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昼から潮干狩りに行きました。 海蛇・エラブウナギに出会いました。 トトロ岩は上手く撮れてません。 満ち潮にせかされて 獲物はハチジョウタカラ貝2個とサザエ1個でした。 夕方は バーベキュウーに呼ばれて ご馳走になってきました。 話に夢中になって 写真撮るのを忘れてしまった。 芝庭の広い庭での家族の交流、 いいお付き合いができますようにと 願っています。 神様に見守られたいい日でした。
2014.04.30
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私の家でもテレビ電話を使うようになっている。 携帯電話を無理やりに持たされてから 10年ほどの間に 光電話に回線がかわり パソコンの画面で孫と話ができるようになった。 時代の流れになんとかついていかねばならない。 息子とインベーダーゲームで負けてからは ゲーム機器には縁を持たなかったが その息子の遊びが ネット回線を使ったゲームだという。 行楽地に行かない若者が増えてきたのも ゲームの方が魅力があるからだとの情報に びっくりした。 これからの観光地として成り立っていくには ゲーム感覚を取り入れた観光商品(遊び)の開発だという。 修学旅行生の遊びの感覚がそれだとのことだ。 観光地の開発について また考えさせられた。 昨日は倉庫で かりゆしバンドのDVDを見た。 中古のスピーカーを別売で買ってきてセットした。 ホームシアターの準備ができつつある。 便利な世の中になった。 田舎の農家は屋敷を広げることができるので 掘っ立て小屋を建てて 趣味の空間を作る楽しみができる。 現代の機器を使いこなせれば 田舎暮らしの不便さを少しでも解消できる時代になった。 物価は高いけれど・・・。 贅沢さえしなければ 住みやすい。 お袋に マンゴーの映像をテレビ電話(霊送)しよう。 届くかな・・・。
2014.04.28
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思い切った。 ビニールハウスの修理と片付けをするために マンゴーの樹を伐ることにした。 20年以上のお付き合いだった。 植えた当時は熱帯果樹の振興方策が示されてなく、 指導者もいなかった。 初代果樹振興会長になっていただいた川畑博昭氏が アテモヤヤドラゴンフルーツを試作導入したのをきかけに 私も勉強のためにと彼に苗木を注文してもらい 本格的に熱帯果樹栽培に取り組んだ。 平成5年度に 水田転作推進のための県単独事業が余ってっるとのこと、 父を組合長に説得して、にわかに生産組合を結成して ビニールハウス(1,500平方メートル)を建ててもらった。 沖縄の農業視察をしたとき 路地菊栽培農家がマンゴーに切り替えた話に興味があって 花の次は果樹に取り組む心づもりで居た。 数品種を 試作の為に7本を導入し アーウインの果実を実らせたときの母の喜んだ姿が 脳裏に浮かぶ。 ビワやパッションフルーツはすでに試作を始め、 定着してた頃である。 県の農業試験場(大島)ではまだ試験がされてなかったと思う。 手探りの状態で 沖縄の栽培方法を参考にして 私なりの剪定・整枝をして樹を作っていった。 樹が若いころは手入れもほどほどにしても 良く実が着いたので これは行けるとのことで 熱帯果樹の推進に本格的に取り組むことで 町の果樹の振興方策に アテモヤとマンゴーを書き込む(熱帯果樹)事になった。 そして与論町果樹振興会を本格的に立ち上げ 現在に至っている。 去年の台風でビニールハウスが半壊状態で 今も片付けられていない。 立て直すか修理して使うか迷っていたが 修理して使うことに決めた。 規模を縮小して手入が行き届くようにしたい。 新規には事業導入が出来そうなので 別の畑に2,000平方メートルぐらいを 息子に経営移譲する計画で居る。 跡地の利用計画も すでに頭の中には描いている。 道ができる。
2014.04.28
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昨日のブログの道を登り切ると 恥匹の丘への案内がある。 事業で作られた案内板の豪華さとうって変わって 入口がわからない、との指摘があり あとで設置されている。 壁面を利用し、 公園内に設置されている案内板がここにあったら 景観を損ねずに 入り口が表示できたはず。 後の祭りで 何時も愚痴ばかりのツアーガイド泡盛さん。 写真入りの解説付きの案内板を目の前にして お客さんに由来を説明するには気おくれがする。 どうぞ 案内板をご覧ください。 となってしまう。 この案内板が 駐車場にたっていたら 予備知識で読んでもらって 景色を楽しみながら 補足説明も兼ねて自分なりのエピソードを交えてた あんないができる。 景色は 見ればわかるで カメラの位置、置く場所など便利だけれど ちょっとちがうんじゃなーい・・・。 昨日案内したお客様から 森を切り払ったら 神様が怒るよ そうなんだ・・。 神様は森の中の岩に隠れていたんだ。 恥引きパンタになっちゃうよ。 奄美の森のガイドさんを 案内して回った半日だった。 もとの梶引きパンタの植生に近い植樹を 計画してみたいものだ。 鎮守の森の計画として 景観に関心のあるグループ討議をする機会が持てたらいい。 シンポジュウムなど開いて・・・。 ハジピキパンタから 景観を考える。
2014.04.26
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与論島に住んでいる方だったらここが何処だか誰でもわかるだろう。 茶花から叶・古里 を結ぶ東西線道路の坂のこちら・向こうは与論高等学校がある。 カラフルな擁壁のコンクリートを打ったときはなんでこんなところに色きちの・・・、と思った方もいただろう。擁壁は畑の土止めにつけたものだった。 あれから何年経ったのだろう。20年ぐらいはなるのだろうか・・・みどりの日が制定されたころからここの植栽が始まったと思いだしている。 ここの手入れをしているのは与論分校第二回卒業生のYさんだ。こつこつと続けているのをみると私もまけてはいられないと心がふるいたつ。辰年うまれの同窓生だからよけいに競争心がわいてくる。私は始めたばかりだから勝てるわけはないが勝と負けではなくて心意気についてのじぶんへの励ましである。 表彰に値する作業だね」と話しかけると自分の好きなことをしてるだけだと言って、そんなことなどは考えてない。ハジピキパンタの近くの花園は高校の先生の奥様の転勤後は彼女が引き継いだようだ。(私の憶測である)台風であちらこちらがやられていきなかでどうしてここだけがこんなに綺麗でいられるのだろうか。 花壇を管理した方は思うであろう。やったことが無い方は与論には花が少ないとぼやく。台風のせいである。農作物も台風と干ばつのせいなのである。 沿道シュウケイ美化、道路の立地条件にあった植栽を考えさせる事例だ。まだほかにもあるので何時か紹介したい。 みどりの日がくるとYさんの母にもらって枯らしてしまったオオバナソシンカの花を思い出す。みどりのおばさんはもくもくと昨日も作業をしていた。
2014.04.25
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Kさんご夫婦与論島移住相談日程表によると25日与論着、28日与論発の三泊四日宿泊はヨロン島ビレッジと楽園荘、農家訪問は与論島民泊、ちゅむちゃ荘農家研修及び移住者懇談会は竹 盛窪亜熱帯ガーデン 懇談会は500円会費で行います。お酒はありません(笑) 事前相談もなしに案内状を出した担当はノグチゲーラ?ゲラゲラ笑える。 彼らしい即実行力を頼もしく思っている。 彼には以前から島おこしに何が必要か」を気軽に打ち明けているしふいにやって来て世間の憂さ晴らしにつきあってくれるので宛名の森久保の間違いを大目に見てあげよう。 オーストラリアでのパーマカルチャー研修依頼の 気心の知れた与論島ウンパル学校の正社員でもあり島興しのイデアの持ち主としても頼りにしている人物である。 奄美群島成長戦略ビジョンの与論版を即実行に移したかたちのこの企画は民間と観光協会と役場が連携して取り組む事例として発展させていきたいものだ。 やればできるじゃないか。上から目線ではないつもりで一緒に取り組みたい島おこし。 声をかけてくれたら農業でも教育でも文化活動でもやる気のある者掘り出せる。 人財の掘り起し、そして育成、引継ぐこと」 ぴちゅしどぅ 島やむちゅる。 やーむち、島むち、国むち、ゆーむち ぴゃくにじゅーぬくらいまでぃ。 ひゅーいん いしょーしゃ ぷーらしゃ くらさりゅいどー ・・・・。 ちっとーとぅ 神様。
2014.04.24
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各島分科会員宛として奄美群島事務組合から小冊子が届いた。 基本計画・実施計画(前期) 平成26年度~平成30年度 与論島の実施計画もあるのでこれをもとに予算編成もされていくのであろう。したがって、行政への要望・提案(中期構想)はこれを吟味しながら討議した方がいいように思う。 平成22年3月に作成された奄美地域将来ビジョン(人と自然が共生する癒し・活力・結いの島づくり)を受けた戦略ビジョンになっている。 今回は、数値目標とPDCAサイクルに関する基本的な考え方も取り入れている。 住民もこの評価に加われるような体制が必要である。 それよりもまずはこの計画書の存在を住民に知らせることから始めなければならない。 私もその一人である。
2014.04.23
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「与論島内陸部の自然保護及び景観に関する意識改革の提言」については 議会の方で継続審議がされる模様である。 陳情案件の文面からして 意識改革の提言」 としているので どうこうするとの回答はえられないであろうが、 自然保護とか景観とかについて 少しでも関心をもってもらう効果はあっただろう。 これは私にとって スタート地点にたったことを意味する。 景観については個々人が それぞれの感性でとらえることからして さまざまに意見がわかれて当然である。 したがって 会議の中で最大公約数値を求める討議をしなければならない」 ということだ。 だから 意識改革の提言であるだろう。 陳情を採択してもらうためだったら、 与論町景観条例の制定について」で良かったのだと思う。 景観条例はすでに鹿児島県が定めてあるので それにならって 町としても 景観条例をつくることは当たり前のことであって 国定公園に指定された時点での提案であってしかるべきである。 景観を損なっている物の事例と言えば、 廃屋、放置車、保安林の枯れ木処理など、 あげればきりがないが・・・。 すでに沿道修景色美化条例が施行されているので 条例制定には異論はないと思われるが。 ギリシャ巫女の巣との姉妹盟約のおかげで せっかくのホワイトキャンペーンを思い起こして 観光協会からの盛り上がりを期待したい。
2014.04.22
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古跡・遺物 の項目に 秘定川(ピジョーゴー)が記載されている。 湧水の場所を撮ったので紹介したい。 聖地といわれていたことや、湿地帯であったことなどで 長い間踏み込めないでいた。 十数年前に探し当てて その近辺にあることまでは解っていたが 聖地としての水たまりの場所が確認できなかった。 今回はそれであろうことが 納得できたので紹介したい。 町誌によると、 秘定小丘の麓の秘定田袋(タブクル)近くの森林にある。 この井戸は一名「上間川(ウイマゴー) 」とも言われ、 史家の説では、与論城築城当時の祭神用水の自然湧水と 推定されている。 その後、大阿武志良礼専用の井戸となり、明治二年まで 続いたという。 なお、本井戸はアマンジョーと共に最も神格が高い。 井戸の中から 魂がでてきて写っている。 貴方にも 見えますか・・・?
2014.04.21
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日の出を拝んで 海からの贈り物の砂利を戴いて帰った。 防災無線から第三日曜日の一斉清掃のお知らせが流れないので カレンダーを確認したら やっぱり第三日曜だった。 砂利を降ろすのに手間取って 5分遅れで自治公民館にかけつけたらすでに作業が始まっていた。 隣では子供育成会も花壇の手入れをしている。 これまでの古里老人クラブの名称を古里クラブと改め、 新規約の元で活動を開始。 記録係に立候補したので 実績写真を撮ることにした。 広い面積の花壇の手入れが主なる作業のようだ。 緑化樹を植える場所ががあって 楽しみだ。 挿し木の講習会を頼まれたので 嬉しい出番が待っている。 朝日のあたる集落を目指して 元気が出た。 九州農政局むらづくり部門の 天皇賞を目指そう。 10年では できる。 和泊町 知名町が成し遂げている。 またもや 10~15年も遅れてしまった。 会長と足並みを組む。 ひゅーからどーやー ひゅー」 今日から始める。 集落の偉人 益田元圃教育長先生に学ぶ。
2014.04.20
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死を考えるとき 何が残るだろうと考える。 郷土の先人の残したものを思い浮かべる。 名誉町民、栄誉町民、歴代の首長など・・・。 与論町誌に載った方々はその功績が語り継がれていくだろうが、 市井の人、縁の下の力持ちは 永久に忘れ去られていくのだろう。 特に農業や漁業などは歴史書にはとりあげられていないことが多い。 逆に教育については、 ささいなことまでもが記念誌などでも紹介される。 編集者によって書かされる人が多いからでもあろう。 最近発行されて配られた 教育委員会発行の書籍については 特にその感じがして なんであんなにまで初代戸長についてこだわったか 不思議でしょがない。 町誌や他の著作からの転用が多いのも気になってはいるが 早く書いたものが勝ちみたなのになっては困る。 そういうことでは 私も気をつけなければならない。 歴史や郷土研究、あるいは自然科学の記録の発表については 私もブログしてるので これからも気をつけなければならない。 本題に入って・・。 死を考えるとき、 自分のことを一番考えて思い出してくれるのは子や孫だろう。 子子孫孫にのこしたい大事なことを 今のうちにしておかなければならない。 としたら、 先祖崇拝の思想だろう。 これを教えることができれば 私を思い出してくれる。 形にのこすにしたら 書物にする、写真にする。 屋敷、財産にして残す。 財産として残すには 公的な財産にするのが良かろう。 と思いながら 景観を考えている。 琉球に学ぶとしたら 蔡温の哲学だ。 与論島の祭温を目指して フバマの植栽を手がけてみた。
2014.04.19
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共著論文の別刷りの送付」とのことで 高尾 彰さまから報告書が届いた。 この度、鹿児島県の与論島において本種の分布及び繁殖を確認したため、これを報告する。2013年5月6日、与論町立長のため池の周囲のアダンの付近から。 Akamata(24):19-20(2013) 高尾 彰 ・ 竹 盛窪 ・ 竹 真弓 発見のきっかけとなったのは 竹 真弓がこれまでと違うカエルを見たとのことから始まった。 確認した場所付近の住民はすでに知ってたのだが、学会への確認と報告をしてないので 私たちが記録者となったのである。 鹿児島県への侵入第一号である。 その後、5月12日には「鹿児島県与論島へのシロアゴガエルの侵入と定着」として、他の研究者が 爬虫両棲類学会報 2013(2) として報告されている。 あれからやがて一年が来ようとしている。 活動、生息範囲の拡大を調べておきたい。
2014.04.18
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ここのところ毎朝 海からの贈り物の砂利を運んでいるが、 潮の満ち干によって砂利の粒や集まる場所が変動する。 砂利が砂で埋まってしまう潮時だったので 降り口の踏み分け道を修復することにした。 4~5年前に道普請した砂利の跡が見えていた。 実はここに 小型のボートを置いていたのだったが 台風で波にさらわれてしまった。 去年の台風で砂が削り取られて 浜との段差ができていたので、 掃除で集められた材料を使って手直しした。 父の命日だったこともあって 記念に両脇に 植樹もした。 モンパ、クサトベラ、トゲナシアダン、 ハマゴウ、ハマボウフウが 前面で育ってくれることも 朝の散歩の楽しみだ。 航海安全を祈願しつつ・・・。 ボンぼ親父。
2014.04.17
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ハーフまらそんを練習なしでも完走できるのは 生活習慣のおかげである。 歩くの大好きだ。 8キロぐらいの砂の袋をかかえて砂浜を歩いている。 実用を兼ねている。 自分本位(評価額)の胸算用で 鹿沼土を買ったつもりで考えると 一袋百円にしても 一時間で千円を手に入れている公算だ。 趣味と健康も兼ねているので 実益まるまるのようだが、 ガソリン代が少しはかかっている。 浜への降り口がだいぶ削り取られているので 修理が必要のようだ。 去年の台風の影響で 植生の変化がみられる。 今年はハマダイコンとハマウドが異常に繁茂している。 一応 記録しておこう。 降り口に階段をつけようとおもっているが、 流木を使ってみたい。 ついでにモンパ、クサトベラ、ハマゴウ、トゲナシアダンも 植栽してみる。 今日は父の6年忌。 父がそばで見守ってくれるように願って植えたい。
2014.04.16
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排水路にパイプを埋めることにした。 高校か大学生のころ、 父と手練のコンクリートで排水溝を作った。 壊れかかったり、埋まったりしてあまり用をたさないので 廃棄されていたパイプを貰ってきて 砂で埋め戻すことにした。 境界杭に沿って砂利と砂とで簡単に工事ができる。 砂が落ち着いたら ドラセナを植えたい。 次第に屋敷まわりの整理が進んでいる。
2014.04.15
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三鷹 詩吟の会御一行様が花を添えていただきました。 与論中学校卒業生の皆様も・・・。 私は20回卒ですので、 7年先輩の方々でした。 もしやと思ったお姉さまともおはなしができて 良かった。
2014.04.15
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与論では旧暦は欠かせない。特に3・8・10の十五夜は豊年祭があり、与論城跡にある地主神社(とこぬし)に与論十五夜踊りが奉納される。今日がその日、午後三時から行われる豊年祭典には私も参加する予定である。 32年前の今日の日の夕方長男誕生の知らせが届いた。 豊年祭の供物を整えて、式典を待っていた。穏やかな日和で 満ち潮になったいたハキビナの海岸から伊平屋島の景色が脳裏に蘇ってくる。 豊年祭典の片付けもすべて終わったあと、役場の二階の産業課で上司が知らせてくれた。 何してるんだ「、 早く帰って お祝いをせんか・・・」 と言いつつも、 その場でとりあえず祝ってもらった。 今みたいに携帯で連絡がとれる時代じゃなかった。 家が留守だったので、役場に連絡が入っていたらしい・・。ほのかな 時代であった。 五穀豊穣 嶋中安穏 無病息災 子孫繁栄 感謝を忘れずに そして 断酒続行。
2014.04.13
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会則が去年の台風で何処かに飛んで行った」との会長談話で、規約変更があった。名称変更については10の名前の提案の中から無記名投票の結果古里クラブに決定した。 提案者いわく、老人と言われたくないと加入を断るので、老人という文字を省いただけ・・・。平成26年4月12日より施行する。 専門部組織が7部門あるが、できれば7、パークゴルフ部に希望しよう。
2014.04.12
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台風で痛めつけられながらも開花 一部に実が着きだした。 夏が来たような日差しが強くなった。
2014.04.12
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岸本池に通じる道路から百合が浜を撮った。 そうだ、 直線道路を撮ってみよう。 クロガネ農道にでて車を停めた グラピャーと石積のパンタ。 北に向かって 黒貫(くろがね)農道、 学生の頃、この農道が小路だったころ航空防除のアルバトをした。 昔の写真集(企画課)に 偶然私の姿を見つけたことがある。 古里一直線は 内野こうとぅみ さん宅横をまがって ウーニヌムイに登っていく。 コーニブアブの入口の片方が閉ざされてしまった。 一直線は途中の真ん中程で ちょっと東に振られている。 そのまままっすぐ北に作られていたら 私の屋敷の真上を通ることになるが 幸いに、地形的にも今の場所が良いと思われる。 時の設計者に敬意を表する。 古里一直線交差点、三叉路を少し過ぎて 左に曲がると 民宿楽園荘に至る。 それに面したところに自宅の裏門を開いている。 ウンパル学校の裏口入学ができるように これから整備を始めよう。 砂利道がまた繋がっていく。 道程。
2014.04.10
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うけたらしい。 同窓生から電話をもらった。 昔の遊びを復活しようと 賛同してもらった。 嬉しい。 古里一直線と三叉路 私は割と方位にこだわり風水の思想を取り入れた暮らし方を心がけているが、東西南北とういう文字は旗に使うと裏から見ても同じに見えて、よくできていると思う。 雨乞いの場所、拝みどころが東西南北に見事に配置されていること、そしてその地の利を生かした道路網が整備されてきていることに与論島の地図をみながら考えた。 昭和43年度構造改善事業を皮切りに農村基盤整備事業等で直線道路がつくられることが当たり前になっているが、一昔前、古里一直線道路が建設されたことは珍しかったのではないかと思う。(故野村勇氏にもっと聞き取り記録をしておきたかったと悔やまれる。) 昨日、屋敷まわりの旧道を歩けるようにと掃除をしながら昔の人の生活に思いをはせた。 生活様式の変化により古い井戸や豚小屋、便所やたたきが失われていく。 それをやっているのは私本人だと気づき、残っている物だけでも保存していけたらと思い屋敷の整備を考えている。 小学生の頃、冬休みの遊びは主に、独楽回しに凧揚げにうちふだ(めんこ)だった。 時には花丸、国とり、目玉などもできる庭の綺麗な屋敷に集まったりした。 隣の兼雄おじいさんの家の庭が綺麗に整備されていたことを思い出した。 そこが、近隣の子供たちの遊び場であったのだ。 お爺さんは戦争で負傷した足をねーぎ(ビッコ)ながら家の前を通り漁に出る。 一人乗りの小舟を竿で自由自在にあやつり、潮時を見計らって蛸の住処を訪問し、うじゅんとがーぎ(銛とかぎ)で蛸の脇腹をくすぐり蛸壺からおびき出してゲットする蛸とり名人だった。 蛸が坊主のときは手ぶらでは帰れないので砂を一袋ぶらさげていた。 それを庭に巻いていたようだ。 その砂のおかげで私たちの子供の格好の遊び場になっていたことを今さらに知る。 子供の遊びにはそのほかうっちゃい、馬のぶとぅ等あったがもう遊び方を忘れてしまったものもある。 冬休みの遊びの定番は独楽回しである。 私の近辺では皆田海岸に通じる三叉路(竹下針きゅう前)が独楽回しの場所だったが、 たまーにキビを積んだトラックが通るぐらいで、交通の妨げになることもなく注意もされなかった。缶けりなどの遊びやら、ラジオ体操もここだった。 ここでは古里の子供たちの南北戦争が繰り広げられた。 北班と南班に分かれてゲームをするわけだったが、独楽回しは南班の大将博兄が率いる兄弟チームに私をはじめ北班の者どもは泣かされた。 喧嘩ゴマなので自分より強い相手を倒しとかなければ上位にあがれない。 一旦負けたら最後、南班の兄弟チームの餌食になっていつもやられっぱなしである。 長く回る独楽つくりも子供の技術の競争だった。 芯の釘を付け替える技術で独楽の良し悪しが決まる。 芯を独楽の中心にまっすぐに通さないとぶれるので上手く回らない。 芯の釘が曲がるとそれをまっすぐに伸ばしてうまく回るように色々工夫したものだった。 出来栄えのいい独楽を持って競争に参加して得意になって上位に上がっていく喜び、先輩たちの独楽が上からたたきつけられ跳ね飛ばされる負けていく悔しさ。 時には端っこを割られるともう独楽は上手く回ってくれない。 泣いたこともある。 そんな昔の遊びを思い出しながら今朝も三叉路に続く門を出る。 落ちが決まらない。 とりあえず・・。 期限が来た。
2014.04.10
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私の ヤドカリ人生 宿命 皆田海岸で産湯をつかい・・・、 性は竹 名はバンブー 自称 パーマンの竹と申します。 ふざけた人生を送っています。 今日も元気だ 頑張ろう。 裏口を広げている。
2014.04.10
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2014.04.09
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日の出は雲の中 撮った写真を順番良くアップした。 道程 高村光太郎 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る ああ、自然よ 父よ 僕を一人立ちにさせた広大な父よ 僕から目を離さないで守ることをせよ 常に父の気魄を僕に充たせよ この遠い道程のため この遠い道程のため CGG思想 クリーン・グリーン・グレイシャス 素晴しい喜び。
2014.04.08
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先日、Uターンした息子のアルバイト先が決まった。 石川さといもの本格的な集出荷が始まるので 選果場でしばらく使ってもらう相談をしていた。 履歴書を出すようにとの知らせがあったので下見に連れて行った ふいに行ったにもかかわらず、 担当者が業務の内容を説明してくれるというので、 写真を撮影しながら 昔の業務を偲んだ。 昭和57年度に野菜の選果場ができ、 年次的に現在の農畜産物流通センターができ現在に至っている 私が初めて手掛けた国の補助事業だった。 この一帯の施設は 私の役場勤務の成果と足跡である。 園芸作物を推進するにあたり 農家や農協、役場の上司、県の職員の指導の元で 次々と新規作物の導入と試作を繰り返した。 生産拡大に伴って流通施設を整備することが、 要求され、 私の仕事が次々と生まれて行った。 そのおかげで あちこちの先進地視察や大都市の市場視察など、 公費で勉強する機会に恵まれた。 本当に 運が良かったと過去を振り返る。 今もなお 役に立っている施設があることが嬉しい。 平成12年度アグリベンチャー事業は 私が別の事業(新農業構造改善事業)で行き詰ったときに、 補正予算に組み替えて 難逃れをした想いでの事業である。 この時は 辞表願いを書いて持っていた。 欝になる寸前だったと思う。 助けて下さった 神に感謝する。 その選果場に 今日から息子を送り出すことができる喜び、 頑張らなくっちゃ。
2014.04.07
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砂利を運んだ時間と 太陽の位置を足跡にのこしてみた 大気は万世する。 小器を晩生するために こつこつとするしかない。 大器を持っていても 水を運ばなければ 雨の降るのを待つしかない。 小さい器の者は 小さい者の暮らし方 身の丈が一番だ。
2014.04.07
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君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔の むすまで 砂利の道を庭に造っている。 私の愛する君の為 に 日本一の砂利の道を目指して 日々是好日
2014.04.06
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役場を辞めたとき 身近にできることから始めようと この海岸(フバマ)の清掃と海岸植栽を試してみた。 試験的に植栽したトゲナシアダンとキミガヨラン、ウチワサボテンは 去年の台風でほとんどが波にさらわれてしまった。 育つことが実証されたので 成果はあった。 海岸清掃は子供育成会がやってくれるようになったし、 とある方が浜歩きの際に拾い集めているようである。 この浜にはいっぱいの想い出が散らばっている。 父と母もこの浜で波の音を聞いて 私が生まれた。 後背地は母の先祖の持ち物だったので・・・。 皆田海岸一帯の景観をこれまでいろいろ考えてきた。 プロジェクトとして取り組める事業がでてこないだろうか。 皆田離れ島を ジオの対象として考え 海岸、岩場の植生と地層の成り立ちを説明し ジオパークやフットパスのコースに取り組みたい。 これらを手始めに 古里集落景観構想を私のパーマン計画と名付けよう。 あくまでも私の遊びである。 パーパンとは 頭の可笑しい男の意味だ。 夢見る少年に帰る。 還暦からの挑戦だ。
2014.04.06
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日が変われば 同じ時間に撮ったのに 天気は人の心も変えてしまう。 コノハズクの鳴き声が聞こえてくる早朝 散歩してこよう。 今日の日が始まる。 良き日にしよう。
2014.04.04
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我は海の子 この海で育った。 我が懐かしき住処なれ・・・。 息子がやってくる。 上手くやっていけるだろうか?
2014.04.03
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運を天に任せた 行程でした。 息子にも会えました。 運転も無事に終えて寄港、 運天港の朝日も拝めました。 備瀬の福木の並木 素晴らしい。 旅先での出会い 人との絆 新年度の出発 合格!
2014.04.02
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