遊心六中記

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2019.04.24
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カテゴリ: 探訪
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久我バス停に集合した後、歴史散策の講座は まず「菱妻神社」に向かいました 。事後に地図で確認しますと、久我の交差点を横断した後、交差する両府道を避けて久我石原町の住宅地内の道をまず北上しました。
この辺りの地図(Mapion)はこちらをご覧ください。

冒頭の景色は通過する道の傍に、一画を簡易に区切り駒札が立ててある場所です。
駐車場の背後は、桂川の堤防(右岸)です。

その駒札がこれ。 「菱妻神社御神域馬場殿」 と説明されています。
久我家の荘園 であり、 久我家の屋敷があった ということは触れています。この駒札によれば、久我家の邸宅群は 「久我水閣」 と称され、 久我家当主の屋敷は「大御所」 と称されていたことがわかります。そして、 ここはその大御所に付属する「馬場塚」 だそうです。
前回ご紹介した「誕生寺」の辺りに久我家当主の屋敷があったとすると、位置関係からしてもなるほどという気がします。
この場所はかつては桂川の堤防が幾度も切れた場所であり、久我地域全体の鬼門(北東方向)に当たる位置でもあります。

この辺りは、白河天皇(1053~1129)が創建し、譲位後に住み院政御所とした鳥羽離宮から鴨川・桂川を挟んだほぼ西側に位置します。鳥羽離宮は14世紀頃まで代々の院政の拠点となったところです。 (資料1)
京都市平安京創生館には、「鳥羽離宮復元模型」が展示されています。こちらからご覧ください。

名神高速の高架下を北側に抜けたところに、

「菱妻神社」 誕生寺の北西約600m に位置します。

朱塗りの大鳥居をくぐり、狛犬像と手水舎を経て参道を北に進むと、 割拝殿 があります。

割拝殿の先が 拝所と本殿 です。
本殿は覆屋内にあるため、よく見えません。現在の本殿は天保6年(1835)、久我家により造営された一間社流造だそうです。
(ひしつめ) 大明神とした ことに始まるとか。つまり、 祭神は天児屋根命 です。 (資料2,3,4)
久我家の鎮守神とされたそうです。そして上久我の産土神となります。

一説に、この菱妻神社は式内社簀原 (すはら) 神社の後身ともいわれるそうです。 (資料3,4)

本殿に向かって右側に「具平宮 (たいのみや) 」と称される末社があります。
天保6年(1835)に造営されたとか。久我家の始祖と仰ぐ村上天皇の皇子・具平親王 (ともひらしんのう) を祀るそうです。 (資料3,4)    写真を撮りませんでした。




駒札によれば、 久寿元年(1154)に社名が火止津目から「菱妻」に改名された と伝わることがわかります。

しっかりした覆屋により、本殿の姿は残念ながらまったく拝見できません。


拝所の屋根の軒丸瓦の瓦当には菊花紋がレリーフされています。その上の鬼板の上の鳥衾が菊花紋であることは瓦当と照応します。正面の鬼板にレリーフされているものが一部しか見えませんが、後述の八幡宮の鬼板と同じと推測できます。特徴的なのは、屋根の合掌部の軒瓦の瓦当の意匠です。馬蹄形であり、かつその内側の四角のデザインが初めて見るものです。一見、龍をデザイン化したようにも見えます。





本殿に行く少し手前、参道の左側に 本殿とほぼ同じ規模・形式で、「八幡宮」が祀られています
この八幡宮は明治11年に久我本町からこちらに移転されたと言います。 (資料2)
祭神は応神天皇です。また、向かって右側に見える小祠は 住吉神社 です。 (資料4)


こちらは正面の格子戸越しに本殿を眺めることができました。
蟇股には松と鳥の透かし彫りが施されているようです。木鼻には象が彫られています。



鬼板には 五龍胆車紋 がレリーフされています。これは 久我龍胆 とも称されるようです。 (資料5)



参道を挟み、八幡宮とは逆に本殿に向かって右側に、 「虫八幡宮」 があります。
こちらも祭神は応神天皇です。 (資料4)
尚、境内社のうち、粟島神社と稲荷神社を見落としています。


朱色の大鳥居から南方向を眺めると、石鳥居が見えます。

        大鳥居と石鳥居の間を名神高速の高架が南西方向に横切っています。
        この石鳥居は府道202号線に面して立っています。

ここから久我本町の集落に入ります。

日蓮宗の 満願寺 傍を通り、
「妙昌寺」の山門 前に至ります。 


日蓮宗のお寺で、妙覚寺末。本覚山と号し、天正19年(1591)妙覚寺第20世の實成院日典を開基として建立されたお寺だそうです。 (資料2)
今回の探訪対象ではありませんが、この妙昌寺の立地が今回の歴史散策に関係していました。
山門前から進んできた道を振り返りますと、

道路の北側沿いに古風な姿をとどめる大きな屋敷が見えます。

講座レジュメからの引用です。実は、この妙昌寺から上掲の民家(屋敷)を含む方形の区画が、 「上久我城跡」 で、 もとは久我氏の居館があったところと推定されている そうです。 (資料2)


妙昌寺脇の道路を挟み、南側にはこの古風な倉のある建物があります。L字形に水路があり、一見こちらが城跡風ですが、調査結果では上久我城跡の周辺地にとどまるようです。

妙昌寺の南辺の道路を抜けて、境内の南東隅に立つ御堂を眺めつつ、府道123号線を横断し、誕生寺に立ち寄りました。
既にご紹介した復刻の石造宝篋印塔を拝見することが直接の歴史散策目的でした。

誕生寺を出た後は、府道123号線沿いに南進し、久我本町に隣接する久我御旅町に所在の本清寺に向かいます。

つづく

参照資料
1) ​ 鳥羽離宮 都市史 ​ :「京都市」
2) 龍谷大学REC「京都の歴史散策37 ~久我・羽束師を歩く~」
  (龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏作成レジュメ 2019.4.11)
3) 『昭和京都名所圖會 洛南』 竹村俊則著  駸々堂
4) ​ 菱妻神社 ​ ホームページ
5) 『歴史探訪に便利な日本史小典』 日正社

補遺
水閣 ​  :「コトバンク」
久我氏 ​ :ウィキペディア
久我家 ​ :「コトバンク」
村上源氏系図 ​  :「家系図の倉庫」
京都歴史散策マップ ダウンロード ​  :「京都市埋蔵文化財研究所」
  ダウンロードできるマップの一覧ページです。有益!!
  「40. 久我・羽束師」で、これが現時点の公開マップの一番大きな番号です。

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

探訪 京都・洛南 久我・羽束師を歩く -1 桂川と久我橋、地名(久我・羽束師)へ
探訪 京都・洛南 久我・羽束師を歩く -2 誕生寺 へ
探訪 京都・洛南 久我・羽束師を歩く -4 本清寺(水上薬師)・久我神社 へ
探訪 京都・洛南 久我・羽束師を歩く -5 久我東町遺跡・菱川城跡・観音寺・久我畷・羽束師神社 へ


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Last updated  2019.04.29 22:52:53コメント(0) | コメントを書く


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