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冒頭の写真は、 今年(2016)の2月に移転開館
したことを知り、久しぶりに訪れた 「風俗博物館」の入場券
です。日本語では風俗博物館という名称ですが、英語の表記では、 COSTUME MUSEUM
とされています。コスチューム、つまり衣裳を展示している博物館。メインは「源氏物語-六條院の生活」場面に託して平安時代の生活風俗・衣裳を表現するという目的のユニークな博物館です。
この 「井筒左女牛ビル」の5階
に移転したのです。
言葉からの連想で横道に逸れますが、「左女牛井 (さめがい)
」は平安時代から京の名水として知られた井戸で、この堀川通五条下るに「左女牛井之跡」の石標が立っています。その辺りは源氏の本拠地だったのです。
「源頼義・義家・為義・義朝・義経などが居を構えた六条堀川館があり、左女牛井はその邸内にあった。」( 資料1)
堀川通の東側、 龍谷ミュージアムから少し北
にあります。 堀川通りの西側は西本願寺
です。龍谷ミュージアムでの「水-神秘のかたち」展と併せて、2月に新しく開館された風俗博物館の探訪に行きました。4月末、つつじが綺麗に咲いていました。
この西本願寺の前の歩道を北に進んでいくと、五条通に到る少し手前に、上記「左女牛井之跡」の碑があります。これは以前に紹介しています。
もとの風俗博物館は上掲のビルの北になる新花屋町通を東に入ったところにあったのです。場所としては今回の移転先の方がわかりやすいと思います。 (冒頭のチケットをあらためて見ると、旧住所の表記のものが現時点では利用されていました。)
ここでご紹介する場面は、移転オープン展示のものです。次回8月1日からの新規展示替えのために現在は休館されています。8月以降に訪れていただくと、このご紹介場面からどのように変化したかがわかり、二重にお楽しみいただけることでしょう。
『源氏物語』に出てくる 「六條院」
は勿論、紫式部が創作した豪華な 光源氏の邸
です。
ビルの5階に上がると、物語の中に設定された 六條院のイラスト図
が掲示されています。そして、この六條院の 「春の御殿」の内の寝殿と東の対(対の屋)の部分
、このイラスト図では赤色部分を六條院の規模の 4分の1の縮尺の建物として
この5階のフロアーに再現されています。
係員の方にお訪ねすると、旧井筒法衣店ビル5階に設置されていた時と同じ高さでこちらのフロアーでも再現されていますとのことでした。
移転後のこのフロアーの照明の明るさや天井までのフロアーの高さの関係なのか、私には土台部分が高くなった印象を受けました。余談ですが、宇治市にある源氏物語ミュージアムには、六條院全景の建物を再現されたミニチュアモデルが設置されています。
エレベータの扉が開くと、目の前にこの景色が広がっています。
正面に見えるのが 六條院春の御殿の寝殿
です。
移転後の開館で、この2月~5月での展示は、『源氏物語』の「御法(みのり)」の巻に描かれる「紫の上による法華経千部供養」の場面でした。
チケットを購入した時、この12ページに及ぶ展示説明パンフレット(A4サイズ)をいただきました。
展示内容のことがかなり詳細に説明されていて、大変役立つ資料です。このパンフレットを部分読みしながら、ゆっくり展示を鑑賞すると、『源氏物語』を読んでいなくても充分に源氏物語の中に入っていけます。平安時代の生活風俗や、源氏物語が身近なものに感じられることでしょう。このパンフレトを主に、他の資料も併用してご紹介します。
この時、紫の上は大病後に体調も思わしくない状態なので、六條院から紫の上の私邸・二条院に移っていました。つまり、 この寝殿・東の対は今回二條院とみなされています
。
光源氏51歳、紫の上43歳のときです。紫の上は源氏にかねてよりの悲願として出家を願うのですが、源氏はどうしてもそれを許しません。紫の上は自身の発願として長年にわたり書かせていた 法華経千部の供養を3月に二條院で行う
のです。それは、死期の近さを予感する紫の上が、明石の君や花散里らとそれとなく別れを告げる場でもありました。
この供養は法華経八巻を4日間で講説するという 「法華八講」
の形で行われます。
法華経八巻を八座に分けて、一日に朝座・夕座の二座が講じられ、4日で八座の法会となります。
「法華八講の目的としては、亡き人を供養する追善供養や、自分の死後の冥福のため生前に仏事を行う逆修(ぎゃくしゅう)、そして法華八講に参会した人々が法華経に帰依し、仏法によって縁を結ぶことなどがあった。」(パンフレット)
この場面は、 3日目の場面 です。 「五巻の日」 とも呼ばれ法華経第五巻 「提婆達多品 (だいばだったほん) 」 が講じられたのです。この3日目に法会が最も盛大な様相を呈したようです。その場面を仏画で良くつかわれる「異時同図」の手法で展示されているように解釈しました。
異時同図手法の典型は法隆寺の玉虫厨子須弥座の側面に描かれた「捨身飼虎」図です。 (資料2)
それでは、この場面の細部をご紹介します。
寝殿の母屋 (もや)
に 「薪の行道 (たきぎのぎょうどう)
」の場面
が展示されています。これは3日目の夜に入り行われる儀式です。法華経「提婆達多品」には、釈尊が前世で薪を拾い、水を汲んで仙人に仕えて妙法を得たという話が記されています。 (パンフレット、資料3)
このことの儀式化のようです。
部屋中央に設置された壇に 本尊・普賢菩薩像
が安置されています。
この本尊は、大倉集古館(大倉文化財団・国宝)蔵を参考に制作されたミニチュア像だそうです。
「普賢菩薩とは、法華経を受持、読誦、書写した人を守護するため、東方の浄妙国土より六牙の白象に乗って現れた菩薩である。その姿は、白象の上の蓮華台に結跏趺坐し、合掌したものであるが、これは法華経の行者を見て歓喜し、行者を供養礼拝するための姿だと言われる」(パンフレット)
紫の上は、寝殿の南と東の戸を開けて、寝殿の西にある塗籠に自分の席をもうけているのです。明石の君や花散里の君など女君たちの関は寝殿の北の廂の間に、襖だけを仕切りにして席を設けていると物語には描写されています。 (資料4)
薪の束を前後に、また 水桶を前後に背負った六位の蔵人
そして殿上人が高位の方々の捧物 (ほうもち)
を持ち、さらに上達部 (かんだちめ)
が続きます。
七僧 が加わります。
「法華経をわが得しことは薪こり菜摘み水くみ仕へてぞ得し」(行基作)と法華経讃嘆 (さんだん)
の声明を唱えながら本尊の回りを右周りに行道する、つまり歩き廻るという儀式です。
夜中、尊い読経に合わせて鼓が打ち鳴らされたそうです。
『栄花物語』「はつはな」「けぶりの後」の巻には、この行道の様子が詳しく記されているそうです。(パンフレット)
ほのぼのと夜が明けていく朝ぼらけの中で、「陵王の舞」が始まるのです。
『源氏物語』では、仏前に奉納する楽人や舞人は夕霧の大将が取り仕切って世話をしたと描写されています。
陵王
舞は陵王、曲は蘭陵王と言われます。唐楽左方走舞 (とうがくさかたはしりまい)
の名作中の名作として知られるものです。
中国の北斉(549~577)の蘭陵の王のエピソードに由来する舞です。
この装束は『春日権現験記絵 (かすがごんげんげんきえ)
』(1309鎌倉)、『舞楽図巻』(1408室町)を参考にして、時代考証をされたものだそうです。
以前に同館を訪れたとき、係員の方にお聞きしたことですが、色、文様、姿など、現存資史料を基に時代考証をして、人形のサイズに合うように布生地など縮小サイズで織りあげたものを使って、装束を完成させているということです。
まさに平安時代の装束が考証復元されたものをビジュアルに鑑賞できるという博物館なのです。
落蹲 (らくそん)
蘭陵王との番舞 (つがいまい)
となる舞です。高麗楽右方走舞の代表曲です。
現在は二人舞で「納蘇利 (なそり)
」と称され、一人舞のときには「落蹲」と称されるようです。
この舞の場面を、瀬戸内寂聴さんはこう訳されています。
「さまざまな鳥の囀る声も、笛の音に劣らない感じがして、感興の深さも面白さもここに極まったかと思われるような時に、舞楽の陵王の舞が急調子になり、終わりに近い楽の音が、華やかに賑やかに聞こえてきますと、一座の見物の人々がいっせいに、舞人に禄として脱いで与えられる衣裳の、とりどりの色合いなども、折りが折りなので、華やかな上掲にふさわしく興趣深く見えます。」 (資料4)
興味深いのは、この陵王という曲には「急」がないとされているらしく、この急調子という箇所について、、古来議論があると言います。『源氏物語』には、「若菜下」の巻に、朱雀院五十賀の試楽場面で、「陵王」「落蹲」が童舞として描写され、「橋姫」の巻で薫が大君と中君を垣間見るところで、大君が「入る日を返す撥こそありけれ」と言う場面は、古来「陵王」を典拠とするものと考えられているそうです。 (資料5)
この写真は寝殿の庭の池ですが、興味深いのは竜頭の舟の上に舞の舞台が乗せられていることです。 竜頭鷁首の舟
、つまり竜頭を舳先の飾りにした舟と鷁首 (げきしゅ)
を舳先の飾りにした舟を池に浮かべるという場面はよく目にします。これもそのバリエーションなのでしょう。
私の見聞では、嵐山の三船祭と二条城の南にある神泉苑で、竜頭鷁首の舟を見た記憶があります。少し調べた結果を補遺に加えておきたいと思います。
上記法華八講の目的の3つめに、結縁という目的が述べられていました。
「御法」の巻では、紫の上と明石の君、花散里との間での贈答歌が出て来ます。紫の上が贈った歌に、歌が返されるというものです。
明石の君との間での贈答歌
惜しからぬこの身ながらもかぎりとて 薪尽きなむことの悲しさ
(もはや惜しくもない この身だけれど ついこれを最後と
薪が燃え尽きるように 死んで往くのが悲しくて)
薪こる思ひは今日をはじめにて この世に願ふ法ぞはるけき
(千年も薪こり菜つみ水汲み 法華経奉仕をなさるのは
今日の御法会がそのはじめ はるかな御寿命の涯てまでも
法の道を成就なさる遠い道のり)
花散里の君との間での贈答歌
絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる 世々にと結ぶ中の契りを
(やがて命を絶えるわたしの 営む最後の法会こそ
その功徳によって結ばれる あなたとの永久の御縁の
その頼もしさよ)
結びおく契りは絶えじおほかたの 残りすくなき御法なりとも
(あなたと結ばれた御縁の 絶えることがあるものですか
もはや余命少ないわたしは どんな法会でも有り難いのに
こんな盛大な法会に結ばれて) (資料4)
この歌のやりとりに、結縁の意図がうかがえます。そして、紫の上の逝去の場面がこの「御法」の巻末尾で描かれます。
一つ一つの装束を眺めるだけでも、その色の鮮やかさ、様々な文様が楽しく、精巧にミニチュア化された道具類などを眺めるのもおもしろいです。
それでは、この4分の1のスケールモデルである「春の御殿」寝殿と東の対をぐるりと廻っていきましょう。
つづく
参照資料
パフレット 「源氏物語 六條院の生活 風俗博物館」 平成28年~展示 同館作成資料
1) 源氏堀川館・左女牛井之跡
:「平清盛の京を歩く」
2) 異時同図
仏教豆知識 :「三井寺」
3) 『法華経 中』坂本幸男・岩本 裕訳注 岩波文庫 p204-208
4) 『源氏物語 巻七』 瀬戸内寂聴訳 講談社文庫 p252-283
5) 『源氏物語図典』 秋山 虔・小町谷照彦 編 小学館 p131
補遺
風俗博物館
ホームページ
源氏物語 御法 原文
渋谷栄一校訂 :「源氏物語の世界」
同 現代語訳
法華八講
:「コトバンク」
大倉集古館
:ウィキペディア
大倉集古館 コレクション・出版物
:「大倉集古館」
蘭陵王
:「コトバンク」
曲目解説 蘭陵王
:「おやさと雅楽会」
蘭陵王置物
:「宮内庁」
納曽利(なそり)
:「おやさと雅楽会」
京都嵐山 三船祭
:「車折神社」
京都嵐山車折神社 三船祭2015
:YouTube
神泉苑(真言宗寺院)
:「ほっこり京都生活」
京都のパワースポット。京都神泉苑の龍パワーがハンパないです。
:「やなだ.com」
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