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3月下旬は人事異動の時期で別れのシーズンだ。国の外郭機関の方は、創業支援ということで私を色々励ましをいただいてきたし、先日は、私の講演会も催していただいた。宿命と言うのか、たった一枚の辞令で移動していかれる。別にべたべたした仲ではなかったが、なんというのか、プロ同志というのか、認め合う関係であったと思う。そのような人生模様が繰り広げられる中、いよいよ新しい「松江市」がスタートした。いわゆる市町村合併でできた町だ。以前から言っていることだが、宍道湖・中海圏域に65万人が住んでいるが、どうせならそこら当り中ひとつの町になってしまえばいいと思っている。100万人の町もすぐ出来る理窟だ。広島市だって東西にえらく長い町だが、昭和の合併で100万人都市になった町だ。山陰の宍道湖・中海圏域も広島市とくらべれば似たような広さだ。山陰両県がひとつになるということはおそらくないであろうし、もしやったとしても、さらに大同合併をする時期が必ず来るだろう。おそらく中国州または中国道というひとつの圏域に吸収されるときが来るであろう。仮に広島市が州都または道都になった場合、このままでは、山陰にはせいぜい20万人の町があるだけ、ということになり、まったく相手にされなくなるだろう。(多分)しかしその町が65万人の人口だ!ということになると話は別だ。あなどれなくなる。乱暴な意見だが、一極集中は大事だ。そのことが惹いては全体をよくすることになるのだ。薄く広くでは、ひ弱な町しか存在しない地域に成り下がってしまう。鹿児島県は鹿児島市だけに一極集中している。それでは他の地域は虐げられているのか? 否。 鹿児島市のお陰で県全域が潤っている。山陰も同じ理窟にすればよい。宍道湖・中海圏域が、それこそ70万人だ、80万人だ、というひとつの町になれば、結局、山陰全体が潤うことになるだろう。同じように、文化の継承も絶対大切だ。しかし、復古主義だけでは話にならない。過去と現在と未来の融合の中に文化を見出すことが大切だ。未来を受け付けない過去の物だけを大切にする行為は決して文化とは言えない。平成の合併は全てを見直すよい機会だ。町がどうあるべきか、文化をどう捉えるのかを、一人一人が今一度問い直すことが大切ではないだろうか。例えば、松江城の中に、建物を極力いじらないようにしながら、文化のかおり漂うレストランをつくったりということだって、とっぴなようだが大切なことだ。文化財の維持はお金がかかる。テナントを入れることで、テナント料が入るではないか。こういう発想もあっていいではないか。ヨーロッパでは、お城とか史跡のようなプロムナードがそのように活用され、観光客だけのオープンセットではなく、町の住民がそこで愉しんでいる光景を見ることができる。松江城も地元の人間はめったに行かない。私も何年も行ったことがないありさまだ。しかし、そのようなシチュエーションを与えたならば、住民と観光客の融合と言うか、パリの町のような様子になることだろう。また、世は、インターネットと携帯電話の時代だ。私の子供達も遠くに学業の場を求めたのだが、この瞬間にいつでも連絡が取れるため、遠くに出している感覚がない。これがよいことか悪いことかは分からないが、現実にそんな時代だ。つまり、革新とかそんな悠長な話ではなく、システムが人間社会を猛烈な勢いで変革しつづけているのだ。65万人とか100万人と言っても、決して虚勢を張っているのではない。くどいが、こんな時に、小さな圏域ができたって何のことはない。公の経費を削減するためだけのビジョン無き合併などあまりにも理念が無さ過ぎではないのか。申し訳ないが、自治体関係者が集まって合併論議したって暗い話になるのがおちだ。なぜならすぐにではないにしても、ずばりリストラを意味するからだ。民間人の私にとっては、申し訳ないが、国全体に山陰の宍道湖・中海圏域ここにあり!と存在感をアピールし、再認識してもらえるよきチャンスだと思っている。なにより、圏域に住む人間が、人口100万人をめざす65万人の町に住んでいるというだけで意識がまったく違うものになることだろう。
2005/03/31
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このところ完成物件が多く、またありがたいことに依頼される物件も格段と多くなってきたために、ことのほか気ぜわしい毎日だ。 以前に安藤先生から言われた言葉が思い出される。「建築家というのはしんどい仕事や。クライアント(施主)の思いに負けんようにせなあかんからな。」つまり、本気な人というのか当事者というのか、その人の思いにいかになりきれるかが勝負!ということであろうことを身に凍みて感じるこのごろだ。時には、今までの経験則だけで計れないこともある。眠れなくなってしまうことも一度や二度ではない。しかしそういうことの繰り返しの中で、何時しか視野が広がり新たな回路が埋め込まれたように思えてくる時が来る。こういうことが、経験則で分かってきた。一人一人のクライアント、一つ一つの物件、そこに集中しきることに重きを置いてきた。これからは、さらに、プロジェクト自体を大きく動かすときが来たようだ。 あるクライアント(施主)から、「実績を知りたい。」という依頼があり作った初めての作品集。もちろん手づくりであるが、ページをめくりながらしみじみ「建築家してるな~!」と実感。夢を描き、されどまったく仕事の依頼の無かった時期もあったが、それを通り、いつしか、今日までに多くの設計依頼をいただき、作品集ができるまでにならせていただいた。 6年前の倒産はいつまでも風化することのない出来事だ。その渦中で今日を想像することはまったく出来うるはずもなかった。しかし現実にこうして実績を積ませていただいている自分がいる。これは奇跡的なことだ。自分が一番そう思う。この6年間そのものがめまぐるしいと言える。これからもさらに進化していくであろう。なぜなら、私だけのプロジェクトではなくなってきているから。
2005/03/29
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このところめまぐるしく、そんな状況の毎日だ。 工事中の4物件のうち3物件が完成し、完成検査、引渡、福祉法人は明日竣工式。工事中の物件の監理、現在実施設計中の物件を合わせ計画中の物件が10件。ありがたいことに、ここに来てクライアントから声を掛けてくださることが多くなってきた。設計スタッフも3名になり、一人3物件ずつ受け持っている。通常の設計事務所の運営では考えられないことだが、安藤事務所と同じ方法・フォーメーションで進めている。安藤事務所は、25名のスタッフが50~60物件をこなしている。初期計画の段階、基本設計の段階、実施設計の段階、工事中の段階の物件を組み合わせていけば、一人3物件の同時担当は可能だ。施工監理者も入れれば総勢7名の事務所となり、アトリエ機能はそれなりに稼動し始めた。本日は、雨漏りという大きなクレームも飛び込んできたが、クライアントには申し訳ないが、施工業者に怒りの言葉を発せられるそのことさえも、D&CM方式を本物にしていく要素となっていくことを感じる。色々な苦難を乗り越えてこそ本物になっていくのだから。クライアントの慶びの表情を見ると、余計にファイトがみなぎってくる。ありがたいことだ。まさに思い描いてきた状況が顕実化し始めている。
2005/03/24
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自然と不自然 昨日(3/20)は、クライアント(施主)の依頼で隠岐へ行った。小さな漁村にあるクライアントの生家に同行したのだが、海に山に川と、とても風光明媚なところだった。子供の頃を思い出されたのか色々な思い出を話していただいた。残念ながら過疎化は進み空家が目立つようになってきていたが、直島で見た町によく似ていて、赤瓦と幅広の板が張られた界隈(かいわい)はいつまでも残しておきたい風情だ。入り江となっている海岸は、以前は海と一体となりとてもよい港だったそうだ。しかし今となっては必要ないと思われる防波堤が築かれ、港から海を見る視界をさえぎっている。大きな社会現象としての過疎化の問題に留めを刺すごとき防波堤。はたまた海に注ぐ川のせせらぎを囲っているのもやはり必要も無いような川岸の土木工事。人と川の間を断ち切り、ただそこに川があるというだけの有様だった。今は松江で暮らすクライアント(施主)と、矛盾に満ちた風景のなかに佇んでいた。ワープしすぎかもしれないが、最近の風潮のようだが、まるでえさを与えておけば育つ!のような無頓着なごとくに、「せめて高校は出ておけ!」「大学へ行ってから社会に出て行くことを考えろ!」などと「目的」を持つことは後回しのごときだが、それと、防波堤を築かなければならない!河岸を整備しなければならない!どこでもやっているから取り残されてはいけない!と公共工事を病的盲目的しかも目的意識なしという状況で追い求めたことと一緒に感じてしまうのは、私だけだろうか。色々話が飛んだが、一番強く思うのは、今こそ「自然」に回帰しなければならないということだ。「不自然」ということとの対比の意味での「自然」に。今の社会は、「古い」と「新しい」という対比の回路しか埋め込まれていないのか。「温故知新」とは「古い」と「新しい」を結び検証するものではなく、「自然」「不自然」の間に置くことがふさわしい世の中のような気がしてならない。テクノだ!ポップだ!ポストモダンだ!などと言ったって目の前の町の風景はそんなのかすりもしていないのが現実だ。そんなのは表参道や汐留や東雲に任せておけばよい。もっとすばらしい情景(環境や職人文化)が私達の目の前にある。それを今、自らの無頓着という意識が壊そうとしている。街並みも、河岸整備も、色々な職業についても、一つ一つ別々のことのようだが、実はひとつ社会の出来事であり営みだ。いたって当たり前のことだが・・・。私のいる建築の世界をあたかも産業のごとく語っている人もいるが、建築は「社会の土台」であり、大地だ。決して産業として語られるべきものではない。この観点で、最近とかく問題の多い「教育」を考えたとき、これら全てを含めたいわゆる「社会全体の土台」となるものが「教育」ではないだろうか。教育現場個々に求めるにはあまりに大きいものだ。今こそ、教育者はもちろん、我が子をゆだねる保護者も、社会の全ての人々が教育のポジションがそこにあることを今一度認識しなおす必要があるのではないだろうか。私達の目の前には豊かな環境がある。この地域にとって不自然でない環境がある。あわよくば、環境のひとつである「職人の世界、職人文化」にもっと目が向けられればよいと思う。
2005/03/21
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完成引渡し & 新規物件打合せ開始 天神の授産施設と和多見の商家リニューアルがいよいよ完成となり、それぞれ官庁の完成検査を受けたり施主検査を受けた。これらの物件は松江市内の中心地でお互い近い距離にある。どちらも話題のプロジェクトとなった。天神の施設は、精神障害者社会復帰通所授産施設で中心商店街につくられるのは全国でも例がなくおそらくはじめてのことだろう。これからマスコミで大きく取り上げられることが分かっている。この天神商店街は活性化事業を行うなど全国に知られており、度々NHKの全国版で取上げられているところなので、あわせて話題になることだろう。 和多見の商家も天神に近いが、写真家植田正治の写真集に登場している由緒ある商家なので、このリニューアルも注目されている。このところ見学希望が相次いでいるが、3月20日にビデオ撮影しDVD化するが、DVDを分けてほしいと言う申し出も出てきている。 このように、完成を向かえるプロジェクトとともに、現在工事中のプロジェクトもありがたいことに話題にしていただいている。もうすぐ引渡しの「東出雲の家」は施主の希望により公開できないが、山陰道を走るとよく目立つのでこれもいつの間にか知られた存在となりつつある。来月完成の「比津の家」もこのところ見学者が増えてきた。家の真ん中の光庭(中庭)は圧巻で、一度見た方が口コミされ、見学したいとの要望が出始めている。3月20日には隠岐へ招かれているが、設計依頼の声も多くなってきておりありがたいかぎりだ。先日も全国的な機関から設計依頼を検討中ということでわが社にヒアリングにいらしたが、完成実績も増え、建築家として評価いただけるようになってきたことに大きな喜びを感じるとともにさらに使命感に燃えている。最近、頭の中にさまざまなデザインが湧き出てくるように感じている。街並みという自然に調和し、しかもその存在が明確な建築を創りだすことに全力を注ぐ。
2005/03/18
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夕日丘コーポラティブハウスDVD 全ての収録終了! 本日、私のインタビューと、模型の収録など、全ての収録が終了した。来週の末ごろには荒編集が出来上がる予定だ。市の関係者や私を支援していただいている方々にとってもこの夕日丘は大きな意義を持っている。南平台コーポラティブハウスとともに、山陰のコーポラティブハウスの曙となるだろう。地元経済誌の4月初旬号に掲載される予定だ。同じ頃DVDもできあがる。市もあげてDVDを配ることだろう。どうしても成し遂げなければならない事業がいよいよスタートしようとしている。
2005/03/16
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出雲大社の家(築100年の民家) 現地調査開始! 昨日は、出雲大社にある築100年の民家の現地調査を行なった。なにしろ大きい家なので敷地および建物のポジション(位置)を計測するだけでおよそ3時間もかかってしまった。友人の土地家屋調査士がボランティアで座標をだしてくれたのでこのくらいの時間で終わったのだが、従来の方法なら途方もない時間がかかったことだろう。何しろ見ごたえのある建築だ。今回は主屋(おもや)とつながっている納屋(なや)といわれている部分を取り壊し新築する計画だ。計測が終わってからさらに1時間以上クライアント(施主)と話し合った。私が一方的にしゃべりまくっていたのだが、建築家として伝えるべきことをしっかり伝えなければ、これから進めていくことが迷走しかねないため、いつものことながら真剣勝負だ。今回を含めいままでに3回の話し合いをもったが、延べで5時間話し合っている。クライアントの中に次第に回路ができていくのがわかる。そろそろ基本設計に入っていける雰囲気ができてきたように感じている。私はスタディ模型(検討用の模型)を中心に計画作業を行なうのだが、そういうお話をすると目を輝かせて聞いておられた。認識回路が入ったクライアント(施主)の第一声は、「よくよく考えれば、コムースさんのおっしゃることって、当たり前のことですよね。いままで色々家をかまってきたけど、図面を見せられても私ら素人はよくわからず、結局、できてみて初めて分かりますものね。)むしろ模型をつくりそれで検討していくことのほうが当たり前だと思ってもらえたようだ。すかさず、「私はリニューアルを新築とまったく同じだと思っています。全体としての一個の「建築」を創り上げていくという観点で部分を創造していかなければなりません。そうでないと頓珍漢な建築になってしまいます。」「そうですよね。よくわかります。この際、この住まい全体のあり方から考えて見ます。」やっとクライアント(施主)と建築家とのタグが組める土俵ができあがってきた。「一緒に、みんなが集いたくなるような感動的な空間を創りましょうね。」そう投げかけた先に、顔を紅潮させにこやかに微笑むクライアント(施主)の顔があった。
2005/03/15
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空間の主役は「光と陰」 現在手がけている二つの住宅からは、私が設計したにもかかわらず、逆に多くのことを学び取っているように感じている。ひとつは度々登場する和多見の築100年の商家だ。昨日も書いたが、はじめて足を踏み入れたときえもいえぬ感動に包まれたのだが、もちろん梁や柱の存在が大きく迫ってきたことによるものだが、しかしその空間は薄暗く、入口から入ってくる光でようやく映し出されているような状況だった。床を抜き吹き抜けにしよう!と言ったときには、さすがのクライアント(施主)も驚いたことだろう。私が感じたこの建物のテーマは間違いなく「光」だった。完成が近づき、空間にトップライトの光が降り注ぎ、しかも尚ほの暗いところを残しつつ、ほどよい明るさを体感できる場所となりつつある。「光は陰がなければ光と感じない」とは、かのルイス・カーンの言ったことだが、図らずも、そのことが体現できるプロジェクトになろうとしている。今ひとつは、「比津の家」だ。来月末の竣工を目指してこつこつと工事は進んでいる。外壁はラスモルタル塗りジョリパット仕上げなのだが、全面目地なし仕上げで行なうため、左官と塗装のまさしく腕の見せ所だ。従って充分に乾きの時間を取りながら左官下地が行なわれている。目地なしにするためには野地板から工夫しなければならないし、大工も通常とは違うの張り方をした。目地をやめただけで、木材、大工、左官、塗装と、4職種の連携で慎重に進められている。外からみても分からないことだが、これこそプロジェクト方式のなせる技であろう。余談ながら、最近、松江市にあるジョリパット仕上げの住宅を見て驚いたのは、まともにラスモルタル下地をしているところがひとつもなかったことだ。耐水ボードのようなものに直接ジョリパットで仕上げている。・・・そのような邪道は私のプライドが許さない。この比津の家の特徴は、内部に光庭(中庭)を内包していることだ。リビングの南側の窓はあえてごく限られたものしかつけていない。ほとんどの光は光庭からの天空光が注ぎ込まれる。この空間の光のコントラストは、工事中に足を踏み入れても感動的に感じるものだ。南側からアプローチして光庭に入っていくのだが、正面の、つまり北側の1階の屋根部分がルーフバルコニーになっており、真上を見上げなくても少し目線を上げただけでスカイラインが視界に入ってくる。住宅の中にスカイブルーの自然色が溶け込む。この光庭空間は四季の自然を感じる場所となるだろう。そしてその主役は「光」であることを感じることだろう。私は、江戸時代以前に建てられた伽藍(がらん)に度々足を向ける。京都あたりはどれほど通ったか覚えていないくらいだ。金閣寺より銀閣寺に哲学的芸術的なものを感じ、幾度となく訪れた。最近建てられた寺院では、安藤忠雄の愛媛県西条市の南岳山光明寺や淡路島の本福寺水御堂にも度々訪問している。なぜ魅力を感じるのか・・・やはり「光」の存在を感じ取れる場所だからだ。明と暗の明快なコントラストではなく、いわば日本的な、どこが切れ目か分からないように自然に移り変わっていく光の可変性に自然の妙を感じるからなのではないだろうか。 南岳山光明寺 設計:安藤忠雄 本福寺水御堂 設計:安藤忠雄安藤作品でも、大阪茨木市の光の教会は、どちらかと言うとメリハリの利いた明暗であるように感じている。洋と和の違いが如実に現れたものなのか。 大阪茨木市 光の教会 設計:安藤忠雄今までは、体験として感じ取っていた「光」が、私自身の作品の中で偶然かもしれないがこの二つの住まいにおいて意識する存在となった。先日も足を向けた直島の地中美術館の10m以上にもなる吹き抜けは、天井(屋根)が切り抜かれ、きれいな四角のスカイラインとなっていた。どこかで見たことがあると感じていたのだが、今から25年前に私が設計した幸町の集合住宅の建物内部に、およそ12mの吹き抜け空間をつくったのだが、そこにあるスカイラインと同じものだった。直島の地中美術館と松江市の集合住宅、どちらも同じ空を見た。かのパンテオンのドームの突端の円い開口からみえる空も同じ空だ。 幸町の集合住宅 設計:コムース
2005/03/13
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東出雲の住まい 東出雲の住まい この住まいは、クライアントの意向でこれ以上は公開できないが、 文字通り、施主、建築家、匠の職人の思いの結晶となった-------------------------------------------------------------------- 現代人が忘れてしまったたくさんの教養(文化) これは、建築の世界にいる者としてこのところ切実に感じていることだ。このところの日記でも書いていることだが、プロではなくアマチュア(素人)でも仕事がこなせる社会に憤りを感じている。実際にはそんなことはありえないことなのだが、マニュアルの力によるとなんとかなるようだ。あくまで画一的なものの販売ということであればそれも許されることかもしれないが、しかしこと建築に関してはまったく許されることではない。例えば、住まいをつくるということ自体、クライアント(施主)自身も大いなる教養を身に付けることが必要だ。教養と言っても、親からあるいは地域から伝わってくることを感じ取ることを言っているのだが、そういう機会が少なくなってきているし、プロにしても、そのような教養(意識する心)を持った人が少なくなってきている。無教養の場合は、これは致し方ない。方々のモデルハウスやモデルルームを廻って、マニュアルを修得した建築素人の営業マン氏の助けを借りるしかあるまい。再度言うが、ここで言う教養とは、匠の知恵であったり、地域から感じ取れる特性(言い方が難しい)というのか、決して古いものに迎合するということではないが、なんというのか、温故知新というのか、古きを訪ね(先人の知恵に触れ)新しきを知る(これからの技を磨く)という心根があることを教養がある、と言うのではないのか。光と陰、この二つの要素が建築をドラマチックなものにしていく。これこそ感性で感じ取っていくものだが、その前に教養がなければ近づくことすらできない世界だ。
2005/03/12
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建築とは、過去と現在を重ね合わせたもの 和多見の商家(築100年)は、左に大きく傾いていて、屋根は大きくうねり、外壁はかなり朽ちかけていた。しかしひとたび内部に足を踏み入れたとき、言い知れぬ感動に浸っていた。それは、現代社会の激しいうねりの中で、封印されていた100年前の空気のなかで思いっきり深呼吸したような気持ちだったからだ。心の奥底にあった幼い頃の風景が思い出された。父の田舎の生家、小屋裏まで突き上げていく吹き抜け空間、かまどから漏れた煙と煮立ったお湯の湯気が混じりあい、えもいえない田舎の臭いの中にいた時を。クライアント(施主)の先祖は醤油を製造して販売をしていたという。かなりの大店(おおだな)だったと見えて、調査して驚いたが、およそ7.5間(けん)の1本振り放しの梁が、1間(けん)おきに規則正しく並んでいた。まるでシェル構造かと思えるような小屋組みの下は、どんな空間構成でも受け入れるものであった。明治の棟梁のなかでも、結構、名人のごとき構造家であったのだろう。このキャンパスに私の考えた空間をはめ込んだが、とても快く迎え入れてくれた。明治の棟梁の手のひらで泳がせてもらっているのだろう。今回は、誰がみても築100年の商家のリニューアルだ。だから、「建築は、過去と現在の重ね合わせ」と言ったら、一様にうなずくに違いない。しかし、新築であっても、実はすべて、「過去と現在の重ね合わせ」なのだということを改めて問いなおしたいものだ。築100年の商家の梁は、クライアントも驚いていたが、まるでこの度切り出してきてはじめて組み上げたように見えるくらい初々しかった。平成のこの時に、このプロジェクトを任されたことを誇りに思う。そしてこの商家は、これからの100年を今まで以上にもっと逞しく生きていくことだろう。そんな生命力が吹き込まれた。
2005/03/11
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築100年の商家 新たに埋め込まれたもの 現代は、マニュアル化され、その見た目とは逆に個の感じられないまるで薄い味噌汁のような味気ない住宅が既製品として売られている。それを、現代人は何の疑いもなく受け入れている。あまりにも空虚で表面的なモダニズムが人々の心を支配している。そうかと思えば、いまだ昭和30年代以前を彷彿とさせる街区があり、ポストモダンもポップもテクノもアノニマスもヴァナキュラリズムもまったくかすりもせず、まるで忘れ去られたような町もある。田舎に住んでいてたまに東京などへ行く身からすると両方の真実が見えてくる。大切なのは人間としての普遍性ではないだろうか。もちろん個々それぞれにとっての普遍性だ。それを個体と言い、個性と言う。私の設計作業においては、クライアント(住い手)と建築家が、いわば戦いとでもいえるような融合作業においてその個体にふさわしい建築を導きだしていく。よくよく考えれば、住宅は人間にとっての最後の砦だ。日本人、いや日本は思いっきりぬるま湯社会であるが故に、住宅の内部でさえも個を明渡してしまった感がある。そんな中で私に依頼していただくクライアントは、さながら、現代のそんな生気の無さと闘う戦友とでも言おうか。住まいを創るとは、さながら砦を築くことに似ている。自分の住宅の中に自分達だけのミクロコスモスを構築しなければならないほど社会は危うい状態となってしまった。100年の商家のリニューアルプロジェクトは、決して時代に流されることのない純粋なる個の現出作業という機会を与えられたように思う。私の中では、新築もリニューアルもどちらもかわらない意味を持っている。リニューアルは、その部分の修繕などという意識ではいない。たまたまその素材を使って、これからの世紀を生きる者にとってふさわしい砦を創り出していくものと考えている。そんな思いのシークエンスこそ私の建築家としての生き方だと思っている。
2005/03/10
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修行時代の大切さ いつかの日記に書いたことにも関連するが、フリーターなるもの(職業?)があるが、これはバイトとは違うものになってきているように思う。以前はバイト=フリーターと思っていたが、そうでもないらしい。仕事をするのは基本的にプロといわれる者が行なうもの!と思っている。わざわざ言葉にするのもおかしいくらい当たり前のことだが、しかし、業種によっては正社員ではなくフリーター(バイト?)を活用するそうな。それが可能なのはいわゆる「マニュアル」様のお陰なのだが、もちろん、プロの知恵の結集がマニュアルであるわけなのでそれはそれで多いに活用すべきものだと思う。しかしながら、どうも様子が違う。いわば素人でも仕事ができるマニュアルということらしいのだが、これは如何なものか。企業が、人を育てる!という意識から、「マニュアル」様の充実に重きをおき、そこで活動する人はマニュアルどおり動いてくれればだれでもよいのだ。と、こういうことらしい。本来、人と人の対話によって物事は進んでいく。特に、マニュアルにないこと、初めてのケース!という場合にはどう対応できるのか。銀行も正行員が少なくなり臨時行員が多いという。しかしこの場合はぎりぎりの線で保っているものがあるので、一応よしとするべきだろう。仕事とは本来、それなりの修行の時代があって熟練してきて一丁前になっていくものだ。これは断じて代わっていない。ある方のご子弟をお預かりすることになった。建築はまったくの素人、高校卒業したばかりのご子弟だが、大学へ行くまでの浪人期間に社会勉強をさせてやりたいのだという。多いに結構なことだ。しこたまこき使ってあげよう。もしかしたら建築に目覚めるやもしれぬ。建築家の仕事振りを目の当たりに見て大いなる刺激を受けることはよいことだ。まして18歳というのがよい。私が安藤事務所に入り浸り始めたのが23歳のときからだったが、安藤先生の姿に触れることがなければ今の私はない。安藤先生に刺激を受けて帰っても、当時在籍していた設計事務所の仕事はおよそ次元の違うものだった。色々提案してもまったく通用するものではなかった。しかし、あれから約30年の時を経て、こうして建築家としての道を歩むとき、安藤先生から学び、そして自分自身が正しいと思う理念と方法を見出し、それを実践できる状態にようやくなれ、まさしく自分自身のありのままを社会が評価してくださるようになった。振り返り思うに、随分長い修行時代ともいえる道を辿ってようやく行き着いた場所だ。若い人は、自分の将来が見出せないという。果たしてそうかな?決してそうではない。考えるばかりで触ってみようとしないからだ。18歳の子弟さんにはコムースの建築の中を多いに愉しんでもらおうと思っている。多いにレクチャーしようと思っている。彼が将来何を選択していくのかは分からないが、私が安藤先生のもとに飛び込んだごとく、いつか、「コームースと過ごしたあのときが忘れられない。いまがあるのはあの時の経験だ。」と言わしめたいものだ。今の私にとっては安藤先生から「お~元気しとるか?」の一言だけでエネルギーが充填されてしまう。20年ぶりの再開のとき「倒産大変やったな~。えらかったやろ。ようがんばったな~。」といわれる安藤先生の顔が涙で曇って見えなかった。安藤先生との出会いのお陰で、どんなに苦しい出来事も全て修行と思える出来事に昇華してしまった。よき人生の先達との出会いと、苦しいかもしれないが修行と言われる道。この両方を得ることが生きがいのある人生を手に入れるもっともよい方法だ。私の修行は続く。 私は、ビジネスの世界においてはアマチュアの活動は許さない性分だ。この道はさらにもっと深遠なるプロを目指すものだから。
2005/03/09
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《文化的な飲み屋》 どの時代でもどの街でも、一世風靡しそうな人間が磁石のごとく集まる面白い飲み屋があるものだ。松江でもそういう飲み屋がある。おでん屋なのだが、これ以上はいえない。磁石のごとく自然の摂理的な出会いがある店だ。この店には夜な夜な、「文芸春秋」に度々コラムを投稿しておられる学者で俳句の選者として有名な方や、結構名高いクラッシックのトランペッター(年に何回か演奏会を行なっている)や、某国営放送のディレクター、文化人類学的素養の御仁、豪快な女性大学教授、新進気鋭の建築家(私! 笑)、その他、数え上げればきりがないが、みんななんとなくひとつ輪になって飲み明かす、そんな店だ。これひとえに、インテリ(ぶってない)のお上さんの人徳の賜物だ。お上さんは決して輪の中心にはいない。誰が中心というのではなく、いつのまにか店にいるものがひとつ輪になっている。お上さんは人と人とを結びつける名人だ。そんなこんなで、表向きは一人では飲みに行かないことになっている私だが、ここだけはたまに一人で顔を出す。昨夜も挨拶程度ですぐ帰るつもりで顔を出したところ、いつしか午前様になるまで語り合ってしまっていた。高尚な文化論が飛び交うかと思うと、お互いの手品を披露したりする有様。私も手品ではアッと驚かす特技を持っているが、なぜかみんな一品ずつ(笑)ネタを持っているところが奮っている。こういう仲間(結構年上の方もいるので失礼な言い方かもしれないが)と夜がふけるまで語り合えるということはうれしい限りだ。ふと立ち寄ると必ず面白い面々がそろっている。なによりお上さんの人柄が心地よい。サロンのような店、どの街にもこんな店が存在するのだろう。そんな場所は以前は沢山あった。それが自分の家であったり、アパートであったり、下宿であったり・・・老人だけが集まっているのは山ほどある。同級生や同窓生でも同僚でもなく、いつのまにか自然に気のあった仲間的な老若男女たち。これをすなわちコミュニティというのだろう。この仲間達から、何ということではなく、色々なことを学んでいる。なんとなく会いたいから会う。そんなシチュエーションが理想だと考えていたが、まさしくそんな風景の中にいる自分を見つけたときは無上の喜びを感じたものだった。今では当たり前に「や~」と言って入っていける場所。私の秘密のアジトだ。
2005/03/08
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メーリングリスト開始! いよいよコーポラティブハウスへ参加される方々をはじめ、感心のある方、プロジェクトメンバーを中心にメーリングリストを立ち上げた。参加表明も複数となり、また、大手書店でのDVD無料配布も既に300枚を越えた。本日、様子を見に行ったが、ご夫婦など次々に立ち止まりDVDを手にとり持って帰られる姿に感心の高さを感じた。一戸あたり、占有面積50坪の広さでおよそ3,400万円という事業費はとてもリーズナブルだが、さりとて3,400万円の買い物だ。そうやすやすと答えが出るとは思えない。じっくりご検討いただき参加していただきたいと思う。とはいうものの、じわじわと感じるものがあるので、参加表明は早めがよいように思う。
2005/03/06
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ポリシー(センス)とつくる商品が一致したとき大ヒット! 設計をさせていただき、昨年末に完成したパン屋がある。店の名を「パン屋 空(くう)」という。(松江市浜乃木)この店はオープン当時から大ヒットで、お昼前に行ってもすでに品薄状態というとんでもないお店だ。ここの親父は根っからの職人気質だ。上手もへったくれもない。かといって威張っているわけではない。厳選した材料は当たり前。そこまでは誰でもできることだ。この親父の特徴は、確かなポリシー(センス)を持っていることだ。残念ながら言葉で言い表せないが、とにかくポリシーを持っている。しかもダサくないポリシーだ。つまりセンスがよい。従って創り出されるパンたちがとても素敵だ。味は抜群!だから売れない訳がない。「つくってもつくっても追いつかないよ!」と笑う顔に自信がみなぎっている。色々なパン屋を廻ってみたが、やはり最後はセンスだ!ということに気がついた。以前にも書いたが、センスは残念ながら生まれつきだ。センスのない人間はいくらがんばってもセンスは身につかないもの。設計はそれの典型的なものだ。ポリシー(センス)を持った人間が、さらにそのセンスを磨いていくところにより奥深い世界が待っているのだろう。「パン屋 空 」のパンがどんどん進化していくのが楽しみだ。
2005/03/05
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アントレプレナー Do it これは、雇用能力開発機構が行っている創業・経営改革セミナーなのだが、島根センターにおいて、ミニセミナーの講師をおおせつかり、1時間あまり下記のテーマでお話させていただいた。 住まいは建築の原点 空間の創造 コミュニティの創造 話せば長くなるので多くは書かない。関連するので書くが、最近、建設業(工務店・設計事務所など)の方々とお話することが多くなってきた。口々に「困ったもんだ。」とおっしゃる。私はすかさず「困っているのは顧客のほうでしょう。」と申し上げる。どなたもハットされる。そもそも社会人の使命とは、世のため人のために役立ってはじめて「なんぼ」の世界だ。まず自分ありき!ではない。それに建設業を色々な産業と一緒にしている方が多い。確かに政府は、建設公共投資によって景気の底上げを行なうことをたくさんやってきた。イメージなのか、建設業界として他の産業と対峙されてきた。最近では、建設業界ではなくIT業界へ公共投資をシフトする、などとも言われ、あたかも建設を産業のごとく扱っている。私に言わせればそもそもそこが間違っている。建築は産業ではなく、社会の土台だ。産業で語られるものではない。学校は校舎が必要だ。住まいは住宅が必要だ。会社は事務所が必要だ。役所は庁舎が必要だ。病院には施設が必要だ。登山には山小屋が必要だ。・・・・建築は社会の土台だ。その土台が、ベルトコンベアでつくられた商品ではこまる。一つ一つクライアントと建築家と職人が丹精こめて創り上げていくものだ。建築は、固有の財産ではない。社会全体の財産だ。住宅一つ一つが公共事業だ。「住まいは建築の原点」とは、必ずしも住宅を意味しない。市役所だって事務所だって病院だって、文化ホールだって老人ホームだって・・・・み~んな「住まい」だ。大切なのは、「内部に内包された豊かな空間」とそれを創り上げる過程におけるコミュニケーションだ。一般の方々と職人文化とのふれあい、それこそが社会の基盤を創っていく。その気薄さが今の社会をだめにしている要因であることをそのセミナーで申し上げた。 最後に、私の事業は、単なる企業のプロジェクトではない。 社会運動だ!と申し上げた。
2005/03/04
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天神の施設 完成間近!(Part2) この施設をめぐっては、色々な出来事があり、色々な方々との出会いがあり、色々な思いをしたが、完成を前に今までの日々が走馬灯のように思い起こされる。心を一つにして!これが私の真骨頂だ。(自分でいうのもおかしいが)子供の時からそうだったが、性格というのだろうか、自分の思うようにいかなくてスネるということがなかった。当時から、そういう場面に遭遇したとき、人には人の思いがあるのだろうと漠然と思ったりしたものだったが、人の思いになってみる、という回路が最初から組み込まれていたのかもしれない。・・・・・多分に母親の影響が大きいと思うが。それはそれとして。完成を前にして、仕上げられていく内部や外部の空間に立ち、最終的なデザインの確認と、新たに加えたいと思うことをクライアント(福祉法人の方々)にお話したが、一々納得されることに、こころ一つになれたな、と感じた次第だ。「へ~こうなるんですか。いいですね。」一般の方々にとっては、確かに、模型やパースや図面からでは100%読みとることは不可能なことなのだろう。どの物件もそうだが、この瞬間が一番緊張する。顔を心なしか高潮させてしみじみと眺めておられる姿を見たときに、ようやく理解していただけたという安堵感に包まれる。
2005/03/02
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この施設の設計に関わって約1年半が経とうとしているが、いよいよ3月25日に引渡となる。ここまでの道のりは長かった。福祉法人の施設の設計を行なうというのはそう簡単なことではない。多分、私の創りだす建築は「普通」ではないだろうと思う。「こういうのっておかしいですよね。」と言われたことの中に面白いアイデアなりデザインが現れることがある。「素人は恐い」とは釣りの名人が言われることだが、建築でもじっと耳を立てていると思わぬアイデアに出くわすものだ。そんなこんなを吸収して、かつ今までの常識に捕らわれることなく、まったく新しいものを常に創りだしたいと考えている。この施設でもそれが遺憾なく発揮されたのではないかと思う。新しい解釈とでも言おうか。不思議なことにしばらく関わっているとみんな当たり前になっていくようだ。新しい解釈を求めてはいるが、親しみやすい建築を創ろうとしていることも私の思いだ。この施設は、「精神障害者社会復帰通所授産施設」という仰々しい施設なのだが、要するに世間一般とまったく変わらない営みの中で社会復帰を果たしていく施設だ。松江市の中心商店街で天神さんのすぐ近くにこのような施設が完成するということは、おそらく全国初だろう。久々のエポックだ。いずこも同じだが、郊外型大型店舗に食われて中心商店街はさびしい状況だが、そんな中にこのように福祉施設が出きるというのは新しい方向性を示しているだろう。近所には独居老人が増えてきた。この施設は、多くの人たちの拠り所となっていくことだろう。毎月25日は天神市の日。歩行者天国で多くの人手でにぎわう。3月25日はプレオープン。多くの方々を招き入れてのお披露目となるだろう。この施設に関われたことを誇りに思う。
2005/03/01
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