとプロレス話。Tさんは過激なプロレスが大好きでいろいろ薦めてくれます。「蛍光灯デスマッチ見ました?すごいよねえ。 画鋲デスマッチは?プロレスをやらせだとか 八百長だとか言つてバカにする人ゐるけどあんな ことできないですよ。自分でやつてみろつて言ひ たいよ」「そりやさうですよ。技を受ける身体ができてるから ああいふことできるんですから」ぼくはあんまり痛々しいのは苦手です。昔のプロレスは夢があつてよかつたなあ。「ぼくはラッシャー木村が好きなんですよ。日本人 最強のレスラーだと思ひますね。いまでもノアの 終身名誉選手会長なんですよ」「あー、国際プロレスのエースだつたんでしょ。 国際プロレスが解散した後猪木の新日に参戦したん だよね」「さうさう。それでアナウンサーの古舘伊知郎がラッ シャー木村のことを『テトラポットの美学』つて言 つたんですよ」あと三沢光晴さんがゐなくなつたあとのノアはどうなるんだらうとかタイガーマスクのこととか話してました。
2009.06.19
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6月5日に『回想 教壇上の文学者たち』といふ本が出てきました。タイトルにある通り教員をしてゐた文学者のことを書いた本です。この本で取り上げられてゐるのは以下の人たちです。島崎藤村(東京・明治女学校、宮城・東北学院、長野・小諸義塾)石川啄木(岩手・渋民尋常高等小学校、函館・弥生尋常小学校)宮澤賢治(岩手・稗貫農学校)与謝野寛(山口・徳山女学校、埼玉・跡見女学校、東京・文化学院)与謝野晶子(文化学院)大佛次郎(神奈川・鎌倉高等女学校)下村湖人(佐賀・佐賀中学校、唐津中学校、鹿島中学校など)中島敦(神奈川・横浜高等女学校)教員をしてゐた文学者は多いんですね。あー、あの人もこの人も先生やつてたのかあ、といふほどです。大佛次郎なんか意外でした。ぼくはこの中だつたら中島敦に教はりたいですね。こんな回想が語られてゐます。石川啄木先生は「左肩をいからせて、こうユッサユッサと歩くです。ステッキ 持って。」「髪は長くしていましたが、キチッと分けてました。今はやりのように ボサボサにはしてないがんす。」中島敦先生は「(髪を)長くしていらして、前髪を眼鏡のつるにはさんでいらっ しゃいました。それでも下を向いたりするとバサッと落ちる。 それをまたかき上げて、つるにはさむという仕草をくり返され る先生でした。」「教卓の椅子に座ると、いきなり足を組んで授業される」二人とも文学者としてのイメージとはまた違つて、おもしろい。
2009.06.19
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「あの時ねえさんに言われたこと、忘れんようにやっとる だけです。」 高倉健 『日本侠客伝・花と龍』
2009.06.18
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河島英五と森山良子が共演した1993年のテレビを今日再放送してゐました。「酒と泪と男と女」「時代おくれ」「ほろ酔いで」などよくやる曲が多かつたのですが、やつぱり何度聴いてもいいなあと思ひました。森山さんが英五さんのギターを借りて歌つた「おべんとうのうた」もすばらしい歌でした。高校一年生の時に初めて作つた歌だと言つてゐました。
2009.06.17
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6月13日のガリンシャの小鳥の話から。柴田宵曲に「放鳥」といふ随筆がある。これは鳥を放つことを描いた文学について綴られた短文。雍陶の「籠を開きて白カン※を放つ」や白楽天の「旅雁を放つ」の詩、日本では『江戸著聞集』『武野俗談』『山家鳥虫歌』『駿台雑話』正岡子規の逸話などが出てくる。「鳥を放つことは一であるが、放つ人の境遇により、心持に よつて、その結果はいろいろになる。」と宵曲が書いてゐるやうに、籠の中の鳥のやうな境遇にある人を象徴するために「放鳥」を題材に取ることがあるやうだ。北村透谷の「楚囚之詩」なんかはまさにさうですね。※カンは「閑」に「鳥」を合せた字なのですが表記できません でした。「白カン」はキジの仲間で、狩野探幽の「白カン図」 などの画題にもなつてゐます。
2009.06.17
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「東京の話をしようか。東京はね、とっても広いんだよ。 大きなビルがずーっと並んでてな、夜になるとネオンが いっぱいにつくんだ。電車、自動車、地下鉄。ものすご い数だよ。それからデパート行くとな、どんな品物でも いっぱい並んでるんだ。欲しいもんは何だってあるんだ よ。三年間俺はその東京で働いたよ。ずいぶん楽しかっ たよ。本当に東京行って良かったよ。」 田村高廣 『張込み』
2009.06.16
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私が世に哀愁の存在することを知ったのは、つくつくぼうしの おかげである。もしかしたら、人間にもののあわれという感情 をうえつけたのは、このセミではないだろうか。私にはそう思 えてならない。 星新一 『きまぐれ星のメモ』
2009.06.15
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6月10日の折口信夫の歩きながら眠るくせの話の中で、「電柱にぶつかつたりしなかつたんだらうか。」と書きました。実際にぶつけた話をどこかで読んだやうな気がすると思つて記憶を探つたらなんと折口ではなく黒田官兵衛(如水)でした。ぶつけたのはもちろん電柱ではありませんが。司馬遼太郎の『播磨灘物語』にかういふところがある。 あの日、宿に帰って考えこんでいたとき、不意に柱に頭をぶつけた。梁がきしんだかとおもうほどの音がして、やがて髪の中から血が滴った。 善助がおどろき、すべるようにして官兵衛のそばにきた。「癖だ」と、官兵衛は善助を追いやった。「若き日日」の章から。善助は栗山善助(のちの栗山備後守利安)血が滴るほどだから、かなり痛烈にぶつけたのですね。ぼくも考へごとをしながら歩くことが多いので気を付けよう。ところで、この話は何か資料に基づいて書かれてゐるのでせうか。それとも司馬遼太郎の創作なのでせうか。
2009.06.14
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「ガリンシャがボールを持ったら、君が勝つチャンスは まったくない。彼は10回ボールを持ったら、10回 君をドリブルで抜くだろう。唯一君にできることは、 彼にパスが渡る前にカットすることだ」 ガブリエル・アノ ジャック・ティベール「サッカーマガジン(2000年3月1日号)」
2009.06.13
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はなさかじいさんのはなしで、褒美はいりませんからとなりのおじいさんを許してあげて下さい、と答へたアニメを紹介しました。それで思ひ出したはなし。サッカー選手のガリンシャにこんな逸話がある。1958年にブラジル代表がワールドカップで初優勝して凱旋し、国民に熱狂的に迎へられた時のこと。当時の大統領が選手全員に、海岸沿ひの別荘をプレゼントしようと言つたさうです。喜ぶチームメートたち。が、ガリンシャだけは嬉しさうな表情を見せませんでした。不思議に思つた大統領が問ひただすと彼は、別荘はいらないから大統領の飼つてゐる小鳥を籠の中から出してやつてください、と答へたといふのです。ガリンシャ(本名マヌエル・フランシスコ・ドス・サントス※)は伝説に彩られたサッカー選手で、嘘か本当かわからないやうな凄い逸話が数多くあります。(詳しくは「ガリンシャ」で検索を)ただ花さかじいさんの話と同様に、かうした無垢で純粋な人物は日本でもブラジルでも人気があるといふことなのかなと思ひます。※ 彼は少年時代パチンコで鳥を射止めるのが得意だつたことから 山岳に生息する小鳥ミソサザイの意である「ガリンシャ」の名 で呼ばれるやうになつたと言はれてゐます。
2009.06.13
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6月2日に夏目漱石と岡本一平のことがすこし出てきました。『一平全集第二十巻』に、「夏目漱石先生より著者の『探訪画趣』に寄せられたる序文」(大正3年6月15日)といふ漱石の短文が入つてゐます。「私は朝日新聞に出るあなたの描いた漫画に多大な興味を 有つてゐる一人であります。」といふ文で始まり、岡本一平を絶賛してゐる文章です。漱石は自宅に来た朝日新聞の鎌田敬四郎に、『鋭くて風刺的だが苦々しいところが無い。そして 残酷さがない。』と言つて一平のことを賞讃し、本を出すことを勧めました。先の漱石の文章はその本『探訪画趣』に寄せられた序文です。その後二人の交遊は漱石の死までつづいたといふことです。(追記)先進社版『一平全集』月報第六號には「失はれた漱石先生の肖像」といふ文章が載つてゐます。これにはとある青年が一平が書いた漱石の肖像画を苦心して手に入れたのだが関東大震災で焼けてしまつたといふ話が書いてある。といふことはこの間の肖像画とは別物が存在してたといふことですね。一平は生涯に何枚くらゐ漱石の肖像を描いたのだらう。『漱石八態』は有名ですが。
2009.06.12
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最近戦国武将の歌を作つてゐる音楽仲間からメール。以前楠木正成や大谷吉継の歌を聴かせてもらつたけど最新作は真田昌幸ださうだ。ぼくもたまにアイデアを出してゐる。吉川元春や小早川隆景はどうだらうと送つたらそれも歌にできさうだとのことだつた。聴かせてもらふのが楽しみだ。
2009.06.11
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「あんたと俺は一勝一敗だ。五分じゃないかよ。あんたが どれほど強かったか。誰よりも知ってるのは俺なんだ。 その俺が、はるばる日本からやってきたんだぜ」 輪島功一 『炎の世界チャンピオン』
2009.06.11
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折口信夫は芝居を見に行つたとき、塵を吸うのがいやなのでハンカチをマスクがはりに、眼鏡にはさんで見てゐた。芝居から帰るときは、頭の中が今見た芝居のイメージでいつぱいになつてゐるため連れがあつても一言も口をきかなかつた。これは子どもの時からのくせだつたといふ。紀田順一郎編『にっぽん奇行・奇才逸話事典』から。山田洋次監督と渥美清さんがチャップリンの『街の灯』を観に行つたとき、その帰りに誰も口をきかなかつたといふ話を思ひ出しました。
2009.06.10
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くせのはなしのつづき。折口信夫には歩きながら眠る癖があつた。「歩き睡りといふ、あれである。(中略) 實は大分久しく、その習慣に遠のいて居た私だが、 をとゝしの末に幾年ぶりかに行きあうて、其から 暫らく、此が續いたので、どうも全く夜道などは、 弱つてしまつたことだつた。」 (「鏡花との一夕」昭和17年頃)作品の中で夢幻の世界に遊んだ折口信夫は普段の生活の中でも夢を見てゐたのだなあと思ひました。でもこれは危ないことは危ないですね。電柱にぶつかつたりしなかつたんだらうか。
2009.06.10
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「真のますらおは、己がためには泣かない。瀬古は、 真のますらおです。自分のためには泣かない。 私のために涙を流しつづけたんです。」 中村清 石井信 『瀬古利彦の42・195km』
2009.06.09
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少年サッカーのコーチをしてゐるIさんと4時間位サッカーのはなし。日本代表チームがワールドカップ出場を決めてよかつたねなんてはなしてました。それからJリーグやヨーロッパサッカーのことなど。Jリーグのスタジアムは子供を安心して連れて行くことのできる雰囲気の良い場所であつてほしいと語つてゐました。Iさんは「キャプテン翼」の若林くんにあこがれてゴールキーパーになつたといふ人で、サッカーに対する愛情がものすごかつた。サッカーには人を熱くさせる魔力のやうなものがあるなあとあらためて感じました。ぼくもついつい話に引き込まれて、「金田さんはめちやめちやうまかつた!」とか言つてました。
2009.06.07
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5月24日の「はなさかじいさんいろいろ」の回にキタサン5363さんが「それぞれ違う結末になったのには理由、対象となる読者層、 時代背景があったのでしょうね。また、すべての話に共通な 点もあるのだと思います。」とコメントを下さつたので今回は「対象となる読者層」について。『湖国と文化』2007年春号の中で児童文学者の今関信子さんが「子どもたちへの民話」と題して、1983年に『滋賀県の民話』を出版したときの話を書かれてゐます。その打ち合せを1980年にしたときの編集者のことば。「この本の第一の読者は子どもですから、どの噺を取るか、 つまり、どの噺を次代を生きる子どもたちに伝えるか、そ こが問題です。直接の対象は小学校中学年になりますから、 そこを目安にした本作りをします。そのため表現の問題、 言葉の問題も考えていくことになります。」そのあと今関さんの文章はかう続く。「子どものための民話の本を作る場合、資料集を作るのでは ないので、当然のことながらどの話を選び、どう再話する かに力が注がれることになります。面白おかしく語られる 話に、障害者を笑うものがあります。野宿のような生活を している人を、からかう歌もあります。昔から伝わってい る噺だからと、面白さを強調して人間性を損なうような噺 を伝え続けることに、私は抵抗を感じるのです。」4月28日にzero0923さんが「日本の昔話は危険です」といふことでいくつか実例をあげて教へて下さつたやうに、民話には残酷な内容のものもあるので子供向けの民話の本を作る人たちは様々なことを配慮して編集をしてゐるのだといふことがわかりました。ぼくは「かちかちやま」でたぬきがおばあさんを殺して、「ばばあ鍋」にしておぢいさんに食はせるところがあんまりだなあと思つた記憶があります。(この間「かちかちやま」の絵本を何冊か見たら、鍋のくだりは 変へられてゐました。)
2009.06.07
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人の真似をせず、人に真似もされぬ、そんな歌を作りたい。 早川義夫 『たましいの場所』
2009.06.06
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前回の寺田寅彦の笑ひの話に関連して思ひ出したこと。石川啄木の渋民小学校代用教員時代の教へ子の方々がこんなことを座談会で回想してゐます。立花 笑わない先生だった。一同 そう。笑った顔は覚えていない。遊座 笑わない?これは意外な一面ですね。啄木の口元は、 笑うと糸切歯が見えたと思いますが、覚えていませんか。一同 ねえっす(ないです)。 (『回想 教壇上の文学者たち』より)これはぼくも意外に思ひました。この座談会の中では、石川先生は厳しい面もあつたけど一緒に遊んでくれたり勉強できない子の面倒を見てくれたりして優しい先生だつたと回想されてゐるのです。子供好きだつたことがわかる逸話もいくつか残つてゐますし、笑はなかつたなんてことはないと思ふのですが。※「立花」とあるのは教へ子の立花五郎。 「遊座」とあるのは啄木研究家の遊座昭吾。全然関係ないですけど戦国武将の上杉景勝は生涯にほとんど笑顔を見せたことがなかつたといふことが上杉家の資料にあるさうですね。
2009.06.05
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5月13日に夏目漱石の笑つたときのしわについて書きましたが寺田寅彦には笑ひについてこんなくせがありました。寅彦の随筆『笑ひ』から。 私は子供の時分から、医者の診察を受けてゐる場合にきつと笑ひたくなるといふ妙な癖がある。この癖は大きくなつてもなかなか直らなくて、今でもその痕跡だけはまだ残つてゐる。 病気といつても四十度も熱があつたり、あるいはからだのどこかに堪へ難い痛みがあつたりするやうな場合はさすがにそんな余裕はないが、病気の自覚症状がそれほど強烈でなくて、起き上がつてすわつて診察してもらふくらいの時にこの不思議な現象が起こるのである。不思議ですね。よく笑ふ人といふのはゐますが、面白い事が何もないのにある特定の場面におかれた時だけ笑つてしまふのは少し珍しいかもしれません。
2009.06.04
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「人間の心が蒸発して霞になりさうな日だね」 寺田寅彦 『團栗』
2009.06.03
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5月13日に漱石が笑つたときの鼻の横のしわのことを書きました。漱石には大正3年12月に撮影されたといふ笑つた顔の写真があります。『新潮日本文学アルバム・夏目漱石』には「遺された写真の中では、笑みのある唯一のもの」と書いてあります。この写真を撮影した時の話は『硝子戸の中』「二」に出てくるのでよく知られてゐます。漱石はまづ電話で約束します。「あなたの雑誌へ出すために撮る写真は笑はなくつては不可ないのでせう」「いえそんな事はありません」と相手はすぐ答へた。あたかも私が今までその雑誌の特色を誤解してゐたごとくに。この雑誌は不動産貯蓄銀行の「にこにこ」といふ雑誌。ぼくはこの雑誌について全く知らないんですが、題名が「にこにこ」といふくらゐだから笑顔の写真が必要だつたのでせうか。が、撮影当日。彼は顔を半分ばかり私の方へ出して、「御約束ではございますが、少しどうか笑っていただけますまいか」と云つた。私はその時突然微かな滑稽を感じた。しかし同時に馬鹿な事をいふ男だといふ気もした。私は「これで好いでせう」と云つたなり先方の注文には取り合はなかつた。「彼」は笑はなくてもいいといふ約束を破つたのでした。漱石は曲がつたことが大嫌ひだから怒るかと思つたら我慢してとりあへず笑ふといふ注文には応じないまま撮影だけは済ませるのでした。それが何故笑つた写真が遺されることになつたのか。それから四日ばかり経つと、彼は郵便で私の写真を届けてくれた。しかしその写真はまさしく彼の注文通りに笑つてゐたのである。その時私は中が外れた人のやうに、しばらく自分の顔を見つめてゐた。私にはそれがどうしても手を入れて笑つてゐるように拵へたものとしか見えなかつたからである。 私は念のため家へ来る四五人のものにその写真を出して見せた。彼らはみんな私と同様に、どうも作つて笑はせたものらしいといふ鑑定を下した。「手を入れて笑つてゐるように拵へたもの」だつたのです。本当は笑つてないわけですからこの写真について、「遺された写真の中では、笑みのある唯一のもの」といふ言ひ方はできないやうな気がします。といふことは漱石の笑つた写真といふのは一枚もないわけで、漱石が笑つたとき鼻の横にしわができるといふ内田百間の証言は写真では確かめることができないのでした。(追記)ただ岡本一平画「漱石先生之像」を見ると顔の左側にしわのやうな線が書いてあり、百間が書いてゐたしわといふのはかういふものだつたのだなといふことはイメージできます。
2009.06.02
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4月18日の人名の表記のはなしでこんなことを書いた。「サッカー選手ではジーコがジッコ、ジダンがジダーヌだつた」山本浩さんと倉敷保雄さんの対談『実況席のサッカー論』を読んでゐたらこのことにふれてゐる箇所がありました。トルコのイルデュライ・バストュルク選手は日本ではバストュルクと紹介するがトルコではユーディライと呼ばれてゐる。アルゼンチンのカニージャはカニーヒアとどちらなのか。ロナウドはロナルドだつたりするがブラジルではホナウドと呼ばれてゐる。など。ぼくが印象に残つてゐるのはオランダ代表のビチュヘですね。ビトシュへと呼ばれたりウィスハと呼ばれたり色々だつた。ぼくは山本さんと倉敷さんどちらの実況も好きです。このお二人の素晴らしいところは、選手の名前をきちんと実況してくれるところです。山本さんに言はせるとアナウンサー泣かせの国はサウジアラビアで、選手のメンバー登録の時にその時々で省略したりして登録する名前が違ふことがあるからなんださうです。倉敷さんはどこで切つて省略していいかわからない人名が困るやうです。「シャハジボンボ・アルザビク・アルアシッド三世とかってそんな 選手に細かくパス交換されたらたまらないですよ(笑)。」そんな話が出てきて楽しい対談です。
2009.06.01
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