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河瀨直美は日本を代表する映画監督で、カンヌ映画祭では、新人作家のときに「萌の朱雀」でカメラドール賞、その後「殯の森」でグランプリを受賞しています。本作は、小児医療センターで働く主人公コリーのまわりで進む出来事から「生きる」ことと「時間」の意味を問う内容になっています。主役がフランス人であるのは、日本人の多くが共有する生命観を際立たせるためでしょう。心臓移植をめぐっては、とくに生命に対するセンシティブな問題が常に存在しています。また、コリーは屋久島で1人のカメラマン男性と知り合いました。男性との生活からも、「生と時間」の意味が描かれてゆきます。さらに屋久島の厳しさと優しさを秘めた自然の風景からも、時とともに激しく移り変わる生のダイナミクスが強く感じられます。これらが複層的にからみあい、圧倒されました。本作は、河瀨直美の傑作のひとつになったと思います。<<以下ネタバレがあります!>>主役のフランス人女性コリーは、日本に魅了されて神戸の小児医療センターで働きながら臓器移植の普及に取り組んでいます。日本で臓器移植があまり進展していないことを問題と考え、病院内での研修を進めていますが、同僚たちの反応は芳しくありません。提供者が現れないまま死を迎えてしまう子供たち、長期にわたって待機を強いられる子と家族…そんなとき、ある男の子にドナーが現れ、心臓移植が行われることになりました。ドナー家族の葛藤と同時に、秒単位で運ばれてゆく心臓、それを待つレシピエントと医療スタッフ、命をめぐる感情と時間との矛盾が渦巻きます。屋久島で出会ったカメラマン男性との恋は、コリーにとってもう一つの「命と時間」の物語です。この男性は根無し草で自由気ままに生きていて、常に時間に追われているコリーとは対照的な存在です。やがて、2人の間には亀裂が生まれ、男性はふらりと姿を消してしまいます。彼は身内からも距離を置いていたため、行方はつかめませんでした。男性にふたたび巡り合いたいと願うコリーにとって、「死」が訪れてしまったわけです。「生きる」こととはどういうことなのか、日々の生活で常に追われている「時間」とは何なのか、その2つのテーマを深く考えさせられる作品でした。
2026.02.17
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話題になっていた映画「落下の王国」を観てきました。2006年の作品が4Kデジタルリマスター版として上映され、徐々に口コミで広まってあちこちで上映されるようになったのだそうです。世界遺産13か所を含む各地の風景を取り入れた「映像美」というのが売りでした。amazonプライムとか、オンライン配信なども見当たらなかったので上映しているうちに…と観に行ったのです。しかし、睡眠不足のまま行ったところ、前半でかなりウトウトしてしまいました。そんな中途半端な状態だったのですが、映像美が素晴らしいだけでなく、ストーリーもとても良かったです。5歳の女の子(カティンカ・アンタルー)が主人公なのですが、この子の表情やしぐさが豊かでかわいらしく、物語に引き込まれます。そうなるとウトウトした前半がもったいなく、もう1度観たい…けど、これからも配信があるかわからない…というわけで、もう1回劇場に足を運びました。今度はちゃんと起きて観てみたところ、やはり前半はとても重要でしたし、ところどころで見逃してはならない仕掛けもありました。ネタバレを避けるためにあまり詳しく書きませんが、ダーウィンとウォーレスが登場したのには笑いました。ウォーレスはダーウィンと同時代に独自に進化論にたどりついていた人物です。純粋なウォーレスが進化論のことでダーウィンに手紙を書き、焦ったダーウィンが慌てて進化論を発表した経緯があります。そのことを知っていて観ると面白いです。また、カティンカ・アンタルーはこの作品のあとは映画に出演していないのですが、イギリスの大学で演劇を学んでいるのだそうです。また演じたい気もあるそうなので、いつか映画に登場する姿を再び観られたいいですね。(追記)口コミで低評価をしている方のコメントに、ロイによって展開される物語が「チープ」というのがありました。「そりゃそうだ…。」監督が聴いたら爆笑するのではないでしょうか。
2026.02.11
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リチャード・ドーキンスの「遺伝子は不滅である」を読みました。昨年秋から読み始めていましたが、仕事が多忙で読み終えるのに時間がかかってしまいました。ドーキンスはイギリスの著名な進化生物学者です。ドーキンスは私が高校時代に「生物=生存機械論(のちに「利己的な遺伝子」と改題」という本で有名になりました。当時、京大の日高敏隆もわかりやすい解説書を出していて、それらが私の進路に大きな影響を与えました。そんなわけで、こちらもそれなりの知識を持って再びドーキンスの著書と出会えたことは感慨深いです。解説にも触れられていますが、ドーキンスは生物に詳しくない一般読者を想定してわかりやすい用語を使います。読み物としては良いのですが、厳密に内容を理解しようとするとそれを専門用語に置き換える必要があり、少し苦労しました。しかし、本書全体を通じるテーマは明確であり、著者の生物観に、これまでの遺伝学的知見を随所に取り入れた興味深い内容になっています。本書の内容を下記の4点と注にまとめてみました。個別にはもっと多くの面白い事例や議論がありましたが、要点はこんな感じです。1)動物の遺伝子には、自然選択(=自然淘汰)などによって変化し、祖先から後世に伝えられてきた情報が上書きされながら残されてきた(※注1)。2)動物は進化プロセスを経て完全に近づいてゆき、その変化は外観だけでなく内部にまで浸透している(※注2)3)遺伝子は能動的原因であり、生物体を”利用”している。物理的なDNA自体は一時的な存在かもしれないが、その配列に記された情報は潜在的に永遠である(※注3)。4)遺伝子の位置づけは時間的・空間的に広がりを持つ(※注4)注1:DNAの塩基配列にはタンパク質をコードしていないイントロンという部分が大量に存在しています。かつてはゴミ箱と言われていたそれらのDNA配列にも重要な部分があると見直されてきていますが、機能しなくなった(意味を失った)過去の配列もやはり多く残されていると思われます。逆に現在機能している遺伝子は、塩基配列を上書きして情報をアップデートしているようなイメージになるということですね。注2:ドーキンスはダーウィニスト(ダーウィン主義者)なので、適応の影響を強く意識しています。一方で木村資生の提唱した中立進化説からは、有利でも有害でもない中立的な遺伝子が偶然の作用で変化するプロセスも大きく作用したことが示唆されています。適応以外の影響もきちんと配慮する必要があるでしょう。注3:本書の中心的な部分で、ドーキンスの長年の信念といってもよいでしょう。批判的な見解「遺伝子は(個体の生存などに)用いられるものであり、能動的な原因ではない」に対し、たいへん強い反論を述べています。私は、この論争は「能動的」という言葉の使い方の違いに起因するものと感じました。たとえばAさんが足を伸ばそうとするとき、筋肉とか血液とかそれぞれのタンパク質をコードする遺伝子はAさんに利用されたことになります。一方で、淘汰されてきた遺伝子によってAさんの筋肉を伸ばす行動が規定されるという意味では、遺伝子が能動的という言い方もできます。つまり、この論争を続けても不毛と思います。注4:このような書き方をしていませんが、意味はそういうことです。たとえば、保護色はその個体がいた環境により、体色に関する遺伝子が自然選択の作用を受けてきた歴史を反映しています。また、個体が過去の記憶をもつことによって何かを避けたり、好んだりすることも遺伝子に反映されます。このような遺伝子のもつ空間的・時間的延長についての視点は面白いですね。上記注3にもあるとおり、ドーキンスの主張が誤っているということではないですが、ダーウィニストの立場が強く反映されすぎているように思います。腸内細菌に代表されるマイクロバイオームの役割とか、核ゲノムの遺伝情報そのものだけでなくDNAに施された修飾(エピジェネティクス)とか、非コードRNAなど多様なシステムがわかってきました。本書でもそれらについても触れているものの、遺伝や進化の概念をもう少し柔軟にとらえる必要があると感じました。
2026.02.08
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