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石見銀山 世界遺産登録 決定6/28(木)は、島根県大田市で醸造家バッシーさんの講演会があり、そこに私もゲストとして同行した。大田市は石見銀山のある大森町があるまちだ。図らずも、世界遺産の決定が28日に行なわれた。さぞ、大騒ぎと思いきや、言わば、呆然(ぼうぜん)となっているという感じだった。それも無理からんことだと思う。登録を前にして、諮問機関において登録延期の評定が出されていたから、いきなり世界遺産登録が決定したといわれても、にわかに信じがたい気持ちであったのだろう。気持ちの準備が出来ていない様子だった。これから盛り上がっていくことだろう。石見銀山から産出された銀は、当時、世界の流通量の大半を占めていたといわれるほどの量であった。銀山街道を通って港に送られ、温泉津(ゆのつ)港から日本国内へ、世界へ送られていった。壮大な世界観を感じる。その夜、醸造家バッシーさんの講演会が行なわれた。バッシーさんの事業は、まさに島根を拠点に、国内へ、海外へ広がっていく事業だ。すでに屋内で3ヵ所の事業区域の計画が進んでいる。海外の拠点も出来てきた。海外との往復も度重なることだろう。 石見銀山 島根県ホームページ
2007/06/30
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プロジェクト実施設計開始いよいよ実施設計がスタートする。全ての要件が整った。自治体との事前協議は全て終了した。思えば長い道のりであった。身を削る思い(実際に削りながら)で2年間歯を食いしばり進めてきた。わがスタッフもよく付いて来てくれた。感謝で一杯だ。不思議なもので、私の友人の事業も、丁度時を同じくして、大きなプロジェクトが開始された。各関係先でも大きく潮目が変った。本質を貫くことこそが、事業の大原動力になることが実証された。さあこれからが本当の活動だ。みんな本番を迎えた。
2007/06/21
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道標の創造大プロジェクトの組み立て真っ最中だ。建築家がここまでするか~?ということかもしれないが、しかし、経営者として一時といえども、約300名近い会社の長になったことは事実だし、そのときに、それなりに確信めいたものはつかんだつもりだ。なんにしても手順を踏まねば先へは進まない。この大プロジェクトをお手伝いしているとそれがよく分かる。人のことはよく分かる。私自身の事業にしても同じだ。私が決めた建築家としてのビジョンは、やはり、手順を踏んで一つ一つ進んでいかなければひとっとびでは成就しない。しかし、確実にそこに向かっている。千里の道も一歩からありがたいことに、千里先が創造できたから第一歩を踏み出すことができた。先が見えないのに一歩を踏み出すことはできないだろう。まずは一歩を踏み出すことだ!という人がいるが、私は違うと思う。これだ!っという確信を持てば、行くなと言われても行ってしまうものだ。これだ!を見出す必要がある。それこそが、「人の夢の実現」という人類共通の夢(目的)であり、それを腹に落とせばよい。それだけでよいのだ。私は現在、大プロジェクトを成し遂げようとするクライアントの夢の実現をお手伝いしている。クライアントの夢の実現を果たしていく。お手伝いしていく。これこそが建築家の使命だ。最近、法人の道標を創ることをお手伝いするようになった。やってみると、建築を創造するのとなんら変らないことが分かった。それにもやはりセンスが必要だ。ゾーニングを重ねていくと、組立てと創造が織り成す空間(事業)が見えてくる。中小企業家同友会の道標をつくった。えらく好評だ。素直にうれしい。全体像が俯瞰(ふかん)できる。これで一目瞭然だ。人はひとつのことに意識を向けてそのことをやっていると、全体が見えなくなるものだ。そのときに道標を持っていると全体から軌道を離れないで進むことができる。実に大切なものだ。建築家がクライアントとの会話の中で「建築」を感じ取っていくように、経営者と話をしていくうちに、「経営」の本質と流れが絵柄として見えてくる。経営者は、私が描いた絵柄を見て改めて自分自身を認識する。つまり、幽体離脱して自分を鳥瞰(ちょうかん)している状態だ。「これはすごいですね!」とおっしゃる。まるで他人事のように言われるが、ようするに自画自賛状態なのだ。私が描いたものは、私が捕らえたその経営者の本質なのだから。大プロジェクトでは、約3ヶ月にわたって描きつづけた。時には、クライアントと経営現場に乗り込んで感じ取っていった。役所にも同行し、どのように受け止められているのか、何が伝わっていないのか、どう伝えればよいかが見えてきた。そして道標(事業の本質)は完成した。平面で描かれているが、立体を描いている。経営は、立体であり多面体だ。私のはつくった道標に基づいて、クライアントは事業の組立てを行なっている。そして私は、その道標の延長線にある建築の設計を行なっている。クライアントの事業の組立てと、そこに立てられるべき建築の設計の両方を手がけている。全てが、パラレルであり直結的であり、過去と未来の時間差という障壁が取り去られたラジカルな世界。クライアントと高次元で何かを共有できている状況。これは建築をつくり上げたときに、クライアントと共有しているアレと一緒だ。
2007/06/19
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顕在的存在 潜在的存在以前の日記にも書いたが、この言葉は、ひとつの物事を立体的に現した言葉だ。ひとつの物事(思考)には、顕在的なもの、つまり直接に感じ取れるものと、潜在的なもの、すなわち、表面的には現れてこないが思考の中に存在しているもの、この二つがパラレルに存在している。ビジョンを描くこととは、夢(目的)そのものを言うのではない。夢(目的)とは、具体的な事象ではなく突き上げる思いを言う。「愛を果たす」これも夢(目的)を言い表している。愛とは、代償を求めずただ相手の願望を満たしてあげる思いであり行為をいう。つまり、夢(目的)とは、相手の願望を満たすことだ。ビジョンは、その夢(目的)をどのように果たしていくのかという方法論を言う。経営とは、顧客の願望を満たすことだ。これこそが、企業の目的だ。つまり、顧客の夢の実現こそが、企業の存在意義そのものだ。ビジョンを見つめる前に、経営者は、顧客がどのような願望をかなえようとしているのかをしっかり見据えることだ。そのことが、経営そのものといってよい。労使それぞれが対峙している関係のではなく、労使は、顧客の抱く願望を共有する。肩を並べて顧客の願望を見つめ、その実現のためのビジョン(方法)を共有し、ともにその実現に向けての活動をしている状態。それこそが、会社の活動であり、社員の経営参画だ。潜在的なるもの、顕在的なるもの、それを共有できたときに、本当の経営活動が始まる。「経営指針」とは、そこへ導く道しるべだ。
2007/06/17
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とめどもなく30曲先日、現在進めているプロジェクトのクライアントの招きで私のほか、プロジェクトに参画している大学の先生2名、業界スペシャリストと会食があった。今までにないものを産み出すのだ!という気概からか、スナックでみんなでとめどもなく30曲あまりを唄った。カラオケなどというのは久く縁がなかったが、久しぶりに全員で力の入った歌唱になった。最近のカラオケマシンやマイクの性能の高さに関心した。数日後には、先端技術の研究者を交えての打合せ会を行なったが、彼らもたまには飲んで羽目をはずしてカラオケを唄い込めばよいと思った。無から有を生むのが設計だが、小さなアイデアから現実の器具などを創作するのも大した技術だと思った。簡単なスケッチをもとに、具体的なイメージをまとめ、それをもとに試作。誠に緻密な作業の繰り返しをやっている。設計も開発も同じなのかもしれないと思うと、この開発担当者が身近に感じられる。企画設計作業が完了したら、今度一緒に唄いますか。
2007/06/13
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欲の啓発50歳台の中盤ともなってくると、色々欲が出てくるものであることを感じるこの頃だ。やりたいことが一杯ある。片っ端からしたい心境だ。本をもっと読みたいと強烈に思うようにもなった。4~5冊併読はあたりまえ。時には7~8冊を併読する。現実世界とパラレルに存在する読書の世界。実に面白い。建築家としての欲もますます旺盛になってきた。色々なものが見える。「その向こう側にあるものを見つめて」という安藤忠雄氏の言葉は、私の中に確かにあるこだわりとして染み渡っている。まだ知らない外国の地、国内の地。そこにどんな風景、どんな建築、どんな人たちがいるのだろう。とてつもない衝動に駆られている。可能性があることは何でもやってみたい。与えられた人生、悔いなく過ごすために。自分の奥底から沸きあがってくる欲をしっかり受け止め、即実行だ。
2007/06/10
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夢とビジョン本日、ある建築を志す学生が尋ねてきてくれた。建築の世界でどの方向に進んでよいか分からないと言う。「この分野はどうだ」と言われているが、どのようなものかよく分からないと言う。以前の日記にも書いたが、どのような職業で、どのような分野で、というのはビジョン(絵柄・・・方法論)の話だ。その前に、自分は何のために生まれてきたのか、どのような目的と使命を持って生まれてきたのかを明確にしなければならないだろう。そのような話を、実話をもとに2時間あまりお話しした。おそらく自分自身のアイデンティティを見つめることができたのだろう。元気に帰っていった。以前のメルブック「親父のひとりごと」に書いたが、人間の夢(目的)は万人共通だ。しかし、その実現の手段(ビジョン)は千差万別だ。根本的にビジョンで悩むことなど有り得ない。もし惑うとすれば、人間(自分)に与えられた普遍的な夢(目的)を明確に意識できていないからだろう。 「人の夢の実現が私の夢」これが人類共通の夢の本質だ。そのために、どのような職業につくのかというビジョンをめぐらせることができる。その行為は希望に満ち満ちているような状況であるはずだ。以下、メルブック「親父のひとりごと」 親父のひとりごと NO5 親父のひとりごと NO15
2007/06/09
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大義名分図らずも、複数の意義あるプロジェクトに関係させていただいている。その主体となる企業家の理念の大きさに打ちふるえる思いだ。建築の設計のプロセスの中では、下記のようなプロセスを踏む。 デザインサーベイ ↓ ゾーニング ↓ 基本設計(マスタープランニング) ↓ 実施設計しかし、これらは、明確な作業区分があるわけではなく、時として混ざり、このプロセス内を行ったり来たりすることもある。しかし概ねこのような流れであることは間違いない。これは建築家としての作業プロセスとしてもそうだが、建築家たるアイデンティティとしての現しともいえるものだ。つまり、建築家は建物を設計するのであるが、その建物が建物たる所以(ゆえん)を明確にしてこその設計プロセスが成立する。従って、建築の目的や手段や手法が明確でない場合は、そのクライアントの思考の明確化を必要とし、時に、建築家として思考プロセスを行なうことがある。 サーベイ (理念の構築、探求) ↓ ゾーニング(ビジョンの明確化) ↓ 基本設計 (事業指針の構築) ↓ 実施設計 (具体的事業の明確化)と、このような作業を行なうのだが、ほとんどコンサルが行なう業務と変らないだろう。ただ違うのは、書面で終わるのではなく、地上の構築物という実態までつくり上げる。設計士と建築家の違いは明確だ。建築家は、いや、建築家たる私の場合はと言ったほうがよいかもしれないが、このように、ことによれば、経営における経営指針の明確化までもに踏み込んでいき、その延長線上に構築される「建築」をつくり上げていく。社会に存在する「〇〇家」と呼ばれる方々も同じような意識を持っているに違いない。つまり、私のように、〈建築家=コンサル的要素+設計〉というように、絶えず広い視野にたったコンサル的思考を持ってクライアントに意識を向けていくべきであろうと思う。そして、その作業の中で、クライアントの大義名分を見出し、それを共有できたときに初めて、プロジェクトはスタートする。
2007/06/08
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