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「センチメンタルジャーニー」と言う言葉を使っていたことを記憶している。
直訳すると「感傷旅行」というらしい。
四月は母の命日の月なのだが、命日そのものには間に合わずに遅れて行くこととなった。
過疎で錆びれた寺に墓所はある。
ボクらが子供の頃にはお墓で遊びまわり賑やかだったが、今、この集落に子供はいない。
当時はこの参道は舗装されてなく、土の道だった。
参道の向かって右側はお寺の田圃だったが、今は埋め立てられている。
その田圃に水を供給する溜池は、もう手入れが全くされなくなり、半ば埋まっている。
ボクが子供の頃(半世紀以上も前の頃)毎年、檀家に寄って池は干されて泥を掻き出して池の深さを保っていたが、今やそんなことは誰もしていない。
ボクの生家はこのお寺の檀家ではない。
けれども墓所はお寺の墓地にあった。
この地は九州の三池藩から移封されてきた一万石の藩があり、ここが菩提寺だったという。
藩主に家来が向かい合う墓石の配置になっている。
ボクが20代の始めのころ、父が墓所の造成やり替えをするというので手伝いに帰省したことがある。
急峻な参詣道をエンジン付きの一輪車で資材を運びあげたことを思い出す。
全くの急こう配の坂道だったから、空身でいくのさえ息切れがするというところを資材を運び上げるとなれば、その困難さは余りある。
トラックなど入るような道の広さではないから、人力で上げるしかなく、当時は他に方法は無かった。
それから随分経ってから、舗装されて手摺りが付いたが、晩年の母は墓参はしなかった。
出来なかったという方があっている。
今、墓所は寺の裏の畑を転用して、ほぼそちらへ移った。
移された跡を見てみたくなって、坂道を登って行った。
山の斜面に段々に削ったところに墓碑が並んでいたのだったが、今は落ち葉だけが残っていた。
正面の石垣が、当時造られた擁壁で、その上にご先祖様や、両親が眠る墓石があった。
この擁壁の骨材をボクは運んだのだ。
墓所が寺の裏に移ってから未だ十年は経っていない筈だが、時の移ろいは無常だ。
いずれはこの段々も消えていくことだろう。
今の墓所に戻り、花筒を洗い、持参した花を供えてから、両手を合わせて首を垂れた。
墓石の映像を載せることは?だから、此処には載せない。
いまや、ナントカ仕舞がかまびすしい。
いろんな考えがあることであり、習慣は変わって行く。
時の経過は無常であり、無情とも通じるとしみじみ思う。
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