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馬頭観音坐像時期:唐・8世紀 石彫 89cm 1959年西安市安国寺址出土 [一級文物] 3つの顔と8本の腕、忿怒形の容貌。頭上の馬頭は欠失していますが、髻(モトドリ)正面の化仏はそのままです。馬頭観音は諸悪を打ち負かす観音です。安国寺址からは本像を含み、11体の石彫像群が出土し、その中には密教尊像も含むと言います。 菩薩像頭部時期:北魏・6世紀 塑像・彩色 高37.4cm 原在地:天水市麦積山石窟第154窟天水は秦嶺山脈の西側に位置し、シルクロードに通じる交通の要衝です。仏教を奉じた鮮卑族の北魏時代の作。洛陽永寧寺出土の塑像によく似ているそうです。 菩薩立像 時期:北魏・6世紀 塑像・彩色 高55.3cm 原在地:天水市麦積山石窟第111窟右手に円環状の璧(ヘキ)と呼ばれる中国の祭具を持ち、全体的に中国の服飾を取り入れているそうです。(図録より)中国の影響の伝播がうかがえます。 如来坐像時期:隋・6世紀 塑像・彩色 高36㎝ 原在地:天水市麦積山石窟第52窟 [一級文物]「肩が丸出しになるのを避けるために中国で工夫された着方です。中国の仏像は西方から伝来する新しいスタイルを採り入れながら、常に中国的な感性に沿うよう変容されていきました」(図録より)頭部を大きくつくるプロポーションや低い肉髻(ニクケイ)は北周から隋時代に現れた新しい要素だそうです。(図録より) 菩薩像半身時期:隋・6世紀 石彫 高45cm 1977年天水市麦積山石窟西崖出土「頭部が大きめで童子のような印象があり、丸い顔で、視線を落として穏やかに微笑んでいます」「中央が尖る胸飾りは北魏以来のものですが、珠を連ねた長い瓔珞は北魏・隋時代に多く見られます」(図録より) 如来像頭部時期:北周・6世紀 石彫 高22cm 西安市礼泉寺遺跡出土中唐時代に長安城内にあった礼泉寺は唐僧と入唐僧が親しく交流した寺院として知られるそうです。空海もたびたび足を運んだ寺で、空海が師となる恵果和尚と初めて面会したのもこの寺と考えられるそうです。(図録より) 如来像頭部時期:北周・6世紀 石彫 高41cm 1984年西安市未央宮塼廠出土 造像碑時期:北斉・6世紀 石彫 縦29cm、横28.5cm、奥行9cm 洛陽博物館蔵造像碑とは方形の各面に仏像を彫刻したものです。北朝期(5-6世紀)に、仏教信仰の実践の一つとして造像供養が流行したそうです。この断片には、仏像の頭上を覆う天蓋とその天蓋の中央部の吊り具を二人の天人が捧げ持っている姿を浮彫りにしています。 菩薩像頭部時期:唐・8世紀 石彫 高39cm 2008年洛陽市龍門石窟の擂鼓台三洞窟前建築遺跡出土 右の二つは小さな「印度佛像」銘仏塼です。共に唐・7世紀の作 粘土 二つはともに「印度佛像大唐蘇常侍等共作」の銘を持ち、造像主は「蘇常侍」です。右端の塼仏は、如来坐像を中尊とする三尊像 高8.5cm左隣の塼仏は、如来立像を中尊とする三尊像 高6.1cm 双思惟像時期:北斉・6世紀 石彫(白石) 高30.5cm 1954年河北省曲陽修徳寺址出土ガンダーラを起源とする半跏思惟像は6世紀に大流行したそうです。「中国では釈迦太子像として造られましたが、曲陽ではとくに2体を相似形に並べる(双思惟像)が好まれました」(図録より) 如来椅坐像時期:隋・開皇13年(593) 石彫(白石) 1954年河北省曲陽修徳寺址出土「左右に脇侍像の足と蓮華座が残っており、もとは三尊像であったことがわかります。大粒の螺髪を刻む肉髻や、丸みのある体つきは6世紀後半に現れる新しいインド風の影響です」(図録より) 右端は、二仏並坐像です。時期:東魏・武定6年(593) 石彫(白石) 高33cm1954年河北省曲陽修徳寺址出土 三尊仏立像時期:南朝・6世紀 銅造・鍍金 高11.7cm 江西省博物館蔵一光三尊形式の金銅仏で、中尊は如来立像。これとよく似たものが江蘇省南京で出土しており、南京方面から、江西省の方に運ばれてきた可能性もあるそうです。(図録より) 四面造像碑時期:東魏・6世紀 石彫 縦34cm、幅45cm、奥行22cm 洛陽博物館蔵各面を眺めましょう。 アショカ施土因縁図アショカ王の前世である子供が別の子供の肩に乗ってブッダに土団子を布施しようとする場面です。 愛馬別離図城を出たシッダールタ太子(釈迦)が愛馬のカンタカと別れる場面。半跏思惟のシッダールタの足をカンタカが舐めて別れを表わしています。 坐仏を五段に表わしています。 対問図『維摩経』の有名な場面。右に維摩詰、左に円光をつける文殊菩薩。維摩を見舞いに訪れた文殊菩薩との間の問答が始まった場面です。 菩薩立像時期:隋-唐・7世紀 石彫 高114cm 山西省侯馬市出土「腰の位置を高くとった細身でのびやかなプロポーションや、両肩をわずかに後ろに引いて上体を反らせた側面観、天衣や胸飾、瓔珞などによるにぎやかな装飾などは、隋代彫刻の特色といえるもの」(図録より)だそうです。 菩薩坐像 時期:唐・7-8世紀 石彫 高86.5cm 2000年洛陽市奉先寺遺跡出土 [一級文物]この像は則天武后期の制作と考えられており、「写実性と理想的な表現が融合した見事な造形を生み出しています」(図録より)奉先寺遺跡は龍門石窟西山の南西に位置します。奉先寺は唐の第3代高宗の勅願により調露元年(679)に創建されました。龍門石窟にも奉先寺洞(675年完工)と称される大仏窟があります。 龍門石窟の奉先寺洞(洛陽) 写真提供:龍門石窟研究院 シルクロードの遺跡・風景上段 左から 玉門関 楡林窟(敦煌) 黒水国城(張掖) 龍門石窟(洛陽、A) 下段 左から 陽関 白馬塔(敦煌) 鳩摩羅什寺(武威)大雁塔(西安) 写真提供: 興旅傳媒氏(A以外)、Aは龍門石窟研究院 火焔山(トルファン) 交河故城(トルファン、B) 写真提供: Bは山田勝久氏石頭城(タシュクルガン) 楼蘭故城 B以外は興旅傳媒氏これで「大シルクロード展」のご紹介を終わります。最初にご紹介したように、2階の平常展示と企画展を鑑賞して、最後に駱駝を眺めて京都文化博物館を出ました。 紫式部像2階のロビーに置かれた紫式部像です。大河ドラマ「光る君へ」も終了しました。久しぶりに京都文化博物館でこの像の写真を撮りました。2024年最後の日。今年もご覧いただきありがとうございます。2025年も拙ブログにお立ち寄りください。補遺龍門石窟 :ウィキペディア2019秋、中国旅行記25(21/34):11月19日(9):洛陽(9):龍門石窟(3):伊河、火焼洞、葯方洞、古陽洞 旅人のくまさんさん :「4travel.jp」平成26年度現地調査 海外-2 <中国>世界文化遺産「龍門石窟」 :「鎌倉」【世界遺産】龍門石窟とは?|中国一美しいお顔立ちの仏像!? :「skyticket」龍門北朝窟の造像と造像記 :「京都大学人文科学研究所」龍門石窟保護事業活動 :「文化財保護・芸術研究助成財団」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -1 概要&出会った龍像 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -2 第1章 民族往来の舞台 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -3 第1章 その2 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -4 第2章 東西文明の融合 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -5 第2章 その2観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -6 第3章 仏教東漸の遥かな旅 へ
2024.12.31
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シビ王本生図 模写 段文傑(1917-2011)作<第3章 仏教東漸の遥かな旅> の副題は <眠りから覚めた経典と祈りの造形> です。仏教が中国に伝わったのは西暦1世紀頃だそうです。仏教東漸には、大きくは北伝ルートと南伝ルートがあります。シルクロードは北伝ルートにあたります。シルクロード沿いには数多の仏教遺跡が残されています。その中でも最も有名なオアシス都市の一つが敦煌です。敦煌は重要な仏教伝播の中心地となりました。敦煌に所在の数多くの石窟には壁画が描かれ経典が記されました。ガンダーラにおける仏教の造像芸術は、シルクロードを経由し、中国に入り、中国の伝統的な思想や文化と融合して、仏教の造像芸術が興隆していきました。その成果が、日本へと将来され、伝搬してきました。この第3章では、敦煌莫高窟をはじめ、シルクロード沿いの有名な石窟の壁画の模写と出土した石仏象、石窟で発見された経典などが展示されています。冒頭の「シビ王本生図」は甘粛省敦煌莫高窟第245窟の壁画です。原作は北魏・5-6世紀123cmX164cm「シビ王本生図」とは、釈迦の前生話の一つです。「不殺生を実践するシビ王を試そうと帝釈天が鷹に姿を変え、鳩を追ってシビ王の前に現れます。王は鳩を救うために鳩と同じ重さの自らの股の肉を鷹に与えようと削らせ、ついに気絶しますが、帝釈天が姿を現して王の体を回復します」(図録より)という話です。 模写図は会場壁面に展示されています。一方、経典類はその前に一部または全部が展示されています。経典類については、簡略に名称と発見場所のご紹介にとどめます。シビ王本生図の前の展示品は、「正法華経光世音菩薩普門品 断簡」敦煌莫高窟出土 降魔図 模写 段文傑作 原作:莫高窟第236窟 北魏・5-6世紀 118cmX229cm菩提樹の下で静かに瞑想する釈迦に対して、天界に住む魔王が妨害しようとあの手この手で邪魔をしようとする場面だそうです。1枚には撮りづらくて部分図にしました。それでも所々にライトの輝きが小さく反射しています。以下同様に、白い光のスポットが画像に詠じているものがあります。それらを捨象してご覧ください。 会場の壁面には、石窟壁画の模写画と併せて、シルクロード周辺の各所の風景も展示されています。これらがシルクロードの雰囲気を醸成しています。上は寿昌城(敦煌) 写真提供:興旅傳媒氏下は莫高窟の九層楼(敦煌) 写真提供:五木田聡氏風景パネルの前に、経典が展示されています。 風景パネルの前に経典が展示されています。この第3章では上記の経典以外に次の経典が展示されています。 観世音菩薩普門品 断簡 1980年 * 妙法蓮華経化城喩品 断簡 1944年 妙法蓮華経従地湧品 断簡 1944年 妙法蓮華経方便品 断簡 1900年 妙法蓮華経序品 断簡 1944年 妙法蓮華経巻第一 断簡 1900年 [一級文物] 妙法蓮華経巻三 1900年 妙法蓮華経巻第四 1900年 妙法蓮華経巻第七 1900年 [一級文物] 普賢菩薩勧発品第二十八 1900年 [一級文物]これらは、敦煌莫高窟では発見された『法華経』の写本と、近年トルファンのベゼクリク石窟で発見された『法華経』(*印のもの)をあわせた展示です。発見年を付記します。 キジル石窟(クチャ) 写真提供:興旅傳媒氏 維摩図 模写(維摩経変 部分) 趙俊栄(1955年~ )・鄧恒(1957年~ ) 作原作:敦煌莫高窟第220窟 唐・7世紀 縦231.5cm、横179.6cm『維摩経』という経典があります。維摩が病気になったので、釈迦が弟子に見舞いに行くように命じるのですが誰も行きたがらないのです。そこで文殊菩薩が見舞いの役目を引き受けることになります。見舞いに行った文殊と維摩が問答をする場面が経典に描かれています。原作の<維摩経変>は第220窟の東壁の窟門左右に描かれているそうです。 阿弥陀仏説法図 模写 杜顕清(1922-2012)・楊麟翼(1941~ )作原作:莫高窟第57窟 縦172cm、横165cm 阿弥陀仏の右脇侍、つまり向かって左側は観音菩薩です。その右側の若き弟子を併せて見ると、この原画が莫高窟の中でも高い人気を誇るというのを、なるほどと思いますね。凡人の眼には美女・美男・・・。 鹿王本生図および須摩提女請仏因縁図 模写 常書鴻(1904-1994)作原作:北魏・5-6世紀 莫高窟第257窟 鹿王本生図は釈迦の前生話の一つです。九色の毛皮と白い角を持つ鹿王が釈迦の前生です。「ある日鹿王は河で溺れかけた男を助けますが、男は恩を忘れて国王の鹿狩りの案内をします。しかし、あわやというところで鹿王が国王に一部始終を告げ、国王は鹿を護ることを約束し、忘恩の男は体中にできものが噴出して死にます」(図録より)という前生譚です。国王は王妃に鹿の皮をねだられて狩に出かけたのです。もう一つの須摩提女請仏因縁図とは、スマーティ(須摩提)が釈迦の来臨を乞う物語です。 壁面には舞楽図 模写 (阿弥陀仏浄土変の部分図) 霍秀峰(1954年~ )作原作:莫高窟第220窟 唐・7世紀 縦100.7cm、横272.1cm手前の展示品は、上掲、鹿王本生図および須摩提女請仏因縁図の右端部分です。須摩提女請仏因縁図の物語の前半がここに描かれています。 反弾琵琶舞楽図 模写 (観無量寿経変 部分) 呉栄鑑(1957年~ )原作:唐・8-9世紀 莫高窟第112窟 縦53.6cm、横63cm極楽浄土の阿弥陀仏の足元で、浄土を荘厳するために伎楽を行う天人の姿を描いています。 その中心で片足を上げて踊りながら琵琶を弾く天人がいます。なんと琵琶を背に回し、背中側で琵琶を弾いているのです。曲芸的な演奏!!この天人の姿、敦煌市街中心のロータリーに、敦煌のシンボルとして立体像で再現されているそうです。(図録より)もう一点、「張騫出使西域図 模写」が展示されています。撮りましたが、会場照明のライトが数多く反射し写っていて見づらいので省略します。 莫高窟(敦煌) 写真提供:五木田聡氏 如来像 壁画時期:7-8世紀 土・彩色 縦51cm、横61cm 2002年新彊ウィグル自治区の仏寺遺跡出土このダンダンウィリク遺跡は、ホータン東方の砂漠の中にあるそうです。 千仏と騎馬隊の行列 壁画 土・彩色 2002年上掲如来像と同じ遺跡からの出土縦54cm、横105.5cm 仏寺の内陣を囲む回廊の壁面を装飾していた図です。顔はみな向かって左方向を向く四分の三面観で表され、目線はやや上方を見ている目線だそうです。 供養者像 壁画 時期:10-13世紀 土・彩色 縦12cm、横19.2cm 1994年交河故城地下寺院遺跡出土交河故城遺跡は天山南路の要衝トルファンの西方に残る都市遺跡です。身分の高い女性と推定されています。第3章の前半は、莫高窟壁画の模写と壁画がまとめて展示されていて、後半にシルクロードの仏像がまとめられています。この辺りで一区切りと致します。つづく参照資料*図録『世界遺産 大シルクロード展』 2023-25 *「世界遺産 大シルクロード展」展示品一覧パンフレット補遺莫高窟 :ウィキペディア世界の人々を魅了する大石窟寺院:敦煌莫高窟 :「貴重書で綴るシルクロード」莫高窟は中国にある世界遺産!世界有数の仏教遺跡の歴史や特徴などを解説:「NEWT」維摩経 :ウィキペディア名著、げすとこらむ。『維摩経』 :「NHK」ジャータカ :ウィキペディア法話と解説 ジャータカ物語 :「日本テーラワーダ仏教協会」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -1 概要&出会った龍像 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -2 第1章 民族往来の舞台 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -3 第1章 その2 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -4 第2章 東西文明の融合 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -5 第2章 その2観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -7 第3章 その2 へ
2024.12.30
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史君墓石堂 複製品原作:北周・大象2年(580) 石、彩色、金箔 高120cm、幅240cm、奥行97cm2003年に陝西省西安市の大明宮郷井上村で発掘されたソグド人の墓だそうです。第2章の中間辺りに展示されています。 入口上部に掲げられた銘文から被葬者は北周涼州薩保の史君とその妻康氏だそうです。 入口扉の左右の浮彫像。ゾロアスター教の神々でしょうか。図録にも名称不記で不詳。この配置を見て、日本の仁王像を連想してしまいました。 入口扉の上掲像のさらに外側です。連子窓を浮彫にしたその下部には、左右に火の祭壇が描かれ、その左右に半人半鳥の神官の浮彫りが見えます。この浮彫りから、ゾロアスター教徒の墓石堂とわかります。正面の左側の壁から時計回りに史君夫妻の生前の豊かな暮らしぶりが表されていると言います。手前に建物の模写図が掲示してあります。 正面 正面からみて左側面 正面からみて右側面 無文大形盆時期:唐・8世紀 銀製・鋳造 高6cm、口径29.6cm 1970年に西安市の何家村から出土 海獣葡萄鏡時期:唐・8世紀 白銅製・鋳造 直径20cm 陝西歴史博物館蔵 海獣葡萄鏡時期:唐・8世紀 青銅製・鋳造 直径10.9cm 陝西歴史博物館蔵 海獣葡萄鏡時期:唐・8世紀 白銅製・鋳造 直径12.2cm、縁高1cm 1975年江西省の坑田公社出土 双鳳双馬文円鏡時期:唐・8世紀 青銅製・鋳造 径30cm、厚1.8cm 陝西歴史博物館蔵 左は小鉢 時期:唐・8-9世紀 陶製・三彩 高4cm、口径4.5cm 1993年白居易故居遺跡出土中央は椀 時期:唐・8-9世紀 陶製・黒釉 高8.5cm、口径19.3cm 1993年同上遺跡出土 右は石硯 時期:唐・8-9世紀 石製 高7.8cm、直径23.9cm 1993年同上遺跡出土白居易故居からは、石・陶・磁の三種類の硯(スズリ)が見つかっているそうです。その内の石硯です。「壊れていて足が1本しか残っていませんでしたが、周縁部分の形がはきりしており、円形硯として復元されています」(図録より) 蓮華文塼時期:隋-唐・6-7世紀 せん 縦33cm、横32.5cm、厚6.4cm 洛陽博物館蔵 鳳首杯時期:唐・8世紀 陶製・三彩 高6.9cm、長13.6cm、口径5.6cm [一級文物]1982年西安市韓森寨出土 鳳首瓶時期:唐・8世紀 高29.4cm 洛陽博物館蔵 胡人俑時期:唐・8世紀 陶製・三彩、加彩 高28cm 西安博物院蔵 胡人俑時期:唐・7-8世紀 陶製・三彩、加彩 高49cm 西安博物院蔵 [一級文物]1972年洛陽市関林唐墓出土 胡人俑時期:唐・7-8世紀 唐・三彩、加彩 高43cm 1968年洛陽市出土 女子俑 時期:唐・8世紀 陶製¥三彩、加彩 高45.2cm 1959年西安市中堡村唐墓出土 [一級文物] 駱駝時期:唐・8世紀 陶製・三彩 高66cm 1972年洛陽市の谷水出土 騎馬胡人俑時期:唐・8世紀 陶製・三彩、加彩 高42.2cm 洛陽博物館蔵 左 ビーズ 時期:春秋・前8-6世紀 瑪瑙・トルコ石・孔雀石 山西博物院蔵右 鴛鴦文飾金具 時期:唐・8世紀 銅製・鍍金 3.4cmX6cm 1970年河南省洛鋼墓出土 簪時期:唐・8世紀 銀製・鍍金 上/長23.5cm、下/24.5cm 2005年洛陽市の唐墓出土 腕輪時期:唐・8世紀 銀製・鍍金 長6.4cm 2005年洛陽市唐墓出土 左 椀 時期:唐・8世紀 銀製・鋳造、鍍金 高4cm、口径7.8cm 洛陽博物館蔵右 椀 時期:北宋・10-12世紀 銀製・鋳造 高3.4cm、口径9cm 1990年河南省の宋代壁画墓出土 馬時期:北魏・太和8年(484) 陶製・施釉 高37.2cm 1965年大同市司馬金龍墓出土 馬時期:北魏・太和8年(484) 陶製・施釉 高27.5cm 1965年大同市司馬金龍墓出土 献馬図時期:唐・乾封元年(666) 土・彩色 縦146cm、横155cm 1991年陝西省の韋貴妃墓出土 [一級文物] 唐の第2代皇帝太宗(李世民。598-649)の妃、韋貴妃(紀国太紀。597-655)の墓に描かれていた壁画だそうです。この二人の男性は西方出身の胡人と推測されています。「深目高鼻」の容貌で、胡服を着けています。 六花形脚付杯 時期:唐・8世紀 金製・鋳造 高5.4cm、口径7.9cm 山西博物院蔵 [一級文物]小さなサイズの作品ですが、ここに展示のハイライト作品の一つです。このシリーズの最初にご紹介した図録の表紙に使われています。金を打ち出す成形技法が使われています。この器形がシルクロードを通って伝えられたとみなされています。椀形の外側面には、貴族が馬に乗り狩猟に出かける場面が線刻されています。他に数点、うまく撮れなかった展示品がありますが、省略します。それでは、第3章に進みましょう。つづく参照資料*図録『世界遺産 大シルクロード展』 2023-25 *「世界遺産 大シルクロード展」展示品一覧パンフレット補遺新シルクロード展 2005年 兵庫県立美術館 天山北路~天馬の故郷~(シルクロード絲綢之路-第1部11)司馬遼太郎 YouTubeシルクロード :「NHKオンデマンド」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -1 概要&出会った龍像 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -2 第1章 民族往来の舞台 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -3 第1章 その2 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -4 第2章 東西文明の融合 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -6 第3章 仏教東漸の遥かな旅 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -7 第3章 その2 へ
2024.12.29
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第2章のタイトルは「東西文明の融合」です。紀元前2世紀 前漢の武帝は張騫を西域に派遣 → 中国と西洋の交流の道が開く紀元前60年 前漢は西域都護府を設置 西域の管理機構でシルクロードの安全確保中国より、中央アジアを経てローマに絹を輸出。中原の鋳鉄技術、農耕技術、紙や火薬の製法がシルクロードを通じて西に伝わります。漢王朝の滅亡後は、中国国内は対立争乱が続き、西域経営は低調化。7世紀の唐の時代にシルクロードが全盛期を迎えます。中国の伝統と西方の新しいデザインの融合が、長安と洛陽を中心に生み出されていきました。漢文化と胡文化が響き合って、新たな輝きを示します。 会場の壁面には、「シルクロードの主要都市と遺跡」を示す地図が掲げてあります。 懸泉置漢簡前漢、前1世紀に、中国では木簡が使われていたのです。長23.3cm、幅1.7cm、厚0.7cm1990年、懸泉置から出土。懸泉置は敦煌の東64kmに位置しているそうです。置は漢代の主要幹線道路に設置された大型の駅施設を意味し、ここは50mX50mという規模の施設でした。懸泉という名の泉に因んで名づけられたとか。旅行者に宿舎などを提供していたと言います。この木簡は、馬車馬のまぐさ精算に関わる内容のものだとか。 神馬文塼時期:西晋、3-4世紀 2000年に敦煌から東南に10kmの砂漠の仏爺廟湾古墓群から出土墓の部材の塼(セン)で表面に絵を描いたもの。縦16cm、横31.5cm、厚6cm [一級文物] 神馬文塼時期:西晋、3-4世紀 2001年に仏爺廟湾古墓群から出土 縦16cm、横33.0cm、厚6cm[一級文物]こちらは表面に絵が描かれ、絵の周囲に浅浮彫りをほどこして絵を強調しています。 玄武文塼時期:唐・7-10世紀 1995年に仏爺廟湾古墓群から出土 縦31cm、横38cm、厚6.0cm蛇が亀に巻き付き両方が威嚇しあう図が型押しされています。このシリーズの最初に、龍文塼をご紹介しています。この隣に展示してありました。 胡人牽引駱駝図塼時期:唐・7-8世紀 1995年に仏爺廟湾古墓群から出土 縦23.5cm、横36cm、厚5cmこれは墓の築造に用いられたもの。駱駝を牽く男性は、ソグド人に代表される西域商人と見られています。 [一級文物] 鳳凰文塼時期:五代・10世紀 1981年に敦煌三危山老君堂から出土 縦26.5cm、横51cm、厚9cm上段左の龍文塼は、このシリーズの最初にご紹介しています。 蝉形金具時期:唐・7-9世紀 青銅鍍金 長5.5cm 1962年に敦煌市寿昌城遺跡から出土 戈時期:西周・前10-9世紀 青銅 殷から漢代にかけて常用された武器 西安博物院蔵10.5cmX21cm 奏楽女子俑時期:五胡十六国・5世紀 陶製・彩色 高22.5cm 西安博物院蔵 奏楽女子俑時期:五胡十六国・5世紀 陶製・彩色 高26.5cm 西安博物院蔵 双鸞天馬昨鳥文八花鏡時期:唐・8世紀 白銅・鋳造 直径22.3cm 西安博物院蔵これは鏡の背面です。外周円が八つの円弧がつながった形で、八花鏡と呼ばれます。その内側に円形の線が背面を二つの領域に分けています。内円の中央の鈕の左右には向き合う鸞鳥、上部には葡萄の房を咥えた天馬、下部には葡萄の房をついばむ鳥がレリーフされています。外側の部分には、草花文と吉祥文がレリーフされています。 大形杯時期:唐・8世紀 銀・鋳造 高9.5cm、口径13.6cm 祝村郷羊村出土 臂釧(ヒセン)時期:唐・8世紀 銀・鋳造 最大径7.2cm 西安博物院蔵二の腕にはめる環状の装身具です。打出し技法で作られているそうです。 三陵花盤時期:唐・9-10世紀 磁製・白磁 高3cm、口径12cm 1985年、西安市の火焼壁村から出土。ここは唐長安城の安定坊遺跡に位置するとか。花形のこの盤((皿)には、「官」字銘があるそうです。これと並べて、同じ所から出土した白磁で”官”字銘のある五輪花盤も展示されています。こちらはうまく撮れませんでした。この第二章でのハイライトの一つは、 この「車馬儀仗隊」の展示です。時期:後漢・1-3世紀 青銅製 高30cm~55cm1969年に、甘粛省武威市雷台墓から出土。今回展示されているのはその一部。「儀仗隊の本来の編成は不明ですが、39頭の馬と14両の車、17騎の騎士俑と28体の奴婢俑で構成され、前室南側の耳室に置かれていたようです」(図録より)とのこと。 馬 騎士俑 輂車(キョクシャ)荷車のようなこの車は夫人たちが乗る車で、もともと布製の覆いがかけられていたかもしれないそうです。右斜め下に、奴婢俑が見えます。 右側の車は軺車(ショウシャ)。この車にパラソルのような蓋(がい)を付けて、この墓の主である張君が乗ったそうです。馬や奴婢俑には銘が刻まれていることから、この儀仗隊は張君が出行する行列をあらわしていると考えられています。(図録より) 騎士俑 このパネルから、シルクロードの交易路網がよくわかります。著名な都市の位置関係もわかりやすい概略地図です。 連弁文尊時期:北斉・河清元年8562) 陶製・黄釉 蓋と胴部には「貼花(チョウカ)」と呼ばれる型抜きの貼付文様で埋め尽くされています。文様は菊花文、火炎宝珠文、宝相華文、蓮弁文などです。北斉時代(550-577)の墓の副葬品によく見られるとのこと。(図録より)高40.2cm 1973年に山西省の庫狄廻洛墓から出土。庫狄廻洛(506-562)は被葬者名です。 左は胡瓶 時期:唐・3世紀 銀・鋳造 高36cm、腹径18.5cm 19894年に河北省から出土右は瓶 時期:北宋10-12世紀 陶製・褐釉 高24.5、口径6.1cm 河南省から出土 左は双魚文椀 時期:南宋12-13世紀 磁製・青白磁 椀の内面中央に印花技法で双魚文と波文が表されています。 高5.3cm、口径16cm 開封市博物館蔵右は水注 時期:南宋12-13世紀 磁製・青白磁 高8.8cm、口径5.5cm 開封市博物館蔵 象首浄瓶時期:隋・6-7世紀 陶製・青磁 高22.8cm、口径1.5cm 楽化公社出土 江西省博物館蔵 左はザクロ形合子 時期:北宋・11-12世紀 磁製・青白磁 高6.2cm、胴径6.5cm 中央はクチナシ文椀 時期:南宋・11-12世紀 陶製・黒釉 高5.1cm、口径11.4cm右は獅子形鎮子(2個) 時期:南双・12-13世紀 石堀 高3.4cm、重さ133gこれら3点は江西省博物館蔵 左は花卉文盤 時期:金-元12-14世紀 陶製・白地黒花 高4.8cm、口径19.8cm 右は瓜形壺 時期:北宋-金10-13世紀 陶製・白釉 高7.7cm、口径9.8cmこれら2点は河南省の白砂から出土 ともに開封市博物館蔵 左は馬 時期:金-元・12-13世紀 陶製・緑釉 高6cm 右は盤 時期:金・12-13世紀 陶製・月白釉 高4.1cm、口径15.4cm 草葉文鈴時期:北宋-金・10-13世紀 陶製・白地黒花 高6.5cm、長9.8cm、幅8.5cm これら3点も河南省の白砂から出土 ともに開封市博物館蔵 左は高脚椀 時期:北宋・12-13世紀 磁製・白磁 高6.6cm、口径8.9cm 出土地不詳右は合子 時期:北宋-金・11-13世紀 陶製・黒釉 高12cm、口径12.1cm 白沙出土 蓋には犬形のつまみがついています。 左は水注 時期:北宋・10-12世紀 陶製・白釉 高9.6cm、口径3.4cm 出土地不詳右は餌壺 時期:北宋-金・10-13世紀 高2.3cm、口径3.7cm 出土地不詳 鳥のエサ入れこれら4点も開封市博物館蔵 ベゼクリク石窟(トルファン) 興旅傳媒氏の提供写真会場壁面にかけられた大型風景パネルの部分図。この辺で一区切りと致します。次回は第2章の後半に進みます。つづく参照資料*図録『世界遺産 大シルクロード展』 2023-25 *「世界遺産 大シルクロード展」展示品一覧パンフレット補遺河北省 :ウィキペディア河南省 :ウィキペディア洛陽市 :ウィキペディア江西省 :ウィキペディア浙江省 :ウィキペディア山西省 :ウィキペディア陝西省 :ウィキペディア西安市 :ウィキペディア甘粛省 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -1 概要&出会った龍像 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -2 第1章 民族往来の舞台 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -3 第1章 その2 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -5 第2章 その2 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -6 第3章 仏教東漸の遥かな旅 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -7 第3章 その2 へ
2024.12.27
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羊樹文錦アスターナ古墓出土品の続きです。これは緑地に対し紅、黄、白の経糸(タテイト)を使って織りなした経錦だそうです。下部には羊、上部には樹木と鳥、中央部には意匠化した樹木の図柄です。中央の樹木様の図を見たとき、その中央部分が一瞬笑っている顔のように見えました。おもしろい意匠です。時期:6-7世紀 絹織物 長24cm、幅21cm [一級文物] 牽駝胡王獅子文錦 部分図を切り出してみました。右側に駱駝(ラクダ)と駱駝を牽く男が描かれ、その間に漢字で胡王という文字が織り込まれています。左には獅子がいます。それで、牽駝胡王獅子文という名称に。これは経糸に赤、黄、青、緑の4色を使った絹織物の経錦です。1972年にアスターナの夫婦合葬墓から出土。図録の説明では、夫は558年、妻は576年に埋葬されているそうです。この錦は6世紀半ばのものと推定されています。被葬者の面覆いとして使用された品。唐代に「胡」といえば、ほとんどの場合、ソグドを意味したと言います。アスターナ古墓は、トルファン盆地最大の都市遺跡である高昌故城の城壁の外、北側に営まれた共同墓地です。 連珠鹿文錦これはトルファンですが、カラホージャ古墓から1975年に出土したもの。この古墓は高昌故城外の北東に位置します。これも面覆いで、1975年に発見されました。時期:7世紀 絹織物で緯錦 縦23cm、横17cm 胡王および琵琶奏者文錦時期:7世紀 絹織物で経錦 上掲の連珠鹿文錦と同じ古墓から1975年に出土した面覆い。 蓮華化生および畏獣文錦トルファンのパダム古墓群にあるソグド系豪族・康氏の墓地から2004年に出土。パダム古墓群は、高昌故城の北4km、アスターナ古墓群の東3.5kmに位置するそうです。色調がうまく出ていない画像になりましたが、展示品は鮮やかな藍地に赤・白・緑の絹の経糸で織り出した経錦です。図柄は、最下部に一対の有翼獅子、その上に蓮華から上半身を現した蓮華化生の図、その上に連珠蓮華文が描かれています。その上には、さらに畏獣が蓮台を支え、その上に水晶形宝珠が載っているという図です。これらの縦一列の図が一単位になっています。時期:6-7世紀 縦26cm、横17.3cm 図録の説明によりますと、「錦を含めアスターナの副葬品に仏教図像が認められることは珍しく、その点においても興味深い作品です」とのこと。 連珠猪頭文錦これもまた、2004年にパダム古墓から出土した面覆いです。連珠文の中に図案化された猪の頭が描かれています。時期」7世紀初め 絹織物で緯錦 縦25cm、横15cm パダム古墓からはソグド人の墓が多く見つかっているそうです。 ソグド商人の通行証時期:唐・開元20年(732) 1973年、アスターナ古慕から出土 [一級文物]唐時代に「過所」と呼ばれた通行証だそうです。この3枚の紙が貼り継がれた中に、発給元、発給目的、通過箇所での通行チェック記録など、様々な情報が凝縮されているようです。こういう文書がシルクロードの実態解明に大きく寄与するのでしょうね。日付も明確に記されていますので。 縦28.5cm、横78cm 太陽神等文様錦時期:5-6世紀 縦42cm、横27cm 1985年、青海省の熱水墓地から出土細長い2種類の錦が縫い合わされ、左端に縁取りが縫い付けられてあります。右の錦はアスターナ古墓出土の連珠狩猟文錦とデザインがほぼ同じだそうです。文化の伝播の経路を具体的に裏付ける事例になりますね。 靴下時期:7-8世紀 縦27cm、幅23cm 1983年、青海省の熱水墓地から出土 [一級文物]3種類の異なる絹織物・経錦が縫い合わせてあり、刺繍も施され、花文の図柄。おそらく室内用の履物だとか。この履物からは唐文化の影響がみてとれるそうです。文化の伝搬はシルクロードを介して双方向に影響しつづけたということなのでしょう。 鞍敷時期:8世紀 絹布に刺繍 1983年、青海省熱水墓地から出土 [一級文物]絹布の地の部分は黄色の糸で、全体に唐草文の一つ、パルメット文の刺繍がほどこされています。これは北朝や唐代の文物によくみられる文様だそうです。つまり、中国風の鞍敷です。 羽人文瓦当時期:7-9世紀 陶製 軒丸瓦の先端に付けられた円形の部分が瓦当です。直径12.9cm、厚1.7㎝ 1985年、川口鎮享堂古城から出土 上半身は人間で、下半身は鳥の姿をしている有翼の羽人がレリーフされています。羽人は中国における空想上の人種だと言います。この羽人が仏教美術の影響で、迦陵頻伽に結びついていくようです。 唐花文透金具時期:唐・7-8世紀 9.6cmX6.8cm 青海省熱水墓地出土横長の四陵花形の飾金具。木製の台板に麻布を敷き、銅板に唐草文を透かし彫りにして金メッキした金具を取り付けているそうです。確かな用途は不詳だとか。 金具(3点)時期:吐蕃・7-9世紀 金製 出土地不明 青海省博物館蔵 上2点 各2.5cmX2cm 下 2.0cmX2.1cm 金の明るさで何とか撮れました。革ベルトに付けた飾金具と推測されています。いずれも文様部分を浮彫にしています。次の3点は、吐蕃7-9世紀の時期のもので、出土地は不明 青海蔵医薬文化博物館蔵 金製飾り立錐型。粒状の金で三角形の文様を二段にし、コイル状の紐で区切っていますが、上下部分が失われていて、全体像は不明。 高2.3cm [一級文物] 金製飾り長い袖の服を着たチベット風の人物が2人図案化されています。緑色や青色の宝石が象嵌されています。これにも、金つぶとコイル状の紐が組み込まれています。縦4.5cm、横4.5cm [一級文物] 金製飾り中心の宝石が欠落していますが、その周囲に9つのトルコ石が象嵌されています。そして外側に同心円状で異なる文様が表現されています。それぞれ基本パターンを連続させる意匠です。ここでも金つぶとコイル状の紐を組み合わせる点は共通しています。径5.4cm [一級文物] 吐蕃人物文飾板(2点)時期:吐蕃・7-9世紀 銀製鍍金 左 高31.7cm 右 高32cm [一級文物]出土地は不明 青海蔵医薬文化博物館蔵。チベット人男性の立像です。左は大きな襟、長い袖の長衣、右は長衣の上に外套を着用。二人はともにスタイルは異なりますが、頭にターバンを巻き、ハーフブーツを履いています。この服装は、敦煌莫高窟その他に描かれている吐蕃人の服装と共通するそうです。 獅子文飾金具(11点)これも出土地不明の金製品です。時期:吐蕃・7-9世紀 各 2.1cmX3.3cm 獅子の周囲の囲い枠は忍冬文様です。青海蔵医薬文化博物館蔵。 花卉文飾金具これは8点展示中の一つを撮ってみました。8点は高5.0-7.5cmと多少のばらつきがあります。銀に金箔が貼られた飾金具です。穴の部分には元々トルコ石などの宝石が嵌め込まれていた可能性もあるとか。何に使われたのかは不詳。青海蔵医薬文化博物館蔵。その2の展示エリアで撮っていない展示品が3点あります。名称だけ記録にとどめます。「通行証発給に関わる調書 残片」「双面人頭形銀製品」「胡桃」です。 会場の壁面には、各所にシルクロードの遺跡と風景を撮った大型パネルが展示されています。それぞれ撮ってみたのですが、撮った写真の中に天井の照明器具の残影が映り込んでいました。トリミングで処理できない!ということで殆どボツ!上掲の風景がなんとか併載できるくらいです。これは、蘭州の炳霊寺石窟の風景写真です。このような大きな風景写真パネルがシルクロードの景観をイメージする補助として大きく寄与しています。どのような荒涼とした厳しい環境下にある場所から展示品が発掘・発見されたのか、身近に感じられました。行ってみたい! こちらは鑑賞者の動きを入れないように、最初から大きな風景パネルの部分図を撮ったものです。それでは、第2章へと進みましょう。つづく参照資料*図録『世界遺産 大シルクロード展』 2023-25 *「世界遺産 大シルクロード展」展示品一覧パンフレット補遺ソグド人 :ウィキペディアソグド人 :「世界史の窓」ベゼクリク千仏洞 :ウィキペディア高昌故城 :ウィキペディア高昌故城を訪ねて 新疆ウイグル自治区 :「新華網日本語」トルファン :「写真でつなぐシルクロード」高昌故城 :「写真でつなぐシルクロード」蓮華化生 :「Web版 新纂浄土宗大辞典」蓮華化生像 :「東京国立博物館 画像検索」蓮華化生瓦当 :「MIHO MUSEUM」迦陵頻伽 :ウィキペディア迦陵頻伽と孔雀と宝相華 1089ブログ :「東京国立博物館」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -1 概要&出会った龍像 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -2 第1章 民族往来の舞台 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -4 第2章 東西文明の融合 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -5 第2章 その2 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -6 第3章 仏教東漸の遥かな旅 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -7 第3章 その2 へ
2024.12.23
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< 第1章 民族往来の舞台 ー 胡人の活動とオアシスの遺宝 > は、この男子跪坐像の展示から始まります。時期:前5ー前3世紀 青銅製 全高 40.6cm [一級文物]1983年に 新彊ウィグル自治区の天山山脈北、イリ渓谷で発見されました。史書に登場する「塞」の人々と考えられていて、西域一帯で活躍していた騎馬民族です。この大シルクロード展は、うれしいことに、会場内での写真撮影がOKでした。照明器具が鏡面反射して映り込んだり、思ったようにピントが合っていなかったりと失敗した画像があります。また、展示品が小さくて撮るのを辞めたものもあります。比較的見ていただきやすい画像の範囲で、覚書を兼ねてご紹介していきたいと思います。おつきあいください。 尖頭帽 時期:前8-前3世紀 高35cm [一級文物]とんがり帽子でフェルト製。同自治区のタリム盆地南縁の古墓から1985年に出土。 双耳壺 口の両側に取っ手があります。ロクロで成形した土器。時期:前2-後1世紀同上自治区で、1984年に出土 高29cm、口径10cm 展示にあたり紐で固定されています。 左 切子杯 時期:3-4世紀 1996年、同上自治区より出土。高6.8m、口径6.8cm 素材はソーダ石灰ガラス右 貼付円文高脚杯 時期:6-7世紀 1989年、同上自治区より出土。 [一級文物] 高9.7cm、口径12.3cm 円盤状のガラスが貼り付けてあります。 末期ササーン朝または初期イスラームガラスこの2点はともに吹きガラス技法で制作されたものだそうです。 動物闘争文帯飾板 時期:前4-前3世紀 帯をしめた時に体の正面の位置にくる飾り板で金製です。四隅に小さな穴があいています。5cmX10cmよりもわずかに小さいサイズ。甘粛省博物館蔵。出土地は不詳なのでしょう。 瑪瑙象嵌杯前回載せましたPRチラシ、入場券、案内パネルに取り上げられているハイライトとなる展示品です。 時期:5-7世紀 高16cm 1997年、同自治区イリ市のボマ古墓より1997年に出土。 [一級文物]金の器の全体に斜め方向の格子文がほどこされ、各格子目に金片が楕円状に溶接されて象嵌枠が作られ、赤い瑪瑙が象嵌されています。ところどころで、瑪瑙が抜け落ちています。さらに、虎の造形が施され、これが持ち手となっています。「金属品に赤色の宝石を象嵌する手法は、民族移動機(4-6世紀)のユーラシア草原地帯で出土する金工品に特徴的な装飾手法です」(図録より) 瑪瑙象嵌壺これもハイライトになる展示品の一つ。瑪瑙象嵌杯と同じ古墓から同時期に出土。時期:5-7世紀 高14.7cm [一級文物]壺には半球形で帽子状の蓋が付いていて、本来は頂点部につまみが付いていたそうですが、失われています。壺胴部の肩あたりには、1本の金鎖紐が溶接されて、それが象嵌枠となり、赤い瑪瑙が象嵌されています。半球状の蓋には、装飾として七弁花とパルメットが打ち出されています。 鹿文桶1本の木の内側がくり抜かれ、側面に鹿文が彫り込まれています。高21.8cm。トルファン盆地北側の火焔山麓に広がるゴビ砂漠にある遺跡から2003年に出土。時期:前8-前3世紀。 [一級文物] 箜篌(クゴ、竪琴)胡楊(コトカケヤナギ)の木を刳り抜いて作った一木造りの楽器。共鳴胴の上には羊の皮が張られたそうです。時期:前8-前3世紀 全長75cm 鹿文桶と同じ遺跡から同年に出土 マニ教ソグド語の手紙 時期:11世紀初め [一級文物]中央アジアのサマルカンド周辺では、インド・ヨーロッパ語族に属する一言語のソグド語が話されていたそうです。この手紙はソグド語で記されていて、彩色図像が描かれています。縦26cm、横268cmという巻物の一部を撮りました。図録の裏表紙の文字部分がこの文字だと思います。同上自治区、トルファン・ベゼクリク石窟第65窟から1981年に出土。余談ですが、ベゼクリク石窟の壁画を部分再現した空間を、西本願寺の東に位置する龍谷ミュージアムで見ることができます。拙ブログで以前にご紹介しています。 草花文綴織靴1995年、同上自治区のニヤ遺跡からの出土。 時期:1-5世紀 [一級文物]女性被葬者が履いていた踝丈のブーツ。草花文の部分は綴織の技法、濃淡の色調による繧繝(ウンゲン)配色の箇所は綾織の技法が使われていて、靴底は皮、内側にはフェルトが使われているそうです。そのままの形で残っているのがすごいです。 連珠猪頭文錦馬面時期:7世紀 縦75cm、横78cm 甘粛省博物館蔵これは馬の頭部から鼻先に被せる覆いです。目の位置に少しとがった穴が開けてあります。本体は無地の絹織物、目の周囲と周辺を連珠猪頭文錦の裂で飾り、周辺を五色の布でひだ飾りをしているという作品です。当初はきれいな配色だったことでしょう。 半人半馬および武人像壁掛 時期:前2-後2世紀 [一級文物]もとは大きな壁掛けの毛織物で、それが被葬者のズボンとして使われていたそうです。上段には紺地に四弁の花が菱形の枠を作り、その中に半人半馬の図像、下段には長槍を持つ武人の頭部と右肩を描く図像です。ハンサムな武人!縦116cm、横48cm 大きさの綴織。1984年、同上自治区ホータンのサンプラ古墓出土。 人物文水差 複製品原作は5-6世紀の作で、銀・鍍金の水差だそうですが、これは銅製複製品で東京国立博物館蔵。高37.5cmオリジナルは、寧夏回族自治区にある北周の武将李賢(503-569)とその妻の墓に納められていたと言います。3人の服装はギリシャ風であり、図柄からまさにシルクロードを経て西洋から搬入された品と一目瞭然です。 連珠対鹿文錦帽子 時期:7-9世紀 頭周50cm、帽高32.5cm 中国絲綢博物館蔵35本の細長い絹布が縫い付けられています。この帽子の用途は不明だとか。 連珠対獅子文錦 時期:7-9世紀 30cmX38.7cm 中国絲綢博物館蔵 虎文帯飾板 時期:春秋戦国・前8-前3世紀 青銅製 6.5cmX12.4cm [一級文物]1987年に同上自治区から出土。虎の額の上の環に紐を通して体の正面で結んだものと考えられるそうです。この作品の前に、「駝鳥文椀」「胡頭舞像」という一級文物の展示があります。うまく撮れませんでした。また後には「耳環」「動物文円形装飾」という金製品や、「垂飾」(ペンダント)、さらに金製の「三日月形装飾金具」「鈴」「管状飾」などが展示されています。これらは小さなサイズであり、うまく撮れそうでないので止めました。さらに、会場の一画には、シルクロードの国際通貨ササン式銀貨とウチャー一括出土コインが整然と並べて展示されています。これもコインの大きさが小さいことと、照明の照度を下げて調整してありますので、写真を撮りませんでした。これらの展示は、コイン愛好家には垂涎の展示品かと思われます。実物の傍に、コインの拡大写真が併せて掲示されています。その先に、<砂漠の正倉院>というタイトルが使われている展示が続きます。 樹下美人図(<囲碁仕女図屏風>部分) 時期:唐・8世紀 縦84cm、横66.7cm [一級文物]1972年、新彊ウィグル自治区のトルファン・アスターナ古墓出土 絹・着色(展示品の上部に照明の光が映り込んでいましたので、やむなく上部一部をトリミングしました。アスターナ関連は他も同様です)ナルホド・・・です。奈良国立博物館の正倉院展で数回鑑賞したことのある樹下美人図にリンクするところがあります。 囲碁仕女図屏風(部分) 複製 時期:原作は唐・8世紀 縦63cm、横54cm アスターナ出土新彊ウィグル自治区博物館蔵 童子図(<囲碁仕女図屏風>部分) 時期:唐・8世紀 縦58.9cm、横50cm [一級文物]この後アスターナ古墳群からの出土品が続きます。まず並んでいたのは、精巧なミニチュアの副葬品です。 翳(サシバ) 時期:唐・7世紀 扇部直径3.9cm、柄長9.5cm 木製・彩色 1973年出土 団花文小壺時期:7-8世紀 高7.5cm、径8.7cm 木製・彩色 19721年出土 碁盤時期:唐・7世紀 各辺18cm、高6.5cm 木製・彩色・象牙 1973年出土 双六盤時期:唐・7世紀 木製・彩色、象嵌(象牙、トルコ石等)1973年出土 [一級文物] 五弦楽器および花鳥文挟軾 時期:唐・7世紀 1973年出土 [一級文物]木製・彩色、木画、象嵌(象牙、トルコ石等) 琴:長23.5cm、幅3.2cm、厚1.1cm 机:長24cm、幅3.2cm、高5.8cm 唐花文錦靴時期:唐・7世紀 長29.7cm、幅8.8cm、高6cm 絹・綿・綿錦 1968年出土[一級文物]女性用の朝靴。これは実サイズ。先端部が反り返って雲形で、華やかな図柄です。上掲の樹下美人図の女性がこれと似た靴を履いています。 蒲靴時期:唐7-8世紀 長24.5cm、幅7cm、高7.5cm 麻・草 1964年出土こちらもつま先が反り返っています。極細の蒲草で編まれた女性用の靴。靴底は麻で編まれているそうです。この辺りで一区切りとします。アスターナ出土品が次回も続きます。つづく参照資料*図録『世界遺産 大シルクロード展』 2023-25 *「世界遺産 大シルクロード展」展示品一覧パンフレット補遺文様のはるかな旅路 2021年11月 :「なぶんけんブログ」(奈良文化財研究所)パルメット パルメット唐草 :「唐草図鑑」トルファン市 :ウィキペディアアスターナ古墳群 :ウィキペディアトルファン(吐魯番)とその郊外 :「西遊旅行」西安からトルファンへ、玄奘三蔵が歩いたシルクロードの旅(1) クリックディープ旅 :「朝日新聞DIGITAL」トルファンからマランへ、玄奘三蔵が歩いたシルクロードの旅(2) クリックディープ旅 :「朝日新聞DIGITAL」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -1 概要&出会った龍像 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -3 第1章 その2 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -4 第2章 東西文明の融合 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -5 第2章 その2 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -6 第3章 仏教東漸の遥かな旅 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -7 第3章 その2 へ
2024.12.22
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昨日(12/19)、四条に用事がありましたので、併せて三条高倉にある京都文化博物館で開催中の「世界遺産 大シルクロード展」を鑑賞してきました。冒頭のパネルは京都文化博物館4階で入場受付を済ませた後、入口近くの壁面のパネルです。 入場券の半券この大シルクロード展は来年の2月2日までが会期となっています。平日の午後でしたが、かなりの鑑賞者の来館でした。 この展覧会のPRチラシです。チラシの最上部に「日中平和友好条約45周年記念」と冠されています。2014年、「シルクロード:長安ー天山回廊の交易路網」が世界遺産に認定されました。この「大シルクロード展」は、世界遺産認定後、中国国外で初めて行われる大規模な展覧会だそうです。ここまでの写真から、冒頭の大パネルに取り上げられている「瑪瑙象嵌杯」がまず一つのハイライト展示品であることがわかります。 4階会場へのアプローチを進みます。 展覧会の展示第1章の始まりです。この展覧会は、3章構成になっています。 第1章 民族往来の舞台 ー 胡人の活動とオアシスの遺宝 第2章 東西文明の融合 ー 響きあう漢と胡の輝き 第3章 仏教東漸の遥かな旅 ー 眠りから覚めた経典と祈りの造形中国で「胡人」とは、シルクロードを往来した各国の商人、使者、僧侶たちを総称する言葉だと言います。つまり、胡人には中央アジア人、西アジア人、南アジア人などさまざまな地域の民族が含まれています。その中でソグド人が最も重要な働きをしたそうです。紀元前2世紀、前漢の武帝は張騫を西域に派遣しました。これが契機となり、中国と西洋の交流の道が開かれ、シルクロードが重要な交易路となって行きます。漢王朝が滅亡した後、シルクロードの西域経営は低調となりますが、7世紀の唐の時代はシルクロードの全盛期になります。大都市長安と洛陽を中心に、漢文化と胡文化が交流を深め、融合し数多くの優れた美術作品が生み出されていくことになります。その一端がまずは遣隋使・遣唐使を通じて、日本に伝播されてくるという次第です。 最初に掲示されている説明パネルの1つの部分図です。番号は中国国内の27ヵ所の博物館の所在地を示しています。それらの博物館所蔵の194点が今回公開されています。この地図の下半分には各博物館の写真が掲示されています。ここからシルクロードに沿って、博物館が点在していることがわかります。その中には、中国で一級文物と格付けされる作品が43点含まれています。 購入した図録の表紙ここに使われているのは、「六花形脚付杯」でハイライト展示品の一つです。上掲の瑪瑙象嵌杯とともに、一級文物に指定されています。 図録の裏表紙 ここに使われている作品は、後にご紹介します。現在、拙ブログでは、インターネットでの龍探しを続けています。それとの関係として、この展覧会会場で出会った龍たちについて、まずまとめて最初にご紹介したいと思います。 女神像綿布第1章に展示のオアシスの遺宝の一つです。綿織物に﨟纈染めで文様を描いた綿布の断片。左端に女神像が描かれています。新彊ウィグル自治区の遺跡から1959年に出土した綿布の断片です。時期:1~3世紀。 [一級文物] 体をくねらせる龍らしき生き物が描かれています。 双竜文把手これは、門の扉や器物に取っ手として付けられた金具の遊環部分にあたり、西洋のドアノッカーのようなものだとか。展示品は木棺の金具の一部で青銅製。 対峙する2匹の龍が環を形作っていて、各龍の背には尾の長い鳥が止まっている図柄です。時期:北魏・5世紀。1981年寧夏回族自治区出土。 龍頭形竿頭飾これは棒の先に装着する飾り金具です。青銅製。1本は龍頭部が具体的に造形表現されていますが、手前のもう1本は表現がごく簡略化されています。こちらは5本出土したとか。時期:北魏・太平7年(415)年頃。 1965年遼寧省北票市出土。 龍虎文円鏡この銅鏡は吐蕃の繁栄につながる「青海の道」から出土し、漢時代に制作された銅鏡。青海の道は近年注目されているもう一つのシルクロードと言います。ルート:タクラマカン砂漠東側・ミーラン~ツァイダム盆地~西寧~渭水盆地・四川青銅製・鋳造。時期:後漢・2-3世紀。青海省大通自治県出土。 この部分が龍像だろうと思います。切り出した部分を90度右回転させました。第2章の会場に進みますと、 龍文塼塼(セン)とはレンガのこと。その表面に龍がレリーフされています。これは唐時代の墓を構成していた塼の一つ。図像は型押しにより作られているそうです。このタイプの龍は、魔除けの機能を持つ「伏龍」と言われるとか。墓を守るという意味合いが込められたのでしょうね。時期:唐、7-10世紀。1995年甘粛省敦煌出土。 [一級文物] 龍文塼これも上掲同様、型押しで図像が作られています。龍がダイナミックな動きに表現されています。過度な演出性の表現という見方もあるようです。時期:五代・10世紀。1981年甘粛省敦煌出土。 龍文瓶 中国では、この種の瓶を「皈(帰)依瓶」あるいは「魂瓶」「堆塑瓶」とも呼ぶそうです。陶製・青白釉堆塑、景徳鎮窯で作られた大型長頸瓶。高さ41.8cm、口径7.7cm。時期:南宋・12-13世紀。開封市博物館蔵。 瓶の細長い頸に、手づくねによるちょっとユーモラスな龍が巻き付きながら上昇する形に貼り付けられています。先端部が宝珠形で塔形の蓋をもつこのタイプの瓶は、「地域色の強い副葬用の明器として、宋時代から元時代にかけて江南地区を中心に流行」(図録より)したと言います。私が出会った龍たちはこれだけです。見過ごしたものがあるかもしれません。展覧会場は4階から3階へと移動しながら鑑賞していき、2階に降りることになります。2階は常設展示と企画展を併設しているフロアーです。2階常設展示フロアーの入口は、「大シルクロード展」の出口にもなります。 2階の出入口前のロビーの一画にこの展示がありました。 ラクダの剥製が展示されています。 常設展示と企画展を鑑賞に来た人は、エスカレーターで2階に到ると、そこでまさかラクダを見るなんて思ってもいないことでしょう。「大シルクロード展」への誘いのインパクトはあるでしょうね。それでは、第1章の展示から眺めていきましょう。つづく参照資料*「世界遺産 大シルクロード展」 会場で入手の概説リーフレット*図録『世界遺産 大シルクロード展』 2023-25 *「世界遺産 大シルクロード展」展示品一覧パンフレット*展覧会PRチラシ補遺武帝 :ウィキペディア張騫 :ウィキペディア5分でわかる!武帝の対外遠征!張騫が起こした奇跡 :「TryIT」シルクロード :ウィキペディアNHK特集 シルクロード 遥かなり長安 :「NHKオンデマンド」貴重書で綴るシルクロード 空白のシルクロード:青海の道 :「デジタル・シルクロード」シルクロード紀行 バックナンバー Travel :「asahi.com」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -2 第1章 民族往来の舞台 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -3 第1章 その2 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -4 第2章 東西文明の融合 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -5 第2章 その2 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -6 第3章 仏教東漸の遥かな旅 へ観照 京都文化博物館 世界遺産 大シルクロード展 -7 第3章 その2 へ
2024.12.20
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アポローンがピュートーン(Pytthon)を退治する図。前回、ギリシャ神話に登場するドラゴンの種類に触れました。ピュートーンについては画像があります。冒頭のイラストがその一例です。(資料1)アポローンはゼウスとレートーの子で、アルテミスとの双生の兄・妹です。ギリシャ神話の第1巻「神々について」の中に、次の記述が出てきます。(資料2)「アルテミスは狩猟を事とし、処女として身を持し、アポローンはゼウスとヒュブリスの子パーンより予言を学び、デルポイに来た。その当時はテミスが神託を与えていた。神託を守護していた蛇のピュートーンが彼が地の裂目に近づくのを遮った時、これを退治し、神託をわがものにした。」その後アポローンはデルポイに神託所を開き、デルポイの神となり、しだいに勢力を拡大します。ピュートーンは、ガイア(大地)の子で、 デルポイにいた大蛇。「ピュートーンはデルポイの神殿のオムパロス Omphalos (へその意で、世界の中心に置かれた岩)の下に葬られているという」(資料3) ピュートーンから逃げるレトーとその子供のレリーフ 時期:紀元前3-4世紀 Michael C. Carlos Museum 蔵(アトランタ)ピュートーンは大蛇の姿でレリーフされています。「GREEK MYTHOLOGY」のサイトで、デルピューネ(Delphyne)という竜女(a female dragon)を知りました。このサイトには現代風のイラスト図が併載されています。竜男のピュートーンと共に神話に出て来るそうで、デルピューネは母ガイアからデルポイの神託所の守護を役割として与えられたと説明しています。 手元の本では、人と獣の混合体であるテューポーンがゼウスをつかみ、ゼウスを「キリキアーに運び、着いてからコーリュキオンの岩穴中に押し込めた。・・・番人として竜女デルピュネーを置いた。この娘は半獣であった」という場面で出てきます。 (資料2) 龍と闘うカドモスの図。ギリシャ壺赤絵。時期:350-340 BC (資料5)カドモス(Cadmus/ Kadmos)はフェニキアの王子で、ドラゴンを退治して、テーベを建設し、ギリシャ人にアルファベットを伝えたと言われています。(資料6)ここに描かれたドラゴンは、イスメーネ(Ismene)のドラゴンと称されます。次の2つのサイトが、この画像を併載し、このドラゴンを説明しています。、DRAKON ISMENIOS :「THEOI GREEK MYTHOLOGY」 (資料7)Ismenian Drakon :「Greek Mythology Wiki」 (資料8)「FLAROH ILLUSTRATION」のサイトで、The Colchian dragon というタイトルのイラストと出会いました。これは現代のイラストレーターが抱くイメージなのかもしれません。アクセスしてみてください。 (資料9)また、「Pinterest」のサイトで、Jason and Colchian Dragon というタイトルのイラストにも出会いました。 (資料10)この他に列挙したドラゴンについては、解説文はありますが図像等が掲併載されているサイトには今のところ出会っていません。これらのサイトはここでは対象外とします。ギリシャ神話は、例えば、トマス・ブルフィンチ著『完訳 ギリシャ・ローマ神話』(大久保博=訳、上・下 角川文庫)という本があるように、ローマ神話にリンクしています。龍探しをしていて、ウィキペディアで「Draco(military standard)」という一項に出会いました。Draco というのは、dragon あるいは surpent を意味する言葉だそうです。括弧内の言葉は、調べてみますと、軍旗を意味します。ドラゴンが軍旗に使われるようになったそうです。 ニーデルビーベル(Niederbieber)のドラゴン旗 銅製 (資料11)Niederbieber要塞で発見された。完全な形を保っている唯一のドラゴン旗だとか。Landesmuseum Koblenz 蔵(ドイツ) ドラゴン旗を掲げるフランク王国カロリング王朝の騎兵隊 時期:9世紀 (資料1) 奪取したダキア・ドラコ(Dacian Draco) のレリーフ ローマのハドリニアス神殿内の戦勝記念碑 (資料11,12) トラヤヌスの記念柱にレリーフされたダキア・ドラコ (資料13,14) トラヤヌスの記念柱にレリーフされたダキア・ドラコ (資料13) ダキア・ドラコを捧げ持つダキア人 Victor Duruy作 (資料13) トラヤヌスの記念柱にレリーフされたダキア・ドラコを捧げ持つダキア人 (資料13) トラヤヌスの記念柱からの模写図 Michel-Francois Dandre-Bardon 作 (資料13) 古代ダキア人のダキア・ドラコ King Ferdinand I National Military Museum 蔵(ブカレスト ルーマニア)(資料13)この辺りで一区切りとします。つづく参照資料1) Python (mythology) From Wikipedia, the free encyclopedia2)『ギリシャ神話』 アポロドーロス著 高津春繁訳 岩波文庫 p343)『ギリシャ・ローマ神話辞典』 高津春繁著 岩波書店4) Delphyne :「GREEK MYTHOLOGY」5) Dragon From Wikipedia, the free encyclopedia6) ジーニアス英和辞典 第5版 大修館書店7) DRAKON ISMENIOS :「THEOI GREEK MYTHOLOGY」 8) Ismenian Drakon :「Greek Mythology Wiki」 (資料8)9) The Colchian Dragon :「FLAROH ILLUSTRATION」10) Art Print: Jason and Colchian Dragon :「Pinterest」11) Draco (military standard) From Wikipedia, the free encyclopedi12) Temple of Hadrian From Wikipedia, the free encyclopedia13) Dacian draco From Wikipedia, the free encyclopedia14) トラヤヌスの記念柱 :ウィキペディア補遺Dragons in Greek mythology From Wikipedia, the free encyclopediaダキア戦争 :ウィキペディアダキア :「世界史の窓」トラヤヌス :ウィキペディアTrajan's Column From Wikipedia, the free encyclopedia ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。観照 インターネットで【龍/Dragon】探しの旅へ 」一覧表
2024.12.16
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中近東地域を一旦飛び越えて、気分を変えて西欧での龍探しを試みます。冒頭の画像は、古代ギリシャの赤絵壺の断片に描かれた図です。時代は375~340B.C. (資料1)ギリシャ神話によりますと、ヘーラクレースは、エウリュステウスの命令により、「ヘーラクレースの十二功業」と称される成果を上げます。その2番目の功業がこの場面です。ヘーラクレースがレルネーのヒュードラーを退治するという成果です。ヒュードラーは水蛇と翻訳されています。「これはレルネーの沼沢地に育ち、平原に出て来ては家畜や土地を荒らしていた。水蛇は巨きな身体で、九頭を有し、八つは殺すことができるが、真中のは不死であった」(資料2)と記されています。ここでも、ドラゴンのイメージの淵源は蛇につながっています。英語の dragon という単語は、ギリシャ語のドラコンとラテン語の draco に由来するそうです。(資料3)さらに、遡ると、インド・ヨーロッパ語族の祖族神話(インド・ヨーロッパ神話)には、英雄が巨大な蛇(serpent)を退治する話があり、その巨大蛇は多頭の蛇あるいは何らかの形で多岐な姿であり、水と関りがある形で語られていると言います。(資料1)これは、インドのナーガの姿とリンクします。西欧という言葉を辞書で引くと、「①ヨーロッパの西部 ②(明治・大正の期において)欧州の称」(「新明解国語辞典 第5版』三省堂)とあります。普段、なんとなくこのレベルで使っています。が、国名を上げて地域を確定するとしたら、ちょっとすぐにはここと言い切れません。普段、そこまで考えていなかったから。少なくとも私は・・・・。外務省の開示する「国(地域)別在留邦人の概要という統計データに、6)西欧という分類があり国名が列挙されています。ここに提示の範囲を西欧ととらえて、龍探しをしたいと思います。 (資料4) ヘラクレスとヒュードラーの闘い ギリシャ神話のヘーラクレースの第2功業をテーマにして、1475年に、パラルオ(Pollaluo)が描いた作です。イタリアの Uffizi Gallery 蔵。(資料5)レルネーのヒュードラーを題材としたアート作品が連綿と制作されていきます。 カエレタン(Caeretan)黒絵ヒュードラー 時期:346BC J. Paul Getty Museum蔵 (資料5) スペイン、バレンシア州、リリア出土のモザイク画 時期:AD26 (資料5)National Archaeological Museum (Madrid) 蔵 レルネーのヒュードラー (資料5)Artista mantovano 作 時期:1530年代California Palace of the Legion of Honor, San Francisco 蔵 ヘーラクレースがヒュードラーを殺す図 Hans Sebald Beham 作 版画 (資料5)時期:1545年 個人蔵 ヘーラクレース John Singer Sargent (1856?1925) 作 時期:1921年 (資料5)Museum of Fine Arts, Boston 蔵 ヒュードラーとの闘い Nikolai Triik (1884?1940) 作 時期:2013年 (資料5)Enn Kunila's art collection 蔵 ドイツの勲章 時期:1914年 (資料5)龍探しをしていて、「THE・COLLECTOR」のサイトの、 Heracles and the Lernaean Hydra: The Hero’s Second Labor ヘーラクレースの第2の功業、レルネーのヒュードラーに関連する記事です。ここにもいくつか画像が掲載されています。上掲との重複もありますが、リンク先をご覧ください。(資料6)さらに、 ヘーラクレースがラドンと称されるドラゴンと戦う図があります。陶製の皿にレリーフされたもの。ローマ時代後期。 (資料7)これは、ヘーラクレースの第11番目の功業に関係します。ヘーラクレースはエウリュステウスから黄金の林檎を持ってくるように命じられるのです。黄金の林檎は、ヒュペルポレオス人の国の中のアトラースの上にあり、それを不死の百頭竜が番をしているのです。ちょっと面白いのは、ギリシャ神話には、林檎の木から黄金の林檎を取ってきたのはアトラースであるという記述と、ヘーラクレース自身であるという二説が語られていること。そして、ヘーラクレースは番をしている蛇を殺し、林檎をもいだと述べていることです。(資料2) こちらも、ヘーラクレースがラドンと称されるドラゴンと戦う彫刻像です。Giambologna (1529-1608) 作 時期:17世紀 Walters Art Museum 蔵 (資料7)ゼウス神がドラゴンと戦う図もあります。 ゼウス神が雷電(thunderbolt)をかまえて、ティフォン(Typhon)と称されるドラゴンの一種を狙っている図です。時代は540-530BC、ギリシャの壺の部分図。Staatliche Antikensammlungen 蔵。 (資料1)手許の本では、thunderboltを雷霆(ライテイ)と訳出しています。(資料2)ティフォンは、翼と蛇の足を持つ半人半獣の姿で描かれています。 コルキアンドラゴン(Colchian dragon)が英雄ジャーソン(Jason)を吐き出そうとしているところをアテナ神が眺めているという図です。480-470BCの作。 (資料1,3) カウロニア(Kaulonia /Kaulon)出土のドラゴンのモザイク画。海龍(Sea Dragon)です。時代は3BC。National Museum of Magna Graecia 蔵。 (資料3,8,9)マグナ・グレーシアは、南イタリアでギリシャ語が話される地域をさす言葉です。現在ではイタリア何部の Calabria,、Apulia、 Basilicata、 Campania 、Sicily の地域をさします。(資料8)ギリシャ神話の出て来るヒュードラーは、現代の作品にもつながっています。 (資料10) How I Created a Fantastic Hydra Sculpture :「SIMON O'ROURKE」こんな一例と出会いました。倒木のオークの木を使って、ヒュードラーを彫刻したという事例です。ギリシャ神話の中には、ヒュードラー以外にも、様々な名称のドラゴンが登場するようです。ウィキペディアには、ギリシャ神話のドラゴンについて、一覧表を見つけました。名称をどのように発音するのか、現時点ではわからない部分もあり、この資料に取り上げられている名称を英語表記でご紹介します。 (資料3) Ladon Lernean Hydra Pytho and Pyton and Delpyne The Colchian dragon The Ismenian dragon Hellos'dragon Scythian Dracaena Gigatomachian Draron Trojan Dragon龍調べで見つけた「theoi」のサイトは、DRAGONS (ドラゴン世界) を扱っています。ここでは、現時点で9種のドラゴン項目を設けて、解説を展開しています。(資料11)その一項目が、ここで取り上げてきたレルネーのヒュードラーです。ここでは、HYDRA LERNAIA というタイトルのページがあります。このページには、上掲とは異なるギリシャ壺に描かれたヘーラクレース、イオラウスとヒュードラーの図が載っています。ご覧ください。この他に、「Drakonika Dragons」(資料12)、「The Circle of the Dragon」(資料13)というサイトにも出会いました。この2つもドラゴン世界に特化したサイトですが、少し眺めた範囲では文章解説主体のようです。必要に応じて、今後参照したいと思います。一区切りをつける前に、次の記事をご紹介しておきましょう。一つは、古代ギリシャから現代に飛び越してのドラゴン。「WANTED in ROME」のサイトに載っているおもしろいドラゴンです。記事のタイトルは、「イタリーに、巨大ドラゴンが失われた森に現れた」(In Italy, a giant dragon rises from a lost forest )という大見出しです。記事のタイトルは「Wooden dragon becomes social media star in Italy. 」(木製ドラゴンがイタリア社会のメディアのスターになった)というもの(2021年12月2日報道) (資料14)写真が載っています。3年前のニュースですから、現存しているのでしょうか?最後は、「dragon university」という面白い名前のサイトに出会った中の記事です。 (資料15) The Mythical Beasts of Ancient Greece: Unveiling the Enigmatic Greek Dragons (古代ギリシャの神秘的な獣:謎に満ちたギリシャのドラゴンを明らかにする)この記事には、ドラゴン図が3枚とビデオ解説(英語)が併載されています。ドラゴンの姿は、私には比較的なじみやすい姿です。この解説記事では、中ほどで、神話におけるドラゴンの役割を説明しています。そして2つの役割を挙げています。 1.宝物の番人 2.カオス(混沌)と破壊のシンボル上記した黄金の林檎の木の番をするのは、1の役割そのものです。ヘーラクレースの第2の功業は、レルネーのヒュードラーを殺すことでした。それは、「平原に出て来ては家畜や土地を荒らしていた」(資料2)ためでした。つまり、第2項に該当します。ひとまず区切りとします。つづく参照資料1)Dragon From Wikipedia, the free encyclopedia2)『ギリシャ神話』 アポロドーロス著 高津春繁訳 岩波文庫 p903) Dragons in Greek mythology From Wikipedia, the free encyclopedia4) 国(地域)別在留邦人の概要 6)西欧 :「外務省」5) Lernaean Hydra From Wikipedia, the free encyclopedia6) Heracles and the Lernaean Hydra: The Hero’s Second Labor:「THE・COLLECTOR」7) Ladon (mythology) From Wikipedia, the free encyclopedia8) Magna Graecia From Wikipedia, the free encyclopedia9) Caulonia (ancient city) From Wikipedia, the free encyclopedia10) How I Created a Fantastic Hydra Sculpture :「SIMON O'ROURKE」11) DRACONS :「theoi」12) Drakonika Dragons ホームページ13) The Circle of the Dragon ホームページ14) Wooden dragon becomes social media star in Italy. :「WANTED in ROME」15) The Mythical Beasts of Ancient Greece: Unveiling the Enigmatic Greek Dragons :「Dragon University」補遺ギリシャ神話 :ウィキペディア Red-figure pottery From Wikipedia, the free encyclopediaギリシャの陶芸 :ウィキペディア【フィレンツェ近郊】古代ギリシャの壺を鑑賞するツボ :「フィレンツェからボンジョルノ!」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。観照 インターネットで【龍/Dragon】探しの旅へ 」一覧表
2024.12.13
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これは、スリランカの中部、キャンディ州のキャンディに所在し、スリランカの仏教を象徴するラダラー・マーリガーワ寺院(佛歯寺)です。(資料1,2)スリランカ民主社会主義共和国は、外務省のサイトに開示の基礎データを見ますと、「仏教徒(70.1%)、ヒンドゥ教徒(12.6%)、イスラム教徒(9.7%)、キリスト教徒(7.6%)(一部地域を除く値)」と、仏教徒の比率が高い国です。(資料3)仏教系寺院なら外観にドラゴン像が使われているかと想像していたのですが、インドの仏教寺院の外観と同様、検索してみてここでもあまり見かけませんでした。前回、インド、ネパール地域の続きとして、かの地の陶磁器その他にナーガ/ドラゴンを見られるか調べてみました。現在の各種商業ベースのサイトで取扱品にナーガ/ドラゴン像を見ることができますが、それらを対象外としますと、龍探しの成果を挙げることができませんでした。そこで、龍探しの旅をスリランカへと進めることにしました。さて、寺院内部はどうか。 上掲の佛歯寺の内部は、様々な文様の装飾が極彩色で施されています。(資料4) その中で気づいたのが、この箇所です。どこか、ドラゴンに通じるところがあるように感じます。この図像が、龍探しをしていて見つけた次の2つの記事と結びついてきました。(資料5,6)”MAKARA"- The Sri Lankan Dragon :「STAN WISTON」 「マカラ」と称されるものが、スリランカではドラゴンに相当するそうです。 一つの作品を様々な位置、視点から撮った画像がたくさん載せてあります。”Makara”-The srilankan Dragon :「Treking In Couture」 同じタイトルのこちらの記事でも、冒頭にイラストを載せ、マカラについての解説文が続きます。 その先に、最初の記事に説明だけに留まる「Makara Torana」と称されるアーチの実例画像や、寺院の階段傍に彫刻されたマカラの実例画像を掲載しています。 佛歯寺内部の装飾文様部分図と、これらの記事に載る画像とを対比してみてください。この2つの記事は、マカラという威厳をもつ動物は次の特徴を有すると説明します。・The elephant tusks - Dexterity 象のキバ - 器用さ、機敏さ・Paws of a lion - Strength ライオンの足 - 強力さ・Body of a fish - Movement 魚の体躯 - 動き、動作・Teeth and Jaws of a crocodile - Demand for respect ワニの歯と顎 - 尊敬欲求・Eyes of a Monkey - Vision 猿の眼 - 視力・Ears of a Boar - Acute hearing イノシシの耳 - 鋭敏な聴力・Tail of a Bird/Peacock - Splendid Beauty 鳥/クジャクの尾羽 - 華麗美日本での龍の概念は、補遺をご覧ください。「Amazing Lanka」のサイトで、Makara Torana ? The Dragons Arch と題する記事と出会いました。ここには、マカラトラナ(ドラゴンアーチ)の実例が載っています。(資料7)Waraka Welandu Viharaya と称する寺院内部に安置された仏像の上部に彫刻されたアーチ例です。「Spice Up」のサイトで、”ガンポラ時代最大の寺院「ランカティラカ・ウィハーラヤ」”という記事を入手しました。日本文の記事です。 (資料8)この寺院もキャンディ郊外にあり、ヒンドゥー教の神々と仏像が一緒に祀られた、神仏習合が色濃く見られる寺院だそうです。記事の中ほどに本尊の写真が掲載されていて、その仏像の上部左右に同様にマカラトラナが見られます。また、この記事冒頭の寺院入口のアーチもマカラトラナと推察します。また、「Sri Dalada Maligawa」のサイトで、The Dragon Arch と題した記事を入手。ドラゴンアーチそのものの画像が簡略な説明付きで大きな画像として掲載されています。(資料9) ダンブラ(Dambulla)洞窟寺、別名ダンブラ黄金寺スリランカ中部のマタレ(Matale)軒ダンブラにある寺院です。 (資料10)建物の上に巨大な仏像が見えます。建物の正面入口にご注目ください。スリランカでの龍探しをしていて、この形式の入口が「ドラゴンの口(dragon's mouth)」と称されている記事にいくつも出会いました。私には龍の顔には見えないのですが、スリランカのマカラの顔ということになるのでしょう。猿の眼を持つ想像上の動物とイメージすると近づけます。「Tripadvisor」のサイトで、Walk through the dragon's mouthという記事を入手しました。 (資料11)ここには、Angurukaramulla Temple のドラゴンの口の画像がこの寺の仏像群、涅槃像とともに、幾枚も紹介されています。また、同じサイトで、ドラゴンの口が水の注ぎ口、という写真にも出会いました。Biso Pokuna という史跡にあるようです。日本の寺の手水舎で龍の口が水の注ぎ口に使われているのを連想してしまいます。 (資料12)最初に少し触れましたが、スリランカにはヒンズー(ヒンドゥ)教徒の人々もいます。龍探しをしていて、「FREEP!K」のサイトで「スリランカの古代ヒンドゥー教の神の彫刻」という画像に出会いました。(資料13)タイトル以外の情報が不詳ですが、ナーガのコブラ形からさらに変容する発展形でしょうか。龍のイメージに近くなっている感じ・・・・です。スリランカでも、商業ベースのサイトが数多くあり、陶磁器や装飾品にマカラ/ドラゴンのデザインを取り入れたものが見られますが、ここでは対象外とします。スリランカの西方向に、モルディブ共和国があります。 (資料14)モルディブの人口は51.5万人だそうです。宗教はイスラム教なので、ドラゴンはイスラム教の原理からは、偶像になるでしょうから、ここでは龍探しの対象外です。これでアジア地域での龍探しの旅を一旦、終わります。日本を含めて、アジアにはまだまだ龍がいるでしょうが、いずれまたの機会にしたいと思います。最後に、アジアでの龍探しの最後にナーガに関連して偶然出会ったYouTubeがあります。番外として、ご紹介しておきたいと思います。英語版ですが、映像をみているだけでも結構楽しめます。The Nagas & Naginis | Serpentine Beings of Indian Legend YouTubeUnraveling the Mystery of Naga | Sadhguru Exclusive YouTubeFull Story Of Nagas - Nag Panchami Festival YouTubeNaga Gods of Ancient India: There Is FAR More To This Story Than We've Been Told YouTube次の課題は、他の地域への龍探しの旅です。つづく参照資料1) スリランカ :ウィキペディア2) ダラダー・マーリガーワ寺院 :ウィキペディア3) スリランカ民主社会主義共和国 基礎データ :「外務省」4) Category:Temple of the Tooth, Architectural Closeups :「WIKIPEDIA COMMONS」5) ”MAKARA"- The Sri Lankan Dragon :「STAN WISTON」6) ”Makara”-The srilankan Dragon :「Treking In Couture」7) Makara Torana ? The Dragons Arch :「Amazing Lanka」8) ガンポラ時代最大の寺院「ランカティラカ・ウィハーラヤ」 :「Spice Up」9) The Dragon Arch :「Sri Dalada Maligawa」10) Dambulla cave temple From Wikipedia, the free encyclopedia11) Angurukaramulla Temple Walk through the dragon's mouth :「Tripadvisor」12) Photo: Inlet water through dragon mouth :「Tripadvisor」13) スリランカの古代ヒンドゥー教の神の彫刻 :「FREEP!K」14) モルディブ共和国 基礎データ :「外務省」補遺龍 :「コトバンク」竜 :ウィキペディアスリランカ篇 その1 :「poliahuの旅日記」Culture of Sri Lanka From Wikipedia, the free encyclopediaAncient Nagas of Sri Lanka | Yakkas and Rakshasas | Sri Lankan Tamils | Eelam | eleyloo YouTubeThe Magical World of Nagas - Part 1. Who Are The Nagas & What Happened to Them? YouTube ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。観照 インターネットで【龍/Dragon】探しの旅へ 」一覧表
2024.12.10
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昨日12/8)、日曜日、1年ぶりにウォーキング同好会の闇鍋会に参加。南草津駅集合。ロクハ公園まで歩き、昼間の名目・闇長会開催です。集合時間までにゆとりがありましたので、南草津駅のプラットホームから見えた冒頭の西口側駅前を探訪しました。 米原・長浜方面行のプラットホームからまず見えていたのは、この日本庭園の趣を見せる一画です。L字に建仁寺垣を設けて、庭園が作庭されています。 通路を隔てて、東側、駅寄りにはなぜか小型ピラミッドがあります。駅のプラットホームからはピラミッドの形が見やすかったのですが、植物に覆われて先端部しか見えません。 垣根の背後、西側は広場になっています。 西口前のロータリーの西側、上掲広場の南側に、このモニュメントが建立されています。 近くから眺めるとこんな感じです。三日月形の内側に、円形の透明ガラスが嵌め込まれていて、上部に和歌が記されています。調べてみますと、『新拾遺集』に収載されている仲光の詠んだ歌です。 さをしかの しからむ萩の秋見へて 月も色なる 野路の玉川 仲光「野路の玉川」は草津市にある古跡。草津は東海道と東山道との分岐点、交通の要衝地です。草津宿が栄えました。野路の玉川は萩の名所として有名だったようで、「萩の玉川」とも称され、諸国六玉川の一つとして名を知られていたとか。 (資料1) 江戸時代に出版された『近江名所図会』には、野路玉川が挿絵入りで取り上げられています。ここには、『千載集』に収載されている源俊頼が詠んだ歌、 あすもこん野路の玉川萩こえて色なる波に月やどりけり 源俊頼が挿絵の上部に記されています。 (資料2)南草津駅には、 この観光案内板が設置されています。駅の東口前の方も少し歩いてみました。駅前は車やバスの離発着のためのロータリーになっています。 この広場にあるのがこのモニュメントです。これも詳細不詳。 北側の歩道の傍で、この2体のブロンズ像が目に止まりました。 案内板を目にはしませんでした。見落としたのでしょうか。調べてみましたが、彫刻家名等は不詳。さて、南草津駅からロクハ公園までは、ウォーキングです。ロクハ公園内の紅葉残影を点描でご紹介します。 (資料3) 公園正面ゲート付近の並木道 振り返った景色 多目的広場の一隅 様々な運動器具が並んでいます。 その向こうに、紅葉をとどめる木一本闇鍋会開催場所となるのはバーベキュー広場の一角です。 その近くでの紅葉残影を求めてほんのわずかの散策タイム。 紅葉の残影がところどころに見られました。さあ、後は各自が持ちよった食材による闇鍋会のスタートです。終れば、JRの駅までのウォーキング。帰路は地元のメンバーに同行し草津駅に到りました。ご覧いただきありがとうございます。参照資料1) 「野路の玉川古跡」について :「滋賀県立玉川高等学校」2) 近江名所図会 :「国立公文書館デジタルアーカイブ」3) エリアガイド :「草津市公園事務所・ロクハ公園」 補遺諸国六玉川・近江野路 歌川広重筆 :「文化遺産オンライン」虫の音が聞こえてきそう :「草津市」今は昔 萩の玉川 ( 草津市 ) :「滋賀ガイド」六玉川 :「立命館大学」浮世絵のなかの多摩を読み解く観賞ガイド :「たましん美術館」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)ロクハ公園については、こちらもご覧いただけるとうれしいです。歩く 滋賀県草津市 JR南草津駅~ロクハ公園歩く&探訪 [再録] 滋賀・草津 JR草津駅からロクハ公園 -1 旧東海道沿いの史跡点描 2回のシリーズでご紹介。
2024.12.09
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川端通から仁王門通を歩いてきて、琵琶湖疎水が東から西に流れて来る景色を撮りました。紅葉の残影をしばし眺めました。昨日の土曜日12/7)、仁王門通にある京都観世会館に出かけたのです。「杉浦定期能」のチケットをいただいたので、久しぶりに拝見してきました。番組は能が「鉢木」と「猩々」で、その間に仕舞と狂言が入るという構成です。 次に、南側から二条橋を眺めた琵琶疎水沿いの紅葉の残影です。ここで、冒頭の疎水はL字形に方向を北に転じています。 流れが転じる辺りで ヒドリガモ (12月9日追記) 伸びる枝に、今しばし紅葉の葉がとどまっています。 対岸の岡崎公園側の常緑樹の間の紅葉はもはや残影に近くなってきています。 疎水縁の遊歩道には落ち葉が広がり重なっています。 残影の中で、この木が一番目を惹きつけました。 対岸に見えるのは、京都国立近代美術館です。 遊歩道を東に歩み、振り返った景色。対岸はみやこめっせの建物。 東方向には、朱塗りの慶流橋が見えてきます。 遊歩道に落ち葉が積もり、神宮道にまたがって建つ平安神宮の大鳥居が見やすくなっています。 慶流橋より東の疎水沿いの木々京都観世会館は、仁王門通の南側ですので、慶流橋前の交差点で歩道を南に渡り、少し引き返します。 仁王門通の南側歩道から眺めた紅葉の残影全景です。この姿もあと少しで裸木の林立景色に変容することでしょう。ご覧いただきありがとうございます。補遺京都国立近代美術館 ホームページみやこめっせ ホームページ京都観世会館 ホームページ能楽師 杉浦豊彦 公式サイト演目事典 鉢木 :「the能.com」演目事典 猩々 :「the能.com」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)
2024.12.08
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龍神の頭部これは、インドのマニプール(Manipur)州のもので、楽器に装飾された龍神パクハンバ(Pakhangba)です。 (資料1) Pakhangba という名称から辿ると、南西インドにあるこのパクハンバ寺(The Pakhangba Temple)に到りました。寺院のテラス状の場所を囲む部分に龍像が使われているように見えます(資料2) そこからさらに、メイテイ神話(Meitei mythology)に由来するこのメイテイドラゴン(Meitei Dragoins)と称するドラゴンボートに導かれました。(資料2)これは、2010年1月26日、ニューデリーで行われた第61回共和国記念日パレードの写真です。龍像が彫刻されています。 Naga on copper pillar in Kullu 銅の柱にレリーフされたナーガこれはインド北部のヒマーチャルプラデシュ州のクルにあるナーガです。この辺りの図像になりますと、ナーガが東南アジアと中国に伝搬し、龍に変容していく以前の、蛇の姿そのままのように思います。 (資料3)こちらでは、蛇はコブラの姿、形からのイメージが強いようです。ここでは、私たちがなじんでいる龍の源流に遡る一環としてヒンズー教でのナーガを探しておきたい思います。 (資料3) これは、インド東部のオディシャ(Odisha)州の州都ブバネシュワル(Bhubaneswar)にあるナーガとナーギニ像(Naga and Nagini)です。 これは、インド中部、マティヤプラデシュ(Madhya Pradesh)にあるウダヤギリ洞窟(Udayagiri Caves)の第5洞窟のレリーフです。番号15がナーバデヴァ(Nagadeva)を表しています。仏像の光背にあたる部分にナーガが彫刻されています。 (資料3,4) これは、シェシャ、蛇の王(ナーガルジュナ)として祀られるパタンジャリ(Patanjali)像です。パタンジャリは古代インドにおいて、マハーバーシャの著者、ヨガ・スートラの編纂者、医学テキストの著者等として知られる人物だそうです。 (資料3,5)ヒンズー教において、ナーガは、蛇(serpent)の形をした神々のグループで、ヒンズー教図像学では、重要なものに入るようです。ヒンズー経典の中、特にマハーブララータの第一書に記されているとともに、地方の民間伝統信仰にも大きく関わっていると言います。 (資料3) ヒンズー教の寺院をいろいろと調べてみました。インドにおける寺院の建物では、ナーガという視点で眺めてみると、外観に表れてくることは少ないようです。ナーガは上掲の事例のように、主に彫像として出会うだけで、東南アジアの仏教寺院の建物にナーガが取り入れられたようなスタイルには出会いませんでした。例えば、「Namaste India Trip.com」のサイトの Top 20 Hindu Temples in India (インドのトップ20のヒンズー寺院)をご覧いただいても東南アジアのナーガを取り入れた寺院とは大きく異なります。 (資料6) 寺院の外観にナーガはほとんど関係なさそうです。 世界にあるヒンズー教寺院の規模においてトップ10に入ると言われるティルチラパリ(Tiruchirapalli)にある Ranganathaswamy Temple は、 逆にこの外観です。ヒンズー教の神々が満ち溢れています。逆にナーガが表現されているかどうかすら、私には識別できません。 (資料7)仏教の発祥地はインドです。そこで、インドにおける仏教寺院に、ヒンズー教のナーガがどのように取り入れられているか調べてみました。ウィキペディアにあるインドの仏教寺院リストをもとに、閲覧できる写真の範囲で、龍探しをしてみました。 (資料8)その結果、寺院の外観に龍をみることはほぼありませんでした。閲覧写真の範囲で私が気づいたのは、わずかに2例だけです。 一例は、ルムテク僧院(Rumtek Monastery)のこの扉です。 扉の柱の彩色装飾の中に、龍像が描かれています。親近感を感じる龍像です。 もう一つが、ラマユル僧院(Lamayuru Monastery)。建物内部の写真が載っていました。細部を眺めますと、 右側の柱に吊るされた幡の一部に龍と識別できそうな図柄が見えます。ナーガが中国に伝播し、中国で龍に変容して、それがインドに逆伝播したのでしょうか。日本から逆に伝播したのでしょうか。興味深い事例です。ヒンズー教のナーガは、上記のとおり、蛇神のグループと考えられていて、さまざまな名称の蛇神がいるようです。 Maninaga and Svastika最初のマニナーガという名称にナーガが入っています。これはニューデリーにある国立博物館の所蔵品。クシャーン朝2世紀のもので、インド東部のヒハール州ラージギルからの出土品です。 (資料3)こちらもその中の一つでしょうか?「Pinterest」のサイトで、Vyali (Hindu dragons) というタイトルの画像に出会いました。Vyali については不詳。 (資料9) もう一つ、「Brown History」のサイトで、 Desi Dragons: Beasts from South Asian Folkloreという、南アジアの民間伝承に出て来るという龍の記事を入手しました。 (資料10)この記事の中に、1枚の絵とインドのムガール朝、16世紀の作品が載っています。このナーガは、ジャイナ教にも取り入れられていたようです。 ナーガの幌の前に立つティアタンカラ・パルシュヴァナタ(Tirthankara Parshivanatha)この像はテランガーナ州カリマサールにあるガンサドハラのコルタ・ナルシムラパリにて( at Kolta Narsimhulapally of Gangadhara Mandal In Karimnagar District Telangana State)2017年6月13日に発見されたそうです。(資料3)余談です。インドのドラゴンを探していて、知った副産物。一つは、Indian dragons と称される動物が存在するという記事。「MONGABAY」のサイト。 The Indian dragons we know so little about (資料13)もう一つは、Dragon Fruit です。India と dragon をキーワードにして検索して、数多く出てきたのがこの果物関連記事でした。 ドラゴンフルーツこんな果物です。日本語版ウィキペディアから引用。 (資料14)「W.マイナビ農業」のサイトに、”ドラゴンフルーツってどんな味? 食べ方や切り方、スーパーフードとも言われる栄養価について解説”という記事があります。ついでにご紹介。 (資料15)元に戻ります。インドの北東に、ネパールがあります。前回触れたブータンの西隣りです。ネパールも一緒にご紹介します。調べてみて、初めて気づいたのですが、ネパール連邦民主共和国は、宗教の視点からとらえると、「ヒンドゥー教徒(81.3%)、仏教徒(9.0%)、イスラム教徒(4.4%)他」(資料16)という分布の国でした。私は仏教色が強いと思い込んでいたのです。というのは、最初、dragon探しをしていて、ほとんど見つけることができなかったのです。この宗教比率であるなら、なるほどと思います。インドでもインターネットでの龍探しでは龍とそれほど出会わないのですから。インドでの龍探しで、出会ったナーガです。シェシャ(Shesha)という名称だそうです。King of the Serpents、つまり、蛇大王です。まさにコブラの姿形がイメージされているのでしょう。 (資料17)この辺りで、一区切りと致します。つづく参照資料1) Dragon From Wikipedia, the free encyclopedia2) Pakhangba Temple, Kangla From Wikipedia, the free encyclopedia3) Naga From Wikipedia, the free encyclopedia4) Udayagiri Caves From Wikipedia, the free encyclopedia5) Patanjali From Wikipedia, the free encyclopedia6) Top 20 Hindu Temples in India :「Namaste India Trip.com」7) Ranganathaswamy Temple, Srirangam From Wikipedia, the free encyclopedia8) List of Buddhist temples in India From Wikipedia, the free encyclopedia9) Rumtek Monastery From Wikipedia, the free encyclopedia10) Lamayuru Monastery From Wikipedia, the free encyclopedia11) Vyali (Hindu dragons) :「Pinterest」12) Desi Dragons: Beasts from South Asian Folklore :「Brown History」13) The Indian dragons we know so little about :「MONGABAY」14) ドラゴンフルーツ :ウィキペディア15) ドラゴンフルーツってどんな味? 食べ方や切り方、スーパーフードとも言われる栄養価について解説 :「W.マイナビ農業」16) ネパール 基礎データ :「外務省」17) Shesha From Wikipedia, the free encyclopedia 補遺メイテイゾ族 :「namuwiki」“Dragons” of Ancient India :「WONDERS & MARVELS」Top 10 Largest Hindu Temples Worldwide :「Moneycontrol.com」DRAKON INDIKOS :「THEOI GREEK MYTHOKOGY」インド神様関係図 :「マライカ」Buddhist pilgrimage sites in India From Wikipedia, the free encyclopedia12 of the Most Famous Buddhist Temples and Monasteries in India:「EaseMyTrip」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。観照 インターネットで【龍/Dragon】探しの旅へ 」一覧表
2024.12.06
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南西アジア地域これは南西アジア地域を示す地図。外務省のホームページから引用しました。南西アジア地域でのODA(政府開発援助)情報を開示する冒頭ページに載る地図です。南西アジア地域には、インド、スリランカ、ネパール、パキスタン、バングラデシュ、ブータン、モルディブがあります。東南アジアには、触れていない国に、ブルネイ・ダルサラームと東チモールがあります。外務省の「国・地域」情報をチェックしますと、ブルネイ・ダルサラーム国の宗教はイスラム教が国教で82.1%。東チモール民主共和国はキリスト教99.1%(大半がカトリック)です。同様に、南西アジアのバングラデシュ人民共和国はイスラム教徒91%、パキスタン・イスラム共和国はイスラム教が国教です。 (資料1)そこで、宗教の観点と少し調べてみた結果から、龍探しの旅はスキップしました。ミャンマーに近いブータンから始めます。 ブータン王国は、国旗そのものに、龍がシンボルとして使われています。今まで、恥ずかしながら意識していませんでした。それも私にはなじみやすい龍の姿です。 こちらは国章。ここに描かれた龍よりも国旗の龍に親近感を感じます。 (資料2)正式名称は「ドゥック・ユル(龍の国)」だそうです。「ブータン」の呼称は英語やその他の言語で使われています、と説明するサイトがあります。「龍(ヂゥク)」は国そのものを表し、黄色は君主政治、オレンジは仏教を象徴しているそうです。国旗・国章に龍が描かれるのはなるほどと思います。(資料3) これはワンヂュー フォドラング地区(Wangdue Phodrang District)にあるガンテン僧院(Gangteng Monastery)です。 (資料4,5) 屋根の陵の先端に龍頭らしきものが飾ってあります。日本の寺院の屋根の鬼瓦に相当するように感じます。 僧院正面の豪華な装飾の一部を切り出してみました。柱や桁の箇所に龍像が描かれています。 プナカヅオング(Punakha Dzong)、別名 Pungthang Dewa chhenbi Phodrang この寺院の屋根にも、同様に龍頭らしきものが見えます。(資料4,6)「dreamstime」のサイトで、ブータンの僧院を装飾する龍頭の写真と出会いました。(資料7)ウィキペディアのブータンの仏教寺院一覧を調べてみましたが、寺院の外観で龍の装飾を確認したのは上掲の範囲です。「iStock」のサイトで、伝統的なブータン芸術ー王の結婚式の際に建設された結婚式のゲート、という写真を見つけました。 (資料8)「alamy」のサイトでは、ブータンのある通りの建物の壁面に装飾されたドラゴンの写真と出会いました。ちょっとユーモラスな正面龍です。陶磁器に龍図を装飾した画像を載せる販売ベースのサイトはいくつもあります。省略です。ブータンの最後に、龍のイメージについてイラストその他の画像を集めたページ Dragon Bhtan Images をご紹介して終ります。龍の描き方にも、お国柄がうかがえるように感じます。つづく参照資料1) 国・地域 :「外務省」2) Bhutan From Wikipedia, the free encyclopedia3) ブータン王国概要 雷龍の国・ブータンとは :「DRAGONTOURS」4) List of Buddhist temples in Bhutan From Wikipedia, the free encyclopedia5) Gangteng Monastery From Wikipedia, the free encyclopedi6) Punakha Dzong From Wikipedia, the free encyclopedia7) Dragon head on a monastery in Bhutan :「dreamstime」8) プナカ/ブータン 伝統的なブータン芸術-王の結婚式の際に建設された結婚式ゲート :「iStock」9) Dragon on the house wall at the streets -22-05-2011 Paro in Bhutan:「alamy」10) Dragon Bhutan Images :「FREE!PK」補遺ブータン王国 :「外務省」ブータン :ウィキペディア幸せの国ブータン、住民に聞いた実際の住み心地とは :「CNN.co.jp」ブータン、ここは本当に「幸せの国}? :「FLY FROM LANSAI」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。観照 インターネットで【龍/Dragon】探しの旅へ 」一覧表
2024.12.05
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ベトナムからミャンマーに飛びます。ミャンマーでの龍探しです。冒頭の鐘は、ミャンマーのヤンゴンにある シュエダゴン パゴダ(Shwedagon Pagoda)にあります。タワラディ ミン ベル(Tharrawaddy Min Bell)と称される鐘。パーリ語での公式名称はマハー ティスサダ ガンダ ベル(Maha Tissada Gandha Bell)です。(資料1,2)鐘楼の柱には、金色の龍の彫刻が見えます。龍の姿は、カンボジアで見られたナーガの系統に思えます。 さらに、シング ミン ベル(Singu Min Bell)という鐘を見つけました。パーリ語での公式名称は、マハー ガンドハー ベル(Maha Gandha Bell)です。これは上掲の鐘とは異なり、鐘を吊り下げる指示棒にあたる部分を龍の彫刻で装飾しています。この鐘も、シュエダゴン パゴダにあるそうです。 (資料2,3) これは上掲の鐘のあるシュエダゴン パゴダ。あるサイトではトップランキングの評価がされている有名寺院のようです。(資料4) この寺院をウィキペディアの画像で見る限りでは、寺院の建物そのものに、私が龍をイメージできる彫刻装飾を見つけられませんでした。また、私がインターネットで調べた仏教寺院の建物画像の範囲では、ほとんど龍像を確認できていません。(資料5)探し方のまずさかも・・・・・/。 このナガヨン パゴダが、唯一見つけたものです。寺院の建物自体に龍が組み込まれています。(資料6) 上掲の人気ランキング上位40には入っていません。Visit Myanmar というサイトでは、この寺院が、ミャンマーの南部マンダレーにあり、ザ・ インストゥルメンタルパゴダと呼ばれる寺院であると日本語文で紹介して画像を掲載しています。 (資料7) これは、シュー イン ミャウ パゴダ(Shwe Yin Myaw Pagoda)にあるもの。大きな緑色のカエル像の左側に龍の彫刻があります。(資料8) シュウェタールヤン ヒル(Shwethalyaung Hill)という丘にある大きな象岩の左斜め後ろ、門柱の部分に金色の龍像が見えます。 (資料9)ミャンマーにも中国寺院があるようです。次のサイトで、私たちにはイメージしやすい龍像と出会いました。iStock のサイト: このドラゴンは、ヤンゴンのチャイナタウンにあるケンホックケョン仏教寺院の屋上にあります。 (資料10)以下のサイトでも数多くの龍に出会いました。POND5 のサイト: ビデオに撮られた龍像 at Dhammikarama Burumese Temple (資料11)Cyber Monday のサイト: マハムニ パゴダ(Mahamuni Pagoda)の龍像 (資料12) in Mandalay, Myanmaralamy のサイト: Burma dragon Stock Photos and Images (資料13)shutterstock のサイト: Myanmar Dragon royalty-free images (資料14)日本人旅行者のブログ記事もいくつか出会いました。それらのご紹介を兼ねてリンクします。ジョージタウン郊外の散策(寝釈迦仏とミャンマー寺院):「Trip/Travel/Journey」 上から6枚目の写真に寺院入口前の通路傍のナーガ(龍)が撮られています。(資料15)コウカッタン洞窟寺・鍾乳洞 :「日本すきま漫遊記」 カレン州パアンにある洞窟寺院。上から14枚目の画像に、通路の傍の壁にナーガ(龍)がいる景色が撮られています。 (資料16)ミャンマーの古都 バゴー :「GO! GO! キョロちゃん!!」 画像が番号表記されています。No.101 で、階段の手すりに大きな緑色の龍がいる景色が撮られています。 (資料17)最後に、ムチャリンダ龍王について、複数の情報を得ましたのでそれらをご紹介します。最初に出会ったのは、山形洋一さんの「ヤンゴン素描46」というpdfファイルです。ムチャリンダ竜王はビルマ語ではムサリンダ竜王、サンスクリット語ではナーガ・ラージャンというそうです。エッセイ文に素描が載せてあります。 (資料18)ムチャリンダ龍王の実例を撮られているのにも出会えました。バゴーのシュエモードーパヤーを参拝・散策 タビガラスさん :「4travel.jp」 上から32枚目の画像がムチャリンダ龍王です。 (資料19)バゴー シュエモードパゴダ、シュエターリャウンパゴダ :「K.テツのひとりごと」 上から8枚目の画像が同様に、ムチャリンダ龍王です。 (資料20)これら2枚の画像は、龍王と名前がついていますが、私には、龍と呼ぶより、コブラのイメージが強いです。伝統的工芸の分野で龍探しをしましたが、龍と出会えませんでした。現在の商業ベースの陶磁器サイトでは龍をデザインしたものが売買されていますが、省略します。伝統的な陶磁器の分野でも龍と出会うことはできませんでした。検索のしかたがまずいのかもしれませんが・・・・。 2022年に創設されたというレジスタンス組織は、Myanmar Royal Dragon Army と名乗り、この旗を掲げているそうです。ここに龍が使われています。(資料21)ミャンマーにおいても、龍はミャンマーの文化の中に根づいているようです。これで一旦、ミャンマーでの龍探しを終わります。つづく参照資料1) Shwedagon Pagoda From Wikipedia, the free encyclopedia2) Tharrawaddy Min Bell From Wikipedia, the free encyclopedia3) Singu Min Bell From Wikipedia, the free encyclopedia4) ミャンマーの寺院・教会 ランキング :「4travel.jp」5) List of Buddhist temples in Myanmar From Wikipedia, the free encyclopedia6) Nagayon Pagoda From Wikipedia, the free encyclopedia7) インストゥルメンタルパゴダ ::「Visit Myanmar」8) Shwe Yin Myaw Pagoda From Wikipedia, the free encyclopedia9) Shwethalyaung Hill From Wikipedia, the free encyclopedia10) Dragon 中国寺院、ヤンゴン、ミャンマー :「iStock」11) Dragon Statue At Dhammikarama Burmese Temple.. Video :「POND5」12) Carved dragon on a wall of Mahamuni Pagoda in Mandalay, Myanmar. Mahamuni Pagoda is a Buddhist temple and major pilgrimage site in Myanmar :「Cyber Monday」13) Burma dragon Stock Photos and Images :「alamy」14) Myanmar Dragon royalty-free images :「shutterstock」15) ジョージタウン郊外の散策(寝釈迦仏とミャンマー寺院):「Trip/Travel/Journey」16) コウカッタン洞窟寺・鍾乳洞 :「日本すきま漫遊記」17) ミャンマーの古都 バゴー :「GO! GO! キョロちゃん!!」18) ムサリンダ(ムチャリンダ)龍王 山形洋一 ヤンゴン素描 4619) バゴーのシュエモードーパヤーを参拝・散策 タビガラスさん :「4travel.jp」20) バゴー シュエモードパゴダ、シュエターリャウンパゴダ :「K.テツのひとりごと」 21) Myanmar Royal Dragon Army From Wikipedia, the free encyclopedia補遺ナーガラージャ :ウィキペディアムチャリンダ 仏陀に帰依した蛇の王(ナーガラージャ) :「モンスペディア」ミャンマー連邦共和国 :「外務省」ミャンマーの現状 :「ミャンマーファミリー・クリニックと菜園の会」「ミャンマー」ニュース一覧 :「NHK」なんだろう? 難陀龍王って 1089ブログ :「東京国立博物館」【解説】難陀龍王・跋難陀龍王 WEB版 絵解き涅槃図 :「臨黄ネット」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。観照 インターネットで【龍/Dragon】探しの旅へ 」一覧表
2024.12.04
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我が庭の花。小ギクが満開です。 玄関への短いアプローチの傍、レンガで囲まれた細長い小さな花壇の前のプランターで咲いています。 小ギクの先、玄関に近い側に、デユランタが咲きつづけています。そして、 朝顔 オーシャンブルー夏、猛暑の続く前に咲き始め、猛暑期間中はぴたっと咲かなくなり、猛暑が終わると再び、咲き始めて、毎朝かなりたくさんの花を開きました。ピークは過ぎたようですが、今も咲き続けています。 我が家の南東隅に1本のキンモクセイの木があります。 その傍に、バラが咲いています。 我が家の南壁面の傍に、この紅いバラ。小ギクもバラも、品種は何か・・・私には定かではありません。早くも12月が始まりました。光陰矢の如し 実感として感じています。ささやかな記録を兼ねたご紹介です。ご覧いただきありがとうございます、補遺デュランタの基礎知識 :「みんなの趣味の園芸」ノアサガオの基礎知識 :「みんなの趣味の園芸」ノースポール(クリサンセマム)の基本情報 :「みんなの趣味の園芸」野生ギクの基本情報 :「みんなの趣味の園芸」バラの基本情報 :「みんなの趣味の園芸」 バラ :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)
2024.12.02
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