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松江葡萄酒工房醸造家バッシーさんのコミュニティーワイナリーがいよいよ実現の運びとなってきた。久しぶりにしみじみと語り合ったが、ここまでの道のりが長かったようなそうでないような。しかし、おそらく順調に来たと言っていいだろう。日経アーキテクチュアにも取り上げられたが、公共性のある事業であることは間違いない。思い切って言えば、余計な権力構造(資本家)が介在しないでここまでグローバルな事業が立ち上がってきたことはある種驚嘆に値する。最近の風潮はさしずめキャピタルゲインのオンパレードだ。もちろんそれはそれでよいのだが、インカムな地道な立ち上げがあってこそだ。人を連れてくればなんとかなると考えている起業家もいるようだが、そのようなキャピタルな人間は真の起業家にあらず。自らがなんとしてもスペシャリストとして事業を立ち上げていく気概があるものこそが真の起業家だ。醸造家バッシーさんはまさしく起業家だ。まったく経験のない世界にチャレンジするいわば素人起業と、プロとして活動する中で組織ではできない世界を実現するためのプロ起業とがあるように思う。バッシーさんはプロ中のプロだった人だ。中にはバッシーさんめがけて素人を捕まえたようなことを言う人がいるが、誰に向かって言っているんだ、と思うこともしばしばだ。毎年数百万人が来場する大きなワイナリーの醸造責任者だった人だということをどうも分かっていないようだ。私が、「松江葡萄酒工房を支援する会」を立ち上げたのも、プロ中のプロを応援したいからだ。申し訳ないが素人起業だったとしたらここまで実践的な応援をしてこなかっただろう。とにかくプロ意識をビンビン感じていた。12月に、「第2回松江葡萄酒工房を支援する集い」を開きたいと思っている。事業も方向が明らかになったので、今度はフルオープンの参加募集だ。松江葡萄酒工房からはいつか「世界一!」と表されるワインが必ず創られる。絶対間違いない。なぜならプロ中のプロがここにいるからだ。11/7に東京でお話しさせていただくことになっているが、この中でもバッシーさんの存在や松江葡萄酒工房の取り組みも紹介したいと考えている。
2005/10/31
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メンター諸氏昨夜は島根をよくするイベントというものが島根大学で行われ、小樽の帰路直接駆けつけ参加した。その後場所を移し、結果午前2時まで語り合った。起業をめざす人もいて、みんな大いなる励まし(本人にとってはきびしいかな?)を贈った。みんな心の底から成功を祈っている。とはいうものの、いつしか私のメンター諸氏が顔をそろえていて私の事情通ばかりなので、大いなる励ましをいただいた。ありがたいことだ。糾える縄のごとしのことわざいわく、都合の悪いことが次々と絡み合いながら起きる時期もある。帰路の飛行機の中で読んだエッセーの中で浅田次郎が、小説が初めて売れた40歳までの最悪の人生模様を書いていたが、ほんとそうだよな~と頷きながら読んだ。浅田は、転機は必ず訪れると書いているが、私も絶対そうだと思う。それが20歳かもしれないし40歳かもしれないし60歳かもしれない。こうして松江を遠く離れた地での仕事の依頼はもちろん初めてのことなので、当初戸惑いがあったのも正直なところだった。しかし、その地に立ち、関係の方々とお会いするなかで、島根県の地元でやらせていただく仕事と何ら変りがないことを感じた。「私に託されているんだ!」その意識が私を逞しくさせた。小樽では素晴らしい職人達との出会いがあった。少し話をしただけですっかり意気投合した。職人達の旧遠藤又兵衛邸を見つめる目はやさしく「まかせろ~!」という気概が感じられた。宮大工の棟梁や塗師(柿渋)との話しは圧巻だった。北海道にこんなに素晴らしい職人がいたことに感動するとともに、彼らが私のコンセプトをしっかり受け止め実線してくれるメンターになってくれたことに感謝の気持ちで一杯になった。私の周りにはメンターが一杯だ。私は幸せものだ。心開いて素直になることが大事であることが分かった。メンター諸氏にはすべてフルオープンだ。心ひとつになれることを感じる瞬間があるが、ほんとうにすごいことだなと思う。色々な悩みはすべてひとつのところから発っしていることも分かった。悩みの状態は悩みではなく大いなる励ましであり、乗り越えなければならない与えられし事柄なのだ。周りを見ればそこには常にメンター諸氏がいてくださる。苦しいときもうれしいときも感動のときも、メンター諸氏と分かち合えることがなにより心強く幸せなことだ。島根のメンター諸氏も東京のメンター諸氏も、今回の小樽のことをとても期待し喜んでいただいている。お陰で、私の中ではすべての方々との距離感がなくなった。
2005/10/30
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小樽にて小樽での打合せが無事終了した。ゼネコン、専門業者も参加しての打合せは思った通りうまく運んだ。2度目の訪問だが、ますます身近に感じられる町となってきた。昨夜は小樽を一望にできる毛無山という山にご案内いただいたが、夜景のパノラマは圧巻だった。小樽を訪れた者でこの場所を訪れた者は少ないだろう。仕事も終了し、小樽駅のプラットホ-ムに佇むと、かつて石川啄木が家族に見送られ旅立っていった情景が浮かび上がってくる。来年早々には生まれ変わる旧遠藤又兵衛邸。歴史的事業に関われる我が身の幸運にうれしくも身の引き締まる思いとともに岐路についた。午後8時には松江に帰る。そのまま島根大学へ。島根をよくする起業家の集いに合流する。
2005/10/29
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偶然の積み重ねアントレプレナーの田坂広志さんのメルマガに、成功者に成功の訳を問うと一様に「偶然」によるところがほとんどだ、という答えが返ってきたという。しかし氏は偶然を嗅ぎ取る能力があったことを特記している。偶然とは奇跡を意味するのかもしれない。私の出来事でさえも、日々奇跡の連続だ。ありがたいことだらけだ。明日から小樽の打合せだ。色々なことが同時進行しながら進んでいく。もっともっと多くのことが積み重なりながら進んでいくことだろう。そのすべてが偶然であり奇跡の連続だ。偶然はないという人もいる。すべてが必然だという。つまり、偶然という、奇跡という必然が繰り広げられていくのだろう。今も過去を振り返ると「あんな時代もあったな」と中島みゆきの歌ではないが思い返せることだらけだ。将来、今を振り返りそう思えることだろう。今の大変さは将来の土台作りと心得よ!と励まされ過ごす毎日。来月、高校生250名を前に話をさせていただくことになった。こんな私の日々の体験記が参考になるならと引き受けた。魁よりはじめよ!の戒めを心に持ち、今日はもちろん明日からの小樽に向かう。
2005/10/27
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うれしい瞬間私にとってのうれしい瞬間とは、何を置いても設計依頼をいただいた瞬間だ。正直に言うと、飛び上がって喜びたい心境だ。建築家の道を歩もうと決心したとき、その思いは純粋ではあったが、今日のことが、あるいは、これからのことが予見できていた訳わけではなかった。誰でも小学校1年生の時があったわけで、その延長線上に今日があるのだが、その時に今日が予見できているわけではないのと同じだ。大切なのは、次々起きる出来事に対しまるで2進法の選択をするごとくどちらかの方向に絶えず進んでいくわけだが、その選び方は人により違う。故に、同じ職業でも様々な異なる人生が繰り広げられることとなる。私の中で明確だったのは、「ひとかどの建築家になる!」という思いを常に持ち続けていることだった。従って次々目の前に繰り広げられる物事は、絶えず「ひとかどの建築家」に近づく方向を選択していった。決して謙遜などせず、虚勢を張った意味ではなく、ひとかどの建築家の姿勢で立ち居振舞っていた。もちろん表面的な振る舞いではなく理念や考え方という意味で。そのような時期を過ごしていく中で、建築家として認めていただけるようになり、是非私に設計を依頼したいとおっしゃっていただけたときは、宙に舞うごとき心境だった。私の方向はこれでいいんだ!と確信を持てた瞬間だった。私の支援者は、このところの全国版に驚いている様子だ。(笑)小樽の物件について話をするときには「あなたは勇気のある人だね」と言われる。建築家になっていきなりの話であれば勇気と言うより無謀な決断が必要だったろうが、小学校から中学、高校、大学と進むように、いきなり小学生で依頼を受けた訳ではない。成長の過程を辿り、私が手がけるべきときがきたから天からめぐり合わせを与えられたのだと思う。人間は必ず成長する。自分でも創造できない次元まで行くことができる。2進法で、自分の描く夢の実現の方向を絶えず選択していけば必ずそのような環境となる。以前では考えられなかったことだが、大学の授業を受け持ったり、講演の依頼をいただいたり、創造もつかなかった領域を進んでいる。まして日経アーキテクチュアの全国版に紹介されることなどまったくもって予想だにできなかった出来事だ。人生ってすごいな・・と思う。小樽の物件はおそらくセンセーショナルなものとなるだろう。特に古い建築に対する今までにない回答だろう。文化を見つめて、その中から導きだされるものを拠り所に設計を表していくことということも、3年前の私の中では明確ではなかったことだ。これからも、設計を依頼された瞬間は飛び上がるほどうれしいことだろう。
2005/10/26
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経営指針の明確化11月後半に島根県中小企業家同友会で経営指針の発表会があり、当社もエントリーしているため、昨夜の発表に向けての勉強会に参加した。私自身の思いと現実とのセッティングがなされていくのを感じる。夢のない人生に夢の実現などありえないように、経営指針は企業の夢であり、夢を明確にしなければ向かうべき目標も見出せない。夢は明確(指針)になった。ここに集う経営者が胸襟を開いて自分自身の夢を明確にしていく。必死になって創り上げていく姿に接し、何時しか正直になっている自分がいた。建築家としての思いや活動に大いなる賛同をいただいたことは自己実現の大きな支えとなった。色々なアイデアをお互いに投げかけあう様はこの会でしかありえない。創業して4年が過ぎようとしているが、ここまで築き上げてきたことは正しいと自分では確信を持って進んできたつもりだが、他人の評価をいただけるというのは実にうれしいことだ。企業の立ち上げは、構想段階、商品開発段階、広報段階、営業段階という段階に分けられると考えている。現在の私は3段階の広報段階にいて本格的な活動となる営業段階を迎えようとしている。企業的売上の本番はようやくこれから始まる。昨日の経営者の皆さんの話を聞いているとどの段階にいらっしゃるか実によく分かる。企業によって状況が違うので、早計に経営に対してものが言えない。それぞれの企業の状況により経営指針は異なる。何にしても自らの指針を作成していく中で他業種の指針を知ることができるのはとてもよい勉強になっている。いよいよ理念(思い)と現実(数値)が一体となるときがやってきた。
2005/10/25
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今週末ふたたび小樽へ小樽の北前商人の旧邸のリニューアルについて、色々反響をいただいており、11月7日の東京での講演の中でこの物件の話をしてほしいという主催者からの要請がありお話しすることとなった。 このような歴史のある建築は、文化財的扱いをしてよいのかどうかが問題となる。建築家としてリニューアルという事業行為に向かうときに、表面的なことではなく実際の文化に向き合わないと進むべき道が見えてこない。小樽市の旧艇の歴史を見るとき、シナリオなき修繕の繰り返しでは所有者の負担ばかりで何のために建築が存在しているのかわからなくなってしまう。私は、託された建築家として一つの解を示さなければならないと思った。それは正面から文化を見据えることであった。所有者、小樽市役所ともに賛同していただき、そのコンセプトに従ってリニューアルが進められることとなった。単に建築の復古ではない。ことによればばっさり切り捨てる部分もあるかもしれない。最大のポイントは、概念としての「新築行為」であるということだ。以前の日記にも書いたが、再生は再生にあらず、あくまで新たなものが生まれ出ることなのだ。文化財や史跡とか言われるものはそのままその時代を残していけばよい。この度の物件のように、身近なところにありながら、その存在意義が見出せない状態こそ建築にとっても所有者にとっても不幸なことだ。この建築は明治の呪縛に捕らわれる必要はない。かといってまったく別物にするわけではない。見た目はほとんど変らないだろう。大切なのは、そこにストーリーを埋め込むことだ。すべての建築にはストーリーが必要だ。建築の設計に関わる者の中でそれを分かっている者があまりにも少ない。そのことが分かっていないから、職人文化とのふれあいの中で建築を創り上げていくことの大切さも認識できないのだろう。建築とは舞台だ。その舞台でどのようなストーリーが繰り広げられていくのかをしっかり認識できなければ設計などできるはずがない。いたって当たり前の話だ。そのストーリーのなかに、固有の、あるいはグローバルな文化なるものを見つめていく。これが建築家の仕事だ。小樽では、明治の建築と現代を、いやこれからの時代に融合するストーリーをはめ込んでいく。新築とはストーリーの実現だ。リニューアルもストーリーの実現であるはずで、従ってすべての行為が概念としての「新築」であり、新たなものを生み出していく行為なのだ。
2005/10/24
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プロジェクト意識の大切さ私が安藤忠雄氏から学んだ中で一番大きなことはこのことかもしれない。30年前、安藤忠雄建築研究所での一こまだが、電話でご立腹のご様子の安藤先生。「あなただけの家ではあらへんのとちがいますか。一緒になって地域の財産を創る意識を持たんとあかんのとちがうやろか。ここんところが分かってもらへんのやったら断ってもらってかまへんですよ。」決してクライアント(施主)を見下しているわけではない。本気でその設計依頼に立ち向かったときに見えてくるもの。それはその一家の幸せであり、建築家として住まいそのものを地域に愛されるものに創り上げることによってそれが達成できるのではないのか、という思いだ。安藤忠雄という人間の根底には愛を感ずる。究極の思いやりというのか。もちろん顧客と請負人であることには間違いない。礼を失することは許されるべきもない。しかし、思いやりからくることというのはストレートにクライアント(施主)にぶつけるべきだろう。安藤の気持ちは、さながらクライアント(施主)との二人三脚のプロジェクトのようだ。「もちろんあなたの夢の実現が目的です。だからこそ、一緒に地域の財産を創り上げる気持ちでやりましょう!」と投げかけているのだ。私の事業はまだまだ道半ばだ。発展途上にあるときに目指すものとは安藤の考えるプロジェクト意識だろう。私は設計の初期の段階から施工者を決めていただくようにしている。なぜなら、設計の段階で施工者の専門的な(技術的)知恵があったほうがよいし、施工者にもクライアント(施主)の思いと建築家の意図を汲み取ってもらうためにはこのような共同作業の時間が必要なのだ。3社が心ひとつになってひとつの建築が創り上げられていく。これこそが安藤忠雄の原風景であったろうし、昭和30年代に見た私自身の原風景でもある。社会の物事はすべてプロジェクト意識が必要だ。だから建築家安藤忠雄が社会のどの分野でも注目されるのはその意識によるのだと思う。評論家は要らない。実践者としてのプロジェクトだ。これこそが腰が引けてない本気人間の姿だ。スタッフの一人一人とひとつひとつのプロジェクトを組む。クライアント(施主)と施工者とひとつの建築を創り上げるプロジェクトを組む。コーポラティブハウスを創り上げようとしている参加住民の方と施工業者を始め関係者一同がプロジェクトを組む。北海道小樽市では、クライアント(施主)と施工者はもとより、小樽市役所をも含めてプロジェクトを組んで創り上げる。すべてがプロジェクトだ。そこには、元請だ下請けだなどという区分けはない。思いの共有者だ。私の家族は夫婦間でも親子間でも壁がない。それは、同じ時代同じ場所に生まれ生きていくプロジェクトメンバーなのだという意識による。ことさらに語ったことはないが、一家の長である私がそういう考えなのだから家族全員もそのような考え方をしている。プロジェクトとは思いの共有者の集まりのことを言う。常に思いを持って生きていれば努力をしなくても常にプロジェクトが生まれる。
2005/10/23
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一枚ずつ薄皮をはぐごとく毎日の活動は色々なことが交錯して繰り広げられていく。時にはつらいこともおきるし、一向に進まないなと思うこともしばしばだ。しかしそんな中でも、後で考えれば進んでいたことに気づくことも多い。例えば、過去の出来事へのクレームがおきればたちまち心は凍りつく。しかしこんなときでも、同時に色々なことがパラレルに進行していることも事実だ。私自身、今年一年は言うに言えない出来事もあり正直つらい一年でもあった。しかし一方で、日経アーキテクチュアの取材を受け全国に紹介されたり、全国各地から設計依頼をいただけるようになったりと、よいことも沢山ある年でもあった。このことからも、物事はひとつのストーリーだけが展開しているのではなく、常にパラレルに色々なことが同時進行していることがよく分かった。そこで・・・ 1)未来に向けての活動の中での今日の出来事 2)近未来の結果に向けての今日の出来事 3)本日の突発的な出来事 4)過去の出来事に対しておきた今日の出来事(クレームなど)遅遅として進まないどころか後戻りしているのではないかと思えるときでも、実は薄皮を一枚ずつ剥ぐごとくに少しずつ少しずつ進化しているのだろう。つらいことはなかなか通り過ぎないように感じられる。しかしそんな中でも、いつしか創造もしていなかったような大きな大地が広がってくるものだ。少しずつだけど確実に進んでいるという意識さえ失わなければ確実にそうなるだろう。
2005/10/22
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このところの講演依頼淡路島への出張を前に書き込む。このところ講演依頼が多い。どうしたことかと自分でも驚いている。11月の末にはおよそ250名を前に話をしてほしいとのこと。先日は島根大学の講義も無事終わり、今朝東京での正式な日程の知らせが入ったが、さらに国の外郭団体から講演会の依頼だった。何にしてもありがたいことだ。私という存在を知っていただけること、それにより仕事の依頼のチャンスも広がる。現に、今まで依頼をいただいた方々は昔のよしみではなく、近年私の話を聞いていただいた方や紹介された方々ばかりだ。東京、松江、来春には小樽でもお話しさせていただく予定になっている。その折には小樽市長もお越しになるとか・・・。建築家として、業界全体のためにも建築家という存在の有用性を高める活動としてしっかり使命を果たしていこう。さ~淡路島へ出発だ。
2005/10/20
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明日は淡路島明日の淡路島を前に本日は打合せで走り回った。福祉施設の理事長と役所を廻ったり、大学を巻き込んでのプロジェクトの打ち合わせなど戦略的(?)な業務で動き回った。以前より抱えていた日記にも書けない大きな懸案事項も解決の糸口も見えてきた。やはり自分が積極的に動くこと、捨身になってこそ浮かぶ瀬も現れるものであることもよく分かった。何にしても今年はじめからなにか大きなトゲガ刺さったような状態でいたので、色々な変化が訪れても釈然としないものがあった。しかしここへきてすべてがよい方向へ動こうとしている。気が付いたら、全国から設計依頼をいただいているし、日経アーキテクチュアにも取り上げられた。地元での設計依頼も増え始めた。ようやく、ようやく本番を迎えることができたのかもしれない。
2005/10/19
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島根大学で講義初めて島根大学で講義を受け持った。島根大学にも建築系の学科があり建築を目指す生徒達約50名を前に話をした。来月には東工大大学院の関係で話をさせていただくことになっているので、それに先立ってということでもないが、準備を行っていたのでそれなりの話ができたように思う。感想については聞いてみたいものだが、私自身はウケを狙ってやっているわけではなく私自身が経験し感じた建築家としての真実を伝えられればよいと思っていた。このところの話題は豊富なのでネタに困ることはないが、あまりにも内容を詰め込みすぎたかなと思わないでもない。しかし、そうめったにない機会だったのであえてそのように進めた。色々話した中で究極のものは、独立創業だろうが、組織で働こうが、自分自身の建築人としてのテーマを持つことだと伝えた。起業家とは必ずしも組織的独立を指すのではなく、精神的な独立を意味するのであり、人間として与えられた自らの使命に目覚め意識することだと伝えた。ある人は、独立し、建築家としてその目的を実現するための活動をしているし、ある人はサラリーマンではあるが、自分に与えられたポジションの中で、立派に使命を果たしている人もある。どちらも立派なことだ。安藤忠雄氏の表面的な華やかな活動を羨望し建築家になりたいという人もいるが、安藤も自分の果たすべき目的を果たそうとして行っている活動がたまたま取り上げられ、インターナショナルになっていったので、何も有名になろうなどと、ミーハーのごとく思って活動してきたわけではない。広く高い視野を持って社会を見たときに憂える状況があり、目の前の建築の創造活動の中で社会の再構築の思いを込めて活動している。私のテーマは安藤のそれに似ている。(影響を受けたことは間違いない)崩壊しつつあるコミュニティの新たな創出が目的だ。一戸建ての住宅を創るにしても大型建築を創るにしても、クライアント、建築家、職人が心ひとつになっていくことが大切であり、このところのマニュアル社会における営業至上主義の氾濫により建築素人の営業マンが顧客と相対し、職人とじっくりひざを交えて語らいの中で住まいづくりをすることなどなくなってしまったことが今日の社会の混迷をもたらしたと思っている。あえて言えば、日本固有の在来種の中に、輸入されてきた外来種が混じり、それが猛威を振るっている状況だ。中心商店街の崩壊にしても、住宅地の殺伐とした状況にしてもそれが原因だ。90分の講義では表面的な話しかできないが、私自身の中での答えはあえてぼかした。なぜなら、今からハウスメーカーへの就職を目指している人もいるので、建築家の一方的な押し付けはよくないと考えた。しかし、もはや既存のコミュニティの復活などできないこと、新たなコミュニティの創出を目指していくことが大切であることはしっかり伝えた。このような中でも、あえてメーカーを目指すのであれば私には何も申し上げることはない。あくまで本人の自由だ。今回は2回生でこれから建築の専門系が始まる連中だが、来月お話しする方々は一般の方々がほとんどなので思い切って概念から入っていこうと思っている。
2005/10/18
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もっと松江が好きになった人それぞれに趣味があるように、最近の私は休みになると松江を楽しんでいる。自転車で走るのが好きではあったが、専ら折りたたみ自転車で松江の街を楽しむがごとくにゆっくり走る。お決まりのコースがある。時間は約4~5時間。もちろん走りっぱなしであるわけがない。ビールの350mlを一つ買い、まずはお気に入りの宍道湖スポットへ行き、眺めを満喫しながら飲み干す。それから、生まれ育った町へ行き、知り合いの年寄りを見かけ(相手は私がわからない)、まだ生きていることに安堵しつつ、両親が健在で私が子供であった40数年前までの記憶に浸る。がらっと変わる町もあれば、40年経ってもほとんど変わらない町もある。少なくとも30年間以上足を向けたことがなかったふるさとの町(町内)がほとんど変わりなくそこにあることに奇跡のごとき思いを感じた。その町に佇んだときに、10歳の私がいて友達がその路地の角から現れるような感じだった。こんなに松江が好きになったのは正直に言うと最近だ。北海道だ、兵庫(淡路島)だ、東京だ、と活動範囲が広がったことで改めてわが町のよさを強く感じるようになった。松江は年間数百万人の観光客が来る。松江の街を満喫している。私もさながら観光客状態だ。この町はほんとうによい町だ。心の基地とでも言おうか。全国へ出かけられるのもこの基地のおかげだ。先週小樽で打ち合わせ、今週東京で打合せ、週末は松江の宍道湖畔にいて、ハゼ釣りの親子の姿を見て、ちょっと前までの我が家の姿にだぶらせ、無心になれる瞬間。これが私のストレス解消、目下の趣味だ。
2005/10/16
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プロに徹することプロに徹することとは、思いっきりそれになりきることだ。どうも世の中プロのような振りをしたアマチュアが多すぎるような気がする。プロに徹した模範例を上げればディズニーランドだろう。スタッフはいかにひまでも一切の私語がないし徹底してディズニーのスタッフになりきっている。それはステータスのごとき雰囲気さえ漂ってくる。だから何度行っても心地よい。近郊のお年よりはこのスタッフのこまやかな気遣いにふれたくてリピートしているくらいだ。それにひきかえ、ここいらのレストランなどでは、暇になるとすぐに私語で充満する。営業の世界でも、クロージングという段階になると、その営業マンの上司とやらが現れて、「あなたのためにこいつは一生懸命になっているんです。分かってやってください!」などとアマチュアみたいなことを言う。まだまだだまされる素人も多いかもしれないが、親に連れられた子供じゃあるまいし、自分ひとりのポリシーでもって営業にきていたんじゃないのか・・と興ざめしてしまう。トッチャンボウヤが多すぎる。プロになりきれないやからはカンベン。会社の制服を着たOLも昼休みには声をかけても知らん顔だ。昼休みにタバコをくゆらせながら「午前中の客さ~頭着ちゃった」などと隣りの席で語られた日には経営者が可愛そうになる。一流企業でもそうだ。安藤忠雄建築研究所は、以前から常に張り詰めた空気が満ちているところだった。つまりは、安藤先生自身がプロにとことん徹していらっしゃるのでその場の雰囲気も常に真剣なものが漂っている。そういうのを体験しているとどうも私語が許せない。設計事務所ではラジオをかけながら仕事というところも多いようだが、何を考えているんだ!という感じだ。京セラ関連の企業の社員には隙がない。教育が徹底されているというのか、理念の共有が図られているというのか、なかなかよい雰囲気だ。私の事務所も私語のない事務所だ。スタッフに採用するときにはとにかく真面目であることが基本条件なので、少々才能がありそうでもお茶らけた感じの御仁はお引取り願っている。昼休みにスタッフと一緒に食事をとるときに私が砕けた話しをするときにだけスタッフは私語がでる。実によい緊張につつまれた事務所だ。私自身はよっぽどなことがない限り怒らないので、威圧を与えての緊張ではない。スタッフには、背伸びしないとできないくらいつねにやりがいのもてる仕事をさせるようにしているので、むしろ仕事に夢中になっていると言ったほうが言い現せているだろう。好きなことに打ち込む時には夢中になるのと同じだ。規律でがんじがらめにして操り人形状態にする必要はない。やりがいのある仕事に常に向かわせていけばよい。このところの県外プロジェクトもよきスタッフがいるからできることだ。建築家コムースとはコムース自身の呼称ではなく、スタッフとのプロジェクト名なのだ。
2005/10/15
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やはり人と人とのつながりこのところ新たな出会いが多い。もちろんただ知り合うだけであれば誰でもあることだ。大切なのは思いの共有ができるかどうかだろう。飛び込みのセールスマンにしてもただ追い返すのはもったいない。私はできるだけ耳を傾けるようにしている。(判断は早いが)一生を通じての友となるかもしれないし、有益な情報をもたらしてくれるかもしれないからだ。最近紹介される方々は要職にある方が多く、私がもっと若い時にはその肩書きを見ただけでびびっていたように思うが、この歳になると、要職にある方も同年輩かことによれば年下の場合もでてきたので話しているうちに肩書きを意識せずに世間話しをしていたりすることが多くなってきた。これにより、お互いの心根が素直に伝わり、この方とお付き合いしたいなと思う心が先に湧いて来る。先般の東京でも、すぐ帰るつもりが結局長居し、昼食までご馳走になり、おまけに講演会まで仕掛けていただいた。何にしてもこのようなインスピレーションをお互いが感じあって関係が成立すると思うが、このところそのようなものを感じることが多い。ありがたいことだ。この歳になって新たな友人知人がどんどんできるというのは幸せなことだ。このコミュニティの創出が社会の営みのあるべき姿であり、皆が一様にこれを創らんと日々努力を重ねていけばすばらしい社会になること請け合いだ。だれにも出会いのチャンスは訪れているはずだ。それを他人事のように感じていることがありはすまいか。
2005/10/14
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人気blogランキングへスケジュール決定 月末から月初にかけてのスケジュールが決まった。来週は再び淡路島へ行き現地実測調査に立ち会う。再来週には北海道小樽へ行き、事業計画の提示、月初には東京での講演とプロジェクトのプレゼンだ。 兵庫県淡路市(淡路島) 北海道小樽市本日、しまね産業振興財団とも協議したが、そろそろ社内体制の整備も本気で着手しなければならない時期がきたのかもしれない。正直、資金の谷間でもがいていたが、どうもようやく抜け出せそうな気配だ。サラリーマンのように決まって収入が入ってくるわけではない。もちろん決められた固定費は払わなくてはならないので、バランスのよい収入を確保することが経営者としての責務でもある。だからこそ、クライアント(顧客)に真に喜んでいただける仕事をしていかなければならない。このように全国的な活動としてのスケジュールが組めるというのはとても幸せなことだ。
2005/10/13
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人気blogランキングへ道は開ける・・・ 必ず!以前読んだディール・カーネギーの本のタイトルだ。創業の身にはぐっとしみる言葉だ。創業は全てがパーフェクトとは行かないものだ。そこで必要なのは優先順位だろう。目の前ばかり見ていると先を見失う。先ばかり見ていると目の前を危うくする。大切なのは、全てをしっかり把握しながら優先順位に従って進んでいくことだ。その上で、先に進める部分、後に回す部分があってよいと思う。ようやくプロジェクトの方向が見えてきた。この上は、いよいよ内部強化だ。最近は全国版となり出張が多いが、出て行くお金も地元で活動する比ではない。全国で活動するのも覚悟と準備が必要だ。決断はあくまで自分自身でやるが、そのため裏づけとして色々な方々の意見にも耳を傾けるようにしている。地元をはじめ東京での有力者の方々、金融機関や自治体関係者の意見にも耳を傾けている。やはり方向性はよい。というより、ようやく方向が定まってきた。以前にも、その節目節目の時期に確認しながら進んできたつもりだが、このところの状況は以前とは比べ物にならないくらい活動が本格的になってきたように感じている。プロジェクトは進んでいく。建築家として取り組むべきことがますます多くなってきた。
2005/10/11
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人気blogランキングへ地域振興プロジェクトこのところ意義深い物件の設計機会が多い。建築家として、事業の根本の思いを聞き悟りながら計画を進めるということが理想だと考えているが、松江市近郊で進んでいる地域振興プロジェクトは、創業者の思いや地域の思いと深く触れ合いながら進めていることに建築家として多いなる責任を感じている。 今年完成オープンした精神障害者社会復帰授産施設も、街の中心地にこの施設をつくり、広く市民の方々と触れ合いながら社会復帰を果たしていくという理念は、関わる人たちや町に大きな変化をもたらした。この施設の意味することは実に深い。全国から注目されている。 そして、新たな老人福祉施設のお話も頂いているが、もうかれこれ3ヶ月基本構想策定に関わらせていただいているが、今までの施設がいかに管理側の都合でつくられていたのかを感じた。福祉法人理事長は、サービス業の精神で、顧客が真に願う施設を創り上げることに集中している。医学博士、農学博士、工学博士や技術者、建築家(私)がプロジェクトを組み施設に関わることを検証している。小樽市の歴史指定建造物(旧遠藤又兵衛邸)リニューアルも、クライアント(施主)と小樽市との協議により未来への方向性が見出せた。 このように、物事を根本的により深く検証する機会が増えてきているように思う。経営者の思い込みでいけいけドンドンの時代ではなくなった。まぐれもあるかもしれないが、真に未来を予感させるものを実現しなければならない。それこそが文化の本体であるように思う。文化とは未来へ向かって貫くもの。
2005/10/10
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人は真理の伝道者特に宗教的な意味ではないが、宗教の教義の意味するところに合致するものであるとするならそのように受け止められても一向に構わない。小樽市の旧遠藤又兵衛邸のりニューアル設計の依頼を受けているが、所有者が宗教法人であるため、先日、東京の教団本部を訪ずれ担当部長にお会いしお話をしたが、その教団の本質を感じるにつけて、よい教団だなと思えた。物件の担当者の方とお話する中でも、その人となりや、小樽教会の方々、さらに小樽市役所のその教団に対する姿勢を見てもよりよい教団であることが分かってきた。そういう影響もありこのような心持になっているのかもしれないが、なんにしても、旧遠藤又兵衛邸について、教団も小樽市役所もこれからの方向性を見出せない状態であることを感じ、建築家として思い感ずるところをそれぞれにお話させていただいたのだが、よりよい方向性が見えてきた。その内容は、その建築を見つめたときに、そのあるべき姿(状態)を創造し、その意味する真理を見いだし、さらに深く意識したときによりよい方向が見えてくる。今回はまさしくそのような典型的な例であった。現在私が依頼されているすべての物件にもそれは共通している。しかしそれは私だけの特別なことではなく、人それぞれが担っているものの中には常に真理はあり、それを拠り所にするところに物事の進展があることを感じる。このことは、人間はそもそも自分の関わる世界の中で真理を伝えていく役目を帯びているということではあるまいか。50歳を過ぎる年齢になると、すべての物事は偶然に起こっているのではなく、誰かが言っていたが、やはり必然として起こっていると思えてならない。それではその必然の意味とは?と聞くと誰も答えられないでいるのだが、この必然の意味こそ真理の伝道ということではあるまいか。それは、ためしに朝怒った顔をして相手にあいさつしたらその日一日がお互いに不愉快なものになり、にこやかに朝のあいさつをすれば、その日は無駄な意識をすることなく仕事に集中できたりと、このようなごくごく自然な意味での真理であり、何も特別なことを意味していないのではないか。しかし今の世相は、この当たり前のことが見出せない状況に陥っているのではないのか。どのような些細なことも、大きな出来事であっても、その真理の意味するものはなにも変わらないのではないのか。仕事をもっている人は、小なりとも託されているものはあるはずで、その世界にしっかりと根をはり、その奥底から伝わってくるものを感じとり、それをよりどころに仕事をこなしていく。その姿勢こそがすなわちそれが真理の伝道ではないのか。自分の住む世界、仕事をしている世界を深く見つめることにより、人類が共通して感じ取れる世界が見えてくる。そしてそれは、自分を好きになり、自分に自信を持ち、それを拠り所に人様と関わることにより、さらに真理が明確に認識できるようになる。宗教や倫理道徳で言う「正しい行い」も、つまりはこういうことではないのか。つまり、正しい行いとは、真理を伝道することであり、それは、自分を見つめ、自分を好きになり、それにより自分に自信が生まれ、そんな心持の自分が人と相対し仕事を担うことによりそこに信頼が生まれ、クライアント(顧客)と共に同じ心持になり一緒に真理を深く見つめていける、ということではないのか。京セラの稲盛和夫氏いわく。「今とても貧乏でも、お金持ちでも、成功しても、仮に今が失敗の状態であっても、その人間固有の「尊厳」という価値とは何ら関係ない。」とおっしゃっている。今がたとえどのような状況であろうと、真理の伝道者であろうとすることこそが、真の人間の価値であり、与えられた使命であり、このことに気付くことこそが真の成功者となれる、ということではないだろうか。真理とは、「思いやり」であり「愛」だ。このことに気付いた人間は幸せになれる、と言われている。 人気blogランキングへ
2005/10/09
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理念は通じる昨日までの東京での活動の中で、私はひとつの表現しかしなかった。それは、枝葉末節は置いておいて、根本的な出発点である理念についてだった。どなたにお会いしても、私の手がけているプロジェクトの根本となる考え方についてお話した。今に始まったことではなく、不偏のものであるのに忘れ去ってしまったものについてだ。偉そうに思われては困るが、理念は自然が創り出したものであり、私自身はあくまでそれを認識できた者にすぎない。今日の社会がそれを見失っていることにより混迷をもたらしているとすれば、その根本を説いていかなければならない。それは、日常の仕事という関わりの中で認識しあえることなのだと思う。私に託していただいた仕事を見つめるとき、技術的なことだけで済ませてしまっては何の意味もないことになってしまう。新築なりリニューアルにせよ、その根本は新たな世界の構築であり、これからの時代にふさわしい、あるいはあるべき状態にしていくことに他ならない。託された仕事の、その向こう側にあるものを深く見つめることにより、それは明らかとなっていく。そして、クライアント(施主)との関わりの中で、それがお互いの共通言語となったとき、建築は実質上完成する。あとは顕在化するのみだ。この状態になって初めて、クライアント(施主)は建築家にすべてをゆだねることができる。このような話をする中で、色々な場所での講演を頼まれたのには驚いた。大学関係で二ヶ所、クライアントの関係で一ヶ所、支援者の関係で一ヶ所。どなたも、私がお話した概念について、ぜひ皆にも聞かせたいとおしゃる。私も喜んでお話したいと申し上げた。なせなら、その理念は私のものではなく、道理、天地自然の法則に照らし合わせたものであり、私心を捨てて、皆が常に持っているべき当たり前のことに他ならない。私は、建築家という職制からそれを見つめてきたことであり、どのようにそのように感じ、どう確信を持ち、しかるに、目の前の仕事ではこのように考えている、というお話をした。常に物事の奥を見ようとするきっかけになったことは、安藤忠雄氏から言われた、「今見えていることのその向こう側にあるものを見つめていく」ということだったが、そういう心持こそ、自然の法則に照らして考えることに他ならないと思えるこの頃だ。22歳のときに安藤先生から言われたことが、30年の時を経て、ようやく自分のなかのベースになってきているように思う。それこそが建築家の基本姿勢であり、その意識がなければ建築家とは名乗ってはいけないのだろう。東京では、産学官のどなたにお会いしても、この理念は通じた。不偏なものをお互いの拠り所とすればよいのだ。それだけでよい。すべての物事の根本が明らかとなる。
2005/10/08
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東京にて昨日と本日(10/7)、東京中をめまぐるしく動きまわっている。東京工業大学大学院、某出版会社元社長、メ-カ-の技術者、小樽の物件のクライアントと、打合せがめじろおしだ。その合間をぬって池袋の、婦人の友社が所有する「自由学園明日館」と表参道を訪れることができた。自由学園はやはり何度足を運んでもよい場所だ。建築の理窟などどうでもよい、ただそこに佇んでいたい、そう思える建築だ。表参道の同潤会はかなり工事が進んでいた。他の建築とは違い約300mにも及ぶ単一のファサードは、これが正解なのかどうかよく分からない。少なくとも表参道の周りの風景とは一線を隔していることは間違いない。もともとの同潤会アパートのファサードは単一に見えて実にさまざまな表情をしていたものだった。しかし、新しい森ビルのガラスのショーウインドーの連なりの主人公は中に展示されるディスプレーかもしれない。ことによれば、建築を無機質化することで新しい表参道が生まれるのかもしれない。今月、島根大学で授業を受け持つことになっているが、ここで撮った画像を生徒たちに見せることにしよう。
2005/10/07
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人気blogランキングへ明日は東京今日は淡路島の現地見聞だった。築90年と思いきや築100年の町屋は見事なものだった。阪神淡路大震災の震源地の上に位置していたにも関わらずこのようにしっかり建っている理由がよくわかった。すべてを記録し、創造をめぐらしたが、事前に考えていたイメージどおりにいきそうだ。あえて吹き抜け空間にするホールは見事に内部空間を演出してくれることだろう。古い住宅にありがちな閉鎖性は解かれ、柔らかな自然光に満ちた空間となるだろう。午後9時に松江に帰ってきた。明日は東京だ。東京での二日間はスケジュールが詰まっている。関東での活動の第一歩が始まる。できれば表参道の同潤会の工事現場をはじめ、建築家が腕を競っている様を体感もしてみたい。このところ、私自身の建築家活動が深みを帯びてくるとともに、今まで見てきた有名建築が違うように見えてきている。手に届くというか、私ならこうするのだが・・・などと生意気な見方をしている自分がある。何時行っても次元が違うのが池袋の自由学園だ。フランク・ロイド・ライトの空間に触れるとなぜかほっとする。今度もぜひ訪れたい。
2005/10/05
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人気blogランキングへ明日は淡路島淡路島の築90年の古民家リニューアルの設計依頼により、明日、現地見聞を行う。この物件は、阪神淡路大震災の震源地である北淡町に建っている。淡路島へは車でおよそ4時間の所要時間だ。現地の施工業者と合流して行くのだが、クライアント(施主)との話で、かなりやり応えのある仕事になりそうだ。与えられた所要設計期間は5ヶ月。基本設計から実施設計へといたる道は結構時間を要するし、わが社のスタッフは3~4物件掛け持ちなので結構急ぎ足になるだろう。今まで隣りの市の仕事でも特別だと思っていた私が、はるか遠方からの設計依頼に応えていることに不思議なものを感じる。しかし徐々に当たり前に思えてきたからさらに不思議だ。もっとも、私を見つめてくれるクライアント(施主)が主人公なのだから、地域の違いなど関係ないのは当然だろう。わが事務所もすっかり全国モードとなった。そして明後日から二日間は東京だ。いよいよ本格的な活動が始まった。もちろん、地元の仕事も大切だ。地域活性化プロジェクトもいよいよ正式なGOとなり、本日関係者で現地見聞し、建設プロジェクトが発進した。松江、淡路島、東京、そして小樽と、明日を皮切りに活動開始だ。
2005/10/04
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人気blogランキングへキーマンとの出会いこのところ新たな出会いが多い。特に意識的に求めているわけではないが、紹介されたり偶然に出会ったりと様々で、これからの私の人生においてのキーマンになりそうな方々ばかりだ。私の親しい方はすべてがキーマンなのだが、より多くの方々と触れ合えることは大変ありがたいことだ。何事でもそうだが、より深いところで探求していかなければ通用しないのがプロの世界だ。一つ一つの積み重ねが今日のプロとしての自分を形成する。マニュアルでプロになれると勘違い(でもないかな?)している方もいるかもしれないが、そんなものではない。私の今日の建築家にいたる中で、知識の修得もさることながら、どれだけ多くの方々の声に耳を傾けてきたことか。その積み重ねの中から熟成されたものが私の理念をつくり上げたと感じている。これは、私だけのことではなく、プロとして時を重ねた者はだれでもそうだと思う。マニュアルだけを拠り所にしてはいけない。そこに1分の隙があり、人の声が繁栄できるものであれば問題はないだろう。やはり出会いこそすべてだ。立ち止まり自分を見つめるときも、前へ進むときもそこには必ず自分にとってのふさわしいキーマンがいる。それは旧知の方かもしれないし、昨日今日出会った方かもしれない。
2005/10/03
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人気blogランキングへプロジェクト化で取り組む建築家としての取り組みとして常にプロジェクト化を意識してきた。色々な物件の設計依頼であったり、私からの投げかけであったりと、様々なことがあるが、その中で少しずつプロジェクトの柱が出来上がっていった。今年に入ってからの全国展開にしてもこのプロジェクト化の積み重ねがなければなしえなかったことだろう。3年余前に創業して、その時の柱はコーポラティブハウスであった。それは少しずつ実現に向かっている。次の柱はD&CM方式(工事の分離発注方式)であるが、建築家の設計する住まいが低コストで手に入るもので、設計依頼もずいぶん増えてきた。コーポラティブハウスもD&CM方式も施工者をあらかじめ決め(特命)、設計の段階からクライアント(施主)、建築家、施工者が協力し進めていく方法だが、D&CM方式では特に、「Aさん邸新築プロジェクト」を編成して進めていく。この方法だと設計の初期の段階から匠の知恵の結集もできるとともに、クライアント(施主)と施工者ともお互いの気持ちが近づき、施工もスムーズに行われていくのがわかる。昨今の工務店やハウスメーカーの下請け専門業者はクライアント(施主)と話したこともないというのが実態だ。昭和30年代までは工務店など少なく、大工の棟梁(とうりょう)と相談しながら家をつくっていったのだが、これこそ職人文化との会話・対話だ。今は職人との距離が開きすぎている。大切なのは職人なのにそれが理解されていない。私のプロジェクトの根幹は職人との会話・対話にある。全国からの設計依頼を可能にしたのはそこにある。つまり、設計依頼をいただいたときに施工業者、特によき職人を招集しプロジェクト化をして進めていくやりかたをとるのだが、そのことを理解いただけるクライアント(施主)の依頼しか受けない。小樽市にしても淡路島にしてもすでに施工業者は決定した。この施工業者選定がもっとも大切で、これは安易に公表できないくらい重要なノウハウだろう。偶然の積み重ねの中で培われてきたものがこうして建築家コムースの独自のノウハウとなった。今週はいよいよ東京の支援者の方々にお会いし関東地区での設計依頼獲得に向けて動き出す。
2005/10/02
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人気blogランキングへリニューアルにしてリニューアルにあらず私の中には、新築、増改築、リニューアル・・・洋風、和風・・・などという区分けがない。クライアント(施主)の思い描く状態の実現を果たすということのみで、それは併せて地域の財産を創ることでもある。たとえば増改築をする場合でも、全体を一個の建築として創り上げていかなければならないものだと思うし、結果として洋風とか和風とか言われている状況になるにしても、最初からそれありきということではない。地域にとってふさわしい風景の一部であり演出者である建築を創り上げることは建築家の内なる部分であるのでクライアント(施主)にことさらに申し上げたことはない。あくまでクライアント(施主)の夢の実現のお手伝いが建築家としての業務目的だ。最近ありがたいことに、古建築のリニューアルの設計依頼が増えてきているのだが、所謂、リニューアルのつもりはない。前記したように新築という状態ではないにしても概念では新築との区分けはない。つまり、リニューアルした状態が、現在において、近未来において、あわよくば将来において、その建築に関わる人たちとともに地域に融合した建築であるように創り上げていくことが最も大切なことだ。新築もリニューアルも目的は同じだ。純粋に古建築を移築するという依頼であれば、建築家としての私の出番はない。部分の修繕であれば、これも私の出番はない。くどいようだが、建築家の役割は、今まで建ってきた古建築でも、今新築したごとくに、関わる人たちにとって将来にわたって存在しえる建築を実現しなければならない。根底にあるのは「文化」だ。私の考える文化とは、過去からあるものとか、今生じたものであっても、未来に向けて存在し、その時々の人たちとともにあるものを文化だと解釈している。私の住む町にあるお城(松江城)は文化ではない。文化財とか史跡とかいわれるものだ。なぜ文化ではないのか?それは、武士の文化の実現がお城であるからで、すでに武士の文化などどこにも存在しないからだ。一方で、茶の湯というものは過去、現在、未来にわたって受け継がれていくだろう。従って、茶室は文化だと言える。小樽市の北前商人の旧邸の現在の状態は文化だとは言えない。もともと庶民という文化の中でつくられた建築であるので、やはり庶民とともにある建築であるべきで、博物館の展示物のようになってしまった建築は、その本来の目的が果たせない以上文化とは言えない。従って、この建築のリニューアルのコンセプトは「庶民とともに生きる建築」としている。クライアント(施主)も小樽市役所も納得いただいたので、小樽市民と観光に訪れた人たちにとってのよりよき建築を実現させたいと思っている。安藤忠雄氏が私に語っていただいた「その向こう側にあるものを見つめていく」ということがいよいよ建築家コムースの土台となろうとしている。大きな仕事、小さな仕事という区分けはない。その建築にとっての未来への道を敷く意味が感じられる仕事は喜んでさせていただきたい。そういう意義が感じられない依頼は建築家としての私の仕事ではないだろう。リニューアルにしてリニューアルにあらず
2005/10/01
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