遊心六中記

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茲愉有人

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2019.04.25
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カテゴリ: 探訪
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誕生寺を出て、府道123号線に戻り南に下ると、久我本町から久我御旅町に入ります。
「本清寺」の山門 が西側に見えます。
日蓮宗のお寺で、本圀寺末。受法山と号し、竹内季治(真滴)を開基とするとか。元亀2年(1571)に没した季治の御影が安置されているそうです。 (資料1)

調べてみますと、竹内季治は遠縁筋の久我家の諸大夫だったらしく、正三位大膳大夫・宮内少輔となり、堂上家に昇格したようです。この季治は織田信長について、「いずれは信長は熟したイチジクの如く、木より地上に落ちるだろう」と予言したと言います。このことを耳にした信長は激怒して元亀2年に季治を近江国永原で処刑したそうです。
それはさておき、

本清寺を訪れた第一の目的は、 薬師堂に祀られている木造薬師如来坐像を拝見すること でした。当寺には「薬師如来縁起」が残されているそうです。ここの薬師如来坐像は、 「水上薬師」 と伝わり人々に知られているそうです。

「水上薬師霊験記」
拝見した薬師如来坐像は、定朝様で、平安時代12世紀に造立されたと推定されています。像高51.0cmという小像です。「この大きさにしては煩瑣と思える型どおりの木寄せに加えて、内刳り面をきれいに仕上げている」 (冊子中の引用文) と言います。「鳥羽離宮関連寺院の遺品か」 (資料1) という推定も。

霊験記によると、最初は平安時代中期、能登国福良の海上からイルカの背に乗り、浜辺に打ち上げられた薬師仏だそうです。当寺の二条天皇が夢にこの薬師仏をみて、越中国の広田家にて一宇を建立しこの像を祀らせたそうです。すると、二条帝の長年の持病である頭痛が平癒したと言います。時を経てこの薬師仏が都にもたらされ、洛西法輪寺で祀られていましたが、大永7年(1527)5月の風水害で薬師仏が流されて下桂に辿り着いたと言います。草庵を建ててその薬師仏を安置したのが、薬師堂の起源だそうです。 (冊子より)


境内には、 「南無妙法蓮華経」の題目碑 が立ち、その傍にこの本清寺が (はっしん) 之道場」とする石標 が立っています。

                もう一つ拝見したのがこの 五輪塔 です。五輪塔自体元は一石から彫りだされたもの。

特徴的なのは、五輪のそれぞれの正面に妙・法・蓮・華・経と一字ずつ刻されていることです。

本清寺を出て、府道歩きを避けお寺の南側を回り込むと、石垣に上に五輪塔が見えました。
府道を避けて、久我の集落から新しい住宅地の中を抜けて「久我神社」に向かいました。
新興住宅地内の道は結構先がわかりづらい形になっています。個人的に探訪されるときは府道の一番最寄りの地点から神社にアプローチされることをお薦めします。


住宅地を抜けて行くと竹薮の向こうに神社が見え始めました。
当日は参道の途中の横道から本殿に向かう形になりました。
ここでは、分かりやすいように正面から探訪する形でご紹介します。

「久我神社」の正面の大鳥居 です。

鳥居の傍の石灯籠。 竿の正面に「久我神社」 と太い文字で刻されています。

        鳥居から参道を進み、途中で振り返るとこんな景色です。

参道の先に、大井手川と称される水路が横切り、反り橋があり、橋を渡ると手水舎が左側にあります。



参道の先は一段ずつ高くなり、割拝殿が見えます。  

割拝殿の中央の通路の先に、本殿が見えます。

                            拝所と本殿正面です。

拝殿を抜けて、本殿全景をとらえた景色です。本殿は三間社流造りで、屋根は胴板葺きです。
三間幅の正面前面が格子戸になっています。本殿は切石積基壇上に建てられています。


               割拝殿の手前の石段傍に立つ 駒札 です。
久我神社は『延喜式』記載の乙訓郡十九座のうち久何神社に比定されているそうです。
江戸時代には 「森大明神」「森の明神」 と呼ばれていたといいます。
祭神は建角身神・玉依比売神・別雷神の三座 。桓武天皇が長岡遷都の際に玉城の艮角 (うしとらのすみ) の守護神として神社を創建されたと伝わるそうです。
現在の本殿は、天明4年(1784)の再建です。棟札に大工棟梁ほかの名前が記載されているそうです。播磨の大工が造営に携わったそうです。 (資料1,駒札)

                      こちらは朱色の大鳥居の傍に立つ駒札です。


こちらの駒札に加えて手許の一書を併読しますと、2つの伝承がうかがえます。
一つは、中世の村上源氏流の久我氏ではなく、古代豪族である山城国久我国造 (こがのくにのみやっこ) 久我氏の祖先神を祀ったのが起こりというものです。
二つ目は、後にこの地に進出してきた賀茂氏が久我氏に取って代わり自らの祖先神を祀るようになったという考え方です。建角身神の賀茂以前の居地とする見方です。
この久我の地には、「当地におられた玉依比賣命に西の方から丹塗矢が飛んできて当たり、身ごもられ、この地で別雷神がお生まれになった」 (駒札より) という賀茂伝説が伝わるそうです。  (資料1,4,駒札)

この伝説は、現在の上賀茂神社での神話では、太古の昔、雷鳴の轟きの中で一本の丹塗矢が降ってきたとしています。賀茂玉依比売命が賀茂川の上流で身を清めているときに、川上より流れてきたその丹塗矢を不思議に思い持ち帰り、その矢を床に祀り、眠ったところ、賀茂玉依比売命は懐妊されたという話になっています。 (資料5)

『延喜式』に記載されている「久何 (こが) 神社」は、当社に擬せられているそうです。 (資料4)



本殿拝所の中央の蟇股には菊花様のレリーフが施されていますが、両脇の蟇股はシンプルな刳り抜きのものです。

木鼻はしっかりと象が彫り込まれていて、眼と牙は白く塗り込まれています。際立っています。

本殿の本体の蟇股にも菊花文様が彫り込まれています。前のはめ込み式の格子戸は上下の二段に分かれている感じです。


側面の破風もまた胴板で覆われています。懸魚の形もシンプルです。

本殿側面の大瓶束の両側には笈形様に大きく装飾彫刻が施されています。

蟇股の内側には、波濤様の装飾彫刻が貼付られているようです。

本殿背面は板張壁ですっきりしています。

境内に眼を転じます。

大クスの木です。注連縄が幹に巻き付けてありますので、神木なのでしょう。


本殿の斜め後ろの両側には、境内社が並んでいて、覆屋が設けてあります。こちらは本殿に向かって左側の二社です。右より 稲荷神社、春日神社 です。

右側にも同様に三社が並び覆屋が設けてありますが、台風等による被害でしょうか、青いビニールシートで補強されていました。絵にはなりません。こちらには、右より 清正公社・八幡宮・天満宮 が勧請されています。

加えて、「 歯神社 (はがみのやしろ) 」という境内社が祀られています。祭神は 天神立命 (あめのかんだちのみこと) だそうです。


稲荷社・春日社の覆屋の南側に置かれている 石碑と2つの石 があります。
「唐臼碑」 と石碑上部に刻されているように読めそうです。碑文の内容はこの2つの石の由緒で、かつて神殿造営時に用いられた石のその後の変遷譚が記されています。完読は出来ませんが、判読できる箇所から推測しました。

本殿の周囲は竹林に囲まれ、参道の両側には樹木が生い茂っています。
この境内地の森は古来から「久我の杜」と称され和歌に詠まれていて、名高いようです。 (資料4)
  菊に這ふ蔦紅葉せり久我の森淀の渡りや時雨しつらん  光俊  夫木抄、15、蔦
  打ち群れて来ん人はなほ久我の杜木々の紅葉のまだ散らぬ間に よみ人しらず 夫木抄、15、紅葉

久我神社の朱塗り鳥居から出ると、                          
 すぐ近くに焼板塀の倉の立つ屋敷が見えます。
この一画だけ眺めると、江戸時代あたりに戻った感じを受ける景色です。

さらに、南に歩むとこの 「久我神社灯籠」 があります。これは通り過ぎてから振り返って撮ったもの。この道の突き当たりが先ほどの大鳥居です。

久我神社は久我森の宮町に所在します。
このあたりの地図(Mapion)はこちらからご覧ください。
久我神社に一番近い府道沿いのバス停は「神川小学校前」です。

石灯籠は角地にあり、左折して府道123号線に出ました。

府道沿いに少し南進すると、「下久我」バス停の先に「伏見区役所出張所」と「久我のもり図書館」があります。

ここで小休止。このすぐ南側に久我東町遺跡が発掘されたところでした。

つづく

参照資料
1)  龍谷大学REC「京都の歴史散策37 ~久我・羽束師を歩く~」
  (龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏作成レジュメ 2019.4.11)
2) ​ 竹内家 ​ :「日本通信百科事典」
3) ​ 竹内家 ​ :ウィキペディア
4)  『昭和京都名所圖會 洛南』 竹村俊則著  駸々堂   p173-174
5) ​ 御神話 ​ :「上賀茂神社」

補遺
山城(乙訓郡)の式内社/久何神社 ​ :「戸原のトップページ」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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Last updated  2019.04.29 22:53:32
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