遊心六中記

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2019.04.20
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カテゴリ: 探訪
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桂川に架かる「久我橋」 です。 「久我」は「こが」と読みます 。(2019.4.11撮影)
この下流側に「羽束師橋」があり、その少し手前で鴨川と桂川が合流し、羽束師橋下流で桂川となります。
京都市伏見区の国道1号線「赤池」の交差点から西に向かう道路は、鴨川に架かる 「京川橋」 、桂川に架かる 「久我橋」 を通ります。
国道1号線の「赤池」から北に進めばわずかの距離で、西側には 「離宮跡公園」 、東側には 「城南宮」 「小枝橋」 です。この辺りはかつての「鳥羽伏見の戦い」の戦跡です。さらに時代を遡れば、 「鳥羽離宮」 が営まれ、政治・文化の中心地になった時期がある地域でもあり、桂川・鴨川の水運が京の都の繁栄に大きく関わった時代でもあります。

今回は、この久我橋西詰の「久我」バス停を集合地とする歴史散策講座に参加した記録の整理を兼ねてのご紹介です。

近鉄京都線或いは地下鉄の「竹田」駅で下車し、 「竹田駅西口」 から市バスで約15分の乗車なのですが、運行バスの本数が少ないので、集合時刻より早い目に現地に行きました。

かなり余裕があったので、桂川とその周辺を個人散策してみました。

この久我橋はかなり交通量の多いところです。国道1号線にリンクするからでしょう。
桂川の右岸(西)が久我地区でその南側が羽束師地区です。鴨川の左岸(東)は中島地区を東から挟む形で竹田地区があり、その南に下鳥羽地区が広がっていて、少し入り組んでいます。
この辺りの地図(Mapion)はこちらをご覧ください。

 セイヨウカラシナ (?)
                                            
河川敷が広く、雑草類や樹木が繁茂していて、河川敷の一部は菜園に利用されています。





桂川を魚が遡行するのを助けるために設けられている工作物の一形態なのでしょう。調べてみると「魚道 (ぎょどう) 」と称するそうです。 (資料1)

橋から上流側に、河川敷にできている小径を辿ります。


                               


                              川の水面上空を鳥の群れが飛び交っていました。
                              鳥の種類は知識が無くてわかりません。

                                          北方向の堤防沿いを河川敷から眺めた景色

堤防上に戻って眺めると、こんな景色になります。

                                   
正午過ぎのひととき、静かでのどかな桂川の風景でした。

さて、今回の探訪地域の名称について、触れておきます。

まず「久我 (こが) 」です。
久我は古代豪族の久我直 (あたい) 一族の居住地だったことによるとみられています。また、陸 (くが) ・空閑 (くが) が転訛したとも考えられていて、もとは乙訓郡に属し、久我村と称した古代村落の一つだそうです。 (資料2)
『山城國風土記』可茂社の説明に、賀茂建角身命が「久我國之北山基」に坐したという記述があり、久我国という名称が出てくるようです。北山基というのが、今の上賀茂神社あたりを示しているとか。この地は、平安末12世紀に村上天皇の後裔である村上源氏の嫡流・源師房の所領地となり、久我氏と名乗ったと言います。久我氏の別邸「久我殿」「久我水閣が造られるとともに、久我荘が展開された地域だそうです。 (資料2,3)

「羽束師 (はづかし) 」は、『正倉院文書』「奴婢帳」(749年)に「山背国羽束里」と記されているそうです (資料3)
もとは乙訓郡に属し、羽束 (はづかし) 郷と称し、土器の生産を業とする羽束氏一族の居住地だったと言います。 (資料2)
12世紀には西大寺領荘園が展開し、15世紀には志水惣村の存在が確認されている地域です。 (資料3)

久我については、久我通親が次の歌を詠んでいます。詞書に地名が見えます。 (資料2,4)

   春ころ、久我にまかりけるついでに、父のおとどの墓所のあたりの花の散り
   けるを見て、むかし花を惜しみ侍りける心ざしなど思ひいでてよみ侍りける
 ちりつもる苔の下にも桜花をしむ心やなほのこるらん  権中納言道親 千載集 1155

「父のおとど(=大臣)」とは、久我雅通のことです。久我家3代で、正二位・内大臣となった人。今回の探訪地の対象に入っていませんが、後で調べてみると、 その墓所は久我本町の久我家墓所御墓山 だと言います。また、この墓所となっていた場所には、現在 「久我大臣之墓」(伝久我通親) と刻した石標が立っているそうです。

講座参加前の探訪をつづけます。
つづく

参照資料
1) ​ 魚道 ​  :ウィキペディア
2) 『昭和京都名所圖會 洛南』 竹村俊則著  駸々堂  p170,p172
3) 龍谷大学REC「京都の歴史散策37 ~久我・羽束師を歩く~」
  (龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏作成レジュメ 2019.4.11)
4) ​ 源通親 ​  :「千人万首」(やまとうた)
5) ​ 源雅通 ​ :ウィキペディア

補遺
第12回懇談会 (発表-1)川魚の性質について ​ :「姫路河川国道事務所」
久我家墓所「御墓山」 ​  :「陵墓 陵印 掲示板」
久我大臣之墓(久我家墓所御墓山)(京都市伏見区) ​ :「京都風光」

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Last updated  2019.04.29 22:50:38 コメントを書く


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